熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

人間国宝:落語家五街道雲助の郭話

2023年07月26日 | 落語・講談等演芸
   今回の人間国宝認定で興味深かったのは、落語家の五街道雲助師匠である。
   面白い名前だなあと言う印象はあるが、「身投げや」と「粗忽の釘」を国立演芸場で聴いたくらいで、噺もそれ程聴いていないので、記憶も希薄で、それ程凄い噺家だとは知らなかった。

   NHKの「日本の話芸」を録画し続けているので、開いてみると、雲助師匠の噺が、6編出てきた。 
   古典落語の中でも廓話が出色だというので、私も、そのあたりの噺が嫌いではないので、早速、3編聴いてみた。
   「明烏」「お初徳兵衛」「お見立て」
   それぞれ、ほかの噺家で聴いているので、知らない噺ではないが、NHKの30分番組なので、殆どまくらなしの噺なので、じっくりと聴かせてくれて、流石に上手くて感動的である。

   「明烏」は、勉強ばかりしていて悪所通いになど全く縁のない堅物の大店の若旦那を、その将来を心配した親旦那が、遊び人2人に頼んで、お稲荷さんへのお籠もりだと欺して吉原へ連れて行かせる噺。遊廓は神主の家、女主人はお巫女頭、見返り柳はご神木で大門は鳥居、お茶屋は巫女の家だと説得されて奥へ上がるが、吉原だと気付いて逃げ帰ろうとすると、「勝手に出ようとすると、大門の見張りに袋叩きにされる」と脅され、泣く泣く花魁と一夜を共にする。翌朝、相方の女に振られた2人が、若旦那の部屋に行き、先に帰るよと言うと、布団の中で、花魁の魅力に骨抜きにされて花魁に足を絡め取られて動けない若旦那が、「勝手に帰りなさい、大門で袋叩きにされますよ」。

    さて、この若旦那が、幸運な筆下ろしに感激して、吉原に入り浸りの馬鹿息子に変身したのかどうかは興味深いところだが、
    「お初徳兵衛」は、遊郭入り浸りの遊びが過ぎて勘当をされた若旦那の徳兵衛の噺、
    面倒を見ていた柳橋の船宿に転がり込み、居候をしてていたが、「船頭になりたい」と親方に頼んで弟子入りして船頭になる。
    立派な船頭になった男ぶりの良い徳兵衛は、柳橋芸者の間では人気者で、ある日、ヒョンナことから、売れっ子芸者のお初を乗せて吉原へ向かう途中、にわかの土砂降りに襲われ、船を岸につけてしばし休息することになる。二人きりの時が流れる中、店子であったお初が「七年前から徳兵衛に恋い焦がれていて、巡り会いたいばかりに芸者になった」と、まだ船頭になる前の徳兵衛を見掛け、見そめていたと掻き口説く。そこへ激しい落雷で、驚いたお初は徳兵衛に抱きつく。
   舟は、そのまま長い間動こうとしなかった。
   近松門左衛門の「曽根崎心中」から発想を得たという人情噺「お初徳兵衛浮名桟橋」のなれそめの人情味豊かなシットリとした良い噺である。
   
   「お見立て」も典型的な郭話で、、花魁の喜瀬川に惚れ込んで通いつめている田舎者の杢兵衛が、店にやって来たのだが、この客が見るのも嫌なくらい嫌いで、呼びに来た喜助に病気だといって断るように命じる。見舞いがしたい、病院は何処だ、亡くなった、墓は何処だと、断りがドンドンエスカレートしていって、結局、喜助は杢兵衛をいい加減な寺に連れていく。適当な墓をここが喜瀬川の墓だと言ってごまかそうとするが、墓碑銘を読まれて埓が開かず、次から次へと墓を巡らせられて、業を煮やした杢兵衛に「いったい本物の墓はどれだ」と問い詰められた喜助は、「これだけありますので、よろしいのをお見立て願います」。
   冒頭、金繰りに困った黄瀬川から、長いラブレターを貰って喜び勇んで店に飛び込んできた杢兵衛をダシにした狡猾な花魁の締まらない噺だが、
   「籠釣瓶花街酔醒」の佐野次郎左衛門とダブって、何となく切ない。

   とにかく、この3話を聴いただけでも、五街道雲助師匠の郭話の素晴らしさは良く分かる。
   今度の国立名人会の舞台には、絶対に行こうと思っている。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立名人会:談春「らくだ」

2023年06月23日 | 落語・講談等演芸
   久しぶりに、国立演芸場へ「国立名人会」を聴きに出かけた。
   談春と吉坊の落語を聴きたいと思ったのである。

   第468回国立名人会 演目は次の通り

   落語「権助提灯」 立川こはる 改メ 立川小春志
   上方落語「冬の遊び」 桂吉坊
   落語「お血脈」 柳家小せん
   長講一席「らくだ」 立川談春

   さて、「らくだ」だが、何回か聞いているのだが、非常に芸の細かい凄い作品である。
   乱暴で嫌われ者の大男のらくだが、フグにあたって死んだ。兄貴分の半次が葬式を出してやりたいが金がない。丁度来合わせた屑屋を脅して、長屋から香典を集めたり、酒肴、棺桶用の漬物桶などを調達するのが面白い。特に、大家の所に通夜に出す酒と料理を届けさせるよう使いに出され、大家が断ったら「死骸のやり場に困っており、ここへ背負ってくるから、面倒を見てやってくれ。ついでに「かんかんのう」を踊らせてみせる」と言えと言われて出かけるが、大家はやって見ろと相手にしない。半次は屑屋にらくだの死骸を担がせ、大家の所へ乗り込み、かんかんのうの歌にあわせて死骸を踊らせたので、大家は縮み上がって、酒と肴を用意する。今度は八百屋に行って棺桶代わりの漬物樽を借りてこいと命令され八百屋へ行き、らくだの死骸で大家を脅したことを伝えると、八百屋も怖れおののいて樽を差し出す。
   用意が整ったところで、半次に酒を勧めて飲み始め、屑屋は執拗に断り続けるが、有無を言わせず飲ませ続けるので、とうとう、屑屋も酔っ払って酒乱状態になり、主客逆転して絡み始めて、半次に魚屋へ行ってまぐろを取ってこい、ダメだと言えばかんかんのうで脅せと命令する。徐々に酔っ払いのテンションが高揚して、元大店の道具屋だったが落ちぶれて屑屋になったことや左甚五郎のかえるだと言われて生きた蛙を買った話など屑屋の挿話が面白い。
   談春の噺は、ここで終ったが、談志のyoutubeを見ると、さらに、亡骸を樽に詰めて、焼き場への道行きとオチが続く。
   万雷の拍手を受けて終演後、談春は改装の国立演芸場との思い出などを語り、三本締めで幕。

   談春の噺は、まだ、3回くらいしか聴いていないが、小説の「赤めだか」に感激して、何時も話の冴えは抜群で実に面白いので、一番聴きたい落語家である。
   4年ぶりの舞台なので、随分貫禄がついて大家然としてきた感じであったが、今回のような舞台になると相好を崩しての百面相紛いの熱演で、あれだけ、表情豊かに芸に没頭してキャラクターを表現が出来るのか、驚異でさえある。

   吉坊は、「冬の遊び」。
   江戸の吉原、京の島原と並ぶ三大廓の一つ、大阪の新町の格式も高い太夫道中の諍いの話。
   手続きの不都合で、新町の最大の贔屓筋であり依って立つ堂島のコメ問屋へ伝達をしくじったのだが、その当日、堂島の米問屋の旦那たちが新町に来て、挨拶がないと苦情を言って、道中中の栴檀太夫を座敷に呼べと無理を言う。仲居が、今、道中の最中なので無理だと言っても、知らんがな、呼ばれへんいうのやったら、ほな帰る。と席を立とうとする。最大の贔屓をしくじっては一大事。仲居の機転で、休憩だと役人たちを丸め込んで太夫を座敷に連れ戻す。道中の仮装である厚着の格好のまま太夫が登場したので、感服した旦那衆が、「こんな恰好で汗一つかかんのやさかい流石に太夫。どや、今日は太夫の心中だてで、冬の恰好しよか。」「それがええ。」と言うことになって、冬の衣装に炬燵、鍋を炊いて、障子を締め切る騒ぎになる。
   嘘か本当か、大阪の夏は非常に蒸暑くて生きた心地がしないほどで、これに、冬の厚着で部屋を閉め切って鍋を囲むなど正気の沙汰ではない。
   オチは聞きそびれたが、解説では、居たたまれなくなった幇間が我慢できずに服を脱いで褌一で井戸水を浴びたので、怒った旦那が「何で服脱ぐねん。」「寒行の真似ごとで」

   吉坊は、幅広い芸域をカバーした芸の厚みや、パンチの利いた軽快な語り口が好きで、ファンになった。
   上方落語に興味を持つのは元関西人としては当然なのだが、この落語の仲居の会話など懐かしい浪花千栄子の大阪弁を彷彿とさせるし、堂島の旦那衆の横車も良く分かるし、この新町のお茶屋を、歌舞伎「廓文章」の舞台となった「吉田屋」と重ねると、大坂の雰囲気が色濃く滲み出てくる。

   今回、興味深かったのは、先物取引を先行した堂島の米市場の隠然たる勢力を活写していることで、文化芸術が栄えるためには、メディチのフィレンツェ同様に富と財力とあってこそだと言うことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末の国立名人会:松鯉の「天野屋利兵衛」

2022年12月25日 | 落語・講談等演芸
   今日、年末を笑って過ごしたくて、国立演芸場に出かけた。
   と言うよりも、神田松鯉の講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」を聴いて、廃れた年末行事の忠臣蔵の世界を感じたかったのである。 
   
   演目は、次の通り。
   第464回国立名人会
講談「天明白浪伝 悪鬼の万造」 神田阿久鯉
落語「宗論」 三遊亭遊雀
落語「二番煎じ」 瀧川鯉昇
 - 仲入り -
落語「蒟蒻問答」 桂南なん
ものまね 江戸家まねき猫
講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」 神田松鯉

   松鯉の「天野屋利兵衛」は、歌舞伎や文楽、落語で鑑賞する「天野屋利兵衛」とは一寸雰囲気が違っていて、講談では、最も義侠心に富んだ大阪商人の鑑をストレートに聴かせてくれるのである。
   天野屋利兵衛は、赤穂義士の吉良邸討ち入りのための武器調達を一手に引き受けた堺の廻船問屋の松永利兵衛で、厳しい奉行の取り調べにあっても、義理ある人から頼まれたのだが時が来るまで待って欲しいと懇願するばかりで、大石内蔵助との密儀を明かさず、可愛い子供を殺そうとされても、「天野屋利兵衛は男でござる。」と言って口を割らなかったと言う大坂商人の鑑。

   今回の松鯉の講談は、前回のものとは一寸違っていて、30分のバージョンで、ほぼ、次の通り。
   浅野内匠頭の刃傷事件と切腹を聞いた利兵衛は、妻を離縁して、城を枕に討ち死にする覚悟で、槍を背負って赤穂城に馳せ参じて、内蔵助に、御恩をお返ししたい何でもすると懇願したので、利兵衛の忠義と男気を信じた内蔵助は、口外するなと釘を刺して、大事を語って13種の討ち入り武具の調達を頼み込む。
   利兵衛は、堺に帰らずに市場の大きい大坂に居を構えて奉公人にカネ轡を嵌めて武具調達に勤しむのだが、たれこむ者がいて、家宅捜索をすると、忍び道具・改造ろうそく立てが出てきたので、 町奉行松野河内守助義により捕縛され拷問にかけられるが、利兵衛は、義理ある人から頼まれたのだが時が来るまで待って欲しいと懇願するばかりで、口を割らない。江戸でも噂になっており江戸の捌きで本件が発覚すると、大坂の番所は面目丸つぶれで切腹ものとなると、白状を迫るが、瀕死の状態になっても、動じない。
   町奉行は、一人息子を白州に呼び出し、親子抱擁させて子供が可愛くないかと迫り、子供の喉元に刃を突きつけ打擲し続けて白状を迫るが、親子の恩愛よりも義理が優先することがある、子供を殺してくれと叫ぶ、「天川屋の儀兵衛は男でござる」。
   そこへ離縁した女房・ソデが現れ、夫や息子の難儀を見かねて、赤穗藩に入れ込んでいたなど一切を暴露するのだが、町奉行は、利兵衛が城を枕にして討ち死に覚悟で槍を背負って赤穂城に馳せ参じた一件を、「あり得ない。狂女じゃ。」と言って取り合わず、それから一切取り調べをしようとしなくなった。
   ほどなく、討ち入りの成功を、牢番の立ち話で知った利兵衛は、安堵。利兵衛はすべてを白状するが、取り調べれば忠義の邪魔。と奉行は利兵衛を釈放したと言う。

   3年前の松鯉の講談レビューの時に、この「天野屋利兵衛」の歌舞伎、文楽、落語におけるバリエーションについて書いたが、講談や歌舞伎や文楽は内容に差があっても、メインテーマは天野屋利兵衛の義侠心だが、落語の奇想天外な発想の転換には笑いが止まらない。
   大石内蔵助が、天野屋利兵衛の女房の美貌に惚れて妾になれと強要したので、機転を利かした女房が、閨に誘うも、天野屋利兵衛をヘベレケニ泥酔させて自分の寝床に寝かせておく。そこへ喜び勇んだ大石内蔵助が忍び込んで来て、ことに及ぼうとした途端、天野屋利兵衛が飛び起きて、「天野屋利兵衛は男でござる」
   「英雄色を好む」と言うことであるから、大石内蔵助が、好色であっても、不思議でも何でもないのだが、こうなれば、大石も形無しである。

   松鯉は、 町奉行松野河内守助義は、城を枕に討ち死にする覚悟で赤穂に向かったことで、すべてを悟ったと語り、 討ち入り成功への松野河内守、それ以上に天野屋利兵衛の貢献を評価していた。
   詳しいことは分からないが、天野屋利兵衛の内偵を行えば、赤穗藩との関わりは明白であり、当時、吉良への叛逆は噂にもなっていたので、町奉行としては、天野屋利兵衛の武器調達は大石内蔵助のためであることは分かっていたはずである。
   松野河内守としては、天野屋利兵衛の自白にすべてを掛けていたはずで、たとえ自白を取っても、女房を狂女呼ばわりして切って捨てたように、狂人扱いにして見逃したように思う。切腹覚悟で義経を見逃した勧進帳の富樫のような義侠心ある侍である。
   リトアニアの在カウナス日本領事館領事代理であった杉原千畝が、外務省からの訓令に反して大量のビザを発給し、多くがユダヤ系であった避難民を救ったことで知られるあの快挙も、これに擬せられようか。

   ところで、余談だが、今回、チケットの予約の時間をミスって、後方の席しか取れなかったのだが、少し歳の所為で聞き苦しくなってきている。
   それで、気づいたのは、人間国宝の松鯉の講談は非常にクリアーに綺麗に聞けたが、やはり、ヘタな噺家の噺は、時々何を言っているのか、分からなくなることである。小三治や歌丸などは微に入り細に入り鑑賞出来たのだが、
   このことは、テレビでも経験していることで、プロのアナウンサーは良く聞こえるのだが、素人のコメンテーターや通訳者が聞きづらくてこまることがあり、話術でも大変な差異があることが分かって、修行の厳しさを感じた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月国立名人会 ~上方落語を味わう夕べ~

2022年11月18日 | 落語・講談等演芸
   コロナ騒ぎで、全く久しぶりだが、上方落語というので、懐かしくなって、国立演芸場へ出かけていった。
   啄木ではないが、元関西人として、そを聞きに行くと言う気持ちである。
   それに文珍も聴きたかった。

   プログラムは、次の通りである。聴いていて、「あくびの稽古」くらいしか分からないので、演目は、終演後に張り出されたビラの写しである。
落語 桂紋四郎 鷺とり
落語 桂三四郎 二転三転
落語 笑福亭仁智 ハードラック
- 仲入り -
落語 林家花丸 あくびの稽古
落語 桂文珍 持参金

   インターネットで見れば、演者が、「二転三転」は桂三四郎、「ハードラック」は笑福亭仁智だけなので、新作なのであろう。
   「二転三転」は、主人の転勤で、大阪から東京、東京から大阪へと移転する家族の身勝手な悲喜こもごも、
   家族達は、最初は行き先をコテンパンにけなして抵抗するが、慣れてしまって帰るのは嫌だと豹変・・・大阪と東京の言葉や生活や気質の違いを浮き彫りにして面白い。
   「ハードラック」は、不運。不幸。人生に絶望して、自殺しようと思った男が、いろいろ試みるが、幸か不幸か悉く失敗するという話。

   文珍は、枕で、テレビのことを話して、NHKのアナウンサーが、詳しくはQRコードで、と言うが詳しく説明しろ、
   面白かったのは、徹子の部屋を観ているのだが、これは、聞き取り能力のチェックだと語って、対照的な、徹子と丸山 明宏の声音を披露。
   失言で失脚した法務大臣に触れて、冗談についてひとくさり、落語を聞いて勉強せよ。

   時間が経ったので、登場人物の名前など忘れてしまったので、米朝落語の名前を借りて説明すると、
   不精者の辰のところへ、伊勢屋の番頭がやってきて、あるとき払いで返す約束の借金20円を至急返してくれと言う。返すカネなどある筈のない辰が困っていると、そこへ、金物屋太助がやって来て、嫁はんを貰えと言って、女性を紹介するが、「歳は32。体型は寸胴で、色は透き通るように黒い。繋がり眉毛、目は小さくて鼻は上を向いている。口は大きくて、ご飯は5杯食べる。・・・それに、お腹に来月産み月の赤ちゃんがいる。」と言うので断わると、持参金が20円だという。20円欲しさに即決して、その夜嫁が来て一夜を明かす。
   翌朝、伊勢屋の番頭がやって来て、辰がカネの工面ができたと言うので気が緩んで、何故20円が必要になったかを語り出す。店の代理で会合にでてシコタマ飲みすぎてヘベレケになって帰ったら介抱してくれたお鍋に手をつけて身ごもらせてしまった。困って、金物屋の太助に相談したら、早う宿下がりさせ!そんなおなごでも金の二十円もつけたらどこぞのアホがもらいよる。と言うことで20円が必要になった。仲立ちしたのが金物屋の太助で、色は透き通るように黒いと言う話で、昨夜貰った嫁がそのお鍋だと言うことが分かる。
   辰が、この手ぬぐいを20円だと思って、伊勢屋の番頭に返すと、その伊勢屋の番頭が、金物屋太助に渡し、お鍋の持参金として、その金物屋太助から、辰は20円のつもりで手ぬぐいを受け取る。と言う話になって、オチは、金は天下の回りもんやなぁ!

   これが米朝の「持参金」だが、文珍は
   寝物語であろうか、お鍋から、話を聞いて、つれない伊勢屋の番頭への意趣返しに身ごもったと嘘をついたなどと聞き、自分と同じ苦労人で、非常に性格も良く良いおなごで、気に入っていると金物屋太助に語ると、「ご縁(5円)やなあ」と応える。オチは、「20円!」
   元々、20円など、どこにもないのだが、辰の拘るのは、あくまで20円で、「嫁はんつきで、二十円、もらいまひょ」という辺り、嫁は来たが20円は忘れたと言われて、「それが肝心やないかいな!! 忘れるんなら、嫁はん忘れなはれ」などなど、辰が20円をセッツクのだが、ない袖は振れない金物屋太助が一向に良い返事が出来ない頓珍漢な会話、身勝手で調子外れの伊勢屋の番頭の言い分など、ナンセンスでとりとめもないストーリーながら、文珍は、丁寧にしっとりとした大阪弁で語り、面白かった。

   「鷺とり」は、金銭目的で鳥を捕まえようとして失敗した男の起こす騒動を描いた噺ということで、良くそんな馬鹿なことをかんがえるなあと言ったナンセンスな落語なのだが、笑わせるところが、噺家の芸、
   「あくびの稽古」だが、本当にあくび指南の教室があるのかどうか、ナンセンスを通り越して笑いの世界もここまで来ると、もう芸術、
   いずれにしろ、大阪弁の上方ムード満開の落語会を期待して行ったのだが、一寸拍子抜け、
   古典落語は、東西殆ど同じストーリーで、この日の噺家の中には東京ベースで活躍している人もおり、歌舞伎と同じで、上方芸能は、ドンドン消えて行くのであろうか。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神田伯山の講談「中村仲蔵」

2020年09月13日 | 落語・講談等演芸
   コロナウイルス騒ぎで、老人が危ないと言われているので、好きで通っていた観劇に東京へ行くのは、今年一杯諦めようと思っている。
   三世帯同居で、小学生の孫息子と幼稚園の孫娘がいるので、バスや電車に乗るのさえも気になるからである。
   久しぶりに、Youtubeを叩いて、神田伯山の「中村仲蔵」を見た。 動画【講談】神田伯山「中村仲蔵」in 浅草演芸ホール(2020年2月21日口演)だったが、流石に人気絶頂の講談師だけあって、実に素晴らしい。
   国立演芸場で、真打ち披露公演が実施される予定で期待していたのだが、コロナで、キャンセルされたし、チケット取得が至難の業だという。

   歌舞伎ファンなので、仮名手本忠臣蔵の五段目の斧定九郞にからむ中村仲蔵の逸話は知っており、落語だが、 三笑亭夢太朗の「中村 仲蔵」を聴いている。

   講談も落語も演者によるバリエーションがあって興味深いのだが、物語の中心テーマとなるのは、
   仮名手本忠臣蔵が上演されることになり、名題に昇進した仲蔵が期待していたにも拘わらず、与えられたのは五段目の斧定九郎一役、客が無視する「弁当幕」の端役なので意気消沈。気を取り直した仲蔵は、なにより定九郎の着付けが良くないと思て、何か良い工夫がないか必死に考え、柳島の妙見様に日参するも効果がない。お詣りを済ませた後、急に大粒の雨が降り出し、近くの蕎麦屋に駆け込む。そこへ歳の頃なら32、3歳の浪人風の粋な格好の武士が飛び込んできた。色は白い痩せ型の男で、着物は黒羽二重で尻をはしょっていて、朱鞘の大小落とし差しに茶博多の帯で、その帯には福草履を挟んでいる。破れた蛇の目傘を半開きにして入って来て、傘をすぼませてさっと水を切ってポーンと放りだし、伸びた月代を抑えて垂れた滴を拭うと、濡れた着物の袖を絞って、蕎麦を注文。
   この光景を見て感激した仲蔵が、趣向を考えて新しい斧定九郞像を作り上げて、大成功を収めて座頭にまで出世するという人情話である。

   この五段目に、何故、食い詰めて山賊に落ちぶれた斧定九郞が登場するのか、仮名手本忠臣蔵のフィクションの面白さだが、痩せても枯れても斧定九郞は、赤穂5万3千石の家老の息子、
   夜具縞のどてらとまるくけの帯、たっつけ袴に五枚重ねのわらじに藤蔓巻きの山刀をさし、頭は百日カツラに赤顔、イグサで組んだ山岡頭巾(くすぺでぃあ)と言う山賊姿では、似つかわしくないし注目もされない汚れ役と言うこともあろうが、これを、粋でニヒルな二枚目浪人に変えて見せ場としたのだから、いうならば、歌舞伎の舞台のイノベーションである。

   さて、初演の当日、花道を傘を半開きにした仲蔵の定九郎が現われると、あまりにも違っている定九郎に客席は水を打ったようにシーンと静まり返る。
   オーオー、見たこともない見事な工夫じゃないか、日本一! との掛け声が掛かると思って期待していた仲蔵は、客席の無反応にこれはやり損なったかと勘違いするが最後まで演じて楽屋を去る。
   猪と間違えて寛平が討った鉄砲が、定九郞に当たると、卵を潰して顔に擦り付けて、たらたら瀕死の表情・・・伯山の真に迫った語り口が仲蔵の決死の思いを表しており、異変を察した子供が泣き出してその声だけが静まりかえった舞台に響き渡り、仲蔵はがっくり倒れ込み、楽屋に帰ると嘲笑の声、絶望した仲蔵が、とぼとぼ死に場を探して歩いていると、
   途中、人形町末広のあたりで、仲蔵の斧定九郞にいたく感動した通人が、スゲぇ芝居だったと観劇の感動を若い者に語りかける、これを聞いていた仲蔵は男泣き、
   翌日からも大入り満員、しかし、この観客の熱狂ぶりを仲蔵だけが知らなかったのだが、
   5日目の舞台で、先の通人が、大声で「堺屋、見事な工夫だ、日本一!」、観衆が唱和して歓声の嵐、
   若侍の登場から、役の工夫、必死の舞台、絶望と意気消沈、認められた感動・・・目まぐるしく展開する仲蔵の心と動きを、実に情感豊かにビビッドに表現しながら感動を呼ぶ語り口に、張り扇のリズミカルなテンポ。緩急自在で、メリハリの効いた軽快な語りが何とも言えないが、通人と若者との仮名手本忠臣蔵のしっとりとした対話を一つ取っても、しみじみとした話術の冴えに深い味がある。

   さて、落語の方では、絶望した仲蔵が、江戸に居られないと妻と別れて旅に出るのだが、親方中村伝九郎の呼び出しを受けて絶賛されると言う話になっており、志ん生では、引っ越し荷物で道具屋とコミカルな掛け合いがあって面白い。先代の圓楽では、まだ、成功を分っていなかった仲蔵が、伝九郞にわびを入れて泣きつくシーンが続いてしっとりとした師弟の語りを見せている。駆け出しの頃から苦楽をともにし、今生の別れだと泣いていた女房との語りも味がある。お祝いにたばこ入れを貰って帰り、妻に煙に巻かれたようだよと言われて、貰ったのがたばこ入れだ。

   仲蔵が、何故、名題にもかかわらず、端役の定九郞を振り当てられたのか、貞心や志ん生は、仲蔵が名題に出世し、団十郎が相変わらず仲蔵の面倒を見るので、これが面白くなかったのが座付き作者の金井三笑が、仲蔵に嫌な役ばかりを振り当てたと語っている。
   ところが、四代目團十郎に悴がいて、藝を競っていた仲蔵が妨げにならないように慮ったとか、先代の圓楽では、ヤケになっていたのを、女房が、團十郎が仲蔵へ飛躍挑戦へのチャンスを与えたのだと説得させる人情話になっていて、仲蔵を発憤させていて面白い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・新春国立名人会:小三治の「公園の手品師」

2020年01月07日 | 落語・講談等演芸
   国立演芸場の「新春国立名人会」7日は、小三治師匠がトリで、プログラムは、次の通り。
   

   小三治師匠が、開口一番に語ったのは、年末、歯医者に行って、院長から、困ったことが起こった、どうしても国立演芸場の7日の切符が取れないのだと言われたこと。
   確かに、私の場合、この国立演芸場の小三治公演チケットの取得しか知らないが、国立劇場ファンの会のあぜくら会員のインターネット予約でも、解禁日の10時以降2~30秒ほどの攻防でチケットが取れるか取れないかの運命が決まり、誰かと同じ席をダブってクリックしてはじかれてしまえば、もう、回復不能で諦めざるを得ないほどチャンスがないから、一般的には、殆ど取得不可能だと思う。
   普通には、それでは、2枚融通しましょうかと言う事があるのかも知れないが、小三治師匠は、これまで、一切、切符の世話をしたことはないと強調していた。

   面白い話をすると思っているであろうが、何を話すか決めていない、面白いことをやったことはないし、なぜ、皆が来るのか分からないと言いながら、第9談義を始めた。
   ベートーベン作曲の交響曲第9番「合唱付き」である。

   丁度、ステレオが出始めた子供の頃、近所のお屋敷で、第9のレコードを聴いた思い出、
   戦後のどさくさで、バラックの校舎の小学校で、校歌がなかったので、その代わりに、「喜びの歌」を歌っていたのが、これらが、第9への出会いで、春日八郎の歌とともに、音楽への傾倒への原点だと言う。
   昨夜まで覚えていたのだがと言いながら、第9の4楽章の「歓喜の歌」の詞章と思しき歌を口ずさみ始めた。
   ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団の「運命」と「未完成」をカップリングしたLPを重宝したようだが、私も、ワルターやトスカニーニなどのレコードを集めていたので、懐かしく聞いていた。

   大晦日の夜に放映されたNHK交響楽団の第9演奏会の話に移った。 
   録画していたので、それを聴いての話だが、指揮は、オーストラリア出身の女性指揮者シモーネ・ヤングで、巨漢の指揮ぶりを語りながら、
   優しい演奏で、ぬるま湯に入っている感じで、江戸っ子の自分には物足らない、もっとキリっとしてくれと、新聞の広告を見ながら聴いていたが、次第にひきこまれて行って、最後には泣いていた。
   ベートーヴェンは、凄いなあ!
   ベートーヴェンんも、自分も、12月17日生まれ!

   小三治師匠は、第9は長いと言っていたが、昔、一番短いのはシャルル・ミュンシュの59分、一番長いのは朝比奈隆の82分だと聞いたことがある。
   さて、シモーネ・ヤングの第9だが、私も録画を観たのだが、ドイツ音楽の本流を歩いてきた指揮者であり、私は、悠揚迫らぬおおらかな演奏に違和感はなかった。
   演奏後のブラボーが気に入らないと述べていたが、師匠が指摘するように、良くても悪くても、よく知っているぞと言わんばかりに、大声を張り上げて、演奏後の余韻をぶっ壊すブラボー屋がいるのである。

   私も、随分、クラシックコンサートに通っているので、第9の思い出は多々あるが、最も思いで深いのは、大阪万博時に来日したフェスティバル・ホールでの、カラヤン指揮のベルリン・フィルの第9の演奏であった。
   この時、「運命」と「田園」の演奏会にも出かけて、激しい第5の指揮中、カラヤンの指揮棒が折れて吹っ飛び、タクトなしの華麗な指揮姿のスタートを見ると言う貴重な経験も味わった。

   もう一つの思い出は、チャールズ皇太子やメイジャー首相など内外の要人が集まったロイヤルアルバート・ホールでの、アシュケナージ指揮ベルリン放送管弦楽団のベートーヴェン第九「合唱つき」のガラ・コンサートで、プロムスで賑わう巨大な大ホールでのベートーヴェンは、また、違った味わいであった。

   黒柳徹子さんの父君が、N饗の前身のコンサートマスターの時に、貧しくて年を越せない楽団員のモチ代の足しにと、年末に始めた第9コンサートが定着して、日本では師走の名物になってしまったが、欧米では、聴く機会が殆どなく、日本では、内外の楽団の第9を、どれ位聴いたか分からないくらいである。

   さて、この日の小三治の演目は、「公園の手品師」。
   こんな落語はなくて、フランク永井の歌った歌謡曲の「公園の手品師」のことであるが、30分の公演のすべてをまくらで通して、最後に、この「公園の手品師」を歌ったのである。
   フランク永井に会った時に、ヒットはしていなかったので、控えめに、あなたの歌でこの歌が一番好きだと言ったら、フランク永井は、涙ぐんで、私もそうだ、コンサートの時には、その時々の思いを込めて歌っている、と答えてくれた、と感慨深そうに語っていた。

   ”鳩の飛び立つ公園の 銀杏は手品師 老いたるピエロ・・・
   テノールだろうか、傘寿だとは思えないほど福与かで、ビロードのように艶やかな美しい声で、3番まで、感動的に歌い上げて、高座を終えた。

   さすがに、人間国宝小三治。
   私には、懐かしくてほのぼのとした、心の琴線を震わせる、生きる喜びを彷彿とさせてくれる優しくて温かい語り口が、実に印象的なひと時であった。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・新春国立名人会 1月3日

2020年01月03日 | 落語・講談等演芸
   国立演芸場の恒例の新春国立名人会が、2日から7日まで、7回公演されており、私は、3日と7日に予約を入れた。
   正月3が日に劇場へ出かけることは殆どないのだが、今回は、三三と喬太郎と鶴光の落語を聴きたくて、出かけて行った。
   プログラムは、次の通り。
   

   柳家三三は、小三治の弟子。
   三三の落語は、まだ、2かいくらいしか聴いていないのだが、非常にうまいと思って聞きほれていたので印象に残っている。
   今回は、「一目上がり」。
   長屋に住む無教養の職人八五郎が、隠居宅の床の間の掛軸『雪折笹』の図に添えられている賛の説明を受けて、「結構な賛でございます」くらいのことを言って褒めたら、お前を軽んじている連中も見直すこと間違いなしと言われて、調子に乗って、あっちこっち行って褒めるのだが、失敗の連続。良い賛だと褒めたら、大家には根岸の蓮斉先生の詩(シ)だと言われ、今度は「シ」と言おうと医者のところへ行ったら、一休禅師の悟(ゴ)だと言われ、友人宅で、先回りして「ロク」だと言ったら、七(シチ)福神の宝船だと言われ、最後に、「結構なハチで」と言ったら「芭蕉の句(ク)だ」と言われるという噺。
   無教養な男の厚顔ぶりを洒落のめす噺だと言うのだが、聞く方も、それなりの知識と素養がないと楽しめない、一寸した、教養落語であり面白い。
   勉強が嫌いで逃げ回って落語家になったという三三だが、落語家になって勉強の有難さを知ったはずである。

   柳家喬太郎は、前に、「ハワイの雪」で、素晴らしい落語を聴いた。
   幼馴染で子供心に結婚を誓った死期の迫った初恋の人を、孫娘とハワイまで見舞いに行く話で、雪かきしようねと言った約束を果たすために、密封して故郷の雪を持って行ったが、すでに溶けていて、その代わり、ハワイには珍しい雪が降ってきて、静かに、彼女は逝ってしまった。
   そんな実にほのぼのとした温かい美しい噺であった。
   今回は、ガラッと雰囲気が違った「親子酒」。
   ある商家の、酒好きな大旦那と若旦那の親子が、共に禁酒を決心するのだが、数日で、耐えられなくなって、まず、大旦那が、何やかや理屈をつけて妻にせがみ倒してへべれけに酔ってしまって、そこへ、得意先に、俺の酒が飲めなければ取引を停止すると迫られて酔いつぶれた若旦那が帰ってくる。
   大旦那が「顔がいくつにも見える、こんな化け物のようなお前に、身代は渡せない」と言うと、息子が「俺だって、こんなぐるぐる回る家は要りません」 。
   オチがちょっと違っていて、女房が、「二人とも、早く寝なさい!」。
   とにかく、テレビでも達者な芸を披露しているが、喬太郎の絶妙な話術と芸の冴えは抜群で、素晴らしい落語を聴いた。
   ブックレビューでも書いたが、「なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか?」は、面白い。
 
   笑福亭鶴光は、漫才のオール阪神巨人の阪神に似た風貌と語り口の大阪弁丸出しの上方落語で、映画などに出て剽軽な役どころを演じていて面白い咄家なのである、
   鶴光は、「薮井玄意」
   赤ひげのような町医者薮井玄意が、大阪一の大金持ちの天王寺屋五兵衛の瀕死の病を治して、千両の薬を売ったのだが、病気が全快して、奉公人の入れ知恵で天王寺屋が払ったのは、たったの二百両で、薮井は八百両を取り戻そうと奉行所に訴え出るという話。
   一切治療代や薬代を取らずに、貧しい庶民の治療をしている薮井玄意であるから、この千両も、貧しい人々のために使うつもりなのだが、鶴光は、高座の時間切れで、この良いところで話を終えてしまった。

   さすが、新春国立名人会で、最初から最後まで、楽しい舞台が展開されていて、令和2年の初笑いを楽しませてもらった。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立名人会・・・神田松鯉の講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」  

2019年12月23日 | 落語・講談等演芸
   国立能楽堂の第436回 国立名人会 のプログラムは、
   落語「猫退治」 雷門小助六
   講談「外相の右足」 神田阿久鯉
   コント  コント山口君と竹田君
   落語「自殺狂」 古今亭寿輔
  講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」  神田松鯉

   私は、 人間国宝神田松鯉の講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」を聴きたくて、出かけた。
   天野屋利兵衛は、赤穂義士の吉良邸討ち入りのための武器調達を一手に引き受けた堺の廻船問屋の松永利兵衛で、厳しい奉行の取り調べにあっても、大石内蔵助との密儀を明かさず、可愛い子供を殺そうとされても、「天野屋利兵衛は男でござる。」と言って口を割らなかったと言う大坂商人の鑑。
   浄瑠璃・歌舞伎は勿論、浪曲、落語などにも、これを主題としたバリエーションの作品があり、非常に興味深い。
   私は、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵の十段目・発足の櫛笄の「人形まわしの段」「天河屋の段」を一度観ただけだが、義侠心に秀でた大坂商人の話で、歌六の粋な利兵衛に、痛く感激したのを覚えている。

   神田松鯉の講談は、次のような話だったと思う。
   浅野家当主が、天野屋利兵衛を、城の道具の虫干しを、直々に案内し、重宝の雪江茶入れをよく見ておけと見せたのだが、その日、その茶入れが紛失し、利兵衛が疑われ、詮議した内蔵助に、「自分が盗んだ」と白状した。ところが、この報告に、お殿様にお目通りしたら、自分が持ってきたと示される。なぜ、嘘をついたかと聞いた内蔵助に、係の貝賀や磯貝が切腹になるからと答えた。
   この一件以来、浅野内匠頭と利兵衛との深い親交が続いたと言う。
   浅野内匠頭の刃傷事件と切腹を聞いた利兵衛は、妻を離縁して、槍を背負って赤穂城に馳せ参じて、内蔵助に、御恩をお返ししたい何でもすると懇願したので、利兵衛の忠義と男気を信じた内蔵助は、口外するなと釘を刺して、大事を語って13種の討ち入り武具の調達を頼み込んだ。
   武具調達に勤しむ利兵衛を、たれこむ者がいて、家宅捜索をすると、忍び道具・改造ろうそく立てが出てきたので、 町奉行松野河内守助義により捕縛され拷問にかけられるが、利兵衛は、義理ある人から頼まれたのだが時が来るまで待って欲しいと懇願するばかりで、口を割らない。
   町奉行は、一人息子を人質に取り、子供の喉元に刃を突きつけて白状を迫るが、「天川屋の儀兵衛は男でござる」。
   そこへ離縁した女房・ソデが現れ、夫や息子の難儀を見かねて、内蔵助に頼まれたのだと一切を暴露するのだが、町奉行は、槍を背負って赤穂城に馳せ参じた一件を、「あり得ない。狂女じゃ。」と言って取り合わず、それから一切取り調べをしようとしなくなった。
   討ち入りの成功を、牢番の立ち話で知った利兵衛は、安堵。取り調べれば忠義の邪魔。と奉行は利兵衛を釈放したと言う。

   勿論、名奉行松野河内守助義は、利兵衛の義挙は、お見通しで、忠義の邪魔になってはならないと、お目こぼしを行ったようだが、武士の情け、勧進帳の、切腹覚悟で義経一行を見逃してやった富樫同様の情けあるサムライであった。
   
   さて、歌舞伎の10段目だが、天河屋義平の店へ踏み込んで取り調べをして、義平を吊し上げて子供を殺そうとするのは、義平の忠義を試そうとした大星由良助たちだったと言う、何とも締まらない話になっていて、この所為かどうかは知らないが、上演回数が殆どなく、文楽でも、11月は上演されたようだが、私が観た2012年の国立文楽劇場の通し狂言でも、上演されなかった。

   浪曲の「天野屋利兵衛」を聴いてみたと思っているのだが、傑作は、落語の「天河屋義平」、
   天河屋が、自宅へ大星由良助を招いて酒宴を開いた時、由良助は、天河屋の女房が美人なのに目をつけて、「拙者の妾になれと」口説く。女房は、由良助の色好みは承知なので、「今夜、私の部屋に忍んで来てください」と誘うと、喜んで飲み潰れてしまう。一方、女房は、天河屋にも飲ませてべろべろに酔わせて、自分の部屋に寝かせて、自分は義平の部屋で寝てしまう。むっくりと起き上がった由良助は、約束通り女房の部屋に忍び込んで、布団をまくってコトに及ぼうとした時、天河屋はびっくりして飛び起きて長持ちの上に座って、「天河屋の義平は男でござる」。
   
   さて、楽しませてもらったのは、女流講談師の神田阿久鯉 の講談「外相の右足」。
   不平等条約改正を目論む明治の元勲大隈重信が、暴漢に、馬車に爆弾を投げ込まれて右足を失う大手術に纏わる話で、明治時代の激動を垣間見て興味深かった。
   丁度、ジャレド・ダイアモンドの「危機と人類」の幕末の日本の辺りを読んでいたところなので、面白かった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・国立名人会:小三治の「粗忽長屋」

2019年11月16日 | 落語・講談等演芸
   私としては、久しぶりの国立名人会鑑賞である。
   トリが小三治であるから、チケット取得は至難の業。ネット販売開始後2~30秒間の勝負で得たチャンスであるから、貴重な機会なのである。
   当日のプログラムは、次の通り。
   

   前の小菊の粋曲に、久しぶりに新鮮な驚きを感じたと語って、
   「そそっかしい」とは、英語でどう言うか、フランス語なら、あるかもしれない。と語り始めた。
   本日のお題は、「粗忽長屋」なので、そそっかしい主人公が登場する。
   小三治師匠は、そそっかしいのには2種類あって、まめでそそっかしいのと、不精なそそっかしいとがあると言って、用件も何も聞かずに郵便局へ突っ走る者や、風呂へ行くのに手ぬぐいを頼むが頓珍漢な話などを語りながら、面白かったのは、
   兄弟子が、いつも怒られているので、起死回生、この時とばかりに、師匠に、「上着を取ってくれ」と言われたのを、何を勘違いしたのか、上着を「ウナギ」と間違えて、勇んで「鰻」を取ったと言う話。
   私など、こんな話が好きで、師匠も言っていたが、そそっかしいには、思いやりや何か含みがあって暖かいものが宿っている感じがするのだが、今のように、ギスギスした世の中より、遥かに幸せであただろうと思う。

   さて、「粗忽」だが、広辞苑によると、次の通り。
   ①あわただしいこと。あわただしく事を行うこと。毎月抄「―の事は必ず後難侍るべし」
   ②軽はずみなこと。そそう。軽率。浄瑠璃、国性爺合戦「鉄砲はなすな―すな」。「―をわびる」
   ③ぶしつけなこと。失礼。狂言、米市「ちかごろ―な申しごとながら」
   【粗忽者】そそっかしい人。
   【粗忽長屋】落語。浅草で行き倒れを見た八っつぁんが、それを同じ長屋の熊さんと思い込む。八っつぁんに連れられて死骸を引き取りに来た熊さんも、死体と自分の見分けがつかなくなるという話。と言う丁寧な説明もある。

   大辞林には、
   (1)軽はずみなこと。注意や思慮がゆきとどかないこと。また,そのさま。「―な人」
   (2)不注意なために起こったあやまち。そそう。
   【粗忽者】そそっかしい人。あわてもの。

   この「粗忽長屋」の八っつぁんも熊さんも、そそっかしいと言うよりも、「思慮がゆきとどかない」あほとちゃうかと言う人間離れした天然記念物のような人物で、奇想天外なstory展開を編み出した作者に脱帽である。
   とにかく、行き倒れを見た八っつぁんが、隣に住む熊さんに違いないと確信して、本人に見せて確認しようと長屋へ引き返して、お前は粗忽ものだから死んだことさえ分かっていないと、無理やり現場に連れてきて、やってきた熊五郎も困惑してしまって、仏を抱き上げて、「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」

   そそっかしいを普通に英語で言うと、careless、thoughtless
   しかし、日本語とは、大分ニュアンスが違う。
   それに、そそっかしい人を辞書で引くと、scatterbrain
   馴染みのない単語なのだが、日本語の「そそっかしい」にしても、シチュエーションによって、色々なニュアンスや色合いがあるので、英語でも、一単語で表現できるはずもなかろう。
   まして、この落語「粗忽長屋」に登場する八っつぁんや熊さんのように、ネジが何本か飛んでしまってタガの外れた常識さえ持ち合わせていない人物の粗忽ぶりは、日本語でも、到底、説明は勿論、適切な表現など出来う筈がない。

   とにかく、八っつぁんの言うこと、考えていることは、それなりに理屈も筋も通っているので、これを、常識人の役人が受け答えして、また、同様にタガの外れた熊五郎を説得するあたりの、畳みかけるような語り口など絶妙で、このあたりの人間国宝の語り口、芸の冴えは流石で、理屈抜きで引き込まれて行く。

   Youtubeを見ると、小さん、談志、小三治、と言った師弟の「粗忽長屋」が、見られる。
   同じストーリー展開だが、この録画では、小三治は、まくらが長すぎて、前段を端折って、行き倒れとの出会いから話をし始めて短縮して、10分くらいで終えていたが、今回の高座は、30分十分に語り切った。
   ところで、小さんと談志の録画を聴いていて、両師匠とも、独特なクセと言うか個性が滲み出ているのだが、私には、小三治師には、そのようなクセなりアクの強さなどは全くなくて、緩急自在の心地よいテンポで、ストレートと言うか正攻法の語り口で、非常に爽やかで楽しめるのである。

   今、日経の新聞小説が、伊集院静の「みちくさ先生」。
   主人公は、夏目漱石で、落語が好きで、子供の時から寄席に通い詰めていたと言う。
   私の場合には、クラシック音楽、オペラ、歌舞伎と文楽、能と狂言と行脚を続けて、そして、何十年も経って、やっと、落語や講談にたどり着いた。
   最近は、面白くなってきたので楽しみである。
   漫才は、上方漫才で、もう、半世紀以上前からだが、大阪へ行く機会が減って、吉本にも縁遠くなってしまった。
   今では、同じ行くなら、花月よりも、国立文楽劇場になってしまう。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・三遊亭藍馬真打昇進披露公演

2019年07月06日 | 落語・講談等演芸
   三遊亭藍馬の真打昇進披露公演があったので、国立演芸場に出かけた。
   しかし、病院での定期検診が長引いて演芸場に行ったので、遅れて、後半の真打昇進披露口上の途中からで、前半はミスったのだが、三遊亭藍馬の高座を聴きに行ったのであるから、気にはならない。
   勿論、三遊亭藍馬の高座は初めてで、何も知らないのだが、女流落語家の高座には、何時も魅力を感じて聴いているので、期待して行ったのである。

落語 三遊亭吉馬
落語 三笑亭夢丸
漫才 東京太・ゆめ子
落語 古今亭寿輔
落語 三遊亭遊三
  ―仲入り―
真打昇進披露口上
落語 三遊亭遊雀   悋気の独楽
落語 三遊亭圓馬   ちりとてちん
曲芸 ボンボンブラザース
落語 橘ノ双葉改メ三遊亭藍馬   女明烏

   藍馬は、相撲取りであった主人との馴れ初めの話や摺り足で床がぼこぼこだと言った家庭の話などを枕にして、パンチの利いたパワフルな語り口で、吉原の話をすると語り出した。
   中々の近代的美人で、踊りを披露したのだが、粋な颯爽とした出で立ちが絵になっていて素晴らしい。
   客は、子供も来ており、かなりの人数の高校生か大学生の団体も入っていて、いつもより、若返った感じで、華やいでいた。

   「女暁烏」とは言うものの、「暁烏」の女性落語家バージョンであろうか。
   日向屋の若旦那である時次郎が、「お稲荷様にお篭り」と称して、まんまと騙されて、吉原へ連れて行かれて、遊廓を「神主の家」、女主人を「お巫女頭」、見返り柳はご神木で、大門が鳥居、お茶屋を巫女の家だと言われ、奥へ上がるのだが、異変に気付いて遊郭だと知って帰りたいと駄々をこねる。しかし、花魁に噛んで含んだように人の道を説かれて納得して一夜を明かす。感激した時次郎は、一心不乱に働いて、3年後に吉原に行って、花魁を身請けする。
   元ネタは、勉強ばかりしている堅物の時次郎を心配して、父親が、町内の「札付きの遊び人」の源兵衛と多助に、吉原に連れて行くよう頼み込みこむのだが、これは省略して、吉原稲荷だと騙して吉原へ連れ込むところは同じだが、遊郭だと分かって逃げ帰ろうとしたので、違うところは、大門を出ようとしたら番人に袋叩きに合うと脅されて一夜を明かす。朝、花魁に振られた2人が時次郎を連れに行くと、天国を経験した時次郎が花魁に足を絡まれて起きてこず、「勝手に帰れ。袋叩きに合う」と言うのがオチ。
  「女暁烏」の後半は、一寸噺が違うのだが、「紺屋高尾」によく似た、花魁と客との相思相愛の物語を思い起こさせて、中々、清々しくて良い。

   遊雀の「悋気の独楽」は、2回目。
   つっけんどんな女将さんの表情や、品を作った色気のあるお妾さんの仕草や語り口の上手さは抜群。
   若い頃の藍馬だと、引き合いに出して、お妾さんを演じて客席を喜ばせていた。

   藍馬の師匠圓馬のちりとてちんは、何度も聞いているが、臭くて辛くてどうしようもないちりとてちんを食べる表情の上手さ芸の細かさは、流石で、夫々の噺家の個性が滲み出ていて、いつも、楽しませてもらっている。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・一龍齋貞水の「鏡ヶ池操松影より江島屋怪談」ほか

2019年06月22日 | 落語・講談等演芸
   今日の「国立演芸場開場四十周年記念 第430回 国立名人会」公演は次の通り。
   私は、貞水の圓朝噺を聴きたくて出かけたのだが、ほかの落語なども名演で、楽しませてもらった。
落語「長命」      春風亭柏枝
講談「木津の勘助」  一龍斎貞友
曲独楽 三増紋之助
落語「ハワイの雪」 桂小南
― 仲入り―
講談 三遊亭圓朝原作「鏡ヶ池操松影より江島屋怪談」   一龍斎貞水
道具入り 制作協力:(株)影向舎

   「鏡ヶ池操松影より江島屋怪談」は、人間国宝・一龍斎貞水の前回の「累」と殆ど同じの道具入りの、立体怪談
   薄暗い舞台には、お化けの出そうな墓場の幽霊屋敷を模したようなセットが設営され、中央に置かれた講釈台に貞水が座っていて、講談のストーリー展開や情景に合わせて、照明が変化し効果音が加わって、オドロオドロシイ実際の現場を見ているような臨場感と怖さと感じさせる立体的な舞台芸術。
   語りながら百面相に変化する貞水の顔を、演台に仕掛けられた照明を微妙に変化させて、スポットライトを当てて色彩を変化させて下から煽るので、登場人物とダブらせながら凄みを演じる。
   影絵のように映った幽霊が、障子を破って突き抜ける演技も・・・

   「鏡ヶ池操松影」は、圓朝作の長編人情噺で、今回の噺は、
   江戸の呉服屋江島屋の番頭・金兵衛は旅先で大雪に見舞われ、老婆の住むあばら家に逗留する。夜中に寒さに耐えられなくなって目を覚ますと、老婆は着物を裂いて囲炉裏にくべながら、灰に「目」の字を書いて、箸で突いている。その理由を聞くと、娘の嫁入り衣装を江戸の江島屋で買ったのだが、馬に揺られながらの花嫁道中で、大雨に降られて、糊で貼りつけただけの粗悪品であったために、貼りつけたところがはがれて腰から下が切れ落ちて、笑い者となったので悲観した娘は利根川に入水して自殺する。その恨みを晴らすために、呪いをかけているのだと言う。江島屋に帰り着いた金兵衛は、まだ同じ悪事を重ねて悪どい仕事を重ねようとする主人に、粗悪品の詰まった倉庫に連れて行かれると、真っ暗な中から、幽霊が・・・老婆の呪い通りに、江島屋の店の者に災難が降りかかると言う話である。

   最晩年に、何回か聴かせてもらったしみじみと心に響く歌丸の圓朝噺とは、貞水の圓朝の怪談は、また、凄みと深さがにじみ出ていて、違った別な味と趣があって、面白い。

   もう一つの講談は、お馴染みの「木津の勘助」で、大阪弁丸出しで 一龍斎貞友が、豪快に演じて、私のような元関西人には、感極まるほど名調子の語り口で、堪らない魅力。
   浄瑠璃は、大阪弁が当然だが、元々、関西は上方、
   上方の芸能は、やはり、関西弁で語らないと、言葉の背後の微妙なニュアンスなども含めて上方の上方たる由縁の本当の面白さは、分からないと思っている。

    桂小南の「ハワイの雪」は、先に聴いた喬太郎の新作落語
   柔らかい語り口の喬太郎と違って、パンチの利いた小南の「ハワイの雪」は、大分雰囲気が違うのだが、古典落語ばかりをやっていて新作落語は、地震(自信)がないと、まくらに妙な地震を引っ掛けて語り始めた。
   幼馴染で子供心に将来を言い交した二人、ハワイにいるちえさんが上越の留吉に逢いたいと言う、腕相撲大会の賞金で得た二人分のハワイ行航空券を使って、留吉と孫娘はハワイに向かう。
   庭の車いすで憩う死期の迫ったちえさんに留吉が近づいて語りかける最期の会話で、感極まって相好を崩して、夢見るような恍惚境の表情になって静かに語り続ける小南、
   舞台の照明が消えて、小南だけに淡いスポットライトが当たり、ハワイには珍しい雪が舞い落ちてきて、約束した上越の雪かきを反芻しながら、ちえはしずかに天国へ逝く。
   上越の雪を一杯詰めてハワイへ持ち込んだが、消えていた
   また、歌舞伎の「じいさんばあさん」の舞台を思い出した。

   春風亭柏枝の落語「長命」は、絶世の美女で超魅力的な伊勢屋の娘に婿入りする男は、房事が重なって次から次へと亡くなると言う話で、「短命」とも言う。
   手と手が触れあって、そっと前を見る。……ふるいつきたくなるような、いい女だ。……短命だよと言う大家の言う意味が分からず、八五郎が、家に帰って邪険にする女房に茶碗にご飯をつがせて手が触れて顔を見て、「ああ、俺は長命だ」と言うオチ。   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・立川流落語会初日」

2019年05月25日 | 落語・講談等演芸
国立演芸場開場四十周年記念
5月特別企画公演
「立川流落語会」
24日(金)
落語 立川三四楼 遠山の金さん制度
落語 立川晴の輔 寿限無
落語 立川談修  狸の札
落語 立川龍志  片棒
―仲入り―
落語 立川雲水  天災
落語 立川談春  野ざらし
落語 立川談之助 最後の真打試験
江戸の唄 さこみちよ
落語 立川談四楼 一回こっくり

   私は、「赤めだか」の談春を聴きたくて、出かけた。
   三日間続く立川流落語会のうち、何故か、この日だけ一番売れが悪かったのだが、夫々、大変な熱演で、流石に、立川流だと感心した。

   談春は、「野ざらし」を語った。
   初めて聞く談春の本格的な落語なので、楽しませてもらった。
   「野ざらし」は、色々バリエーションがあるようだが、
   長屋で寝ていた八五郎(?)が、女の声が聞こえるので、女が出来たのかおかしいと思ってその主を問い詰めると、向島に釣りに行き野ざらしの髑髏を見つけて可哀想だと思って持って帰って供養したところ、その骨の幽霊がお礼に来たのだと言う。あんな美人が来てくれるのなら幽霊でも何でも構わないと、無理に釣竿を借りて釣場に勇んで出かける。沢山の釣り客を相手に、頓珍漢な受け答えをしたり、美人との妄想にふけっったりして繰り広げる醜態が面白く、とうとう、自分の鼻に釣り糸を引っかけて苦し紛れに、「こんなものが付いてるからいけねぇんだ、取っちまえ」とつり針を切って、川に放り込んでしまう。
   リズミカルで歯切れのよい語り口が実に巧妙で、色っぽい仕草なども抜群であり、人気絶頂の噺家の面目躍如である。
   足のない幽霊に、八五郎が、足があったかと執拗に聞くあたりなど、男の助兵衛心を覗かせるなど、とにかく、微妙な語り口のメリハリ、テンポ間合いに笑いと擽りを、豊かなしぐさと表情に込めて語り続ける、これこそ、落語の世界であろう。

   談四楼の「一回こっくり」は、「地震雷火事親父」と言うのだが、落語では、地震の話がないので、創作したと語り出した。
   談四楼の著書のタイトルでもあり、相当思い入れがあるのであろう。
   幼い息子を事故で亡くした大工夫妻がの前に、ある暑い夏の日に、幽霊となって現れて、突発した地震から助けると言う人情噺。その地震で、孤児になった可愛い女の子を貰って幸せに暮らすと言うオチがつく。
   談志とは、対極にあるような好々爺の談四楼のしみじみとした語り口と人情噺は、胸に染みる。

   立川談之助の「最後の真打試験」は、落語界の真打試験の実名入り(?)暴露ストーリー。
   八百長は、相撲から始まった言葉で、相撲の伝統であるから八百長がないと伝統違反だと勇ましい話から語り始めて、落語界の真打試験の裏話を語った。
   師匠談志が、落語協会真打昇進試験制度運用をめぐって、会長で師匠・小さんと対立して、落語協会を脱会し、落語立川流を創設したのもこの真打試験で、因縁深い話題だが、有象無象、面白い実話(?)で、落語より面白い。
   先の高座で、志らくが、三平を叩いていたが、談之助も、「こぶ平」の真打昇進に疑問を呈し、三平にも辛口批判をして、あの家で面白いのは、泰葉だけだと語っていたのだが、何か、あるのであろうか。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・「桂歌丸追善落語会」

2019年04月20日 | 落語・講談等演芸
   昨年、惜しまれて亡くなった歌丸の「桂歌丸追善落語会」。
   「笑点」の登場者が、全員出演しての賑やかな落語会で、面白かったが、落語の重み醍醐味と言うか、昨年、なくなる寸前、呼吸器を鼻に詰めて、45分間「小間物屋政談」を語りきって熱演した鬼気迫る歌丸の余人をもって代えがたい質の高い高座を思えば、一寸、これで追善と言えるのか、寂しさを感じた。
   落語に興味を持ってから、歌丸の高座には、それも、国立演芸場だけだが、かなり通っていて、その至芸に接して、色々な圓朝ものの質や格調の高さや、この「小間物屋政談」や「ねずみ」「竹の水仙」など滋味深い人情物語に感動しきりで、全く手を抜かない、誠心誠意の全力投球の話芸の凄さに、楽しませてもらってきた。
   
   

   「笑点」そのものが、軽やかな話芸の世界なのであろうが、私としては、歌丸に対抗すると言わないまでも、それに伍する格調と質の高い落語で、追善興行として欲しかったと思っている。
   と言ってみても、これはないものねだりで、歌丸には歌丸流の哲学や芸風があり、笑点の登場噺家も、夫々の芸の道、個性があるのであるから、それを楽しませてもらったと思えば良いのであろう。
   
   歌丸の思い出について、こもごも懐かしそうに語っていたが、非常に面白かった。
   高座の歌丸の印象とは違って、相当厳しい怖い先輩であったらしい。
   冨士子夫人のこと、それに、円楽が皮切りに、弟子が嫌いだった(?)と言って、怒られてばかりいたと言う枝太郎が、座談の場に飛び入りして、先輩たちと和気あいあいの掛合いで、観客を喜ばせていた。

   当日の番組は、次の通り。

落語 林家たい平    七段目
落語 林家三平     荒茶
落語 三遊亭圓楽    極楽八景噺家の賑い
落語 三遊亭小遊三   金明竹
―仲入り―
座談 ー桂歌丸師匠を偲んでー
落語 三遊亭好楽    め薬
落語 春風亭昇太    看板の一
落語 林家木久扇    昭和芸能史

   

   会場ロビーには、歌丸の芸歴や舞台写真などのパネル、笑点の机や遺品など、歌丸ゆかりの品々が展示されていて、俄作りの歌丸小展示場の雰囲気。
   実に、懐かしい。
   
   
   
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・小三治の「小言念仏」ほか

2019年01月08日 | 落語・講談等演芸
   新春国立名人会の千穐楽は、次のプログラム。
   私にとっては、初笑いで楽しませてもらった。

獅子 太神楽曲芸協会
落語 古今亭文菊   湯屋番
講談 宝井琴調    徂徠豆腐
落語 柳家小ゑん   ぐつぐつ
奇術 伊藤夢葉
落語 桂文楽  六尺棒
―仲入り―
落語 春風亭一朝   芝居の喧嘩
落語 柳家小さん   親子酒
紙切り 林家正楽
落語 柳家小三治   小言念仏

   女風呂を見たくて湯屋番になった男が番台に上がって醜態を晒すという「湯屋番」から、人間国宝柳家小三治の「小言念仏」まで、流石に名人の高座なので、大笑い。
   講談の「徂徠豆腐」は、本来、赤穂浪士に切腹を進言した荻生徂徠の話で、何故、赤穂浪士に切腹と言う慈悲(?)を与えたか、この話が眼目なのだが、時間の関係で、極貧洗うがごとくで、豆腐をただ食いして飢えをしのいでいた侍に食を恵み続けていた豆腐屋の美談と、出世払いで報いた徂徠の人情噺に終わってしまったのが残念ではあった。
   お目出度い太神楽曲芸協会の獅子舞神楽は、正に縁起物、祝儀を渡して、獅子舞に頭を噛んでもらった人の神妙な顔つきを見て、これが、日本の伝統であり文化なのだと思った。
   正楽の紙切りは、いつも、小三治の前座だが、超絶技巧で、見とれている。

   小三治は、まくらに40分弱、「小言念仏」に20分弱、本格的な落語をじっくりと聴きたかったが、まくらで、小三治の人生観など思いの数々を語っていて、誠実な人間性が見えて興味深かった。
   「小言念仏」は、バリエーションがあるが、陰陽の話から、南無妙法蓮華経は陽で、南無阿弥陀仏は陰であると言うところから語り始めて、今回は、「ドジョウ屋!」の後で終わったが、これで、3回聴いており、何度聴いても面白い。

   冒頭、天皇陛下の話になって、良く知っている昭和天皇から大正天皇、そして、誰か年号を変えたい人がいる、自分の時代に年号を変えたのだと言いたいのだ、と言う。

   興味深かったのは、戦争の話。
   子供の時には、軍国少年であったと、当時覚えた軍歌を歌い始めて、幼い時の叩き込みは、怖い、と言う。
   韓国船からのレーダー問題に触れて、どうでも良いことだがと言いながら、あの盧溝橋事件などもそうだが、つまらないことが引き金となって、引っ込みがつかなくなって、戦争になった。
   戦争中、仙台の郊外の岩沼に疎開していたが、誰もいないような畑に、米軍のB29が飛んできて爆撃して逃げた思い出、そして、漆黒の闇に、仙台を、米軍機が絨毯爆撃した時に、ハラハラ、紅蓮に光りながら落ちてくるのを見て、「きれいだ」と言ったら大人にぶん殴られたと言う。
   何度も、戦争はダメだ、戦争はやってはならない、戦争はよそうよ、と繰り返した。
   戦後、アメリカ万歳と言う空気に妙な気がしたともいう。

   何故、噺家になったのか、親を一番困らせるためになったのだという。学芸大に失敗して予備校に通って居た頃であろうか。
   実家は、半士半農で、母親は非常に気位が高くて、偉くなれと言い続けられていて、偉いとは、陸軍大将や総理大臣であったという。
   良い学校を出て、良い会社に就職して、恵まれた生活を送るというのが親の願いであったのであろうが、噺家になって、一番がっかりさせて、何も考えずに過ごしてきたが、良かった、大正解であったという。

   小三治の命名については、真打になって格が上がったのに、世間とは違って逆に「小」がついたので不満だったが、「大三治(大惨事)」になると言われて諦めたと言って、柳家では、大切にしている名籍で、談志に求められた時に、小さんが、意地の悪いやつにはやらんと言った話があったとこか。
   志ん朝が、早い真打への出世で、父とは違ってハッキリと話せたが、わがままだったと言った話、そして、小さんや談志など、色々な噺家の逸話など語って面白かった。
   落語は、元は、小咄で、笑わせようということではない。
   ウケを狙って面白おかしく話そうとするのはダメで、人の心に残るような、心に響くような人生を語り、人々に成る程と納得してもらい、そこに笑いが生まれる、そんな噺でなければならない。と語っていた。
   
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・「芸術祭寄席」

2018年11月28日 | 落語・講談等演芸
   11月27日の国立演芸場の公演は
   特別企画公演 明治150年記念
   芸術祭寄席 ― 寄席芸に映る明治のおもかげ ―
   プログラムは、次のとおりである。
   

   ― 寄席芸に映る明治のおもかげ ―と言うサブタイトルがついているのだが、特にその雰囲気を感じさせるのは、玉川奈々福 曲師沢村豊子の浪曲「英国密航」、そして、強いて言えば、 上野の停車場へ走る人力車を語った桂やまとの落語「反対俥」くらいであろうか。
   春風亭昇太の落語「権助魚」、桂雀三郎の上方落語「胴乱の幸助」、立花家橘之助の浮世節「たぬき」、柳家権太楼の落語「文七元結」も、明治と関連付ければ、そうかなあと思えるのだが、何も、明治にこだわらなくても、面白ければよいと思って聞いていた。
 
   それぞれ、選ばれた芸であるので、素晴らしかったが、やはり、感激して聞いたのは、トリの権太楼の落語「文七元結」。
   
   「文七元結」は、圓朝の人情噺で、
   長兵衛は、素晴らしい腕を持った左官職人でありながら、博打と酒で身を持ち崩して借金で二進も三進も行かなくなり、堪り兼ねた娘お久が女郎屋「角海老」に自ら身売りして拵えた50両を、持ち帰る途中で、回収金50両を盗まれて身投げしようとしていた白銀町鼈甲問屋近江屋の手代文七に「命はカネでは買えない」と言ってくれてやると言う、お人好しか馬鹿か男気があると言うのか、そんな気風の良い江戸の男の話である。
   赤貧芋を洗うがごとき貧しい生活をしていて、呼び出されて「角海老」の女将に会いに行く時にも、半纏しかなくて女房お兼の着物を脱がせて着て行き、金をなくして帰ってきて、腰巻も屑屋に売って裸同然の姿で衝立の陰に隠れているお兼と血の雨が降る大ゲンカ、
   そこへ、盗まれたと思っていたカネは置き忘れだと分かり、近江屋の主人卯兵衛が文七を連れてお礼に参上し、娘を身請けした上に、文七に暖簾分けをして独立させるので娘を嫁にと願い出るというハッピーエンドで終わる。

   これまで、この物語は、落語で聞くよりも、歌舞伎の舞台で、観る方が多かった。
   最初は、幸四郎(白鷗)の長兵衛に染五郎(幸四郎)の文七、
   しかし、何回か観ているのは、菊五郎の長兵衛と時蔵のお兼、それに、菊之助と梅枝の文七、尾上右近のお久、私には、菊五郎と時蔵の夫婦像が目に焼き付いている。

   落語では、三遊亭圓丈で、2回聴いている。
   歌丸の圓朝ものは、かなり聴いているので、聴いたか聴いていないかは別として、何となく、語り口は分かるような気がしている。

   歌舞伎では、大河端の直後は、長兵衛宅の凄まじい夫婦げんかで幕が開くが、落語では、文七が店に帰り、盗まれたと思っていた50両が置忘れで届いていたという話から始まり、舞台が近江屋に移って、大店の人間模様が描かれていて興味深い。
   お久が苦界に身を沈めた50両だという話でありながら、命の恩人の名前も住所も聞かなくて窮地に立った文七に、番頭の平助が、立て板に水、水を得た魚のように、吉原の女郎屋情報を開陳して店の名を羅列して思い出させる当たりなど、「固いと思っていた番頭さんが!」と主人卯兵衛を唸らせる当たり、怪我の功名としても、まさに落語の世界で、番頭はかくあるべきと江戸ビジネスの一端を垣間見せて面白い。

   圓丈の「文七元結」の独特な圓朝の世界に感動を覚えて、この噺の凄さを知った。
   おそらく、歌丸が語れば、昭和平成の語り部よろしく、しっとりとして胸にしみこむ圓朝の世界を再現させてくれたのであろうが、権太楼の「文七元結」は、真剣勝負そのものの剛腕直球の鋭く冴えた語り口で、登場人物が、権太楼に乗り移ったような臨場感あふれる熱演で、江戸落語の奥深さ、年季を重ねたいぶし銀のような芸の輝きを実感して感動した。
   子供の不祥事で、親が世間に頭を下げ続ける世相を語って、逆に、親が悪いと始末に負えないと、枕を端折って語り始めて、40分みっちりと「文七元結」を語り切ったのである。

   立花家橘之助の浮世節「たぬき」は、昨年の襲名披露公演できいていて二回目、しっとりとした、正に文明開化ムードで素晴らしい。
   非常にパンチの効いたエネルギッシュな落語「反対俥」を語った桂やまとが、下座でたぬきサウンドを奏しながら、たぬきのぬいぐるみ姿で舞台に登場して、器用に小鼓を打って、 橘之助の三味線と浮世節に唱和して、芸達者ぶりを披露していた。

   玉川奈々福 曲師沢村豊子の浪曲「英国密航」は、伊藤博文の機転と才知で、長州藩士5人が、ロンドンへ密航する話で、足軽ながら向上心に燃える伊藤俊輔が後に総理大臣に上り詰める秘密の片鱗を見せていて、下剋上、波乱万丈の明治維新が、革命なしに成し遂げえたワンシーンが見えて面白かった。
   上智をでた才媛でインテリ浪曲師、とにかく、パンチの効いたはつらつとした語り口が、最高で、新しい浪曲の世界を開いてくれるであろうと、期待している。

   私が、幼少年から青年時代を送ったのは、敗戦の混乱期から、神武景気を経て東京オリンピック、やっと、日本が立ち上がりかけた時代であったから、正に、第二の明治維新。
   敗戦で荒野と化した国土で、食うものも真面に食えずピーピー言って子供時代を過ごした私自身が、幸運に恵まれたというべきか、学生歌の文句ではないが、”フィラデルフィアの大学院を出て、ロンドンパリを股にかけて”、企業戦士として欧米人と闘いながら地球を歩いて来れたのは、今思えば、夢の夢。
   しかし、修羅場を潜っての苦難の連続、
   玉川奈々福の浪曲を聴いていて、涙する思いであった。

   春風亭昇太が、落語「権助魚」を語る前に、まくらに、幕末に、薩摩や長州が、無謀にもイギリスと戦端を交え、やっと、国家として立ち上がりかけた新生日本が、大国中国やロシアに挑んでそれも勝ったと言う話をしながら、豊かに成り過ぎて、新鮮味を有難みも薄れてしまった今の世相を、笑いに紛らわせながら、語っていた。
   初めて食べたピザの途轍もない美味しさ、欲しくても食えなかった寿司を、初月給を握って寿司屋に行って食べた時の興奮、
   幼いガキが、回転寿司屋で器用にパネルを操作し、そして、高級寿司屋で、トロやウニなどを食っている昨今・・・何が人間にとって幸せなのか、
   「権助魚」も中々の話芸開陳であったが、昇太のぼやきマクラも面白い。

   桂雀三郎の上方落語「胴乱の幸助」は、喧嘩の仲裁をするのが道楽の割り木屋の親父の幸助が、、浄瑠璃の稽古屋の前で、「桂川連理柵」お半長右衛門帯屋の段の嫁いじめの所の稽古を聞いて、浄瑠璃を知らなくて本当の話だと思って、大阪の八軒屋浜から三十石船に乗って伏見で降りて、尋ね歩いて、柳の馬場押小路虎石町の呉服屋に行って仲裁を試み、お半と長右衛門をここへ出せと言ったら、桂川で心中したと言われて、汽車で来れば良かった。と言ったとぼけた話。
   米朝の名調子を、YouTubeで見られるが、桂雀三郎の大阪弁も冴えていて面白かった。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする