カルフーンの論文のタイトルは、「いま資本主義を脅かしているのは何か」。
資本主義は、1930年代の大恐慌以来、最も深刻な金融的・経済的危機を生き延びつつある。危機の底はかってほど低くなかったにもかかわらず、それは、大不況よりも長期にわたる成長率の低下やマイナス成長を世界の豊かな諸国にもたらし、さらに、偏った金融化や新自由主義による社会制度の保障制度の縮小、不平等の拡大という傷ついた時期に続いて、現在の危機が到来した。
これが、資本主義システムに関する従来の中核国の見方だが、今や、経済的推進力は、中核国を離れて新興地域に急速に移動しており、資本主義は、その活力を回復させながら、西から東へ、北から南への移動を通して転換しており、資本主義の未来にとっての中心問題は、この推進力が維持されるかどうかである。
また、重要なことは、資本主義が完全な自足的なシステムではないと言うことで、資本主義は、市場の大きな混乱や過度のリスクテイキング、あるいは、銀行の管理の不十分さと言ったことだけではなく、戦争とか、環境破壊や気候変動、社会的連帯や福祉の危機などにも影響されやすい。資本主義の実際の現実は、つねに非資本主義的な経済活動や政治的、社会的、文化的要因との接合を含んでおり、それは法的・制度的システムであると共に経済的システムであって、資本主義が直面する最大の脅威は、純粋に経済的なものを超える要因に依存することから生じている。
そのような視点に立って、カルフーンは、資本主義がグローバルな経済問題において、支配的な地位を失うならば、それは、転換を長引かせ、残存する資本主義活動と並んで別の種類の経済組織を出現させることになろうが、しかし、資本主義の崩壊が差し迫っていると言う意見には反対である。と言う。
資本主義が何故危機なのか、三つの理由を挙げて詳述している。
第一は、システム危機の問題、および、金融と他の経済部門とのバランスの問題が依然として存在していること。
第二は、資本主義の収益性は、その活動の費用―――人間的、環境的、金融的費用―――を外部化することにしばしば依存していること。
第三は、資本主義は、経済内部の要因や制度要因のみならず、気候変動や戦争のような外的な問題によっても傷つけられること。
これらの脅威を個々に解決は図れば、資本主義の崩壊を起こさずに転換できるかもしれないが、資本主義が大きな重要性を維持しながらその活力の一部を潜在的に回復しても、もはや近年の歴史を通じて保持してきたほどに、世界システムを組織し支配することが出来ない世界をもたらすかもしれない。と言う。
まず、システムの危機だが、現代の金融システムを構成する複雑にからむ内的ネットワークに埋め込まれたリスクである。これは、製造業や消費のような「実物」経済に広範な影響を及ぼす危機で、その影響は、数十年の間にグローバル金融が巨大化したことによって、とりわけ、先進西欧諸国で金融資産が支配的位置を占める程度が高まるにつれて増大してきた。過剰な借入資本利用や過度のリスクテイキング、規制の弱さやその欠如、様々な金融工学の乱用を危険なものにし、最終的には決定的な被害を与えた。巨大銀行は、「連結されすぎてつぶせない」状態となり、金融化は、金融部門だけに影響を与えたのではなくて、大規模なグローバル資本主義にとって決定的なものとなった。
しかし、現実には、金融危機が始まっているのに、経済は、金融資本に支配されたままで、規制による改善がいまだに最小限に止まっていて、システム危機の可能性を縮減するための施策はほとんど何もならせてこなかった。というのである。
活動費用の外部性については、資本主義的成長は、環境汚染や社会的混乱、不平等という点において、人間と自然に途方もない犠牲を強いてきた。企業は、資本主義の収益と成長の成果は享受するが、環境汚染と廃棄物を生み出すなど深刻な「悪」を副産物として生み出しながら、これらの環境破壊の金銭的・人間的・自然的費用のの責任は引き受けないし、企業が収益を引き出すインフラ整備などの公共投資の費用を負担しないし、費用の「外部化体制」が常態化している。
今なお勢力を増す「新自由主義」が、政府の支出と経済活動への積極的介入を縮小するとともに、資本主義の諸市場への政府規制を緩和することを追求するなど、この問題の解決に逆行する動きがあり、トランプの政策を見れば、その危うさがよくわかる。
最後の気候変動や戦争などの人力人知を超えた外部要因による危機については、希少資源と自然環境の劣化に視点をあてるなど興味深い問題を指摘しているが、先のマイケル・マンの項でも触れたし、自明のことなので、ここでは省略する。
カルフーンの議論で興味深いのは、末尾で、インフォーマル・セクターと非合法資本主義の拡大を、フォーマル・セクターの弱体化と結びつける変わった視点から、資本主義論を展開していることである。
もともと、その大部分は、コミュニティレベルで組織されていて、小規模な物々交換や協同組合、課税や金融機関を巧みに避ける現金取引などからなっていたが、カルフーンは、シリコンバレーの起業なども、インフォーマルセクターだという。
しかし、国家経済を蚕食しているアングラ経済や、租税回避や非合法的な投資フローなど大規模な不法資本主義も重要な位置を占めており、インフォーマルセクターの台頭は、資本主義の脆弱性そのものを浮き彫りにしている。
グローバル政治経済の大部分は、国民国家や資本主義の「公式の」世界システムを超える仕方で組織されており、国家と大企業との共謀、様々な規模の組織された犯罪、非公式の軍閥やカルテ鵜の政治力、軍隊を含む国家の半自律的構成部分の経済力など、いずれも複雑に絡み合った世界を示していて、これに、ウィキリークスからハッキングまでのサイバーセキュリティへの挑戦や、スペアフィッシング、国家の支援やフリーランサーによって展開されるサイバー攻撃などその他の戦術、等々、いずれもこの複雑に絡み合った世界を、フォーマル、インフォーマル入り乱れて、不確かな未来に向かう資本主義の転換の一部となっている。というのである。
カルフーンは、資本主義の刷新を示唆しながら、最後に、「伝統的な西欧の中核的地域の外部から成長が主導されてゆく程度に変革されていき、そして、別の歴史や文化や社会制度に融合されていくことになるだろう。」という。
先に指摘した欧米先進国の没落によって発展途上国に経済成長力が移っていくことによって資本主義が発展変質してゆくだろうという思惑で、中印や東アジアの台頭に期待しているのだろうが、専制的で国家主導の計画経済を意図した中国のような国家資本主義を考えているのであろうか。
いずれにしろ、マルクス的・ヴェーバー的伝統を継承した社会歴史学者の見解なので、そんなような気がしている。
実現可能性は未知だが、中国が、2049年に、100年マラソン計画を実現して大唐帝国再建を果たして、世界覇権を確立した暁に、多少変更を加えながら、欧米日先進国の民主主義文化およびシステムを吸収同化していくのではないかと思っている。
資本主義は、1930年代の大恐慌以来、最も深刻な金融的・経済的危機を生き延びつつある。危機の底はかってほど低くなかったにもかかわらず、それは、大不況よりも長期にわたる成長率の低下やマイナス成長を世界の豊かな諸国にもたらし、さらに、偏った金融化や新自由主義による社会制度の保障制度の縮小、不平等の拡大という傷ついた時期に続いて、現在の危機が到来した。
これが、資本主義システムに関する従来の中核国の見方だが、今や、経済的推進力は、中核国を離れて新興地域に急速に移動しており、資本主義は、その活力を回復させながら、西から東へ、北から南への移動を通して転換しており、資本主義の未来にとっての中心問題は、この推進力が維持されるかどうかである。
また、重要なことは、資本主義が完全な自足的なシステムではないと言うことで、資本主義は、市場の大きな混乱や過度のリスクテイキング、あるいは、銀行の管理の不十分さと言ったことだけではなく、戦争とか、環境破壊や気候変動、社会的連帯や福祉の危機などにも影響されやすい。資本主義の実際の現実は、つねに非資本主義的な経済活動や政治的、社会的、文化的要因との接合を含んでおり、それは法的・制度的システムであると共に経済的システムであって、資本主義が直面する最大の脅威は、純粋に経済的なものを超える要因に依存することから生じている。
そのような視点に立って、カルフーンは、資本主義がグローバルな経済問題において、支配的な地位を失うならば、それは、転換を長引かせ、残存する資本主義活動と並んで別の種類の経済組織を出現させることになろうが、しかし、資本主義の崩壊が差し迫っていると言う意見には反対である。と言う。
資本主義が何故危機なのか、三つの理由を挙げて詳述している。
第一は、システム危機の問題、および、金融と他の経済部門とのバランスの問題が依然として存在していること。
第二は、資本主義の収益性は、その活動の費用―――人間的、環境的、金融的費用―――を外部化することにしばしば依存していること。
第三は、資本主義は、経済内部の要因や制度要因のみならず、気候変動や戦争のような外的な問題によっても傷つけられること。
これらの脅威を個々に解決は図れば、資本主義の崩壊を起こさずに転換できるかもしれないが、資本主義が大きな重要性を維持しながらその活力の一部を潜在的に回復しても、もはや近年の歴史を通じて保持してきたほどに、世界システムを組織し支配することが出来ない世界をもたらすかもしれない。と言う。
まず、システムの危機だが、現代の金融システムを構成する複雑にからむ内的ネットワークに埋め込まれたリスクである。これは、製造業や消費のような「実物」経済に広範な影響を及ぼす危機で、その影響は、数十年の間にグローバル金融が巨大化したことによって、とりわけ、先進西欧諸国で金融資産が支配的位置を占める程度が高まるにつれて増大してきた。過剰な借入資本利用や過度のリスクテイキング、規制の弱さやその欠如、様々な金融工学の乱用を危険なものにし、最終的には決定的な被害を与えた。巨大銀行は、「連結されすぎてつぶせない」状態となり、金融化は、金融部門だけに影響を与えたのではなくて、大規模なグローバル資本主義にとって決定的なものとなった。
しかし、現実には、金融危機が始まっているのに、経済は、金融資本に支配されたままで、規制による改善がいまだに最小限に止まっていて、システム危機の可能性を縮減するための施策はほとんど何もならせてこなかった。というのである。
活動費用の外部性については、資本主義的成長は、環境汚染や社会的混乱、不平等という点において、人間と自然に途方もない犠牲を強いてきた。企業は、資本主義の収益と成長の成果は享受するが、環境汚染と廃棄物を生み出すなど深刻な「悪」を副産物として生み出しながら、これらの環境破壊の金銭的・人間的・自然的費用のの責任は引き受けないし、企業が収益を引き出すインフラ整備などの公共投資の費用を負担しないし、費用の「外部化体制」が常態化している。
今なお勢力を増す「新自由主義」が、政府の支出と経済活動への積極的介入を縮小するとともに、資本主義の諸市場への政府規制を緩和することを追求するなど、この問題の解決に逆行する動きがあり、トランプの政策を見れば、その危うさがよくわかる。
最後の気候変動や戦争などの人力人知を超えた外部要因による危機については、希少資源と自然環境の劣化に視点をあてるなど興味深い問題を指摘しているが、先のマイケル・マンの項でも触れたし、自明のことなので、ここでは省略する。
カルフーンの議論で興味深いのは、末尾で、インフォーマル・セクターと非合法資本主義の拡大を、フォーマル・セクターの弱体化と結びつける変わった視点から、資本主義論を展開していることである。
もともと、その大部分は、コミュニティレベルで組織されていて、小規模な物々交換や協同組合、課税や金融機関を巧みに避ける現金取引などからなっていたが、カルフーンは、シリコンバレーの起業なども、インフォーマルセクターだという。
しかし、国家経済を蚕食しているアングラ経済や、租税回避や非合法的な投資フローなど大規模な不法資本主義も重要な位置を占めており、インフォーマルセクターの台頭は、資本主義の脆弱性そのものを浮き彫りにしている。
グローバル政治経済の大部分は、国民国家や資本主義の「公式の」世界システムを超える仕方で組織されており、国家と大企業との共謀、様々な規模の組織された犯罪、非公式の軍閥やカルテ鵜の政治力、軍隊を含む国家の半自律的構成部分の経済力など、いずれも複雑に絡み合った世界を示していて、これに、ウィキリークスからハッキングまでのサイバーセキュリティへの挑戦や、スペアフィッシング、国家の支援やフリーランサーによって展開されるサイバー攻撃などその他の戦術、等々、いずれもこの複雑に絡み合った世界を、フォーマル、インフォーマル入り乱れて、不確かな未来に向かう資本主義の転換の一部となっている。というのである。
カルフーンは、資本主義の刷新を示唆しながら、最後に、「伝統的な西欧の中核的地域の外部から成長が主導されてゆく程度に変革されていき、そして、別の歴史や文化や社会制度に融合されていくことになるだろう。」という。
先に指摘した欧米先進国の没落によって発展途上国に経済成長力が移っていくことによって資本主義が発展変質してゆくだろうという思惑で、中印や東アジアの台頭に期待しているのだろうが、専制的で国家主導の計画経済を意図した中国のような国家資本主義を考えているのであろうか。
いずれにしろ、マルクス的・ヴェーバー的伝統を継承した社会歴史学者の見解なので、そんなような気がしている。
実現可能性は未知だが、中国が、2049年に、100年マラソン計画を実現して大唐帝国再建を果たして、世界覇権を確立した暁に、多少変更を加えながら、欧米日先進国の民主主義文化およびシステムを吸収同化していくのではないかと思っている。