熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

花鳥風月を愛すると言うこととは

2010年02月28日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
    昨年末に、孫に、春の花の球根を沢山持って行って、庭土を掘って土を作り肥料を施すことを教えて、植えさせた。
    最近の温かさのお陰もあって、一斉に目を出し始めたのであろう、嬉しそうに芽が出たと電話をして来た。

   私など、宝塚の田舎で、子供時代を過ごしたので、近所の農家の田植えを手伝ったり、畑仕事のイロハくらいは見よう見まねで覚えたし、季節の移ろいによって、自然がどんどん変わって行く姿を、田園地帯の生活で体験していた。
   塾もなければ、宿題などをした覚えもなく、毎日、野山を駆け回って遊び呆けていたのだが、その自然べったりの生活が、私を育ててくれたような気がしている。
   あまり自然との関りのない生活をしている孫には、少なくとも、子供の頃から、花や木の生長を実感しながら、自然と親しむことを教えたいと思っていたので、千葉に来ると、必ず、近くの田園地帯を散策したり、森や林、そして、森林公園などに連れて行って、花鳥風月の営みを実感させることにしていた。

   花鳥風月と言うと、何となく、文学的であり、芸術の香りがするのだが、それはそれで、高度な知的な感性の営みとして、ここでは、花や鳥や月と言った美しい自然の営みや景色を言っているのだが、切っ掛けは、球根から芽を出して綺麗なチューリップの花が咲くまでの移ろいに不思議を感じると言ったような身近なことでも良いと思う。
   万葉集や古今和歌集などを学んで、京都や奈良を歩いて、歌心を刺激されたのは、大学生以降だが、そんな高度な鑑賞眼に至らなくても、美しい花や鳥を見て感激し、月の煌々と照る曠野を見て哀れを感じ、爽やかな風に幸せを感じると言った、自然との触れ合いに、感じ入って心を動かされば、それで、十分だと思っている。
   しかし、自然と親しむといっても、やはり、それなりの心の準備や、姿勢、そして、勉強して学ぶことが必要なのである。

   私が、ガーデニングを含めてだが、花や鳥と言った自然との関りに興味を持ち始めて動き始めたのは、やはり、海外に出てからで、花の国オランダでの花との出会い、そして、ロンドン郊外のキューガーデンに住んで、メンバーチケットを持って、休みが取れれば週末に、世界最高と言われている植物園キューガーデンに通い詰めて、植物を観察し写真を撮り続けた、あの頃からだと思う。
   日本に帰国した年、家を建てた時に植えた乙女椿が大きくなっていて、ピンクのぽんぽんダリアように美しい花を見て感激して、それから、椿の花の栽培にのめりこんで行ったのだが、少しずつ、花や鳥など自然の営みに関心を持ち始めて行った。

   昔、若い頃に、京都や奈良などの名園などを訪れたり、欧米でも、素晴らしい庭園や植物園などを訪れたが、現在は、美しいとか素晴らしいと言った名園などには、殆ど関心がなくなり、どちらかと言えば、自然の雰囲気に浸りながら、その時々の印象なり感性を大切にして、自分なりに楽しんでいると言うことである。
   したがって、花鳥風月を愛すると言った大げさなことではなく、時には、私の小さな庭のガーデニングに没頭し、時には、植物園や公園に行ってどっぷり自然に浸り、時には、園芸店に出かけて、花や木を探すと言った身近な自然との関わりそのものが、楽しいのである。

   椿一つ取ってみても、非常にバリエーションに富んでいて、例えば、すぐに花弁が落ちる椿もあれば、寿命の長いものもある。
   しかし、どちらがどうと言うことではなく、綺麗に咲いて、花がすぐに落ちる玉之浦や小磯の落ち椿の風情は、格別である。
   淡いピンクの大輪の花弁を付ける曙椿や花富貴などは、実に優雅で美しいのだが、残念ながら、花弁が弱いのですぐに傷んで色が変わると、観賞価値が落ちてしまう。
   私の庭にあるだけでも、ほんの3~4センチくらいの小輪から15センチもある大輪まで、それも、一重もあれば八重もあり、色に至っては、白から濃赤までバリエーションは豊富である。
   これらを、集めて植えて見て、その成長と変化を観測しながら楽しむと言った身近なガーデニングでも、それなりに、楽しいのである。

(追記)写真は、匂い椿港の曙とめじろ
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新宿御苑の梅と寒桜が満開

2010年02月27日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   先日、温かい日の午後遅く、新宿御苑を訪れた。
   やや、木々の蕾が動き始めた所為か、落葉樹も黒ずみ始めた感じだが、まだ、公園全体の雰囲気には、春の気配には間があり、寒々とした冬の風情である。
   ところが、園内にいくらかある大きな寒桜は、ややピンクの勝った一重の美しい花を爛漫と咲かせていて、日当たりの良い木などは、強い風が吹くと、花吹雪を舞わせている。
   日本庭園の寒桜の大木は壮観で、三脚を立てて望遠レンズを付けたカメラを向けているアマチュア・カメラマンが集まっていたが、花が動くのでピントが定まらず、辛抱強く待っている。

   茶室楽羽亭の周りの梅園の梅が満開で、殆どは白花だが、何本か紅梅が植わっていて、白い空間に彩を添えている。
   梅の何とも言えない香りが広がっていて、初春の雰囲気が充満している。
   亭内に、一本紅梅があって、咲き始めだが、しべ部分の鮮やなな白のコントラストが美しく、中々風情があって良い。
   このあたりの梅の木は、湯島天神境内ほどではないが、古木が多くて、枝ぶりに個性があって面白い。
   
   この口絵写真の紅梅は、新宿門近くの芝地に植えてある単木だが、日当たりが良くて、のびのびと育っているのが良く、手の届くところに花があるので、コンパクトカメラでも、接写が出来る。

   新宿門を入ってすぐの所に、ゆりのきレストランがあり、その前に方形の生垣のある花壇があって、下草に水仙が植わっていて、梅園になっているのだが、今、一番美しく咲いている。
   中に、まだ、小木だが、かわずざくらが2~3本植えられていて、少し、盛りを過ぎているが、やはり桜だけあって、梅とは雰囲気が違っていて、ピンクの花が、華やかである。
   少し離れて、一本だけだが、か細い紅梅の枝垂れ梅が植わっていて、咲き始めている。
   長い枝垂れ枝に間延びした感じで花がついていて、それなりに風情があり、その対照が面白い。

   緑陰には、寒椿とやぶ椿が咲いていて、落ち椿が苔むした地面に彩を添えていて面白い。
   椿園のところが整備中で行けなかったのだが、今のところ、椿が美しく咲いているところは見当たれなかった。
   椿の種類が限定されているのか分からないが、私の庭の椿は、何故か、今年は咲くのが早いのか、かなり、色々な種類の椿が、綺麗な花を咲かせていているので、不思議な感じがした。

   池畔にサンシュユが、黄色い花を咲かせている。
   統計によると、白と黄色の花が、花全体の70~80%を占めるらしい。
   しかし、感じとしては、黄色い花は少ないように思うのだが、昔ブラジルで見た、桜のように真黄色の花をたわわに咲かせるイッペーの大木の凄さを思い出した。

   この新宿御苑は、私が、ロンドン時代に、良く散歩道に使っていたキューガーデンに良く似ているので、たまに、時間が取れると、ふらりとやって来るのだが、別に目的もないので、気の向くままに歩くだけで、適当に時間を過ごして帰る。
   大抵、コンパクト・カメラを持っているので、季節感を味わいながら、写真を写すことにしている。

   この日は、閉園の4時半に新宿門を出て、神保町に行って、三省堂と古書店で時間を過ごして、夜には、芸術劇場でのNHK交響楽団演奏会に行った。
   千葉の住人なので、特別に、新宿御苑に来るということはなくて、何かのついでに御苑を訪れるということだが、梅なら、他にも名所があるのだが、新宿御苑に来れば、何時も何らかの季節の花が咲いていて楽しめるし、何よりも、オープンで広いのびのびとした空間が良い。
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国立劇場2月文楽・・・「曽根崎心中」

2010年02月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   2月文楽の最後は、昼の部の「大経師昔暦」に引き続いて、近松門左衛門の大作「曽根崎心中」で、簔助がお初を遣い、勘十郎が徳兵衛を遣う師弟コンビによる息の合った素晴らしい舞台であった。
   この師弟による曽根崎心中は、3年前に見る機会があったのだが、それは、最晩年の玉男が、病気休演で出られなくなり勘十郎に代わって実現したもので、その前に、藤十郎が襲名披露公演で、絶品のお初を演じており、歌舞伎と文楽同時に、曽根崎心中を楽しむことが出来て非常に面白かった。
   
   私が最初に見た文楽が、ロンドン公演での玉男と文雀コンビによるこの曽根崎心中で、帰国後、もう一度みて(この時のお初は簑助)一挙に近松ファン度が増した。
   この浄瑠璃そのものも、非常に数奇な形で生まれ出でており、初演当初も大変な人気で、潰れかかっていた竹本座を一挙に再建したと言う。
   しかし、ながく途切れていて、戦後に復活上演されたのは、まず歌舞伎で、昭和28年8月、新橋演舞場の上方歌舞伎で、鴈治郎父子が演じて、扇雀(藤十郎)のお初が一世を風靡し、文楽の方は、遅れて、昭和31年1月に、玉男が抜擢されて徳兵衛(お初は二代目栄三)を遣い、斬新な新しいやり方で舞台を作り上げた。
   藤十郎のお初と玉男の徳兵衛は、1000何百回も演じられていると言うから、二人をスターダムに押し上げた最高の戯曲と言うべきであろう。
   
   
   藤十郎と組んで歌舞伎で活躍していた近松門左衛門が、竹本義太夫に頼まれたとかで、それまで、伝承化されているような歴史上の事件や人物を作品にしていた浄瑠璃の世界に、初めて世話浄瑠璃として、それも、生々しい庶民の心中事件を取材して、事件後一ヶ月ほどで書き上げて上演されたのが、この曽根崎心中。
   その後、近松は、京都から大坂に移り住み、歌舞伎から離れて浄瑠璃を書き続けた。
   門左衛門の直系の近松洋男さんは、近松が、同志であった大石良雄やわが子同然であった近松勘六兄弟など縁深き人々を切腹で亡くし、幕府権力の無慈悲・理不尽さと、大名と言えども公権力に圧殺され、名もなき庶民は長いものに巻かれて従うほかなかった残酷なあの時代故に、虐げられて、何の抵抗する手段も持たなかった弱い人々に強い共感を覚えて創作したのだろうと言う。

   醤油屋の手代徳兵衛が、主人から妻の姪と夫婦になれと強いられて江戸詰めを言い渡され、堂島新地の遊女お初にも身請け話があって、義理に追い詰められた相思相愛の二人の切羽詰った心中事件と言う実話に、近松は、徳兵衛を騙して金を取った悪人九平次を創作して付け加えて、話を面白くした。
   幸か不幸か、お初と徳兵衛は、損得抜きで恋に溺れ込み離れられない間柄になってしまった。他の歌舞伎や文楽に出てくる花魁や太夫と言った高級遊女ではなく、場末の堂島新地の安女郎であるお初には、客を選べず、身請けと言われても嫌いな男で心中しか恋を貫き通す道は残っていないし、手代の徳兵衛も義理との板ばさみのみならず、身請けする力もなければその算段もない、優男でがしんたれで、二人が添い遂げられるのはあの世しかない。
   離れたくない添い遂げたい、ただ、一途に恋をしたが故に、死への旅路を選ばなければならなかったしがない薄倖の二人に心を動かされた近松は、九平次と言う小道具を使っただけで、素晴らしく昇華された恋の物語を創りあげたのである。

   
   私は、何時見ても簔助のお初の人形ぶりに感に堪えないほど感動する。
   生玉社殿の段でのお初が、音沙汰のないのを心配してかき口説きながらしなだりかけて男の手を懐に導く情の濃さや、徳兵衛が語る縁談断り話などを下からじっと見上げて必死になって聞く姿など、木偶の坊でもほろりとせざるを得ないであろう。
   もっと美しい表情は、天神森の段の心中直前の仕草や振る舞いで、特に、最後の「早よう殺して・・・」と目を閉じて徳兵衛を見上げる恍惚とした姿で、徳兵衛の切っ先が鈍り逡巡する。玉男は、好きな女を見ながら刺せるかと言って顔を背けて止めを刺していた。
   藤十郎の時もそうだったが、歌舞伎では、最後は心中を暗示して直前で幕が下りるが、文楽では、海外公演で、お客の理解を助けるために、この場を設定したようで、私も、玉男の徳兵衛が簔助のお初に崩れ折れるエンドをロンドンで見たが、凄惨だが実に美しいそのドラマチックなシーンが今でも目に焼きついている。
   勘十郎の徳兵衛は、玉男を踏襲している感じだが、最後のシーンをやや斜めに振るなど、少しずつ微妙なニュアンスを加えながら、新しい徳兵衛像を模索しているように思った。尤も、このラストの演出でも、玉男と簔助との相談で、自由に変えてきたと言うから、演出家のいない文楽には、決定版などなくて、人形遣いの独壇場なのである。

   やはり、凝視していて見ていたのが、この口絵写真(文楽カレンダーからコピー)の天満屋の段で、お初が、縁の下の徳兵衛に「死ぬる覚悟があるかききたい」と足で合図して、「どうせ徳さまは、死ぬ覚悟、わしも一緒に死ぬるぞやいの」と迫り、刃物に見立てた徳兵衛が、その足をのど仏に宛がうシーンで、殆ど目を閉じて中空を仰ぎながら、心中を覚悟したお初の毅然たる風情は秀逸である。
   徳兵衛が死んだら可愛がってやると言われて、「私を可愛がらしやんすと、お前も殺すが合点か。」と応えるお初に、九平次が恐れをなして尻尾を巻く。
   健気で一途に徳兵衛を思いすがり付く乙女のような可愛いお初だが、心意気があり勝気で、終始徳兵衛をリードしながら果敢に生きている。あの八つ橋のような「遊女は買い物騙すもの」と言った打算や駆け引きなど一切ない貞節な女の物語を、簔助は、詩情豊かに紡ぎ切っていて感動的である。

   この足のシーンだが、先代の鴈治郎の徳兵衛と藤十郎のお初での初演での舞台写真でも同じだが、文楽では、女方の人形に足は吊らないので、この足をどうするか問題となり、栄三は反対したが、玉男が白い足を見せたいとして、この演出が定着したのだと言う。

   私は、社会人になったのは、大阪だったので、曽根崎のお初天神あたりも歩いていたが、何故、遊女の名前が神社の名前や、おかしいいことないか、と思った記憶がある。
   あの忠臣蔵から程なく、大坂の人も通わぬ人里離れた寂しい天神森で起きた薄倖の若い男女の心中物語を、日本のシェイクスピア近松門左衛門が浄瑠璃にして大坂人を泣かせた。
   「この世の名残、夜も名残。死にゆく身をたとうれば、仇しが原の道の霜、一足ずつに消えてゆく。夢の夢こそ、あわれなり。」こんなに美しい浄瑠璃を書かれれば、文楽人形も感に堪えない超ど級の美しい舞台を作り出さねばと頑張るのは当然であったのであろう。

   勿論、素晴らしい大夫の浄瑠璃語りが舞台を造形し、それに呼応して色彩感豊かに伴奏する三味線あっての曽根崎心中であるのだが、特に、天満屋の段の嶋大夫(三味線 清友)の、時には肺腑を抉るような、時には、とつとつと、そして、切々と訴えかけるような、緩急自在にシチュエーションを変えながら展開して行く感動的な語りが、どんどん奈落へ追い詰められて行く二人の姿を炙り出して胸に迫る。
   字余りや字足らずで、近松は嫌いでんねん、と言う住大夫が、何もかもがきれいずくめの浄瑠璃で、あんまり好きやおまへんと言う曽根崎心中だが、何故か、私は好きなのである。
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マイケル・J・シルバースタイン他著「ウーマン・エコノミー」

2010年02月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   社会経済上の革命が起こっている。
   職場では大変動が、家庭では混乱が、市場では画期的な変化が、そして国や社会全体への影響力をめぐる攻防が展開されている。
   女性の女性による女性にための「もっと」を要求する革命である。
   そんな書き出しで始まるのが、この本「ウーマン・エコノミー WOMEN WANT MORE」である。
   
   この一世紀の間に、アメリカをはじめ世界各国で市場の影響力や社会的地位を目覚しく向上させ、それらを享受してきた女性たちが、いまだに市場では過小評価され、職場では思うように待遇されず、家庭や社会ではさほど感謝されていないと思っている。
   食料品から、衣類、パーソナルケア、家庭用品やサービス、旅行、医療、金融サービス、教育に至るまで、消費財の殆どの分野で購買決定権を握り、既に、全世界の消費の64%を占めるほどの膨大なウーマン・エコノミーであるにも拘らず、大半の企業は、工夫に欠けた安直な商品を造り続け、貴重な時間を奪うサービスを提供し、女性を固定観念で捉えた時代遅れの宣伝文句ばかりを並べ立てている。
   全く女性たちのニーズやウオントを無視し軽視してきたこれらのあらゆる主要経済分野において、購買決定権を握っている女性たちが、財布を使って「ノー」と言う意思表明をする革命が始まったのだと言うのである。

   したがって、このウーマン・エコノミーの台頭によって、最早、これまでの常識が通用しなくなったのだと逸早く企業が認識して、この不満を持った注文の多い女性消費者のニーズやウオントに応え、女性の役に立つ製品やサービスを提供する努力をすれば、無限に前途が開ける。
   このような視点から、女性とのつながりが深い分野である食、フィットネス、美容、アパレル、金融サービスと医療などから、多くの革新的な先端企業の例を引きながら、新しいウーマン・エコノミーの実像を描いていて、非常に示唆に富む。

   とりわけ女性は、あらゆる商品やサービスを様々な観点から評価する独自の価値計算ロジックを持っていて、あらゆる周辺情報や評価情報などを集めて、その技術、性能、感情面でのメリットを顧慮して評価する。
   個々の商品やサービスの自分にとっての価値を見定めて、それが価格に見合うものかをどうかを判断して、価値が価格を上回るものであれば買うが、その逆なら、どれほど営業やマーケティングが良くても、てこでも買わない。
   女性は、多くのストレスを抱え、時間に追われ、お金に余裕がないので、時間とお金を節約・創出し、これらの悩みを軽くしてくれるものを求めているというのだが、最も悩んでいるのは時間の三重苦で、やることが多すぎる、優先順位をつけるのが難しい、自分の時間が持てないと言うことで、利便性が高くて時間を節約してくれて、やりたいことをする時間を提供してくれる商品やサービスには、大いに魅力を感じると言う。

   ここでは、「食」について考えてみたいと思う。
  いつも次の食事のことが頭から離れない女性客にとって、 著者が例示した成功企業は、次の3社である。
  ホールフーズ:自然商品、オーガニック・フード、ベジタリアン食品、輸入食品などを扱う「グルメ・スーパーマーケット」
  テスコ:家庭に必要なものは何でも揃う「ワンストップ・スーパーマーケット」
   エイミーズキッチン:勉強熱心な女性にアピールする豊富な品揃えと、味覚にも高得点の美味しさを備えた、体に良く、値段も手ごろなインスタント食品会社 

   スーパーと言えば、ウォルマートが筆頭だが、その快進撃にお構いなく驚異的な成功を誇っているのが自然食品・オーガニック食品で名を馳せたホールフーズで、経営学書のエクセレント・カンパニーの常連。
   出きる限り最高品質で、最も加工が少なく、最も味が濃く、人工添加物、甘味料、着色料、保存料を含まない最も自然な食品と言うのが同社の理念で、従業員も飛び切り優秀で、特に都会地の独身エリート女性や裕福な子持ちの女性、健康と食に気を使うシニアなどには、絶大な信頼が寄せられていると言う。
   「雑食動物のジレンマ」の著者マイケル・ポーランに言わせればまだ不満なのであろうが、取り扱い商品すべての原材料、鮮度、安全度、おいしさ、栄養価、状態から品質を評価し、メーカーの代理人ではなく、顧客の購買代理人だと言う企業の姿勢が、ホールフーズの商品なら間違いないと思わせるのであろう。
   しかし、顧客も、定番のメーカー品や常備品、日用品などは、ウォルマートで買うと言うのが面白い。

   エイミーズキッチンも、自然商品分野の先駆者で、オーガニック認定を受けた材料を使っており、環境に優しいオーガニック食品のみならず、経営全般においても環境に配慮して、完全なサステイナブル企業を追求している。
   調理済みのインスタント食品の、便利さのために健康を犠牲にするとか味を落とすとかと言った心配を払拭しながら、価格設定や商品の見せ方、売り方にも配慮しており、加工食品ベスト10に3つも入っていると言う。

   テスコは、日本の大手スーパーが後追いしているので良く似た業態だが、むしろ、ひたすら顧客の利便性を追求することにおいては徹底しており、買い物を出来るだけ簡単に安く出来るようあらゆる努力を続けているスーパーのファースト・ランナーで、食品アレルギー・過敏症の人向け食品シリーズ「フリーフロム」など、プライベート・ブランドの開発にも意欲的だと言う。

   テイクアウト、デリバリーサービス、インスタント食品等々時間節約型の便利な食形態が定着しつつあると言えども、今でも、女性にとっては、食はうれしい悩みで、健康で、美味しい、みんなが満足してくれ、家計に見合う食事をさせることに大きな責任を感じていて、限りなく夢と望みが広がって行く最も重要な商品・サービス市場である。
   安全で安くて美味しい食を求めているだけではなく、子供たちのためにも、環境にも優しくサステイナブルな地球を求めて経営を続けている会社の製品・サービスに最も信頼を置くのも女性であり、企業も、ウーマン・エコノミー・オリエンテッドな経営戦略に万全の体制で臨まなければならないと言うことである。
   
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今様大学生の就職希望企業

2010年02月22日 | 政治・経済・社会
   今日の日経朝刊第二部に、大学3年生の就職先志望総合ランキングが、掲載されていた。
   目を疑ったのは、我々が就職先を選んでいた頃と、殆ど同じような職種や企業が名前を連ねていることで、この半世紀近くの時代の変化は、一体何であったのかと言う思いである。
   
   東京海上、三菱東京UFJ,三井住友、日本生命、全日空、JTBと言った順序だが、変わっているところと言えば、製造業が幾分後退し、素材産業や建設・開発・不動産関連が完全に消えてしまっていることくらいで、「規模」「一流」「安定」を目指していると言うから、要するに、皆が知っている有名大企業に集中するので変わらないのかも知れない。
   しかし、安定と言っても、金融機関を筆頭にして、上位にランクされている企業の大半は、殆どが経営危機に直面した経験のある企業で、第一、衰退産業に属していると言っても過言ではなく、成長性と将来性には多くを期待できない。
   その上、現在は、図体が大きいかも知れないが、グローバル・スタンダードで考えれば、決して、経営が一流でもなければ安定もしていない企業も多くて、日本経済と同じで、将来のキャリア・ディベロップメントや生活の安定に必ずしもプラスになるとは思えない。

   尤も、私の場合も、成長期で就職には全く心配のない時代だったのだが、遣り甲斐があるであろうと思って、経営危機に陥っていた大企業を回ったけれど、採用しないと言うので諦めた記憶がある。
   しかし、あの当時は、昇り龍の日本経済であったから、経営建て直しは比較的容易であったのだが、現在では、全く事情が違っており、泥舟に乗れば必ず沈むし、超一流のグローバル企業であっても、瞬時に崩壊してしまう。

   当時、我々同期の京大経済学部の卒業生200人の半分の100人は銀行に、残りの半分の50人は商社に、そして、残りが、製造業や官庁など他に散らばって行った。
   その少し前の年代では、証券会社へ行く人が多かったが、いずれにしても、今の学生の選択と同じで、名前の知れた有名企業への就職が大半であった。
   良くも悪くも、一流大学を出て一流企業に就職する、そんな時代であったのである。

   ところで、現在の学生たちの企業選びの重視点は、「仕事がおもしろそうだ」と言うことで、続いて、「規模が大きい」「社風がよい」と言うことらしい。
   就職観に対する重視項目は、「自分の生活と仕事を両立させたい」とか、「社会に貢献できる仕事がしたい」と言う。
   半世紀以上も前の我々の時代でさえ分からなかったのに、仕事が面白そうだとか社風が良いなどと言ったことが分かる筈がないし、第一、21世紀に入ってからのグローバル環境の激動はあまりにも急で、将来どんな世界になるか全く見通せる筈がない。
   最初の就職先は、あくまで、社会生活への導入部に過ぎず、学生時代に、十分余裕と柔軟性のある基礎的な能力と実力を備えておいて、実社会に入ったら、艱難辛苦の挑戦を受けて立ち、頑張って活路を切り開く以外に道はないと覚悟すべきである。
   後で振り返ってみれば、全く想像だにしなかった人生を歩き、全く思いもつかなかったような世界になっている筈である。

   考えて見れば、勉強などせずに、全学連で暴れていたような友や、有名ではない大学を出たりして、就職先に恵まれなかったと思えるような友人たちの方が、その後、はるかに表舞台で活躍している場合が多い。
   ガラパゴス化した日本だけは、何十年前の大企業も今でも大企業で残っているが、下克上のアメリカでは、GEやIBMくらいであろうか、しかし、中身は様変わりである。
   マイクロソフトもグーグルも影も形もなかった筈だし、かってはエクセレント・カンパニーと誉めそやされた企業の殆どは、消滅してしまっている。
   インターネットのお陰で、アマゾンが世界一の本屋となり、それに、紙媒体の本より電子ブックの方が売り上げが多くなったと言うし、ネットショッピングの隆盛で、無用となった有名百貨店がばたばた消えて行く時代であるから、日本の大企業の明日など全く分からない。

   もっともっと、世界に視野を広げて想像力を豊かにして、自分の未来像を目を凝らして洞察することで、豊かで確実な基礎能力さえ備えておけば、間違っても、後で取り返しがつくので、まず、何をしたいのか考えることだろうと思う。
   街角の小さな店が、ある日突然、大化けする時代なのである。

   それやこれやで、この学生たちの就職希望先ランキングを見て、感じたのは、正直なところ、若くて有為な青年たちが、何と消極的で夢がなく、大きな挑戦と試練を受けて立つ気概がないのかと言うことで、いくら、グローバル時代の人材の育成だとかイノベーション立国だと掛け声をかけてみても、これでは、世界を背負って立とうと言う高邁な精神は生まれて来ないであろう。
   現代学生気質においても、日本の明日は、それほど期待できないと言うことかも知れない。
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短時間ビジネスへのイノベーション~特にウーマン市場

2010年02月21日 | 中小企業と経営
   17日のNHKゆうどきネットワークで、最近、少しずつ普及し始めた短時間ビジネスについて放映していた。
   短時間・低料金で気軽に利用できるユニークな工夫を凝らして、新規の顧客を引き付けようとする、謂わば、ニッチ市場を狙ったビジネス・モデルのイノベーションである。

   真っ先に紹介されていたのは、10分1000円のカットだけの散髪屋チェーンのQBハウスである。
   あの「ブルーオーシャン戦略」でも取り上げらたれっきとしたイノベーション・ビジネスで、このブログでも何度か取り上げているのだが、考え方によっては、必ずしも、革新的な発想でもないので、いくらでも、中小企業にとっては、発想の転換でニッチ市場を目指せば、ニュー・ビジネス・チャンスを掴み取ることは可能だと言うことである。

   何故、QBハウスが、それ程斬新な発想ではないのかと言うことだが、これは、私が、もう30年以上も前に、アメリカでの留学中に経験したことで、アメリカの散髪屋は、カットだけで終わればいくら、次に、洗髪すればいくら、髭を剃ればいくら、と言った具合に、段階的に料金が決まっていて、先の工程に進めば料金が加算されると言うシステムであった。
   私などは、むくつけきイタリア男に剃刀を握られるのが嫌だったので、何時も、『カット・オンリー』で通したのだが、このシステムを格好良くシステム化してビジネスにしたのがQBハウスなのである。

   もう一つ、短時間ビジネスの変形と言うべきか、コーヒー・チェーンの「ドトールコーヒー」だが、確か、創業者は、技術移民でブラジルに渡ったと言うことのようで、ブラジルの街角の至る所にある止まり木スタンドのある簡易オープン・バーである「バール」を模して、安い簡易コーヒーショップを発想したのではないかと思う。
   私も、在伯中には、良く、このバールで、カフェジンニョ(小さなデミタス・カップに入ったエスプレッソ・コーヒー)を飲んでいたのだが、ブラジルでは、どこへ行っても出される日本のお茶と同じなのである。
   余談だが、ドトールと言うのは、ポルトガル語のドクターで、私なども、アメリカ製のMBAなのだが、殆どの会社の社長は、ドトールと呼称するので当然だと言わんばかりに、秘書が、ブラジル人相手の電話には、ドトール・ナカムラと言って受け答えしていたのを思い出す。
  
   いずれにしろ、QBハウスにしろ、ドトールコーヒーにしろ、オリジナルの発想の元は単純だがどこかにあって、それを、ビジネス・イノベーションとして、それまでにはなかったブルー・オーシャンのニュー・ビジネスとして事業化した企業家精神の発露が、重要な意味と価値を持つのである。

   さて、本論の短時間ビジネスだが、NHKは、10分100円のカーレンタル、30分単位のフィットネスクラブ、歯の洗浄だけのビジネスなどを取り上げていた。
   経済的に生活に余裕がなくなり、多忙を極めている現在人には、この短時間・低価格サービスの提供は、正に、生活応援とも言うべき有難いビジネスで、顧客のニーズ・ウオントを満足させるのがビジネスだと言う本来の王道を行っている。
   尤も、サービスだけではなく、例えば、デパチカの惣菜の上を行く、電子レンジでチンするだけで、封を切って皿に移せばすぐに食べられる安価で手ごろな食品の開発など、モノの生産における短時間ビジネスの発想もいくらでも探し出すことが出来る。

   この短時間ビジネスで最も喜んでいるのは、恐らく女性客であろう。
   今、マイケル・J・シルバースタイン他著「ウーマン・エコノミー」と言う「世界の消費は女性が支配する」とした非常に興味深い本が出ていて、徹底的な調査の結果、国の如何を問わず、500兆円もの膨大な市場を握っている女性が、最も悩んでいることは、時間がないと言うことで、時間を取り戻せる製品やサービスを最も高く評価すると報告している。
   問題は、単なる時間不足ではなく、時間の三重苦、すなわち、
   やることが多すぎる、優先順位をつけるのが難しい、自分の時間が持てないと言うことから脱出出来ないことにある。
   自分の代わりとなってくれて、時間を有効活用でき、より多くの時間を取り戻し、やらなくてはいけないことにではなく、やりたいことに時間を使えるようにしてくれるモノやサービスで、時間と利便性を叶えてくれてそれなりの品質と価格なら、いくらでも財布の紐を緩めると言うのである。

   同書が、女心を掴む製品やサービスを開発・提供すれば、無限のビジネス・チャンスが広がるとして挙げているビジネスは、
   食、フィットネス、美容、ファッション、金融サービス、医療。
   しかし、男性向け市場だと考えられている、家具・インテリア、休暇、住宅では90%以上、自動車では60%、家電製品では51%も、買い物決定権は、女性が握っていると言うことである。
   ウーマン・エコノミーについては、後ほど、ブックレビューで取り上げるつもりだが、どこかに転がっている筈のニーズとウオントを掘り起こして、ニッチの短時間ビジネスを生み出すことによって、新しいQBハウスやドトールコーヒーを生み出せるのだと言うことを強調して置きたい。
   
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『首相、内部留保へ課税「検討」』の愚行

2010年02月19日 | 政治・経済・社会
   昨日の日経朝刊に、『首相、内部留保へ課税「検討」』という見出しの記事が載っていた。
   現実味は乏しくとしながらも、「大企業対象、月初の否定から一変 「雇用重視」の党方針意識?」とのサブタイトル記事で、共産党の志位委員長の「2010年度予算組み換えを要求する提案」を受けての発言である。

   旧来の自公政権が「構造改革」で進めてきた「強い企業をもっと強くすれば、経済が成長し、暮らしも良くなる」と言う路線が立ち行かなくなったので、大企業の過度な内部留保を還元させる政策が必要だとする共産党の見解に対して、首相が、「大企業の内部留保に適当な課税を行うことを検討して見たい」と応えた。
   連合を母体の一つとする民主党としては、この共産党の見解に同調しても不思議はないが、根本的な問題は、日本経済が、既に、老衰し切ってしまって崩壊の危機に直面しており、貧しいパイを、中小企業や勤労者の取り分を増やせば良いと言った分配方法を変更すれば済むような悠長な段階にはないと言うことである。

   既に、新年度の国家予算において、国債発行額が税収を上回っており、国家財政の赤字額が、GDPの2倍に接近しつつあり、尚且つ、経済成長率が好意的に見て今後2~3%で推移するとするならば、益々、日本経済は破局への道を直進し、肝心の国債の暴落危機に瀕するとしか考えられない。
   日本の個人金融資産が、1500兆円あるので、差し引き心配ないと言った議論が実しやかに論じられているが、これは、バランスシート上の数字であって、既に、何らかの形で殆ど使われてしまっている。
   後述するが、同じことは、企業の内部留保にも言えることで、借金ではない株主資本の一部ではあるけれど、既に、殆ど何らかの形で資産などに形を変えており、課税されれば、キャッシュフローにマイナスとなり、企業経営を圧迫する要因となることは言うまでもない。

   私自身は、国家財政がこんなに悪化し、格差拡大によって国民生活が困窮度を増した原因は、電信柱の長いのも、ポストの赤いのも、すべて、「日本経済が老衰化して、経済成長から見放されてしまったこと」が悪いのだと思っている。
   従って、日本経済を再生して国民生活を立て直すためには、今、何をなすべきか。その一つは、世界に冠たる優良な日本の大企業に活を入れることによって、国民のクリエイティブ精神を高揚させてイノベーションを追求する成長戦略を推進することだと思っているので、その大企業の成長意欲を削ぐような「内部留保課税」などは、角を矯めて牛を殺す愚行以外の何ものでもないと思っている。

   社会保障関連の支出を別にすれば、日本の法人税率は、先進国中最も高く、国際競争力強化と外資導入促進のためには、この引き下げが、絶対必要な緊急の課題となっている。
   更に、これに追い討ちをかけて、内部留保課税によって、二重課税をしようとしているのであるから、何をか況やである。
   私が、企業の株主であれば、何故、本社を税金の安い海外に移して節税し、利益の増大と株主のために企業価値の向上を図らないのか、善管注意義務違反(?)ではないかと、経営者に経営責任を追及したいと思っている。

   共産党の主張には、企業の内部留保の積み上げで潤沢になったにも拘らず、且つ又、その多くが株主への配当や経営者の報酬などに回ってしまって、賃金給与として、従業員に分配還元されていないので、ペナルティとして内部留保課税を課して、従業員への賃金給与を上げさせよう、そうすれば、格差の解消にもなり、有効需要が増えて経済が上向くと言う考え方があるのであろう。
   同じような見解は、早大の「公開会社法の意義を検証する」シンポジウムで、民主党の峰崎直樹財務副大臣が、さも、鬼の首を取ったかのように、ロナルド・ドーア著「誰のための会社にするか」の資料「株主天下への軌跡」を示して、90年度から00年度にかけて、大企業の役員給与+賞与と配当の伸び率が異常に高くなっており、従業員給与の伸びが如何に低いかを、得々と説いていた。
   その後の講師池尾和人慶大教授が、元々母数が低いから伸び率が高くなるのは当たり前だと指摘していたのだが、要するに、極論すれば、世界の趨勢から言って、以前には、あまりにも役員報酬や株主への配当が低過ぎたと言う事実の裏返しであって、グローバル水準に近づいたと考えるべきであろう。
   後述するが、残念だけれども、グローバリゼーションのために、生産性の低い日本の労働賃金は、むしろ、下落するのが当たり前で、これが、現実化して格差社会の拡大を招いていると言うことである。

   共産党が、同時に、経済危機からくらしを守るために、雇用と中小企業の安定をはかるとして、非正規社員から正社員への雇用転換などの他に、全国一律の最低賃金制度を確立して、自給1000円に引き上げるよう提言している。
   そのために、中小・零細企業へ必要な賃金助成を行うとしていることについては良いとしても、既に、グローバル経済の潮流が世界中を飲み込んでしまっており、要素価格平準化定理が作用している以上、世界中に、同一職種同一賃金の法則が働いてしまっていて、日本だけ最低賃金を人為的に上げてみても、国際競争力の喪失と市場からの退場を余儀なくされて、雇用のみならず、経済の悪化を招くだけとなる。
   バーコードをなぞるだけのような単純労働は、発展途上国の労働者なみの賃金に平準化してしまい、それ以上の賃金を支払うような企業は、(また、国際水準以上の賃金給与を支払う企業は、既に、日本は異常に水準が高いので、)世界市場から駆逐されてしまうと言う厳粛な事実を無視出来ないのである。
   日本の労働者の給与水準を上げ待遇を良くするためには、日本経済の活力をフル回転させて国際競争力をアップし、労働者の技術能力を向上させて世界に冠たる生産性の高さを誇る以外に道がないのだと言うことを肝に銘じることである。

   ジャック・アタリがいみじくも指摘しているが、市場原理が悪い訳ではない。経済発展のためには、この市場原理に加えて、厚生と民主主義の要素を加えるべきだと言うことである。
   市場原理を軽視し、市場原理に泣く経済は、グローバリゼーションの時代には、生きて行けない。
   
   さて、内部留保だが、企業が得た利益から、配当や税金を支払って残った剰余金を蓄積した資金を指すのだが、これに、税金をかけると当然二重課税になり企業の活動意欲を削ぐであろうし、果たして、適切な内部留保とは、どの水準なのか、業態も違えば業種によっても違うし、企業によって千差万別であり、その基準設定など至難の業である筈である。

   しかし、この内部留保を云々する前に、その母体である利益とは、一体、企業にとって何を意味するのか理解する必要がある。
   私の手元には、1973年にピーター・ドラッカーが著した「MANAGEMENT TASKUS・RESPONSIBITITIES・PRACTICES」(翌年、邦訳二巻本「マメジメント」が出版)があるが、この「第一部 課題(TASKS) 6 ビジネスとは何か」の章で、利益の機能について、利益とは、業績の評価であると同時に、社会的責任を果たす原資であり将来のためのコストであると、明確に、述べている。(同書p71~73 諸説あろうが、私は、この説を取る。)
   利益は、企業がマーケティング、革新、生産性向上を行った結果であり、重要な経済的機能を果たしているとして、その機能を次のように列記。
   ①業績の評価基準
   ②(将来の)不確実性リスクのためのプレミアム
   ③より多くのより良い将来のジョブ(雇用)を生み出すための原資
   ④(健康から国防、教育からオペラと言った)社会の経済的満足とサービスのためのコスト(社会的責任コスト+α)
   
    更に、ドラッカーは、企業自身の将来リスクをカバーするために必要な利益と、企業が事業を継続して、その資源の富を産む能力を損なわないようにするために必要な利益を「必要最小利益」と規定して、経営陣は、この利益確保のために、創造的な企業家でなければならないとしており、およそ、適正利益を確保できない経営者は、善管注意義務違反であり忠実義務違反であるとまで言っている。
   創造的な企業家精神を発揮して、価値の創造によって利益を確保追求して行くことが企業の目的であると考えていたドラッカーにとっては、より良い企業への将来の発展成長のためには、利益は、必須な将来コストだと言う認識が強烈であった。
   世界最高のビジネスモデルと最高の技術を誇っていたトヨタの躓きを考えれば、ドラッカーの利益は将来コストであると言う真実が、痛いほど良く分かる筈である。

(追記)写真は、雪の朝の「紅妙蓮寺」椿。
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国立劇場二月文楽・・・「大経師昔暦」

2010年02月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   おさんと茂兵衛の不倫物語であるが、先に、時蔵と梅玉の歌舞伎の舞台を見ているのだが、文楽では、初めてのような気がする。
   京都烏丸通りの大経師の妻おさんと手代の茂兵衛が下女お玉の仲介で密通し、1683年に処刑された事件を、その3年後に、井原西鶴が、好色五人女の「暦屋物語」として書き、33年後に、近松門左衛門が、「大経師昔暦」として人形浄瑠璃として書き上げた物語である。
   ふとした過ちで起こった相手取替え不倫でも、西鶴は、愛欲に溺れた(?)人間的な二人の愛を主題にしているのに対して、近松は、夫婦もどきの逃避行ながら二人の関係は一度限りで貞節を守り、逃げて来た二人を慮り、また、助けようとするお玉の伯父梅龍や親の道順夫妻との人間の絆をテーマにした物語にしている、その差が面白い。

   因みに、大経師とは、経巻・仏画などを表具する経師の長で、朝廷の御用を務め、更に、暦の発行を許可されていたので西鶴の「暦屋」でもあるのだが、非常に学識もあり格式の高い由緒ある職業で、おさんとて、大変なお内儀なのであり、手代との不義密通などと言えば大事件となるのも当然なのである。

   お玉(西鶴では、りんだが、お玉で通す)が、茂兵衛(西鶴では茂右衛門だが茂兵衛で通す)に岡惚れなのは同じなのだが、更に、話を興味深くしているのは、おさんの夫大経師以春と下女お玉の扱い方である。
   まず、二人の密通事件の仲立ちとなるお玉の役割。西鶴では、おさんが、茂兵衛に恋をしたお玉にラブレターの代筆をしてやったのだが、そのつれないふざけた返事に腹を立てて、偲んで来ると返事が来た時に、悪戯心を起こして懲らしめてやろうと、お玉と寝所を入れ替わる。ところが、宴会の後の疲れで不覚にも寝入ってしまって、あろうことか茂兵衛と契ってしまう。
   一方、近松の方は、借金の身代わりのお礼にと、おさんがお玉を訪ねたら、毎夜、以春が夜這いして困ると訴える始末で、夫を懲らしめてやろうと、寝所を入れ替わる。其処へ、以春の印判の無断借用で窮地を救ってくれたお玉の愛に報いようと、茂兵衛が忍び込んで来る。外出先から以春の帰りを出迎える行灯の光が部屋に差し込み、二人は驚愕する。

   一方、以春だが、西鶴では、江戸城の襖の表装出張で留守をしており、その間に、おさんの親元から、留守を預かるために真面目一方で堅物の手代の茂兵衛が送られてきて、これにお玉が恋をする。しかし、この大経師は、京都きっての遊び人四天王の一人で、男色・女色なく昼夜の別なく遊び暮らし、芝居の後、水茶屋・松尾に並んで道行く女を品定めして、その時見た13か14の超美少女・今小町ぞっこん惚れて、果敢にアタックして嫁にしたのが、このおさん。「花の色はこれにこそあれ、いたづら者とは、後に思ひあわせ侍る。」とは、正に浮世草子で、西鶴の表現が冴えている。
   方や、近松の方は、以春が、お玉をものにしようと追っかけまわして、毎夜のように、屋根から出窓伝いにお玉の寝所を訪れる(しかし、成功しない)好色な男として描かれていて、宮中出入りの表具師も形無しである。
   
   おさんを遣うのは、人間国宝の文雀で、相手の茂兵衛は、一番弟子の和生で、ぴったり呼吸の合った師弟コンビ。それに、お玉の清十郎に、道順の玉女が加わって重厚な舞台を作り上げている。
   この時、以春が、おさんを少女妻(西鶴では14歳くらい)として迎えていたので、当時はまだ17歳と言うのだが、文雀が遣うと、品格のある格式高き大店のお内儀と言う感じになり、どうしても、匂うような色香まで漂ってくるいい女の雰囲気となり、舞台を圧倒する。
   ところで、ことの起こりの二人の契りの場だが、人形浄瑠璃と言っても、極めて濃蜜。
   狸寝入りのおさんが、揺り起こされて目覚めた振りをして「頭を撫づれば縮緬頭巾、『サァこれこそ』と頷けば」で、相手の確認は、この頭巾がすべて。真っ暗な中で「その手をとって引き寄せて、肌と肌とは合ひながら・・・」  綱大夫の名調子が冴え渡る。

   漆黒の闇で何も見えない筈なのだが、そこは人形浄瑠璃であるから、二人の濡れ場は映画以上にリアル。堅物の茂兵衛故に初心なのか、肩肘立ててじっと動かずに添い寝する茂兵衛に、おさんの方が、茂兵衛の首に手を回して身を起こしてしがみ付く。文雀のおさんは、息づいている生身の女なのである。
   静かに衝立が移動して二人は夢の中へ。
   
   「旦那お帰り」の声に起こされて、行灯の光で見合はす夜着の内 「ヤァおさん様か」「茂兵衛か」で我に返り、驚愕した茂兵衛は、柱にもたれて棒立ちになって天を仰ぎ おさんは、がっくりと蹲って顔を覆う。

   茂兵衛はともかくとしても、おさんの方は、相手が違っていることくらいは分かる筈だが、それを言えば、近松の世界もぶっ壊しになるので野暮は止めよう。
   西鶴の物語では、相手が初めてではないのを知って恐れをなす。しかし、目覚めてことを知ったおさんに真相を知らされて、死を覚悟して愛に目覚めた茂兵衛は、以春が留守の間、情熱のままに行動し、おさんも寝所に通う茂兵衛を拒まず、二人は破局の恋に突き進んで行く。二人で参詣した石山で琵琶湖に心中したと装って丹波路へ愛の逃避行をするのだが、出入りの栗売りの通報で捕まって粟田口の刑場で磔となる。

   話としては、主人以春のお玉恋慕が蒔いた種で、少女のように幼い若妻の浅はかな振る舞いが仇となって生じた不義密通を、人倫に悖る罪としてのみ扱って、二人の心情には一切触れずに色恋抜きで、その罪びとを思う肉親の心情とその葛藤をテーマにした近松ものの方が、芝居としては上等かも知れないが、私は、西鶴の、人間の真実を描いた物語の方がはるかに好きである。
   親友だった大石内蔵助の死を心から悼んでいた近松にとっては、このテーマの方が自然であったのかも知れないとは思うが、あまりにも閉塞感が強くて窒息しそうなのである。

   おさん茂兵衛の恋の話で長くなってしまったが、この近松の物語で核となるのは、やはり、「岡崎村梅龍内の場」で、お玉が縛られて太平記講釈師の伯父梅龍宅に送られて来た後、お玉を心配して逃避行のおさん茂兵衛が訪れて来て、そこへ、おさんの両親道順夫妻がやって来て出会う善人同士の心の会話の豊かさと情の世界である。
   人形も上手いが、切々と語る住大夫の奥深い浄瑠璃の凄さは格別である。
     
   冒頭の「大経師内の段」の切場が、人間国宝の綱大夫と清二郎の父子コンビで、次の「岡崎村梅龍内の段」の切場を、人間国宝の住大夫と錦糸が勤める極めて贅沢極まりない舞台で、文楽の醍醐味を存分に楽しませて貰った。
   
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ジャック・アタリ著「金融危機後の世界」

2010年02月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   前著「21世紀の歴史」は、未来の人間から見た世界と言う壮大なテーマで世界の歴史を展望した文明史観であった筈なのに、世界金融危機を予見した書であると言う評判で話題になっていたのだが、今回の著書では、「史上初の世界金融危機はこうして勃発した」と「資本主義が消滅しそうになった日」と2章を割いて、日付入りのドキュメンタリー・タッチで克明にアメリカを中心にして世界金融危機をトレースしながら分析し、大恐慌を避ける為に、どのような「金融危機後の世界」を構築すべきか、非常にユニークな持論を展開していて面白い。

   ジャック・アタリは、現在のグローバル世界は、グローバル法制やルールなしのグローバル市場の下にあり、更に、アメリカ一極集中の時代が終わったと捉えている。
   特に重要なのは、ベルリンの壁の崩壊と冷戦の終結によって、世界市場は益々グローバル化する一方であるにも拘らず、いかなる分野においても、それを統べる世界規模の法制度やルールが存在しないことで、今回の金融危機も、この必要とされる法の整備を怠った為に、金融の無法地帯が増殖し、「合法性が欠如した経済」、非合法な経済や犯罪的な経済が拡大した結果勃発したのだと言う。
   
   私が、まず、興味を持ったのは、ジャック・アタリが、
   「史上初と言えるグローバルな金融危機は、きわめて簡単に言えば、アメリカ社会が自国の中産階級に対して、きちんとした賃金を与えられなかったために発生したのである。」と言っていることである。
   危機へと導いた一連の出来事は、アメリカでの社会的格差の拡大からスタートしたと言う指摘で、これが需要にブレーキをかけたので、この20年間は、需要はサラリーマンの借金で維持され、その借金は、借金によって購入された資産を担保としてきたので、監視されることのない新たな金融商品の無秩序な開発増殖等金融機関の放縦によって危機的な事態に突入したのだと言うのである。

   やはり、フランスの識者だけあって、労働者や中小企業などに対しては理解があり、技術者や研究者の社会的地位の向上を唱える一方、今回の世界的金融危機は、金融機関等のインサイダーの強欲の成せる業だと考えているので、銀行職を慎ましやかで退屈な職種に格下げし、この目的を遂行するために、金融機関の所得に対して、厳密な上限を設けるべきだと言っているのが面白い。

   ジャック・アタリは、
   市場と民主主義によって形成された「市場民主主義」は、当然ながら調和の取れたものではない。
   個人の自由の実践に依拠する市場民主主義は、効率性においては市場に信頼を置き、正義については民主主義に信頼を置くことで、他のすべての価値観より優先させて来たが、すべての分野で個人の自由を擁護してきたので、優先される価値観を不誠実や貧欲に変えてしまい、雇用の安定や法の秩序を破壊し、利他主義と真っ向からぶつかることになった。
   情報の非対称性が問題で、情報を独り占めにしたインサイダー、すなわち、銀行家、金融アナリスト、民間投資家たちが、市場を支配して、利益追求のみを目指して突っ走ったと言うのである。
   更に悪辣なのは、インサイダーたちが全員債務から逃げ出し、現金化を急いだので、金融システムは麻痺状態に陥ったにも拘らず、国家の支援を取り付け、国家に、国民の税金で彼らの損失を補填させ、彼らが食い物にしてきたシステムを救済させたので、支配的地位は安泰だと言う。

   このような考えに立てば、当然考えられる解決策は、法整備によって市場のバランスを取り戻す以外に方法はない。
   地球規模になった市場に対して、法整備を施すこと。すなわち、出来る限りの民主的な統治制度を地球規模で構築することである。
   これらに必要な法制度を整備し、ルールに反する対象を、すべて管理・処罰することの出来る地球規模の取り締まり制度や司法制度を構築することが前提となる。

   ジャック・アタリは、最後に、地球の気候システムや環境問題、飢餓撲滅、生物の種の多様性の維持など、経済危機を超えた地球規模の危機につても論及している。
   愈々、世界政府の時代が視野に入って来たと言うべきか、経済のグローバル化が進めば進むほど、グローバルベースでの統治機構の必要性が増すと言う事であろう。
   
   
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世界らん展日本大賞2010の賑わい

2010年02月16日 | 展覧会・展示会
   先週末から、東京ドームで恒例の世界らん展日本大賞2010が開かれていて、ファンで賑わっている。
   ヨーロッパから帰国してから、毎年通い続けているのだが、もう何年になるのであろうか。
   写真を撮るのが楽しみで出かけているのだが、それまでは、外国の植物園の温室や、オープン庭園で、自然に近い形で育てられていたらんしか見ることがなかったのだが、これだけ、豪華に、どちらかと言えば、人工的に育てられたらんを見せられると、その美しさのみならず、驚異とも言うべき他はない。

   近所だったので、私がよく訪れていたキューガーデンのむんむんする温かい温室には、かなりの種類のらんが自然の姿で植えられていて、ジャングルに入ったような感じだったのだが、これは、元々植物学のメッカとも言うべき世界的な研究教育機関だから当然であろう。
   今回のらん展にも、高校生による非常に意欲的な素晴らしいディスプレィ作品「源流」が目を引いたのだが、これは、あまりにも美し過ぎて、天国の花園であり、むし暑くて居た堪れないようなジャングルとは違っているのだが、それなりに面白い。
   眼前ま近に素晴らしいらんの花が展開されているこの世界らん展と違って、あのキューガーデンでは、中々、写真が撮りにくかったのだが、その写真も未整理のフィルムとプリントの山に埋もれてしまってどこにあるのか探せないのが残念である。
   
   ところで、この世界らん展でも素晴らしいらんの細密画と言うべきボタニカル・アートが展示されているのだが、キューガーデンでは、やはり、当時は、らんの花や株も貧弱だったのでオトナシイ絵が多かったような気がするのは、時代の推移であろうか。
   今、キューガーデンでは、地球温暖化など気候異変と環境破壊のために、植物がどんどん消滅して行って、種の多様性が崩壊する心配があるので、世界中から植物の種を集めて保存する運動を展開していると聞く。
   人間の努力で、花はどんどん美しくなり、穀物や果物はどんどん美味しくなってきているが、神様がお創りになった姿からどんどん遠ざかってしまっているのだが、果たして、幸せなことなのであろうか。
   人間が、何万年も自然の中で食べてきた動植物から離れて、人工的な加工食物を食べ始めてから、病気がちになり、逆に医薬品漬けで寿命を延ばしてきたのだが、それを文明の進歩と言うこの皮肉。
   自然界からどんどん遊離して行き造花のように美しく豪華になって行くらんの花の群舞を楽しみながら他愛もないことを考えてしまった。

   今年度の日本大賞は、80以上もの花房に、2000個もの黄色い小さな花を左右に広げてたわわに着けたデンドロビュームで、1メートル25の上背のある豪華な花なので、アルプススタンドの上からでも良く見える。
   しかも、このらんは、江尻光一さんの話では、自然の花、原種だと言うのだから驚く。
   らんの良し悪しは良く分からないが、盆栽の凄さに何時も驚いているので、栽培者の人並み外れた技量と忍耐・努力には感嘆せざるを得ない。
   私が住んでいる千葉県には、らんの栽培農家があって、贈り物のらんを探しに行ったことがあるのだが、やはり、農業県で、らんの栽培が盛んなようである。

   私は、最近は、週日の夕方、15時からのイブニング・チケットを買って入場することにしており、閉館17時半前の1時間くらいになると、一挙に人が減るので、十分にらんの観賞を楽しめる。
   らん展の後半になると、かなりのらんが萎れたり傷み始めるので、出来れば、早い時期に出かけるのが良い。
   雨交じりの寒さに厳しい日であったので、何時もの人出の半分くらいの感じだったが、私のように花を見るだけではなく、らんの花や関連商品や化粧品、写真、ワイン、食べ物などと言った沢山の出店やブースに集まって、ショッピングなどを楽しんでいる人も多い。
   それに、この日は、假屋崎省吾さんの講演会やオーキッド・クイーンの米倉涼子さんの登場などと言った催しもあって、その方にも人が集まっていて、東京ドーム全体がお祭りムード一杯である。
   
   ところで、写真だが、私など芸術写真でも記録写真でもなく、気の向くままに、カメラを向けてシャッターを切っているだけで、カメラも花モードに固定したままのノーフラッシュ撮影で、適当にズームを操作してアングルを決めていると言ったところなので、すべからく駄作である。
   偶々、光の具合で気に入った写真が撮れることがあるのだが、それはまぐれ。
   広角で撮れば、全体像は撮れるが、名札や隣近所の花も画面に入ってくるので、五月蝿くなり、結局、望遠レンズで花の一部を大写しにすることになる。
   立派なカメラを抱えて大きなカメラバックを背負った熱心な人が沢山来ていたが、プロ並みの被写体があるとは思えないので、熱心なセミ・アマチュアなのであろう。

   キヤノンが、お客さんに、らんのディスプレイの前で写真を撮ってポストカードやカレンダーにしてお土産にプレゼントしていたが、使っていたカメラは、ハイスペックのコンパクト・カメラだったし、写真を撮っている人の過半は、携帯電話で撮っていて、これが結構良い写真であり、カメラの質も、ここまで進化したのかと言う思いである。
   結局、閉館ぎりぎりまで、何となく、ぶらぶらしていたのだが、人の引いた展示会場ほど寂しいものはない。「ペルシャの市場」のメロディが、聞こえてくるような感じである。
   
   
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龍馬:蒸気船を造って家族を世界に誘う夢を語る

2010年02月14日 | 海外生活と旅
   今夜の大河ドラマ「龍馬伝」で、龍馬が家族を桂浜に誘い出して、砂浜に、大きな世界地図を描いて、「船を造って、はるか異国を家族と一緒に旅をしたい」と壮大な夢を語るシーンがあった。
   私は、私自身の世界への旅立ちを思い出して、感無量であった。

   私は、戦前の生まれだが、日本が風雲急を告げて居た頃で、育ったのも小学校に入ったのも敗戦後のドサクサで、日本人が、食うや食わずの生命線ぎりぎりの生活を強いられていた厳しい時代であった。
   生徒の弁当は、麦飯交じりの梅干一つの日の丸弁当が珍しくなかった頃で、その弁当さえ持って来れずに、昼の時間になると外に出て砂いじりで時間を過ごさねばならない子供も居た。藁草履で通学する子供もいたり、靴下など大きな穴が開いていたし、着ている服は継ぎ接ぎだらけで、まともな靴を履いている子供など少なかった。

   6年生の時に、近辺の学校の合同合宿があって、夜、皆で公衆浴場に行く時間になった時に、教師が「入浴」と言う言葉を使ったのが子供たちの関心を引いて、「ニューヨーク、ニューヨーク」と叫んで、走り回ったことがあったのだが、何故か、昨日のように鮮明に覚えている。
   大学生は、安保反対で川原町をジグザグ・デモをして過ごした頃で、その後、東京でオリンピックが開かれ、大阪で万博が開かれたので、世界中の情報や知識が溢れ返っていたが、我々庶民は、まだ、貧しくて、海外に行くなどと言うのは恵まれた人だけで、夢の夢だった。

   ところが、私に降って湧いたように、大学院への留学話が舞い込んで来た。
   会社で海外留学制度が導入されてはいたのだが、英語の準備が出来ていなかったので、希望さえも出していなかったのだが、急に呼び出されて留学せよと言われたのである。
   男である以上、山に登れと命令されれば、当然登らねばならないと思ったので、当時山王にあったフルブライト委員会事務所を訪れて、どうすれば留学出来るのか調べて、必死になって勉強した。
   幸い、ノーベル賞経済学者ローレンス・クラインのエコノメトリックス・モデルで名前を知っていたウォートン・スクールに入学を許可されて、翌年の夏に、憧れのフィラデルフィアに飛んだ。
   JALの窓から、車が走るサンフランシスコの大地を初めて目にした時の感慨は、忘れられない。
   シカゴに立ち寄ってフィラデルフィア生活が始まったのだが、それから、私の長い海外との関り、そして、14年間の海外在住生活が始まったのである。

   仕事の関係や個人旅行で、一泊以上した国が、恐らく、40くらいはあると思うのだが、勿論、人知れず筆舌に尽くし難いような苦労や困難を掻い潜って来たのであるのだが、今、振り返ってみれば、貴重な経験であり、大切な思い出である。
   先月中旬に、イギリスの友人から電話が架かってきて、寒波が酷くて路面凍結で車が出せないので郵便局に行けずに、小包が遅れたと連絡があったのだが、あっちこっちで知己を得た友人たちとの交わりも、私の大切な財産である。

   ところで、龍馬は、家族に世界を見せると夢物語を語っていたが、私の場合、確かに、妻と娘二人を、海外生活に誘ったものの、物見雄山ではないので、彼女たちにとっては、幸せであったのかどうか、時々、迷惑をかけたと言うか、苦労をさせたと言う一種の悔恨に似たものを感じることがある。
   娘たちもヨーロッパの学校で勉強したので随分苦労はあったであろうし、妻には、正に私との二人三脚なので公私共に大変だったと思うのだが、特に表立って批難がないのがせめてもの慰めでもある。

   この口絵写真は、水害のあったマチュピチュであるが、インカ帝国の都クスコから長い列車旅で大変だったけれど、世界中を歩いていると、このように思いがけないような人類の偉大な遺産や創造物に遭遇する幸せを感じて感激することがある。
   貧しい子供時代を送っていた私が、ほんの僅かな短い人生の内に、ロンドン・パリを股にかけてフィラデルフィアの大学院を出るなど夢にも思わなかったし、ベルリンの壁の崩壊前後の激動の歴史をま近に体験するなど想像だにしなかった。
   この人生の不思議さをつくづく思い出して、桂浜の砂に世界地図を描く龍馬の姿に感激しながら、無血革命を実現した明治の偉人たちの偉業に感じ入っていた。
   
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朝日新聞が大分・佐賀で夕刊を休刊に~新聞は消え行く恐竜か

2010年02月12日 | 政治・経済・社会
   先日、インターネットで、「朝日新聞が大分と佐賀県で夕刊を3月末で休刊にする」と言う記事を見た。
   大分県では4679部で、佐賀県では765部しか売れていないと言う。
   因みに、朝日新聞の朝刊の発行部数は、8、031、579部で、夕刊は3、357、950部で、普及率は、全国で15.11%、3大都市圏では、19.54%だと言うのだが、このインターネットの時代にすれば、まだ、かなり発行部数があると言う感じがしている。更に、読売になると1000万部近いと言うのである。

   づっと以前に、講演会で、大前研一氏が、新聞など取って居なくて、NHK BS1のニュースをかけっ放しだといっていたことがあるのだが、同じく、安藤忠雄氏も、事務所の若者たちは、新聞など読まないと語っていたのを覚えている。
   大体、都会地のインテリ層の新聞離れは、かなり進んでいて、私の近辺でも、必要上、日経くらいは読むが、他の新聞は殆ど読まないと言う人が多い。
   ワンセグを筆頭に携帯電話からいくらでも新聞に変わるニュースや情報、知識は、素早く手に入るし、パソコンの前に座れば、世界中の新聞をクリック一つで瞬時に閲覧可能であるし、新聞に変わるメディアや情報媒体が無数にあり、知識情報の収集には事欠かない。
   第一、YouTubeにアクセスすれば、アルカイーブであろうと何であろうと殆どどんな画像でも見ることが出来るし、知識情報の取得は、インターネットに勝つものはない筈である。

   結論から言うと、新聞は、少なくとも、紙媒体としての一般紙は、恐竜と同じで、消え行くのみで、それも、時間の問題だと言うことのようで、グーグル的思考のジェフ・ジャービスの言を待つまでもなく、メディア媒体としても、広告宣伝媒体としても、完全に、グーグル革命によって、インターネットには太刀打ち出来なくなったと言うことである。
   ニューヨーク・タイムズが、生き残りをかけて有料の電子版を立ち上げて失敗し、無料化に切り替えて広告媒体に望みをかけたのだが、これも上手く行かずに、今では、トップ・ジャーナリストを切るなど大リストラで存続への道を模索していると、NHKで放映していたが、欧米とも、都会地は勿論地方などの名門紙などでも廃刊に追い込まれているケースが増えている言う。
   新聞が提供するような知識、情報、ニュースなどは、総て、タダで手に入る時代になってしまったのであるし、その上、企業の宣伝広告にしても、不特定多数の顧客を相手にする新聞広告よりも、完全に、興味と関心を示した顧客にのみアクセスして、クリック単位で僅かの課金でチャージして、尚且つ、その効果をトレース出来るグーグル的広告媒体に勝てるわけがない。
   革新的なビジネス・モデルの開発に失敗すれば、ネットショッピングに駆逐されて消えて行く百貨店の末路と同じ構図である。

   しかし、これは一般論で、「ウィキノミクス」の著者ドン・タプスコットが、近著「デジタルネイティブが世界を変える」で、ネット世代(1977年から1997年までに生まれた世代、すなわち、典型的な若者)のメディア対応について興味深い指摘をしている。
   ネット世代は、与えられたものを、そのまま見るとか受け入れると言うことはしない。能動的な先導役であり、協業者であり、組織者であり、読者であり、作家であり、評論家であり、ゲームでの戦略家であって、インターネットや携帯などを通じて、積極的にメディアに参加して、質問をし、話し合い、議論し、演奏し、買い物をし、批判し、調査し、からかい、夢想し、検索し、情報を伝達する。
   彼らの世界は、グーグル、フェイスブック、ツイッター、ブラックべりー、ユーチューブ、スカイプ、iPod等々繋ぎっ放しのデジタル漬けなのである。
   言い換えれば、これまでの新聞やTVのような企業のオーナーの価値観を一方的に流す一方向のメディアには全く興味がなく、対話型メディアの世界に生きているので、既に、TVさえもが、単なるBGMに成り下がってしまったのだから、新聞など、全く眼中にないと言うことである。
   これを思うと、TVコマーシャルで流れている日経のコマーシャル、男女の若者が、さも日経に素晴らしいアイデアが載っていたかのように振舞っている姿が、限りなき皮肉・時代錯誤に見えてきて実に面白い。
   
   最近、ある全国紙の販売勧誘員から、新聞のスーパーなどの折り込み広告を目的に購読する読者がいると聞いたのだが、買い物に敏い旧式アナルグ型の主婦にはそんな人も居るかも知れない。
   しかし、最近では、スーパーも賢くなってデジタル化が進み、店舗に、デジタルサイネージ(電子看板)を据え付けて、適時適切に、最も効果的で役に立つ必要な情報を動画を交えて顧客に提供すべく腐心していると言うことで、顧客を確実に掴むためには、静止した情報ではなく、刻々変化する旬のマーケティング情報の提供が大切なのである。

   秒単位で知識情報が洪水のように押し寄せてくる今日のような時代には、ニュース性を追求して来た紙媒体の新聞では、もう時代遅れだと言うことで、その上に、ニューヨーク・タイムズのようにピューリツア賞を受賞したような敏腕ジャーナリストをリストラせねばならないと言うのが、苦境に立った新聞の状態なら、新聞が死守してきたニュースや知識情報の質、オピニオン・リーダーやトリビューンとしての使命などがどうなるのか深刻な問題であり、先が暗い。

   これは、私の感想だが、朝日にしても、読売にしても、毎日にしても、時々、読むことがあるが、昔事務所で、毎朝全紙に目を通していた頃と比べて、随分、質が低下したと言うか、特別な記事がなければ、一紙、ホンの数分で手放してしまうことさえ多くなってしまった。
   昔は時間をかけて楽しみに読んでいた元旦号なども、全くつまらなくなってしまっており、これでは、読者に新聞がそっぽを向かれるのも当然である。
   日経の肩を持つつもりはさらさらないが、インターネットの「くらべる一面:新s あらたにす」をクリックして見れば、そのニュースの質の差は歴然で、このような状態でメディアが庶民感覚を操作しているのだとすると、恐ろしい限りである。

   ところで、私は、昔は他の全国紙も取っていたが、今は、日経だけである。
   しかし、それよりも、インターネットで、ニューヨーク・タイムズやファイナンシャル・タイムズなどの電子版を読むことの方が多く、他に、グーグル・ニュースなどで国内ニュースを補っている。
   ブラック・スワンのタレブは、新聞やTVを見るなと言っているが、私自身は、そうは思わないが、纏まった知識情報は、必ず書物で得るべしと思っている。
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亀岡典子著「文楽ざんまい」・・・文楽の面白さが分かる格好のガイド

2010年02月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   本が好きなのか、歌舞伎や文楽が好きなのか、どっちがより好きなのか分からないけれど、気づいた時に買い続けているので、私の書棚には、結構、この方面の本がある。
   経済や経営の本ほど熱心ではないので、久しぶりに、積読だった亀岡典子さんの「文楽ざんまい」を、三宅坂の国立劇場の文楽鑑賞の行き帰りの電車の中で読んで見たのだが、これが、面白い。
   尤も、専門書のように、威儀を正して対峙して本に向かう必要がなく、読み進めて行くだけで楽しめるのだから当然だが、更に、舞台を想像したり思い出しながら追体験出来るのも、このようなパーフォーマンス・アート本の良さでもある。

   最初は、足遣いや衣装、介錯と言った言葉から始まる「キーワードでたどる文楽」の章で、楽屋や舞台裏まで入り込んでの逸話やトピックスを交えての話で、日常、我々観客が知り得ないような内輪の世界が垣間見えて非常に参考になる。
   たとえば、首については、大阪の大空襲で消失してしまい、今文楽座にある首の90%が、大江巳之助さんが製作した首であり、今その弟子の新しい首が生まれていること。「娘の首はぼんやり彫れ。魂はわしが入れる。」と吉田文五郎が巳之助に語ったとか、今度の新しい人形の首も、文雀が遣って魂を入れたと言うことで、文楽人形の首は、表情のはっきりしないぼんやりとした中間の表情であるから、遣い方によって泣いたり笑ったりするのだと言うことである。

   私は、仏像や彫刻、それに、欧米の教会などで彫像を見ることが多いのだが、確かにこれらの彫像の顔の表情など、びっくりする程美しいものがあり、ピグマリオンではないが、恋焦がれてしまうことも稀ではないのだが、舞台でもそうだが、文楽劇場や博物館・美術館などで実際に身近に見る文楽人形の首でも、びっくりするような美しい首を見たことがない。
   しかし、あの素晴らしい能面も同じように、はっきりしない中間の表情であるが故に、見る方角や角度、そして、能楽師の舞によって微妙に表情を変えて喜怒哀楽を表現するのであろう。
   ヴェニスの仮面や京劇のお面には、期待し得ないような、日本の古典芸能の奥深さを見るようで、正に感激である。

   第二章の「太夫・三味線・人形遣い」には、夫々に一人者の話が綴られていて面白いのだが、特に、竹本住大夫と吉田玉男には、30ページくらいの長くて非常に興味深い逸話などをふんだんに交えたバイオグラフィー的な記述があり、記録としても貴重である。
   これらについては、既に、両巨匠とも、自伝や対談本などが出版されているので、私自身も既に読んでおり、それ程、新しい発見はないのだが、何よりも、元関西人の私にとっては、特に住大夫の大阪弁での語り口が堪らなく魅力的で、引き込まれてしまう。
   戦後の苦しい時代に二派に分かれた文楽界の、「食うや食わずどころやあらへん。食わず食わずの生活やった」と言う中での難行苦行の修行時代の話が特に秀逸だが、あの住大夫が、人数が足りないので実力以上の重い役を付けて貰ったのは良いのだが、動きの少ない人形の足や左遣いを勤めていたと言うのである。
   松竹側の因会に残った玉男には、海外公演に参加して各地での熱狂的な拍手を受けるなどのチャンスがあったようだが、曽根崎心中との遭遇や意欲的な芸の工夫の数々、玉女との出会いなど興味が尽きない話題が続く。

   松竹に見捨てられたと言う思いからの、国と大阪府と大阪市とNHKとの合同による文楽協会の設立が、歌舞伎との違いを象徴している感じで興味深いが、やはり、どこまでも、文楽は日本独特の古典芸能であり、ある意味では、大阪固有の文化なのであろうが、今では、東京のファンの方が、はるかに大阪のファンよりも熱狂的だと言うのが面白い。

   第三章では、文楽の新時代で、太夫、三味線、人形遣いの若手のホープたちの群像が描かれ、最終章では、人間の心底を描き続ける文楽の世界で、近松の心中天網島での「一人の男を愛した二人の女」や、本朝廿四孝の八重垣姫の「燃え上がる一途の恋」などと言ったテーマごとに掘り下げていて読ませてくれる。
   何となく楽しみながら見ている文楽なのだが、日本文化を象徴する非常に奥深い古典芸能であることを感じさせてくれる素晴らしいガイドブックである。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               
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ビル・ゲイツ他著「これから資本主義はどう変わるのか」

2010年02月10日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   資本主義が、その発展によってか退歩によってかは別にして、世界中の経済社会が大きく変質し、地球環境の破壊や生活の安全安心を脅かすなど我々人類に脅威を与え始めて、企業の社会的責任を求められるなど、大きく転換を迫られている。
   しかし、今や資本主義は、企業のあり方にしても、コンプライアンスが課題であったころから、企業の積極的な社会貢献が重視される段階を経て、新たな市場を創造して持続可能な開発を主導することが求められる段階、すなわち、社会企業家精神の発露によって創造的破壊を誘発して価値ある社会を作ろうと言う、そんな時代に突入したと言うのである。

   「世界中には、病気や貧困、識字率の低さなど問題も多いが、どの時間単位で見ても、世界は少しずつ、確実に良くなっている。より健康に、より裕福に、より教育水準が高く、そして、より平和になっている。」と言うビル・ゲイツの論文からはじめて、17人の識者たちが、夫々の資本主義論を語っている。
   しかし、決して現在の資本主義に対してペシミスティックになるのではなく、同じくビル・ゲイツが「私たちの務めは、イノベーションが正しい方向を目指すようにすることだ。」と指摘するように、ソーシャル・イノベーションを巻き起こすことによって、如何にして、新しい持続可能な資本主義を築き上げるか、その模索と試みを説いているのである。

   最近、つとに話題となっている所得階層の最底辺のBOPをターゲットにしたソーシャル・ビジネスであるムハマド・ヤヌスのグラミン銀行などのような、これまでの資本主義では、市場とさえ考えられていなかった分野において、市場原理に基づいた手法で、低所得者層のニーズの把握、生産性や所得の改善、経済活動への参加などによってベンチャーとして事業を起こす社会企業家に焦点を当てて、資本主義の将来像を浮かび上がらせている。
   この本では、ユース・スター・カンボジアなどの発展途上国での社会企業家活動のみならず、荒廃の危機に瀕していたブラジルのクリチバが、タイムダラーと称する地域通貨を創造してダイナミックな社会変化を興して復活を遂げた様子など色々な事例を詳細に論じて居て興味深い。
   尤も、「世界のビジネスを変えた20のアイディア」においては、我々先進国において現実に機能している社会的責任投資、有機革命、環境改善商品、地域経済活性化事業、クリーン・テクノロジーなどを例証しながら、社会企業家精神の発露によるビジネスチャンスは、我々の経済社会の随所に存在することを示している。

   前世紀において、企業に期待されていたのは、株主のために利益を出すこと、従業員のために職を提供すること、そして所在国に税金を納めることの三つだったが、今日では、この三つの「古典的な経済上の仕事」に加えて、過去20年間に、三つの新たな「現代的な経済上の仕事」、すなわち、環境責任、社会的責任、平和の推進が加ってきたと言う認識が重要なのである。
   最早、環境保護や社会の規範を侵害しているとか、戦争行為から利益を得ているなどと言ったことが発覚して、非倫理的な企業だと看做されると、ブランドの失墜のみならず企業の命運さえ左右される時代になっており、企業行動に対する要求水準が極めて高くなっているのだが、逆に、この経済社会の変化が、新しい社会企業家的な広義のビジネスチャンスを生み出していると言うことでもあろう。

   ところで、ここで論じられている社会企業家精神とは、
   現実的かつ革新的で、市場原理に基づいた持続可能な手法を用いて、社会全体に恩恵を齎そうとする志向や発想で、先進国、途上国を問わず、世界各国の構造的欠陥の犠牲になっている数十億人の人々を優先的に考える姿勢だと言う。
   いわば、社会企業家とは、ヴァージングループのリチャード・ブランソン的資質と、マザーテレサ的資質をうまく併せ持っているような人物で、新たな発想と考え方を採用して、そのアイディアにビジネスの原理を取り入れて現実的な形にして、人々の発想や従来の週間を変革し、社会システムを一新すると言うことである。

   ここから私の話は飛躍するのだが、この本で論じられている社会企業家は、まず、企業や政府の行動を促すようなことはせず、市場原理を活用して、自ら行動を起こして問題解決を目指して成功を収めていると言うことである。
   何故、こんなことに拘るかと言うことだが、民主党政権が、市場原理主義を糾弾して(原理と言うか、あるいは、行き過ぎが駄目なのかは判然としないのだが)、政府主導の、それも、政治家(二流と言われ続けていた政治家が何時時代をリードする一流になったのであろうか)主導の社会経済改革で、日本経済が改革復興出来ると唱え続けているのに対して、当初から疑問に思っていたからである。

   私は、国民の平等と福祉を重視した厚生経済的なビジョンには元より賛成であるが、いずれの時代においても、経済社会を動かす原動力となるのは、市場原理が有効に機能して、個々の企業や個人が、クリエイティブな発想をフル活用してイノベーションを追及して新しい地球空間を生み出すダイナミズムだと思っている。
   今、日本に必要なのは、あの形振り構わずに、戦後の廃墟から今日を築き上げた日本人の前方だけしか見ずに突っ走って来たダイナミックな企業家精神の復活であり、その再生活動の場・環境を、政府が作り出すべきであって、無為無策の下手な経済政策や指導誘導は、必ずしも役に立つとは思えないのではないかと言うことである。

   
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ポール・コリアー著「民主主義がアフリカを殺す」(2)

2010年02月08日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   最底辺の10億人の国々は、制約のない競争選挙の所為で国内協力は挫折して、指導者に主権があるために国外協力も頓挫し、政治的暴力からアカウンタビリティのある正当な民主主義へと着実に移行すろどころかまるで程遠く、彼らはどん詰まりに向かって進んできた。
  最貧のアフリカ諸国では、民主主義によって、深刻な危機が、益々増幅されてきていると言う悲しい現実を、ポール・コリアーは、この本で、克明に報告しているのだが、しかし、その民主主義以前の段階で、内戦や反乱状態から抜け出せない国が、アフリカには多い。

   コリアーは、内乱や反乱について、その動機よりも、反乱が実現可能かどうか、実現可能な場所なら反乱は起こると言う実現可能性仮説を検証している。
   反乱の実現可能性の違いを端的に説明し易いと考えた五項目に分けて、二箇所の架空の地域の紛争リスクをシミュレーションしたのである。
   その結果、山岳地帯、若い男性の割合が多い、どちらの地域も人口50万としたが、一方は単一国に対して10万人ずつ5カ国に分裂している、天然資源輸出に依存、フランスの安全保障の傘下にある、と言った特徴を持った地域では、そうではない地域よりも、99倍も反乱リスクは高かったと言う。

   それに加えて、内戦や反乱が恐ろしいのは、テロリズムを助長していることで、アルカイダが訓練キャンプをアフガニスタンに置いたのも、国際的に承認された政府がなく都合が良かったからで、同様のことは、長い間全く無政府状態に放置されてきたソマリアにも起こっており、更に、イエーメンにも飛び火するなど先進国のみならず世界中を恐怖に陥れている。
   反乱勢力に対して効果的に対抗できる能力がその国家になければ、反乱勢力を支える武器や資金の大半はその国外から来るのであるから、外部から、それを阻止して武力衝突自体の発生を困難にする以外に方法はないのである。

   この解決のために、コリアーは、最小限の国際介入が、最底辺の10億人の国の大部にある政治的暴力が持つ強大な力を、危険な力ではなく善良な力として解き放つ可能性があると考えている。
   最小限に抑えたとしても、国際介入の正当性は確保すべきであるが、国家の存続に不可欠で国家の発展に必須である最も重要な二つの公共財、アカウンタビリティと安全保障は、外部から国際社会が供給すべきだと説く。
   国際社会によるこのような公共財の提供は積極的にやるべきで、このような最低限の国際介入が功を奏して、最底辺の10億人の国々が嵌っている罠を解き放てば、国内供給に置き換え得ると言うのである。 

   この二つの公共財を国際社会が提供しなければならない理由は、国内的な供給が不可能だからである。
   これらの典型的な最底辺の10億人の国々は、公共財の提供に必要な集団行動を達成するためには、あまりにも民族的にパッチワーク状に分裂し過ぎており、さらに、国そのものが小さ過ぎるために、公共財が多くの周辺諸国に外部波及して内部化できない。

   したがって、国家が分裂して小規模なアフリカの場合には、各国の次元では公共財を供給できないので、国家主権を侵害しない範囲での相互協力によるのが最も効果的で、この次元でこそ、国際社会がアカウンタビリティと安全保障の供給を引き受けるべきだと言う。
   コリアーは、域内協力におけるアカウンタビリティについて、アフリカ相互審査機構(APRM)での各国政府が任意に他国政府の評価を受ける相互監視メカニズムについて触れているが、しかし、ムガベのジンバブエを筆頭に現状のように独裁者が国家を蹂躙するような民主主義から程遠い国が存在するような現在のアフリカで、チェック&バランスを働かせて、その国の政治経済社会情勢を透明化して監視するシステムの構築など簡単に出来るのであろうか。

   もう一つ興味深いののは、旧帝国が画策した国境は民族を分断していることが多いため、七つ程度の大きな国に束ねて、現在以上に国内の多様性を拡大せずに国家の規模を拡大する方が、現状よりずっと安全になると言うコリアーの考え方である。
    現在のアフリカは、主権がなさ過ぎるのではなく、多く持ち過ぎで、国家主権と言う概念に対する過剰な尊重姿勢が問題なのだとする姿勢は、ネオコロニアリズムとも呼ばれる所以でもあるのだろうが、しかし、国連などの国際機関の肝いりで、有能なアフリカの指導者による汎アフリカニズムを育成し強力にバックアップすることは、有効であるばかりではなく必須であろうと思われる。

   コリアーの素晴らしいところは、この本を、先進国の知識人に向けて書いているばかりではなく、私がその為政者であればと言う視点から、現にアフリカを支配しているリーダーたちに向かって進むべき道を説いていることで、アマゾンのアメリカ判のブックレビューでもアフリカの読者のコメントが掲載されていて興味深い。
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