パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

京都の紅葉は本当に凄い!

2006年11月16日 21時03分48秒 | Weblog
今日、同居人が京都に日帰りで出かけた
この時期だから当然紅葉狩りなのだが
今年はいつまでも暖かく紅葉情報を見ても
どうやら色づき始めの状態らしい
かわいそうに、紅葉狩りは空振りだろう

自分も京都には年1回は行っていたが
ほとんどが夏か冬の京都のキャンペーン中で
しかも見るのは、お寺さんとか庭であったり建築物で
紅葉なんて関心はなかった

そんなものはどこでも同じだろうと思っていたのだ

ところがである、
2年前、雑誌の写真をながめて
つい足を伸ばしたら
『こりゃすごい』と圧倒されてしまった

行ったのは光明寺(長岡京)と東福寺
人出も半端じゃなく、歩くのに困る程多かったが
そんな事は全然気にならず、「来年も来よう」と
歩きながらそんな事を考えていた

いったい何がそんなによかったのか?

今まで自分が見ていた紅葉は
山に自然になっていたものだった
穂高の涸沢とか、、、地元の名所とか

しかし京都のは全く違っていた
「きれい!」
単純にそう思えた
ちょうどいいタイミングで見られたおかげかもしれない
赤と黄色と緑のグラデーションが誠に品よく眼に映り
そして、それぞれの葉のひとつひとつが
繊細で、そう今までに見た事もないものだった

「そうか、人の手が入っていたのか」と、気づいたのは
少ししてからだったが
人の手をかけるという事は、実にたいしたものだと
あらためて納得してしまった

京都の紅葉は本当にすごい!
人出にうんざりするけれど
行く価値は絶対の保証付きだ

写真は2年前の11月23日
東福寺で写したもの
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大雑把なサウジ戦の感想

2006年11月15日 21時53分46秒 | Weblog
今日は途中から見たせいか
イマイチ集中できずに眺めたサウジアラビア戦

2点目が入った時は確かに流れが良いように見え
全体的にフィジカル面も問題はないようだった
しかし、PKとなったプレーは晩御飯の最中で
その瞬間を逃したが、なんとなくドイツ戦の
ハイテンションの試合振りが思い出された

つまり、必要以上に(?)早いプレーやランニングの連続で
これらは休み明けのチームや選手に見られる傾向で
最後まで持つかなというのが第一感だった

それは後半の20分ごろに顕著に現れた
バタバタしてルーズボールは相手にわたっていた
どんな試合にも相手側のリズムになる時はあるのだが
それとは違う自らのリズムの崩し方だ

どうもいつも思うことの繰り返しになってしまう
試合の最初から最後までを仕切る選手がいない
試合が始まってしまったらその時任せみたいに
試合が動いていく
心は熱く、頭は冷静にができていないで
心は熱く、頭も熱くになっているみたいだ

しかし、巻はしばらく休ませたほうがいいのでは
完全に壁にぶつかっているようで
おまけに運からも見放されているようだ
このままでは余計調子を落としてしまいそう
もっともこれを乗り切らなければ本当の実力に
ならないかもしれないが

これも毎度ながら
三都州はいい時はいいけど
少し雑なところが多いなが今日も見られた

山岸は、うーん、どうも分からない
羽生は今日は良かったかも

オシム監督もそろそろ千葉から離れた人選を
すべき時期に来ているのではないのかな!
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女性の好みは洋風の家?

2006年11月14日 21時07分19秒 | Weblog
最近、家を建て直している事もあって
家がらみのテレビ番組を見る事が多くなった
「ドリームハウス」「劇的増改築ビフォア、アフター」
「渡辺篤志の、、、」等々

しかし「ドリームハウス」「劇的増改築ビフォア、アフター」の
かかった費用として報告された金額は
内容に対してして低すぎて
とても信じるわけにはいかない
「絶対あの金額では出来ない」
と言い切っていいと思う

費やした時間、材料、設計管理からすれば
そんなに安く済まないのは
今、現実に建築中の現場を持つ自分の立場から見れば
一目瞭然だ

いったい何故テレビ局は、そんな見え透いた「嘘」をつくのだろう
驚きをあたえるために、嘘の演出をするのだろうか
笑えてしまうのは一般の人が、既にあのテレビの金額では
出来ないと知ってしまっている事だ
こんな事を繰り返していると「テレビ的」は
信じられない事の代名詞になってしまうと思うのだが、、、

さて話はかわって先日の「豪邸特集」(テレビ東京系)
不思議に思ったのは、
家を建てている人の中心になっているのが
女の人の場合は洋館風
男の場合は和風となっている事だ

男主導で日本建築を進めている家庭は
放送された2軒が2軒とも
ご主人に奥さんが何を言っても聞かないふうで
奥さんは諦めてため息をついているのが全く同じで、
偶然の一致としてしまうには不思議な思いが残る

一方女性主導の家は洋風だ
そういえば、昨年姉の家も立て直したのだが
仕切っていたのは姉の方で
出来上がりはやっぱり洋風

最近、高い買い物も決定権は女性にあるようで
その最たるものの家についても
女性の発言権が強くなっていて
彼女らに洋風のデザインが好まれているようだ

何故だろう?
もっとも、女性の方が西洋風のものに触れる機会は多いかもしれない
ブランドものの衣料品、バッグ、ジュエリー
そして漫画の舞台設定に海外旅行
だから必然的に「和」より「洋」を選びやすいのかもしれない
(それに実際の生活は、確かに洋の方が暮らしやすそうではある)
それとも心の奥底で、白馬に跨がった、、、の連想で
洋風の家を知らず知らず求めてしまうメンタリティーがあるのだろうか?




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松坂屋の浮世絵展

2006年11月13日 21時23分39秒 | Weblog
ずっと前に読んだ高橋克彦の
「写楽殺人事件」「北斎殺人事件」は
その殺人事件の犯人探しよりも
写楽、北斎のさまざまな情報を知ることが出来て
興味深かったが
昨日、名古屋松坂屋本店で
写楽、北斎、歌麿、広重の浮世絵展が行われていたので
多分初めてまじめに本物の浮世絵を見た

(といっても、歩き疲れていたので
ひとつひとつをしっかり見るというわけではなく
気に入ったり興味深く思えたものを
立ち止まって眺めただけなのだが)

写楽は、雲母刷りの役者絵が
思いのほか迫力があった
印刷物で見ているのだが
こうしてみてみると
雲母刷りの背景の色は派手ではないが
いい色だなあとしみじみ感じた

それと顔だけがやたらと大きくて
変なところから出てきた手が
やたらと小さくて妙なのだが
この役者絵を描いていた第1期のほうが
全体図を描いた第2期よりは
自己主張があって印象に残る
第2期は平凡だし、
訴えようとする力に欠けるように見える

他の三人は後の機会に譲るとして
改めて感じるのは
日本には日本の美意識による絵画が
存在するということだ
そしてそれが段々と自分の気持ちに
しっくりくるようになっている
 
歳をとると保守的になるといわれるが
食べ物だけじゃなく
こんなものも保守的になるのだろうか?



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困ったことに、欲しいものは高いもの(品)

2006年11月12日 19時23分50秒 | Weblog
少し前まで欲しいものがない
と思っていたのだが
今日街に出かけ、
ふんだんに並ぶ商品を見ていると
さすがに欲求が湧き上がってきた

しかし欲しいものは
「とりあえず」の類の品ではない
所謂、こだわり、本物といわれるものだ

北海道民芸家具
備長炭で作ったオブジェ
一枚の無垢の木材で作ったダイニングテーブル
(現在家を建て直し中なので家具に関心がいってしまうようだ)
志野茶碗、ぐい飲み
マイセンのカップ
ウェッジウッドの日本風茶碗
アップルのマックプロ
ライカのM6

しかし使用価値からすると
価格の高いと思われる上記のものは
実はランニングコストは安いかもしれない

少なくとも生活用品で
何度も使うものは満足感をそのたびに
感じることが出来て
結局はずっと後々まで残るので
安いけれどモデルチェンジばかり繰り返す品よりは
資源の無駄使いはしないので
今風の言葉で言えば地球にやさしい
と言えるかも知れない

ところが残念なことに
一度に払う金額が多いので
ついつい二の足を踏んでしまう

ランニングコストはこの方が、、、と
頭で理解しても貧乏性が身についている自分は
多分、安物買いの銭失いの呪縛からは逃れられないだろうな
(情けないことに高いモノを買う時は
 高いものを買っても仕方ない理由を
 自分向けに考えないと思い切れないでいる)

いい歳をして、、、
ま、借金ばかりの生活よりはいいか?
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POSの結果優先の本ばかりじゃ、つまらない!

2006年11月11日 20時49分21秒 | Weblog
たまに大きな書店に行ったりすると
実にさまざまな分野の書籍にあふれ
人というものは全くいろんな事を考えるものだ、と
感心したりするのだが
さて、地元の本屋に行って
時間つぶしをしようとすると
そこにあるのは雑誌、ベストセラー、
ハウツウ物など、
POSで上位にあがる
どこに行ってもある本ばかり

正直なところ、つまらないいなあ

もっともこの間、
八重洲ブックセンターでも
紀伊国屋書店でも
満足できなかったのだが、、、

自分が死んだら購入した本は
市に寄付しようと思っていたのだが
(こんないい本はきっと喜んでもらえるだろうと)
この分では、ただ単に市職員の仕事を増やすだけかな

どうやら自分にとって面白い、
興味深い本というのは
一般にはそうではないらしい
(ブックオフでも価値なしの評価だったし)
 <汚かっただけかな?>


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「ボーッとすること」昔は得意だったのに!

2006年11月10日 20時59分06秒 | Weblog
「始めの一歩」が難しい!

これは漫画じゃなくて
だるまさんが転んだ、でもなくて
山から下山する時の一歩目の決断のこと

何年も前、夏の休みになれば
北アルプスに行っていたときの頃
帰りの列車のこともあって
毎度昼ごろに下り始めなくてはならなかったが
常念小屋から槍穂高連峰を眺めていた時など
いつまでもいつまでも眺めていたくて
どれだけ経っても腰が上がらなかった

そして、ようやく歩きはじめると
なるほど後ろ髪を引かれる、
というのは、こういうことかと
無理やり後ろを振り返らず歩いたのだった

しかし、あの山を眺めていた頃は
どれだけでもボーッとしていられたのに
まるで特技とでも言えそうだったのに
今はどうだろう
正直なところ全然ダメだ
ボーッとどころかいつもセカセカしているみたいだ
無駄な時間がもったいない、とは思っていないが
次に何をしたらいいか、ついつい探してしまう
全く余裕のない様だ

最近ボーっとできる状況は通勤以外で
電車に乗った時だ
流れ行く景色を眺めていると
過去のことをついつい思い出して
時のたつのを忘れてしまう
電車では本を読むのも
寝てしまうのもいいが
ぼんやり景色を眺めるのもいいものだ




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勘違い

2006年11月09日 20時38分41秒 | Weblog
今日はラジオで聞いた短い話をひとつ

若い女 「豚のこかんせつ、ください」
客の男「えっ、こかんせつ」
若い女「そう、こかんせつ、そこに書いてあるでしょ、こかんせつって」
、、、、
「それって、ホントは小間切っていうんだけど、、、」

昨日NHKのクローズアップ現代で、
最近の若者は漢字が読めなかったり
意味を知らないと言っていたが
まさに、その典型!
しかし、堂々と言ってしまわれると恥ずかしいのは
周囲だったりするのは何故だろう
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納得できる諺は何か?

2006年11月08日 20時22分16秒 | Weblog
何年か前、サラリーマンに共感を感じる諺は
何か?とのアンケートがあった

ラジオのニュースだったか
雑誌の記事だったのかは忘れてしまったが
「長い物には巻かれろ」
「出る杭は打たれる」
「キジも鳴かずば撃たれまい」
こんな諺が上位にあったように覚えている

今もそんな諺がサラリーマンの生活に
しっかりと生きているなら
少しばかり不安になってしまう

特に年齢を重ねた人がそんな風に思っているのなら
大いに問題だ

そんな、人に振り回されたり
人任せの人生観を持つためにな
自分自身の人生があるのではないだろうに!

長く生きた結果手にした人生観がそんなだったら
その人生は、つまらなさ過ぎないだろうか

出る杭は打たれる、
だが、とどまる杭は腐るのも事実なのだ
だから本当は
打たれ強く生きよ、の言葉が
(諺ではないかも知れないが)
身に付けるべき人生観のように思えてならない

ところで自分が納得してしまう諺は
「類は友を呼ぶ」で
自分の周囲には、自分の感性に似た人たちがいっぱいで
つくづく、その通り!と感じてしまう







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高校で学ぶべきは、大学受験の突破法?

2006年11月07日 21時12分49秒 | Weblog
現実的に見れば普通課の高校は大概が
大学への予備校となっていて
現場の教師も生徒も、「それで何が悪いか」
と開き直っているのではないだろうか

しかし、国が受験に関係ない世界史等を
高校生が知っておくべきこととして必修としたのには
何か意味があるはず等ときれいごとを
言うつもりはない

だが、違う観点から見れば
その時期(タイミング)に学ばなければ
身にならないものもあって
そのチャンスを逃すのも、もったいない気がする

感じやすかったり、正義感に燃えていたり
何でも好奇心を持ったり、
人間のおろかさを知ったり
人間の才能の多様性を知ったり
つまり、消化不良でもまだまだ頭に入っていく時期に
ある特定の分野だけ勉強するのは
せっかくの機会を自ら放棄しているような気がする

例えば、古典といわれる小説などは
受験に関係ないと敬遠されそうだが
実はあの時期こそ読むタイミングじゃないのかな
あの時期を逸すると、
なかなか次に読む機会は手にしにくいような気がするが、、、

結局、将来のことを考えた場合
現実的、即物的に効果のあるものを頭に入れるか
それとも
具体的には何に役立つか分からないが
何か役に立ちそうなことを
頭に入れるか、の選択になる

将来の伸びしろは、どっちのほうがあるだろう

ノーベル賞を受賞した多くの学者が
ためになったものとして
シェークスピアや古典といわれる本を挙げていたのは
偶然の一致ではないだろう


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