同窓会場に行く途中・・・
植林した山が見えた
自分の足で歩くことに多くの発見があった。
学校林(赤丸)まで、およそ90分の道のり
植林する山(資料映像)
杉苗 道具
見事な杉林(資料映像)
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今日のメモ
♪ 「お山のすぎの子」
確か2番の歌詞は
「まるまる坊主の禿山はいつでもみんなの笑いもの~
♪これこれ杉の子起きなさい~♪・・・」だったと覚えている。
ただこの歌に乗って杉がたくさん植樹されていたとは思いもしなかった。
お山のすぎの子音楽が流れます。
終戦後すぐに学校を挙げて植林に取り組むことが計画された。
学校林は、埼玉と群馬県の県境の城峰山に近くにあった。
禿山に杉の苗木を植林することになった。
生徒たちは約90分の山に徒歩で現地に向かった。
山麓で杉の苗木が配られ手渡された長さ30cm程の杉苗をバックパックに
詰め込んで急斜面を登りながら、一本一本植え込んでいく。
急峻な山に慣れない生徒たちにとってはなかなかの重労働であった。
いまこうして学校の校庭近くからその山を眺めて、
学校行事とは言いながら良くやったものと当時を振り返った。
環境教育、イジメ、児童の健全育成などで
学校林がクローズアップされて来た。
中学の学校林がどうなったか、今は学校関係者も知りません。高校のはどうなっているのでしょう?
縄文人さんの学校のように所在がはっきりしているのが羨ましいです。
どの程度の学校が持っていたのでしょうねえ。
いいですねえ。
学校の先生の中には、そういうものの管理を、また仕事が増えると嫌がる人も居るかもしれませんが、そうではないですねえ。
教科書の中だけでなく、生きたものに触れて行かなければ、心の教育は難しいですね。
何か現代教育に示唆するものがあるようです。
我が故郷は山が無い、海の近くで防風林の松林があるが杉は無い。
小さい頃の記憶に全く杉の記憶が無い。
今では杉花粉症に悩まされている。
市内の小学校では田圃で田植えや稲刈りをしている学校もあります。
嬉々としている子共達の姿が報道されてます。
学校林があったかどうかは分かりませんが 学校の田んぼの肥料にする為に学校からピクニックを兼ねて山へ藤の葉を採りに言った記憶がありますが・・同級生が怪我をしてその後中止になった気がします。
田んぼのお米はお別れ会の茶話会に頂きましたが
田んぼは誰が管理していたのか・・記憶が無いですね
~。田んぼに入ったことも無いです。
自然に触れ合う事はきっと子供達にもいい結果に繋がると思います。
都会の学校では経験出来ないことでした。
お山の杉の子の歌は良く歌ってました。
その頃縄文人さんたちは一生懸命植林されていたのですね。
山の木が海の魚に栄養を与える、最近知ったことです。
学校林が無くとも、荒廃した山林の下草刈など、今でも子供たちと一緒に出来る事はある筈ですね。
大人達の導き方次第で、子供も山も、海も魚も、みんな豊かになれるのにと、この記事を見て考えさせられました。
それも半年少々でした。
今、この付近を歩き回っているのも、田園生活に対する憧れでしょう。
同じような経験をなされたということは心強い。いま学校林はどうなっているか定かでない。
当時の学校で2~3割の学校と・・・・。
貧しい戦後の復興期でしたから、田んぼ、畑、学校林も有りました。
田んぼも有りましたが、生徒が田植えをしました。
環境が大きく左右するということでしょう。
東京の学校で学ばれたのですか。
でも当時は何にせよ皆でこつこつと復興に協力していたのですね。
現代社会の風潮のようになるとは思いもよりませんでした。
まさに癒しの1声でした。
しかし恥ずかしながら私はこの杉の子をさっきまでツクの親だと思っていました。
まだ口に出していないので恥をかかずにすみました。
正月そうそう感謝>
お気楽も 自分の山気になるが 行くのはしんどいです
其のうちにと 思いました.
又 遊びに 来ます.