熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭:芍薬を庭と鉢植えにする

2015年11月30日 | ガーデニング
   春の花を準備しようと思って、今年は、芍薬にすることにした。
   既に、芍薬も、何株か植えてあるのだが、バラや牡丹よりも場所も取らず、手間暇かけやすくて、同じように華麗に咲くので、楽なのである。
   それに、庭木が、沢山植わった庭で、草花を植える花壇も込みあっているので、チューリップやヒヤシンスと言った春花球根を植える余裕などないこともある。
   
   尤も、今回は、かなり、大株の2年生花芽付き地堀り苗の何本かは、直接、庭に、大きな穴を掘って植え付けたが、残りの2年生苗は、一寸小さいのだが、9号鉢に、鉢植えし、小さな苗は、6号鉢に植え付けた。
   送られてきたのは、根がごぼうのような裸苗なので、根を広げて培養土を使って植えただけであるが、これまでも、このやり方でやっていて、問題なく春に花が咲く。
   都合、20株で、品種はまちまちだが、外国での品種「洋芍」が主体なので八重咲が多い。
   花色も、赤、白、ピンク、サンゴ色、それに、グラジュエーション。
   少し、植え付け時期が遅れたようだが、タキイから送ってきたので、鎌倉は多少温暖でもあり、問題はないのであろう。
   来春の花の具合を見てから、庭に移せば良いと思っている。

   芍薬は、中国の花のようだが、アメリカなどで改良されて、豪華なバラのような花に品種改良されて帰ってきている。
   牡丹は樹木であるが、芍薬は草本なので、冬には地上部が枯れて休眠する。
   牡丹の台木として使用されているので、根元から芍薬の芽が出てくることがあるのだが、普通は芽欠きして取ってしまう。
   一度、根をつけて、その芽を移植して育てたら、結構奇麗な芍薬の花が咲いた。
   芍薬は、多少小ぶりながら、牡丹に劣らず、豪華で華麗な花を咲かせるのだが、牡丹と違って、茎が華奢なために、あまり花が立派すぎると、その素晴らしい花を支えきれないことがあるのが難である。
   来年、どんな花が咲くのか、楽しみにしている。
   
   
   
   
   
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国立能楽堂・・・野村万作の「楢山節考」

2015年11月29日 | 能・狂言
   日経夕刊の記事を見て、万作を観る会で、「楢山節考」を上演することを知り、国立能楽堂へ出かけて、最終公演を鑑賞した。
   これまでの狂言とは違った上質な西洋劇を観ているような感じの50分ほどの素晴らしい舞台を観て、あらためて、狂言の演劇としての多様性と奥深さを垣間見て、感激した。

   深沢七郎の小説を読んでおらず、1983年の今村正平監督の映画で見た姨捨伝説の強烈な印象だけが、私の楢山節考に関する知識だが、おりんを演じた坂本スミ子が歯を抜いたとか削ったとかして熱演したと言う凄い映画であった。
   緒方拳が演じたおりんの息子辰平との親子の情愛が感動的であったが、モノクロの映画でもあり、実に暗い映画で、二度は見られなかった。

   しかし、今回観た万作の「楢山節考」は、笑いを超越した悲劇であり、実に悲しく切ないのだが、何故か、無性に懐かしい、そして、人間の温かさ優しさが全編に流れていて、ヒューマンタッチの色濃い舞台であった。
   特に、回想シーンをイメージしたのであろうか、楢山で一人残されて、わらべ歌を歌いながら登場する6人の可愛い子供に囲まれて踊る姿などは、実に感動的で、
   なぜか、猿之助が襲名披露公演の「黒塚」で、三日月をバックにした一面ススキの原野で、無心に踊っていた老女の崇高にも似た舞台姿を思い出した。

   この「楢山節考」の初演は、58年前に、演出:岡倉士朗、横道万里雄、脚色:岡本克巳、音楽:佐野和彦で、東京の水道橋能楽堂(現・宝生能楽堂)で上演されたと言うから、満を持しての再演であった。
   万作演じるおりんは、全くセリフがなくて、能のように極限まで切り詰めたパントマイムのように演じており、新しく打ったと言う江戸時代の老婆の面が良く似合っていて素晴らしいパフォーマンスを披露している。
   「塩屋のおとりさん運が良い、山へ行く日にゃ雪が降る」と言うのがテーマで、おりんも楢山行きの日に雪が降り、雪のイメージを、白い着物を効果的に使って表現している。
   ラストシーンでは、おりんは、白衣を被いて、橋掛かりを揚幕へ静かに消えて行くのである。
   萬斎のカラスが、高みから、「オカア」と鳴いて見送る。
   
   毎日新聞の記事によると、
   ”目指すところは「狂言能」。「狂言は単なる笑いの劇ではないと思ってきました。写実芸である狂言を昇華させ、能の世界にまで持っていきたい」”と言う事のようである。
   素人考えだが、狂言は、能と違って、はるかに自由度の高い演劇であるから、演出次第では、いくらでも、西洋の喜劇は当然のこととして、ギリシャ悲劇にでもシェイクスピア悲劇にでも脚色可能であり、オペラ的な要素も持っているような気もしている。
   しかし、能のようにアウフヘーベンした狂言能ということになれば、制約など限界があって難しいのであろう。
   私には、今回の「楢山節考」は、おりんの万作は、能を舞っていたが、醸し出された雰囲気は、能と言うよりも、演劇としての要素の方が、はるかに強い舞台であったように感じている。

   楢山へ、辰平の深田博治に背負われて行く姿は、辰平の背におりんがぴったり寄り添って、あたかも背負われているように歩くのだが、流石に上手くて、少し顔を横に傾けて背中に顔を当てる姿一つにしても、親子の情愛が滲み出ていて感動的である。

   野村萬斎が、冒頭のナレーションと、天狗のようなとがった嘴を付け「白鳥の湖」のロッドバルトのような黒い衣装につつまれたカラスの役で登場していて、楢山の不気味さを見せて面白い。

   石田幸雄など4人の村人たちが、地謡のようなナレーション的な役割も演じていて効果的であった。
   
   狂言がここまで素晴らしい劇的変化を遂げ得ると言う姿を見た感じで、非常に印象深い観劇であった。
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新幹線:喫煙デッキでのマナー

2015年11月28日 | 生活随想・趣味
   新幹線のぞみの場合、全席禁煙だが、列車の洗面所などパブリックスペースのないデッキ部分の出入り口のオープンスペースが、喫煙スペースになっている。
   みどりの窓口では、そのドア近くの指定席を嫌う客がいるので、その旨伝えてチケットを売っている。
   
   この写真では、15号車の博多側に禁煙ルームがあるので、14号車と15号車のその近くの席である。
   私は、全く喫煙経験がないので、これまで、必ず、乗り物は禁煙席を使用している。

   さて、先日急用ができて神戸に行き、東京への帰りに、のぞみで、14号車の禁煙ルーム席近くに席を取った時に、完全に、マナー違反と言うべき、団体客に遭遇したのである。
   14号車の前方4列ほどの座席を、関東の中高年の男女(女性が大半)20人くらいが占めていて、夫々、新横浜、品川で降車し、最後は、東京駅で、旗を掲げた添乗員に誘導されて降りて行った。

   問題は、新横浜に近づいた時、と言っても、小田原を過ぎた頃だから、まだ、10分以上もあるのだが、新横浜降車のメンバーが、お世話になりました、さよならと、荷物をまとめて席を立って、14号車の前方の出入り口のデッキに並んだのだが、時間があり過ぎて、客室のドア前に立った夫婦が、最前列の婦人連中と、とりとめもない話を破顔一笑大声で話し続けたのである。
   勿論、ドアは開けっ放しであるから、喫煙室の空気は、そのまま、客室へ筒抜けであるし、寒い日でもあったので、冷たい空気が、ビュンビュンと客室に入ってくる。
   
   こう言う場合に、注意すべきがどうかだが、これまで、シルバーシートなどで乗客に注意してトラブルになったり、JRの係員に言っても無関心この上ない経験をしているので、私自身は、何もアクションを起こさなかった。

   このケースの問題点は、禁煙ルームの存在理由と、その隔壁たる客室ドアの開け閉めに対する知識なり常識が、乗客に完全に欠如していることである。
   しかし、たまの団体旅行をしてハイテンションになった普通の中高年が、悪気なしに、このようなマナー違反に気付かないと言うのは、案外、日本人の現状のモラル水準を考えればあり得ることかも知れない。
   20人もいて、誰一人、このモラル違反(喫煙ルームの存在に気付かずとも、隔壁のドアの開けっ放しは駄目であることくらい分かるべきだとは思うのだが)に注意する人がいなことからも、そう思わざるを得ないようなことが、結構、日常茶飯事で起こっているような気がする。
   
   問題にしたいのは、この喫煙ルームの存在、そして、デッキと客席を隔てている客室ドアへの理解と、それらに対する乗客マナーについて、団体旅行の添乗員が全く知らないと言うか、全く、関知していないと言う事である。
   正に、旅行会社のスタッフ教育の欠如、と言うよりも、旅行会社の企業理念なり社会的責任などへの姿勢そのものが問われるべきなのであろう。
   昔から、旗、旗印は、家なり武士なりの命であった筈だが、観光産業の旗は、単なる目印に成り下がってしまった。
   外国の団体旅行には、旗など掲げた添乗員などいないが、この方が、モラルは、ずっと徹底している。
   
   オリンピックだパラリンピックだ、おもてなし、おもてなし、と日本中が浮かれ、
   それに、外人観光客が急増して、中国人の爆買いに景気を支えられて、観光立国だと騒いでいるが、まず、足元を固めることが先であろう。
   
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「日々是好日」でありたいのだが

2015年11月25日 | 生活随想・趣味
   「日々是好日」とは、臨黄ネットによると、
   ”私たちの人生は雨の日もあり、風の日もあり、晴れの日もあります。しかし、雨の日は雨の日を楽しみ、風の日には風の日を楽しみ、晴れの日は晴れの日を楽しむ。すなわち楽しむべきところはそれを楽しみ、楽しみ無きところもまた無きところを楽しむ、これを日々是れ好日というわけです。どんな苦しい境界に置かれても、これ好日、結構なことですと、カラ元気でなく心から味わえるようにならなければなりません。”

   黄檗宗少林山達磨寺にHPでは、
   日々是好日とは、こだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日なのです。
   禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。

   「日々是好日」は、中国の唐未から五代にかけて活躍された大禅匠、雲門文偃(うんもんぶんえん禅)師の言葉で、
   たぐい希な、鋭い機峰と、すぐれた禅的力量の持ち主であった禅師は、簡潔な語句を駆使して、自由闊達に禅を説き、その雲門禅師の悟りの境地を表した、最高の言葉である。
   と言うのであるから、我々凡人の感得できるような次元の良き日である筈がない。

   雨や晴など天候には関係なく、それなりの楽しみを見出せるとしても、凡人の悲しさで、過ぎ去った過去には拘るし、明日にも期待するし、とにかく、寅さんではないが、反省することばかりで、正直なところ、名水鏡のごとくと言った澄み切った心境にはなれたことなど、殆どない。
   せめてもの、ケセラセラと行きたいところだが、それさえもままならない。

   孔子でさえ、
   人間は逆境において 人間の真価を試される。
   人生の達人は逆境を楽しみ、順境もまた楽しむのです。
   と言っており、人生の達人でないと達し得ない境地のようであるから、私など、望み得る筈がない。

   さて、口絵の写真は、沈壽官窯のコーヒーカップである。
   何時もは、有田焼のマグカップを使っているのだが、その時の気分によって、色々なコーヒーカップを使い分けて、憩いの時間を楽しむことにしていて、この椿をデザインした黒い器は、私の好きなカップである。
   コーヒーを楽しむと言うことにも、あるいは、それを受けるカップにも、何の変わりもないのだが、その時の私の気分なり、精神状態は、それこそ、千差万別 色々である。
   いわば、「日々是好日」は、コーヒーカップと、私の気分とをひっくり返せと言っているような感じである。

   次の写真は、エレガンスみゆきと言う秋咲きの桜である。
   
   
   
    2年前に、苗木をタキイから買って、庭植えしたので、まだ、2メートル強の背丈で、完全に葉が落ちて裸になっていたのだが、細い枝の先端が膨らんだと思ったら、何輪かの5ミリくらいの小さな綺麗な花を咲かせた。
   雨に濡れて雨露を留め、小さな昆虫を誘い寄せ、正に、息づいている。
   これこそ、天候の変化に乱されることなく、何の迷いもなく、自然の摂理に従って、自分自身の命を生きようとしてしているのであろう。

   毎日の日常生活に、一喜一憂しながら、生きて行く以外に仕方がなく、「日々是好日」など無理だと思うので、このコーヒーカップの醸し出す雰囲気の爽やかさ、小さな生き物の美しさ健気さに感じいる喜び、と言った些細だが、一寸した楽しみを味わえる瞬間を大切に生きて行くことが出来れば、そして、それが自然の息吹と呼応しながらの生活なら、幸せではないかと思っている。

   実際には、
   もっともっと真実を知りたい、善き生き方をしたい、壮大な宇宙や自然に遭遇したい、素晴らしい人を愛したい、美しくめくるめくような美の世界に埋没したい・・・
   そんな思いだけが空回りし続けてきたような人生だが、それでも、生きていて良かったと感動する瞬間が幾度もあったので、幸せだったのかも知れないと思っている。
   
   脱線してしまったが、どう考えても、喜怒哀楽に振り回されて生きて行くとしか思えないし、ありのままに生きて行く勇気もないので、とにかく、「日々是好日」は、先哲の教え、高邁な理想、と言うことにして、出来るだけ、真善美を求めて、日々の細やかな楽しみや喜びを大切にしながら生活して行きたい。
   そう思う今日この頃である。
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パリのテロは文明の衝突なのであろうか

2015年11月23日 | 政治・経済・社会
   ジェブ・ブッシュが、パリのテロを 西洋文明を破壊しようとする組織的な試みだ“this is an organized attempt to destroy Western civilization.” と言ったことに対して、クルーグマンは、 違う、パニックを起こそうとした組織的な試みであって、同類ではない” No, it isn’t. It’s an organized attempt to sow panic, which isn’t at all the same thing. と言って、ニューヨークタイムズに、「Fearing Fear Itself」と言うタイトルのコラムを書いている。

   非常に深刻な問題なので、このクルーグマンの記事とは、全く関係なく、私自身の感想を綴ってみたいと思う。
   まず、ISは、サラフィー主義の復古主義的な思想を信奉しカリフ制を志向するなどイスラム教に根差した独自の国家を樹立すべく戦っているとしており、形の上では、文明の衝突ではあるろうが、これまでの推移を見ておれば、今のところは、テロ集団であろう。
   アメリカが、フセイン政権を倒してイラクを荒廃させて、中途半端な状態にして撤退したので、イラクの残党が、ISを生み出したのだと言われているのだが、イラク戦争後のイラクの惨状やシリアの阿鼻叫喚のような地獄的な内乱を考えれば、むしろ、ISのような既存のエスタブリッシュ破壊型の政治組織が起こらないことの方が、むしろ、不思議だとは思えないであろうか。

   アメリカは、イラクを民主主義国家にしようと考えてイラクへ侵攻し終戦処理を図ったのであろう。
   しかし、アラブの春で花開いた筈の北アフリカや中東のイスラム国家の民主化が頓挫して、相変わらずの騒乱や不安定な国情にあることを考えれば、これこそ、文明の衝突であって、イスラム教が支配する政治経済社会を、欧米流の民主主義体制に変革しようとする試みなど、近未来に成功するなどとは考えられない。
   また、一方、経済は市場経済制度を踏襲しつつも、政治的には共産党一党独裁制の共産主義体制を維持しながら躍進を続けている中国の独特な国家体制が一方の旗頭だとするならば、必ずしも、欧米型の民主主義体制が、現代の世界において、唯一正当な一枚岩ではないことを物語っている。

   ISの場合には、プーチンがいみじくも述べたように、G20国を含めて40ヵ国の国家なり組織が、ISを支援していると言う事実が正しいとすれば、正に、欧米なりロシアなどのエスタブリッシュに対するイスラム陣営の挑戦と言う性格を帯びていると言えるであろう。
   こう考えれば、ISの胎動は、正に、文明の衝突と言う側面を持っていると考えるべきであり、今回のパリのテロ行為は、その戦略の一環だと考えられないこともない。
   尤も、実際には、そのような意図を持ってISが、パリでテロを行使したのではなく、空爆などの攻撃に対する報復であったと考えた方が、現実的であろう。

   さて、以前に、このブログで、”アラン・B・クルーガー著「テロの経済学」・・・テロリストは貧しく教育なしはウソ”と言う記事を書いた。
   ブッシュ大統領やブレア首相を筆頭に世界中の指導者や識者は、口々に、経済的貧困と教育の欠如がテロリストの発生と結びついていると説き、この考え方が常識かつ通説のようなになっているのだが、テロリストは、貧困層の出身ではなく、十分教育を受けた中産階級または高所得家庭の出身である傾向が見出される。と言うのである。

   クルーガー教授の研究による結論を再説すると、ほぼ、次のとおり。
   政治的暴力やテロリズムに対する支持が、教育水準が高く世帯収入も高い人々の間で多くなっている。
   テロリストは、出身母体の人口全体に比べ、教育水準が高く富裕階層で、貧困家庭の出身である傾向はない。
   国際テロ活動では、市民的自由が抑圧され、かつ政治的権利もあまり与えられていない国の出身者である傾向が強い。
   テロリストは、全体主義体制で抑圧的な貧しい国を攻撃するよりも、市民的自由や政治的権利が多く与えられている富裕な国を攻撃する可能性が高い。
   距離が重要で、国際テロリストや外国人反乱者は近隣諸国出身者が多い。
   テロリストは、テロ活動に対する恐怖感を広げ、彼らの望む効果を得るためには、メディアを必要としている。
   
   この説で、ISを考えてみれば、中枢にいる幹部や戦略戦術家などテクノクラートは、極めて教育水準の高い有能な人物で構成されていて、これに対して、実際に、テロの現場で事件を起こす活動家や兵士たちは、かなり差別化され抑圧された若い人々を徹底的に洗脳して戦士に仕立て上げた人物たちで、正に、ジハード(聖戦)は天国への一本道だと教宣されているのであるから、情け容赦なく命令に従って行動する。
   今回のパリのケースでは、テロリストたちの多くは、ブラッセルやパリの郊外の下層のイスラム教徒たちの住む地域出身者たちであったと言うから、徹頭徹尾、彼ら彼女らにとっては、フランス社会に敵意を抱いての聖戦(?)であったのであろう。
   ISの動きを見ていると、活動戦略やメンバーの洗脳教育やメディア宣伝活動の卓抜さなど欧米の最先端の経営手法や知識やテクニックを駆使しており、アドホックなテロ集団の域をはるかに超えている。

   しかし、クルーガーの説で最も気になるのは、「政治的暴力やテロリズムに対する支持が、教育水準が高く世帯収入も高い人々の間で多くなっている。」と言う傾向で、最早、ならずものだけの存在ではなくなっており、こうなれば、文明の衝突などと言う前に、政治経済社会が、何かのはずみによって、簡単に転覆してしまう恐れが出てくる。

   現在社会は、トマ・ピケティが火をつけたように経済格差の拡大は、異常な水準にまで達して、先進国経済は、危機的な状態にあり、また、アメリカの政治のみならず、覇権国家の弱体によって国際体制の分極化が進み過ぎて、危機や紛争地域が拡大拡散して、収拾がつかないような状態になって来ている。
   独裁体制の専制国家ゆえに見せかけの安定が維持されていた中近東の情勢を、一気に、イラク戦争やメディの民主化などによって、タガを外してしまって、丁度、ジャングルを触ったばっかりに眠っていたエイズ病原菌を起こしてしまったように、ならず者集団やテロ集団を野放しにして泳がせてしまった。
   国際秩序の維持が難しくなってくると、どんどん、雨後の筍のように、第二、第三のISが、生まれ台頭してくる。

   フランスのオランド大統領は、オバマ大統領とプーチン大統領を糾合して、米ソ共闘で空爆を強化して、ISを壊滅すると息巻いているのだが、果たして、問題の解決になるのであろうか。
   文明の衝突に加えて、エスタブリッシュメントへの挑戦と言う色彩を帯びたISだとするならば、タリバンからオサマ・ビン・ラディン、ISへと、次から次へと登場してくるイスラム過激派の脅威を抑え込めるかどうかは、大いに疑問であろう。
   まして、トマ・ピケティのお膝元のフランスが、現状のような格差拡大による深刻な社会問題を野放しにして、イスラム教徒たちの生活を貧困や抑圧状態から解放するなど、抜本的な政治経済社会改革に乗り出さない限り、中々、解決は難しい筈である。

   IS台頭の本質は、一体、何であったのか、その本質を正しく見据えて、現代社会の根本的な問題の解決を図らなければならない。
   第二次世界大戦のような、あるいは、29年の大恐慌のような、極端な大惨事や大不況が起こらずに、比較的、平穏な国際情勢が続いてきた結果であろうか、幸か不幸か、行きつくところまで不均衡が蔓延して、今、我々は、文明の岐路に立っている。
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ジョン・E・ローマ―「21世紀の世界政治とグローバルな進歩」

2015年11月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   パラシオス=ウエルタの「経済学者、未来を語る」の記事の中では、表題のローマ―の見解は、かなり、悲観的である。
   ローマーは、将来、最も深刻な問題は、温室効果ガスとそれが地球の気温や気候に及ぼす影響だとしており、これに対して有効な対策を取り得ないのは、石油業界など既得利権者からの圧力を受け、政府の市場介入を恐れる共和党の姿勢だと糾弾している。

   共和党のイデオロギーをアメリカ国民のおよそ半分を惹きつけている限り、気候変動の課題に取り組み、最適経路が実行可能になるほどの政界再編成は無理であろう。
   しからば、来る100年の課題に、アメリカの有権者がもっと合理的に対処するためにはどうするのか。
   過去40年間にわたって自由放任主義や個人主義的なイデオロギーに溺れてきたアメリカ人の目を覚ますためには、失業や富の破壊が大々的な規模で行われる壊滅的な経済危機しかない。
   誰でも、そんな惨事を望まないが、そこまでしないとアメリカの政治の世界の歩みを変化させる希望はない。と言うのである。

   もう一つローマーが指摘する共和党の障害は、国のインフラ、特に教育への投資に関する無関心だと言う。
   アメリカの深刻な格差拡大と中等教育の貧困化などを説きながら、アメリカが国内のインフラや教育制度の欠陥の修正に取り組めば、アメリカの経済的地位の低下が一気に進む恐れもないし、世界を戦争に巻き込む事態も回避されるであろうし、世界にとっても健全な展開となる。と述べている。

   アメリカの危機は、経済ではなく政治であって、妥協を許さぬ極端な分極化によって、重要な政策の決定や議決の進行がままならない現状を憂うるのは当然であって、かなり、福祉国家的な平等主義の傾向が残っているヨーロッパのような、政治を中道路線へ軌道修正することが必須だと言う事であろう。
   ローマーは、現代的な合理的選択理論を用いてマルクス理論の再構成を試みていると言う事だが、この小論文での考え方は、リベラル派の学者たちの見解と相通じており、真っ当な理論展開だと思っている。
   
   この100年間で、世界が斬新的な発達、すなわち、先進国が社会福祉制度の発達を引き起こしたのは、大恐慌と第二次世界大戦であった。と言うローマーの指摘は、実際にもそうであったのだが、このように逆説的に表現されると、非常に興味深く、先の経済的危機によってアメリカ人を叩きのめさなければ目覚めないと言う理論の伏線でもある。

   この論文で、ローマーたちの推計を基にして、気候変動にうまく対処するためには、北と南の間で排出量取引制度を採用して資源配分を有効にし、北の一人当たりの実質厚生の成長率が毎年1%で推移しなければならない。
   南の世界の成長を北の世界より遅らせずに、1%を大きく上回ると、削減対象となる排出量が増えて収束が不可能となる。と言っている。
   また、そうなれば、格差の縮小のためには、最富裕層の成長を大幅に低下させるなどドラスチックな対応が必要となるとも言っている。

   この論文だけでは、この理論の詳細が不明なので何とも言えないのだが、このような低成長では、格差の縮小などはまず無理で、現在、欧米日など先進国経済が陥っている経済不況や大幅な国家債務超過などの深刻な問題の解決など不可能となる筈である。
   一般論だが、ある程度の経済成長を推進して行かないと、先進国の経済的問題の解決の殆どは不可能となり、同時に、地球温暖化問題に対処するためには、革新的なイノベーションの追及によって、温暖化解消システムを構築しながら、経済成長を図って行くことが、絶対に必要である。
   ローマ―の提言の真意が、那辺にあるのか分からないが、先進国の実質厚生の成長率を1%に抑えて、地球温暖化問題から、宇宙船地球号を救済すべしと言う綱渡りが、効果はともかく、現代社会で実現可能なのかさえも、大いに疑問である。
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秋深し、わが庭でのひと時

2015年11月21日 | 生活随想・趣味

   木漏れ日が美しい今日のような穏やかで気持ちの良い日には、庭に出て、コーヒーを啜りながら本を読む。
   こんな時には、決まってシェイクスピアである。
   小田島雄志先生のグリーンの白水社本であったり、まともなシェイクスピア学の専門書であったり、スクリーン作品を解説した英国版のデラックス本であったり、気分によって取り出す本は、違うのだが、今日は、一昨日送られてきたボジョレーヌーヴォーのグラスを傾けながらのひと時であった。

   日本の自然は、暑さも寒さも厳しいので、戸外で読書をする機会は少ないのだが、冬の長いヨーロッパでは、戸外で余暇を楽しむと言うのは必須とも言うべき生活習慣でもあり、良く出かけた。
   イギリスに居た時には、暇が出来ると、カメラと本を2~3冊抱えて、近くのキューガーデンに行って、静かな午後のひと時を過ごした。
   キューガーデンは、ロンドン屈指の観光地だが、誰も殆ど来ない静かで平安な私の好きな場所があったのである。
   日本では、自分好みの庭を作って、と言っても最初は庭師に任せて後は我流なので家族などジャングルだと言うのだが、それでも、その自分だけの小宇宙とも言うべき小さな空間の中で、そのようなひと時を過ごすことが、趣味と実益を兼ねた私にとっては貴重な愉しみの一つとなった。
   

   さて、庭には、先日から咲き始めた椿のタマグリッターズが満開で、トムタム椿も咲き始めた。
   20年以上もかけて育てた千葉の庭には、周り一面に椿をはじめ、沢山の花木が植わっていて、完全に自分自身の城と言う感じで、リラックスして楽しめたのだが、鎌倉の庭には、まだ、どこか馴染みが薄いけれど、しかし、自分の植えた椿など花木が咲いて応えてくれると嬉しい。
   ハイカンツバキは、小さな花を次から次へと咲かせていて、下草風情で面白い。
   
   
   
   
   
   
   スタンド仕立てのバラ・シャルル・ド・ゴールを花壇に植え替えたのだが、遅咲きながら咲き始めた。
   面白いのは、アメリカハナミズキが、完全に葉を落としたのだが、まだ、残っている赤い実の傍から、来年の花芽が並行して現れて来た。
   紅葉も少しだけ、色付き始めて来たので、来週になれば、古社寺を回って、鎌倉の秋を楽しもうと思っている。
   
   
   

   裏庭に植えてある柑橘類では、前から植わっていた夏みかんと柚子が、実をタワワニつけて、それに、昨年植えたミカンにも、実が付いている。
   レモンとキンカンは、地植えして間もないのでまだだが、根付いていて、成長しているので、来年には、実を付けるであろう。
   取り残したキウイが、まだ、しっかりと木についたままで残っている。
   夏には、リスが走り回っていたのだが、鳥は見向きもしないようである。
   
   
   
   

   昨日は、シジュウカラが庭木を渡っていたが、今日は、鳴いていた虫の声も止まって、蝶やトンボも居なくなったのか、気の遠くなるような静けさである。
   足元には、可憐な小菊が咲いている。
   本を繰りながら、ふっと、ストラトフォード・アポン・エイヴォンのスワン劇場のシェイクスピアの舞台を思い出した。
   
   
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国立劇場:11月歌舞伎・・・「神霊矢口渡」

2015年11月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の歌舞伎は、平賀源内作の「神霊矢口渡」。
   それも、通し狂言ということで、「頓兵衛住家の場」以外は、これまで、殆ど演じられたことがないと言う珍しい演出で、今回、吉右衛門が登場する二幕目の「 由良兵庫之助新邸の場」は、先代吉右衛門が演じて100年ぶりだと言う。

   この場は、新田義貞の子、義興が矢口の渡しで底に穴を開けた舟に乗せられ、非業の死を遂げたので、重臣であった由良兵庫之助が、足利尊氏に降伏して、敵方に仕えながら、新田家存続のために忠義を尽くすと言う話である。
   やはり、源内は、プロの浄瑠璃作者、戯作者でなかった所為か、このあたりは、熊谷陣屋の直実や菅原伝授手習鑑の松王丸のケースを借用して、自分の子供を身代わりにして首を差し出して、主君の子息徳寿丸を助けると言うストーリー展開である。
   芝雀の御台所筑波御前や藤蔵の兵庫之助妻の役割も、藤の方や相模などと殆ど同じで、夫々お馴染みの演技であるから手慣れており、尊氏に加担したとして欺き続けてきた兵庫之助の忠節を、颯爽と格好良く演じた吉右衛門の芸が突出して光っている舞台である。
   しかし、名場面として洗練し抜かれた直実や松王丸の舞台のような緊迫感にはやや欠ける感じは否めない。

   事前に、兵庫之助が、重臣南瀬六郎(又五郎)と示し合わせておいて、鎧櫃に徳寿丸を隠し持って旅を続けて自宅にやってきた六郎を殺害して櫃の中から徳寿丸を引き出して、命令通り首を落とすと言うストーリーは斬新だが、やはり、奇想天外で、今から考えれば、分かって分からない封建時代のお家大事は、別世界の物語として観るということである。

      後半の三幕目の「生麦村道念庵室の場」は、話ががらりと変わって、逃亡中の義興の弟義岑(歌昇)と愛人のうてな(米吉)が、生麦村で、旗持であった堂守の道念(橘三郎)に匿われて形見の旗を渡されて、次の大詰の「頓兵衛住家の場」で、義興が殺害された矢口の渡しまで逃れてくる。
   義興の船底に穴をあけた張本人の頓兵衛宅に、知らずに、二人は逃げ込み、そこの娘お舟(芝雀)が、義岑に一目ぼれして激しい恋に落ち、金儲け一途の頓兵衛が、必死に義岑をかばおうとして行く手を遮る自分の娘を殺すと言う殺伐とした場になる。
   瀕死の状態のお舟が、這いながら火の見櫓に上って捜索解除の合図の太鼓を打ち、義岑を追う頓兵衛が、義興を殺した川中に差し掛かったところで、義興の霊(錦之助)が放った矢に射抜かれて死ぬ。

   歌昇と米吉の若い二人の匂うような絵のような舞台も印象的だし、年季の入ったコミカルタッチの芸達者な演技の橘三郎も素晴らしいが、やはり、出色の出来は、頓兵衛の歌六とお舟の芝雀のベテランの演技であろう。
   比較的善玉で風格のある役作りの上手い歌六が、今回はがらりと変わって、徹頭徹尾悪玉の、それも、新田家の後継者義興を騙し打ちして、更に、娘を殺してまで金の亡者と化す超悪人を演じていて、興味深かった。

   芝雀のお舟は、義岑を一目見た瞬間から恋に落ちてしまう初々しいおぼこ娘を演じており、雀右衛門襲名間近の風格とイメージが合わずに、やや、違和感を感じるのだが、やはり、上手い。
   文楽のように、人形が演じると、人形遣いの年齢やその姿かたちに関係なく、そのものずばりの役を演じきれるのだが、善かれ悪しかれ、歌舞伎は、生身の役者が演じるので、どうしても、その歌舞伎役者の姿かたち、立ち居振る舞いが、大きく、イメージに影響してしまう。
   あの不世出の歌右衛門でも、私は、最晩年の数舞台しか鑑賞する機会がなかったが、やはり、最盛期の舞台姿の印象は、ビデオや写真で想像する以外にはなかったのである。

   さて、この浄瑠璃のメインとなる人物の新田義興は新田義貞公の妾腹の第2子で、足利尊氏が謀反に抗して、父亡き後、新田一族を率いて、南朝の恢復に尽力したのだが、謀略により、多摩川のこの芝居の舞台である「矢口の渡」で壮烈なる最後を遂げる。
 その後、義興の怨霊が現れたり、夜々「光り物」が矢口付近に現れて悩ますようになったとかで、その御霊を鎮める為に、墳墓の前に「新田大明神」が建てられ、その縁起を基にして、この歌舞伎が出来ていると言う。

   私は、入試の時には、社会科は、世界史と世界地理を選択したので、日本史はあまり勉強しておらず、興味のあったのは、飛鳥や奈良、平安くらいで、趣味が能狂言に広がってから室町時代に、鎌倉に移ってから鎌倉時代に、少し関心を持って学び始めたので、新田義貞を知っていても、義興は知らなかった。
   歴史を知らなくても、、物語であり、芝居であり、フィクションなのだから、それで良いではないかと言う事なのだが、どうしても、気になってしまうのは性分なのだから仕方がない。
   国立劇場で興味深いのは、ロビーにおいて、その歌舞伎の演目の舞台となっている土地やゆかりの名物などが、展示即売されていることで、面白いと思っている。
   それに、観光誘致を兼ねて、地図や観光パンフレットなどが並べられていて、手に取ってみながら、一寸した発見があったりするのも良い。


   9月の秀山祭もそうだが、吉右衛門一座の舞台の素晴らしさを堪能させてくれた通し狂言であった。
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ダロン・アセモグル「孫たちが受け継ぐ世界」

2015年11月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   表題は、イグナシオ・パラシオス=ウエルタ著「経済学者、未来を語る」の1章の「 国家はなぜ衰退するのか」の著者であるアセモグルの記事である。
   アセモグルのこの本は非常に面白くて、このブログでブックレビューもしたが、この本とは、多少、違った議論も展開しているので、少し考えてみたいと思っている。

   本書は、ケインズの「わが孫たちの経済的可能性」にヒントを得て、パルアシオス=ウエルタが、著名な経済学者たちに、「100年後の世界はどうなっているのだろう」のタイトルで執筆依頼して出来上がった本で、比較的楽観論の記事が多いのだが、非常に面白い。

   アセモグルは、最も重要だと思われる次のような10のトレンドを分析して、その予測を通おして、未来像を描いている。
   権利革命、テクノロジーの進歩、たゆみない成長、不均等な成長、就労形態と賃金の変化、健康革命、国境に影響を受けないテクノロジー、平和の世紀・戦争の世紀、政治における反啓蒙主義、人口の爆発的増加・資源・環境、

   アセモグルの議論は、基本的には、前出の本で詳細に論じているその国の制度が発展を規定すると言う考え方を踏襲しており、包括的な制度が好循環を促し収奪的な制度が発展成長に抑圧的だとする前提に立っている。
   この制度の観点からは、権利革命が最も重要であって、それ以降の事項についても、この権利革命からほぼ直接的に発生したり、その結果であると考えている。

   ところで、アセモグルの言う権利革命だが、単純に言えば、人類史における民衆の政治的権利の取得とその進展、すなわち、民主化の進展である。
   特に、西欧とその流れをくむ国の市民の民主政治への参加には、著しい進展がある。
   
   現在では、アラブの春で、民主主義を求める大衆の力強い姿が目撃されたように、以前には、社会科学者や評論家たちが不可能だと決めつけていた場所にまで民主化運動が広がり始めた。
   しかし、かっては、教育を受けていない大衆は操作され易く自制心がないので、民主主義は不安定な制度から脱却できない。したがって、どんな民主主義も責任あるエリートの手に任せ、人民の政治的権利は事実上制限されるべきだ。とする考え方が大手を振ってまかり通っていた。少なくとも、知的エリート層は、大衆の権利を中々認めようとしなかったのである。

   ファシズムや全体主義、極端なナショナリズムや軍国主義の台頭など、権利を勝ち取るための道のりは、決して平たんではなかったが、一般大衆の政治的権利に限らずに、個人、女性、公民権や自由の分野での権利も、20世紀に未曾有の拡大を遂げた。
   これらの一連の権利革命の進展による包括的制度の拡大発展によって、人類社会の進歩発展が齎されてきたと言うのである。

   それでは、この権利革命が、今後とも進むのかと言う事だが、アセモグルは、いまだに不完全であり、可逆的ではないものの、全体的に見れば、今後とも継続して拡大すると考える慎重な楽観主義が結論として妥当だろうとしている。

   先に、グレン・ハバード、ティム・ケイン著「なぜ大国は衰退するのか」のレビューで、アセモグルが良しとする包括的政治制度と包括的経済制度の好循環を繰り返して民主主義的な成長発展を遂げてきた筈のアメリカが、衰退の危機に直面しつつあるのは、何故なのか、パラドックスを提示して、その解明を試みていたことを紹介したが、この論文で、アセモグル自身も、アメリカ社会に対しても、問題ありとしているのが興味深い。

   アメリカでは、所得に不平等や社会の二極化が進んだ結果として、富裕層が政治を形成する上で存在感を強め、潤沢なマネーを乱用して選挙やロビー活動を行って、アメリカの民主主義の健全性を脅かす脅威となっている。これは、悪い兆候で、アメリカの民主主義が挫折すれば、国内外の政治的権利や公民権も挫折するだろう。と言うのである。
   もう一つは、テロとの戦いの名のもとに、個人や少数派の自由を標的にした攻撃である。これは、先のブッシュ大統領によって始められ、オバマ大統領のもとでも積極的に継続されており、展開次第では、やはり、アメリカの民主主義が蝕まれる可能性を否定できない。と言うのである。
   包括的制度なり民主主義は、ベターだとしても、どんな制度であっても、深刻な問題は発生するものであって、完ぺきとは言わなくても、理想的な制度などは、人類社会にはあり得ないと言う事であろうか。
   
   さらに、興味深い指摘は、中国の驚異的な経済成長についての記述で、アセモグル自身は、中国経済は、途中で挫折すると考えているものの、この経済成長を見て、多くの発展途上国が、民主制の代わりに、中国のように独裁制を採用しても、富への道は開けると言う幻想を抱くであろう。日欧米等先進国などの深刻な経済状況を見れば、民主主義は障害や足手まといでしかなく、啓発的な独裁主義の方が人民には役に立つと考えて、中国型の独裁制への道が、アジアやアフリカの野心的な支配者を虜にするのも無理はない。と述べていることである。

   何かの本で、読んだ記憶があるのだが、日本の格付けと同じランクだと指摘されたボツワナが、ロシアや中国などの独裁国家と連携しながら有能な大統領のもとで、順調な経済発展を遂げている。と言う。
   有能な為政者なり、イノベイティブで革新的なリーダーが、その国の政治経済社会をリードすれば、途上国といえども、最新の技術やノウハウを駆使して発展の可能性が生まれ出るグローバリゼーション時代であるから、キャッチアップへのショートカット手段でもあるかも知れないと言う事だが、包括的制度であり民主主義であるべきだとするアセモグルにとっては、解せないのであろう。

   いずれにしろ、包括的な制度が、政治経済社会の進化発展は勿論、イノベーションの創出など多くの分野で好循環を促すのに対して、収奪的な制度は、これらの発展成長に抑圧的に働くと言う基本的な考え方を基にし、将来に向かって、権利革命が徐々ながら進展して行くので、100年後の世界については、ある程度、楽観的に見ても良かろうと言う事であろうか。
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鎌倉便り・・・覚園寺から来迎寺へ

2015年11月17日 | 鎌倉・湘南日記
   鎌倉の紅葉は、11月末から12月初旬と言うことで、まだ、秋色を楽しむためには早いのだが、天気が良いので、先回、ミスっているので、覚園寺に出かけて、帰り道に、荏柄天神に立ち寄って、大イチョウの紅葉具合でも見てみようと思って出かけた。
   何時ものバスルートで、鎌倉山から鎌倉駅に出て、鎌倉宮に向かい、そこから歩いても10分の距離である。
   3~4時間で歩こうと言う私の鎌倉散歩スケジュールなので、行き先は限定されているのだが、回を重ねると、結構、あっちこっち歩ける。

   鎌倉山からのバス道は、鎌倉山さくら道を通るので、桜の季節には渋滞するし、大仏前や長谷観音を通過するので、時によっては、大変な時間がかかる。
   それに、鎌倉宮へのバスも、若宮大路を通って鶴岡八幡宮前を通過するので、鎌倉でのバスでの移動は、時間が読めないところが、面白いのかも知れない。
   起伏が結構激しくて大変なこともあるが、歩いてみて分かったのは、鎌倉は、結構小さな街で、大体、歩いてめぼしいところへは行けると言う事である。

   鎌倉宮へは、かなりの人だが、参拝客であろう。
   覚園寺へは、この境内を右横に見て、閑静な住宅街が続く谷戸を上って行く。
   山が迫っていて、陽に輝くと、木々のグラジュエーションが美しい。
   
   
   
   
   谷戸の奥に覚園寺があり、山門がみえる。
   門前は開放的で明るいのだが、奥に入ると、境内には、樹齢800年のイヌマキを筆頭に巨大な大木など樹木が多く、自然環境が良く保持されていて、正に、鬱蒼とした林間の山寺の雰囲気である。
   しかし、自由に入れるのは、廃寺となった近くの大楽寺から移築した愛染堂の前の庭までである。この堂には、本尊の木造愛染明王坐像、鉄造不動明王坐像、木造阿閦如来坐像が安置されている。
   参拝者は、1時間毎に定められた時間に、寺側の案内者の先導で、順路にしたがって拝観することになっていて、境内での写真撮影は一切禁止されている。
   この方式は、永井路子の「私のかまくら道」を読むと、何十年も前からのようで、その所為もあってか、境内は実に美しくて静寂で、俗世間から隔離されて束の間とは言え、宗教心を醸し出してくれる荘厳な雰囲気が良い。
   それに、塔頭の中に誘われて、重文などの仏像を間近に鑑賞できるのが有難い。

   寄棟造、茅葺き、方五間の足利尊氏ゆかりの禅宗様式の薬師堂(本堂)には、重要文化財の木造の薬師如来と日光・月光の三尊坐像、そして、木造十二神将立像が安置されている。
   ほかに、鞘阿弥陀像が安置されていて、川端康成が愛して通っていたと言う。
   素晴らしい仏像ばかりだが、私は、右側の脇侍像の日光菩薩のお顔の優しさ美しさに引かれて、見上げ続けていた。罰当たりながら、私の仏像鑑賞行脚は、美しいお顔の御仏を探し続けて来たと言うことのような気がする。
   境内には、メタセコイヤや銀杏などの巨木、それに、立派な楓の林などがあるので、もう、1~2週間すると、紅葉が、素晴らしく色づいて、荘厳されるのであろう。
   この覚園寺の背後から山間の天園ハイキングコースが続いていて建長寺まで抜けられると言うので、いつか北鎌倉への道を辿ってみたいと思っている。
   
   
   
   

   荏柄天神の900年だと言う大イチョウは、まだ、緑一色であった。
   この銀杏は、先に倒壊した鶴岡八幡宮の大イチョウと同じほどの古木だが、ほうき状のきれいな形ではなく、風雪に耐えてきたのか、大分変形しているけれど、紅葉した姿を、下から見上げると壮観であろう。
   
   
   
   

   境内にある河童絵のレリーフだが、横山隆一と手塚治の作品があった。
   この神社の境内には、万両、千両、百両、南天などの実が、情趣を醸し出している。
   前には気付かなかったのだが、重要文化財の社殿は、入った正面の拝殿ではなく、奥にある写真左側の建物である。
   
   
   
   
   
   
   
   

   来迎寺への途中に、源頼朝の墓がある。
   住宅街の学校や公園に面した山側の斜面にある質素な墓で、手前には白旗神社などあり、この辺りが、鎌倉幕府のゆかりの地なのであろう。
   手前の公園のイチョウだけが、少し色づいてきていた。
   
   
   
   
   
   

   来迎寺は、住宅街の奥の高台にあり、本堂と境内一面に墓所があるだけの簡素な寺院。
   開山は、一遍上人で、如意輪観音像は、頼朝の持仏堂にあったものだと言う。
   
   
   
   鎌倉駅まで歩くのも何なので、鶴岡八幡宮前から、大船に向かうバスに乗って帰途に就いた。
   このバスルートは、建長寺、明月院、北鎌倉経由で、観光には便利なのである。
   八幡宮前は、相変わらず大変な賑わいである。
   段葛の工事は、進んでいるようであった。
   
   
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相曽賢一朗のヴァイオリン・リサイタル2015

2015年11月16日 | クラシック音楽・オペラ
   恒例の「第19回 相曽賢一朗ヴァイオリン・リサイタル2015」が、久しぶりに、東京文化会館小ホールに帰って来て開かれた。
   今回は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティ―タ全曲演奏の第1弾として、下記の3曲とジョルジュ・エネスコの無伴奏ヴァイオリン作品を演奏した。
   これまでの様に伴奏者を伴わずに、弓1本での挑戦である。

   当日の演奏曲は、
   J・S・バッハ
     無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
     無伴奏ヴァイオリン・パルティ―タ 第1番 ロ短調 BWV1002
   ジョルジュ・エネスコ
     無伴奏ヴァイオリンのためのルーマニア民族様式によるメロディー
   J・S・バッハ
     無伴奏ヴァイオリン・パルティ―タ 第2番 ニ短調 BVW1004

   
   バッハの作品については、随分昔に、分からないままに、カール・リヒターの「マタイ受難曲」や「ミサ曲 ロ短調 」を聴きに演奏会に出かけたり、欧米などの音楽会で、ブランデンブルグ協奏曲や管弦楽組曲などを聴いたりする程度であったし、無伴奏などと言うと、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ の「バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲」をNHK BSで聴いて、凄いなあと思った程度である。
   そんなわけでもあり、今回の相曽賢一朗が弾いた曲などは、初めて聴く曲で、私など、ずぶの素人にとっては、全曲、無伴奏のヴァイオリン作品をプログラムに組んで、年に1度と言っても良い日本でのコンサートで、やろうと言う勇気に感じて、相曽君の進境の著しさを予感した。

   観客も聴き慣れないのか、1曲目は消極的な反応で、2曲目が終わって休憩に入る前にも、拍手は控えめで、再登場もなく拍手が消えた。
   しかし、エネスコのルーマニアの曲に変わって、どこかエキゾチックで懐かしい、それも、相曽特有の素晴らしく美しい弱音の魅力もあって、観衆も乗り始めて、最後のパルティータ第2番には、相曽のボーイングの冴えが絶好調に達して、鳥肌の立つような感動を呼び、相曽が弓を収めると熱烈な拍手喝采。
   アムステルダムでは、感動すると、聴衆は、立ち上がってスタンディング・オベーションをするので、私も、感激を抑えられずに、立ち上がって拍手を続けた。

   雨音が微かに聞こえてくる宝塚大劇場で、ダビィッド・オイストラッフを聴いてから、スターンだ、パールマンだ、ムターだ、クレーメルだと言って、随分多くの世界的なヴァイオリニストのコンサートに出かけて行ったが、これほど、感動したのは久しぶりであった。

   20数年前、渡英直後に、キューガーデンの我が家に電話して来て数日滞在して、相曽君のロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックでの研鑽が始まったのだが、当時、宮城道雄の「春の海」の尺八パートを、尺八のサウンドそっくりに演奏してくれたのを思い出す。
   筝:宮城道雄 ヴァイオリン:ルネ・シュメー演奏の素晴らしい「春の海」のレコードを聴いて感激していたのだが、相曽君のヴァイオリンは、すすれた音色も尺八そのもので、シュメーに代われば、どんな「春の海」が生まれるのかと思いながら、日本男児としての相曽君を感じていた。

   この日本男児としてと言う日本文化を色濃く体現した相曽君のベースが大切で、もう、アメリカに留学してからであるから、人生の半分以上は欧米での生活にどっぷりと浸かってクラシック音楽の土台となる欧米文化を体現していることになり、いわば、日欧両文化の上に立って今日の相曽賢一朗がある。
   それに、多忙な演奏に加えて、教育など他分野の音楽活動にも積極的に参画し、西欧のみならず、東欧から旧ソ連の国々や南北アメリカなどにも活躍の場を広げて、異文化の遭遇のなかで自由自在に泳ぎ続けているのであるから、人間としての成長も人並みではなかろう。

   何故、こんなことを言うかであるが、私のつたない経験だが、オーケストラで言うと、オーマンディの頃のフィラデルフィア管弦楽団で2年、ハイティンクの頃のアムステルダム・コンセルトヘヴォーで3年、ロンドン交響楽団とロイヤル・オペラで5年、夫々、シーズンメンバー・チケットを買って通い続けたが、サウンドなり個性なり夫々のオーケストラが、同じ名曲を演奏しても、微妙に違う、その土壌風土なり、社会や文化の息吹らしきものを醸し出していて、その絶妙なサウンドが、実に感動的なのを体感しており、固有の文化文明と普遍性のマッチングが如何に大切かを感じているからである。

   もう、日本でのコンサートも、19回目だと言うから、ロイヤル・アカデミーを首席で卒業して、相曽君が演奏活動を始めて随分経つのだが、年々、その技術に深みと福与かさが増し、益々、ボーイングの冴えが光って来ているのは、根無し草のようにはならずに、日本人としてのしっかりとした土台の上に立って、どっぷりと、クラシック音楽の故郷である欧米の坩堝文化のなかで、必死になって研鑽を続けているからだと思っている。

   あの偉大な指揮者エリオット・ガーディナーが、相曽君の資質を、望み通りのものは何でも出てくると言うCOMUCOPIA(豊穣の角)だと激賞しているのであるから、素晴らしいコンサートを開いて、我々を感激させてくれるのは当然なのであろう。
   来秋も、大いに期待したいと思っている。
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顔見世大歌舞伎・・・夜の部「勧進帳」「河内山」ほか

2015年11月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   一番早い江戸の顔見世興行であるから、何となく華やかな雰囲気が漂っていて、歌舞伎座の前も大変な賑わいである。
   観光バスが止まって、大挙して観光客が下りたので、観劇客かと思ったら、順番に歌舞伎座の正面に立って見るだけで、また、バスに乗って行ってしまった。
   開演前は大変な人出だが、それが終わるとペルシャの市場のように静かになる。
   
   

   この日、観たのは、「夜の部」で、やはり、顔見世で、意欲的なプログラムである。
   「江戸花成田面影」は、十一世團十郎を称えると言う趣旨で、海老蔵の長男堀越勸玄の初お目見えの舞台で、前半に、芸者お藤の藤十郎、 鳶頭の梅玉 、染五郎、松緑 が踊ると言う見せ場がある華やかな舞台。
   二歳の堀越勸玄は、幼いながらも中々の素晴らしい面構え(?)で、栴檀は双葉より芳しで、大いに期待できるかわいさで、怖気ることなく「ほりこしかんげんでございます」と頭を下げていた。

   「元禄忠臣蔵」の「仙石屋敷」は、
   宿敵吉良上野介の首を討ちとり、本懐を遂げた浪士大石内蔵助以下赤穂浪士たちが、仙石伯耆守の屋敷において、伯耆守のねぎらいを受けて、尋問されて受け答えする場面。そのあと、浪士たちは諸家へのお預けが決まって退出し、内蔵助と息子主税との別れを惜しむ。
   真山青果による歴史劇『元禄忠臣蔵』の一幕で、伯耆守の梅玉と内蔵助の仁左衛門の対決が見物であり、仁左衛門の肺腑を抉るような誠心誠意の陳述が感動を呼ぶ。この舞台は、6年前にこの歌舞伎座で、二人の舞台を観ている。
   9年前に、国立劇場で、3月に亘っての元禄忠臣蔵の通し狂言を観た。内蔵助は幸四郎、伯耆守は三津五郎であったが、通しでこその感激であって、何となく、心理劇的な要素が強くて劇的な迫力に欠けるこの「仙石屋敷」だけの一幕を取り上げての舞台は、名舞台だけに、感動がもう一つで惜しいと思う。
   梅玉も素晴らしい舞台を務めていたが、仁左衛門の「御浜御殿綱豊卿」を観たかったと思ってみていた。
   
   高麗屋の「勧進帳」は、先に憧れであった弁慶を初めて演じた染五郎が、今回は富樫に回って、押しも押されもしない弁慶役者の幸四郎の弁慶を相手にして互角に渡り合って、颯爽とした風格のある舞台を作り上げた。
   今回は、義経を松緑が演じていたが、能の様に、子方が義経を演じる舞台なら、金太郎が義経を演じれば、親子3代の「勧進帳」が観られる筈である。
   尤も、歌舞伎での「勧進帳」は、義経が主役だと言われており、名だたる名優が演じているのであるから、無理であろうが、義経に対する能と歌舞伎の違いが、非常に興味深いと思っている。

   最後の「河内山」は、「天花粉上野初花」の一部で、今回は、「松江邸広間より玄関先まで」の舞台である。
   前座の様にして上演される「質店「上州屋」見世先」が省略されているので、ガラクタを持って質屋に来て金を揺すろうとする主人公の河内山宗俊(海老蔵 )の悪辣ながら小賢しいところもあるお数寄屋坊主ぶりが表現されていない。
   その分、神妙な顔をして僧衣姿に威儀を正した宗俊の登場から始まるので、化けの皮を剥がされて、ベランメエ調のヤクザにかえる幕切れが面白くなる。
   團十郎には、同じヤクザ坊主でも、どこか、悪の権化のようなドスの利いた年季の入った悪の風格らしきものが漂っていたが、海老蔵は、若さとモダンさがあって、やや、スマートな感じで、上野寛永寺からの使僧と身分を偽り、松江出雲守の屋敷へ単身乗り込んで、ジワリと遣り込めるあたりのソフトタッチの感触は、流石に、上手いと思った。
   口答えする出雲守に苛立って、一瞬、本性を表して顔を強張らせてベランメエ言葉が出かかって、また、にこりと表情を変えるのだが、ここだけで、北村大膳(市蔵)に、宗俊と見破られて啖呵を切るまでは、高僧の遣いとしての威厳と品格をモダンタッチで演じ続けており、面白かった。
   出雲守や家老重役の見送りを受けて、「ばかめ!」と捨て台詞を残して、悠々と退場するラストシーンまでは、ヤクザと渡り合って喧嘩をしたと言う海老蔵であるから、正に、立て板に水、江戸城で茶道を務める坊主ながら、天下の大大名を脅し挙げて揺すると言う大胆不敵な悪事をはたらく河内山宗俊を、豪快に演じ切って爽やかである。
   先に格調の高い伯耆守を演じていた梅玉は、今度は、大名ながら、出雲守で登場して、腰元奉公の質屋上州屋の娘浪路が靡かないので手討ちにしようとする乱行で、脅し挙げられてぐうの音も出ない情けない役回り。ところが、それなりに風格が出ていて、様になっているところが、梅玉の本領であろうか。
   善玉の家老高木小左衛門と、悪玉の市蔵は、正に、適役。
   進境著しい市蔵の活躍が素晴らしいが、悪役のイメージが強い所為もあって、先の「仙石屋敷」での、吉田忠左衛門には、一寸、違和感があったのだが、どうであろうか。

   アラカルトながら、名舞台がプログラムされていたので、楽しませてもらった。
   
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新宿御苑・・・プラタナス並木とバラ園

2015年11月14日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今、新宿御苑で、一番秋を感じさせてくれるのは、フランス庭園にあるプラタナスの並木。
   パリと違って、気候の違いもあって、雰囲気が大分違うが、大きな葉っぱが散り始めて、並木道を埋め尽くしていて、サクサク踏みしめながら、歩く快感、子供たちも、木の葉に埋もれて遊んでいる。
   そんなことに一顧だにせずに、恋を語っているカップルもいて、人生夫々である。
   
   
   
   
   

   このプラタナス並木の間の広い空間が、バラ園で、遅咲きのバラが満開である。
   黄ばんだプラタナスをバックにして妍を競うバラの風情もなかなかである。
   夫々の個性があって、バラは、まちまちに咲いているのだが、やはり、春を待って一気に咲き切る5月のバラとは違って、何となく、秋のバラは元気がない。
   
   
   

   趣味もあって、イングリッシュローズのコーナーに行ったら、パット・オースチンが、元気に咲いていた。
   もう、バラのシーズンも終わりだが、何故か、元気な花は黄色が目立っていた。
   
   
   

   椿は、まだだが、サザンカが、咲いていた。
   はらはら、葉が散るのが嫌で、サザンカを植えたことがなく、専ら、椿党だが、垣根などには、サザンカの方が良いのかも知れない。
   水仙が、咲いているのには、一寸、驚いた。」
   
   
   
   
   
   秋色深まり行く新宿御苑。
   もう少しすると、紅葉に荘厳されて輝いたと思うと、一気に、冬が来る。
   日本庭園では、ススキが雰囲気を醸し出している。
   
   
   
   
   
   

   少しずつ紅葉しはじめているが、まだ、気の遠くなるような晩秋には、間がある。
   鴨が、下の池に群れていて、水面を滑っている。
   遠くに、ビルが見え隠れするのが、都会の真ん中にある新宿御苑の面白いところかも知れない。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   イギリス庭園を抜けて、新宿門へ行く途中に、ジュウガツサクラとコフクサクラが咲いていた。
   少し寂しい感じで、やはり、桜は春に限る。
   この新宿御苑は、国立能楽堂からはガードを潜れば、すぐ、千駄ヶ谷門があるので、昼の公演の後、散歩気分で歩いて、新宿門に抜けるのも良いかも知れないと思っている。
   
   
   
   

   
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菊薫る新宿御苑の菊花壇展

2015年11月13日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   夕刻までの歌舞伎座の開演まで時間があったので、久しぶりに新宿御苑に出かけた。
   紅葉には、まだ、少し早くて秋色には欠けるのだが、恒例の菊花壇展が開かれている。
   昔は、良く、京都の古社寺をはしごして菊を鑑賞していたのだが、菊花展でも、夫々の特徴があって、趣の違いなどが面白い。

   新宿御苑の菊花展は、皇室ゆかりの菊花壇展、やはり、この世界のリード的な存在であるのであろう。
   私のような素人には、全く、良し悪しなどは分からないし、その美しさ華麗さ、自然の神秘と同時に丹精込めて育てた人たちの努力に畏敬の念を禁じ得ず、その凄さに感じ入りながら鑑賞させてもらっている。

   何時ものように、私は、日本庭園に向かうので、最初に見るのは、肥後菊花壇。
   去年は早く行ったので、まだ咲いていなかったが、今年は、奇麗に咲いていた。
   藩主・細川公が文化政策のひとつとして、栽培が始められ発達した古典菊だと言うが、椿にも名花があって、花鳥風月に対しては、素晴らしいお殿様であった。
   
   
   

   次は、一文字菊、管物菊花壇。
   一文字菊は一重咲きで、花びらが平たく幅広く伸びるのが特徴で、御紋章菊の風情で、管物菊は、すべての花びらが管状になっている菊である。
   紙の受け皿が面白い。
   残念ながら、一文字菊は、盛りを過ぎて、萎れ始めていた。
   
   

   面白いと思うのは、咲きながら、右巻き左巻きにと運動をすると言う狂菊とも呼ばれる江戸菊である。
   花の色も成長とともに変わると言うことのようだが、繊細な花びらも面白く、種類も多様だと言う。
   
   
   
   
   
   
   

   やはり、びっくりするのは、大作り花壇の巨大な菊で、今回は、3本展示されていて、多いのは、610輪の花をつけている。
   「この作り方で一番大切なことは、多くの花を咲かせることはもちろん、個々の花においても枝や葉が均一で、花の大きさが揃いかつ開花期が同時でなければなりません。」と言うのであるから、驚異としか言いようがない。
   根元を確認して、やっぱり、一本だと言っていた人がいたが、鉛筆より少し太い茎一本が、強大な菊花を支えている。
   
   
   
   気に入っているのは、伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇。
   伊勢菊は、花びらが平たく、咲き始めは縮れていて、開花するにしたがって伸び、垂れ下がって満開となり、花びらが長く垂れ下がるほど良い。と言う。
 丁子菊は、香料の丁子の花に似ていて、外国では「アネモネ咲き」と言うらしい。
 嵯峨菊は、嵯峨天皇の御愛の菊で、京都の大覚寺では、廊下から見下ろして鑑賞する。花びらが平たく、咲き始めは乱れ咲きに開き、次第に花びらがよじれて立ち上がり、全部立ちきって満開だと言う。弱々しい清楚さが良い。
   
   
   
   
   
   
   
   最後に見たのは、懸崖作り花壇。
   懸崖作りは、山野に自生する野菊が、岩の間から垂れ下がって咲いている風情を真似て、野趣を生かした作りだと言う。この花壇の品種は、一重咲きの山菊とよばれる小菊である。
   
   
   

   残念ながら、フットボールのような菊花の大菊花壇を見過ごしてしまった。
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わが庭・・・タマグリッターズ咲く

2015年11月11日 | わが庭の歳時記
   千葉から持ってきて、庭植えしていた椿タマグリッターズが、奇麗な花を咲かせた。
   日本の椿玉之浦が、アメリカで改良さて、紅色地に白覆輪の八重ボタン咲きの花に変身したもので、中輪ながら、華麗である。
   千葉の庭に、大きくなった玉之浦を残してきたのだが、この椿は、わずかに持ち込んできた椿の一本で、ようやく、鎌倉のわが庭に定着して、本格的に咲いたと言う事で、嬉しい。
   玉之浦には、ほかにも変わり変種があって、昨年、買ったタマカメリーナが、どんな花を咲かせるのか、蕾をつけているので、楽しみにしている。
   ハイカンツバキは、大分前から咲いているのだが、サザンカに近いのか、椿の中でも、秋咲きで、咲いては、ほろほろと、花びらを落として地面を明るくする。
   
   
   

   バラは、少し、手を抜いたのがたたったのか、これまで、ちらほら、断続的に咲き続けていて、今、一本咲いているだけで寂しい。
   

   花は、小菊、下草の合間から、茎を伸ばして、可憐な花を咲かせている。
   私自身、菊の花は美しいと思うが、自分で植えたことも栽培したことも、あまりないので、自然任せになっている。
   ツワブキが、まだ咲いている。結構息が長い花である。
   
   
   
   
      

   色づいて奇麗なのは、紅葉した木々の葉っぱである。
   それに、成熟した実も、光を受けて輝くと美しい。
   アメリカハナミズキは、葉も実も、風情があって良い。
   紅葉が美しいと言うので、タキイで、錦繡と言う名前の柿の苗を買って植えた。丁度、2年目になって芽が出て葉が付いたのだが、やはり、奇麗に色づいた。
   ほかの紅葉は、ドウダンツツジ、ブルーベリー、そして、赤い実のクロガネモチ
   黄色い万両も、実をつけた。
   きれいな葉が落ちると、木枯らしが吹く。
   寒い冬が、もう、そこまで近づいてきている。
   
   
      
   
   
   
   
   
   
   
   
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