来日中のハーバード大学エズラ・ヴォーゲル名誉教授の講演を、外人記者クラブでのスピーチと日経主催の「中国の将来展望と日本」シンポジュームで二回聞く機会を得た。
一世を風靡した著書「ジャパン・アズ・NO1」で教授の日本学を学び、その後、海外での事業活動や海外赴任を経験しているので、とにかく、世界一(?)の経済力のバックアップを得て自由に海外で活動出来た、その頃の良き時代の思い出を生み出してくれた、それがヴォーゲル先生である。
日本同様に、中国に対しても造詣が深くて日中問題に対しては世界的な権威でもある。
現在は小泉政権のお陰で、日中関係は戦後最悪状態。記者団の質問も靖国神社参拝問題を中心に日中関係に集中していたが、現在の日本の主流派の対中国に対する対応には、眉を顰める。
次の首相には、靖国神社参拝を止めて貰って中国との対話をしてくれることを願っている。
お互いに歴史の裏面を論うのではなく、国民に真の日中関係のあり方を教育し合って関係を修復することが大切だと言う。
若い日本人が先の大戦で日本人がどんな罪を犯したのか殆ど知らないので教えるべきであるし、中国人も分かっていないので、中国の為政者にも、日本人の正しい真の姿を伝えるべき努力をして欲しいと言うべきであると言う。
日本の軍国主義の復活についてはいまだにアジアの人々の不安は消えておらず、靖国神社参拝など問題外。第二次世界大戦後は、日本は平和国家に徹して徹底的に世界平和の為に貢献してきたのだと言うことを誠心誠意語り続けることであろう。
中国のことを中心に語ったが、日本との関係が良好であった頃の小平の改革解放政策時代の中国の歴史について克明に話した。
あの頃は、中国で「おしん」が放映されていて、中国人に感銘を与えたが、今は、抗日運動で活躍するゲリラをヒーローにしたTV番組ばかりらしい。
小平についての本を書くのだと言う。
小平は、周恩来と同じように16歳の時にフランスへ留学して勉強している。
60年代と70年代始めには、まだ、共産圏の経済競争力があったが、70年後半にシンガポール経由でフランスに渡欧した時に資本主義諸国の経済成長と急激な変化にショックを受けて、その優越性を知り中国より早く発展して行くことを悟った。
小平は、ソ連にも行っており、労働者から地方の党役員等幅広い経験を積んでいて視野が広く、社会や経済・政治構造の変更の必要を感じた。
1978年に、自ら訪日し、福田首相大平外相中曽根氏はじめ、土光経団連会長から稲山氏、川又氏、新幹線で大阪に行って松下幸之助氏にも会うなどオオモノに面会して教えを請い精力的に日本を見て回った。
その後、経済界のトップなどを2週間日本に派遣して勉強させたが、これ等の経験がその後の中国の発展に大きく貢献したと言う。
丁度、明治維新の頃に、日本から出た多くの欧米視察団に良く似ている。
小平は、とにかく、早急に経済改革を推進して経済成長を図りたかった。
小平は、改革解放運動には、「黒くても白くても、ネズミを取る猫が良い猫だ」と言って、理論衝突を避けて実務的な道を選び、一挙に開放するのではなく少しづつゆっくりの開放政策を取った。
新制度の導入も、華僑の協力を得やすい辺境の広東や深圳等の特別区から始めて徐々に拡大し、小企業から起こして雇用を拡大して大企業を吸収するなど摩擦を少なくしながら改革を進めていった。
日本との大きな違いは、法制度や社会体制等が全く未整備なままで改革開放が進展したので、西部劇の世界のようなもので、言わば原始的資本主義状態で、自由に大改革がなされた。
従って、民営化といっても不十分だし、改革そのものも日米の基準から言えば水準は低く問題は山積みであり、制度的にも体をなしていない場合がある。
文革時代は、毛沢東に忠実かどうか毛体制一本で、資格や教育など全くなきに等しく人材が育っていなかったので、何が出来るかが総てであった。
その後、精力的に教育に力を入れて積極的に人材育成政策を取っている。
しかし、胡錦濤主席や温家宝首相など現在の中国のトップは、工学部出身の実務派ばかりであり、いわば、サラリーマンで大胆なことは出来ないし、自由経済や国際政治などを勉強していないので、国際関係は苦手であると言う。
ヴォーゲル氏は、豊かな逸話を交えて中国の近代化への歴史を紐解きながら、現在の中国の持つ矛盾や問題点を浮き彫りにする。
現在の中日関係の現状だけを見ていると見失ってしまうような貴重な示唆に富んだ講演を流石だと思いながら聞いていた。
ヴォーゲル氏は、知識階級の一人としてブッシュ政権の政策に対して、特に、9.11後の変節に厳しい。
中国に対する姿勢としては、ブッシュ政府のように中国との対決姿勢ではなく、民主党的なリベラルなアプローチに近いようで、中国の動きをチェックするが、中国を国際社会に同化して招き入れようと言う姿勢である。
しかし、台湾対策だと言いながら、軍事への増額と軍拡に奔走する中国の動きには警戒すべきであると言う。
水、石油、公害、沿海と内陸部の格差の拡大、政府の腐敗、等々現在中国の直面する暗部についても語っていた。
一世を風靡した著書「ジャパン・アズ・NO1」で教授の日本学を学び、その後、海外での事業活動や海外赴任を経験しているので、とにかく、世界一(?)の経済力のバックアップを得て自由に海外で活動出来た、その頃の良き時代の思い出を生み出してくれた、それがヴォーゲル先生である。
日本同様に、中国に対しても造詣が深くて日中問題に対しては世界的な権威でもある。
現在は小泉政権のお陰で、日中関係は戦後最悪状態。記者団の質問も靖国神社参拝問題を中心に日中関係に集中していたが、現在の日本の主流派の対中国に対する対応には、眉を顰める。
次の首相には、靖国神社参拝を止めて貰って中国との対話をしてくれることを願っている。
お互いに歴史の裏面を論うのではなく、国民に真の日中関係のあり方を教育し合って関係を修復することが大切だと言う。
若い日本人が先の大戦で日本人がどんな罪を犯したのか殆ど知らないので教えるべきであるし、中国人も分かっていないので、中国の為政者にも、日本人の正しい真の姿を伝えるべき努力をして欲しいと言うべきであると言う。
日本の軍国主義の復活についてはいまだにアジアの人々の不安は消えておらず、靖国神社参拝など問題外。第二次世界大戦後は、日本は平和国家に徹して徹底的に世界平和の為に貢献してきたのだと言うことを誠心誠意語り続けることであろう。
中国のことを中心に語ったが、日本との関係が良好であった頃の小平の改革解放政策時代の中国の歴史について克明に話した。
あの頃は、中国で「おしん」が放映されていて、中国人に感銘を与えたが、今は、抗日運動で活躍するゲリラをヒーローにしたTV番組ばかりらしい。
小平についての本を書くのだと言う。
小平は、周恩来と同じように16歳の時にフランスへ留学して勉強している。
60年代と70年代始めには、まだ、共産圏の経済競争力があったが、70年後半にシンガポール経由でフランスに渡欧した時に資本主義諸国の経済成長と急激な変化にショックを受けて、その優越性を知り中国より早く発展して行くことを悟った。
小平は、ソ連にも行っており、労働者から地方の党役員等幅広い経験を積んでいて視野が広く、社会や経済・政治構造の変更の必要を感じた。
1978年に、自ら訪日し、福田首相大平外相中曽根氏はじめ、土光経団連会長から稲山氏、川又氏、新幹線で大阪に行って松下幸之助氏にも会うなどオオモノに面会して教えを請い精力的に日本を見て回った。
その後、経済界のトップなどを2週間日本に派遣して勉強させたが、これ等の経験がその後の中国の発展に大きく貢献したと言う。
丁度、明治維新の頃に、日本から出た多くの欧米視察団に良く似ている。
小平は、とにかく、早急に経済改革を推進して経済成長を図りたかった。
小平は、改革解放運動には、「黒くても白くても、ネズミを取る猫が良い猫だ」と言って、理論衝突を避けて実務的な道を選び、一挙に開放するのではなく少しづつゆっくりの開放政策を取った。
新制度の導入も、華僑の協力を得やすい辺境の広東や深圳等の特別区から始めて徐々に拡大し、小企業から起こして雇用を拡大して大企業を吸収するなど摩擦を少なくしながら改革を進めていった。
日本との大きな違いは、法制度や社会体制等が全く未整備なままで改革開放が進展したので、西部劇の世界のようなもので、言わば原始的資本主義状態で、自由に大改革がなされた。
従って、民営化といっても不十分だし、改革そのものも日米の基準から言えば水準は低く問題は山積みであり、制度的にも体をなしていない場合がある。
文革時代は、毛沢東に忠実かどうか毛体制一本で、資格や教育など全くなきに等しく人材が育っていなかったので、何が出来るかが総てであった。
その後、精力的に教育に力を入れて積極的に人材育成政策を取っている。
しかし、胡錦濤主席や温家宝首相など現在の中国のトップは、工学部出身の実務派ばかりであり、いわば、サラリーマンで大胆なことは出来ないし、自由経済や国際政治などを勉強していないので、国際関係は苦手であると言う。
ヴォーゲル氏は、豊かな逸話を交えて中国の近代化への歴史を紐解きながら、現在の中国の持つ矛盾や問題点を浮き彫りにする。
現在の中日関係の現状だけを見ていると見失ってしまうような貴重な示唆に富んだ講演を流石だと思いながら聞いていた。
ヴォーゲル氏は、知識階級の一人としてブッシュ政権の政策に対して、特に、9.11後の変節に厳しい。
中国に対する姿勢としては、ブッシュ政府のように中国との対決姿勢ではなく、民主党的なリベラルなアプローチに近いようで、中国の動きをチェックするが、中国を国際社会に同化して招き入れようと言う姿勢である。
しかし、台湾対策だと言いながら、軍事への増額と軍拡に奔走する中国の動きには警戒すべきであると言う。
水、石油、公害、沿海と内陸部の格差の拡大、政府の腐敗、等々現在中国の直面する暗部についても語っていた。