日経に掲載されていたピーター・ドラッカーの「私の履歴書」が単行本になって書店の店頭に平積みされている。
ガルブレイスの「私の履歴書」とともに、二人の著書は、私の学生時代の貴重な愛読書でもあったので、心して読んでいた。
一世を風靡して、正に、ドラッカーを東西一流の経営学者に祭り上げた1973年出版の著書「MANEGEMENTマネジメント」の初版本が,私の書架に残っている。残っていると言うのは、足の踏み場もなくなったので、留学時代の原書を殆ど処分してしまったからである。
今見ると、839ページある大著のあっちこっちに、黄色いマーカーで埋め尽くした跡が残っていて、実に懐かしい。
しかし、日本ではあまり知られていないが、1970年代初め、あの頃のアメリカでの最高の経営学者は、恐らく、アーネスト・デール(ERNEST DALE)であった。
マッキンゼー・ファンデーション・ブック賞を取ったMANEGEMENT:THEORY AND PRACTICEは、既に、3版を重ねていて、多くのビジネス・スクールで教科書の決定版としてとして使用されていたし、デール自身アメリカ経営学会の会長を歴任していた。
私は、友人とデール教授の研究室を訪ねた。当時は、名誉教授になっていたので、ウォートン・スクールでも、残念ながら講座がなくて授業を受けられなかった。
研究室は、まだ、古いバーンス・ホールの方だったので2~3坪くらいの質素な小さな部屋であった。
余談ながら、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス&ポリティックスの森嶋通夫教授の研究室の方は、これより、まだ小さかったし、殆ど書籍を並べる書架さえ限られていたと思うが、何度かお邪魔して伺ったお話は、限りなく豊かで楽しかった。 大学の教授の研究室だが、恩師岸本誠二郎教授や同期の教授の京大の先生の部屋を見ているが、ここの方が広くて豊かかもしれない。
デール先生は、私の持っていった本にサインをしてくれた。
TO H. NAKAMURA
WITH BEST WISHES FROM ERNEST DALE
3/28/1974 y
本には、私のメモが残っている。
研究室には、ケインズはじめ師や友の写真が飾ってあり、沢山の専門書の中に、トルストイ全集が並んでいたのが印象的であった。
1974.3.28
ケインズの話を懐かしそうに話していたのを思い出す。
ところで、デールの『マネジメント』であるが、当時の経営学を集大成して論じており、環境汚染等の企業の社会的責任やヨーロッパECマーケット拡大と多国籍企業の問題、コンピューター革命等々今日の問題にも踏み込んだ体系的な経営学書である。
日本では、ドラッカーが経営学を体系化したように言われているが、贔屓の引き倒しで、当時のアメリカのビジネス・スクールの経営学は、極めて水準が高かったのである。
さて、ドラッカーであるが、やはり、長期に亘って世界最高の経営学者(と言うよりは、文明史家・思想家)の1人だと思っているし、老齢に達した今も極めてフレッシュで革新的な理論と名言を呈しているので感嘆している。
ところで、この自伝は、日頃慣れ親しんでいるドラッカーの経営学や文明史観等とは違って、ドラッカー学の舞台裏を垣間見せてくれているので実に面白い。
人間ドラッカーを浮彫りにしながらドラッカーを語り、更にドラッカー学を豊かにしている。
今回、特に、編集・翻訳の牧野洋氏が、「私の履歴書」で収容できなかった興味深い話題を、訳者解説として追加しており、これがまた、実に興味深くて面白く、本書の価値を高めている。
いつも感じているのだが、ドラッカーが、文明と文化の十字路ウイーンに生まれ育ったと言うことが大きいと思うが、ヨーロッパの激しい政治の動きに翻弄されながら、ハプスブルグの黄昏とヒットラーの台頭を感じて故郷を捨てる決断力等など面白い話については項を改めたい。
(追記)昨夜、NHKホールで、バイエルン国立歌劇場オペラ・ワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を観ていて、BSハイビジョンで放映された阪神・巨人戦を見られなくて阪神優勝の瞬間を楽しめなかった。
残念ではあったが、この5時間40分のワーグナーのマイスタージンガーは、凄い迫力のある素晴しい舞台で感激一入。胎動期のドイツの文化運動のうねりに感激して、ドラッカーの世紀末的なウイーンを思い出していた。
ガルブレイスの「私の履歴書」とともに、二人の著書は、私の学生時代の貴重な愛読書でもあったので、心して読んでいた。
一世を風靡して、正に、ドラッカーを東西一流の経営学者に祭り上げた1973年出版の著書「MANEGEMENTマネジメント」の初版本が,私の書架に残っている。残っていると言うのは、足の踏み場もなくなったので、留学時代の原書を殆ど処分してしまったからである。
今見ると、839ページある大著のあっちこっちに、黄色いマーカーで埋め尽くした跡が残っていて、実に懐かしい。
しかし、日本ではあまり知られていないが、1970年代初め、あの頃のアメリカでの最高の経営学者は、恐らく、アーネスト・デール(ERNEST DALE)であった。
マッキンゼー・ファンデーション・ブック賞を取ったMANEGEMENT:THEORY AND PRACTICEは、既に、3版を重ねていて、多くのビジネス・スクールで教科書の決定版としてとして使用されていたし、デール自身アメリカ経営学会の会長を歴任していた。
私は、友人とデール教授の研究室を訪ねた。当時は、名誉教授になっていたので、ウォートン・スクールでも、残念ながら講座がなくて授業を受けられなかった。
研究室は、まだ、古いバーンス・ホールの方だったので2~3坪くらいの質素な小さな部屋であった。
余談ながら、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス&ポリティックスの森嶋通夫教授の研究室の方は、これより、まだ小さかったし、殆ど書籍を並べる書架さえ限られていたと思うが、何度かお邪魔して伺ったお話は、限りなく豊かで楽しかった。 大学の教授の研究室だが、恩師岸本誠二郎教授や同期の教授の京大の先生の部屋を見ているが、ここの方が広くて豊かかもしれない。
デール先生は、私の持っていった本にサインをしてくれた。
TO H. NAKAMURA
WITH BEST WISHES FROM ERNEST DALE
3/28/1974 y
本には、私のメモが残っている。
研究室には、ケインズはじめ師や友の写真が飾ってあり、沢山の専門書の中に、トルストイ全集が並んでいたのが印象的であった。
1974.3.28
ケインズの話を懐かしそうに話していたのを思い出す。
ところで、デールの『マネジメント』であるが、当時の経営学を集大成して論じており、環境汚染等の企業の社会的責任やヨーロッパECマーケット拡大と多国籍企業の問題、コンピューター革命等々今日の問題にも踏み込んだ体系的な経営学書である。
日本では、ドラッカーが経営学を体系化したように言われているが、贔屓の引き倒しで、当時のアメリカのビジネス・スクールの経営学は、極めて水準が高かったのである。
さて、ドラッカーであるが、やはり、長期に亘って世界最高の経営学者(と言うよりは、文明史家・思想家)の1人だと思っているし、老齢に達した今も極めてフレッシュで革新的な理論と名言を呈しているので感嘆している。
ところで、この自伝は、日頃慣れ親しんでいるドラッカーの経営学や文明史観等とは違って、ドラッカー学の舞台裏を垣間見せてくれているので実に面白い。
人間ドラッカーを浮彫りにしながらドラッカーを語り、更にドラッカー学を豊かにしている。
今回、特に、編集・翻訳の牧野洋氏が、「私の履歴書」で収容できなかった興味深い話題を、訳者解説として追加しており、これがまた、実に興味深くて面白く、本書の価値を高めている。
いつも感じているのだが、ドラッカーが、文明と文化の十字路ウイーンに生まれ育ったと言うことが大きいと思うが、ヨーロッパの激しい政治の動きに翻弄されながら、ハプスブルグの黄昏とヒットラーの台頭を感じて故郷を捨てる決断力等など面白い話については項を改めたい。
(追記)昨夜、NHKホールで、バイエルン国立歌劇場オペラ・ワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を観ていて、BSハイビジョンで放映された阪神・巨人戦を見られなくて阪神優勝の瞬間を楽しめなかった。
残念ではあったが、この5時間40分のワーグナーのマイスタージンガーは、凄い迫力のある素晴しい舞台で感激一入。胎動期のドイツの文化運動のうねりに感激して、ドラッカーの世紀末的なウイーンを思い出していた。