先週、NHK BShiで、「伝統芸能の若き獅子たち」と言うタイトルで、狂言の茂山宗彦、尺八の藤原道三、歌舞伎の市川亀治郎、文楽人形遣いの吉田簔次を取り上げて、「受け継がれてきた芸の重みを受け止めながら自らの道を切りひらく若き獅子たちの苦悩の日々」を、ドキュメンタリー・タッチで活写した非常に興味深い番組を放映していた。
夫々の番組は、非常に充実した意欲的な番組で、日本の伝統芸能を継承するために、如何に若き芸術家たちが悪戦苦闘しているかだけではなく、視野を外部や海外の芸術に向けながらその粋を貪欲に吸収しようとしている姿なども描いていて、感動的でさえあった。
まず、私が興味を持っている文楽の世界を、簔助の兄弟弟子である勘十郎と簔次父子の活躍を通して描いている番組について感想を述べて見たい。
簔次は、弟子入りして10年の簔助の足遣いだが、この人形遣いの世界は、足遣い10年、左遣い10年と言われるほど修行期間が長くて、主遣いになるには、はるか壮年に達してからと言う非常に気の長い話なのだが、今回の番組を見ていて、人間国宝は愚か、一流の人形遣いになることが如何に難しいことか良く分かった。
歌舞伎役者でも、あるいは、歌手でも音楽家でも、能力があれば、若年でもスターダムにのし上ることも、人気を極めることも出来るであろうが、この人形遣いの世界では、それでは、人形が動かないのである。
尤も、他の芸能の世界では、比較的体力や姿形が問題となって、芸能生命なり寿命が限られて来るが、文楽の人形遣いの場合には、吉田玉男の場合を見ていても、ぎりぎりまで舞台を勤めていたし、それに、人形を変えれば、若くて美しい乙女でも、老練な武将や老婆でも、自由自在に思い通りの役をこなすことが出来ると言う良さもある。
この口絵写真は、簔次が、父勘十郎と、三越劇場の名人会で、団子売りのお臼を主遣いとして演じることとなり、異例なようだが、師匠の簔助が稽古を見ることとなり、あまりにも下手なので(?)、堪り兼ねて、簔助が自分で人形を取り上げて見本を見せているところなのだが、この場を見る限り、その芸は雲泥の差で、簔次が、いくら演じ直しても、簔助のコミカルなお臼の雰囲気には、到底及ばず、同じ人形でも、その落差は極めて大きく、主遣いへの道が如何に遠いかが良く分かった。
このシーンで面白かったのは、主遣いは、絶対に人形と一緒に演技して目立っては駄目なので表情一つ変えないのだが、教える時には、簔助は、あたかも遣う人形のように表情豊かに動きながら振りをつけていた。
勘十郎も言っているが、簔助は、怒らないし駄目だと言うだけで、何がどうなのか細かい指示は一切なく、弟子は、どこをどう直せば良いのか苦しむようである。
しかし、元々日本の芸能も職人の匠の技も、盗み取るものであって、手取り足取りと言う教授法ではないので当然のことで、人形遣いの場合、足遣いだと、主遣いの師匠の腰に体をくっ付けて直接以心伝心感覚的に芸の真髄を叩き込まれるのであるから、幸せなのかも知れない。
三越劇場で一仕事終えた簔次は、厳しい表情をしていたが、伯母の三林京子によるとカチカチに緊張していたようで、やはり、羽織袴の主遣いはまだ荷が重く、苦しくても、黒衣をつけて師匠や父親の足を遣っている方が、精神的には楽なのであろうか。
番組後半は、義経千本桜の狐忠信と静の足遣い、それに、この二月の国立劇場での曽根崎心中の天満屋の段で、上がり口に腰をかけたお初が、縁の下に偲んでいる徳兵衛に足で死ぬる覚悟があるかを合図するシーンの足遣いで、簔次の奮闘ぶりを紹介していた。
本来女形の人形には足がないのだが、玉男が、栄三の反対を押し切って、先に復活公演された鴈治郎父子の演出に倣って定番化した大切な足の登場のシーンなのだが、簔助のそばの足の位置を離れて、正面に回った簔次が、簔助のお初の動きを正確にキャッチして、微妙な表現を足一つに集中し、父親の徳兵衛と呼吸を合わせながら白い小さな足を遣う。
恍惚状態のお初の表情が、足に生きているのである。
TVは、徳兵衛お初道行 曽根崎の森の段を、最後の心中のシーンまで放映していたが、徳兵衛を遣う勘十郎が、死を間際にして殺してと哀願する簔助のお初は、とにかく、この世の人だと思えないほど美しいのだと言っていたが、当事者さえそう思うのであるから、我々観客がその美しさに感動するのも当然なのであろう。
平凡な悲劇さえ、あの命も何もない木偶を躍らせて、美の極致と言うか、芸を至高の高みまで持ち上げて人々を感動させ魅了する簔助の芸の凄さは格別で、簔次が、自分の足の出来は5点だと言っていたのが良く分かる。
心中は分かるかと聞かれて分かりませんと答えていた簔次だが、至高の芸術家人間国宝の簔助を師匠に持ち、時代を背負う文楽界のホープ勘十郎を父として先輩かつ先生として持つ恵まれた境遇は、何ものにも変えがたい財産であり、まだ、これから半世紀以上もあるであろう修行と鍛錬が如何に素晴らしい人形遣いに磨き上げるか、楽しみである。
夫々の番組は、非常に充実した意欲的な番組で、日本の伝統芸能を継承するために、如何に若き芸術家たちが悪戦苦闘しているかだけではなく、視野を外部や海外の芸術に向けながらその粋を貪欲に吸収しようとしている姿なども描いていて、感動的でさえあった。
まず、私が興味を持っている文楽の世界を、簔助の兄弟弟子である勘十郎と簔次父子の活躍を通して描いている番組について感想を述べて見たい。
簔次は、弟子入りして10年の簔助の足遣いだが、この人形遣いの世界は、足遣い10年、左遣い10年と言われるほど修行期間が長くて、主遣いになるには、はるか壮年に達してからと言う非常に気の長い話なのだが、今回の番組を見ていて、人間国宝は愚か、一流の人形遣いになることが如何に難しいことか良く分かった。
歌舞伎役者でも、あるいは、歌手でも音楽家でも、能力があれば、若年でもスターダムにのし上ることも、人気を極めることも出来るであろうが、この人形遣いの世界では、それでは、人形が動かないのである。
尤も、他の芸能の世界では、比較的体力や姿形が問題となって、芸能生命なり寿命が限られて来るが、文楽の人形遣いの場合には、吉田玉男の場合を見ていても、ぎりぎりまで舞台を勤めていたし、それに、人形を変えれば、若くて美しい乙女でも、老練な武将や老婆でも、自由自在に思い通りの役をこなすことが出来ると言う良さもある。
この口絵写真は、簔次が、父勘十郎と、三越劇場の名人会で、団子売りのお臼を主遣いとして演じることとなり、異例なようだが、師匠の簔助が稽古を見ることとなり、あまりにも下手なので(?)、堪り兼ねて、簔助が自分で人形を取り上げて見本を見せているところなのだが、この場を見る限り、その芸は雲泥の差で、簔次が、いくら演じ直しても、簔助のコミカルなお臼の雰囲気には、到底及ばず、同じ人形でも、その落差は極めて大きく、主遣いへの道が如何に遠いかが良く分かった。
このシーンで面白かったのは、主遣いは、絶対に人形と一緒に演技して目立っては駄目なので表情一つ変えないのだが、教える時には、簔助は、あたかも遣う人形のように表情豊かに動きながら振りをつけていた。
勘十郎も言っているが、簔助は、怒らないし駄目だと言うだけで、何がどうなのか細かい指示は一切なく、弟子は、どこをどう直せば良いのか苦しむようである。
しかし、元々日本の芸能も職人の匠の技も、盗み取るものであって、手取り足取りと言う教授法ではないので当然のことで、人形遣いの場合、足遣いだと、主遣いの師匠の腰に体をくっ付けて直接以心伝心感覚的に芸の真髄を叩き込まれるのであるから、幸せなのかも知れない。
三越劇場で一仕事終えた簔次は、厳しい表情をしていたが、伯母の三林京子によるとカチカチに緊張していたようで、やはり、羽織袴の主遣いはまだ荷が重く、苦しくても、黒衣をつけて師匠や父親の足を遣っている方が、精神的には楽なのであろうか。
番組後半は、義経千本桜の狐忠信と静の足遣い、それに、この二月の国立劇場での曽根崎心中の天満屋の段で、上がり口に腰をかけたお初が、縁の下に偲んでいる徳兵衛に足で死ぬる覚悟があるかを合図するシーンの足遣いで、簔次の奮闘ぶりを紹介していた。
本来女形の人形には足がないのだが、玉男が、栄三の反対を押し切って、先に復活公演された鴈治郎父子の演出に倣って定番化した大切な足の登場のシーンなのだが、簔助のそばの足の位置を離れて、正面に回った簔次が、簔助のお初の動きを正確にキャッチして、微妙な表現を足一つに集中し、父親の徳兵衛と呼吸を合わせながら白い小さな足を遣う。
恍惚状態のお初の表情が、足に生きているのである。
TVは、徳兵衛お初道行 曽根崎の森の段を、最後の心中のシーンまで放映していたが、徳兵衛を遣う勘十郎が、死を間際にして殺してと哀願する簔助のお初は、とにかく、この世の人だと思えないほど美しいのだと言っていたが、当事者さえそう思うのであるから、我々観客がその美しさに感動するのも当然なのであろう。
平凡な悲劇さえ、あの命も何もない木偶を躍らせて、美の極致と言うか、芸を至高の高みまで持ち上げて人々を感動させ魅了する簔助の芸の凄さは格別で、簔次が、自分の足の出来は5点だと言っていたのが良く分かる。
心中は分かるかと聞かれて分かりませんと答えていた簔次だが、至高の芸術家人間国宝の簔助を師匠に持ち、時代を背負う文楽界のホープ勘十郎を父として先輩かつ先生として持つ恵まれた境遇は、何ものにも変えがたい財産であり、まだ、これから半世紀以上もあるであろう修行と鍛錬が如何に素晴らしい人形遣いに磨き上げるか、楽しみである。