この記事は、今週ネットで見た記事の中で一番印象に残ったものだ。
(既に話題になった「『映画を早送りで観る人たち』の出現が示す、恐ろしい未来」というのを深堀再編集したものの一部のようなのだが、この部分だけでも十二分に考えさせられた・・・)
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私が映画を映画館で見るのが好きな理由は色々あるが、その中の一つに「自分が面白くない場面になっても早送り出来ないから」というのがある。
自宅で映画を見ている時は、面白そうだなと思って見始めた映画でも、途中でだれたり、飽きてしまったりする事もある。そんな時は悪魔のささやきが聞えてきて、思わず早送りボタンを押してしまったりする。
又ある時は「面白いけれど、今日のテンションではちょっとこの内容は重すぎる」だとか「面白いけれど、もう切なすぎてみていられない」と思わず停止ボタンを押し、もう二度と再生ボタンが押されない時もある。
勿論、好き嫌いの選択は私の心一つなので、途中で見るのを止めてもよし、好きだったら同じ個所を何度も見ればいいというのは基本なのだが、「なんでもっと広い心で最後まで見られなかったんだろう」とか「もうちょっと我慢して見ていたら、今まで見た事のない世界に連れていってもらえたかもしれない」などと思ったりすることも確かなのだ。
自宅で映画を楽しむ時は、気楽で好きに観られるという利点とともに、気楽であるが故に「自分でも気づかなかった驚きの場面が見られない」という弱点もあると思っている。
映画館ではそうはいかない。勿論面白くなかったら「時間返して・・・・」と心の中で小さく叫び、席を立ってもいいのだが、チケットを購入した事を考え、ケチ根性が頭に浮かび、エンドロールが流れるまでスクリーンを見つめる事になるのだ。
私はストーリーが面白くなかったりすると、衣装を見てみたり、小道具を見て見たり、はては画面の端に見えるエキストラの人が転んだりしないだろうか?などと思ったりしながら、なんとかチケット代の元を取って帰りたいと思う。
実際にそうして面白かった事もあるし、やっぱり結局面白くなかった事もあった。ただ、そういう事も含めて全部面白いと思ったりしていたのだが・・・
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なるほど・・・私のそういう行動そのものが、無駄、いや無駄以上の損害という考え方もあるんだな・・・となんだか目からうろこだった。