熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・アゲハチョウの交尾

2021年03月31日 | わが庭の歳時記
   椿の写真を撮ろうと庭に出て、何となく、クラブアップルの花を見上げたら、アゲハチョウが止まっている。
   大体、動きの激しい蝶の写真など上手く撮れたためしがないので、静かに近づいていったら、飛び去る気配はなく、二羽が絡まっている。
   交尾中なのである。
   こうなると、下手な素人写真家の私でも、何ショットかは、カメラ任せでも真面な写真は撮れる。
   これまで、何度も、蝶のカップルが、飛翔しながら上になったり下になったり、激しいアップダウンを繰り返しながらの愛の交歓模様をみてはいるが、決定的シーンは見たことがない。

   今回は、ドッキング直後のようで、体勢を整えるためか、一度羽を広げて制止して、オスは羽を閉じたが、メスがまた動き始めた。
   メスが静止して羽を閉じると、二羽が、上下対称の綺麗な形になって、垂直にクラブアップルの花にぶら下がった。
   
   
   
   
   
   
   

   繋がっている下腹部が微かに蠢くくらいで、微動だにしない。
   二羽が、羽を閉じて一枚のしおりのように、クラブアップルの花にぶら下がって、南風に揺られて左右にゆらゆら。
   5分、10分・・・
   メスが、羽を広げて動き始めた。
   しばらくして、オスも羽を開閉し始めたと思ったら、
   サッとメスが飛び去った。
   オスは、しばらく、そのまま、数秒小休止して飛んでいった。

   遠くで、鶯が鳴いている。
   鎌倉の田舎は、静けさが漂い、のどかである。
   
   
   
   
   
   
   

   ところで、例え、昆虫であっても、大切な愛の交歓であるから、何となく見てはいけないものを見ている感じで多少後ろめたさを感じて眺めていたのだが、どのように変化するのか変った形のシーンの写真を撮ろうと思いながら待って居て、ついつい最後まで見てしまった。

   さて、何となく、「アゲハチョウの交尾」とインターネットを叩いて検索してみたら、好事家が多いのか、結構、Youtubeの動画が投稿されていて面白い。
   興味深かったのは、「アゲハチョウ研究室」のHPの「アゲハチョウの繁殖とは?」と言う記事である。
   アゲハチョウは、オスが先に羽化して3~4日かけて成熟して、遅れて羽化してきたメスを見つけると猛アタックして交尾するのだという。
   交尾をし終えたメスは、産卵する場所を探して飛び回るのだが、メスの交尾は、一生に、この一回キリで、その後は、腹部を上に向けて総てオスを拒否するのだという。
   オスは、メスを求めて飛び回り、相手かまわず種を蒔くのだと言う。
   メスは受胎が確保されると脇目も振らず、オスは固体保持のために、とにかく、励みに励む、
   創造主が定めた無駄のない自然の摂理であろうが、   
   関係はない筈なのだが、何となく身につまされて切なくなった。
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M・ペンス、J・E・スティグリッツ、J・ゴーシュ:K字グローバル回復を回避する

2021年03月30日 | 政治・経済・社会
   プロジェクト・シンジケートが、マイケル・ペンス、ジョセフ・E・スティグリッツ、ジャヤティ・ゴーシュの連名で、Avoiding a K-Shaped Global Recoveryを掲載した。K字回復と言った跛行的な回復ではなく、皆が安全にならない限り皆の安全はないと言う趣旨の提言であるから、出来るか出来ないかは別にして、人類全体のコロナウィルスからの独立宣言を意図しており、興味深いので紹介することにした。

   まず、表題の「K字回復」だが、コトバンクを脚色すると、
   社会が経済不況から回復する際、業績を伸ばす業種と落ち込みが拡大して行く業種に、K字のように二極化されるとする。今回のコロナウィルスの世界的な蔓延時には、「K」の右上に伸びる線は、外出禁止・自粛時にモノやサービスの活用が進んだ情報関連産業など需要が伸びた強い企業や業界などがより強くなることを示し、右下に伸びる線は、人々が直接対面することで成り立っていた外食産業や観光産業などが大打撃を受けて低迷から脱却できず、更に社会の変化に対応できないために業績が益々落ち込んで行くと言う、経済回復基調が2極分化する現象を言う。
   このグローバルベースでのK字回復の跛行性を回避するためにはどうするのかと言うことである。


   アメリカなど先進国は、国民にワクチンを施して、パンデミック後の経済ブームへギアーアップしつつあるが、逆に、発展途上国や新興国は、苦境と格闘している。しかし、幸いなことに、富裕国は、自分たちのみならず、世界中の誰をも、コストを掛けずに、救済することが出来る方法がある。と言う。
   アメリカは、ワクチンをすべての成人に投与して独立記念日(7月4日)までにCovid-19から「独立宣言」することを期待しているのだが、多くの発展途上国や新興国にとっては、危機の終わりなど先は見えない。しかし、自分たちの立ち上げた新経済思想研究所(INET)の世界経済変革委員会の報告書に示すように、急速な世界的な回復を達成するには、すべての国がウイルスから独立を宣言できなければ意味がなく、この提言に従えば、コストなしに、それが達成可能である。と言うのである。

   コロナウイルスは突然変異するので、世界中のどこでも暴発し、誰もが危険にさらされる。ワクチン、個人用保護具、治療薬をできるだけ早く全世界に配布して防御することが必須だが、今日の供給制約は、不十分な国際的な知的財産管理体制の弊害でままならず、まさに、人災と言うべき様相を呈している。一般的にIP(知的財産)改革は一向に進まず、いま現在緊急に必要なのは、Covid-19と戦うために必要な製品に付随するIP権の停止またはプールなのだが、多くの国がこれを嘆願しているにもかかわらず、先進国の企業ロビーはこれに抵抗しており、政府は短慮で先のことを考えない。「パンデミックナショナリズム」の台頭は、世界貿易、投資、IP体制の多くの欠陥を露呈して、緊急医療資材の供給に齟齬を来している。
   先進国、特に米国は、自国の経済を再燃すべく積極的にアクションを取り、脆弱な企業や家計を支援するために力強く行動してきた。このような緊急時には、緊縮財政を取ることが、如何に危機を深化させて逆効果であるかということを学んだのである。しかし、ほとんどの発展途上国は、パンデミックによって課された追加費用を吸収するどころか、既存の支援プログラムを維持するための資金を得るのにさえ四苦八苦している。アメリカは、GDPの約25%を経済支援に投入し、景気後退を大幅に封じ込めてきたが、発展途上国はそのほんの一部しか支出しておらず、世界銀行のデータによると、アメリカは一人当たり17,000ドル近く支出しているが、これは最貧の発展途上国の約8,000倍だと言う。

   さて、ここでこの論文の提言だが、自から膨大な政府支出を発動して経済の再興を図るのは当然として、先進国は、困難に直面している発展途上国などを支援するために、
   次の3つの政策を追求することで、自らのみならず、世界的な回復を実現できる。とする。
   まず第一には、IMFのグローバル準備資産のSDR特別引出権の大規模な発行を推し進めること。現状では、IMFは加盟国議会の承認を求めることなく、直ちに約6,500億ドルのSDRを発行することが可能である。豊かな国々が、不釣り合いなほど大きな配分の現金を、必要とする国に移転すれば、拡大効果が大幅に高められる可能性がある。
   第二には、発展途上国におけるマクロ経済政策を形成している大きな役割、特に、国際収支の悪化を救済する等へのIMFの関与である。IMFは、米国およびEUによる大規模で長期にわたる財政パッケージの遂行を積極的に支持し、外部の不利な状況にもかかわらず、発展途上国における公共支出の強化の必要性を認識して実施すべきである。しかし、現実には、国際収支悪化に苦しんでいる国へのIMFの融資に対する態度は、協定とは裏腹で、例えば、20年3月から9月の81カ国とのスタンドバイ協定では、91の内76まで、経済を更に悪化させるような緊縮財政を強いている。公共支出やヘルスケア・スキームやペンション・スキームなどの削減や、(医者、看護師、教師などの)公共部門の雇用者の賃金凍結、失業保険や医療保障やその他のソーシャル・ベネフィットへの削減などを要求している。緊縮財政(特にこれらの重要な分野での削減)は、発展途上国にとっては、先進国ほど有効に機能する筈がなく、むしろ、逆効果であり、前述のSDR提案を含めて、より多くの支援体制によって、これらの国々に、追加の財政スペースを与えないとダメである。
 
   最後には、先進国は、多くの国が直面している圧倒的な債務問題に対する包括的な対応を調整することである。債務に対して支援される資金は、各国がウイルスと戦い、経済の復興を補助する資金ではない。パンデミックの初期段階では、途上国や新興市場に対する債務サービスの停止で十分であることが期待されていたが、1年以上経つと、一部の国では、数年後には、また別の危機の到来で通常のバンドエイドではなく、包括的な債務再編を必要とする。債権者政府は、このようなリストラを促進し、今のところ比較的消極的だが、民間部門からのより積極的な参加を促す方法も策すべきであろう。INET委員会の報告書が強調しているように、不可抗力と必要性の原則を認識する時があったならば、果敢にサポートし、経済的苦境を乗り切るのに四苦八苦していて支払い能力のない国には、絶対に資金返済を強制すべきではない。

   これらの政策は、発展途上国にとって大きな利益となり、先進国にとっては、ほとんどあるいは全く費用がかからない。確かに、発展途上国や新興市場の人々のためにできることをすることは、これらの国々の啓発された利己的利益であり、特に彼らができることが容易に利用でき、何十億もの利益をもたらすときにはそうである。先進国の政治指導者は、誰もが安全になるまで誰も安全ではなく、健全な世界経済はどこでも強い回復なしには不可能であることを認識しなければならない。
   この提言は、ロブ・ジョンソン、ロヒントン・メドホラ、ダニ・ロドリック、および新経済思考研究所の世界経済変革委員会の他のメンバーによっても署名されている。と言う。

   以上が、ほぼこの論文の主旨である。
   国家内部では、アメリカのように、かなり、格差解消にも意を用いた健全な積極的な経済復興政策を執行できても、現下の世界には、統治する世界政府も存在しなければ、グローバルベースで有効に機能する世界的な機構もない。そんな世界で、経済的なグローバルな財政政策を打っても、如何に有効に機能させ得るのか。
   アメリカの凋落による民主主義国家の退潮で、中国寄りの専制主義国家の数が徐々に増えているという。このような民主主義に程遠い専制主義的な独裁ないし軍事国家的な発展途上国に、欧米主導の民主主義体制を前提にした経済復興政策が有効に機能するのかどうか。それに、資金を援助すれば、有効に機能する能力が生まれるかどうかさえ怪しい。
   この提言のように、先進国が、IMFなどの国際機関を活用して、積極的に経済的な支援を実施することには異存はないが、このブログで何度も書いているように、先進国がこれまでのように搾取したり踏み台にして成長を圧迫圧殺するような事がないと言う前提だが、発展途上国自身が、イノベイティブなスピリットを涵養して、自助努力で、体制を整えて立ち上がる以外に道はないと思っている。民主主義ではない専制国家や軍事的独裁国家や無能なポピュリスト・リーダーに支配されているような開発途上国に、そのような前向きの姿勢を期待出来るのかどうか、
   この説は、傾聴に値するとしても、コロナ終熄に多少効果はあっても、傷ついた発展途上国の経済的復興が実現できるかどうかは疑問で、単なる学者の学説に終るような気がしている。
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わが庭・・・椿:ブラックマジック、そして、クラブアップル

2021年03月29日 | わが庭の歳時記
   米国生まれの大輪の黒椿ブラックマジックが咲き始めた。
   これまで、まだ木が小さくて大きな花を維持する体力がなかったので、途中で落花して咲ききらなかったのだが、今年はしっかりとして、蕾もかなり着いていて豪華に咲き出しそうである。
   この椿の木は、非常に幹や枝が細くて華奢で、小さな蕾を付けるのだが、一気にその蕾が肥大したかと思うと、豪華な大輪を咲かせるので、鑑賞するためには、支柱を立てて花を誘引しなければならない。
   深紅の花弁には光沢があって美しく、ナイトライダーやブラックオパールなどの黒い洋椿や日本の黒椿など と比べると、その花弁の大きさは突出していてゴージャスであり、牡丹咲き~獅子咲きと言うのだが、今のところ、ややおとなしい半八重咲きと言ったところであろうか。
   
   
   

   さて、クラブアップルも一気に開花し始めた。
   ロンドンに居たときに、友人の庭に咲いていたリンゴの花が美しくて印象に残っており、南関東ではリンゴは一寸無理かも知れない思って、クラブアップルは、アップルの原種だというので植えてみた。綺麗な花を咲かせてくれている。
   
   
   
   
   

   ブルーベリーとドウダンツツジの釣り鐘状の花が、びっしりと蕾を付けている。
   
   

   八重咲きのピンクの椿で咲き続けているのは、
   トムタム、王昭君、ミリンダ
   
   
   
   
   
   
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ユヴァル・ノア・ハラリ著「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」

2021年03月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今回のCOVIC-19について、歴史は何を語っているのか。
   第1に、国境の恒久的な閉鎖によって自国を守るのは不可能であること。
   第2に、真に安全確保は、信頼のおける科学的情報の共有と、グローバルな団結によって達成されること。だと言う。
   しかし、現実は、前世紀よりも深刻な新冷戦時代の真最中で、米中対立を極にして、民主主義と専制国家主義が両陣営に分かれて激しく対峙して協調の兆しさえない。米ソ対立の冷戦時代には両陣営の交流が殆どなかったのだが、今回の新冷戦では、両陣営は、経済的にもエコロジカルにも密接に相互依存関係にあり、多方面に亘って協力して問題を解決しないと、地球船宇宙号が危機に直面する瀬戸際に至っているので、ことは至って深刻である。

   この記事が書かれたのは、パンデミックの初期でトランプ政権の時であったが、その時、非常に危険な展開としてハラリが予想していたのは、
   まず第1は、経済的な衝撃に対処するだけの医療制度も経済的な余裕もないアフリカや南米や東南アジアの発展途上国に襲いかかった時で、グローバルな行動計画が必要であること、第2は、新型コロナウィルスが、変異する可能性が増えて、感染性が強まり、致死性が高まる危険が増大すること。であった。
   特に前者については、先進国の援助がないと、完全に壊滅状態になりかねず、全世界を揺るがす事態となるのみならず、地球上のすべての人を守らない限りパンデミック収束は不可能であるのは自明である。アメリカ・ファーストで、独企業の新型ワクチンを独占権購入をもくろんだトランプのような自利だけを目指した行為が如何に愚の骨頂かということが分かろうというもの。

   また、恐ろしいのは、後者の変異の問題である。
   コロナのようなウィルスは、人間の体内で増殖している間に、変異を起こして、感染力が増し、人間の免疫系の抵抗力が強まり、急速に増殖することで、西アフリカのマコナ地区で、たった一人に感染した「マコナ株」が感染爆発した例を引いてその恐ろしさを説いている。現に、今回のコロナウィルスでも、何種類かの変異株が猛威を振るい始めていて第4波が危惧されている。
   1970年代に人類が天然痘を打ち負かすことが出耒たのは、総ての国で大半の人が天然痘の予防接種を受けたからだ。と言う。
   しかし、現実には、当初から、国際協力のなさや、グローバルなリーダーシップの救い難いまでの欠如に加えて、科学的知見さえ無視した独裁的ポピュリスト・リーダーが跋扈し、民衆扇動家や無知な民衆たちを煽るなど、常軌を逸した行動によって、事態を益々悪化させてきている。
   また、ワクチン調達の遅れの問題に加えて、アメリカをはじめとして、国によっては、国民の3割近くもワクチン摂取を拒否する国が出るなど、天然痘撲滅のような地球規模の人類の大半を巻き込んでの対策など夢の夢になりそうである。
   いくら、知識情報化産業社会の進展によって、より啓蒙された人間の知的水準が高揚し、科学技術が進んだと言っても、今回のパンデミックと一連のトランプ狂騒曲による民主主義の危機に対する人間の思考や行動を見ていると、今日ほど、人間の愚かさ、無知蒙昧の程度の酷さを思い知らされたことはない。
   
   ところで、ハラリが特に危惧するのは、今回のパンデミックに対する監視システムが継続進化して、独裁国家で進行中ながら、今や民主主義国によっても採用されるようになっており、民主主義国が、大規模な監視社会に変異する心配があると言うことである。
   その時、これまでは皮膚の外側で起こっていた監視が、人の皮膚の内側の状態、例えば体温や血圧や心拍数などを知るために、体の内部まで入り込むであろうことがシリアスな問題を引き起こす。益々多くの情報を収集するための新しい巨大な監視システムが使われると、我々の体の中で起こっていることをモニタリングして、我々の感情や情動など何もかもがあらわになって、政府や企業に情報が渡り、総てが知られしまう。生体情報を収拾するための指輪やブレスレットの着用を義務付けられたら、本音を隠して心にもないことを言っても、ウソ発見器のように、総て暴露されて捕縛されてしまうとなったら。
   中国の監視国家モデルは避けるべきは当然だが、しかし、このことは、サイエンスフィクションではなく、既に存在するテクノロジーであって、時間の問題だという。

   この本、メディア記事とNHKのインタビュー記事を収録した100ページ一寸の小冊子だが、そこは、ハラリのこと、
   その他にも多くの問題点を指摘していて参考になる。
   要するに、日本のメディアは、東京のコロナ感染者の数字ばかりに一喜一憂しているが、何時の間にか、宮城や山形に飛び火しているように、グローバルベースで対処しない限り、コロナの根絶は難しいと言うことを肝に銘じるべきであろう。と思っている。
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わが庭・・・椿:那古井の春、そして、梨の花

2021年03月27日 | わが庭の歳時記
   肥後椿の那古井の春が、開花した。
   花弁に比べて、蘂が異常に大きな典型的な肥後椿にしては、一寸、温和しい椿である。
   
   
   

   梨の木に花が咲いた。
   かなり、木は大きくなっていて、花を沢山付けるのだが、すぐに、害虫にやられて花が落ちて、実が付いたことがない。
   ロンドンの家の庭には、洋梨の木が1本植わっていて、いくらか実を付けて、一度食してみたが、まずまず、柔らかくて甘酸っぱい洋梨の味であった。
   
   

   椿は、咲き続けている。
   黒椿が、開花寸前に、宝珠咲きとなって、崑崙黒のような花姿となり面白い。
   優雅であった王昭君も、一寸乱れた様変わりの花を咲かせた。
   至宝の挿し木苗が花を咲かせて、花弁の色が本来の姿を呈している。
   エレガンス・シャンパンの挿し木苗の花が開いた。親木の蕾は、まだ、固い。
   これで、かなり、大切に育ててきた至宝とエレガンス・シュプリームとエレガンス・シャンパンの二世苗を育てたことになり、ホッとしている。
   昨年は失敗したので、今年もう一度、王昭君とミリンダと青い珊瑚礁の挿し木を試みようと思っている。
   適当に新梢を採って、メネデール液に数日浸して植木鉢の土に挿して置いて、その後の手入れを忘れてしまったので、上手く付くわけもないのだが、今度はマニュアルに従おうと思っている。
   実生苗のように、面白い新種が生まれれるかも知れないと期待して、毛色の変った椿を作出しようと言った楽しみはないが、好みの椿のスペアが出来ることは嬉しい。
   
   
   
   
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わが庭・・・椿:津川絞、バレンタインデー、天賜

2021年03月26日 | わが庭の歳時記
   今年は、東京の桜はもう満開だとか、
   しかし、湘南の海からの潮風を受けて温かいはずの鎌倉山の西麓の桜は、まだ、満開にはなっておらず、蕾もかなり残っている。
   咲いているところをショットすると、
   
   
   
   
   

   随分温かいので、わが庭の椿も、どんどん、咲き始めている。
   まず、多弁咲きのユキツバキの津川絞、かなり小さな中輪千重咲きの椿で、淡桃地の花弁に紅の縦絞りが少なめに入る列弁咲きで、端正な花姿が良い。
   新潟県津川町産の銘花だと言うから、小さな綺麗な鉢植えを食卓において、美味しい新潟の酒を賞味しながら愛でるという趣向はどうであろうか。
   昔、江尻光一先生が、小さなグリーンハウスを家の庭に作って、明るい月明かりの夜、その中で、豪華に咲く月下美人を愛でながら、月下美人酒に酔う粋な楽しみ方を語っていたが、ガーデニングに勤しんでいる者の一人として、何となく、その気持ちは分かる。
   
   
   

   このユキツバキと対照的で、同じ多弁咲きでも、大きくて派手なのは、バレンタインデー。
   唐椿「仏陀」とサルウィンツバキの交配種でアメリカ生まれだという。
   何故、バレンタインデーなのか良く分からないが、これだけ大輪で豪華に咲くと、欧米人好みのバラにも引けを取らないであろう。
   
   
   

   「天賜(てんし)」が、咲き始めた。
   桃色の地に、一重で底白ぼかしの椀咲きの椿で、曙椿と同様、匂うように美しいピンクの花である。  
   この花は、椿に興味を持ち始めたときに、その清楚な美しさに惹かれて、近くの園芸店で最初に買った椿で、花弁の底に向かうにつれて徐々に白くなっていく風情が堪らなく魅力であった。
   ミランダのように、花弁の底白から外縁に向かってぼかしで徐々にピンクが濃くなって行く流れるようなグラデーションの優雅さはないのだが、素朴なほんのりとしたピンク模様が何とも言えない魅力である。
   千葉から持ち込んで来て、庭植えした実生苗があったはずで、まだ、花が咲いていない木があるので、モシかしてと、どんな花が咲くのか少し期待している。
   
   
   
   
   アヤメに先駆けて、シャガが咲き出した。
   花の神秘的な美しさ!
   青春の頃の、マドンナへの憧れに似たときめきを覚えながら眺めている。
   
   
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わが庭・・・椿:ミリンダ

2021年03月23日 | わが庭の歳時記
   匂うように美しいピンクの宝珠咲きから千重咲きに変って行く米国生まれの椿ミリンダが咲き始めた。
   底白で花弁の外縁に向かって淡いピンクのぼかしが入って少しずつ色が濃くなって行く、先端のピンクの美しさは、美女のかんばせ、
   高級な水蜜桃のようなスイートなふくよかさ、
   中央の宝珠が開いて、完全な千重咲きに咲ききるまで、花のエネルギーが持つのか、また、華奢な花弁が傷つかずに堪え得るのか、
   とにかく、very beautiful !!!
   
   
   
   

   境界の崖っぷちに植えた源平桃が咲き始めた。
   牡丹の蕾が膨らみはじめ、イングリッシュ・ローズに蕾が着いた。
   クラブ・アップルの蕾も、もう少しで開きそう、
   モミジの獅子頭も芽吹き始めてきた。
   昨年秋、庭師が、バサバサ庭木を強剪定したので、庭に陽の光が満ちているので、今春は花が勢いよく咲いて、賑やかになりそうである。
   
   
   
   
   
   
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METライブビューイング・・・「メリー・ウィドウ」

2021年03月20日 | クラシック音楽・オペラ
   6年前のMETの華麗な「メリー・ウィドウ」の舞台の再演である。
   物語としてそれ程意味深い芝居ではないのだが、熟年の恋の成り行きをテーマにしたウィットとアイロニーに彩られたストーリーを器用に脚色した華麗な歌と踊りの豪華絢爛たる舞台、
   とにかく、花のパリを舞台にしたアメリカのパーフォーマンス・アーツの魅力はここに極まれりという、実に楽しい喜歌劇である。
   初めてこのMETライブビューイングを観た時にレビューしているので蛇足は避けて、再印象だけを綴ってみたい。

   さて、オペラとオペレッタ、ミュージカルの区別は私には分からないが、この舞台には、ミュージカルの演出で傑出したスーザン・ストローマンが演出し、ブロードウェイを代表するミュージカル界のトップスターのひとりであるケリー・オハラが、準主役のツェータ男爵夫人ヴァランシエンヌを演じるなど、随所にミュージカルとのコラボレーションが織り交ぜられて、軽妙洒脱な舞台展開が素晴らしい。
   私自身、古い話になるが、ブロードウェイで、レックス・ハリソンの「マイフェア・レィディ」やユル・ブリンナーの「王様と私」などを観ているし、ロンドンでは、「オペラ座の怪人」や「レ・ミゼラブル」などにも通っていて、オペラほどではないが結構ミュージカルを観ているのだが、演出や歌唱、舞台の構成などは別にして、印象としては、小さなミュージカル劇場とグランドオペラとのスケールからくる差くらいしか感じられない。その意味では、この「メリー・ウィドウ」は、ウィンナ・オペレッタであるから、そのミックスという感じで、違和感を感じなくても良いのであろうと思う。
   ウィーン・フォルクスオーパーは、来日公演を一度観ただけだし、ウィーンに行っても、時間がなくて、どうしてもウィーン国立劇場しか行けないので分からないが、こじんまりした劇場であり、この劇場で「メリー・ウィドウ」などオペレッタを鑑賞できれば最高なのであろう。
   
   余談ながら、これは、私の人生観というか人格の曖昧さから来るのか、このオペラとミュージカルの差が分からないのと同様に、両方学んで、いまだに、経営学と経済学の差や違いなどについては全く無頓着で、それを区別する意識もなかったし、鑑賞を楽しませてくれたり、勉強になり血肉となれば、そんなことはどうでも良いと思っている。

   この「メリー・ウィドウ」の舞台には、METの巨大なスケールの豪華絢爛たる舞台設定やフル・オーケストラの豊かなサウンド、沢山の華麗な衣装を身につけた歌手やダンサーなどの偉容等々は、ミュージカルの舞台の比ではなく、ダンサーの「フレンチ・カンカン」や乱舞するバレエの楽しさ迫力などは、群を抜いている。
   私は、この「メリー・ウィドウ」のオペラの舞台は、ロイヤル・オペラとジュネーブ大劇場でそれぞれ一回ずつ鑑賞しただけで、記憶も残っていないが、とにかく、METの意欲的な舞台は、まさに、このスケールと豪華さはアメリカでこその舞台であって凄いと思っている。
   METライブビューイングのHPの写真を借用させて貰うが、口絵写真のカーテン・コールの舞台と以下のダンサーの舞台などを観れば、その雰囲気が分かる。
   
   

   このオペレッタのプリマのルネ・フレミングは、私がアメリカに居たり行き来していた頃には、まだ駆け出しで、実際に歌劇場で観た舞台は、2005年8月にロイヤル・オペラで「オテロ」のデズデモーナ、そして、2006年6月にMETで、「椿姫」のビオレッタの二回しかないが、とにかく、「銀色の声」と称されるクリーミーな声とゴージャスな存在感で観客を魅了すると言う、素晴らしい歌声と表情豊かな舞台に感激頻りで鑑賞させて貰った。

   フレミングは、ロンドンのロイヤル・オペラの指揮者であったサー・ゲオルク・ショルティに、「私の長い人生において出会った、ここまでの水準の高さのソプラノ歌手はたった二人、ルネ・フレミングとレナータ・テバルディだ」と言わしめてスターダムへ歩み始めと言うから、故国アメリカ発でないところが凄い。
   前にも書いたが、「オテロ」の舞台の後、ヴィラール・フローラル・ホールで、フレミングが、自身のCD,DVDや著書「THE INNER VOICE Notes from a life on stage」のサイン会を持ったので、そこは海外のこと、整理券を貰って大スターの前に立って二言三言話して、本にサインと写真を撮らせて貰った。
   

   このMETライブビューイングの舞台だが、
   主役は、ルネ・フレミングのハンナで、その元の恋人でよりを戻したい色男が、ポップスも歌うと言うバリトンのネイサン・ガンのダニロで、
   この二人が、成熟した大人の恋の駆け引きをコミカルタッチで華麗に演じる。
   それに、ハンサムのリリック・テノールのアレック・シュレイダー演じる若い伊達男カミーユが、ブロードウエー・ミュージカルのトップスター・ケリー・オハラ演じるツェータ男爵の妻ヴァランシエンヌに激しいモーション掛けっぱなし、
   妻に浮気されて狂言回しを演じているのがツェータ男爵のサー・トーマス・アレン、
   イギリス人であるこのアレンと指揮者のアンドリュー・デイヴィスは、ロンドンで何度もオペラやコンサートでお馴染み。

   とにかく、歌の上手さは当然だが、フレミングもオハラもプロのダンサーに負けじと華麗なステップを踏む。
   美しく夢見るようなウィンナ・ワルツの、レハール・サウンドに紡ぎだされた愛の歌の素晴らしさは格別で、華麗な舞踊と合唱同様実に魅力的であり、最初から最後まで、楽しませてくれる素晴らしいオペレッタである。
   
   
   
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わが庭・・・椿:マーガレット・ディビス咲き始める

2021年03月19日 | わが庭の歳時記
   牡丹咲きの派手な椿マーガレット・ディビス(Margaret Davis)が咲き始めた。
   白地に紅覆輪が入る牡丹咲きのオーストラリア産の椿で、花自身は、それ程大きくはなくて中輪、
   昨年は殆ど咲かなかったが、今年は、3本とも蕾を沢山付けている。
   洋椿は、何故か、新種の育成や花栽培で群を抜くオランダや英国などヨーロッパでの歴史は古いのだが、椿の新種は、アメリカやニュージーランドやオーストラリアなど新大陸で生まれれているような気がするのが、不思議である。
   その分、バラの新種が、ヨーロッパの旧大陸で生まれていて、同じ華やかな花ながら、欧米人たちにも好みの棲み分けがあるのであろうか。
   尤も、ロンドンキューガーデンには、日本の椿が何種類か植えられていたし、我が家の広い裏庭には、八重椿のオランダ紅が咲き乱れていた。
   
   
   
   
   
  
   スタンドバイしている椿は、数種、もう少しすると咲き乱れる。
   何故か、タマ系統の改良種は先祖返りしてか、外縁の白覆輪が消えて、濃い紅色一色に変る。
   
   
   
   
   
   

   3月はじめに、一応、緩効性肥料を株元に施してあるのだが、急に温度も上がり始めており、桜の開花が早いので、バラと椿の鉢植えに、液肥を施した。
   バラは新芽が勢いよく芽吹いて茂り始めており、椿も、青い珊瑚礁など早い椿は、新芽が出始めている。
   椿の幼い実生苗や挿し木苗は、花芽がつき始める6月はじめ頃までに、出来るだけ背丈を伸ばして大きく成長させておきたいので、この数ヶ月の肥料の施し方が、非常に重要になってくるのである。
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日経:真っ先に「ミチクサ先生」を読む

2021年03月18日 | 生活随想・趣味
   朝、日経を開いて最初に読むのは、伊集院静の「ミチクサ先生」。
   最近は、ロンドンでの生活にもようやく落ち着いた漱石の様子が描かれていて面白い。
   
   興味深いのは、ロンドンでの美術品(主に絵画)との出逢いは、それまで空の色に鬱々とした気分になり、深い霧に神経衰弱さえ自覚し、毎日、鬱陶しい日々を送っていた金之助に、ある光を差しのべてくれた。それからの金之助は絵画を積極的に鑑賞するようになり、美術館や博物館に優先して出かけるようになった。と言うことである。
   めぼしい博物館や美術館には殆ど出かけたようだが、特に、ナショナル・ギャラリーには良く出かけたらしい。

   ウィキペディアによると、大学の講義は授業料を「拂ヒ聴ク価値ナシ」として、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの英文学の聴講をやめて、『永日小品』にも出てくるシェイクスピア研究家のウィリアム・クレイグ(William James Craig)の個人教授を受け、また『文学論』の研究に勤しんだが、英文学研究への違和感がぶり返し、再び神経衰弱に陥り始める。と言うことで、公式な勉強というのは、クレイグのシェイクスピア講義だけと言うことなので、美術館行脚などによる雑学の方が、役に立ったのであろう。
   何を持って英文学の聴講を無意味だと判断したのか、オックスブリッジにアプローチしていたら変っていたかも知れないし、常識的に考えれば、そんなことはない筈だが、小説家漱石を生むためには、それが良かったのかも知れないが、当時の海外留学とはそう言うものであったのであろう。
   私などの場合には、はっきりと、はるかに学問的にも進んでいたアメリカで経営学を学んでMBAを取得して帰って来いと言う使命があったので文句なしだったが、あの頃は、テーマだけを決めて、二ヶ月なり一年なり、自由に海外で勉強して来いと言ったかたちで、社員を海外へ送り出すことがあった。
   実際に、現地に行って、四苦八苦してからでないと、何を勉強したら良いのか分からないし、関心も興味もどんどん変るであろうし、学んで帰ってきたのが、当初の意図とは全く違っていたと言うこともあろう。
   

   さて、漱石が、最初に見て強烈なショックを受けた絵画は、ナショナル・ギャラリーのターナーであった。
   その次に、クレイグ教授に教えられて見て、いたく感激したのは、口絵写真のジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア(1852年)」である。
   この後で、他の絵画が出てくるのかどうかは分からないが、両方とも、英国絵画であるのが、興味深い。
   私など偏見が強いのか、ナショナル・ギャラリーで、真っ先に出かけたのは「岩窟の聖母」などレオナルド・ダ・ヴィンチの作品で、英国絵画に興味を感じ始めたのは、ずっと後になってからであった。
   ロンドンに5年間も住んでいて、ナショナル・ギャラリーと大英博物館には、歴史書や美術書などを紐解き勉強しながら、数え切れないほど頻繁に訪れていたのだが、何故か関心がなくて、テート・ギャラリーには行っていないので、このミレーの「オフィーリア」は見ていない。シェイクスピアに入れ込んでいたので、この繪は、何度も口絵などで見ていたのでお馴染みだが、次にロンドンに行った時には、遅ればせながら、テート・ギャラリーを訪れようと思っている。

   著者の伊集院静には、スペインとフランスを行脚した「美の旅人」と言う素晴らしい作品があって、私もこの本をレビューしているが、絵画にも造詣が深いので、この辺りの漱石の描写も、実際はどうだったのかは別にして、臨場感があって読まてくれる。
   これらの絵画の印象が、後の小説に想を加えたという。
   絵画は、雄弁に物語を語っているだろうし、多くの物語や詩が、絵画をインスパイアーしているのだから、当然のことであろう。

   この小説には、ウエストエンドでの芝居の鑑賞や書店での書籍漁りの話なども出てきて、漱石のロンドン生活が語られれているのだが、私自身の経験を反芻しながら読んでいるので、結構、楽しませて貰っている。
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わが庭・・・黒椿咲き始める

2021年03月16日 | わが庭の歳時記
   黒い椿が咲くのは椿の季節が終る頃、最後に咲く花という印象だが、もう咲き出している。
   苗木を買ったときから、黒椿と言うことで、名前は分からないのだが、和製椿は、紺侘助もそうだが、赤紫の色が濃くなって黒くなっているという感じだが、洋椿の黒は一寸系統が違うのか、かなり漆黒となる。
   昔、黒い花に興味を持って、黒いチューリップを植えていたことがある。
   桜の開花したというから、今年の春の花は、かなり早いのであろう。
   牡丹の蕾も膨れ始めているし、バラの新芽の成長も早い。
   
   
   
   

   もう一つの黒椿、ナイトライダーは、まだ、蕾が固いが、一番下の枝の花が開き始めている。
   この椿は、千葉の庭からの移植で、随分長く育てているのだが、木丈が中々伸びないのが不思議である。
   
   
   
   
   咲き始めて風雨にやられてすぐ傷んでしまったのは、卜半。
   唐子咲きの典型であり、この系統の親でもある。
   
   
   
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斎藤泰弘著「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

2021年03月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「ミラノ宮廷のエンターテイナー」と言うサブタイトルのついたミラノ時代のレオナルドについての本である。

   史上空前の大画家でありながら、「絵を描かない大画家」であり、「鏡文字で膨大な手稿を残した男」であったレオナルド・ダ・ヴィンチ。
   あらゆる画家を凌駕する天才として万人が認める存在でありながら、残された絵画作品は僅か、何故、作品を完成できなかったのか、このレオナルドの未完成癖の原因は、完璧さを求め過ぎる所為だと言う。彼には、世間をアッと驚かすような卓越した作品を作って、これまで誰も得られなかったような俗世での名声を、一挙に手に入れたいという激しい欲望があったので、卓越の上に卓越を、完璧の上に完璧を求めた。
   何故このような衝動が唐突に突き上げてきては、逆に彼の手を震えさせて、絵筆を動かなくするのか。その原因は、幼年期のトラウマにあった。母と無理矢理に引き剥がされて、母を他の男に売り渡された子供の、父親=社会への怒りが、彼に反社会的な鏡文字を選ばせ、父親への復讐と社会への雪辱としての「凱旋」への狂おしい渇望を生んだのではないか。と言うのである。

   ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画制作には、ボッティチェリほかの同世代の気鋭の画家たちが、フィレンツェ政庁から推薦されたが、画家失格の烙印を押されていたレオナルドだけは選ばれず、フィレンツェでの5年間は、無念と失意の中で歯ぎしりして過ごした。
   ところが、フィレンツェを脱出して、20年近いミラノ時代には、大作を完成できないまま放棄すると言う苦い記憶を持つフィレンツェ時代とは大違いで、「最後の晩餐」や「スフォツツァ騎馬像」などの大作に挑戦し、完成ないしほぼ完成させた。

   この時代、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)の元で、武器の発明家や軍事技師として活躍し、平時には、宮廷の祝祭で奇想天外な夢の舞台を出現させ、勇壮な「ジョストラ(馬上槍試合)」では人々を唖然とさせた演出をし、宮廷ではエンターテイナーとしても活躍した。心からの情熱と喜びを持って自分の責務からの逸脱行為に熱中できた、レオナルドの人生の中で最も幸せな時代であった。
   このミラノ時代について、彼の手稿や当時の史料によって、彼の宮廷人としての活躍の後を、くらい闇の部分も含めて、その舞台裏に踏み込んで説き起こしたのがこの本である。
   レオナルドの世界的権威だと言う美術史の先生たちが、なんとまあ現実離れした、夢のような話やトンデモ話をまことしやかに論じていることか、鏡文字の手稿を隅から隅まで研究し尽くした著者としては黙っておれない、
   不遜な気持ちが頭をもたげてきて書かざるを得なくなったのがこの本だと言うから、とにかく、面白い。

   さて、エンターテイナーの問題だが、ルネサンスの芸術家は、近代の芸術家とはイメージが大分違っていて、一番の仕事は、イベント・プロデュースであったという。彼らの大きな役割は、権力者の威信と権勢の程を自国の臣民や近隣の君主たちに見せつけることであり、そのためなら、普段はケチな君主でも巨額の費用を惜しみなく使った。従って、当時の芸術家が最も得意とし、しかも最も実入りのあった仕事は、総合芸術としての祝祭の請負であった。
   長い時間をかけて準備された後に、一晩で消費されて取り壊される夢のような総合芸術――オペラの感動に似て、聴衆の記憶にしか残らない贅沢な芸術ーーの世界である。だから、ルネサンスの芸術工房は、今で言うイベント・プロデュース会社のようなものであった。レオナルドが、確実に参画したことが分かっているのは、詩人のベッリンチョーニとの合作の「天国の祭典」だけだが、手稿にはそこそに痕跡が残っていて、日常的にこの種の装飾の仕事に携わっていたのは間違いないという。
   
   ところで、エンターテイナーとしてのレオナルドで興味深いのは、彼が、「プロフェツイア(予言)」と言う独創的ななぞなぞ遊びを多く作った「予言」者としての側面である。日常的でありふれた事柄を、日常を超えた不条理で希有な出来事であるかのように大袈裟に語って、その答えを当てさせる遊びである。
   一つだけ例示すると、
   「数知れぬほどのものどもが、極めて高価な品物を、その所有者の許可も得ないで、大っぴらに、良心の咎めもなく売りに歩くであろう。その品物は、かって彼らの所有物であったことはなく、彼らに売る権利が与えられたこともないのに、この世の法律では彼らを取り締まることができないとは!」
   この答えは、「天国を売ること」、免罪符のことである。
   ルターが、免罪符批判ののろしを上げたのは1517年のこと。レオナルドの方が20年先を行っていたのでる。

   この本では、絵画については、「最後の晩餐」は勿論、「白貂を抱く貴婦人」「ビアンカ・サンセヴェリーノの肖像」等について興味深い説明があって面白い。
   とにかく、博学多識の著者の話を、なるほどなるほどと言った調子で聞き置くだけの読書だったが、楽しませて貰った。
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わが庭・・・椿:エレガンス・シュプリーム、王冠まず1輪

2021年03月13日 | わが庭の歳時記
   久しぶりに激しい雨と落雷、植物にとっては干天の慈雨というところか。
   うち拉がれていた椿も、露を帯びて一気に元気を取り戻した感じである。
   エレガンス系の二番目に、エレガンス・シュプリームが1輪大きな花を開いた。
   この系統は、10年に1メートルと言われるほど、成長が遅いのだが、殆ど日陰の半坪庭に植えているので、やはり、そのようで、蕾付きも良くなかったが、何年か前に挿し木した二世苗が、かなり生長して蕾をつけているので、楽しみにしている。
   坪庭には、一寸派手すぎて似合わないと思うのだが、赤くてエレガントな獅子咲きの点景が、アンバランスながら捨てがたいのである。
   
   
   

   もう一つ、肥後椿の王冠が咲き始めた。
   昨年は咲かなかったので久しぶりだが、今年は、いくらか蕾が着いていて楽しみである。
   何年か前に、同時に庭植えした薩摩紅、花富貴、桃太郎なども、今年も蕾をつけなかった。
   鉢植えだと、いくら小さな苗木でも花を咲かせるのだが、土壌が豊かな庭だと、まず、成長優先で、かなり、大きくならないと花を咲かせない。
   椿も、土が少なかったり、根を切られたり、要するに、種族保存の危機を感じると蕾を付けるので、椿の鉢植えなど、花芽が付く5月頃に水やりをセーブして枯れる寸前まで水を控えるのがコツ。松も、松笠が付くと枯れるという。
   さて、少子高齢化のホモ・サピエンスはどうであろうか。
   
   
   

   やはり、椿は美しい。
   至宝、仙人卜半、タマグリッターズ、ジュリア・フランス
   
   
   
   
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わが庭・・・椿:ハイフレグランス、ジュリア・フランス

2021年03月11日 | わが庭の歳時記
   適当な場所が見つけられなくて、鉢植えのまま、2メートル近くに大きくなったハイフレグランスとジュリア・フランスが咲き始めた。
   タキイから、これらと一緒に買ったのが、荒獅子で、この方は和製で成長がゆっくりである。
   ハイフレグランスは、ニュージーランド生まれで、微かに匂う匂い椿である。
   ジュリア・フランスと同じ、淡いピンクだが、この方が少し色が濃い感じで、花もやや小輪である。
   
   
   

   ジュリア・フランスは、フランス生まれ。
   先に咲き始めていて、風雨と虫にやられて、花弁はガタガタ、しかし、蕾の時には、匂うように美しいのだが、繊細なフランス椿は、室内で育てた方が良いのであろう。
   さて、ビゼーの椿姫のイメージだが、安達瞳子さんによると、アルバフィレ、乙女椿の花だと言う。
   乙女椿は、ピンクの八重咲きで、蘂がないのが、何となく、マルグリット・ゴーティエ、ヴェルディのオペラでは、ヴィオレッタ・ヴァレリーの運命を象徴しているようで面白い。(乙女椿の写真の代わりに、至宝で代行)
   
   
   
   

   クレオパトラは、バラ
   楊貴妃は、牡丹、
   マルグリットは、椿以外は身につけなかったという。
   椿は美しい。
   
   
   
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わが庭・・・椿:王昭君咲く

2021年03月10日 | わが庭の歳時記
  ピンクの匂うように美しくて清楚な椿王昭君が咲き出した。
  最初に咲き始めたのは、一寸シンプルな形の花で、華やかな美しさに欠けたのだが、本来は、至宝のような綺麗な形の千重咲きなので、花心の蘂が花弁化して蘂が消えたり複雑な様相を呈して興味深い。
  今回は、蘂が比較的はっきりと見えているのだが、雌蘂に受粉可能なのかどうか、
  この花の由来は、匈奴の呼韓邪単于が、漢の女性を妃に迎えたいと元帝に依頼したところ、似顔絵で選ぶことにして、似顔絵師へ賄賂を渡さなかったので醜女に描かれていた王昭君が選ばれたという逸話は有名な話で、実際には絶世の美女であって、それを知った元帝は、地団太踏んだが後の祭り、
  楊貴妃と並ぶ中国四大美人の一人で悲劇のヒロインであるから、桜の王昭君も椿同様に、匂うように美しいピンクの花を咲かせる。
  
  
  
  
  
  
  

  モクレンも咲き出した。
  大木なので、二階の窓からしか見えないので、普段は見上げるだけで、殆ど意識しない。
  
  

  鉢植えの椿には、寒肥を施していなかったので、株元にマグファンプKの顆粒を蒔いて、土の少ない鉢には土を加えて、十分に土のある鉢には、表土を起こして埋め込んだ。そのままで雨を待っても良いのだが、良い天気なので、土に馴染ませようと思って水をやった。
  まだ、蕾の堅い品種も残っているが、わが庭は、すでに、椿の花盛りである。
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