熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

カラヤン:マスカーニ: 歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》

2025年04月03日 | クラシック音楽・オペラ
   先日レビューした「道化師」とカップリングのマスカーニ:歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》も素晴らしいカラヤンのオペラ映画である。
   キャスト等は、
サントゥッツァ……フィオレンツァ・コッソット(メッゾ・ソプラノ)
トゥリッドゥ……ジャンフランコ・チェッケーレ(テノール)
ルチーア……アンナ・ディ・スタジオ(アルト)
アルフィオ……ジャンジャコモ・グェルフィ(バリトン)
ローラ……アドリアーネ・マルティーノ(メッゾ・ソプラノ) 
ミラノ・スカラ座合唱団・管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演出:ジョルジオ・ストレーレル
監督:オーケ・ファルク
制作:1968年5月、6月 ミラノ・スカラ座

   イタリアの小説家ジョヴァンニ・ヴェルガの小説 を基にした、シチリアの山間部の貧しい村人たちの物語で、三角関係のもつれから起きる愛憎劇と決闘と殺人を描いた切ない、しかし、美しいオペラである。
   

   ストーリーの概略は、
   復活祭の朝。トゥリッドゥは、許嫁であった美しい女ローラが、彼の兵役中に馬車屋のアルフィオと結婚してしまう。除隊後帰郷したトゥリッドゥは、仕方なくローラを忘れようと、村娘サントゥッツァ(サンタ)と結婚したが、アルフィオが馬車での外出が多くて留守がちなのを幸いと、ローラと寄りを戻して逢引きを重ねる。これを知ったサンタは、トゥリッドゥに泣き崩れて哀願するが蹴り飛ばされて、その身勝手さに怒りのあまり、二人の関係をアルフィオに告げてしまう。アルフィオは激怒し復讐を誓ったので、サンタは事の重大な展開に後悔し悩む。
   




   (美しい間奏曲)
   復活祭のミサが終わり、教会から出てきた男たちはトゥリッドゥの音頭で、母ルチアの酒場で乾杯する。アルフィオはトゥリッドゥの勧めた杯を断って捨てる。事の次第を理解した二人は決闘を申し合わせ、アルフィオは裏の畑で待つと場を去る。トゥリッドゥは酒に酔ったふりをしながら母に「もし自分が帰って来なければサンタを頼む」と別れを告げる。トゥリッドゥが酒場を出てしばらくすると「トゥリッドゥさんが殺された」という女の悲鳴が響き、幕。
   







   1時間少しの短編オペラらながら、
ママも知るとおり Voi lo sapete, o mamma (サントゥッツァ)やお母さん、あの酒は強いね Mamma, quel vino è generoso (トゥリッドゥ)などの感動的な美しいアリアや村人たちの合唱など、聴かせて魅せてくれる。

   ゴッドファーザー映画を彷彿とさせるシチリアの田舎の素朴な教会風景が、牧歌的であり詩情豊かである。
   このオペラは、何といっても主役はサントゥッツァであり、フィオレンツァ・コッソットは、東西随一のイタリアのオペラ歌手、
   歌唱の素晴らしさは言うまでもなく、演技の細やかさは抜群で、目の表情などアップでも躍動しており感動的である。
   名前をよく覚えているので、METかロイヤル・オペラで聴いたことがあるのかも知れないが記憶にはない。

   トゥリッドゥは、二枚目の一寸線は細いが良い男、アルフィオは、剛直で一本気の野武士風の田舎男、
   チェッケーレも、グェルフィも実にうまい。
   マルティーノのコケティッシュなローラ、スタジオの二人の苦悩に戸惑う母親ルチアの助演も役を得て好演。

   さて、演奏のスカラ座が凄いのは当然だが、やはり、カラヤンのオペラは群を抜いている。
   私がクラシックに興味を持って聴き始めたレコードは、トスカニーニやブルーノ・ワルターだが、その後、カール・ベームやカラヤンに移った。
   通ぶってカラヤンをこき下ろす輩が多いのだが、私は、カラヤンは最高の指揮者だと思って聞き続けてきた。
   実演を聴いたのは、ベートーヴェンの「運命と田園」と「合唱つき」のたった2回だけだが、貴重な経験であった。
   「運命」の指揮途中に、指揮棒が折れて飛び、その後、指揮棒なしの華麗な指揮姿となったのだが、このオペラでは、まだ指揮棒が踊っている。
   


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カラヤン:レオンカヴァッロ: 歌劇《道化師》

2025年04月01日 | クラシック音楽・オペラ
   古いオペラのDVDを探していて、カラヤンの「カヴァレリア・ルスティカーナ 」と「道化師」のスカラ座版を見つけた。
   



   歌劇《道化師》のキャスト等は次のとおり。
カニオ……ジョン・ヴィッカーズ(テノール)
ネッダ……ライナ・カバイヴァンスカ(ソプラノ)
トニオ……ピーター・グロソップ(バリトン)
ペッペ……セルジオ・ロレンツィ(テノール)
シルヴィオ……ロランド・パネライ(バリトン)
ミラノ・スカラ座合唱団・管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演出:ポール・ハーガー
監督:ヘルベルト・フォン・カラヤン
制作:1968年5月、6月 ミラノ・スカラ座

   マスカーニ:歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》では、フィオレンツァ・コッソット(メッゾ・ソプラノ)が、素晴らしいサントゥッツァを好演しており、カラヤンの「間奏曲」はさすがに美しくて感動的。

   さて、私が、この「道化師」を実際のオペラ劇場で鑑賞して、印象に残っているのは、まず、METでのアンナ・モッフォがネッダを演じた舞台である。
   記録を残していないので、METのHPのアルカイーブをチェックすると、1974年のクリスマスシーズンで、 
ネッダ:アンナ・モッフォ
カニオ:ジェイムス・マックラッケン
指揮:ジョン・ネルソンであった。
   カヴァレリア・ルスティカーナのサントゥッツァは、グレイス・バンプリー。
    丁度、ブラジルへの赴任途中に、ニューヨークへ立ち寄った時である。
   とにかく、モッフォは、天が誤って二物を与えてしまった凄い美人のオペラ歌手で、感動した記憶だけは残っている。

   他で観たのは、ロイヤルオペラとケンウッドの野外オペラで、同じキャストの舞台を鑑賞した。ピエロ・カップチャルリとエレーナ・オブラツオバの凄い舞台に感激した。
   ずっと後になって、このオペラ・ハウスで、ドミンゴ指揮の「パリアッチ道化師」を観たのだが、この時は、この演目だけの舞台であったが、記憶はそれくらいで、あまり鑑賞機会はなかった。 

   オペラの概略は、ウィキペディアを参考に、
   祭日で着飾った村人たちが待ち焦がれる旅回りの座長カニオの一座がやってくる。カニオは「今晩23時から!芝居を観に来てくれ」と宣伝し、ペッペや村の男たちと居酒屋に行く。カニオの妻・ネッダは独り残って自由を楽しんでいるところへ、彼女に思いを寄せるせむしの道化役者トニオが、物陰から現れて口説くが、鞭で打たれて逃げ出す。入れ違いにネッダの愛人である村の青年シルヴィオが現れて愛を交わし駆け落ちの相談をする。それを見たトニオは、仕返しの好機とカニオを呼んでくる。ネッダがシルヴィオに「今夜からずっと、あたしはあんたのもの」と言うのを聞いてカニオはついに逆上、シルヴィオは慌てて逃げ出し、ネッダはカニオに男の名を明かせと責められたが拒む。ベッペが戻ってきてカニオを鎮め、芝居の仕度を促す。カニオは、怒りも悲しみも隠して道化芝居を演じ、客を笑わせなければならない役者の悲しみを歌う。
   



   村人が待ちかねた芝居が始まる。ネッダ扮するコロンビーナが恋人アルレッキーノを待ちわびているところへ、下男タッデーオが現れ言い寄るが蹴り飛ばされる。アルレッキーノとコロンビーナがやっと逢引を始めるところに、タッデーオが「パリアッチョが帰ってきた!」と急を告げる。パリアッチョを演ずるカニオは、コロンビーナが逃げ出すアルレッキーノに向かって「今夜からずっと、あたしはあんたのもの」と言うのを聞いて、それが先ほどと同じ台詞であったので、芝居が現実に暗転して憤怒を呼び起こして狂乱状態に陥る。「やつの名を言え。おれはもう道化師ではない」と狂気して叫ぶカニオの迫真の演技に、村人は拍手喝采する。ネッダは危険を悟り逃げ出そうとするが、カニオは、彼女を刺殺し、いまわの際に「助けてシルビヴィオ」と名を明かしたので客席で見ていたシルヴィオも殺害する。トニオが「喜劇は終わった」と口上。カニオは舞台から転げおち、村人たちが大混乱の中、で幕。
   









   とにかく、超一流のオペラ歌手でありながら、ジョン・ヴィッカーズやライナ・カバイヴァンスカなど主役級だけではなく、どの歌手も歌唱のみならず演技がうまくて舞台俳優や映画俳優に引けを取らないほど素晴らしく、その上、監督がカラヤンだというからびっくりする。
   一部オーケストラパートではカラヤンの指揮が登場するが、完全に映画版のオペラであり、楽しませてくれる。
   半世紀以上も前のオペラであるが、音響も画像も気にならないくらい上質である。
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英国ロイヤル・オペラ ヴェルディ:歌劇《オテロ》1992年 ショルティ80歳 

2025年03月02日 | クラシック音楽・オペラ
    シェイクスピアの四大悲劇 の最高傑作「オセロー」を、ヴェルディが73歳の時に書き上げた後期オペラ歌劇《オテロ》。1992年10月、ショルティ80歳の誕生日を記念して催された特別公演で、ドミンゴ、テ・カナワ、レイフェルカスという最高のキャストによる極め付き公演のDVDを取得して観た。
   丁度この時にロンドンに住んでいて、私自身、この舞台を、ロイヤル・オペラ・ハウスで、実際に鑑賞したので、特別な思い入れがある。
   大変な人気で、ロイヤル・オペラの定期会員権保持者の特権を活用して不可能に近かったチケットを取得した。確か、280ポンドで、日本円で6万円でかなり高かったが、当時は、パバロッティでもそうであった。BBCで放映されたのだが、チャールズ・ダイアナ両殿下のご臨席舞台であり、深刻なシェイクスピアの悲劇でありながら、会場の熱気は凄くて、それに、聴衆も久しぶりのお祭り気分で華やいでいた。 

指揮:サー・ゲオルグ・ショルティ 
演出:エリシャ・モシンスキー
 出演:プラシド・ドミンゴ(オテロ)/キリ・テ・カナワ(デズデーモナ)/セルゲイ・レイフェルカス(ヤーゴ)/ロビン・レガーテ(カッシオ)/ロデリック・アール(モンターノ)/ラモン・レメディオス(ロデリーゴ)/クレア・ポウエル(エミーリア)他
演奏:コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団、合唱団  







   ヴェニスの軍人キプロスの指揮官オセローは、相思相愛のデズデモーナと結婚。オセローが、キャシオーを副官にしたので、旗手イアーゴーは恨んで復讐を策する。キャシオーがデズデモーナと密通していると、オセローに讒言して、嘘の真実味を増幅するために、オセローがデズデモーナに贈ったハンカチを盗み、キャシオーに持たせてオセローを煽る。イアーゴーの作り話を完全に信じ切ったオセローは、デズデモーナの不実に茫然自失嫉妬に苦しみ怒り狂う。イアーゴーにキャシオーを殺すように命じ、自らは必死に哀願するデズデモーナを寝室で絞殺。しかし、イアーゴーの妻のエミリアが、ハンカチを盗んだのは夫であることを告白して悪事が露見、イアーゴーはエミリアを刺し殺して逃げる。オセローはデズデモーナに最後の接吻をして自害して果てる。
   性根邪悪の極悪人イアーゴーの巧みな讒言作り話に、徹底的に煽られ翻弄されて、どんどん正気を失って崩れて行くオセローは哀れだが、本来この戯曲のタイトルが、「イアーゴー」であったというのも分かるような気がする。

   ショルティの神業に近いバトンに鼓舞されて、ドミンゴのオテロとキリ・テ・カナワのデズデーモナの緊迫した愛憎劇が観客を魅了し続けて、憎々しさの際立つ レイフェルカスのヤーゴが、悲劇を煽って2人を奈落に突き落とす。
   死を前にして切々と歌うキリ・テ・カナワのデズデーモナの「柳の歌」の素晴らしさに息をのむ。
   当時、ロイヤル・オペラやMETで、ドミンゴやキリ・テ・カナワを聴いていて、このブログにも書いているので、蛇足は避けるが、とにかく、歴史に残る凄いオペラの世界であった。


   「オテロ」の観劇経験は、リカルド・ムーティ指揮のミラノ・スカラ座の「オテロ」の舞台を日本で二回観た記憶があり、印象深いのは、2005年のロンドン旅でのロイヤル・オペラのルネ・フレミングのデズデモーナの「オテロ」だが、ほかにも結構見ている。
   残念だったのは、1993年のケンウッドのロイヤル・オペラの野外公演 の「オテロ」で、大雨で、憧れのリッチャレッリのデズデモーナの「柳の歌」を聴きそびれたこと。

   さて、指揮者のショルティであるが、この年、ロンドン交響楽団も、ショルティの傘寿の記念公演を催して、ショスタコーヴィッチの交響曲第10番を演奏 した。
   また、ショルティは、ロンドンでも、創立150周年を迎えたウィーン・フィル記念公演を指揮して、メンデルスゾーン「イタリア交響曲」とショスタコーヴィッチ交響曲第5番を演奏し、アンコールに「こうもり序曲」を鑑賞、
   最初にショルティを聴いたのは、ウィーン・フィルを指揮した1970年代の京都文化会館での演奏会なのだが、ロンドンを筆頭に8年間ヨーロッパに居たので、ショルティのコンサートには結構出かけていて、このブログでも度々取り上げている。ハイティンクと共に一番聴いた指揮者かもしれない。
   

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ビゼー:歌劇≪カルメン≫ウィーン国立歌劇場1978年

2025年02月12日 | クラシック音楽・オペラ
   ビゼー:歌劇≪カルメン≫ウィーン国立歌劇場1978年 をDVDで観た。
   指揮 :カルロス・クライバー 
      ウィーン国立歌劇場管弦楽団,
        ウィーン国立歌劇場合唱団,ウィーン少年合唱団
      ウィーン国立歌劇場バレエ団 
   演出:フランコ・ゼッフィレッリ
   ドン・ホセ:プラシド・ドミンゴ, 
   カルメン:エレーナ・オブラスツォワ, 
   エス・カミーリョ:ユーリ・マズロク 
   と言うこれ以上望み得ないほどの夢のような凄い布陣である。
   殆ど半世紀前の1978年の舞台ながら、画像は少し鮮明さには欠けるが、ブルーレイで鮮やかにカルメンの世界を現出して楽しませてくれた。
   とにかく、クライバーもドミンゴも若くて颯爽としている。

   さて、結構、これまでに、カルメンの舞台を観ている筈なのだが、
   強烈に印象に残っているのは、ロンドンのロイヤルオペラで観たアグネス・バルツァのカルメンと大病前のホセ・カレーラスのドン・ホセの舞台。
   カルメンが最初に登場する場面。バルツァが、舞台の左手からメス豹のように野性的で精悍な姿で二階の回廊に躍り出る劇的なシーン、ハバネラを歌う。
   それに、自由奔放かって気ままなジプシー女を一途に愛して、運命に翻弄されながら 必死になってカルメンをかき口説くカレーラス、
   もう一つ忘れられないカルメンの思い出は、フィラデルフィアでの、ジュゼッペ・ディ・ステファーノとのマリア・カラスの最後のフェアウエル・コンサート、
   最後に、マリア・カラスは、カルメンの第4幕の幕切れ直前のホセと諍いナイフで殺される劇的なシーンを、あの精悍で美しい凍りつくような表情で歌いきった艶姿。 

   ところで、このクライバー版の「カルメン」、実に素晴らしい舞台である。
   まず、ゼッフィレッリの演出・舞台・衣装であるから、定番のイタリア舞台ほどの擬古的華麗さはないが、微に入り細に入り実に入念な演出のために非常に美しくて細部に至るまでナラティブで、随所にちりばめられたフラメンコなども感興をそそり、ムンムンとしたスペインムードに引き込まれてゆく。
   カルメンのロシアのメゾ・ソプラノ:オブラスツォワは、全く聴いたことがなかったので新鮮な印象だが、1977年12月に、スカラ座200周年のシーズンのオープニング公演『ドン・カルロ』で、アバドの指揮の下、エボリ公女を演じたというから、このテレビ用プロダクション「カルメン」は、欧米への登場初期の偉業だったのであろう。バルツァのような突っ張った女ではなく女性を感じさせる個性的な骨太の演技と風貌で、目の表情が豊かで、歌唱演技ともに気負いなくエキゾチックなジプシー女を表出していて興味深い。
   ドミンゴのホセは、カレーラスのイメージとは違うが、随分若くて重厚感が増す前の初々しい舞台であったので、まさに打って付のホセと言う感じで、とにかく、絶好調の素晴らしい歌唱が感動的。第一幕のカルメンとドン・ホセの長い二重唱 「花の歌」の後の熱狂した観客の怒号のような激しいカーテンコールが鳴りやまない。
   エス・カミーリョのユーリ・マズロクは、ロシアの名バリトンで、ボリショイ劇場を中心に活躍し、1970年代は「エフゲニ・オネーギン」の歌唱で一世を風靡 したという。なかなか板についた伊達男の闘牛士で、同じロシア人の オブラスツォワとは相性が良かったのであろう。
   私は、ずっと昔に、マドリードとメキシコ・シティで、闘牛を見ているので、第4幕を見ながら熱狂ぶりを思い出して懐かしくなった。




   指揮のクライバーは、カラヤンやバーンスタインなど殆ど聴いているのだが、唯一舞台で聴いたことのない往年の名指揮者で憧れであった。
   若々しくて紳士然とした踊るような美しい指揮姿が印象的で、カルメンの登場時の躍り上がる迫力は満点であり、緩急自在のメリハリの利いた流麗な指揮スタイルは見ているだけでも楽しい。
   とにかく、極め付きの映像芸術!
   クライバーあっての感動的な「カルメン」である。


   

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鎌倉交響楽団:第九コンサート

2024年12月23日 | クラシック音楽・オペラ
   22日、鎌倉芸術館で、鎌倉交響楽団の「第九コンサート」が開催された。 
曲目は、ヴェルディ オペラ「ナブッコ」序曲
   ベートーヴェン 交響曲第9番二短調作品125「合唱付」
出演は、
   富澤裕(指揮)
   鎌倉交響楽団(管弦楽)
   川越未晴(ソプラノ)
   藤田彩歌(メゾソプラノ)
   山中志月(テノール)
   宮下嘉彦(バリトン)
   鎌倉芸術館第九合唱団(合唱)
   合唱指導:富澤裕、辻端幹彦

   管弦楽は、素人楽団ながらかなり水準の高い演奏で、富澤裕の指揮のもと、本格的なオペラ歌手のソリストと300有余の重厚な合唱団に増幅されて、素晴らしい第九の世界を魅せてくれた。

   半世紀以上も、クラシック・コンサート行脚を続けているので、随分、色々なところで、第九を聴いてきた。
   フェスティバルホールでのカラヤン指揮ベルリン・フィル、アムステルダムのハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管、ロンドンのロイヤル・アルバートホールでのアシュケナージ指揮ベルリン放送管、ロンドンのセントポール寺院でのクルト・マズア指揮のニューヨーク・フィル、その他内外楽団でいろいろ、
   演奏はそれぞれであり、その時々で感激し感動し続けてきたが、すべて忘却の彼方、
   この日も、改めて、鎌倉交響楽団の第九コンサートで、同じ感動を味わった。ベートーヴェンは凄い!
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NHKBSP4K:バイロイト「トリスタンとイゾルデ」

2024年09月23日 | クラシック音楽・オペラ
   NHKBSP4Kで、2024年7月25日に収録されたバイロイト祝祭劇場バイロイト音楽祭2024 楽劇「トリスタンとイゾルデ」が放映された。
    ワーグナー 作曲   
   演出:ソルレイフル・オーン・アルナルソン
    出演:トリスタン:アンドレアス・シャーガー 、イゾルデ:カミッラ・ニールント 、国王マルケ:ギュンター・グロイスベック 、クルヴェナール:オウラヴル・シーグルザルソンほか、
   合唱:バイロイト祝祭合唱団  
   管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団   
   指揮:セミョーン・ビシュコフ  

   私が初めて見た最初の本格的なオペラが、このワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」。
   大阪国際フェスティバル1967でのバイロイト祝祭劇場の引っ越し公演で、4月の某日に、月給1か月分を叩いてチケットを買って出かけたので、よく覚えている。(ピエール・ブーレーズ指揮、NHK交響楽団)
   丁度、直前に、カール・ベーム指揮のバイロイトのレコードが出て、イゾルデがビルギット・ニルソン、トリスタンがウォルフガング・ヴィントガッセン で主役が同じなので、何度も聞いて予習をした。
   しかし、ロンドンに5年居たので、ハイティンクがロイヤルオペラで振ったお陰で、ワーグナー・オペラの舞台は殆ど観ているが、このトリスタンとイゾルデを、実際の舞台で鑑賞したのは、
   先述のウイントガッセンとニルソンのバイロイトを皮切りに、ロンドンで、ウエールズ・ナショナル・オペラとロイヤル・オペラ、それに、ウルトラウト・マイヤーのベルリン・オペラだけで、あれだけレコードやCDを聴いてワーグナー節が頭にこびりついているのに、鑑賞機会は非常に限られているのである。
   最も最近に聴いたのは、METライブビューイングの舞台で、もう、随分前になり記憶は殆どないのだが、
   大阪フェスティバルのワーグナーの孫・ウイーラント・ワーグナーの演出は、幽かに原色のバックが浮かび上がる殆ど真っ暗で何もない舞台の奥の、全くと言って良いほど動きの止まった空間から、延々と歌手達の歌声とオーケストラのうねるようなコワク的な音楽が迸り続けると言う感じは、今でも覚えている。
   今回の舞台は、演出のソルレイフル・オーン・アルナンソンによる新演出版 で、船底ようの舞台に擬古的な芸術品や装飾品で飾った趣向を凝らした舞台で、なかなか趣があって興味深い。

   このオペラは、ワーグナーには珍しく神が登場しない至上の愛の物語。
   コーンウオールのマルケ王に嫁ぐ為に帆走されてきたアイルランドの王女イゾルデが、それが嫌で、着船間際に死のうとするのを、侍女のブランゲーネが避けるために、毒薬と愛の妙薬をすり替えて与えた。マルケ王の甥で迎えの使者として来た自分の許婚を殺した憎いトリスタンと一緒に飲んでしまった二人は、たちまち恋に落ちてしまう。
   王妃ながら王の目を盗んで密会していた二人の愛の絶頂に、マルケ王達に踏み込まれ、禁断の恋が露見する。トリスタンは、裏切った忠臣メロートに刺されて重態となり故郷に帰り養生するが良くならず、会いに来たイゾルデの前で息絶える。
   こんな話を、ワーグナーは3幕ものの4時間以上のオペラに仕上げたのだが、主要登場人物も限られていて、心情描写の微妙な対話が延々と続き、殆ど舞台にも動きがなく、壮大な合唱もなければスペクタクルもない息詰まるような重厚なオペラ。
   
   私が一番気に入っているのは、第二幕の、トリスタンとイゾルデが、禁断の恋に酔いしれて歌い続ける「愛の二重唱」。
   長大な螺旋を上りつめて行くように延々と続くあまりにも甘味で美しいトリスタンとイゾルデの愛の交歓で、これを聴きたくて出かけて行くようなものである。
   


   ウィキペディアによると、この長大な「愛の二重唱」は、実演では「愛の二重唱」前半の「昼の対話」部分が342小節に及びカットされる場合がある。約15分間にわたるこのカットは、第3幕のトリスタンの長丁場のために、スタミナを温存させる配慮からなされたものである。1951年のバイロイト・ライヴ以降、こうした短縮は基本的に禁じられた。という。
    ところが、今回の演出は、短縮版で、トリスタンとイゾルデがサワリを歌うだけで、急にマルケ王とメーロトたち従臣が踏み込んでくる。 
   全くの拍子抜けで期待外れであった。
   

   コンサートなどで、「前奏曲と愛の死」が、演奏されることがあり、素晴らしい録音も多いが、傑出したワーグナー歌手が歌う終幕のイゾルデの「愛の死」は、感動的である。
   
イゾルデの愛の死

   さて、カミッラ・ニールント は、 1968年生まれのフィンランドのソプラノで、世界中で活躍しており、レオノーレやヴェルディのエリザベッタ、ワーグナーのエリザベートやジークリンデと言ったリリックードラマチックなロールで国際的名声を博している。バイロイトでは、2011から14まで、タンホイザーのエリザベートを歌っており、祝祭デビューは、2017年のワルキューレのジークリンデ。
   「トリスタンとイゾルデ」を始めて歌ったのは、2018年4月のカーネギーホールでのアンドリス・ネルソン指揮のヨハネス・カウフマンとのボストン交響楽団の演奏会だったという。

   アンドレアス・シャーガー は、オペレッタのテノールからキャリアーをスタートしたオーストリアの歌手で、ワーグナーのトリスタン、ジークフリートやパルジファルと言ったヘルデンテノールに進み、ベルリン国立歌劇場の歌手として、スカラ座やバイロイトなどの国際舞台で活躍している。
   バイロイト祝祭でのデビューは、2016年にさまよえるオランダ人のエリクで、2017年と18年に、パルジファルを歌っている。

   指揮者のセミョーン・ビシュコフは、ロシア出身の卓越した指揮者で、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の指揮を打診されるが、政治信条を理由に公演が流れ、1974年にソ連から亡命して、欧米で活躍。数奇な運命を辿りながら、 現在はチェコ・フィルの音楽監督であり、カラヤンを尊敬していたというから、膨大なクラシック音楽要素が結集した指揮者なのであろう。
   
愛の妙薬を握りしめながら
カーテンコール

指揮:セミョーン・ビシュコフ
   
   

   
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NHK BS:ウィーン国立歌劇場「トゥーランドット」

2024年08月05日 | クラシック音楽・オペラ
   昨年12月に上演されたウィーン国立歌劇場の歌劇「トゥーランドット」(プッチーニ) アスミク・グリゴリアン&ヨナス・カウフマン スター歌手の競演!を、NHK BSが7月に放映した。

   NHK解説の番組内容は、
   ウィーン国立歌劇場 歌劇「トゥーランドット」(プッチーニ) 当代きってのスター歌手がタイトル・デビュー。役になりきった圧巻の歌唱は必見! 出演:アスミク・グリゴリアン(トゥーランドット)、ヨナス・カウフマン(カラフ)、イェルク・シュナイダー(皇帝)、クリスティーナ・ムヒタリヤン(リュー)他 管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団、指揮:マルコ・アルミリアート 演出:クラウス・グート

   プッチーニが、「トゥーランドット」を未完で世を去ったので、「リューの死以降」を補筆したのが、フランコ・アルファーノだが、初演を指揮したトスカニーニが大幅に削除を要求して、以降このカット版で上演されてきた。しかし、今回は、完全版の上演だという。

   それに、古代の中国ムードたっぷりのエキゾチックな従来のような舞台ではなく、今回は、
   ファシズムの影が差す、初演時のヨーロッパの連想から、演出家グートは、舞台から中国趣味を排除して、カフカとジャック・タチ「プレイタイム」をヒントにスタイリッシュな不条理空間を創造するという。
   衣装も、口絵写真のとおりで、合唱団はもちろん殆どの出演者は背広や洋服姿であり、セットもシンプルで、時空を超えた中性の演出。
   時代考証のしっかりした演出のオペラが好きだし、
   これまでの、中国趣味の「トゥーランドット」の舞台の印象が刷り込まれているので、華麗なプッチーニ節はそのままとしても、やや、戸惑いを感じた。

   さて、この「トゥーランドット」は、ペルシャなどの「謎かけ姫物語」の一類型。
   先祖の姫が異国の男性に騙され、絶望のうちに死んだので、世の全ての男性に復讐を果たすために、絶世の美女トゥーランドット姫 は、言いよる王子たちに三つの謎を与えて解けなかったので総て斬首する残忍な話。ところが、一目ぼれしたチムールの 王子カラフが謎解きに成功して氷のように冷酷なトゥーランドットを陥落させる。勿論、カラフの愛をすぐに受け入れる姫ではなく、拒絶して逃げるので、カラフが自分の名前を言えば許すという。
   ここで、名前を探索するために布告を出す有名なアリア「「誰も寝てはならぬ」Nessun dorma 」の舞台。トゥーランドットは、唯一名前を告白できるチムールの娘リュー(カラフに密かに想いを寄せる召使)を痛めつけるが、自殺する。
   この舞台では、秘密を守り抜いて喜びさえ感じて死んでゆくリューに、何故それほどまでに強いのかと問い詰めて、「愛」だと応えられて、自殺にショックを受けて思いつめるトゥーランドットを描いていて印象的であった。
   終幕に、玉座の前に進み出た姫が、「彼の名は……『愛』です」と宣言する のだが、このオペラのメインテーマは、「愛」であり、氷の女トゥーランドット姫の謎解きの熾烈さ冷酷さと対比させたのである。
   トスカニーニが削除した部分がどこか良く分からなかったが、カラフに接吻されて一変したトゥーランドットが、最初会ったときからカラフに英雄の姿を感じて愛を覚えたと心情を吐露していたので、このあたりであろうか。

   オペラで、最も好きなキャラクターの一人がリューなのだが、このオペラでも、第1幕の、「「お聞き下さい、王子様」Signore, ascolta 」から、第3幕のトゥーランドットへ歌いかける「心に秘めた大きな愛です」Tanto amore, segretoと「氷のような姫君の心も」Tu che di gel sei cinta 等々、切々と歌い上げる美しい愛の賛歌ともいうべき素晴らしいアリアを歌って感動的であり、クリスティーナ・ムヒタリヤンはすごい歌手である。

   さて、次の写真は、主役のアスミク・グリゴリアン(トゥーランドット)とヨナス・カウフマン(カラフ)の二人。
   文句なしに、感動的な素晴らしい舞台を見せて魅せてくれた。コメントなどは蛇足なので止める。
   美しいプッチーニ節を連綿と情感豊かに歌わせるマルコ・アルミリアートの指揮の冴え。
   とにかく、久しぶりの「トゥーランドット」。感激頻りであった。
   


  

   さて、ビデオも含めて随分「トゥーランドット」の舞台を観ている印象だが、このブログの記録によると、ニューヨークのMETとロンドンのロイヤル・オペラで1回ずつ、それに、イタリア・ヴェローナのローマ時代の野外劇場で 鑑賞して、最も最近は、ウクライナ国立歌劇場の来日公演であるから、随分前の話である。

   やはり、一番印象的であったのは、ヴェローナのローマ時代の古代劇場の舞台で、記録を再録すると、
   ヴェローナ野外オペラは、世界屈指の夏のオペラフェスティバルなので、その壮大なスケールに圧倒されるのだが、兎に角、舞台そのものが巨大なアリーナの一角に設営され、横幅の長さは端から端まで大変なもので上は観覧席の最上階までを使っての公演であり、開演前に場外に置かれている舞台装置や道具を見ても巨大な高層ビルほどの大きさもあり度肝を抜かれる。
   トゥーランドット(アンドレア・グルバー)を載せて舞台を動くドラゴンの迫力も凄いが、広大な舞台を埋めつくす多くの兵士や群集の数など大変なもので、その群衆たちが舞台を縦横無尽に移動しながら合唱やバレエを演じるのであるから、そのスペクタクルは特筆に価する。
   片隅に設えられた舞台で、ホセ・クーラのカラフが「ネッスンドルマ 誰も寝もやらず」を歌い始めると巨大な場内も水を打ったように静かになる。
   このローマの野外アリーナは非常に音響効果が良いのである。
   グルバーのトゥーランドット、ホセ・クーラのカラフ、マヤ・ダシュクのリューの素晴らしさは言うまでもないが、イタリアのコーラスの途轍もないサウンドの凄さ、バレエの迫力、とにかく圧倒的なトゥーランドットの舞台であった。

   翌日観たのは、壮大なスペクタクル演出の「アイーダ」。
   「ロメオとジュリエット」の故郷、ヴェローナは素晴らしい古都である。
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NHK BS4K スカラ座「ドン・カルロ」

2024年05月11日 | クラシック音楽・オペラ
   5月5日、NHK BS4Kで、ミラノ・スカラ座 ヴェルディ作曲 歌劇「ドン・カルロ(1884年ミラノ4幕版)」 が放送された。
   収録:2023年12月7日 演出:ルイス・パスクワル
  <出演>は、次の通りで、凄い布陣である。
  フィリッポニ世:ミケーレ・ペルトゥージ
  ドン・カルロ:フランチェスコ・メーリ
  ロドリーゴ:ルカ・サルシ
  大審問官/修道士:パク・ジョンミン
  修道士(カルロ五世):イ・ファンホン
  エリザベッタ:アンナ・ネトレプコ
  エボリ公女:エリーナ・ガランチャ ほか
  合唱:ミラノ・スカラ座合唱団
  管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団
  指揮:リッカルド・シャイー

   さて、2年前に、METライブビューイングの舞台をレビューして書いたが、私がドン・カルロの実演を観たのは次のたった一度だけで、
   1989年4月3日、ロンドンのロイヤルオペラの舞台であった。
   5人のトップ歌手が揃わないと上演出来ないと言う至難のオペラで、鑑賞するチャンスが極めて希有だと言う。
   指揮 リチャード・アームストロング 演出セット衣装等 ルキノ・ヴィスコンティ
   ドン・カルロス:デニス・オニール フィリップ2世:サミュエル・レイミー ロドリーゴ:ジノ・キリコ
   エリザベート:カーティア・リッチャレッリ エボリ公女:アグネス・バルツァ
   これも素晴しいキャストで、感動したという記憶だけは残っている。登場のオペラ歌手も、すべてロイヤルオペラで聴き続けて知っていたので、イメージが湧いていたし、特に、リッチャレッリとバルツァは、憧れの歌手であった。

   今回の舞台は、冒頭の第1幕の、カルロと許嫁のエリザベッタが愛を育む「フォンテンブローの森」が省略された短縮版で、
   既に父王フィリッポ二世の王妃になったエリザベッタを諦めきれないカルロの苦悩からスタートする。後半、国王は、二人の関係に苦しみ王妃に愛されない悲哀と孤独に苛まれ続ける。
   カルロは、唯一の理解者で親友の、ポーザ侯爵ロドリーゴに励まされ、カトリック教のスペインに弾圧されて虐げられているフランドルの民を救うため、戦いに加わることで愛の苦悩を忘れるよう促される。
   全編を通じて、カルロとエリザベッタの愛の交流が主旋律だが、副主題として、カルロに思いを寄せる王妃の女官エボリ公女の恋の鞘当てが絡み、運命を翻弄する。
   国王を賛美する大聖堂前の大広場では、異端者が火刑に処されるところへ、王子カルロがフランドルの使節たちを連れて現れ、フランドルの救済を願い出るが、国王は聞く耳を持たない。興奮して思わず剣を抜いたカルロは、反逆罪で捕らえられて投獄される。
   ロドリーゴは、反逆者はカルロではなく自分だということにして身代わりになって、カルロの独房にやってくる。フランドルの救済をカルロに託し、自らは暗殺される。このとき、カルロの解放を求めた民衆の暴動が起きて、その騒ぎに紛れて、エボリがカルロを牢から逃がす。
   静かな修道院で、昔の幸せを思い出しながらエリザベッタが待っているところへ、カルロが現れ、スペインを捨ててフランドルへ行き、自由のために戦うのだと告げエリザベッタも唱和して、二人は天上での再会を約して永遠の別れを告げる。
   フィリッポ2世がやって来て、カルロを捕らえようとしたが、そこへ先王カルロ5世の亡霊が現われて、カルロを連れ去る。
   
   私が注目したのは、マドリードの王宮の王の書斎の場での国王の独白で、ウィキペディアをそのまま引用すると、
   妃に一度も愛されたことがなく、今や息子にも裏切られた国王は、王として生きることの苦難について瞑想し、孤独にアリア「ひとり寂しく眠ろう」を歌い悲しみ吐露する。感情的な疎外感からの自己憐憫(弦楽器による執拗な音型の繰り返しを伴い「彼女は私を愛したことがない」という激しい感情の発露で頂点に達するアリオーソ)から死についての暗澹たる瞑想を経て自からの権力についての再認識し、最後には感情の高揚で終結するアリアとなっている。
   ところで、歴史上は、フィリッポ2世は、
   スペイン絶頂期に君臨した国王で、絶対王制の代表的君主であり、その治政はヨーロッパのみならず、中南米・アジアにも及ぶ大帝国を支配し、その繁栄は「太陽の沈まない国」と形容されたほどの史上屈指の権力者であった。
   その偉大なフィリッポ2世が、シラーの作とは言え、このオペラでは、悲哀の限りを慨嘆して泣くという落差の激しさ、
   何度かスペインを訪れて、その偉大さを実感しているのだが、歴史の虚実の不可思議さをを感じながら、素晴しいミケーレ・ペルトゥージのアリアを感慨深く聴いていた。
   それに、オランダに3年間住んでいたので、フランドルの歴史を反芻して、往時の世界史に思いを馳せた。

   このオペラでは、感動的なアリアが鏤められているのだが、終幕のエリザベッタが歌うアリア「世のむなしさを知る神よ」が胸を打つ。プーチン支持でMETを干されているアンナ・ネトレプコだが、情感豊かに切々と歌う、千両役者の貫禄である。
   軽く手を叩きながら、シャイーは、拍手の鳴り止むのを長い間待ってからバトンを振った。
   
   
   カルロの「美しい夢を見ました」に続いて、二人の二重唱「天国で会いましょう」と、別れの悲しみをうたい上げる二重唱「永遠にさらば」が、悲劇の終幕を純化して感動的である。
   

   タイトルロールのドン・カルロのフランチェスコ・メーリを凌ぐほどの歌唱の魅力を示すのはロドリーゴのルカ・サルシ、
   それに、アリアが多くて起承転結の激しい役柄を器用に熟して性格俳優ぶりも演じきるエボリ公女のエリーナ・ガランチャも凄い。
   METライブビューイングで、ネトレプコとガランチャの舞台に魅了されてきたが、今回も素晴しい舞台に接して感動した。
    
   指揮者のリッカルド・シャイーは、オペラを聴いた経験はないが、コンセルトヘボウの指揮者であったので、結構聴いている。
   ハイティンクからシャイーに変って、一気に重厚なコンセルトヘボウのサウンドが明るくなった感じがした。

   この舞台は、特に衣装が当時を再現した豪華な出で立ちで素晴しく、それに、合唱団も多くて、舞台セットも、大聖堂やエスコリアルなどをイメージしたクラシカルでシックなので、まさに、打って付けの演出効果であった。
   もう一度、METライブビューイングの録画を観ようと思っているが、流石に、ヴェルディの凄いオペラである。
   
   
   
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NHK:バイエルン国立歌劇場 喜歌劇「こうもり」

2024年04月18日 | クラシック音楽・オペラ
   NHK BS4Kで、バイエルン国立歌劇場 喜歌劇「こうもり」(ヨハン・シュトラウス作曲)。歌劇場管弦楽団創設500年を記念した豪華な公演。を鑑賞した。

   演出:バリー・コスキー 出演:ゲオルク・ニグル(アイゼンシュタイン)、ディアナ・ダムラウ(ロザリンデ)、アンドリュー・ワッツ(オルロフスキー公)、ショーン・パニカー(アルフレート) 、マルクス・ブリュック(ファルケ) 、ケヴィン・コナーズ(ブリット) 、カタリーナ・コンラーディ(アデーレ) 、ミリアム・ノイマイヤー(イーダ) 、バイエルン国立歌劇場合唱団 、合唱指揮:クリストフ・ハイル 、バイエルン国立歌劇場管弦楽団 、 指揮:ウラディーミル・ユロフスキ、
   とにかく、全編、華やかなワルツに彩られたヨハン・シュトラウス節に紡がれたウィーンを舞台にした楽しい喜歌劇で、第二幕のオルロフスキー公爵邸での豪華絢爛たる舞踏会の様子など特筆ものである。

   「こうもり」を、最近レビューしたのは、2021年末のウィーン国立歌劇場のライブ配信の舞台だが、私が最初に観たのも、1974年のヨーロッパ旅行の時に、大晦日の夜にここで観た舞台。
   元旦のニューイヤーコンサートの前日で、観客も全員正装していて、豪華な宮殿のような劇場が、王朝時代のような華やかさで匂い立つ。
   「こうもり」の舞台は、比較的少なくて、ロンドンに居た時に、ロイヤルオペラで2回、2008年8月に、小澤征爾の「こうもり」、2015年5月に、ウィーン・フォルクス・オーパーの来日公演、
   他には、新日本フィルのコンサート形式の演奏などだが、各舞台ともワクワクしながら愉しませて貰った。

   さて、この喜歌劇がなぜ「こうもり」なのか、
   3年前ファルケとアイゼンシュタインが仮面舞踏会に出かけた帰りに、アイゼンシュタインが、酔いつぶれたファルケを公園に放置して帰ってしまったので、朝方目を覚ましてこうもりの変装のままだったので散々嘲笑されて恥をかかされたので、こうもり博士と言われ続けたファルケの仕返し。
   ファルケは、ロシアのオルロフスキー公爵邸で開かれた大舞踏会を、どんでん返しの喜歌劇に画策。極めつきは、仮面を付けて現われたハンガリーの貴族の淑女に、アイゼンシュタインがゾッコン惚れ込んで口説き落としたつもりが、実は、妻のロザリンデであったという話。
   侮辱罪で収監される直前にパーティにトンズラしたアイゼンシュタイン家に、ロザリンデに思いを寄せているアルフレートが忍び込んできて、口説いているところに刑務所長のブリットが現われて、アイゼンシュタインだと勘違いして逮捕。第3幕の刑務所の場で、二人がかち合わせて、大混乱。夫妻の不実が分かり仲直りで大団円。
   
   ダムラウのハンガリアン「チャルダッシュ」のコケティッシュな魅力や、カウンターテナーのワッツのロシア公爵の艶やかさ、ニグルの軽妙洒脱な演技や達者なステップの確かさ、狂言回し師としての策士然としたブリュック、小間使いながら女優を目指すコンラーディの絶好調の歌唱、それに、
   とにかく、コナーズの型破りの女性趣味の刑務所長や牢番のタップダンスなどが、これまでの刑務所の雰囲気をがらりと変える演出で面白い。

   オーストリーやドイツの歌劇場では、大晦日に、この「こうもり」を上演して古い年を、笑い飛ばして送り、新年を迎えるという。
   何となく、年末年始を、ヨハン・シュトラウスのワルツで送り迎えする気持ちが分かって興味深い。
   
   
   
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インバル/都響:マーラー「交響曲第10番 」でコンサート鑑賞卒業 そして 小澤征爾

2024年02月23日 | クラシック音楽・オペラ
   2月22日の都響C定期公演は、
出 演 指揮/エリアフ・インバル
曲 目 マーラー:交響曲第10番 嬰へ長調(デリック・クック補筆版)
   マーラー未完成の最後の交響曲であり、73分の大曲である。
   インバルによると、この曲は「別れ」を告げていて、死後に彼が復活し、人生や死について回想しているかのようだと言う。

   私にとっては、このコンサートが、シーズンメンバーチケットを購入して定期会員として、コンサートホールに通う最後の演奏会であったが、素晴しい1日であった。
   傘寿を超えて大分経つと移動が不自由になって、鎌倉の田舎から池袋の芸術劇場への往復が苦痛になり始めて、今期で定期会員権を放棄したのである。
   昔のように、トップ公演のコンサートと雖も全く食指が動かなくなったので、特別な公演でない限り、劇場に通うことはないであろう。

   定期会員権継続は、アメリカ留学寺に、フィラデルフィア管弦楽団の2年間に始まって、アムステルダム・コンセルトヘボウ管、ロンドン交響楽団、ロイヤル・オペラ、新日本フィル、都響と、ほぼ半世紀の長いクラシック行脚だったが、それとは関係なく、ウィーン・フィルやベルリン・フィル、METやミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場、そして名だたるソリストなどと言ったトップ公演にも頻繁に出かけていたので、クラシック音楽には愉しませて貰った。
   帰国してから、小澤征爾を聴きたくて新日本フィルに通ったが、出場しなくなったので、都響に鞍替えしてもう10数年になるが、N響の定期券を持っていたこともあった。
   ステレオレコードが出始めた頃から、LPレコードに入れ込み始めて、ビデオ、レーザーディスク、CD、DVDなどと集めた音源も膨大な量で、NHKやWOWOWなどから録画したDVDも溢れるばかり、
   60年以上もクラシック音楽に付き合っていると色々なことがある。マーラーも随分聴いてきたと思う。

   さて、先に逝った小澤征爾には、数々の思い出がある。
   小澤征爾の演奏に最初に接したのは、1974年だったが、ウォートン・スクールで勉強していた頃で、フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで、ブラームスなどを聴いた。サンフランシスコから、ボストン交響楽団の指揮者に移った直後の遠征公演であった。
   この時、オーマンディの部屋を借りたのであろう、あの「小澤征爾の指揮棒」で書いた指揮棒を借用したのかも知れない。
   その後、ロンドンで、サイトウ・キネンで一回、他にも何回か機会があったが、出張していたりキャンセルがあったりで機会を逸し、
   日本では、ウィーン国立歌劇場の来日時と小澤征爾音楽熟オペラ「こうもり」と「カルメン」やサイト―・キネン・フェスティバル松本など、それに、新日本フィルの定期会員券を持っていた。最初は、定期公演8回の内、2回は振っていたので、結構、小澤の演奏を楽しめたが、その後、1回となり、振らなくなってしまったので、都響に切り替えた。

   昔、小澤征爾のドキュメントをテレビで見ていて、早朝真っ暗な時間に起きて総譜を勉強しながら、毎日が、このエッヂを歩いているようなもので、何時、奈落に転落するか分からないと、机の縁に指を這わせていたのを強烈に覚えている。
   カラヤンの弟子になった2か月後、バーンスティンのオーディションがあって合格して、一年間と言うことで出かけたが、帰れず、カラヤンのところに居たのは4か月だったが、カラヤンは死ぬまで、小澤を弟子だと人に言って何くれと面倒を見てくれたと言う。これも、テレビのドキュメントだが、小澤が、カラヤンの前に跪いて、オペラの指揮が上手く行かないのですがと聞いたところ、何回やっているのだとたしなめられていたのを覚えている。

   小澤のイギリスでの評判は大変なもので、ロイヤル・フェスティバル・ホールでのロンドン交響楽団の演奏会でのこと。直前になって、小澤がボストンから来られなくなって代役指揮者で演奏会を行うことになった。ソリストは、世界的チェリスト・ロストロポービッチ。演奏会当日、係員がホールの戸口で、入場者の一人一人に、詫びながら「マエストロ・オザワが来られません。ご希望なら払い戻しいたしますが如何でしょうか?」と聴いていた。50センチしか離れていない後の家内にも言っていた。指揮者やソリストの変更は日常茶飯事でオペラやクラシック・コンサートの宿命、5年以上ロンドンの劇場に通い詰めていたが、後にも先にも、こんな光景は見たことがない。

   先日、小澤征爾の追悼番組で、2002年のウィーン・ニューイヤー・コンサートが放映されていた。バーンスティン譲りであろうか、華麗な指揮ぶりが強烈な印象を醸し出して感激。色々な番組に接して、欧米で最高峰の指揮者に上り詰めた中国生まれで日本人の巨大なコスモポリタン音楽家の偉大さを改めて感じた思いであった。
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NHK:ザルツブルク音楽祭2023 歌劇「マクベス」

2023年12月28日 | クラシック音楽・オペラ
   ザルツブルク音楽祭2023▽歌劇「マクベス」(ヴェルディ)鬼気迫る歌唱と演技は必見! 出演:ウラジスラフ・スリムスキー(マクベス)、アスミク・グリゴリアン(マクベス夫人)他 演出:クシシュトフ・ヴァルリコフスキ と言う番組を、NHK BSで鑑賞した。

   舞台は中世スコットランド 勇敢な武将とその妻は 魔女の予言に翻弄され 国と己を破滅させて行く 物語である。

   さて、冒頭に語るべきは クシシュトフ・ヴァルリコフスキの演出、
   映画をはじめとする 文化的象徴を大胆に取り入れ 作品解釈の更新を迫るポーランドの鬼才 と言うのだが、
   解説では、彼は、
   マクベス夫妻に子供が育たなかったと言う原作を設定を元に「医師に赴任を知らされた夫妻の絶望」をすべての発端とした
   また、パゾニーニ監督の映画や のちに恐怖政治をもたらした フランス革命の母体 ”球戯場の誓い”の室内テニスコートを導入し 政治システムと独裁者との関係を問い直す と言うことで、冒頭の舞台セットは、室内テニスコートで 普段は陰鬱で暗い魔女の登場も、舞台下手から賑やかな魔女集団が移動舞台で接近すると言う状態。

   ヴェルディの台本は、1865年のパリ版をベースにしているのでオリジナル通りに上演されているのであろうが、これまで見てきたオペラの舞台やシェイクスピア戯曲の舞台とは殆どかけ離れた公演で、時代考証などあったのかどうか、とにかく、意表を突いた舞台で、「マクベス」を観た聴いたと言った感じがしない不思議な感覚である。
   舞台セットがシンプルで、衣装が現代風であり、舞台展開が殆どないので、シーン展開のメリハリがなく、戯曲をよく知らない観客には、ストーリーを追い難いであろう。
   本来、シェイクスピアは観るではなく、聴くと言うパーフォーマンス・アーツなので、原点に戻ったと思えば何でもないのであろうが、通常、タップリとストーリー展開豊かな舞台に慣れた観客には、フォローに苦労しよう。

   さて、マクベスが、宴会途中で、殺害した盟友バンクォーの亡霊の幻影を観て狂乱するシーンだが、この演出では、マクベスがなぐり書きした風船がそれに見えて怯えると言う演出になっているのだが、ヴェルディは、本番前の演出指導で、亡霊は地下から現われるべきで、それは、バンクォーを演じた同じ人物でなくてはならず、人形ではなくて、生身の人間でなければならないと釘を刺している。
   ヴェルディは、オペラを総合芸術と考えて、音楽だけではなく、音楽と視覚の両方から総合的に表現される効果を追求していたというのである。

   もう一つ、強気一点張りの妻もダンカン王暗殺の罪に苛まれて狂い死にするのだが、この舞台では、何故か生き返って死ぬはずのマクベスににじり寄って行き二人一緒に電源コードでぐるぐる巻きに縛られて幕となる。
   確か、蜷川幸雄の舞台で、栗原小巻の鬼気迫る感動的な狂乱の場を観た記憶があるのだが、今回は、すっぽ抜けの演出であった。

   舞台の背後にモノクロの映像スクリーンがあって、隠れた舞台の情景などが映されていて面白い。例えば、ダンカン王暗殺のシーンでは、舞台ではカーテンで仕切られた内部で行われていて客席からは見えないが、カーテンの中のカメラがそのシーンをスクリーンに映し出す。

   ところで、マクベス夫妻が不妊だったという件に付いては、これまで、シェイクスピア関係の本を結構読み、舞台も結構観てきたが、聴いたことも見た記憶もない。舞台にバンクォーに似た子供が随所に、そして、最後の舞台にも現われたが、この舞台で、どう描かれたのか良く分からなかった。

   ヴェルディの歌劇でありながら、ベルカント、美しいアリアもなければ感動的な愛の二重唱もない、重厚な悲劇的な心理劇に徹したオペラであるが、流石にウィーン・フィルの演奏で、指揮者フィリップ・ジョルダンの冴えたバトン捌きが、感動的なシェイクスピアの物語を紡ぎだす。
   何故か、イングリッシュ・ナショナル・オペラの舞台だけ、微かに印象に残っている。

   余談ながら、ザルツブルグには、二回訪れており、最初に訪れた1973年の年末に、このザルツブルグ祝祭劇場で、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」を鑑賞した。

   それはそれとして、マクベスとマクベス夫人を演じた、ウラジスラフ・スリムスキー(マクベス)、アスミク・グリゴリアン(マクベス夫人)は、実に素晴しい歌手で感激した。
   ウラジスラフ・スリムスキーは、ベラルーシのバリトンで、ザルツブルグでは、2018年に、Tomsky (Pique Dame)でデビュー、
   アスミク・グリゴリアンは、リトアニア出身のドラマティック・ソプラノ、2022年ザルツブルク音楽祭の目玉プッチーニ「三部作」3役を歌い上げてニューヒロインとして話題になったという。

   二人の玉座を得た驚喜するシーンを転写しておきたい。ラストは、正気に戻った第2幕への転換のファースト・ショット。
   
   
   
   
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相曽賢一朗 & ヴァレリア・モルゴフスカヤ デュオ・リサイタル 2023

2023年11月23日 | クラシック音楽・オペラ
   恒例の相曽賢一朗 のヴァイオリン・リサイタルが、昨年同様「相曽賢一朗& ヴァレリア・モルゴフスカヤ デュオ・リサイタル」として、
    2023年11月22日(水)19時開演で、東京文化会館 小ホールで開催された。
   プログラムは、次の通り。

出演
ヴァイオリン:相曽賢一朗
ピアノ:ヴァレリア・モルゴフスカヤ

曲目
ラヴェル/ヴァイオリン・ソナタ(遺作)
エルガー/ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 Op.82
田中カレン/Ocean
バルトーク/ラプソディー 第2番 BB96a
バルトーク(セーケイ編曲)/ルーマニア民俗舞曲 BB68

   若かりし頃には、随分、デュオ、トリオ、カルテット、オクテットと言った調子で室内楽のコンサートにも出かけてクラシック音楽を楽しんでいたが、もう、随分昔の話で、今回のプログラムは、聞いたことがあるのかないのか、相曽賢一朗は、最近特に、玄人受けするというか、真っ向勝負で舞台に挑んでいる感じなので、全く新鮮な感じで聴いている。
   ラヴェル、エルガー、バルトークについては、半世紀以上もクラシック・コンサートに通い続けていても、いまだに良く分からないので、今回は、相曽賢一朗の美音に感動しながら聴いていたということに留めたい。
   以前に、1743年のガダニーニを弾いていると聞いたことがあったが、今回は何を弾いていたのであろうか、秋晴れの晴天に恵まれて澄み切った空気に共鳴したように、今夜は、特に、相曽のヴァイオリンの暖かくてピュアーな美しいサウンドが鳴り響いていて感動的であった。

   今回、注目したのは、田中カレンのOcean、
   ベルゲンのアウトゥンナーレ音楽祭から委嘱された作品とかで、East Beach, Hendry's Beach-Sunset, Butterfly Beachからなる小品だが、素晴しい海岸の絵画を見ているような実に美しいサウンドで奏で始めて、引き込まれて行く。パリで学んだと言うから、その音楽性とノルウェーの美しい自然とが調和した曲想であろうか、真夏に訪れたフィヨルドやベルゲンを思い出しながらノルウェーを懐かしんでいた。黙想して聴いていると、おそらく、脳裏に走馬灯のように風景が展開して、さながら、映画音楽のように聞こえてくる感じである。
   田中カレンさん、相曽賢一朗に促されて舞台に登場して挨拶した。コンサートの後も、二人の演奏者に寄り添っていた。

   アンコールで演奏したのは、ウクライナの作曲家ミロスラフ・スコリクの「メロディ」、  
   Melody, for Piano Soloだったが、今回は、ヴァイオリンとピアノに編曲されたデュオ。
   冒頭から、涙が出るように美しい曲で、現下の悲惨なウクライナ戦争のイメージが重なって、胸に迫って来て、実に切ない。
   貴公子の相曽賢一朗は威儀正しく淡々と弾いているが、ウクライナ人のヴァレリア・モルゴフスカヤは、おそらく、万感胸に迫る思いで、故郷の平和を希いながら鍵盤を叩いていたのであろう。
   スコリクは、2020年にキーウで亡くなったのでウクライナ戦争は知らないが、大戦後シベリアに追放されたり、クリミア併合などウクライナの悲惨さを痛いほど知り尽くしているので、平和への思いを、民族的な叙情性を哀調を帯びてメランクリックに歌わせたのであろう。相曽は、何も語らなかったが、ウクライナを思っての選曲であり、今、一番必要な貴重な曲であると思う。

   相曽賢一朗が、ロンドンに留学したのは1992年、その時、リバプールから電話してきて数日間寄宿して付き合いが始まり、我が家でミニコンサートが持たれてフアンになったキューガーデン在住の日本人小学校の生徒の親たちが、帰国後、1997年から始まった相曽のコンサート時に集まってロンドン会を開いている。この日も、相曽の新しいCD「追憶~ジョージアの調べ」に、婦人たちはこもごもサインを貰って、その後、二人の演奏者を挟んで記念写真を撮った。その同窓会メンバーも、いよいよ、後期高齢者で、いつまで続けていけるか、それが、問題でもある。

   相曽の海外生活も、既に、40年近くなっていて、昨年、いつも会場に来られていたご両親が亡くなられて、寂しくなった。
   芸大とアメリカとイギリスの最高峰の音楽教育を受けて、確固たる日本魂をバックボーンにして、クラシック音楽の故郷欧米にしっかりと地歩を築いて音楽を追究し続けている、これこそが相曽の真骨頂とも言うべき特色であり強みであり、余人を持って代え難い。益々の精進と活躍を祈っている。
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都響の会員権の継続について

2023年11月12日 | クラシック音楽・オペラ
   今日の都響の定期演奏会Cは、次の通り 素晴しい演奏会であった。

第986回定期演奏会Cシリーズ
日時:2023年11月12日(日) 14:00開演
場所:東京芸術劇場コンサートホール

出演
指揮/ジョン・アクセルロッド
ヴァイオリン/アレクサンドラ・コヌノヴァ

曲 目
シルヴェストロフ:沈黙の音楽(2002)
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47
【ソリスト・アンコール】
J.S. バッハ : 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番より「前奏曲」
 (ヴァイオリン/アレクサンドラ・コヌノヴァ)

   冒頭のシルヴェストロフはウクライナの作曲家で、2002年の作曲であるから、現代曲だと思っていたが、「沈黙の音楽」は、沈黙のワルツやセレナーデで、実に優雅で美しい曲であった。現下の悲惨極まりないウクライナ戦争の対極にあって、平和への祈りを切々と奏でる清浄なサウンドが胸に迫る。

   シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、欧米でも何度か聴いた有名曲。私には、森と湖に囲まれたムーミンやサンタクロースの国と言うよりも、ウクライナ同様に、ロシアの圧政に苦しんでいたフィンランドの時代で、上空に飛来した敵機に向かって、自動小銃を構えて撃ち落とそうとするシベリウスの姿をイメージさせてくれる素晴しい曲である。
   華麗なヴァイオリンに感動しながら、アレクサンドラ・コヌノヴァの美しい容姿の、正に絵になる素晴しい演奏姿に魅せられていた。

   ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、レコードもCDも持っていないのだが曲想を覚えていているので、ヨーロッパなどでも結構聴いた曲なのであろう。第3楽章最後のハープの素晴しいサウンドから第4楽章の冒頭にかけてのサウンドが印象的である。
   良く分からないが、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」で、厳しく批判され絶体絶命の危機に陥りながら、この曲で名誉回復したという。 硬骨漢のショスタコーヴィチのことであるから、スターリンに迎合したはずはなく、「苦悩から歓喜へ」をテーマにした輝かしいフィナーレに、スターリンの途轍もない圧政に対する批判を叩き込んだような気がしている。

   いずれにしろ、今回の演奏会は、信じられないような悲惨なウクライナ戦争やパレスチナ戦争への限りなき批判と、平和への祈りを呼び起こして胸が熱くなった。
   指揮者ジョン・アクセルロッドの卓越したタクト捌きと素晴しい都響サウンドの響きが脳裏に焼き付いている。

   さて、先月、都響から定期会員券を継続するかどうか案内があった。期間が短かったし、大分どうするか考えたのだが、老齢故の体調を考えて、今までのように、元気で鎌倉から池袋の芸術劇場へ通える自信がないので、退会することにした。
   いつから都響の定期会員になったのか記憶はないのだが、15年は続いていると思う。
   と言っても、途中で途切れたこともあるが、クラシックの楽団の定期会員権の継続は、50年ほど続いていて、都響は、その最後のケースなのである。
   いずれにしろ、定期会員権の取得継続で、クラシック音楽を存分に楽しんできた私にとっては、非常に残念なことである。

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   残念なことではあるが、諦めざるを得ない。

   さて、一番最初の会員権取得は、N響の東京文化会館ホールのシリーズで、それから、海外に出たので、フィラデルフィア管、コンセルトヘボウ管、ロンドン響、ロイヤル・オペラ、その後帰国してからは、小澤征爾を聴きたくて新日本フィル、そして、今の都響である。
   定期会員権の取得の必要性を感じたのは、フィラデルフィア管の時で、定期会員権は、孫子の代までと言うか、会員の家族が代々継承して、市場に出ないので、非常に取得が困難であって、偶々、運良く直前にキャンセルがあったので、取得できたのである。それと同じことは、アムステルダムのコンセルトヘボウでも感じて、これも幸運に取得できたので、ロンドンに移ってからも継続していた。
   勿論、定期公演以外にもコンサートがあったのでチケットは取得可能なのであろうが、定期公演には特別の配慮があるのであろう、非常に質の高い意欲的な公演が多いのだが、チケットが品薄で取得が非常に難しくなる。
   したがって、フィラデルフィア管やコンセルトヘボウ管などの素晴しいコンサートを聞き逃さないためには、定期会員権の取得維持が必須だったのである。

   これからは、行きたいコンサートを選んで、個々にチケットを取得することになるし、近くの鎌倉芸術館へ行くことになろう。
   しかし、膨大なレコードやCDやレーダーディスク、それに、DVDが残っていて、その上に、最近録り溜めたオペラやクラシック音楽が、2Tのパソコンや3Tの付属ディスクに残っており、これをどうするか。
   ただ、不思議なことに、ウィーン・フィルやベルリン・フィルやと言って目の色を変えて追っかけていた若かりし日の意欲は消えてしまって、クラシック音楽に淡泊になってしまっている。これも、歳の所為かも知れない。
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都響:第983回定期演奏会C

2023年10月14日 | クラシック音楽・オペラ
   今日の都響のコンサートは、
第983回定期演奏会Cシリーズ
日時:2023年10月14日(土) 14:00開演
場所:東京芸術劇場コンサートホール

【ジェイムズ・デプリースト没後10年記念】
出 演
   指揮/大野和士
   ヴァイオリン/イザベル・ファウスト
曲 目
   マグヌス・リンドベルイ:アブセンス-ベートーヴェン生誕250年記念作品-(2020)[日本初演]
   シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
      ソリスト・アンコール ヴァイオリン/イザベル・ファウスト
         ヴェストホフ:無伴奏ヴァイオリンのための組曲 イ長調より サラバンド
   ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92

   デブリーストがトップの時には、都響ではなく、小澤征爾を聴きたくて新日本フィルの定期会員であったので、全く聴いたことはない。
   今回のプログラムでは、リンドベルイのアブセンスは、初演なので勿論初めてで、作者が「極めて現代的な「不協和音」が雄弁に語り、起こるべくして音楽の対話が起こる」と語っているので、全く印象が違っていて身構えて聴いていた。
   昔、アムステルダムに居た時に、コンセルトヘボウの定期会員権を3つ持っていて、その一つが現代音楽で、途中でコンサートが苦痛になったことがあったのを思い出した。
   しかし、今回は、シェーンベルクを聴いたときのような拒絶反応を起さずにそれなりに楽しめたのは、年期の所為であろうか。
   ベートーヴェンのメロディが組み込まれていたようだが、気付かなかったし、何故、この曲が、ベートーヴェン生誕250年記念作品なのか分からない。

   シューマンのヴァイオリン協奏曲は、シューマン自身はこの曲を、「天使から教えてもらった曲だ」と語っていたと言う。美しい曲である。
   席が少し後方であった所為か、ヴァイオリンの音色が、オーケストラに同化しすぎた感じで、ピュアーで美しいサウンドが、時折印象的に奏でる。派手なカデンツァがあるわけでもなく、独奏ヴァイオリンのサウンドが傑出するような曲でもなさそうであったので、ムード音楽の雰囲気で聴いていた。
   イザベル・ファウストのヴァイオリンのサウンドを楽しませてくれたのは、アンコールの無伴奏ヴァイオリンのサラバンド、
   民族衣装の雰囲気であろうか、舞うように演奏する美しいファウスト、熱狂的な拍手。

   ベートーヴェンの第7番は、欧米でも頻繁に聴いてきたお馴染みの曲、
   解説では、ワーグナーが、この曲を「舞踏の聖化」だと言ったとかで、「輝かしさ」や「陽気さ」を象徴するイ長調が基本だという。
   指揮者は、第3楽章から、殆ど間髪を入れずに第4楽章へ、熱狂的なフィナーレ。凄い都響サウンドの咆哮、圧倒的な演奏。
   私は、演奏の感動を噛みしめるために、大野和士が、指揮台を下りて楽屋に消えると、すぐに、席を立って会場を出た。

   都響の2024年度楽期のプログラムが出て、会員継続申し込みが始まった。
   魅力的なプログラムだが、もう一年、鎌倉から池袋へ、杖をついて通えるかどうか、考えている。
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クラシックコンサートは楽しいのだが

2023年09月23日 | クラシック音楽・オペラ
   今日、都響の第982回定期演奏会Cシリーズを、東京芸術劇場コンサートホールに聴きに行った。
   プログラムは、           
   出 演
      指揮/ローレンス・レネス
     ヴィオラ/タベア・ツィンマーマン
   曲 目
     サリー・ビーミッシュ:ヴィオラ協奏曲第2番《船乗り》(2001)[日本初演]
     ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 op.27
       ヴィオラ/タベア・ツィンマーマンのアンコール曲は、
        1.ヴュータン:無伴奏ヴィオラのためのカプリッチョ op.55
        2.ヒンデミット :ヴィオラ・ソナタ op. 25 第1番より 第4楽章
 
   18日のサントリーホールでの都響公演と同じ出演者で、曲目が違う。
   しかし、曲が変ると印象が全く変ってくる。
   今回演奏された曲は、二曲ともコンサートでは初めて聞く曲であった。そんな時、私にとっては、何か特別な感興を覚えれば別だが、聴いたときに、何か違和感のようなものを感じて拒絶反応を起すか、すんなりと曲想に乗って楽しめるかと言うことであって、今日の二曲とも、極論すれば、ムード音楽を聴いている感じで楽しませて貰った。
   尤も、これも経験によって変ってきており、モーツアルトやベートヴェンばかり聴いていた初期には、リヒャルト・シュトラウスにさえ拒否反応を覚えていたのだが、もう、60年以上も聞き続けていると、不思議にも、最近では、どんな新しい曲を聴いても、それなりに楽しめるようになって来ている。

   ところで、私のクラシック音楽行脚だが、始めて本格的なコンサートを聴いたのは、もう60年ほども前のことで、ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィル、京都会館であった。
   その後、カラヤン指揮ベルリン・フィル、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル、ハイティンク指揮コンセルトヘボウとどんどん広がっていって、欧米生活が長かったので、クラシックもオペラも、聴くべきものは殆ど聴いてきた。

   さて、そんなことは別にして、最近、歳の所為で、コンサート会場に出かけるのが、シンドイというか億劫になり始めてきたのである。
   ウィーン・フィルやベルリン・フィルやと言って浮き足立っていた昔と違って、今は、都響の定期に東京へ出かける程度なのだが、年間、お仕着せプログラムで、8回、
   14時開演の午後のコンサートで、それなりの意欲的なプログラムで楽しませて貰っているので、文句はないののだが、
   2時間のコンサートに、江ノ島にほど近い鎌倉の片田舎から、バス、JR、東横線、メトロを乗り継いで、往復5時間、
   杖をついているので、席を譲って貰えて助かっているのだが、しかし、青天の日ばかりではない。

   今期のC定期の公演は、まだ、5公演残っており、行けるかどうか、
   来期の定期継続をどうしようかと思っている。

   ここで、脳裏をかすめるのは、先日書いた「海外旅行は若くて元気な内にやるべき」と言うことと同じで、とっておきのクラシック・コンサートも、無理をしてでも若くて感受性の豊かな時にこそ聴いておくべきだと思っている。
   尤も、体力気力が伴う旅行と違って、ただ座っていて聴くだけのコンサートは、歳とは関係なさそうだが、それが、大いに違うのである。

   もう一つ、定期公演のシリーズ券を買うべきかどうかと言うことだが、普通2割くらい安いし、単発の公演が少なくて、その都度、チケットを手配しなければならないので、プログラムに五月蠅くなければ、取得するに超したことはない。
   私は、海外で、代々メンバーが孫子の代まで継承して市場に出ないので取得が難しいと言われていたフィラデルフィア管弦楽団やアムステルダムのコンセルトヘボウ、それに、ロンドン交響楽団のシーズンメンバー・チケットを取得していたので、大いに助かった。普通には取得困難なチケットが含まれていることが多くて、単独では、中々チケットが買えなくてミスることが多かった。

   今日は、何となく、こんなことを考えてしまった。
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