私は、スポーツに殆ど関心がない分、色々なパーフォーマンス・アーツの鑑賞に過ごす時間が結構多い。
ところが、何を鑑賞して楽しむか、その中身が、若い時とは勿論のこと、外国生活も含めて、様変わりである。
今では、日本の古典芸能を観たり聴いたりすることが主体になってしまって、その相当部分は、日本芸術文化振興会にお世話になっている感じである。
最近、能や狂言を鑑賞する機会が多くなっているのだが、国立能楽堂で、非常に充実した素晴らしいプログラムの公演を月4~5回行ってくれているので、その月例公演に殆ど出かけていると、他の能楽堂へのチャンスが殆どなくなってしまう。
尤も、能楽協会から案内を頂くので、能楽協会主催の式能、能楽祭、納涼能、ユネスコ能などには必ず出かけて行くので、他の能の舞台を入れると、年に、50回以上は、能楽堂に通っていることになる。
それに、歌舞伎と文楽へは、もう、20年以上も、途切れずに劇場へ通っており、これに、国立演芸場での落語鑑賞を加えると、殆ど、日本古典芸能の世界どっぷりである。
クラシック音楽については、今は、東京都交響楽団のシリーズ公演を二つ定期メンバーで維持しているくらいで、オペラについては、今回、ローマ歌劇場公演に出かけるが、METやミラノ・スカラ座の訪日公演に時々出かける程度で、若かりし頃、そして、外国生活の頃に、目の色を変えて劇場にダッシュしていたのが懐かしいくらいである。
それに、昔は、ミュージカルにも、バレーにも良く出かけて行ったものである。
RSCなどの良質なシェイクスピア劇団などの来日公演がなくなってしまったので、芝居にも殆ど行かなくなってしまった。
家では、WOWOWのMETのライブビューイングやNHK BSでのオペラやクラシック公演を録画して、偶に、観たり聴く程度で、殆ど、CDなども聴くことがなくなってしまった。
収集癖が祟ってか、もう、半世紀ほどの歴史があるので、かなりのレコード、レーザーディスク、CD,DVDが残っているのだが、家族は、CDくらいしか聞かないので、倉庫に眠っている。
流石に、ビデオや音楽テープは、移転時に、総て処分してしまったのだが、もう、聴いたり観たり出来ないとは思うけれど、私にとっては、人生遍歴の証でもあるので、このまま置いて逝こうと思っている。
さて、今月の観劇だが、やはり、能・狂言が多くて、国立能楽堂企画分が4回、夜桜能と萬歳楽座能で、計6回である。
文楽は、大阪で2回、歌舞伎は、歌舞伎座で1回だけであった。
落語は、国立演芸場で2回。
音楽や芝居関係は、一度もなかった。
歌舞伎は、夜の部は、吉右衛門の「一條大藏譚」と幸四郎の「髪結新三」については、接近して見ており、マンネリ気味だろうと思って止めた。
いくら鳳凰祭で記念公演だと言っても、歌舞伎座も、出し物がないのかと思う程(能は勿論)脳がなく、こう思うのは私だけでもないと思う。
もう一つ疑問に思うのは、歌舞伎座の「字幕ガイド」の扱い。
レンタル料 1 台 1,000 円 「鳳凰祭四月大歌舞伎」限定 特別料金500円
(保証金は不要です。代わりに、ご利用時に携帯電話番号、または松竹歌舞伎会会員番号をご登録いただくか、身分証をご提示願います)と言うことだが、
私の記憶では、ミラノスカラ座をはじめ、国立能楽堂など、多くの劇場では、座席や、舞台上部や横などに、字幕ガイドがあるのだが、レンタル料と言う体の良い料金など、取っているところなどはどこにもない。
能や外国語のオペラならいざ知らず、芝居である筈の歌舞伎などで、聞こえて来る役者の台詞が分からないようでは、まず、話にならないと思うのだが、その字幕ガイドで、料金を取ろうと言うビジネス・センスが分からない。
これまで、客席を見ているのだが、極論すれば、誰一人として、座席の背もたれに、音声ガイド機器をつけている人はいなかった。
デジタル機器であるから、コストがかかるのは、初期費用と機器の償却コストくらいで、いくら機器が増えても、限界コストはゼロの筈である。
この程度なら、当然、お客に、サービスとして提供して楽しんでもらい、出来るだけ歌舞伎ファンを作って裾野を広げた方がはるかに賢いはずなのだが、松竹の社員は、FREEと言う本や昨今のデジタル革命時代のマーケティング本を読んでさえいないのであろうか。
昼の部については、藤十郎の「曽根崎心中」と、狂言を基にした「靭猿」を見たくて出かけた。
曽根崎心中については、このブログで印象記を書いた。
「靭猿」は、元気になった三津五郎と又五郎のコミカルタッチの舞踊を観たいと言う思いと、それに、狂言の舞台を、どのように、歌舞伎では脚色されているのかと言う興味があった。
これまで、三津五郎や又五郎の狂言を基にしたものなどのコミカルで漫画チックな舞台や舞踊を色々見ており、この二人以上に、素晴らしく喜劇を演じる役者は居ないと思っているので、何時も楽しみにしている。
この「靭猿」は、アイロニー豊かな可笑しみとほのぼのとした人間味を感じさせて、もう少し質の高い味のある喜劇の狂言とは大分差があって、換骨奪胎、舞踊と仕草で楽しませる舞台となっていて、やはり、三津五郎と又五郎の舞台である。
小猿を殺して靭にすると息巻く大名が、この舞台では、女大名三芳野(又五郎)と女になっていて、又五郎が、醜女風の恋多き女としてドタバタを演じるので笑わせる。
猿曳寿太夫の三津五郎が、小猿を売るのを苦しみながらしんみりと小猿に説得する優しい好々爺なのだが、小猿の仕草があまりにも可愛いので、完全に喰われた感じ。
しかし、前にも増して艶のある愉快な演技と元気な踊りを見せて、本調子の三津五郎に観客は惜しみなき拍手を贈る。
国立演芸場の落語は、中席で、トリが歌丸だったが、病気で休演。
代わりを円楽が務めた。
円楽は、初めてだったので、酒飲みの話「ずっこけ」を楽しませて貰った。
小文治が、「7段目」。歌舞伎に入れ込み過ぎたドラ息子の話で、同じく歌舞伎好きの丁稚と、仮名手本忠臣蔵の7段目の平右衛門とお軽との掛け合いを演じると言うところだが、いくら面白くて良く出来た落語で、噺家がいくら上手く語っても歌舞伎擬きで下手であり、何回も、この「一力茶屋」の舞台を観ている私には、一寸、場違いな感じで複雑な気持ちで聴いていた。
遊雀が、「悋気の独楽」。前の三平の舞台と同様実に面白く、妾の色っぽさなど秀逸であった。
夢太郎が、「竹の水仙」。左甚五郎の人情噺で、「ねずみ」同様に、しんみりと聞かせる。
歌丸がトリの舞台では、やはり、素晴らしい噺家が、競演するので、結構面白いのである。
能については、まだ、初歩の段階で、それ程、分かっているようには思えないので、感想は省略したい。
ところが、何を鑑賞して楽しむか、その中身が、若い時とは勿論のこと、外国生活も含めて、様変わりである。
今では、日本の古典芸能を観たり聴いたりすることが主体になってしまって、その相当部分は、日本芸術文化振興会にお世話になっている感じである。
最近、能や狂言を鑑賞する機会が多くなっているのだが、国立能楽堂で、非常に充実した素晴らしいプログラムの公演を月4~5回行ってくれているので、その月例公演に殆ど出かけていると、他の能楽堂へのチャンスが殆どなくなってしまう。
尤も、能楽協会から案内を頂くので、能楽協会主催の式能、能楽祭、納涼能、ユネスコ能などには必ず出かけて行くので、他の能の舞台を入れると、年に、50回以上は、能楽堂に通っていることになる。
それに、歌舞伎と文楽へは、もう、20年以上も、途切れずに劇場へ通っており、これに、国立演芸場での落語鑑賞を加えると、殆ど、日本古典芸能の世界どっぷりである。
クラシック音楽については、今は、東京都交響楽団のシリーズ公演を二つ定期メンバーで維持しているくらいで、オペラについては、今回、ローマ歌劇場公演に出かけるが、METやミラノ・スカラ座の訪日公演に時々出かける程度で、若かりし頃、そして、外国生活の頃に、目の色を変えて劇場にダッシュしていたのが懐かしいくらいである。
それに、昔は、ミュージカルにも、バレーにも良く出かけて行ったものである。
RSCなどの良質なシェイクスピア劇団などの来日公演がなくなってしまったので、芝居にも殆ど行かなくなってしまった。
家では、WOWOWのMETのライブビューイングやNHK BSでのオペラやクラシック公演を録画して、偶に、観たり聴く程度で、殆ど、CDなども聴くことがなくなってしまった。
収集癖が祟ってか、もう、半世紀ほどの歴史があるので、かなりのレコード、レーザーディスク、CD,DVDが残っているのだが、家族は、CDくらいしか聞かないので、倉庫に眠っている。
流石に、ビデオや音楽テープは、移転時に、総て処分してしまったのだが、もう、聴いたり観たり出来ないとは思うけれど、私にとっては、人生遍歴の証でもあるので、このまま置いて逝こうと思っている。
さて、今月の観劇だが、やはり、能・狂言が多くて、国立能楽堂企画分が4回、夜桜能と萬歳楽座能で、計6回である。
文楽は、大阪で2回、歌舞伎は、歌舞伎座で1回だけであった。
落語は、国立演芸場で2回。
音楽や芝居関係は、一度もなかった。
歌舞伎は、夜の部は、吉右衛門の「一條大藏譚」と幸四郎の「髪結新三」については、接近して見ており、マンネリ気味だろうと思って止めた。
いくら鳳凰祭で記念公演だと言っても、歌舞伎座も、出し物がないのかと思う程(能は勿論)脳がなく、こう思うのは私だけでもないと思う。
もう一つ疑問に思うのは、歌舞伎座の「字幕ガイド」の扱い。
レンタル料 1 台 1,000 円 「鳳凰祭四月大歌舞伎」限定 特別料金500円
(保証金は不要です。代わりに、ご利用時に携帯電話番号、または松竹歌舞伎会会員番号をご登録いただくか、身分証をご提示願います)と言うことだが、
私の記憶では、ミラノスカラ座をはじめ、国立能楽堂など、多くの劇場では、座席や、舞台上部や横などに、字幕ガイドがあるのだが、レンタル料と言う体の良い料金など、取っているところなどはどこにもない。
能や外国語のオペラならいざ知らず、芝居である筈の歌舞伎などで、聞こえて来る役者の台詞が分からないようでは、まず、話にならないと思うのだが、その字幕ガイドで、料金を取ろうと言うビジネス・センスが分からない。
これまで、客席を見ているのだが、極論すれば、誰一人として、座席の背もたれに、音声ガイド機器をつけている人はいなかった。
デジタル機器であるから、コストがかかるのは、初期費用と機器の償却コストくらいで、いくら機器が増えても、限界コストはゼロの筈である。
この程度なら、当然、お客に、サービスとして提供して楽しんでもらい、出来るだけ歌舞伎ファンを作って裾野を広げた方がはるかに賢いはずなのだが、松竹の社員は、FREEと言う本や昨今のデジタル革命時代のマーケティング本を読んでさえいないのであろうか。
昼の部については、藤十郎の「曽根崎心中」と、狂言を基にした「靭猿」を見たくて出かけた。
曽根崎心中については、このブログで印象記を書いた。
「靭猿」は、元気になった三津五郎と又五郎のコミカルタッチの舞踊を観たいと言う思いと、それに、狂言の舞台を、どのように、歌舞伎では脚色されているのかと言う興味があった。
これまで、三津五郎や又五郎の狂言を基にしたものなどのコミカルで漫画チックな舞台や舞踊を色々見ており、この二人以上に、素晴らしく喜劇を演じる役者は居ないと思っているので、何時も楽しみにしている。
この「靭猿」は、アイロニー豊かな可笑しみとほのぼのとした人間味を感じさせて、もう少し質の高い味のある喜劇の狂言とは大分差があって、換骨奪胎、舞踊と仕草で楽しませる舞台となっていて、やはり、三津五郎と又五郎の舞台である。
小猿を殺して靭にすると息巻く大名が、この舞台では、女大名三芳野(又五郎)と女になっていて、又五郎が、醜女風の恋多き女としてドタバタを演じるので笑わせる。
猿曳寿太夫の三津五郎が、小猿を売るのを苦しみながらしんみりと小猿に説得する優しい好々爺なのだが、小猿の仕草があまりにも可愛いので、完全に喰われた感じ。
しかし、前にも増して艶のある愉快な演技と元気な踊りを見せて、本調子の三津五郎に観客は惜しみなき拍手を贈る。
国立演芸場の落語は、中席で、トリが歌丸だったが、病気で休演。
代わりを円楽が務めた。
円楽は、初めてだったので、酒飲みの話「ずっこけ」を楽しませて貰った。
小文治が、「7段目」。歌舞伎に入れ込み過ぎたドラ息子の話で、同じく歌舞伎好きの丁稚と、仮名手本忠臣蔵の7段目の平右衛門とお軽との掛け合いを演じると言うところだが、いくら面白くて良く出来た落語で、噺家がいくら上手く語っても歌舞伎擬きで下手であり、何回も、この「一力茶屋」の舞台を観ている私には、一寸、場違いな感じで複雑な気持ちで聴いていた。
遊雀が、「悋気の独楽」。前の三平の舞台と同様実に面白く、妾の色っぽさなど秀逸であった。
夢太郎が、「竹の水仙」。左甚五郎の人情噺で、「ねずみ」同様に、しんみりと聞かせる。
歌丸がトリの舞台では、やはり、素晴らしい噺家が、競演するので、結構面白いのである。
能については、まだ、初歩の段階で、それ程、分かっているようには思えないので、感想は省略したい。