アーデン・ホテルにとって返して、荷造りをして、ボーイに運ばせて車のトランクに収めて、チェックアウトした。ホテルのレストランで軽い昼食を取った。今度のイギリス旅行では、リッツ以外は、ミシュランの星付きとか真面なレストランに行けなかったのだが、以前に近郊の豪華なマナー・ハウスをホテルにしたレストランで食事をしたことがあるが味はもう一つで、このストラトフォードには、良いレストランがなかった。
今夕、7時45分ヒースロー発のJAL402便で東京へ発たなければならないので、その前にレンター・カー会社に車を返すとなると、正味5時間くらいしかない。しかし、中途半端な時間だが、どうしても、コッツウォルドに立ち寄りたかったので、空港まで300キロくらいはあるが、一番近いチッピング・キャムデンに行くことにした。
コッツウォルドは、比較的起伏の少ない地方であるが、それでも、丘あり谷ありで、中世の街並みが残っていて、イングランド屈指の美しい田園地帯である。田舎道を走っていると、急に眼前が開けて、多くの羊の群れが草を食んでいる牧場風景が展開する。今では、随分少なくなったが、昔この地方が羊毛産業の中心として栄えていた頃には、多くの牧場に沢山羊が飼育されていて壮観だったという。
田舎道を、野や畑を通り抜けてチッピング・キャムデンに近づくと、聖ジェームス教会の垂直型の塔が見えてきた。ヨーロッパの常識としては、教会か大聖堂がある所は、必ず、町の中心なので、そちらに向かって車を走らせたが、この中世の教会は、街外れの林の中に建っている。この教会も、コッツウォルド・ストーン、すなわち、オーライト・ライムライト(魚卵状石灰石)で建てられている。普通この石は、ハニー・ゴールド色であるが、青みがかっていたり、シルバーやクリーム色から黄金色まで色々なバリエーションがあり、年月が経ち風雪に耐えてさびが出てくると、黒ずんできて、地味だが風格が出てくる。
この教会は、コッツウォルドのウール・チャーチの中でも最も優雅な教会だと言われており、ヨーロッパ最大の羊毛集散地として栄えていた頃の裕福な羊毛商人たちが建てた記念碑である。建物の内部は、ステンド・グラスも装飾もシンプルだが、一昔前のロマネスク調である。塔の方形の屋上には、4本の短い尖塔が建っており、時計盤まで付いて、かなり優雅な装飾が施されている。教会の庭は墓地で、低い塀越しに牧場が続いている。
車を教会の前の車道に駐車して街まで歩くことにした。まだ藁葺きの家が残っている。裏通りのパブの建物は、珍しく煉瓦造りの白壁で、入り口の派手な看板と共によく目立つ。本通りに出ると、街道沿いに街並みが続いている。建物の殆どが、コッツウォルド・ストーンの外壁なので、車さえなければ中世の街に入った感じであろう。石灰岩の切石ブロック積みの外装なので外部の装飾が限られており、極めてシンプルで、優雅な街並みにはケバケバしさがなく、ハンギング・バスケットのフラワーや店の看板が、くすんだハニー・ゴールドの外壁に良く映えて、素晴しい家並みのハームニーを醸し出している。
大通りハイストリートの真ん中あたりにアーチ状の破風のあるマーケット・ホールがある。この辺りには、羊毛商人の館がいくらか残っており、かなり立派な建物があるのだが、街の中心が何処か分からない。ドイツなど大抵のヨーロッパの都市は、中心には、広い広場があって、シティ・ホールと大聖堂や教会が建っているのだが、このチッピング・キャムデンは、街道に沿った細長い町に過ぎない感じである。
そう思って考えてみると、イギリスでは一点に都市機能が集中するとは限らず、シティ・ホールなりギルド・ホールなりが教会と隣接しているのは稀かも知れないし、大分傾向が違う。いずれにしろ、このコッツウォルドには、中世の集落が点在していて、散策するのが楽しい。
このコッツウォルドには、ストラトフォードへの行き帰りも含めて何度も訪れており宿泊もしており、私にとっては、観光地と言うよりは、懐かしい田舎である。田舎の野山を散策しながら、ふっと立ち寄った鄙びたパブでギネスを煽り、素朴な旅籠でアフタヌーン・ティを楽しむ、そんな憩いの場でもある。
チッピング・キャムデンからずっと南、カーン川の畔にバンプリーという人口600人くらいの小さな村がある。アーリントン・ロウと呼ばれる昔の織物工の長屋がそのまま残っていて、格好の写真スポットとなっている。前に広がる湿地帯の直ぐ傍を、カーン川の清流が流れていて、川面を、二羽の白鳥が、かなり速い流れに逆らって上ってくる。川底の水草に鱒が戯れて銀鱗を光らせている。がっしりとした古い石橋の上に立って、そんな風景を楽しみながら、鳥のさえずりや爽やかな風音に耳を傾けていると、時を忘れる。
ハイストリートを抜ける途中に、面白そうなアンティークショップがあったので何の気なしに入った。小さな店に、陶器や古道具、時計や彫刻・彫像、装飾品など色々な骨董品が、全く秩序なく雑然と置いてあるといった感じで、狭い急な階段を下りた地下室にも2階にも広がっている。よせば良いのに、根が好きなので、飾り皿を二枚、周りを6面に切り込み型押し彫刻を施し表面に金泥をかけて焼いたマイセンと、道化師を描いたロイヤル・ドウルトンを買った。
チッピング・キャムデンで時間を取ったので、ヒースローへの時間が厳しくなってきた。
数年前、オックスフォード経由でロンドンに帰ったときに車の渋滞で困ったので、今度は、思い切ってストラトフォードに引き返して、M40の高速に乗ってヒースローに向かうことにした。
大体、夕刻ヒースローを出発するのに、ストラトフォードの郊外を午前中観光して、午後にコッツウォルドで十分に時間を過ごして、慢性的な交通渋滞のイングランドで、いつ着くか分からないのに、短時間で300キロを突っ走るという無茶をやってしまった。しかし、ヨーロッパでの8年間のビジネス環境は、これに、似たり寄ったりの綱渡りで、ヨーロッパ人との切った張ったの厳しい激務激戦の連続であったのだが、今となっては懐かしい。(1995.9.9)
以上15篇は、30年前に敢行したストラトフォード・アポン・エイボンへのシェイクスピア旅紀行を、多少加筆して再録したもの。
このブログの「欧米クラシック漫歩(32) 」と共に、このブログをスタートした2005年以前に残っている、私に取っては貴重な20世紀の欧米文化行脚の記録である。
(追記)今回も、口絵写真などは、ウィキペディアなどインターネットから借用させて貰った。膨大な写真を撮ったはずなのだが、倉庫に埋もれて探せないのが残念である。
今夕、7時45分ヒースロー発のJAL402便で東京へ発たなければならないので、その前にレンター・カー会社に車を返すとなると、正味5時間くらいしかない。しかし、中途半端な時間だが、どうしても、コッツウォルドに立ち寄りたかったので、空港まで300キロくらいはあるが、一番近いチッピング・キャムデンに行くことにした。
コッツウォルドは、比較的起伏の少ない地方であるが、それでも、丘あり谷ありで、中世の街並みが残っていて、イングランド屈指の美しい田園地帯である。田舎道を走っていると、急に眼前が開けて、多くの羊の群れが草を食んでいる牧場風景が展開する。今では、随分少なくなったが、昔この地方が羊毛産業の中心として栄えていた頃には、多くの牧場に沢山羊が飼育されていて壮観だったという。
田舎道を、野や畑を通り抜けてチッピング・キャムデンに近づくと、聖ジェームス教会の垂直型の塔が見えてきた。ヨーロッパの常識としては、教会か大聖堂がある所は、必ず、町の中心なので、そちらに向かって車を走らせたが、この中世の教会は、街外れの林の中に建っている。この教会も、コッツウォルド・ストーン、すなわち、オーライト・ライムライト(魚卵状石灰石)で建てられている。普通この石は、ハニー・ゴールド色であるが、青みがかっていたり、シルバーやクリーム色から黄金色まで色々なバリエーションがあり、年月が経ち風雪に耐えてさびが出てくると、黒ずんできて、地味だが風格が出てくる。
この教会は、コッツウォルドのウール・チャーチの中でも最も優雅な教会だと言われており、ヨーロッパ最大の羊毛集散地として栄えていた頃の裕福な羊毛商人たちが建てた記念碑である。建物の内部は、ステンド・グラスも装飾もシンプルだが、一昔前のロマネスク調である。塔の方形の屋上には、4本の短い尖塔が建っており、時計盤まで付いて、かなり優雅な装飾が施されている。教会の庭は墓地で、低い塀越しに牧場が続いている。
車を教会の前の車道に駐車して街まで歩くことにした。まだ藁葺きの家が残っている。裏通りのパブの建物は、珍しく煉瓦造りの白壁で、入り口の派手な看板と共によく目立つ。本通りに出ると、街道沿いに街並みが続いている。建物の殆どが、コッツウォルド・ストーンの外壁なので、車さえなければ中世の街に入った感じであろう。石灰岩の切石ブロック積みの外装なので外部の装飾が限られており、極めてシンプルで、優雅な街並みにはケバケバしさがなく、ハンギング・バスケットのフラワーや店の看板が、くすんだハニー・ゴールドの外壁に良く映えて、素晴しい家並みのハームニーを醸し出している。
大通りハイストリートの真ん中あたりにアーチ状の破風のあるマーケット・ホールがある。この辺りには、羊毛商人の館がいくらか残っており、かなり立派な建物があるのだが、街の中心が何処か分からない。ドイツなど大抵のヨーロッパの都市は、中心には、広い広場があって、シティ・ホールと大聖堂や教会が建っているのだが、このチッピング・キャムデンは、街道に沿った細長い町に過ぎない感じである。
そう思って考えてみると、イギリスでは一点に都市機能が集中するとは限らず、シティ・ホールなりギルド・ホールなりが教会と隣接しているのは稀かも知れないし、大分傾向が違う。いずれにしろ、このコッツウォルドには、中世の集落が点在していて、散策するのが楽しい。
このコッツウォルドには、ストラトフォードへの行き帰りも含めて何度も訪れており宿泊もしており、私にとっては、観光地と言うよりは、懐かしい田舎である。田舎の野山を散策しながら、ふっと立ち寄った鄙びたパブでギネスを煽り、素朴な旅籠でアフタヌーン・ティを楽しむ、そんな憩いの場でもある。
チッピング・キャムデンからずっと南、カーン川の畔にバンプリーという人口600人くらいの小さな村がある。アーリントン・ロウと呼ばれる昔の織物工の長屋がそのまま残っていて、格好の写真スポットとなっている。前に広がる湿地帯の直ぐ傍を、カーン川の清流が流れていて、川面を、二羽の白鳥が、かなり速い流れに逆らって上ってくる。川底の水草に鱒が戯れて銀鱗を光らせている。がっしりとした古い石橋の上に立って、そんな風景を楽しみながら、鳥のさえずりや爽やかな風音に耳を傾けていると、時を忘れる。
ハイストリートを抜ける途中に、面白そうなアンティークショップがあったので何の気なしに入った。小さな店に、陶器や古道具、時計や彫刻・彫像、装飾品など色々な骨董品が、全く秩序なく雑然と置いてあるといった感じで、狭い急な階段を下りた地下室にも2階にも広がっている。よせば良いのに、根が好きなので、飾り皿を二枚、周りを6面に切り込み型押し彫刻を施し表面に金泥をかけて焼いたマイセンと、道化師を描いたロイヤル・ドウルトンを買った。
チッピング・キャムデンで時間を取ったので、ヒースローへの時間が厳しくなってきた。
数年前、オックスフォード経由でロンドンに帰ったときに車の渋滞で困ったので、今度は、思い切ってストラトフォードに引き返して、M40の高速に乗ってヒースローに向かうことにした。
大体、夕刻ヒースローを出発するのに、ストラトフォードの郊外を午前中観光して、午後にコッツウォルドで十分に時間を過ごして、慢性的な交通渋滞のイングランドで、いつ着くか分からないのに、短時間で300キロを突っ走るという無茶をやってしまった。しかし、ヨーロッパでの8年間のビジネス環境は、これに、似たり寄ったりの綱渡りで、ヨーロッパ人との切った張ったの厳しい激務激戦の連続であったのだが、今となっては懐かしい。(1995.9.9)
以上15篇は、30年前に敢行したストラトフォード・アポン・エイボンへのシェイクスピア旅紀行を、多少加筆して再録したもの。
このブログの「欧米クラシック漫歩(32) 」と共に、このブログをスタートした2005年以前に残っている、私に取っては貴重な20世紀の欧米文化行脚の記録である。
(追記)今回も、口絵写真などは、ウィキペディアなどインターネットから借用させて貰った。膨大な写真を撮ったはずなのだが、倉庫に埋もれて探せないのが残念である。