退場した安倍内閣にも、そして、あらゆる企業のセミナーにも、好んで使われるタイトルは、イノベーション。
イノベーションと言う言葉には、何となく、新しいブレイクスルーの為の革新、新しく生まれ変わった未来、と言ったプラス思考のイメージがあって、清々しい。
ところで、このイノベーションが、学者でもない私の終生変わらない関心事であり、メインテーマであった。
自分なりにイノベーションに対する考え方を纏めてみようと思って、A4版の30ページ弱の小論文を書いてみた。
私がイノベーションと言う言葉に出会ったのは、もう40年以上も前、京都の学生の頃で、シュンペーターの「経済発展の理論」「資本主義・社会主義・民主主義」など一連の書物を読んだ時で、特にその頃イギリスの産業革命に興味を持っており、それに、専攻の経済学でも経済成長と景気循環について学んでいたので、正に、シュンペーターのイノベーションを根幹に据えた経済発展の理論は、青天の霹靂であり目からウロコであった。
京都の経済学部は、マル経の牙城であったが、少数派の近経を選んだので、私も曲りなりにその頃優勢であったケインズ経済学を勉強したのだが、長期視点での経済成長と景気変動についてはシュンペーター理論で展開した。
ところで、シュンペーターのイノベーションは、当初、新結合と言う言葉で表現されており、その例として次の五つ、①新しい財貨の生産、②新しい生産方法の導入、③新しい販路の開拓、④原料あるいは半製品の供給源の獲得、⑤新しい組織の実現、をあげていて、現在の経済社会に当て嵌めて考えると非常に広い概念である。
このイノベーション論を、思想の根幹として首座に据えてマネジメント論を展開したのが、同郷の経営学の大家ピーター・ドラッカーであり、彼の経営学のダイナミズムと革新性は、正にこの精神の昇華である。
しかし、日本では、経済白書がイノベーションを技術革新と訳してから極めて狭い概念となり、イノベーションのコンセプトを誤り、ドラッカー経営学をスキューしてしまった。
欧米でもそうだったが、経済学がケインズ経済学とマネタリスト経済学主流で、マルクスは勿論、シュンペーターも忘れ去られ、殆ど、イノベーションの概念が表に出ることがなく、やっと、1990年代に、経営学方面で、イノベーションに関する重要な研究や学術書が現われ始めた。
R.レスターやJ.M.アッターバックなどのMITグループ、C.M.クリステンセンのハーバード・グループなどの素晴らしい研究が、その後の多くのイノベーション関連本を輩出させているが、今でも、色あせずに存在価値を固持しているのはドラッカーのイノベーション論で、経営戦略論を筆頭にしたその総合的なマネジメント学をトータルで捉えると益々輝きを増す。
私は、この現在のイノベーションを、第三次産業革命であるIT革命と知識産業化、グローバリゼーション等で特徴付けられている劇的な経済社会構造の激動の中で、どのように変化を遂げながら展開して来ているのか、その新しい潮流と本質的な変革を浮き彫りにしたいと思った。
例えば、インターネットとデジタル技術の進歩によって、マスコラボレーション、共創と言った革命が起きている。ウイキペディアと言う誰でもが自由に編集に参加して生まれた電子事典が、世界最高峰の叡智の集積として燦然と輝いていたエンサイクロペディア・ブリタニカを、はるかに凌駕してしまったのだが、一体10年前に誰が予測し得たであろうか。
セカンドライフと言うインターネット上の仮想空間では、実際の経済社会と全く同じ様な事業が営まれており、例えば、複雑な商業娯楽コンプレックスなどの不動産開発業が展開されているが、想像を越えた所までリアルとサイバーの区別がつかなくなってきている。
シュンペーターは、非連続的で急激な変化、体系の均衡点を動かすような変化、例えば、郵便馬車から鉄道のような変化をイノベーションと呼んだ。
今までになかったような変化が、イノベーションの引き金を引くと言うことだが、時代の潮流によって大きく変わって行く。
潮の流れに敏感でなくてはならない。
もう、20年以上も前になるが、イギリスにいた時、ブラック・カントリー(黒郷)へ産業革命時代の古い工場跡を見に行ったことがあるが、本当に小さなレンガ造りの掘っ立て小屋に近い。
バーミンガムの郊外には、今でも、ジェームス・ワッットなどが活躍したこのような産業革命黎明期の遺跡がそのまま残っているのである。
ここで起こったささやかなイノベーションのはしりが、世界を激変させたのであるが、これがほんの200年少し前の話であると思うと、世の中の動き、歴史の変転の早さには度肝を抜かれてしまう。
イノベーションと言う言葉には、何となく、新しいブレイクスルーの為の革新、新しく生まれ変わった未来、と言ったプラス思考のイメージがあって、清々しい。
ところで、このイノベーションが、学者でもない私の終生変わらない関心事であり、メインテーマであった。
自分なりにイノベーションに対する考え方を纏めてみようと思って、A4版の30ページ弱の小論文を書いてみた。
私がイノベーションと言う言葉に出会ったのは、もう40年以上も前、京都の学生の頃で、シュンペーターの「経済発展の理論」「資本主義・社会主義・民主主義」など一連の書物を読んだ時で、特にその頃イギリスの産業革命に興味を持っており、それに、専攻の経済学でも経済成長と景気循環について学んでいたので、正に、シュンペーターのイノベーションを根幹に据えた経済発展の理論は、青天の霹靂であり目からウロコであった。
京都の経済学部は、マル経の牙城であったが、少数派の近経を選んだので、私も曲りなりにその頃優勢であったケインズ経済学を勉強したのだが、長期視点での経済成長と景気変動についてはシュンペーター理論で展開した。
ところで、シュンペーターのイノベーションは、当初、新結合と言う言葉で表現されており、その例として次の五つ、①新しい財貨の生産、②新しい生産方法の導入、③新しい販路の開拓、④原料あるいは半製品の供給源の獲得、⑤新しい組織の実現、をあげていて、現在の経済社会に当て嵌めて考えると非常に広い概念である。
このイノベーション論を、思想の根幹として首座に据えてマネジメント論を展開したのが、同郷の経営学の大家ピーター・ドラッカーであり、彼の経営学のダイナミズムと革新性は、正にこの精神の昇華である。
しかし、日本では、経済白書がイノベーションを技術革新と訳してから極めて狭い概念となり、イノベーションのコンセプトを誤り、ドラッカー経営学をスキューしてしまった。
欧米でもそうだったが、経済学がケインズ経済学とマネタリスト経済学主流で、マルクスは勿論、シュンペーターも忘れ去られ、殆ど、イノベーションの概念が表に出ることがなく、やっと、1990年代に、経営学方面で、イノベーションに関する重要な研究や学術書が現われ始めた。
R.レスターやJ.M.アッターバックなどのMITグループ、C.M.クリステンセンのハーバード・グループなどの素晴らしい研究が、その後の多くのイノベーション関連本を輩出させているが、今でも、色あせずに存在価値を固持しているのはドラッカーのイノベーション論で、経営戦略論を筆頭にしたその総合的なマネジメント学をトータルで捉えると益々輝きを増す。
私は、この現在のイノベーションを、第三次産業革命であるIT革命と知識産業化、グローバリゼーション等で特徴付けられている劇的な経済社会構造の激動の中で、どのように変化を遂げながら展開して来ているのか、その新しい潮流と本質的な変革を浮き彫りにしたいと思った。
例えば、インターネットとデジタル技術の進歩によって、マスコラボレーション、共創と言った革命が起きている。ウイキペディアと言う誰でもが自由に編集に参加して生まれた電子事典が、世界最高峰の叡智の集積として燦然と輝いていたエンサイクロペディア・ブリタニカを、はるかに凌駕してしまったのだが、一体10年前に誰が予測し得たであろうか。
セカンドライフと言うインターネット上の仮想空間では、実際の経済社会と全く同じ様な事業が営まれており、例えば、複雑な商業娯楽コンプレックスなどの不動産開発業が展開されているが、想像を越えた所までリアルとサイバーの区別がつかなくなってきている。
シュンペーターは、非連続的で急激な変化、体系の均衡点を動かすような変化、例えば、郵便馬車から鉄道のような変化をイノベーションと呼んだ。
今までになかったような変化が、イノベーションの引き金を引くと言うことだが、時代の潮流によって大きく変わって行く。
潮の流れに敏感でなくてはならない。
もう、20年以上も前になるが、イギリスにいた時、ブラック・カントリー(黒郷)へ産業革命時代の古い工場跡を見に行ったことがあるが、本当に小さなレンガ造りの掘っ立て小屋に近い。
バーミンガムの郊外には、今でも、ジェームス・ワッットなどが活躍したこのような産業革命黎明期の遺跡がそのまま残っているのである。
ここで起こったささやかなイノベーションのはしりが、世界を激変させたのであるが、これがほんの200年少し前の話であると思うと、世の中の動き、歴史の変転の早さには度肝を抜かれてしまう。