熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

TPP交渉参加 是か非か と言う愚問

2011年10月31日 | 政治・経済・社会
   このタイトル「TPP交渉参加 是か非か」は、日経朝刊の「日曜に考える」と言う記事で、賛成派の伊藤元重東大教授と、反対派の山田正彦前農相が討論している。賛否は別としてテーブルに着くのは当たり前で、世界の潮流への交渉参加の是非を問うなど、愚問中の愚問であると思うのだが。
   NHKの「日曜討論」でも、「TPP交渉参加に賛成?反対?」をテーマに、両者分かれて討論していた。
   議論の争点は、利害の衝突であろうが、要するに、日本国の開国か閉鎖かと言うことだと、私は思っている。
   日経の飯田展久氏が、コメントしていて、「TPP参加の慎重派は、おおむね既得利権を守ろうとする立場の人たちが多い。・・・TPPに参加して閉塞感を打破したい。推進派にはこんな思いがある。既存のルールを変えるのは勇気がいる。不安に感じる人も多いだろう。だからといって交渉すら拒んでいては日本はますます縮んだ国になってしまうのではないか。」と言っている。
   この見解に、賛成する人は多いのではないかと思う。

   私は、人々の幸せを実現できるような民主主義を健全に維持することを目指した資本主義が理想だと思っているので、ある程度の厚生経済的な経済政策を重視すべきだとは思っているが、国家経済は、出来るだけ、門戸を世界に開放して、自由競争による挑戦と応戦に晒すことによって、絶えず、経済社会を若々しく維持して活性化すべきだと思っている。
   丁度、世界市場を相手にして、なりふり構わず我武者羅に突っ走っていた戦後の日本や、今日の中国やインドのように、負けても叩かれても、必死になって熾烈な挑戦に対して応戦して行く活力を失ってしまったら、国家の成長も発展も止まってしまう。
   それに、日本は、これまで、幕末から明治維新と第二次世界大戦後、外圧とは言え、2度の大きな開国を経験して来たが、益々、成長と発展を遂げてきた。
   
   NHK・TVでの反対派の東大と京大の教授たちは、理路整然と、TPPに参加すれば、日本の農業は大打撃を受けると説いていた。この論点には、全く、異論はない。
   しかし、これ程世界的に競争力のない米作りに象徴される日本の農業を維持して来たのは、集票マシーンであった農業を後生大事に過保護して来た日本の政治にあることは間違いないと思うのだが、それもこれも、政官財の癒着による鉄のトライアングルによって構築されて来た社会主義国家日本の蹉跌以外の何ものでもなく、その結果ではないのか。
   私も海外に長く住んでいたので、その間は、殆どカリフォルニア米のお世話になったので、コメの何たるかを知っている心算だが、とにかく、資本主義の自由市場経済では、コメのような単純なコモディティの場合には、特別な差別化要因が働かなければ、価格が総てを制するので、日本のように、高い米価では、話にも何にもならないし、保護しようと競争に晒そうと、どう足掻いても、このままでは、日本国民に負担を強いるだけである。

   日本の産業でも、国際競争力のあるのは、グローバルベースの激しい競争に晒されて来た輸出産業だけだが、その産業でさえ、例えば、ソニーやパナソニックが、TVで赤字に苦しんでいるように、国際競争力を、どんどん、落とし続けて居り、内需型の製造業やサービス業に至っては、競争力の涵養を怠って来たゆえに、生産性が低くて、国際競争力などは埒外で、日本の経済効率を著しく悪くしている。
   日本のMNCたる輸出産業の凋落については、私は、これまで、何度も、知財保護や技術のブラックボックスに固守して自前主義を貫いて、ずっと以前から世界の潮流であるオープン・ビジネス・モデルに移行出来ずに、益々、後ろ向きの囲い込みに徹した企業の総合化に向かって、内向きになって行く経営戦略に警鐘を鳴らして来たが、改まる気配がない。

   今話題のANAのボーイング787だが、ボーイングのホーム・ページでは、”この並外れたパフォーマンスは、ボーイングがリードする多国籍のチームが開発する先進テクノロジーにより実現しました。機体構造の50%には炭素繊維複合材を使用、オープンアーキテクチャーは現行の旅客機をより簡素化しながら、機能性の向上を提供する787型機のシステムの中核です。”と書かれており、日本のメディアは、この主翼部分などの相当部分は日本製だとして、鬼の首でも取ったかのように嬉々として報道していたが、あの誇り高きボーイングが、自力の限界を知って、外部のイノベーターの糾合によるコラボレーションを求めて、オープン・ビジネスに向かわざるを得なかった事実こそに、注目すべきなのである。
   今や、MNCのグローバル競争は、このオープンアーキテクチュアを活用して、如何にして、オープン・ビジネスをマネジメントして行くか、プライム・システム・インテグレーターとしての経営能力、その経営戦略と手法ノウハウに移っているのだと言う厳粛なる事実を認識すべきなのである。
   このマネジメント能力の涵養のためには、世界中に門戸を開いて、グローバルベースで最先端を行く企業とのコラボレーションを希求したオープン・ビジネスの追及以外に道はなく、一瞬の逡巡さえ許されなくなっている。
   
   それでも、内向きになって、国際競争力を失ってしまった内需型産業を、既得利権者の保護と引き換えにまでして、後生大事に守り抜いて、まだまだ、国際競争力があり活力に漲っている先端産業まで道連れにして、日本の凋落を推し進めたいと言うのであろうか。
   TPPやFTAに背を向けることは、日本の孤児化を進めることになると思うのだが、まだ、今の内なら、日本人の叡智を絞れば、TPPやFTAによって打撃を受ける産業や組織団体、或いは、個人等関係者を、日本トータルで救済し、活路を見出すべく抜本的な保護政策を打つことは十分に可能だと思われるが、時間が限られている。
   グローバリゼーションの巨大な潮流は、日本人の足踏み逡巡を待ってくれないのである。

(追記)TPPに関しては、私の参加賛成論に対して、反対のコメントやトラックバックがあるが、私自身が納得できないような論点や意見なり、或いは、反対がらみの宣伝臭のあるものについては、削除することとしている。
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東京茂山狂言会・・・「妙音へのへの物語」ほか、とにかく面白い

2011年10月30日 | 能・狂言
   昨年亡くなった2世茂山千之丞を追悼した茂山狂言会が、国立能楽堂で開かれたので出かけた。
   千之丞が作・構成・演出した「妙音へのへの物語」と「室町歌謡組曲」と言う代表作に、最後の舞台だったと言う「呂連」を舞台にした狂言で、あの、荘厳な能楽堂が、実に、温かい笑いに包まれて、楽しい一夜であった。
   宗彦・逸平人気の所為か、とにかく、若い人からもう少し上の人まで、女性ファンが多くて、会場そのものも華やかで、歌舞伎や文楽とは、一寸、違った雰囲気であった。

   面白かったのは、「妙音へのへの物語」で、御伽草子である「福富草子」を底本にした新狂言で、大辞林によると、「南北朝時代の成立か。放屁の術により福富の織部(七五三)は長者となるが、それをうらやんだ隣家の男がまねをして大失敗する。福富長者物語。」とある。
   狂言の方は、織部の方を主人公にしているが、草子では、織部の栄華栄達を妬んだ隣家の貧乏人藤太(あきら)が主人公で、その妻おくま(茂)の凄まじさが克明に描かれていて、正に、鬼気迫る御伽草紙である。

   この狂言は、ほぼ、福富草子の筋を追っているのだが、藤太が、今出川中納言(逸平)家で大失態を演じて以降の鬼婆おくまが悔しさに狂気して呪詛し織部に噛み付くと言った事後談は省略して、おくまが、失敗して一文の金にもならなかった藤太を「やるまいぞ、やるまいぞ」と追っかけて、その後ろを登場人物が数珠つなぎで退場するところで終わっている。

   京へと国を出たのだが貧窮した織部が、途中で、へのへの仙人(千三郎、左近丸と二役)から、屁で奏でる妙音の術を伝授されて、京都で名声を博して、大金持ちとなる。
   家来の左近丸と右近丸(宗彦)が引き合わせ、織部が、中納言の面前で、妙なる妙音を披露して、褒美を賜る。
   それを聞きつけた隣家のおくまが、夫藤太を責めつけて、織部に弟子入りさせて、術を学ばせる。
   秘術を聞き出し、秘薬の豆を貰って帰った藤太をせっついて、中納言家で披露するのだが、腹の痛みに堪えて苦しみながら登場した未熟な藤太が必死になって頑張るも音が出ず、誤って一気に放屁したものだから、正に、爆弾が炸裂した戦場のような地獄模様の愁嘆場。

   元銀行マンと言う真面目一方のような七五三が、尺八の音に合わせて、器用に、高々と客席に向かって上げた尻を楽器代わりに微妙にくねらせて演じる妙音の芸の可笑しさ。
   もう、登場した瞬間から、客席の笑みを誘う逸平の、声音の素晴らしさと言い、間延びした実に嫋やかで高貴然とした中納言像が秀逸で、流石に、京都の狂言であり、これを見るだけでも、鑑賞しに来た値打ちがある。
   千三郎の左近丸と宗彦の右近丸だが、中納言に適当に相槌を打ちながら織部の演技をサポートし、その後の、藤太とおくまの一部始終を後場に控えて、語り部のように相槌を打ちながら少しずつ舞台に溶け込んで行く芸の細かさなど、実に爽やかで面白い。
   気が弱くて全く貧相で冴えない藤太を、千之丞の子息あきらが演じていて、これこそが、福富草子そのものの主役なのだが、本当にユニークで、七五三の織部と対照的な実にしみじみとした味を出していて印象的であった。
   一方、鬼婆でわわしい、狂言では典型的な女房おくまの茂は、後半、喚き散らしと言った風情で、非常にパンチが利いた演技で、本来の草子に則って鬼気迫るおくまを演じさせれば、面白いだろうと思った。
   
   この狂言の面白さは、庶民が、尊い公家の前で、下世話極まりない「おなら」で妙なる音曲を奏すると言う極めて奇天烈な話で、それを聞きたいと言う方も言う方だが、演奏直前に、中納言が「匂いの方は?」と聞き、「無味無臭、問題ない」と応えるあたりなどもそうだが、権威に対する風刺どころか、完全に下剋上の世界で、このような狂言が、(尤も、これは新狂言だが、御伽草子と同じ内容で、如何にも、当時の狂言でも有り得るテーマで)、室町時代から650年もの間、伝統的に続いていると言うのは、日本文化の味と言うか、実に、天晴れなことであると思う。

   千三郎は、狂言を「室町時代の吉本喜劇だ」とも、人間肯定劇だとも言っている。
   和歌や俳句に対する狂歌と言う位置づけかも知れないが、欧米人が最も大切にしているユーモアとも相通じる世界で、庶民の笑いは勿論、上質な笑いの体現は、中々高貴で到達し難いものだと思う。

   余談はさて置き、次の「呂連」は、旅僧の出家(千五郎)が一夜の宿を得た家の主・男(正邦)が発心して、髪を剃り「呂連坊」の名を貰って出家するのだが、それに激怒した妻・女(童司、千之丞の孫)の権幕に恐れをなして、旅僧の所為にして逃げ惑い、やるまいどやるまいどで終わる狂言だが、ここにも、定番のわわしき女が登場するのだが、インチキ坊主の多い狂言にしては、ここの旅僧は、真面目ながら、濡れ衣を着せられて追い出されるところは、哀れでおかしい。

   最後の「室町歌謡組曲 遊びをせんとや」は、「狂言小謡を中心に、今様・閑吟集や達小唄などを選曲し、謡の面白さ・囃子の楽しさを表現した組曲」だと言うことだが、全員中正面を向いて正座して、千五郎の滔々とよく響く素晴らしい声で「黒田節」のメロディーで謡が始まり、所々、舞が入る。
   歌謡曲や現在のIT関連の遊びが飛び出すなどトピックス豊富だが、私には、あまり良く内容が聞き取れなかったのだが、こう言った狂言の世界もあるのだなあと面白かった。
   途中、笛の藤田六郎兵衛が、バリトン調の素晴らしい美声で「上を向いて歩こう」を歌いだすと、全員立ち上がって踊り出すなど面白かったが、最後に、また、黒田節調の謡に戻って終わったが、全員後ろを向いて、囃子方から順番に、切戸から消えて行った。
   西洋の芝居やオペラなどでは、この後のカーテンコールで余韻が残るのだが、日本の古典藝術は、幕切れが淡泊過ぎて、いつも、一寸さびしい気がしている。
   
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神田古本まつりをハシゴして歩く

2011年10月29日 | 生活随想・趣味
   27日の木曜日が初日だったようだが、私は、翌日の午後、時間を見つけて出かけた。
   神田神保町の大通りの歩道に並んだワゴンセールを梯子しただけだが、やはり、歩行者天国になる休日のスズラン通りに張り出す店舗群を見ないと、一寸さびしし、客も少ない。

   何か目的があって、特定の本を探そうとする人には、古本まつり中に架設されたワゴンや俄か書棚に並んでいる本などには興味はないであろうが、私のような、何となく回ってみて、気に入った本があれば買うと言った者にとっては、ぶらぶら、見て回るだけで楽しいのである。
   随分古い本があって、学生の頃に読んだ色褪せた背表紙を見つけて、無性に懐かしくなったり、大切にしていた本などを見つけると、もう一冊買おうかなどと考えたりするのだが、また、お会いしましたねえと言う気持ちである。

   夫々の古書店が、店頭の街路に、ワゴンを出して古本を並べているのだが、単なる客寄せと言う感じで、それ程、高価な目玉商品と言った本はなく、それを見越して、日頃閑散としている店内に入って熱心に品定めしているファンが結構多い。
   大きなリュックを背負った客などもいて、地方から楽しみに来たファンであろうと思うが、熱心に探している。
   古い高価だった筈の全集本や特別出版本などを買う人などは、本のコレクターか好事家であろう。私など全く興味のない特殊な分野の、それも、極端にトピックスの的を絞った全集本や特集本が出版されているのさえ不思議なのだが、嬉しそうに小脇に抱えて帰る人を見ていると尊敬に値する。

   結局、1時間ほど歩いて私がその日買った新古書は、ほんの数百円の叩き売り価格だったので、
   シェル・イスラエル著「ビジネス・ツイッター」
   ジャック&キャロライン・プレイス著「偉大なアイディアの生まれた場所」
   ロバート・サーマン著「なぜ ダライ・ラマは重要なのか」

   それに、勉強のつもりで、半額であった、
   宮田由紀夫著「アメリカのイノベーション戦略」
   帰りの電車の中で読むつもりの、
   増田悦佐著「中国、インドなしでもびくともしない日本経済」

   昔は、神田古書まつりが開幕すると、オープン前に出かけて沢山の本を買って、事務所や自宅に宅配便で送っていたのだが、最近は、出かけない年もあったりして、大分興味が薄れてしまっている。
   しかし、何となく、久しぶりに、京都の古書店に出かけて、学生時代の思い出を反芻したくなった。
   私は、旅をすると、時々、古書店に行くのだが、並んでいる本が、地方によって、かなり違っているのが面白く、結構、びっくりするような本に遭遇することがあるのである。
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「ウォール街を占拠せよ」運動から見えてくるアメリカ

2011年10月27日 | 政治・経済・社会
   邦字新聞やTV報道では見えて来ない「ウォール街を占拠せよ」運動について、WSJの電子版にちらちら載る記事から、少しずつ、アメリカの変質が見えて来て興味深い。
   やはり、サブプライム問題に端を発したリーマン・ブラザーズ・ショックで頂点に達した世界的金融危機の影響が、あまりにもアメリカの屋台骨を大きく揺さぶり過ぎたので、その後遺症でもあろうが、アメリカ社会が、丁度、大恐慌の時代に回帰したような状態となっている。
   特に、貧困と格差の問題が深刻な所為である。

   ここで思い出すのは、クルーグマンが、「格差はつくられた」で展開していた「大圧縮」論である。
   ”ルーズベルト時代のニューディール政策を、大恐慌からの経済浮揚改革と言う見方としてではなく、C.ゴールディンとR.マーゴが、1920年代から50年代のアメリカで起こった所得格差の縮小、つまり富裕層と労働者階層の格差、そして労働者間の賃金格差が大きく縮小したのを「大恐慌 THE GREAT DEPRESSION」と引っ掛けて「大圧縮 THE GREAT COMPRESSION」と呼んだのを引用して、ルーズベルトの福祉国家政策的な所得格差の縮小が社会と政治を質的に変化させ、1960年代初頭までの、比較的平等で民主的な中産階級社会を生み出した。”と言う見解である。
   現在の強者のみを利するアメリカ社会は、正に、共和党が意図的に築き上げたものだと詳細にその経緯を論じているが、逆に、この「大圧縮」は、政治改革によって、公平な所得分配を実現し、その過程でより健全な民主主義的な環境を作り上げることが出来るたのだから悲観することはないと説いていた。
   しかし、大きな時代の潮流の変わり目であった筈であり、チェンジに期待して鳴り物入りでアメリカ人が選出したオバマ大統領が、鳴かず飛ばずの期待外れで、完全に、「大圧縮」の期待が頓挫してしまったのである。

   現実には、貧困率で、2010年の公式貧困率(4人家族で所得が2万2314ドル(172万円)を割り込む世帯の構成人数の人口比)は15.1%に達しており、貧困者は数で見ると4600万人で、健康保険を持っていない人が、4900万人と言う高さで、歴史上最悪の格差社会になってしまって、最貧層は、現実に生きて行くのがやっとだと言う。
   逆に、最富裕層の1%が、全体所得の25%を得て、富の40%を支配しており、この極端な格差が、「我々は99%」と言う今日の全世界的なデモの原点となっている。
   「大圧縮」どころか、オバマ大統領の説くささやかな雇用創出政策さえ実現できなければ、アメリカ社会そのものが、崩壊の危機に瀕せざるを得ない、と言った状態であるにも拘わらず、保守派の金持ち優遇政策固守が頑強で、国論が真っ二つに割れたままで、進むに進めない状態が続いている。

   さて、WSJの記事で、4年制大卒の就職について語っていて、”米国の労働者を勝ち組と負け組みに分けるとすれば、4年生大学を出た計30%の人間が勝ち組に入るようにみえる。まず彼らには職がある。高卒労働者の失業率が9.7%なのに対し、四大卒のそれは4.2%だ。給料もいい。高卒と比べ65%給料が高い。
   しかし、四大卒の白人男性の80%が米国は間違った方向に進んでいると考えている。共和党と民主党は足の引っ張り合いをして、協力して物事を進めようという姿勢が感じられない。両党ともその責めを負うべきだ。と言う。
   大卒者が世帯主の家庭の税引き前給料は、1999年に9万9431ドルでピークを付けた後は下がり続け、2010年はピークより9%少ない9万0636ドルで、四大卒の学歴はもはや、安定した給料の上昇やアメリカン・ドリームの達成を保証するものではなくなった。この事実が米国経済はもはや大半の米国民には役立たないとの見方を広めるのに手を貸しており、この自信喪失が社会を蝕むことは避けられない。と言うのである。

   ところが、興味深いのは、「我々は99%」というスローガンを掲げた貧富格差抗議デモに異論を唱え、「私たちは53%」と主張する層がネットで支持を広げている。
   53%は、米国で連邦所得税を払っている納税者の割合を示す数字で、抗議デモの99%とは一線を画したいとの意向から、ブログやツイッターで声を上げ、個人の責任や労働倫理を説いている。と言うのである。
   米国人の大部分が制度の犠牲になっているという抗議デモの主張に反論して、「99%に欠けているのは自己責任の要素だ」「自分の運命の責任は自分にある」「私が成功しても失敗しても、原因は自分だ」と言うのだが、生きるか死ぬか、危機線上に追い込まれた路上生活者が、増加の一途を辿っていると言う現実を、どう見るのであろうか。

   大学を卒業し、その奨学金ローンもきちんと返済するというアメリカの標準モデルを体現する集団である四大卒達が、共和党も民主党も信用せず、自身および国全体の経済的将来に不安を抱いていること自体が、社会的に大問題だ。 と言うのが、David Wessel 記者の言だが、アメリカの良心とも言うべき公序良俗とアメリカン・ドリームの担い手であった中核グループの離反は、アメリカ民主主義と資本主義の最大の危機かも知れないと言う気がする。
   職につけなくて、奨学金を返せなくなり、夢も希望も失いつつあると言うのである。
   ジャパニーズ・ドリームなどには縁のなかった日本の若者たちは、もっと不幸だが、なまじ、ドリームが生き続けていたばかりに、アメリカの若者たちの反逆は、もっと、凄まじいのかも知れない。
      
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リアル本屋か、ネット書店か?

2011年10月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   このタイトルは、「くらべる一面」に掲載されていた元読売新聞芸能部長 西島雄造氏のコラムで、活字本の落日へのオマージュとも言うべき興味深いエッセイで、アマゾンが、日本でキンドルを発売すると言う話題とも考え合わせれば、悲しいことかも知れないけれど、楽天などに駆逐されつつある現在の多くのリアルショップの凋落と同じで、デジタル革命の当然の帰結であろう。
   それに、色々な機関が、膨大な書物や論文などを、どんどんデジタル化して、インターネットで自由にアクセスできる時代になったのだから、ある意味では、本など買う必要がなくなりつつあるのである。

   神田神保町の古書街では、「人間の英知・知性を誇りたくなる古今東西の名著・良書が、悲しくなるほどの廉価で売られている。」と書いているが、それは、多少大袈裟だとしても、私が若い頃には手が出せなかったような高度で高い書物でも、二束三文で売られているのを見ても、その嘆きは分かる。
   変わったところでは、新刊本を10%引きで売っていた書店が、いつの間にか、完全に古書店に変ってしまっていたことくらいだが、確かに、古書の値段が下がって来ており、新古書も、すぐに、値下げして店頭に並ぶようになってきている。
   私など、最新刊の新古書(古書店で売っている新刊書)を目がけて、神保町に行くことが多いので、所謂、古本には、殆ど興味がないのだが、神保町を歩いていて、気付くのは、やはり、古書店での客は限られており、大半の客は、三省堂などの大型の新刊書店に集まっているような感じがする。

   新刊本が売れているのか売れていないのか分からないが、コンビニなどの雑誌売り場と違って、立ち読み客ばかりではなく、仕事の暇を見て、買い溜めして行く客もかなりいて、本好きな人は、結構いるように思うのだが、上階に上がると客数はグンと少なくなる。
   西島さんは、「電車で読書している人の本の背表紙を見ると、図書館から借りたものが少なくない。財布の余裕、蔵書を増やせない居住環境の問題などもあるだろう。」と書いているが、これは、私の知人にもいるが、本を読みたいが、買ってまでして読みたくない、特別な本なら別だがどうせ読み飛ばすのだから買うのは勿体ないと言うことであろう。
   最近、私の良く買う経済や経営関係の本では、大体、2~3000円台に値上がりして来ているが、それでも、知的満足を味わえると思うと、随分安いのだが、人夫々で、この人たちは、本への支出は抑えたいのであろう。
   私は、人の読んだ本を読むなどと言う気持ちには全くなれないので、図書館にも行かないし、飛ばし読みの場合は別として、大体、気が付けば、小説でも、付箋を貼ったり書き込んだりしているので、高くても自分で買った自分の本でないと都合が悪いのである。

   さて、最近、タブレットや電子書籍の進化で、e-bookが非常に便利になったようだが、今のところ、使うつもりはないが、キンドルが出れば、試みて見ようかと思っている。
   以前、クルーグマンが、来日時に重宝していると言っていたのだが、必要な時に、瞬時に、その本や資料を、アップツーデートに取得できて読めると言うのは、大変な利点である。
   最近では、欧米の専門書などは、日本語の翻訳本より、アマゾンで買えば原書の方が随分安くて早く手に入るので、本によっては、原書に切り替えて読んでいるのだが、これが結構便利なのである。

   さて、私の書棚だが、本が増え過ぎて、体をなしていない。
   新しく買った本を、どんどん積み重ねて行くのだが、書き物をする時に、古い本を引っ張り出して参照しているので、新旧取り混ぜて、狭い机の上は、ぐちゃぐちゃになる。
   本棚に整理できれば、必要な本を探すのは容易であろうが(実際には、そんなに簡単ではない)、あっちこっちの書棚は、既に満杯。とにかく、足元に、背表紙さえ見えない程の積読であるから、目的の本に行き着くのが、また、大変であるが、それも、日常茶飯事なので、諦めている。
   こんな調子であるから、私の場合は、リアル本屋か、ネット書店かと聞かれれば、活字本主体であって、電子ブックには馴染まないであろうけれど、本を買うのは、本屋とネットショッピングが半々と言うところであろうと思う。
   紙媒体の活字本に対する限りなき愛は、私にとっては、青春時代の甘酸っぱい想いと共に永遠なのかも知れない。

   活字本が、e-bookに変り、リアル本屋が、ネット書店に蚕食されて行くのだから、既存の書店は、ダブルパンチで、駆逐されて窮地に追い込まれ、デジタル化で、本そのものが、どんどん、安くなって行くのだから、物書きは、益々、生活が苦しくなるのは、時代の流れであろう。

   ところで、余談だが、コンサルタントの仕事や講演の仕事で、本や学術論文があるかどうかを聞かれて、本を出せとしきりに言われることがある。
   今更、本でもないし、その才能があるとは思えない。私自身は、このブログで、結構、学術的な論文を意図した文章も書いているし、今回も、講演に際して、このブログを適当に編集してテキストに使おうと思っている。
   それに、グーグルの検索でも、多くの方々に読んで頂いているお蔭で、専門分野でも項目によっては、トップや上位にランクされていたり、結構、あっちこっちで引用されたりしているので、それなりの貢献をしているのだと思っている。
   ICT革命で、インターネットの時代であるから、活字媒体の論文や本でなくても、ブログで十分だと、勝手に去勢を張っているのだが、全くの素人が書く文章を、皆さまに読んで頂けると言う幸福も、やはり、デジタル革命あったればこそであり、有難いことだと思っている。
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わが庭の歳時記・・・バラの植え替え

2011年10月24日 | わが庭の歳時記
   気付かなかったのだが、もう、30年近く庭に植えてあった深紅のバラの木が、枯れていて、葉が完全に黄化してしまっている。
   株もとは、直径4~5センチにもなる大株で、自然に伸ばせば、4メートル以上にもなった筈だが、金木犀が木を覆った時には、その間を突き抜けて、はるか頭上に花を咲かせていた。
   最初、門被りの槇の木から少し距離を置いて、垣根の境界近くに植えた時には、殆ど木が植わっていなくて空間があったのだが、その内、周りに木が密集し始めたので、日当たりを良くするために、どんどん伸ばした。
   リンカーンだったか、バラの名前を忘れてしまったのだが、何本も庭植えしたバラの木で、唯一、残っていたバラだったが、根元がスカスカになって朽ちてしまっていた。
   初夏に、綺麗な花を咲かせていたので、急に枯れてしまったのが不思議である。

   バラにも、嫌地があるので、同じところに、また、バラを植えるのは良くないのだが、他の所に余裕がないので、土を入れ替えて、別なバラを植えることにした。
   今度は、前のようなハイブリッド・ティではなくて、数が増えたイングリッシュ・ローズを1本選んで植えることにした。
   垣根伝いに、多少枝を伸ばしてツルバラ状に仕立てたいと思ったので、既に、穂先が2メートル以上伸びた枝が1本あるガートルド・ジェキルに決めて、植え替えた。
   以前植わっていた場所に、土を入れ替えるだけで植えるのであるから、至って簡単である。
   枝の横への誘引は、まだ、枝が硬いので、柔らかくなる年末にしようと思っている。
   今度は、既に大きくなり過ぎた金木犀は、伐採して、周りの木も間引いたので、十分に陽の光は当たるので、来年春には、綺麗な花を咲かせたいと思っている。

   黒椿が枯れた後に、鹿児島紅梅の苗木を植えた。
   初春に園芸店で買った時には、綺麗な濃いピンクの小さな花をびっしりと付けていて、その後、一つだけ梅の実が出来たのだが、まだ、1メートル少しの背丈しかないので、華やかに咲くのは、まだ先のことであろう。
   しかし、成長が早くて虫がつく桜よりは、梅の方が小さな庭には良く、それに、清楚な感じが何よりも好ましい。
   昨年、豊後梅の苗木を植えたのだが、私の庭には、千葉に移って来てからこの家を建てて、最初に植えたピンクの八重咲きの枝垂れ梅があり、既に、背丈が3メートル以上になり、庭の一角の主木になっていて、春になると優雅に羽を広げた鶴のように美しく咲く。

   もう一本庭植えしたのは、酔芙蓉である。
   これも、大きくなり過ぎたヤマモモの木を伐採して、太い幹から沢山芽が葺き出したのだが、うるさいのでトリミングして、その空間に植えたのである。
   夏には、サルスベリと朝顔くらいで、花が少なくなって、私の庭は寂しくなるので、丁度良いと思ったのだが、この花は、最初は白いのだが、次第に酔ったように赤く色が変わるので、酔芙蓉と言うらしい。

   椿は勿論のこと、モミジやバラ、山吹、その他、沢山の苗木や鉢植えがあるのだが、如何せん、庭には、植え過ぎて沢山の花木が密集しているので、植え替えられないのが残念である。

   芝刈り機が錆び付いて、動かなくなったので、電動式の円盤状の歯が回転する草刈り機を買って来て使ってみた。
   これまでは、手押し式の芝刈り機だったので、高さえ調節して置けば、刈った芝の長さは一定していたのだが、今度は、目星をつけて草を刈るので、地面を削ったり、とにかく、手元が狂うとトラ刈りになってしまう。
   それに、大きな音がしてうるさいのだが、手っ取り早く刈れるので助かる。

   鉢の置き場所を移動したり、暑くて出来なかった庭の片付けなどをしたのだが、少し時間をかけて、冬支度を始めたいと思っている。
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燃える北アフリカ・中東のイスラム世界

2011年10月23日 | 政治・経済・社会
   チュニジアに端を発した北アフリカと中近東のイスラム世界の民主化の波は、とうとう、カダフィの暗殺と言う大詰めを迎えて、終局に向かいつつある。
   また、オバマ米大統領が、21日ホワイトハウスで記者会見し、イラク駐留軍を年末までに完全撤退させ、イラク戦争を終結させると発表した。
   イスラム世界に対する欧米先進国の反発なり嫌悪感は、9・11を頂点にして、ウサーマ・ビン=ラーディンを精神的指導者としたアルカイダ、すなわち、イスラーム主義(イスラーム原理主義)と反米・反ユダヤを標榜するスンニ派ムスリムによるイスラーム過激派国際ネットワークへの恐怖と対峙したヒステリックな反イスラム運動と、民衆を抑圧し続けた専制的独裁者への反発が呼応して、激しい文明の衝突が展開されて来た。
   そして、ムスリムの台頭に反発したノルウエーのナチズムによる連続テロ事件が、ヨーロッパ諸国で頻発するムスリム移民との摩擦を象徴しているように、今や、キリスト教徒を主体とした欧米とイスラム教徒との文明の衝突が、冷戦終結後の、前世紀末から今世紀初頭の最大の歴史的事件となっている。

   ブッシュ大統領は、大量破壊兵器で世界を恐怖に陥れているとしてフセイン・イラクに戦争を挑み、イラクの民主主義化を標榜して無意味な殺戮を続けたが、あの戦争にしても、現在のアフガニスタンでの民主化運動にしても、私たちは、殆ど、欧米のメディアや政府の情報、或いは、欧米の文献や資料、そして、それに影響された日本の報道や情報でしか、知り得ないのであるが、果たして、本当に、これらが、客観的でフェアな情報であり知識であるのか、私自身は、いつも疑問に思っている。
   歴史を振り返ってみれば、勝てば官軍負ければ賊軍で、支配的な勢力が総て自分たちを正当化するために、世論を操作し、歴史の真実を塗り替え書き換えて来ていることからも、この疑問がそれ程間違っているとは思えないのである。

   中世と呼ばれている西洋文明の暗黒時代は、西ローマ帝国が崩壊した紀元476年から、コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年までだが、この間、世界を制覇し、文化文明の頂点を極めていたのはイスラム(そして、元等の中国)であり、ギリシャ文明や高度なオリエント文明を継承し、イタリア・ルネサンスを触発したのも、イスラム文化文明であることは、周知の事実であり、今でこそ、あたかも欧米の白人文化と政治経済社会体制によって世界秩序が維持されている様相を呈しているのだが、当時は、イスラムの足元にも及ばなかったのである。
   このあたりの話などは、塩野七生さんの「ローマ亡きあとの地中海世界」などを読めば面白いが、あの大航海時代の後も、相当長い間、イスラムの歴史上での影響力は強く残っていた。
   それに、中国とインドのアジア大国の経済力は、19世紀の半ばまで、世界の過半を占めていたことも歴史上の事実であり、今日の中印などBRIC'sの台頭は、今世紀に置いて、世界的支配の趨勢が、再びアジアに逆転する傾向であると考えられているのも、故なしとしないのである。

   私は、西欧とイスラム文化の融合の姿を見たのは、まず、最初に、グラナダのアルハンブラ宮殿で、あの歴史遺産の素晴らしさは、正に、感動の一語に尽き、その後、コルドバで見たメスキータであり、流石のスペインのキリスト教文明も、イスラムの文化の粋を結集した宮殿やモスクを破壊できずに、自分たちの宮殿や境界を付加せざるを得なかったのであろう。

   ここで、北アフリカや中近東の春を迎えたイスラム諸国の再建について偉そうな口を叩くつもりはないが、一つだけ言いたいのは、どの国にも、その固有の文化文明と長い歴史によって培われた国民精神とか価値観なり貴重な精神的財産がある筈なので、イラクでアメリカが行ったような手前勝手なアメリカ型民主主義の押し売りなどは、絶対にすべきではないと思っている。
   マッカーサーが、修身・日本史・地理の授業の停止を命じて教科書を回収したと言った暴挙で、日本人に対して、日本人の依って立つ道徳的規範や、日本自身の歴史と国土に関する日本人にとって最も重要な教育をないがしろにしたのだが、これなどは、文明国日本に対する絶対に許せない最大の侮辱であり、こんなことが、春を迎えたイスラム国家に対して、西欧先進国によって、絶対になされてはならないと思っている。
   私自身は、アメリカで大学院教育を受け、欧米等で長年住んで、欧米の文化文明の素晴らしさとその恩恵を十分に受けており、現在の自由主義的民主主義を認めてはいるが、どのような歴史段階にあり、どのような地域に存在しようとも、その国固有の文化文明、歴史、価値観等を尊重すべきだと思っている。
   
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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(17) 燃えるエネルギー その2

2011年10月21日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   ブラジルは、アメリカと並んで世界屈指のエタノール大国であるが、最初は、嘲りや失敗すると言われ続けながらも、ものともせずに、無視して挑戦した科学者や政府の役人がいたからこその成功である。
   それに、ブラジル最古の栽培植物であるサトウキビを500年間も育て続けていたお蔭で、このサトウキビをエタノールに転用する技術を開発して、21世紀に必須となる再生エネルギーのスーパーパワーとなったとローターは言う。
   エタノールは、ビールやワインと同じ発酵なので、色々な植物のセルロースから生産可能であるが、サトウキビは、アメリカのエタノールの原料であるトウモロコシよりも、はるかに効率が良く、それに、生産コストや土地代の安さが貢献して、他国よりも、競争力がある。

   エタノールは、単位当たりの走行距離は、ガソリンには劣るが、オクタン価が高く、再生可能であり、何よりも、地球温暖化に優しいのが利点である。
   ブラジルが、エタノール開発を決心したのは、1973年に勃発したイスラエル・アラブ戦争の結果、石油が一挙に高騰したオイル・ショックのために、繁栄を謳歌していた「ブラジルの奇跡」が、失速して窮地に立った時である。
   私は、オイル・ショックは、アメリカ留学中に経験したのだが、その翌年、まだ、余燼が残っていたブームのブラジルに赴任したので、ブラジル経済の混乱ぶりは具に知っている。

   当時、エネルギー対策として、ブラジルが考えていたのは、原子力発電で、1975年に、ドイツと契約を締結して2000年までに7つの原発をリオ近郊の海岸線に建設することだったが、実際には、2010年までに2基が完了しただけだと言う。
   一方、ブラジルの軍事政権は、1975年に、Pro-Alcool計画を打ち上げて、砂糖産業に補助金を支給して、更に、自分たちの生産する車につかえるような新しい燃料が生産されるまで、エタノールで走るエンジン装備の車の生産を渋っていた、大手の自動車会社にも、同様のインセンティブを与えて尻を叩いた。

   砂糖産業にしても、大量にエタノールを作って売れ残れば、致命的なダメッジで、正に、鶏が先か卵が確かのチキンレースであったが、1980年半ばには、主にサンパウロだが、新車80万台の内、75%の車が、エタノール・エンジンを搭載して走り始めたのである。
   私自身、この頃、サンパウロに出張して、エタノール・タクシーに乗ったが、全く違和感がなかったのを覚えている。

   ところが、面白いのは、1989年に、世界的な砂糖の需要拡大で、一挙に砂糖価格が高騰したので、砂糖農家は、エタノール生産を縮小して、外貨獲得のために砂糖生産に切り替えたので、エタノールが不足して、自動車会社も、エタノール車をガソリン・エンジン車に切り替え始めたのである。
   農家は、生産段階で、砂糖にもエタノールにも切換自由なのだが、そこは、資本主義の市場経済であるから、この混乱はしばらく続いたのだが、2003年に、ガソリンでもエタノールでも、どちらの燃料でも走る車「フレックス・カー」をフォルクス・ワーゲンが開発したので、一挙に問題が解決した。
   消費者は、スタンドで、どちらでも安い方を選んで給油すれば良いのであるが、現在売られているガソリンにも、25%エタノールが混入されていると言う。

   このフレックス車の登場で、ブラジルの自動車産業は活況を呈して、輸出も拡大し、今や、フランスを抜いて、世界第5位の自動車生産国となった。
   しかし、破竹の勢いである筈のブラジルのエタノールの輸出が振るわないのは、単純な経済的政治的な理由で、アメリカやEUの強い自国農業保護政策の為で、それを見越して、ブラジルが喉から手が出るほど欲しがっている外資が逡巡して投資して来ないのだと言う。

   もう一つ問題なのは、世界の環境団体が、ブラジルのエタノール生産が増大すれば、貴重なアマゾンの自然環境の破壊に繋がると懸念しており、また、人権団体が、植民地時代に逆戻りするような劣悪な労働環境を助長することになると反対運動を展開していることである。
   しかし、現在では、サトウキビの処理は、オートメーション化されており、アマゾンは、トウモロコシ生産には不向きで、大半サンパウロ近辺で生産されている言うことだが、エタノールか砂糖かと言うエネルギーと食との争いも含めて、如何せん、世界世論の抵抗は厳しい。

   それよりも、先に論じたように、ブラジルが、プレサルの膨大な油田の発見で、殆ど、エネルギー問題は解決済みと言う認識で、プレサルの開発に関心が行ってしまって、エタノールの影が薄くなってきたのも事実である。

   しかし、エタノール車の開発とフレックス車の開発は、一種の自動車のハイブリッドたるイノベーションであって、今後、新興国発のリバース・イノベーションの一種として、グローバル・ベースで展開される可能性も大であろうと思う。
   やれば、どうにかなると言う楽天的なブラジル精神の発露である。
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西田宗千佳著「世界で勝てるデジタル家電」

2011年10月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   一世を風靡したイノベーター・スティブ・ジョブズが亡くなって間もないのだが、何故、日本のデジタル家電メーカーが、アップルを越えられないのか、ジョブズがやったことは、ソニーがやったウォークマン革命と同じなのに、何故、そのイノベーションの火が消えてしまったのか、そんな思いで、この「世界で勝てるデジタル家電」を手にした。
   著者は、冒頭から、iPodは何故すごいのかとと言うテーマから、日本家電の問題点を掘り起こして、世界のモノづくりのルールが変わったのであるから、もう、通用しなくなって勝ち目のなくなった従来のメイドインジャパンのやり方を止めて、日本企業自らが、世界で売れるルール作りを始めろと説く。
   例えば、アップルの場合には、故障しても修理などしないのだが、今や、超・量産と「新品交換」のモノづくりのルールが世界を席巻しているのだと言うのである。

   このことは、確かに最近ではパーツのコストよりサポートのコストの方が手間暇掛かって高くつくであろうし、詰まらぬクレームの対象となってトラブルを起すであろうし、何百万台も売れる大量生産品であれば、何万台新品と交換しても、コスト的には誤差範囲内で済み、何よりも顧客満足度が向上する。
   それに、組み立ては、ビスやネジなど使わずに、「ハメ込み」が基本とかで、何十万人もの労働者が悪条件で働く中国の「鴻海」で徹底的にコスト削減で生産して、「高付加価値」と「低価格」であり、消費者が、安く買えて、動作が軽くて便利であり、それに、美しいと、販売を待ち焦がれて殺到して買うのであるから、日本のメーカーには勝ち目がないと言うことであろうか。

   私が興味を感じたのは、日本の業界関係者の言うアップルの製品について、良く出来ているが特別なことはなく、同じような製品はすぐ作れると言うのだが、iPadと同等以下の価格で、iPadほどの完成度のものを作るのは意外に難しいのだと言うことである。
   それに、驚くべきことに、アップルは、高度なOSや優れた操作性、音楽や映像、アプリケーション、書籍など魅力的な配信事業を武器にして、ハードウエアの魅力を高めて、優れたハードウエアを大量に売ることを本質的なビジネスモデルとしていて、この低価格の機器を量産して、高い利益率で売ると言うシステム、すなわち、ハードウエアの売り上げで利益の大半を叩き出しているのである。
   
   このことは、これまでのビジネスの常識であったコスト競争に勝つことが利益の源泉だと言う常識が生きていると言うことを意味しているのだが、しかし、その商品が、ブルーオーシャン市場を席巻した無競争の製品であり、断トツの魅力と価格競争力を持っていなければならないことをも意味していて、これこそが、著者の言うルールの変更であろう。
   OSの魅力やソフトウエアやサービス分野でのイノベーションが、アップルの成功の秘密だと言われているのだが、それもこれも、大量生産で利益を追求しようと言うビジネス戦略の一環であり、それが、消費者の熱狂的な称賛を受けて利益につながったのであるから、正に、創造的破壊、イノベーションの鑑である。

   今日の日経夕刊で、「パナソニック、最終赤字に 今期 テレビ事業1200億円損失」と言う記事が載っていて、最新鋭のプラズマパネル工場の尼崎第3工場を今期中に稼働停止するのだと報じていた。
   馬車馬のように持続的イノベーションに邁進しながらも、年率20%と言う価格破壊に翻弄されて、どこの会社も似たり寄ったりの何の差別化もないようなテレビを作っておれば、新興国メーカーの餌食になるだけであって、当然の帰結だが、前に、ソニーの所でも書いたが、もう、日本企業は、今やコモディティの最たるテレビ製造など止めて、その資金で、どこかの安全な国の国債でも買った方がましだと思っている。

   テレビの質はどんどん良くなっていると言うのだが、私の新しいビエラも、5年前に買ったビエラも、見ていてそれ程違うと思えない。大体、いくら機能が向上しても、より使い易くならなければ、無意味なのである。
   鳴り物入りで喧伝された3DTVも、放映やソフト不足などシステムとしての未熟故に、鳴かず飛ばずで、いつも書いているように、日本企業の行っているテクノロジーの深追いで、いくら、テレビの質の向上に邁進して持続的イノベーションを追及して見ても、既に、はるかに消費者の要求度を超えてしまって消費者がそれに対価を払わなくなっており、後は、情け容赦のない凄惨な価格競争だけの世界での競争であるから、利益など期待できる筈がない。
   昔、キヤノンの御手洗さんが、パソコンの生産量が低いので採算ベースに乗る筈がないとして撤退したと語っていたが、生産量が、断トツのトップか、アップルのように、破壊的イノベーションを興してブルーオーシャン市場を開拓するか、その能力がなければ、総合総合と言わずに、事業を見直して、ジャック・ウェルチのように1位か2位でなければ撤退した様に、赤字になるような事業は、利益基調への回復は困難であろうから、さっさと切ってしまって、戦略を立て直した方が良いのではないかと思う。
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京成バラ園~秋バラ咲き乱れる

2011年10月19日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   八千代台にある京成バラ園のバラが満開である。
   と言うよりも、少し、盛りが済んだところと言うべきか、殆どの花が、花弁が巻き上がっていて、咲きはじめの蕾が少なく、一輪一輪、綺麗な花を狙って写真を写そうと思えば、多少苦労すると言う雰囲気である。
   当然、四季咲きの花しか咲いていないので、咲いている花は、ハイブリッド・ティやフロリパンダ系の派手で華やかな花が多く、一期咲きの野ばらやオールドローズ、それに、イングリッシュローズやフレンチローズなどは、ちらほら程度で、殆ど咲いていない。
   春には豪華に庭園を飾る、樹齢40年だと言うバラの大アーチや、トピアリー風の植栽などには花がないのが寂しいが、四季咲きに改良されたモダンローズ系でなければ、やはり、無理なので仕方がない。
   やはり、本当に豪華で華やかなバラの乱舞を楽しむのは、温かくなり始めて、一気に咲きそろう晩春から初夏にかけてである。

   春の満開の時には、私は、どうしても、イングリッシュローズの植わっているやや高台になったバラの丘で時間を過ごすのだが、今回は、花が咲いている真ん中のハイブリッド・ティやフロリパンダの群稙されている整形式庭園で過ごした。
   ところどころ、迷路のようなところに入り込めるのだが、ここに植えられている株の殆どは、人の背丈より少し高いくらいなので、花の大半は目線かそれ以上の所に咲いていて、写真が撮り難い。
   しかし、芳香性の強いバラの花などに近づくと、甘い花の香りを楽しむことが出来る。
   この京成バラ園の良いところは、殆どの所で、バラの木に直接触れるほど花に近づくことが出来ることである。

   当然のことだが、私の庭のバラのように、黒星病などにやられているような木はないのだが、その分、蝶やトンボなどの昆虫を見かけることがないので、どこか、隔離された無味乾燥の世界のような感じが、ふっと、することがある。
   今回も、株もとにしゃがみこんで、草取りをしている職人さんがいたが、肥料を沢山必要とし、病虫害に弱いバラの栽培は大変なのである。

   どんよりと雲空の日で、少し寒い感じの午後であったが、結構、バラ見物のお客さんが訪れていて、苗木やガーデニング用品などを販売しているガーデンセンターも、まずまずの入りである。
   バラ園だから当然だが、広大なバラ売場があって、沢山の種類の苗木や鉢花がディスプレイされていて、この方も花が咲き乱れていて綺麗である。
   小一時間ほど、秋バラの香りを楽しんで、庭園を離れたが、来週、陽が照って明るくなった時に、もう一度訪れようと思っている。
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都響定期Aシリーズ・・・村治佳織の「アランフェス協奏曲」

2011年10月18日 | クラシック音楽・オペラ
   都響の定期、カザフスタンのアラン・ブリバエフの指揮で、村治佳織がロドリーゴの「アランフェス協奏曲」を弾いた。
   この曲に対する私自身の思い入もあるのだろうが、非常に素晴らしい感激的な時間を過ごさせて貰った。
   村治佳織のギターは、今までに、一度リサイタルを聞いただけだが、何度か他のメディアでも聞く機会があり、その情感豊かな演奏に感激している。

   このアランフェス協奏曲については、ロンドンで一度演奏会で聴いたくらいで、私の思い出の殆どは、若い頃、ナルシソ・イエペスのレコードの演奏を何度も聞いて、まだ見ぬスペインに憧れていた。
   セゴビアのリサイタルに出かけたような記憶があるのだが、定かではないけれど、やはり、禁じられた遊びや「アルハンブラ宮殿の思い出」などと言ったポピュラーな曲を通してしか、ギターに親しむ機会はなかった。

   私は、クラシック音楽を聴く時には、何故か、その音楽の生まれた国の情景を思い出しながら聞くことが多い。
   尤も、行ったことのない国、例えば、空港しか知らないロシアなどは、上空から見たシベリアなどの印象だったりするのだが、感激すると、頭の中を走馬灯のように、異国の風景が駆け巡る。

   このアランフェス協奏曲は、ロドリーゴが、マドリッドの南方の王家の離宮のある風光明媚な古都アランフェスの情景を基に着想を得て作曲したのだと言う。
   作曲当時、内戦で荒廃した国土の悲惨さを思い、スペインの平和を希求して作曲したと言われているのだが、曲の核心部分の緩徐楽章には、不幸にも初子を流産した悲しみと妻への慰め思いが込められていると言うから、切々と語りかけるような実に優しいギターの音色が感動的である。
   私など、第二楽章のアダージョの冒頭を聞くだけで、涙が出るほど感激する。

   私がスペインに初めて行ったのは、もう、40年近くも前のことで、マドリッドやトレドよりも、アルハンブラ宮殿のあるグラナダに感激して、あの宮殿で長い時間を過ごした。
   当時は、観光客も少なくて、シーンと静まりかえった宮殿を心行くまで楽しむことが出来たが、その後、二度出かけたが、そんな幸せな時間はもうなかった。
   洞窟で聞いたジプシーのフラメンコの哀愁を帯びた音色も忘れられない。
   セビリア、コルドバ、バルセロナ、セゴビア、サラマンカと少しずつスペインの思い出は広がって行ったが、ドン・キホーテやカルメンの世界そのままのスペインを感じたりしたのだが、風土そのものもそうだが、やはり、長い間、イスラムに支配されていた歴史と文化の融合の所為か、他のヨーロッパの国、同じラテンのフランスとも違った独特の雰囲気があり、それが、スペインの魅力でもあった。
   ブラジルの調査にために、あの大航海時代のポルトガルとスペインの歴史を調べ始めたのだが、勉強すればするほど、魅力的な国である。

   村治佳織は、満場の熱烈な拍手に応えて、アンコールにローラン・ディアンスの「タンゴ・アン・スカイ」を演奏した。
   これが実に素晴らしい演奏であった。
   チュニジア出身のフラン人の作曲だと言うことで、インターネットの蚊帳吊りウサギ訳 からの引用だが、”マニキュアをしたように飾り立てるのではなく、ブエノスアイレスのはずれの粗野な悪の街に、自らの心を解き放つ方が、よほどこの曲にふさわしい。 このタンゴは、一種の洒落。そのタイトルからわかるように、イミテーションだ。”と言っている。

   ところで、この日の定期公演のプログラムは、グリンカ:スペイン序曲第1番「ホタ・アラゴサーネによる華麗な奇想曲」と、スクリュアーピン:「交響曲第2番ハ短調作品29」。
   スクリャーピンは初めて聞く曲だったが、若さ溢れるブリバエフのエネルギッシュでダイナミックな演奏を存分に楽しませて貰った。
 
(追記)口絵写真は、チラシからの転写

   
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ニッコール・クラブ撮影会・・・清水公園

2011年10月16日 | 生活随想・趣味
   恒例のニッコール・クラブの撮影会が、千葉北部野田の清水公園で行われたので、出かけた。
   朝はどんよりとした曇り空だったが、昼前から日が差し始めて、日中には30度近くも気温が上がって、戸外を歩き回るのには、かなりきつかった。
   ペットボトルで、水分をいくら補給しても、流れるような汗で、また、すぐに喉が乾いてしまう。
   しかし、参加者の大半は、還暦を過ぎたおじいさん方だと思うのだが、皆さん、至って元気である。

   私は、別に、コンテスト用の写真を撮ろうとか、傑作をものそうなどと言った気持ちは全くなく、綺麗でチャーミングなモデルにカメラを向けられるのが楽しみで行くのだが、何故か、多少はプロの作品に似た写真が撮れるような気がしてくるのが、不思議なのである。
   セミプロ級の人々も来ていて、中には、何台ものカメラや沢山の交換レンズを用意して重装備で来ている人も、沢山いるのだが、私などは、75-300ミリの望遠レンズを着けた一眼レジカメ1台で、露出補正をするくらいはするが、後はプログラムオートでカメラ任せで撮り続けている。
   沢山の素人カメラマンが犇めき合ってカメラの放列をしいて、モデルに対しているのだから、正に戦場で、何よりも、軽くてフットワークの良いのだ一番なのである。

   私は、モデルの表情の変化に興味を持っていてシャッターを切っているので、クローズアップが多いのだが、目線があっていなくても、モデルが美しい表情をしたり、綺麗なアングルになると写している。
   最近のデジカメは非常に便利で、思い通りのチャンスに正確な条件で作画してくれるし、それに、心配なら、シャッターボタンを押し続けていれば、連写してくれて、その中から選べば良い。
   
   モデルさんは、日本人と白人が半々で、10人来ていて、5人の先生が2人ずつ担当するのだが、今回外人は、ロシアとウクライナの出身で、スラブ系で色が抜けるように白い。
   これまでより、先生方が、かなり丁寧に指示を与えてくれたり指導したりするようになった感じで、モデルさんたちも、バリエーションに富んだ豊かな表情やポーズを自分自身で編み出すと言うかプロ意識を発揮していて面白かった。

   私は、特に、特定の先生を目指して撮影会に来ている訳ではないので、公園のあっちこっちで、モデルの周りに囲いが出来ているので、それを追っかけて、次々と、ハシゴしながら、列に加わってシャッターを切っていた。
   それに、私自身、花の写真にも興味があるので、色とりどりに綺麗に咲いている花に、レンズを向けたりしているので、結構、楽しみながら時間を潰せる。
   コスモスが満開で美しかったが、バラは、殆ど咲き切ってしまって、既に、豊島園。
   池には、綺麗なハスの花が咲いており、既に、実が成って枯れ始めたハスもあった。

   今回、隣接する国の重要文化財になっている17世紀建造の「旧花野井家住宅」が、撮影場所に選ばれていて、ここで、撮影会が持たれた。
   この住宅は、野田市の広報によると、”流山市前ケ崎にあった花野井四郎氏の住宅を、昭和46年(1971)野田市が寄贈を受け清水公園の近くに移築したもので、17世紀後半のものと推定される住宅。花野井家は、江戸時代幕府直轄の牧を管理する牧士を代々努めていた。時折茅葺き屋根(かやぶきやね)の保護のために薪を燃して燻している。”
   桁行15.5m、梁間9.1m、平屋で、屋根は寄棟造、茅葺。
正面左側が土間でカマドなどがあって、中央に囲炉裏付きの広い板敷の居間、その周りに5つの居室がある。
   モデルさんが、茅葺の古風な門や庭、ずっしりと年輪を感じさせる黒ずんだ玄関口や縁側、中に入って連子窓から顔を覗かせるなどポーズを取ってくれるのを、カメラマンが追っかける。
   私は、写真を撮るのと、重要文化財の観察が半々で、期せずして、良い勉強になった。

   帰宅して、撮った写真をパソコンに取り込んで見たのだが、かなりの出来で満足している。
   ブログなどへの掲載も禁止されているので、口絵写真は、オープニングのシーンである。
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十月花形歌舞伎・・・獅童の「江戸ッ子繁昌記」

2011年10月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   古典歌舞伎と全く違った雰囲気の今様歌舞伎は面白い。
   新橋演舞場10月公演『芸術祭十月花形歌舞伎』の昼の部の最後は、『江戸ッ子繁昌記 御存知一心太助』で、中村獅童が叔父・萬屋錦之介の当り役、一心太助と徳川家光の二役を演じているのだが、非常に、スピード感のある、胸のすくような芝居をしていて楽しませてくれる。
   義理人情に厚く、粋な江戸ッ子、魚屋の一心太助が、江戸の魚河岸を舞台にして活躍する物語なのだが、今回は、暗殺の陰謀から家光を守るために、大久保彦左衛門(猿弥)から頼まれて、太助が、家光に瓜二つであることから、替え玉として江戸城に入り、逆に、家光が、魚屋となって裏長屋の太助の家に入り込むと言う、天と地ほども違う境遇の二人が、正に、ハチャメチャな生活を繰り広げるのだから、面白くない筈がない。

   私は、歌舞伎や芝居で見たことはないが、中村錦之助の一心太助の映画を見ているので、太助そのものの印象はあるので、そのつもりで見たが、獅童は、錦之助が、歌舞伎座で、この作品をやった時に、腰元の役で出たと言うし、憧れでもあろうから、満を持しての挑戦で、江戸っ子としての気風の良さに、替え玉として江戸城へ上がってからの庶民性と、家光としての威厳と風格を、器用に使い分けて、流石である。
   それに、太助の恋女房のお仲の亀治郎と、御台所の高麗蔵のベター・ハーフの掛け合いが実に上手くて絶妙で、夫との夫婦生活の味が滲み出ていて面白い。
   真夜中に叩き起こされて呼び出された太助が、急いで出て来たので足元がスウスウして寒いと言った台詞や、御台所が寝所を訪れてアタックするあたりなどに、一寸、お色気を差し挟むなど芸が細かいが、随所に、庶民の哀歓と、世間離れした雲の上の人との触れ合いをギャグ化してオブラートに包みこみ、エスプリとウイットを綯い交ぜにした軽妙な舞台運びとスピード感が実に良い。

   楽しかったのは、大久保彦左衛門の猿弥と、用人喜内の右近で、一寸間の抜けた軽妙洒脱でアドリブの利いた好々爺ぶりや庶民性の発露で、芝居に嵌り込んでしまって期せずして滲み出てくる味のある演技である。
   柳生十兵衛を演じた門之助、私が最初に注目したのは、もう20年ほど前の綺麗な芸者姿だったが、今回は、控え目だが、折り目正しい実に渋い演技が中々のものであった。
   そうなると、陰謀を企てて家光を暗殺して、忠長公を四代将軍に祭り上げようとしている鳥居甲斐守(愛之助)などの悪巧み組の古典歌舞伎風の役者たちの演技が、この太助たちの芝居の雰囲気とテンポに合わなくて、何となく野暮ったくなってくるのが不思議である。
   
   ところで、一心太助だが、実在の人物ではないらしく、大久保家で働いていた腰元お仲が、大切にしていた皿を1枚割って手討ちで殺されそうになるのを、一心太助が知って、彦左衛門の前で残りの皿7枚を割り、彦左衛門がお仲および一心太助を許すと言う伝説があり、この話は子供の頃に聞いて居たので知っている。
   一心太助は、その後お仲と結婚し、武家奉公をやめてお仲の実家の魚屋で働くこととなるので、今回の芝居は、その後日談である。
   魚屋となった太助は,江戸の諸方へ出入りをし,市井の情報やカレント・トピックスを聞き出し,レポーターよろしく彦左衛門に報告し,情報屋として懐刀と呼ばれて功があったと言う話もあり、面白い。
   遠山の金さんだとか松平健の将軍ものなどと良く似た世界でもあり、岡っ引きが活躍できたのも江戸時代で、江戸八百八町の情報網を髣髴とさせていて興味深い。

   私が、興味を感じた一点は、やはり、経済や経営を勉強している所為か、魚河岸のセリを否定して、一手に魚の仕入れを独占して、魚ビジネスを、独占統制下に置いてコントロールしようと、御上と図って画策する丹波屋の登場である。
   結局、庶民の生活を守るために、魚屋たちのセリによって魚の価格を市場ベースで決めて、魚ビジネスを維持すると言う家光の決断が下されるのだが、江戸時代の経済事情が垣間見えて興味深かった。

(追記)口絵写真は、歌舞伎美人より借用
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米韓FTAに合意、益々窮地に立つ日本

2011年10月14日 | 政治・経済・社会
   オバマ大統領と李明博大統領の会談や共同記者会見報道で、米韓のFTA合意が派手に喧伝されているが、TPP交渉でさえ煮え切らない日本を尻目に、急速に、太平洋を隔てた米韓の貿易関係が動き始めた。
   米国資本主義の危機とさえ憂慮された世界的な金融危機の後遺症も癒えていないにも拘らず、それに、殆ど国際競争力を失ってしまっていた在来型の製造業を抱えながら、疲弊し切ったアメリカ経済が、オバマ理論のように、自由貿易さえ推進すれば活性化して、5年間で輸出が倍増するとも思えないけれど、自由な市場経済と自由貿易はアメリカの国是であり、世界経済にとっては、望ましいことである。
   弱体化したと言えども、アメリカ経済は、断トツの世界第1位であり、グローバルスタンダードの多くを握り、更に、最も有利なのは、イノベイティブな企業家精神が横溢した経済体質をビルトインした活力ある経済パワーを持っていることで、このアメリカが主導するFTAやTPPに乗らなければ、どこの国の経済も成り立たなくなると言う厳粛なる事実である。

   先日のWSJで、中国の人件費やインフレの高騰で、価格差などが15%程度に落ち込んだので、中国に脱出していた米国の家具メーカーなどが、アメリカに回帰し始めていると報道していた。
   特に、物流やモノの移動を伴う製品やサービスについては、品質や交易条件などで信頼に欠ける中国製品よりは、多少高くても、アメリカ製品の方が米国人にとって良いのは当然であろう。
   FTA締結後の韓国市場からの巨大なアジア市場へのアクセスが可能になるのは、米国企業にとっては、更に好都合であり、市場さえ拡大すれば、いくらでも、ブレイクスルー出来る活力と能力を持っている。
   この点は、成熟化して成長の止まったヨーロッパと日本との大きな違いで、アメリカ経済の弱体化はあっても、それ程簡単な崩壊は有り得ないと思う。
   
   先日、このブログで、アメリカの2010年の公式貧困率(4人家族で所得が2万2314ドル(172万円)を割り込む世帯の構成人数の人口比)が、15.1%に達しており、貧困者数は4600万人で、1959年に統計を取り始めて以降最悪であり、これらの殆どが健康保険さえ持っておらず、死活問題だと書いたが、アメリカ経済が、危機に瀕していることは事実である。
   それにも拘わらず、いまだに、頑張ればいつかは豊かになれると言うアメリカン・ドリームに縋り付く国民が多く、福祉国家政策の不備と十分なセイフティ・ネットの欠如が、国民の自助努力を促し、アメリカの経済の活力にプラスとなると豪語する自由主義的な学者や政治家などがいるのだが、否でも応でも、アメリカ人は、自国経済の復活と再生を信じているようである。
   
   ここで問題にしたいのは、日本政府および日本人のTPPに対するあまりにも消極的な取り組みとその対応である。
   元々は、2006年5月にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国加盟で発効した経済連携協定であったものだが、2010年10月よりアメリカ主導の下に急速に推し進められ、加盟国・交渉国間で協議を行っており、早急に締結する動きで進んでおり、否も応もなく、アメリカのごり押しであろうと何であろうと、悲しいかな、グローバル・スタンダードと言うべき世界経済の趨勢であって、タイミングを外して、時期を失すれば、日本だけが、孤児として取り残される。
   勿論、農業や医療など日本の経済各部門に、打撃となることは必定であろうが、今回、韓国でも、米国とのFTA交渉に当たっては、輸出立国以外に生きて行く道はないと言う戦略的な判断のもとに、絶対に譲れないコメを関税撤廃対象から除外しても、自動車の安全基準ではEUの条件を丸呑みするなど、大胆に譲歩する交渉手法で対応し、予想される国内での被害については補償策を用意して対処したと言う。

   日本は、これまで、円高を極端に恐れる輸出主導型の経済を推進して来たが、既に、失われた20年で国力も経済力も疲弊してしまって、日本の多くの電器企業が、サムソンの足元にも及ばなくなってしまったのを見ても分かるように、韓国や台湾は勿論、多くの新興国の追い上げを受けて、著しく国際競争力が失墜して、JAPAN AS No.1時代の面影もない。
   デジタル化によりモジュラー化してしまった製造業においては、いくら、最先端のテクノロジーを開発してブラックボックスで知財やノウハウを囲い込んでも、リバース・エンジニアリングで、新興国の企業に瞬時に追いつかれ、また、破壊的イノベーションの創造的破壊たる所以のクリエイティブで感性豊かな高付加価値の製品や高度なハイテクは、アメリカの後塵を拝するのみで、先を行く先端産業は殆どない。
   持続的イノベーションの追及でテクノロジーの深追いばかりして、破壊的イノベーションを生めなくなった日本企業は、正に、歌を忘れたカナリアで、日本の大企業は、かって、クリステンセンが言ったように、市場の最上層まで上り詰めて行き場をなくしている。

   6重苦と揶揄されている足枷をはめられた日本企業が、更に、TPPやFTAで遅れを取る現状を嘆いて、米倉経団連会長が、外需に期待できなくなるので内需の振興拡大をと悲しいことを言っていたが、世界最悪の財政債務を抱えていて、人口減少と景気悪化で益々消費需要が落ち込んで行く日本に、内需の拡大や景気刺激策など打てる訳がない。
   私は、今回のTPPについては、必ずしも十分な知識はないので、偉そうなことは言えないが、結局、遅かれ早かれ、劇薬を飲む以外に日本の生きる道がないとするのなら、出来るだけ早く交渉の場について、有利な展開を図った方が得策だと思っている。
   余力のある間に対応しないと、日本経済は、更に悪化して行き、無い袖さえ触れなくなってしまう。

   既に、グローバル化してしまった世界経済においては、ヒト・モノ・カネは、自由に地球上を飛び交い、要素価格平準化定理の働きによって、少しでも隙間があれば、すべての価格は平準化して、摩擦や障害があっても瞬時に乗り越えられてしまい、それが出来なくても、破壊されてしまう。
   たとえ、日本が、TPPやFTAの埒外に居て障壁で国内産業を保護して見ても、グローバル・スタンダードから、どんどん遅れを取ってしまって、元々、国際競争力がないのだから、駆逐されてしまうか消滅するだけであろう。
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わが庭の歳時記・・・ウィリアム・モーリス咲く

2011年10月12日 | わが庭の歳時記
   随分涼しくなって、夏草が生茂っていた(?)私の庭も、大分落ち着いてきた。
   私の庭では、ピンクのシュウメイギクの花とムラサキシキブの実が、今、一番美しいのだが、バラの花も、大小取り混ぜて、あっちこっちで咲いている。
   冬の冬眠から覚めて、芽吹きから咲き始める春のバラのような感動はないが、何となく厳しさの増す冬に近づきはじめる予感の所為か、秋のバラの花には、しんみりとした味わいのある美しさを感じさせてくれて爽やかさがある。

   この初夏に買ったイングリッシュ・ローズの大苗のウィリアム・モーリスが、咲き始めたので、切り花にして、バカラに挿した。
   ソフトなアプリコットピンクの丸く咲いた中輪の花姿が、清楚な佇まいで、実に優しい。
   それに、他のしっかりとしたイングリッシュ・ローズと比べて、枝が非常にしなやかで弱々しく、花首もほっそりとしていて、一寸した竹下夢二の描いた乙女の雰囲気であるから、一層、その感が深い。

   京成バラ園も、ちらほらバラが咲き始めたようなので、久しぶりに出かけて見ようかと思っている。
   イギリスに居た頃は、バラの本場でありながら、仕事で走り回っていたので、薔薇を愛でている余裕がなかったのだが、歳の所為か、今頃になって、バラの美しさに感動しながら、あっちこっちの庭園や古城など見たバラを思い出しているのも不思議である。
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