愛用している富士通のノートパソコンが、fan error で、調子が悪くなったので、修理に出した。
富士通のWEB MARTで買って、3年保証期間が残っていたので、これで対応したのだが、すぐに、親切に対応してもらって、帰ってきた。
ほんの数日間だが、パソコンのない日が続くと、いっぺんに生活のリズムが代わってしまって、戸惑う。
しかし、驚いたのは、一日の生活で、パソコンの前に座っている時間が如何に長いか、すなわち、パソコンに隷属している日々の生活の比重が如何に高いかと言うことに驚いたのである。
私の場合は、スマホを使っていないので、これを併用しておれば、幸か不幸かは別として、まさに、インターネットの奴隷と言うところであろうか。
さて、パソコン修理で空いた時間、何をしていたかと言うことだが、真っ先に増えたのは、読書の時間である。
早く読みたいと思っていた「フラット化する世界」のトーマス・フリードマンの最新刊「遅刻してくれてありがとう 上下」。
まだ、全部は読み切れてはいないが、ゆっくりと味わって読んでいて、非常に面白い。
続いて、「ザ・セカン・マシン・エイジ」や「ロボットの脅威」を読むことになると思うが、私の場合、速読法を取っていないので、各々、400ページくらいの、かなり、内容のある本なので、時間がかかりそうだが、既知の知識情報の重複が多いので、それ程、苦痛でもない。
先日、「働き方改革関連法案」が、参議院本会議で決議されて成立した。
日経には、「迫られる生産性革命」と言うサブタイトルが踊っているが、人知や人能を凌駕してどんどん進化して行くAIや人間社会を雁字搦めに取り巻くIOTの将来を考えれば、如何に高度なプロフェッショナルな仕事であっても、早晩、ロボットやインターネットに駆逐されてゆくのは目に見えており、この法案の目指すところなど、すぐに陳腐化して時代遅れとなってしまう。
早い話、フリードマンの言を借りれば、今や、ムーアの法則とデジタル・グローバリゼーションの加速によって、世界の趨勢は、「仕事が職と分離され、仕事と職が企業と分離されて、その多くがプラットフォーム化している」段階に達しており、加速の時代が定着すると、ムーアの法則が総てをデジタル化して、供給、デザイン、製造などすべての要素を分離させてグローバル化すると、職と言う概念そのものが激変して行き、ブラック企業に蹂躙されるなどと言った慣行は愚の骨頂となろうか。
この法案が、働く人にとって幸か不幸か、日本にとって良いか悪いかは私には分からないが、現実のグローバル経済および経営環境は、そのような悠長な低次元の議論をはるかに超えたところで推移していると言う現実を直視すべきだと言うことである。
労働賃金の安い中国や発展途上国に製造業が移動して日本の空洞化が心配されたのは、ほんの少し前の話で、今では、ICT,デジタル革命の恩恵を受けて産業構造は大きく様変わりして、低労働や低技術のみならず、専門的なプロフェッショナル・サービスでも、機械に駆逐されてしまい、従来の仕事がいつまで生き延びて雇用を維持してくれるのかは、時間の問題となって、不透明極まりない時代になってしまった。
クリントン大統領時代には、「一生懸命働いて、ルールを守れば」、そして、適度な教育を受けておれば、人並みの中流生活ができたアメリカだが、高給で中スキルの仕事は、フィルム大手のコダックと共に消滅してしまった。
今や、エスカレーターの速度より早く昇り、絶えず自分を作り直して、何らかの形の高等教育を受け、生涯学習に邁進し、新しいルールに従い、なおかつ新しいルールを作り直して、一層努力しなければ、ミドルクラスの生活は望み得なくなったと言うのである。
AIやIOTが、人間にとって良いことかどうかと言うことは分からないが、仕事に関する限り、ロボットやインターネット、機械などが、どんどん、人間に変わって仕事を奪い、労働市場から、代替可能な労働から、労働者を駆逐して行くことは間違いなかろう。
「ベーシックインカム」論が脚光を浴び始めたのも、この傾向を見越しての対策論であろう。
ところで、フリードマンは、一つだけはっきりさせておこうと、「ロボットが雇用をすべて奪うことにはならない。」と言っている。
そうなるのは、私たちが手をこまぬいていた場合――労働、教育、スタートアップの分野でのイノベーションを加速しなかったとき――だけだ。として、初等教育、仕事、生涯学習のコンベアベルトすべてを考え直さなければならないと、厳しい現実を直視しつつ、「AIをIAに変える」ことを説いている。
失われた10年と言われて久しく、その後、失われた四半世紀と言われ、日本がどんどん世界の潮流に遅れて、今や、中国や多くの途上国にもキャッチアップされて、普通の国になってしまった感じで、ICT,デジタル革命分野で、大きく後れを取ってしまっていることが、このフリードマンの本を読めばよく分かる。
遅れを取ったのは、経済だけではなく、文化文明、社会の進化においても、取り残されつつあり、Japan as No.1時代の、あの溌溂としたフロントランナーとしてのパワーとエネルギーが、どこかへ消えてしまっている。
日本が、素晴らしい一等国であった国であると言うことが懐かしくなるのである。
富士通のWEB MARTで買って、3年保証期間が残っていたので、これで対応したのだが、すぐに、親切に対応してもらって、帰ってきた。
ほんの数日間だが、パソコンのない日が続くと、いっぺんに生活のリズムが代わってしまって、戸惑う。
しかし、驚いたのは、一日の生活で、パソコンの前に座っている時間が如何に長いか、すなわち、パソコンに隷属している日々の生活の比重が如何に高いかと言うことに驚いたのである。
私の場合は、スマホを使っていないので、これを併用しておれば、幸か不幸かは別として、まさに、インターネットの奴隷と言うところであろうか。
さて、パソコン修理で空いた時間、何をしていたかと言うことだが、真っ先に増えたのは、読書の時間である。
早く読みたいと思っていた「フラット化する世界」のトーマス・フリードマンの最新刊「遅刻してくれてありがとう 上下」。
まだ、全部は読み切れてはいないが、ゆっくりと味わって読んでいて、非常に面白い。
続いて、「ザ・セカン・マシン・エイジ」や「ロボットの脅威」を読むことになると思うが、私の場合、速読法を取っていないので、各々、400ページくらいの、かなり、内容のある本なので、時間がかかりそうだが、既知の知識情報の重複が多いので、それ程、苦痛でもない。
先日、「働き方改革関連法案」が、参議院本会議で決議されて成立した。
日経には、「迫られる生産性革命」と言うサブタイトルが踊っているが、人知や人能を凌駕してどんどん進化して行くAIや人間社会を雁字搦めに取り巻くIOTの将来を考えれば、如何に高度なプロフェッショナルな仕事であっても、早晩、ロボットやインターネットに駆逐されてゆくのは目に見えており、この法案の目指すところなど、すぐに陳腐化して時代遅れとなってしまう。
早い話、フリードマンの言を借りれば、今や、ムーアの法則とデジタル・グローバリゼーションの加速によって、世界の趨勢は、「仕事が職と分離され、仕事と職が企業と分離されて、その多くがプラットフォーム化している」段階に達しており、加速の時代が定着すると、ムーアの法則が総てをデジタル化して、供給、デザイン、製造などすべての要素を分離させてグローバル化すると、職と言う概念そのものが激変して行き、ブラック企業に蹂躙されるなどと言った慣行は愚の骨頂となろうか。
この法案が、働く人にとって幸か不幸か、日本にとって良いか悪いかは私には分からないが、現実のグローバル経済および経営環境は、そのような悠長な低次元の議論をはるかに超えたところで推移していると言う現実を直視すべきだと言うことである。
労働賃金の安い中国や発展途上国に製造業が移動して日本の空洞化が心配されたのは、ほんの少し前の話で、今では、ICT,デジタル革命の恩恵を受けて産業構造は大きく様変わりして、低労働や低技術のみならず、専門的なプロフェッショナル・サービスでも、機械に駆逐されてしまい、従来の仕事がいつまで生き延びて雇用を維持してくれるのかは、時間の問題となって、不透明極まりない時代になってしまった。
クリントン大統領時代には、「一生懸命働いて、ルールを守れば」、そして、適度な教育を受けておれば、人並みの中流生活ができたアメリカだが、高給で中スキルの仕事は、フィルム大手のコダックと共に消滅してしまった。
今や、エスカレーターの速度より早く昇り、絶えず自分を作り直して、何らかの形の高等教育を受け、生涯学習に邁進し、新しいルールに従い、なおかつ新しいルールを作り直して、一層努力しなければ、ミドルクラスの生活は望み得なくなったと言うのである。
AIやIOTが、人間にとって良いことかどうかと言うことは分からないが、仕事に関する限り、ロボットやインターネット、機械などが、どんどん、人間に変わって仕事を奪い、労働市場から、代替可能な労働から、労働者を駆逐して行くことは間違いなかろう。
「ベーシックインカム」論が脚光を浴び始めたのも、この傾向を見越しての対策論であろう。
ところで、フリードマンは、一つだけはっきりさせておこうと、「ロボットが雇用をすべて奪うことにはならない。」と言っている。
そうなるのは、私たちが手をこまぬいていた場合――労働、教育、スタートアップの分野でのイノベーションを加速しなかったとき――だけだ。として、初等教育、仕事、生涯学習のコンベアベルトすべてを考え直さなければならないと、厳しい現実を直視しつつ、「AIをIAに変える」ことを説いている。
失われた10年と言われて久しく、その後、失われた四半世紀と言われ、日本がどんどん世界の潮流に遅れて、今や、中国や多くの途上国にもキャッチアップされて、普通の国になってしまった感じで、ICT,デジタル革命分野で、大きく後れを取ってしまっていることが、このフリードマンの本を読めばよく分かる。
遅れを取ったのは、経済だけではなく、文化文明、社会の進化においても、取り残されつつあり、Japan as No.1時代の、あの溌溂としたフロントランナーとしてのパワーとエネルギーが、どこかへ消えてしまっている。
日本が、素晴らしい一等国であった国であると言うことが懐かしくなるのである。