熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日経シンポ・変貌する資本市場

2009年09月29日 | 経営・ビジネス
   日経ホールで、「変貌する資本市場ー適正な市場ルールと執行の行方を探るー」と言う時宜を得た興味深いシンポジウムが開かれ聴講した。
   金融庁の三國谷勝範長官や木下信行証券取引等監視委員会事務局長による金融行政や市場監視行政の動向や課題などについての講演や、楽天三木谷浩史社長による企業統治やリーダーシップに関する講演など、それなりに勉強になったが、後半の各界からの論客によるパネルディスカッション「活力と規律ー市場ルールのあり方を考える」の方が面白かった。

   冒頭、大久保勉参議院議員から、民主党が進めようとしている「公開会社法」についての説明がありシンポに入ったのだが、この公開会社法については、これまで、早稲大学のCOEプロジェクトなどで、上村達男教授から話を聞いており、著作などでも触れて勉強しているので、やっと、その時代が来たのかと言う思いで感慨深く聞いていた。
   世紀末から幾度かの商法改正を経て生まれ出でた現行の会社法には多くの問題があり、今回のこの構想は、資本主義社会の根幹を成す公開会社に相応しい法制の確立を謳っており、証券市場に適合した会社法としての公開会社法を企図するものなので、当然、金融商品取引法と会社法の統合を図ることとなる。
   従って、証券市場が要求する情報開示の徹底、会計・監査を確実に実行し得るコーポレートガバナンスの強化がポイントとなり、更に、企業集団を基本的な構成要素として認識して企業統治や責任体制を構築すると言う姿勢が貫かれる。

   現行の会社法や金融商品取引法の制定も、アメリカ型市場万能の資本主義が最盛の時期に、あたかも、アメリカ型の法制度や統治体系が、最先端のグローバル・スタンダードであるかのように受け止めてフォローした帰来があるが、その後の資本主義の大転換によって、今回の国際財務報告基準(IFRS 通称国際会計基準)などは、イギリス基準に依拠するなど、大きく企業を取り巻く環境も変化してきているので、新しい公開会社法も、大分様相を変えるのであろうか。

   石黒徹弁護士が指摘していたが、今や、会社にとって大切なのは、期末の株主によって成り立っている極地戦である株主総会と言うよりも、総力戦であり全面戦争として闘わざるを得ない集合概念である投資家の形成する証券市場であることは間違いない。
   会社は誰のものかと言うコンセプトも、市場原理主義華やかなりし頃は、会社は株主のもので、株主価値の最大化こそ経営者の責務であると言う考え方が主流であったが、コーポレート・ガバナンス強化となれば、当然、社外取締役の要件のみならず、例えば、独蘭型の労働者代表の経営参加なども視野に入るであろうし、ステークホールダー重視への傾斜は必然であろう。
   
   もっと影響の大きいのは、IFRSの導入で、世界中が従おうとしており、世界の孤児に成ることを避けるためにも、日本も、遅ればせながら準備段階に入った。
   しかし、IFRSの精神は、これまでの日本人が抱いていた会計に対する考え方とは根本的に違っており、例えば、損益計算書重視で売上高と利益計算ばかりに力を入れていたのが、一挙に、これらの利益概念が吹っ飛んでしまって、企業の将来キャッシュの生成能力を問う財務諸表重視に転換してしまい、更に資産の定義も違ってくると言うのであるから、経営の目指すべき視点が根本的に変わってくる。
   もっと、日本人に馴染めないのは、プリンシプル・ベースと言う大人のコンセプトで、文書化された基準が極めて限られているので、経営者が自分自身で基準・規範を決定して自己を律さなければならない。
   日本に対する陰謀だと息巻く御仁がいるが、成熟した大人の経済社会と言うものは、そう言うものなのである。
   
   監査報告書にしろ、内部統制システムにしろ、雛形がないと一歩も前に進めない日本の企業が、ノブレスオブリージェの精神に富み、倫理観念の高い成熟した社会に育まれたヨーロッパの法体系に同化出来るのであろうか。   

   これこそ、正に、企業経営とは何かと言うコンセプトそのものに対する革命であり、経営者の経営観念を根本的にリセットしなければ、グローバル競争に伍して行けなくなる。
   プロの経営者による経営の時代の到来である。最低限度バランスシート(損益計算書ではない)が読めて、ドラッカーの分かる、あるいは、分かろうと努めている経営者であろうか。
   
   脱線してしまったが、シンポジウムは、その後、
   ライブドアや村上ファンドなどの企業不祥事や刑事制裁や行政処分、自己規制・自己規律、民事訴訟、国際化対応など、興味深いテーマを題材に、非常に面白い議論が展開された。
   私自身の専門分野ではないので、非常に興味深く聞かせて貰った。
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九月大歌舞伎・・幸四郎と吉右衛門の「勧進帳」雑感

2009年09月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月は、本来なら初代吉右衛門を偲ぶ秀山祭なので、吉右衛門が大車輪の活躍で、夜の部は、「勧進帳」の富樫と、「松竹梅湯島掛額」の紅屋長兵衛で、渋い役とコミカルな役を同時にこなしていて興味深い。
   勧進帳なら、豪快で勇壮な弁慶なのであろうが、ここは兄貴の幸四郎に弁慶を譲っているので、期せずして、吉右衛門の富樫を鑑賞出来るとと言う、ファンとしては願ったりの舞台でもある。

   ところで、この勧進帳だが、何度も観ているので同じ役者が重なっており、私としては、この幸四郎と吉右衛門の他に、團十郎、仁左衛門の弁慶を観ているのだが、夫々、東西一の名優揃いで、いずれも素晴らしい舞台であった。
   團十郎にとっては、お家の18番の芸であるから決定版と言うことであるし、幸四郎も吉右衛門も、77歳まで1600回も演じ続けたと言う7代目幸四郎の芸の継承であるから、押しも押されもしない理想的な弁慶像であろうが、私にとって印象深かったのは、仁左衛門の舞台で、勘三郎の富樫、玉三郎の義経たちが繰り広げる非常に華麗で新鮮な舞台である。

   不思議なもので、名優の18番で何百回と連続公演している名物舞台については、その決定版を何度も観たいと思う反面、別な役者の新しい舞台も観て見たいと言う複雑な思いもある。
   この勧進帳については、複数の名優が素晴らしい舞台を展開しているので、私には、どの役者の弁慶を観たいと言うほどの拘りはなく、富樫や義経を演じる役者も夫々変わって組み合わせの妙と言うか変化に富んだ、サプライズの舞台を楽しみたいと言う気持ちの方が強い。
   その意味では、今回の幸四郎の弁慶に、弁慶役者の吉右衛門が、富樫に回り、それに、夫々の息子であり甥である若手のホープである染五郎の義経と言う組み合わせは、非常にファンとしてはワクワクとする組み合わせである。

   幸四郎の弁慶は、先に東大寺奉納舞台で1000回目を演じているので、正に伝説的と言っても良い舞台であろうが、弁慶を知り尽くした吉右衛門が、非常に感動的な富樫像を作り上げていて感激して観ていた。
   今まで、弁慶も演じたと言う富十郎(映画「写楽」で、團十郎役で弁慶を演じている)以外は、弁慶イメージの全くない格好良い菊五郎や勘三郎や梅玉と言った役者の富樫を観てきたのだが、私自身は、この勧進帳は、富樫の命を賭けた義経詮議と死を覚悟しての義経一行見逃しが眼目だと思っているので、本当は、弁慶像の決定版を作り上げた弁慶役者が演じてこそ、迫真の富樫像が浮かび上がってくるのだと言うことが、今回の吉右衛門の舞台を観ていて良く分かった気がしている。
   吉右衛門は、頭の中で、両者による綿密なシュミレーションを行って計算し尽した上で富樫像を創りあげた筈である。

   吉右衛門が、「中村吉右衛門の歌舞伎ワールド」で、この武蔵坊弁慶を解説していて、非常に興味深いことを述べている。
   ”白紙の巻物を手に、難解な勧進文を堂々と暗誦してピンチを脱すると言う、ここにこそ弁慶と言う男の真骨頂がある。無から有を生み、不可能を可能にする。それを実現せしめたのは、主君・義経を何としてしても守り抜く気迫と信念でしょう。”

   このことを考えれば、富樫は、当初から義経一行を見破っており、従って、偽勧進帳が如何なる物かと言うのが富樫の最大の関心事であり、白紙巻物を読む弁慶の手元を覗き込む富樫の視線をとっさに隠す「天地の見得」の段階では、白紙だと分かってしまったと解釈した方が、素直であり、その後の、富樫の詮議が熾烈を極めれば窮めるほど、逆に、富樫の弁慶への心の傾斜が理解出来る。
   事実、幸四郎弁慶も、巻物を巻きながら読む仕種など全くしていない。
   それに、僧として修行を積んだ荒法師の弁慶には、山伏問答など、素人の富樫とは格段の知識の差があり、最初から勝負が着いている。

   言うならば、番卒に疑いをかけられた義経を杖で打つシーンなどは、最後の駄目押し補足であり、富樫は、その前に、自分の命と引き合えに義経一行を見逃す心の覚悟をしてしまっているので、弁慶の義経への仕打ちを止めさせて一行を行かせる。
   山伏問答までは、弁慶に対して非常に気迫の篭った対応をするが、番卒の耳打ちにはそれなりのきりっとした対応を示すものの、その後の富樫の心は非常に澄み切っており、吉右衛門は、泰然自若とした姿で殆ど無表情で押し通して、本当の主従の強い絆を眼前にして感動さえ覚えながら富樫の運命を噛み締めている風情であった。
   義経一行を送り出す富樫こそが、この世との別れを噛み締めており、義経たちの悲壮感との対極にある。

   文楽では、義経が退場するとすぐに富樫も座を立つのだが、歌舞伎は弁慶を見送ると言う設定になっており、歌舞伎では、随所に弁慶を引き立てるシーンが目白押しだが、当時の、看板役者團十郎が始めた舞台であるからであろうか。
   富樫の心境を考えれば、「延年の舞」の途中で、弁慶が、義経一行の退場を促すシーンなどは、私は蛇足だと思っている。

   ところで、根を詰めて大変な舞台を勤め続けてきた幸四郎が、花道に立って、義経たちの無事出立を確認して富樫に別れを告げ、「飛六方」で花道を入る豪快な見せ場を演じるのだが、客席をしっかと睨み付けて、呼吸を整えるために、一呼吸も二呼吸も置いて間を取っていたのが印象に残っている。
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鎌倉雑感・・・静かな鎌倉に思う

2009年09月27日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   昨日と今日、孫の運動会で鎌倉にいたが、非常に秋晴れの天気の良いシーズンだと言うのに、不思議なほど観光客が少ないので驚いている。
   先週のシルバー・ウィークには、日頃静かな鎌倉駅西口の方も大変な混雑で、江ノ電が出札待ちで大変な行列だったと言うから、今週は、その疲れと言うか後遺症であろう。とにかく、秋の鎌倉が良いと思うとどっと繰り出す、全く同じ方向に靡く日本人の同調志向の凄まじさには恐れ入ると言うべきであろうか。
   私など、歳の所為もあって付いて行けないので、その反対ばかりやろうとしてしている。

   最近、良く鎌倉に行くのだが、一寸時間があると、観光スポットよりも、裏町の路地に入って、別な鎌倉を見ようと散策することにしている。
   鎌倉駅から鶴岡八幡宮方面へ向かう小町通りの雑踏など観光客で賑わうスポットは別だが、観光地の常として、一歩、本通を離れて裏町に入ると、完全に静かな住宅街になる。
   北鎌倉と、鎌倉駅近辺とは大分雰囲気が違うのだが、鎌倉駅自体が、どちらかと言えば、観光客の雑踏がなければ、見過ごしてしまって通り過ぎるような田舎駅と言った佇まいで、朝夕の静けさと、日中の雑踏との格差の大きさにびっくりする。

   やはり、鎌倉だと思うのは、そのような静かな住宅街の中や外れの通りなどに面して、ポツリポツリと、小奇麗で雰囲気のある洋菓子店を併設した喫茶店やレストラン、かなりシックな洋品雑貨や洋服、インテリアと言ったみやげ物店、民芸品店などがあって、旅人の心を和ませてくれるスポットが点在していることである。
   私には、その値打ちが良く分からないのだが、ヨーロッパの観光地にも引けを取らないような感じの佇まいの店もあり、値札もそれ程安くないので、かなり、質が高いと思われ、他の観光地とは大分違う感じで、京都と似ている。
   商売になるとは思えないような静かな店もあるが、観光案内か何かで紹介されるのであろうか、かなり客の入っている店もある。
   しかし、観光ルートにあってもかなり人通りの少ない、あるいは、知らなければ殆ど気づかないような所にあるのだから、これらの店舗なども、観光客の為だけではなく、文化都市鎌倉としての民度の高さを反映しているのであろうか。

   一寸気になるのは、物価の高さである。
   鎌倉駅西口から程近い市役所前にスーパーKINOKUNIYAがあるが、工業製品など定価のあるのは別だが、生鮮食料品などの値段は、わが千葉の田舎のスーパーと比べて大分高いし、新鮮さなどにも大分差があり、庶民には住み難いのではないかと思う。他の商店も、大なり小なり、そのような傾向があるような気がする。
   確かに、駅を降りて静かな西口方面へ歩くだけでも、何となく街の空気がシックで、緑の山懐に抱かれた鎌倉の住宅街の雰囲気の良さが分かるような気がするのだが、場所を選ぶと言うことはこう言うことであろうか。
   リスが走り、鶯が鳴き続ける、そんな大都会に至近距離の文化都市の値打ちなのかも知れないと思うのだが、一寸、息苦しいような気もする。

   娘の家の小さな前庭の花壇に、意識して草花を植えて季節感を楽しんでいるが、気の所為か、わが千葉の庭と、飛んでくる蝶の種類が多少違うようで、鎌倉のほうが綺麗な種類の蝶が多いような気がする。
   やはり、神社仏閣が多くて、美しい境内や庭が沢山あって、素晴らしい花木や草花が季節ごとに咲き乱れていて、鎌倉の自然環境が恵まれていて美しいからであろうと思う。これは、京都でも、感じることである。
   印旛沼近くの千葉とは違うのである。

   この鎌倉駅近くには、映画館がないので、孫にハリーポッターを見せるためには、わが千葉の田舎のマイカルシネマや横浜のシネコンプレックスにつれて行かなければならない。
   それに、近辺に大きな書店がないのが不思議である。
   ところが、小町通り近辺には、小さいが古風な古本屋が2軒あるのを見つけた。やはり、鎌倉の土地柄か、文学や芸術関係の古い本が多いような気がする。本当に古本である。

   もう一つ感じるのは、鎌倉には、お寺が多いことで、歩いていると、必ず古寺の門前に至る。歴史上当然だが、関東には、珍しい土地柄である。
   関西にいた時には、歴史遺産や古社寺に接する機会が多かったのだが、関東では、纏めて接することが出来るのは、この鎌倉だけ。以前は、やはり、京都や奈良に行くことの方が多かった。
   少しずつ、本腰を入れて歴史などを勉強し直して鎌倉を歩けば、もっと楽しくなるであろうと思う今日この頃でもある。

(追記)写真は、北鎌倉よりの踏切から鎌倉駅遠望。花は、彼岸花とカンナ。
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付加価値が評価されない日本製造業の苦境

2009年09月25日 | 経営・ビジネス
   少し前のことだが、NHKのものづくりの番組で、女流漫画家が、あんなに一生懸命に立派な製品を作っているのだから、製造業が報われるような世の中になって欲しいと語っていたのが、妙に印象に残っている。
   全く同感で、こんなにも製品の付加価値が認められない日本の製造業(特に、最終消費財)も珍しいと思うほど、馬車馬のように一生懸命生産して走り続けても、殆ど利益に結びつかない。

   先日、このブログで、カカクコムの異常だと思えるほどの高利益率(売上高97億に対して売上総利益80億円、当期純利益23億円)について書いたが、先日、社長の話を聞いた携帯電話関連サイトのディー・エヌ・エーでも、売上高376億円に対して当期利益は80億円であり、新興のICT関連ビジネスの快進撃と高利益率は驚異的であり、歴史と伝統を誇る日本の大企業は足元にも及ばない。
   これに対して、ソニーは、8年度は赤字だが、成績の良かった7年度でも、売上高8兆8千億円に対して当期利益は3690億円で、同じく、パナソニックの場合でも、7年度の売上高9兆円に対して当期利益は2800億円で、利益率の差は歴然としている。

   このあたりの産業別業績格差については、野口悠紀雄教授の、グーグルなどの未来型企業、トヨタやキヤノンなどの20世紀型企業、NECや日立などの衰退産業の三分類に分けての説明に詳しいので止めるが、要するに、日本製造業の利益率の低さは、未来志向型ではない時代の潮流から外れつつある在来型、乃至、衰退産業に止まって過当競争の中で鎬を削り続けているからであろうか。

   ところで、最先端を行っている筈のデジカメを例に引いて、如何に、日本のメーカーが報われていないか、私の感想を述べてみたい。
   今人気のエントリー・モデルのデジタル一眼レフカメラの価格推移について、カカクコムのデータで考えてみる。
   キヤノンのEOS KissX3、ニコンのD5000、ソニーのα380くらいが比較の対象(オリンパス、ペンタックス、パナソニックにも立派なカメラがあるがここでは省略)になると思うが、発売後6ヶ月経っていないのに、既に、初値より27%~37%価格が下落しており、更に、3社とも、販売促進のために、5000円~1万円のキャッシュバック・キャンペーン(CBC)を実施している。
   ところで、このCBCを考慮に入れて(計算間違いがあるかも知れない)計算すると、広角と望遠のダブルズーム・レンズ付きのセットの価格は、夫々、73600円、74500円、72500円である。
   面白いのは、CBCで実質ディスカウントを実施すると、本来なら、その分、あるいは、多少とも、市場価格はアップするはずだが、殆ど動かず、販促効果が現れないところに、消費の落ち込みの深刻さが伺える。

   興味深いのは、ボディ単体価格が、夫々、59500円、57850円、62000円で、広角標準ズームつきが、夫々、59900円、60400円、64000円となっていて、メーカー表示の標準価格3万円以上のズームレンズが付いていても付いてなくても、価格は殆ど同じだと言うことである。
   更に、ダブルズームだと、同じく標準価格が7万円以上するのだが、1万円一寸の価格差しかない。
   コスト削減のためのレンズ専業メーカーへのOEMにしても、安すぎると言うか、ズームレンズは体よいオマケだとしか思えない。

   尤も、一眼レフを使い続けている人は、交換レンズを沢山持っていて、レンズつきセットは有難た迷惑なのだが、高級カメラは、セットでも高級レンズつきであり、まあ、エントリー仕様だから仕方がないのであろうが、脳のない売り方である。
   いずれにしろ、カカクコムの価格は、紅白粉つけた黒木屋白木屋のお姉ちゃんのいない倉庫直送店の値段なので、ビッグカメラやヨドバシカメラなどと比べても低いのだが、それにしても、安すぎて、メーカーなど馬車馬のように走るだけで、トップランナー(薄利多売)以外は利益など上がっているとは思えない。

   殆どコストさえ吸収出来ない状態で市場に出すが過当競争ゆえにどんどん価格が下落して行く、丁度これと同じような状態の商売が、日本の家電メーカーやエレクトロニクス関連企業の現状ではないかと思う。
   いくら付加価値を付けて差別化を図ろうとも、市場も顧客も、その付加価値を価値として評価してくれないのである。
   イーストマン・コダックのフィルム・簡易カメラセット革命から、ラボ革命、デジタル化とカメラは変化をし続けては来たが、所詮、現在のような、技術の深堀、質の向上と云った持続的イノベーション段階での過当競争状態にある限り、半永久的に、報われないのかも知れない。

   話は変わるが、日経ビジネスで、「逆風デジカメの活路 日本製8400円でも利益生む秘密」と言う特集を組んで、富士フィルムが、外部調達アウトソーシングで原価40ドルのデジカメ開発に成功したと報じている。
   日本製造業が、世界的な経済大不況の打撃から回復する秘策として、新興市場、特に、アジアの新富裕層ボリュームゾーンをターゲットにした経営戦略を打ち出そうとし始めた、その一環であろう。
   
   韓国企業が既にずっと以前から、アジア各地の新興国市場に打って出て、現地のローカル仕様にマッチした製品を開発して現地生産し好業績をあげているのだが、日本企業の殆どは、技術信仰品質信仰が強すぎて良いものは売れるとばかりに、日本仕様の製品を多少手直しした程度の販売戦略に終始してきた。
   欧米の先進国市場では、この日本企業の技術優位戦略が勝利しても、需要が爆発的に強い新興国・貧困国市場においては、価格が総てに優先するので、限りなくローエンドの製品から市場にアプローチすることが必須である。あの豊かな筈のアメリカ市場において、トヨタが勝利したのは、正に、ローエンド・イノベーションの追求によって最底辺の市場を抑えながらレベルアップして競争力を強化したことからも、極めて明確な戦略である。
   日本企業が、現在やっているような、既存の製品を少しずつ機能や品質を切り落としてコストを下げるようなアプローチは絶対駄目で、ゼロから考えることで、ローカル・ニーズにマッチしたローカル仕様の安くて良い製品を開発生産することが必須であり、それ以外に王道はない。

   豊かになり過ぎて、あまりにも高品質なものづくりに慣れ切ってしまった日本人が、如何に、戦後の廃墟から、貧しかった境遇を突破して生き抜いて来たのか、あの頃の日本人魂を思い起こして、アジア市場の新富裕層市場にアプローチできれば、日本の製造業は明るい。
   プラハラードの説くボトム・オブ・ザ・ピラミッド攻略へのローエンド・イノベーションに、日本の製造業が、もう一度立ち戻れるかとどうかと言うことかも知れないと思っている。
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イノベーションJAPAN2009雑感

2009年09月24日 | イノベーションと経営
   例年開かれるイノベーションJAPAN。今年も東京フォーラムで、実施されたので、主に基調講演などのセミナー聴講に出かけた。
   大学の新発見・新発明を一堂に会して「創造!日本力」を天下に示す絶好の機会で、各大学が、非常に意欲的な成果を競い合っていた。

   ところで、イノベーションで何時も思うことがある。
   日本の国威発揚のために、ものづくり、科学技術立国を目指すのだと、官民こぞってイノベーション・イノベーションとお題目を唱えて、科学技術開発と技術革新に照準を合わせた戦略を打とうとするのだが、シーズを生み出す努力も大切だが、出口のアントレプレナー、すなわち、イノベーションを完結する企業家の育成の方が、もっと重要ではないかと思うのである。
   何時もの如く、原点に戻るが、イノベーション学の始祖であるシュンペーターは、イノベーションを生み出すのは、リスクを取って事業化するアントレプレナーと、やはり、リスクを取って資金を融資する銀行家であるとしており、発明・発見によってシーズを生み出す科学技術者の機能をそれ程重視していない。

   日本の場合、イノベーションを生み出すのは、殆どものづくりの世界で、それも、クリステンセンの言う持続的イノベーションが主体となった、技術の更なる深掘りと質の向上で、独創的な新市場開発型の破壊的イノベーションに比較的弱い傾向がある。
   更に、アントレプレナー育成の教育が蔑ろにされていたり、資金調達・税制等の社会インフラの未整備など、企業家を育て活躍させる基盤なり土壌が整っていないので、どうしても、大企業中心の技術開発が主体となったイノベーションに傾いている。

   科学技術に基礎をおいて、発明・発見を主体としたイノベーションの場合、
   基礎技術の開発で生まれた発明・発見が、応用技術の開発に至るまでには、深い死の谷があり、更に、実用段階に至って目鼻がつくまでには、これも、広大なダーウィンの海を渡り切る必要があり、実際に、イノベーションとして実現する確率は100分の1とも、千三つの世界とも言われるほど低い、極めて困難な道程を経なければならないのである。

   イノベーションにおいては、セレンディピティと言う言葉がよく使われて、偶然的な要素や結果が重要な働きをすると考えられているが、私自身は、イノベーションは、偶然的な要素の強い発明・発見とは違って、もっと、実生活に密接したニーズによって誘発されることが多いのではないかと思っている。

   従って、私は、イノベーションは、代数の世界ではなく、幾何学の方に近い世界だと思っている。結論に向かって、推論を重ねて行き、証明すると言う手順である。
   これは、ケネディの月面着陸を目指したアポロ計画と良く似た手法で、先に、結論、目的ありきで、その解に向かって、科学技術の粋を結集して技術開発を進めて行き、イノベーションの結晶としての月ロケット打ち上げに成功したのである。

   このように目的がはっきりと示され、ゴールが決まっているイノベーションについては、基礎科学の研究開発から、応用科学・技術の開発、目的実現への実用化など、目的に向かって、あらゆる分野の専門家やエキスパートを糾合するなど総力を結集してあたれるので、非常に効率的である。
   このブログで、何度も強調しているが、イノベーションの誘発には、丁度、ルネサンス時代のフィレンツエにおいて、世界中から最先端の異文化と異文明が結集してぶつかり合って学問芸術の坩堝と化し、文化・文明の爆発によって頂点に引きあげたメディチ・イフェクトと同じような場が必要であり、それを生み出すためには、明確なゴールありきだと考えている。
   従って、私自身は、わき目も振らずに、電気自動車の開発と10年度発売を決して企業努力を続けている日産自動車の経営戦略を高く評価している。

   まとまりのない文章になってしまったが、結論は、日本政府が自ら企業家となって、率先してアポロ計画級の宇宙船地球号救出計画を打ち上げて、明日の世界への道標を示すことである。
   地球温暖化、環境破壊、資源の枯渇等々、人類の生存そのものが危機的な状態に陥っており、最早、猶予はない筈で、はっきりとした人類生存、地球救済のためのイノベーションのターゲットは見えている筈であり、小手先の科学技術の振興・開発ではなくて、最も大切でプライオリティの高い目標に向かって、日本の誇るべき科学技術を開花させるべきではなかろうか。
   目標さえ間違わなければ、日本の産業力は必ずそれに応えて爆発する筈で、日本経済社会の再生・発展に資するであろう。
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初秋の千葉の田舎を歩く

2009年09月23日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   飼っていた愛犬が亡くなって久しいが、最近、その散歩道であった田舎道を歩くことが殆どなくなった。
   土手に彼岸花が咲いている筈だと思って、カメラを持って歩き始めたのだが、思ったより早く、秋の気配が濃くなって来ている。
   私の庭を訪れるトンボは、まだ、赤みが付き始めた程度だが、刈り取られた水田の切り株の上を飛び交うトンボの中には、真っ赤な赤トンボが混じっている。

   田んぼの畦道を草を踏み分けて歩いていたら、絡み合った二匹のトンボが、私にぶち当たり、また、激しく飛び交いながら去って行った。
   ところが、再び、近くに戻ってきた時には、番って一体となって、田んぼの切り株に降りて止まった。
   必死で追っかけていたオスのトンボが、ランデブーに成功したのである。
   近づいてカメラを構えたら、番ったまま飛び去って行って、少し離れた稲の切り株から出ている葉っぱに止まった。
   
   近づきながら、ふと、交尾中に空中を飛ぶ時には、一緒に翅を羽ばたいて飛べるわけがないので、オスとメスどっちが主導権を握って飛ぶのだろうか、と変なことを考えてしまった。
   この口絵写真は、その時のトンボの交尾中のものだが、二匹のトンボが弓なりになって、ハート型になって繋がっている姿が、自然の摂理とは言え実に風雅で面白い。
   ピンボケ写真を避けるために、かなりシャッターを押して写真を撮り続けて途中でそばを離れたのだが、じっと静止したままだとは云え、トンボの交尾が随分長いのに驚いた。
   
   川岸の土手には、まだ、夏草が鬱蒼と茂っていて川面は見づらいのだが、野がもの番が草むらから飛び出した。
   野鳥の姿は殆どなく、蜂類や小さな昆虫が、夏草の花の上を飛び交いながら蜜や花粉を集めている。
   ピンクのクローバーの花であろうか、夏草の間に彩を添えているのだが、虫たちには関心がないらしい。
   
   毎年、同じ所に咲いている彼岸花の群落が、遠くからだと、半分、白っぽくなっていて、もう、時期遅れで枯れかけているのだろうと思った。
   しかし、近づいてみると、そうではなく、赤い彼岸花の花が、脱色したように赤色の部分が少なくなっている。
   長い蘂が真っ白になって、菊のように蒔いた長い花弁の中央だけが赤色で、周りが白く変色して筋状になっていて、遠くから見ると、白っぽく見えたのである。
   そんな花がかなりの数なので、一寸変わった雰囲気なのだが、これまで、真っ赤か真っ白の彼岸花しか見たことがないので不思議な感じがした。
   気候の変化か、土壌が変質したのか、突然変異なのか、とにかく、赤と白のミックスした彼岸花の群落風景も、また、風情があって面白い。

   住宅街の小道と田んぼの土手との間のかなり広い空間に、花壇とも思えないし自然とも思えないような状態で植わっている朝顔やコスモス、それに、ひまわり、オシロイバナなど雑多な草花が思い思いに花を咲かせて、風になびいている。
   黄色くなった稲の切り株が広がる田んぼ、川辺の生い茂った夏草の緑、遠くの林の茂みなどをバックに、色鮮やかな秋の草花の咲く田舎道の風景は、昔のままの懐かしさそのものである。
  
   休日になっても、昔の若い頃のように、西へ東へと動かなくなってしまったが、涼風に吹かれ秋の気配を感じながら、庭のイスに座って、モンブラン・ケーキとブルーマウンテン・コーヒーを楽しみながら、花を渡りながら飛び交う蝶の舞を眺めているのも、悪くないものである。

(追記)先に、トンボの交尾について、多少、書いていたのだが、オスとメスとを取り違えていたのを、コメントでご指摘頂き、教養のなさに恥じ入り、本文を修正しました。
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国立劇場・文楽・・・伊賀越道中双六~沼津の段

2009年09月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「伊賀越道中双六」は、荒木又右衛門の伊賀上野鍵屋の辻での仇討ちを題材にした浄瑠璃だが、東から西へ東海道を上りながらの舞台展開で、「東路に、ここも名高き、沼津の里。」で始まる「沼津の段」が、今回の演目。
   非常に地味なお話がテーマだが、昔から名作の呼び声高く、今回も、人間国宝の住大夫と綱大夫が語り、簔助が、呉服屋十兵衛を遣うと言うので、連日満員御礼、とにかく、話題の「テンペスト」人気も霞む勢いである。

   二十年ぶりに再会した親子が、親兄妹と分かり、仇討ちのための義理人情の柵に、父親の死出の別れで幕を閉じるという悲痛な舞台だが、仇討ち側に立つ親の平作を勘十郎が、その娘(十兵衛の妹)お米を紋寿が遣い、非常に密度の高い舞台を見せてくれて感動的である。
   あまりにも偶然が重なり過ぎて、出来すぎたと思えるような近松半二の最後の芝居だが、話術の上手さと畳み掛けるような話の展開が巧みで、それ程気にならないのが不思議である。

   街道を通りがかった商人十兵衛が、荷物担ぎの老人平作から、今日は一銭の稼ぎもないのでと呼び止めて荷物を担がせるのだが、よろよろして倒れて足を怪我する。妙薬を塗って治療し、老人の家に一緒に行く。鄙にも稀な色気のある魅力的な娘(そうであろう、元は人気絶頂の江戸の遊女で、仇討ちをしようとする志津馬の実質的な妻である)を見て、一夜の宿りを決める。
   十兵衛は、老人の述懐で親子であることを悟る。逗留中の志津馬の傷を治したい一心で、お米が、寝ている十兵衛の妙薬の入った印籠を盗もうとしてばれる。妹の苦衷を察して、貧しい生活を助けるために、石塔寄進に事寄せて金包みと、それとなく、印籠を残して、十兵衛は、旅に立つ。
   印籠が敵沢井股五郎のものであること、そして、紙包みに、我が子に残した書付が入っているのを見て、二人は、十兵衛が、敵側にいる我が子であることを知る。
   敵股五郎の行方を聞き出すため平作は後を追い千本松原で追い着く。十兵衛は口を割らない割れないので、切羽詰った平作は、十兵衛の脇差を抜いて切腹する。
   意を決した十兵衛は、虫の息の平作を抱きしめて親子の名乗りを遂げ、死んで行くこなた様への餞別、今際の耳によう聞かつしゃれやと、そばに潜んで聞き耳を立てているお米に聞こえるように、「股五郎の落ち行く先は九州相良、九州相良。道中筋は参州の吉田で逢ふた、と人の噂」と叫ぶ。

   仇討ちそのものが、家族の絆、親子の切っても切れない縁が生み出す人間の掟であり柵であり、それに纏わる主従縁者たち関係者が義理と人情で巻き込まれる人間模様なのだが、この「沼津の段」には、その最も重要な親子の悲劇がテーマとなっており、実際の仇討ちの当事者ではないだけに、人生の無常、悲劇を浮き彫りにしている。
   十兵衛にしてみれば、信義が財産である江戸の一流の商人であり、恩義あるクライアントに対する守秘義務は当然であるのだが、死を賭けて訴える老いた父親の娘を思う愛情と迸り出る親子の絆に動かされて涙を呑む。
   親父であることを悟った平作も、お米が十兵衛を追っかけて敵の在処を聞き出すと意気込むのを、押し止めて、「われではいかぬわい。年寄ったれどもこの平作。理を非に曲げても云わせてみせう。」と代わりに後を追うのだが、血を分けた親子の切っても切れない情愛と絆の深さを知り抜いての心情吐露。死を賭しての親子の絆を確かめながら昇華する激情を幕切れとする半二の芸の冴も流石である。

   この舞台で、一服の清涼剤は、お米の登場。
   最初は、お米のいい女ぶりに十兵衛は一寸惹かれるのだが、実の妹と知って、よくここまで育ってくれたと言う思いと、その女ぶりに安著を覚えて愛しさが増す。
   このあたりの、簔助の水も滴るいい男ぶりの十兵衛の心の綾や揺らぎを実に上手く表現しており、それに、応えて、紋寿のお米が、田舎娘と元遊女の色気と女らしさを匂わせて爽やかな舞台を演出していて感動的である。

   簔助の立ち役は、玉男とは大分ニュアンスが違うが、オーソドックスながら微妙な心の綾とニュアンスを鏤めた、考え抜かれた人形の動きと表情が気に入っており、何時も楽しみにしている。
   紋寿は、「文楽・女形ひとすじ」を読んでから、益々、ファンになったのだが、正に燻銀のような職人芸の極地と言ったような女形の人形表現に感激している。今回、鬢の白さに年季を感じて見ていた。
   主人公の平作の勘十郎だが、冒頭の老いた担ぎ屋人夫の表情から芸の細かさは秀逸で、人形だから出せるしみじみとした老いの哀感を上手く表現していて心憎い程で、大詰めの死に行く結末まで、両先輩の至芸に伍して素晴らしい平作像を創り出している。

   ところで、やはり、感動的なのは、人間国宝の語る浄瑠璃と三味線・胡弓の素晴らしさ。このような人間の奥底に脈打つ心の襞を感動的に語るためには、積み重ねた人生の年輪が、異彩を放つのであろう。
   この沼津は、住大夫が、「こんな結構な浄瑠璃をやらせてもろうて、大夫冥利につきます。」と云う位の舞台で、謂わば、18番中の18番と言うのだから、その熱演は、正に、至芸の極地。
   冒頭の街道筋の軽妙なタッチの綱大夫の語りから感動もので、私など、大夫の浄瑠璃を、心して聴こう聴こうとしていたのだが、いつの間にか、忘れてしまって人形を追っかけている状態であった。
   それ程、浄瑠璃語りと音曲が、自分の体と共鳴して一体となってしまって忘れるほど聞き込んでしまうのも珍しいが、恐らく、今現在、最高峰の文楽の舞台だと思う。
 
   学生時代に、芭蕉の故郷を訪ねて伊賀上野を何度か訪れた。
   町外れに、荒木又右衛門の仇討ちの場・鍵屋の辻の故地があり、しばらく、涼風に吹かれて佇んでいた。懐かしい青春時代の思い出である。
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初秋のわが庭

2009年09月21日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   めっきりと涼しくなって、日毎に秋の気配が濃くなってきた。
   わが庭を訪れるトンボも、赤みを増してきた感じで、大きな熊ん蜂も、冬支度か、しきりに秋明菊を梯子しては蜜を集めている。
   蝶も、激しく絡み合っているが、ぼつぼつ、恋の季節も終わるのであろうか。蝶や蛾になる色々な形や色の毛虫が、緑の葉裏に目立つようになったが、今年最後の飛翔の準備をしているのであろう。
   蝉の鳴き声は完全に消えて、秋の虫の音に変わった。

   今、私の庭に風情を添えているのは、宮城野萩で、すっきりと伸びた枝を1メートルほど上で束ねて立ち上がらせているのだが、円筒状に四方に優雅な枝葉をたれて、中々風流である。
   その上を、西洋朝顔が這い上がり、毎朝位置を変えながら、ライトブルーの花を鏤めている。
   この宮城野萩は、初夏にも一度咲く。本来、夏の花だが、少し陽が短くなって涼しくなり始めると、一挙に枝が伸びて、長く垂れた花房にびっしりと赤紫色のスイトピー状の小花を数珠のように連ねて咲くのだが、風に吹かれてなびく姿に風情がある。

   西洋朝顔だが、日本の朝顔と違って、一つの茎の根元から、一度に沢山の花を着けるので、これが、日毎に輪番に咲くのが面白くて、毎年、種を買って来て直播して栽培している。
   以前に種を取って植えたのだが、殆ど発芽しなかったので、園芸店で種を買って来て植えている。毎年、種類が変わっていて、実際に花が咲かないと、どんな花か分からない。
   普通、見かけは殆ど日本朝顔と変わらないのだけれど、今年は、紅葉のような形の葉っぱをした茎が伸びて、真っ赤なオシロイバナのような不思議な花を着けた苗が数本出てきた。ほんの直径4センチくらいの小さな花なのだが、凛とした赤い花弁が実に優雅で美しい。

   もう一つ、私の庭の特色は、紫式部が、四方八方に放射状に枝を伸ばして、紫色に鈍く光る小粒の葡萄のような実をびっしりとつけて優雅な弧を描いていることで、長い間に、小鳥たちが実を落として、あっちこっちに、広がっている。
   昔、学生時代に京都の古社寺を歩いていた時に、薄暗い庭園の水際にひっそりと数珠つなぎに光っていた紫式部の清楚な姿を思い出して、庭に植えたのだが、2~3年経つと、塀を乗り越えて伸び上がり、放射状に広がって、中々雰囲気が良くなった。
   その後、1メートル以上も上の枝で切り戻したのだが、毎年、そこから枝を放射状に伸ばして綺麗な実をつけるので、その優雅な姿を楽しんでいる。

   さて、秋の草花を植えるべきなのだけれど、庭が鬱蒼としていて余裕がない。
   掘り起こせば、ころころ何かの球根や宿根が飛び出すので、手がつけられない。
   忘れていたように、昔植えてそのまま放置していたダリヤやグラジオラス、菊などの芽が何処からか出てきて花を咲かせてくれるのだが貧弱で、私の庭は、秋には、色彩感覚が乏しくなる。
   バラの花が咲き、椿が咲き始めるので、最近では、あまり気にしなくなった。
   
   朝顔を、植えっぱなしで放置して、それも日本庭のように剪定した庭木を這い上がらせるなどと言う栽培方法などは、全く邪道だと思うが、普通の雑草やツタなどと違って、期間が短いし花を咲かせてくれるので、それなりに観賞価値があると思っている。
   イギリスにいた時、あっちこっちの庭園や庭を歩いてきたのだが、型に嵌らない自然の雰囲気の植栽が、結構、面白かった。しかし、ずぼら感覚を誤魔化すために、自然風というのを真似ている風を装っているというのが正直なところだが、時には、案外、面白い発見をすることもあり、そう捨てたものでもない。

   町内の巡回パトロールで、同じ年配の知人たちと話すと、広い庭と思って田舎に住んだのだが、雑草の除去や庭木の剪定など、庭の手入れに困っているとぼやくことしきり。
   綺麗な花を楽しみたい、美しい庭を鑑賞したい。しかし、美しい庭を維持するためには、ガーデニングが心底好きで、週末になれば、いそいそと田舎に帰って、終日、庭仕事に生き甲斐を感じて生活しているイギリス人のようにならなければ無理なのかも知れないと思うことがある。

   何でもそうだが、愛情を込めて世話を焼けば焼くほど、植物たちも、美しい花を咲かせて応えてくれる。
   それが嬉しくて、庭の植物たちと会話を重ねているのかも知れない。
   時には、人類の地球温暖化と環境破壊の暴挙を嘆きながら。
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田中希美男著・・・『「デジタル一眼」上達講座』

2009年09月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   有楽町のビッグカメラで買って、鎌倉への車中で読んだのが、この「デジタル一眼上達講座」。
   何十年も写真を趣味で続けていて、今更、上達講座でもないが、歌舞伎好きが、何度も「忠臣蔵」を見るのと同じで、趣味の反芻と、多少の新しさに触れたくて、結構、同じような本を、それも、新書スタイルで簡便なので、手に取ることが多い。

   「この設定と撮影極意であなたの写真が見違える!」と言うサブタイトルだが、デジカメになってから、全くのずぶの素人でも、小さな子供でも、プロ並みの写真を撮れるようになってしまった。
   やはり、デジカメで一番良いのは、写した写真が、その場で分かることと、パシャパシャ何枚撮っても気にならないと言うこと、それに、写真屋さんに頼まなくても、自分自身で、生産消費者よろしく、写真をプリントするなり処理できると言うことなどであろうか。

   ところで、若かりし頃は、結構、一枚の写真を写すにもデータなどを気にして、小刻みにカメラの設定などに注意を払ってメカに力を入れていたが、最近では、殆どカメラ任せで撮っていることに気づいた。
   高級カメラを扱っていたのは、精々、Nikon F3や、Leica R3サファリ程度までで、その後は、CanonやNikonの中級機に切り替え、銀塩はNikon F100で終わっているのだが、デジタルになってからは、非常に、シンプルなカメラになってしまって、多少、手を加えることはあっても、殆ど、カメラ任せで、シャッターを切っているのが現状である。

   日頃持ち歩いているのは、Nikonのコンパクト・デジカメだが、今使っているデジカメ一眼は、Sony α380。
   非常に、シンプルで、女性対応だと言われている軽量小型カメラだが、難しいメカがあるわけでではなく、精々、写すものによって、シャッター・スピードや露出を変えたり、露出補正をする程度なので、私には十分である。
   尤も、花や山や顔のマークのついた多くのシーン・モードがあるが、年季の違いと言う変なプライドもあって、これだけは、使うつもりはない。
   また、セットの2本のレンズだけでは、花の写真のクローズアップや遠くの小鳥の写真などには無理なので、マクロや一寸長い望遠レンズに交換する必要があるのだが、それ程面倒なことでもない。

   さて、田中先生のご指南だが、
   基本的には、撮影モードは「プログラム」、オートフォーカスは中央1点、ホワイトバランスはオート、露出モードはマルチパターンにセットして「手ブレ補正」で撮れば、後はカメラ任せで殆ど間違いない、と言う極めてシンプルなものである。
   私の場合には、「手ブレ補正」をセットしていても手ブレはあるし、シャッター・スピードを出来るだけ早くするためにも、それに、昔から、ボケを強調するために露出開放主義なので、撮影モードは、絞り優先で開放にしているが、後は同じで、殆ど設定を変えることはない。
   デジカメだと、ISO感度の設定が自由でシャッター速度のレンジも広くなっているので、絞り開放でも、デジカメは殆どの条件に上手く対応してくれる。

   田中先生の写真のデータを見ていると、露出補正を結構行っているようだが、私は、ずぼらを決め込んで、パソコンで修正している。
   今では、写真の修整ソフトでは、露出補正と引き伸ばし程度しかやっていないが、以前には、ムヤミヤタラニ修正を加えて台無しにしたことがあるので、やはり、実際の撮影時にきめ細かく心配りをした方が良さそうである。

   もう一つ田中先生の指摘で気づいたのは、「キャップ代わりの保護フィルターは必要ない」という点。
   これまで、何の疑問もなくレンズの前にフィルターをつけ、それも、写りに影響すると思って上等のフィルターを意識して買っていたのだが、確かに、フィルターを磨くことも殆どないし、言われてみれば、要らないガラスをレンズの前につけて光を遮るのだから、「害あって利すくなし」である。
   それに、レンズフードも、超望遠ならいざ知らず、殆ど無用と言うことらしいので、これから、保護フィルターと普通レンズなどでのフードは止めようと思っている。

   この本の後半では、違いが分かる「人」「もの」「風景」撮影の極意と言う一寸アドバンスなテクニックの紹介があるのだが、趣味なら、技術も磨こうものの、花や小鳥などの写真をスナップして季節の移り変わりを感じようとか、何かの記念に家族の写真を撮ろうとかと言った程度の趣味では、中々分かっていても実行は難しい。
   早い話、来週、孫の運動会で写真を撮ろうとしているのだが、とにかく、失敗せずに写真を一枚でも二枚でも撮ることが第一で、悲しいけれど、孫の姿を追っかけて流し撮りして傑作を撮ろうなどと言ったテクニックを試せる訳がない。
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ポール・クルーグマン著「経済大不況からの脱出」

2009年09月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今回の世界的大不況について、結構、関連の経済学書を読んだつもりだが、このクルーグマンの本が、一番、優しく懇切丁寧に書かれていたような気がしている。
   クルーグマンの他の著作と比較しても、そう言う感じがするが、実際には、サブプライム以降の大不況については、十分に予習を積んでいて、その後でのこのクルーグマンの本での復習なので、そう思うのかも知れない。

   私が興味を持ったのは、最後の第10章 恐慌型経済の復活でのクルーグマンの論点で、非常に示唆に富む。(この章は、旧著「世界大不況への警告」の最終章と殆ど同じだが、あれだけの経済の激変があっても、クルーグマンの見解は、変わっていないと言うことで、正に、驚異的だが、バックグラウンドを変えて認識を新たに読んだつもりである。)

   まず、冒頭で、今回の世界的大不況について、世界経済は、恐慌に陥っている訳ではない。現在の経済危機の大きさにも拘わらず、恐慌になることもないだろうと結論付けていることである。
   しかし、恐慌それ自体の再来はないとしても、恐慌型経済――つまり1930年代の世界経済に顕著に現れ、それ以降は見られなくなった問題――が復活しているのは事実だとして、経済大国がいくら財政出動しても、工場を稼動することも、労働者を雇用しておくことも出来なくなると言う想像も出来なかったようなことが起こっており、我々が考えているよりもはるかに、世界経済は危険になっていると指摘している。

   恐慌型経済の復活とは何を意味するのか、クルーグマンは、ここ数十年間で初めて、経済の需要サイドにおける欠陥――つまり利用可能な生産能力に見合うほどの十分な個人消費がないこと――が、世界経済の繁栄にとって現在の明らかに足枷となっているとしている。
   従って、金融システム対策が信用市場の機能を回復させ始めたとしても、勢いを増しつつある世界不況にも対応する必要があり、そのための確実な手段は、古きケインジアン流の財政刺激策であると説く。

   恐慌型経済の新しい時代に生きていることになったのであるから、ジョン・メイナード・ケインズがこれまで以上にその妥当性を増していると信じていると心情を吐露しており、益々、筋金入りのケインジアンなったと言うことであろうか。

   要するに、今回の世界的大不況の原因は、構造的かつ慢性的で深刻な需要不足にあると考えているから、ニューヨーク・タイムズのコラムでも、オバマ政権の需要刺激策については、規模が小さく消極的過ぎると警告を発し続けている。
   GDPの1%では駄目で、4%に及ぶ程度のものでなければならず、それに、消費よりも貯蓄に回るような税還付型の刺激策ではなく、州や地方政府を援助する形で刺激策を維持し、道路や橋など他のインフラに支出するなど実需に結びつく財政支出を拡大しろと、日本の道路族を喜ばせるようなことを言っている。

   ところで、この本の冒頭で、2003年のアメリカ経済学協会の年次総会で、ノーベル賞学者のロバート・ルーカス教授が、「あらゆる点から考えて、恐慌をいかに防ぐかという問題の核心は解決された」と発言し、一世紀半の間続いてきた景気循環、つまり、景気の拡大と後退の不規則な循環が終わりを告げたと断言したことを引用して、現在のマクロ経済学は景気循環の問題は解決したと言うのが、一般経済学界の考え方だったと述べている。
   日本が流動性の罠に嵌まり込んで、深刻な不況に10年以上も呻吟し、アジアや新興国が大不況に見舞われ、LTCMが破産の危機に見舞われるなど、今回の世界的大不況の原因の総てを経験しつつあって、でもである。
   (クルーグマンは、今回の21世紀初の大金融危機は、1980年代に日本で起きたこと、不動産バブル、銀行取り付け騒ぎ、流動性の罠、アジア危機等々総てが一挙に襲ってきた結果だと述べている。)

   面白いのは、怒りの矛先を、「サプライサイド経済学」に向けていることである。
   経済学者も識者たちも、誰も、深刻な恐慌型経済の復活など予測していなかったと記した後で、
   「サプライサイド経済学」と呼ばれるようになったバカげた論理は、破綻した教養であり、裕福な人々やマスコミの偏見に訴えなければ、殆ど影響力を発揮することはなかったはずだ。とは言え、ここ数十年、経済学の考え方は需要サイドより供給サイドへと徐々にその重心を移してきていた。と述べている。
   供給サイド、供給サイドと言って、成長政策ばかりに現を抜かし続けたので、経済の需給バランスを著しく破壊して、大不況に突入してしまったのだ(?)と言わんばかりの剣幕である。
   (実際の原文はどうなっているのか分からないので真意が不明だが、バカげた理論とは、穏当ではない。)

   ここでは、深入りした論評は避けるが、私自身、「サプライサイド経済学」については、先日、ラッファーのブックレビューで触れた程度の知識しかないので何とも言えないが、経済は、需要と供給の両輪揃ってこその経済で、そのバランスの取れた成長が、経済の発展と人類の厚生福祉を担保保証するものだと考えているので、経済学も、一方に偏ることがあってはならないと思っている。
   そして、私自身は、学生時代から、シュンペーターのイノベーションによる経済発展理論を信奉しているので、創造的破壊によって生み出される新しい需要や供給資源の創造的発展が経済成長の根本的な牽引力だと思っており、需要にしろ供給にしろ新しい価値を生み出す経済活動こそが、最も大切だと思っている。

   極端な需要不足経済を解消して、経済再生が実現した暁には、どのような経済成長戦略なり、福祉経済政策を打ち出せば良いとクルーグマンは考えているのか、次の本を期待したい。
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イノベーションは技術革新だけではない!

2009年09月17日 | イノベーションと経営
   民主党の新閣僚会見で、菅副総理が、科学技術担当であり、首相も自分も他の官僚の何人かも理系の人間なので、内閣としてイノベーションに力を入れたいと言ったような発言をしていた。
   経済成長戦略が明確ではない民主党の重鎮が、イノベーションを強調することは非常に好ましいことだが、その意識の中には、技術革新と言う日本語のイメージが邪魔をしていて、どうしても、イノベーションは、科学技術と不可分の関係と言うか、時には表裏一体で、科学技術の発明発見と直結した概念のように取られてしまっている。
   確かに、イノベーションについては、科学技術の占める比重は極めて高いが、技術革新と言う認識で、国家のイノベーション戦略を考えると、道を誤る危険がある。

   このブログで、イノベーションについては、何度も言及しているので、蛇足に過ぎるが、もう一度、原点に戻って、シュンペーターの指摘しているイノベーションを列記する。
   ①新しい財貨の生産
   ②新しい生産方法の導入
   ③新しい販路の開拓
   ④原材料あるいは半製品の新しい供給源の開拓
   ⑤新しい組織の実現
  
   シュンペーターは、必ずしも新しい技術や発明・発見ではなくても、既存の技術やアイディアであっても良く、それらを新しく組み合わせることによって生み出された革新的な「新結合 neue Kombination」を実行・実現することをイノベーションと考えている。
   この考え方を、経営学の概念として経営学に取り入れて展開したのが、同郷の後輩ドラッカーである。

   シュンペーターは、駅馬車から鉄道への、非連続なイノベーションを説いている。
   しかし、もっと卑近な例をあげれば、iPodやWiiがイノベーションとして有名だが、これらは、技術的には、sonyの方が遥かに先端を行っており、決して新技術ではないが、既存のアイデアや技術の新結合による新しいビジネス・モデルによって生まれたものであるし、
   ドラッカーが場を創造したとしてイノベーションに例証するスターバックスの場合でも、喫茶文化の豊かな日本では、決して目新しいものではなく、客に生産消費者としての喜びを提供出来なかったのは、工夫が不足していただけである。
   また、ブルー・オーシャンで有名なQBハウスの1000円散髪も、小刻みにサービスを提供しているアメリカの理髪店の最初のカット部分を分離しただけであり、日本では全く無消費市場であった故のイノベーションで、何の新規性もない。(私自身、何十年も前、ウォートンの学生時代に、フィラデルフィアで、カットだけで済ましていた。)

   もっと例証するなら、今や世界に冠たるトヨタだが、アメリカにおいて、既存の技術を駆使して、最底辺から、クリステンセンのローエンド・イノベーションを追求することによって発展して来たのである。

   これは、小笠原泰氏の指摘だが、政府の「イノベーション25」に言う「イノベーションとは、これまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指します」との説明は、後半は正しいが、「全く新しい技術や考え方を取り入れて」ではなく、新しい必要はないと言うことである。
   これは、茂木健一郎氏が、創造性は、決して無から生ずるのではなく、過去に蓄積した知識と経験の新しい組み合わせから生まれるのだと言うのと同じで、イノベーションの発想も、異なったものの結びつきによる新しい組み合わせから生まれるのだと考えるべきなのである。

   これまで、イノベーションは、科学技術だけがメインテーマではなく、色々な知識経験の組み合わせによって生み出された革新的な新結合・新機軸であって、企業経営においても、技術以外にも色々なイノベーションが起こり得ることを述べたが、
   もう一つの、論点は、イノベーションは、科学者や技術者など、理系の人々の専売特許ではないと言うことである。

   シュンペーターは、イノベーションの推進者は、経営者でも科学者でもなく、リスクを取って新しいビジネスを創造するentrepurenuer (企業家)だとしている。
   更に、それをサポートして資金を提供する銀行家の役割も重視するのだが、要するに、イノベーションを生むのは、新結合・新機軸が事業化に成功するとその将来性と可能性に賭けてリスクを取って実行する先見の明がある企業家だと言うことで、理系の人間に限らないと言うことである。

   経営者には、文系が良いか理系が良いかと言った不毛な議論が展開されることがあるが、これと同じで、要するに、イノベーションを生み出すためには、ベンチャー事業に意欲を燃やす野心に燃えた若者を育成して、一人でも多く、企業家を生み出さなければならないと言うことであって、科学技術の振興は、そのシーズを生み出す一つの有効な手段だと考えれば良いと言う事であろう。
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九月大歌舞伎・・・吉右衛門の「時今也桔梗旗揚」

2009年09月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   秀山を偲ぶ所縁の狂言と銘打った鶴屋南北の「時今也桔梗旗揚」を筆頭にして、今月の歌舞伎座は、吉右衛門が、大車輪の活躍で、硬軟取り混ぜた非常に充実した舞台を展開している。
   それに、高麗屋の幸四郎と染五郎父子が加わり、正に初秋を彩る大舞台で、歌舞伎の醍醐味を存分に味わわせてくれている。

   さて、昼の部は、染五郎の「竜馬がゆく」で幕が開くのだが、やはり、眼目は、吉右衛門の「時今也桔梗旗揚」で、織田信長の悪辣な苛めに業を煮やした明智光秀が謀反を決意して本能寺に向かうまでを主題にした舞台が、最も充実した重厚な演目で、見ごたえ十分である。

   ところで、浪々の身を信長に拾い上げられながら重臣として大大名に取り立てられて立身出世した明智光秀が、何故、信長を本能寺で暗殺せざるを得なかったのか、史実では、はっきりしない。
   光秀が信長に受けた仕打ちについては色々な逸話や伝承が伝わっていて、それを脚色しながらつなぎあわせて、信長の悪辣な苛めの限りを、これもかこれでもかと、畳み掛けて展開しながら、光秀を追い込んで行く、この丁々発止の火花散る対峙場面の連続が、この歌舞伎の面白さ(面白くはないが)である。
   権威を笠に着て傍若無人の限りを尽くして光秀を苛め抜く信長の増長、家臣としての忠義一徹に徹してひたすら耐えに耐え偲ぶ光秀の屈折した屈辱。
   最後に、光秀が、上意を伝えに来た上使を切腹すると見せかけて切り捨て、不気味な笑みを浮かべて高笑いして本能寺に向かって花道を走り去る姿を見て、観客は溜飲を下げるのだが、これがなければ、最初から最後まで、実に陰鬱な舞台である。
   
   この歌舞伎では、当然、明智光秀は、武智光秀(吉右衛門)、信長は、小田春永(富十郎)と名を変えている。
   最初の嫌がらせは、勅使供応の役で、武智の家紋の幔幕を使ったのに激怒するのだが、これは、家康供応の京料理の膳に、魚が腐っているといちゃもんをつけた故事の借用であろうか。蘭丸に光秀を鉄扇で打たせ額を割り、蟄居を命じる。
   次は、桔梗(光秀の妹・芝雀)たちのの取り成しで、目通りを許すが、馬盥に酒を注いで飲ませて悪口の限りを尽くし、極めつけは、満座の前で、流浪していた時に売った妻の切り髪を渡されて絶句。
   (蛇足ながら、光秀は、下戸なので、信長には「俺の酒が飲めないのか」と迫られるなど酒の諍いはあったが、まさか、馬盥で飲める筈がない。)
   見せない演技が求められると言うのだが、平生を装って耐えていた吉右衛門の言葉の語気が、少しずつ変わり始めて険しさが増し、表情に歪みが出始めるが、奢り高ぶっている春永・富十郎には見えないのであろう。
   三宝の上の切り髪の入った桐箱の蓋を閉めて、正面を凝視する吉右衛門の断腸の悲痛は、極限に達する。

   春永・富十郎は、灰汁の強さがない分あくどさが前面に出てこないので、極端な嫌味がなく、私など、この方が良かったと思うのだが、凛として滔々と流れるような高い声音が光秀の対極にあって良い。光秀を追い詰める暴君としては、もう少し、毒々しい凄さがあっても良いかのも知れないが、台詞回しだけで十分である。
   一方、光秀・吉右衛門は、学芸に秀でた君子たる高い地位の重臣の体面と威厳を保ちながら、少しずつ高ぶりを増して行く心の疼きと激昂を、言葉と態度で、それも、表に見えない形で少しずつ示さなければならないので非常に難しいはずだが、心の起伏をうまくコントロールしつつ、低音の響きを加えながら表情を微妙にキープして演じていて流石である。  

   ほろりとさせる良い場面は、傷心して自宅に帰ってきた光秀が、切り髪の入った白木の箱を、妻の皐月(魁春)に見せて、屈辱を語りながら、二人して苦しかった昔のことを思い出しながら涙にくれる所で、部下思いで優しかった光秀の姿を髣髴とさせて清々しい。

   上使殺害後、腹心の四天王但馬守(幸四郎)が鎧姿で登場し、本能寺への出陣を促し光秀の刀を拭くところなど、名優の揃い踏みで絵になるところだが、その後、恐怖に慄く妻妹を尻目に花道に向かって突き進み、小脇に抱えた白木の箱を持ち替えて演じる「箱叩き」から花道の入りは、正に、吉右衛門の吉右衛門の本領発揮の晴舞台と言おうか、光秀の思い万感を胸に叩き込んでの退場である。

   しかし、実に暗い重い芝居である。南北を好きになれないのも仕方がないとは思っている。
   
   
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イチローの快挙と日本企業の経営戦略

2009年09月15日 | 経営・ビジネス
   イチローの連続9年間200本安打達成の偉業は、野球史上に燦然と輝く。
   あのニューヨーク・タイムズも、名前だけのイチローの由来から、内野安打を連発する神業のようなイチローの偉業に脱帽して克明に報じている。

   この口絵写真は、同紙から借用したのだが、イチローは、しっかり、打球(イチローの左手に重なっている)を凝視している。
   イチローには、ピッチャーが投げる総ての球も、あたかも静止しているかのように見えているのだろうと思う。
   天才だと言えば一言で済むが、若い頃から、イチローの練習用バットには、何時も血が滲んでいたと言うから、並みの天才ではない。

   私が、イチローのインタビューを聞いていて一番心に残ったのは、
   「打撃と言うものには、これでいいと言う形はない。従って、答えもなければ、終わりもない。」と言う心情の吐露である。
   それはそうであろう。アメリカの名うてのピッチャー総てが、イチローを仕留めようと必死になって研究に研究を重ねて、連日連夜、それも、9年間も、戦いを挑み続けて来たのであるから、同じ打撃の手法・対応では、対抗できる訳がない。
   丁度、水車の中を走り続けるハツカネズミのように、必死になって工夫に工夫を重ねて、絶えず新しい打法を編み出して、走り続けなければならなかった筈なのである。

   私は、この話を聞いていて、イチローの姿は、そっくりそのまま、世界に冠たるトヨタの経営思想、特に、カイゼン哲学と同じだと言うことに気がついて、日本人の匠の精神が、イチローの体に脈々と受け継がれているのに感動を覚えた。
   丁度、その時、小笠原泰他著の「日本型イノベーションのすすめ」を読んでいたので、益々、その意を強くした。
   
   トヨタ式のイノベーションは、思い込みを一切排除する脱常識で、論理的には到達不可能だと思われるような目標値に向かってカイゼンにカイゼンを重ねて、みんなが共有するあるべき姿に向かって邁進する手法であるから、永遠に最終到達点はないという半永久的な持続的展開に動機付けられている。
   小笠原氏は、欧米流のその里程の管理が可能な「シックスシグマ」と対比させて、日本の企業は、「ゼロディフェクト」という論理的に不可能な、到達出来ない究極の目的に向かって終わることのない取り組みを進めてきたからこそ、世界に誇る品質を維持してきたのだと説いている。

   もう一つイチローから教えられる教訓は、時代の潮流を正しくキャッチして、間髪を入れずにその変化に的確に対応すると言う途轍もない能力の涵養である。
   イチローは、ピッチャーがモーションをかけた時点で先を読んでいるのか、球が手を離れた瞬間に察知して受けて立っているのか、あるいは、・・・分からないが、正に、瞬間の勝負である筈である。
   このことは、企業を取り巻く環境が、ICT革命とグローバリゼーションの時代に突入し激変してしまった現在の企業経営にも言えることで、日本の企業が、瞬発的な持続的革新を続けながら如何にブレイクスルーを達成して行くのか、イチローの残した教訓は、あまりにも大きい。
   
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アーサー・B・ラッファー他著「増税が国を滅ぼす」

2009年09月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   税金を下げれば経済成長して税収が増えるとするラッファー・カーブ理論については、ほぼ、実証されていると言うことだが、私が、興味を持つのは、ラッファーたちのサプライサイド理論の方である。
   このサプライサイド経済学が、小泉竹中政権の経済政策と同一視されて、現在の格差社会の元凶である市場原理主義経済だと非難されているのだが、問題の本質は、それほど簡単ではない。

   ラッファーたちの説明では、
   サプライサイド経済学に対する抵抗感が強いのは、正統的なケインズ経済学に真っ向から反対する所為である。ケインズ経済学では、不況の時には、政府は需要を刺激し、遊休資産を活用すべきだと説く。これに対して、サプライサイド経済学の税制理論では、原因は需要の不足ではなく生産の不足にあると考えるので、減税政策など生産能力をアップする施策を取るべきだ、と言うことである。
   その経済学の核心には、税率は納税者の労働・貯蓄・投資意欲を左右し、ひいては経済の健全性に大きな影響を及ぼすとのする考え方があるので、減税政策が前面に出てくる。

   ラッファー・カーブから導かれる租税政策の原則は、次のとおりであり、ノーベル賞学者プレスコットや全米経済研究所なども認めているとして、戦後のアメリカ経済を詳細に分析して、その実証を試みている。
   1.何かに税金をかけたらその生産は減り、税金を減らせば生産は増える。
   2.理想の税制は、貧しい人を金持ちにする制度である。
   3.税金が高い程経済に与える悪影響は大きく、引下げる程効果も大きい。
   4.税率が高くなり過ぎると税収の減少に繋がる可能性がある。
   5.効率的な税制度は、課税ベースが大きく税率は低い。
   
   更に、ラッファーたちは、サプライサイド経済学は、減税さえすればあらゆる経済問題が解決するなどと主張しているのではなく、総供給量、すなわち、経済の中で生み出されるあらゆるモノやサービスの拡大であり、そのためのインセンティブの導入であるとして、次のような基本政策を提唱している。
   自由貿易、安定した物価と通貨価値、産業に対する効率的で最小限の規制、労働意欲を高めるような福祉政策、寛容な移民政策、政府運営の効率化と経費削減

   ところで、実際に、富裕層に優遇税制を適用するなどこのサプライサイド政策を実施した結果、富裕層がより豊かになった事実を、ラッファーたちも認めているが、貧しい人々が這い上がるのを邪魔していた障害物が取り除かれ、起業家精神に富む大勢の人々がこのチャンスを利用して富を築き、豊かになる機会にあふれた社会になったと言う。
   しかし、左派の経済学者たちは、格差の拡大を益々助長したとして激しく非難し、貧困者へは僅かなおこぼれを与えるだけの「おこぼれ経済学」だと揶揄している。
   所謂、日本共産党などが糾弾するトリクルダウン理論である。

   しかし、ラッファーは、アメリカが直面した1930年代と1970年代の不況の4大要因は、保護貿易主義、増税および政府支出の規律なき拡大、規制および政府介入の強化、金融政策の失敗だったとして、ニューディール政策までその効果を否定しており、
   1980年以降のレーガン政権によるレーガニミックスによって、成長の阻害要因の大半が排除されたたお陰で、スタグフレーションの呪縛から開放されて、世界中から資金や人材を糾合し、ICT革命などを誘発して、アメリカ経済を成長軌道に乗せたのだと主張する。

   クルーグマンやライシュなどがコテンパンに非難するレーガン政権に対する評価が、これほどまでに違うのには驚かざるを得ないが、逆に、ラッファーは、今回のリベラルへと左旋回するオバマ政権の経済政策には、強烈な危機意識を持っている。
   特に税については、世界中がフラット税(ラッファーが強力に推奨)の採用などで減税を競い始めた今日、所得税、キャピタルゲイン税、配当税、給与税、ガソリン税、ヘッジファンド税等々上げる話ばかりだと非難する。
   嵐の襲来の予兆であり、投売りされるアメリカとして、オバマ政権の経済政策について、
   金持ち増税、中間所得層への課税、規制の拡大、保護貿易、弱いドル、労働組合の復活、政府支出の拡大、国民皆保険、超過利得税、排出権取引、移民の制限等々、アメリカ経済の前途に垂れ込める暗雲として詳細に分析し、悉く糾弾しているのである。

   私自身の考えだが、金融危機を引き金にして実体経済が極端に疲弊して危機的な状態に陥ってしまったアメリカ経済においては、オバマ政権のドラスティックな財政サポートによる景気対策は必須だと思うが、本来かなりの潜在成長力を内包し、活力の旺盛なアメリカ経済であるから、軌道に乗れば、自立的な経済成長路線に復帰する可能性は高いと思う。
   中国が、100兆円規模の膨大な景気刺激策として財政出動して、一気に回復軌道に乗りつつあるのはこの例で、成長余力のある旺盛な経済には、不況時にはケインズ的な「デマンドサイド経済学」が有効だが、本質的には、「サプライサイド経済学」の世界である。

   ところが、日本のように、経済が成熟期に到達して潜在成長力を失い(?)疲弊した経済には、リチャード・クーが説くような政府主導の需要拡大政策でいくら景気の落ち込みを支えても、経済の異常な下落と大不況は止められても、益々、国際競争力の涵養力を殺ぐだけで、将来的には、経済力の強化と経済成長には殆どプラスにはならないと思っている。
   私自身は、どちらかと言うと、公正な経済政策が正しいと思うし、今の深刻な格差拡大を解消するために厚生経済学的な経済政策を推進すべきだと考えているが、今後の民主党主導政権プラス共産党の、成長より分配に主眼を置いた「サプライサイド経済学」を無視ないし軽視した政策は、中長期的には、日本の経済社会の厚生と安寧のためには、非常に不安があると思っている。
   攻撃、すなわち、成長は最大の防御であり、成長戦略なき経済政策は、国民生活を窮地に追い込むだけであり、やはり、シュンペーターの説く創造的破壊のイノベーションを忘れた経済は、衰退するのみだと思っている。
   
   
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文楽でシェイクスピア「天変斯止嵐后晴 テンペスト」

2009年09月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   シェイクスピアの最晩年の作品「テンペスト」を題材にして、全く意表を突いた面白い文楽の舞台が、三宅坂の国立劇場で演じられている。
   シェイクスピア戯曲を鑑賞するつもりで出かければ、雰囲気が違うので多少戸惑いを感じるが、話の筋を上手く日本の舞台に脚色して、文楽が持つ豊かな技法や芸術性、手法をフル活用して、魅せるパーフォーマンス・アートに仕上げた努力は見上げたものである。
   
   原作は、主人公のミラノ大公が、学問に熱中して国政を疎かにしたために、12年前に弟とナポリ王の図りで、幼い娘と二人で放逐され孤島に島流しになったのだが、丁度、船で一行が近くを通りかかったのを幸い、習い覚えた魔法の力で大嵐を起こして、復讐しようとするところから幕が開く。
   島に住み着く妖精や化け物が登場して、面白い舞台が展開されるのだが、最後には、娘とナポリ王の王子との恋が成就し、双方の和解がなってめでたしめでたしで終わるのだが、魔法によって生まれた異界と現実世界が錯綜した興味深い戯曲である。
   妖精と人間世界との交歓は、「夏の夜の夢」、いがみ合う両家の子供たちの恋は、「ロメオとジュリエット」を思い出させるが、このテンペストは、最晩年のシェイクスピアだと言うから面白い。
   
   文楽では、阿蘇左衛門藤則(玉女)が娘・美登里(勘十郎)と島流しにあっていて、筑紫の大領日田権左衛門(玉也)の息子・春太郎(和生)が、美登里と恋に落ちることになっている。
   この舞台で狂言回しのように重要な役割を果たすのは、忠実な左衛門のしもべ妖精の英里彦(簔二郎)で、左衛門の命令で、大嵐を起こしたり、二人の恋人を合わせたり、権左衛門たちを左衛門の面前に誘うのも、彼の妖術のなせる技である。
   この妖精だが、人形だから出来るのだが、天女のような姿で、軽やかに中空を舞い踊るように登場する。

   この他に、この島には、髑髏尼の息子で醜い男の泥亀丸(文司)がいて、美登里を襲ったり、難破船に同乗していた茶坊主珍才(勘緑)と図って左衛門を追放しようとするなどドタバタが展開されるのだが、鳥や動物の体をした妖精や化け物が随所に登場して舞台を楽しませてくれる。

   シェイクスピアの舞台では、冒頭、落雷が轟き稲妻が走る大嵐で、それに翻弄される船の甲板で、逃げ惑うナポリ王一行が登場するのだが、
   この文楽は、素晴らしく美しい幻想的な展開で、黒枠に浮かび上がったダークブルーの嵐逆巻く大海原のバックを背景に、舞台中央に一列に並んだ6丁の太棹三味線と十七弦琴が、凄まじい嵐の情景と妖術の不気味さを奏する感動的な幕開きである。
   その後の舞台は、一転して、静かな洞窟の中となり、左衛門が、恐れ戦く美登里にことの次第を語る舞台になるのだが、舞うように登場する英利彦や、醜い泥亀丸の姿など、正に異次元の世界で、子供たちでも喜びそうなシーンが続く。

   元々、原作でも、音楽的な要素が重要な役割を果たす戯曲のようだが、この文楽での鶴沢清治作曲の音楽は、正に、感動もので、登場人物に主題をつけるなど工夫を凝らしており、三味線が、時には激しく慟哭し、時には琴の音色のように歌うなど、伴奏の域を超えて、音楽が躍動していて、そのダイナミックさに感嘆せざるを得ない。

   人形遣いは、終始黒衣のままで押し通していたので、いつものようには表情が分からないのだが、玉女の威風堂々とした立ち役最高峰の貫禄、優しくて初々しい勘十郎の乙女、貴公子然として品のある和生の王子、それに、それを支える脇役たちの人形の躍動振りは、文楽人形の新境地を開いたと言う楽しさで、文楽人形の幅の広さと奥深さを実感させてくれた。

   浄瑠璃は、竹本千歳大夫が、実に表情豊かに語っていて、最後の左衛門藤則の独白など、シェイクスピア戯曲スタイルそのままの語りが加わり、いつもの床本語りではないナレーター口調で、新境地を出していたのが新鮮で良かった。
   一寸気づいたのは、文楽は大阪弁の世界だった筈だが、この舞台は、大阪を離れて、コスモポリタンになった、時代も変わったと言う感慨である。
   三味線は、森の中と窟の中の段を奏した作曲者鶴沢清治の演奏を耳を済ませて聞いていたが、三味線が全く知らなかった世界を魅せてくれるのを知って感激であった。

   ところで、私は、これまでに、何度か、このテンペスト(嵐)を、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなど、シェイクスピアの舞台として観ている。
   一番最初は、ロンドンのバービカン・センターで観た蜷川幸雄の舞台であった。
   その前に、同じロンドンで蜷川幸雄の「マクベス」を観ていたのだが、日本の中世に置き換えたドラマチックな舞台に感激していたので、非常に期待して、イギリス人に混じって観劇した。
   島流しと言うことで、世阿見も流された日本海の嵐逆巻く孤島と言う感じで佐渡をイメージして、能舞台をセットにして使ったようだが、この方は、文楽の妖精イメージではなく、日本古来の妖怪イメージでの演出なので、非常に重厚で幻想的な展開であり、イギリス人たちの舞台よりも余韻の残る印象的な舞台であった。

   歌舞伎では、結構、シェイクスピア劇が舞台化されている。
   しかし、今回の文楽テンペストは、全く、生身の人間の役者ではなく、自由に飛翔出来て自由な演技が出来、かつ、非常にリアルな人形を縦横に遣いこなして、大夫の浄瑠璃と三味線や琴など和楽器の独創性を引き出せば、このように新境地を開いた面白いシェイクスピアが出来上がると言う証で、文楽の新作の今後が楽しみである。
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