≪思いでありがとう≫の内容あらまし
100ページ、70日間かかりました。
楽しみながら作りました。
◎、第13回サンキュウ会会場スナップ写真 7頁
20枚
◎、出会いの広場(綴り方・俳句・近況報告等) 25頁
出稿者のタイトル
1、ブルーベリーの里を拓く 2、 私の思い出 3、頑張ります 4、 先生の思い出
5、川 遊 び 6、 シャルウイダンス 7、私の米作り 8、 公開歌番組に出演
9、新しい芽吹き 10、 楽しみは自分で作る 11、打てなかったホームラン 12, 故郷にUターン
13,山歩き・家庭菜園 14、 同総会に出席して 15、地域に貢献 16、 時代を生きる
17、還暦記念植樹 18、 本 と 私 19、私 の 信念 20、 サンキュウ会 21、古代ハス
▲平 櫛 田 中 ・・・ 人生訓
◎、思い出の集合写真&遠足の行き先 10頁
小学校5年と卒業後最初に集まった時
16枚
◎、寄せ書き 5頁
過去のものがありましたから
複写しました
◎、還暦記念植樹(けや木を植えた) 4頁
けや木の前の幹事さん
◎、小中学校時の時代背景(年表)と淡い思い出 30頁
1、学校時代の思い出の数々、 2小学校改築記念誌(百年のあゆみ)から抜粋
3、小中学校時代の音に会いたい・物に会いたい・見てみたい・体感してみたい
参考資料 小学校時に使った暖飯器、中に火鉢と弁当を入れて暖める(右)
4、担任の先生アラカルト 5、先生に教えてもらった秩父音頭
6、校庭の片隅の万葉歌碑 7小学校の大けや木
8、母校・小学校は城跡(館)でした。 momomama)
小学校のシンボル(けや木)&ろくぼく
今は無き小学校を裏から鳥瞰す
◎、秩父の方言集 8頁
秩父地方の方言を一覧表にしてみました
秩父名物ご存知ねいか
アチャ・ムシ・ダンベェに
つるし柿
◎、サンキュウ会の経過 1頁
在郷の幹事さんたち亡くなられた方々の墓参も行われています。
大変なことです。
◎、付録 伝統の龍勢を受け継ぐ中学生 6頁
覚 書
以上は、概略だけを記しました。
第三者には踏み込んで内容は理解できないと思いますが、こんな編集をしました。
とにかく独断と偏見、独りよがりの作になってしまいました。
各ページの文章に似合った写真を挿入して、
読み易さを和らげ一息入れるように心がけた。
一生懸命作りました。これができることの縄文人の唯ひとつの生涯できる同級生への恩返しと思いました。
集合写真も相当数織り込みました。
1ページに2~3つ読みやすいように挿入しました。
写真の印刷は、部数が多くなりますとあっという間にインクなくなる、そんなことはどうでもいい・・ただ作ることに専念しました。
買い置きをしたのですが、インキを買い求めて2度三度専門店に飛び込んだ。
マア・・、それなりのものを作ったと思い自己満足しています。
皆さんの声が電話の向うから、
「ありがとう、家内も涙ながら読ませてもらいました、感激しました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」のテレホンを何本も受けました。
今年も龍勢が盛大に行われたようです。
その様子も、最後に若者が受け継いだというタイトルで「付録」として加えました。
東京と吉田を何回も往復したと思います。
吉田に行きたくなりました。椋神社の大銀杏はもう真黄色でしょうね。
田舎に生まれてほんとに良かったと思います。
昨今は、
自分史なるものが大流行だそうです。
デジタル時代、パソコンを誰でも操る機械が増えていますからその通りだと思います。
周りの人たちは、俳句・短歌の自費出版でわたしのところにも皆さんから贈られてこられて、ずいぶん増えてしまいました。
そんな時何か縄文人も・・・と思いは先のめり何も内容がなく、どうしようか年は重ねる。
そんな時サンキュウ会が行われました。
これを足がかりに作ろう、自分とクラスメイトは一心同体と余計な想像力を働かせて作ったのが≪思いで有り難う≫でした。
やっと自分なりに皆さんへと、自分の重荷を下ろしました。「ひょっこりひょうたん島~還暦記念パートⅠ~」なる文集を是非アウトラインだけでもお示しできたら嬉しいな・・・・・・・・・・・。
やはり先はない、いまやらねばいつできる・・そんな思いの年齢に差し掛かっているのでしょう。
他人から指示命令されたことは、
あんがいでくの坊ですからなんだこれはと・・・反発する人間です。
しかし自分から、自ら買って出たことは一生懸命やりました。苦になりませんでした。
まぁ・・・・、そんなことで何とかやりえたと思います。
同窓生、クラス会という人たちは同じ同士です。
宗ですか同”じけや木の木”何か縁があるのでしょう。よろしくお願いします。
これだけ内容の充実した文集はそうざらにはありませんよ。
プライベートな文集ですが、身近な公共の図書館に寄贈されてみては如何でしょうか。
そういう関連の蒐集コーナーで永久に保存したいものですね。
私がいただいた「ひょっこりひょうたん島~還暦記念パートⅠ~」なる文集も81Pからなるユニークで内容豊かなものでした。
文字は計り知れない。
立派です。
わたしも堂々川の今昔を書いていますが31ページもやめたぐらいの気になっています。
それが1/3の世界ですから
しても足りないと思います。
欅我が小学校にもあります。
本日6年生の勉強会で見ましたが想像以上に大きくなる木です。
同じものがあると言うことはどこかお互い触れ合う
物があるような気がします。
☆、還暦記念植樹
平成10年4月18日同窓会の席上で、還暦記念に『記念植樹』の提案がありました。皆さんが賛同されました。出席者の人達からの寄付と、幹事さんのお骨折りで、いま立派にすくすく成長しています。
《樹種は》、吉田小学校の大けやきに愛着があり『ケヤキ』と決められた。
《植樹場所は》、吉田県道脇・龍勢会館前『道の駅』駐車場に植えられています。
『私たちのけや木』です。
帰郷の折は、ぜひ立ち寄って立派に成長した、けや木を見てください。
きっと元気をもらうことでしょう。
一部抜粋
中学生に引き継がれた、龍勢
平成22年龍勢が盛大に行われる
秩父市下吉田の椋(むく)神社例大祭が10日行われ、
“農民ロケット”として地元に伝わる「龍勢」(県無形
民俗文化財)が打ち上げられた。大空を舞台にした珍し
い祭礼に県内外からたくさんの見物客が訪れた。
神社裏手の芦田山中腹にもうけられたやぐらが発射台。
今年は秩父市立吉田中3年、島崎洸平君と村田健吾君ら
4人が「とざい、とうざい」から始まる口上と太鼓役とし
て初めて登場。朝から夕方まで15分間隔で30発を打ち
上げた。爆音を残して高さ400メートル前後まで上がる
手作りロケットに大きな歓声がわいた。
「龍勢」は、青竹の先に、アカマツの生木を細工して
火薬を詰めた火薬筒(長さ約1メートル)を取り付ける。
「東雲」「与五郎」「日の本」など26の流派が製作した。
http://homepage3.nifty.com/d-exp/travel/sp/ryusei1.htm
▲小遣いさんの手動の鐘を聞きたい。
小中学校で始・終業時に小遣いさんが4~5回打ち鳴らした『カラン・・カラン・・』
それがベルになり、最後に聞いたのは中学校の
『八木の小使いさん』が鐘を打ち鳴らした。
カランカランカラン・・・一度に何回打ち鳴らしたのだろう。
“鐘”の響きは、哀愁があった。懐かしい。
卒業してからもあの小遣いさんの打ち鳴らす鐘は、いつまで続いたのであろうか。
(中から抜粋)
思いでアラカルト
▲H先生の弟、特攻隊に出撃、ふるさと訪問
担任の先生から、○○時になったら生徒の皆さんは校庭に集合してください。引間先生(久長)の弟さんが、特攻隊に出撃しますので、その最後のお別れに吉田町を飛行機で空から訪問します。
当時は何の心配も無く校庭に集まり飛行機を迎えた。銀色に輝くプロペラ飛行機は、皆野・久長方面から飛行して吉田小学校校庭の上を旋回して同じ方向に消えた。後の話で聞いたことでしたが、両親のいる実家の上を低空飛行して最後の別れを告げたという。
低学年のころの出来事で、人の気持ちも分からないが、親兄弟の気持ちは、いかばかりであった事でしょう。神風特攻隊といえば敗戦の色濃い中で何もいとわず片道切符で出かけられた。その後の詳しい話は敗戦の混乱で、まったく知りえていない。
(冊子の中を抜粋)
≫弁当を温める箱、貧しい時代でしたが昔の心優しさが
暖飯器と木炭火鉢、昭和7,2,18
児童弁当保温器を各クラスに配る。
1器6円50銭、児童の喜び限りなし
(沿革誌)
▲ 墨塗り教科書
小学校「教科書の墨ぬり」そのときは何もわかりませんでしたが、よくもこんなに精神が変えられたものです。流石でした。それまでは、今いままでは教科書が命よりも・・・・大切なものと教え込まれてきました。空襲避難のときはまず教科書を持って・・・ということでした。その教科書の一部を墨で塗りつぶす、考えられなかった。。
その後教科書が、新聞紙の様なザラガミ印刷されて一人ひとりに配られ折りたたんで教科書として整えた。それに厚紙の表紙を自分でつけて千代紙などを張って整えた。
一部抜粋
秩父の方言
♪
秩父名物ご存知ねいか
アチャ・ムシ・ダンベェに
つるし柿
かって、秩父地方を代表する方言として
秩父音頭の囃子言葉として使われていた。
アチャ=それでは
ムシ=ですね
ダンベェ=でしょう
【飲酒運転撲滅会話】
「呑んできたんけぇ、車で送ってがぁ。おらがんちい、車もちいいってくらぁ。ちっとんべぇ待ってろいな。せやあねえさあ、
おらあ呑んじゃいねえからでえじょぶだよ。呑んだら乗っちゃあ駄目だんべえ!」
アガリハナ 家の登り口
あしっつるし アシナガバチ
アチィ 熱い・暑い
アチイニアタル 日射病になる
朝っぱら 朝早く
あのだんべー あのこと
方言を列挙してみました。
なんといってもデジタル時代の落とし子が、この冊子に変わりました。
しかし一人編集、企画、パソ打ち込み、印刷、製本、発送、・・・独断になりすぎました。偏りました。
夜になるとサンキュウ会の方々から、≪お礼の電話が鳴り≫同窓生の皆さんと共有した、過去の月日を振り返っています。
ただ一言、
皆さんのblogから切磋琢磨され、そして≪有り難うよくやった、こんな冊子が欲しかった・・・・・思わぬ思い出を拾い上げてもらい有り難う≫電話口から流れるたびに、感謝の言葉を一人かみ締めています。
お訪ねくださるbloger,そして同窓会の皆さんの中からうまれ出たものと、ただそれだけです。
いつもお訪ねくださる皆さんに、まずお礼をいたします。
これも、
blogで培った毎日の更新、そして如何に文章を綴ろうか、皆さんの書いたことに何をコメントしようか思索を膨らませながら日々精進してきました。皆さんの日々更新される中から読み取り考え展張してら生み出されたものと思います。
Nさんが思い出を綴れば自分の過去を振り返る、
Cさんが、戦後の食糧難を書けば、粉ミルクのアメリカからの配給を思いつき、
Fさんが、小学校時代の集合写真をUPすれば、果てさて自分はどんな写真があったか、
NHK深夜便の、”音に会いたい”を聞けば、昼時のサイレン、小使いさんが打ち鳴らした手振り鐘を考え・・・というように膨らませました。
タイトルを見ただけで内容の充実ぶりが推察できます。
会員の思い出話だけでなく現在の生活ぶりの文章もあり、なつかしい資料も集めらていて行き届いています。
伝統を受け継ぐ中学生の話もいいですね。
一人でまとめあげられたこと、敬服いたします。
完成ですね
ブログお休みした甲斐がありました。
拝見できるといいな~
私の絵本は大体平均20頁を半月かけますが、
70頁と言うと約2ケ月。
縄文人さんは資料集めも入れ2ケ月半で完成なさるとは、やはり普段から文章を書かれている縄文人さんならではと思いました。
出席者の原稿25頁の中にみなさんの歩んでらした道が、そして想い出が詰まっているのですね。出席できなかった方もきっと大喜びなさいますよ。記憶はだんだん薄れていきますので、こうして冊子にされるのはいいなぁ~
皆さん懐かしく読むでしょう。学校の風景。方言(なまり)
弁当を温める箱、貧しい時代でしたが昔の心優しさが
出ています。今はこんなことしてくれません。
ところで今縄文人さんの学校はどうなっているのでしょうか。
冊子の完成 おめでとうございます。
部外者で中身は分かりません。でも同じ時代を生きてきた者として・・・
大して変わらない残り時間しか持ってないものとして・・・・
同じものを観てきた同級生と共有したいお気持ちは
私にもよくわかります。。
おつかれさまでした。。
方言のとこだけでも大きな文字で観たかったな―。
文字が小さいいんですもん。。。