熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

GDP成長促進と言う経済政策の誤謬

2019年01月30日 | 政治・経済・社会
   政府は、1月の月例経済報告で、2012年12月から始まった景気回復が、「戦後最長となった可能性がある」と発表した。
   
   今日の日経の関連記事について、何の脈絡もなく、裏付けのある分析や資料もなく、独善と偏見を承知で、自身の感想を記し、「GDP成長促進と言う経済政策の誤謬」について、私論を展開してみたい。

   まず、日経の記事のメインおよびサブタイトルを列記すると、
   最長景気 円安・財政頼み
   輸出改善、外需で企業は恩恵
   伸びぬ賃金、消費停滞
   生産性の底上げ急務
   この簡潔なタイトルで、的確に、現状と将来の日本経済の状況を表していて、詳細を語る必要もなかろう。
   問題は、この期間中の年平均の実質成長率は1.2%で、1969~70年のいざなぎ景気は11.5%、86~91年のバブル景気は5.3%で、これまで、戦後最長であった02~08年でも1.6%であって、最低であった。
   極論すれば、この間に、名目GDP成長率がマイナスにならなかったと言うだけで、謂わば、誤差範囲の成長率であって、景気回復と言うシロモノでななかったと言うことである。
   言い換えれば、ヨーロッパ諸国の長期停滞と殆ど様相は変わらず、アベノミクスが、旧態依然たる財政金融政策依存で、成熟化して活力を失ってしまった日本経済に活を入れるべき筈の第三の柱を活性化できなかった結果と言うべきであろうか。
   

   景気を支えたのは、日銀の大規模な金融緩和がもたらした円安による輸出の増加と、政府の財政支出で、どうにか、企業業績は回復しただけで、
   国民生活の方では、国内総生産(GDP)の6割近くを占める個人消費の伸びは6年間でわずか2%で、景気の回復が続いた筈にも拘らず消費がさえなかった一因は、社会保険料や税などを差し引いた可処分所得が抑えられていることで、昨夜のNHKの9時のニュースでは、実質可処分所得の増加はマイナスであったと放映していた。
   国民に、戦後最長となったと言う経済回復の実感が全くないと言うのが、問題なのである。
   

   上記は、日経の記事の表を借用したのだが、
   人手不足は深刻で仕事を選ばなければ誰もが職に就ける「完全雇用」状態にあって、人手を確保するための賃上げも広がったと言うのだが、労働需給の引き締まりによる賃上げの効果が、構造的な要因で抑えられた可能性もある。と言う。
   医療・福祉の就業者数は18年11月に858万人と12年より2割以上増えたのだが、介護などの賃金はIT(情報技術)や金融業などに比べれば低く、賃金が低い業種の雇用が増えても、全体で見た家計所得は増えにくい。
   それにしても、6年間で、可処分所得の伸びが4%とは、非常に低く、アメリカ経済が、経済格差が異常に拡大した上に、何十年も勤労者の実質賃金が上がらず、中間階級の崩壊を来して、アメリカの資本主義そのものが危機に瀕しているのだが、日本経済も同じ状況になっているのではないかと思われる。

   問題の解決には、経済成長、GDPの成長以外にないと言うのだが、そのための潜在成長率のアップには、「労働投入」「資本投入」、企業の技術進歩などを映す「全要素生産性」の3要素をアップする必要がある。
   今回の景気回復では女性や高齢者の労働参加が進み、長くマイナスだった労働投入の寄与度がプラスに転じ、企業が設備投資に積極的になったこともあり、資本投入の寄与度もプラスだったと言う。
   しかし、この現象は短期的なもので、少子高齢化で労働人口の下落傾向は長期的な趨勢であり、経済構造の成熟化で停滞状態に入った経済に多くの投資は見込めず、そうなれば、高度な人材を活用して、技術革新につなげるような政策を大胆に取り入れるなど、企業の技術進歩などを映す「全要素生産性」を、強力にアップする政策を追求する以外に、経済成長促進への道はない。

   ここで問題となるのは、破壊的イノベーションによるシュンペーター型のイノベーション効果は別として、デジタル革命の急速な進歩で、企業の生産性アップの方向性は、AIやロボティックスの有効活用に傾斜して行くことは必定で、生産性は上がれども、むしろ、労働者を職場から駆逐して行く傾向を促進するだけであって、個人消費需要を減少させるので、潜在成長率のアップは疑問であり、むしろ、国民生活を圧迫して、益々、格差拡大を促進して、日本経済を窮地に追い込む心配が生じる。
   最早、単純な生産性のアップは、従来の業務合理化や効率化による追及は無理であって、AIやロボティックスの積極的活用に移って行く。 
   今や、工場労働者はロボットに代わり、弁護士や会計士など高度なサービス業機能さえインターネットが差配し、高度な医療業務の多くさえインターネットやロボットが代替する時代となっており、生産性のアップの概念なり手段が、革命的変化を遂げているのである。

   一番重要な論点は、今や、根本的に資本主義の経済構造が変質してしまって、イノベーションの多くが、経済成長の促進アップではなくて、経済の質の向上に回ってしまっていて、GDPのアップには繋がらなくなってしまったのだと言うことである。
   早い話、ムーアの法則でドライブされた、インターネット関連のソフトとハードの異常な発展進歩には、目を見張るものがありながら、この驚異的な質の向上については、一切無視して、過去も現在も、その財とサービスの評価は、同じ価格体系で計算して、現在価格でGDP統計に計上されている。
   家電製品初め、工業製品の大半は、持続的イノベーションの価値を体現して、過去の価格体系で評価すれば、異常に高騰している筈で、第二次産業革命以降、それも、第三次産業革命以降は、この傾向が顕著であるのだが、この膨大な価値増加は、GDP増、すなわち、経済成長には、アカウントされていない。
   イノベーションの貢献した価値が、全く、国民所得計算には反映されず、経済成長には寄与していないと言う位置づけで、財とサービスベースでは、現在価値だけの評価と貢献なのである。
   特に、日本の場合には、テクノロジー深堀の持続的イノベーションが主体で、殆ど、財とサービスの質の向上に転嫁されているので、GDP成長要因としての効果は少ない。

   それに加えて、今後、潜在成長力アップの唯一の希望の星である「技術進歩などを映す「全要素生産性」」の向上、すなわち、企業の生産性アップの手段の大半が、AIやロボティックスの導入拡大に向けられて、雇用の縮小を来すと考えると、個人消費の減少・圧迫要因となって、むしろ、GDPアップの経済政策の効果を減殺する心配さえ生じてくる。

   このような資本主義経済の大きな構造変化にも拘らず、従来通りのGDP至上主義的な経済成長政策に固守して、経済成長を議論していて良いのであろうか。
   イノベーションについては、稿を改めたいと思っているが、今回は、まず問題を提起して注意を喚起しておきたいと思う。
   いずれにしろ、膨大な国家債務を処理するためにも、日本が直面している多くの経済問題を解決するためにも、経済成長は必須であり、それ以外に解決手段がないとするなら、どうするのか、喫緊の緊急課題であり、猶予は許されない。
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国立能楽堂・・・観世銕之丞の「道成寺」

2019年01月29日 | 能・狂言
   「明治150年記念 苦難を乗り越えた能楽」の後半の「道成寺」は、シテは、梅若実に代わって、観世銕之丞が舞った。
  
   明治9年1876年4月4日に、馬場先門内の岩倉具視邸で、天皇が能を観覧された、これが、東京での天覧能の初めだと言う。
   明治20年(1887年)4月26日から29日にかけて井上馨邸で挙行された、明治天皇、昭憲皇太后、英照皇太后臨席の下で催された天覧歌舞伎の方が有名だが、明治9年(1876年)に能楽が、明治19年(1886年)に相撲が、それぞれ天覧の栄誉を受けたのに対して、随分遅れているのが興味深い。 
   天覧能の当日の番組は、「小鍛冶」「橋弁慶」「土蜘蛛」「熊坂」であったと言うから、口絵写真は、今回の公演のビラの明治天皇の天覧能の絵なのだが、舞台は、「高砂」のようであるので、その後、何度か天覧能が催されたのであろう。
   明治維新による武家政権の崩壊によって、それまで、式楽として、徳川幕府や大名たちの強力なバックアップがあって隆盛を極めてきた能・狂言が、一気にその後ろ盾を失って壊滅的な打撃を受けて崩壊の危機に瀕した時期であったから、この天覧能の果たした役割は、決して小さくはなかったのであろう。

   文化デジタルによると、
   江戸時代、幕府や藩から保護を受けていた5座の役者は、明治維新で大きな打撃を受け、転職する人も多く出ました。維新の影響でワキ方の進藤流をはじめ、諸役の流儀がいくつも断絶します。しかし、岩倉具視をはじめとした新政府の有力者や華族、新興財閥などが能の新たな保護者となり、1881年[明治14年]に能楽社が設立され、芝公園内に芝能楽堂ができると、この舞台で多くの役者が芸を競いました。明治期に特に活躍した役者としては、梅若実・宝生九郎・桜間伴馬等が挙げられます。

   この明治9年の天覧能の経緯について、梅若実の「梅若六郎家の至芸」に書かれており、
   維新後に初めて天皇が叡覧した初日の行幸能、二日目の行啓能、三日目の台覧能と言う大掛かりな催しで、初世実に師事していた岩倉のいとこの坊城俊政が、この実務を取り仕切っていた宮内庁式部寮式部頭で、能楽者側の責任者として実を選んだ。
   実は、行幸・行啓・台覧能に出演して、能役者の手配など行い、その際、帰農・隠居していた宝生九郎知栄に入能として臨時に能を舞わせて、能楽界復帰を印象付ける演出で、復帰への道筋をつけたと言う。

   その苦難の能楽の歴史を回顧して、明治150年記念に際して、この明治期以降の「苦難を乗り越えた能楽」特別番組として、再興に貢献した梅若実・宝生九郎・桜間伴馬の子孫がシテを舞う「道成寺」を企画したと言うわけである。

   さて、「乱拍子」だが、まず、宝生流の時とは違って、人間国宝大倉源次郎の小鼓は、掛け声を長々と引いた迫力のある奏法で、殆ど動きのない銕之丞のシテ白拍子が、間欠的に響く長い掛け声とともに打ち鳴らされる小鼓に呼応して、一瞬、何かの気配を察知した獣のような俊敏さでキット身構えて、また、元に戻って殆ど静止した足取りで、延々と舞い続け、不気味な静寂が舞台を圧倒する。
   突然、囃子の位が速くなり太鼓も加わってアップテンポに急展開すると、足さばきが最高潮に達し、旋回するように激烈な舞い姿に転じて急之舞。

   「鐘入リ」のシーンだが、銕仙会の能楽辞典によると、
   異様な雰囲気を漂わせつつも、芸を重ねてゆく女。
やがて夜も更け、人々も寝静まった。隙を見て鐘に近づき、撞こうとする女。しかしそのとき何を思ったか、彼女は鐘を恨めしげに見つめると、鐘を掴んで引き落とす。その中に吸い込まれるように、女は姿を消すのだった。と説いている。
   これで、下掛りとは一寸違って、横から鐘に飛び込むのではなくて、鐘の下へ走り込み、鐘に両手を掛けて、「引き被きてぞ、失せにける」で飛びあがって消える。と言うのが良く分かる。
   あくまで、辺りを焼き尽くす業火の炎のよう煮えたぎった怨念に苛まれた白拍子は、自然に落下してくる鐘に飛び込んで消えるのではなくて、自分の意志で「鐘を掴んで引き落とす」のである。
   銕之丞の白拍子も、勢いよく扇で烏帽子を叩き落として、鐘の下に入って、両手を大きく広げて鐘の内側を支えて、飛び上がって消えた。

   ところで、いつも気になるのは、小さな鐘の中に取り込められたシテが、白拍子から蛇体に変身するのだが、般若の面や蛇体の衣装や錫杖など一切がこの鐘の中に収容されていると言うのだが、企業秘密だと言うことで、整った鐘は、渡された狂言方が厳重に守るのだと聞く。
   今回、シテが、鐘が引き上げられて、蛇体に変身して現れる少し前に、シンバルのような音が聞こえたのでびっくりしたのだが、これは、小型シンバル「鐃鈸」の音で、鐘の中からシテが準備が整ったと言う合図だと知ってなるほどと感心した。

   後シテが、橋掛かりを抜けるところで後見が唐織を引き三角形を見せて落とし(鱗落とし)、僧たちを追いかけて舞台に戻る途中に、シテ柱に巻き付いて蛇体を表現(柱巻)するのだが、宝生和英宗家の時には、シテ柱に体を預けて悶え苦しむ哀れな姿は、堪らない程妖艶で美しいと思ったのに比べて、銕之丞の場合には、最初はかなり淡白な表現であったが、シテ柱に背中をすりつけて、中空を仰ぎながら悶える姿は、正に圧巻で、これ以上の不幸を背負ったことがないと言った絶望に圧し拉がれた苦悶の表情をたたえてしばらくフリーズしていた姿は忘れられないほど感動的で美しいのである。

   連続2回、頂点だと思える「道成寺」を鑑賞する機会を得て、幸せであった。
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初春大歌舞伎・・・「一條大蔵譚」ほか

2019年01月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   白鷗の「一條大蔵譚」を観たくて、昼の部を鑑賞した。
   これまで、吉右衛門の舞台を何度か観ており、その指導を仰いだ幸四郎や菊之助の大蔵卿を観ているので、同じ系統であるはずの御大白鷗が、どのような舞台を見せてくれるのか、当然、吉右衛門とは違った芝居を演じるであろうから、それを観たかったのである。

   結果的には、吉右衛門スタイルの一條大蔵卿のイメージが定着してしまっていて、白鷗の大蔵卿に、違和感と言うか、一寸、違った印象で、不思議な感じがして観ていた。
   まず、門から登場して来る冒頭の大蔵卿の表情だが、吉右衛門の場合には、極論すれば、まさに、阿呆丸出しで、ニヤケタ相好を崩した愛嬌のある顔で出てくるのだが、白鷗は、心なしか、阿呆の表情なのだが、特に阿呆を強調するのでもなく、虚弱被膜と言うのか、それ程、表情を崩しては居なかった。
   しかし、以前に、仁左衛門の大蔵卿が、吉右衛門や勘三郎などのように、満面に笑みをたたえた阿呆姿で登場するのではなくて、どちらかと言えば無表情の腑抜けスタイルに近い姿で現れたのを覚えているのだが、それに近い、どちらかと言えば、阿呆は阿呆でも、昔、ロンドンで観たRSCの舞台での、ケネス・ブラナーの悩み煩悶するハムレットに相通じる芸の深みのようなものを感じたのである。

   服装や芸のスタイル、立ち居振る舞いにしても、舞台の進行にしても、白鷗も吉右衛門も、殆ど違いはないのだが、やはり微妙な差があって、大詰めの切り取った勘解由の首を、吉右衛門の時には、首を抱えながら甚振っていたし、仁左衛門の時には、舞台にほおり投げていたのだが、白鷗は、首を抱えたまま、同じスタイルで、相好を崩してガハッガハッと豪快に笑い飛ばしながら幕となった。
   この表情の差と言うか表現の違いが、文武両道に秀でながら源平どちらにも加担せずに阿呆を通しぬいて生きて来た大蔵卿が、「今まで包むわが本心」を爆発させて、鬼次郎夫妻に、苦衷を吐露して義経への檄を飛ばすシーンの激しさ凄さ、そして、その本心に秘められた悲しさ慙愧の思いの深さを表す、夫々の名優たちの思い入れなのであろうと思う。

   この舞台を支えたのが、魁春の風格のある常盤御前、梅玉の端正な鬼次郎と雀右衛門のその妻お京、錦吾の勘解由と鳴瀬の高麗蔵の高麗屋のベテラン、とにかく、きっちりと様式美の整った舞台であった。

   その前に上演された「廓文章」の「吉田屋」は、上方歌舞伎からは、吉田屋女房おきさの秀太郎だけ。
   簡略バージョンであったのか、最後に登場して、ハッピーエンドの提灯持ちだけであったが、高麗屋の三代襲名一周年のお祝で手締めの音頭を取っていた。
   扇屋夕霧を演じた七之助が、新鮮なヒロイン像を披露していて興味深かったし、近松の舞台など上方歌舞伎の優男を演じても様になる幸四郎の伊左衛門も楽しませてもらった。
   しかし、やはり、仁左衛門や藤十郎、鴈治郎たちの伊左衛門の世界で、どんどん、上方歌舞伎の世界が消えて行くようで、寂しさを感じざるを得なかった。
   まだ、文楽には、その雰囲気が色濃く残っているのだが、あの近松門左衛門の浄瑠璃の世界でも、大坂人独特の雰囲気なりムードがあって、それを表現できるのは、やはり、上方の歌舞伎役者。
   芸術は、普遍だと言っても、私など、啄木のそを聞きに行くために上野の停車場に行く、その心境で、浄瑠璃、ないし、浄瑠璃バージョンの歌舞伎を観たいのである。

   芝翫と魁春の「舌出三番叟」と、福助や芝翫の「吉例寿曽我」は、新春祝賀プログラム。
   
   

   正月だからと言うわけではないが、いつも賑わっているのは、地下鉄に直結した地下の木挽町広場。
   昔懐かしい日本の伝統的な店舗が目白押しで、歌舞伎ファン以外の客も結構多く、お祭り気分を味わえるのが良い。
   それに、日本の伝統工芸などそれなりの店が出ていて、面白いものが見つかることもあって楽しい。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
    
   
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国立文楽劇場・・・「冥途の飛脚」

2019年01月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   近松門左衛門の心中物の名作「冥途の飛脚」
   亀屋忠兵衛を玉男が、遊女梅川を清十郎が、丹波屋八右衛門を玉輝が遣い、「封印切りの段」の義太夫と三味線は、呂太夫と宗助、素晴らしい布陣である。
   今回の初春文楽公演の第二部を、この曲と「壇浦兜軍記」とでプログラムを組んだのであるから、非常に楽しみであった。

   東京の女性ファンに聞いたら、心中物は嫌いだとか、じゃらじゃらした舞台は好きではないと言う人が多いのだが、私自身は、元関西人の所為か、好きだと言うほどではないけれど、むしろ、歌舞伎などでも、オドロオドロシイ怪奇モノやアウトローが主役の任侠モノや荒事と言った作品にはそれほど興味がないので、ストーリーがしっかりしていて、人情の機微などを描いた和事の世界の方が性に合っているようである。
   と言うよりも、近松門左衛門の世界に思い入れがあると言うことかも知れない。
   尤も、落語なら、「井戸の茶碗」のように、善人ばかりで悪人が登場しないような作品が好きだが、そうも行かないところが、歌舞伎や文楽の世界である。

   最初に、この文楽の「冥途の飛脚」を観たのは、2002年11月の大阪国立劇場で、次は、2005年5月に国立小劇場で、両方とも、忠兵衛は初代玉男、梅川は簑助で、2005年には、玉男の最晩年に近く、「道行相合かご」では、忠兵衛は勘十郎に代わっていた。
   玉男の人形を最初に観たのは、それより10数年前にロンドンでの「曽根崎心中」であり、日本に帰って1993年以降からであるから、幸いにも、大星由良助など、随分、名場面を観ている。
   その後、玉女の忠兵衛と紋壽の梅川、和生の忠兵衛と勘十郎の梅川、二代目玉男の忠兵衛と清十郎の梅川で、今回は、この最も最近2017年2月のキャストと同じ、玉男と清十郎の舞台である。
   ほかに、別バージョンの「傾城恋飛脚」の「新口村の段 」を観る機会もあった。
   同じ題材をあつかった、しかし、近松とは関係のない興味深い「傾城三度笠」が、1986年1月に、朝日座で公演されたと言う記録があるが、紀海音の作とかで、文学性に欠けるが面白い作品のようである。
   尤も、今日上演されている「冥途の飛脚」も、近松門左衛門のオリジナルからは、大分、改作されてはいるのである。

   この「冥途の飛脚」は、淡路町の段、封印切りの段、道行相合かごの段で形成されているのだが、封印切の段が頂点で、この70分弱の舞台を、語り続ける太夫と三味線の浄瑠璃語りは、大変なもので、今回、呂太夫と富助の熱演は感動的であった。
   以前には、人間国宝の嶋太夫や綱太夫(源太夫)が語っていた。

   今回、橋本治の「浄瑠璃を読もう」の”これはもう「文学」でしかない「冥途の飛脚」”を読んでいて、すこし、「冥途の飛脚」の見方が変わった。

   まず、最初の指摘は、忠兵衛も八右衛門も友人でありながらお互いをよく知らなかった、特に、忠兵衛は、大阪商人のスタイルは知っていても、「自分はなり切った」と思いこんでいた大坂と言う大都会での「一人前の商人としてのあり方」を良く知らなかったと言うこと。
   義母妙閑を安心させるために鬢水入れを50両と見立てて、忠兵衛の窮地を救った八右衛門が、越後屋で、この一件を満座の前でばらして、忠兵衛に恥をかかせて追い詰めたのは、辻褄を合わせた八右衛門が裏切ったのではなく、大坂商人のメンタリティを知らなかった忠兵衛の咎で、近松は、こう言う恐ろしい落とし穴を忠兵衛の前に用意したと言うのである。

   軽い気持ちで、八右衛門に届いた50両を勝手に借用しており、もう、この段階で、御法度の封印を切っており、それに、鷹揚だと思った八右衛門が、金のない、切羽詰まった忠兵衛が差し出した鬢水入れを50両として受け取って急場を救ってくれたので、一件落着と大きな気持ちになってしまって、堂島の屋敷に届けるための300両を懐にして家を出るが、途中で、「行こうか戻ろうか」と迷いながらも、結局、新町の廓へ行ってしまう。
   忠兵衛の窮地を知っている八右衛門が、皆に、忠兵衛を廓に寄せ付けるなと説得しているのを、立ち聞きしていた単細胞の忠兵衛が、友人でありながら自分を裏切って暴露し、男の顔を潰したと言って、雪崩れ込んできて抗弁して、阿呆であるから、後先を考えずに切れてしまって、八右衛門や梅川の説得にも耳を貸さず、奈落へ突き進んでしまうと言うのは、この大坂商人未発達のメンタリティの所為だと言うことであろうか。

   次の封印切りの段の冒頭、「・・・烏がな、浮気烏が月夜も闇も、首尾を求めてな、遭ほう遭ほうとさ」の義太夫、
   近松は、幻影の烏の鳴き声「遭ほう」に引っ掛けて、「阿呆」「阿呆」と鳴かせた、浮っついて廓にやってきた忠兵衛を、突き放したこの冷淡さこそ、主人公忠兵衛に対する近松の愛情である。
   忠兵衛を、「状況の被害者」としてではなく、やがてはそのようなものになってしまう、状況を動かしてゆく普通の人間として、ドラマを淡々と、そして冷淡までの距離を置いて書き進めた、と言うのである。
   「封印切りと言う事件に巻き込まれてしまった忠兵衛と梅川の美しくも哀しい運命劇」ではないのである。

   義理と人情によって調和的に成り立っている世界、現実からはみ出しても不思議がないような人間のあり方を描き出すのがリアリズムであって、近松は、一気呵成に破綻への道を滑り落ちて行く、そうなって行くしかない経緯を冷静かつ明確に記して、終着点は、「なんと哀れな・・・」。
   「なんと愚かな・・・」を「なんと哀れな・・・」の一言に変えるために、近松門左衛門の浄瑠璃は存在している。と言うのである。

   そのような軸線で、この作品を観ると、逆に、梅川の哀れさ悲しさが、新鮮に浮き上がってきて、お涙頂戴の恋愛劇と言う印象よりも、どうしようもない人間の業と言うか、性が見え隠れして、一層、身につまされてくる。
   忠兵衛は、ごく普通に何処にでもいる阿呆な若者に過ぎない、その愚かな、そして、哀れな物語が、この「冥途の飛脚」であると、そのまま、はいそうですかと言えないのだが、そんな視点から、もう一度、近松の「曽根崎心中」や「心中天の網島」などを読み直してみようと思っている。
   義理と人情によって調和が成り立っていた世界からはみ出さざるを得なかった愚かな若い男女が、どんどん奈落の底へ突き進んでいく。そんな逃げ場のない冷淡で厳しい浄瑠璃を近松が描いたために、人気が出ずに、長い間、舞台にかからなかったり、観客迎合型の改作が相次いだと言うことも、分かるような気がしている。
   
   
   
   
   
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国立文楽劇場・・・「壇浦兜軍記」

2019年01月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月の歌舞伎座の玉三郎の「壇浦兜軍記」の感激が冷めやらぬうち、大阪で、文楽の舞台を観ることになった。
   最初に観たのは、簑助の阿古屋で、その時は、勘十郎が左を遣っていたのだが、その後、勘十郎の主遣いの阿古屋を観ており、今回は、2度目の鑑賞である。

   「壇浦兜軍記」は、全五段の浄瑠璃だが、普段は、この第三段目の「琴責めの段」だけしか演じられないので、良く分からないが、悪七兵衛景清のストーリーで、
   屋島での源平合戦での錣引きの遺恨から始まって、東大寺大仏殿再興の落慶法要に、頼朝が来ると言う噂を聞いて、平家一門の敵を討つ好機到来と忍び込むが、政子が代参して果たなかったことから、舞台が展開する。
   その景清の行方を追求すべき、景清と馴染みの傾城阿古屋を詮議するのが、この「阿古屋琴責め」で、その後、捉えられた景清が、牢破りを行い、自ら眼をえぐり取って、阿古屋に手をひかれ杖をつきつつ戻り、頼朝が、景清に、日向勾当の官位を与える。と言う話で終わる。
   この浄瑠璃では、頼朝は、かなり、善人として描かれているのだが、主役の景清にしても、歌舞伎・文楽は勿論、能やその他の古典芸能では、格好のキャラクターで、随分、バリエーションを重ねながら、あっちこっちに登場しており、実像はなへんにあるのか、分からないところが面白い。

   
   ついでながら、この「琴責め」で、岩永左右衛門(文司)が、詮議者の悪役として登場して、秩父重忠(玉助)に嫌がらせをして盾突き、途中浮かれて、阿古屋の胡弓に合わせて、刀を爪弾くと言う、狂言回しを演じているのだが、最後の結末シーンでは、帰ってきた景清を討とうとして逆に殺されると言う冴えない役回りを演じるカリカチュア的な存在ながら、   
   この話の冒頭、根井大夫の娘白梅に横恋慕していて、箕尾谷を娘婿とする根井に、錣引きの当事者である景清と戦った源氏方の美尾谷十郎国俊を臆病者と罵って、東大寺への参詣への出立時に喧嘩する。と言うストーリーからも、景清を憎み通して討とうとする重要な登場人物として描かれているのである。

   さて、最も関心のある三曲、琴、三味線、胡弓の演奏だが、歌舞伎の舞台では、本格的なプロをも凌駕する玉三郎の至芸を聴き見て、魅せて貰った。
   文楽では、この三曲は、前回同様に、寛太郎が弾いた。
   驚嘆すべきは、勘十郎と、左を遣った一輔の指使いが、寛太郎の演奏と殆ど違っておらず、劇場の音響効果も良いのであろうが、実際に人形が弾いているように、正面から聴こえてきて、正に、感動であった。
   もう一つ、歌舞伎の三味線のパートで、ソロの玉三郎のサウンドを、義太夫の三味線が邪魔していた感があったのだが、これは、三味線の共演なので、良かった。

   私自身は、最前列で観ていて、時々、振り返って寛太郎の演奏を観ていたのだが、来月の東京公演では、右正面のやや後方の席なので、もっと、そのコラボレーションが、良く分かるのであろうと思う。

   義太夫は、阿古屋が津駒太夫、重忠が織太夫、岩永が津國太夫、榛沢は小住太夫、水奴は碽太夫、
   三味線は、清助、清志郎、

   先月の歌舞伎の舞台同様に、素晴らしい「琴責め」の文楽を楽しませてもらった。
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国立文楽劇場・・・「伽羅先代萩」

2019年01月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの大阪の文楽公演の鑑賞である。
   やはり、文楽は大阪が本拠で実際の物語の舞台にも近くて雰囲気があり、大阪公演の方が充実しているような感じだし、また、先行する場合が多いので、時々、この劇場で観劇している。
   普通、早朝に羽田を発って、その日、朝昼二部連続で夜まで観劇して、大阪に泊まり、翌朝、京都か奈良の古社寺を散策して、夜の便で鎌倉まで帰ることにしているのである。

   今回の「伽羅先代萩」は、竹の間の段と御殿の段と政岡忠義の段。
   この文楽は、江戸の歌舞伎を文楽バージョンに変えたというから、成り立ちから言っても興味深い。

   「政岡忠義の段」は、急病で休演していた咲太夫が、元気な姿を見せて、燕三の三味線で、感動的な切場を語り切った。
   また、この段だけ登場した簑助の栄御前が、堂々たる貫禄。梶原景時の妻で、頼朝の見舞い菓子を持参したのであるから、陣中の将軍のように大股を開いての着座。
   実子千松(玉翔)が、八汐(勘壽)に嬲り殺しにあっているのに、殆ど表情を変えずに鶴千代(簑太郎)を案じて微動だにしない和生の政岡を、キッとした表情で見据えて対峙する緊張感漲る決定的瞬間の凄さ、そして、微かに浮かぶ微笑。
   栄御前は、「血筋の子の苦しみをなんぼ気強い親々でも、耐えらるるものじゃない。若殿にしておく我が子大事、そなたの顔色変わらぬは取り換え子に相違はない、」と誤解して、自分たちの御家乗っ取りの悪事を、政岡にばらすのである。

   このように、浄瑠璃「伽羅先代萩」では、栄御前が取り替え子を信じるのは、八汐の手下として登場した小槙(簑紫郎 本当は忠臣方に連なる)が栄御前に予め嘘を吹き込んでいたという設定であり、この段の幕切れに小槙が登場しそのことを告げているのである。
   ここで興味深いのは、歌舞伎では、その後、栄御前が、弾正一味の連判の巻物を、政岡に預ける。
   この巻物を、仁木弾正が化けて出てきた鼠に取られて幕切れとなって、次の「床下の段」に続く。

   普通には、何故、栄御前が、この大切な巻物を、政岡に渡すのか、いつも疑問に思っていたので、巻物などが登場せず、政岡が千松の亡骸を抱きしめて必死になって苦悶を掻き口説く断腸の悲痛を、傍らで聞きつけた八汐が、自分たちの悪の巧の妨げとなると政岡に立ち向かうのを、沖の井(文昇)が小槙を証人にして御家乗っ取りの企みを白状せよと迫ったので、切羽詰まって、政岡に切りつけ、逆に殺されてしまう。
   この方が、筋が通っていると思っていたのである。

   最も、鼠が出なければ、「床下の段」はどうなっていたのか。
   讒言によって遠ざけられ、御殿の床下で警護をしていた忠臣・荒獅子男之助が、巻物をくわえた大鼠を足下に踏まえて「ああら怪しやなア」といいつつ登場して、鉄扇で打たれた鼠が逃げ去ったと思ったら、スッポンの煙のなかから、眉間に傷を付け巻物をくわえて印を結んだ仁木弾正が現れる。弾正は巻物を懐にしまうと不敵な笑みを浮かべて去っていく。と言う、歌舞伎では、松本幸四郎の名演技で魅せた超有名な場面が生まれないことになる。

   ほかに、一寸雰囲気が違った感じを受けたのは、千松が奥から出てきて、栄御前が持ってきた菓子を食い散らすのだが、歌舞伎だったら、その直後千松は苦しみだすのだけれど、床本「・・・蹴散らかしたる折は散乱八汐はすかさず千松が首筋片手に引き寄せて懐剣ぐっと突っ込めば ワッとひと声七転八倒・・・」のごとく、千松の苦しみを表現せずに、八汐は千松の首に刃を刺す。
   とにかく、歌舞伎の舞台よりも、何度も何度も繰り返す、政岡への挑発ともいうべき八汐のえげつなくて残酷な殺戮シーンは、人形だからできる芸なのか、異常ともいえる激しさである。

   それだからこそ、千松は、毒入りの菓子を食べ、犬畜生にも匹敵する下賤な悪人の八汐によって目の前でなぶり殺しにされながらも、政岡は平静なまま、涙一つ見せずに耐えて、若殿を守護するのだが、
   そんな気丈夫な政岡でも、一人きりになると、人目を忍びながら号泣を抑えて我が子の亡骸を掻き抱き、よう死んでくれた、でかしたでかしたと国の命運を命にかえたと褒めながら、「三千世界に子を持った親の心はただ一つ、子の可愛さに毒なもの喰うなと言うて叱るのに、毒と見えたら試みて死んでくれと言うような胴慾非道な母親がまたと一人あるものか」と自らを責めつつ深く嘆き悲しむのだが、この断腸の悲痛、遣る瀬ない真情を切々と訴える咲太夫の「クドキ」に合わせて、和生の政岡は、舞うように、あらん限りの表現を駆使して悲しみ苦しみを演じ続けて、感極まっての後ろ振り姿の華麗さ美しさは、泣きたくなるほど感動的であった。

   歌舞伎では、この栄御前登場から始まる「政岡忠義の段」も、「御殿の場」に集約されているのだが、前半の「飯焚き」の場は、下手な舞台だと、冗長すぎて飽きてしまうのだが、なぜか、この文楽では、それほど気にならなかった。
   この段の義太夫と三味線は、千歳太夫と富助、
   竹の間の段は、織太夫と團七

   初春文楽は、名作のオンパレードであったが、まず、この「伽羅先代萩」に感動したのである。
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東寺講堂の御仏たち:天、菩薩、明王、如来

2019年01月23日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   文楽劇場で文楽を鑑賞した翌日、東京への飛行機まで1日時間があったので、いつものように京都へ向かった。
   久しぶりに東寺に出かけて、講堂の不動明王などの鎮座まします仏像群を見に行こうと思った。
   幸いにも、21日であったので、有名な東寺の弘法市の日であったので、それも見たくて幸いであった。

   講堂には、須弥壇中央に、大日如来を中心とする五体の如来像(五仏、五智如来)、向かって右(東方)には金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像(五大菩薩、五菩薩)、向かって左(西方)には不動明王を中心とした五体の明王像(五大明王)が安置されていて、さらに、須弥壇の東端中央にに梵天、左端中央に帝釈天像、須弥壇の四隅には四天王像が安置されている。この整然と安置されている21体の彫像が、仁王経と金剛界法とを融合した羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)を構成していると言われているのである。
   この仏像のうち、大日如来を中心とした五体の如来像と五大菩薩の中尊像は後世の補作だが、ほかの15体は、日本最古の本格的な密教彫像で、空海没後の839年に開眼供養が行われと言う貴重な国宝の仏像である。
   講堂は、何度も焼失しているが、仏像たちは、幸い持ち出しが成功して現存しているのだと言う。

   堂内は、撮影禁止となっているので、インターネットから、写真を借用すると次の通り。
   
   

   講堂諸仏の安置配置図は、NHKの「国宝への旅 ⓶」の資料を借用すると、次の通りで、克明な絵が、ほぼ、仏像の姿を現している。
   

   さて、これらの講堂諸仏は、密教思想によった独特の構成をとっているのだが、姿形も、五大菩薩像は、豊かなボリューム感に張りのある面で固く引き締まった美しい姿態を表現している一方、五大明王や梵天帝釈像は、憤怒の形相や多面広臂や動物に乗っているなど、異常な形態でありながら、まろやかな豊満ともいうべき肉体描写が独特だと言われている。

   当時は、お不動さんとしてもポピュラーだが、不動明王像は、この講堂の五体の明王像の中心を占めて、像そのものも大きくて威圧感がある。
   御影堂に、空海の念持仏とされる不動明王坐像(国宝、9世紀)を安置されているが、秘仏で非公開となっているものの、本体はこちらであろうか。
   法善寺の水かけ不動も不動明王で、これまでに、あっちっこちで、仏像や絵画の不動明王を見てきたのだが、やはり、一番印象的なのは、この東寺の不動明王である。
   能を鑑賞していると、よく、五大明王が登場してくるので、今回は、じっくりと、このインドの仏像を彷彿とさせる明王像を眺めていた。
   この講堂で、1時間以上も仏像を細部まで眺めていたのは、初めてである。

   私が好きなのは、右端の4羽の鵞鳥に支えられた蓮台に乗った4面4臂の梵天、
   左端の白象に左足を踏み上げて乗る帝釈天である。
   両像とも、ほかの像とは雰囲気が全く違っていて、端正で美しい表情をしている。
   この像は、下記の写真の2枚目だが、同じくNHKの国宝の旅の写真を転写借用すると、五大明王などは次の通り。
   上から、不動明王、降三世明王、大威徳明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王、金剛宝菩薩、金剛業菩薩
   
   
   
   
   
   

   この日は、五重塔も内部を公開していたので、見ることができた。
   初層内陣の須弥壇には心柱を中心にして、如来を真ん中にして、両側に菩薩、東西南北4面に、金剛蔵菩薩金剛界四仏像と八大菩薩像を安置してあり、初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像や龍の絵などが描かれていて、色彩が残っている。
   観智院には行ったが、国宝の大師堂と弘法大師像を見過ごして帰ってしまった。
   
   
   
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何回乗っても飛行機は怖いと思う

2019年01月22日 | 生活随想・趣味
   20世紀最高のピアニストと称されていたスヴャトスラフ・リヒテルが、大の飛行機嫌いであることを聞いたことがある。あんなに重い鉄が空を飛ぶはずがないと言うわけである。
   この所為でもなかろうが、亡命を恐れたソ連政府が出国許可を与えたかったこともあって、長い間レコードや噂だけで、自由世界にはお目見えせず、幻のピアニストと呼ばれていた。

   そのことはともかく、私も、随分飛行機に乗ってきたが、やはり、今でも、飛行機に乗ると、途中で、機体が大揺れに揺れると怖い。
   先日も、大阪の国立文楽劇場へ行くために、JAL便で早朝羽田を発ったのだが、雨の大阪に近づき始めると、機体が揺れだして、不安になった。
   昨夜、帰ってきたときには、伊丹空港の上空には、奇麗な満月が皓々と輝いていて、窓から羽田まで、ずっと、そのまま輝き続けていたので、機体が降下して、房総の上空から、右手に、長く伸びた東京湾アクアブリッジの先端に海ほたるの光を、安心して眺めていた。

   さて、私自身、海外に14年在住して、東京本社に居た時も、10年くらいも海外事業の統括を担当していたので、飛行機の乗り降りは、100回や200回では、きかないと思う。
   一番多いのは、EU圏内の移動だが、南北アメリカ、アジア中東など各地に亘っていて、アフリカ以外は、飛行機で飛んでいる。

   比較的頻繁であったのは、ロンドンやアムステルダムと東京との往復であったが、ツンドラが果てしなく続くシベリアなどソ連上空で、機体が、上下左右、大揺れに揺れると、堪らなく不安になった。
   しかし、何故だか分からないが、ヨーロッパに入ると、多少揺れてもそれ程恐怖を感じることはなく、ロンドンからイタリアに入るとき、眼下にアルプスの山並みを見下ろしながら、時には、烈しくアップダウンすることがあったのだが、気にせず、シャッターを押していた。

   恐ろしいと言うか、怖い経験をしたのは、やはり、南米での思い出である。
   サンパウロに4年住んでいたので、当時は、JAL便で、ロサンゼルス、リマ、リオ経由でサンパウロに入るのが、一般的であったが、時には、ニューヨークやマイアミ経由やロンドンなどヨーロッパ経由に代わることがあったが、とにかく、片道2日もかかったのである。

   家族を呼び寄せて、サンパウロへ向かう途中、ニューヨーク経由でリオデジャネイロに向かったので、バミューダトライアングルとして有名な魔の三角海域を通過した。
   ここを通過する船舶や飛行機、そして、乗組員たちが、突如何の痕跡も残さず消息を絶ってしまう海域だと言うことは有名であり、知ってはいたが、PANAM便だから大丈夫だと高を括って乗ったのである。
   運悪く深夜便で真っ暗闇に稲光、機体は大揺れ、
   確か、737の小さな機体で、この時だけは、生きた心地がしなかった。
   随分経って、空が白み始めてきて、眼下に、延々と広がるアマゾンのジャングルを見下ろした時にはほっとした。

   サンパウロを起点に、ウルグアイ以外は、南米の各地を回った。
   頻繁だったのは、パラグアイのアスンション往復。
   このヴァリーグ便は、イグアスの滝経由なのだが、737ながら、イグアスの滝上空では、観光客へのサービスのために、右から左から、セスナ機のように旋回して、至近距離から滝を見せてくれるのである。
   お陰で、乾期雨期、悪魔の喉笛の微妙な変化を写真に収めたのだが、信じられないようなことが起こって、水量豊かなパラナ川の渇水で、殆ど干上がったイグアスの滝の姿も写真に残したものの、膨大な、写真やネガの山の中に埋没、
   今では、歳の所為もあって、整理する気さえおこらない。
   このアクロバットのような飛行をするヴァリーグのパイロットは、非常に優秀なのだが、一度、パイロット間で着地競争をして、コンゴーニャス空港でオーバーランして大事故を起こしたことがある。

   ところで、偶には、敬意を表して、パラグアイ航空の飛行機にも乗ったが、何十年も前に使い古したアメリカの中古の双発機で、がたんと揺れた拍子に、シートの背もたれがガタン、
   パイロットが、空軍兵士だと言うので安心はしていた。

   ボリビアのラパスにも時々行ったが、普段は、デルタ航空だったが、時には、ボリビア航空、
   アメリカ民間会社の中古737で、ウーウーエンジンをふかしながら、低地帯から、一気に、アンデスの雄峰6402メートルのイリマニ山へ上り詰める、
   そんな時には、アンデスの崇高に輝く山並みの美しさが胸に染む。

   美しいと言えば、三浦雄一郎さんが挑んだアコンカグア、チリのサンチャゴからブエノスアイレスに向かう途中に遠望できるのだが、アンデス山脈を降下して行くにつれて、丁度、スペインで見たような、赤茶けて色彩豊かな大地の美しさは、今でも忘れられない。

   アジア方面は、サウジアラビアのリアドから、バンコック、シンガポール、ジャカルタ、時には、シドニーやオークランド、
   台風の上を飛んだこともあるが、ヴェトナム戦争の激戦地ダナンの上空を飛んだ時には、何となく興奮を覚えた。
   飛行機で飛ぶときの楽しみの一つは、地図をなぞれる面白さもあるのだと思う。

   怖くて乗れないと思っていた小型機にも乗ったことがある。
   アトランタで視察のために、6人乗りくらいのプロペラ機、ハワイ島への小型ジエット機、
   ヨーロッパでの移動は、小型機のシティ・ホッパー機が多かった
   それに、ヘリコプターは、ニューヨークからやロンドンからの近場への移動、ジョン・F・ケネディ空港からマンハッタンへ、

   飛行機は、やっぱり、何度乗っても怖いと言う話が、窓から眺める地球の美しさに話が飛んでしまったが、今までに、見知らない国々の上空を飛んでいて、見たことのないような情景に接することができて、非常に面白かったのも事実である。
   怖い怖いと思っても、やはり、高いところから出ないと、美しい地球の姿は、見られないのである。
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真冬の稲村ケ崎に憩う

2019年01月19日 | 鎌倉・湘南日記
   私は、江ノ島に行くよりも、稲村ケ崎に行く方が多い。
   この岬の突端から、江ノ島と富士山が良く見えるからと言うこともあるが、この岬には、色々な歴史が刻まれていて、何となくロマンを感じるからで、岬の突端のベンチに座って、大海原越しに江ノ島と富士を見やりながら、じっとしているのが好きなのである。
   新田義貞が、剣を投じた古戦場であるばかりではなく、フィクションとは言いながら、高師直を討つために、大星由良助たちが、上陸したのも、この稲村ケ崎なのである。
   静が、生れたばかりの義経の忘れ形見を、必死に抱きかかえて離さなかった、その嬰児を取り上げて安達新三郎が打ち捨てた浜辺も、このあたりであったかもしれない。
   
   
   
   

   江ノ島の対岸、砂洲状の江ノ島大橋の付け根に沿って東に腰越海岸が伸びていて、その先に小動岬があって、その山側に満福寺がある。
   義経が、腰越状を書いて必死に願うも、頼朝との対面が許されずに留め置かれたお寺で、鎌倉へは目と鼻の先、
   
   

   腰越から鎌倉に向かう道路に沿って江ノ電が走っていて、鎌倉高校前駅の東詰の踏切の周りに、相変わらず、中国人たちがたくさん集まっている。「SLAM DUNK」(スラムダンク)の聖地だと言うのである。
   私など、アニメには縁がないので知らないのだが、「SLAM DUNK」は、井上雄彦による高校バスケットボールを題材にした少年漫画で、1990年から1996年にかけて『週刊少年ジャンプ』に連載され、90年代にアニメ化されたものだと言う。
   還流ドラマ「冬のソナタ」の故地に、日本の中年婦人たちが殺到したというあれであろうが、ライン川のローレライにしろ、コペンハーゲンの人魚姫にしろ、ブラッセルの小便小僧にしろ、物語は、物語であって、実際に見れば失望するだけだと思うのだが、いつ通っても、この踏切は、中国人(台湾人のようだが)で溢れている。
   観光バスが入れないのであろう、交通は江ノ電だけなので、中国人客で一杯であり、江ノ電もこれにあやかって宣伝に努めているというから、鎌倉観光のモダン化かも知れない。
   
   
   
   
   
   インターネットより借用。

   天気が良くて、波は穏やかだったが、サーフィンや波乗りを楽しむ人たちで賑わっていた。
   
   
   
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国立劇場・・・初春歌舞伎「姫路城音菊礎石」

2019年01月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   正月の国立劇場の歌舞伎は、菊五郎劇団の通し狂言。今回は、並木五瓶の「袖簿播州廻」を、菊五郎と国立劇場とで脚色したとかで、「ひめじじょうおとにきくそのいしずえ」というタイトルであるから、音羽屋菊五郎の歌舞伎である。

   この歌舞伎は、江戸時代、播州姫路城の城主・桃井家が、御家乗っ取りを策する悪者たちに将軍家に献上すべき家宝の香炉を奪われると言う歌舞伎の常套テーマを軸にして、家来印南大蔵(彦三郎)たちに唆されて廓遊びにうつつを抜かして病気と称して将軍への謁見を断っている嫡男陸次郎(梅枝)の締まらない当主がメインで、身請けした傾城尾上(尾上右近)が生んだ国松(寺島和史)への相続というのが筋であるから悪者の暴れ放題で、最後には、追放された前城主の子である印南内膳に対峙されて幕という芝居。
   この忠臣面した家老で、どんでん返しで大悪と化す内膳を演じるのが、菊五郎であるから、貫禄十分、見せて魅せる芝居である。

   姫路城の天守にまつわる怪異物語の歌舞伎は、玉三郎の妖艶なお姫様が、若くて凛々しい鷹匠と恋に落ちる幻想的な物語、泉鏡花の「天守物語」のファンタスティックな舞台を思い出すのだが、この歌舞伎では、お家再興のため、没落した桃井家の後室・碪の前(時蔵)が、荒廃した姫路城で、侍女たちと妖怪姿で現れて、妖怪が出現するという噂を広め、妖怪退治に挑む腕試しにやってきた勇者を味方につけようとするストーリーになっていて、発想がユニークである。
   忠臣を装う家老の印南内膳(菊五郎)に殺されたはずの忠臣主水(松緑)が蘇生して百姓の平作に成り代わって、女房のお辰(菊之助)と力を合わせて、桃井家の遺児たちを悪者から守るのだが、桃井家から以前受けた恩義に報いる与九郎(松緑)・小女郎(菊之助)の夫婦狐の健気な助っ人姿が、白衣の狐衣装で展開されるなど、動物譚を交えた舞台展開が、さらに怪異さを増す。

   この歌舞伎では、菊五郎に伍して舞台を引き締めているのが、颯爽とした侍姿の生田兵庫之介と風格のある碪の前を演じる時蔵で、この舞台でも、菊五郎との相性の良さを示して輝いている。
   それに、桃井修理太夫の楽膳をはじめ、團蔵、萬次郎、権十郎などのベテランが舞台を支えており、花形の菊之助や松緑の、それぞれの個性満開の華麗でエネルギッシュな芸は抜群の冴えで感動的である。
   面白いのは、悪者を演じた飾磨大学の片岡亀蔵のドスの利いた迫力に加えて、大蔵の彦三郎と久住新平の坂東亀蔵の兄弟の性格俳優ぶりを前面に押し出した新鮮な演技が素晴らしい。
   もう一つ、なよなよした締まらない若殿の梅枝は、女形故の会心の舞台で、それに、右近の傾城姿と変身した奥方の美しくて風格のある姿が印象的で、観客を喜ばせていたのが、菊五郎の孫二人、和史と福寿狐の寺島眞秀の達者な可愛い舞台姿である。

   新作ともいうべき舞台で、通し狂言としては、色々な歌舞伎特有の工夫を凝らした見せ場を各所に展開する意欲的な、非常に面白い歌舞伎であるにも拘わらず、やはり、親しみに欠ける所為か、残念ながら空席がかなりあって、大向こうの掛け声も散発であった。
   
   
   
   
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わが庭・・・椿:青いサンゴ礁・タマアメリカーナ咲く

2019年01月17日 | わが庭の歳時記
   まだ、小さな木で、数輪しか蕾をつけていないのだが、神秘的な色彩の花が開き始めた。
   青い雰囲気を出すのは、植え方や日照などにも影響されると言うことだが、赤紫の花弁が、何かの拍子に、ちらりと青みを帯びて見えるのが、それらしい感じである。
   
   
   

   もう一つ、遅れて、玉之浦の子供のタマアメリカーナが、咲き始めた。
   先に咲いていたタマグリッターズや玉ありあけは、まだ咲いているが、今年も、タマカメリーナだけ蕾をつけなかった。
   花芯が、花弁化せずに、蕊が筒状になった華が開けば、種を結ぶ可能性があるので、実生すれば面白い椿が生まれるのではないかと思っている。
   先年、タマグリッターズが、結実したので種を取って実生苗を作ったのだが、咲くかどうか、5~6年、あるいは、それ以上は待たねばならないので、気の長い話である。
   
   
   

   曙が、咲き続けている。
   花弁がか弱いので、奇麗なピンクが、直ぐに傷んで色あせるのが可哀そうである。
   同じピンクの鹿児島紅梅が、大分、開花してきた。
   もう少しすると、大船フラワーセンターの梅園の梅も妍を競うようになろう。
   水戸へは一寸行けそうにないが、今年は、どこか関東の梅園に行きたいと思っている。
   
   
   
   
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久しぶりの東京文化会館でのコンサート

2019年01月16日 | クラシック音楽・オペラ
   15日の東京文化会館でのコンサートは、都響定期公演Aのコンサートで、座席振替制度で、行けなかった12月の公演Cのチケットを振り替えたのである。
   コンサートは、指揮/大野和士、テノール/イアン・ボストリッジ で、
   曲目
ブゾーニ:喜劇序曲 op.38
マーラー:《少年の不思議な角笛》より *
ラインの伝説/魚に説教するパドヴァのアントニウス/死んだ鼓手/少年鼓手/美しいトランペットの鳴り渡るところ
プロコフィエフ:交響曲第6番 変ホ短調 op.111

   ブゾーニとプロコィエフの交響曲第6番は、初めて聞く曲だが、マーラーの「少年の不思議な角笛」は、何回か、ヨーロッパで聴いており、懐かしく聴いていた。
   コンサートは、分かっても分からなくても、雰囲気を楽しみながら、オーケストラのサウンドを直に聞くという楽しみを味わうというのが、私の気持ちなので、まず、満足であった。

   それよりも、この都響のAシリーズのメンバーチケットを持っていた時には、オペラやほかのコンサートなども含めて、この東京文化会館には、随分通い詰めたのだが、最近では、都響では、池袋の東京芸術劇場に行っており、あまり劇場にも行かなくなったので、久しぶりに東京文化会館で、都響を聴いて、急に懐かしくなったのである。
   この劇場は、6角形になっていて、3辺を囲むように客席があって、比較的、欧米のオペラハウスのような形になっているのだが、サントリーホールや東京芸術劇場などは、客席が長くて奥に深い。
   
   私が、最初に2年間、通った劇場は、昔のフィラデルフィア管弦楽団の本拠地アカデミー・オブ・ミュージックであったが、これは、コンサートホールというよりも、ミラノスカラ座に良く似たオペラハウスと言った雰囲気であった。
   大分以前に新しいモダンなコンサートホールに移っているが、昔の劇場は古くて古風な雰囲気が良くて、私は好きであった。
   この劇場で、ジョーン・サザーランドやパバロッティのオペラを観たのである。

   次に印象深い劇場は、アムステルダムのコンセルトヘボウで、この劇場は、ウィーンの楽友協会ホールと同じように、平土間の客席が長方形に長くて、3辺に申し訳程度に2階席が付属しているのだが、音が最も理想的で素晴らしいと言う評判の劇場で、楽友協会は知らないが、コンセルトヘボウは、どこの席からも最高のサウンドを楽しめるというわけで、全席同じ値段だったと記憶している。
   この劇場は、舞台背後のオルガンの左右に、急な長い階段があり、その階段を下りて、指揮者やソリストが登場するのだが、一度、ラローチャが躓いたことがあった。このさらに左右に、サントリーホールのように、階段状の客席があるのだが、一度、内田光子とイングリッシュ・チャンバー・オーケストラのモーツアルトを聴いたのだが、一寸、変わった雰囲気であった。

   ロンドンでは、色々な劇場があって、一番面白いのは、巨大なサーカス劇場を思わせるBBCプロムズで有名なロイヤル・アルバート・ホールだが、私が通っていたのは、ロンドン交響楽団なので、バービカン劇場で、客席は2階が乗った平凡な劇場で、印象に残っているのは、舞台が、客席から見て、非常に低いなあという感じであった。
   この劇場隣接して、RSCのシェイクスピア劇場があって、定期コンサートとシェイクスピア劇が、ダブルブッキングで、適当に、両劇場を移動した苦い思い出もある。

   ついでながら、私の好きな劇場は、ストラトフォード=アポン=エイヴォンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのスワン・シアター (Swan Theatre)。
   外観は、シェイクスピア・メモリアル・シアターがかつてあった場所にあるヴィクトリア朝ゴシック風の建物で、そんなに古くはないのだが、内部は木製で、深い張り出し舞台に天井桟敷がついた観客と舞台の距離が非常に接近したホールに木製のベンチ用の400人くらいの観客のあるこじんまりした、非常にアットホームな雰囲気の劇場で、ここで聴くシェイクスピア戯曲の素晴らしさは格別。
   この楽しみを味わいたくて、ロンドンから深夜を厭わず、田舎道をハイスピードで、何度車を走らせたことか。
   ロンドンの、シェイクスピア時代の劇場を模したグローブ座でのシェイクスピア劇も素晴らしいが、田舎家風の古風な小屋のような雰囲気の劇場で、このような手の届くようなところで味わう臨場感たっぷりの戯曲鑑賞もたまらない魅力である。

   東京文化会館の話が、横道へ飛んでしまったが、ここに記されなかったが、やはり、劇場の劇場たるは、オペラハウスで、そして、ミュージカル劇場の喧騒も忘れ難く・・・
   私にとっては、クラシック音楽を楽しむのも、オペラやミュージカル、シェイクスピアを楽しむのも、劇場の雰囲気あってこその楽しみなのでる。
   
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イアン・ブレマーの「Top Risks for 2019」イノベーション冬の時代

2019年01月15日 | 政治・経済・社会
   昨年は、「Global tech cold war」で、第3位のリスクに上げたが、今回は、第6位で「Innovation winter」。
   グローバルベースで、イノベーションが冬の時代に入ったというのである。

   さて、イノベーションの冬の時代論については、次のような中長期的な観測もある。
   ロバート・ゴードンの論文「Is U.S. Economic Growth Over? Faltering Innovation Confronts the Six Headwinds」を読み、YouTubeでの「イノベーションの死、成長の終わり」を聴いたが、
   今後、イノベーションが推移するとしても、アメリカ経済の成長を阻害する6つの逆風(人口変動、教育、格差、グローバリゼーション、エネルギー/環境、個人と政府の債務、(demography, education, inequality,globalization, energy/environment, and the overhang of consumer and government debt.)が吹き荒れて、1991年から2007年までの平均成長率が2%であったが、ゴードンの推測では、これが、年率0.2%にまでダウンして、産業革命以前の状態に戻る、すなわち、イノベーションに期待できなきなくなるというのである。

   しかし、勿論、ブレマーの「Innovation winter」は、このような経済構造に踏み込んだイノベーション論ではなく、直近の政治経済状況を展望してのイノベーションの将来像で、ニュアンスが全く違っている。

   まず、2018年では、テクノロジー競争は、極端に政治化していたのだが、2019年には、投資家と市場が、その代価を支払わされることになろう。新しく生まれてくるテクノロジーを促進する財政的にも人材的にも投下資本が、政治的に大きく削減されるので、グローバルベースでのイノベーション冬の時代に突入する。というのである。

   このグローバル・テクノロジー危機の大混乱は政治的要因であり、列強国は、
   セキュリティに対しては、国家安全のために必須の分野において外国サプライヤーに対して買収や輸出等露出を抑え、
   プライバシーに関しては、国民のデータの使われ方をもっと厳しく管理し、
   経済面では、海外の既存の市場リーダーに対して、自国のチャンピオン的新興技術開発企業を保護するために障壁を築く
   などを、行うであろう。

   最も直近の危機的な状態は、米中関係である。
   緊張が続けば、先進的な技術開発のキイとなる米中の政策の間のシナジー効果を減殺する。
   すでに、関税が、米国企業に、中国からのサプライチェーンのシフト部門を、東南アジアやラテンアメリカや本国に移し替えることを強いており、このディカップリングが、複雑な最終アセンブリーを含めた米国製品を、政治的に安全な市場へ、差し向けるべく、政治的かつ財政的に圧力がかかっている。

   米中の貿易摩擦、テクノロジーの離婚(?)の影響は甚大で、企業や市場は、資金を引き揚げ、企業は、工場や倉庫のリロケーションなどを、長年築き上げてきた中国に匹敵する熟練労働者や適切なロジスティックのある地域へ移すとなると膨大な金が要るであろうし、米中別々に対応すると、次世代の5Gデータネットワークの構築に至っては、もっともっと、時間と金がかかるであろう。
   
   アメリカにとって、痛し痒しなのは、中国人のSTEM学生や労働者への安全対応であるが、米国ヴィザの制限や禁止を行うと、米国への創造的な才能の流入を阻害することになり、中国の方も、米国経験のエンジニアや企業家の帰還が減って成長にマイナスになるなど、キイ・テクノロジー分野での、予測不可能なさざ波効果を伴ったイノベーション・タレントのパイプラインを破壊する心配が生じる。

   以上が、ブレマーレポートの、全部ではないが、ほぼ主要な見解である。
   
   ブレマーの見解は、アメリカ政府の政策を反映しており、自国のテクノロジーなり先端技術を他国、特に、中国やロシアに漏洩ないし無防備に移転しないために、規制を強化するということが主眼であって、日欧等同盟関係にある諸国は、これに追随するであろうから、そのことが、グローバル経済の趨勢となって、テクノロジー発展のシナジー効果を減殺してその芽を摘む心配があると言うことであろう。
   イノベーション根幹のICとは、インデアンとチャイニーズ、すなわち、アメリカの高度なICTテクノロジーの開発を担っているのは、インド人と中国人と言うことであるから、外国からのアメリカへの科学者や技術者の鎖国政策は、即、アメリカのイノベーションの首を絞める。
   ここでは、米中貿易戦争、特にその影響について、アメリカ企業の中国から退却して他の地域に工場や倉庫等生産拠点をリロケーションするのに膨大な金がかかってイノベーションどころではないと言っているのだが、そんな次元の問題ではないのである。 

   米中の貿易戦争がどうなるか、うまく解決しなければ、世界経済に甚大な影響を与えることは必定で、これに、テクノロジーや先端技術の移動を極端に制限し締め付ければ、ブレマーの説くごとく、イノベーションの冬の時代到来かも知れない。
   しかし、イノベーションは、そんな単純なものでもないので、私は、正しいかどうかは分からないが、ロバート・ゴードンのイノベーションの死の方を心配している。
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ゲーテ著池内紀訳「ファウスト 第二部 」

2019年01月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ファウスト第二部は、第一部とはずいぶん雰囲気が違って、ゲーテ死後翌年に出版されたというから、詩人であり文学者であり、学者であり、政治家でもあった偉大なマルチタレントのゲーテの総決算ともいうべき作品なので、含蓄があって面白い。

   まず、ストーリーを要約すると、次のようになろうか。
   グレートヒェンの処刑で意気消沈したファウストは、皇帝に仕えることとなり、メフィストの助けを借りて国家の経済再建を果たすのだが、皇帝の命令で、黄泉の国から、絶世の美女ヘレナを呼びだし、自ら恋に落ち、触れようとした瞬間、ヘレナは爆発して消える。ファウストは、ヘレナを求めて、人造人間ホムンクルスとメフィストと共にギリシャ神話の世界へと旅立つ。一城の主となっていたファウストは、メフィストの差し金でスパルタから逃れてきたヘレナと結婚し、息子が生まれるが、イカロスのように墜落して死ぬ。彼は冥府から母親であるヘレナを呼びよせたので、ヘレナはファウストの胸の中で消え去る。
ファウストは、名声を挙げて支配権を得て、荒れ狂い人々を苦しめる海をはるか遠くに封じる偉大な事業を成し遂げたいと理想の国家像をメフィストに語る。以前に仕えた皇帝が、反乱で僣主に追放されて、皇帝軍は劣勢であったが、ファウストは、メフィストたちの助力で、巧みな戦術で皇帝を戦勝へと導き、広大な海岸地帯を褒美として貰う。
ファウストは、海を完全に埋め立てて新たな「自由の土地」を開拓するという大事業に邁進するが、そこへ、4人の「灰色の女」が現れ、言うことを聞かないので、灰色の女「憂い」が、呪いの言葉を投げ掛け、吐きかけた息によってファウストは、両眼を失明する。
メフィストと手下の悪魔達が墓穴を掘る音を勘違いして、民衆の弛まぬ鋤鍬の音で理想郷の実現へ邁進していると夢想したファウストは、「時よ止まれ、汝は実に美しい("Verweile doch! Du bist so schön.")」と幸福を予感して、最高の瞬間を味わいながら絶命する。
メフィストは契約通り、自分の勝利と判断して魂を奪おうとすると、合唱しながら天使達が天上より舞い降り、薔薇の花を撒いて悪魔を撃退し、ファウストの魂を昇天させる。山峡にて、天使や聖書の聖人たちが賛歌を唱和する中、マルガレーテ(グレートヒェン)が天上より、ファウストの魂の救済のために聖母に祈りをささげ、ファウストの魂が救済される。

   実在したというファウスト博士は、錬金術師であった。
   水と火、すなわち、水銀と硫黄を合成して金を作り出すというのだが、訳者によると、このファウスト全編に亘って、この錬金術の手法で貫かれているという。
   しかし、この錬金術的マネーの創造は、メフィストの入れ知恵で、国家の地下に埋蔵されている富を担保にして紙幣を刷って、皇帝のサインで信用を保証して流通させて国家財政を賄い、危機に瀕した経済危機を救済するという形で、登場していて、非常に興味深い。
   当時の金融制度なり財政制度が、どうなっていたかは、知識がないので、詳しくは語れないが、フランスで活躍していたジョン・ローを、メフィストに換えて劇にしたと言うから、面白いと思う。
   ジョン・ローは、国有であろうと私有であろうと、銀行資本は、単にそれが所有する貴金属によってのみ表されるのではなく、商取引で手に入れた不動産や、自ら私有している労働力も資本に含めるべきだと考えて、保有金以上に紙幣を発行しても正当であるとしていたと言うのだが、破綻したのは、時代を先んじていただけの話である。
   信用創造そのものは勿論、近年の連銀や日銀などが紙幣を刷って(?)の財政出動などを考えれば、何が、マネーの裏付けになっているのか、素人には想像の域を超えていて、まさに、今様錬金術である。

   ファウスト全編を流れているのは、ドイツ流のゲルマン的な話題ではなく、ギリシャやローマの文化や歴史、神話や古典で貫かれていて、神聖ローマ帝国の皇帝の宮殿でも、ローマの謝肉祭を思わせる仮面舞踏会が描かれており、次いで、古典ギリシャのパリスとヘレナを主要人物として登場させて、ヘレナは、ファウストが恋焦がれて結婚し子供まで成すという興味深い話に設えている。
   再び登場したワルプルギスの夜や、エーゲ海の岩礁の入り江で、ホムンクルスが海豚の背中に乗るシーンなど、まさに、ギリシャローマの世界。
   ラストの、メフィストたち悪魔をしり目に、ファウストを天に導いて、昇天する天国の情景描写などは、暗いゲルマンの雰囲気ではなく、明るくて透明なラテンの世界であろう。

   ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」をプラドで見て、胴体が卵の殻になっている男性、人間を丸呑みにしては、すぐ排泄してしまう怪鳥など、それに、無数の裸の男女が様々な快楽に耽っている様が描かれたシーンなど、何とも説明のしようのない、あの独特の幻想的で怪異な絵にびっくりしたのだが、元々、聖書に基づく寓話を絵にした作品だというから、このファウストでも、メフィストたちやその仲間の描写などで、頻繁に表れており、ヨーロッパでは、共有されていた価値観だということであろう。この本には、山本容子の銅版画がたくさん掲載されていて、ボスとは言わないまでも、かなり、寓意的にデフォルメされたた絵が、非常に面白い。
   しかし、文化伝統、宗教観の違いなどで、日本の寺社などに伝承されている地獄絵などと大きく違っているのが興味深かった。

   さて、ゲーテは、この「ファウスト」で、何を描きたかったのか。
   やはり、ダンテの「神曲」に似た世界観を感じて面白かった。

   ダンテの場合には、成功であった政治家としての時代が短くて、その方面の描写は中途半端であったが、ゲーテは、ワイマールで長く政治に携わって宰相にまで上り詰めて貴族に列せられている成功者でもあったので、冒頭では国家の財政再建を描き、最後には、簡略だが、国家の理想像を描いていて、興味深いと思った。
   
   女性関係では、舞踏会で出会った19歳の少女シャルロッテ・ブッフへの熱烈な恋を題材にしたヴェッツラーの思い出が、「若きウェルテルの悩み」として結実したようだが、ワイマール時代では、7歳年上で7人の子持ちのシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との恋愛や、晩年、クリスティアーネ・ヴルピウスという23歳の女性を内縁の妻にするなど、ダンテよりは、もう少し、俗っぽいところが面白い。
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わが庭・・・椿:荒獅子咲く

2019年01月11日 | わが庭の歳時記
   荒獅子(アラジン)は、濃紅色で獅子咲の大輪で、確かに、初春の獅子舞いの獅子を思わせる厳ついがしかし風格のある椿である。
   獅子咲きは、花芯で大小不規則な弁化した花弁が盛り上がって、その間に雄しべが見え隠れするような咲き方で、安達瞳子さんの本では、宝珠咲と牡丹咲との中間である。
   普通の荒獅子は、濃い紅色地に白い斑の入る獅子咲きで、私の花のような紅一色の椿は、紅荒獅子(ベニアラジシ)と言うようである。
   東北から北陸にかけての日本海側で咲く雪椿の園芸種だということだが、雪に埋もれて顔を覗かせる風情は絵になるのであろう。
   大きくなると、残暑の厳しい初秋から春まで咲くとかで、珍しく息の長い椿で、江戸時代から伝わる古い椿だという。
   
   
   

   
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