熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

地球温暖化はクリアできる・・・マット・リドレー

2014年03月31日 | 地球温暖化・環境問題
    横浜市で開かれた国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)総会で、地球温暖化に関する最新の報告として、地球温暖化は「すべての大陸と海洋で影響を与えている」と強調、温暖化のリスクとして、熱波による死者や病気の増加など、海面上昇や高潮による被害で移住を迫られる住民の増加や大都市での洪水のリスクの上昇、気温上昇や干ばつによる穀物生産への影響が大きいと考えられるリスク等を明示し、世界経済への損失については「収入の0.2~2.0%」との推計結果を盛り込むなど警鐘を鳴らしている。

   ところで、先日、ブックレビューしたマット・リドレーの「繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史」では、本のタイトル「Rational Optimist 合理的楽観主義者」の面目躍如で、人類の歴史は、紆余曲折はあっても、進歩と繁栄であるから、地球温暖化や気候変動などによる悲劇は、クリアできると説かれている。
   この本が、総ての悲観主義を論破すべく論陣を張った、FTのベスト・ビジネス本で、英米でも脚光を浴びたベストセラー だと言うから、私など、IPCCの見解の方が正しいと思っており、人類の終末論が見え隠れする悲観論に偏っている方なので、どう考えたらよいのか(何故、この本を識者が高く評価するのか)、非常に疑問でもあり悩むところである。

   この本では、リドレー流に個々の事例毎に、詳しく反論を展開しているのだが、詳論は避けて、リドレーの結論だけに絞れば、ローマクラブの「成長の限界」も、マルサスも、テクノロジーの変化の速度と大きさ、すなわち、世界を再配列する一連の新しいレシピを過小評価しているからで、
   地球上に残された石油の量、世界の農場総てを合わせた生産能力、更には、生物圏の回復能力ですら、固定された数字ではない。それは、人間の発明の才と自然の制約が絶間なく相互に働きかけることによって生成される、動的な変数なのだ。と言うことである。

   石炭がなければ、イギリスで産業革命が起こらなかったし、人類の繁栄に対する電気の貢献はいくら強調しても足りないし、20世紀の繁栄は石油が支えてきたのだが、これら化石燃料を活用したエネルギー技術の進化発展のお蔭で、地表の多くが産業化から免れて、自然環境がより自然のままに維持保全されてきたのだ。と言う逆転の発想とも言うべきリドレーの見解が、非常に興味深い。
   アメリカの人口3億人に現在の需要エネルギーを供給しようと思えば、再生可能エネルギーなら、
   スペインの広さのソーラパネル
   または、カザフスタンの広さの風力発電基地
   または、インドとパキスタンの広さの森林
   または、・・・   必要だが、
   実際は、一連の火力・原子力発電と一握りの製油所および天然ガスパイプラインが、ほぼすべての現在アメリカ人のエネルギーを供給している。と言うのである。
   土地をむさぼり食うモンスターのような再生可能エネルギーを、「地球に優しい」だの、人道的だの、クリーンだのと呼ぶのは、奇妙だとまで言う。

   FUKUSHIMAの原発事故で、一気に、反原子力発電への運動が加速し、地球温暖化への対応で、化石燃料への依存から脱却するために、再生可能エネルギーへの期待が大きいのだが、リドレーの言うように、風力発電機が海岸線の景観を害し、ソーラーパネルが広大な面積の地表を覆い、食糧用の農地を圧迫してエタノール用の農地が拡大し、・・・等々、確かに地球環境に負荷をかけつつあることは事実であろう。
   しかし、善意に解釈すれば、あるいは、イノベーションに全幅の信頼を置くリドレー説に従えば、いずれは、再生可能エネルギー産出へのイノベーションが生み出されることによって解決可能である筈である。

   余談だが、アベノミクスがどうかと言うことは別にして、景気は、「気」のものである要素が強く、経済は感情で動くとする行動経済学が説く如く、長い間停滞していた日本経済が、日本人の気持ちが上向き加減に向き始めた所為もあって、少しずつ、上昇気流に乗りつつあるような気がしている。
   リドレー説は、謂わば、元気印の未来の預言書、悲観論ではなく、無理にでも、前向きに、人類の未来を展望したいものである。

(追記)
   このリドレーの「繁栄」だが、下記の書評の如く、楽観論に終始しているが、非常に示唆に富んだ貴重な本で、一読に値すると思う。
“A fast-moving, intelligent description of why human life has so consistently improved over the course of history, and a wonderful overview of how human civilizations move forward.” (John Tierney, New York Times)

“The Rational Optimist will give a reader solid reasons for believing that the human species will overcome its economic, political and environmental woes during this century.” (Fort Worth Star-Telegram)
 
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鎌倉を歩く:源氏山から東慶寺・円覚寺

2014年03月30日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   まだ、桜には早いが、陽気に誘われて、何時ものように、佐助から源氏山に上って、山道を北鎌倉に下った。
   化粧坂を一気に駆け下りて、景清の土牢を経て海臧寺に向かおうかと思ったのだが、時間的に余裕がなかったので、浄智寺から北鎌倉に下りた。

   源氏山のソメイヨシノは、まだ、ほんのちらほらで、彼岸桜など早咲きの桜が咲いている程度で、咲き乱れているのは椿で、あっちこっちで落ち椿が地面を染めていた。
   葛原岡神社の前の公園には、銭洗弁天や北鎌倉から上って来たハイキング客が憩っていたが、この神社は縁結びの神でもあるとかで、録音テープの祝詞サウンドに誘われてか、若い人が、結構、おみくじ売り場に来て居るのが興味深かった。
   
   
   

   化粧坂の急斜面は、非常に険しいのだが、浄智寺へのハイキングコースはかなり楽なもののの、踏み分け道なので、ところどころ、危ないところもあり、雨後などには注意を要し、私のように、ジャケット姿で革靴の老人には、似つかわしくはないのだが、北鎌倉から上って来て、源氏山と銭洗弁天経由で長谷寺方面へ歩いて行く年配の人も多いようで、恰好のハイキングコースなのかも知れない。
   この季節は、林間に鳴くウグイスの澄んだ鳴き声が爽やかで、それに、枝を駆け抜けるリスが可愛い。

   浄智寺は、かなり混んでいたので、門前を横切って、東慶寺に向かった。
   この寺の優しい雰囲気が好きで、何かは考えずに、その時に咲いている花の風情を感じたくて、北鎌倉に来ると必ず訪れるのだが、ほんの数十分間、境内を歩くことにしている。
   この寺には梅の古木が多いので、是非、梅の季節に来たいと思っているのだが、まだ、機会がない。
   今は、ミツマタと白モクレンが鮮やかで、彼岸直後なので、墓地の献花が墓地を荘厳している。
   英文観光案内に紹介されているのであろうか、外人観光客が多く、良く分からない被写体にカメラを向けているのが面白い。
   
   
   
   
   
   

   明月院に行こうと思ったが、東慶寺の花が知れていたので、久しぶりに、対岸に見えている円覚寺を訪れることにした。
   総門を入って、巨大な山門や仏殿を右に見て、なだらかに上って行く参道を、一番奥の黄梅院まで歩いて行くのが好きで、広々とした石畳の道が、塔頭や木々の植栽の間を通り抜けて狭い石段に変わって行くアプローチが心地よく、黄梅院のイングリッシュガーデンにも似た自然の雰囲気の濃厚な庭に入るとほっとするのである。
   閻魔堂で、弓道を古式に則ってか厳かに行われていたので、見学していた。
   仏殿の龍の天井画が面白い。
   国宝の舎利殿は、何時もの如く、門前で写真を撮るでけだが、日本史の教科書での定番。
   黄梅院の庭に置かれた雨ざらしの木製の素朴な仏像が面白い。
   
   
   
     

   帰りに、山門の南側の急な134段の階段を上って、弁天堂の隣の国宝の鐘楼まで上った。
   ここには茶店まであるのだが、高台なので、対岸に、東慶寺が一望でき、天気の良い日には、右手の山の切れ目から富士山が遠望できると言う。
   
   
   

   北鎌倉からJRに乗って鎌倉に向かった。
   桜の時期にはまだ早いにも拘わらず、駅前など大変な人出で、小町通りなど歩くのが大変で、これから、桜が咲き、アジサイなど春の花が咲き乱れるとどうなるのか、観光シーズンの到来が、もうすぐであるのだが。
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ベビーシッター雑感

2014年03月28日 | 政治・経済・社会
   藤井彰夫著「イエレンのFRB」で、イエレン・アカロフ夫妻の逸話として、息子ロバートのベビーシッターを雇う際に、普通の相場より高い料金を支払ったと紹介している。
   その理由は、高い料金を払えば良いサービスを受けられるだろうと考えたからだが、これが評判になり、ベビーシッター希望者が2人のもとに殺到したと言うのである。

   流石に、ノーベル賞学者とFRB議長と言う経済学者夫妻で、不況期でも何故賃金は下がらないか、賃金を大幅に下げないのは、ある程度の賃金を払う方が労働者にモラルを齎すと考えて、「賃金の下方硬直性」をベビーシッターに応用したのである。

   我々にも、イギリスでだが、ベビーシッターにお世話になった経験がある。
   私自身が直接関わったわけではないので、詳細は定かではないが、記憶に頼りながら、記して見たい。

   両親など家族が外出して、12歳以下の子供を留守に残す場合には、必ず、ベビーシッターを置かなければならない規定であった。
   我々の場合には、結構、イギリス人などとの業務上の付き合いがあって、夫婦揃って、パーティーや晩餐会、観劇などで出かけなければならないことが多くて、夜間の数時間、ベニーシッターにお願いすることがあった。
   
   どのように、信頼の置けるベビーシッターを探して依頼するのかだが、幸い、小学生の娘の日本人学校の親子の付き合いが密で、先輩駐在の日本大使館員の夫人たちから、身元確かな大学生(女性)などのベビーシッターを紹介して貰って頼んでいた。
   自宅へ来て貰ってのベビーシッターなので、勿論、必要なら送り迎えを行ったし、夕食も用意して、娘は自分自身で勉強するなり遊んでいたので、側にいるだけで、自由に過ごしてもらうだけで良かった。
   本人には、一切の負担なく、既定の日本人レートのフィーを払っていたので、私たちの場合には、全く問題なく、安心して任せることが出来た。

   偶々、日中、僅かな時間だから良かろうと思って、子供を残して外出した日本人家族が、隣の住人から、警察に通報されて、きつくお灸をすえられたと言う話もあり、いずれにしろ、幼い子供を家に残して、外出することは許されなかったのである。
   尤も、面白いのは、13歳になれば、逆に、ベビーシッターが出来ると言うのが、如何にも、イギリスらしいところである。

   ところで、イエレン・アカロフ論に戻る。
   少子高齢化で、厚生福祉関係の業務が、極めて重要性を帯び、大切な事業になっているにも拘わらず、非常に待遇上問題があるので、人手不足や労働環境の不備などで、事故も多く不祥事が続くなど、多くの問題を抱えている。
   門外漢なので、まともな議論は出来ないのだが、業務の質とサービスの向上を図る為には、抜本的な、労働環境と賃金など待遇のアップ向上が、必須ではなかろうか。
   特に、国家や公的機関などが認定した有資格者には、仕事に見合った誇りを持てるような待遇を与えて、業務そのもののレベルアップを図ることこそが、大切ではないかと思っている。
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山田洋次監督「キネマの天地」を久しぶりに見て

2014年03月26日 | 映画
   先日、WOWOWで、山田洋次監督の「キネマの天地」を見た。
   1986年制作だから、劇場では見ておらず、確か、8ミリビデオを買って帰って、赴任先のロンドンで見た。
   山田監督のファンでもあったので、寅さん映画のビデオも、殆ど持ち帰っていたのだが、松竹の撮影所が、1936年に大船に移転する直前の1934年頃の松竹蒲田撮影所が舞台であると言うから、映画勃興期の戦前の日本風景や人物模様が見られると思って、非常に楽しみであった。

   僅かなシーンしか覚えていなかったのだが、今見ても、内容のある素晴らしい映画賛歌の作品で、自分自身の若かりし頃の思い出を反芻しながら、懐かしく見た。
   尤も、舞台は、私自身が生まれる以前の世界なので、懐かしさもない筈だが、あの人情豊かな古き良き日本の風物や人生模様は、まだまだ、私の若い頃には残っていたのである。
   時代を色濃く反映しているのは、思想犯とそれを追う刑事、そして、それを匿った田中小春(有森也実)に思いを寄せる後輩の島田健二郎助監督(中井貴一)が牢へ打ち込まれることくらいであろうか。
   コメディ俳優のマルクス兄弟の本を見て、マルクスを読んでいると言う刑事の財津一郎のギャグが世相を表していて面白い。

   この映画は、主役の田中小春のモデルは、田中絹代のようで、父親を演じる渥美清が、しがない馬の脚芸人のほろ苦い過去を背負いながら、必死になって娘を思いながら病苦に耐えている姿が、寅さんの世界とは、また違った味を出していて、感動的である。
   岡田嘉子をモデルにした川島澄江(松坂慶子)がシベリアへの逃避行で、穴の開いた「浮草」の主役に小春が抜擢されるのだが、駆け落ちを促されて断わる決定的なシーンで、ダメ出しの連続で絶望する小春。
   意気消沈して帰って来た小春に、父・喜八は一座の看板女優だった母との恋愛話を語って励ます。
   父が、結婚話を持ち掛けると、身籠っていた母が、断った時の様子を語り、実の子ではないことを明かしてしまうのだが、
   その示唆でインスピレーションを得た演技で撮影は成功し、映画は大人気を収める。

   この映画の封切日に、見に来た父・喜八は、銀幕の娘の映像を殆ど見ることなく、隣席のゆきの肩に頭を垂れて逝く。
   ラストシーンは、「蒲田まつり」で蒲田行進曲を歌っている小春を見ながら、島田から喜八の訃報を受けた小倉監督(すまけい)が、「娘の晴れ姿を見ながら死んだか、旅役者のおとっつぁんは」。
   影に日向に、小春を温かく見守る中井貴一とすまけいの演技が冴えている。

   新人女優の有森は、素人ぽさが残っていて初々しさが魅力だが、父の渥美清と、思いを寄せる隣家のおかみさん・ゆき(倍賞千恵子)が、実にしみじみとした滋味に溢れたサポートをしていて、また、その家族が、前田吟と吉岡秀隆と言う寅さん映画と同じなのが良い。
   尤も、この映画には、寅さん映画は勿論のこと、山田洋次監督映画の常連が目白押しで登場している。

   最近、落語に良く行くようになって、山田監督が、子供の頃満州で楽しみながら聞いていたと言う話が、良く分かるような気がして、寅さんもそうだが、実に、渥美清の話術の冴えが、抜群なのに感激している。
   それに、今回の脚本は、井上ひさし、山田太一、山田洋次、朝間義隆と言うことであるから、ストーリーの豊かさ味わいは格別である。

   この映画は、やはり、撮影所の映画つくりの現場の描写が実に興味深いし、それに、城戸四郎がモデルだと言う城田所長(松本幸四郎)や芸達者な監督たちの会話などが、実に、面白く、中小企業のものづくりを彷彿とさせて、飽きさせない。
   幸四郎の軽妙洒脱でスピード感のある所長役は、適役で、小使トモさんの笠智衆もほのぼのとした味を出していて実に良い。

   深作欣二の「蒲田行進曲」も面白かったが、この「キネマの天地」のしみじみとした人情味豊かな人間模様を描いた映画の感動は、捨てがたいし、当時の日本の文化史の一面を描写していて、記録としても貴重であると思う。
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町内会での住居表示論争

2014年03月24日 | 生活随想・趣味
   千葉から鎌倉に移転して来たので、新しい住環境がどういうものか、雰囲気などを知りたくて、町内会の総会に出てみた。
   私自身、前に、町内会の副会長を務めたことがあるので、多少、興味を持って、色々な話を辛抱して聞いていたのだが、何処も同じだと言う印象が強かった。

   出席者は、住人の10%以下なのだが、出ている人の大半は、新旧やそれ以前の役員経験者や、とにかく、このような会合が好きな世話好きな人であったり、一言言いたいと言った御仁であって、義理で出てくるような人もいないので、結構、議論が弾む。

   これまでの経緯や町内会の歴史を知らないので、あまりよく分からない話もあったが、面白かったのは、住居表示を実施するかどうかで、今頃論争していることである。
   30数年前に開発された住宅地でありながら、住居表示を実施せずに来たので、○○丁目と言う表示ではなく、旧町名の地番がそのまま街区の住所になっていて、不都合だと言うことで、もう少し気の利いた町名に代えたいと言う思惑もあるのであろう。
   以前に、住民のアンケートを取ったら、賛成が過半数に達せず、鎌倉市も熱心でなかったので、頓挫したと言うのである。
   老齢化の影響もあるのだろうが、特に不都合を感じている訳ではないし、今更、住居表示が変われば、連絡や諸手続等面倒で煩わしいと言う思いがあって、無関心な人が多いのであろうが、若くて元気な新役員が、実施に頑張ると息巻いていた。

   ウイキペディアによると、日本の住居表示は1962年5月10日に施行された住居表示に関する法律に基づいており、町をわかりやすくしたり、郵便物を配達しやすくすることを目的にした制度である。と言うことであるが、これは、日本の住所表示が、面で表示する街区方式を取っているためで、欧米やかっての中国のような道路方式だと、こういう問題は起こらない。
   道路方式だと、典型的な場合には、まず、道路名があって、シティ・ホールに近いところから、道路の一方は基数、反対側は偶数で、順番に番号が打たれて、交差点で道を跨ぐと、次から101番台から数字を打つと言った調子で、道路名さえ分かれば、住所はすぐに分かる。
   ところが、日本では、どうも、住居や建物が建ったところから番地を打って来たようで、一番地の横に十三番地があったりすると言う、面での住居表示の弊害が出て来て、全く、分かり難い。
   今では、グーグルアースのお蔭もあり、番地を打てば住所が分かるが、私の学生の頃には、家を探すのが大変であった。
   

   ところで、日本の新しい住居表示が良いのかどうかだが、前の千葉の住所は新しい住居表示で、○○丁目○○番地○○号であったが、40番地もあって、道を聞かれても、どこが何番地か分からなくて困ったことがあった。
   欧米流の道路方式のように、1、100、200、と言った調子で、シティ・ホールから連番で住居表示がなされておれば良く分かるのだが、面で、40番地も左右に分散されれば、13番地がどこにあるのか分かるわけがないのである。
   それに、日本には、大都会はともかく、地方や田舎には、路上に住居地図がないので、住所探しが大変である。

   もう、何十年も前になるのだが、サウジ・アラビアに行った時に驚いたのだが、どうも、道路名などなかったようで、日本のように面で住所を考えていたのではないかと思った。
   いずれにしろ、住所がないので、郵便はすべて私書箱で、実際には、何処に所在するのか分からないのである。
   乗らなかったのだが、タクシーに乗ると、目ぼしい建物やモニュメントを目当てに道を示すのだと友人は言っていたが、遊牧民のベドウィン民族には、移動が当然であったから、住所などと言う認識は希薄なのであろうと、かってに考えていたのだが、文化の違いは面白い。
   

   今では、日本でも、殆どの道に名前が付けられているのだが、道の文化の欧米やスケールの大きな都市計画で条里制をひいた中国と違って、自分たちの領域だけに道をひいて住居や城を構えながら面で領域を広げて行った日本の文化の特異性と言うのは、大変興味深いと思っている。
   非常に錯綜していて合理的ではなくてコントロールが難しいのだが、このあたりの発想の違いが、日本の製造業の擦り合わせの文化を生み、非常に芸術性の高い匠の技を生み出して来たのではないかと、思ったりしている。
   
   私自身は、日本の場合には、いくら、住居表示を実施しても、一列に番号を打てるならいざ知らず、右へ曲がったり時計回りに回ったりして番号を打つ限り、多少は分かり易くなったとしても、やはり、道路方式には叶わないと思っている。
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角田光代著「曽根崎心中」

2014年03月23日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」に想を得て、角田光代が、独特な曽根崎心中を紡ぎ上げた。
   主人公のお初の立場から、現在人の感覚を前面に押し出しながら、江戸時代の苦界に生きる遊女の、あまりにも切なくて悲しい儚い人生を活写していて、胸を打つ。

   内本町の醤油商平野屋の手代の徳兵衛と堂島新地の天満屋の遊女お初が、曽根崎天神の森で、心中を遂げる事件が起こった
   徳兵衛は主人から妻の姪と夫婦になれと強いられ、江戸に出されることになっており、お初も身請け話が進んでいたので、相思相愛の徳兵衛とお初は、義理と愛情のはざまに追い詰められて、死を選んだのである。
   この事件に触発された近松門左衛門が、事件記者よろしく取材して、この事件を踏襲しながら、更に、徳兵衛の友人・九平次を悪人として登場させて、金を借りながら、自分の印判を盗んで証文をでっち上げたと踏み倒して、罪人扱いに祭挙げられた徳兵衛が、切羽詰って、お初を道連れに心中すると言う浄瑠璃を書いた。
   まず、文楽で一世を風靡して、更に、歌舞伎にも舞台化された。

   この近松門左衛門の原作を、「愛し方も、死に方も、自分で決める」強くて健気な大坂女のお初を、主人公にして、男と女の究極の恋を、豊かな発想を加えながら、現在に甦らせたのが、角田バージョンの曽根崎心中で、女性の立場から描いているので、近松とは違ったストリー展開が、非常に面白い。
   私の場合には、近松の原文を読む前に、何度も、文楽や歌舞伎の「曽根崎心中」の舞台を観ているので、その方の印象が強いのだが、小説になると、同じ筋書に近い物語でも、印象が全く違って来るのが興味深い。

   舞台では省略される上之巻の「大坂三十三所観音回り」の部分が、この小説では、詳細に描かれていて、幸せになりたいお初の希いが導入部に花を添えて、舞台の冒頭になる生玉神社境内の徳兵衛との出会いまで、かなり間がある。
   また、お初の島原や堂島新地での生活や生き様や遊女たちとの交わりやお初の心境などについて紙幅を割いていて、舞台の名場面となっている冒頭の徳兵衛がお初に結婚話を蹴った説明のシーンや、大坂堂島新地天満屋の段で、九平次が、言いたい放題で徳兵衛を詰って、徳兵衛が縁下でお初の足を握り地団太踏むシーンや、夜陰に紛れて逃げ出す場面など、芝居でおなじみのストーリーは、極めて、簡潔に飛ばしているのが面白い。

   お初が、何故、島原から、最も身分の低い堂島新地へ格下げになって移ったのかについて、角田は、島原で天神の青柳の禿をしていた時に、青柳が囲炉裏の鍔薬缶を取ろうとして手を滑らせて熱い薬缶がそばで正座していたお初の腿に落ちて、内股に大火傷を負って疵物になったからだとしている。
   この焼け爛れた傷口を客に見せないように必死にカバーするも、徳兵衛には、そのままを見せて、お初の愛情の証としているのだが、この事件は、花魁の地位をお初に取られるのを嫌って、青柳がワザとしたと言う同輩のコメントが面白い。

   もう一つ、角田の発想で興味深いと思ったのは、曽根崎の天神の森へ向かう道行の途中で、お初が、もしや、嘘をついているのは九平次ではなく、徳兵衛だと言うことは本当にないだろうか、と言う気持ちになることである。
   徳兵衛を苛め抜いて育てた業突く張りの在所の継母が、結婚承諾金として濡れ手に粟で手に入れた二貫もの大金を近所の人の説得だけで返すであろうか?、12年もの間音信不通で帰って来なかった徳兵衛の頼みを、近所の人が、おいそれと聞いて、継母を説得してくれたのだろうか?
   本当は、継母から銀を返してもらえず、何とか銀を作るために、九平次の判子を盗み手形をつくり返せとにじり寄った・・・

   それだとしても、わたしはこの人とともに旅立つことを選ぶだろう。
   「そうやった、徳さま、あてらに帰るところなんてもうあらしまへん」
   初は言い、そうして徳兵衛の手を握ったまま、(黒い塊の天神の森へ向かって)走り出す。   

   恋することの幸せに巡り合えて人生の頂点に上り詰めた遊女たちのこの幸せは、本当なのだろうか、
   また、あの世を信じるのか信じないのか、信じたとしても、どのようにしてあの世で相手を見つけ出すのか、お初の必死の思いが、徳兵衛や人々との葛藤の中で、目まぐるしく頭をかすめて行く。
   追い詰めらて、一直線に天神の森を目指して落ちて行くお初と徳兵衛の物語が、何故、胸を打つのか。
   永遠のテーマかも知れない。
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ふっと、老いを感じる時

2014年03月22日 | 生活随想・趣味
   若いつもりでいても、ふと、何かの時に、若い時とは違うと言う気持ちが、脳裏を横切ることがある。
   大概は、体の変調である。

   老いの兆候の現れは、歯目足と言うのだが、先日、意識したのは足の衰えである。
   急に、足がひきつった感じがして、その後、暫くの間、足が萎えたような感じで、歩くのが苦しくて億劫になってきた。
   丁度、散歩だけでは、健康を保つにも問題があると思って、趣味と実益を兼ねて、電動自転車を買って、カメラを携えて、あっちこっち、少し足を伸ばそうと思っていた矢先である。
   近くの自転車店に行って、試乗を試みたのだが、昔のように、足が敏捷に動かなくて、不安になってしまった。
   結局、良く分からないうちに、多少、フットワークが悪くなったかなあと思う程度で、元に戻ったが、足の衰えは、避けがたいような気がした。
   階段なども、上げた筈の足が十分でなくてつんのめることがあるのも、その所為かも知れない。

   もう一つは、歯の方で、長い間、虫歯とは殆ど縁がなかったのだが、先日、何時の間にか奥歯に穴が空いているのに気付いて愕然とした。
   32本あった歯の4番目の補修で、上に義歯を被せるようで、歯科に通っている。

   目の方は、ブルーベリー愛用のお蔭か、問題なく、読書には、今のところ一切不自由はない。
   問題と言えば、何かの拍子に、近くを見るためにメガネを外した時に、メガネがなくてもそれ程不自由がないので、置き忘れて、何処に置いたか探すのに苦労することがあるくらいである。

   
   いずれにしろ、同年の友人たちと話している限りにおいては、それ程、歯と目については、遜色ないようなので、安心している。
   先日、CT検査を実施して、全く問題なかったので、当分は、健康上大丈夫なようで、これも、ほっとしている。

   不思議にも、歳を取ると、指の指紋が薄くなって消えて行くのに気付いた。
   昔、簡単にできていた、紙縒りを織り辛くなって感づいたのだが、同時に、握力が弱くなってきたのか、持ったはずのものを落としたりすることが多くなった。

   ところで、意識の方は、これとは逆に、何故か、若い時には、無我夢中で生きていた感じなので、じっくりと人生を噛みしめながら生活する余裕がなかった所為か、老年に達してからの方が、冴えているような気がしている。
   向上意欲も、知りたい勉強したい美しいものに接したいと言う気持ちは、はるかに、高揚している感じで、寸暇を惜しんで、新しいものに接しようと挑戦を続けている。

   恐らく、人を想う気持ちも、衰えることはないであろうし、どんどん、湧き上がってくる生きがいを完遂したいと言う気持ちが高揚すればするほど、残された時間が、惜しくて惜しくて仕方がなくなる。

   尤も、いくら向上意欲があっても、世間から引退して関わりを持たなくなってしまった今では、所詮、自己満足であって、何にも役に立たない。
   それでも、そのような生き方をして生きたい、絶えず、向上し続けようと思って生きている、そんな自分でいたいと言う気持ちである。

   何故だか良く分からないのだが、歳を取る、人生において年輪を重ねる、と言うことは、それ程、悪いものではないと言う気持ちになっている。
   無機の原子や分子などが集まって自分と言う人間が生まれ出でて、自分と言う意識を持って生きていると言う、奇跡中の奇跡。
   「我思う、ゆえに我あり」と言うような難しいことではなく、自分と言う意識を持った人間が生まれ出でて、現に、生きていると言うことが不思議で不思議で仕方なく、その自分が、何時か死んでしまって、この世から消えてしまう。

   この奇跡中の奇跡で生を受けた自分を、大切に生きたいと言う気持ちが、益々、強くなってくる、歳を取ることも悪いことではないのである。
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特別展 世紀の日本画(後期)・・・東京都美術館

2014年03月21日 | 展覧会・展示会
   世紀の日本画展の後期を見に出かけた。
   会場を入ると、真っ先に、横山大観の「無我」と、狩野芳崖の「悲母観音」が目に飛び込んで来る。

   悲母観音は、子に対する母の愛をテーマに描かれた絵画で、浮遊する楊柳観音の水瓶から垂らされた一筋の霊水が人類の誕生を思わせる嬰児に注がれているのだと言う。
   前には、かなり、明るい国立博物館で見たので良く見えたのだが、今回は、近づいて良く目を凝らす必要があった、嬰児が花を持っているように見えるのは、空を舞う細い帯のようだが、円形の子宮内の羊水に浮いている雰囲気であるから、へその緒を意図するのであろうか。


   さて、観世音菩薩は、本来男性であったようだが、慈母観音と言うくらいだから、女性だと言う見方もあるようで、性別はないと解するようである。
   この悲母漢音を一見すると、やはり、優しくて美しい女性のような印象が強いのだが、近づいて、顏の口髭を見ると、一気に、裏切られたような気になるのが面白い。
   東京藝大に、悲母観音の下図が残っていて、その一部を見ると、デザインは違うのだが、中空を舞う天女像が描かれていて、その裸体画は、実に豊満な女体で、芳崖がイメージした観音像は、女性像ではなかったかと思う。

   ところで、重要文化財のこの悲母観音だが、フェノロサの示唆によって生まれたと言う逸話は有名だけれど、辻惟雄によると、「現在近代日本絵画史上の初期の名作とされるが、実際見ると」破綻がなさすぎる、余りに完成され過ぎている」と言う印象をぬぐえないし、海外の評価も高くないという。」と言うことらしい。
   しかし、完成され過ぎたからと言う評価もおかしいと思うし、私などは、ひたすら、仰ぎ見て感激するばかりである。

   私は、古社寺を回って、随分多くの観音像を見ているが、美しいと思って感激した一体は、瑞巌寺の庫裏の中に置かれている高村光雲・作の「聖観音像」である。
   綺麗な仏像に極彩色の彩色が施されているので、実に美しいのだが、今、古寺に安置されている仏像などは殆ど総ては、入仏時には、黄金色か極彩色に荘厳されていたのであろう。   また、広隆寺をはじめ、奈良などの古寺の十一面観音の何体かに、憧れに似た感慨を覚えて、若い時には、随分、通い詰めたものである。

   今回の絵画で、やはり、重要文化財の橋下雅邦の「龍虎図屏風」の迫力の凄さが出色で、これまでに同じような虎や龍の襖絵や屏風絵を、京都の古寺で見ているのだが、まず、克明に描かれかつ色彩が鮮やかで、構図が劇的である分、格段に印象が強烈である。
   右上に、激しく波打つ湖上の上空の雲から威嚇する雌雄の龍、左下の竹林から厳しい表情で迎えうつ雌雄の虎、を配した屏風絵で、風雲急を告げ逆巻く怒涛の中でありながら、明るく黄金色に輝くようなバックが、実に、モダンで輝くように美しく、ドラマチックな龍虎の対決の凄さを強調。
   私には、狩野派の屏風絵の印象を越えて、上質なドラマが、檜舞台で繰り広げられているような思いで、鑑賞させて貰った。

   前回は朝、今回は夕、夫々1巻ずつ展示されていた今村紫紅の重要文化財「熱国之巻」は、恐らく、インドであろうと思うのだが、オレンジがかった暖色を背景に、南国の人々の市場や街の風景など生活の模様を克明に描いていて、雑踏の物音やムーンとした匂いや人々のさんざめきが聞こえて来るようで、メルヘンチックな絵が、実に印象的で、ほのぼのとした雰囲気が実に良い。
   海外での経験が長かったので、海外の風景などを描いた絵が気になるのだが、平山郁夫のシルクロードの絵は別として、今回は、岩崎英遠の「神々とファラオ」と、下田義寛の「ペルシャ門」が興味深かった。
   実際には、エジプトにもペルシャにも行っていないので、大英博物館やルーブルやメトロポリタンなどの博物館で見た彫像などの印象を交錯させて雰囲気を紡ぎだしながら鑑賞していたのだが、悠久の歴史絵巻の1巻を見ているようで面白かった。

   他に印象的だったのは、横山大観の「無我」と「屈原」で、初期の大作で、見慣れている豪快な富士などの風景画と違って、人物画で表現した大観の絵の世界の別な面を感じて興味深かった。
   理解不足だと思うのだが、私なりに、夫々が感慨深く強烈な印象を受けた作品である。

   
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マット・リドレー著「繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史」上下

2014年03月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ファイナンシャル・タイムズのBUSINESS BOOK OF THE YEAR 2010になったベストセラーであるから、非常に面白くて示唆に富む本である。
   この本の特質は、タイトルが、「THE RATIONAL OPTIMIST How Prosperity Evolves」、すなわち、「合理的な楽観主義者 繁栄はどのように進化するか」であるから、今日は勿論将来においても、類書のように、悲観的な見方をしているのではなくて、あくまで、我々の経済社会は、紆余曲折を経ながらも、発展・繁栄に向かって進んでいるとしていること。
   表紙に、「明日を切り拓くための人類10万年史」。帯に、「「昔は良かった」は幻想だ。世界は確実に改善されている――今も、これからも。」

   人類の滅亡をうたうような恐ろしい予言・・・60年代には人口爆発と世界的な飢饉、70年代には資源の枯渇、80年代には酸性雨、90年代には疫病、2000年代には地球温暖化・・・理由は変われど、底流は同根の終末論的な悲観主義が蔓延し続けてきた。
   貧困と格差の拡大、原油や天然資源の枯渇、疫病の蔓延、熾烈な水戦争、核の脅威、地球温暖化と深刻な環境破壊、脅かされている食の安全等々・・・このようなヒステリックな不吉な予言や予測を、人類の飽くなきイノベーションの追求によって克服可能だと、一つ一つ論証しながら、一蹴している。
   ローマクラブの予言など、当たらなかったではないか、と言うのである。

   人類の交換・交易と専門化が、この地球のどこかで続く限り、指導者が手助けしようが邪魔立てしようが文化は進化する。その結果、繁栄は拡大し、テクノロジーが発達し、貧困は減り、疫病が勢いを失い、人口増加は収まり、幸福が増し、暴力が減り、自由が栄え、知識が豊かになり、環境が改善し、原野が拡大する。
   人間の性質は変わることがない。いつの世も、攻撃と耽溺、狂乱と教唆、魔力と破壊力のドラマが進行している。だが、今度はより繁栄した世界でそれが起きるのだ。
   21世紀は生きるのに素晴らしい時代となる。あえて、楽天主義でいようではないか。
   と言うのである。

   何故、人類だけが、成長・繁栄を実現し得たのか。
   リドレーは、冒頭で、同じ形をした、コンピューターのコードレスマウスと矢じり風の握斧の写真を示して、興味深い説明をしている。
   後者は、単一の素材から単一の制作者の技能で作られているのだが、前者は、多くの素材が複雑に組み合わされて、入り組んだ内部設計がなされており、数多くの制作者の技能を反映しており、これは、複数の脳の間で発生した集団的現象である集団的知性の成せる業であり、ある時点で、人類の知性は、他のどんな動物にも起きなかった形で、集団的・累積的になった。

   人間の文化自体が、遺伝子が自然淘汰を通じて累積的に変化してきたように、自己複製し、突然変異し、競争し、淘汰し、蓄積し始めて、ハイエクの説く「社会的進化」を遂げつつ、進化発展してきた。
   異なる個体の遺伝子が、生殖によって、生物学的進化が累積的になるように、人類の歴史のある時点で、アイデアが出会ってつがい、生殖を始めて、「アイデアの融合」を成し遂げた。
  

   更に、大きな脳を持った文化的で学習能力のある人々が、初めて物を交換し始め、それを契機に文化が急に累積的になり、交換によって「分業」を発見し、この専門化が、イノベーションを誘発して、人類の経済的進歩を促進して行った。
   交換と専門化によるアイデアのセックスが、イノベーションを生み出し、人類の歴史を駆動し繁栄を齎す。
   その気の遠くなるような人類の創造性と革新による文化文明の進化が、今日の繁栄を築き上げており、将来も変わらない筈だと言う。
   これが、リドレーの合理的な楽観主義者の理論的根拠なのだが、何時かは必ず、何事も飽和して破裂するか、消滅の危機に直面する筈なのだが、どうであろうか。

   尤も、人類の歴史が、何世紀にも亘って、あるいは、ある地域で、悲惨なまでに停滞してきたのは、人類の文化が持つ分裂的な本質である孤立主義のためで、アイデアやテクノロジーや習慣の自由な流れを自ら切り離して、専門化と交換の影響を抑え込んで、進化発展の芽とチャンスを圧殺して来たからである。として、紆余曲折の歴史を説き、一本調子の繁栄への連続でなかったことを語っている。

   
   リドレーは、アダム・スミスやダーウィン、勿論、イノベーション理論の生みの親シュンペーターを引用して理論展開を進めているが、ハイエクのカタラクシー論に大きく影響を受けているようで、最終章を、「カタラクシー――2100年に関する合理主義的な楽観主義」で締め括っている。
   経済原論のゼミを取りながら、当時は、ケインズ経済学一辺倒の頃で、ハイエクを不勉強で理解不足なのだが、「カタラクシー」とは、鈴村智久の批評空間によると、「互恵性・相互利益に基く市場の自生的秩序」を意味するようで、語源であるkatallattein(古代ギリシア語)は、「交易する/交換する/共同体参加を許す/敵から友に変わる」に由来すると言うことである。
   リドレー流に言うと、「交換と専門化による自発的に起きる秩序」と言うことであろうが、これこそが、歴史の繁栄の駆動要因だと言うことであろう。

   これまでに、この異文化異文明の遭遇する文化の十字路での発明発見の爆発的な発生については、フランス・ヨハンソンの「メディチ・インパクト」や茂木健一郎論など、発明発見の生まれる土壌やチャンス、あるいは、イノベーション論に関するコラムなどで、随分論じて来たが、リドレーの文化文明論も、交換と専門化を軸とした同根の理論的展開であると言えよう。

    メディチは、銀行業で富を蓄積したフィレンツェの富豪の大公で、あらゆる分野の芸術家や学者・文化人を保護した為に、ダヴィンチやミケランジェロは勿論、画家や彫刻家、詩人、哲学者、建築家、実業家など多種多様な人々が沢山フィレンツェに集まり切磋琢磨しあった。
   フィレンツェが異文化や異分野の学問や思想の坩堝となり、新しいコンセプトやアイデアに基づく新しい文化を創造し、ルネサンスへの道を開いたのである。


   飛躍的・画期的な進歩・発展を目指すために、文化文明の交差点を構築して、正に世界を変える「発明・創造性・イノベーション」を生み出す土壌を作り上げることが、如何に重要なことか。
   リドレーは、人類10万年の歴史を紐解きながら、時空を越えて、如何に、人類がイノベーションによって進化発展を繰り返して、繁栄を築き上げて来たかを、実に多くのケースや実例を実証しながら論じていて、最後まで飽きさせない。
   徹底した楽観的な未来展望には、大いに疑問もあるが、これまで、多くの終末論や、悲観論が展開されて来たにも拘わらず、どうにか、問題点をクリアして、今日の繁栄を築いていることを考えれば、案外、人間の英知も、捨てたものではないのではないかと言う気持ちにさせるのが面白い。
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国立劇場歌舞伎・・・處女翫浮名横櫛

2014年03月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   お富と与三郎の『与話情浮名横櫛』は、何度か、歌舞伎で見ているのだが、今回の国立劇場の「處女翫浮名横櫛」は、黙阿弥の書き換え狂言で、斬られるのは与三郎(錦之助)ではなくて、切られお富で、「悪婆」として強請を働く主役のお富を、時蔵が演じると言うので興味を持って出かけた。

   木更津で、お富と与三郎が恋に落ちる発端は同じだが、「与話情」の方は、お富が、既に、赤間源左衛門(嵐橘三郎)の妾であり、「處女翫」の方は、妾になった後で、逢瀬を見つかって、前者は与三郎が切られ、後者はお富が切られると言う違いがある。
  「与話情」の方は、与三郎を切られやくざ侍にして、また、逃亡中に入水したお富が、和泉屋の大番頭多左衛門に助けられ、二人が兄妹だと言うことが分かるなど、かなり、複雑な人間関係を展開して面白い話に仕立てられているのだが、
  「處女翫」の方は、与三郎に一途の思いを通し遂げるお富が、与三郎のために、助けて貰って同棲している蝙蝠の安蔵(彌十郎)と語らって、源左衛門を強請って200両を巻き上げる。その金を持って逐電しようとする相棒の安蔵を殺して取り上げ、その金を受け取った与三郎が、件の刀を買い戻してお家再興が叶うと言う話になっている。

   非常にシンプルですっきりしたストーリー展開が、黙阿弥らしくて面白いのだが、その代わり、恋に身を焦がす純情なお富が、75個所も切り刻まれて瀕死状態になり、思いを寄せるこうもり安に助けられて九死に一生を得て、恋しい与三郎のために尽くしたい一心で、一転して、名うての悪玉源左衛門とその女房お滝(吉弥)を脅し挙げて200両を強請ると言う大芝居を打つ爽快さなど、お富の落差の激しいキャラクターの変転が面白い。
   それに、ほんのりとした濡れ場や壮絶な責め苛み、流れるような小気味の良い啖呵の強請、派手な立ち回り・・・見せる舞台芸術に徹した場面展開など、ストーリーよりも、見せる芝居である。

   そして、歌舞伎には一寸珍しいと思うのだが、お富の激しい変身よりも、物語の底に流れるのは、お富の与三郎に対する揺るぎなき純愛で、お富の生き様は、徹頭徹尾、与三郎恋しや、与三郎のために、・・・と言う一本通った思いである。
   時蔵は、この思いを軸にして、変身しながらお富の心情を丁寧に追っ駆けながら演じていて、流石に立女形で、上手いと思う。
   それに、実弟の錦之助の与三郎の颯爽とした実直そのものの風格ある侍姿が、秀逸で、兄弟協演ながら、ムードがあって、魅せてくれる。

   悪玉の源左衛門の嵐橘三郎は、最初は大店の主人と言う風格十分な姿を見せながら、一気に大盗賊の素性を表して大悪人に変身して、お富が、与三郎と逢瀬を楽しんだと聞いた瞬間、情け容赦なく、滅多切り・・・
   芝居なので、お富の背後から刀で撫でるだけと言うアクションだが、憎々しげな表情や仕草が、男っぷりの良さと相まって、サドマゾ気味の性格俳優としての味が出ていて、面白い。
   同じ悪玉でも、彌十郎のこうもり安の方は、もっと人間的で、悪の中にも弱さ勘定高さなどチンピラやくざの要素が残っていて憎めないキャラクターで、このあたりの脇役を上手く務め得る役者としては、彌十郎が最右翼であろう。
   そして、こうもり安の入れ知恵で、お富の逢引きを暴露して源左衛門を煽る狂言回しを演じる海松杭の松の男女蔵は、水を得た魚のように実に小気味よく楽しみながら演じているようで、気持ちが良い。

   面白かったのは、時蔵の次男萬太郎が若い者喜助を、錦之助の長男隼人が若い者太助を演じていて、一服の清涼剤と言うか、軽妙なタッチで場を盛り上げていたことである。
   この従兄弟同士の二人は、前場の「菅原伝授手習鑑」の「車引」で、梅王丸と桜丸を演じていて、若々しい溌剌とした舞台を見せてくれていて、次世代の歌舞伎役者の成長を感じさせて好ましい。

   ところで、このあまりにもポピュラーな「車引」を、先の二人と、錦之助の松王丸、秀調の藤原時平で演じているのだが、何時も、かなり老練なトップクラスの役者で演じられる舞台を観続けているので、かなり、印象が違った。
   錦之助の松王丸は、風格のある颯爽とした舞台は流石に、貫録十分で、その意味では、萬太郎と隼人は、まだ、粗削りで若さが目立つのだが、大舞台を勤め得た経験は、貴重であろうと思う。

   国立劇場の、何時もの如く、非常に意欲的な舞台だが、空席が目立つのが惜しい。
   春休みなので、大幅な学生割引をして、高校生以上の学生を、観客に動員する手もあろうが、切られお富の、斬った張ったの色物語では、教育上問題であるから無理であろうか。
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わが庭の歳時記・・・ウグイス鳴く

2014年03月16日 | わが庭の歳時記
   昨日、午後おそく、隣接の林の中から、ウグイスのホーホケキョと言う綺麗な鳴き声が聞こえてきた。
   ウグイスの鳴き声が、早いのか遅いのか分からないが、千葉に居た時には、ケキョケキョとまだ真面に鳴けない鳴き声が続いて、ウグイスが鳴き始めたのだが、ここでは、最初から、ホーホケキョである。
   先日、メジロに似た小鳥が、敏捷に梅の枝を渡っていたのだが、ウグイスであろう。
   かなり、高いところを素早く移動するので、気づいた時には、飛び去る寸前と言うことが多くて、狙っていない限り、写真など撮れない。

   さて、寒い日もあるが、随分、暖かい日もあり、陽も長くなって来たので、本格的な春の到来であろう。
   この口絵写真の椿タマグリッターズは、今が最盛期で咲き乱れている。
   小輪だが、フルグラントピンクも華麗な饗宴咲きで、派手な美しさにおいては、日本オリジナルのままの椿は、洋椿に太刀打ちできない。
   あのカサブランカもそうだが、ヨーロッパに移って改良されると、バラ好きの欧米人の気質か、とにかく、どんな日本の花も、見違えるように大きく華麗になって帰って来る。
   斑入り葉椿の越の吹雪も凛として魅力的だが、これは、やはり、日本人趣味であろう。
   
   
   

   クリスマスローズが、しっかりと、頭を持ち上げ始めた。
   タキイにオーダーを入れていたクリスマスローズは、9鉢。八重咲きの5鉢は、直接庭植えにして、一重の4鉢は、底の深い鉢に植え替えた。
   ダブルファンタジー1鉢だけ、花芽がついていて開花した。
   2~3か月肥培すれば、来年には、花を咲かせるであろう。
   
   
   

   沈丁花が満開で、微かな芳香が春を感じさせてくれる。
   そして、一気に、あっちこっちから、蕗の塔が立ち始めた。
   水仙も、まだ、健在である。
   
   
   

   バラの鉢に、置肥をした所為でもなかろうが、勢いよく、芽吹き始めた。
   もう、30年以上も前に庭植えしたキャプリス・ド・メイアンが、古木になって枯れかけていたのだが、一本だけ細い芽が出たので、掘り起こして鉢植えにした。
   それを、鎌倉に移ってから庭植えしたのが、芽を吹き始めた。
   このバラは、京成バラ園で、私が最初に気に入ったバラで、光沢のある深紅の花弁の裏側が濃いクリームイエローの、非常に優雅な剣弁高芯咲きの花であったので、すぐに買い求めて庭植えしたのである。
   イングリッシュ・ローズのシェイクスピア2000も、芽を吹き始めた。
   昨年、京成バラ園で、一本だけ残っていた鉢バラを買ったのだが、苗が、かなり貧弱であったので心配していたのだが、今年は、花を楽しめそうだし、あんどん仕立てのシャルル・ド・ゴールも、オベリスク仕立てのジャスミーナも元気に芽吹き始めたので、期待出来そうである。
   沢山、イングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズなど栽培していたのを、一気に、12本くらいに絞ってしまったのだが、その方が、大切に一本一本の花を育てながら楽しめるので、良かったのではないかと思っている。
   
   
   
   

   もう一つ、ほっとしているのは、鉢植えで、根がダメになって枯れる寸前であったモミジの獅子頭が、庭植えにしておいたら、小さな芽を出し始めたことである。
   スペアは買ってあるのだが、ちじみ模様のびっしりとした濃緑の葉が、秋には真赤に染まる素晴らしいモミジで、気に入っているので、元気に蘇って欲しいと思っている。
   鴫立沢や琴の糸も、鉢植えで枯らせてしまって、また、通販で買って植えつけたのだが、何しろ、泣きも訴えもしない植物は、育て人がバカだと可哀そうで、鉢植えよりは、大地にお任せした方が良さそうである。
      
   
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ニーアル・ファーガソン著「劣化国家」

2014年03月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、ハーバードの歴史学者ニーアル・ファーガソン教授の、かなり悲観的な「先進国の未来」を展望した警告の書で、BBCのリースレクチャーでの「The Rule of Law and Its Enemies」を底本とした「The Great Degeneration」である。
   Degenerationとは、 堕落[退化, 衰退, 退廃]、《生物》退化を意味するので、現在の経済社会が、大きく、退廃に向かって後退していると言うことであろうか。
   「大いなる衰退」であるが、「劣化国家」と言うタイトルが面白い。

   アダム・スミスが「国富論」で、かって豊かだったが成長が止まった国家の状態を、「定常状態」として、社会の逆行的傾向を論じており、今、西欧先進国が、その定常状態に陥っているとして、何故そうなったのか、その原因から説き起こした現代文明論である。
   スミスが意図した定常状態の「劣化国家」は、当時の中国なのだが、その停滞の原因は、「官僚主義を含めた法と制度」の欠陥にあったとしている
   このような閉塞状態を克服して、自由貿易を促し、中小事業への支援を増やし、官僚主義や縁故資本主義を脱して、新大陸アメリカ植民地の経済を活性化させた西欧が、進歩発展を享受していたのだが、皮肉にも、今や、逆転現象が起こり、西洋の法と制度の欠陥が、The Great Degenerationの原因となっていると言うのである。

   西洋が、何故、斜陽にあるのか、経済のみならず、政治、文化等文明として成功を収める上でカギとなった諸制度が、現在深刻な危機を迎えているからだと説く。
   著者は、西洋の制度の衰退現象を、4つのブラックボックスとして、民主主義、資本主義、法の支配、市民社会を上げて分析し、民主主義が政治経済社会を赤字に追い込み、資本主義が金融規制の脆弱さを露呈し、法の風景が法律家による支配の様相を呈し、市民社会が国家支配の度を強めて非市民社会化しつつある等、西洋社会の成長エンジンであった諸制度を台無しにししつつあると指摘する。
   西洋の政治が直面する唯一最大の危機である公的債務危機を、将来世代に対する裏切りであり、現世代と将来の世代間の社会契約の侵害である。
   民主主義と資本主義の運営に欠かせない法の支配が、法律家の支配に成り下がってしまう恐れがある。
   そして、かって活気に満ちていた西洋の市民社会が、科学技術ではなく、国家の過剰なうぬぼれによって危機に瀕している。と言うのである。
   

   全般論としては、かなり、疑問を感じるのだが、著者は、個々の点において、非常に面白い指摘をしている。
   例えば、法の支配の敵として指摘している、アメリカで顕著な傾向である法律費用の異常なる増大が、企業の海外流出を促していると言う点である。
   複雑すぎる法律、操作された法律、蔓延する不法行為の濫用、「不法行為、損害、障害」に対する損害賠償の異常なる請求等々、法化社会の蹉跌について語っていて興味深い。

   もう一つは、地域住民の自発的な能動的な活動が、集権的な国家の活動より優れているとする公序良俗によって維持される市民社会を高く評価していて、公共パワーの増大によって市民社会が空洞化しつつあると言う指摘の中で、特に重要な教育を市民社会に戻すために、公立学校の民主化と私学の教育の推進を主張している。
   大きな社会には反対で、アメリカ社会が定常状態にあるのは、「法と制度」が、衰退し、エリートが、スティグリッツが糾弾するレントシーキングによる収奪にうつつをぬかして、経済と政治を支配しているためだと、オバマ大統領の公共政策にも苦言を呈していて面白い。

   弱肉強食の市場メカニズム優位の自由主義資本主義には、債務問題の糾弾においては、多少批判的ではあるが、厚生経済的な発想やリベラル派的な思想を一蹴気味で、政治経済的にも、保守色の強い自由放任主義的な見解を展開していて非常に興味深く、私にとっては、新鮮な理論展開で面白かった。
   

   さて、西洋が没落して、中国が上り龍かと言うことについては、同じ制度が、成長と衰退の分岐線だとする、先日論じたアセモグルとロビンソンの包括的制度と収奪的制度理論に基づけば、現在の状況は、あくまで、一時的現象に過ぎず、収奪的制度の中国の成長が止まり、包括的制度を維持する限り、西洋の没落は有り得ないことになる。
   法や制度が、政治経済社会の帰趨を制する重要な要因だと言うことには、異論はないが、どのような法システムや制度が、実際の国家の文化文明や成長発展をドライブしたり阻害したりするのかは、必ずしも、一定の法則があるわけではなく、歴史の推移によって、その要件が変わるのではないかと言う気がいている。

   ニーアル・ファーガソンには、著作も多いので、少し勉強しようと思っており、次に、「文明 Civilization」に挑戦することにしている。
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NHK交響楽団・・・ブラームス:交響曲第1番ほか

2014年03月13日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりに、芸術劇場で、N響を聴いた。
   都民芸術フェスティバルでの演奏会である。
   国立劇場で、時蔵の「切られお富」の歌舞伎を見た後、神保町で時間を過ごし、嵐気味の大雨の中を劇場に向かったので、コンサートを楽しむと言った雰囲気ではなかったが、劇場に入って、モーツアルトの「ピアノ協奏曲第21番ハ短調K.467」が始まると、やはり、コンサート・モードになり、テンションが高まる。

   昔は、ウィーン・フィルだ、ベルリン・フィルだと言えば、必ず出かけていたが、今は、都響の定期に通うくらいだし、N響も、この芸術フェスティバル程度で、クラシック・コンサートにも殆ど行かなくなってしまった。
   私の若い頃には、ブルックナーやマーラーなどには人気がなかったし、それに、彼らの長大な交響曲がプログラムにのることさえ殆どなくて、アメリカやヨーロッパに住んでから親しんだ感じなのだが、今では、鳴り物入りでコンサートが開かれて、チクルスなどとなると、チケットが完売すると言う不思議さ。

   私には、オイゲン・ヨッフムやザバリッシュなどが、ロイヤル・コンセルトヘヴォーを奏でたブルックナーやマーラーなどのドイツ音楽の印象が強く残っているのだが、やはり、今夜のプログラムのように、モーツアルトのピアノ協奏曲やブラームスの交響曲、特に、ベートーヴェンの交響曲第10番ともよばれる交響曲第1番と言った古典派の音楽を聴くと、堪らなく、感動する。

   モーツアルトのピアノ協奏曲は、随分、あっちこっちで聴いているのだが、第21番の第2楽章の夢幻の楽想の天国の音楽のような美しいサウンドを聴くと、昔、小澤征爾が、何かのインタビューで、神様が、モーツアルトの手を取って描かせたとしか思えないと語っていたのを思い出す。
   ピアニストのパスカル・ロジェの美しくて色彩豊かな華麗な音色が、心の底から湧き出るような幸せを醸し出してくれて、じっと、聞き惚れる幸せ。
   昔聞いたサンソン・フランソアの美しいサウンドを思い出した。

   ブラームスの交響曲は、4曲とも素晴らしい。
   あのサガンの「モーツアルトはお好き」で奏される第3番が印象的だが、やはり、第1番と第4番を聴くことが多い。
   ドイツの地方都市の交響楽団が奏する土の香りがするような演奏会で感激することがあったが、やはり、コンセルトヘヴォーの研ぎ澄まされて昇華したサウンドが良かった。

   オーストリアの指揮者ラルフ・ワイケルトは、欧米のトップ歌劇場でオペラを指揮する豊かな経験を有し、ワーグナーも得意としているようだが、ブラームスの演奏も、非常にメリハリの利いたダイナミックな演奏で、ぐいぐい引き込まれて行く。
   このブラームスの第1番などは、クラシック・ファンになり始めの頃に、レコードを繰り返し繰り返し聞いていたので、殆ど頭の中に刷り込まれていて、そのサウンドを追体験しながら楽しんでいると言う感じなのだが、素晴らしい演奏に遭遇すると、一気に、感動のテンションがアップする。
   金管木管のすばらしいサウンド、太鼓連打の迫力、流麗な管楽器の想の豊かさ、NHK交響楽団は、やはり、凄い楽団である。
   これこそが、コンサート会場に向かう楽しみであろうか。
   凄いブラームスの後、情感豊かに、アンコールに、ロザムンデの間奏曲第3番を演奏した。 
   

   ところで、コンサートもオペラも両輪で、指揮者が、オペラを振らなければだめだと言うことだが、1月の日経の私の履歴書で、小澤征爾が、斎藤先生には教わらなかったが、カラヤンに教えられたと語っていた。
   昔、フィラデルフィアにいた頃、フィラデルフィア管弦楽団の定期に2年間通って、ユージン・オーマンディの指揮を随分聴いたが、トップ・クラスの指揮者で、オペラを振らなかった指揮者は、オーマンディくらいであろうか。
   METで、シュトラウスの「こうもり」を振ったことがあると聞いたことがあるのだが、フィラ管の定期では、ソリストを呼んで、オペラのアリアを唱わせていたことがあったのだから、機会がなかったと言うことなのかも知れない。

   随分昔、ロンドンにいた頃、ウィーン国立歌劇場の指揮者ベリスラフ・クロブチャールを、ウィーンの自宅に訪れて話を聞いたことがある。
   丁度、国立歌劇場でワーグナーのリハーサルを終えて帰って来たところだったが、ウィーン国立歌劇場のデータ本を見せて、カラヤンの4回よりも、はるかに多く「ワルキューレ」を振っているのだと誇らしげに語っていたが、私の拙い経験では、クロブチャールの場合には、オペラ指揮が主体であったような気がする。
   このベリスラフ・クロブチャールだが、素晴らしいワーグナーの『ワルキューレ』全曲をライブのCDで残している。
ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ)
レオニー・リザネク(ジークリンデ)
ジョン・ヴィッカーズ(ジークムント)
トーマス・ステュアート(ヴォータン)
クリスタ・ルートヴィヒ(フリッカ)
カール・リッダーブッシュ(フンディング)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
ベリスラフ・クロブチャール(指揮)
    と言うことだが、これらの歌手たちは、私の若かりし頃少し前の超ど級の凄いオペラ歌手たちだが、ニルソンなど晩年の名歌手たちのオペラを、劇場で鑑賞できたのを懐かしく思い出す。
   

   ところで、日本では、やはり、オペラ劇場が定着していなくて、その機会が少ない所為か、日本人指揮者で海外経験の少ない人には、オペラの経験が殆どないようなので、気の毒だと思うことがある。
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鎌倉山のふもとの古寺の梅

2014年03月12日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鎌倉山近くで、まず、歴史なり由緒がある古社寺は、西鎌倉の手広にある鎖大師青蓮院であろうか、弘仁10年(819年)に、空海が開山したと言う。
   小さな寺院だが、梅の花が咲いているのが見えたので、入ってみて写真を撮ることにした。

   もう、梅の花も終わりで、写真に耐えるような綺麗な花弁の花は限られているのだが、沢山梅の木が植わっているのではなく、2~3種類の違った梅の木が並んで咲いているので、雰囲気があって面白い。

   
   
   
   

   この境内には、色々な花木が植えられていて、ところどころに、花を付けた花木や草花が顔を覗かせているので、誘われて足を向ける。
   マンサク、福寿草や馬酔木などが、綺麗に咲いている。
   椿や沈丁花、ボケなどを見なかったのだが、花の寺と言っても色々あるように、庭師や門主などの好みによるのであろう。
   「鎌倉の四季花ごよみ」を見ていると、各地の寺院に、色々な花が咲いているようなので、電動自転車をオーダーしたので、届いたら、走ってみようと思っている。

   
   
   
   
   
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諸田玲子著:「ともえ」

2014年03月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   私は殆ど小説は読まないのだが、鎧姿の女将の描かれた表紙に、「ともえ」と言う題字。それに、帯には、芭蕉と尼との運命的な恋 と大書されているので、いずれにしろ、あの義仲との数奇な運命で名を馳せた巴が登場して、それに、芭蕉と言うことなので、文句なく、本を買った。
   大学生の頃、伊賀上野には、芭蕉の故郷を訪ねて何度か訪れており、東北に行った時には、奥の細道の故地に出かけたり、俳句は出来ないが、芭蕉には興味があるし、能の「巴」を思って、読んでみる気持ちになったのである。
   

   芭蕉が、長く住んでいた江戸でもなく、故郷の伊賀上野でもなく、何故、大津の義仲寺で義仲と並んで永眠したのか、疑問であるのだが、
   芭蕉が、大津で滞在していた幻住庵での思いを綴った「幻住庵記」を、大津の芭蕉門下で女流俳人・河合智月に形見として贈っていることから、この二人の交流した人間関係を、晩年の無償の愛に仕立てて、これを、義仲と巴の愛と絡ませて創作したのが、この小説。

   興味深いのは、この物語を、尼でもあった智月尼の視点からストーリーを展開していることで、そのために、智を公家の娘で少女の時に宮中へあがり、20歳の時に帝の身のまわりをお世話する内侍の一人で、上臈と言う位につき、閨を共にして身籠ったために宿下がりをすると言う設定にするなど、智月の人生に彩りを添えている。
   帝が反江戸であったので暗殺を匂わせていているのだが、智は、後に、大津の伝馬役兼問屋役河合佐右衛門に嫁いで、死別後尼となり、帝との子を、弟乙州として河合家の養嗣子としており、このあたりは、かなり、史実に近いものの、前の宮中での恋や、後の芭蕉との恋など、愛情物語は、作者の創作のようである.
   智月が、年上の老尼であることを良いことに、姉弟を装ってカモフラージュしながら、芭蕉に何くれと面倒を見ながら愛情を表現しているのが面白い。
   京都と大津、そして、鎌倉を舞台にして、義仲と巴、帝と智、芭蕉と智月尼などの人間模様を、時空を越えて錯綜させながら、綾織のように紡いだ物語の展開が秀逸で、楽しませてくれる。

   史実かどうかは別にして、真っ先に入京して平家追討に功を立てて朝日将軍として勇名を馳せながら、京都治安維持に失敗し皇位継承問題に口出しして後白河法皇と対立するなど、田舎将軍の悲しさか、同族の源頼朝に追われて近江国粟津で討死した源義仲の評判は悪いのだが、
   この粟津まで同行して、追ってきた敵将を返り討ちにしながら、死地を見つけた義仲に、落ちて後世を弔うのが最後の奉公と諭されて、泣く泣く東に向かって駆け去っって行く女将軍の巴。
   平家物語のこのくだりに感じてか、能の名曲「巴」が生まれている。

   何故、芭蕉が、義仲に心をうつしたのかは分からないが、この小説は、巴の生きざまに共感した智月が、巴の墓前で合掌しているのを見て、義仲寺を訪れた芭蕉が、あまりにも美しく、巴の再来かとびっくりするところから、二人の愛情物語が始まる。
   智月と巴の生き様を交錯させながら女心を描いていているのだが、現か幻か、夢幻能のように、巴の墓前に、智月に良く似た尼僧として巴を登場させていて、語らせているのが面白い。

   河合智月は、作品も残っていて、かなり、優秀な蕉門の俳人だったようだが、この小説では、専ら、年上の尼である大津宿の人馬継問屋の女将として、姉弟としての情でもあり恋情でもあり同志愛でもある、所謂、無償の愛の昇華と言う形での芭蕉との愛情物語の主人公として描かれている。
   これは、取りも直さず、義仲と巴御前を結びつけていた情愛の姿であり、老年期に差し掛かった芭蕉と智月にとっては、肉体の結びつきを欠いた無償の愛と言う形で、甦らせたと言えないこともなかろう。

   ところで、恋情と言うか異性への恋心と言うか、この思いは、能の時分の花ではないが、人生の歩みによって現われ方は色々違って来るかも知れないが、淡く激しく、長く短く、そして、燃えるように幸せであったり儚く消えて行ったり、本質的な人を想う気持ち、愛する心は、老年に達しても、少しも違いはないし変わりはないと思う。
   この小説は、人生の黄昏になって静かに燃え上がった男女の愛情物語を描いているのだが、その満ち足りた幸せを、芭蕉や巴など史上の人物を触媒にして展開しているからこそ、読ませるのである。
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