柴又帝釈天題経寺、庚申日
参拝道のむかし道しらべ、帝釈天人車鉄道
帝釈天本堂。
江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という
2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。
18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、
「柴又帝釈天」として知られるようになった。
帝釈天二天門
(注)庚申とは
庚申とは干支(えと) 即ち、庚(かのえ)申(さる)の日を意味し、
この夜に人間の体の中にいる三尸の虫が、寝ている間に体から脱け出して、
天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行く。
天帝は寿命を司る神であるから、悪いことをした人に罰として寿命を縮める。
ところが、三尸の虫は、人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができ
ないので、庚申日は、徹夜をする、これを庚申待ちという。
東京府時代の地図「明治13年(1880年)~明治22年(1889)」頃の地図
帝釈天に通じる道
△1、岩槻街道、
△2、佐倉街道
△3、帝釈道(古代東街道) (実査しました)
△4、國分道
△5、帝釈人車鉄道
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