パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

おかしな音楽のテスト?

2006年11月06日 20時44分51秒 | Weblog
昔からずっと気になっていたことがある
中学の時の音楽のテストのことだ

(1)運命、田園を始めとする不滅の9つの交響曲を
   作曲したのは誰か?
(2)何百曲も歌曲を作曲した「歌曲の王」とは誰か?
(3)ピアノの詩人と言われるロマン派の作曲家は誰か?
   大体こんな内容のテストだったが
自分が一番変だな、と思ったのは
これは音楽のテストなんだろうか?
こんなのは記憶力のテストじゃないのかな
第一、これらの問いの答えは音楽を知らなくても
答えることが出来る
それを正しく答えたとしても音楽の能力があるのでなく
単に記憶力があるだけじゃないのかなと思ったのだ

音楽なのに音楽を知らずに答えることの不思議さ
それを変に思わないのだろうか?
中学の時からずっとそんな風に思っていた

音楽は実技、歌を歌う、楽器を演奏する
楽譜を読みこなすなどが音楽の能力であって
テストはそんなことをチェックできる問題を
出すべきじゃないのかなと
子供ながらに思ったものだ

音楽の時間、隣に座った友は
伸びやかな高い声が楽にでて
そばで聞いていても、上手いなあと思ったのだが
ある意味では彼が良い音楽の成績を与えられるべきだったのに
学科が、ちょっと、だったために自分よりも悪かった

でも、これは変だと思わざるをえなくて
あまりいい気分ではなかったので
今もこうして覚えている

そして、やはり今でも学科のテストは
音楽の能力のテストではないと思っている
たとえ音楽史という範疇のテストではあっても
音楽を知らなくても答えることの出来るのは
やっぱり変と思うのだが、、、。



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ブルックナーのアダージョ

2006年11月05日 21時56分47秒 | Weblog
まだ耳が疲れていない午前
ブルックナーのアダージョだけを聴いた
1番、2番、3番、5番の交響曲の第2楽章で
演奏は朝比奈隆 大阪フィルのもの

自分は案外初期のものが好きだなと再確認した
(まるで自然の中にいるみたいで)
7番以降の山脈みたいなものは別格として
3番以降は力が入りすぎているみたいで、
受け狙いみたいな、賢すぎるように思える

一番好きなのは8番のだが
演奏は初めて聴いたのがフルトヴェングラーとベルリンフィルで(1949年)
評判はあまり良くないらしい?が、
こんなのもありと思って聴くとすごくいい

名盤と言われるもの以外では
インバルの初稿による演奏も、ブルックナーの思いつきが
素直に感じられて結構いける

ブルックナーはアダージョの作曲家と言われたり
同じ事を何回も繰り返している
(交響曲ばかり書いて、しかも出だしは似ているし
 リズムパターンも決まっていて、展開の仕方もパターン化している)
と言われるが
ブルックナーは一作ごとに進化していて
ヴィヴァルディーみたいに同じ曲を何通りにも
書いたのではないように思える

もっともヴィヴァルディーも
何回も聴かなければ結構楽しいけれど!

三大Bは自分の中では
バッハ、ベートーヴェン、ブルックナーだな
(かわいそうなブラームス、秋にはしっくりくるのに!)
もっているCDもこの三人のものが多い

でも一番愛すべきはモーツァルトだけれど
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ブルックナーのオルガン曲

2006年11月04日 20時55分39秒 | Weblog
週休二日が当たり前になっても
三連休はさすがに気分的にのんびり出来るようで
今日が終わっても、まだ明日があるのは
なんだかうれしいような、得したような

といってこの連休に何かしたかといえば
相変わらずの横着三昧
もっとも休みの目的はグターッとすることにあるので
ちゃんと目的は果たしているのかも

この間ブルックナーのピアノ曲を聴いたからではないが
今度はブルックナーのオルガン曲のことを思い出した

ブルックナーはオルガン的な発想で交響曲を
作ったといわれるし
彼自身が優れたオルガニストだったとされるが
そんなにオルガン曲があるわけではない

整理整頓が出来ていないから
どこかに隠れてしまっているCDに
前奏曲とフーガ?みたいなものと
4番、8番の交響曲をオルガン用に編曲したものがあったが
それを聴くと、なるほどオルガン的な発想といわれるのはよく分かる

とくに4番のほうはこんなのもありかな?といった感じだ

そういえばベートーヴェンンの交響曲をリストが
ピアノ独奏用に編曲したものを
カツァリスが演奏したのを「エロイカ」「田園」と
求めたことがあったが、
ピアノの音がオーケストラの音を連想させて
(まるでオーケストラを聴いているみたいな気がして)
結構面白かった
それらはまるで「大ピアノソナタ」という趣だった

しかしブルックナーのはそんな感じはしなかった
やっぱり充分表現するにはオーケストラが必要かな
と改めて感じる次第だ

ブルックナー  好きだな!
時々無性に聴きたくなってくる
今は初期の1、2番のアダージョを
体全体をゆだねて聴いてみたい気分だ
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案外楽しめた「フラガール」

2006年11月03日 21時19分42秒 | Weblog
自分からなら、絶対行かなかっただろう映画
「フラガール」
同伴者の薦めもあって行ってみたのだが
案外よかった!

予定調和のように進んでいく様子は
(教養小説のように、サクセスストーリーのように)
なにやら難しいことを訴える映画や
暴力シーンや火薬の活躍するだけの映画より
ずっと受け入れられる
そして不覚にも熱くなるものがあった

話は、福島県の炭鉱が時代の波に押されて
多くの従業員をリストラしなければならないことになり
その打開策としてハワイアンリゾート施設をつくり
そこで地元の素人の人たちが
東京から流れてきた中途半端なダンスの先生に導かれ
フラダンスを習って大成功をおさめる
そして先生も人間的に成長していく
おおよそは、こんな内容なのだが
初回上映の1000円分は元を取った感じだ

人間というものは、どうのこうの言ったところで
理性より感情で、熱気で動くものだと
そして、時に感情の爆発は
冷静な対応よりもずっと効果的な
結果を導き出すものだと
今の自分の気分では、こんな風に感じてしまった

全く、みんながみんな感情を出し切っているのが
今の時代と比べて(抑えて抑えての今と比べて)
少し羨ましい気がする

ところで少し残念なのは
舞台となった昭和のあの時代は、
あんなに昔風ではない
自転車も、バスも、家も
場所による違いはあるにしても
もう少し新しくてもいいのじゃないかと
あの時代中学に入りたての自分は思ってしまった


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ハロウィンは似合わない?

2006年11月02日 20時46分35秒 | Weblog
ハロウィンは10月31日らしいが
今日の昼ごろコンビニで
派手っぽいおかしな格好してる連中を見かけた

ハリーポッターの副校長がかぶっているような帽子
黒い服、それにピンクのワンピース等などを
身につけた連中で
ハロウィンかと思ったのだが、第一感
「似合わないなあ!」

一人ひとりが似合わないのではなく
その雰囲気がこの地方都市の雰囲気に合わないのだ
これが東京なら少しはそれらしく違和感もなしに
見過ごせるかもしれないのだが
何が違うのかちょっと考えてみた

多分色彩が違うのだろう

日本的な建物の続く町並み
(一応ビルは建っているがどこか日本的だ)
の中では、祭りの法被や着物はなじんでも
ハロウィンは、、、

日本の秋は同じ秋でも
アメリカの秋とは雰囲気が違うのじゃないのかな

侘び寂びを連想させる色彩の木立と影
それらにふさわしいのはやっぱりこの国で生まれたものだろう

最近年齢を重ねたせいか
日本的なものがよく思えてきた
マイセンもいいが、志乃や織部もいい
イングリシュガーデンもいいが、枯山水の庭もいい
圧倒的なヴォリュームの建造物もいいが
ちっちゃな茶室もいい
色彩も自然素材のものが好ましく思えてきた

何が何でもというのではないが
残念なことに日本のよさを
今まで気づかなかったと言ったほうが
正しいかもしれない

国際人になるということは
実は、自分の国のことをよく知ることだ
と言った人がいたが
全くその通り、、、かな?

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給与を銀行振込から現金支給に代えてみたら、、、

2006年11月01日 21時02分55秒 | Weblog
不便だとか、落としたり、犯罪にあったりとかで
(リスクが多すぎて)現実的には実行されないだろうが
ただただ、メンタル的に馬鹿にならない(?)効果がありそうなので
給与を銀行振込から現金支給に代えてみたらどうだろうか?

今は振込の確認明細をもらうだけで
お金の管理は実際には別の人間が仕切って
小使いとして自分が稼いだお金を、
分けてもらっている男性が大半じゃないだろうか

これを、実際のお札を重ねて
1ヶ月働いた対価としての姿を見せると(見ると)
お金のありがたさとか重みを改めて感じるのではないだろうか

実際、なにかものを買う場合でも(それなりの価格のものを)
カードで買ってしまうより、
現金を払うときの方が高いものを買ったような気がしないだろうか?

同じ金額を払うという事実には変わりないが
気持ちの面で明らかに違う

人間は思っているより理性的な存在ではなく
感情の生き物なのだから
こんな風にお金をありがたく思えるような仕方でもらう、
というのも案外よい考え方のような気がするのだが、、、。
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