パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

時間をかけて実感したことを活かすには

2023年12月26日 11時46分22秒 | あれこれ考えること

それなりの人生経験を積んだ人は、ものごとが上手く行かないとか
思い通りにならないことの方が、その反対より圧倒的に多いことを知る

でもほんの僅かだが(神様からの)プレゼントのように上手くいくことがあると
その体験は高揚感を覚えて印象に残り、再度同じような思いをしたいと思うようになる
こうして上手く行ったときとか、成功体験は前向きな生き方へのきっかけとなる

小学生に鉄棒の逆上がりの授業があるのは、子どもたちに努力すればできるようになる
との成功体験を持たせるためだそうだ

ただし、ラッキー(うまくいくこと)はそれなりの頻度で現れないと
前に進む意欲などは覚えないかもしれない
それを暗示させる変な実験がある
小さな魚とそれを捕食する大きな魚を一緒の水槽に入れて
真ん中に透明なアクリル板を設置しておくと
最初のうちは大きな魚は小魚を食べようとするが
しばらくするとアクリル板のせいで上手く行かないことを学習する
そこで、次にアクリル板を取り払って観察すると
大きな魚は小魚を捕食できるにも関わらず
アクリル板で仕切られた時に染み付いた感覚のせいで
本能を発揮することはないという
(これは収容所に隔離されたユダヤ人は、なぜ数の少ないドイツ人に対して
 暴動をおこさなかったのかとの疑問をつい思い出してしまう)

つまりは、それなりの好ましい結果はある程度の頻度であることが
次のためにも必要ということだ

ところで、人とか社会が時間をかけて身につけた実感(知恵)には
長期政権は独裁に繋がり、結果的に腐るというものがある
どんなに素晴らしい人間でも支配者の立場に長くいると
そのポジションが持つ全能感の快感から逃れられず
結局は独裁につながるというもので
これは社会の知恵として書物に書かれ、制度としても長期は避けるようになっている

だが、こうした例があるにも関わらず日本の現在はこのようになっていないのではないか
依然として少数の人たちの長期の運営に任せている
日本は経験に基づく知恵とか、社会が多大な犠牲を払った後に得た知識を
現実世界に上手く活かせていない様に思えてしまう

社会を上手く回すには、庶民が無理にでも違う支配層に任せてみるのも
1つの知恵かもしれないと思ったりする
経験のない人々に任すのは心配の声が挙がるのは当然だが
行政の連続性は現場の人々によってある程度確保されるだろうから
さほど心配はいらないとも思える
(明治維新も現実は幕府の多くの官僚の活用によって
 問題解決がなされたところもあるようだ)
また取って代わられた旧支配層は挽回するために必死に工夫をし
有効な政策を考え、支配層に批判を行い自力をつけるべき行動をする

つまりは「案ずるより産むが易し」というのも人々が手にした実感
のんきに盲信してはいけないが、それでもそれにかける気持ちとか
覚悟も必要と思われる

ところで、いい歳をした大人は思い描く理想の結果を求めるにも時間がかかる
と諦めにも似た感情を持ちながら、今できることをする(それしかできない)
だが経験の少ない若者は、すぐに理想は達成されるべきと焦ってしまう
そこには人間の持つ弱さとか情けないところは考慮されず
理想化された人物像がイメージされているからと思われる

急激な変化は是か非か?
は年齢によってその判断は変わってくる気がする
(一体何が言いたいのか混乱してきたぞ!)

混乱してきたのでこの話は一旦休憩
今回伝えたかったのは、人が時間をかけて身につけた知恵は
もっと有効に使えたら良いな!と思ったということ

まとまらない話

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