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青砥神社

2018年02月12日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

 地名は青戸、神社は青砥

 

 青砥神社

  万葉集」巻十四の東歌に  『にほどりの葛飾早稲を贄すとも そのかなしきを外に立てめやも』  とありますが、この地は米どころとして葛飾の野に実った早稲の新米を神様に供して新嘗の祭事を営んでいたことが窺えます。 

青戸(あおと)の由来と変遷 (青砥⇔青戸)

  〈青戸〉の表記は、住居表示は「青戸」、京成電車の駅名は、東京都葛飾区青戸3丁目36番1号に有りながら「青砥駅」と表示されている。
〈青砥〉には、鎌倉時代に名判官として知られた青砥藤綱の館跡(葛西城)と言う事から「青砥」が正しいと考える人が多いと思います。しかし歴史的に地名を追ってみるとそうとばかりは言えない。

葛飾区史による青戸(あおと)
  土地の古老は、青戸のことを「おおと」と訛って言った。「寛永日記」には、「18年正月
25日大獣院御游狩の時、新宿近所大戸古城御殿に渡らせ・・・・」云云とあります。また他の文書にも、「葛西大戸、御うまや清掃人庄左エ門」とあって、おおと(大戸)がはっきりしている。
  元来、戸・津の転化したものと言われ、港津に関係があり、とのつく地名は相応に古い。いずれも往古の渡し場を意味するものとされ、付近に奥戸の地名がある。
一説によれば、青砥は青砥に作り青砥は球を磨いて美しくするという意味もあると言われますが、その根拠はない。

 


青砥神社の入口(裏門)

 


青砥神社表入口(手水処がある)

 


青砥神社の庫内の神輿

 

 


 

観音寺(青砥神社に隣接)
青戸神社の別当(別に本職にあるものが他の職をも兼務 する)


立派な鐘楼

 

青戸、青砥の地名の由来と変遷だけに終始しました。

 

          * 寒の中今日も行く往くフジの会 
                      神社仏閣わが街歩き

コメ欄は閉めています。


 


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