熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

米国国家情報会議編「2030年世界はこう変わる」

2013年09月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、小冊子ながら、流石に、アメリカの国家情報会議の出版物で、将来の世界を観通すのに、参考になるのみならず、非常に面白い。
   これからの世界の潮流を、まず、メガ・トレンドと捉えて、その特質を、四つの流れ、すなわち、個人の力の拡大、権力の拡散、人口構成の変化、食糧・水・エネルギー問題の連鎖、だとして、その動向を詳細に論じている。
   例えば、これから世界のあらゆる地域において数億人規模の中間所得層が誕生し、その中間所得層が主流になって、グローバルなレベルで「市民」としての意識が高まり、世界経済や国際政治に好影響をもたらす可能性があり、更に、世界の人口は都市部に集中し続けるであろう。と言った調子である。

   更に、最近、国際社会が見せ始めている「傾向」について、国際社会を大きなゲームに例えた場合、その流れを変えてしまうような大きな6つの要因、すなわち、危機を頻発する世界経済、変化に乗り遅れる「国家の統治力」、高まる「大国」衝突の可能性、広がる地域紛争、最新技術の影響力、変わる米国の役割、を、ゲーム・チェンジャーとして分析を加えながら、2030年を展望している。
   前述の四つのメガ・トレンドと、6つのゲーム・チェンジャーが、絡み合って互いに影響し合いながら、「2030年の世界」を形成して行くと言うのである。

   権力の拡散については、イアン・ブレマーの「Gゼロ」、すなわち、アメリカの地位の凋落によって、「覇権国家ゼロ」の時代が到来するとしている。
   1750年以降続いて来た欧米中心主義を反転させ、アジアが再び国際社会と国際経済の主役となり、2020年代のどこかで、中国が米国を追い抜き世界一の経済大国となろうが、中国の労働人口のピークが2016年に来るなど、経済成長も5%程度に下落し、「世界一の経済大国」としての中国の地位は、以外にも短命になる可能性が高いと言う。

   世界のあらゆる地域内で覇権国の交代が起きるとして、エジプト、エチオピア、ナイジェリア、ベトナム、ブラジル、コロンビア、メキシコなどの国の台頭に言及しているのだが、これは、ジム・オニールの「ネクスト11」論や、ルチル・シャルマの「ブレイクアウト・ネーションズ」論と殆ど変らず、人口が多くて資源に恵まれた国を列挙した感じで、政治や社会的なカントリー・リスクを無視した分析なので、私は、あまり、信用していない。
   その意味では、中国についても同様で、異常な公害や政治腐敗などあまりにも酷いカントリー・リスクの高い国なので、経済大国としてアメリカを凌駕する前に、失速する可能性もあるのではないかと思っている。
   詳細を論じるのは、避けるが、インドとブラジルの経済大国への躍進トレンドには、同意している。
   日本については、ここでも、日本の国力がじりじりと低下して行くのは見逃せないだとか、「危機を頻発する世界経済」の項でも、特に、最も不な国は日本だとか言った調子で、このレポートでの日本に対するイメージは、非常に悪い。

   「国家の統治力」については、民衆が団結して独裁政権に立ち向かった「アラブの春」などに言及して、民主化不足状態にある国、独裁から民主主義に移行中の国は不安定だとして、ペルシャ湾岸や、中東や中央委アジアに集中しているとしながらも、
   中国とベトナムの民主化不足状態にも言及して、その動向に注意する必要があると言う。
   国民の一人あたりの収入が1万5000ドルを上回ると、国内で民主化の動きが活発になるのだが、中国経済は、今後5年以内に、この水準を超える見込みなので、この民主化は、政治的、社会的な混乱を伴い、多くの専門家が、中国で民主化が進むと中期的には国粋的な内向きの傾向が強まると言う意見で一致している。と指摘している。
   現在の中国は近隣諸国と多くの領土問題を抱えており、愛国主義的な傾向が強まれば、こうした近隣諸国との軋轢が更に悪化する可能性がある。と言うのだが、江沢民治下において、愛国教育を受けて育った若者たちが多いことを考えれば、対日関係は、もっと厳しいことであろう。
   民主化の動きが、完全に経済成長を止めてしまうような大打撃を与えない限り、長期的には中国は安定した政治制度作りに成功する筈だと言っているのだが、さて、どうであろうか。

   そのほか、一つ一つ取り上げていると終わらないくらい、興味深い未来展望が書かれていて興味が尽きないのだが、最後の章「オルターナティブ・ワールド」で、「2030年」4つの異なる世界として、「欧米没落型」「米中協調」「格差支配」「非政府主導」夫々のシナリオを描いているのが興味深い。
   最初の二つのシナリオは、ほぼ、想像がつくのだが、
   「格差支配」は、経済格差が世界中に広がり、「勝ち組」「負け組が明確になり、孤立主義的な傾向が強まり、EUは分裂すると言う。
   「非政府主導」は、グローバルな人材がネットワークを駆使して世界を牽引する時代になって、国際社会はかなり安定したものになると言う。

   いずれにしろ、予測などが全く当たらないのが人類の歴史の特質であって、多くの未来予測が、外れに外れて来た現状を思えば、予測そのものが無理なのかも知れない。
   しかし、出来るだけ、願望や希いを交えながら未来を展望して、政治経済社会を動かして行けるのが、人間の人間たる所以であるのだから、夢を馳せることは、人間の特権かも知れないのである。
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わが庭の歳時記・・・シジミ蝶のランデブー

2013年09月29日 | わが庭の歳時記
   庭に出ると、ほんの1センチ一寸くらいの小さな蝶が、沢山飛び交っている。
   ツユクサの写真を撮っていた時、そばの雑草の葉に、1匹のシジミ蝶が留まった。
   暫くすると、もう1匹が飛んで来て、留まったと思うと大きく翅を広げた。
   ところが、すぐに、もう1匹の蝶が飛んで来て、真ん中に割り込んだ。
   翅を広げていた蝶が羽ばたいたので、その蝶は、飛び去った。

   暫くすると、翅を広げていた蝶が、尻尾の先を大きく広げて、もう一方の蝶の方に向かって、伸ばし始めた。
   この時、初めて、オスの蝶が、静止しているメスに交尾を仕掛けようとしているのに気付いた。
   オスは、尻尾を伸ばしながら、少しずつ、メスの方に近づき、性交に成功したと思った瞬間、2匹とも眼前から、消えていた。
   メスの蝶が、嫌って、逃げ去ったのだと思うのだが、一瞬の出来事だったので分からなかった。
   花を撮るつもりで、カメラを構えていて、連写モードにしていなかったので、結局、その瞬間を撮れなかったのだが、自然の摂理を垣間見た思いで、興味深かった。
   
   
   

   鳥などで、ランデブー前に、オスが、メスの眼前で、綺麗な羽を広げたり、独特の踊りなどを披露して、強さや偉大さをデモンストレーションして、メスの気を惹くのをテレビなどで見ていたので、今回、オスが翅を広げたのは、このシジミ蝶のメスへの意思表示であったのであろう。
   蝶の翅の表と裏の模様が全く違うのが面白いのだが、図鑑を見たけれど、シルビアシジミなのか、ヤマトシジミなのか、あるいは、他のシジミ蝶なのか良く分からなかった。

   蝶とは言え、やはり、生き物の濡れ場を、じっと見ているのは、何となく気が引けるもので、それに、微妙な思いになるものである。
   ところが、このわが庭では、鳥や蝶、蝉、トンボなどのランデブーに出くわすことが、時々ある。
   キジバトやメジロなどになると、ぴったりと寄り添って、お互いに顔を摺り寄せて、嘴を交わすところなどは、人間と少しも変わらない。
   蝉や蝶などのオスが、少しずつ、メスに近づいてにじり寄て行く姿なども、何となく、その気持ちが分かるような気がする。

   ところで、シジミ蝶のランデブーで、気が散ってしまったが、私が撮っていたのは、コバルト・ブルーの美しいツユクサであった。
   その時の一枚が、次のショット。
   手持ちシャッターなので、注意散漫であった所為なのか、一寸、フォーカスが甘くなってしまった。
   
   
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ポール・クルーグマン著「そして日本経済が世界の希望になる」

2013年09月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   これは、大野和基氏が、クルーグマンとのインタビューやブログで編集した日本のみの発売を企図した本だが、非常に時宜を得たアベノミクスに対するクルーグマン経済学の現時点での集大成と言った感じで、非常に興味深くて面白い。

   2008年の金融危機後の世界経済は、1930年代以降、見られない「恐慌型経済」であると言うのがクルーグマンの基本的な認識である。
   「恐慌型経済」とは、この数十年で初めて、経済の需要サイドにおける欠陥、つまり、利用可能な生産能力に見合うほどの十分な個人消費が存在しないことが、世界経済の足かせになっていると言うことで、クルーグマンは、再び経済の生産能力を活用するためには、いかに需要を十分に刺激するかが決定的な問題だとして、ケインズ政策の重要性をことあるごとに説き続けてきた。 
   

   産業革命以降、150年以上の歴史から学んだことは、残念ながら危機を放っておくと、更なる大きな苦痛を生み出す可能性があり、一つの金融機関が傾けば全体に伝播して悪影響が伝染する。
   したがって、景気を回復させるためには、自律的な経済成長に至るまで、出来ることは、何でもやり続ける。それが十分でなければ、信用が拡大し始め、経済全体にその拡大が広がるまで更に多くを実行し、それとは違う施策も打つべきで、絶対に、中途半端に手を緩めてはならない。と言うのである。
   しかしながら、リーマン・ショック後のリセッションから抜け出しつつあるものの、依然、欧米先進国の慢性的な不振状態が続いているのは、総ての間違いは引き締めにあると言う考え方であるから、FRBやオバマ政権、そして、ECBやEU諸国の金融および財政政策の不適切・不十分さによるものだと、強烈に糾弾している。
   日本のデフレ不況を長引かせたのは、大規模なバブル崩壊の後、日本の金融政策と財政政策は、常に一歩遅かったことにより、日銀の行動はあまりにも控えめで、そのタイミングを見誤ったからだと述べている。 

 
   財政政策については、問題が危機に直面した時には、リアルタイムで積極的な財政政策に打って出ることが最も有効な解決策だとケインズ理論の重要性を強調している。

   日本の財政出動については、雇用維持などに使われて、どうすればそれを一時的な支え以上のものにできるのかと言う枠組みが欠けていた。
   政府が、金融政策を伴わない財政出動を実施すれば、長期金利の上昇を引き起こし、海外資金が国内に流入し、円高を招き、輸出の減少が財政内需拡大効果を相殺し、デフレ経済からの脱却を阻害して来た。
   この場合、高いインフレ目標を掲げる必要性を同時に受け入れることが必要で、そのためには、出来るだけ規模の大きな金融緩和と実際に牽引力のある財政刺激策を組み合わせることで、国民に「インフレ率が上がる」と実感させ、そのインフレ率を維持する意図を、当局が公表して堅持し続けることが大切だと言う。
   その意味でも、アベノミクスと言うコーディネートされた政策パッケージに大いに期待していると言うのである。

   ここでは、詳述を避けるが、インフレについては、「ファントム・メナス(目に見えない恐怖)」だと一蹴しており、金融緩和だけでハイパー・インフレなど起こるわけがなく、戦時ならいざ知らず、現状の日本では考えられない。
   国家債務については、重要なことは、日本が自国の通貨を持ち、公的債務を自国通貨で有していることであり、日本国債の空売りは、売り手を破産に追い込む「未亡人製造機」であって、心配することはないと、すべての間違いは金融緩和ではなく、過剰引締めだと何度も強調している。
   黒田日銀の大胆な金融緩和政策による、円安は、経済拡大要因となって大いに結構であり、2%のインフレターゲットは、非常に良いが、むしろ、4%を目指すべきで、少し高めのインフレが、公的債務の軽減や雇用効果などでも、日本経済にとっては更に望ましいと言う。

   さて、この本で興味深いのは、世界的な経済不況脱出策として、欧米ともに、景気刺激策か緊縮財政かと言う問題については、絶えず問題になっているのだが、ケインズ流の景気刺激策を強力に説いているクルーグマンであるから、当然、アルベルト・アレシナ・ハーバード大教授や、緊縮財政の御旗であったカーメン・ラインハートとケネス・ロドフ教授を、緊縮政策派の学者はいまや冷笑の的だと、強烈に批難している。
   私は、カーメン・M・ラインハート&ケネス・S・ロゴフの大著「国家は破綻する」を読んでレビューを昨年書いたのだが、当時、経済書で専門家の間で最も評価の高かった本で、誰もが推薦していており、一世を風靡した本である。
   読み返さないと、クルーグマン説を、すんなりと認めるわけには行かず、今でも、EUの経済政策では、ドイツの緊縮論が有力だし、アメリカでも、保守派や共和党は、クルーグマン流の大胆な経済刺激策には極めて批判的だし、結論が出るわけではない。

   クルーグマンが、歴史上、国家債務が、GDP比200%を越えた国で、危機から脱出できた例としてイギリスを挙げている。
   戦後の1946年のイギリスの国家債務は、238%だったが、年率で名目GDP成長率は7%、実質は3%、インフレ率で4%の上昇を継続させて、すなわち、借金を返済せずに、穏やかなインフレと経済成長を両立させて、少しずつ均衡策を実施して、1970年代には、50%まで下げたと言うのだが、これは、戦後で異常に低下したGDPを基準にして、尚かつ、戦後経済の復興需要に支えられた経済拡張期と言う特別な事情によるケースであって、常態ではない。
   まして、今日のように、成熟して老成化した先進国、そして、日本が、熾烈なグローバル競争下の経済において、このような恵まれた経済成長軌道に再び乗れるなどと考えるのは、夢の夢ではなかろうか。

   私は、クルーグマンが説く如く、経済成長こそが、殆ど総ての経済問題を解決すると言うのなら、経済成長の最大の牽引力は、強力なイノベーション、すなわち、産業革命だと思っているので、如何に、経済を活性化させるか、需要サイドよりも、生産サイド、すなわち、サプライ・サイドの経済を如何に活性化して起動させるかを考えるべきだと思っている。
   ケインズ経済学の需要サイドの効力は、十二分に認めたとしても、丁度、馬を水際まで連れて行っても必ずしも水を飲ませられるとは限らないように、過剰な需要ドライブだけでは、経済を不況から脱出させ得ても、自律的な経済成長を導くと言う保証はない筈である。
   経済は、特に、長期的な展望においては、需要と供給の両面からのアプローチが必須であり、経済が成長軌道に乗るまでは中断なき十分な需要創出が必要だとの見解には異論はないのだが、サプライ・サイドを殆ど無視しているとしか思えないクルーグマンの見解には、いつも、違和感を感じている。

   
   クルーグマンは、アベノミクスは、大きな挑戦であり、成功すれば、アメリカやヨーロッパに対して、今のスランプを国民が受け入れる必要はない、積極的な対策を取れば必ずデフレから脱却できると言う強いメッセージになり、世界経済の新しいモデルとなる。と期待と称賛でエールを送っている。
   久しぶりに、強力なビジョンとリーダーシップを備えた首相の登場であり、再び日本経済の復活の胎動を感じさせてくれているアベノミクスに大いに期待しているが、私の懸念は、第三の矢(クルーグマンは、構造改革と言う捉え方をしていて、重要な矢ではないと言うが)、成長戦略であり、サプライ・サイドをドライブするイノベーション戦略が、上手く行くかどうかである。
   これが、動き出して日本経済を成長軌道に乗せない限り、日本経済の将来は暗いと思っている。

   余談ながら、クルーグマンは、安倍政権が実施に踏み切ろうととしている消費税増税に反対している。
   経済が成長軌道に乗ったと確認できない段階では、経済の腰折れを誘うような政策は絶対に慎むべしと言う考え方であるので、当然だが、私が9月9日に、このブログで”「実質GDP上方修正で消費増税に追い風」と言うけれど”で増税延期を提言したのだが、その見解と殆ど同じことをクルーグマンが言っているので、私自身間違っていなかったかも知れないと、内心ほっとしている。
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秋の佐倉城址公園・くらしの植物苑

2013年09月27日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   久しぶりに良い天気で、涼しい秋風に誘われた感じで、佐倉城址公園に出かけた。
   何時も、私は、歴博の駐車場に車を置いて、佐倉城址公園を姥が池に下って、くらしの植物苑に入って小一時間散策する。そして、城址公園を本丸に向かって歩いて、公園の中を通り抜けて、駐車場に帰ると言う道を辿る。
   歴博には、もう、何回も入っているので、特別興味のある展示会でもあれば別だが、最近は、あまり、立ち寄ることもない。

   姥が池には、一面にハスの葉が張りつめて、今、白いスイレンが咲いている。
   夏には、賑やかに甲羅干しをしていた亀も、何処へ行ったのか姿がない。
   

   くらしの植物苑は、特別な展示はしていないが、9月1日まで開いていた「伝統の朝顔」展が終わっていたのだが、まだ、そのまま展示が残っていて、あっちこっちに、朝顔の花が咲いている。
   遅い午後に訪れたけれど、まだ、殆どの花が萎んではいない。
   多くの花は八重咲きで、西洋アサガオ「ヘブンリーブル―」に良く似たブルーの房咲きの「帯化」などの一重の大輪朝顔も残っていて、2メートルくらいの円筒状に仕立てられている。
   八重咲きの変化朝顔の殆どは、盆栽状の行燈仕立てで、夫々、幾輪かずつ、花が咲いている。
   
   

   丁度、この季節は、カボチャや瓜、瓢箪などの収穫期。
   この植物苑は、くらしに役立つ植物を植えているので、大小取り混ぜてこの種の沢山の種類の実が成っており、机に並べてディスプライされていて、こんなものがあるのかと見ていると結構面白い。
   唐辛子も収穫期で、実に鮮やかに輝いており、丁度、柿も色付き始めて秋の気配を醸し出しており、ガマズミの小さな実が夕日に照って美しい。
   
   
   
   

   花は、目だったものはないのだが、ヤマハギとフヨウが、彩りを添えている。
   何時もなら、綿の花が咲いているのだが、今日は、綿の実と蕾しかなかった。
   面白いのは、キクイモと言う随分背の高いひまわり科の花が咲いていたのだが、地下茎でも食べられるのであろうか。
   
   
   
   

   城址公園は、緑一色で、散策する人も殆ど居なくて、何故か、鳥のさえずりも聞こえず、静寂のみが支配している。
   
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「世界一正直な街」はヘルシンキ? 財布を落として実験

2013年09月25日 | 海外生活と旅
   CNNが、世界各地の都市でわざと財布を落とし、拾い主が届けてくれるかどうかを試してみたら――。米誌リーダーズダイジェストがこんな実験で市民の「正直さ」を比較しランキングを発表した。と報じている。

   世界の16都市でそれぞれ12個ずつ、公園や歩道、ショッピングセンターの近くなどに財布を落としておき、拾った人がどうするかを見届けた。財布には50ドル分の現金と携帯電話の番号、名刺、クーポンと家族写真を入れた。
   計192個の財布のうち、返却されたのは90個。都市別ではフィンランドのヘルシンキがトップで、12個中11個が返ってきた。2位はムンバイの9個、3位にはハンガリー・ブダペストとニューヨークが8個で並んだ。
   最下位はポルトガル・リスボンで、1個しか返却されなかった。しかもその1個を拾ったのは地元住民ではなく、オランダからの旅行者だった。と言うのである。

   財布を返すかどうかを年齢や性別、外見上の貧富などから予測することは難しく、「どの都市にも正直な人とそうでない人がいる」という結論が出た。と言うことだが、因みに、16都市のランキングは次のとおりである。
   16都市のランキングと戻ってきた財布の数
   ◇
1.フィンランド・ヘルシンキ(11)
2.インド・ムンバイ(9)
3.ハンガリー・ブダペスト(8)
3.米ニューヨーク(8)
5.ロシア・モスクワ(7)
5.オランダ・アムステルダム(7)
7.ドイツ・ベルリン(6)
7.スロベニア・リュブリャナ(6)
9.英ロンドン(5)
9.ポーランド・ワルシャワ(5)
11.ルーマニア・ブカレスト(4)
11.ブラジル・リオデジャネイロ(4)
11.スイス・チューリヒ(4)
14.チェコ・プラハ(3)
15.スペイン・マドリード(2)
16.ポルトガル・リスボン(1)

   残念ながら、東京が調査の中に入っていないのだが、滝川クリステル嬢が、ブエノスアイレスの東京オリンピック招致演説で、落とした現金が必ず返って来る安心安全な都市だと言っていたように、ダントツの一位だってであろう。

   ところで、非常に恣意的で独断と偏見が強くなって書くべきではないとは思うのだが、私自身の正直な感想を綴ってみたいと思う。
   私自身が、一度も行ったことのない都市は、ムンバイ、モスクワ、リュブリャナ、ワルシャワ、ブカレストの5都市で、これらについては、本来、コメントすべきではないかも知れない。

   しかし、私が最初に注目したのは、ムンバイの2位で、インドと言う国に対する先入観が強すぎる所為もあってか、最貧層が最も多くて深刻な都市問題を抱えている筈のインドの大都市ムンバイが、これ程の好成績を挙げていると言うのは、意外であった。
   ヘルシンキの1位は、良く分かるし、半数以上が返って来たニューヨークやモスクワ、アムステルダムについても、まず、異論はない。
   ロンドンには、5年も住んでいたので、5つしか返って来ないと言う現実は、何となく分かるような気がしている。
   スイスのチューリッヒが、非常に悪い結果であるのには、一寸、驚いている。
   マドリードとリスボンが最低なのは、まず、現在、経済的にも、EUの中で最も困窮を極めている国であり、それに、平時でも、これまで、旅行者にとっても危ない最も注意すべき都市であったことを考えれば、仕方のない結果ではないかと思う。

   興味深いのは、東欧の都市の結果が上下に分散していることで、国境を接しているハンガリーのブダペストとチェコのプラハが、何故、これ程、差がつくのかは、私には分からない。
   ハンガリーの方が、民主化は早かったが、チェコは、元々、最も工業化が進んでいた民度の高い国であったし、甲乙付けがたい程、東欧では、優等生であり、両都市とも、世界で最も美しい都市として観光客の憧れでもある。

    
   尤も、場所の選び方にも問題があろうし、僅か、12か所で財布を落としての調査であるから、至って信憑性の危うい調査なので、これで、都市の正直度や安全度を測られては、たまったものではないが、面白いと思ったので、コメントして見た。
   

(追記)口絵写真は、トップのヘルシンキ、最後の写真は、リスボンで、CNNの記事から借用した。
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わが庭の歳時記・・・秋の気配

2013年09月24日 | わが庭の歳時記
   秋の草花を植えないので、私の秋の庭は、まだ、殆ど、秋色はないのだが、それでも、一気に涼しくなって来たので、秋の気配は濃厚である。
   鎌倉への移転準備で、慣れ親しんできたこの千葉の片田舎のわが庭ともお別れなので、まず、整理の手始めに、鉢花を、そっくり、菩提寺に引き取って頂いた。
   椿の鉢植えが50鉢以上、イングリッシュ・ローズとフレンチ・ローズ主体のバラを20鉢、モミジ類10鉢、その他、クレマチスや芍薬等々、小型トラックには積み切れないほどあったのだが、私の庭にあるよりは、幸せであろうと思っている。
   椿は、庭植えした種類の挿し木や実生苗などもあるが、半分以上は、園芸店やガーデニング・センターなどで、新しい種類の苗が出ると、一鉢一鉢買ったものなので、かなりのバリエーションである。

   尤も、鎌倉の家にも、結構、庭のスペースがあるので、いくらかの鉢植えを持ち込みたいと思って、思い出や思い入れの深いものを、幾鉢か、手元に残した。
   シェイクスピアやフォールスタッフなどのイングリッシュ・ローズや、式部などの椿や、獅子頭と言ったモミジなどである。

   さて、沢山のトマトのプランターや残っていた鉢植えがなくなると、ジャングルのようになっていたわが庭も、随分すっきりして、見晴らしが良くなり気持ちが良くなった。
   植木屋さんに、植え過ぎだと注意されたことがあるのだが、私の庭に関する限り、確かに、過ぎたるは及ばざるがごとし、と言うことであろうか。

   オープン・スペースが多くなった庭に咲く花は、シュウメイギクと宮城野萩、正に、秋の花であり、秋風に靡くと風情が出る。
   それに、雑草と一緒に引き抜いたので、殆ど残っていないと思っていたツユクサが、あっちこっちで、顔を覗かせている。
   ムラサキシキブの風情も捨てたものではなく、実に上品で優雅な佇まいが何とも言えない。
   暫らくの間だが、この静かな庭で、ダージリンをすすりながら、シェイクスピア戯曲を読む楽しみを味わえそうである。

   
   
   
   
   
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国立劇場九月文楽・・・「伊賀越道中双六」第二部

2013年09月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「伊賀越道中双六」第二部は、当然、唐木政右衛門(玉女)の助太刀で、志津馬(清十郎)が、仇である沢井股五郎(玉輝)を討ち取る「伊賀上野敵討の段」で幕を閉じる。
   あの仮名手本忠臣蔵と同じで、最終幕の結末の舞台は、至って単純であり、殆ど感動を催さないのが面白い。

   この第二部は、殆ど演じられることがなく、偶に公演されることがあると言う「岡崎の段」が、一番充実していて、興味深い。
   荒木又右衛門に相当する唐木股五郎が、主役を演じる舞台で、生まれた子供を見せたくて必死になって追っ駆けて来た妻・お谷(和生)との悲劇的な出会いと、わが子を殺さなければならなかった政右衛門の苦衷が胸を打つ。

   「伊賀越道中双六」では、「沼津」があまりにも有名だが、この物語では、志津馬の義兄、後に、義弟となって、義父の敵討の助太刀をする政右衛門の存在が極めて重要であり、浪人の身である政右衛門と、親の許しを得ずに、夫婦になった志津馬の姉お谷との運命的な出会いと不幸が、この物語の重要なサブテーマとなっている。

   今回の文楽の冒頭の舞台でも、父の行家から勘当を言い渡されているお谷が、毎日のように和田家を訪れて許しを乞うており、第一部の重要な場である「唐木政右衛門屋敷の段」では、政右衛門が、なさぬ仲では義父ではないので敵討の助太刀が出来ないので、お谷を離縁して、志津馬の幼い妹おのちと祝言を挙げると言う話になっている。
 

   さて、この「岡崎の段」だが、結構、話が込み入って錯綜していて面白い。
   藤川の関所門前の茶店の看板娘お袖(文雀)が、道中の志津馬に一目ぼれでぞっこん惚れて、岡崎の外れの自宅へ招き入れる。
   志津馬が旅先で手に入れた手紙の受取人が、お袖の父・山田幸兵衛(勘十郎)だったので手渡すと、その手紙には、お袖の許嫁である股五郎の力になってくれと書いてあったので、志津馬は、仇の行方を知りたくて、自分がその股五郎だと騙る。
   捕手に負われた政右衛門が逃げ込んで来たので、幸兵衛は、知り合いの飛脚だと言って助けて、神影流の達人だと見ぬいて聞いてみると、伊勢にいた頃、幼なかった政右衛門を育てて武術を教えた師弟であったことが分かる。素性を隠して、政右衛門は、幸兵衛の股五郎支援要請を引き受ける。
   そこへ、乳飲み子を抱えた巡礼姿のお谷が、門口を叩く。戸口から覗いた政右衛門は、お谷だと分かったが、自分の正体が分かっては敵の行方を知る機会をなくすので、癪の持病で瀕死の状態のお谷を引き入れずに放置する。
   政右衛門に反対されても、せめても子供だけでも奥の炬燵で温めようと幸兵衛女房(簑二郎)が連れて入るすきに、外に出た政右衛門が、お谷に薬を飲ませて立ち去るよう説得するが動くことさえ出来ないので菰を被せて内に入る。
   庄屋から呼び出されて外出から帰って来た幸兵衛に、女房は、乳飲み子の守りの中の書付に、「政右衛門の子」と書いてあると告げたので、敵の倅なら人質になると喜んだが、しかし、突然、政右衛門が、そんな卑怯な真似はしないと、乳飲み子を取り上げて、喉笛に小柄を突き刺し、死骸を庭へ投げ捨てる。
   幸兵衛が、股五郎と偽る志津馬と政右衛門とを対面させようとしたので、緊張した二人が、相手を見てびっくり仰天。
   乳飲み子殺害時に、政右衛門の涙を見て、わが子を殺してまで、義理立てして敵討の本望を遂げようとする心に感じ入って、総てを察していた幸兵衛は、二人の力になろうと決心する。
   門口から駆け込んで来て、冷たくなったわが子をかき抱いて号泣するお谷。
   幸兵衛は、仇の行方を聞く志津馬に中山道に落ちたと告げ、二人を諦めて尼姿になったお袖に、恋しい志津馬一行の中山道の道案内を命じる。

   最長老の文雀の遣うお袖の初々しさ。
   関所で道中手形を持っていない志津馬が、お袖に抜け道を聞くのだが、一目ぼれしてボーと突っ立ったままのお袖は、手に持つ茶瓶から茶が流れだしているのにも気づかず、お茶を所望して湯呑を差し出す志津馬にも、茶を注げずに棒立ち。
   歌舞伎と違う文楽の良さは、人形遣いがどんなに年老いても、遣うのは人形であるから、例えおぼこい少女でも、どんな人物でも、自由自在に演じ分けられるのが、人形遣いの芸のなせる業で、文雀の遣うお袖の実に女らしいセクシーで匂うような乙女姿は、秀逸であり楽しませてくれる。

   この段の立役者の一人は、やはり、政右衛門で、豪快なだけではなく、実に繊細な人形を遣う玉女は上手い。
   お谷が、乳飲み子を抱えて瀕死状態で門口に立っていることを知った政右衛門の心の動揺・葛藤は大変なもので、糸車を回す幸兵衛女房の横で、たばこの葉を刻んでいるのだが、寒風の中で凍えている外のお谷と乳飲み子が心配で仕方がない。
   リズムよく包丁を動かしているようだが、心が千々に乱れているので、一瞬手元が止まって、ハッと気づいて、また、リズムを刻む。表面上は非情な表情だが、心では号泣している。
   女房が乳飲み子を抱いて奥に入った瞬間、戸口に出て火を起こして薬を飲ませて事情を言い含めようとする必死の形相。
   乳飲み子が政右衛門の子だと分かって、両肌を脱いで左手に小柄を握りしめて、わが子の喉に刀を突きつけて殺す凄まじさ。
   眉をキッと吊り上げて憂いの表情が、正に、断腸の悲痛であって、この政右衛門の涙を滲ませた決死の心意気が、幸兵衛を動かす。
   「菅原伝授手習鑑」の松王丸、「一谷嫩軍記」の熊谷直実と同じ心境なのだろうが、私には、到底考えられない世界であるが、浄瑠璃は、正にクライマックス。

   百姓ながら下役人をしている幸兵衛を勘十郎は、中々、貫録のある人間味豊かなキャラクターとして上手く遣っていて、好感が持てる。
   元は言えば、政右衛門の武術を教えた神影流の達人であるから、人間として筋の通った人格者であることは間違いないのだが、この段では、非常に心配りの行き届いた素晴らしい人物として、話のピボタル・キャラクターなので、安定した人物描写が要求されており、流石に、勘十郎で全くそつがない。

   呉服屋十兵衛を遣って素晴らしい舞台を見せた和生が、本来の女形に戻って、悲劇の主人公お谷(口絵写真)を演じているのだから、文句なしに感動的である。
   子供への思いのみならず、殆ど、正気を失いながらも夫政右衛門への愛情を表現しようとする一寸した仕草など、ほろりとしながら見ていた。
   優男風の清十郎の志津馬だが、非常に凛とした折り目正しい若者を演じていて、文雀の遣うお袖との相性も良く、果し合いの様子なども品が備わっていて見せてくれた。やはり、女形を得意とする清十郎だから醸し出すことの出来た志津馬像かも知れない。

   さて、この段は、芳穂大夫・清馗、呂勢大夫・宗助、嶋大夫・富助、千歳大夫・團七の4組の素晴らしい浄瑠璃と三味線が、舞台を引っ張り続けて、最初から最後まで、観客を引き付けて離さない。
   このように三業が一体となった素晴らしい舞台を楽しめるのも、岡崎の段が、魅力的だからであろうと思うが、初めて観たのだが、感動的な舞台であった。

   

   
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ブックオフで古書を売る、また、愚を犯す

2013年09月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   秋深き頃、千葉を離れて鎌倉へ移転することにしているので、ぼつぼつ、その準備を始めなければならない。
   私にとって、最大の難問は、蔵書をどうするかで、大学時代の本は、ほんの数冊だが、留学時代や欧米時代での洋書もかなりあるし、その後も、読書が生活であるような生き方をしてきたので、書斎は勿論本の山と言うか、倉庫である。

   私の大学時代の友人たちの幾人かは、維持管理などが大変なので、住み慣れた一軒家を売り払って、マンションに移り住んでいる。
   60歳くらいから、人生の黄昏を見越して、シンプル・ライフを標榜して、すっかり、身の回りを整理して、マンションに移って、狭いながらも、身丈に合った第二の人生を楽しんでいる奇特な友人もいる。
   尤も、まだ、現役で、矍鑠として仕事に没頭している友人もいて、色々だが、もう、2世代後の孫たちが大きく成っているのだから、老兵は去り行くのみと言うことかも知れない。

   ところで、まず、手始めの整理と思って、本の山を崩し始めて、もう、読まないであろうと思った本を、7~80冊、車に積んで、近所のブックオフに持ち込んだ。
   以前に、かなり質の良い経済書や経営書をブックオフに持ち込んで売った時には、正に、二束三文で、私自身が一生懸命に読んで学んだ本が、買い叩かれて信じられないような価格で買い取られると、何か、自分の貴重な人生や生き様が、全否定されたような思いがして、愕然としたので、金輪際、ブックオフに行かないと決心した。

   ところが、年月が経つと、その思いも消えて、良く考えてみれば、酔狂な私の古書など、今時、喜んで引き取ってくれるところなどはなく、ブックオフに持ち込めば、買ってくれなくても、すべて、どんな本でも、文句を言わずに廃却処分をしてくれるのである。
   公共図書館に引き取ってくれるかと電話をすれば、廃却用古書処分の時に、並べて欲しい人に持って帰って貰いますとケンモホロロ。そのくせ、公共図書館の書棚は、私の持ち込もうとする本より充実度や品揃いが悪くて不十分であり、本の質も悪いのである。
   娘が大切にしていた宝塚関係の蔵書を、私の母校宝塚中学に電話を架けて引き取って貰ったのだが、丁寧に送付について話し合ったにも拘わらず、送った後は、着いたのか着かなかったのか、ナシの飛礫。
   公共図書館にとっては、ボランティアからの古書の贈呈などは、迷惑の限りなのである。

   知人や友人に、引き取って貰うと言う手もあるのだが、人夫々である上に、私としては、これを引き取ってこれは要らないなどと言った形での移転はしたくないので、迷惑をかけることを考えて、しないことにしている。
   経済や経営書、歴史や文化、文学・小説と言った一般的な本は、何処にでもあり気にはしていないが、歌舞伎や文楽、能や狂言、オペラ・クラシック、それに、シェイクスピアや戯曲・芝居、それに、経営書でもイノベーション関連などと言った毛色の変わった蔵書もかなりあって、自分では充実しているつもりでいるので、これらについては、時が来れば、然るべきところに、引き取って貰おうと思っている。
   いずれにしても、今回の移転に対しては、少なくとも、最低限の本に絞って、持って行く以外にないと腹を括っている。

   さて、今回のブックオフだが、3分の1くらいは、買い取り不能だと言って拒否され、買い取られたのは57冊で、トータル買い取り価格は、790円。
   西川 善文著「ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録」が150円、ランダム・ウォーカーズほか2冊が50円、 後はすべて一冊10円であった。
   私しか読んでいない、あるいは、ページを繰ったくらいで読んでもいない、かなり良質な経済や経営書が大半(口絵写真のような本)なのだが、1冊10円である。
   定価が一冊平均1200円としても、10万円くらいであるから、100分の1以下の買値である。
   これを、ブックオフは、定価の半額、買値の60倍で売り、100円の廉価でも、10倍以上の値付けをして販売する。

   ブックオフで売っている一番安い本は、100円であるから、原価的には、そんなに悪い商売ではないと思うが、原則定価の半額で売るとしながらも、要するに、今や、百円ショップに成り下がって来ている現実を考えれば、難しいのかも知れない。
   100円コーナーが、かなりの面積を占めているし、本来の書棚の本でも500円程度に値下げされている本が多くなっており、このように価格破壊が起こり始めると、商売に暗雲が立ちこめている証拠で、全体のブックオフの経営は、分からないが、この店に関する限り、後述するように、経営状態がどんどん悪化しており、近い将来、商売が難しくなるであろうと思われる。

   今回は、思っていたよりは酷かったが、別に買い叩かれても、それ程気にはならなかったが、ブックオフの開店当初とは、古書市場が、かなり、悪化して深刻になっているような気がした。
   当初は、新本に近い良書は、定価の10%で買い取っていたし、手垢が着いた本でも買い取って、グラインダーで研磨したり消毒したりしていたのだが、今回、私が買い取りを拒否された本は、全くの良書で、帯が日焼けしていて色が悪くなっているとか、消し忘れた鉛筆の書き込みが少し残っていると言った程度だったが、最近では、どんどん、買い取り本を撥ねているようで、古書も売れなくなったのであろう。

   尤も、この買い取り拒否は、持って帰れと言うけれど、大概の客は、廃却してくれと言って残す筈なので、ブックオフは、買い取り価格ゼロ円で買い取ったと言うことで、当然廃物利用する筈で、客が持ち込んだこんなに多くの本を拒否していては(尤も、これは、私が確認したので分かったのだが、大半の客は、ゼロ円で撥ねられているのに気付いていないと思うのだが)、客に随分失礼だし、第一商売にならない筈である。
   気が付かなかったのだが、出張買取の電話をしたら、何も聞いていないのに、買い取れない本は、持ち帰れないと念を押されたのだが、喜んで買い取ると能書きを掲げながらも、買い取り拒否の本が多いと言うことであろう。

   紙媒体の本が電子ブックに移行して行けば、当然、ブックオフも駆逐されて消えて行かざるを得ないのであろうが、グーテンベルグが印刷機を開発して、本の文化が、人間生活を限りなく豊かにしてきたのだが、その本文化が、今、曲がり角に差し掛かっている。
   ブックオフの衰退を垣間見て、そんな感じがした。

   今日、ブックオフの棚を見たら、以前にはあった新刊本の古書が殆どなく、最新の新古書や良質の本が殆ど消えてしまっていて、本の質が異常に落ちていたのにはびっくりした。
   中型書店で、膨大な本が並んでいるのだが、経済や経営に関する本に限って言っても、まともな本は、殆どない。
   定価の100分の1以下で買うと言う現状のような買い取り方をしておれば、良質で真面な客が、ブックオフを見限ることは、間違いなく、まず、行かなくなったのであろう。
   ちり紙交換ではないですよ。このようなビジネスを、れっきとした(?)本屋である一部上場企業がやっていると言うこと自体が、私には、驚異(?)でさえある。

   古書に力を入れ始めたアマゾンに、仕事を持って行かれて苦戦しているのであろう。
   アマゾンなら、殆どどんな本でもあって、書名や著者名などをパソコンに打ち込めば、瞬時に在庫と価格が分かるし、ブックオフのように単一価格ではなく価格も市場相場を反映しているし、良いと言うグレードの本を買えば、まず、ブックオフの本よりは、はるかに質の良い本が送られてくる。
   私は、世阿弥を書いた寂聴さんの新本同様の「秘花」を、1円送料250円プラスで251円で買って、楽しませて貰った。
   尤も、ブックオフで仕入れてアマゾンで売ると言う人もいるようなので、この世界は、全く分からないが、いずれにしろ、貴重な価値のある古書は残るであろうが、並の古書市場は先細りと考えて間違いなかろうと思う。

   あのヤマダ電機でさえ、ネットショップに市場を蚕食されて立ち行かなくなって、ネット価格より安くすると言う自滅とも思えるような価格破壊に打って出たのだが、リアル・ショップであるブックオフが、アマゾンなどのバーチャルショップに追い詰められて窮地に立つのは時間の問題であろう。
   結局、ICT革命によって、このように規格型で同質な商品を売買している業種では、絶対に、リアルショップは、バーチャルショップには、勝てなくて衰退して行かざるを得ないと言う厳然たる定理が働くこととなる。

   私の血肉となった本の哀れな末路を見たくないので、結局は、子供会の資金になる古紙回収に出して、弔って貰うのが一番良いのではないかと思っている。

   
(追記)最初に書いた時よりも、随分、本文が長くなってしまった。
えぼしさんから、神田神保町に持ち込んだらと言うコメントを頂いたが、その手もあろうが、持って行くのには重いし、送れば、送料の方が高くなるであろう。
9・11の頃には、被災地の施設へ送ると言う手もあったが、もう、飽和状態であろう。
私の学生の頃は、古書を定価の半値以上と言った随分高い価格で引き取って貰えたのだが、とうとう、時代が変わってしまって、紙媒体の本の終焉が近づいて来たと言うことかも知れないと思い始めている。 
   
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国立能楽堂・・・狂言「老武者」ほか

2013年09月20日 | 能・狂言
   国立能楽堂の開場三十周年記念公演の特別九月公演の最後は、狂言オンパレードである。
   「夷大黒」「通円」「八尾」「祐善」「老武者」と言うかなり正統派の狂言で、シテが総て面を掛けて出て、囃子方や地謡も登場すると言う、能擬きに近い狂言もあって、非常に興味深かった。
   笑いとか滑稽と言うだけではなく、能を本歌取りしたパロディ版もあって、一見だけでは、十分に消化できない感じの狂言もあって、多少、かってが違ったが、面白かった。

   最後の一番長くて、大勢の人物が登場し、宴会や合戦場面も出て来る「老武者」が秀逸で、野村萬斎のシテ/祖父が中々魅せてくれて、私には、古典の狂言を越えて、良質な戯曲の舞台を観ているような感じがしたのだが、ロンドンでシェイクスピア演劇を学び、本格的な芝居の舞台でも活躍している萬斎の芸術的な深みだろうと思って観ていた。
   人間国宝の万作が、後見に立ち小道具などの世話をしていた。

   この「老武者」だが、老人たちの祖父軍と若者たちの若衆軍の争いが演じられるのだが、その元となるのは、稚児をめぐる争いだと言うのが興味深い。
   中世には、美しい稚児をもて囃す風習があって、寺院で、僧侶の身の回りの世話や修業をする稚児である少年たちは、僧侶の恋の対象でもあったと言うのである。

   この狂言は、曽我の里に住む稚児(金澤桂舟)とそのお供の三位(石田幸雄)が、お忍びで、鎌倉見物の途中、藤沢の宿に泊まるのだが、美しい稚児の宿泊を聞いた若者たちが、お盃を頂きたいと宿にやって来て宴会を始める。その宴会に加わろうと祖父が来るのだが、宿屋(福田博治)や若衆に追い返され、腹を立てた祖父が老人たちを引き連れてやって来て派手な合戦となる。
   結局、最後は三位にいなされて両者が和解して、稚児を担ぎ上げて陽気に橋掛かりを引幕に消えて行く。

   ところで、6月にも、中世の男色模様を扱った狂言「文荷」について書いたが、太郎冠者と次郎冠者が、主人が恋人の稚児に当てた手紙を届けに行く途中、粗相をする話だった。
   また、片山幽雪の「関寺小町」を観た時も、関寺の住僧たちが寵愛する稚児を連れて登場し、老女小町が、稚児に酒を注がれてほろりとして優雅な舞に触発されて、よろよろしながらも、五節の舞を思いながら舞うと言うシーンがあるのだが、当時、乙女のように初々しく着飾った稚児に思いを馳せると言う男色趣味が普通であったと言う反映であろう。
   あの能を大成した世阿弥さえも、義満の男色の相手だったと言うし、信長と蘭丸の男色関係も有名である。

   私が最初に男色を知ったのは、プラトンからで、プラトニック・ラブ(Platonic love)と言うのは、「肉体的な欲求を離れた、精神的な愛」と言うことではなくて、男同士の愛で、プラトンの時代にはパイデラスティアー(paiderastia、少年愛)が一般的に見られ、プラトン自身も、若くて綺麗な少年を愛する男色者であったと言うことからである。
   プラトンは『饗宴』の中で、男色者として肉体(外見)に惹かれる愛よりも精神に惹かれる愛の方が優れており、更に優れているのは、特定の1人を愛すること(囚われた愛)よりも、美のイデアを愛することであると説いてはいるのだが、これを、高度な哲学とみるかどうかは、人夫々であろう。

   「夷大黒」は、男が、比叡山の三面の大黒天と西の宮の夷三郎を、しめ縄を張って勧請すると、両神が、トレードマーク通りの姿で登場し、それぞれの由来を語って、宝を授けると言うお目出度い話である。

   「通円」は、能の「頼政」のパロディ版で、宇治橋で三百騎あまりの敵兵を迎え撃った合戦で負けて自害したと言う故事を踏まえて、通円という茶屋坊主が、宇治橋完成の時の供養の際に、大勢のお客にお茶を点てすぎて死んでしまったので、旅僧(千五郎)に、亡霊(茂山正邦)として現れて、その時の奮闘ぶりを再現して、舞って、弔いを頼んで消えて行くと言う夢幻能形式の舞台である。
   詞章も「頼政」を文字っており、お茶を点てすぎて死んだと言うあり得ないような奇天烈なテーマで、滑稽な文句を踏まえて如何にも深刻そうな舞台を展開していると言う、ちぐはぐな可笑しみが、この狂言の味であろうか。
   テレビでお馴染みの逸平が、所の者で、一寸出する。

   「八尾」は、間抜けで如何にも人間らしい閻魔大王(野村又三郎)の話。
   萬狂言で紹介した閻魔大王が博打打ちの亡者に負ける「博打十王」と前半は同じで、仏教信仰の発展で極楽へ行く死者が多くて、財政的に困窮を極めた閻魔大王が、自ら客引きのために、六道の辻に出かけて死者を待っていると、河内の国八尾の男(罪人)が来る。
   罪人(井上松次郎)が八尾の地蔵から閻魔へ当てた手紙を携えてきており、その手紙には、この男は八尾の地蔵の檀那又五郎の小舅で、大スポンサーだから、極楽浄土へ送って欲しいと書いてある。
   八尾の鬼である閻魔大王が、昔は、八尾の地蔵と良い仲であったと言う設定が面白く、地蔵から艶めかしい手紙を貰った閻魔大王は、ほろりとして、泣く泣く、男を極楽へ送ると言う、どこか憎めない人間らしい閻魔大王の話である。
   この狂言も、地蔵は男であるから、前述の男色の話と同じで、地蔵は可愛かったのである。

   「祐善」は、先の「通円」と同じ舞狂言と言うことだが、もっと能に近い本格的な夢幻能形式で、ワキツレ2人やアイまで登場する。
   祐善は、傘張りながら、あまりにも傘張りが下手で、傘を張り死にしたと言う話なのだが、何故、日本一の傘張り下手と言う突拍子もないテーマが、狂言に成るのか。
   祐善の最後の有様は、旅僧(善竹十郎)が供養中に、地謡の、傘づくしの謡をバックにして、祐善の霊(大藏千太郎)が舞い語りするのだが、「これぞまことの極楽世界の編傘や、南無阿弥傘のほのかに見えてぞ失せにける」のエンディングへの流れがしっくりこなかった。

   いずれにしろ、これまで接し得なかったような狂言の世界を垣間見た感じの公演で、非常に勉強になり楽しませて貰った。
   狂言の世界は、奥深いのであろうが、どこまで、真面目に鑑賞すべきなのか、一寸、考えさせられた一日でもあった。
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国立劇場九月文楽・・・「伊賀越道中双六」第一部

2013年09月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の文楽は、通し狂言「伊賀越道中双六」で、殆ど、歌舞伎でも文楽でも、「沼津」の舞台ばかりしか観ていないので、全編通して見られるのは幸せで、非常に密度の高い意欲的な公演であり、一日中、休憩を入れて10時間国立劇場小劇場に詰めていても、実に充実した時間を過ごすことが出来た。
   それに、この国立劇場で、藤十郎主演で、11月に歌舞伎でも上演されると言うのであるから、日本芸術文化振興会の熱の入れ方も大変なものである。」

   さて、「沼津」だが、六段目で、「沼津里の段」から、「平作内の段」、「千本松原の段」までで、実際の仇討に関わる人物は、誰も登場しないものの、物語としては非常に良く出来た芝居で、感動的なので人気が高い。
   討たれる股五郎を九州へ落ち延びさせる手助けをする商人呉服屋十兵衛(和生)が、沼津の道中で、知らずに、雲助をしている生みの親平作(勘十郎)に出会って家に逗留し、平作の娘お米(簑助)が敵討の当人志津馬(清十郎)の妻であり、敵味方であることが分かるのだが、平作がお米のために命を賭けて十兵衛に、股五郎の落ち行く先を聞き出し、ラストシーンで父息子・親子の対面をすると言う涙の物語なのである。

   私が、最初に見た「沼津」は、8年前の3月で、このブログでも書いたが、皇太子妃両殿下が御観劇になっていて、非常に、素晴らしい舞台であった。
   十兵衛が玉男、お米が簑助、平作が文吾で、錦糸の三味線で、住大夫が浄瑠璃全編を語ったのだが、当時最高峰の布陣で、これ以上望めない会心の舞台であったと思う。
   次に観たのが、5年前で、その時には、十兵衛が簑助、お米が紋壽、平作が勘十郎で、綱大夫と住大夫と言う人間国宝二人が浄瑠璃を語ったのだが、この時も、涙がこぼれる程感激した。

   さて、「沼津」の段で、私が一番気になるのは、十兵衛の人物像である。
   住大夫が、「文楽のこころを語る」のなかで、
   ”十兵衛は町人で男前の上に、腕が立つ。侍も及ばないほどの達人ですから、弱々しい男ではない。優男ですから、筋肉隆々の男でもない。”と言っている。
   この言葉から分かるのは、玉男が遣ったり吉右衛門が演じると言うのは分かるとしても、簑助が遣っても、今回のように、和生が遣っても、不思議ではなく、むしろ、女形の人形を遣うことの多い人形遣いの十兵衛の方が、キャラクターとしての表現には、奥行きなり人間性の幅が出て良いのではないかと思うのである。
   私は、和生の十兵衛に、非常に、親しみと親近感を感じて好ましく思ったし、この文楽の大詰めにも、十兵衛が登場して、股五郎と志津馬、両方への義理を立てるべく、わざと志津馬に斬られるのだが、そのあたりの表現も、和生は非常に上手く遣っていた。

   この「沼津」では、冒頭、平作が、十兵衛の荷物担ぎを頼みながらも、年老いた身には荷が重くて、膝を曲げてよたよたと歩く「小揚」の場があり、先導して意気揚々と歩く十兵衛の後をよろけながらついて行く情景など、バックの舞台が後方に移動するので実に大らかな旅風景だし、平作が足を怪我して十兵衛が荷を担いで歩く道行も実に長閑で、その後に続く愁嘆場の前の静けさと言った感じで、実に懐かしさを感じさせてくれる良いシーンで、和生の十兵衛も味があっていいし、勘十郎の平作の上手さは抜群で、津駒大夫と寛治、寛太郎も冴えきっている。

   この後、迎えに出て来たお米の美しさと実に色気のある女の魅力に、ゾッコン惚れ込んだ十兵衛が、ぼろ屋に泊まることになるのだが、玉男が足も真面に落として歩けないような汚さと言うところだから、平作が言うように身につくのは蚤虱だけ。
   平作の述懐から、自分が幼い時に貰われて行った実子であることを知った十兵衛は、父親に金を残したいために、一計を案じて、お米に惚れたふりをして、嫁入の支度金として託すべく、「面目ないが、わしゃこなさんに惚れたわいの」と言ってしなだれかかる芸の細かさ。
   お米の登場から、簑助の遣うお米の魅力は全開で、掃き溜めに鶴、場違いながらそこはかと香る一世を風靡した吉原の遊女瀬川の醸し出す色香は隠しようがなく、女形の得意な和生の十兵衛との相性は実に良い。

   志津馬の病気を治したいばっかりに、平作の怪我を瞬時に治した十兵衛の薬を盗むべく、寝静まった十兵衛の枕元から印籠を盗ろうとして、見つかり、騒ぎに目を覚ました平作が貧乏ゆえに盗みを働いたと思ってお米を詰るのだが、そこから、お米が印籠に手を掛けた事情を語る「お米のクドキ」の場が始まり、哀切極まって聴衆の肺腑を抉る。
   簑助お米の独壇場で、このシーンを聴き観るだけでも、沼津を観る価値があると思えるほどのもので、呂勢大夫の浄瑠璃と清治の三味線が、聴衆を泣かせる。
   
   
   先を急ぐ十兵衛は、それとなく仏壇の母親の位牌に手を合わせて、門口にお米を呼んで平作への孝行を頼んで旅立つのだが、残された石塔寄進の石塔代と薬の入った印籠を見た平作とお米は、その印籠の紋が志津馬の仇・股五郎の家紋であり、書付が平作夫妻が息子平三郎を養子に出した時のものだと分かって、実の親子兄妹だと悟って、仇股五郎の在処を聞き出すべく、平作が、十兵衛を追って、まろびころびつ夜道を駆け出すのが、物語のクライマックス「千本松原」。
   ここからが、住大夫の浄瑠璃と錦糸の三味線。
   

   親子だと知り合いながらも、平作が敵の在処を十兵衛の袖にしがみ付いて懇願すれども左右に振り払い、しかし、親子の情、雨が降り始めるので道中合羽を平作の肩にかけて笠を頭上にかかげるが、十兵衛は、恩ある股五郎を裏切れば義理が立たない。
   清公の弾く哀切極まりない胡弓の音が、胸を締め付ける。
   思い余った平作が、十兵衛の脇差を抜いて自らの腹に突き立てる。自分の命で、十兵衛の股五郎への恩を立て、その代わりに、冥途の土産に仇の行方を教えてくれと今わの際で迫る平作。
   ことここに至っては、十兵衛の気持ちには迷いはなく、親が子を案じ、子が親を思いやる気持ちはだれも同じ、初めは平作に口をつけて、次には、笠を左頬に当ててて、お米と孫八に聞こえるように、「落ち行く先は、九州相良。」と叫ぶ。
   玉男が、「親子一世の逢い初めの逢い納め」と言うクライマックスで、孫六が打った火影をたよりの一瞬の顔合わせで、遂に親子の名乗りとなる。
   平作はこと切れ、十兵衛は笠で顔を隠して泣くうちに幕。
   情愛の世界だと言う住大夫は、平作が腹を切った後からは、吐く息だけで語り続け、お米に聴かせるために、「股五郎が落ち行く先は九州相良、九州相良」と言う言葉だけは声を張り上げると言う。胡弓の哀切極まりない音色が相和して、正に断腸の悲痛。

   通し狂言だと言いながら、やはり、沼津ばかりについて書いてしまったが、
   股五郎が、和田行家の所有する名刀正宗が欲しくて、行家を殺害し、その子供の志津馬が、股五郎を仇とする経緯や、志津馬の姉のお谷(和生)が、許しを得ずに浪人の唐木政右衛門(玉女)と夫婦になったので、政右衛門にとって、行家が、実の義父に成り得ず、婿舅の関係になって助太刀出来ないので、お谷を離縁して、妹のおのちと結婚する話など伏線が分かって非常に興味深くなった。
   「円覚寺の段」で、股五郎を九州相良に落ち延びさせるために、道案内に、股五郎の従兄弟城五郎家に出入りしている呉服屋十兵衛が呼び出されて、その時に、今回、お米が手を付けた印籠を、股五郎が、十兵衛に沢井家伝来の妙薬だとして託して、一命を預けると言う設定になっている。

   この第一部の舞台では、沼津以外では、「唐木政右衛門屋敷の段」が、非常に見ごたえがあって、玉女の豪快な唐木政右衛門と和生のお谷との関わりなど、非常に面白く、これだけでも、十分に一幕ものの芝居になると思っている。
   政右衛門とお谷との再会とその乳飲み子の悲劇が、第二部の「岡崎」の段で、山場となり、感動的な舞台が展開される。
   
   
   
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伝統など発祥は高々過去二世紀・・・アンソニー・ギデンズ

2013年09月16日 | 政治・経済・社会
   アンソニー・ギデンズの「暴走する世界」を読んでいて、本の趣旨とは直接関係ないのだが、ねつ造された「伝統」と言うサブタイトルで、その発祥はさだかでないが、伝統と言われるものの多くは、実際には高々過去二世紀のうちにつくられたもので、もっと最近発祥のものも少なくないと、克明に例示して、伝統を論じているのに興味を持った。

   スコットランド人の国民的アイデンティティとも言うべきキルト(民族衣装)を纏い、各クラン(氏族)に特有のタータンを羽織り、バグパイプを奏でるのだが、このキルトは、垢抜けしない高地人の衣装を低地人が軽蔑するので、高地人を産業革命に必要な工場労働者として連れてくるために、ランカシャーの産業資本家トーマス・ローリンソンが、18世紀初頭に考案し、ビクトリア時代の仕立て屋が、高地人向けの売れ筋と睨んでデザインし、売り出したものだと言う。
   要するに、キルトの生みの親は、産業革命であって、あのバーバリーのデザインも、元は、スコットランド高地人労働者のキルトだったと言うことである。

   そう言われれば、ジェイムズ・アベグレンが『日本の経営』で、日本的経営の特徴とした1.終身雇用2.年功序列3.企業別組合なども、戦後の所産であるし、エズラ・ヴォーゲルが、「Japan as No.1」で説いた日本政治経済社会の成長発展をプッシュした伝統的特徴も、あの怒涛のような戦後復興期のなせる業であったことは間違いなく、日本の伝統的(?)な日本人魂や気質とは、殆ど関係がなかったと言えようか。


   伝統と呼ばれるものは、すべてねつ造されたもので、伝統的社会といわれるもので、字義通り伝統的なものは有り得ない。
   何故、伝統はねつ造されるのか。意図的に伝統をねつ造するのは、伝統が必然的に権力と結びついているからで、国王、皇帝、司祭のような高い地位にある人が、自分にとって都合の良いように、自らの統治を正当化するために、伝統をねつ造し続けてきた歴史は長いと言う。

   さすれば、伝統と言うものは、権力者たちがねつ造したものであるから、好い加減なものであって価値がないのかと言うと、ギデンズは、全く逆で、
   伝統の存在は社会を存続させるための必要条件であって、この命題は、掛け値なしに正しい。何故、伝統は必要であり、なくならないのか、その答えは、人間生活に連続性を与え、その様式を定めるのが伝統だからであると言う。
   学者の人生などは、その典型で、伝統の仕組みの中で仕事をしており、アイデアを体系化したり展開したりするためには、知的伝統に依拠せざるを得ないのだと言っている。
   いずれにしろ、伝統が重きをなしておれば、良くも悪くも、共同体における個人の社会的地位は安定しており、安心だと言うことだろうが、伝統の定義にもよるのだが、果たして、そんなに単純な発想で良いのであろうか。

   しかし、ギデンズの問題意識は、現在、グローバリゼーションのあおりを受けて、様々な意味で伝統は変容を迫られて、世界中いたるところで、伝統と慣習の影響が低下し、我々のアイデンティティが薄らいで行く。
   今、西洋文明が直面している自然と伝統が終焉を迎えた社会では、自由を獲得した個人が、意思決定を求められるので、不安故に硬直化して凍結した自主性とも言うべき中毒や強制に陥って、人々を窮地に追い込みつつある。
   したがって、伝統に培われた普遍的な価値の存在が、人々の寛容と話し合いを実らせて、日常茶飯事を超越する道徳律を確立することが必要だと言うのである。

   グローバリゼーションが、人為の入り込まない正真正銘の自然を殺し、価値ある伝統を消滅させ、その根源的な変化の上に、グローバル・コスモポリタン社会が生まれると言うのが、ギデンズの考え方だが、伝統の崩壊と言うあたりから、ランナウエイ・ワールドを論じているのが興味深い。
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国立能楽堂・・・「翁」「楊貴妃」

2013年09月15日 | 能・狂言
   国立能楽堂三十周年記念公演の第一日目が、観世清和宗家の「翁」で開幕した。
   即刻ソールドアウトの人気公演であるから、会場は大変な熱気である。

   今回の演目で、初めて観るのは、「楊貴妃」だけで、「翁」は、式能で2回観ているし、土蜘蛛は、以前にも、そして、歌舞伎の「土蜘」でも観ているので、ストーリー展開は分かっており、多少、余裕を感じながら鑑賞させて貰った。

   最初の「翁」は、金剛流で翁は金剛永謹宗家、二回目は、宝生流の宝生和英宗家、今回は、観世流の観世清和宗家の翁であるから、期せずして、能楽初歩の私としては、最高峰の「翁」を鑑賞させて貰っていると言うことであろう。
   この「翁」は、直面で、橋掛かりを静かに登場して、舞台で面をかけて神になると言う特別な能であり、私には、このセレモニー形式の変身が非常に魅力的である。
   端正な顔立ちの清和宗家が、白色尉の面を掛けて立ち上がると、何とも言えない程優美で微笑ましい、微かに微笑んだ好々爺の表情になって、厳かに、天下泰平・国家安穏を祈る祝言の舞を舞い始めると、実に、有難く神々しく見えるのである。

   三番三を舞うのが、人間国宝の山本東次郎師で、75歳とは思えないほど躍動感横溢したエネルギッシュな舞で、二回も大きく跳躍して舞台を踏む烏跳びのシーンを含めて「揉のノ段」のリズミカルかつ激しい流れるような三番三踏みは驚異的で、延々と続くかと思われる黒色尉を付けた「鈴ノ舞」の凄さなど、この三番三は、正に、一期一会の会心の芸であろうと思う。
   実際には、「翁」のパロディだと言うこの狂言方の舞う三番三の方が長くて、見せて魅せる舞台なのだが、狂言が長い間低く見られていたと言うのを、アイロニーと言うべきであろうか。

   もう一つ興味深いのは、最近出た「能を読む」でも、この部分は翻訳されていないのだが、シテ/翁の謡う古代歌謡の催馬楽の「総角やとんどや・・・」だが、林望先生の「これならわかる、能の面白さ」によると、もとは隅に置けない歌で、濃厚に男女の性行為を暗示したものだったと言う。
   能が生まれる以前から猿楽で演じられていたと言うから、このような挿話が入るのも当然で、日本古来の豊作の呪術で、昔から日本人は、男女の和合すなわち陰陽の合一こそが生命を生み出す基で豊作をもたらすと考えていたのであり、今でも、明日香の飛鳥坐神社では、日本古来の土俗信仰と言うべきか、面白い派手な神事が演じられていると言う。
   非常にアウフヘーベンした高度で神がかり的な古典芸能として、能「翁」は、昇華されたのであり、これこそ、日本芸術の芸術たる所以であり誇りであろうが、原点に立ち返ってみるのも、芸術鑑賞としては面白い。

   さて、白楽天の「長恨歌」を題材にした玄宗皇帝と楊貴妃の話は、中国の歴史でも一番面白いテーマの一つだが、シテ/楊貴妃を梅若玄祥、ワキ/方士を宝生閑で、演じられると言うのであるから、始めて観ると言うこともあって非常に楽しみであった。
   楊貴妃は、元々、玄宗の息子(寿王李瑁)の妃であったのを、玄宗が取り上げて寵愛し、名君であったにも拘わらず、女色に溺れて政務を蔑にして国を傾けて、楊貴妃が養子にした安禄山に長安を攻められて、蜀に落ち延びる途中、兵士たちの不満が爆発して玄宗は泣く泣く楊貴妃を諦めて、楊貴妃は、馬嵬で、高力士に絹の布で首を絞められ38才で亡くなり、遺体は、近くの道端に穴を掘って埋められたと言う。
   能「楊貴妃」は、この楊貴妃を忘れられない玄宗が、方士に命じて楊貴妃の魂魄の在処を尋ねさせ、常世の国の蓬莱宮で会うと言う話になっている。

   方士が、楊貴妃に会ったと言う記念の品を求めると、簪を差し出すのだが、それではどこにでもある簪なので意味がない、二人が秘めやかに交わした二人しか知る由のない睦言を聞かせて欲しいと言うあたりの発想が面白いのだが、ここで楊貴妃が語るのが、長恨歌の最終部分の「在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝――天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう。」
   この言葉は、白楽天の創作だと思うのだが、比翼の鳥などは、ピグマリオン伝説やプラトンのベター・ハーフ探しの話を連想させて面白い。
   ニャンスは、全く違うのだが、
   プラトンが「饗宴」の中で、ギリシャ神話を引用して、お互いにベター・ハーフを求めて恋焦がれる男女の愛の摂理について語っていて、
   太古の人間は力が強く傲慢で、神々に叛乱を企てるので、ある時、ゼウスは、人間を真っ二つに両断しようと決断し、一人残らず真っ二つに切断した。しかし、いずれの半身も、もう一方の半身に憧れ、これを追い求め、一緒になろうとしており、それ以来、人間は己の失われた半身を焦がれ求め続けることとなり、これが、男女の恋心を燃え立たせ続けているのだと言う。ことであり、玄宗と楊貴妃は、正に、この一組であったと言うことであろうか。

   さて、能であるから、この曲も、当然、楊貴妃は、別れを告げる方士に、名残に、昔を忍んで、宮中の夜遊びの舞を舞う。
   玄祥の羽衣の曲 序ノ舞の優雅さ素晴らしさは、言うまでもなく感動的であった。
   観世銕之丞が、「能のちから」の中で、
   「比翼鳥、連理枝」と言う愛が成就した艶やかな言の葉に、楊貴妃の魂魄は封じ込められている。死の世界に住むシテの愛が蘇り、その愛の世界は、いつまでも漂い続け、簪を手に、魂が呼び覚まされ、血肉が通い、愛によって蘇生する「楊貴妃」は、格調高く、」時にはメランクリックに舞いたいと思う。と言っているのだが、玄祥「楊貴妃」の思いはどうであったのであろうか。

   ところが、興味深いのは、国立能楽堂のパンフレットの金子直樹氏の解説では、
   不老不死の世界で、過ぎ去った玄宗との愛をただひとり忍び泣き、すすり泣きしつづけなければならないのだから、ある意味ではとても残酷で、主題は、生死による別離を越えた恋慕の情と、絶ちがたい愛情ゆえの哀傷だと言っている。比翼連理の名文句は、楊貴妃の美しさ愛の深さと同時に、それを裏切る別離の無情な哲理が冷徹に存在し、こうした愛の運命の無残さ痛ましさは誰にもあるのだと言っているのである。
   ワキを送るシテの後姿に、喜びの心を感じるのか、残酷な運命の哀調を感じるのか、人夫々だと思うのだが、
   私には、美しくて優雅な玄祥「楊貴妃」の若女の面は、哀調を帯びながらも、玄宗との懐かしくて幸せだった思い出をしっかりと反芻しながら噛みしめていたような気がしている。

   同時に演じられた「萩大名」と「土蜘蛛」は、稿を改めたい。
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ミラノ・スカラ座・・・「リゴレット」

2013年09月14日 | クラシック音楽・オペラ
   NHKホールでのミラノ・スカラ座の「リゴレット」を鑑賞した。
   現在最高のリゴレット歌手と言われているレオ・ヌッチだが、今回は、ダブルキャストで来日しているゲオルグ・ガグニーゼ がタイトルロールを歌う公演日を選んだ。
   レオ・ヌッチのリゴレットやフィガロをロンドンで、その黄金時代に聴いているし、ガグニーゼは、最近、ずっと、スカラ座でリゴレットを歌っていることもあり、出来れば、これからの若いリゴレットを聴いておきたいと思ったからである。
   ガグニーゼは、グルジア生まれで、スカラ座には2007年に「椿姫」のジェルモンでデビューし、「トスカ」のスカルピア、最近では、「リゴレット」を歌い続けており、2008/09年にはメトロポリタン歌劇場にもデビューしたと言うから、正に注目のバリトンである。
   ヌッチのように、表情豊かな芸の細やかさには欠けるのだが、抑え気味ながらも陰影のはっきりした苦悶に満ちた悲劇性の表現は抜群であり、朗々とした悲哀に満ちた歌声が感動を誘う。
   これまでに、イングヴァール・ヴィクセル、レナート・ブルソン、ディミトリ・ホロストフスキーなど何人かの個性豊かなリゴレットを聴いているので、そのバリエーションにも興味がある。

   マントヴァ公爵だが、私の最高の思い出は、若きパヴァロッティだが、今回は、ジョセフ・カレヤが直前に契約をキャンセルしたとかで、 急遽、フランチェスコ・デムーロに変わっていた。
   どうも、カレヤは、直前に、ロンドンのBBC Proms/Verdi arias - Royal Albert Hallでの公演があったようで、それに、19日にパリのシャンゼリーゼ劇場でフランス国立管とのヴェルディ・アリア公演のスケジュールが入っているのだが、いくら日本よりもヨーロッパの方が重要だとしても、スカラ座を蹴るなどと言うのは、キャリアに極めてマイナスとなろう。
   あのトスカニーニやキリ・テ・カナワさえ、代役で華々しいデビューを飾ったのであるし、これまでにも、代役の方が良かったことは何度もあるので、私など、スーパー・スターでない限り、どっちでも良いと思っている。
   デムーロだが、スカラ座には、ステファノ・セッコの代役として、急遽リハーサルなしで、2010年2月に『リゴレット』のマントヴァ公爵役でデビューし、衝撃的な大成功をおさめ、パヴァロッティ亡き後、イタリアから輩出された本格的テノールだと言うことだが、私には、ドン・ファン色を殆ど感じさせないオーソドックスな公爵像が好ましかったし、素晴らしい歌声に感動して聴いていた。

   ジルダは、エレーナ・モシュク。ルーマニア生まれの超絶技巧的コロラトゥーラのトップ・ソプラノと言うだけあって、容姿は実に小柄な人形のような美人だが、透き通って美しいピュアーなソプラノは凄い迫力で、舞台を圧倒して感動の坩堝に巻き込む。
   手元に、ヌッチのリゴレットとのチューリッヒでのDVDがあるが、ウィーンやバイエルンでもジルダで好評を博したと言うから当然であろう。
   エヴァ・メイやエカテリーナ・シウリーナなどのチャーミングなジルダも観ているが、夫々、リゴレット歌手との相性があり、モシュクの場合にも、ヌッチとガグニーゼとで、微妙な表現の差があるのが面白い。

   私が、最も注目したのは、指揮者のグスターボ・ドゥダメルで、1981年生まれのベネズエラ人で、現在、新しい時代を担う世代の指揮者として最も注目を集めている指揮者の一人で、“現在最もチケットの入手が難しい”ともいわれるほどの寵児である。
   春のN響のコンサートで聞いたと思うのだが、今回は、素晴らしいヴェルディ節に聞き惚れていたので、ドウダメルの指揮がどうだったか、全く記憶にない。
   

   このオペラ「リゴレット」は、体が異形であるばかりに道化となって生きなければならない、社会から排斥された人物を主人公に据えたオペラで、人の笑いものになりながらも、醜い自分を受け入れて愛してくれた妻の忘れ形見である愛娘ジルダを、唯一の生きがいとして必死に生きようとした、実に情熱的で愛情に溢れた道化師の、あまりにも悲しい物語である。
   浮気で放蕩三昧のマントヴァ公爵の爛熟した宮廷シーンを冒頭に置いて、反逆罪で罪に問われて公爵に娘を凌辱されたモンテローネ伯爵が、激怒して憤っているのを道化として嘲笑したリゴレットに、激しい呪いの言葉を吐くのだが、その呪いが、同じ愛する娘を持つリゴレットの胸を激しく刺し抜く。
   道化として陽気に振舞っていたリゴレットが、意気消沈して第一幕が終わるのだが、この呪いのテーマが、オペラ全編を貫いて、リゴレットの悲劇へと突き進む。

   リゴレットの隠れ処で、ひっそりと暮らしているジルダだが、唯一許されている教会への外出で公爵に引っかかり、買収された侍女の誘導で二人は密会。ジルダをリゴレットの愛人だと勘違いした廷臣たちがジルダを誘拐して公爵に捧げると、喜んだ公爵はジルダに手を付ける。
   ジルダを攫われたと知ったリゴレットが宮廷に雪崩込んで来て、廷臣たちに必死にジルダを返せと懇願するが嘲笑されて制止され、そこへ、犯されたジルダが飛び出して来て、リゴレットと対面、悲しい二重唱が歌われるのだが、ジルダの「日曜ごとに教会で」と切々と歌うアリアが、あまりも美しくて感動的で、実に悲しい。

   最後の第三幕は、ミンチョ河畔にある殺し屋スパラフチーレの酒場。
   公爵を殺害しようと依頼に来たリゴレットとジルダが門前に潜む前で、公爵が、殺し屋の妹マッダレーナを口説き部屋に消え、ジルダは絶望する。男装してベローナに行けとジルダを先に帰らせたリゴレットも、殺しの済んだ深夜12時に来ると言って去る。ところが、愛する公爵を助けたくて身替りに死にたいと決意したジルダが帰って来て殺され、受け取った死骸はジルダであったことを知って、リゴレットが呪いの恐ろしさに恐れおののく。
   この幕の冒頭で公爵が歌うアリア「女心の歌」が、あまりにも有名だが、ラストシーンで、この歌声が流れてくるので、死骸が公爵でないことを知ってリゴレットは絶望のどん底。

   この悲劇の最初から最後までと言ってよい程、甘味で実に美しい、時には、絶望のどん底に陥れるような凄惨で悲痛な、とにかく、何時までも途切れることなく素晴らしいアリアが延々と続き、聴衆をドラマの奈落に突き落として離さない。
   このオペラの演出は、舞台も豪華で時代設定を違うことなく、それに、シチュエーションにも、ドラマにマッチした工夫があっちこっちに凝らされているので、最近よくあるようなモダンな風潮がなくて、非常に正統派的であり、すべての役者が、ヴェルディのオペラの特質でもある音楽劇であると言うことを意識してか、役作りや心理描写が非常に上手くて、上質の戯曲を観ているような感じがした。
   

   さて、思い出話になるが、私が最初に観たリゴレットは、1971年のNHKイタリア歌劇で、マントヴァ公爵が、ルチアーノ・パヴァロッティ、リゴレットがピーター・グロッソップ、ジルダがルイズ・ラッセル、スパラフチレがルッジェロ・ライモンディ、それに、指揮はロヴロ・フォン・マタチッチと言う豪華版で、パヴァロッティの「女心の歌」の素晴らしさに圧倒されたのを思い出す。

   それから、アメリカ、ヨーロッパで、何度もパヴァロッティを聴くことになるのだが、私が、オペラにのめり込んだ(?)切っ掛けは、この公演と、少し前に見たNHKイタリア歌劇の「ラ・ボエーム」、そして、 1967年の大阪での「バイロイト・ワーグナー・フェスティバル」での、トリスタンとイゾルデで、指揮:ピエール・ブーレーズ、ヴォルフガング・ヴィントガッッセン、ビルギット・ニルソン、ハンス・ホッターと言う凄い歌手たちの織り成す途轍もない歌声であろうと思う。
   それから、アメリカ、ブラジル、ヨーロッパへと生活舞台が移ったのであるから、オペラとクラシック音楽鑑賞熱は、益々、高くなって行った。

   最近観たリゴレットは、このブログでも書いているが、8年前に、ロンドンのロイヤル・オペラで、エドワード・ダウンズ指揮で、マントヴァ公爵がローランド・ヴィラゾンの舞台。リゴレットはディミトリ・ホロストフスキー、ジルダはエカテリーナ・シウリーナ。
   次は、7年前、ローマ歌劇場の来日公演で、リゴレットはレナート・ブルソン、ジルダはエヴァ・メイ、マントヴァ公爵はステファノ・セッコ、指揮は、ブルーノ・バルトレッティ。
   そのほかでは、アメリカやヨーロッパでも結構見る機会があったと思うのだが、記憶としては、微かに断片程度にしか残っていないのだが、私の頭の中には、第二幕の最後の、リゴレットが復讐は俺がすると叫び、公爵を許してと応えるジルダが歌う激しい二重唱のメロディが、何時も渦巻いていて、リゴレットと言うと、一気に迸り出る。
   

   ところで、ミラノのスカラ座だと、休憩時間には、客席横のドアが開け放たれて、隣接する素晴らしいスカラ座ミュージアムに入って、美術鑑賞と散策を楽しめるのだが、如何せん、箱モノにしか過ぎないNHKホールは、無粋極まりないのが残念である。

(追記)口絵写真は、旅行中に撮ったミラノ・スカラ座。この時、スカラ座で観たのは、ロッシーニの「チェネレントラ」。
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ミラノ・スカラ座・・・「ファルスタッフ」

2013年09月12日 | クラシック音楽・オペラ
   ミラノ・スカラ座のヴェルディ、それも、シェイクスピア原作の「ファルスタッフ」であるから、文句なしに観劇に出かけた。
   最近、ファルスタッフを観たのは、7年前のフィレンツェ歌劇場のライモンディの凄い「ファルスタッフ」と、作曲者は違うが、昨年ウィーン・フォルクスオーパーで、オットー・ニコライの「ウインザーの陽気な女房たち」。
   現地では、随分前に、ウィーン国立歌劇場やロンドンのロイヤル・オペラで素晴らしい舞台を観ているのだが、ロンドンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)で、2度、シェイクスピア劇でも鑑賞しているので、私にとっては、かなり、お馴染みのオペラである。

   
   イギリスに赴任して、初めて、ロンドンのバービカン劇場で、RSCのシェイクスピア劇を観たのが、「ヘンリー4世」で、
   この時の重要登場人物が、怪しげなロンドンの下町で家来として仕えて、ハル王子に追剥強盗あらん限りの悪行を教え込む太鼓腹の放蕩無頼の巨漢がファルスタッフで、ハル王子がヘンリー五世になると即座にお払い箱となって野に下る、そんな無頼漢であった。
   肩書こそ騎士だが、国家の運命などわれ関せず、欲と言う欲はひとつ残らず味わい尽くし名誉心など一かけらもない勝手気ままな自由人で、居酒屋猪首亭に入り浸り。
   このヴェルディのオペラは、台本作者のヴォイトが、この「ヘンリー4世」と落ちぶれたファルスタッフを描いた「ヘンリー5世」のイメージを加味して、シェイクスピアの喜劇「ウインザーの陽気な女房たち」を下敷きにして書いたファルスタッフのオペラで、喜劇を書きたくてウズウズしていたヴェルディが、喜んで書いた80歳間近の最晩年の作品である。

   エリザベス女王も、このヘンリー4世をご覧になったのであろう。
   陛下は痛くご執心で、シェイクスピアに、ファルスタッフを主人公にして恋の物語を書けとお命じになって生まれたのがこの戯曲で、何故か、イギリスでは、ファルスタッフが、シェイクスピアの登場人物で、最も愛されているキャラクターだと言うから面白い。
   この口絵写真(旅行中に撮影)のスカラ座の前に立つヴェルディと同じように、シェイクスピアの故郷ストラトフォード・アポン・エイヴォンのRS劇場前広場にファルスタッフ像が立っている。

   さて、ヘンリー5世に追放されて流れ着いたのがウインザー。元より羽振りが良くないので、質の悪い子分を連れて来たが、彼らが窃盗や狼藉で静かな田舎町に騒動を巻き起こす。
   そんなところから、このオペラは始まるのだが、シェイクスピアの原作よりも、かなり、シンプルにして、
   ファルスタッフ(アンブロージョ・マエストリ)が、金蔓にしようと目論んで、名家で富裕なフォード夫人アリーチェ(バルバラ・フリットリ)とページ夫人メグ(ラウラ・ポルヴェッレッリ)に、同文のラブレーターを送り、ものにしようとするが、口説こうと訪問中に、逆に、夫フォード(マッシモ・カヴァレッティ)が帰って来たと大きな洗濯籠に入れられて、テムズ川に放り投げられ、これに懲りずに、また、夜の森でのデートに誘われて、妖精や化け物に変装した一同に散々とっちめられると言う話になっている。
   これに、フォードが、娘ナンエッタ(イリーナ・ルング)を医師カイウス(カルロ・ボージ)と結婚させようとするのだが、相思相愛のフェントン(アントニオ・ポーリ)との恋物語や、アリーチェからの逢引きの使者として口八丁手八丁の陽気なクイックリー夫人(バニエラ・バルチェッローナ)を登場させ、また、嫉妬深いフォードが、アリーチェの浮気を確かめるために、フォンターナと名乗ってファルスタッフを訪問し、アリーチェを口説いてくれと頼むと言う挿話が加わっている。

   この最後の件だが、ファルスタッフは、クイックリー夫人の色よいアリーチェからの誘いを聞いた後だから、もう、良いところまで行っていると返事するので、フォードは錯乱状態。舞台が一瞬暗くなって、フォードが歌いだすモノローグが、「夢か、うつつか・・・」悲劇「オテロ」のパロディだと言うから、晩年のヴェルディの冴えも流石である。

   このオペラの舞台は、ファルスタッフが逗留するイン・ガーター亭、フォード邸のDK、そして、最後は、ウインザーの森とペイジ邸の広間。
   ガーター亭は、どちらかと言えば、ロンドンのジェントイルマン・クラブを模した感じで一寸豪華過ぎる雰囲気で、フォード亭は至ってモダン。
   最後の妖精たちの舞う夜のウインザーの森は、それなりに雰囲気があって面白かったが、今まで、非常に美しくて幻想的な素晴らしい舞台を観ているので、一寸、印象が違った。

   「人々は、すべて、騙されて生きている」。「この世はすべて冗談、人間はみな道化」と言ったシェイクスピアの透徹した人生訓が、このオペラのエンディング。
   このオペラは、ベルカント風のアリアはなく、正に、音楽が奏でる演劇なのだが、夜の森の冒頭シーンで歌われるフェントンのソロ「唇をついて舞う喜びの歌」や、妖精の女王に扮したナンエッタのソロ「夏のそよ風に乗って」の美しさは、格別である。

   さて、前回は、イタリアの至宝ライモンディのファルスタッフだったが、
   今回は、1970年イタリアのパヴィア生まれで、ヴェルディの諸役を中心に世界の舞台で活躍中。なかでもファルスタッフは最大の当たり役だと言うマエストリ。豊かな声、自身も認めるファルスタッフそのもの(?)の堂々たる体躯、コミカルさをもちながらも人生の“哲学”を感じさせる奥深い表現など、当たり役として極められたファルスタッフが、聴衆をうならせるはず。 とHPで広報されているように、一寸、英国流シェイクスピア劇の雰囲気とは多少違う感じがするものの、理想的なファルスタッフで、最初から最後まで、楽しませてくれる。
   興味深いのはHPのインタビューで、
   「カーセンの演出ではファルスタッフをイタリアンではなく、ブリティッシュとしてとらえているという点で随分と考え方の違いがあった。カーセン演出はコミックでありながら、マリンコニック(哀愁)なところも大変意識していて、とても詩的に仕上がっていることを納得。第3 幕冒頭で、馬と対話するシーンで、それまでやりたい放題行動してきたファルスタッフがコミカルな表現からマリンコニックな表現に変わるところは人生を省みるようで、ファルスタッフを自分自身の作品だと言ったヴェルディ自身の人生にも重ねているように感じる。」と言っており、最晩年になって、ヴェルディが、何故、喜劇作品に挑戦したのか、その謎が解けそうで興味深い。

   普通は、前述のライモンディのように、ファルスタッフのイメージに合わせるべく、体躯や衣装に工夫をこらすのだが、ブッツケ本番、生身の体で、ファルスタッフを歌い演じきれる役者・歌手は稀有である。

   ヴェルディは、テノールではなく、バリトンを主役にオペラを書いており、もう一人の主役のバリトンが、フォードのカヴァレッティ。2004年にベルガモのドニゼッティ劇場でデビューして、スカラ座で「セビリャの理髪師」のフィガロも歌ったと言うから、まだ、若くて非常にエネルギッシュで、ガーター亭でのフォンターナになって、マエストリを相手に互角に渡り合うなど、将来が楽しみである。

   私が最も期待していたのが、アリーチェのフリットリで、前回のフィレンツェ歌劇場公演でも、ライモンディを相手に素晴らしい舞台を見せていた。
   その時の私の感想が、「フリットリのアリーチェだが、歌の上手さは抜群であり、その上に品があって実に優雅でコケテッシュ。何回か、RSCやオペラで他のフォード夫人を見ているが、これほどぴったりした役者は少ない。」

   クイックリー夫人のバルチェッローナ、注目の若手ルングとポーリが演じる若い恋人たちなど素晴らしい歌手たちも加わって繰り広げた珠玉のような、最高峰のスカラ座のファルスタッフ。
   何よりも、1975年イギリスのオックスフォード生まれで、サイモン・ラトルやクラウディオ・アッバードに薫陶を受けて、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのダニエル・ハーディングの素晴らしい指揮が、華を添えたことは間違いない。
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九月大歌舞伎・・・不知火検校

2013年09月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
  随分昔になるので、記憶は定かではないが、勝新太郎の映画で「不知火検校」を見た記憶がある。
   あまりにも凄惨な無頼漢の検校の話なので、好きなテーマではないが、何十年ぶりかの舞台と言うので、「悪の華相勤め申し候」と言う幸四郎の芝居を見たくて、新橋演舞場に出かけた。

   悪がきの頃から手癖の悪い富の市(幸四郎)は、鈴ヶ森で、癪に悩む旅人に出会い、療治の途中で懐の200両の大金に気づき、殺して奪う。それを目撃した生首の次郎(橋之助)が杉の市を脅したので山分け。その気風にほれ込んだ次郎は、江戸での再会を約し、掛守を証拠に、江戸の親分鳥羽屋丹治(彌十郎)を訪ねろと再会を約す。
   富の市が頭目になって、この二人と丹治の弟玉太郎(亀鶴)のタグチームが、江戸市中を盗賊として荒らしまわる。

   杉の市は、師匠の不知火検校から、旗本・岩瀬藤十郎(友右衛門)の奥方・浪江(魁春)からの借金30両を断るように頼まれて訪問すると、岩井は不在で、奥方の浪江に会うと、奥方の療治を条件に、検校は断ったが自分が無証文で貸すと言う。
   主のいない深夜、胸に手が入ると、当然の成り行き。一転俄かに掻き曇り雷鳴落雷の大嵐。裾を捲った富の市の手が奥に・・・舞台が真っ暗になって雷鳴と豪雨の音のみ。
   翌朝、帰って来た岩瀬を丸め込んで、昨夜預けた30両を返せと浪江に申しつけ、夫に内緒の借金なので狼狽する浪江を尻目に、ほくそ笑んで帰って行く。

   杉の市は、更に悪への欲望を満足させるためには地位が不可欠だと、不知火検校を殺し、自らが二代目を襲名しようと考えて、丹治と玉太郎を実行犯に選んで決行する。師匠を殺めようとする富の市に恐れをなした丹治は、富の市を殺そうとするが相手は上手。

   
   浮世絵画で名を成した湯島おはん(秀太郎)を妻にするが、指物師房五郎(翫雀)と言う愛人がいるのを知っていて、検校は、最高の長持を注文する。長持を製作している間も、二人は逢瀬を繰り返すので、出来上がった長持を見て、検校は誉めそやすが、お礼の療治と偽って針を刺して殺し、それを知って動転するおはんも絞め殺す。

   江戸城の御金蔵破りを目論む富の市は、御金蔵の取り締まり組頭となった岩瀬の療治のために、翌日、立派な駕籠に乗り、江戸城に向うが、祭の群衆で賑わう中を、寺社奉行石坂喜内(左團次)に囲まれて捕縛される。
   検校の悪行に怖気づいた玉太郎が、奉行に訴え出たのだが、捕縛されて花道を退場する検校の庶民を見下して馬鹿にした捨て台詞が、この舞台の悪の華たる検校の検校たる所以であろうが、私には、実に白々しくて空虚であった。

   私には、窃盗と人殺しの連続の舞台で、その殺伐さと無味乾燥ぶりに食傷気味だったのだが、面白かったのは、一寸不謹慎な表現をしたが、富の市が、岩瀬の奥方を籠絡させて行く場面で、魁春が、非常にオーソドックスなのだが、中々、品格と奥行きのある素晴らしい演技を披露していて上手いと思った。
   映画では、勝新太郎の奥方中村玉緒が演じたのだが、見ものであったであろう。

   
   何故だか分からないが、孝太郎のおはんの母おもとの秀太郎、おはんの愛人房五郎の翫雀も、三人とも関西の役者で固めていたのだが、雰囲気が違っていて面白かった。

   不知火検校のタイトルロールを演じた幸四郎だが、中々、駆け出しの按摩から貫録十分の検校まで、正に、緩急自在に、実に心地よい役作りの連続で、千両役者の風格であり、それに、時々、観客を喜ばせるアドリブ風のセリフや仕草のサービスぶりも堂に入っていて、中々のものである。
   ただ、私には、挿話が多すぎて、富の市や検校たちの悪辣ぶりや人殺しなど事件ばかりの連続で、南北張りのもう少し底の深い悪や心理描写などが欠けていて、もう一つ、感興が盛り上がらなかった。

   RSCのシェイクスピア劇と比べれば分かるが、シェイクスピア戯曲の場合には、非常に短い会話で舞台展開が激しいのだが、舞台を展開せずに同じ舞台上で、シーン転換を演じることが多い。
   ところが、歌舞伎の場合には、どうしても舞台がしっかりと組み立てられているので、バックを多少展開する程度では、追い付かずに、照明を消したり幕を引いたりするので、劇の流れが止まってしまうきらいがある。

   それに、シェイクスピアのオセロやハムレットなどの悲劇のように、深い心理描写や心の葛藤など人間の表現に深さがあるのだが、今回のように、悪業の連続で、見せる舞台に力点を置くと、どうしても、舞台シーンにばかり気が入って、物語を楽しむと言う芝居の楽しみが、少し薄れてしまう。
   私など、悪の華などと言う、悪を美しいと思うような感覚がないので、そう思うのかも知れないが、これが、歌舞伎の歌舞伎たる所以なのかも知れないと言う気持ちもしていて、一寸、複雑である。



   
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