毎年恒例の「相曽ヴァイオリン・リサイタル」が、今回は東京文化会館の小ホールから場所を代えて、千駄ヶ谷の津田ホールで開催された。
今回は、、一昨年に伴奏をつとめたピアニスト・サム・ヘイウッドとともに、ウィーンに関係ある作曲家ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調と、R.シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ変ホ長調を両端にして、サン=サーンスのワルツ・カプリースと「白鳥」を挟むと言うプログラムの素晴らしく格調の高い演奏会であった。
結構、演奏会には足を運んでいるつもりなのだが、このプログラムでは、サン=サーンスの動物の謝肉祭の「白鳥」しか聞いたことがない。
ロンドン響だったかコンセルトヘヴォー管だったか忘れたが、チェロのソロであった。
映像でしか記憶はないが、ウラノワの瀕死の白鳥の優雅な姿が目に焼き付いているのだが、ヨーロッパに行ってからは、白鳥を、あっちこっちで見て、馴染みの鳥であることを知った。
オランダの運河の畔で歩いている親子の白鳥などは、正に、醜いアヒルの子の行列なのである。
相曽の白鳥は、実にピュアーな、しかし、実に温かくて優しい音色で、感動を呼ぶ美しさである。
アンコールで演奏したエルガーの「愛の挨拶」もそうだが、どんな小曲でも、相曽の人間性そのものが迸り出ていて、実に滋味深い包み込むような豊かな響きが輝いていて、それに呼応して奏でるピアノのサウンドの美しさは、また、格別なのである。
シュトラウスのソナタについては、”若いエネルギーがみなぎる青年シュトラウスの曲だ”と言っていたが、正に、ハプスブルグ王朝の世紀末の爛熟期に花開いた華やかな曲で、私には、後の壮大なオペラへの片鱗を感じさせる演奏であった。
相曽は、自分のコンサートの最後に持ってきた曲であるから、流石に満を持したダイナミックな素晴らしい演奏であった。
案内によると、朝日カルチャーで、相曽とヘイウッドは、プロシア皇帝ヴィルヘルム2世時代の国家風潮とその影響を、当時の美術と音楽=野心に満ちた青年シュトラウスのヴァイオリン・ソナタの中に探り、・・・生演奏にユーモアと心理的洞察を交えて解説すると言うことである。
やや厳しいしっかりとしたベートーヴェンの第7番を冒頭に持ってきて、色彩豊かなサン=サーンスに繋ぐなど、芸の細かささえ感じるのだが、私は、いつも、相曽の演奏を聴きながら、イギリス、そして、ヨーロッパを感じている。
紛れもなく、相曽は、徹頭徹尾、代表的な日本男児だと思うが、非常に人格円満で優しくて包容力のある人物なので、イギリス社会に受け入れられて、完全に、ヨーロッパ人に同化しており、相曽サウンドの中には、ヨーロッパ・オリジンのクラシックそのものの香りと息吹が滲み出ており、それが、年ごとに深まりながら、そして、それを、日本人としての魂が呼応して、相曽の芸術を高みへと導いているような気がしている。
イギリス生活20年と言っていたが、このヨーロッパをベースにした相曽の音楽活動が、日本をベースにした日本人の音楽家とも、あるいは、ヨーロッパ・オリジンの音楽家とも違った、豊かさ深さ大きさを生み出しているのである。
相曽青年が、初めてロンドンに着いて電話してきて逗留したのが、キューガーデンにあった我が家で、あれから、早20年。
それから、相曽青年のRoyal Academy of Artsでの音楽修業が始まった。
その合間に、我が家を訪れた相曽君に頼んで、ミニ・コンサートを開いて、子供たちと演奏してもらい、近所の娘の日本人小学校仲間の家族を招待して楽しんでもらった。
20年前に、相曽賢一朗のファンになった昔の仲間たちが、毎年、相曽賢一朗コンサートの日に集まって同窓会を開いており、この日を楽しみにしている。
この口絵写真は、昨夜のコンサート終了後、ファンにCDにサインしていた相曽賢一朗に、「相曽君、写真撮ってもよい?」と割り込んだのだが、厚かましい私の声を覚えてくれていたのであろう、にっこり、応えてくれたワン・ショットである。
肖像権の侵害だと言わないと思うので、ついでに、相曽青年の20年前の我が家のミニ・コンサートでの2ショットをここに紹介しておきたい。
相曽青年を招待して、ハンプトン・コート宮殿でのホセ・カレラス演奏会の帰途、交差点で、私の運転していたベンツが追突されるなど、随分いろいろなことがあったが、あれから、もう20年である。
随分成長して、素晴らしい音楽家としてヨーロッパ各地で活躍している相曽賢一朗の演奏会を、毎年、楽しみにしていて、いそいそと出かけている。
今回は、、一昨年に伴奏をつとめたピアニスト・サム・ヘイウッドとともに、ウィーンに関係ある作曲家ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調と、R.シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ変ホ長調を両端にして、サン=サーンスのワルツ・カプリースと「白鳥」を挟むと言うプログラムの素晴らしく格調の高い演奏会であった。
結構、演奏会には足を運んでいるつもりなのだが、このプログラムでは、サン=サーンスの動物の謝肉祭の「白鳥」しか聞いたことがない。
ロンドン響だったかコンセルトヘヴォー管だったか忘れたが、チェロのソロであった。
映像でしか記憶はないが、ウラノワの瀕死の白鳥の優雅な姿が目に焼き付いているのだが、ヨーロッパに行ってからは、白鳥を、あっちこっちで見て、馴染みの鳥であることを知った。
オランダの運河の畔で歩いている親子の白鳥などは、正に、醜いアヒルの子の行列なのである。
相曽の白鳥は、実にピュアーな、しかし、実に温かくて優しい音色で、感動を呼ぶ美しさである。
アンコールで演奏したエルガーの「愛の挨拶」もそうだが、どんな小曲でも、相曽の人間性そのものが迸り出ていて、実に滋味深い包み込むような豊かな響きが輝いていて、それに呼応して奏でるピアノのサウンドの美しさは、また、格別なのである。
シュトラウスのソナタについては、”若いエネルギーがみなぎる青年シュトラウスの曲だ”と言っていたが、正に、ハプスブルグ王朝の世紀末の爛熟期に花開いた華やかな曲で、私には、後の壮大なオペラへの片鱗を感じさせる演奏であった。
相曽は、自分のコンサートの最後に持ってきた曲であるから、流石に満を持したダイナミックな素晴らしい演奏であった。
案内によると、朝日カルチャーで、相曽とヘイウッドは、プロシア皇帝ヴィルヘルム2世時代の国家風潮とその影響を、当時の美術と音楽=野心に満ちた青年シュトラウスのヴァイオリン・ソナタの中に探り、・・・生演奏にユーモアと心理的洞察を交えて解説すると言うことである。
やや厳しいしっかりとしたベートーヴェンの第7番を冒頭に持ってきて、色彩豊かなサン=サーンスに繋ぐなど、芸の細かささえ感じるのだが、私は、いつも、相曽の演奏を聴きながら、イギリス、そして、ヨーロッパを感じている。
紛れもなく、相曽は、徹頭徹尾、代表的な日本男児だと思うが、非常に人格円満で優しくて包容力のある人物なので、イギリス社会に受け入れられて、完全に、ヨーロッパ人に同化しており、相曽サウンドの中には、ヨーロッパ・オリジンのクラシックそのものの香りと息吹が滲み出ており、それが、年ごとに深まりながら、そして、それを、日本人としての魂が呼応して、相曽の芸術を高みへと導いているような気がしている。
イギリス生活20年と言っていたが、このヨーロッパをベースにした相曽の音楽活動が、日本をベースにした日本人の音楽家とも、あるいは、ヨーロッパ・オリジンの音楽家とも違った、豊かさ深さ大きさを生み出しているのである。
相曽青年が、初めてロンドンに着いて電話してきて逗留したのが、キューガーデンにあった我が家で、あれから、早20年。
それから、相曽青年のRoyal Academy of Artsでの音楽修業が始まった。
その合間に、我が家を訪れた相曽君に頼んで、ミニ・コンサートを開いて、子供たちと演奏してもらい、近所の娘の日本人小学校仲間の家族を招待して楽しんでもらった。
20年前に、相曽賢一朗のファンになった昔の仲間たちが、毎年、相曽賢一朗コンサートの日に集まって同窓会を開いており、この日を楽しみにしている。
この口絵写真は、昨夜のコンサート終了後、ファンにCDにサインしていた相曽賢一朗に、「相曽君、写真撮ってもよい?」と割り込んだのだが、厚かましい私の声を覚えてくれていたのであろう、にっこり、応えてくれたワン・ショットである。
肖像権の侵害だと言わないと思うので、ついでに、相曽青年の20年前の我が家のミニ・コンサートでの2ショットをここに紹介しておきたい。
相曽青年を招待して、ハンプトン・コート宮殿でのホセ・カレラス演奏会の帰途、交差点で、私の運転していたベンツが追突されるなど、随分いろいろなことがあったが、あれから、もう20年である。
随分成長して、素晴らしい音楽家としてヨーロッパ各地で活躍している相曽賢一朗の演奏会を、毎年、楽しみにしていて、いそいそと出かけている。