独ソ戦の最中、ドイツ兵の襲撃で母をそして自分の生まれ育った村を無くした18歳の少女セラフィマ。
「戦いたいか、死にたいか」という問いかけに逡巡する間もなく、女性教官の元で狙撃兵として生きる事になる彼女。多民族国家だったソヴィエト連邦故、同僚たちの出自も元貴族、カザフ人、コサックと様々だ。常識も違う彼女たちとペアを組み、お互いに命を預けあう。
早々に訓練期間は終了し戦場に送り出され、明日も分からない毎日の中で命令に従い、戦いの中で瞬時に選択を行い、選んだ手段と少しの運によって毎日を生き延びる彼女たち。
戦場でなければ、戦時でなければ自分探しをしている最中だったような少女たちが、戦士であることを求められるのだ。ふと口にする言葉と行動の乖離に、今まで持っていた善悪の判断が絶対なものでなくなり、少しずつ置かれた環境の中で変わらざるを得ない様子に、驚きながら読み進める。そんな中でも変わらずに残るものは何なのか・・・
戦争を描いたストーリーでありながら、そこには戦場ではありえないやや甘い展開や選択があるように思える場面も少しはある。ただしそれはこのストーリーがエンターテインメントであり続けるために必要なものだとも思う。
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読み終わった後、ロシアによるウクライナ侵攻から半年、ウクライナの避難民は延べ1700万人、両軍の兵士や民間人の死者の総数は3万人規模、ウクライナのGDPは35%減の見通し、そしてロシアでは事業縮小が1000社という新聞の見出しを見る。独ソ戦時代と何が変わって何が変わらないのかを考えるも、私では答えが出せない。
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海外の国際空港の免税店で必ず目にするドイツのブランド、ヒューゴ・ボス。読み進めていく中、ヒューゴ・ボスという単語を目にして驚く。1920年代の設立時、作業着ブランドだったヒューゴ・ボスは、ナチス親衛隊の制服を生産し、ドイツ国防軍の制服の生産に注力していったのだという・・・スーツブランドになっていったのは戦後との事・・・