熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・スズラン、黄色い牡丹咲く

2020年04月30日 | わが庭の歳時記
   下草の陰に、ひっそりと咲き出したのは、スズラン、ドイツスズラン(Convallaria majalis)である。
   あっちこっちから、花には不似合いなほど大きな扁平な葉っぱが出てくるので、それと分かるのだが、花が咲いたかどうかは、注意していないと気づかない。
   小さな草花なので、鉢植えが良いのであろうが、庭に広がって、何の手入れをしなくても、毎年咲いてくれるので、そのままにしている。
   このかわいいスズランが、有毒物質を、特に花や根に多く含んでいて、摂取した場合、嘔吐、頭痛、眩暈、心不全、血圧低下、心臓麻痺などの症状を起こし、重症の場合は死に至ると言うのであるから、驚く。
   
   
   

   もう一本残っていた黄色い牡丹が咲いた。
   先に咲いた黄色い牡丹がまだ咲いているのだが、少し遅れて追っかけて、シャクヤクの蕾が色づき始めている。
   同じような花でありながら、牡丹は木で、シャクヤクが草花なので、シャクヤクの方が場所を取らず、春になると芽が出て適当に咲くので、わが庭には、シャクヤクの株の方が多いのである。
   
   
   
   
   
   
   
   
   梅の実が、随分大きくなってきた。梅雨に入ると一気に肥大し、わが梅酒の材料となる。
   ミヤコワスレが、今、最盛期で、菊枝垂桜が、春を惜しみ、最後の椿が、春の名残りを告げるように、残照を輝かせている。
   
   
   
   
   
   
   
   
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国立劇場・・・3月歌舞伎:義経千本桜 四段目(道行初音旅・河連法眼館)

2020年04月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   河連法眼館の場で、静御前に付き従っていた忠信が、源九郎狐としての正体を現す華麗な舞台である。
   河連法眼館の場も、法師団の登場以降後半が省略されているので、ストーリーとしては、重要な展開はないのだが、この舞台は、道行初音旅の華麗な舞踊と、源九郎狐の早変わりの面白さなど、見せて魅せる演出を楽しむ視覚芸術の世界である。

   この舞台については、文楽を含めて、結構沢山観ている。
   以前に、書いた私のブログを引用すると、
   「川連法眼館」の場は、やはり、ここでは、主役の忠信・源九郎狐役者の力量が総てと言えるほど、狐忠信の芸が重要である。
   外連味豊かで、正に見せて魅せる舞台を展開してくれた猿之助や、ロンドンやローマでも大成功を納めた海老蔵の素晴らしくアクロバチックでダイナミックな舞台や、勘三郎の人間味豊かな心温まる舞台などを見て来たが、何故か、菊五郎の舞台を見る機会が多かった所為もあろうが、この源九郎狐は、菊五郎の舞台だと言う気が強くしている。
   威厳があって実に風格のある冒頭の佐藤忠信の登場から、菊五郎の芝居は異彩を放っているのだが、一転して、狐忠信として登場すると、もう、全身全霊、親を慕い憧れる子狐に生まれ変わって、ナイフを触れただけで血が迸り散るような命の鼓動を直に感じさせてくれる凄い芝居を見せてくれて、感動の連続である。
   人間国宝の人間国宝たる至芸の成せる業であろうか。

   今回の菊之助は、まさに、その素晴らしい菊五郎のコクのある至芸の継承であり、それに、溌剌とした若さの輝きが加わったというか、とにかく、美しくて感動的な舞台であった。
   菊之助は、〈平知盛〉〈いがみの権太〉〈忠信・源九郎狐〉のキャラクターの全く違う三役を、一挙に、通し狂言で演じたわけだが、知盛は義父吉右衛門の、忠信狐は父菊五郎の指導よろしきを得て、権太は役を工夫しながら地で行ったという幸運はあったとしても、女形で華麗な美しい芸を披露することが多い菊之助としては、主役の立役の連続を無難に熟し得たのであるから、大変な快挙である。
   『NINAGAWA十二夜』の琵琶姫/獅子丸と、『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』の迦楼奈/シヴァ神しか観ていないが、凄い新作歌舞伎にも意欲的に挑戦しており、二人の人間国宝の父と義父の芸の継承で、益々、芸の深化と芸域の広がりに邁進できるのであるから、楽しみである。

   さて、道行初音旅は、次のようなストーリーだが、吉野桜であろうか、春爛漫に咲き乱れる春をバックにして踊り舞う静御前(時蔵)と菊之助の忠信の華麗な舞台が魅せる。
   都に居た静御前は、義経恋しさに、義経が吉野にいるとの噂を聞き、吉野に向うのだが、義経より預かった初音の鼓を打っていると、佐藤忠信があらわれた。 忠信が義経より賜った鎧を出して敬うと、静はその上に義経の顔によそえて鼓を置いた。この鎧を賜ったのは、兄継信の忠勤であると言って、継信が屋島の戦いで能登守教経と戦って討死したことを物語る。静と忠信主従は芦原峠を越え、吉野山へ向かう。
   
   
   
   
   
   
   
   さて、河連法眼館の場の狐の段は、次の通り。
   法眼と飛鳥のやりとりと義経登場の冒頭部分の後、
   佐藤忠信が、河連法眼の館を訪ねてくる。義経は託した静御前の安否を尋ねるが忠信には憶えがない。静と忠信が到着したのだが、忠信は姿を消していない。不思議に思った静は、道中、初音の鼓を打つと必ず忠信が姿を現したことを思い出したので、義経はそれを手掛かりに真相の究明を命じる。静が鼓を打つと忠信が現れ、鼓の音色に聞き入り、鼓の前にひれ伏す。静が、刀を向けて迫ると、忠信は、桓武天皇の治世、雨乞いのために大和の国で千年の命を保ち、神通力を得た牝狐と牡狐の皮を用いて初音の鼓を作ったが、自分は、その鼓の子で、狐であると語った。狐は、鼓が義経の手に渡り静に託されたので、忠信の姿を借りて静警護で親に付き添うことができて幸せだったが、迷惑がかかるので、想いを断ち切り、義経から譲られた「源九郎義経」の名前を、自分の名前「源九郎義経」とすると言い残し、鼓に名残を惜しんで姿を消す。奥でその様子を聞いた義経は、生後間もなくの父親との死別、親同然の兄との不和という自身の肉親との縁の薄さに比べ、狐の愛情の深さに心動かされ、再び姿を現した狐に、静の供をした褒美として鼓を与える。喜んだ狐は横川覚範の夜襲を知らせ、神通力で援護すると約束し、鼓を持って飛ぶように姿をくらませる。
   
   
   
     
   
   
    
   
   
   
   
     
   
   
   
   
   
   

   独特の狐言葉、手足の仕草を微妙に変えて狐を演じる菊之助の細やかな芸の巧みさ、軽やかでアクロバティックな身のこなし、転げ回って小鼓にじゃれつく天真爛漫な子狐、
   凜々しくて風格のある東北侍の忠信の貫禄から、一変した狐忠信と子狐の狐言葉は、柔らかい女方の子供言葉
   これこそ、感激し続けた菊五郎の至芸そのものであると思った。

   静御前 時蔵(道行) 梅枝(河連法眼館)
   義経 鴈治郎
   河連法眼 権十郎
   法眼妻飛鳥 萬次郎
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国立劇場・・・3月歌舞伎:義経千本桜 三段目(椎の木・小金吾討死・鮓屋)

2020年04月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「義経千本桜」の三段目は、椎の木・小金吾討死・鮓屋、いがみの権太(菊之助)が主役の歌舞伎である。
   冒頭、「椎の木」では、平重盛の子息三位中将維盛(梅枝)の奥方若葉の内侍(吉弥)と子息六代、家来小金吾(萬太郎)の一行が、平維盛を追って大和国を経由し高野山へと向かう途中、吉野下市村に差し掛かり、親切に椎の実広いを手伝ってくれたはずの権太に強請られ路銀を騙し取られ、「小金吾討死」では、小金吾は、若葉の内侍と六代探索の追手に深手を負わされ、嘆く内侍と六代をその場から逃がして息絶えた。
   一方、維盛は、重盛に恩のある釣瓶鮓屋の弥左衛門(実は権太の父親、團蔵)が、熊野詣の時に維盛と偶然出会い大和下市に連れてきて弥助と名乗らせ匿まわれていて、弥左衛門の娘お里(米吉)がゾッコン。
   そこへ、若葉の内侍と六代が偶然迷い込んできて親子再会を果たすのだが、鎌倉の武士梶原景時(権十郎)が来ると告げられ、維盛たちは驚くが、お里が上市村にある弥左衛門の隠居所に逃げて行くよう勧め、維盛たちはその場を立ち退く。
   ところが、それを、物陰に隠れて聞いていた権太が、維盛たちを捕まえて褒美にしようと、それを止めようとするお里を蹴飛ばし、先に母をだまして隠していた三貫目の入ったはずの鮓桶を持って飛出して行く。
   
   
   
   
    
   
   
   
   

   ここからが、この舞台のハイライトで、歌舞伎の常套手段で最も有名な、いがみの権太の「もどり」。
   欺し強請りを地で行く悪行の限りを尽くして生きてきた権太が、匿われていた平維盛の妻若葉の内侍と若君六代の君を梶原景時ら捕り手に引き渡す。怒った父親に刺されて瀕死の状態の権太が、ここで初めて、維盛一同を救うために、父が持ち帰ってきた小金吾の首(三貫目の桶と間違って持ち出した)を維盛の首と偽って差し出し、妻とわが子を身代りに立てたことを告げて真実を明かす、悪玉が実は善玉と言う、どんでん返しを演じるのである。
   関西弁で、どうしようもない悪ガキを、「あの子、権太やなあ」と言うのだが、いがみの権太は、その程度の悪ガキではなく、徹頭徹尾の悪人であるから、余計に、信じられないような善玉に変ってしまうので、劇的効果が満点なのである。
   権太は、苦しい息の中から、身を隠して立ち聞きしていた、維盛と弥左衛門の身の上を聞いて改心したと言うのである。
   
   ところが、褒美の代わりに、景時は着ていた頼朝から拝領の陣羽織を脱いで権太に与え、これを持って鎌倉に来れば、引き換えに金を渡すと言われたのだが、助けられて現れた維盛が、その陣羽織を裂くと、中から、袈裟衣と数珠が出てきて、頼朝が、清盛の継母池の禅尼に命を助けられたその恩に報いて、今度は、頼朝が維盛の命を助けたことが分かる。
   権太が苦心惨憺編み出したはずの身替りの計略は、すべて見破られていて、逆に、権太が謀られた、
   悪の報いを悔やみながら、権太は、維盛たちを見送り、逝く。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   さて、この第三段目の浄瑠璃の主役は、いがみの権太だが、「義経千本桜」としては、維盛であろう。
   維盛の最期については、色々な伝説があって定かではないが、その伝承話を上手く脚色しながら、この浄瑠璃は創作されていて面白い。
   平家物語には、巻第七・維盛都落で、妻子との悲しい別れが描かれ、巻第十・維盛出家 では、高野山での出家の後、沖に出て入水自殺が語られれている。
   維盛は、一ノ谷の戦い前後、密かに陣中から逃亡して、30艘ばかりを率いて南海に向かい、のちに高野山に入って出家し、熊野三山を参詣して、船で那智の沖の山成島に渡り、松の木に清盛・重盛と自らの名籍を書き付けたのち、沖に漕ぎだして入水自殺したのである。
   最期は、訳文を借用すると、
   ”中将は今が極楽往生の絶好の機会だとお思いになり、たちまちに妄念をひるがえして、声高に念仏を100遍ほど唱えつつ、「南無」と唱える声とともに、海へお入りになった。”
   父重盛が長生きして居れば、平家の運命のみならず、維盛の人生も、輝いていたはずだが、歴史は、武家政治へと急旋回しながらも、それを許さなかった。
   維盛自身、富士川の戦いや倶利伽羅峠の戦いで、総大将でありながら惨憺たる負け戦で、鹿ケ谷の陰謀に加担した藤原成親の娘が妻であったと言う不幸など、悲劇の貴公子であったが、女方の演じる梅枝のような雰囲気であったのであろうか。

   さて、今回のこの歌舞伎は、人を得て、非常に良くできた舞台で、楽しませて貰った。
   これまで観た舞台では、仁左衛門のいがみの権太が、最も印象に残っているのだが、この役は、多少小賢しい、箸にも棒にもかからない、どうしようもないチンピラヤクザでありながら、底が抜けていてどこか憎めない小悪の悪ガキの雰囲気を醸し出した役で、やはり、大阪弁で喋る上方役者にしか出せない味が見え隠れしているような気がしている。
   尤も、團十郎の舞台も凄くて印象に残っているのだが、今回の菊五郎のように、直球勝負で、ストレートにいがみの権太に成り切って、正攻法でイメージを膨らませて行く新境地の良さも実感して興味深かった。

   ところで、この国立劇場の「義経千本桜」も、ぼつになった3月歌舞伎を、無観客で映像化しての配信なのだが、期間限定である所為もあって、テレビなどの録画番組とは違った雰囲気があって良い。
   臨場感はないが、舞台だと、詳細が分からないのだが、細かい描写など雰囲気が手に取るように分かって、丁度、METライブビューイングのような良さがあって楽しませてくれた。
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三月大歌舞伎・・・「梶原平三誉石切」

2020年04月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   義経と対立し頼朝に讒言して陥れた悪人扱いになっている梶原平三だが、唯一とも言うべき風格と威厳のある善人として描かれた舞台「梶原平三誉石切」、
    「鶴ヶ岡八幡社頭の場」で、白鸚の極めつきの梶原平三の舞台である。
   これまでに、白鸚と吉右衛門の「梶原平三誉石切」を何度か、鑑賞させて貰ったが、初代の白鸚らから継承された高麗屋のお家の芸として育まれてきた素晴らしい舞台である。

   尤も、冒頭、鎌倉八幡宮に、源頼朝の挙兵を石橋山で破った平家方の武将・大庭三郎景親と俣野五郎兄弟が参詣に来ているところへ、同僚の梶原平三景時が梅を観にやってきて一献汲み交わすシーンから始まっていて、この歌舞伎では、頼朝の忠実なる家来の梶原平三であるはずが、源氏でありながら、心情では平家に加担する武将という設定になっている。
   そして、そこへ、青貝師の六郎太夫と娘梢がやってきて、家伝来の宝刀を買ってほしいと懇願する.
   この刀を売るのは、頼朝に味方する関東の武士の真田文蔵の許嫁の梢に金を渡して、源頼朝再挙の軍資金調達に資するためであることが最後に分かって、梶原平三は、源氏の味方だと本心を明かす。
   刀の目利きの時に、差裏の八幡の文字に気づいて、父娘が源氏所縁の者と分かっており、最後に、石橋山の戦いで頼朝を助けたのは自分であり、「形は当時平家の武士、魂は左殿の御膝元の守護の武士、命をなげうって、忠勤をつくすべし」と素性をあらわす。
   大庭が、梶原に鑑定を頼み、梶原が希なる名刀だと応えるのだが、俣野が切れ味が劣れば鰹かき同然とイチャモンを付けたので、二つ胴の試し切りをすることとなったが、囚人が1人しか居らず、六郎太夫がその1人に願い出て、梶原が試し切りをして、太夫を助けるために、囚人は切ったが、太夫の縄を切っただけであったので、失敗だとあざ笑って場を去る大庭、俣野を見送った梶原は、刀の売却が出来なくなって失望落胆する二人に、真実を語るのである。
   梶原は、なまくら刀と思って絶望する太夫に、まさしく名刀であるとその証拠を見せるために、そばにあった手水鉢を見事に真っ二つに切ってのけ、名刀を買い受けると約束して去って行く。

   主な配役は、次の通り。
   梶原平三景時 白鸚
   俣野五郎 錦之助
   梢 高麗蔵 
   囚人剣菱呑助 橘三郎
   青貝師六郎太夫 錦吾
   大庭三郎 芝翫

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   白鸚と吉右衛門の舞台では、六郎太夫が歌六で、梢が雀右衛門であったが、今回は、高麗屋の渋いベテランの錦吾と高麗蔵が演じていて、新境地を開いた感じで興味深い。
   最近観たのは、坂東彦三郎家の襲名披露公演で、彦三郎の梶原平三、父楽善の大庭三郎、弟亀蔵の猪俣五郎の親子二代が重要な役を演じ、團蔵の父太兵衛と市川右近の梢が華を添え、正に襲名披露狂言に相応しい素晴らしい舞台で、当然、人間国宝祖父十七世市村羽左衛門の継承した羽左衛門型の舞台を魅せた。

   梶原には、名刀の目利き、二つ胴の試し切り、源氏への素性語り、石切などの名場面があって、白鸚は、磨き抜かれた貴重な高麗屋と播磨屋の芸の伝統を継承した決定版を披露したのであろう。
   大仰な型、見得の連続とも言うべき様式美を鏤めながらの名演で、物語もそうだが、まさに、歌舞伎独特の美学の昇華を楽しむべき舞台なのであろう。
   興味深かったのは、梶原は、舞台正面に端座して、殆ど動きのない場面が結構多いのだが、大庭と俣野兄弟が、勝手なことを言って揶揄すると、ちらっと表情を変えて気色ばむ表情に味があって良い。
   芝翫の大場だが、やはり、平家の武将としての威厳と貫禄を示した立ち居振る舞いが流石で、梶原に引けを取らない重厚さが良い。
   俣野の錦之助は、以前にも観ていてお馴染みだが、いつもの二枚目役者とは趣を異にした嫌みな赤面が、中々、味のある性格俳優ぶりで面白い。
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三月大歌舞伎・・・「伊賀越道中双六 沼津」

2020年04月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   伊賀越道中双六は、1634年12月26日 に渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で仇を討った鍵屋の辻の決闘をテーマにした浄瑠璃だが、今回の「沼津」は、この話の主人公は誰も登場しない脇筋の物語で、しっとりとした義理人情を描いた世話物である。
   学生時代に、芭蕉の故知を訪ねて伊賀上野へよく行っていたので、この鍵屋の辻は知っている。

   「沼津」は、
    沼津の松並木で、雲助平作は、呉服屋十兵衛を客にするのだが、老体で重い荷物がままならず、蹴躓いて足を痛めて代わりに荷物を担いで貰ってわが家に辿り着く。雛にもまれな美貌の娘お米に一目惚れした十兵衛は、その家に泊まる。夜中に、平作の傷を治した薬が欲しくて娘お米が、十兵衛の印籠を盗もうとして見つかり、平作の述懐で、十兵衛が里子に出した息子であり、親兄妹であることが重兵衛にわかる。慌ただしく出立した十兵衛が残した書き置きで、親兄妹であることを知った親娘は動転、しかし、重兵衛がお米に残した印籠が敵股五郎の品と知って、平作は、十兵衛を千本松原まで追いかけ、敵の落ち行く先を教えてくれと懇願する。しかし、十兵衛も義理ある恩人を裏切るわけにも行かず、拒否し続けるのだが、平作は十兵衛の脇差しを抜いて切腹するので、親子の恩愛の情に頽れて、虫の息の平作を抱きしめて親子の名乗りを遂げ、死んで行くこなた様への餞別、今際の耳によう聞かつしゃれやと、立ち聞きしていたお米に聞こえるように、「股五郎の落ち行く先は九州相良、九州相良。道中筋は参州の吉田で逢ふた、と人の噂」と叫ぶ。平作の断末魔、親子兄妹は手を取り合って涙にむせぶ。
   
   
   
   
   
   
   
   

   配役は、
   呉服屋十兵衛 幸四郎
   平作娘お米 孝太郎
   荷持安兵衛 吉之丞
   池添孫八 彌十郎
   雲助平作 白鸚

   この「沼津」は、歌舞伎でも文楽でも、結構、鑑賞する機会がある。
   このブログの鑑賞記で、最も古いのが、2005年2月22日に観た「人間国宝・住太夫、玉男、簑助が皇太子ご夫妻に文楽「伊賀越道中双六」を披露」。
   十兵衛は玉男、お米は簔助、平作は文吾、義太夫は住大夫・錦糸 その後、キャストが変って何度か観ている。
   歌舞伎では、十兵衛は藤十郎、お米は扇雀、平作は鴈治郎
   また、十兵衛は吉右衛門、お米は雀右衛門、平作は歌六、が、それぞれに、決定版とも言うべき素晴らしい舞台で、感激しきりであった。

   今回の高麗屋の「沼津」は、これまた、びっくりするほど、密度の高い凄い舞台であった。
   先の歌舞伎の2舞台は、役者に年齢的な無理があるのだが、この舞台は、その点では、見事にキャスティングに当を得ており、幸四郎と孝太郎の清新さと色香さえ滲ませた若々しさ、老長けた燻し銀のような哀愁を帯びた白鸚の人情味豊かな芸が、詩情豊かな人情の疼きを活写して感動的である。
   この3月歌舞伎の演目に、「梶原平三誉石切」がプログラムされていて、白鸚が梶原平三で、トレードマークとも言うべき、風格のある重厚な芸を、披露しているのだが、その落差を超えた新境地の至芸を披露しているようで魅せてくれる。
   平作の貧しい老いぼれた姿は、その衣装やメイキャップも素晴らしいが、ことに、歩き方で、少し曲げて前に突き出した足で、腰をやや引いて、よろよろ、歩く姿は、来し方その生い立ちを総て物語っていて、まさに、秀逸。
   

   この歌舞伎で興味深いのは、浄瑠璃文楽の影響の尾を引いているのか、鎌倉の十兵衛も、沼津の平作も、大阪弁で喋っていることで、一層、上方風の人情の機微を描いた世話物の雰囲気が濃厚に出ていて良い。
   親子だと分かっていて、20年以上も会わなかった立派になった愛しい我が子を前にして、名乗りさえ出来ない哀れさを噛みしめながら、必死になって、娘お米のために、敵の行くへを聞き出そうと哀願する平作も苦しいが、まぶたの父に巡り合えながら涙を食いしばって、恩ある河合股五郎の危機となる行方を明かしては商人としての信義に反して義理が立たない苦衷を耐え忍ぶ十兵衛も苦しい。
   しかし、今、はじめて親子とわかった父親が腹を切ってまで、娘聟の敵の居所を知ろうとする親の情、そして、妹への思いから、断腸の悲痛に堪えて、十兵衛は、お米が陰で聞いているのを察して、大きな声で股五郎の行き先を教えて、涙を飲んで去って行く。
   この伏線があって、最後の「伊賀上野敵討の段」に繋がって行き、志津馬と股五郎が一対一で対決し、駆けつけた政右衛門の前で、志津馬は見事に股五郎を討ち取るのである。
   
   白鸚の至芸は、特筆物だが、幸四郎の実に人情味豊かで凜々しい十兵衛の上手さ、その匂うような若さ、
   一寸、表現が難しいが、人間国宝秀太郎のような深さと潤いを醸し出してきた孝太郎のお米の感動的な立ち居振る舞いは、幸四郎との相性の良さもあって、魅力満開。
   芸達者でベテランの、荷持安兵衛の吉之丞、池添孫八の彌十郎の存在感ある芸も、高麗屋の「沼津」に華を添えている。

(追記)この松竹チャネルの無料配信は、4月26日で終わる。
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わが庭・・・ミニトマトをプランターに植える

2020年04月24日 | わが庭の歳時記
   ネット注文していたミニトマト苗が、タキイから送られてきたので、例年通り、プランターに植えた。
   今年は、バラを綺麗に咲かせようと思って、トマト苗を12本に絞った。
   結構広いわが庭だが、既に、緑陰を楽しみながら読書できるほど、木々が立て込んでいるので、バラの鉢とトマトのプランターを日当たりの良いところに並べて置くには、その余裕がないのである。
   それに、バラ同様に、病虫害の心配もあって、トマト栽培には、多少ならず手間暇がかかって、大変なのである。
   しかし、よく考えてみれば、大体、バラ栽培とミニトマト栽培とは、全くジャンルの違った分野であって、いい加減な性分であるから出来るのであって、どっちかに決めて、真面目にやれと言うことなのである。

   ミニトマト苗は、CFプチぶよ6本と、サントリーの純あま赤とイエロー各3本、
   大玉トマトは、栽培が難しく、中玉は、中途半端なので、この頃は、ミニトマトばかりにしている。
   タキイの指示では、15センチポットに植え替えて、1段目に花が、1~2つ開花の頃に定植すると良いとあるのだが、直接、プランターに市販の培養土を入れて定植して、土の表面にオルトラン顆粒をパラパラと撒いて終わりである。
   
   
   

   バラは、今、蕾を沢山つけてスタンドバイしている。
   ロンドンから帰ってから、結構、長い間千葉に住んでいたので、もっと、京成バラ園に通って、勉強しておくべきだったと、後悔している。
   ロンドン、パリと仕事に明け暮れていたし、その頃は、それ程ガーデニングに興味がなかったので当然だと思うのだが、折角、世界一の権威あるロイヤル・キューガーデン植物園の目と鼻の先に住んでいながら、貴重なガーデニングを勉強する機会を失ったことも同様である。
   イギリスを懐かしみながら栽培を始めたイングリッシュ・ローズだが、これまでに、20種以上は栽培したはずだが、枯らしてしまって、今、手元にあるのは、4鉢だけ。
   いずれにしても、他のHTなどとともに、来月には、ほんの数輪ずつでも、綺麗に咲かせたいと思っている。
   殆ど花芽がついていて、庭植えの他に、16鉢あるが、ちらほら、黒星病が現れていて、目が離せなくなってきた。
   
   
   
   わが庭で、綺麗に咲いているのは、菊枝垂桜で、この花は、意外に花の命が長くて素晴らしい。
   
   
   
   
   ま咲いているのは、何株かの椿。
   黄色い牡丹も、次の花を咲かせた。
   オダマキが、ひっそりと咲いている。
   
   
   
   
   
   
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三月大歌舞伎・・・「新薄雪物語」

2020年04月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   3月から、歌舞伎座公演は、休演となっているのだが、松竹チャンネルが、無観客の歌舞伎座で録画した三月大歌舞伎を、Youtubeで、配信している。
   その中でも、最も注目すべきは、通し狂言「新薄雪物語」花見 詮議 広間 合腹で、素晴らしい舞台を見せてくれている。
   主な配役は次の通りで、望み得る最高のキャスティングであろうと思う。
幸崎伊賀守 吉右衛門
葛城民部 梅玉
秋月大膳 歌六
腰元籬 扇雀
奴妻平 芝翫
薄雪姫 孝太郎
園部左衛門 幸四郎
清水寺住職 錦吾
刎川兵蔵 錦之助
団九郎 又五郎
松ヶ枝 雀右衛門
梅の方 魁春
園部兵衛 仁左衛門

   今回の新薄雪物語は、ほぼ、次の通り、
   春爛漫の京都の清水寺に、花見に訪れた幸崎伊賀守の息女薄雪姫と、刀を奉納に来た園部兵衛の子息左衛門が、一目惚れして、薄雪姫の腰元籬と、左衛門の奴妻平の仲立ちで言い交わす仲となる。一方、天下を狙う秋月大膳は正宗の子団九郎に命じて、左衛門が奉納した刀に国家調伏のやすり目を入れさせ、それを見とがめた左衛門に付き従っていた来国行を、通りかかった大膳が小柄を投げて殺す。左衛門が置き忘れた薄雪姫の艶書を拾った大膳は、この書を証拠として、左衛門と薄雪姫に謀反の疑いをかけて幸崎、園部両家を陥れようと謀る。
   
   
   
   

   謀反の罪に問われた左衛門と薄雪姫の詮議のため、葛城民部と大膳が幸崎邸を訪れ、詮議する途中に、来国行の死体が運び込まれ、小柄の傷を見て秋月大膳の陰謀であると察知し、民部は、伊賀守と兵衛の願いを聞き入れて、それぞれ互いの子を預かって詮議するようにと、温情ある捌きをみせて、若い二人に手を握らせる。
   
   
   
   薄雪姫を預かる兵衛は、姫の身を案じて館から落ち延びさせる。伊賀守の使者兵蔵がやって来て、左衛門は自らの罪を認めたので、伊賀守が清水寺に奉納した刀でその首を打った旨を伝え、姫の首も同じ刀で打つようにと告げる。切っ先の血を見た兵衛は、首を討った刀なら有る筈の血糊がないので切腹刀だと察し、まもなく、首桶を携えた伊賀守が来訪したので、出迎えを妻梅の方に任せて引っ込む。姫の首を打ったと応えた兵衛も、首桶を手に伊賀守を迎える。二人が首桶を開けると、そのなかにあったのは、二人を逃がした罪を受けての切腹の嘆願書。肩の荷を下ろした清々しさに、梅の方をも巻き込んで、腹を切って苦痛に耐えながら、三人で笑い飛ばそうとする。
   この三人笑いは、この歌舞伎の最後の感動的なシーンだが、蔭腹を切った親たちの実に悲しい笑うに笑えない笑いで、笑えと言われて、顔をくちゃくちゃにして笑おうとする魁春の表情が切ない。
   
   
   
   
   
   
   

   若い男女が、悪逆非道の大膳の陰謀に巻き込まれたことを知りながら、命を懸けて、子どもたちを守り通そうとする父親の姿が共感を呼ぶ。
   この後の巻で、団九郎は父正宗の秘法を盗もうとして片腕を切落されて、悔悟して大膳の悪事を自白することになっていて、目出度しで終わるようである。

   若い恋人同士を演じているのは、もう、押しも押されもしない歌舞伎界のホープの幸四郎と孝太郎だが、熟練したベテランの芸を内に秘めながら、しっとりとした初々しさと一途の恋心を見せる芸の深さには脱帽である。
   流石に、人間国宝吉右衛門と仁左衛門の重厚で風格のある舞台が見物で、これだけの威厳のある舞台を見せられると文句なしに感動的であるし、それに、二人を支える妻の雀右衛門と魁春の情感豊かな温かみのある芸が光っていて、質の高い芝居の醍醐味を楽しむ喜びを感じる。
   梅玉の執権葛城民部の実に凜々しくて折り目正しい姿は、おそらく、この舞台では、最も人を得た役柄であろう。このような役を務めると梅玉の右に出る者はいないと思える適役である。

   寛保元年(1741)竹本座での浄瑠璃だが、非常にモダンな感じで、上の巻「清水」での、二人の一目惚れや、腰元籬に唆されて薄雪が自害すると結婚を迫るシーンや、腰元籬と奴妻平の恋の取持など、全く違和感がないし、桜咲き誇る極彩色の清水の寺殿をバックにして展開される華麗な舞台は、実に美しく、幸四郎と孝太郎のはつらつとした芸が素晴らしい。
   興味深かったのは、風格と威厳のある善人を演じることの多い歌六が、骨太の大悪大膳を感動的に演じていたことで、弟又五郎のコミカルタッチの団九郞と息の合った演技が秀逸。
   腰元籬の扇雀の恋の手ほどきよろしく、奴の芝翫との掛け合いが面白い。
    それに、この舞台の最後を飾る妻平の立廻りが、結構迫力のある歌舞伎の様式美を見せていて、芝翫がただの脇役でないことを示していて興味深い。
   
   放映された舞台なので、適当に舞台写真を使わせて貰ったが、久しぶりに、質の高い素晴らしい舞台を見せて貰った。








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コロナウイルス騒ぎ、国民信頼で乗り切れるのか

2020年04月22日 | 政治・経済・社会
   神奈川県知事が、湘南海岸へ来ないでください とアナウンスしていた。
   緊急事態宣言で、不要不急の外出を控えよというのだが、禁止されていないので、サーファーも繰り出しておれば散策客も多く、江ノ島河岸や鵠沼海岸など湘南の浜辺が大賑わいだという。
   確かに、わが近所の江ノ島へ抜ける街道の車量は、普段以上であり、一向に減らない。

   私事で恐縮だが、今日、東京に住む長女の誕生日なので、孫たちがやりたいと言ったので、テレ祝賀ということで、本人不在で、ハッピーバースディをやることになって、近くの菓子店に行ったら、心なしか、日頃以上に混んでいてびっくりした。
   全くという程外出を控えているが、大分前に、コープのスーパーへ行ったときにも、客足は減っていなかった。
   3密でなければ、日常生活は問題なかろうと、住居に閉じ込められた感で出口を塞がれた国民は、行き場を失って、地元に憩いの場を求めて彷徨う。
   繁華街やビジネスセンターなどアクティブ空間で、8割密集回避を実現できても(これも殆ど絶望的だが)、国民の住居地区である郊外の密集度が増すというアンバランス、
   世界一規律正しい国民は、昔の日本で、今や、「○○得」の日本気質が、芽生えてきてしまった悲しい現実。

   東京など、1日の感染者数が下がりつつあるような感じがするものの、全国規模では、まだまだ、増加傾向にあり、何よりも気になるのは、発症源を追跡できない発症者が過半数を占めていることで、これらが、総てクラスター予備軍であり、また、症状の現れない隠れ保菌者、感染者が、野放しになっている現状を考えると、緊急事態宣言の早期の解除は考えられない感じがする。

   さらに、心配なのは、医療崩壊の可能性で、欧米の悲惨な状態を見れば、良く分かるのだが、今現在でも、各所にシワ寄せが生じて通常の医療業務を維持するのさえ困難になっており、ある意味では、欧米より劣位にある日本の医療システムをどのようにして死守することができるのか、今や危機に直面しつつあるこの最後の砦の健全性を、必死になって維持することが何よりも大切である。

   難しいことは分からないが、ワクチンや治療薬が生まれるのが早いのか、人間に免疫や抗体ができのが早いのか、少なくとも、1年以上はかかると言うことであり、いずれにしても、専門家の話では、この病原菌とは共生する意外に道がないと言うことであるから、短期間の終息は望み得ないであろう。
   ロックダウンに従わない市民を追っかけて砂漠まで出かけて、叱咤していたアメリカの市長の姿をテレビで放映していたが、厳しい罰則を課して徹底してロックダウンを続けているアメリカでさえ、これであり、まだ、終息の道が見えない、状態であり、死者の数も既に数万人。

   パチンコを止められず県境を越えてまで行く国民がいて、そして、湘南海岸を目指す車の混雑で身動きの取れない渋滞状態が続いていることを思うと、つい、緊急事態宣言で国民の誠意に信頼して、新型コロナウイルスと戦おうとすることが適切なのかどうか、心配になってくる。
   コロナウイルスの危機を終息するのが先か、経済崩壊を避けるのを優先すべきか、
   緊急事態対策を強化すればすればするほど、どんどん、経済が悪化して国民生活を窮地に追い込む、
   しかし、命こそ宝、
   進むも退くも地獄、
   歴史の岐路に立っている。

   
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国立劇場・・・3月歌舞伎:義経千本桜 二段目(鳥居前・渡海屋・大物浦)

2020年04月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   コロナウイルス騒ぎで、上演はならなかったが、国立劇場が、無観客の小劇場で録画した通し狂言「義経千本桜」を、youtubeで無料配信した。
   まず、Aプロの二段目(鳥居前・渡海屋・大物浦)を観たが、菊之助が、渡海屋銀平と知盛を熱演する舞台で、実に清心で美しい舞台を楽しませて貰った。
   最も最近観た渡海屋・大物浦の舞台は、仁左衛門だったと思うのが、どうしても、白鸚や吉右衛門や幸四郎と言った立ち役のベテラン歌舞伎役者の演じた銀平と知盛のイメージが強いのだが、どちらかというと女形で美しくて華麗な演技を見せてくれていた菊之助の銀平と知盛は、最も平家で居丈夫で豪快な知盛という雰囲気を匂わせながらも、爛熟した平安文化の雅さえ感じさせて、悲劇でありながら、美しくて華麗でさえあるのである。
   義父吉右衛門の薫陶を受けての正統派の芸を継承しての銀平であり知盛であり、それに、音羽屋の美学と華麗さを合い交えての芸域の深化であるから感動を呼ぶのも当然であろう。
   一敗血に塗れて手負い獅子の知盛が、苦悶しながら義太夫の悲痛な語りに応えて舞うように演じる仕草など、オリジナルの浄瑠璃に踊る文楽人形を観ているような異次元の美しさであった。
   このシーンの終わりにかけて、義太夫を離れて、台詞で、清盛の傍若無人な悪行の報いを受けて平家が滅びてゆく悲哀を語るのだが、私は、この台詞など蛇足と言うか言わずもがなだと思っている。  
   元々、平家贔屓なので、平安時代で権力を欲しいままにしていた惰弱な藤原よりも、清盛の残した歴史上の貢献の方が、偉大だと思っている。
   勝てば官軍負ければ賊軍で、歴史は歪んでしまってはいるが、平家物語の壮大な絵巻を展望しても、その桁違いのスケールの大きさが分かろうというものである。

   この浄瑠璃の義経千本桜の中では、このAプロが、この後に演じられたBプロの三段目(椎の木・小金吾討死・鮓屋)や、Cプロの四段目(道行初音旅・河連法眼館)よりも、最も義経に関係がある芝居だと思う。
   しかし、この部分でも、オリジナルの能「船弁慶」そのものが、例えば、平家物語のほんの断片を脚色して創作された曲なので、義経の人生とは殆ど関係はなく、義経のイメージを膨らませた芝居だと思って楽しめれば良いと言うことなのであろうか。
   この「船弁慶」は、平家物語の「判官都落」の段に、京都から九州へ下向の途中の描写で、「門出よし」と悦んで、大物の浦より下りけるが、折節西のかぜはげしきふき、住吉の浦にうちあげられて、吉野のおくにぞこもりける。」の文章と、この段の後半の、「たちまちに、西の風ふきけることも、平家の怨霊のゆへとぞおぼえける。」とある僅かな叙述部分を元にして作曲されたのである。
   興味深いのは、能「船弁慶」では、静が、吉野への同行を拒否したのは弁慶だと疑って義経に確かめるという芸の細かさを示しているが、流石に、この歌舞伎は、義経が静に直接諭していてすんなりしているが、実際には、義経は静を吉野へ帯同したというから面白い。

   この菊之助の渡海屋・大物浦の舞台は、2015年7月のこの国立劇場の大劇場で既に観ていて感激した舞台の再演なので、その後の進境の著しさも加わって、凄い舞台であった。
   このときも、銀平女房お柳実は内侍の局は梅枝が演じていて、しっとりとした味のある演技で、菊之助との相性の良さを見せていた。
   今回、銀平娘お安実は安徳帝は、去年の團菊祭で「絵本牛若丸」で初舞台を踏んだ菊之助の長男丑之助であり、流石に、二人の人間国宝を祖父に持つ梨園のホープであるから、栴檀は双葉より芳しであり、将来が楽しみである。
   
 
   この舞台での重要な役割を演じるのは、義経の鴈治郎で、流石はベテランで、風格があって舞台を締めている。
   静御前の米吉、弁慶の亀蔵の清新ではつらつとした芸が光っているが、やはり、菊之助あっての舞台であって、菊之助を堪能する舞台であることには間違いない。
   これまで、舞台中継や録画で、観客の居る舞台のテレビやビデオなどを観ていたのだが、空席ばかりの劇場をバックにした芝居鑑賞は、やはり、一種独特の寂しさがあって、パーフォーマンス・アーツは、観客の重要さが、際立つ芸術のように思ったのである。
   
   
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わが庭・・・椿鳳凰、黄色い牡丹咲く

2020年04月20日 | わが庭の歳時記
   小雨がしとしとと降る鎌倉の片田舎、実に静かで穏やかである。
   雨に潤されたわが庭、咲かないと思っていた鳳凰が、1輪だけ花を咲かせた。
   普通は、もう少し優雅に花弁が、鳳凰のように長く尾を引くのだが、咲いてくれただけでも嬉しい。
   まだ、鉢花なのだが、一昨年、水切れを起こして殆ど枯れかけてしまったのを、主枝を殆ど真ん中くらいまで切り詰めて、助かったので、蕾を見つけたときには、嬉しかった。
   
   
   
   青い珊瑚礁が、今年最後の花を開いた。
   何の変哲もない花形だが、渋い赤紫の花弁の色彩が、咲く時期や咲く環境によって、微妙に青みを帯びる繊細な花で、長い間、インターネットを叩きながら苗木を探していた花で、今では、結構出回っているのだが、この木も、枯れかけて、やっと回復したので、無性に愛おしい。
   遅咲きの黒椿が、まだ、咲いているが、今年の椿の季節は、いよいよ、終わりである。
   
   
   

   黄色い牡丹が咲き出した。
   花を開く前に、雨に打たれて、華奢な花弁を開けず、可哀想である。
   菊垂れ桜やクラブアップルの花が、雨に煙って優雅である。
   モミジの鴫立沢も、今、一番きれいな花形を見せているが、関東の気候には耐えられなくて、秋の紅葉まで持たないのが残念である。  
   関西を離れて、もう随分経つが、桜の季節と紅葉の秋になると、古寺散策に明け暮れた京都や奈良が無性に懐かしくなる。
   
   
   
   
   

(追記)翌朝、雨が上がって、黄色い牡丹が花を開いた。
   まだ、蕾が三つスタンドバイしている。
   
   
   
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わが庭・・・椿の鉢増し

2020年04月19日 | わが庭の歳時記
   新芽が動き始めているのだが、至宝など椿を何鉢か鉢増しをした。
   普通は、鉢から椿苗を抜いて、根鉢を少し崩して、少し大きめの鉢に植え替えるのだが、私は、邪道かも知れないが、バラの鉢増しのように、根鉢を崩さずに、白い根が回った木を、そのまま、新しい鉢に移して、周りに用土を加えて鉢増しすることにしている。
   椿に取って良いのか悪いのか、成長にとってプラスかマイナスか分からないのだが、これだと、同じように水や肥料をやれるし、これまで上手くいっているので、これを続けているのである。
   用土だが、園芸本には、色々書いてあるのだが、気にせず、培養土に小粒の鹿沼土を混ぜて使っている。
   このシーズンに気をつけなければならないのは、肥料のやり方で、多すぎてもダメだが、上手く施肥すると一挙に勢いよく成長して嬉しくなる。
   花木の栽培について、園芸本やインターネットの指南には、細かくhow toが書かれているが、余程下手をしない限り、神経質になっても結果は同じで、日当たりがまずまずで、水はけの良い庭の適当な場所に植えて、季節に肥料を与えて、枯れさせなかったら、花が咲く。
   私のようなレイジーなガーディナー(?)にとっては、これでも、びっくりするようなきれいな花を咲かせてくれるので、うってつけの花木なのである。
   今は、遅咲きの椿の時期で、ナイトライダーと黒椿が咲いている。
   

   さて、嵐の去った後、小手毬が咲き始めた。
   びわの実も肥大し始めてきたので、今年もびわ酒を作れそうである。
   昨年、一つも実をつけなかった夏みかんに沢山の小さな蕾が出てきたので、今年は豊作のようである。
   柿もそうだが、実ものは、1年十分休んで、エネルギーを必死に蓄えて、翌年爆発させる、健気なもので、実に愛おしい。
   親友の奥方が、立派なジャムを作るので、今年は上等の夏みかんを送れそうである。
   
   
   
   
   
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鎌倉便り・・・鎌倉山さくら道の八重桜

2020年04月17日 | 鎌倉・湘南日記
   わが庭の八重桜も咲いているし、仮名手本忠臣蔵4段目の花籠の段で、蟄居している判官に、妻のかほよ御前が慰めようと籠に生けたのは鎌倉山の八重桜だったので、非常事態だが、許されている散歩をかねて鎌倉山に歩いて行った。
   車だけで、行き交う人は、殆ど居ない。
   この日歩いたのは、途中の見晴までで、半分くらいのさくら道なのだが、意外に八重桜は少なくて、道路沿いには、3~4本くらいで、葉桜になったソメイヨシノの緑の海にぽつりぽつり浮いているような感じであった。
   
   
   
   

   新緑が萌え始めているので、コントラストが美しいのだが、曇っているので、写真には表現しにくいのが残念ではある。
   
   
   
   
   

   八重桜の良さは、ボリュウーム感のあるグラマラスな美しさであろうか。
   千葉の庭に植えていた普賢象は、8年間の留守をして、ロンドンから帰った年の春、豪華に咲き乱れて帰国を祝ってくれたのだが、このために待ってくれていたようなもので、残念ながら、すぐに、虫にやられて枯れてしまった。
   ヨーロッパの桜は、何故か、ロンドンもアムステラダムも、濃いピンクの八重桜ばかりであったが、美しいと思ったことはなくて、最後の住居であったキューガーデンで、通い詰めたロイヤル・キューガーデン植物園に咲き乱れるソメイヨシノを観てホッとしたのを覚えている。
   
   
   
   
   
   
   

   見晴は、鎌倉山さくら道の唯一の展望所で、江ノ島の方に向かうと、遠くに江ノ島のサムエル・コッキング苑の展望塔が見える。
   鎌倉山の最高の住宅地は、富士山と江ノ島が同時に見通せる場所だという。
   反対側には、夫婦池公園が広がっていて、急斜面を下って夫婦池を経て大船の方に抜けられる。
   この見晴の展望所が、ル・ミリュウ 鎌倉山の店舗になっていて、優雅な喫茶のひとときを楽しめるのが良い。
   
   
   
   
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わが庭・・・牡丹、八重桜、ハナミズキ、都忘れ

2020年04月16日 | わが庭の歳時記
   コロナウイルスは何のその、ウグイスが鳴き続けているわが庭。
   牡丹が1輪だけ花を開いた。
   千葉の庭から持ってきたのは、3株だけだが、咲いたのは、この1輪だけで、黄色い牡丹は、まだ、蕾が堅い。
   
   

   八重桜も咲いている。
   垣根外、小川への斜面に植えた八重桜は、まだ、小木だが、花だけは、風格がある。
   門扉のそばに植えた菊垂れ桜も、八重の蕾を開き始めた。
   良く通った佐倉城址公園の八重桜も、きれいに咲き始める頃だと懐かしくなったが、コロナ、コロナで、外出は出来ず、日本中の桜の名所は、愛でる人影もなく、桜が咲き誇っているのであろう。
   
   
   
   
   
   

   我が家のアメリカ・ハナミズキは、3本あるが、皆、白いので、曇天ではぼやけて存在感が薄い。
   花は、花心の小さな蘂のような感じの塊が花序で、花弁のように見えるのは、花ではなくて総苞なのだが、鑑賞者にとっては、どっちでも良いことであろう。
   
   
   
   野菊のような風情の小さな紫の花が、都忘れ。
   ミヤコワスレには、私の花のような淡青色だけでなく、青やピンク、白があり、千葉の庭では、ピンクの花も植えていたのだが、移植したのは、この花だけで、株分けしたので、庭のあっちこっちに咲いている。
   
   
   30センチほどの挿し木苗の椿に、至宝とエレガンス・シャンパンが咲いた。
   完全にクローンなので、小さな木でも、同じような花が咲くのは当然なのであろうが、健気である。
   本当は、花を咲かせずに木を労るべきなのであろうが、花を確かめたくて咲かせてしまった。
   すぐに、花を落として、お礼肥を施した。
   
   
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IMF:大ロックダウン(The Great Lockdown)、大恐慌以降最悪の経済不況

2020年04月15日 | 政治・経済・社会
   IMFが、4月10日、The Great Lockdown: Worst Economic Downturn Since the Great Depression を発表した。
   April World Economic Outlook projects global growth in 2020 to fall to -3 percent.
   新コロナウイルス危機で、世界中がロックダウン状態になって深刻な経済危機に直面しているが、このパンデミックが、20年第2四半期に、世界中の国々において抑え込みに成功してピークアウトして、後半の半年で終息したと仮定すると、2020年のグローバルベースの経済成長は、マイナス3%となり、この大ロックダウンは、大恐慌以来最悪の大不況となり、先の世界金融大不況のマイナス0.1よりもはるかに悪いというのである。
   
   そして、2020年中にパンデミックが終息して、世界中で、多くの企業の倒産を回避し、雇用ロスを起こさずに、システム全体の金融危機を避けるべく経済政策が有効に働けば、2021年の経済成長は5.8%に回復する。
   しかし、先に予測していた2021年の水準より悪くて、2020年と2021年を合算したグローバルGDPのロスは、9兆ドルに達しており、この数字は、日本とドイツを合算したGDPより多い。
   

   今回の大不況は、大恐慌時とは違って、先進国のみならず、新興国や発展途上国をも巻き込んだ地球規模の大恐慌である。
   特に、経済の成長をtourism, travel, hospitality, and entertainmentに依存している国家経済の破壊は顕著であり、新興国や発展途上国は、外資流出による金融危機に加えて脆弱な医療健康体制にサポートの資金不足に苦しんでおり、それに、成長から取り残されて国家債務に苛まれている政治不安定国家の危機など、深刻な状態を浮き彫りにしている。と言う。

   IMFの2020年予測では、先進国のGDP成長率は、マイナス6.1%
   新興国と発展途上国は、マイナス1.0%、中国を除けば、マイナス2.2%
   
   

   新興国と発展途上国のマイナス数字が低いのは、中国とインドの経済が巨大で、それに引っ張られた数字であろうが、中国も第2波のパンデミック危機に直面する可能性も否定できないし、内需が貧弱な以上、欧米日からの輸入が極単に冷え切っていることを考えれば、プラスなどあり得ないと考えられるし、ロックダウン状態に突入したインドの悲惨さは極限に達していて、すぐのリバウンドの可能性は低いと思われる。
   ドイツの主要経済研究所の20年のGDP成長予測は、マイナス4.2%で、21年はプラスのようだが、FTのW・ムンヒャウは、世界中のロックダウンの連鎖的な悪影響や運輸・観光など様々な業界に及ぶ長期的な損失、冬場に感染の第2波が発生する可能性などを考慮していないので、そんなに良いはずはなく、ユーロ圏のGDPは、10%近く落ち込むと言っている。
   パンデミックがなくても経済的に苦境下にあったイタリアやスペイン、それにフランスの数字が、ドイツと殆ど近似なのは信じられないし、パンデミック終息後の大きなダメッジを受けた経済をどのようにして立て直すのか、気の遠くなるような苦難に直面するはずである。
   これまでの恐慌や大不況は、経済循環的な突発事件的な様相を呈していたが、今回は、パンデミックとはいえ、人間がロックウダウンして急ブレーキをかけて、経済活動をストップさせた人為的大恐慌であるから、傷は途轍もなく深くなるような気がする。
   まして、グローバリゼーションの浸透で、サプライチェーンなど経済関係においては世界中が雁字搦めに繋がっており、その上、先進国経済が成熟化して成長から見放された財政危機の状態にある時であるから、尚更、復興立て直しの方が難事業だと思われ、先の世界金融危機の時でさえ不況が長引いたこと考えると、経済的苦境は21年以降にも大きく尾を引くように思う。

   問題は、IMFも認めているように、この予測は、楽観的な予測である。
   また、4月10日の発表であるから、ムンヒャウの言うように、今現在、悪化を続けている深刻なパンデミック状態を十分に考慮したとは思えない。
   このパンデミックが、2020年の第2四半期にピークアウトして、後半期に終息して、2021年には経済回復するというシナリオで、パンデミックの危機が長引いて、2020年以内に終息しなければ、混乱の収拾に目途が立たず、財政状況がさらに悪化し、グローバルベースのサプライチェーンが一層ブレイクダウンするなど、経済悪化が進行して行き、2020年のGDPは、さらに3%ダウンし、2021年は8%マイナスになるという。
   
   IMFのレポートは、最後に、Exceptional policy actions と言う項を設けて、こうすべきだと考えたのであろうか、パンデミック対策や経済政策などを開陳している。
   分かりきったようなことだろうが、これが、思うように実行できないのが現状である。
   この危機を乗り切るために、世界中のポリシーメイカーの政策よろしきを得て、医師と看護師の英雄的な行動を支援強化することが必須だと結んでいる。

   今回の経済対策は、まず、一気に落ち込んだ需要を埋め合わせるべく、ドラスチックなケインズ政策で、サポートすることではあろうが、歴史と世界の潮流が、人類に、「挑戦と応戦」を迫ってきた以上、この機会に、このディスラプションを受けて立って、例えば、国家は構造改革、企業はビジネスモデルの改変、個人は生き方改革を試みてはどうか。
   いずれにしろ、前代未聞の歴史的危機に直面して、経済学そのものも真価を問われるであろうと思う。
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コロナウイルス危機、ネットショッピングに頼るしかない

2020年04月14日 | 政治・経済・社会
   時事が、”「小売店崩壊」に危機感 人手不足、感染リスクも 従業員、心身に負担・新型コロナ”と言う記事を配信した。
   スーパーやコンビニ、ドラッグストアなどの小売店は社会インフラとして営業を続けている。人手不足による過重労働に加え、感染リスクにもさらされる従業員は、心身の負担に耐えながら勤務している。専門家は「このままでは小売店崩壊につながる。生活を支える従業員を守らないといけない」と訴える。と言うのである。
  
   政府の要請で、恣意的に多くの経済活動を休止状態に追い込んでいるのだから、ボトルネックとなったスーパーやコンビニ、ドラッグストアなどの小売店に、一気に、シワ寄せが行くのは必然であろう。
   コロナに感染してICUに入って「生きるか死ぬか」だったと言うボリス・ジョンソン首相のイギリスは勿論、死者2万人を超えたイタリアを筆頭にしてヨーロッパも、そして、最悪のアメリカも、長いロックアウトにも拘わらず、未だに、終息の気配さえ見通せない。
   こんな状態で、押っ取り刀をやっと振り上げた日本であるから、この先、どうなるのか、不安が極に達するのは、当然であろう。

   一方では、コロナウイルス震源地の中国で、瀋陽市内のおかゆ専門店が「米国の感染状況を熱烈に祝う。日本での感染が順調に長続きしますように」との赤い横断幕を店頭に掲げた。日本に対しては「小日本」という蔑称を使った。と言う信じられないような記事を、大々的に写真を掲げて地元紙が報じたというから、世の中は恐ろしい。
   尤も、メディ情報に振り回される危険もあろうが、とにかく、テレビも新聞もインターネットも、コロナ、コロナで、嫌でも影響されてしまうのも仕方なかろう。
   そう思って、気を引き締めて、無理に、哲学や歴史など堅い本を引っ張り出して読んでいる。

   ところで、この2ヶ月くらい、スーパーもコンビニも殆ど行かないのだが、たまに行くと、結構混んでいて、日頃と変らない。
   しかし、不要不急の外出が大半であるから、外出することはなく、庭周りのガーデニングか近所の散歩くらいで済ませている。
   仕方ない外出は、新年度の役員引き継ぎ業務があるので、自治会館へ何度か出かけること。

   ホームセンターに行きたいのだが、それも諦めて、ネットショッピングに切り替えた。
   毎年、トマトのプランター栽培をしているので、少なくとも、トマト苗と培養土くらいは、新しく調達しなければならない。
   これまで、機材関係は十分にあるので買う必要はなく、薬品や肥料などは、ネットで調達しているので、その延長である。

   さて、トマト苗は、いつものように、タキイへ、インターネットでオーダーを入れた。
   培養土だが、行きつけのホームセンターでは、結構安くて選択肢が多いのだが、インターネットでは探しづらいうえに、結構高い。
   ホームセンター系統の通販を当たったが、価格は店舗販売並みだが、送料関係費が非常に高くて使用に耐えない。
   結局、直売なら、2000円以上の買い物ならば、送料無料となるアマゾンを使うことにした。
   品質の差もあろうが、ホームセンターの価格より2~3倍はするのだが、それ程値が張る商品でもないので、よしとした。
   楽天も送料無料にしているので、この方が安かったかも知れないが、同時に、鹿沼土やじょうろなども購入するので、アマゾンのように1店舗で買えるのとは違って、商品によっては店舗が分かれると送料が嵩むので止めたのである。

   また、娘夫婦もテレワークと車通勤で、殆ど、店に立ち寄ることも少なくなったので、我々の買い物は、近くのスーパーかコンビニなど行動範囲は限られてしまい、ほかの必要な買い物は、殆ど、ネットショッピングに切り替えてしまった。
   これで買えないものも結構あるのだが、当分諦めて、時期が来たら、リアル・ショッピングに切り替える以外に、仕方がないと思っている。

   これは、私だけの経験かも知れないが、このコロナウイルス騒ぎで、今まで店で買っていたものまで、ネットショッピングへと傾斜傾向が定着してしまうと、益々、リアル店舗の凋落トレンドが加速してしまうのではないかと危惧している。
   これらは、一寸した小売りビジネスの転換の一例だが、今回のコロナウイルスの危機を契機に、多くの産業が、雪崩を打ってビジネスモデルの大変革に迫られることは、間違いないと思っている。
   厳しいが、これも、歴史の必然であるトインビーが説いた「挑戦と応戦」、
   これを突破して、競争に打ち勝って前進する以外に生きる道はない。
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