熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

五月大歌舞伎・・・「敵討天下茶屋聚」

2011年05月31日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   歌舞伎と来れば、仇討ち・お家騒動・心中などといった「前近代的」なものが結構多いのだが、この歌舞伎も、典型的なお家騒動と仇討を判で押したような芝居である。
   それに、こんな場合には、盗賊・侠客・悪家老などと言った決して表通りを大手を振って歩けないような人物が、必ず主役として登場して、悪の限りを尽くして、善人を痛めつければ痛みつけるほど、お客が喜んでやんやの喝さいをして感激するのだから、全く常識の世界ではない。
   シェイクスピア戯曲と比べれば興味深いのだが、ハムレットの復讐劇以外には、この類の主題はあまりないように思うし、ギリシャ悲劇の殺伐とした殺戮は別として、欧米文化には、リンチ的なテーマは多少あっても、この歌舞伎のような世界は、日本独特の芝居の美意識なのかも知れない。

   心中物は、近松門左衛門が得意とした上方歌舞伎(もとは浄瑠璃であろうか)だが、西洋演劇にも造詣が深かった近松は、心中事件が発生すると、事件記者よろしく現場に急行して取材して、早速、舞台にかけたと言うことのようだが、仇討も、事件が起こると戯作者の恰好の題材となり、この歌舞伎も、江戸時代に大坂の天下茶屋で実際に起こった敵討の事件を題材にした仇討狂言の傑作だと言う。
   ところが、シェイクスピアの場合には、実際の歴史物は別として、イギリスから一歩も外に出たことがないのに、種本を駆使して、ギリシャやイタリアなど、あることないこと異国の話を、想像豊かに書き上げたのと比べると、その違いが面白い。
   
   筋書きは、歌舞伎美人を要約すると、次の通り。
   大名浮田家の忠臣早瀬玄蕃頭(段四郎)は、お家横領を企む家老岡船岸之頭や東間三郎右衛門(幸四郎)の計略を察知し岸之頭を切腹に追い込むが、東間に闇討ちされて、重宝の色紙まで奪われる。玄蕃頭の子、伊織(梅玉)と源次郎(錦之助)の兄弟は、父の敵討のため東間を追って大坂の四天王寺へやってくる。供をしてきた家来の安達元右衛門(幸四郎)が東間の策略によって酒を強いられて禁酒の誓いを破り、泥酔して暴れ回ったので、伊織は元右衛門を勘当し、元右衛門の弟弥助(彌十郎)も兄弟の縁を切る。流浪の末、東寺近くの貸座敷で暮らすようになった伊織兄弟と弥助。そこへ東間方に寝返った元右衛門が偽の按摩に化けてやって来て、伊織の妻である染の井(魁春)が色紙を買い戻すために身を売った金を奪い、弥助も殺害。さらには伊織の足を切りつけて逃げ去る。その後、伊織兄弟は福島天神の森で貧窮の日々を過ごす。源次郎が留守のところへ元右衛門と東間が現われ、伊織をなぶり殺す。さらには、源次郎も襲われて川に投げ込まれるが、人形屋幸右衛門(吉右衛門)に助けられ、その助力で東間一味の所在がわかり、源次郎は元右衛門と東間を討ち果たし、見事本懐を遂げる。

   今回は、悪党ながら愛橋のある安達元右衛門と、悪の首領である東間三郎右衛門の悪の二役を、松本幸四郎が初役で勤めるのだが、この二役を一人の俳優が演じるのは天保年間以来だと言うことで注目を浴びている。
   歌舞伎美人は、”魅力的な悪”の二役と言うほどだから、この芝居は、どこまでも、江戸歌舞伎の定石と言うか、仇討・お家騒動・盗賊・侠客・悪家老礼賛の世界である。
   特に安達元右衛門は、四世大谷友右衛門が工夫を凝らし、以後、多くの名優が演じ、練り上げられた役どころだと言うことで、結果的には、芽出度し芽出度しの仇討狂言だが、主題は、名物役者が、悪を如何に演じ切るかになってしまっていると言うことらしい。
   あの一寸出で、本来どうでも良いような忠臣蔵の5段目の斧定九郎を、中村仲蔵が、白塗り顔、五分月代のヘアスタイル、黒羽二重の単衣に朱鞘の大小を差し、腕をまくって尻からげの浪人姿にアレンジして大好評を博したのと同じで、役者が役作りを工夫して磨き上げれば、どんな端役でも、素晴らしい名舞台になると言う典型的なケースであろうか。

   今回の舞台は、何と言っても、幸四郎の魅力全開で、悪の重臣東間は、幸四郎の十八番とする役柄であるから、その素晴らしさは申すまでもない。
   しかし、注目に値するのは、悪党ながら成り上がりの悪党で、悪に徹しきれない半ば素人の、どこか底の抜けたずっこけた愛嬌のある元右衛門が抜群に良い。
   私は、幸四郎の舞台で一般的に当たり役だとされている重厚かつ豪快、威厳と貫録のある時代物よりも、筆屋幸兵衛や惣五郎と言った世話物なり人情物の舞台の方が好きで、このあたりの本領発揮が、シェイクスピア戯曲やミュージカルの舞台で生きている所以ではないかと思っている。
   それは、ともかく、仇討旅の供をして来た筈の元右衛門が、必死になって禁酒を守ろうとするのだが、酒を強いられて泥酔するまでの芸の確かさ。
   落ちぶれて按摩に入ったのが、元主人のあばら家で、同居する中間の弟の弥助に施しを受けて去ったのは良いが、金があるのを知って居直り強盗に変身して屋根裏から潜り込み、弥助を殺して金を奪い、帰り合わせた伊織の足を切りつけて花道を逃げ去るまでのズッコケた悪党ぶりが実に良く出来ていて、楽しませてくれる。
   このあたりが、先人の積み上げた芸の結晶なのであろうが、この芸は、思想や哲学など全く抜きの芸の器用さながら、緻密な計算なくしては、タダのドタバタに終わるところを、緩急自在に演じ分けて魅せる芝居で、実に上手い。
   これを受けて立つ実直で全く忠僕に徹して真面目に務める彌十郎の弥助も得難い存在である。
   








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家の非常時にお粗末極まりない政治~一庶民の呟き

2011年05月30日 | 政治・経済・社会
   先日、小沢氏が、菅首相は出来るだけ早く止めた方が良いと言うインタビューを行ったとかで、ウォールストリート・ジャーナル電子版に、一問一答の詳細を含めて、「民主党の小沢元代表、菅首相と対決姿勢鮮明―原発危機対応で」と言う記事が掲載された。
   このインタビューのダイジェスト版の動画も掲載されていたので見ることが出来たが、何故、世界が注目している国家存亡の非常事態に、日本の恥とも言うべき国内事情を、あえて、世界中に向けて発信しなければならないのか。
   私の感想は、この記事に記載されていたジェラルド・カーティス教授と全く同じなので、引用すると次のとおり。
   ”コロンビア大学の日本政治学者、ジェラルド・カーティス教授は、菅政権が有能だとは言い難いとした一方、「狭量な政治家たちによるレベルの低い主導権争いは、国民をうんざりさせるだけだ」として、こうした政争は日本が直面する問題を軽視している印象を与えると述べた。
   同教授は、「小沢氏に首相の目はない」と述べ、「彼は政治的混乱をあおり、事実上、民主党を分裂させる。それが彼のやっていることだ」と批判した。 ”

   私は、菅内閣には批判もあるが、少なくとも、それ以前の二世三世総理たちのように、よりによって全員、途中で、政権を投げ出すと言った無責任極まりない手段(これこそ、日本政治の不毛・未熟の極致)を取らないだけでも、ましだと思っている。
   欧米の大人の国では、このような非常事態には、思想や見解の相違があっても、国民挙って一丸となって、難局に対峙すると言うのが常識であって、このような時こそ、国民の総意を結集して、言葉は悪いが、政治家も、戦時の非常時救国内閣とも言うべき挙国一致体制で臨まなければならないと思う。
   しかし、野党は、政府の足を引っ張るばかりで、殆ど協力せず、民主党内の分裂派の行動を見越して、内閣不信任案を提出しようとしている。
   
   この内閣不信任案が可決されれば、後は、菅内閣の総辞職か、首相が解散を宣告するかだけである。
   いずれにしても、結果は火を見るより明らかで、更に、政局が混迷を極めて、日本の政治が更に迷走して、大震災の復興が遅れるのみならず、日本の経済社会の再生が益々後退する。
   解散総選挙をして、各党の復興計画案を国民に問えと言う議論が展開されているが、そんな余裕など全くない程、緊急事態で、切羽詰っている。   
   尤も、一寸先は闇なので、何が起こるかは、誰にも分からないけれど、少なくとも、そう見える。

   私自身は、詳細に検討した訳でもないので、偉そうなことは言えないが、菅内閣の打ち出している外交等の国際戦略や21世紀に向けての日本の再生・成長戦略、経済産業政策、福利厚生などの社会政策等々大方の政策については、マニフェストとの関係はともかく、それ程、方向性は間違っているとは思っていない。
   問題は、実行が伴うかどうかだと思っているので、むしろ、この非常事態に水を差すような、自民党など野党の、的を外した政局がらみの批判ばかりに終始する姑息極まりない対決姿勢の方が、罪が深いと思っている。
   自民党や公明党が、革命的な変革を遂げて再生したとは、到底思えないし、逆転したとしても、元の旧体制に戻るだけ。極論すれば、大震災からの日本再生を前にすれば、大同小異であろう。
   こんな時こそ、この大同小異をかなぐり捨てて、頼りなければ頼りない程、菅内閣に協力して、日本のため、日本国民のために、身を投げ出して尽くすのが政治家ではないかと思うのだが、”狭量な政治家たちによるレベルの低い主導権争い”を見ていると、そのあまりの志の低さに暗澹とする。

   NHKのBS1のワールドウェーブ・ニュースを見れば、太平天国を決め込んだ能天気の日本の政治と違って、世界中は、寸刻刻みで、激しく激動していることが分かる。

   菅首相のリーダーシップが問題だとか、民主党政府に非常時に対応する統治能力がないとか批判ばかりが姦しいが、ことの発端は、民主党の内紛で、彗星のように救国のリーダー白馬の騎士が現れるのなら別だが、代替案が殆ど明確にされていない以上、この重要な時期に、更なる政治的混乱に突入するのは、未知数で不確定要素があまりにも多すぎて危険である。
   それに、内閣総辞職も解散総選挙も、このような解決すべき案件山積の緊急非常時においては、致命的な貴重な時間のロスで、次善の方法かも知れないが、政治家が挙って、現在の菅政権を補強しサポートして、新生日本を目指すべきである筈、そう思っている。

   結局、日本の民主主義は、一体何だったのかと言う疑問だけが、いつまでも尾を引いている。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマト栽培日記2011~(7)支柱立てと施肥

2011年05月29日 | トマト・プランター栽培記録2011
   トマトの苗木も、殆ど1メートル前後となり、結実し始め、早いものになると、第4花房まで見えるようになってきた。
   この口絵写真は、中玉の完熟むすめだが、一番最初にプランター植えしたので、ミニ・トマトのアミティエとともに、一番、生育が早い。

   ミニ・トマトも、副枝が大きく成長して来たので、二本仕立ての用意の為にも、そして、他のトマトの背丈が伸びて来たので、これまでのプランターに立てていた短い仮の支柱では間に合わなくなって来たので、地面に固定した支柱を立てることにした。
   完全に大きくなったトマトの木には耐えられなくなるので、補強が必要だが、私がやるのは、支柱は殆ど2メートル弱のシノダケで、まず、1本を地面に差し込んで固定し、次に、トマト苗のすぐ横に、もう1本をプランターに差し込んで、頂上を結び付けて固定する。
   そして、プランター内の支柱に、ところどころ、苗木を固定するのである。
   指南書には、麻ひもなどを8の字型にして苗木と支柱を固定すると書いてあるが、私は、ズボラして、針金入りのカット・ビニール・タイを使って、やや余裕を持たせて固定している。
   至って簡便だし、それに、何のトラブルもない。

   もう一つ、支柱だが、園芸店には、螺旋型の支柱や3本足の支柱など多種多様、凝った支柱が市販されているが、使ってみたけれど、一長一短あって、それに、高いだけでコストパーフォーマンスが悪くて、それ程役には立たない。
   シノダケの支柱など、売っている園芸店が少ないとは思うが、耐久性や強度などは、鉄柱がシンに入ったプラスチック製の支柱よりは劣るけれど、特に不都合はない。
   しかし、この支柱のままでは、たわわに実ったトマトを完全には支え切れずに、ずり落ちたり傾いたりする木があるので、その場合には、適当にしっかりした支柱を横に立てて補強することとなる。

   ところで、普通に使われているグリーンの鉄芯のプラスチック支柱だが、これなどは、園芸店で買わずに100円ショップで買えばよい。
   プラ鉢などもそうだが、それ程製品の質に差のない安価な園芸用品は、中国など新興国が得意とする分野で、時には、はるかに気の利いた製品が、105円で売っていて、コスト削減になる。
   しかし、ハサミなど多少質が要求され、本来は、そんなに安くて買えないような類の製品は、絶対に、100円ショップで買ってはならない。
   園芸やガーデニングに関して言えば、剪定ばさみは勿論、鋸にしても、とにかく、基幹となる道具類などは、絶対に、100円ショップで手を出してはいけない。
   私の場合には、刈り込みばさみ、剪定ばさみ、バラ用の剪定ばさみ、スコップ、鋸は勿論、大切な道具や備品類は、出来るだけ、園芸店にある一番高い上等なものを買っている。
   弘法は筆を選ばずと言うが、園芸の場合には、絶対に筆を選ぶべきだと思っている。

   昨年、沢山買ったトマト栽培などの関連本をなくしてしまったので、今回は、NHKのテキストが指南書であるが、第1果房の実が大きくなり始めたら、第一回目の施肥をと言うことなので、化成肥料を株もとにばら撒いた。
   トマト苗の種類によって、ひょろりとしたのもあれば、しっかりと骨太に逞しく育っている苗もあり、見た目では、肥料が必要かどうかは分からないのだが、バラのように、とにかく、肥料をやれば良いと言うのとは違って、トマトは難しい。

   ところで、園芸用品のコストを云々したので、プランター植えトマトがペイするかどうかについて一言。
   以前に、インターネットで、ある婦人が、自分で育てたプランター植えのミニトマトのコストを計算して、収穫したトマトの数を市販トマトの値段に換算して、収支を比較して、やや、プラスだったとレポートしているのを見た。
   これは、勿論、ご本人の手間暇等の人件費を計算に入れていないので、比較は出来ないが、私の場合には、元々、ペイなどする筈がないと思っており、実際にも、計算するまでもなく、結構、高いコストがかかっている。
   何故、好き好んで、苦労して、トマトをプランター栽培するのか。
   それは、趣味と言うか、自分の楽しみのため意外の何ものでもない。
   それに、完熟したもぎたてのトマトの美味かつ微妙な味は、格別であり、何より、日々のトマトとの対話がたまらない。

   トマトが一番嫌う梅雨に入ってしまった。
   何故か、トマトの故郷アンデスの碧空を思い出して、無性に懐かしくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(9) トロピカル・ライフスタイル~その1

2011年05月28日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   この章は、リオ・デ・ジャネイロの真夏の休日の一日から始まる。
   午前中は、イパネマやコパカバーナの海岸は、人々で一杯。男は裸でバーミューダ・ショーツ姿、女はビキニでフリップ・フロップ、海岸べりのキオスクやカフェーに屯して、飲み物を啜りながら、ビーチ・バレーを眺めたり、政治やセレブや仲間たちのゴシップ話で花盛り。
   午後にはビーチを離れて、シュラスコ料理を皆で満喫し、アフター5には、マラカニアンでサッカーの観戦、夜のとばりが降りると、サンバグループは、カーニバルのリハーサル・・・

   レジャー・タイムは、ブラジル人にとっては、何よりも大切で、アメリカ人とは違って、仕事や富の蓄積と言った美名のもとに私的生活を犠牲にして働く仕事中毒者は、尊敬されるどころか一顧だにされない。
   仕事は、生活上必要かもしれないし、時には満足を与えてくれるかも知れないが、ブラジル人にとっては、この世で与えられた自分の時間を如何に楽しむかを学ぶ事は、アートであり、このアートをマスターした人こそ、人生の達人として称えられるのである。
   したがって、同じブラジル人でも、仕事人間のサンパウロ人を、リオの住人は、バカにしていると言う。
   確かに、風景のみならず生活環境もそうだが、リオの素晴らしさは、格別かも知れない。
   私の記憶では、ブラジル政府の高官など、リオに住居を構えていて、週末ごとにブラジリアを脱出してリオに帰っていたと言う。

   この熱帯気候のお蔭で、ブラジルでは、戸外で、パブリック・ライフを過ごすことが多いので、自分の肉体を人前に晒すことが多くなり、人一倍、自分の肉体美に拘ることになる。
   したがって、体型をスリムに保つ為に、ダイエットからエクササイズに意を用いることは当然で、プラスチック手術、脂肪吸引術を始めとしたあらゆる部位の美容整形手術にも熱心で、この美容関連技術や処置およびその施設などに関しては、ブラジルは、世界の最先端を行く正にメッカだと言う。
   謂わば、国全体が、肉体オリエンテッドな文化に染まっていると言っても良く、Ivo Pitanguyと言ったその道の最高峰の外科医などが、ハリウッドスターなどのセレブの顧客を惹きつけて止まないのみならず、中流のプロフェッショナルたちも、本国より安くて良質な美容処置を受けられるので、わんさと押しかけて来ている。
   これは、インドの白内障手術が世界の最先端・最高峰を行くのと同じで、必ずしも、最先端技術が、先進国の専売特許でなくなって来ているのが興味深い。
   
   ところで、ブラジルの一般庶民は、このようにセレブのように美容整形手術を受ける経済的余裕も時間もない。
   どうするかと言うと、初めての人間に対しても、肉付きの良い人間、特に、女性などは、惜しげもなく肉体を晒す。
   そもそも、肉体美の観念が違っていて、ブラジル人の男は、豊かなボインのプレイボーイ誌の美女とは逆に、胸よりも後姿に注目し、骨に豊かな肉がついて大きくカーブするギターのような形をした肉体美を好むらしい。
   尤も、普通のブラジル人は、そんな事とは関係なく、あるがままの自分の肉体に満足し、それなりに喜びを見出しながら、体を露出しているのだと言う。

   私自身のサンパウロの4年間は、悲しいかな、仕事中毒人間で、南米のあっちこっちを飛び回って仕事に明け暮れていたので、このあたりのブラジル美人の印象など殆どなく、それに、写真と言えば風景や風物ばかり撮っていたので、コパカバーナの海岸やホテルでスナップした美女たちの写真が、いくらか残っている程度であろうか。
   それに、キャリオカが馬鹿にする仕事中毒のパウリスタに混じってサンパウロで生活していたので、リオ人間のローターの説くトロピカル・ブラジル人気質に疎くなっていたのかも知れない。
   しかし、カーニバルのみならず、あっちこっちで、素晴らしいブラジル美人に遭遇するチャンスがあったことは事実で、この太陽の燦々と照りつけるトロピカルでオープンなブラジルの風土が、ラテン民族の血と呼応して生まれた人間賛歌の一面と考えれば、この肉体美を謳歌する国民気質も良く分かる。

   ところで、この人間の肉体を、生活の前面、かつ、中心に据えて、ブラジル人が最も楽しむ行動と言えば、ビーチ文化、カーニバル、サッカーを置いて他には考えられないと言う。
   この三つこそが、ブラジルの価値を体現し、ブラジルを、活気溢れ、カラフルに、そして、エキサイティングにしている要素であることには疑いの余地がない。
   したがって、ブラジル人の会話は、贔屓のサッカー・チームは何処か?、カーニバルで応援するサンバ・クラブは?、良く行くビーチは何処か?と言った調子だが、しかし、普通のどこの国でも初対面で交わす、仕事は? お住まいは? 出身校は?と行った問いに、この会話の答えをプラスすれば、そのブラジル人のステイタス、興味、そのロイヤリティなど総てが分かると言うものである。
   この三つのテーマについて、ローターが、ビーチ、カーニバル、サッカーと言うサブタイトルで、ユニークな文化文明論を展開しているのだが、詳細は、次回以降に譲りたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豪華絢爛と咲き誇る薔薇の饗宴・・・京成バラ園

2011年05月27日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   関東が、早くも梅雨入りしたとの情報で、雲間を覗き込みながら、久しぶりに、京成バラ園に出かけた。
   国道296号線が混むので、車で小一時間ほどかかるのだが、正に、豪華絢爛と言うべきで、広い園内一面に、びっしりと極彩色の世界が展開していて、息を飲むほど美しい。
   数日前が絶好調の見頃だったと思うのだが、天気が良ければ、明日明後日の休日は、最高の京成バラ園鑑賞の日であろうと思う。

   ローズガーデンの広々とした中央は、フランス様式の整形式庭園で、緻密に設計された庭園に、沢山のバラが混植されていて、折り重なった色彩のグラデュエーションが美しい。
   その周りは、やや小高くなっていて、オールド・ローズや日本の野ばら、イングリッシュローズやチャイナローズ、と言った形でカテゴリー別に花壇が設定されており、その周りをつるバラが這う綺麗なフェンスで囲まれている。
   自然式庭園との境目に、桂由美がプロデュースしたガボセがあり、その他所々に設置されたバラのアーチや円柱などがアクセントとなっていて情趣があって良い。

   私は、とにかく、沢山の花が妍を競っているので、周りの高台の方を、端から歩き始めた。
   展覧会や博覧会を見る時と同じで、どんどん先に進んで印象に残れば立ち止まって眺める。
   適当なところでシャッターを切る。と言った調子で園内を進んだ。
   カメラも、一眼レフに、70-300ミリの望遠レンズを付けて、後は、プログラム・オートに設定したままと言うズボラを決め込んで、撮り続けた。
   しかし、遠目に見れば美しいバラも、やはり、戸外では風雨に晒されて花弁が痛むであろうし、少し、次期を失したものもあって、完全な姿で、レンズに耐えられる花はそんなにないことが分かった。

   野バラやオールド・ローズの、枝を左右に縦横に伸ばして咲き乱れる野性的な風情が実に良く、それに、一重の花弁が、コスモスの花のように風に揺れる姿など、実に味があって良い。
   私は、やはり、イングリッシュ・ローズに興味があったので、そこで時間を過ごした。
   真っ先に目に入ったのは、ガートルード・ジェキルのピンクの豪華な大株で、メアリー・ローズに似ているが、もっと、勢いがあって豪華である。
   私の庭と同じイングリッシュ・ローズも植わっていて、夫々、かなりの大株に育って咲き乱れていたので、私のバラも育て方次第では、この程度になるのだと思うと愉快になってきた。

   丁度、隣に、メイアンで作出されたバラが植わっていたので、京成バラ園のホームページの「お散歩日記」で、「アラン メイアン氏、レオナルド ダビンチの前で」と言う記事を思い出した。
   やや、濃いピンクの大輪レオナルド ダビンチの豪華な円柱仕立ては、正に、圧巻で、横に立つ濃い黄色のロートレックや、他のメイアンのバラは、他を圧するくらい華やかで光り輝いている。
   
   丁度、この日、写真家の今井秀治氏が、写真講座を開いていたのだが、知らなくて、最後の庭園案内だけ付き合った。
   イギリスに住んでいたようで、バラの写真集や奥方由美子さんとの共著で、イギリスのバラやガーデニングの本を出している。
   真っ先に、イングリッシュ・ローズの植わっている庭園に向かった。
   まず、好きだと名指ししたバラは、ガートルード・ジェキル。
   ピンクの花が好みだと言うことだが、確かに、バラの花も色々あって、花姿の美しい、それに、風雨に強くて命の長いバラ、写真家の期待を裏切らずに待っていてくれるバラなどを、いつも追っかけているので、自然と好き嫌いがはっきりとするらしい。
   首のひょろ長い花が、風情があって良いと言うことだが、風に揺れる雰囲気を出そうとすれば、手持ちでは中々難しい。

   ところで、園内の付属施設や設備なども、レストランやローズショップやガーデンセンターなどを筆頭に綺麗に整備されていて、一大植物園と言った雰囲気で、バラは勿論、園芸ガーデニングに関する一切が揃っている。
   目を見張るのは、当然、バラの鉢植えや新苗・大苗など、多種多様なバラの即売コーナーで、何を、どのように買って帰れば良いのか、戸惑うのは当たり前で、多少、バラの知識があれば、一つ一つ見ながら、歩くのも楽しい。
   フレンチ・ローズのコーナーは、メイアン、ギヨー、デルバールの苗、イングリッシュ・ローズのコーナーは、殆ど、デビッド・オースチンの苗で、夫々、社名とマークが入った鉢に植えられていて、夫々の苗にバラの名札のタグがついている。
   私の庭のイングリッシュ・ローズには、ダビッド・オースチンのタグ、フレンチ・ローズには、ギヨーのタグがついているのだが、正真正銘のナーサリーの苗木だと言うことであろうか。
   
   ところで、イングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズは、1株4~5千円するので価格が問題かも知れない。
   今、店頭に並んでいるイングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズに拘らなければ、どんなに素晴らしいバラでも、カタログに載っている京成バラ園で育てられたバラの大苗か新苗の苗木を買えば、最新作など特別なものは当然別だが、半額以下であり、育てるのには、この方が間違いないし、それに、選択の幅が無数にあって、はるかに良いと思う。
   育てたいと思うのだが、もう、私の庭はパンク寸前で、ガレージまで、バラの鉢植えが侵入してきた。
   とりあえず、この日は、バラ用の皮手袋を買って帰った。
   また、梅雨の合間を見て出かけようと思っている。年間パスを買ったことだし。   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

増田義郎著「海賊」

2011年05月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、所謂、写真や図説がふんだんに載っている比較的気楽に読める解説書と言った雰囲気の本だが、文化人類学や歴史学の大家である増田義郎教授の著作であるから、学術的にも手抜きのない、しかし、実に面白い。
   今では、ソマリヤ沖やマラッカ海峡の海賊が有名だが、私の子供の頃には、ピーターパンのフック船長、今なら、さしずめ、パイレーツ・オブ・カリビアンであろうか。

   この本は、地中海の悪魔、海賊の巣ギリシャと銘打った章から始まる。
   まず、交易を盛んに行っていたフェニキア人が、平和な商人ではなく武装した商人であって、時と場合によっては、略奪も辞さない商人兼海賊であったから、これに対抗したあのギリシャ人自身も、商業取引だけではなく、海賊行為をどんどん行っていたと言う。
   驚くなかれ、ホメロスの「オデュッセイア」に出てくるトロイ戦争の英雄オデュッセウスさえも、「城址を攻略し、市民を掃討したのち、市中から婦女たちや、沢山の財物を奪い取って、仲間内で分配した」と書いてある。
   要するに、勝てば官軍負ければ賊軍で、ギリシャもローマも征服の美名のもとに海賊行為と戦争で、勢力を拡大して歴史を築いてきたようなものなのである。

   イスラムの台頭とその脅威に対抗して、イタリアやスペインが、ガレー船で闘う地中海の海戦や、オスマン帝国崩れのバルバリアの海賊の暗躍なども面白いが、何と言っても、大航海時代以降の、大西洋を舞台にした西洋列強間の私掠船の略奪行為と国家の命運をかけた熾烈な戦いである。
   アメリカの新世界で金銀財宝を蓄積したスペインを餌食とした英仏蘭などの私掠船(政府の正式の海軍ではないが、国王や貴族の免許状を持ち、彼らの出資を受けた船)の暗躍で、本来の海賊とははっきりと区別されてはいるが、各自の判断で略奪をおこなうのだから相手から見れば海賊であり、本国から実質的なバックアップを受けているだけに始末が悪い。

   フランスの私掠船は、太平洋だけではなくアメリカ大陸本土まで出かけて行って略奪の限りを尽くしたようだが、面白いのは、その後を継いだのはイギリスだが、交易に出かけたエリザベス女王出資のイギリス船団が、スペインのだまし討ちに会って大変な受難を受け、その船団の被害者の一人であったフランシス・ドレイクが、女王の指令を受けて私掠船活動を始めて、復讐への航海によって、前代未聞とも言うべきドレイクの大略奪を敢行したのである。
   さて、このドレイクだが、何処までも海賊で、マゼランの後をついで世界一周の旅に出たのだが、これも前代未聞の大規模な私掠を伴ったようで、実入りがすくなかったとかで、マゼラン海峡を回って東岸伝いに南アメリカ大陸を北上してサンフランシスコまで行って、途中で財宝を満載したスペイン船を襲って大略奪を行ったとか。ただし、スペインに配慮して文書上の証拠は殆ど残さなかったと言う。
   
   更に興味深いのは、ドレイクがこの世界一周で国にもたらした宝は、全部で60万ポンドで、30万ポンドを下らない配当を得たエリザベス女王は、この配当金で外債を全額清算し、その一部をレパント会社に投資して、その収益を基に東インド会社が組織されたとケインズが論文に書いているほどだから、謂わば、大英帝国の基礎を築いた英傑で、エリザベス女王も、ドレイクをナイトに叙したのである。
   英国の商船が、本当の貿易船だったのか海賊だったのかは別にして、その後、シティで盛んとなる、投資、そして、保険などの資本主義経済の萌芽が見え隠れしていて面白い。
   ドレイクの頂点は、1588年のスペインの無敵艦隊アラマダの撃破で、これによって、世界の覇権は、スペインから少しずつイギリスに移り、七つの海を支配する大英帝国の時代が始動し始めるのである。

   しかし、この時点では、海外に領土を持っていたのは、スペインとポルトガルだけで、16世紀以来、2世紀近くにわたって、イギリスは海外に殆ど領土を持たない小国に過ぎなかったと言うのだから面白い。
   強敵スペインと渡り合っていたのは、私掠船による略奪であったが、次の世紀になってからカリブ海で新しく獲得した植民地や基地を起点に、弱体化したスペインに対抗できるようになってきたので、私掠船と言う非常手段は不必要となって行ったと言う。

   この本の海賊は、主に、個人が主人公の海賊の物語だが、良く考えてみれば、イギリスのインド支配を筆頭に、欧米の植民地支配の実態の殆どは、国家的な略奪行為と言っても良い程、強者の理論に基づく結果であるような気がする。
   この本では、初期の海洋王国ポルトガルについては、アフリカの奴隷貿易程度の記述しかなく、スペインとともに、どちらかと言えば、国家レベルでの略奪に近い植民地支配が先行して富を築いていたので、仏英蘭の私掠船などの海賊の餌食だったのかも知れない。
   結局、冒頭での、ギリシャが、商人であり、かつ海賊であったと言う歴史上の事実について考えても、主観、価値観の問題であって、戦争行為と絡ませて考えれば、何が正義か分からなくなってくる。
   いずれにしろ、個人レベルであろうと国家レベルであろうと、海賊は、言うならば、時には、歴史上の主人公でもあったと言うことでもある。   この本には、男装していた女海賊が妊娠していたので減刑されたなどと行った興味深い話などもあって、非常に面白く読ませて貰った。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場五月文楽~「生写朝顔話」

2011年05月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第二部夜の部は、「絵本太閤記」と「生写朝顔話」。
   絵本太閤記では、光秀(勘十郎)の母さつきには、当然、文雀だが、何となく体調が優れないようで、途中から黒衣姿となったので気になったのだが、翌日から休演で、紋寿が代役に立ったようである。
   妻操に和生と言う豪華な布陣で、勘十郎襲名披露の舞台を思い出した。
   私自身は、光秀をそれ程悪い人物だと思っていないので、この「夕顔棚の段」と「尼ヶ崎の段」では、さつきが徹底的に光秀を悪者扱いして責めるので、正直なところ、見ていて面白くない。
   こうなると、いくら名舞台でも、そして、いくら名調子の人形浄瑠璃でも、感興が湧かないので、ただ、見ているだけである。
   大夫も三味線も名手揃いだが、芝居と言うのは、その芝居の中に入り込んで、舞台と同化しないとダメなようである。
   義経も、壇ノ浦の戦いで、禁じ手を使って平家に挑んだので、絶対に許せないと思っているので、同じように、歌舞伎や文楽で、いくら、素晴らしい義経の舞台でも、その気になって楽しめないので損をしている。

   そんな訳だから、最後の「生写朝顔話」の方が、私の好みに合っていて、物語としては、良く考えてみれば何となく解せないのだが、叙情的と言うか詩情があって面白いのである。
   思う男に恋焦がれて必死に生きる健気な女の物語なのだが、まかり間違えば清姫で、女の恋の激しさは、一寸、ドンファンには分からないのかも知れないが、男にも、シラノ・ド・ベジュルラックが居るではないか。
   日本の歌舞伎や浄瑠璃は、何故、お家騒動が好きなのか、要するに、これが原因で、別れ別れになった二人、男は宮城阿曽次郎後に駒沢次郎左衛門(玉女)で、女は家老秋月弓乃助の娘深雪後に朝顔(簔助)だが、ひょんなことから再会する。
   駒沢次郎左衛門が、出張の途路、島田宿の宴席に、盲目となり琴歌を聞かせて露命を繋ぐ今や朝顔と名を変えた深雪を呼ぶのだが、朝顔は盲目の悲しさ、自分の愛しい人だと言うことが分からない。
   心残りがして深雪は引き戻ったのだが、既に駒沢は出立、しかし、駒沢が深雪に残した因縁の歌を一筆書きつけた扇と金子と眼病が治る薬を渡されて、愛しい阿曽次郎だと分かる。
   必死の形相で後を追って大井川まで辿り着くが、駒沢は既に渡川。

   尤も、その後、命の恩人が現れて、その生血と秘薬を調合して飲んだら深雪の目が開いたと言うところで幕が下りるのだが、お家騒動にしろ、生血と秘薬の話にしろ、相変わらず、どこかの芝居の本歌取りで、発想の貧弱さが切ないのだが、とにかく、深雪の物語だけ追っかけておれば、それなりに、情緒があって楽しいのである。
   それに、何よりも、深雪を使う簔助の人形が生き生きとしていて、深雪と朝顔の心の揺れや心の襞が非常にビビッドで素晴らしく、健気でいじらしくも激しい女の仕種が堪らなく感動的なのである。
   これまで、弟子の勘十郎に相手役の立役をやらせていたが、今回は、玉女相手で、謂わば、玉男との舞台のようなものである。
   比較的珍しい舞台なので、非常に興味を持って鑑賞させて貰った。

   ところで、駒沢が、島田宿の衝立に、二人しか知らない朝顔の歌が書かれていたのを見て、深雪の健在を知り宴席に呼ぶ。同僚の岩代多喜太(勘録)の手前を憚って、朝顔に自分を名乗らないのですれ違うのだが、恋焦がれた世紀の恋とも言うべき愛人が目の前にいるのだから、普通の人間なら、再開に涙する筈。岩城が退席してから、朝顔を呼び返せと言うのだから、男の風上にも置けないだらしなさ。
   一方、朝顔をねぎらいの言葉を聞いて、その声で胸騒ぎがして引き返してくるのだが、愛しい愛しいで泣き明かして盲目になったくらいだから、声音など忘れる筈がない筈。
   まあ、下司の勘繰りは止そう、それが、芝居である。

   宿屋の段の浄瑠璃語りは嶋大夫、三味線は團七で、寛太郎の琴が加わる。
   嶋大夫のどこか訥々とした感じの語り口が私は好きで、いつも、感動して聴いていて、今回も、実に情緒たっぷりで楽しませて貰った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日経:日米未来・ビジョン・フォーラム~キヤノン御手洗冨士夫会長の提言

2011年05月24日 | 政治・経済・社会
   昨日、六本木ヒルズの会場で、日経電子版創刊1周年記念シンポジウム「創造力で拓く再生への道」が開かれ聴講した。
   マイクロソフトのスティーブ・パルマ―CEOはじめ、日本のトップ経営者(御手洗会長のほか、野村證券古賀信行会長、日本コカ・コーラ魚谷雅彦会長、三菱商事小島順彦会長)やHBSの竹内弘高教授が参加して非常に密度の高い講演が行われて、最初から最後まで満員盛況であった。
   このシンポジウムの概略は、既に、日経や日経電子版の記事やビデオで報じられているので、今回は、キヤノン御手洗会長のスピーチが、恐らく、日本財界産業界の希いだと思うので、感想を記してみたい。    

   御手洗会長は、大震災による復興は当然だとして、それ以前に日本が抱えていた深刻な課題の解決を絶対に忘れてはならないと、日本が最優先して果敢に遂行すべき目標を3点に絞って熱っぽく語った。
   平成の開国、道州制の導入、国家財政の再建、である。
   私が一番印象に残っている論点は、東北・北関東の高速道路沿いに生まれ活況を呈し始めていたハイテク関連の産業集積を死守すべきであり、日本の復興も経済の将来も、これに成功するかその如何に掛かっていると言うことである。
   自動車の心臓部の部品であるマイコン・メーカーを筆頭にした大震災地域の産業が壊滅的な打撃を受けて、日本のみならず世界のサプライチェーンを寸断して混乱に陥れたことによって、産業の西日本シフトなど分散化が騒がれているが、経済合理性から言って税制で有利で労働問題の少ないアジアへのシフトを考えるのは当然であり、これを阻止するためにも、東北・北関東の復興を一刻も早く成し遂げて、これらハイテク産業を復興再生すべきであると言う。
   
   最先端を行くハイテク等戦略的に重要な産業クラスターの開発・育成は、国家の経済産業政策の要諦であり、このサプライチェーンの要を担っている東北・北関東の産業集積の死守あってこその、日本再生だと説く。
   そのためにも、道州制の早急な導入は、喫緊の必須事で、復興特区でも名前は何でも良いから、先行的に東北の現地に、道州制の本部を置いて、中央コントロール支配を一切廃して、大胆な規制改革を実施して、ゼロベースで、すべて現地の判断で、業務を遂行できるようにすべきであると言う。
   また、東日本大震災で被災した企業や被災地に新たに投資する企業に対して、時限的に法人税や固定資産税などの免税を実施するなど優遇策を講じるべきであり、同時に、TPPの早期実施による開国政策とも呼応して外資を呼び込む、これこが日本復興への道標だと言うのである。

   経済合理性の感覚の最も強い産業界からの主張としては当然であり、疑問の余地がないと思うのだが、現状維持派で既得利権に左右される度合いの強い政治と官僚機構の抵抗を突破することが如何に難しいか、煮えガエルに徹し切ってしまった日本の悲劇が、このような国家の危機存亡の時期に至っても、繰り返されないことを祈りたい。
   特に、今の日本は、肝心の政治が迷走している。強い日本を信じて再起を期待している世界中の人々に応えるためにも、鉄は熱い内に鍛えるべきで、寸刻も許されぬ難事であることを肝に銘ずるべきであろう。喉元過ぎれば熱さを忘れる。

   もう一つ、財政再建についてだが、御手洗会長は、政府債務の900兆円(GDPの180%)に言及して、これ程巨額になると、虚心坦懐に考えても、経済合理性の判断に従って人々が行動するのは当然であり、一たび有事が発生すると、何が起っても不思議ではないので、想定外と言う考え方は、一切捨てよと警告を発した。
   先日、田原総一朗責任編集の 「 絶対こうなる!日本経済 」を読んでいたら、榊原教授は、この異常な国家債務には問題がないのだと語っていたが、かっての円高政策と言い、無責任極まりないと思っているが、国債の大半を日本の機関や個人が所有しているのでノープロブレムだとのたまう学者がまだ多いのにも呆れる。
   ジャック・アタリが予言する如く、経済成長がなければ、破綻するのは時間の問題だとすると、正に、リチャード・S・テドローの説く Denial: Why Business Leaders Fail to Look Facts in the Face---否認:何故ビジネス・リーダーは、眼前の現実を見誤るのか、の世界が現実となる。

   今回の原発問題で東電の株価が急落して、多くの会社や機関が減損処理で苦境に立ち、利回りの良い最も安全な投資と確信して退職金を全額注ぎ込んで地獄を見た個人などが出るなど、影響が大きいが、国債が危機的な状態に陥ると、この比ではなくなる。
   国家債務の増大が騒がれてから、殆ど一度も状況が好転した例がなく、益々、日本経済は悪化の一途を辿っている。
   もう、これだけ、未曽有の悲劇を経験し続けて来たのだから、眼前の現実を、「想定外」だと否認することは止めようではないか。

   余談かも知れないが、更にもう一つ、「まぐれ」と「ブラック・スワン」の著者ナシーム・ニコラス・タレブは、「人間が経験や観察から学べることはとても限られていて、人間の知識は非常にもろい」と言っている。
   「私たちの世界は、極端なこと、分からないこと、そして有り得ないこと(わかっていることによれば有り得ないこと)で一杯である。それなのに、どうでも良いことばかりに拘り、わかっていることや何度も起こることばかりに目を向けている。私たちは極端な出来事から手を付けるべきで、極端なことを例外として絨毯の下あたりに隠しておくのは間違いだ。」と言うのである。
   成長発展と称して、人類が依って立つ地球船宇宙号のエコシステムを破壊し続けて窮地に追い込んでしまった正にその人類が、今こそ、その英知が試されていると言えないであろうか。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の庭のフレンチ・ローズ

2011年05月23日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   この口絵写真は、ギヨー作出のフレンチ・ローズのフランシス・プレイズである。
   チョコレートがかった薄いピンク色(コーラルピンクと言うらしい)の非常に優雅な花びらで、咲き進むに従ってソフトピンクへと変わって行くと言う。この写真は咲き始めなので、完全に開き切った花は、花弁の密集したカップ咲きで、かなり大輪で豪華である。
   ほんのりとした芳香を放っていて、昨秋肥培に努めた甲斐あって、しっかりとした株に育って、勢いよく枝を伸ばしていて、先につけた花の重みに枝を撓ませて、春風に揺れる風情は中々面白くて良い。
   天辺の花は、房状になっていてフロリパンダの雰囲気である。
   完全に開きって外側の花びらが反りあがり始めると、山茶花の花びらのように、はらはらと落下する。

   もう一本開花しているのが、アニエス・シリジェル。
   1年前に、同じ条件で植えたのだが、この木は、やや小ぶりで、花数は多いのだが、中輪で、咲き始めは、こじんまりとした非常に清楚なピンクのバラで、所謂、典型的なバラと言う感じだが、咲き切った時には、びっしりと花弁の詰まったロゼット咲きである。
   イングリッシュ・ローズもそうだが、新しいバラは、蕾から、咲き始め、そして、完全に開き切るまでの間に、花姿を、時には、先のフランシス・プレイズのように花の色まで変化させてくれるので、幾重にも楽しませてくれる。

   今回新しく買ったのが、ネルソン・モンフォート。
   私の庭には、名前は分からないのだが、オランダの輸入苗を植えた毛色の変わった黄色いフロリパンダ系のバラがあるが、このバラも、私の庭には珍しい黄色で、やや淡いクリームイエローの大輪のようである。
   樹勢が強くて何本か新枝を伸ばしており、その先に小さな蕾を付けている。
   返り咲きと言うことなので、今回は蕾を摘んで木を育てて、秋の花を楽しもうかと思っている。

   私の庭のフレンチ・ローズは、この3本だけで、イングリッシュ・ローズと比べれば少ないのだが、その分、陽当たりの良い場所をとか置き場所にも注意して大切に育てている。
   この程度では、イングリッシュ・ローズも、フレンチ・ローズも、その違いさえ分からないのだが、要は、育てていて楽しければ良いのだと思っている。
   フレンチ・ローズを知りたくて、ナーサリーのギヨーのホーム・ページを開いたのだが、イングリッシュ・ローズのデビッド・オースチンのホーム・ページほどには完備していないので、殆ど役に立たなかった。
   もう少しすれば、NHKあたりが、手引書なり参考書を出してくれるだろうと期待をしている。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマト栽培日記2011~(6)桃太郎ゴールドが結実した

2011年05月22日 | トマト・プランター栽培記録2011
   やっと、大玉トマトや中玉トマトが結実し始めた。
   電気歯ブラシで授粉を助けた甲斐があったと言うものである。
   先日、この歯ブラシをどこかへ置き忘れてなくし、仕方なく、ジレットの髭剃りを当ててみたのだが、これも、結構役に立つ。最近では、携帯の普通の髭剃りにも電池が入っていて、刃先が振動するのである。
   花房に歯ブラシの先端を添えるだけだが、タイミングが合うと、丁度、スギ花粉が飛ぶように薄い煙のように花粉が飛ぶ。

   ミニトマトやマイクロトマトは、ほっておいても自然に結実するのだが、大玉トマトになると、やはり、自然では無理である場合があって、こまめに、受粉を助けてやる必要があるようであり、第一花房での受粉がダメだと、後々実成りが悪いと言う。
   そう言えば、田畑や家庭などでの除虫除菌などの農薬散布が激しいのか、最近では、私の庭を訪れる昆虫の数も種類も非常に減ってしまったような感じがする。
   いくら、食料生産だと言っても、自然のエコシステムを破壊することが良いのか悪いのか、問題ではある。

   完熟むすめなどの中玉トマトにも、小さな緑の実が成り始めて来た。
   イエローアイコの実など、大きなものは、既に、3センチくらいにまでなっている。
   昨年と比べて、一寸、ミニトマトの花の数が少ないような感じがするが、もう少し、様子を見ないと分からないかも知れない。
   
   ところで、いくら注意を払っていても、脇芽を見落として、脇芽かきをしくじる。
   桃太郎ファイトの副枝があまりにも大きくなっていて、花芽もついているので、切り落とすのも忍びなくて、良くないとは思ったが、2本仕立てを試みてみようと思って残した。
   マイクロトマトの萌芽が激しく、どんどん、元気な側枝が出てくる。
   しっかりした綺麗な枝なので、何となく、挿し木にして水を与えていたら、しっかりと根付いたようで、多少水切れしても、シャンとしていて萎れなくなった。
   同じようにプランターに移植してみようと思っている。
   トマトは、挿し木でも、すぐに根付くようで、その気になれば、いくらでも、苗木を増やすことが出来る。
   昨年、その挿し木苗を植えて見たが、同じ筈ながらも、何となく生育などにも、差があったような気がする。

   風が強いので、苗の成長に合わせて、支柱かけに注意している。
   
   

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューヨーク・シティ・オペラがリンカーン・センターを去ると言う

2011年05月21日 | 生活随想・趣味
   今日のNYT電子版を見ていたら、ニューヨーク・シティ・オペラ(NYCO)が、本拠地のリンカーン・センターから退去して、ニューヨークのあっちこっちで劇場を移して公演を行う計画だと報道していた。
   要するに、先回論じたフィラデルフィア管弦楽団と同様の経営難で、リンカーン・センターの賃貸料が高過ぎると言うことである。

   あのリンカーン・センターには、正面にメトロポリタン・オペラ(MET)、右手にアベリー・フィッシャー・ホールのニューヨーク・フィル(NYP)が、そして、左手にニューヨーク・シティオペラとバレーの本拠地がある。
   私は、METとNYPには良く行ったが、シティオペラは、確か、ビバリー・シルスのアンナ・ボレーナとバレーを見に一回ずつ行っただけなので記憶は殆どないが、随分前から、字幕サービスを実施していたのを覚えている。
   移転話は、30年も前からあったようで、NYPも2003年にカーネギー・ホールへ移る予定であったようだが成功しなかったと言う。
   
   ロンドンには、ロイヤル・オペラと、イングリッシュ・ナショナル・オペラENOがあるが、後者の場合には、原則的に英語での上演で、それに、新趣向で意欲的な公演が多くて、ロイヤルと同様に、イギリスのトップ・シンガーが登場していたので、結構出かけて楽しんだ。
   尤も、シーズン・メンバー・チケットを持っていたので、主体はロイヤルではあったが、ENOの場合には、大体、切符は買えて、直前だと半額になったので、良く飛び込み、面白い舞台を見ていたのである。
   ところが、シルスを聴くためには、NYCOでなければならなかったが、留学中のフィラデルフィアからであったり、旅行途中であったりだったので、折角だと、当然、METかNYPに行くことになった。

   METでさえ経営難で、総支配人のピーター・ゲルブが、METの舞台を録画して世界中の劇場で上演するMETライブビューイングを行うなど経営革新を実施して苦心惨憺しているのであるから、ビバリー・シルス、サミエル・レイミー、プラシド・ドミンゴ、シャルル・ミルンスを育てたと言うのだけれど、殆どMETと差別化のないNYCOが生き抜くのは至難の業であろう。
   10月からの新シーズンは、オペラ5演目と3回のコンサートで予算を切り詰めて行うと言うことだが、開幕5か月前だと言うのに、何処の劇場で、どんなオペラが上演され、誰が歌い、チケット代は幾らなのかも、全く分からないと言うのであるから、厳しさを通り越しているのかも知れない。
   メール・アドレスが残っているので、METとロイヤル・オペラとENOから、メールで、どんどん、興味深くて意欲的な秋からの新シーズンのプログラム情報が送られて来るのだが、これが、普通の状態なのである。
   
   先日、東京都交響楽団の定期公演に出かけて、インバルのブルックナーの2番を聞いて来た。
   1階は空席は少なかったが、前後左右、殆どのお客さんの顔触れが変わっていたので、私のように、シーズンメンバー券で、毎回同じ席で聴いている人は少なくて、都響も、チケット販売には苦労しているらしいことが分かる。
   私などシリーズ券をシルバーで買っているので安いのだが、まともにチケットを買えば、高いので7500円だから、サラリーマンの小遣い予算からすれば大変な比率で、先日客が減ったと言った歌舞伎や文楽にしても、好きでなければ、中々、気楽に手が出せないのではないかと思う。
   衣食足って礼節を知るの喩通り、やはり、芸術鑑賞は、経済的時間的余裕があることが必須で、こんなに経済状態が悪化して、先行き益々不安がつのって行く世の中になれば、明るさを期待できないのかも知れないと言う気がしてくる。
   芸術文化の国アメリカでさえ、オペラ劇団や交響楽団が苦境に立つ時代であり、日本も同じような状況になりつつあるようだが、やはり、大切なのは、経済成長で活気づく経済社会あったればこそだと言うことであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の庭のイングリッシュ・ローズ

2011年05月20日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   この口絵写真のイングリッシュ・ローズは、ガートルード・ジェキルと言う。
   月初めに買って来てプランターに植えたのだが、蕾は全部摘み取って、株を出来るだけ大きく育て、秋の開花に備えるべきだったのだが、どんな花が咲くのか見たくて、一つだけ蕾を残して咲かせたのである。
   勿論、この写真を撮ってから、すぐに、途中の本葉の上で剪定した。

   バラ色と言えば、うすくれないの色、淡紅色。英語で、rosy, rose-colored.と言うらしいが、分かったようで分からない表現である。
   いずれにしろ、ピンク系統のバラの花が多いのだが、これとは関係なく、何故か、私の庭の花は、桃色が多い。
   統計上は、白と黄色の花が、全体の70%だと聞いた記憶があるのだが、いざ、買って育てるとなると、何となく、特別な花は別として、色彩がはっきりとした花の方にプライオリティを置いてしまう。
   随分前の話だが、バラを育て始めた頃には、意識して、青みがかかった花や、薄いチョコレート色の花や、黒っぽい花など、毛色の変った色のバラの苗を買って来て植えていた。
   結局、思ったほど面白くなかったので止めたのだが、最近では、色だけではなく、姿かたちや色彩の混ざり具合やグラジュエーション、それに、芳香なども気になり始めたのだが、いずれにしろ、好き嫌いは、理屈抜きの第六感、直観である。

   ところで、このガートルード・ジェキル。かなり色の深いピンクで、まだ、咲き始めたところなのでロゼット咲き手前だが、しっかりした芳香がある。
   直立性の強い木で、真っ直ぐに長く伸びるので、つるバラ仕立てに出来るようだが、確かに、隣の枝は、新芽を勢いよく伸ばしている。
   返り咲きだが、秋の花は少ないようなので、枝の伸び具合を見て、株もと近くで切って自然樹形で育てるかどうか考えようと思っている。

   真っ先に沢山の花房を付けて華やかに咲いていたピンクのメアリー・ローズだが、最初は優雅な素晴らしい花を咲かせていたが、肥料不足で私の育て方が悪かったのか、エネルギーが消耗したのか、少しずつ、花が貧弱になって来て、花の散る速度が速くなってきた。
   花弁が多くて軟らかいので、山茶花のようにパラパラ落ちて行く。
   他のイングリッシュ・ローズの花は、少し花数も少なかったが、花持ちはしっかりしていて、ファルスタッフ(何故か、バラの名前は、フォールスタッフで通っているのだが)などは、かなり寿命が長く、シェイクスピア戯曲の人気主人公の名に恥じず生命力は強い。
   このファルスタッフは、もう一つのL.D.ブレスウェイトと同じで、正に、深紅の深い赤色で、デイビッド・オースチンでも最高の部類に入るバラだと言う。
   垣根に這わせているのだが、一寸地味かも知れないと思い始めている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9-11と3-11:メガリスク来襲に備えるとは・・・保井俊之慶大特任教授

2011年05月19日 | 経営・ビジネス
   今日、中央大学ビジネススクールが、「機能する事業継続計画(BCP business continuity plan)構築を目指して」と言うタイトルで、非常に時宜を得た公開シンポジウムを行ったので、聴講した。
   まず、冒頭、杉浦宣彦中大教授が、日本には、BCPについては、それなりに法制度や公的体制などは整っているのだが、今回の東日本大震災に際して、果たして、そのPCP・BCMが機能したのかどうかが問題で、もっと、BCPの範囲はより広範囲で柔軟性が必要であり、短期ではなく継続的に実行力のあるものを目指すべきで、従来型ではない新しいスタイルの使えるBCP/BCMの構築が必要ではないかと問題提起した。
   これを受けて、KPMG MCの秋元比斗志代取が、BCP/BCMに関する企業調査や国際比較を交えて、実効性のあるBCP/BCM(business continuity management)にむけて如何にあるべきかを論じた。
   興味深かったのは、最近のインフルエンザ事件以降企業のBCPに対する関心が高まり、今回の大震災時には、調査企業の65%が、地震に対するBCPを策定していたにも拘わらず、90%が、現状のBCPに対して何らかの不備や不足による課題を発見したと指摘していることである。

   その後、この二人に、保井俊之慶大教授、RGAMの永野竜樹CEO、JTの佐々木秀哉法務部次長が加わって、パネルディスカッションが行われたのだが、保井教授の表題のコメントが非常に興味深かったので、これを参考にして、BCP/BCMを考えてみたいと思う。
   まず、最初の指摘は、9-11の場合には、アサマ・ビンラディンによる米国の飛行機ハイジャックによる攻撃の可能性が予告されており、3-11の場合にも、東北電力は14.8メートルの津波来襲の予測による緊急非難オペを女川原発で実施し、専門家がM8.0の大地震と大津波の来襲リスクを予言していたにも拘わらず、両方とも、ノイズとして無視された。すなわち、メガリスクに対するインテリジェンスが機能しなかったのである。
   どちらも、「想定外」のトリプルパンチと言われているが、リスクマネジメントには、「想定外」などは有り得ないと言う。
   この指摘は、何度も引用するが、リチャード・S・テドローの「眼前の真実・事実を見誤って否認する愚行」の典型とも言うべきであろう。

   同じメガリスク対応でも、アメリカの9-11は早かったが、これは、Systems ApproachとResiliency of Systemsの二つの政策の勝利だと言う。
   問題解決の着眼点を「つながり」に着目して、木を見て森を見る解決法をみだしたこと。
   大打撃を受けながらも、メガリスクの具現化を防止、発生後は悪化することを防止、最悪の事態になる前に回復と、ノックアウトされる前に立ちあがって果敢に挑戦し続けたと言うことである。
   これに比べれば、如何に、日本の3-11への対応が拙いかが見えてくる。
   保井教授は、メガリスク対応への4つの政策要素から、その拙さを指摘し、更に、いまだにメガリスクの過小評価が続いており、十分に織り込めていない寸断の影響が如何に深刻か、「原発問題」の思わぬ繋がりが日本の経済社会を窮地に追い込みつつあることなどを指摘している。
   尤も、保井教授は、「つながろうとする日本の無名の人たち」が維持している「つながり力」の凄さが、日本の社会システムの安定と回復力の高さだと非常に評価しており、これこそが日本社会システムのresiliencyの伝統的高さであり、これを活かしたBCP/BCMの構築を目指すべきだと言う。

   もう一つ、ルネサスなど重要部品メーカーの操業停止で自動車産業を筆頭に日本のみならず世界のサプライチェーンが寸断されて、産業界に大きな打撃を与えているのだが、産業全体のサプライチェーンを視野に置いて産業政策を打たなかった日本政府の大きな失策だと指摘していた。
   このことは、欧米と比較して、日本のBCPは、自社中心で、影響の大きいステイクホールダーなど第三者との関係を殆ど考慮していないと、秋元代取が指摘していたのと正に同根で、やはり、日本社会のシステム・アプローチの欠如であろうか。

   最後の指摘は、危機管理は国際語であり、既に、BCPは、国際標準化しており、「国際規格」で語れるBCP/BCMでなければならないと言うことである。
   日本は特殊だと言う認識ではなく、国際標準であるべきものは、間髪入れずに、キャッチアップ出来なければ、グローバル対応など不可能だと言うことである。

   ところで、杉浦教授が指摘していたことだが、政府が、「事業継続ガイドライン」+チェックリストを公表していて、これを参考にして、自社のBCPを作成すれば、それなりに、形の整った美しい(?)ものが作成できると言う。
   大体、マニュアル好きで、マニュアルがなければ不安で、自分では何もできないと言うのが日本の多くの企業だが、和製SOX法や内部統制対応のために、そのシステムとマニュアル作成に大変な銭金と人力を費やしたものの、魂を入れずに抜け殻を作っただけだと言うのを聞いたことがあるが、その二の舞のような気がした。
   今回の福島原発事故に対して、東京電力のCSRは何だったのか、企業倫理はあったのだろうか、内部統制システムはどうなっていたのか等々、考えただけでも寒気が止まらないのだが、結局、日本社会は、秋元代取が指摘するように無名の庶民だけが賢い現場力だけが誇れる脳のないヒドラのような社会なのであろうか。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本格的なバラの季節がやってきた

2011年05月18日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   住宅街を歩いていると、垣根越しにバラの美しい花が妍を競っている。
   一番最初に目についたのは、黄色い花がびっしりと付いたモッコウバラで、垣根に広がって華やかだが、すぐに褪せてしまうので一寸さびしい。
   やはり、本格的な垣根のバラは、つるバラで、ハイブリッド・ティーやフロリパンダ系のバラが、華やかで良い。

   私は、昨秋枝の伸びたイングリッシュ・ローズのファルスタッフをつるバラ仕立てにして、垣根の左右に夫々2メートル程横に伸ばして誘引して置いたら、かなり、蕾がついて、もうすぐ開花する。
   ナーサリーのデビッド・オースチンの説明によると、同じイングリッシュ・ローズの苗木で、つる仕立てに出来るものを、壁面やフェンスに誘引して育てると言うことで、強剪定せずに、枝を伸ばせれば、恰好のつるバラになり、ファルスタッフなどは、その優等生なのである。
   この口絵写真は、アブラハム・ダービーだが、これも、つるを伸ばせば、つるバラ仕立てになる。
   今回、ピンクのガートルード・ジェキルと黄色のグラハム・トーマスを買ったので、これも、つるバラ仕立てに出来るようだが、沢山、垣根に這わせる余裕もないので、鉢植えのままか、精々、トレリス程度だと思っている。
   しかし、四季咲きや返り咲きのイングリッシュ・ローズが、仕立て方によって、簡単につるバラ仕立てに出来るのが面白い。

   ところで、昨年買った定番のマダム・アルディもそのようだけれど、オールド・ローズは、つるバラに良いのだが、一期咲きで、春にしか咲かないものが多くて、一寸、残念な気がする。
   しかし、つるバラには、このように一期咲きのものが多いようで、今回、ついでに買ってしまったポールス・ヒマラヤン・ムスクやエデン・ローズやロココも一期咲きか弱い返り咲きらしい。

   四季咲きと言っても、一年中花を咲かせるわけには行かないので、春と秋に集中して綺麗な花を咲かせるのだが、このリズムが、それなりに楽しい。
   イングリッシュ・ローズのように、返り咲きで、春から秋にかけて、連続して花を楽しめるのも良い。
   本当は、春に一度だけでも、立派に咲けば、十分だと思うのだが、ハイブリッド・ティーやフロリパンダなどのモダン・ローズで、豪華絢爛と咲く四季咲きのバラの魅力が当たり前になってしまったので、どうしても贅沢になってしまう。
   しかし、イングリッシュ・ローズは、オールド・ローズの芳香と沢山の花弁のカップ咲きやロゼット咲きの性質と、四季咲きと色彩の鮮やかさをモダン・ローズから受け継いでいる上に、多様なつるバラ仕立てにでも、何にでも仕立てられると言うのであるから、人気の出るのも無理はない。

   昨年から、イングリッシュ・ローズとフレンチ・ローズの苗を買って来て、栽培を始めたのだが、今年は、株も随分大きくなって、沢山の花芽を付けて、豪華に咲き始めている。
   バラの本や栽培テキストを参考にはするが、あまり、その指示に拘泥すると、煩わしくなるので、あくまで、我流のバラ栽培だが、神経質にならなくても、適当に咲いてくれて、切り花にしてインテリアとして楽しませてくれて、写真を撮る楽しみを与えてくれているので、十分、満足している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラジルでの事業展開への一考察

2011年05月17日 | 生活随想・趣味
   最近、日本企業のブラジルへの企業進出が多くなってきたのか、時々、日経記事に載っているのだが、初めて進出すると言う会社が多い。
   BRIC’sの一国だが、150万人の日系人が居る国であるにも拘わらず、日本経済にとっては、他のBRIC’sの国と比べて、地理的な意味だけではなく、遠い国である。
   1970年代のブラジル・ブームの時には、日系企業が大挙して進出し、サンパウロの日本人学校などは生徒数が1000人を越す大所帯で、ブラジル日系社会と呼応して、ガルボン・ブエノの日本人街は、大変な賑わいであった。
   ところが、第二次石油危機で、ブラジル経済が傾き始めると、殆どの日本企業は事務所を畳んで退却し、その後、一時は盛り返したようだが、結局、バブル崩壊後、日本経済が長い不況局面に入ってからは、日伯の経済関係は、殆ど萎んでしまった。
   それだけならまだしも、日系ブラジル企業の中核であった南米銀行や、日系移民の象徴でもあったコチア農業協同組合などが消えてしまい、ガルボン・ブエノが、東洋人街に変ってしまったと言うから、日系社会全体が地盤沈下したのであろうか。
   その間に、中国のラテン・アメリカへのアクセスが急で、特に、ブラジルへの経済協力が急速に進み、今日のブラジル経済の台頭と好景気は、貿易を始めとした中国との経済的な結びつきあったればこそだと言われている。

   さて、ブラジルだが、私の記憶では、日本の有名な大企業、特に製造業で、成功している企業は殆どないのではないかと思う。
   私がブラジルにいた頃は、イシブラスや新日鉄のウジミナスや日系の銀行、商社などはそれなりに事業をおこなっていたが、ヤオハンが派手な店舗展開で話題をまいていたがすぐに収束したし、アミーゴ社会に地盤を築いた青木建設がホテルとマンションで羽振りが良かったが、ブラジルの成功がアダとなってホテルに入れ込んで社運を傾けてしまった。
   そして、世界的なブラジル・ブームで、ブラジル経済は活況を呈したが、日系企業のプロジェクトは殆ど実現しなかったし、成功を収めた日本企業は殆どなかったのではないかと思う。
   それに、今現在、日本の進出企業で、長く事業を継続していても、恐らく、トヨタを筆頭に、成長が殆どなくていまだにかなり小規模で成功とは程遠い筈であり、私は、今でも続いている成功企業は、地道に現地化戦略を打ちつづけたヤクルトくらいしか知らない。
   
   財部誠一ブラジル・レポートで、ブラジルでの日本企業の失敗は、他国のグローバル企業と比べて、投下資本など進出規模が小出しで小さ過ぎるからだと報じていたが、これは、何もブラジルに限ったことではない、いわば日本企業の常であり、東南アジアなどほかの国では成功しているので、決定的な理由ではなかろう。
   むしろ、ブラジルとの経済協力の必要性が少なく、経済進出へのプライオリティが低かったのみならず、ブラジル事態が、非常に日本とは違った異質な政治経済社会構造を持っていて、日本人が容易にアクセス出来なかったからではなかったかと思っている。
   特に、ブラジルは、アミーゴ社会で、人的な信頼関係を重視する社会であるから、経済的な利害や論理のみで、事業の進退を簡単に決めるような近視眼的な日本企業には、冷たい筈で、今現在ブラジルで地盤を築いて成功している欧米のグローバル企業は、ブラジルでの長い歴史を誇っている企業が多い。
   歴史が比較的短い韓国企業などは、徹底したローカル化戦略を取って、アミーゴ社会に溶け込もうと努めていると言う。

   ブラジルでの事業を成功に導く秘訣は、ブラジルで、信頼に足る強力なアミーゴ企業なりパートナーを見つけて事業を推進することである。
   ブラジルは、ラテン文化文明の国であり、アメリカのような法律・契約等法制度を根幹とする法化社会ではないから、企業を取り巻く経営環境は、アミーゴ社会特有の価値観なり政治経済社会体制に支配されているので、企業経営なり経営戦略は、グローバルと言うより、よりグローカルを旨としなければならない筈だからである。
   単一民族の単一文化文明国家である日本人が、最もグローバル・ビジネスで注意すべきことは、日本が特殊な特別な国であると言うこともそうだが、それよりも、日本人自身が、その特殊な日本人自身の価値観と目でしか、モノが見えない、その純粋培養とも言うべき日本人の目からしか、モノを見ないと言うことである。
   再説するが、リチャード・S・テドローの説く「眼前の事実・真実を見誤って否認する愚」を犯して、折角のブラジルでのビジネス展開を誤って臍を噛まないことである。

(追記)口絵写真は、イングリッシュ・ローズ:メアリー・ローズ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする