パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ジーニアスに合わせる?それともジーニスがあわせる?

2021年05月19日 11時23分26秒 | サッカー

イチローは、自分が何故打てているか説明ができるから自分は天才ではない
と説明したことがあった
ミスターと呼ばれる長嶋さんは、バーっと来たボールをバーンと打つ、、
と表現したが何となく感覚的にわかっても、本当は何のことかわからない
王さんは練習によって効果的なボールを捉える位置を身につけて
それができたかどうかで、自分のバッティングを説明できる
イチローは王さんと似た境地で、自らの立ち位置を説明したのだろう

天才という言葉が必要以上に使われることの多いサッカー界
最近ではジーニアスと横文字を使われることもあるが
ドリブルの上手い選手とか、トラップでの交わし方の上手い選手を言うことが多い
ドリブルはある程度練習の賜物だが、トラップとか判断の選択はひらめきで
これらは感覚的で理屈を超えたもので、みんな感じるようなプレーではないので
プレーの説明ができずに天才というこう言葉で説明しようとする

小野伸二は天才と言われた
そのトラップは何故そんなことができるのか?と不思議に思えるものもある
(手元のボールを下に投げてそのボールをピッタっと止めるなど)
その他には考えられないコースにパスをするなどがある
普通ならパスコースがないところに高い技術で人と人の間を通すとか、
(キックのタイミングもコースも守る側は読みにくい)
空間的に上を使うとか(普通ならその選択は浮かばない)
出されてみて初めて良いパスだったと気がつくことになる

問題は、この手のひらめきの多い選手のプレーがチームに有効かという点で
努力型の人のプレーは味方も予想がつくし、期待を裏切らずにパスもくるので次に備えやすいが
ひらめき勝負の選手はチームとして対応しにくいのではないかと思ってしまう

今季のグランパスにはジーニアスと称される柿谷曜一朗がいる
ひ弱さを感じることはあるが、時にやはり天才的な瞬間芸を見せる
少し前のセレッソ戦でのミドルのシュートは入らなかったが軌道がとてもきれいだった
それはボールの芯をきちんと捉えているからで、強いボールを蹴ることのできる選手みんなが
あのような軌道のボールを蹴れる訳ではない

柿谷は一回で済むことは一回で次のプレーに移ろうとする傾向がある
一回止めて、次にボールを左右どちらかに動かして進みたい方向に行くのではなく
一気に進みたい方向にトラップして進もうとする
これは早いプレーなので時々失敗する
それを見て、もう少し一つ一つ丁寧にしていけばいいのに、、
と感じる人が出てくるのは自然なことで(自分も時々そう思う)
このあたりはプレースタイルが好きか嫌いかで評価は分かれそうだ

先日ゲームの解説者が柿谷を評して「指導者泣かせの選手」とこぼしたことがあった
あのボールタッチの柔らかさとか、鬼ごっこをすれば絶対捕まらないようなすばしっこさ
そして時には本人でさえ、どうやってそのプレーをしたのかわからないようなプレーをする選手は
理屈で指導したい立場には困る存在だ

ただプロの世界は結果が全てだ
瞬間的にどんなプレーが出ようがそれが結果に結びつかないと価値はない
柿谷はJリーグの中でも際立って特徴的な選手で、できるだけ見てみたいと思わせる選手だが
周りの個人事業主の選手の間では(いい意味で自己主張とか自己の成績にこだわる選手の中で)
彼の発想についていける選手がどれだけいるかが問題となる
チームとして選手の癖とかプレースタイルを共有できるようになれば面白いと思うが
このチームとしての共有感覚は、柿谷がみんなにわかりやすいプレーをするように歩みよるか
それとも周りが彼に意図を感じるようになるか

いずれにしてもプロの世界は結果が全てのようだ

ケラケラ笑いながら、こんなことをしてしまう柿谷曜一朗
サッカーテニス対決⚽️


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ゴールデンタイムの番組から想像する報道の質の低下

2021年05月18日 09時38分34秒 | あれこれ考えること

少し腹の立つ話(最近は精神状態がよくないかもしれない)

テレビが一人一台の時代になって久しいが、
最近はゴールデンタイムにテレビを見ることは少ない
まず見ようとする気分にさせる番組が見当たらない
新聞の番組表を見て、今日もパスだなと決めて
自分のペースで過ごせる時間の過ごし方に移る

テレビ局の方々は、本気であれで視聴率を取ろうとしているのか?
と疑問に思えて仕方ない
タレントさんをひな壇に並べて、どの局も同じようなクイズとかおしゃべりを展開する
(こうした番組に良いところはあるとしたら、途中からでも見られるし、途中で見るのをやめても気にならないことか)

番組をつくる方とか出演する方も、この形の方が効率がいいらしい
ドラマは台本、演出、セット、それに稽古による拘束時間など手間が多い
それと比べると、多少の台本はあったとしても、ちゃちゃっとできそうな予想はつく
出演者もセリフを覚えなくてもいいし、ちょいと出るだけでそれなりの金額を得られるのなら
ありがたいと感じる人もいるようだ
しかし、それは作りての立場で、見る方のこちらは十把一絡げでつまらないと判断してしまう
そしてそれは現在のテレビ局の力の低下を現していると想像する

テレビ局はバラエティだけでなく、報道の番組もある
ゴールデンタイムの番組の質の低下があるのなら、報道番組にも質の低下があるかもしれない
と考えるのは自然の成り行きで、最近はこれを強く実感する

工業製品の検査は出来上がった製品の一部をピックアップして取り出しそれをチェックして
製品の不具合を確認するらしい(統計的な方法)
つまり一部を見れば全体が見える、、ということだ

ゴールデンタイムの番組の質を見れば、報道番組の質も想像できる
それを感じるのは「誰かがこう言った」とする伝え方が異様に多いと思えるからだ
このあたりは上西充子氏の「政治と報道」にもその危険性が指摘されているが
報道の業界で当たり前になっていることが、実は当たり前ではないのではないか

若い人はテレビなど見ない、ネットで充分とする人がいる
しかしそのネットのニュースもそのソースは、テレビ番組や新聞記事に依存しているので
現実は旧媒体の影響を知らず識らず受けていることになる

報道には報道されていることと、大事なことなのに報道されていないことがある
直近では東京の新型コロナ陽性者数は伝えられるが、検査数は報道されない
これに違和感を感じる人は少なくないと思われる
ならばメディアが独自に調査して発表すれば良いことだけだが
何故かそれはなされずに、みんなが同じような伝え方ばかりをする

そこに政治的な意図があるとかどうとか、という問題ではなく
敏感な人が感じる違和感に対してメディアが平気でいられるという点が問題だ

最近、気の滅入ることが多い
質問に答えないあの人の会見に、それで良しとしている特別な立場(記者クラブ)の人たち
中には真面目な人もいるだろうに、それが形となって出てきていないのが、とても不安で不満だ



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例外が多い場合はなにか怪しい

2021年05月17日 10時50分07秒 | 養鶏所騒動

世の中には例外がある

一つ一つの場合を考えていちいち対応するのは手間がかかるので
普通は一定の決まりを設けて自動的にそれに従うようにする
その方が合理的で人には、納得感も得られやすい
しかし、それをすり抜けるような例外がいつも出てくる
その例外は心もとない言い訳(説明)によって仕方ないものとか
合法的に許されているものとされるが「例外は裏に何かある」
と想像される(想像されても仕方ないような)ことが多い

国の例では、森友学園騒動がそうだ
そもそも当初あの土地は一般的には例のない借地として契約が進んでいた
それだけでなく、あのびっくりするような割引価格とその鑑定の曖昧さ
他にも、桜を見る会のホテルのパーティは一人5000円で、金額が常識外れだし
見積書(明細)がないというのも考えられない
検察のトップ人事もこれまた例外を利用しようとした
(黒川氏は定年とされていたのに、解釈変更で一般公務員扱いにしようとして伸ばそうとした)
現政権の例外案件は呆れるほど多いが、「例外の裏には何かある」と考えたほうが
一般人は賢く対処できるかもしれない

このように例外的に進められた例は、地方自治体の我が市でもいろいろ見られる
まずは庁舎についてだ
現在庁舎の南側の空き地は何の利用もできずに、防災空地としてほったらかしになっている
誰もが思いつく駐車場にすればいいのに、、との考えは、実は法的にそれができない
というのは、そもそもあの場所に当初の計画通りの高さの建物は法的には不可能だったからで
そこでひねり出したのが例外の方法による手段で、土地が2つの異なる区分から成り立ち
2つの異なった高さ規定がある場合は、2つの区分のうち面積の大きい方の規定に従う、、
という苦し紛れの方法を選択したことに端を発する

その後いろいろあったが、例外を利用して進めたので、それ以上の例外は国も許さないから
現在のあの場所は、にっちもさっちもいかなくなっている

今、個人的に我が市の気になる例外は、ある土地の購入についてだ
そこは鶏舎経営者が市に購入を求めた
近隣からは臭い等の苦情が長年続いていたので、それは検討に値すると考えたらしい
ここまでは、少し違和感を感じながらも納得したとしても、納得できない大きなことがあった
それは買取価格の正当性で、こうした買取価格は普通は不動産鑑定士の評価に基づいて行われる
この不動産鑑定の数字がとても奇妙なのだ
それは不動産鑑定をする場所は新城市に存在するのに、不動産鑑定に用いた参考の場所は
新城市内ではなく豊川市になっていた(4箇所の参考のうち3箇所が豊川市)
なんで?
この事実を知れば大概の人は疑問に思うだろう
(それが大ごとにならずにいるのは、その事実が知られていないからだと思う)
例外は、もう少しある
この不動産鑑定の報告書は結構な厚みがある
つまり、ちょっとやそっとではできない仕事なのだ
それがものすごい段取りで市に届けられている
この年は新年号の開始の年で、GWは10連休となっていた
不動産鑑定の契約が4月末、連休があったにも関わららず分厚い報告書が完成している
このようにスピーディーに進んだのは、同時並行的に物事が進んでいたからと想像される
その段取りが現実的に良いか悪いかわからない(行政の知恵としてあるかもしれない)
だが、そうだしても例外的な行動をしていることは間違いないと想像される

決まりごとは、誰でも公平に素早く対処するために作られているが
例外を使うのはいつも特別な人たちになってる場合が多い
「例外は裏に何かがある」と考えることは、少しばかり残念な考え方だが
自分たちを守るためには現実的な考え方かもしれない


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タブー、あるいは自己抑制

2021年05月16日 10時20分40秒 | あれこれ考えること

人生をかけて練習に励み、周りも協力し支えてきた人たちに対して
オリンピック反対の声を届けることが、人としてできるのか?との声がある

確かにアスリートに対して辞退するようにとか、反対の声を上げて欲しいとし
それができないなら批判するというのは方向違いだとは思うが
少し心配なのは、そういう立場の人のことを考えて
声を上げること自体がタブーになっているような社会の空気がないか、という点だ

一方、医療従事者の方々は現実に目の前で少し前までは生きていた方が
亡くなるのを見て、精神的なショックを受け、それだけにとどまらず今も
改善の兆しも感じられず、焦りの感覚を持つ
そういう人たちに対しては、人は普通なら同情と感謝の念をもつ

アスリートの方々は、こうした医療現場の方々の状況を見て
果たして自分たちの視点だけで生きていていいいのだろうか
と考える人がでてくるのは当然だと思われるし、なかばそうあって欲しい
だが、それを表に出すのはタブーとなっていないだろうか

あっさり声に出せるタイプの人はいる
でも当事者として自己否定するような言動は表に出しづらいと
感じている人は少なくないのではないか

大義名分がある場合、人はおおっぴらにそれを批判しにくい
我が市では、若者が地域活性化とか地域のために良かれと思うことを話し合い、
それを実現するために、市長に提案するという形で予算提案権を持ちうる制度がある
若者議会というシステムで、各地にある若者会議とは少し違う(議会と会議、順番が違うだけなのに)
何よりも違うのは予算提案権に準ずるものが最初からあることだ
自分も含めてだが、若者に予算提案権をも確保した制度は果たして現実的に有効なのだろうか
考える人は少なからずいる
現実の若者議会のメンバーは高校生が圧倒的に多い
そうした社会経験の少ない人達の意見やアイデアを、彼ら自身が必死になって考えたとしても
無条件に予算化していいものだろうか、、と時々考えてしまう
(結果的に若者たちが市長に訴えた案は否定されたことはない)
今まででてきた予算化された事業は、厳し目な言い方をすれば、それらは幼稚だ
世間を知らないから、そのようなものがでてくるのだろうが、普通なら(大人の社会なら)
アイデアのブラッシュアップが図られる
そもそものアイデアの妥当性、社会性、実現性、効率性、そうしたものを税金を使うものとして
シビアな検討が要求される
だが、これが充分できていないために幼稚と感じられる事業が予算化されることになっていないか
と想像してしまう
実は少しだけ行政が絡んでくるらしいが、どの程度の関わりを持って臨んでいるのかしらない
ただ若者の考えたアイデアを批判してはいけない、、といった、ちょっとブレイン・ストーミングに
対するときと同じ対応をしていないか心配だ
若者の意見に口を挟んだり否定することは好ましくない
それが暗黙のうちにタブーとなっていないか
むしろ熟慮するためには、大人の実感をもとにした批判や否定を若者に伝えるのは
好ましいものと思われるのだが、そこに間違った遠慮はないだろうか

実は若者自身も不安を覚えているようだ
世間知らずを自覚している彼らは、そのような立場で税金を使う方法を決めてしまっていいものかと

その不安に対して、市長は
「予算は議会が議決することになっているから君たちにはその責任を感じる必要はない」
と自ら立ち上げた若者議会の制度を説明して不安を取り除く

でも、本当にそれでいいのだろうか
若者議会に対する評価を、タブー無しで考える時期になっていないだろうか
若者に地域のことを考える機会を与える、、
それだけのことで、物申すのが憚られるというのは、行き過ぎた遠慮に過ぎないのではないか

オリンピックのこととか、若者に対する接し方とか意見とか批判とか、、
つい自己抑制してしまいそうなこと、あるいはタブー
人はもう少し覚悟をもって、自己の考えを表に出す訓練をしないとまずいのでは
と思ったりする

またもや、まとまりのない話


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難しい本をどう読むか

2021年05月15日 08時47分44秒 | 

難しい本は読むのに時間がかかり、理解が進まないことが大半だが
そうした本の効率的な読み方を紹介したこの本はあっという間に読み終えてしまった
「難しい本をどう読むか」齋藤孝著

わざわざ難しい本を読むのは、知的好奇心とか達成感とか、本棚に並んだ読み終えた本を
眺める優越感を得るためとか、ボケ防止とか、いろんな理由があるが
なるほど、そうかも知れない!と共感できたのは
作者の考えている過程を体験できるのがスリリングだという点だ
知っていることを解説するのではなく、作者が悪戦苦闘している様子を知ることは
感情移入もしやすいし、わからなくてもどこか心動かされる

悪戦苦闘している状態は作者自身も整理できていない場合が多いし
彼のオリジナルな用語とか概念がでてくるので、わかりにくさは仕方がないことと
この本はあっさりと断定している

その上で効率的に読む方法を紹介しているが、それは多くの人がしがちな夏休みの読書感想文の
書き方と似ていて、あとがきとか解説書を読んでから本体に向かうのも現実的だとしている
道筋がわからぬまま読み進むのはしんどくて、交通標識に沿って進むのが効果的なのと同様に
あらかたの流れを知っているのはいい方法かもしれない

難しい本として以下の本を紹介している

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『精神現象学』
カール・マルクス『資本論』
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラ』
フェルディナン・ド・ソシュール『ソシュールの思想』
西田幾多郎『善の研究』
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
マルティン・ハイデガー『存在と時間』
メルロー=ポンティ『知覚の現象学』
エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』
ミシェル・フーコー『監獄の誕生 監視と処罰』
ジョン・ロールズ『正義論』
トマ・ピケティ『21世紀の資本』
インド哲学『原典訳 ウパニシャッド』『ウパデーシャ・サーハスリー』

殆どが読み終えられずに、途中で挫折した本ばかりだ
だが、なんとなく頭に残っているので読んだ本を紹介している章は
抵抗感なく読めて、そうそう、、と納得した気分にもなれる

でもつくづく実感したのはニーチェとは相性が良くないという事実
他の人は理解できなくても、わからないで済まされるのだが、
ニーチェだけは何かずっと違和感とかもやもやした感情がくすぶってしまう
世間的な評価が如何に高かろうが、自分と合わないものは合わない、、
と思うしかない

ハイデガーもメルロポンティも何かよくわからん、、は同じだが
読んでて内的な興奮は感じる瞬間はあるのに、ニーチェは、、

この手の難しい本は体力のある、つまりは気力の持続する若いうちに
消化不良でも読んでおいたほうがいい、、と時間が少なくなってきた自分は思う

今の若いものは、、本も読まないで、、、、
とつい嫌われそうな小言を言ってしまいそうになる

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グランパス、鹿島に完敗

2021年05月13日 10時02分14秒 | サッカー

大相撲の世界では、押し相撲は勢いに乗ると対戦相手はなすすべもないほどに強いが
一旦リズムを崩すと全てが狂いだして何をしてもうまくいかないらしい
勝負事はこうしたことがよくあって、昨日のグランパスはそのパターンだった
(グランパス0−2アントラーズ)

もっとも運がなかったで済まされる問題ではなく、何処かに原因はあるはずだ
昨日は今までのグランパスが行ってきたプレーを鹿島の選手が徹底して行っていたように見えた
少し前からグランパスが調子を落とすなら、疲労と、チームの熟成と背中合わせの慣れによる
手抜きからくるだろうと予想していた

グランパスのボール奪取を目指す戦い方は相手の距離を詰めて激しく行くので疲れる
ブロックを作って中に入らせないというよりは、基本的にはボールを奪いショートカウンターを
目指している
ボールが奪取できない場合は一気にピンチになるので、近くの選手がそれを補うようにする
つまりは選手間を短くしてすぐに対応できるようにする
そこには出足、瞬発力が要求される
ここででてくるのが、それを可能にするのは体力的な余裕だ
最近の連戦で、体も頭も疲労が残っていたのではないかと感じられた

昨日の試合は選手全体が冴えなかった
疲労の他に、勝ちぐせの慢心ももしかしたらあったかもしれない
選手が勝手に彼がボール奪取に行ったならば、今までうまくいってたから今度もうまくいくだろうと
思い込むことだ
一種のパターン化したプレーは熟成という言葉で表現される時は良いが、
次はこうなると勝手に判断しがちな危険性がある
プロの世界ではそんなことはないと思いたいが、子どものサッカーのときはそうだった
あのこなら一人で大丈夫と本来ならカバーすべき場所にいなかったりする

うまくいかない時は何をしてもうまくいかない
その典型が今までスーパーなプレーでゴールを守ってきたランゲラックのプレーだ
コーナーキックをファンブル、ちょっと考えられないキャッチミスで
今回も、よりによって今まで頑張ってきた選手に厳しい運命を与えてるようで
サッカーの神様の意図は良くわからないと感じざるをえない
(前回はCBの丸山の見事すぎるオウンゴール)

だが問題は守りよりも攻撃にあると言われている
しかし、攻撃は守りをベースにしたチームコンセプトの中では、人数をかけて行えるわけではない
(監督の母国イタリアのチームは攻撃のときも上がり切らないことが多い?)
攻撃はボールを奪われてカウンターを受けた場合でも危険の少ないように
サイドからするようにしている
サイド攻撃といえば響きがいいが現実はその方が危険が少ないからだ
そしてそのサイド攻撃は個の能力任せでチームとして崩すという感じではない
そのためにマテウスも相馬も強引に突っかける事が多い
シュートを打たないと点は入らないが、あまりにもそれに固執すると相手は対応しやすい
やはりもう少し川崎のように人数をかけてチームで崩す形を作らないと
マテウスや相馬のプレーを体感として慣れてしまった後では難しい
このあたりは、監督さんのカラーが出ることろで前の風間さんと今度のフィッカデンティさんとは
まるっきり反対だ
だが現在最強の川崎も風間さんの超攻撃的な戦い方を身につけたあとで今のチームになっている
強いチームになるには時間がかかるのだろう

さてグランパス、、次の試合はどうなるか
最近は勝ち負けよりは、次はどう考えてくるのだろう?と想像するのが面白い
チームの建て直し方、致命的なミスをした選手の精神的ダメージ、先の戦いの反省などなど

ところでちょいと気になるのはCFの山崎の個々の戦いの勝率だ
身長も幅もある選手でポスト役を任されるが、少しばかり収まらないことが多い
金崎が負傷から回復すれば金崎に変わるかにしれないが、金崎に比べると粘りが無いように思えてしまう
サッカーはチームプレーというものの、選手個人の力の差、、というのも現実だ
(バルサもレアルもシティーも図抜けた選手たちばかりいる)

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大坂なおみの五輪に対する2つの記事

2021年05月12日 15時17分24秒 | あれこれ考えること

オリンピックについてはアスリートの方々にはいろんな考え方がある
おおっぴらに意見表明をできない状況が少なからずあるようだが
(オリンピック代表になった時点で、公人として発言に気をつけるように宣誓書を書かされるとか)
日本人は一人の人間として、自分の意見を言い切るだけの覚悟とか
世間の反発に対する訓練ができていない(アスリートに限らず世間一般も)国民性とは思うが
この雰囲気を醸し出している原因にメディアの報道があるのではないか

メディアの影響力は空気を作ってしまうだけの力がある
それ故に報道は正確に伝えられなければならないが
最近大坂なおみさんのオリンピックに関する発言に、全く反対の印象を与える記事があった

一つは報知スポーツの報道で、オリンピックの開催に関して
「五輪は待ち焦がれていたものなので、開催してほしい」賛否両論に私見

もう片方はロイターの報道で
「五輪開催は危険あるなら議論すべき」
との発言を伝えている

同じ話を聞いて、話のどの部分を切り取るかの違いに過ぎない!
としてしまうには、両者の与えるものは違いすぎる

それらの報道には、伝える側の意図、あるいは精神が見えるのではないか
親会社が五輪スポンサーの報知スポーツは開催の空気を盛り上げねばならない
一方でロイターは原則論を(批判精神を持って)伝えられる環境にある

日本のように他人の意見、声に大きく影響される社会はメディア報道の方向性で
結果的にいろいろ知らないうちにコントロールされてしまわないだろうか
(だからこそ憲法変更についてのCMの量の規制は必要)

メディアは第4の権力と言われたことがあった
今は情けないくらいに(批判精神に欠け」腰砕けになっている気がするが
それでも広く一気に伝えたり、ある空気を作り出す力は
これだけ細分化した社会故に更に力を保持しているように見える

メディアリテラシー(教育)が大事と叫ばれて久しい
しかしそれは、これなら大丈夫!と感じられるまでのレベルに達しているだろうか
ちょいと心配な気分

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「さざ波」のツイートに同意の数が1.2万

2021年05月11日 10時04分54秒 | あれこれ考えること

前日に続いて時事ネタ

内閣官房参与の高橋洋一氏がコロナ感染者関連のグラフを示し
この程度の「さざ波」。これで五輪中止とかいうと笑笑
とのツイートをして猛烈に批判されている
これは昨日の国会でも今朝のテレビでも取り上げられて
のんびり構えていた庶民も怒りを覚えた人も多くいたようだ

ところが問題は、この高橋氏のツイートに同意を示すハートマークに
1.2万もの人がチェックを入れていることだ
チェックを入れた方々がどのような考えの下でそうしたのかはわからない
人にはいろんな考え方があるとしても、そして発表の機会が与えられているとしても
感情を害さずにそれらを見ることができない

そこでこの1.2万人の人たちはどういう人たちか?とちょいと独断をしてしまうと、
あのアメリカの大統領選でトランプさんのいう不正選挙だとか、ディープステートとかを
信じている人にかぶらないだろうか?
あの界隈の人たちもよくわからない人たちだったが、今回も自分にはよくわからない
それだけ社会に分断が起きている!
とあっさり解説されても、
それで今の社会は大丈夫か?
との不安が頭をよぎる

最近の国会や偏ったYouTube(右左とも)では、頑なに自説を曲げず
相手の言い分を受け入れること即論破されたかのような風潮になっているようだ
昨日の国会では野党の質問にし首相は答えていない
本来ならば会議をコントロールする委員長が「質問にちゃんと答えれように!」
といえば済むことなのだが(アメリカだったかイギリスではそう仕切った委員長がいた)
与党選出の委員長はそれをすることは、損すること、負けることと思いこんでいるかのよう

委員長を決めるのは結局は数の力で、議会を自由のコントロールできる委員長の立場を
与党は譲るはずもない
最近は合法的(選挙に基づく)専制国家が増えているとのレポートがある

今のこの国がそうではない!と言い切れない気がしてならず、不安を覚えるこの頃

※新しくチェックしたら1.6万に増えていた

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池江璃花子さんのツイッターに関する報道について

2021年05月10日 08時41分35秒 | あれこれ考えること

池江璃花子のツイッターに匿名人物からオリンピック辞退するようにとか
開催の反対をすべきだとの声が届き、彼女が苦しんでいるとの報道が話題になっている
一部にはその同情的な報道自体が彼女の政治的利用ではないか、、との声もある

確かに選手個人にあれこれ言うはお門違いと思われるし、
彼女自身もオリンピック反対の声があるのを承知し、それも仕方ないこととも考えている
また、開催されないとしてもそれは受け入れるとも考えを現している

しかし、報道は彼女を政治利用しているとの疑いは、彼女のツイッターのタイミングと
匿名からの批判に対し困っているとするニュースのタイミングが微妙に疑わしいからだ

池江さんは4つのツイートで自己の考え方を述べた
最初と最後の間には少し時間が経っている
それは文字入力にかかる時間のためと思われるが、
奇妙なのは一番目の投稿の直後に、4番目の投稿までの内容を踏まえた内容の報道記事があったことだ

全部読まないと彼女の真意はわからない
最初のツイートだけでは選手個人に心痛める要求は控えて欲しいとの意図はわからない
しかし、一番目のツイートがあった直後に、彼女のすべてのツイートを理解しているような
そして、頑張っているアスリート個人を批判するのはやめようとするトーンの記事が
報道されていることは、少し違和感を感じる
(メディアは事前の内容を知っていた?)

オリンピックについては先日短時間で中止要望の署名が集まった報道があった
そういう声に対しては、推進派は選手個人の物語を感情的、情緒的に訴えて
報道の絶対量で(反対意見の)阻止しようとしているように思えないこともない

中止要望者の中には焦りのために、何も言葉を発しないアスリートに対し
批判がましいことをつい言ってしまいそうなことはありそうなことだ
選手個人にあれこれ言うのはお門違いと思うものの
そうしてしまう気持ちも理解できない訳ではない

話は変わるが、お気に入りのタレントさんが自分の嫌いな商品のCMに登場したら
ファンはどのような気持ちになるかを調べたものを以前見かけた
好きでも嫌いでもない商品ならお気に入りのタレントさんの薦める商品にいいイメージをもつ
しかし、相性の悪い(嫌いな)商品をタレントが薦めていたら、今度はそのタレントさんを嫌うようになってしまう
とその調査は伝えていた
この例が池江さん個人にも及ぶことはないか、、と想像すると、それはありうるのではないか

今回のことだけなく、日本のあの暑い夏にオリンピックを行うという時点で
一体オリンピックは何だろうと?疑問を覚えずにはいられなかったし
少なくとも選手や観客のことを考えているようには思えなかった

オリンピックは商業主義、、これが今回は極限まで明らかにされたのではないか
強いものが勝つ、はっきり結果が出る、時に運が勝負を分ける、4年に一度しかない残酷さ
無駄終わる努力、、報われる努力、、
こうした誰もが心動かされることは、オリンピックという形でしか表現できないのだろうか
仮にそうだとしても、このようなシステムで行い続けることは大いに疑問だ


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議会中継を見る人、議事録を見る人はどれだけ存在するだろう

2021年05月09日 09時01分56秒 | あれこれ考えること

昨日の続きで議会改革に関すること
市議会の中継、議事録の公開などは議員などの当事者の内側からの視点
それはそれなりにやってもらいたいものだが
問題はそうした中継やら記事録を見聞きしたいと思う市民がどれだけいるか?
という点ではないだろうか

我が市では一般質問は、ケーブルテレビ中継とネット中継が行われているが
その視聴者はどのくらいが想像されるだろうか
これは我が市に限らずどこでも似たような傾向が見られるかもしれない

直近の例では、新城市の道の駅には100平米のドッグランが設置されたが
その現場を見ると大半の人が感じるのは、その狭さの異様さとか
600万円かかっているとされる費用への不信感だ
現実的には素人は工事費を正確に予想することはできないから
直感的にそう思うことは少しばかり無責任かもしれないが
ただそう思ってしまうのも事実だ

この違和感を個人的にクリアする方法は
議会で行われた計画と費用についての説明を確かめることで
ネットに保存されている中継のアーカイブを見るとか
記事録をチェックすることになる

ここで先程の問題に移るが、このような行動をする人はどのくらい存在するだろうか
そもそもドッグランのことを知らない人が多くいる中で疑問を感じ
さらに調べるまでの行動を起こす人は現実に存在するのだろうか
(ほとんどいないのではないか)

良い悪いは別として、現実的には誰かにこうした事業計画の精緻な審査とか
工事費のチェックをしてもらって、市民はその結果だけを知るということが
効率的な方法と考えられ、間接民主主義として議員さんにその役割を任す

そこで今度はその重要な役目を果たす人たち(市会議員や国会議員)を一般人は
ちゃんと選ぶことができるのだろうか?との問題がでてくる

選挙の時は候補者は耳に心地よいスローガンやら約束事を訴える
みんないいことを言う
でも当選後、一般市民は彼らの言ったことをどれだけ覚えているだろう
また彼らの日々の行動や選択や判断をどれだけ知っているだろう
選ばれた議員さんが、ちゃんとした仕事をしてるかどうかは結局は彼らの行動を
チェックすることが必要で、それが中継なり記事録のチェックということになる
でもそれをする人は少ない

意識高い系の人は、このような状況を問題と考える
一般人ももっと社会の出来事に関心をもって、出来事を我がことのように感じて
怒りを覚えるときには声をあげるべきだと訴える

それは正論だが、何故かそれは多くの支持を得ない
その言い方が多少上から目線のトーンに感じられるからかもしれない
それよりはむしろ面倒くさい!の一言で片付けられてしまうかもしれない

自分たちで自分たちの暮らしを良くしていく(それをシティズンシップというらしいが)
これは案外難しいことのようだ




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