朝日新聞の夕刊の広告特集を中心にまとめられていた「記者が見た日韓交流」という記事を読む。
「今の韓流はおばちゃんばかりが盛り上がっていて交流に結びついておらず、歴史問題をぼやかす役割をしている」という学生の懐疑的な意見とともに、東海大助教授の小倉紀蔵さんの「民間レベルの交流の重要さ」があるという肯定的な意見が紹介されていた。どちらも特に目新しさはなく、この問題が取り上げられるたびに紹介される代表的な考え方だろう。
更にタレントを好きになることにから興味が広がり韓国語の勉強を始めたという女性のことも紹介されていた。(こんな風に紹介されることも取り立てて珍しいことではない。)
私も韓流の流れに乗って言葉も勉強するようになった典型的な例だ。小倉助教授のように熱く肯定的な意見を積極的に述べるつもりはないが、タレントをきっかけに韓国に興味を持つようになったことによって色々思うことはある。
特に昨年秋兵役逃れ問題で話題の人となったソン・スンホン(宋承憲)ファンなこともあり、やはり韓国のおかれている状況を自分なりに考えてみたりもした。
春先の竹島問題、靖国神社参拝問題で韓国との関係が冷え切っているこの時期、韓国タレントファンの人であれば、真剣さの度合いこそ違うかもしれないが、誰でも一度は考えたことがあるはずだ。
「好きな人が韓国人だっただけ。だから韓国のことをもっと知りたいの。政治の事は関係ない。」そんな風にあくまでも前向きな人もいれば、「韓国人の彼は好きだけれど、彼の母国は好きになれない。彼のことまで嫌いになりそう。」そんな悲観的な人もいるだろう。
「彼のことは好き。でも彼の国の意見にはちょっと賛成できない。韓国の事も理解したいけれど、日本の事もわかって欲しい。自分の意見を述べたいけれど、韓国を非難すること=彼を非難することになりそうでちょっと怖い。」様々に思いをめぐらせながらも、どんな風に自分の意見をまとめればいいか悩んでいる人もいるはずだ。
私もお互いの差を認め合いつつ、歩んできた道を確認しつつ、お互いに理解しあおうとする努力が無駄にならない関係であればいいなと思っているが、ではそれを実現するにはどんな風にすればいいのかと聞かれると、言葉に詰まる。
ただいつも暢気に「ソン・スンホン(宋承憲)男前以上・・・」などと言っているが、その暢気な言葉の裏には私なりの考えや思いもあったりするのだけは確かなのだが・・・
「今の韓流はおばちゃんばかりが盛り上がっていて交流に結びついておらず、歴史問題をぼやかす役割をしている」という学生の懐疑的な意見とともに、東海大助教授の小倉紀蔵さんの「民間レベルの交流の重要さ」があるという肯定的な意見が紹介されていた。どちらも特に目新しさはなく、この問題が取り上げられるたびに紹介される代表的な考え方だろう。
更にタレントを好きになることにから興味が広がり韓国語の勉強を始めたという女性のことも紹介されていた。(こんな風に紹介されることも取り立てて珍しいことではない。)
私も韓流の流れに乗って言葉も勉強するようになった典型的な例だ。小倉助教授のように熱く肯定的な意見を積極的に述べるつもりはないが、タレントをきっかけに韓国に興味を持つようになったことによって色々思うことはある。
特に昨年秋兵役逃れ問題で話題の人となったソン・スンホン(宋承憲)ファンなこともあり、やはり韓国のおかれている状況を自分なりに考えてみたりもした。
春先の竹島問題、靖国神社参拝問題で韓国との関係が冷え切っているこの時期、韓国タレントファンの人であれば、真剣さの度合いこそ違うかもしれないが、誰でも一度は考えたことがあるはずだ。
「好きな人が韓国人だっただけ。だから韓国のことをもっと知りたいの。政治の事は関係ない。」そんな風にあくまでも前向きな人もいれば、「韓国人の彼は好きだけれど、彼の母国は好きになれない。彼のことまで嫌いになりそう。」そんな悲観的な人もいるだろう。
「彼のことは好き。でも彼の国の意見にはちょっと賛成できない。韓国の事も理解したいけれど、日本の事もわかって欲しい。自分の意見を述べたいけれど、韓国を非難すること=彼を非難することになりそうでちょっと怖い。」様々に思いをめぐらせながらも、どんな風に自分の意見をまとめればいいか悩んでいる人もいるはずだ。
私もお互いの差を認め合いつつ、歩んできた道を確認しつつ、お互いに理解しあおうとする努力が無駄にならない関係であればいいなと思っているが、ではそれを実現するにはどんな風にすればいいのかと聞かれると、言葉に詰まる。
ただいつも暢気に「ソン・スンホン(宋承憲)男前以上・・・」などと言っているが、その暢気な言葉の裏には私なりの考えや思いもあったりするのだけは確かなのだが・・・