熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

京都の自然を楽しむKYOTO TRAIL

2022年07月31日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今日の日経日曜版の特集に、KTOTO TRAILについての記事が掲載されていた。
   京都とくれば、私の学び舎でもあり青春時代の思い出がぎっしりと詰まった懐かしい街でもある。
   しかし、私の歩いた京都は、歴史散歩というか、古社寺巡りの日本文化を求めての散策であったので、どちらかと言えば京都の山歩きと言う感じのハイキングを意図した自然散策のKTOTO TRAILとは、同じ京都歩きでも、大分ニュアンスが違う。

   結構重なっているトレイルもあるが、それは、古社寺が山間に位置するとか郊外にあるといった感じであるからであろうが、どちらにしても、目的が違えばスケジュールもコースも、歩き方も違ってくる。
   京大生であったから、頻繁に歩いたのは、東山コースで、清水寺から、哲学の道や銀閣寺経由で、詩仙堂から八瀬だが、吉田山には登ったが大文字には上っていない。比叡山や大原にはバスで出かけたが、コースから外れている三千院から寂光院への山道は、何度も通った。
   金閣寺から竜安寺、仁和寺、嵯峨野から嵐山、苔寺は、平坦な道なので、結構歩けたが、高尾へはバスで出かけて、三尾(高尾・槙尾・栂尾)を散策したくらいである。
   本格的な山道を歩いたのは、鞍馬から鞍馬山を抜けて貴船神社までと、これもコース外だが、比叡山延暦寺から琵琶湖畔の坂本まで下ったくらいで、健脚でもなかったし、ハイキングの趣味もなかったので、歩くことはなかった。
   トレイルの写真を見ると、京都の街並みや琵琶湖を眼下に見下ろす風景写真が多いのだが、そんなところに行かなくても、私の通った歴史散歩でも、結構、そんな機会があって展望を楽しめていた。
   下記は、口絵とは違ったマップだが、同じ京都の自然を歩くと言っても、ニュアンスの差があって面白い。
   

   京都については、このブログでも随分書いて来た。
   豊かな歴史があって、内陸の盆地であるために夏冬の寒暖は勿論気候条件が厳しくて、自然が激しく変転して、京都独特の美しい姿を見せて楽しませてくれる。
   フッと旅をしたくなると、どうしても、センチメンタル・ジャーニーで、京都に行きたくなるのだが、もう少し若ければ、京都の自然を観るKTOTO TRAILに出て、別な京都の魅力を味わえたらと思うのだが、残念ながら、歳が歳、タイムアウトである。
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石原慎太郎著「私」という男の生涯

2022年07月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   著者の原作映画「太陽の季節」は、高校生の時に見た記憶はあるが、小説など著作については、まだ、読んだことはない。
   したがって、この本が初めての石原慎太郎への出逢いだが、流石にたいした男で、実に興味深く読ませて貰った。

   一度だけ、石原夫妻を見かけた。半世紀近く前のことで、サンパウロのレストランキョウエイで、日系コロニアトップとのランチで、嫌に緊張して畏まっている姿が新鮮であった。

   まず、面白いと思ったのは、著者が京大の文学部仏文を目指していたのを、父の逝去などで経済的な理由もあって、説得されて、「公認会計士」になるべく一橋に転身したという話である。
   京大に入って京都で大学生活を送っていたら、石原慎太郎文學が、どの様に発展し展開していたかと思うと興味津々である。
   それに、一橋で、会計学を学んだことが、都知事時代に役だって、単式簿記で年度予算に呪縛されていた都の会計制度を複式簿記に大改革をして、財政再建を図ったと言うのが面白い。会計学の知識に欠けるので分からないのだが、日本の公会計は単式簿記的のようであり、良いのか悪いのか、世界に冠たる巨大な債務超過国でもあり、会計制度が不備だとすれば、心配ではある。

   この本は、65歳を前に書き始めているので、20年以上過ぎて完結した石原慎太郎の自伝であり備忘録であり遺書でもある貴重な作品だが、波瀾万丈の2世代以上に亘る人生の軌跡を克明に描いており、それぞれの小説よりも奇なる多くの挿話など感動的である。
   その間には、命をかけた危険、初島ヨットレースの途次、寒冷前線が相模湾でズタズタに裂けて突風が四方八方から吹きすさび、巨大な三角波をかき立てて多くの船が航行不能となり沢山の選手が死亡したり、北マリアナへの冒険ダイビング航海の事故で肋骨にひびが入り、苦痛に耐えながら火山の爆発で無人となったパガンの廃絶された飛行場で奇跡的に救出されてサイパン経由でグアムの病院に運び込まれたり、南米をスクーターで縦断した際、チリからアルゼンチンへの国境の湖を越えるとき、キャラバンを乗せたフェリーが事故で沈みかかけた時など、まさに進退窮まりそうになった時には、「死」について予感することなどあり得なかったが、
   高齢に達して、脳梗塞を患って弱ってくると、「死」を予感し始めて、今までに味わったことのない一種投げやりの感情で、しきりに思うのは、自分にとっての「最後の未知」「最後の未来」たる己の「死」のことばかりである。とトーンが暗くなってくる。

   さて、逸話の中には、当然、石原裕次郎が登場する。
   裕次郎の放蕩生活や壮絶な死との戦いなど、流石に、兄弟としての描写だが、石原慎太郎の小説の題材を提供したのは裕次郎であったし、面白かったのは、裕次郎の入れ知恵で、昼の新橋の「フロリダ」を借り切って、パーティを開いて、津田塾や東京女子大生たちにパー券を売って儲けて、極貧の寮生活を潤したという話である。そう言われれば、我々も、京都女子大や同志社女子大などと、合同ダンスパーティをやっていたのを思い出した。

   知らなかったのだが、日比谷にある立派な日生劇場は、五島昇に勧められて、27歳であった石原慎太郎がプロディユースして出来上がった劇場だという。
   カール・ベーム指揮のドイツオペラで杮落としをしたことは知っていた。浅利慶太が出来上がる場ともなった。

   25年表彰を受けた国会議員でありながら大臣経験は、たったの2回。
   興味深いのは、沖縄返還に関わる核問題に関する佐藤総理との未曾有の体験を語っていることである。
   佐藤総理と、アメリカの核戦略の警備体制の基点であるコロラドのNORAD「ノースアメリカン・エア・ディフェンス」を訪れた時に、核有事の際の日本への攻撃を察知する能力はアメリカにはなく、日本は、アメリカの核の傘の下には入っていないと知らされて、現地の司令官から、「不安なら、日本は、核開発をして自分で自分を守る努力をせよ」と言われた。
   佐藤総理は、非核三原則を唱えながら、アメリカの核の傘など当てに出来ないことを熟知しており、ドイツと組んでの核開発をオファーしたり、自らの核開発を密かに画策するなど、政治の見事な二枚舌には端倪すべからざるものがある。 いまでも、なお、日本は、核開発を行い核兵器を保有すべきだと信じている。と言う。

   環境大臣の時水俣病との遭遇で、報告書などひた隠し拒絶する役人を払いのけて現地を視察して調査、生まれて初めて体験した環境汚染たる現代文明に関わる本質論の実体験は忘れることの出来ぬもので、以来、自身の文明批判の本質的論拠となった。
   これが、後の都知事の時代に、ディーゼルカーによる排気ガスのもたらしている惨状への挑戦、対処として行政に反映されている。

   さて、この本には、好色だと自任する石原慎太郎の女性遍歴が、結構、あけすけに書かれていて面白い。
   私の妻やNやSやYにせよ、私が強いたわけではないが、わたしのために多くの犠牲に耐えてくれたお陰で、私に人生はかなり深く彩られたものとして在ることができたとは言えるに違いない。あの一人を除けば私が関わった女達を私は真剣に愛したし、彼女たちも愛してくれた。その華やかな至福さを私は彼女たちへの感謝と共に他の男達に向かっても誇れる思いでいるが。と言う。
   あの一人というのは、懇願を押し切って婚外子を生んでしまった女性である。
   奥方とは、高校生であった彼女との出逢いを親戚に見つかり、芥川賞に入賞したので結婚を申し込んだのだという。
   ラブシーンの指導にかまけて、高峰三枝子に迫られたのだが、男が女を口説くのが順だと身を引いたのを、慚愧に堪えぬと述懐している。
   都知事時代に、45歳若い彼女と逢瀬を続けていたと言うから、強いのである。

   とにかく、興味深い話がフンダンにある、実に面白い本である。
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わが庭・・・カノコユリ咲く

2022年07月28日 | わが庭の歳時記
   猛暑の頃に咲くゆりの花が、カノコユリ。
   花弁が、紅色の鹿ノ子絞りみたいな模様が入るのでカノコユリの名前がついたと言うことだが、シーボルトが持ち帰って、欧米で珍重されるようになった。
   鱗茎はユリ根として食用となり、また滋養強壮、利尿、咳止め、解熱、消炎の効能があるというから、貴重な花である。
   しかし、カサブランカなどと違って、すっくと伸びた花茎がか細くて、大きな花を頂くので、支柱を添えないと地面を這う。
   それに、小さな蕾が着いて、咲き始める直前に、大きく膨らむので、迫力に欠けるのが難であろうか。
   咲ききると、鹿の子がアクセントとなって、結構派手である。
   
   
   
   

   孫娘の教材のアサガオも咲いている。
   
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都響:アラン・ギルバート指揮 モーツアルト三大交響曲

2022年07月26日 | クラシック音楽・オペラ
   都響定期演奏会Bで、久しぶりにサントリーホールに出かけた。
   プログラムは、
   指揮/アラン・ギルバート
モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543
モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550
モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 K.551 《ジュピター》

   以前のプログラムなのだが、コロナで延期されていたモーツアルトの三大交響曲をギルバートが振るので期待していた。本当は、前日の定期Cであったのだが、行けなくなって、振替えて貰ったのである。
   ヨーロッパ時代のコンサートのプログラムが倉庫に眠っていて探せないので分からないのだが、結構、モーツアルトの交響曲は、ウィーン・フィルやコンセルトヘボウなどで聴いてはいるのだが、三大交響曲を同時に聴くなどと言った希有な機会はなかった。
   学生時代にクラシック音楽に興味を持って、最初に聴いた音楽がベートーヴェンやモーツアルトであったし、コンサートでも随分聞き込んでおり、ウィーンやザルツブルグ、プラハなどを訪れた時にはモーツアルトの故地を散策したり、モーツアルトのオペラの数々を観るために劇場へ通うなどして、私の頭の中には、私なりのモーツアルト像が出来上がっており、それを反芻するのが楽しみで、演奏を聴いている。
   アレグロがどうだとか、イ短調がどうだとか、難しい理論は何も分からないのだが、ムードで演奏を聴いていて、進歩も何もないけれど、ジュピターにしろ、何十年も聞き続けている内に、自然と心と体が反応してくれる。歌舞伎の忠臣蔵を何度も観ていて、楽しむのと同じようなものである。

   この3曲は、モーツアルトの交響曲創作の総決算だと言われているようだが、3曲がそれぞれ異なる個性を示しつつも、動機の相互関連など書法上の関連性を持っており、ニコラス・アーノンクールは、モーツアルトはこれら3曲を一つの”器楽的オラトリオ”として構想したという仮設を立てたと言う。
   昔、アーノンクールが人気の時に、コンセルトヘボウに客演してモーツアルトを振ったのを聴いて、カール・ベームが、「私は、アーノンクールを取らない」と言っていたのを思い出した。帰ってきて、NHKアーカイブのベーム指揮ウィーンフィルの端正な40番と41番を聴いたが、古楽界のアーノンクールとはモーツアルト像に大きな違いがあるのであろう。
   ジョルディ・サバールも、3曲を一つの作品と見做して、休みなしに演奏していると言うことだが、期せずして、ギルバートの演奏で、この演奏意図の一端を聴けたと言うことであろう。

   ところで、ギルバートだが、譜面台もなければタクトもない。
   ケンタッキーのトウモロコシ畑のコンバインから顔を覗かせてもおかしくない、野武士のような精悍な風格で、曲想に合わせて表情豊かに、にっこりと微笑んで頷いたり、伸び上がって威風堂々、楽団員に語りかけるように、モーツアルトを紡ぎだす。余談だが、昔々、スイスロマンドを率いて来日したエルネスト・アンセルメが、指揮台で直立不動で微動だにせず、タクトを申しわけ程度にぴくつかせていたのを思い出すが、指揮者それぞれで、面白い。
   ギルバートは、今は、北ドイツやスエーデンで振っているようだが、ニューヨーク・フィルの音楽監督を務め、ジュリアード音楽院のデレクター、
   世界のトップ楽団やオペラハウス総ナメの凄い指揮者でありながら、終始変らず、穏やかで温かい風貌が素晴しい。
   今回は、舞台左横の最前列に座っていたので、ギルバートや楽団員の表情もよく見えた。

   3曲の中では、40番が一番多く聴いてきたような気がする。モーツアルトの宿命の調べのト短調をとり、特有のくらい感情世界を劇的に表している作品だと説明されているのだが。
   しかし、私には、冒頭の優雅で美しいサウンドから引き込まれて、天国からの音楽のような調べの多いモーツアルトとしては、少し哀調を帯びた曲かなあと感じるくらいで、暗さなど微塵も感じられない華麗な曲として息づいている。

   41番「ジュピター」は、ギリシャの最高神ゼウスで、これ以上はない高みに上り詰めた圧倒的な迫力で、最終章の壮大なフーガ・フィナーレは、聴衆を感動の極致に導く。
   30分と少しの時間だが、私には、壮大な宇宙の乱舞を垣間見るような時空を越えた世界の神秘さえ感じさせてくれた。
   小澤征爾が、神がモーツアルトにペンを取らせて書いたとしか思えないと語っていたが、まさに、言い得て妙であろう。

   ギルバートは、詩情豊かなモーツアルトの壮大な交響叙事詩を、緩急自在、華麗なサウンドの渦を巻き起こしながら、サントリーホールを音響箱として唱わせて、観衆に迫る。ベートーヴェンの交響曲全曲演奏とは違った新鮮な感興を呼ぶ。
   都響は、この日は珍しく、ソロ・コンサートマスター矢部達哉の横にコンサートマスターの四方恭子が陣取るという布陣で、ギルバートの期待に応えて、素晴しい演奏を披露した。
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教育が危ない:経済危機のレバノン、好待遇求め教員が大量国外流出

2022年07月24日 | 学問・文化・芸術
   ロイターが、
   「アングル:経済危機のレバノン、好待遇求め教員が大量国外流出」と報じている。
   レバノンでは3年にわたる経済危機により、教育現場が荒廃している。教師たちのストライキにより多くの学校が何カ月も連続で閉鎖され、家庭では子どもを学校にやらずに働きに出すようになり、中途退学率も急上昇している。と言うのである。

   レバノン経済は、2019年以来、急降下状態にあり、レバノン・ポンドは90%以上も下落し、インフレの加速により貯蓄は無価値になった。国民670万人のうち約4分の3が貧困状態に追いやられている。この経済危機を受けて、レバノンからは医師や看護師、研究者、実業家などスキルの高い専門職が他国での仕事を求めて何万人も流出している。こうした頭脳流出により、レバノンの長期的回復に向けた展望にも暗雲が立ちこめている。と言う。

   文明国でありながら、レバノンが、いまだに、実質的に、国家なき社会で、有効に統治する国家体制を持たない国であることは、昨年詳述したので略記するが、
   大統領は常にマロン派キリスト教徒、首相はスンニ派イスラム教徒、国会議長はシーア派イスラム教徒、副議長と副首相はギリシャ正教キリスト教徒、陸軍参謀総長はドゥルーズ派イスラム教徒と決まっていて、議会の議席配分は、キリスト教徒イスラム教徒とも五対五に固定されていると言った調子で、多数の集団間で権力が配分されており、
   医療や電力などの公共サービスを提供するのも国家ではなく個々の共同体であり、国家は暴力を抑制しないし、警察を制御することもしない。シーア派のヒズボラは私兵を持ち
   国民は議会を信用せず、議会に権限を与えることを望まず、社会運動も好まず、誰が信用できるか分からないので、共同体が、危険な坂道を恐れるがために、国家がわざと弱くなるように作られている。と言うのである。

   首都ベイルートは、中東における交通の要所に位置し、商業と金融、観光の中心地として著しく発展し、中東のパリと呼ばれるほど華やかで美しい街として発展し、
   レバノンは、隣国のシリアと同じで、レバシリと称されて、商売に巧妙なユダヤやインパキでさえ舌を巻く世界で最強の商人だと言われており、悪く言うと、非常に巧みな、狡猾な、えげつない商売をする国民だとされていているように、本来は、非常に賢くて有能な民族であるはずであり、善悪は別として、カルロス・ゴーンを見れば分かる。
   このレバノンが、国家存亡の危機に瀕しているのである。 

   昨日、ロシア人が、国家の将来に見切りを付けて、国家脱出している、頭脳流出について書いた。
   レバノンの頭脳流出先は、UAEなど中東諸国へのようだが、良かれ悪しかれ、グローバルベースでの頭脳の平準化傾向として容認できよう。

   私が問題にしたいのは、教師の苦境や学校に行けない子供の増加など教育現場が、政治経済社会状況の悪化によって、危機的な状況に陥っていることである。
   主義信条はともかく、酷いのは、アフガニスタンのタリバンの「女性蔑視思想」などによる正常な教育環境の不備であろう。
   慢性的な教育環境の劣悪さと更なる悪化に苦しんでいるのは、アフリカやアジアや中南米の最貧状態の発展途上国で、コロナの蔓延拡大やウクライナ戦争などの煽りを受けて、その深刻さが増しているという。

   はるか半世紀以上も前、インド大使であったジョン・ケネス・ガルブレイスが、インドの開発について聞かれて「教育だ」と言ったことは有名な話であるが、貧困に喘ぐ発展途上国を救うのは、何をおいても、教育の普及であることは間違いなく、国家にとっては至上命令である。
   国家経済の破綻や深刻な貧困など経済的要因が足枷となっているようであるが、先進国や世界機関が主導してグローバルベースで、ICT革命を活用した教育普及活動が出来ないか、喫緊の課題である。

   一寸違った視点で深刻な問題は、アメリカの教育程度の異常な格差の問題、特に底辺の程度の低さである。
   最先端を行く科学技術など群を抜く教育知的水準を誇りながら、民主主義とは何か、そんなプリミティブなことさえも理解できない愚民が多くを占めてトランプを持ち上げていて、イアン・ブレマーに、「他国から見れば米国の民主主義は手がつけられない状態だ。」と言わしめる程、酷いことである。トランプ派の核となるのは、低学歴の白人だと言うことだが、保守党の国会議員の中にも、20年大統領選後のクーデター計画の明確な証拠を公表されたにも拘わらず、なお、トランプや支持者の法的責任追及を確信する人がいないと言うのであるから救いようがない。
   もっとも、これは、アメリカの教育だけの問題ではないのであろうが、ポピュリズムに煽られて鳴動する衆愚政治はともかくとしても、選挙は盗まれたなどというアメリカの資本主義の根幹に関わる基本的な真実を理解する能力くらいは、与え得る教育水準は維持すべきであろう。
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ヒトのグローバル移動の進展

2022年07月22日 | 政治・経済・社会
   ブルームバーグ配信のニュースで、次の記事に興味を感じた。
   グローバリゼーションの拡大で、ヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えて頻繁に移動するようになって、一番遅れていたヒトの移動が常態化してきたと言うか、アメリカ人のヨーロッパ回帰が進行していると言うのである。
   逆移民
生活コストの上昇と住宅価格の急騰、加速するドル高に政治的な分断が加わり、欧州に移住する米国人が増えている。イタリアやポルトガル、スペイン、ギリシャ、フランスが人気の移住先だ。従来、欧州で不動産を購入する米国人は主に退職者や富裕層だった。しかし最近では大都市ではない地域を中心に住宅価格が割安となり、リモート勤務の普及で若い層や米国での住宅購入を断念した消費者が欧州に引き寄せられている。米都市の一部で悪化する犯罪や政治的な分断も、静かな生活への憧れをかき立てた。最近、約20年ぶりに対ドル等価に下落したユーロ安も一役買っている。

   ヒトの移動で、最近顕著なのは、ウクライナ侵攻で進むロシア人の国外脱出、特に、高学歴の若者たちの頭脳流出である。
   本来、ロシアは国外移住が多い国で、国内に十分な機会がないので、特に高学歴の若者ほど国外移住の傾向が強く、最近はその動きが加速していて、ウクライナ侵攻後、10万とか20万とかと言われている。
   ロシアの最大の悩みは、人口の減少傾向による国家の疲弊衰退で、この人口減に注目して、エマニュエル・トッドが、ロシアの没落論を展開していたのだが、プーチンの旧ソ連圏の囲い込みやウクライナへの侵攻も、この人口減少解消策の一環である。占領地域のウクライナ人をロシア国籍にしたり、百何十万のウクライナ人を梗塞してロシア東部の僻地へ送り込んでロシア化を図るという人道的暴挙に出るのも、これが故である。
   しかし、国際法を無視して世界を敵に回して拡大政策を推進して、外国人を取り込んで人間の頭数を合わせてみても、虎の子の筈の有能な国民の頭脳流出を許して国家を窮地に追い込んでいけば、とどのつまりは、国家の進歩発展を阻害、愚行以外の何ものでもないのを理解できないところが哀れである。

   さて、本題に戻って、アメリカ人のヨーロッパ移住だが、本来の故国への回帰であって不思議でも何でもない。
   私は、国際都市アムステルダムとロンドンに住んでいたので、人種のルツボでの國際人の交流には全く違和感がなく、むしろ、交流の中で、外国人ばかりが多くて、地元のオランダ人やイギリス人と接する機会が少なかったのを実感していた。
   ところで、ブルームバーグの指摘で重要なのは、ヨーロッパの住環境が良いためと言うこともあるが、「リモート勤務の普及で若い層や米国での住宅購入を断念した消費者が・・・」と言うリモートワークによる労働移動の普及進展である。すなわち、職を求めてのヒトの移動ではなくて、世界のどこにいても、本来続けている仕事が出来るというICT革命による労働環境の変化である。

   先日、リチャード・ボールドウィン著「世界経済 大いなる収斂 ITがもたらす新次元のグローバリゼーション」のブックレビューで、
   ある国の労働者が別の国のサービス・タスクを引き受けて、労働サービスが労働者から物理的に切り離されるケース、すなわち、人間の分身に国境を飛び越えさせるテクノロジーであるテレロボティクス、テレプレゼンスでバーチャル移住させれば、
たとえば、ロンドンのホテルの部屋を、マニラで座っているメイドがコントロールするロボットで掃除する、アメリカのショッピングモールにいる警備員を、ペルーで座っている警備員が動かすので置き換えることが出来ることを説明した。
   グローバリゼーションで、ヒト、モノ、情報の移動で、最も遅れてている第三のバンダリング・ヒトの移動を、メタバースの遠隔移民と「ホワイトカラー・ロボット」による高度なワークの移動についても説明していて、先のロシア人とかアメリカ人の実際のワーカーの移動とは異なった仮想的な移動を説いていて面白い。

   いずれにしろ、トーマス・フリードマンのフラット化した世界が、労働面でも、仮想、現実ともに、実質的に、どんどん、現実化していると言うことである。
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地球温暖化:欧米を襲う異常な熱波

2022年07月21日 | 地球温暖化・環境問題
   東京新聞が、「欧州熱波、死者相次ぐ 英国で史上最高気温、40度超(口絵写真)」と報じている。
   欧州各地で熱波の影響が続き、英気象庁によると、ロンドンのヒースロー空港で19日、観測史上最高気温の40・2度(速報値)を記録した。英国で40度を超えるのは初めて。英BBC放送によると、スペインやポルトガルでは高温に起因するとみられる死者の数が計千人以上となった。山火事の被害も拡大している。熱波は今後北上するとみられ、ベルギーやドイツでも気温が40度近くになる可能性がある。
 英国の過去最高気温は2019年7月に南部ケンブリッジで観測された38・7度だった。気象庁によると、39度以上の観測地点も複数に上り、多くの都市で記録を更新した。と言うのである。
   日経には、殆ど報じられてはいないが、BBCやABC,NHKの国際報道ではトップニュースだし、テレビでも頻繁に報道されている。
   ABCでは、同様に、アメリカでは所によっては、華氏110度をオーバーして、熱波による、高温や火災で、各地で被害が多発していると報じている。
   カナダ・ブリティッシュコロンビアで49.5度:500人が死亡、さらに、7月11日には、カリフォルニア州のデスバレーで、54度を記録。これは、地球上で観測された最も高いレベルの気温だと言う報道もある。

   その原因は、偏西風の南北への持続的な大きな蛇行によると言うことだが、この異常気候の引き金を引いたのは、当然、持続している地球温暖化によることは、間違いないという。

   蒸し暑い日本では、40℃を越えると、暑くて大変だという感覚で通せても、日頃30℃越えさえ珍しいロンドンで、40℃を越えるとどうなるのか。
   大分前になるので、現状は違うかも知れないが、私自身、アムステルダムに3年、ロンドンに5年住んでいて、エアコンなしで何の不都合もなく快適に過ごしていたので、不思議な感じである。
   HowTravelの資料を借りると、
   
   ロンドンの最高温度は、東京の最低温度にほぼ近似していて、夏の最高温度でも、25℃くらいで、今でも殆ど変らないようで、普通の家庭では、夏のエアコンは使っていないと聞いている。
   当時、ロイヤル・オペラ・ハウスなど劇場には、エアコンがなかったので、何度か蒸し暑い思いをしたことがあるが、家では、冷房が欲しいなあと思ったのは、年に、5~6日くらいであった。
   エアコンが効いていたのは、米系のホテルやレストランくらいで、勿論、一般の公共施設などにも冷房など完備されてはいなかった。

   40℃越のヒースロー空港に近いキューガーデンに住んでいたので、エアコンがなければ、どう過ごせたか全く自信がない。
   キューの植物園には直近だが、メトロ駅も目と鼻の先なので、窓を開けて寝るわけには行かない。

   2022年自体でこのような現状であり、ウクライナ戦争で、エネルギー異変が生じて、石炭火力の復活など、逆行する動きが出ており、「2050年までに温室効果ガス排出量実質ゼロ」など、実現しそうにない。
   もっと、悲劇的なのは、環境破壊に対して一顧だにしないトランプの陰が一向に消えないことである。トランプ政権が実現すれば、温室効果ガス排出量実質ゼロに逆行して地球環境を更に窮地に追い込み、宇宙船地球号に止めを刺すことは間違いない。

   今日の日経のイアン・ブレマーの「手が付けられぬ米国政治の混乱」で、
   「トランプ氏の大統領退任直前の日々や、多くの側近の行動に関する新たな事実が判明した。2021年1月6日の議会襲撃を調査する下院特別委員会は、同氏による20年大統領選後のクーデター計画の明確な証拠を公表した。それでもなお、トランプ氏や支持者の法的責任追及を確信する人はワシントンにはいない。しかも、現時点の世論調査ではトランプ氏はなお24年大統領選で共和党の最有力候補だ。共和党有権者の7割がバイデン氏を正当に選ばれた大統領だと認めておらず、多くはトランプ氏を大統領に復帰させても構わないと答えている。他国から見れば米国の民主主義は手がつけられない状態だ。」

   アメリカの民主主義は、何だったのか。
   チャーチルは、民主主義にたいして「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。 これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。 」と言ったというのだが、
   結局、ギリシャ時代へ逆転して、トランプの愚行を止め得ない愚民による衆愚政治には勝てないと言うことであろうか。
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LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界(3)

2022年07月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ハーバード大学のデビッド・A・シンクレア教授は、この本で、
   「老化」は、単なるありふれた病気であって、積極的に治療することがたんに出来るだけではなく、現在開発中の新しい医学療法を用いれば、老化を遅らせ、食い止め、あるいは逆転させるのも夢ではない。ただの寿命ではなくて健康寿命が延びて、病気や体の不自由に苦しむことなく長く暮らせる。と説いている。
   「老い」は「病気」だから治療できるのだが、がんでも糖尿病でも心不全でも、現代の医療は目の前の病気を治そうとするが、これはモグラ叩きで、あらゆる病気の源流に「老い」があるのだから、それさえ治療すれば、支流の各疾患は発症さえしないのだと言う。
   学説は、先のレビューで触れたので省略するが、驚くなかれ、秦の始皇帝が夢見た不老不死が実現するかも知れないのである。

   さて、面白い指摘は、人口が増加し、長く生きる人の数が増えても、なお、暮らしが良くなると断言できる一つの要因は、あらゆる世代の人的資源が絡み合うことでプラスの効果が現われ、「高齢者」が重要な役割を果たすと言うことである。
   職場では、高齢の労働者が敬われ、雇用者は競って彼らを雇おうとする、鍵を握るのは、過ごしてきた時間の長さで、古の文化では、古老達だけが知識の源泉であり、高齢者が知恵袋として尊ばれていた。
   現代の教養ある高齢者は、65歳より若い世代と同じくらいテクノロジーを使いこなしており、職務遂行能力は、月のロケットを打ち上げ超音速旅客機やパソコンを発明した世代である。ウォートン・スクールのピータ・カペリ教授は、「職務を遂行する能力は、あらゆる面において、年齢を重ねるほど向上する。高齢者の労働者がこれだけ優れた職務能力を有しておりながら、職場で差別を受けているというのは、全く理解に苦しむ。」と言っている。
   誤った固定観念の所為で、企業が優れた労働者を失うのに任せているのは、何とも勿体ない限りで、しかも、それが国レベルのみならず世界レベルで起きていて、まだまだ働き盛りの何百万という人々を、年齢に対する旧態依然たる見方で退かせている。

   シンクレア教授が、高齢者を持ち上げるのは、持論によって高齢者の健康寿命をドンドン伸ばせると考えているので、働き盛りの年齢をもっと長くして、人的投資をして更に能力を涵養すれば、社会の投資は、何倍にもなって戻ってくる。労働者として貢献できる期間が長ければ長いほど、その見返りは大きい。と考えているからである。まして、高齢者は、思考力を要する殆どの課題と、文章作成、語彙、リーダーシップの面で、その能力は、若者を大きく引き離している。と言うのである。

   高齢者の労働者が若い労働者を閉め出して市場を圧迫するという一般論については、むしろ、定年退職の年齢が低い国ほどGDPが低く成長が止まっており、国が停滞するのは、仕事の不足ではなく、新しい発想を取り入れたり、人的資本を活用するのを怠っているからである。
   ロボットやインターネットが雇用を駆逐すると言われたがそんことは起こらなかったし、女性労働も増加している。男女を問わず、高齢者の労働参加が増えるというのは、社会保障制度の破綻懸念を解消する特効薬となる。
   働き続けることが出来ないので、予後を心配して、何兆ドルという膨大なタンス預金をしたのであって、活躍できる選択肢が出来ると、その不安もなくなり、資金が動き出す。と言うのである。

   労働条件はともかく、シンクレア教授の見解には、殆ど異存はない。
   私の頃は、定年が、殆ど60+αくらいであったが、戦後、何十年も前に制定された定年規定を、時代が進んで若返った老年に適用し続けていたので、時代錯誤も甚だしかった。年功序列制度を崩して、自由選択のようなバインディングのない雇用延長があれば、膨大なタンス預金も滞留せずに始動したであろうし、社会補償費の負担軽減にも大きく貢献したことであろう。
   尤も、バブルが崩壊して日本経済が破綻寸前まで悪化して、新規雇用が殆ど頓挫して、若者の雇用機会を奪い去って多くのフリーターを生み出すなど、若い将来を台無しにしてしまったことを思うと、慚愧に堪えないので、この考えを、すんなりと主張は出来ないのだが、老人雇用に対する経済政策の失敗は、日本経済の再生には致命的で、少子高齢化問題を、老人の有効活用と言った視点で考えておれば、もう少し、活路が開けたような気がしている。
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和田秀樹著「80歳の壁」(3)

2022年07月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   興味深いのは、和田先生の認知症についての見解である。
   親族の中にも、友人知人の中にも、認知症になったりなっている人がいるので、今、自分には関係がないとしても、多少は知っておいて損はない。
   認知症は、老化現象であって、人間誰にも生じる病気であって避けられず、生存期間に起こるか起こらないかだけの差だというのである。

   認知症は、多くの場合、「もの忘れ」から始まる。
   その次に起こるのは、「先見当職」、場所とか時間の感覚が悪くなり、道に迷うとか、いまの時間が分からなくなる現象で、たとえば、夜中に起きても朝だと思って外出しようとしたりする。
   次に起こるのは、「知能低下」、本を読んでも読めない、テレビを見ても意味が分からないと言う現象である。
   しかし、5分前のことを憶えていないのに、話してみるとちゃんと会話ができるし、「文藝春秋」を読んで、理路整然と意見を言ったりする。知能は、まだ、しっかりしているのである。ボケているからと、家族みんなで悪口を言っていると、筒抜けだし、まだまだ、残存機能は沢山残されている。

   高齢になると、機能面は衰えるかも知れないが、人生を生き抜いてきた知恵は衰えないので、知恵がらみのことに関しては、認知症の症状が出てからでも優秀な人が結構な割合でいる。レーガン元大統領やサッチャー元首相も、在任中も、おそらく軽度の記憶障害くらいはあったはずである。認知症でも、大統領や首相が務まる。と言うのであるから、今を時めく高齢の為政者や企業トップなどにも、認知症がらみのリーダーが存在すると考えられるのであろうか。
   問題は、「記憶は苦手だが判断はできる、勘違いが増えることによって、詐欺などにあいやすくなる」という指摘である。振り込み詐欺についての注意は受けているのだが、そのことは忘れてしまって、詐欺師の巧妙な説得手口に載せられてサインしてしまう。前に言われたことと現在の話を比較するのが難しくなって、そのための勘違いや、総合的な判断の誤りが起こりやすくなる。と言うのである。
   いずれにしろ、老害はあるのであろうから、極力避けたいものである。

   認知症を遅らせる方法は、薬よりも頭を使う方が有効である。と言う。
   認知症だと早期発見しても、医療の力では「どうすることもできない」のであるから、認知症と診断された途端に、周囲の人が態度を変えたり、役割などを取り上げたりするので、むしろ医者に行かない方が良い。認知症の進行を遅らせる最高の方法は、頭を使ったり、体を動かしたりし続けることである。
   和田先生は、東京と鹿嶋の患者を比較して、鹿嶋の人の方が認知症の進行が遅いのは、東京のように家に閉じ込められるのとは違って、従前と変らない生活をしていて、体で覚えたことは認知症になってからも変らずに出来るし、頭も使う。この差だという。

   興味深いのは、認知症はある種の「子ども返り」のようなところがあって、ボケてからの方が死が怖くなるので、意外に事故が少ないという指摘である。動物と同じで、クルマが来たら咄嗟に逃げるのは生存本能であり、「認知症だから判断が遅れて轢かれたのだろう」と運転手がウソをついても分かると言うこともあろうか。

   最後に、和田先生の尊厳死宣言を引いておきたい。
   私は自分が納得でき、満足できる人生をまっとうしたいので、薬は飲みません。具合が悪くなったら病院にはいくけど、検査はしません。美味しく食べられるうちは、好きなものを食べます。お酒も飲みます。タバコも吸います。私の人生ですし、ここまで頑張ってきたのですから、私のしたいように生きさせてください。
   
   そこまで、腹をくくる自信はないが、水が流れるように生きて逝きたいと思っている。
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和田秀樹著「80歳の壁」(2)

2022年07月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本での和田先生の指摘で、気になったのは、
   「なってから医療」は、中高年までの医療とは違うので、予防のための薬は、なってからは要らない。と言うことである。
   「高齢になってから」「動脈硬化になってから」と言うことのようである。
   私が今飲んでいる薬は、血圧降下剤と対コレステロールの2種で、それも、随分長く続けている。
   さすれば、既に高血圧でコレステロール値も高いけれど、既になっているのだから、薬など飲む必用はないと言うことであろうか。

   動脈硬化の場合だが、これを予防するために血圧や血糖値やコレステロールを下げる治療が行われるのだが、どんなにこの手の治療を施しても加齢には勝てない。既に動脈硬化が進んでいる人の場合は、ただでさえ狭くなっている血管内に、血圧を下げて血流の勢いを悪くするのだから血液は滞る。すると、血液内の酸素や栄養分が、全身の細胞に行き渡らなくなり、最もダメージを受けるのは脳である。薬を飲んで数値を下げても、低酸素や低血糖の状態を引き起こし、頭がボーッとする、意識が飛ぶ、認知症を進行させ、また、免疫機能が落ち、様々な病気にかかりやすくなる。
   ようするに、「なってから」は、むしろ血圧や血糖値を高めにコントロールした方が健康に良い。と言うのである。

   もう一つ、興味深い指摘は、血圧や血糖値を下げてもガンのリスクは下がらない、それどころか、免疫機能が落ちるので、ガンのリスクは高まり、特に、コレステロールは免疫細胞の材料となるため、コレステロール値が高いほどガンになり難いと言うデータがある。
   それでは、何故、医師は、血圧や血糖値やコレステロール値を下げようとするのか。それは、死因の第1位が心筋梗塞であるアメリカ型の医療原則を適用しているからで、ガンが死因第1位の日本には合わない。

   それに、かっては、血圧150くらいで血管が破れることがあったが、栄養状態が良くなった現代では、動脈瘤がない限り、80歳を過ぎた高齢者でも血圧が200でも破れることはない。頭痛や吐き気、めまいがすればその人にとってはその数値が高い数値であって、数値だけで「異常」と判断されて、薬を飲み続けるのは止めよという。血圧計で、数値が、130~90を越えただけで心配になって右往左往していた自分にとっては、まさに、安心というか、青天の霹靂である。

   更に、私にとっての関心事は、コレステロールに関する指摘である。
   コレステロール値を下げると、それを材料にして作られる男性ホルモンも減ってしまう。男性ホルモンは、若々しく元気でいるための源で、心身の健康維持に必要不可欠な成分で、これが減少すると、元気や意欲がなくなってしまい、筋力が低下したり感情が不安定になる。高い方が良いと言うのである。

   血圧、血糖値、コレステロールを下げる薬を飲むことは、動脈硬化には効果的でも、活力が奪われたり、ガンのリスクが高まったりする。
   生活の質を下げながら元気のない幸齢者になるか、薬を飲まずに今の生活を続けるか、
   迫られている。

   予期しない展開なので、困っているのだが、今度の通院時に、定期的に通って薬を処方して貰っている循環器の先生に聞くことにしている。
   いずれにしろ、最近は、血圧の正常値だと言われている120~80以下くらいに落ち着いているので安心しているのだが、以前の130~90オーバーの頃と比べれば、随分下がったような気がしている。
   コレステロールについては、善玉も結構多くて最近指摘されることもなくなったので、薬を止めようかと思ったのだが、以前に経験があるので、最近は、一日飛ばしの服用に変更した。
   ガンについては、前立腺ガンが落ち着いており、高齢者になると進行が遅くなって殆どの人が気づかずに逝っていると言うことであるし、私の場合、特に、先生の指摘のように、活力が衰えて元気がなくなったと言う徴候もないので、動脈硬化の予防になると言うのなら、このまま、薬を飲み続けようと思っている。

   大学時代の友人で、精密検診を頻繁に受け続けて、それに、結構、健康保険や死亡保険を掛けるなど健康には異常なほど神経質な学友がいたのだが、80歳の壁を越えるずっと前に、あっさりとガンで逝ってしまった。運命としか言いようがない。
   和田先生は、「本当は怖い健康診断、幸齢者(80歳を越えた人)は受けなくて良い」という。
   まず、「正常」と「異常」の境界線だが、数値は本来、人それぞれであって、数値が悪いから長生きできないと言うエビデンスはない。
   正常値は個々人によって異なるものであって、80歳を過ぎて元気に生きている人は、それぞれ自体が「健康のエビデンス」であって、健康という視点がない医師が、患者を診ずに数値を診て診断したらどうなるか、正常値にするために指導し薬を出したらどうなるか、答えは明らかで、それまでの健康や元気が損なわれてしまう。と言うのである。 

   健康診断を受ければ、必ず医師に良からぬことを指摘されるので、絶対に医者には行かないと言い続けながら、元気な年賀状を毎年送ってきてくれる先輩もいて、元気そのものが健康の証拠だと言うことが良く分かって興味深い。
   破産した名張など、病院がなくなって病院に行けなくなってから、市民の健康状態がアップしたと言うから、医者にかかるのが良いのか悪いのか、疑問なのである。
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和田秀樹著「80歳の壁」(1)

2022年07月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   和田先生の本であり、傘寿を越えた私にとっては、無視できない本である。
   まして、帶には、「壁を越えたら、人生で一番幸せな20年が待っています!」と書いてある。
   最近、とみに、老いを感じ始めているので、何も20年などと大それた考えはないが、もう、そんなに長くないことを承知で、家族などに迷惑を掛けずに、健康寿命を維持したままで逝きたいと思っているので読んでみた。

   壁を越えるには、老いを受け入れ、できることを大事にする、
   「幸せ」とは、本人の主観によるので、自分がどう考えるかによって決まってくる。と言う。
   80を過ぎたら、最後まで気づかない病気があり、誰にもガンがあるので、80歳を過ぎたら我慢をしない。
   認知症は、病気と言うより「老化現象」に近いもので、歳を取ると誰にも起こる症状で、必ずやってくる。ならば今のうちにしたいことをしよう。と言うのである。

   80歳を過ぎれば、健康体であっても、いつ死んでも可笑しくないのであるから、明日死んでも後悔しない人生の時間の過ごし方は、次の3つの無理を止めること。
   ①薬の我慢
   ②食事の我慢
   ③興味あることへの我慢

   薬は、必要最小限に抑えるべきで、飲み過ぎは毒と心得よ。薬は、体の具合が悪いときに、楽になるために飲むもので、具合が悪いときには我慢せずに飲めば良い。長生きの薬はない。「なってから医療」は、中高年までの医療とは違うので、予防のための薬は、なってからは要らない。

   食事については、多くの医学データが「やや肥満の人が一番長生きする」と示しており、大いに好きなものを食べて、メタボの心配をするより、小太りくらいを目指せ。「食べたいものを我慢してダイエット」など自ら寿命を縮める行為で、栄養不足は確実に老化を進める。「塩分、糖分、脂質」は三大害悪のように言われているが、高齢者は臓器の働きが落ちるので、例えば体が塩分を欲しがる時には、体の声を素直に聞くのが、一番の健康法である。

   興味あることは我慢しない、ドンドンやりなさい。
   たとえば、わいせつDVDを見たいのは健康の証で、セックスも老いらくの恋も、元気の源である男性ホルモンを活性化させるのであるから大いに結構。
   何かに興味を持つと言うことは、脳が若いという証拠であり、したいことをすると、前頭葉を刺激し脳は喜んで若返るので、したいことを我慢せずに、脳も体も元気にしよう。
   しかし、ギャンブルなどに入れ込みすぎて身を持ち崩しては何にもならないので、自分でコントロールできる範囲であることは大前提である。

   さて、心身共に自立して健康でいられる年齢を「健康寿命」というのだが、男性は72.68、女性は75.38である。病気や認知症で寝たきりになるレベルでなくても、誰かの介護が必要となると言うことで、その後の余命期間が、男性は9年、女性は12年である。
   これを踏襲するので、「平均寿命」は、男性が81.64、女性が87.74で、興味深いのは、「死亡数」で、最も多くの人が亡くなった年齢は、男性が85歳、女性が90歳だという。

   私の場合は、一応健康体で、「健康寿命」も「平均寿命」もクリアーして、この本の「80歳の壁」に差し掛かっている。
   食事も美味しく頂けるしワインも美味い。1日に1万歩歩くのは一寸苦痛になってきたが、まだ、経済や経営学の専門書は読めるし、このブログも書けている。
   しかし、
   明日突然死んでしまうかも知れない、突然寝たきりになるかも知れない、全く先の見えない時期に突入しており、
   いつまで元気でいられるか分からないのだが、この先、残された短い人生を、どう生きて行くべきか考えざるを得なくなってきたのは、厳粛なる現実である。

   考えてみれば、後悔ばかりの人生ではあったが、ここまで楽しませて貰えたのは、幸せ意外の何ものでもない。
   ケセラセラ(Que Será, Será)、「Whatever will be, will be.」
   なるようになる、運を天に任せよう。
   と言う心境である。
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コロナ・ワクチン4回目接種

2022年07月14日 | 生活随想・趣味
   ワクチンの4回目を摂取した。
   2月に3回目を摂取したので、その4ヶ月後である。
   自動的に送られてくるはずのワクチン接種クーポン券が、いつも同時に配送されてくる家内の分は来て、私の分が届かなかったので、トラブったのだが、どうにか、同じ日に摂取できた。

   鎌倉市新型コロナウイルスワクチン接種コールセンターに電話したのだが、受付時間が限定されていて、容易に繋がらない。窓口は、3つ、即ち、新規予約、予約変更、再発行、なので、再発行に繋いで、事情を説明したら、再発行には2週間かかるという。既に、時間ギリギリであり、何故、そんなに時間がかかるのだと聞いたら、そうなっていて変更できないと一点張り。
   市役所に電話を掛けて、コロナワクチン担当に繋いで貰って事情を説明したら、データを調べてくれて、確かに、予約が入っていると突き止めてくれた。再発行を依頼したら、事情を理解してくれて、再発行を確約してくれたので、ホッとした。

   高齢者枠のワクチン接種なので、体の不自由な被接種者が多くて、係の人たちは、実に親切で丁寧である。
   こっちも、気のせいか、その対応に戸惑いながらも、流れ作業に乗ってワクチン接種を終えて、なんとなく、一仕事終った感じがした。
   家族達は困っているが、私には、全く、新型コロナワクチンの副反応がないので助かっている。

   さて、和田秀樹先生の本を読んでいて、今回の新型コロナについて、触れているところがあった。
   なぜ、80代以上の人が、コロナにやられてしまうのか?
   これは、高齢になるほど免疫力が弱い、抵抗力が弱いからで、それに、高齢者には持病を持っている人が多い。
   健康な人なら容易に撃退できる敵に、致命的なダメッジを受けてしまう。
   世間では、「ワクチンこそが希望」と喧伝され、外出するな、Stay at homeだと「自粛」という対策が推薦されていたので、結果的に、高齢者にとって大切な免疫力が強化できずに、逆に、落とすこととなり、更に、脳の機能や足の筋力まで弱めてしまった。第6波では、肺気腫や心不全の持病が悪化したと報じられていたが、これらの基礎疾患を持っていることは、体の中で火事が常時発生している状態であり、新たなウィルスが侵入すると大炎上する。
   先生は、患者さんに「マスコミやテレビの医師の言葉を信じて自粛していると歩けなくなる。ソーシャルディスタンスを取っていれば大丈夫だから、マスクをしてでも散歩してください。」と言っているという。
   コロナ、コロナで、国民の動きを止めてしまうと、経済活動のみならず、国民の健康まで害してしまう。
   ウィズ・コロナで生きる知恵であろうか。
   
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伊藤穰一著「テクノロジーが 予測する未来 web3、メタバース、NFTで世界はこうなる」

2022年07月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   伊藤穰一の新刊「テクノロジーが 予測する未来 web3、メタバース、NFTで世界はこうなる」
    web3、メタバース、NFTで世界はこう変ると、衝撃的な未来を、働き方、文化、アイデンティティ、教育、民主主義についてその変化を語り、日本のあるべき将来像を提言する。非常に啓発的な興味深い本である。

   Web1.0では、インターネットに接続して「read 読む」、Web2.0では、自分で「write 書いて」発信する、Web3.0では、「join 参加する」.
   Web3.0は、ドルや円と言った法定通貨(フィアット)が流通するフィアットエコノミーではなく、暗号資産(クリプト=仮想通貨やトークン)が流通するクリプトエコノミーの経済圏で、最大の特徴は、Decentralized、分散(非中央集権)の世界であることである。
   現実世界は、あらゆることが、中欧集権的であるが、Web3.0の世界では、多くのプロジェクトが、中央集権的な管理者なしに、個人や組織、資産が、分散的・自律的に動き回っている経済圏だという。
   私自身、ビットコインにもトークンが飛び交うNFTにも全くこの世界には縁も経験もないので、理論として分かったとしても、しっくりと実感が湧かないのだが、人類社会にとっては、大変なパラダイムシフトだと言う実感は湧いてくる。

   金融は、暗号資産をプールしておくと自動的に運用されるDefにi、組織は、独自のガバナンス形態で、トークンのやり取りを介してプロジェクトやアプリケーションを走らせる無数の「DAO」となり、会社に所属していなくても仕事ができて、銀行がなくても預金ができて、証券会社がなくても資産運用ができる。しかも、クリプトエコノミーは流動性が高い。こう言うことが一般化してくると、既存の金融機関や商社などが淘汰されてしまう。と言う。

   私にはその気がないのだが、Web3.0の面白みを体験してみよとやり方を説いている。
   まずWeb3.0では何をするにもトークンが必要になるので、自分のトークンを入れる「ウォーレット」と、法定通貨(円など)を暗合資産に替える「暗号資産取引所の口座」を開設する。そして、最初の体験として、NFTを買ってみると良いと言う。

   さて、ブロックチェーンは、取引毎に情報のブロックを作成し、そのブロック達をチェーンで繋いでトランザクション履歴を記録する仕組みである。すべての履歴が連なっており、しかも誰でもチェックできるという透明性があるため、そのうち1つの取引情報だけを改竄するのは事実上不可能である。このブロックチェーンが、ビットコインやイーサリアムなど「通貨として使われる」という、最も高いセキュリティが求められる仕組みを技術的に担保している。
   このような、もとは取引履歴を記録する仕組みとして生まれたブロックチェーンの技術を使って、デジタルデータが「本物かどうか」「誰のものか」などを証明したものがNFTである。NFTは、大量生産・大量消費のモノではなく、「世界に1つしかない、複製不可能なデジタルデータ」を可能にした。
   クリエーターが、デジタル作品を創り、OpenSeaなどのNFTマーケティングプレイスに出品して売る、自分の力で稼げる仕組みが生まれたのである。

   私にとっては、メタバースより、NFT の方に馴染みがなかったので、 NFTについて書いてきたが、
   2022年は、Web3.0元年だという。なぜ、元年か。
   トークン全体の時価総額が急激に上がると同時に、トークノミクスを形成する条件が整った。まず、2021年にNFTが大ブレークした。デジタルアーティストのBeepleのNTFアートが、クリスティーズで約75億円で落札された。これで、いよいよ、2022年からは本格的なWeb3.0時代が始まると目されたというわけである。

   正直なところ、科学音痴の私には、まだ良く分からない世界だが、科学とテクノロジーの進化発展によって、時代が大きく大転換する予感を感じる。
   Decentralized、分散(非中央集権)化すると、政治経済社会は勿論、自由主義経済も民主主義も、大転換せざるを得なくなる。
   如何に生き抜いて行くか、新しいサバイバル術が問われている。

   
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参議院議員選挙は終ったが

2022年07月11日 | 政治・経済・社会
   昨日の参議院議員選挙について、夜8時頃からテレビを見続けていたが、面白くなかったので、適当に止めて、結果は、朝起きてから、NHKのテレビ放送で知った。
   結果は、報道機関の下馬評通りの結果で、何も目新しい進展はなかった。

   やはり、気になったのは、自分が投票した候補者の結果であった。
   自分自身の主義信条から言えば、リベラルな自由民主主義と言うことなので、どちらかと言えば、自民党の左派ということになるが、これまで、自民党に投票したことがなく、カウンターベイリング・パワー効果を期待して、左派系の野党に投票してきた。
   学生時代も、過激な全学連などには馴染めずに、英国労働党系に近い考え方の社会党右派が、しっくり来ていたので、民主社会党の系譜に投票していた。

   今も、主義信条にあまり拘らずに、その傾向が、続いている。
   選挙区は、立憲民主党、比例代表は、社民党に投票し、
   特に、政党存続用件がかかっている社民党なので、福島瑞穂と丁寧に名前を書いた。
   福島党首が当選し、比例代表で、2%以上の得票を得て政党要件を満たしたようなので、ホッとしている。

   昨日、このブログで、参院選について、次のように書いた。
   ハッキリしていることは、今の政治のように、自民公明与党が勝利し政権が安定したとしても、日本は少しも変らない、これ以上良くなるはずもないし極端に悪くなるとも思えない、茹でガエル状態となって、日本は徐々に悪くなって行くだけである。美辞麗句を重ねてマニュフェストを連呼しているが、実質が伴いそうにない政策をいくら強調しても無意味である。

   バブル崩壊後、Japan as No.1であった日本経済を鳴かず飛ばずに陥れて、30年間経済成長から見放されて先進国でも最低水準にまで至らしめた責任政党(一時は他党も)であったことを考えれば、期待など出来るはずがない。
   経済専攻の学生なら初歩知識の分配と成長の好循環などと銘打った新しい資本主義を標榜する稚拙さ、
   経済学的には、殆ど意味不明、
   賃上げに拘る小手先だけの手法、
   
   分配政策が大切だというのなら、ピケティに習って、高額所得者・高額資産保有者達から資金を吸い上げてより貧しい人たちに再分配する、大々的な財政的再分配を策するくらい、ドラスティックなことをやらなければ、分配と成長の好循環など起こりえない。
   より高い所得に対して一層の税金を課すなど、更に累進税を強化して、高所得者から低所得者への資金移転を促し、富者や強者に、所得が一方的に集中し続けるような歴史の流れを阻止することであり、
   また、資本所得分布の偏りが急速に進み、富者に益々資産が集積して行き極端な不平等が現出されているので、巨大な資産を持つ富者に対して、資産に対する累進税を一層強化すべきである。
   このような累進税をベースとした税制改革を実施し、財政政策の抜本的な転換を図って所得を平準化して、低所得者の所得を増大させれば、低所得者の生活条件が改善されると同時に、経済格差の解消にもなり、需要も拡大して成長に繋がる。
   これなら、新しい資本主義と言っても許されるであろう。

   We are the 99%%.運動が、ウォール街を震撼させて極に達したグローバルベースの経済格差拡大の深刻さが、民主主義社会の根幹を揺るがせており、早晩、日本社会をも窮地に追い込む。自民公明与党には、それに対処するドラスティックな才覚も能力も欠いており、日本経済の起死回生どころか、失われた○○年が継続し続けるとしか思えない。

   資産を継承しただけで雪だるま式に富豪になり、ICTへの知見があると言うだけで高所得を得る豊かな人がいる一方、給食代さえ払えずに登校拒否する貧困児童が増加の一途を辿っているなど、日本の貧困率が先進国で最悪だと言う経済格差の酷さ、
   温和しいので声を出せずに泣き続け路頭に迷う多くの貧困国民を窮地に追い込んで、何が分配と成長の好循環か、

   先日、早稲田の上村達男教授の言を引いて、
   明治以降営々と積み上げてきた日本の法体系、規範意識を、安倍政権が如何に破壊し続けてきたか、選挙によって一切が許される政権と言う幻想を抱いて、リーガルマインドなき政権運営、経済運営をしてきたか、・・・と書いた。
   違憲だと抗議する法曹界あげての反対を押し切って、安保法案を強行採決し、集団的自衛権への道を開いた。

   今度の参議院議員選挙で、自民党で過半数を制する圧勝であった。
   そして、憲法改正への道も切り開かれた。改憲勢力が、憲法改正に突っ走るのは必定。
   リーガルマインドなき政権運営、経済運営をしてきた安倍政権の後継者である岸田政権が、
   反対勢力が力を喪失して、有効なチェック機能が働かなくなってしまった政治の世界で、
   「選挙によって一切が許される政権と言う幻想を抱いて」、国政に当ったらどうなるのか、

   太平天国にどっぷり浸かって危機意識の欠如した日本の国民気質と能天気ぶり、
   何の理想も目標も国民に示し得なくて良識の府を守れずに敗退し続ける野党の不甲斐なさが、実に悲しい。

   末筆ながら、安倍元首相の偉業に敬意を表し、ご冥福を心からお祈り致します。
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NT:安倍晋三の影響は退任後もずっと明白

2022年07月09日 | 政治・経済・社会
   ニューヨーク・タイムズに、David E. Sangerが、安倍元首相への追悼記事 ”Shinzo Abe’s Influence Was Still Evident Long After He Left Office”を書いた。
   日本で最も最長の在任期間を務めた安倍首相は、おそらく第二次世界大戦後の歴史の中で最も変革的な政治家であったと、
   米国側の興味深い記事なので、考えてみたい。

   冒頭、
    安倍首相は、首相としての記録的な在任期間中に、日本国憲法を改正して、日本が「普通の国」と呼ぶ国に変え、他の国家同様に、国益をバックアップするために軍隊を活用することができるという目標を達成できなかった 。また、今日、中国がNo.1間近と目されているような勢いのあった日本、1980年代後半から1990年代初頭の恐ろしいレベルに、日本の技術的優位性と経済力を回復することもできなかった。
   しかし、奈良での暗殺は、それにも拘わらず、安倍首相が、日本の戦後の歴史において、努力を重ねて、最も改革的な政治家であったことを思い起こさせた。

   ロシアと中国との長年の紛争を解決できなかったけれど、日本と米国と、韓国を除く太平洋の同盟国のほとんどと緊密な関係を確立した。
   日本初の国家安全保障会議を創設し、改憲はできなかったが憲法上の制限を再解釈したので、日本は初めて同盟国の「集団防衛」にコミットした。ほとんどの日本の政治家が考えていた以上に防衛に注力した。
   MITのリチャード・サミュエルズの言を引いて、「タカ派のナショナリストで有名であった安部首相が政権を取ったときには分からなかったが、日本の国力を理解しており自力では中国には対峙できないことを知る実践的リアリストであり、安部首相は、新しいシステムを構築した。」

   ウクライナ戦争勃発後、ロシアに対する石炭石油の禁輸時点で、安部首相の影響が伺われはじめて、更に推し進め、日本が米国と何らかの核共有(ニュークリアシェアリング)協定を結ぶ時が来たと示唆し、自国の武器を所有するという知恵wisdom についてさえ議論するという日本の長年のタブーを打ち破った。

   安部首相が、戦後の日本に対する拘束を緩めるための努力は、アメリカが書いた憲法は、日本がこれまで以上に同盟国を必要としているという認識を反映していた。しかし、同盟は、防衛のコミットメントが双方向に進んだことを意味した。中国はより強力に対峙し、北は日本海を越えてミサイルを打つ構えであり、安倍首相は、ワシントンとの関係を維持する必要があると信じていた。

   訳に間違いがなければ、Sangerのコメントはこういう所だと思うのだが、安部首相をいみじくも表現しているのは、
    the most transformational politician in Japan’s post-World War II history
   a pragmatic realist と言う言葉ではなかろうか。

   さて気になったのは、日本初の国家安全保障会議を創設し、憲法上の制限を再解釈したので、日本は初めて同盟国の「集団防衛」にコミットした。と言う集団的自衛権を認めた憲法解釈の問題である。
   安部首相は、この安保法案については、国会で3人の憲法学者が相次いで「安保法案は憲法違反」との見解を示し、日弁連が、「安保法は立憲主義に反し憲法違反です」と指摘し、更に、199人の憲法学者も「憲法違反」との見解を表明したにも拘わらず、2015年7月16日、衆議院本会議で強行採決している。日本も法治国家とは言えなくなってしまった。

   もっと安倍政権の違法行為を示すと、早稲田の「シンポジウム「アベノミクスの異次元性を問う-『経済と法』の何が破壊されているのか?」で、上村 達男教授が、
   「リーガルマインドなきアベノミクスが破壊しているもの」と言うタイトルで、
   明治以降営々と積み上げてきた日本の法体系、規範意識を、安倍政権が如何に破壊し続けてきたか、選挙によって一切が許される政権と言う幻想を抱いて、リーガルマインドなき政権運営、経済運営をしてきたかを詳述、
   違憲の審査のない日本で法の番人とも言うべき法制局長官に、専門的なモノの考え方ができない素人を任命したり、NHKの人事や予算の与野党一致の原則を破って押し切ると言った話を皮切りに、日銀、財政、日本改造論、研究成果最大化主義の文教行政、コーポレート・ガバナンス等々多岐に亘って、リーガルマインドなき安倍政権を鋭く糾弾した。

   Sangerは、安倍政権の憲法再解釈を、殆ど、「FIAT (権威による)命令、許可、認可」によるとしているのだが、
   このような法制度や規範の破壊は、明治以来の地道な制度論の展開や理論の進展を台無しにし、日本の比較法をベースにした法理のグローバルな指導性の芽を摘む取り返しのつかない事態を招く恐れがある。
   トランプなどは、アベはキラーだと言ったと言うのだが、当時、世界の識者たちが、安倍首相の右傾化、極端に言うと日本軍国主義の復活を危惧し始めたと報道していたが、今回の事件後でも、同じことが報じられている、実に悲しい。

   さて、明日は、参院選である。
   ハッキリしていることは、今の政治のように、自民公明与党が勝利し政権が安定したとしても、日本は少しも変らない、これ以上良くなるはずもないし極端に悪くなるとも思えない、茹でガエル状態となって、日本は徐々に悪くなって行くだけである。美辞麗句を重ねてマニュフェストを連呼しているが、実質が伴いそうにない政策をいくら強調しても無意味である。
   野党も、消費税削減や廃止、賃上げアップなど威勢の良いことを言っているが、どうせ政権を取れるはずがないので、空手形であることを十二分に承知で叫んでいる。どうせ空手形なら、もっとスケールの大きな、世界をひっくり返すような理想を掲げれば良いのだが、その勇気も知恵さえもない。批判するだけで、何の魅力も提供できないので、自民党に勝てるはずがない。
   さて、明日の選挙だがどうするか。
   私の考えは、自由主義経済を信奉する民主主義のリベラル派だが、カウンターベイリングパワー効果を狙って、本意ではないのだが、いつものように、左派系の野党に投票しようと思っている。
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