耕作しない畑
春風に揺れて
調べましたが花に疎い縄文人
?????
☆ 世には名もない草は無し風光る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日のメモ
耕作を放棄した菜園であろう。
菜の花が一面に咲いていた。ブルーの花・・・・と。
そっと花の前に佇んだ。
春の風が通り過ぎた。
追加
名もない草はNakatsujiさんからの
教えにより
ポリジと判明しました。
皆さん有り難うございました。
耕作しない畑
春風に揺れて
調べましたが花に疎い縄文人
?????
☆ 世には名もない草は無し風光る
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今日のメモ
耕作を放棄した菜園であろう。
菜の花が一面に咲いていた。ブルーの花・・・・と。
そっと花の前に佇んだ。
春の風が通り過ぎた。
追加
名もない草はNakatsujiさんからの
教えにより
ポリジと判明しました。
皆さん有り難うございました。
市川・里見公園
菜園作業の帰りに一寸見
たくさんの人々が花見をしていた。
園内は花吹雪
乱雑さが無いこれから宴会が・・・・?
気温22度C
芝生の上より桜下がごった返していた
ビタミンDを存分に取り入れて
踊りの方も暑くて一休み
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今日のメモ
今朝は小雨が降りだした。
昨日の暑さは水銀柱22度Cと歩いていて汗ばんだ。
今朝は寒くて昨日の暑さが嘘のようです。
今年の桜はこれで見納め・・・・・・・・・・・。
開花宣言は早かったが、気温が上がらずずいぶん長持ちしました。
発芽良好
種芋がよかったので発芽率95%以上
もう少ししたら芽掻きをしよう
インカノメザメ
若干芽掻きをしました
男爵
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今日のメモ
ことのほか発芽がよいので安心した。
しかし、種芋植え付けから気温が上がらず発芽日数がかかった。
次の作業として芽掻き、土寄せが待っている。
ジャガイモを植えつけたのは・・・。
お隣の里見公園は桜が散っていた。
覗いてみよう。
<金の卵が>東京へ
昭和30年代の4月
上野駅は故郷・・・・だ
昨日4/9日が、
東京に集団就職列車が到着して、上野駅、日比谷公園を中心とし仕事先へ引き取られて行った、
最初の記念すべき日です・・・と、NHKのラジオから流れてきた。
私の人生も集団就職では在りませんが、、田舎から東京に働きに来たのだから
差して変わっていない。
皆さん「金の卵」も老境に成りつつある。
きっと4月の空を見上げて昔を思い起こしているであろう。
地べたに這いつくばる様な苦しいとき、悲しいとき、泣いたとき。
柳行李とトランクが唯一の持ち物でした。
チッキで送った。
同郷で一緒に遊んだ、春さんは砂糖屋へ、森さんは炭屋へ、銀さんはパン屋に
それぞれ私より4年早く縁故を頼って東京の職についた。
当時盛んに農家の二三男が、草木もなびくように東京へ集中した。
その後の消息は分かっていない。
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工場を経営していたNさんの家
友人のNさんの家は,東京・江戸川区で手広く鉄工所を営んでいた。
長野から集団就職(3名)を受け入れたと言う。
Nさんは、ちょうど<金の卵>と同じ年代でした。
部屋の中をこっそりと覗くと布団を被って泣いている姿を良く見かけたという。
また雇い主に無断で実家に帰ったとか・・・・。
一緒にご飯を食べた思い出など語ってくれた。
昭和30年代の始まりの事でした。
無理もない15歳と言えばまだまだ子供。
リアルな言述を聴き涙ぐみながら綴りました
ああ上野駅=井沢八郎 懐かしいです
その始まりは、昭和29年(1954)に東京・世田谷区の桜新町商店会が合同で求人を行い、
東京都などの斡旋により、
地方の中卒者を採用したことに始まるとされています。
以後、労働省や都道府県、公共職業安定所が日本交通公社とタイアップして
集団就職が本格的に行われるようになり、
昭和52年(1977)に労働省が廃止を決めるまで続いたという。
集団就職が行われた時期は、高度経済成長期と重なり、
中卒者は「金の卵」ともてはやされました。
しかし、それは採用側からの表現にすぎず、ブルーカラーとしての労働は厳しいうえに低賃金で、
中途離職者も少なくありませんでした。
北海道・東北からの集団就職者は、そのほとんどが上野駅で降り、
雇い主に引き渡されました。
家族との別離、新しい生活への期待と不安、東京の文物への驚きなどは、
すべて上野駅のイメージと結びついていました。
島倉千代子の歌 ・ 締めくくります
大瀬崎コース
漁港祭りで
飲んだ、食べた、遊んだサァ~・・・・歩こう
案内板
海岸線を歩きます
皆さん元気がいいです、力水も入り・・・
山笑うとはこのことでしょう
山桜、早い芽吹きがなんとも笑顔のようでした
トンネル
出口です
井田から戸田(へた)には入りました。
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今日のメモ
地名考察
戸田=(へた)と読める人は数少なし
富士山の語源は6つありますがそのなかにアイヌ言葉が2つあります、火の神で(フチ)、
噴火すると言う意味で(ブッシュ)他にマレー語で素晴らしいという意味の(ブジ)などがあり
元来日本とは南方系 アイヌ系が住んでおりその人達の呼び名がそのまま地名になったようです。
元々はヘダ村と言われていたのですが、正しく発音をしないと
ブタ村かヘタ村になりますね。
▲ 昔は戸田よりも井田の方が上の位でした、と言うよりも西伊豆一帯は井田が支配をしていました、
現在の西伊豆町までは(井田ノ庄)へだ、とい、うぐす、あらり と呼ばれていました。
▲ 戸田の港は噴火口と言う人がいますがそれは違います、御浜は砂洲と呼ばれ駿河湾沿岸流
によって運ばれた砂礫などが湾口から細長く堆積して出来たものです。
三保の松原も沼津の大瀬崎も不思議に北の方に伸びていますね何故でしょうね?
=戸田村再発見のページにようこそ=から引用しました
参考情報
葛飾、奥戸
東京低地には「戸」のつく地名が多くみられますが、
「戸」は本来「津」を用いたもので、主として「港津」をあらわし、
対岸へ渡ることにできるの渡河地点でもあります。
この地は古代から河川との関わりが深く、川を利用した舟運が発達していました。
「戸」地名はそのような状況を物語っているのでしょう。
大瀬神社とその周辺
ビャクシン樹林&神池
大瀬神社は半島の突端にある、緑の木々はビャクシン樹林
ビャクシンの古木
ビャクシンの小木と古木
神社の裏手は海岸です
大瀬崎の先端に位置する神池は、
最長部の直径がおよそ100メートルほどの池で伊豆七不思議の一つに数えられています。
海水が吹き込むにもかかわらず淡水池であり、
コイやフナ、ナマズなどの淡水魚が多数生息している不思議な池です。
富士山から伏流水が湧き出ている・・・?海水面の上下に従って水面の高さが変わる
とも言われており不思議の池です。
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今日のメモ
ビャクシャン樹林について
大瀬崎一帯は、約百三十本のビャクシンに覆われ、樹林を形成している。
ビャクシンの樹林としては日本の最北端で、イブキの品種であるビャクシンが自然発生のまま、
このように群生している所は、全国的に見てもまれである。
樹齢千年以上と思われる老木も見られるこの樹林は、全国的に珍しいものとされ、
昭和7年7月25日(1932年)に「大瀬崎のビャクシン樹林」として国から
天然記念物に指定されています。
ビャクシン (イブキ・伊吹)ヒノキ科
本州、四国、九州、朝鮮、中国中部に分布する常緑針葉高木。海岸の岩場などに生育し、
大木になると、幹がねじれたようになる
座して花見かな・・・
一息入れて
居間からの・・・
5日の花
6日の花
花びら散りて、親の迎え・・サァ~帰ろう
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今日のメモ
ここ保育園は4/1に入園式が行われた。
新しい園児が通う。
なれない通園であろうか、朝方泣きわめく幼児を見かける。
親離れの最中であろう。
今日は昨日と違いやや風が強く園庭にたくさんの花びらが舞っていた。
寒さや雨にたたられた桜、散るのは早いかな・・・・?
ビックな出会い
漁港祭りに遭遇
見る、飲む、食べるでお腹一杯
≪見る≫
漁船に大漁旗を掲げて漁港に勢ぞろい
≪食べる≫
つき立ての餅を振舞う
≪飲む≫
タル酒を呑み放題、つまみは港に上がった魚を炭火焼で提供
≪見る≫
青年部の仮設舞台での演芸、踊り。
≪奏でる≫
神社では太鼓の打ち鳴らしが行われていた
≪詣でる≫
漁師代表が、神社に詣でる
人、海、船=漁の安全と海の収穫に感謝する祭りであろう??
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今日のメモ
春の光きらめく青い海とお花畑、都会の喧騒を離れてのリフレッシュと決め込んで、
伊豆西海岸にの大瀬漁港に到着した。
駐車場は車や人で一杯、漁港を見渡せば、大漁旗がひるがえり、祭りのようでした。
ハイキングに出発しようとしたが、魚の臭いが鼻を突き、餅をつく杵の音、掛け声が聞こえてきた。
リーダーが状況視察した後一声掛けた。
皆さん、この臭いに黙って通り過ぎたら振舞ってくれる皆さんに申し訳ない。
ご馳走になりましょう。
しばらく≪見る、呑む、食べる≫で時間をつぶしましょう、と言うことになった。
大瀬漁港の皆さんに歓待を受けました。
飲みました、食べました。
大変お世話になりました。
想定外のラッキーチャンスに遭遇しました。
感謝
皆さんからの応援により再度旧編集画面に
入ることが出来ました。
有り難うございました。