熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

大学改革とグローバル人材の育成

2012年07月31日 | 学問・文化・芸術
   日経の主催で、一橋講堂で、「大学改革とグローバル人材の育成」と言うテーマでシンポジウムが開かれたので聴講した。
   聴衆は、教育関係の人が多いのだろうと思うが、若い男女が多く詰めかけて来ていて、私たちのように、白髪かハゲ気味の年寄りは殆ど居なかったのが興味深かった。

   最初の基調講演は、清家篤慶應義塾長の「今日の大学に求められる役割」
   技術や市場などの激烈な変化によって、社会や企業の求める能力が、過去の延長線上では通用しなくなり、サステイナビリティが問われる先の見えないグローバル時代になったので、学生自身が、自分の頭でしっかりと物事を考える能力を身に着けることが、大学教育で最も大切だと熱っぽく語った。
   自分自身で、現実を直視して、何が問題なのかテーマを選んで、自分自身の頭で考え抜いて、外部環境の変化に対応した系統的でシステマチックな考え方や仮説を導き出して、検討、検証して、解決法なり結論を得る能力を涵養すると言うことであろうか。
   
   続いて強調したのは、学生にしっかりと勉強して貰うと言うことと、
   幅広い教養教育の重要性である。
   現在の学生が如何に勉強をしていないかは、次に基調講演に立った川村隆日立製作所会長が、大卒新入社員に、せめても、高校生以上の能力(学力)を持って入って来て欲しいと語っていたことが如実に示している。
   池上教授が、大学入学時が最高で、卒業時に最低の学力と言うことかと付け加えていたが、何十年も前の私の記憶だが、入社試験で同じ技術の問題を出題したら、高専の学生の成績が、大卒や大学院卒よりも高かったのを覚えており、あながちウソでもなさそうであると思っている。

   
   もう一つの教養教育、所謂、リベラル・アーツ教育の重要性だが、これは、パネリストの山内進一橋学長も山田信博筑波大学長も、そして、当然、池上彰東工大リベラルアーツセンター教授も、総ての人が異口同音に強調していた。
   このテーマについては、このブログで、絶えずその重要性を強調し続けている小林陽太郎さんの話や、昨年6月3日付で書いたブックレビュー”中嶋嶺雄著「世界に通用する子供の育て方」”など多くの機会を見て、論じ続けて居るので蛇足は避けたい。
   この中嶋嶺雄学長のリベラル・アーツ教育重視の国際教養大学が、如何に、素晴らしい成果を上げているかは、
   日経に、”人材育成で注目、国際教養大が首位 東大に大差”と言う記事を書かしめたと言うことで十分であろう。
   ”日本経済新聞社が主要企業の人事トップに「人材育成の取り組みで注目する大学」を調査したところ国際教養大学がトップにランキングされました。”とホームページに掲載されているが、
   2004年に設立されたこの新設の秋田の県立大学の快挙と言うか、快進撃に対して、いじめ自殺さえまともに解決できない文科省なり日本の教育界がどう応えるかとと言うことであろう。

   川村会長が、日本のトップ経営者として、大学で4年間工学を勉強しただけのリベラル・アーツ教養の不足の自分には、全面的な人格のぶつかり合いであるグローバル・ビジネスにおいて、殆どPhDを持った教養豊かな欧米のトップとは、戦いにならず、ダンテがベアトリーチェに何所であったとか、日本の文化などについても、宗教は、能は、と聞かれて、恥ずかしい思いをしたと語っていた。
   この点について、先の中嶋学長の本のブックレビューで論じた箇所を引用する。
   ”中嶋学長は、それ以前の問題として、学位の問題に触れて、一昔前の出世コースであった東大法学部卒の官僚や大学中退の外交官、所謂日本のエリートが、現在の国際社会で殆ど通用しないのは、学位を持っていないからだと言う。
   特に、外交官試験にパスしたので、大学を中退して外交官になるのがエリートだとした風潮など愚の骨頂だと言うことであろう。
   ノーベル賞学者で、学位のない人は稀有だが、今や、先進国は勿論、新興国でも、政財界や官界などのトップクラスは、殆ど、博士号か、少なくとも、MBAやMAを持っていると言う。
   学位のない上に、リベラル・アーツの素養に欠け、語学力などの不足でコミュニケーション力に欠けるとなれば、日本の外交官や官僚、企業のエリート達が、グローバル競争に伍して行けないのは当然で、このあたりを見て、ピーター・ドラッカーは、日本人が、一番、グローバル性に欠けていると指摘したのかも知れない。
   この中嶋説には、本来、大学は、人格そのものを涵養する教養教育の場であって、専門教育は、大学院で教え学ぶべきであって、大学院を出なければ学卒として認めないと言う欧米流の高等教育では常識の教育システムが念頭にあるのであって、そのために、トップに立つエリートは、学位を持っていなければならない、そうでなければ、一人前に国際舞台では通用しないと言うことである。
   それも、世界中で認知されているトップクラスの高等教育機関での学位でなければならないと言うのだから、極めてハードルが高く、最近の日本の若者の欧米留学率の急速な低下は、憂慮すべきかも知れない。”

   私自身は、ウォートン・スクールのMBAで、PhDではないので偉そうなことは言えないが、それでも、欧米でビジネスを展開し、欧米の経済人と渡り合うためには、このMBAが、結構、パスポートとして役に立ち、ロンドンなどでは、活躍していた同窓生も沢山いたし、所謂、欧米社会では、貴族制度が消えてしまった分、学位と卒業校がものを言って、学歴社会の様相を強くしているのであろうと思う。
   私の場合、大学時代から、大学の授業と言うよりは、奈良や京都の古社寺散策に明け暮れたり、とにかく、手当たり次第に雑学を勉強し、海外に出てからは、暇を見つけては、歴史遺産や文化的文物、博物館、美術館、それに、オペラやクラシック音楽鑑賞、それに、シェイクスピア等々に入れ込んでいたし、本も結構読み続けているので、欧米人との会食やパーティ、或いは、チャールズ皇太子とも5分くらい話したこともあるし、ビジネス上でも、リベラル・アーツと言うと大袈裟だが、常識的な話題やトピックス上での会話やコミュニケ―ションでは、欧米人に引けを取ったり問題を感じたことはなかった。

   しかし、問題は、私の場合には、スポーツを一切やらないので、この点は、文武両道を重んじるイギリスでは、ビジネス上問題になったことはなかったが、多少、引け目を感じていた。
   イギリスでは、名門のジェントルマン・クラブに入るのは、必須要件だが、私の場合、女王陛下が総裁のロイヤル・オートモビル・クラブの入会面接で、ゴルフ・クラブも2か所所有しており、クラブには、屋内プールは元論スポーツ施設が揃っているところなので、この点を、質問され、日本人が目の色を変えて入れ込むゴルフをやらないと言うと怪訝な顔をされた。
   この国には、ゴルフの他にも、大切なシェイクスピアの戯曲や、アンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカルがあって、それを鑑賞するのに忙しいのだ応えたら笑っていたが、勿論、入会はさせてくれた。

   ところで、アメリカのトップ経営者には、工学や医学などの学位にMBAの学位を持ったダブルメイジャーの人が結構いるのだが、所謂、文理融合のΠ型人間である。
   私の場合には、経済学のBAと経営学のMBAで、同質なので、もう少し、理系の勉強をすべきだったと思っている。
   人生を繰り返せるのなら、もう一度勉強をやり直したいと思っているのだが、このシンポジウムでも言われていたように動機づけが大切で、幸い、私の場合には、京大入試で、社会二科目、理科二科目受験で、理科で、生物と化学を取って勉強したのが、幾何学を加えた数学とともに、結構、その動機づけのお蔭か、その方面への関心は薄れていないし、役に立っていると思っている。
   私立大学では、たったの三科目受験で、入学でき、数学が出来なくても経済学部に入れたのだが、これなどは、リベラル・アーツ以前の問題だと思っているのだが、いずれにしろ、学生時代は、死に物狂いで勉強して、社会に出てからも、生涯教育を続けない限り、生きて行けない時代になったと言うことだけは、事実のようである。

   蛇足ながら、このシンポジウムでは、清家塾長の企業の要望に応えるような教育をと言う点が協調されて報道されているのだが、戦後の日本の教育は、リベラルアーツ重視の戦前の旧制高等学校制度を放棄して、産業界の求める互換性の利くスペアパーツばかりを育成する教育に邁進して、産業立国日本を築き上げてきた。その結果が、今日の体たらくである。
   もう一つ、東大の秋入学問題が話題になったが、これなどは、世界の標準から逸脱している4月スタートの日本の政治経済社会制度が、問われているので、単にグローバル・スタンダードに合わせるかどうかの問題であって、手段にしか過ぎないと思っている。
   国運をかけた大問題のように教育界を巻き込んでいるのも異様だが、結局は、世界の潮流に合わせざるを得ず、日本社会システム全体のリセットが必要で、なし崩し的に実施されるのであろうから大した問題でもなかろう。
   そんなことよりも、今、日本は、宇宙船地球号が滅び去るかどうかという歴史の瀬戸際に立っているのだと言う認識に立って、人類の将来に取って、そして、喫緊には、次世代を担う若者たちにとって、最高の高等教育とは如何にあるべきか、崇高なる教育の理念が問われていると言うことである。
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萬狂言夏公演・・・連歌盗人etc.

2012年07月30日 | 能・狂言
   国立能楽堂へ、野村万蔵家の萬狂言夏公演を見にに出かけた。
   朝の「萬狂言 ファミリー狂言会」に続いて、午後遅くまで続いていたのだが、やはり、観客は、小学生の子供たちや親、そして、老人たちが多くて、定例などの能楽公演とは一寸違った雰囲気であったが、質の高い狂言のオンパレードで楽しませて貰った。

   2003年生まれの万蔵師の3男眞之介君が、「重喜」で、祖父の人間国宝萬師を相手に達者な演技を見せるので、子供たちも大喜びなのだが、これは、先月、この能楽堂の普及公演で、そっくり同じ舞台が行われた。
   やはり、全く同じ演者による同じ曲の舞台でも、二度目だと、結構見過ごしていたディーテールの仕草などが目について、新鮮な発見があって面白い。

   もう一つ興味深かったのは、これも、先月、この能楽堂で公演された大蔵流茂山家の「金藤左衛門」が、この和泉流では、曲名や演出などが少し変わって、「瘦松」として演じられたことで、同じ話でも受け止め方が違うと、その反応と微妙なバリエーションに差が出ていて面白かった。
   山賊の合言葉で、不幸せなことを瘦松、仕合せの良いことを肥松と言うらしいのだが、最初は、山賊(小笠原匡)が、通りかかった女(吉住講)を脅し上げて故郷への土産物を奪って、その収穫の良さに肥松と言って喜ぶのだが、女に、隙をつかれて奪われた長刀で脅されて奪ったものを返した上に刀や着物まで取って逃げられて、これこそ瘦松と嘆いて後を追っかけて行くと言う話なのだが、
   大蔵流のように、泥棒免許書を開示すると言った奇想天外な発想や、山賊が逆に身ぐるみ剥がれたのに、施しをすれば必ず良い報いが将来来る筈だと言って無理に喜ぼうとして、泣き笑いの体で帰って行くと言った一寸捻った噺の展開など、正に狂言の世界で、非常に面白くて味がある。
   それに比べて、どちらかと言うと、この和泉流の方が、話の展開は、ずっと現代的でモダンな感じで、寸劇の面白さが勝っている感じであった。
   最近稼ぎが悪くて不幸せなので、良いカモを見付けて幸せを掴もうと言って、いそいそと泥棒稼業に出かけて、女客だと侮って、まんまと裏をかかれて身ぐるみ剥がれる頓馬な山賊を見て、子供たちはどう思ったであろうか。

   ファミリー狂言のもう一つの曲は、「茸」。
   くさびらと読むようだが、ある男(山下浩一郎)の家にキノコが生えるので、山伏(野村祐丞)に頼んで祈って退治して貰おうと頼むのだが、この山伏は、修行不足のエセ山伏で、「ぼおろん、ぼおろん」と数珠をすって祈れば祈る程、どんどん、キノコの数が増えて、面白い笠を着て面をつけた色とりどりの男女のキノコが、舞台中を、駆け回る。
   終いには、大きな鬼茸が傘を半開きにして橋掛かりに登場し、脇座で傘を開いて鬼の姿を現して、山伏を攻めつけて橋掛かりに追い込んで、その後ろを、キノコたちが一列になって追いかけていくと言った非常に面白い舞台で、子供たちは大喜びである。
   自信満々で威厳を示そうとする山伏が、実は、見かけほどにもない未熟でだらしない山伏だと言うのが、狂言の山伏らしいのだが、大名にしろ山伏にしろ、権威を揶揄して笑い飛ばすところに面白さがあるのであろう。

   萬狂言の方は、重喜の他は、萬の孫世代の小舞と、狂言「入間川」「連歌盗人」であった。
   「入間川」は、入間様の逆言葉(わざと順序を逆にしたり、意味を反対にした言葉遊び)を主題にした物語である。
   反対であるべしと言う認識で徹頭徹尾押し通せれば良いのだが、現実には、嘘と誠、現実と仮想が錯綜し、無意識のうちに、ノーと言うべきところをイエス、イエスと言うべきところをノーと言ってしまうのだが、この場合には、真実を言えと言われて、その気になって真実を言ったらどんでん返しになったと言う話である。
   先の話のように、狂言に登場する大名は、大体冴えなくて笑い飛ばされるのが多いのだが、この話は、珍しくも、大名(野村扇丞)の方が賢くて、最後は、大名が、言葉遊びで入間の何某(野村祐丞)に与えたものを、最後には、皆取り返すと言う話である。

   最後の「連歌盗人」は、男に、野村万蔵と野村万禄、有徳人に野村萬。
   連歌の初心講の頭に当たった男二人が、貧乏で何の準備も出来ないので、相談して有徳人の家に盗みに入る。
   首尾よく入り込んで床の間に掛けてあった連歌の発句を見付けて脇句を付けて興じていると、物音を聞きつけて現れた有徳人に見つかり、自分が第三句をするから、第四句を付けよと命じて良ければ許すと言う。
   許されたので、顔を隠して出て行こうとする二人が知人であることを知って、有徳人は、酒まで振る舞い、土産物まで与えて、今後は表から来て連歌の相手をしてくれと言い、用があるからと言って出て行く。
   本来なら、手打ちで殺されていても不思議ではない筈が、助かった上に土産物まで貰ったので、その幸せを喜び、「盗人に追ひといふことは、かかることを申すらん」と舞う。

   昔は、通人でなくても、和歌や連歌の素養なり教養嗜みがあったようで、狂言でも頻繁に出て来ており、能に至っては、勅撰和歌集などは勿論、漢詩や詩歌管弦など幅広い古典文学や芸術などの知識がないと、鑑賞と理解に苦労せざるを得ないのだが、どうしても和歌や俳句系統になると私の頭がストライキを起して抵抗し、この連歌盗人の連歌さえも、文章を読むようにすんなりとは行かず多少の抵抗があって、自分の勉強不足を恥じている。
   今の国語の教育はどうなっているのか知らないが、我々の時には、古文と言う科目があって、確か、徒然草や源氏物語、枕草子などを少し習った記憶があるが、やはり、日本の伝統文学を一般教養人の常識とするのなら、ドナルド・キーン先生が言うように、紫式部の「源氏物語」や近松門左衛門の「曽根崎心中」を通しで読めるようにカリキュラムを組むべきかも知れないと思う。

   そうでなければ、現実のように、大阪で文楽を見る客が少なくて国立文楽劇場で閑古鳥が鳴いていて、市長に、二度と見ないと言われて補助金を切られて(今回仕方なく曽根崎心中を見に行ったらしいが)、世界に誇る世界文化遺産が廃れても仕方がないのかも知れないと思ったりしてしまう。
   歌舞伎も文楽も、古典芸能の多くは、関係者は、庶民の娯楽だと宣うが、風雪に耐えて時代を経れば、昇華されて芸術となり、鑑賞するためには、それ相応の修練と勉強が必要になってくると言う認識がないと、到底、立派に継承維持などは出来ないのではないかと思っている。
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納涼能・・・能(金剛流)邯鄲

2012年07月28日 | 能・狂言
   能楽協会東京支部主催の「納涼能」が国立能楽堂で開催され、私も鑑賞する機会を得た。
   各流派の宗家や人間国宝などのトップ能楽師たちが登場する非常に豪華な舞台で、貴重な経験をさせて貰ったのだが、私にとっては、最初の大曲・邯鄲の舞台が最も印象的であった。
   次の狂言・二人袴で、シテに登場した山本東次郎師に、「人間国宝」と掛け声が掛かったのだが、丁度、その日に、人間国宝認定の報道があり、正に、記念すべき舞台であった。
   この狂言は、婿入りに出かけた親子が、礼装の袴が一着しかなかったので、二つに裂けたのを幸いに、夫々片側だけ付けて後ろを隠して、二人揃って舅の前に登場し、婿入りの杯を交わすのだが、酒の後に舞を所望されて舞ううちに後ろのない袴を見つけられてしまって恥をかくと言う話なのだが、婿の親を演じた山本師の、親子の温かみを感じる、大真面目で実直かつ端正な表情に、得も言われぬ可笑しみが滲み出ていて、非常に面白かった。

   さて、邯鄲だが、シテ/盧生を金剛流宗家金剛永謹、ワキ/勅使を人間国宝の宝生閑と言う豪華な顔ぶれで、恐らく最高の邯鄲の舞台であったのだと思うのだが、結構、色々な人の解説を読んだりして、能楽堂に出かけたものの、私には、筋を追いながら、鑑賞するのがやっとであった。
   この能は、流派によって大分違うようだし、この話を扱った物語が太平記や枕中記などほかにもあって、面白い異説などがあるようだが、この能では、皇帝に上り詰めて栄華を極める夢を見て人生を悟ったと言う盧生の話になっており、昔、子供の頃に聞いた杜子春の話に通じているような感じがして、やはり、中国の話だと言う思いを強くした。
   
   人生に迷う盧生が、楚の高僧を訪ねて旅に出るが、邯鄲の里の宿で、人生を見通せると言う仙人が残して行った「邯鄲の枕」で一睡すると、勅使/ワキが迎えに来て帝位に着き、廷臣は仙境の酒を勧め、舞童(子方)が舞い、在位50年の栄華を極めるのだが、宿の女主人に起こされて夢だったと悟る。
   それは、粟が煮える短い間の夢だったのだが、この世は夢の世であると悟りを得た盧生は、故郷へ帰る。
   そのような盧生のつかの間の邯鄲での宿りが、舞台の右手前方に置かれた作り物の一畳しかない狭い屋根を張った台を中心に演じられるのだが、この一畳台が夢の間となり宮殿となり、前半のシテの舞は、殆どこの台上で演じらる。
   途中で一瞬台から片足を下す仕草が、夢の中に現実がのぞく劇的な効果をもたらすと言うのだが、徹頭徹尾殆ど先の見えない邯鄲男の面をつけて、この狭い一畳台の上での色々なシチュエーションを表現しての舞であるから、優雅には見えるけれど、大変な芸だと思って見ていた。

   私のように初歩の能楽鑑賞者には、どうしても、見付柱の存在が気になるのだが、相撲はとっくの昔に四本柱が取り払われたにも拘わらず、能舞台では、特に、中正面の見所からは非常に不都合な見付柱が、面をつけて舞う能役者にとっては必須だと言うことで、今でも残っており、それだけ、面をつけての舞は大変な技術を要すると言うことなのであろう。
   ところが、この邯鄲では、夢醒める場面では、盧生/シテは、橋掛かりの一番奥深いところから一気に舞台に走り込み、一直線に舞台を横切って、一畳台手前で拍子を踏んで、横跳びで枕を頭にして横になると言う途轍もない離れ業を演じる。
   凄い迫力とスリルで、正に、金剛永謹の至芸であり、流石に、枕は横に飛んだが、元の姿に戻って眠りにつき、宿の女主人の粟飯が出来たとの声に目を覚ます。
   どんなに複雑な長い夢でも一瞬だと言うことだが、この盧生の場合には、粟飯が煮える間と言うことで、それも、旅の途中の宿りで、「夢の世ぞと悟り得て、望み叶へて帰りけり」と言う貴重な経験を得るのである。

   上杉謙信の「四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒」が知られているが、人生は儚い一睡の夢にしかすぎないと言う思想は、仏教にも相通じるものがあり、日本人の感性にもしっくりくる感じなのだが、果たして、大望を抱いて故郷を出た筈の盧生のように、そう簡単に踵を返して故郷に帰ると言うことが出来るかどうかというのは、人それぞれであろう。
   がんで速く逝ったスティーブ・ジョブズなどは、必死になって死に急がねばならなかったが故の人生だが、壮絶な生き様が胸を打つ。


   ところで、この能は、今まで、結構見て来た夢幻劇とは違って、夢の世界を中に挟み込むと言う現在能であったのも、私にとっては新鮮であった。
   また、最後の演目であった「忠信」も、吉野山中で、義経を逃して、心変わりして攻め寄せて来た衆徒を相手に、大立ち回りを演じる忠信の話であるが、これも、衆徒を蹴散らして義経の後を追うと言うところで終わっている曲で、そのダイナミックな舞台展開や舞台の様子が変っていて興味深かった。
   この日の他の演目は、
   仕舞(金春流) 小袖曽我 金春安明 金春憲和
   仕舞(観世流) 硯之段  観世喜之
   仕舞(喜多流) 飛鳥川  友枝昭世 
   非常に格調高い舞台であった。
   
   
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トマト栽培日記2012~(12)挿し木苗トマト色づく

2012年07月27日 | トマト・プランター栽培記録2012
   追加のトマトを植えようと思って、園芸店に出かけたら、遅かったのか殆どトマト苗が消えてしまっていたので、仕方なく、脇芽を挿し木して育てた苗木が、やっと、沢山実をつけて色づき始めた。
   クローンなので、親木と同じように育って実をつけても何の不思議もないのだが、少し違うのは、主に気候の変化によるものだと思うのだが、花房の先が、普通の苗木のように葉をつけて花房をつけると言う形で、異形に成ったり、結実した実がパラパラ落ちると言うことであろうか。
   いずれにしても、トマト苗としては、殆ど差がないので、挿し木苗でも、結構、市販の苗と変わらないと言うことである。
   先に植えた親木の方は、既に、3番花房くらいまで収穫済みなので、これからは、この挿し木苗の実の収穫と言うことになる。
   


   ところで、今年のトマト苗で、問題なく実が成って収穫が順調だったのは、やはり、レッドとイエローのアイコであろうか。
   先が伸びた長円形なので、昨年同様に、かなりの数の実が、尻腐れ病に罹って、先が真っ黒になったのだが、それ程、気にすることもないと思っている。
   この赤いトマトベリー・ガーデンは、非常に美しいトマトだけれど、余程赤く完熟しないと甘くならないのだが、アイコの方は、多少熟していなくても、まずまずの味で、育てるのにも楽だし、やはり、定番の良いトマトだと思っている。
   毎朝早く、水やりに気を付けているのだが、肥料については、1週間に一回くらい、有機化成肥料を、かるく株元に撒いている。
   別に問題らしきことも起こっていないので、幸い、薬剤散布は、一切行ってはいない。
   
   
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マイケル・E・ポーター~共通価値の創造を語る

2012年07月23日 | 政治・経済・社会
   マイケル・E・ポーターが、日立イノベーションフォーラム2012で、ボストンからのライブ中継で「Creating Shared Value」について、約1時間強に亘って、高射砲のように強烈に熱っぽく語った。
   このCreating Shared Valueについては、既に、ポーターがHBR2011年1~2月号に発表し、日本では、2011年6月のHBR翻訳号に掲載されており、今回の公演の内容も殆どこれに沿った線でなされた。
   このCreating Shared Valueを、どう日本語に訳すかだが、HBRの訳語が、「共通価値の創造」となっているので、これに従って考えてみるが、ニュアンスがかなり違ってはいる。

   世界的な金融危機とは次元が少し違うが、現在、国際的な治安の悪化や複雑な社会問題、深刻な環境破壊や自然資源の枯渇、格差の拡大や益々深刻化する貧困問題、先進国の慢性的財政の悪化などの経済問題等々のために、資本主義そのものが、危機に瀕しており、その元凶は、利益の追求のみを目的とする企業の事業活動にあり、社会がうまく機能していないのは企業の責任であると言うのが、一般的な認識である。
   したがって、政治家たちは、企業の自由な活動や競争力を低下させ経済成長を抑制するような政策を掲げざるを得ず、その結果、必然的に事業活動は弱体化して経済が悪化して悪循環に陥る。
   企業の追及する経済効率と社会の進歩との間にはトレード・オフが存在すると言う一般認識であるから、政府と市民社会は、事業活動を犠牲にして社会の弱点に対処しようとするので、益々、問題が悪い方に拗れて行くと言うのである。
   
   これらの問題の解決のために、政府やNGOが努力し、これまで、企業も、外圧に晒されて、寄付や基金によるフィランソロフィー(社会貢献活動)や、CSR(企業の社会的責任)の追及によって解決を図ろうと試みて来ているが、社会問題を、このように、企業活動の中心課題と考えて対処せずに、その他の課題と考えて経営戦略を打っているのは大きな間違いである。
   深刻な社会問題を解決するためには、経済も社会も同時に成長発展すべしと考える「共通価値」の原則に則って、社会のニーズや問題に取り組むことで社会的価値を創造し、その結果、企業も利益を上げて経済価値が創造されると言うアプローチでなければならないとポーターは主張するのである。

   ポーターの説く「共通価値」は、企業が事業を営む地域社会の経済条件や社会状況を改善しながら、自らの競争力を高めると言う方針とその実行であって、社会の発展と、利益の追及と言う経済発展とを両立させることで、あくまで価値(コストを越えた便益)の原則を用いて、社会と経済双方の発展を実現することを目的としている。
   今日のグローバル経済には、健康、住宅整備、栄養改善、高齢化対策、金融の安定、環境負荷の軽減など多くの社会的ニーズが存在するが、これらの喫緊の深刻な社会問題に対して、慈善事業ではなく、あくまで事業として取り組むことが何よりも効果的であると言う認識に立って、資本主義に関する理解を新たにして、企業本来の目的が、単なる利益の追求ではなくて、共通価値の創出であると再定義すべきであるとポーターは説くのである。
   
   従って、企業は、この共通価値の原則に基づいて、経営戦略を打てば、社会的価値を創造することによって経済価値を創造できるのであるから、依って立つ経営基盤を見直さなければならないとして、ポーターは、次の3つを指摘している。
   製品と市場を見直す。
   バリューチェーンの生産性を再定義する。
   企業が拠点を置く地域を支援する産業クラスターをつくる。

   共通価値の概念は、資本主義の境界を引き直すことで、企業が、新たな社会ニーズに応え、効率を改善し、差別化を生み出し、市場を拡大することによって成功して、同時に社会が改善されると言う共通価値の好循環を実現することとなるのであるから、上記3つの再定義と戦略の見直しは当然だと言う訳である。
   これまで、公害等の外部経済をコスト要因として捉えていたのだが、社会ニーズの実現を新しい市場やバリューチェーンと再定義すれば、当然、企業は、新しい技術、或いは、新しい業務手法や経営手法を通じてイノベーションを追及する必要が生じて、その結果、生産性の向上や市場の拡大を実現でき、前述の各分野での価値向上がシナジー効果として波及拡大して行く。
   ポーターは、共通価値の追求と創造によって成功している多くの著名なMNCを例証しながら、共通価値の創造概念の正しさを説明し、資本主義社会の改革と企業経営戦略の見直しを提議していて、非常に建設的である。

   このポーター説は、「企業はほぼ自己完結的な存在であり、社会問題や地域社会の問題はその守備範囲の外にあって、個人の利益追求の道具である会社の経営者が、独自の判断で慈善事業や文化活動を行うことは、個人の選択の自由の巾を狭めてしまう反社会的な行為であって許せない」と論じてCSRに反対していたミルトン・フリードマンとは、正に、隔世の感ではある。
   しかし、このポーター説の背景にある現代資本主義の見直しや社会的ニーズを満たすべき新しいビジネスの追及については、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットなどの唱える創造的資本主義やムハマド・ユヌスのソーシャル・ビジネスなどにも現れているのだが、やはり、最も体系的に理論を打ち立てたのは、C・K・プラハラードが、ネクスト・マーケット(THE FORTUNE AT THA BOTTOM OF THE PYRAMID 2005)で展開した世界最貧困層BOPでのイノベィティブな市場の胎動を活写したテキストであろう。
   資本主義市場では、全く、市場とは看做されずに、経済の埒外に置かれていた最貧困層の人々に、イノベーションを追及して価値ある製品やサービスを提供することによって、貧困撲滅を目指しながら社会的価値を創造しようと立ち上がった発展途上国の起業家や先進国のMNCの活動を紹介しながら、資本主義社会と企業経営の明日への新しいパラダイムシフト哲学を展開したプラハラードこそ、共通価値の創造の思想を築き上げた先駆者であろうと思う。

   その後、2009年に、GMのイメルトとダートマスのヴィジャイ・ゴヴィンダラジャンが、中国やインドで開発された医療機器が先進国市場でベストセラーになったとしたリバース・イノベーション論を展開して、更に、新興国市場での社会的ニーズの実現が、ポーターの説く共通価値の創造に寄与して、資本主義と企業活動の拡大発展に如何に貢献しているかを如実に示している。
   ポーターは、どちらかと言えば、ネスレやナイキ、IBMと言った先進国のMNCの例を中心に共通価値追求の企業の活動を説いているのだが、共通価値を創造する能力は、具体的なチャンスは同じではないが、先進国にも開発途上国にも、等しく活用できるとしている。
   いずれにしても、深刻な社会的ニーズの存在するところに、共通価値の創造のチャンスと企業の挑戦機会があると言うことであるから、考え方によっては、益々、無尽蔵に、企業のイノベーションとブルー・オーシャンへの道が開けていると言うことであろうが、その対応は、ニーズとケースによって大きく違って来ると言うことでもあろう。

   今回の日立のフォーラムは、「情報活用が加速する社会イノベーション」と言うタイトルで、社会イノベーションと言う視点からポーターを講師に起用したのであろうが、言い難そうにポーターが言及していたが、社会的問題の解決をコストと認識しているCSRに力を入れているような段階では、このポーターの共通価値の創造と言う哲学に基づいた新しい経営には程遠いのであって、
   これまでにも、プラハラードやゴヴィンダラジャンなどの説に触れながら日本企業のグローバル戦略やイノベーション論などを、このブログで展開して来ているのだが、日本企業が、どこまで、経営環境の大きな潮流の変化に対応して、舵を切れるかと言うことで、硬直化した現在の事情では非常に難しいと言うことであろうと思っている。
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真夏の倉敷美観地区を散策

2012年07月22日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   久しぶりに倉敷を訪れて、美観地区の近くに宿を取り、翌朝、少し時間があったので、美観地区入口の交差点から、昔の役場で、今観光案内所となっている倉敷館まで歩いて、中橋を越えて引き返してきた。
   ほんの30分ほどの散策だが、既に、温度は30度を超えており、非常に蒸し暑くて、激しい蝉しぐれで、汗が噴き出る。
   20度少しオーバーの東京とはえらい違いで、久しぶりに、元関西人として、大阪の蒸し暑さを感じて懐かしくなった。

   蝉しぐれだが、千葉を出る時には、沢山、冬眠している私の庭の蝉も、まだ、羽化して鳴いてはいず、むしろ、鶯が鳴いていた筈であり、ここにきて、一気に真夏を感じた。
   私の庭には、西日本に多いクマゼミの東漸は、まだで、一度も訪れたことはなく、久しぶりに、あの激しくシャーンシャーンと鳴く声を聞くと、猛暑の感覚に頭がリセットされてしまって、堪らなくなった。

   ところで、この美観地区で、真っ先に印象的なのは、緑の蔦で覆われたコーヒーショップのエルグレコで、その向こうに見えるギリシャ風のファサードの大原美術館の佇まいである。
   非常に純日本的な街並みに、ここだけは、全く違ったチグハグな、どこかヨーロッパ的な雰囲気がある。
   この町のこの美観地区だが、街並みは、古風な日本的なムードでも、店で売っている品物や、店の雰囲気などは、結構、モダンな欧米風なものが多くて、ハイカラと言えばハイカラだが、どこか異様な感じのハイブリッドである。

   大原美術館には、2度入ったことがあるのだが、欧米の美術館や博物館の多くは見ている私には、特に目新しいことでもないので、今回も、いつものように周りの雰囲気だけを楽しませて貰った。
   泉水に丁度、黄色とピンクの小さな花が綺麗に咲いていて、この同じ花は、中橋の下の川の外れにも咲いていた。
   

   角の倉敷館だが、木造の中々雰囲気のある建物で、内部は、広い部屋は休息所になっていて、案内所も、田舎の役場の受付といった風情で面白く、角の奥にコインロッカーがあったり、車いすが並べてあるなど、チグハグ具合が面白い。
   ここは、遊覧船のチケット売り場も兼ねていて、前の川を、今朝は、かなりの小舟が行き交っていた。
   佐原の船のようにエンジンではなく、船頭さんが竿を使っていたが、狭い川だから出来ることであろうか。
   
   
   

   この美観地区は、入口から、沢山の土産物店が軒を連ねていて、趣向を凝らして売っているのだが、きびだんごでもむらすずめでも美味しいものでもないし、特別な文芸品は別として、それ程、魅力的な土産物は思い当たらないので、この倉敷で、買うものは殆どない。
   面白いのは、大原美術館前から倉敷館にかけて、池畔に、小物やアクセサリーなど装身具様の飾りのようなものを並べて売っている露店が5人ほど出ているのだが、一つ売っても、ネーム入りで、3~500円と言うことで、商売になるのか、心配しながらを見ていたら、綺麗なおねえさんが眺めていた。
   

   この通りの中に、場違いな雰囲気を醸し出しているのが、小さな証券会社の店頭の緑のボードに手書きで書かれた市況情報で、当たらずと言えども遠からずと言った感じの経済情報が意表をついていることである。
   良く考えてみれば、元々は、普通の街並みであった筈で、老舗の証券会社の店があって、今も存在していると言うことであろうが、これも、商売になるのかどうかと言った疑問符のつく店である。
   ところで、この通りには、古い立派な重文の大原邸もあれば、石州瓦の美しい有燐荘もあり、旅館や料亭など結構玄関口には風情があり、その並びに、観光用人力車が客待ちをしている。
   しかし、流石に人も少なく、それに、暑くて、観光と言っても難行苦行である。
   
   
   
   
   

   
   
   
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わが庭の歳時記・・・トンボが飛び交いはじめた

2012年07月19日 | わが庭の歳時記
   蝶の訪れが少なくなったと思ったら、トンボが飛び交い始めた。
   蝶はせっせと花を渡り合いながら蜜を吸っているのだが、トンボは、一度、木の枝や葉先、花などに止まると、何を思っているのか、殆ど動かず、じっとしている。
   花の先に止まる蝶は殆どいないのだが、このトンボは、イングリッシュ・ローズのエル・ディ・ブレイスウェイトの赤い蕾に、長い間止まったままであった。

   今咲いているイングリッシュ・ローズは、このブレイスウェイトとつるバラのガートルード・ジェキル、それに、この春鉢植えにしたウィンチェスター・キャシードラル。
   この花は、白い花だが、ピンクの「メアリー・ローズ」の枝代わり白色種なので、蕾の時には、赤い色が混じっているし、開花した時でも、何となく赤みがかった雰囲気が残っていてムードがある。
   メアリー・ローズは、可愛い中輪の花を沢山つけて何度か返り咲くのだが、素晴らしい花で、このキャシードラルも株が大きくなると、同じように華やかに咲くのであろう。
   
   
   

   
   もう一つ、今春鉢植えにしたフレンチ・ローズのロソマーネ・ジャノンが咲き始めた。
   蕾のころ黄色く、次第に赤みが強く色変わりすると言うのだが、今のところ、ややクリーム色の黄色で、優しくて非常に清楚な感じで、風に揺れる風情が面白い。
   


   良い香りのする八重のクチナシが、まだ、今年は綺麗に咲いている。
   何時も、香りに誘われてか、小さな黒い虫が沢山ついて気になったので、今年は、薬剤を散布したら虫が少なくて、美しい花を見せてくれた。
   ぼつぼつ終わりに近づいたユリだが、黄色いユリが、大輪を開いた。
   ユリは、比較的花の寿命が長いので、豪華な雰囲気を楽しませてくれる。
   花の前に、大きな蜘蛛が巣を張って、昆虫を待っているのも、夏の風物である。
   今年は、厳冬の寒さにやられて、オレンジレモンの木が枯れてしまったのだが、柚子が、濃緑の実を沢山付けはじめた。
   
   
   
   
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国立劇場・・・歌舞伎・愛之助の「毛抜」

2012年07月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   7月の国立劇場の歌舞伎は、6月に引き続いて、歌舞伎鑑賞教室公演で、解説・歌舞伎のみかたが付いた「毛抜・小野春道館の場」で、同じプログラムで、社会人のための歌舞伎鑑賞教室が上演され、普段の歌舞伎ファンを対象とした舞台ではなく、あまり歌舞伎には縁のない観客のための公演である。
   しかし、一幕の短い上演ではあるけれど、一切手抜きなしの意欲的な本格的な歌舞伎の上演で、それなりに楽しませてくれて、2時間半くらいなので、むしろ、4~5時間の普通の歌舞伎公演よりも、気楽に楽しめて、その簡便さが好ましい。

   関西歌舞伎のエースである愛之助が、江戸歌舞伎の命とも言うべき團十郎家の歌舞伎十八番の内「毛抜」の粂寺弾正を演じるのは、非常に面白い趣向だが、市川團十郎監修のお墨付きの公演であるから、本流の舞台と言うことで非常に興味深く魅せて貰った。
   團十郎の豪快で骨太の弾正と比べれば、どうしても、愛之助の線の細さと若さが気になるのだが、爽やかで畳み掛けるようなテンポの速いリズミカルな演技は、それなりに、魅せてくれる。

   お家乗っ取りを図る家老玄番(錦吾)が、天井に設えた磁石を使って、お姫様・錦の前(廣松)の髪を上に吊り上げて病気と偽らせて縁談を反故にしようとするのを、弾正が見抜いて成敗すると言う奇想天外な話なのだが、太平天国で穏やかだった江戸の中期に、磁石と言う科学的な現象を使って芝居にするなど非常に面白い。
   勿論、お家乗っ取り、家宝の盗難、悪玉と善玉の対峙などお決まりの歌舞伎のストーリー展開で、見得や掛け声など荒事仕立てで魅せる芝居なので、色彩や音曲などを含めて極彩色の舞台を楽しめば良いのだが、初めて見た高校生には、どう写ったであろうか。
   

   観客の大半は、高校生と思しき団体に占められていて、殆どが初めて歌舞伎を見ると言う、課外の古典芸術鑑賞教室のようであるが、非常に良い試みで、毎年、学校でも鑑賞教室を持てば大変勉強になると思う。
   ところで、独立行政法人の日本芸術文化振興会は、民主党の仕分で、バッサリ補助金を切られた所為なのかどうかは知らないが、これ以外にも、次のような、子供や社会人を対象にした番組を組んでいる。
   国立能楽堂では、夏スペシャルとして 夏休み親子で楽しむ能の会や夏休み親子で楽しむ狂言の会、それに、働く貴方に贈ると言った社会人向けの公演、
   国立演芸場では、親子で楽しむ演芸会〜寄席を楽しもう〜、
   大阪国立文楽劇場では、夏休み文楽特別公演【第1部】親子劇場「鈴の音(すずのね)」「ぶんらくってなあに」「西遊記(さいゆうき)」

   尤も、歌舞伎や文楽は、何日か連続で公演されるのだが、国立能楽堂(627席)や国立演芸場(300席)では、ほんの1~2日なので、いくら、チケットが完売しても影響は微々たるものなのだが、徐々にしろ、波及効果は無視できないだろうと思う。
   先日出かけて、今回も、夏の萬狂言のファミリー狂言会に出かけるつもりなのだが、子供たちが、嬉々として狂言体操に興じているのを見ていると、こちらまで、嬉しくなってくるのである。
   山田洋次監督が、満州時代に聞いていた落語の思い出を懐かしそうに語っていたが、寅さん映画にしろ、日本の家族を描いて珠玉のような映画作品を残しているのも、あの心の琴線に触れた落語の人間味の影響があったればこそのような気がするので、この日本芸術文化振興会の試みは、子供たちに、日本の文化社会の片鱗とは言えエッセンスを古典芸能の形で見せるのであるから、非常に良いと思っている。

   源氏物語を読んで日本文化に傾倒し、日本留学で最も楽しみにしていたのは、近松門左衛門の「曽根崎心中」を見ることだったと言うドナルド・キーンさんが、橋下市長の文楽補助金ぶった切りに対して「日本の芸術を守るのは世界のため」と反対し、非常に心の籠った文章を産経に寄せていて、「文楽は人間より美しい 文楽は大阪が生んだ芸術、この地で発展を! 慣れ親しむ価値のある伝統文化」と心情を篤く吐露している。
   「文楽は日本の芸術の中でも最も特異なものです。子供向けの人形芝居はあらゆる国にありますが、脚本の文学価値はゼロです。しかし、文楽は、脚本に文学上の傑作が書かれた、世界で唯一の人形芝居なのです。」
   小中学生のうちから文楽を見せ、だんだん難しい演目に進み、高校生も「曽根崎心中を読むべきだと語り、
   「本当にいいものは簡単に出来ないし、鑑賞もしにくい。しかし、一度、その味を知れば、最高の宝物になり、楽しみになります。」
   「古典は確かに難しい。勉強しなければ分かりません。シェイクスピアも、難しくともしまいには分かります。すべての芸術は同じです。日本の伝統文化も、だんだんわかるものです。」と言う。

   戦後マッカーサーによる日本における伝統的秩序破壊のための「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」で、日本人が日本人であるためのアイデンティティの拠り所である道徳観や倫理観、生きるための哲学、それに、日本人が営々と築き上げてきた来た歴史や国土の地理にかんする教育を停止されると言う屈辱的な運命を背負わされた日本人は、その後、社会科や道徳と言う形で、曲がりなりにも日本について学んできたが、確固たる日本人とは如何にあるべきかについては、正面切って考えることは殆どなかったように思う。
   このために、民主主義と言う美名のもとに、日本人としての誇りはもとより、日本の誇るべき歴史遺産や文化文明の軽視を招き、日本の古典文化や古典芸能に対する理解や評価を疎かにすると言う弊害を生んだのではなかろうか。

   話が、横にそれてしまったが、いずれにしろ、今のような状態で、高校までの古典文学の教育が不十分で、尚且つ、子供たちへの古典芸能の鑑賞機会が少なくて、それに、キーンさんが記してるように文楽の故郷である大阪の文楽劇場の観客の入りが少ないと言った状態では、全く、先が思いやられると言うことであり、当事者も観客も、そして、一般市民も、日本の誇る古典文学・古典芸能を守るために、必死になって努力しなければならないと言うことであろう。
   
   
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トマト栽培日記2012~(11)ブラックプリンス色づく

2012年07月17日 | トマト・プランター栽培記録2012
   黒いトマトブラックプリンスが、黒く色づき始めた。
   中玉だと言うが、かなり大きくて、やはり、表面は黒っぽい皮をしているが、赤い色素が黒く変色したのであろうか。
   黒椿は、赤が深化して濃くなった感じだし、黒いチューリップは、紫色が濃くなった感じだし、本来の黒はないのだろうが、何故か、黒色に引かれて、昔、良く黒チューリップを植えたりして、今でも、庭には、何種類かの黒椿が植わっている。
   それに、ブルーベリー・ジャムを愛用して、レーズンパンに毎朝塗布して食べており、野菜ジュースも、紫野菜のものばかりなので、根拠があるのかないのかは知らないが、私の頭の中には、黒っぽいものが、体には良いと言う先入観がある。

   もう一つ、遅れていたアイコイエローも色づき始めた。
   アイコは、赤も黄色も、非常に実つきは良く、ミニにしては、長円形で長い分、普通のミニトマトの2倍くらいのボリュームがあり、二本仕立てで育てているが、脇枝でも、実つきは、一本仕立てと殆ど変らないので、来年は、ミニトマトは二本仕立てで育てようと思っている。
   
   


   私のプランターのトマトは、どんどん、結実した実が肥大して、色づいてきているので、今では、家内と二人では、食べきれないくらい収穫できるようになっている。
   自分で植えたトマトは、完熟した段階で収穫して食べているので、青い状態で収穫して店頭に出るスーパーのトマトと違って、夫々のトマトの本来の味そのものをじかに味わえる楽しみがある。
   それに、肥料は有機肥料を使っているし、薬剤散布はしないで天日の下で自然に育てているので、自然食品と言えよう。

   脇芽を挿し木して植えた二世トマトも、早いもので、ぼつぼつ、色づき始めて来た。
   殆どは、フルーツルビーEXとアイコなのだが、花の着花率が少し悪いくらいで、親木と比べても遜色はない。
   ほんの2~3か月の付き合いだが、子供と同じで、対話を続けていると、愛着が湧くし、成長の一つ一つが楽しみになる。
   
   
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国立能楽堂・・・狂言「重喜」能「兼平」

2012年07月16日 | 能・狂言
   狂言の「重喜」は、人間国宝の野村萬が、孫の可愛い眞之介を相手にして展開する面白い舞台である。
   シテ/住持(萬)が、修行中の若い僧の子方/重喜(眞之介)に、頭を剃らせることにするのだが、剃刀の切れ味を手に当ててて試している途中、住持にぶつかって、「弟子七尺去って師の影を踏まず」と窘められたので、重喜は、長い杖の先に剃刀を付けて、影を踏まぬように遠く離れて「いでいで髪を剃らん」と長刀を使うように剃るのだが、剃刀を住持の眼前に振り下ろして鼻の先を削いでしまう。重喜は、急いで逃げて退場し、住持は鼻を押さえて留める。
   大蔵流では、この前に、旦那が登場して、斎を申し入れるところから始まるようである。
   冒頭、住持に重喜も連れて行くと言われて、自分にもお布施が出るのかと問うたので窘められるのだが、住持も、お布施の金額によって機嫌が変るではないかと口答えして叱られるところなど、最初から笑いを誘う。

   いくら短くても棒の先に剃刀を括りつけて、髪を剃るなどと言うことは、ベテランの理髪師さえ無理な筈なので、当然結末は見えているのだが、これを、後半は、重喜の派手な剃刀使いに合わせて、5人の地謡が重喜に唱和して謳い上げるのであるから、奇想天外の発想とそれを狂言に仕立てる舞台展開が面白い。
   余談だが、私は、海外生活が長かったのだが、一番困ったのは散髪で、どうしても、異人に剃刀を使って髭を剃って貰いたくなかった。
   日本人の散髪屋や美容院のあるところは別だが、他の散髪屋では、一切、カット・オンリーで通したのだが、その後、随分経ってから、QBハウスが、同じシステムの1000円散髪を開業して、ブルーオーシャン、破壊的イノベーションと持て囃されたので、面白かった。

   能の「兼平」は、平家物語の第八十三句「兼平」の「義仲最後」を殆どそのまま踏襲した曲で、同じ、この部分に想を得て脚色した能「巴」と対比して観ると非常に興味深い。
   宇治川や瀬田での戦いに惨敗した義仲は、今井兼平ら数名の部下と共に落ち延び、近江国粟津で、とうとう、主従五騎となり、最後の戦に女と討ち死にしては悪しかりなんと、巴を去らせて後世の弔いを命じ、手塚別当自害、手塚太郎討ち死にで、木曾義仲は、乳母子で義仲四天王の一人今井兼平と主従2人となる。
   
   義仲の最後には、この平家物語以外に、色々な異説・異聞があって定かではないのだが、ここでは、義仲は、兼平が最も恐れていた雑兵に射抜かれると言う無惨な最期を遂げており、兼平は、それを見届けて、太刀を抜いて口にくわえて、馬上より真っ逆さまに落ちて壮絶な最後を遂げている。

   義仲は、「一所にていかにもならん」と契った仲だからと抵抗したが説得され、粟津の松原に逃げ込んで自害せんと駆けて行くのだが、薄氷の張った深田にのめり込んで身動きとれず、後ろを振り向いた瞬間、相模の住人石田次郎為久の追っかけよつ引いた矢に内兜を打ち抜かれて、兜の真向を馬の頭にあててうつ伏したところを首をかき切られて、太刀の先に刺し貫いた首を高く差し上げられて、功名名乗りを上げられてしまうのである。
   「武士は、日頃いくら高名であっても、最後に不覚あれば永く傷がつく。取るに足りない雑兵に討たれて名乗りを上げられるなどあっては、あまりにも口惜しい。ただ松の中へ入らせ給ひて御自害候へ」と勧めた兼平の願いが虚しかったのである。

   義仲は、源氏で最初に平家に攻め込み都に上った一族でありながら、如何せん、御大将の義仲に、体制も整わず確たる哲学もなく統治能力に欠けていたが故に、朝敵となり同族に討たれると言う悲惨な運命を辿ったのだが、やはり、若年なりと言えども、都で暮らし都を知っていた頼朝の知勇と才覚には及びもつかなかったのであろう。
   平家物語から多くの能の大曲が生まれているにも拘わらず、主人公は、巴や兼平であって義仲ではなかったと言うのは、このあたりにあるのかも知れない。

   この兼平は、源平の名のある武将を主題にしたもので、戦闘にまつわる題材で、修羅道の苦患を描くものであり、「死」に直面した武人たちの人生を悲哀を漂わせながら描いている曲であるから修羅物で、修羅物は総て夢幻能だと言う。
   ところで、シテは、中入り前も、自分の氏素性を明かさずに消えて行き、最後は、主君の最期のことを語り、自らの最期を再現して終わり、主君の回向は頼むが、他の曲のように、自分の菩提の弔いを依頼して終わる形式ではなく、少しバリエーションがある。
   前シテも後シテも、殆ど動きがないので、私などの初心者には理解に困るのだが、床几に座り続けていた後シテ/兼平が、主君の最期を語る<クセ>の終わりで、床几を離れて、主君の討ち死にを知って、覚悟を決めて、大勢を相手に奮戦の末、自害して果てる姿を舞うのだが、あの平家物語の描写のように迫力があって感激であった。

   今回の「兼平」は金剛流で、シテは、種田道一師、ワキは、森常好師。
   
   

   
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ヨーラム”ジェリー”ウィンド他著「インポシブル・シンキング」(1)

2012年07月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   進歩発展、成長のためにイノベイティブな”ありえないと思えることを考える(impossible thinking)” には、どうすれば良いのか。
   これを指南するのが、この本だが、その前に、理解しなければならないのは、我々の思考や行動などあらゆる生活や生き様を律しているメンタルモデルとは何かを十分に理解することが大切で、この既存のメンタルモデルを変革しない限り不可能であると言うことで、まず、この本では最初に、最新の脳科学を駆使して、あらゆる側面から、メンタルモデル(言い換えれば、マインドセット、固定観念、思い込みに近い概念)について詳細に述べている。

   現実の状況は何も変わっていないのに、自分の気付きによって世界が一変する様子を、最初は若い女性に見え、次には老婆に見える例の「ゲシュタルトの絵」を使って例証している。
   最新の脳科学では、ビジネス上の動きにしろ、個人の決断にしろ、人間は大抵、自分の目で見たことや五感で感じたことを信じるが、実際には、外の世界から取り入れられる感覚的な情報は、殆ど活用されることなく捨てられてしまって、「見えているもの」と思っているものは、実際に目に見えているものではなく、頭の中にあるのだと言う。
   脳は、「モデルをつくる装置」であり、人間は、世界について、「仮想現実のシュミレーション」を行い、それに基づいて行動しているのだと言うのである。

   この本で、著者たちは、メンタルモデルの変革によって、企業が再生した例として、IBMの経営について語っている。
   毎年赤字を計上していた時に、IBMの研究部門が、基礎研究や中間層の技術開発を最も重視しており、この部門を突き動かしていた技術万能と言うメンタルモデルが障害になって、製品だけに関心を奪われて、顧客との接点をなくしていたのに気付いて、サービス、アプリケーション、顧客ソリューションを重視するようにメンタルモデルに変革した。この取り組みが、新CEOのルイス・ガースナーの打ち出したグローバル・サービス・イニシァチブにぴったり合致して、サービス部門は、IBMで最も成長率が高い分野となった。
   もう一つのIBMのメンタルモデルの大胆な改変による成功例は、ソフトウエア開発の考え方を全面的に転換して、アパッチを活用したオープン・ソース・コードで動く高度なソフトウエアとサービスを柱とするビジネスモデルを構築したことで、この場合には、知的財産権に関して懸念した弁護士団の強力な抵抗を受けたと言う。
   いずれにしろ、トップ企業としてのIBMとしては、社運を賭けたメンタルモデルの変更による経営戦略の遂行であったはずだが、大きな車でも、生きるためには、大胆に動くのである。

   私は、このブログで何度か触れたが、経営危機にあるソニーの経営に欠けているのは、ソニーのソニーたる所以であった破壊的イノベーションとは何かを真正面から直視したメンタルモデルのドラスティックな変革だと思っているのだが、旧態依然たる経営姿勢と経営戦略は一向に変わる気配がない。
   日本政府もそうだし、日本企業も当然だが、世界の潮流が大きく変わってしまったのであるから、メンタルモデル、マインドセットを、大胆にアジャストしない限り、生きて行けなくなってしまった筈なのだが、それが出来ずに、どんどん、激烈なグローバル競争から後れを取っている。

   著者は、シェイクスピアの「テンペスト」の中から、ミランダの言葉「ああ、何て素晴らしい新世界なの。こんな人がいるなんて。」と言う言葉を引用して書き始める「新しい見方を知る」と言う章で、このIBMのオープン・ソース経営の成果を論証しているのだが、そのすぐ後で、
   キヤノンの御手洗冨士夫社長が、アメリカでの23年間の経験を踏まえた、一般的な日本人経営者と考え方が大きく違う、日本的な手法とアメリカ的な手法を融合したハイブリッド型のアプローチによって、経営に大胆な発想や手法が持ち込まれて成功している、と高く評価している。
   
   その同じページで、チャールズ・ダーウィンに触れて、22歳の時に、軍艦ビーグル号に乗って世界一周の航海に出て、五年間の世界一周によって、疑問に思っていた天地創造説を推敲して、次第に進化論への確信を深めて行ったと書いている。
   面白いのは、その後、ダーウィンは一度もイギリスを離れたことはないのだが、経験を受け入れたことで頭が柔軟になり、自分自身の考え方だけではなく、もっと大きな自然科学上の学説を変えることになったと言う指摘である。
   尤も、一度もイギリスを離れたことのないシェイクスピアが、ギリシャやイタリアを筆頭に幾多の外国を舞台にした素晴らしい多くの戯曲を書いたことを考えてみれば、別に、経験しなくても、メンタルモデルの飛翔には障害はないのであろうが、まず、出来るだけ努力して、メンタルモデルの幅と深さを追及することが肝要だということであろうか。
   
   紹介出来なかったが、この本には、メンタルモデルの様々な諸相については勿論、良く生きるためのメンタルモデルへのアプローチの仕方などについても言及していて非常に面白い。
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落語:圓朝祭…豊島公会堂

2012年07月14日 | 落語・講談等演芸
   桂歌丸師匠の圓朝の芝居噺「双蝶々雪の子別れ」を聴いてから、是非、次の圓朝を聴きたくて、豊島公会堂で開催された「圓朝祭初日」を聴きに行った。
   国立能楽堂の能が跳ねた後から、北参道から池袋経由で30分の移動など到底無理で、最初の春風亭一之輔の「粗忽の釘」には間に合わず、既に、主人公の亭主が、迷い迷って新居に辿り着いて、妻に言われて箒をかける釘を打つところまで進んでいた。
   21人抜きの真打興行を終えた一之輔だが、益々、名調子で、畳み掛けるような威勢の良い話術の冴えは格別である。
   意識してかどうかは分からないが、yuotubeで、小さんを聞くと随分テンポが遅くてしっとりと語っているのだが、一之輔の方は、メリハリの利いたリズミカルな話芸で、一気にさげまで突っ走るそのモダンなスピード感が爽やかである。

   ところで、この会場の豊島公会堂だが、一昔前のオンボロ・ホールで、何となく、時代錯誤の話が多い落語には似つかわしいのかも知れないが、来月、国立能楽堂で落語をやると言うのを思い出して、面白くなってきた。
   終演後、入口ロビーで、太鼓など鳴り物入りで雰囲気を盛り上げていたのが良い。
   この日、いくら探してもチケットが見つからず、ぴあで予約してセブンイレブンで発券したのだが再発行は無理で、仕方なく、主催者のジュゲイムスマイルズに電話したら、ぴあのデータを持ってくれば良いと言う。
   歳を取ると、かなりの数の観劇コンサートチケットなので、あっちこっちしてしまって、結構、なくして四苦八苦することが多い。

   次は、桃月庵白酒の「転宅」で、二号の家に泥棒に入ったまねけな男が、逆に口説かれて夫婦約束までして、夫のものは妻のものと、折角の稼ぎを巻き上げられてしまい、翌日、訪ねてみたら転宅済みと言うどうも締まらない話で、おちが「えっ、引っ越した。義太夫がたりだけに、うまくかたられた」。
   妾お梅の語り口の上手さなどは抜群で、流石に噺家は上手いと思った。
   柳亭市馬の「七段目」は、言わずと知れた『仮名手本忠臣蔵』の七段目「祇園一力の場」を題材にした落語で、歌舞伎気違いの若旦那が平右衛門、丁稚定吉がお軽で稽古を始めるのだが、稽古に身が入って感極まった若旦那が真剣を抜刀してお軽に迫るので、慌てて逃げて階段から転げ落ち、下に居た旦那が、「てっぺんから落ちたか」と聞いたので、「いいえ、七段目。」
   昔、クリスチャンになった息子と両親の時代離れしたチグハグの会話を題材にした落語を聴いたことがあるのだが、世界が違えば、話など通じない頓珍漢の世界。そのどうしても相容れない価値観の差を笑い飛ばす落語の世界だが、歌舞伎のように声音まで変えて茶化すと面白さが倍化する。
   若旦那が、少しでも歌舞伎を見れば親仁も面白さが分かるのにと、言っていたが、やはり、歌舞伎でも文楽でも、能でも狂言でも、それなりの鑑賞経験と勉強、そして、理解しようと思う真摯な姿勢がなければ、おいそれと楽しめるものではなく、橋下市長が、補助金を切ったとして問題になっている世界文化遺産の文楽についても、たった一回だけ文楽を観て二度と見ないと言うような、リベラル・アーツ、コモンセンスを欠いた為政者を頂いていては、悲しいかな、文化不毛以外の何ものでもない。

   もう一つ、圓朝に関係なかった落語は、林家木久扇の「昭和芸能史」で、二頭身の片岡千恵蔵や三頭身の大河内伝次郎など昔懐かしい映画俳優などの声音を真似て、当時の映画や芝居などの芸能史を縦横無尽に語って、実に面白かった。
   後に登場した歌丸が、全然似ていないと語っていたが、私なども、少し年代は下がるにしても、映画などでかすかに覚えているので、木久扇の物まねは、実に上手いと思っており、潰れたサイレンなど色々なサウンドを実演していたが、歳とは思えない程の上手さと迫力であった。

   圓朝を語ったのは、金原亭馬生の「業平文治」とトリの桂歌丸の真景累ヶ淵から「深見新五郎」で、この世界に入ると、おち云々の落語の世界とは違ってしまって、奥深い語り部の世界である。
   業平文治の方は、馬生が言うのには、仁左衛門と海老蔵、それに、横顔は馬生を合わせたようなすっきりした良い男で、町娘をきゃあきゃあ言わせたと言う侠客の話だが、出だしは、何故か、銭湯(当時は混浴)で、商家の番頭が、強請騙りの女房のお尻を触ったと言った下世話な仲裁話から始まるのだが、まずまずの人情噺。
   深見新五郎の方は、無役で貧乏旗本の父がカネを借りて返せなくて殺害した按摩宗悦の娘お園に恋焦がれるのだが、虫の知らせか女がなびかないので、物置の藁の上に押し倒して思いを遂げようとしたら、藁で隠れていた押切に切られてお園はこと切れる。もう、店には居られないと100両盗んで逐電してお尋ね者となり、追い詰められて飛び降りたところが、押切の上と言う悲惨な話。
   歌舞伎には、文七元結や芝浜の革財布、それに、牡丹燈籠などほかにも、圓朝の噺が舞台で上演されるのだが、この10月には、国立劇場で、三津五郎主演で、歌舞伎「塩原太助一代記」が、舞台にかかる。
   圓朝の噺には、江戸の芝居好きに相通じる貴重なものがあるのだろうと思う。
   
   白酒が、大半の落語は、時間のロスだと思うような話ばかりで程度が低いと言って笑わせていたが、どうしてどうして、今回の圓朝祭は、素晴らしい噺家登場の質の高い落語の公演だったので、非常に楽しませて貰った。
   
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七月大歌舞伎・・・猿之助の「黒塚」

2012年07月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部の圧巻は、やはり、猿之助が、老女岩手実は安達原鬼女を演じた「黒塚」であろう。
   能の「黒塚」、観世流では「安達原」と題するようだが、平兼盛の「陸奥の安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか」と言う歌と、安達ヶ原の鬼女伝説を基に舞台化されたと言う。

   熊野那智大社の阿闍梨裕慶(團十郎)が山伏たち(門之助、右近)と托鉢修行行脚の途中、陸奥の安達ヶ原で日が暮れて、人里離れた野原の庵に辿り着き、一夜の宿を乞う。
   人世に疲れた老女が住むあばら家で、寝付けない祐慶が、片隅の糸車を見つけて糸繰りを頼むと、老女は、糸を繰りながら仕事歌を歌い悲しく辛い境遇を嘆き、それを、祐慶が、慰め諭す。
   寒いので、薪を取って来ると言って立ち上がり、戸口で引き返して、留守中に寝室を覗いてはならないと言い残す。
   見るなと言われれば見たくなると、祐慶の制止を聞かず、同行の強力太郎吾(猿弥)が覗いてみると、そこには、人の死骸が山積み。
   一方、安達ヶ原に薪取りに出た老女は、阿闍梨から仏の道を説かれ心の曇りが晴れたて嬉しくて、童女の頃を忍び無心に踊る。
   しかし、そこへ動転して必死になって逃げて来た太郎吾を見て、祐慶たちの背信を知り、鬼と化して、急ぎ取って返す。
   鬼気迫る井出達で食い殺そうと挑む鬼女を、踏み止まって五大尊王に祈って調伏しようとする裕慶たちとの息詰まるような戦いの果てに鬼女は力尽く。

   この第二景の、舞台背景一面に階段状に植え込まれた薄と中空に輝く三日月をバックにして、舞台上手には長唄、三味線、琴、尺八、舞台下手には小鼓、大鼓、笛のお囃子連中が陣取り、四世杵屋佐吉作曲による素晴らしい音曲に合わせて、美しい舞台で踊る猿之助の老女の踊りの素晴らしさは格別で、これこそが舞踊劇の舞踊劇たる所以であって、能舞台との大きな違いと言うか、能の名曲に想を得た歌舞伎化によるアウトへ―ベンと言うべきケースであろうか。
   歌舞伎美人で、「猿之助が太陽なら、亀治郎は月――。人にそう言われ、なるほどと思ったという亀治郎が、舞台で最も好きなのが『黒塚』の月。老女岩手から鬼女へ変わるところは、「無心になれと言われるが難しい。今回は何も考えず、"即興"ではないけれど、そういう気持ちでやろうと思っています。」と言っているのだが、初代猿翁が、ロシアン・バレーから想を得たと言う東西の美的要素を名曲に凝縮した実に素晴らしい舞踊劇を、緩急自在にメリハリを付けながら滔々と流れるように踊り続ける猿之助の至芸に感動であった。

   ところで、第一景の舞台だが、丁度、能舞台の作り物を模してか、舞台中央に、同じようなボックス型の小さな庵が設えられていて、その正面の障子窓に、薄明かりに陰った岩手の姿が浮かんでいると言う設定で、シンプルだが、何となく後のストーリーを暗示しているようで面白い。
   能では、後シテの鬼女は、般若の面をつけるようだが、猿之助の隈取も凄まじい。
   しかし、やはり、能と同じで、猿之助の岩手も鬼女も、衣装は錦で実に美しく、鬼女の衣装の考案には金剛流が協力したと言う。

   さて、この舞台では、閨の内を見るなと言われたのに見てしまったと言うところがポイントで、その裏切られたと言う背信行為に激怒して、岩手が鬼女に戻って本性を現して、祐慶たちを食い殺そうとするのだが、見方によっては、見られても見られなくても、岩手は、祐慶たちを食い殺そうとしたかどうかと言うことである。
   岩波講座の能鑑賞には、鬼女の心に共存している人間性と鬼性とどちらの方を強く表現するのかによって微妙な違いが出てくる。中入りの際に、退場する時、閨を覗くなと言って橋掛かりで立ち止まる演技は、本当に約束を守ってくれるだろうかと言う不安の表現にも、うまく罠にはまってくれるよう願う気持ちの表現にもなり得ると書いてある。
   ところが、三宅晶子教授などは、鬼女は、寒いのに夜中に芝を取りに裏山へ出かけようとするほどだから親切な女で、祐慶たちを食おうと思ったわけではなく、悟りを得て成仏したいと言う気持ちは本心らしく、裏切られたから本性を現したのだ。と言う。尤も、女の正体は、人を食う鬼であり、自分の運命に苦しむ鬼、鬼の人間性、その類が垣間見えて、人間の心に潜む悪の部分に鬼と言う形を与えて、この能は面白い迫り方で人間の本性をついて突き付けているとも言う。

   私は、この歌舞伎の場合には、第二景の場で、阿闍梨から仏の道を説かれ心の曇りが晴れた岩手が、童女の頃を忍び月に戯れて無心に踊ると言う素晴らしい舞踊の舞台を挿入することによって、はっきりと、人間に立ち返って平安を願おうとする岩手の心が表出されており、裏切られたから故に鬼女にかえってしまったのだと言うストーリー展開を明確にしたと思っている。
   それ故に、自分勝手な生き様と言えばそうなのだが、闇路にのめり込んだ人生を清算しようともがいていたその苦悩の果ての展開であるから、実に悲しくて切ないのだが、所詮、鬼とは、人間が作り出した虚構にしか過ぎないと言うことであろう。
   第一景での、人世に疲れて苦悩する沈んだ老女の姿、第二景の、溌剌として喜びを現しながら表情豊かに踊る姿、第三景の、凄い形相と迫力で祐景たちに対峙する鬼女の姿、夫々の老女岩手と鬼女の中に複雑な人間性の揺れ動きをうまく表現しながら猿之助は、泳ぐように流れるように舞台を務めていて、何の違和感もなく舞台に引き込み心地よい感動を与えてくれた。

   この舞台は、何を置いても、人間の宿業の深さと儚くて悲しい人間の性を鬼女に託して演じ切った猿之助の舞台であるが、祐慶に、團十郎と言う重鎮を迎え、門之助と右近と言う猿翁が手塩にかけて育てた盟友が脇を固め、性格俳優として貴重な存在の軽妙洒脱な猿弥が、器用に狂言回しを演じるなど、素晴らしい助演陣に助けられて、正に、襲名記念として最高の舞台を作り上げたと思っている。
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瀬戸内寂聴さん電子ブックを語る

2012年07月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   東京国際ブックフェアで、瀬戸内寂聴さんが、90歳とは思えない程の迫力で、電子書籍について熱っぽく語った。
   いまだに、パソコンを使わずに手書きで原稿を書く寂聴さんが、村上龍の電子書籍を見せて貰って、新しい物好きの血が騒ぎだして、仲間に入れてくれと言って最初に出したのが、病床で寝ながら書いた「ふしだら」と言うタイトルだと言うから面白い。
   初期の作品を電子化して、既に、8作品出版していて、自分でも感心するくらい、良く調べて一所懸命に書いた小説なので、是非、読んでほしいと言う。

   jakuan.comを叩くと寂聴さんのホームページが現れて、「ふしだら」のオフィシャル・サイトが出てくるのだが、ここに、その辺の事情が紹介されている。
   ここで、寂聴さんは、電子書籍について、次のように語っている。
   「電子書籍は、印刷術が始まって以来のひとつの革命だと思います。印刷術ができた時も革命でした。けれども、同じ状態は続きません。これは、久しぶりの革命が起こったと思いました。私が生きているうちに、革命に出会ったということは、大変な喜びだと思いますから、冥土の土産にぜひこれに参加したいと思いました。」

   電子書籍で、「私が、一番感じたのは、字を自由に大きくできますから、これは年寄り向けだと思いました。」と言う。
   これはデジタルの良さなのだが、次に強調したのは、絶版になって書店では買えなくなってしまった貴重な本への思いである。
   「欲しい本が、今、買えなくなっています。とても、いい本だけれども、文庫も絶版になっている。そういうのが随分あります。 自分の尊敬している人の小説も、誰もが読まなくなっている本がたくさんあります。そういう本を電子書籍で出していけたら、・・・」

   しかし、現実には、これも、同じくデジタル革命のお蔭で、売買が、リアル・ショップだけではなく、バーチャルなショップでのネット・ショッピングが可能になったので、極めて品薄のロング・テール商品でも、どこからでも瞬時に調達できるようになった。
   したがって、絶版になっていても、アマゾンを叩けば、古書で出品されているので、余程の本でない限り殆どの本は探せるし、寂聴さんの絶版の本も出ているし、それに、寂聴さんの立派な源氏物語の新訳本など素晴らしい単行本などでも、本によっては良品を、1冊251円(本代1円+送料250円)で買える。
   また、スーパー源氏や神田古書などの検索サイトもあるので、古書店にあれば、絶版に拘る必要もないし、それに、国会図書館などに行くなど、手間暇かければ、大体どんな本にでも出会える筈である。

   ただし、電子書籍にすれば、消去しなければ殆ど永久保存だし、最近のように技術が進めば、非常にコストが安く手間暇をかけずに楽に書籍の電子化が可能となり、それに、ストレージのキャパシティが増加の一途を辿っているので、その可能性は無尽蔵であろう。
   昔、グーグルだったと思うが、欧米の著名大学の図書館の書籍を総てデジタル化すると発表したのだが、著作権など色々な障害に遭遇して頓挫(?)したと記憶しているが、むしろ、そのような人為的な障害による電子化不能となるケースの方が問題となろう。
   書籍でも、商業ベースに乗らなければ、著作権者が許可しないであろうから、技術的以前の問題をクリヤーしなければならないであろう。

   尤も、青空文庫と言う素晴らしい無料電子書籍サイトがある。
   「青空文庫は、利用に対価を求めない、インターネット電子図書館です。著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、テキストと XHTML(一部は HTML)形式でそろえています。」と言うサイトで、まだ、収容されている作品には限界があるのだが、内外の貴重な小説や文献の多くを収容していて、貴重な文化文明擁護の社会貢献サイトであり、見上げたものであり、こう言ったサイトが増えると面白い。
   欧米などもそうだが、新聞や雑誌の多くは、有料会員のみとか定期購読者のみとか課金制度を導入して読者を限定しているのだが、私など、欧米の著名大学や研究機関や国際組織などにアプローチして、学術論文や重要なリサーチなどを検索して読んでいて、結構、楽しませて貰っていて、情報、知識、資料などの収集には不自由していない。

   デジタル革命のお蔭で、今や、オープンビジネス、オープンイノベーションの時代であり、多くの読者が無料奉仕で編集し、破竹の勢いで質量ともに情報を拡大深化し続けているウイキペディアが、エンサイクロペディア・ブリタニカを凌駕する時代である。
   情報を囲い込むような現在の新聞の課金システムなどは、時代遅れで、早晩、新しいビジネスモデルの登場で、並みの情報では、商売にならなくなるであろうが、そうなると、知的所有権や著作権などが弱体化して行って、知の創造に齟齬を来すのであろうか。
   
   講談社が、紙の書籍・コミック発売と同時に、電子書籍を配信すると言う。
   話は一寸違うが、アメリカ最大の書店バーンズ&ノーブルが、リアル・ショップに被害が及ぶカニバリゼーションを恐れて、ネットショッピング参入が遅れた結果、アマゾンにコテンパンにやられてしまった例などを考えれば、趨勢が、電子書籍に移行しようとしているタイミングでの講談社のこの決断は適切であろう。
   ソニーが、アップルや任天堂に負けた原因は、ダブル・ベッティングしなかったことだとE・J・スライウォツキーが指摘していたように、二股かけたビジネスを上手く操りながら趨勢に合致したビジュネスモデルに変換して行く以外に、生きる道はない筈であるからである。
   小売業で考えても、百貨店などは完全に斜陽産業であることは明々白々たる事実であるから、出来るだけネットショッピングやデジタル化ICT化に比重を移した経営を志向して、時代の潮流に乗ることが大切だと言うことでもあろう。

   ところで、寂聴さんの話は、こんな話よりも、編集者と親しくならないと作家に成れなかったと言う、作家と編集者との密着した生活一体の話が面白かった。
   分かれた相手のことを詳細に調べて来て報告し、小説に書け書けと叱咤激励するなど、しっかりとサポートしてくれたりしたので悩みから救われたと話しながら、今のデジタル化電子化した時代の編集者との冷たくなった関係など、60年以上の作家生活の軌跡を語って、非常に感銘深く聞いていた。
   今でも、目が覚めたら寝るまで、仕事仕事で自分の時間などない。出家してからの方が忙しい。激しく生きないと勿体ない。と言う。

   政府は、国民のために、国民のことを考えていると言うが、どこが大丈夫ですか。
   今の日本は、本当に危ない。私は死ぬから良いけれど、いつ潰れるか分からない。
   人が生きて来たのは、自分以外の人を幸せにするためで、それ故に尊敬に値するのである。
   お釈迦さまは、人を殺してはいけないと言われた。戦争は絶対にダメです。
   反原発で一生を全うすると言わんばかりの迫力で、後半、例の青空説法を模して聴衆の質問に丁寧に応えて激励していた。
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トマト栽培日記2012~(10)ホーム桃太郎結実肥大

2012年07月09日 | トマト・プランター栽培記録2012
   遅く二本植えたホーム桃太郎の実が少しずつ大きくなってきた。
   最初は、3個だけの結実だが、2番3番と結実数が増えてきており、上に行くほど花数が多くなっている。
   いずれにしろ、電気歯ブラシを使って受粉促進を図るが、一房、4個くらいに抑えて肥培したいと思っている。

   大分、あっちこっちのトマトが色づき始めて、面白くなってきた。
   まず、トマトルビー・ガーデンだが、二本とも、花房の根元から赤く染まり始め、中々優雅である。
   
   


   フルーツルビーEXは、一番早く植えたので、もう、頂部は摘心し、結実した実が大きくなるのを待つだけである。
   このトマトは、中玉だが、かなり大きくて、その為にも、木が非常に太くて頑丈である。
   実が色づき始めるにつれて、下草が黄色くなって枯れ始めて来たが、上部の葉や茎がしっかりしているので、このまま、最後まで走ろうと思っている。
   


   デルモンテのビギナーズ・トマトも、少し色づいて来た。
   このトマトの実の形は、サカタのアイコそっくりの長円型である。
   間延びするアイコと比べて、背丈の伸びがゆっくりで、低くてもびっしりと花が咲いて結実するので、ビギナーでも楽しめると言うことであろうか。
   もう一つ、商品名タグの付け間違いのデルモンテのトマトだが、ミニだからトウインクルであろうか、色づき始めて、第1花房は7個しか結実しなかったが、上の方にはびっしりと花が付いて結実し始めている。
   しかし、自然とは上手くしたもので、花が沢山ついても、適当に落ちて、私の場合には、いくら沢山残っても、精々、一花房には、ミニトマトでは30個くらいである。
   
   
   
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