熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

Design UK フォーラム・・・英国発の革新的デザイン:デイビッド・トング代表

2008年09月30日 | 経営・ビジネス
   英国大使館の大使公邸で、UK-Japan 2008 Design UK フォーラムが開かれて、英国の革新的な新鋭デザイン会社 The Division のデイビッド・トング代表が「3Dデザイン」について、そして、日産自動車の中村常務執行役CCOが日産のグローバルデザイン戦略などについて、夫々非常にユニークな講演を行って感銘を与えた。
   
   ウインブルドン現象で、殆ど製造業を海外企業に明け渡し、成長を謳歌して来た最も得意とする金融においても海外資本がシティを押さえている英国だが、
   最近、”UK Creativity―創造する英国”をテーマに、クリエイティブ産業に力を入れ、その創造的な経済効果を活性化するために、広告、建築、デザイン、ファッション、映画、音楽など13分野の育成強化に努めており、その一環として、
   英国大使館とブリティッシュ・カウンシルが、日本にデザイン通商使節団を送り込むなど積極的に活動を行っている。

   先日、青海のトヨタで開かれたユニバーサルデザイン2008ビジネス・シンポジウムでも、この一環だが、英国アロイ社のガス・デバラ会長が基調講演を行って、イギリスにおける革新的な万人に等しく貴重なユニバーサルデザインへの取り組みが如何に進んでいるかを説明していたが、古風で保守的なイメージの強いイギリスが、率先して革新的でクリエイティブな創造社会へのアプローチに非常に意欲的なのが印象的だった。

   日本では、イノベーション、イノベーションと騒いでいるが、イギリスやアメリカでは、正に、今日の知識情報化社会の根幹であるクリエイティビティをインスパイアして、経済社会の根本から変革して価値を創造しようとしているのであろうか。
   
   トング氏は、前1世紀時代のローマ人マルカス・V・ポーリョが「アーキテクツーラ」に記載した、Structureは、History Function Beautyの3つの特質を体現していなければならないと言う説を取って、これに基づいた3Dデザイン・コンセプトを編み出し、実際に実践することによって、素晴らしいクリエイティブなデザインを次から次へと生み出している。

   現在は、正に、デザインの危機に直面している。
   テクノロジーは、顧客を無視して早くて手っ取り早くて安いものばかりにフォーカスしてコモディティ化してしまい、
   悲しいかな、デザインも、将来を見越した企業価値の創造やブランド力強化に力を入れずに新規を衒ったものばかりに傾注し、企業の歴史や伝統とかけ離れたビジネス無視と言ったどこもかしこも同じ手法でデザインされてコモディティ化してしまっており、
   市場においても殆ど差別化されない同じようなものばかりしかないので消費者はうんざりしている。と言う。

   この製品が、何であり何を顧客に提供しようとしているのか、はっきり、伝達する物語がなければならないし、
   会社の過去の歴史と将来像を体現してコア・バリューをはっきり示していなければならないし、
   顧客が買い続けたいと熱狂するようなものを作らなければならない。
   そうするためには、3Dデザイン・コンセプトで、創造的なデザインを生み出さなければならないと言うのである。

   歴史や文化遺産を無視した日本のデザインの例として、過去の砂庭や漆器や鉄瓶の素晴らしいデザインと、現在の国籍不明の音響機器のデザインとを対比させて、日本人やその過去の文化伝統と決別したデザインの虚しさを説明する。
   デザインを通して、製品に物語らせ、会社のコア・バリューが何なのかを顧客に訴えかけるようなものを作り出さなければならないと説く。
   History, Function, Beautyを夫々体現すれば、どのような製品のデザインになるのかフォルクスワーゲンや婦人服のファッションなど色々なケースを説明していたが、非常に面白かった。

   日本の企業と一緒に仕事をしていて気づいたのは、日本の企業のデザインは殆ど他の部門と関係なく独立で仕事をしているが、欧米の場合には、販売・営業・製造・企画など色々な部門と連携しながら行っているとコメントしていたが、
   日本企業の業務遂行の整合性の欠如、連係プレーの欠如、セクショナリズムなどを指摘していて興味深いと思った。
   先日、TOTOのプレザンターが、便所のユニバーサル・デザインの斬新でユニークなデザイン・コンセプトを作り出す時に、初めて、独立のアーキテクトの仕事やデザインを勉強したり、他部門と協調したと語っていたが、このことを語っているのであろう。

   日産の中村常務も語っていたが、素晴らしいデザインを生むためには、多くの異分野の人材の協力強調が必要であり、その人材もグローバルベースであることが望ましいと言うことであろう。
   このブログでも何度も触れているが、異文化、異分野の科学知識など、異質な分子を糾合してメディチ・インパクトをスパークさせて、知の創造を生み出すことが大切だと言うことであろう。

   ところで、このフォーラムの後、大使公邸のレセプション・ルームやロビーを開放して、フォートナム&メイソンのアフタヌーン・ティーが振舞われた。
   欧米に駐在していた頃には、良く、大使館や企業や役所などでこのようなレセプションや晩餐会が開かれて出ていたのだが、日本では、久しぶりであった。
   日本でよく開かれるホテルの大宴会場で開かれるような無粋なパーティとは違って、庭を散策したり、豪華なヨーロッパ風のリビングルームなどでの会話にはそれなりの楽しみがある。
   私自身は、久しぶりに、クロッテッド・クリームとたっぷり熟成したストローベリー・ジャムをつけて本格的なスコーンを頂きながら、イギリスでの思い出を反芻していた。
   丁度、初秋には珍しい冷たい雨で、美しい大使公邸の芝庭を散策することが出来なかったが、さすがにイギリス大使館で、広々とした美しい庭園が広がっていた。
   
   
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孫の運動会・・・鎌倉市御成小学校

2008年09月28日 | 生活随想・趣味
   鎌倉市役所に隣接し、鎌倉御用邸の跡地に建つ御成小学校は、小高い御成山を背にした風光明媚な中々立派な小学校だが、孫がこの春に転校して通い始めたので、運動会に出かけて行った。
   高浜虚子の筆になる看板を掲げたどっしりとした木製の大きな校門をくぐると、花木の植え込みの美しい少し時代がかった校舎を左手に見て奥へ入ると、鬱蒼とした御成山をバックにグラウンドが広がっている。
   都会地にあるようなアスファルトなどで敷き詰めた人工の校庭ではなく、砂埃が立つ自然のグラウンドであり、直線100メートル、円周200メートルのトラックをとって、かつ、前後左右に観覧席などのスペースを12分に取っても余裕のある敷地だから、鎌倉の超一等地にしては恵まれている。

   真っ先に気づいたのは、この運動会は、殆ど子供たちに主体性を持たせて運営させていて、校長や教頭の挨拶、スタートのピストル、優勝旗などの授与以外に先生たちのプレゼンスはなく、殆ど大人たちは影武者に徹してサポートにまわっていたことである。
   プログラムなども、生徒が作っているので、昔懐かしいガリ版刷りのA3一枚で、漫画のカットが入っている愛嬌のあるものである。
   やはり、これでは不足するので、先生が、徒競走の順番など名簿入りで作成し、スタートやゴール位置などを克明に書いた別の案内書を作成して、親たちがまごつかないように気を使っている。

   競技種目やダンス、組体操や騎馬戦、玉入れ、綱引きなど定番の種目は、勿論、特に変わっている訳ではないが、赤と白の対抗試合が原則で、リレーなどは、黄色や青が加わることがあるが、最後には、紅白での戦いなので子供たちはこれで十分に燃えている。
   我々の子供の頃には、競技種目には表彰がつき物で賞品などを貰った記憶があるが、ここでは、最後に紅白への優勝旗授与と準優勝杯の授与があるだけである。
   徒競走は、一等から順番に列に並ぶが、退場してしまえばそれで終わりである。
   感動的なのは、まったく分け隔てなく、車椅子の生徒も何人かいて必死の表情でリレーなどに参加して頑張っていたことであった。
   それに、元気なのだがゆっくりとしか走れない生徒が、ただ一人遅れながらも、満面にこぼれるような笑みを湛えてて嬉しそうに走っていた美しい顔が忘れられない。

   日教組批判で辞めた大臣がいるが、順位をつけて差別化し競争意識を煽るのは駄目だと言って全員一等賞とするなど悪平等の風潮が一時酷かったが、人間の尊厳を否定する訳ではないのだし、生きて行くためには競争は必然でもあるので、ある程度の競争と順位はあってしかるべきだと思っている。

   お昼ごはんは、施設などの子供たちもいるので子供たちは弁当持参で教室で食べる。
   一頃のように、思い思いの弁当を作って来て運動場の片隅にシートやござを敷いて親子が一緒ににぎやかに食べると言うこともなく至ってノーマルで、我々は家に帰って昼食を取って午後からまた出かけた。
   弁当と言えば、学校を卒業して会社に入った若かりし頃、会社の若手でピクニックをした時など、女性社員が、朝早く起きて精一杯作ってくれた弁当を頂いたあの甘酸っぱい思い出を懐かしく思い出すことがある。

   この学校では、運動会の飾りつけなどは殆どなく、入退場用のゲートに赤い鉄骨の角柱が二本立っているだけで、万国旗もなければ派手な看板も飾りつけもないし、勿論国旗掲揚などと言ったセレモニーもないので、生徒入場で始まり粛々と進行して淡々と終わって、父兄たちも、そのまま潮が引いたように帰って行く。
   
   ところで、気の所為か、何となく、観客も子供たちも、品が良いと言うのか大人しい感じがしたのは、鎌倉と言う土地柄であろうか。
   私は、写真係と言うことで、孫を、300ミリ(すなわち、デジカメ一眼なので450ミリ)のレンズで追いかけていたが、このくらいのレンズになると、望遠鏡代わりになって被写体を探すのに便利であることに気がついた。
   シャッターチャンスが問題だが、何枚か気に入った写真があったのでまずまずの出来であった。
   
   
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新日本フィル定期公演開幕・・・アルミンク:圧倒的な「薔薇の騎士」

2008年09月26日 | クラシック音楽・オペラ
   昨夜、錦糸町のトリフォニー・ホールで、アルミンク指揮による素晴らしいセミ・ステージ・オペラ「薔薇の騎士」で、新日本フィルの定期公演が開幕した。
   自室に自筆ハガキを飾るほど心酔していると言うリヒャルト・シュトラウスの20世紀最大の官能陶酔オペラ(?)と言われ、全編に流麗なワルツが流れていると言っても良いほどウィーンの香りがむんむんする素晴らしいオペラを、ウィーン子のアルミンクが演奏するのであるから、楽しくない筈がない。

   それに、新日本フィルのコンサート・オペラは、舞台上背後にオーケストラが陣取ってはいるとは言うものの、舞台の前面半分をオープンにして、時には、中二階のオルガン席や客席を使っての本格的なセミ・ステージ・オペラで、それに、ニューヨーク生まれで、斬新で素晴らしく芸術性の高いオペラなどのステージ創造で定評のある飯塚励生の演出による殆ど本格的なオペラ公演であるから、並みのオペラ公演など足元にも及ばないほど素晴らしい。
   それに、この公演では、やや下に沈んだ感じの舞台上の新日本フィルが舞台セットに実に上手く溶け込んでおり、何よりも、前回の「こうもり」に引き続いて、アルミンクの薫陶の賜物よろしく、益々流麗さと濃厚な官能美に厚みを増したウィーン訛り(?)の新日本フィル・サウンドの艶かしさはたまらない魅力である。
   
   舞台下手に設営された大きな白いカーテン幕が開くと、大きなキングサイズのベッドが現れ、ウエルデンベルグ公爵夫人(ナンシー・グスタフソン)と、その愛人オクタヴィアン伯爵(藤村実穂子)との愛の交歓の夜明けから舞台が始まるのだが、
   このオペラのひとつの重要なテーマは、この美しくて魅力的な淑女が、時の流れに逆らえず忍び寄る老いの足音を感じながら、若くて溌剌として輝いている愛人から離れざるを得なくなる運命を描くことで、若い二人・オクタヴィアンとゾフィー(ヒュン・ライス)の素晴らしい愛で幕を閉じる最後のシーンまで、実に叙情的で時代の変わり目のウィーン情緒で満ち溢れている。

   愛の終りを悟って身を引く覚悟をした哀切を込めて吐露する公爵夫人を加えた3人による終幕の三重唱と、そして愛する二人の二重唱の美しさとその官能美は格別であるが、この愛の物語だけならタダの平凡な舞台に終わる。
   しかし、ここに、公爵夫人のいとこで、助平で俗物根性丸出しの田舎ものオックス男爵(ビヤーニ・トール・クリスティンソン)が登場して、財産目当てに新興貴族ファニナル(ユルゲン・リン)の娘ゾフィーと結婚するので、婚約のしるしの銀の薔薇を届ける騎士を紹介してくれと頼む所から、ドタバタ喜劇が始まる。
   小間使いのマリアンドルに身を代えて出て来たオクタヴィアンを口説いて、これが仇となり、終幕で散々コケにされて追放されるのだが、一方、少しでも上に這い上がりたいと追従これ努めるファニナルの小市民的な新興貴族の姿など、わさびの効いた人物の登場で実に面白い舞台となっている。
   第二幕で、銀の薔薇を持って颯爽と登場するオクタヴィアンとゾフィーとの運命的な出会いで、一挙に舞台が展開するのだが、元々、ホフマンスタールもタイトルを、「オックス男爵」としようかと考えたと言うくらいだから、このオペラでのオックス男爵のハチャメチャ振りと型破りの人物描写は実に痛快で面白い。

   今回の公演でのクリスティンソンの実に深みと情感たっぷりのオックス男爵は秀逸で、ウィーン・フォルクスオーパーで鳴らしたと言うから、芸達者ぶりは折り紙つきで、とにかく、顔の表情が男前からかなり距離があるので、その分の俗物ぶりは板についている。
   私は、伯爵夫人のグスタフソンの若い頃の舞台をイギリスで見ているが、今回の舞台での実に陰影を帯びた歳月の流れをそこはかとなく憂いに満ちた表情で歌う姿に感動を覚えて、芸の推移の凄さに感じ入った。この気持は、去年、METでマノン・レスコーを歌ったカリタ・マッティラに感じたのと同じである。

   ところで、ゾフィーを歌ったヒュン・ライスだが、ルーシー・クローウェに代わっての登場のイスラエルの若いソプラノだが、実に美しくて上手い。
   第二幕の薔薇の騎士の登場でのオクタヴィアンとの二重唱から、もう、魅力全開の素晴らしい歌声を披露し、聞き惚れてしまった。

   最後になってしまったが、今回の舞台で、やはり、最大の収穫は、タイトルロール薔薇の騎士を歌ったオクタヴィアンの藤村実穂子で、実に朗々とした日本離れのした深みのあるパンチの利いた歌唱で、ややソプラノに近い、しかし、実に温かくて柔らか味みに満ちた素晴らしい歌声が、若くて気品のある青年貴族の風格を滲ませていて感動的である。
   難を言えば、ボリュームと押し出しの利いた欧米人のソリストに対抗しての舞台なので、小柄で控え目な性格が災いしたのか、舞台姿が、溌剌とした今を時めく青年貴族としての風格に欠けていて、迫力を欠いたことであろうか。

   余談だが、私は、何時も薔薇の騎士と言うと、もう20年以上も前になるが、折角、チケットを持っていながら、タクシーが拾えずに遅れてMETに入って、第一幕のパバロッティのイタリア人歌手を聞けずに、ロビーの貧弱な画面で聴かざるを得なかったことを思い出して悲しくなる。
   この時の配役は、オクタヴィアンはタチアーナ・トロヤノス、公爵夫人は、キリ・テ・カナワ、オックス男爵はクルト・モル、ゾフィーはジュディス・ブレゲン。
   何回か薔薇の騎士を、海外で観ているが、もうひとつ記憶にあるのは、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターがオクタヴィアンを歌ったロイヤル・オペラの舞台である。伯爵夫人は、ロットだったかも知れない。

   日本では、カルロス・クライバーの振ったウィーン・フィルの舞台が有名だが見過ごしてしまったし、中々、素晴らしい「薔薇の騎士」を見る機会は少ないようである。
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早稲田大学グローバルCOE・・・「成熟市民社会型企業法制の創造」

2008年09月24日 | 政治・経済・社会
   早大上村達男法学部長がリードするグローバルCOE「企業法制と法創造」の最初の公開シンポジウム『会計基準コンバージェンス―EFRAGの議長に聞く「欧州の今」』が、井深大記念ホールで開催され、その夜、リーガロイヤルホテルでキックオフ・パーティが行われた。

   シンポジウムの前半は、国際会計基準審議会(IASB)が策定した基準を欧州の立場から吟味して域内適用の是非を判断する役割を担っている欧州財務報告諮問グループ(EFRAG)のP.エネヴォルデセン議長とP.エブリング・テクニカル・ディレクターが、国際会計基準の現状や動向についてスピーチを行い、
   後半には、早大辻山栄子教授が座長で、先の二人に、京大徳賀芳弘教授と豊田俊一氏が加わって、「欧州におけるIFRSの適用状況、業務報告、収益認識」を主題にシンポジウムが行われた。

   やはり、大きな関心事は、昨年11月に、米国SECが外国企業に対して、国際会計基準による決算書の作成を容認し、先月27日に、国内企業に対する国際会計基準の義務付け案を公表したこと等によって、世界が、大きくその方向に動き出したことである。
   更に、SECは、ロードマップを公表し、2014年に国際会計基準を段階的に義務付けることが可能かどうか、2011年に最終判断を下すことになっている。
   エネヴォルデセン議長は、アメリカの動きに大いに期待していたが、その為には対米に対してクリアしなければならない問題も多く、実現するかしないか予断を許さないと説明していた。

   私自身、この国際会計基準に対する知識が十分ではないので、何とも言えないが、先日、時価会計が金融システムの不安定要因の元凶だと言う見解について触れたように、とにかく、アメリカにしろ日本にしろ、独自の会計システムでこれまで運営されており、欧州のシステム自体も完全ではないので、統一の国際会計基準を構築することは大変なことのようである。
   収益とは何なのかについて徳賀教授や豊田氏が切り込み、包括利益と純利益の問題について議論されていたが、私が興味深く感じたのは、辻山座長が、欧州基準では、連結財務諸表は国際会計基準に従うが、単独分については、各メンバー国の会計基準に従うと言うダブルスタンダードだがと言って説明を求めていたことである。
   欧州では、27カ国もあって統一できないので単独は個別国家基準を許しているのだが、他の国に対して、あるいは、対アメリカへの財務諸表を考えれば、二種類ではなく3つにも4つにもなる、日本のように連単同じのシステムの方が良いが、近い将来統一される見込みは殆どないと答えていた。

   ところで、15年から前年度まで続いていた上村教授たちのCOE「企業社会の変容と法システムの創造」での公開シンポジウムで、随分勉強させて頂いたが、奥島総長がコメントしていたように、植村教授の本プロジェクトへの特質は、商法や会社法の分野に止まらずその他の多くの法学の分野は勿論のこと、広い学問分野を包含した学際的なアプローチによって法システムの発展と創造を追及していることである。
   企業と市場と市民社会と言う三つのキーワードを核に、欧米流、特に、奥島総長の指摘では英国流の成熟した市民社会を参考にしていると言う。
   上村教授の説明によると、
   自由と配分の正義、基本的人権や文化、歴史や思想、魅力溢れる都市、弱者へのいたわり、と言った価値観を最大に尊重し、、そうした価値を高め、共存する企業法制や、金融・資本市場法制のあり方を探る、すなわち、真に人間を大事にする市民社会の再構築と一体の企業社会の構築を目指すと言う目的が共有されており、この精神が、今回の「成熟市民社会企業法制の創造」と言うテーマに込められているのだと言う。

   ところで、パーティには、早大OBの出井伸之前ソニー会長が特別顧問として挨拶に立ち、話の中で、中国のアメリカ化、アメリカの中国化が急速に進んでいてダイナミックな発展と進歩に驀進しているが、日本は、ヨーロッパ型ののんびり体制のままで良いのかと危機意識を鼓舞していた。

   興味深かったのは、高名な経済学者の宇沢弘文東大名誉教授の挨拶で、
   冒頭、リーマン・ブラザーズ、AIGなどの4社に、FBIが、会社と経営陣に詐欺の疑いで捜査に入ったと言うニュースを紹介し、これらの悪の悉くは、1960年代にミルトン・フリードマンが説いた市場原理主義によると語り始めた。
   勿論、小泉政権と竹中大臣の経済政策批判は激烈で、村上ファンドに投資して儲けた福井日銀総裁が、大切なものは金に換えろと発言したことについては許せないと言った調子で、更に、レーガン、サッチャー、中曽根の市場原理主義的な政策に矛先を向けて、激しくフリードマン批判を展開した。
   尤も、酒に酔いが回ってからのスピーチなので、早稲田に講義に来たのだが、その後学生達とビールを飲んでいると絶世の美女が現れたとか、懐かしそうに語っていたが、何を思ったのか、上村教授が頑張っているが、グローバルCOEは上手く行かない等と言って聴衆を煙にまいていた。

   ところで、この日のアトラクションは、上村教授の博士課程の学生だと言う孟仲芳さんの中国琵琶の演奏で、荒城の月と中国の古曲を感動的なテクニックを披露した。
   天津音楽大の助教授だったと言う中国でもトップクラスの演奏家で、実際に世界各地で演奏しているプロだから上手い筈なのだが、このレディが、早大法学部大学院の3年生で、全く、畑違いの難しい日本の会社法を勉強して博士号を取ろうというのだから驚く。

   日本の商法の大家江頭憲治郎教授のスピーチを聞いてから中座したが、早稲田と言う大学は大したものだと思いながら電光に輝く大隈講堂を横目にして家路についた。

   
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竹森俊平著「資本主義は嫌いですか」・・・金融システムの危機

2008年09月23日 | 政治・経済・社会
   2000年に、ロンドンのシティのセント・ポール脇から、対岸のサザックのテートモダンにかけて一直線の超モダンな「ミレニアム・ブリッジ」(口絵写真)が架けられ、エリザベス女王の参列のもとに、オープニング・セレモニーが実施された。
   ところが、そこに参集した何万人もの観衆が橋を渡りだすと、橋は突然、激しく振動し始めた。
   風に揺られたか何かの拍子に体勢を整えようとした観衆の動きが、他の観衆に波及して、誰もが橋の揺れに抗すべく同じ動きをし始めて、そのシンクロナイズされた動きが、益々同方向に増幅され、限界の1ヘルツの横揺れをオーバーした結果大変な大揺れになったのだと言う。
   設計者は強風など外世的要因によって橋が横揺れする危険性は十分計算に入れて設計したのだが、このような歩行者による内生的に揺れが増幅するメカニズムは計算に入れていなかった。
   軍隊は昔から橋を渡る時には行進を解くのだが、普通の歩行者の歩行は、自由気ままで夫々まちまちであり、歩行者が多くなればなるほど、大数の法則が働いて揺れはゼロになる筈であり、歩行で大揺れするなどとは考えられないのである。

   ところで、このシンクロナイズかつ増幅された運動が、金融システムに対する衝撃が内生的に拡大して行くメカニズムと全く同じだと説くプリンストン大学ヒュン・ソン・シン教授の説を敷衍するなどしながら、竹森慶大教授が、サブプライム問題に端を発して益々深刻化する金融システムの真相を詳細に論じているのが、近著「資本主義は嫌いですか それでもマネーは世界を動かす」と言う本である。
   
   例えば、株式の時価が急速に下落した場合、ブラックマンデーの時のように、投資の損失に限度を設ける理論モデルに基づいたコンピュータプログラムの「ダイナミック・ヘッジング」の空売り指令が、各社とも同時に働くと、連鎖反応が起きて株価の下落が加速化され、更に、空売りを誘発し、株価が下落し、この悪循環が連続して起こり、株価がどんどん暴落して行く。
   株価シグナルが、金融市場における取引参加者の行動を、自己防衛の為に同じ方向に益々集束させるのだが、ITC革命によって、この価格シグナルの伝達スピードが上昇し、金融システムに発生した混乱を一層拡大し深刻化させていく。

   更に、問題を深刻化させるのは「時価会計」の存在である。
   金融機関が流動性に逼迫して保有資産を緊急に処分しようとして投売りすると、資産の時価が下がるが、
   同じ金融資産をバランスシートで抱えている他の金融機関も、時価会計により、連動して評価損を計上し自己資本の減損処理をする必要がでてきて、自己資本率を低下しないように維持する為に、保有する金融資産を処分することとなり、この連鎖反応が、スパイラル的に波及して行く。
   流動性に逼迫した金融機関の苦境を他の金融機関に波及させて行くと言う連鎖を断ち切れない「時価会計」が、金融システムのシステミックなリスクを拡大して行く原因となっているのである。

   市場参加者が一斉に同じ行動を取るこのような悪循環的スパイラルによって起こる内部による衝撃も、一定限度までなら、金融システムでも吸収可能であるが、その限度を越えて衝撃が拡大すると、最早安定を維持できなくなる。
   市場取引の規模が大きければ大きいほど、市場参加者のシンクロナイズ化の確率は低くても、実現した時点での経済的衝撃は大きく、現在の金融システムが、益々、起こり得ない筈の「テール・リスク」を拡大する方向に進んでいると言う。
   正に、サブプライム問題を皮切りに世界中を巻き込んだ金融システムの混乱とシステミック・リスクの発生は、このことを物語っている。

   一頃、日本でもバブル不況の元凶として時価会計を厳しく糾弾する政治家などがいて、時代に逆行する素人考えだと罵倒されていたことがあったし、
   世界中が国際会計基準に統一されようとしている今日、時価会計など止めろと言えば物笑いになること筆致だが、
   金融機関のバランスシートに対する安全規制(自己資本率規制)に喧しいバーゼル協定でも強く押している「時価会計」が、
   金融システムの安定を乱し、リスクのスパイラル的拡大を牽引する要因だとするシン教授の指摘は非常に興味深い。

   竹森教授がスタンレー・フィッシャーの見解を敷衍して指摘するもうひとつ重要なポイントは、これまでは、中央銀行の第一の役割は、「物価を安定させること」、もしくは、「物価と雇用を安定させること」だと考えられてきたが、サブプライム問題後、「流動性危機」の際に、「最後の貸し手」として緊急の流動性を供給して、金融システムの崩壊を防ぐ役割が、むしろ中心になったと言うことである。
   今回のベア・スターンズやAIG、ファニーメイやフレディマックの救済にFRBや米政府が果たした役割は正にこれで、結局の所、中央銀行が「最後の貸し手」として、あるいは救済案のまとめ役として乗り出す意外に、金融システムの危機を救う道はないと言うことを示している。
   
   私自身は、非常に金融論には弱いので、白川総裁の「現代の金融政策」もまだ積読なのだが、丁度、サブプライム問題と金融システムの混乱、世界同時不況の真っ只中で、竹森教授の本を読んだので、非常に興味深く、かつ、教えられることが多かった。
   
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田村能里子展・日本橋高島屋・・・壮大なシルクロード人物絵巻

2008年09月22日 | 展覧会・展示会
   日本橋高島屋で田村能里子画伯が天竜寺塔頭宝厳院本堂に描いた襖絵が完成したので、その記念展示が行われている。
   タムラレッドと称されているオレンジがかった赤い地色の、砂漠とも広大な大河とも、或いは、大きくうねるなだらかな高原のような大地とも取れる壮大な自然をバックに、33人の白衣の老若男女を配したスケールの大きな「風河燦燦 三三自在」(アクリル絵具・キャンバス)が、実際の本堂と同じ設定で展示されている。

   宝厳院の田原義宣住職の説明では、「観音経」の経中に観音菩薩は三十三身に身を変えてこの世を救われたとあり、この襖絵に登場する三十三人は観音菩薩の化身だと言う。
   女性像は、殆ど若くて綺麗な姿かたちで描かれているが、男性の方は、子供一人を除いて、総て、丸刈りの僧形なので老若は分りにくいが、多くは非常に威厳と風格のある老人で、夫々が、語り合ったり、座って瞑想したり、眠ったりと思い思いの姿勢を取っていて、それらが、不規則に空間を埋めているので色々な想像をさせてくれる。

   この襖絵は、恐らく、シルクロードをバックにした仏教伝来を重ねてイメージして描かれたのであろうが、人々の白衣は、丁度、ギリシャ・ローマ時代のラフな衣装を思わせ、私は、ポンペイの壁画に描かれている人びとの姿を思い出した。
   ことに、座って二人の若い女性に語りかけている老僧など、中国人の布袋さんのような風格のある姿だが、ギリシャの哲人のような雰囲気も醸し出していて、やはり、文化文明の十字路の絵画である。

   同時に展示されていた田村画伯の素晴らしい作品の大半は、主にインドの女性たちの生活をモチーフにした絵だが、人びとの表情は白人系からドラビタ族系など色々で、とにかく、土の香やエキゾチズムをむんむん発散させていて、そのエネルギーの凄さに圧倒される。
   また、3人の憩う老人を描いた「長い午後」や、世間話に興ずる二人の老人の「やわらかな光の中で」や、絨毯に腰を据えてリラックスしたバザールの店主風の老人を描いた「無名華」などには、色濃く中央アジアのシルクロードの雰囲気が漂っていて、どの絵にも、人生の風雪に耐えた年輪の重さを感じさせる威厳と風格を備えた老人の姿が活写されていて、襖絵へのイメージ転化を感じさせる。

   田村画伯の絵画は、若いときにインドへ赴任した夫君とともに生活した現地での強烈な印象が絵心をスパークさせて開花し、それに、中国中央美術学院留学での勉強と中央アジアのシルクロードでの絵画修業、それに、タイでの生活など、豊かな海外経験が絵画の中にも脈打っていて、モチーフにも色濃くアジアの人々の生活が息づいている。
   
   丁度、この日、田村画伯が来ておられて、図録にサインされていたので、一つ二つ聞いてみた。(朝、皇后陛下がご鑑賞になったと言う。)
   文明の十字路を描かれているので、ギリシャ・ローマの影響もあるのですかと聞いたら、そんな難しいことは分らないけれど、インドと中国のシルクロードの両方ですときっぱり答え、中国の西安を基点として、ウルムチ、トルファンからカシュガルとシルクロードを単独旅行するなど、中央アジアのシルクロードへの入れ込みようは大変なものであることを感じた。
   田村画伯の作品については、今回の絵画しか知らないので何とも言えないが、男性の絵の主題の多くは、この中央アジアのウイグル系ないしギリシャ系の血を引いた東アジア系ではない人物像が多いような気がする。
   私は、残念ながら、シルクロードへは行った事がないのだが、トルコや中東の田舎などで、これに近い老人に出会ったり雰囲気は経験している。

   人物像の絵のモチーフが、平山郁夫画伯と丁度ダブった感じなので、影響などどうかと聞きたかったが、失礼だと思って聞けなかった。
   平山画伯の薬師寺の玄奘三蔵院の素晴らしい壁画とは、全く、モチーフも、アプローチの仕方も違うし、どちらかと言えば、平山画伯の絵は、単純化され昇華されて哲学的と言うか思想性が強いような感じがするが、田村画伯の絵は、とにかく、色彩豊かで非常にエネルギッシュであり、絵に描かれた人物の体臭まで感じさせるような生々しさがある。

   この口絵写真は、図録から複写したのだが、唯一英語のタイトルが付いていた「Away from chaos」。
   ざらっとした感じの絵肌(マチエール)にタムラレッドを基調として描かれた田村画伯の典型的な絵画のひとつだと思うが、筆、刷毛、ローラーなどを駆使して非常に念入りに描かれていて、色彩やタッチを変えながら沢山の絵具を小刻みに重ね合わせて微妙な雰囲気を醸しだす色彩の豊かな美しさは格別である。

   余談ながら、田村画伯だが、実にチャーミングで品のある美しい小柄なレディで、これほど迫力とエネルギーの充満したスケールの大きな素晴らしい絵画を生み出す力がどこから生まれ出でるのか、信じられない程であった。
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台風一過のわが庭・・・一面に広がるブルーの露草

2008年09月21日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今度の台風は、日本の南岸を通過しただけなので、殆ど影響はなかったが、やはり、翌日の夕方には、爽やかな青空が現れて随分秋らしくなった。
   前夜の雨風に打たれて正体もなかった露草が、か弱い茎を一杯に広げて伸び上がり、少し遅い午後まで鮮やかなブルーの花を一面に咲かせていた。
   Dayflowerだから、朝顔と同じで、朝早く咲いて午後には萎んでしまう儚い命なのだが、青い夏草と言うのは、熱い夏には大変貴重で、爽やかな朝など、露などを受けて日に輝く姿は実に可憐で、何故だか、昔、子供の頃に、暑い日の林間などですっと横切る涼風に感激したあの頃を思い出させてくれる。

   先日、鬱蒼とした庭の雑草を刈り取って、少し見通しを良くした。南西のコーナーの所には手が回らなかったのだが、そこに残っていた露草がきれいに咲いていたのである。
   露草は、元々雑草であるし、長くてか細い茎をどんどん伸ばして広がるので、引っ張れば一網打尽に引き抜けるので、非常に駆除しやすい草花なのだが、私は、この露草の風情が好きなので、毎年、意識して一部を残して、鮮やかで可憐なブルーを楽しんでいる。
   意識して庭に残す花は、すみれとこの露草だけだが、露草の方は、いくら完全に引き抜いても、翌年、またどこからか庭一面に生えてきて花を咲かせる。
   
   柔らかくて薄い花弁が3枚、上の2枚は鮮やかなブルーだが、下に向く1枚は小型の白色。細く真っ直ぐに伸びて上にそりあがった一本のメシベ、それに沿うように2列縦隊に並んだ六本のオシベ。
   2本づつオシベの形がまちまちで不正形なところが面白い。
   花は、ハート型の葉を二つに折り曲げた袋のような所から茎を出してその先に咲いているのだが、受粉したメシベだけが残って袋に隠れて肥大し始め、次に待機していた新しい花が咲き出す。その繰り返しなのか、袋の中には実がいくつか大きくなり始めており、咲いている花の先には小さな蕾が付いていて、それらが袋の中で数珠状に並んでいる。
   この口絵写真のように、同時に二つの花が咲く双子花は、四葉のクローバーのように少ないのだが、時々現れることがある。

   この露草の青い葉っぱをつぶすと青い液体が採れ、絵の具代わりに使えるようだが、退色するので下絵を描く時に使うと言うことで、今でも京都の友禅の下絵に使われていると聞く。
   雑草にしておくには惜しいような風情のある花だが、ほっておけば地面を這ってどんどん広がり、何か障害物があればその上に這い上がり無秩序に広がり続ける非常に行儀の悪い草花であり、朝のほんの僅かな時間しか命のない儚い花であり、幸いなことに、消えてなくならないので珍重して大切に栽培することもないのであろうか。
   花言葉事典を調べると、露草の花言葉は、「尊敬」「小夜曲」「なつかしい関係」と言うことのようだが、私のイメージとはしっくりこない。
   なつかしいと言う雰囲気には合っているが、誰との関係がと自問すると優しい風情が一挙に吹っ飛んで行ってしまう。

   話は飛ぶが、今、私の庭に咲き乱れているのは宮城野萩。
   数年前に他へ移植した筈だったが、根が残っていたのかいつの間にか生い茂るまでになって、今、えんどう豆やスイトピーのような形の(マメ科だから当然だが)赤紫の花を一面につけてたわわに枝を広げている。
   ムラサキシキブの実も、鮮やかな紫色に色づいてキャビアのように光り輝いている。
   混み合っているので、花木や草花の植え替えをあまりしないので、毎年変わり映えのしない姿の繰り返しなのだが、精一杯風や空気を感じながら季節によって微妙に変化して行く植物達の風情を楽しんでいる。
   訪れてくる昆虫や蝶、野鳥たちとの交歓を見ているのも面白い。

   椿の実が落ち始めたので、摘んだら大変な数になった。
   木の大小にもよるが、天賜、玉之浦、小磯、紅妙蓮寺、白羽衣、岩根絞と言った主に一重で、八重でも蘂がハッキリしている花には、昆虫や小鳥が良く訪れるので実が多くつく。
   本当は、自然の受粉であるからどのような雑種になっているのか、種蒔して花の咲くのを待つのも楽しみだが、とにかく、そんな鉢が沢山あるので今年はどうするか考えている。
   偶々、曙椿に2つ実が付いたので、これは、楽しみに種蒔して育ててみたいと思っている。
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イノベーション・ジャパン2008・・・大学発「知」の見本市

2008年09月20日 | イノベーションと経営
   大学発「知」の見本市と言う振れ込みで、独立行政法人JSTとNEDOの主催で開かれたのが、イノベーション・ジャパン2008。もう5周年だと言う。
   東京フォーラムの会場に、全国各地の沢山の大学からのTLO(技術移転機関)や大学発ベンチュアーがブースを並べて、開発中の技術の展示やセミナー等で紹介にこれ努め、未来のイノベーションを夢見て活発に活動を展開していた。

   これと平行して、セミナー会場で、基調講演、特別講演やシンポジウムが開かれて、今回は、安倍晋三前総理が登壇して、シンポジウム「目指すべきナショナル・イノベーション・システムについて ~イノベーション25と各国におけるイノベーション政策の動向から~」の皮切りに基調講演を行った。
   先日紹介した清水教授の電気自動車エリーカの話もこの一貫だったが、私は、初日のこれらのセミナー等と、3日目の山口葉子氏の「バイオベンチュアーの生き残り方ーナノエッグ成功の秘訣ー」と山海嘉之筑波大教授の「イノベーションを育てるためにー『HAL』開発の現場から」を聴講したのだが、非常に感銘を受けた。

   国民生活を豊かにする為にも、或いは、人類が直面している環境や貧困、天然資源の枯渇などの深刻な問題を解決する為にも、袋小路に落ち込んだ今日の文明社会を活性化するためにも、更なるイノベーションを追求する以外に人類にとって有効な選択肢はないと言うのがグローバルベースでのコンセンサスである。
   これを受けて、パルミサーノが先導したイノベート・アメリカを皮切りに、先進国が思い思いにイノベーション対応の組織と戦略を打ち出し、日本も、安倍総理の時に、イノベーション25」を立ち上げて、イノベーション立国を志向することになった。
   安倍総理の政治理念として、イノベーションを国家戦略の最も重要な柱として、日本経済の再活性化を図り、人類への貢献を果たそうと言う構想であったが、道半ばにして頓挫し、その後は、お題目としても迫力を欠いてしまっている。
   今回は、OECD,アメリカ、中国からコメンテーターが出席して、夫々、興味深いイノベーション対応について報告があったが、要は、国家に確固とした信念、そして、戦略遂行の決断と実行力があるかどうかと言うことであろうと思う。

   今回のフォーラムで一寸異質感を感じたのは、冒頭の三菱電機野間口有会長の「オープンイノベーション時代の産学官連携の意義」と言う基調講演で、垂直統合型R&D時代の終焉とオープンイノベーションの時代と言う時代背景の認識は良いのだが、現実には、大学との共同研究と言った程度の産学官協力の段階で、オープンイノベーションの現実とはあまりにもかけ離れた、とってつけたような論陣を張っていたことである。
   経団連や日本知財協会の代表と言う立場での講演であるから、ある程度現実を踏まえての意見なのであろうが、例えば、フリードマンの「フラット化する世界」だとかタプスコットなどの「ウィキノミクス」を読んでも簡単に分るのだが、IBMやP&G、ボーイングなど多くの欧米企業は、自社の保有する知財や知識情報をオープンにして、グローバルベースで、オープンなビジネス連携を通じてイノベーションを追求している。本当の意味で、社外の人的パワーや知識技術を自社の事業に糾合してイノベーション戦略を展開しているのである。

   日本でも、レクサスの開発でのトヨタや、PS3でのソニーなど幾分オープンソースイノベーション的なアプローチが出て来ている様だが、自社開発主体でブラックボックス重視で技術開発を追及する性向の強い日本企業には、オープンイノベーションと言う概念は、精々、仲間内や極限られたサークルでの協力程度で、まだまだ、踏み出せないのかも知れない。
   事例として野間口会長が引いた三菱電機のオープンイノベーションでも、精々自社の事業展開にとって有利なように、技術補完・補填と言った意味での、大学との共同研究や、欧米などの企業との技術導入や協力と言った程度で、三菱電機の知財をオープンにして外部のパワーを糾合してオープンイノベーションを追求するなどと言う次元にははるかに程遠い。

   先日も、日立の篠本学副社長のリノベーション論について辛口のコメントを展開したが、流行のエポックメイキングなキャッチフレーズを使って基調講演を行うのなら、じっくり勉強をして最低限度の知識を習得して現実を見極めてから、引き受けるべきであろう。
   昔、ドラッカーが「断絶の時代」と言う一世を風靡した素晴らしい本を出版して、日本でも話題になったが、読まないのは言語道断としてもロクスッポ理解も出来ずに、断絶の時代と言う言葉を引用する経営者や講演者が多かったのを思い出すが、今日、トップに立つ経営者の質が落ちたとは思えないので、一寸した心掛けが必要だと思っている。
   
   
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究極の電気自動車エリーカ時速370キロ・・・慶大清水浩教授イノベーションを語る

2008年09月19日 | イノベーションと経営
   慶応大学の清水浩教授は、イノベーション ジャパン 2008で、「電気自動車で時速400kmに迫る! 産学連携Eliicaプロジェクトの挑戦」と言う演題で特別講演を行い、素晴らしい究極のエコカーの破壊的イノベーションについて熱っぽく語った。
   電気自動車を作り続けて30年、8台目の8輪車エリーカを音もなく走らせて、轟音をたてて疾駆するスポーツカーの最先端を行くポルシェ911ターボを、凌駕する素晴らしい加速力を見せ付けて聴衆を圧倒した。
   排気ガスを出さない、エンジン騒音も無縁、必要なエネルギーはガソリン車の4分の1と言う究極のエコカーであり、
   自宅のコンセントに繋いで、一回5時間のフル充電で300km走ると言うから東京と名古屋の距離である。夜間に充電すれば僅か300円しかかからないから、1km1円と言う驚くべき燃費である。
   しかし、まだ、車の形をしている、これではおかしい、もっともっといい形は、必ずあると言うのだから恐れ入る。

   清水教授は、このエリーカは試作品で、まだまだ、実用化製品化には解決しなければならない問題が残っていると言う。 
   この日の講演では触れなかったが、このエリーカ1台に2億円かかっている。
   いくら出しても良いから譲ってくれと引き合いが来ているが、近く、200台程度ハイスペックの電気自動車を、1台3000万円程度で市場に出すと言う話がある。
   高いのは、大型リチュームイオン電池で1台分2000万円すると言うことだが、大量生産ベースに乗れば安くなるであろうし、時間の問題であろう。
   

   清水教授のプロジェクトの凄いところは、ガソリン車のエンジンを外してモーターに切り替えると言う発想ではなく、当初から、ガソリン車の改造と言う考えを捨てて電気自動車と言うコンセプトで制作しているので、車一つ一つにモーターを取り付け、電池とインバーターは台車方式の床に組み込んでいるので、トランスミッションやプロペラシャフトと言った無駄な動力伝道装置などもないから車内に広い空間が出来る。
   清水教授は、ハイブリッドカーは、在来方式の内燃機関エンジンの電動アシストの自動車であり、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」の言っている持続的イノベーションの延長・進化に過ぎないと言う。
  

   電気自動車のリチューム電池を満たす動力源については、エコシステム発電に限れば、太陽電池に止めを刺すと考えており、それも、地球上の1・5%に太陽電池を設置するだけで、世界中の人間がアメリカ人と同じくらい贅沢に電気を消費することが出来ると言う、正に前途洋々のエネルギー源で、しかも、天然資源の浪費の一切埒外である。
   また、このエリーカを支えている技術は、「リチューム電池」「ネオジウム鉄磁石」「トランジスタ」の3本柱で、総て日本発ないし日本で開発された技術で日本の誇る最先端技術の活用だと言う。
   清水教授方式の電気自動車は、動力エネルギーの転換も含めて、正に、従来の自動車とはまったく違った自動車であり、自動車及び輸送の概念を根底から革命的に変革する破壊的イノベーションだと言うのである。

   現在、炭素排出量の20%は自動車によるものであり、太陽電池によって発電された電気エネルギーによって動く電気自動車に切り替えられれば、深刻な地球温暖化問題の相当部分は解決に向かう。
   私が興味を持つのは、
   清水教授のイノベーションに対する真摯な姿勢で、これまでの自動車の延長では決して人びとは満足しない。車の価値は、「加速性」「室内空間の広さ」「乗り心地」の3つに集約され、この3つが大きければ必ず売れると言う発想で、今までになかった自動車を作り上げると言う創造的破壊への飽くなき探究心である。

   現在、複数の自動車会社が、近く電気自動車を発売しようと計画しているが、エンジンをモーターに置き換えただけの電気自動車であろうが、これは、根本的に、清水教授のエリーカとは似ても似つかない電動式エンジン搭載の在来種の車であろう。
   ガラガラポンで初期化して、発想を根本から変えない限り、破壊的イノベーションは生れない、重要な基幹産業である自動車産業においても、如何に、現状の柵から脱皮することが難しいことかを、清水教授の電気自動車エリーカが教えてくれているような気がしている。
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かとり蔵ジャズ・フェスタ・・・小江戸佐原の与倉屋大土蔵

2008年09月18日 | 生活随想・趣味
   佐原の伝建地区(国指定重要伝統的建造物群保存地区)の外れ、伊能忠敬旧宅からほんの徒歩2分くらいの小野川の畔の与倉屋の大土蔵を会場にして、素晴らしいジャズ・フェスタが催された。
   趣味の音楽のジャンルではないのだが、大土蔵と言う歴史的建造物の中で開かれると言うので、非常に興味を持って出かけたのだが、素晴らしいジャズセッションで感激して帰って来た。

   この大土蔵だが、1000平米くらいはあるであろうか、平土間の空間に、かなり太い丸太の柱があっちこっちに立って天井を支えていて、所々太い筋交いが斜めに通っていたりするので、場所によっては視界が遮られて舞台が見えないのだが、むき出しの高い天井に向かって幾重にも碁盤の目状に組まれた木組が実に美しく、見ているだけでも値打ちのある建物である。
   この建物は、明治期に醤油醸造業用に建造されたようだが、戦時中は武器庫、戦後は余剰米の倉庫として使われ、現在は、若手が佐原囃子の練習に、夜は、お囃子の笛の音を伝建地区に響かせているのだと言う。
   客席の片隅に佐原祭の山車が一台置かれて雰囲気を盛上げている。

   ところで、この倉庫である大土蔵だが、誂えたように素晴らしい音響効果で、ジャズピアニストの前田憲男氏も絶賛していた。
   ヨーロッパでは、教会や古城跡の廃墟、古代劇場やアリーナ、王宮や歴史的建造物など色々な所でコンサートを聴いたが、日本でも、奈良や京都の有名な古社寺などで最近クラシック音楽のコンサートが催されているのだが、私自身は、日本の建造物では初めてなので感動さえ覚えた。
   教会や王宮などでは、勿論コンサートが行われていたし、日本の古社寺などは雅楽や声明や読経など音楽とは縁がない訳ではないから音響効果が良くて当然だが、ここは、簡素な土蔵で醤油を仕込んだ所だから音楽などとは全く縁がないところなのである。

   この日、演奏されたのは、前座の社会人ビッグバンドのフリソン・ジャズ・オーケストラを皮切りに、3人の美女・テトマニのマリンバとパーカッションによるクマンバチの飛行やオンブラ・マイ・フ、matsumonicaのクロマチック・ハーモニカと長澤紀仁のギター(もにじん)によるボサノバやサンバなどのブラジル音楽、それに、ピアノの前田憲男とアルトサックスのリチャード・パインに、ドラムスのサバオ渡辺とベースの青木喬嗣が加わって軽快かつダイナミックに演奏されたジャズなのだが、これが、夫々、素晴らしい音響効果の中で演奏されたのである。
   特に、真ん中に設えられた舞台ではなく、もにじんとジャズの4人は、平土間に陣取って客と同じ目線で演奏したのだから、臨場感は満点である。

   サンパウロに4年いたので、あっちこっちで聞く機会があり、もにじんのブラジル音楽は懐かしかった。
   ジャズは、バーンスティンがあれほど入れ込んでクラシック音楽だと言っていたほどだから素晴らしいだろうと思いながら、14年も欧米で生活しながら、とうとう、クラシックやオペラばかりにでかけて聞く機会を残念ながら逸してしまった。
   今回のジャズ演奏に乗ってスイングしながら、あんなに幾度も素晴らしい機会があったのにと、惜しいことをしたと後悔しきりであった。

   ところが、たった一回きりだが、ニューオルリンズを訪れた時、プリザベーション・ホールで、黒人の老婦人スウィート・エンマが率いる一座のジャズ演奏を聴いたことがある。
   このフレンチ・クオーターのカナル・ストリートには、名だたるジャズメンが経営したり演奏している素晴らしいナイトクラブが軒を連ねており、入口のドアが開けっぴろげになっていたので、夜などストリートを歩くとジャズがあっちこっちから聞えていた。
   しかし、私は、ジャズが生まれた当時の面影そのままの貧しい小屋で、本当のデキシーランド・ジャズが演奏されていると聞いて是非に見たい聴きたいと思って出かけたのである。

   ウォートン時代だから、もう30年以上も前になるので良く覚えていないが、
   このプリザベーション・ホールは、250年以上も前に立てられた古い建物の中にあり、本当に狭いその建物の平土間の広間の片隅に舞台が設えられていて、その前に、4~5人掛けの横長の背もたれのない長いすが2~3客置いてあるだけで、そこに座れない客は土間に座るか後ろに立つ以外になく、ほんの僅かの客しか入れない。
   ところが、ほんの1メートルも離れているかいないかのところで、主に黒人のジャズメンたちが本格的なジャズを真心を込めて実に感動的に演奏し続けるのである。
   追い出されないので、私はかなり長い間、かぶりつきでずっと聴いていた。

   当時、ニコンF2を持っており、幸い、F1.2の明るいレンズをつけていたのでフラッシュなしで大分写真を撮らせて貰ったが、50ミリなので、近すぎて画面には一人の奏者を写すのがやっとであった。
   写真かネガが残っていると思うが、膨大な写真の山の中なので、どこにあるのか探せないのが残念である。

   ところで、当時、聖者の行進をリクエストすると、1ドル追加料金が必要だったが、人気が高く何度も客の求めで、素晴らしい聖者の行進を演奏してくれていた。
   2度目に、ニューオーリンズに行った時には、調査団の旅行だったので行けなかったのだが、私には、あの時の思い出が強烈であり、それで十分であった。
   あのアルゼンチン・タンゴの生まれ育ったブエノスアイレスのボカの思い出も強烈だが、やはり、命の叫びから生まれた移民たちのルーツを色濃く残した民俗音楽の息吹を現地で聞く喜びは格別なのであろうか。
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新秋九月大歌舞伎・・・「加賀見山旧錦絵」

2008年09月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   新橋演舞場で、海老蔵、時蔵、亀治郎たちの熱演で、素晴らしい「加賀見山旧錦絵」の通し狂言が演じられている。
   私は、これまで、歌舞伎座で、玉三郎の中老尾上、仁左衛門と菊五郎の局岩藤、勘三郎と菊之助の召使お初の舞台を観ているのだが、今回は、がらりと雰囲気が変わった感じで興味深かった。
   海老蔵と亀治郎のヤングパワーの溌剌としたパンチの利いた演技が際立つ舞台だが、時蔵が、歌右衛門の指導で演じて15年ぶりだと言う中老尾上の重厚な演技が要となって舞台を支えている。

   町人の娘でありながら破格の出世をした中老尾上が、上司局岩藤(海老蔵)に妬まれ、更に、その一味のお家乗っ取りの陰謀を知ったために徹底的な追い詰めにあって自害するが、
   その無念を晴らす為に、二十歳になるかならないかの召使お初(亀治郎)が健気にも仇討ちを決行して成功する。
   女忠臣蔵と呼ばれているのは当然で、劇中、お初が、悲嘆にくれて意気消沈している尾上を励ます為に、この忠臣蔵の話を持ち出して短気を起こさぬようそれとなく言う。

   この歌舞伎は、人形浄瑠璃から移された加賀騒動を主題にしたもので、その内、この舞台の部分は、実際に実在した別の物語、すなわち、
   松平周防守宅で、中老みちが、局沢野の草履を履き間違えて、怒った沢野が草履をみちに投げつけたので、屈辱に耐えられずみちは自害し、その下女さつが、主人の仇を討ったという話を脚色したものだと言うのである。
   この悲劇の主人公中老を町人出身に置き換えて、人気のある忠臣蔵バリの胸のすく様な仇討ち話に仕立てたのであるから、人気が出ない筈がない。

   この舞台は、立役が演じる局岩藤の嫌味たっぷりの徹底した悪女振り、耐えに耐えて礼節を守る忠臣の中老尾上、そして、一途に主人のことを案じ続ける健気なお初の3人の女主人公の火花を散らすような対決が見もので、今、NHKで放映中の大河ドラマ「篤姫」を重ねて見ると面白い。

   海老蔵だが、上背があり中々整った顔立ちが風格のある局を思わせ、その上、第一印象が、團十郎や仁左衛門のようにはっきりと立役が演じているという感じではない分、中々の岩藤ぶりである。
   若さの所為か、それ程、どぎつい嫌味ぶりは感じないので多少淡白な岩藤だが、詰め掛けた海老蔵ファンには、意外なイメージチェンジなのか、男声で凄むところで笑いが飛び出る程度で劇中声がなく、健気で格好良い亀治郎のお初の方にばかり拍手が沸いていた。

   時蔵の中老尾上だが、非常に一つ一つの動作を噛み締めながら丁寧に演じ、それだけに、徹底した悲劇の主人公を際立たせていて、最後の「奥庭仕返しの場」の岩藤とお初の対決に繋ぐブリッジが利き、最後まで存在感を感じさせる。
   岩藤に草履で打擲された後、長局尾上部屋への帰途の花道の出の哀切極まりない長い道中、そして、死を覚悟した身でありながら、利発で健気な主人思いのお初との別れを惜しんでおろおろする件など実に情感たっぷりで感動的である。

   この舞台は、お初を演じた亀治郎の為にあるのではないかと思えるくらい、亀治郎ははつらつと演じていて魅力全開であった。
   忠臣蔵の主役は、大星由良之助なのだから、同じく仇を討つお初が主人公であっても不思議はない、しかし、この舞台では、三番手になっているが、今回は、主役の貫禄十分の演技であった。

   ところで、この舞台では、岩藤は、尾上を貶める為に、主からの預かり物である蘭奢待や仏像を盗み出して罪を着せるなど嫌がらせをするのだが、性根貧しい家来が、神器や家宝を盗んでお家乗っ取りを図ると言う構図が、歌舞伎には多いような気がするのだが、日本人は、こんな話が好きなのであろうか。
   シェイクスピア戯曲でも見えるように、ヨーロッパの陰謀は、もっと陰湿でスケールが大きいような気がするのだが、これも、国民性の違いかも知れない。

   ところで、蘭奢待だが、確か、正倉院展で見た記憶がある。門外不出であった筈の香木にも拘らず、明治天皇は別格としても、義満や義政、信長など多くの人によって50回以上も切り取られていると言うから、融通無碍と言えば聞こえが良いけれど、日本の役人の対応とか公共財産の管理など好い加減なもので、
   キムジョンイルが危機的な状態にあっても殆ど反応せず、中国(?)の潜水艦が領海を侵犯しても(後で鯨だったと報道されたが、最新鋭のイージス艦が鯨と潜水艦の見分けさえ出来ないのであろうか)殆ど気付かず見逃している日本と言う国の危機意識の欠如ぶりは、やはり、歌舞伎の嗜好にも現れているのであろうかと思っている。
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呉軍華著「中国 静かなる革命」・・・民主化へのグランドビジョン

2008年09月14日 | 政治・経済・社会
   復旦大学を出て東大大学院博士課程で経済学を勉強したが天安門事件で帰れなくなり、日本総研に所属して日米で研究を続けながら、世紀が移ってから中国に駐在して代表を務める著者・呉軍華女史が、
   近刊「中国 静かなる革命」と題する著書で、現在中国の官製資本主義が、現共産党の政治的な自己改革によって民主化へ静かに移行するとしたグランドビジョンを描いた。
   日本における政治経済的な知識教養を地盤にしながら、故国中国の現状にどっぷり入り込んで、非常に緻密で客観的に政治経済状況を分析し、グローバル視点に立って、中国の将来を展望しているのであるから、多くの外国人学者達による傍観者的な中国論と一味も二味も違って、非常に説得力のある論調を展開しており傾聴に値する。

   中国では、2022年までに、共産党一党支配の現体制から民主主義的な政治体制に移行する。こうした移行は農民・大衆の反乱と言う下からの革命に触発されるのではなく、中国共産党のイニシャティブによって粛々と進められて行く。共産党一党体制からの離脱が、旧ソ連・東欧諸国とも異なる形で静かに進行する。正に、この「静かなる革命」が非常に高い可能性をもって起きるだろうと言うのが著者の結論である。
   このような論理が、中国の歴史や宗教・思想・国民性等々多方面のバックグラウンドを深く掘り下げながら、将棋の駒を詰めて行くように、非常に注意深く緻密に推論を積み重ねながら説かれており、中国近代史を反芻している趣さえ感じられる。                                            
   本論に入る前に、何故、中国国民があれほど北京オリンピックにたいして激情をあらわにして対応したのかだが、著者は、
   北京オリンピックを成功させることによって、長い文明の歴史を有しながらも、アヘン戦争以降、列強に蹂躙された過程で鬱積してきた中国の人びとの民族的屈辱感を相当程度晴らすことができると指摘している。
   経済力や国力の高まりによって益々高揚して行く中国人としての誇りと自信が、過去150年来の民族的屈辱感からの離脱に火を点け、過激なナショナリズム的衝動を引き起こす、中国は、今その次期にあると言うのである。

   さて、何故、政治が民主化するかと言うことだが、中国では時代の変革には、「天の時、地の時、人の和」すなわち、タイミング、環境、人の3要素がが不可欠だとする考え方があり、著者が最も強調しているのは、2012年において、胡錦濤を中心とした第4世代の指導部が2012年の「十八大」で交代し、第5世代の指導部が誕生すると言うことである。
   第5代の指導者を構成するリーダーの殆どは、改革解放以降の中国、或いは、欧米諸国で高等教育を受けた経験を持ち、程度の差はあれ、彼らにとって、自由や平等、人権尊重と言った民主主義の理念は単なる概念としての意味を持っているだけではなく、自らの生活体験を通じての実感を伴ったものである。
   実際に、1980年代に、著者自信が復旦大学の学生時代に、李克強や李源潮などの次代のリーダーと目される人達が中国の民主化運動で活躍していたのをつぶさに見ているのである。 

   中国経済は、2008年において既に景気循環的にも構造的にも大きな転換点を迎えており、経済が引き続きある程度の成長を持続出来たとしても、政治的な改革がない限り、そのままでは長期にわたって安定基盤を築くことは出来ない。
   共産党指導部にとっても、現体制下で形成された既得利権者にとっても、社会の安定と経済成長の持続と言う国益の観点から見ても、個人の経済的利益を確保するというプライベートの立場に立っても、政治改革を進めることによって中国の政治システムを民主化する必要が急速に高まってきている。

   興味深いのは、中国人の「安定志向」的な性向で、改革開放以来の最大の危機であった天安門事件、そして、その後の社会主義体制が旧ソ連・東欧諸国で崩壊した以降、これらの激動による激烈な混乱と苦痛が反面教師となって、中国では、自由・民主主義を求めようとした勢いは、急速に衰え、むしろ、知識人や中産階級も体制維持派となり、共産党一党支配体制を維持したい指導部にとって国内の政治環境は好転したと言う。
   しかしながら、江沢民政権以降、官僚腐敗の浸透や所得格差の拡大、社会的対立の先鋭化と言った問題が先鋭化するにつれて、体制批判や現行体制を改めようとする圧力が保革両陣営から高まり、胡錦濤体制以降、共産党は背水の陣で政治改革に臨まなければならなくなり、既に徐々に、改革への助走を始めていると言うのである。
   
   もうひとつ中国の体制維持的な性向を、「聖君賢相メンタリティー」で説明する。
   始皇帝の築いた中央集権的で専制的な政体は、中国では連綿と継続しており、秦と随を除けば100年以上続く長寿を誇っている上、共産党一党独裁は今に始まったことではなく、現政権は聖君賢相ではないにしろ、共産党が現実的に中国社会を有効にコントロール出来る唯一の政党であるため、次善の選択として選ばれていると言う。
   私自身は、この考え方が当たっているような気がするのだが、著者が論じているように、既得利権を得て裕福になったり富を蓄積した中産階級など、或いは、学者や文化人などの知識階級にとっても、現体制と共存共栄策を図りながら中国の民主化を推進する方が、はるかにメリットが高く、
   既に、共産党が、プロレタリアートや農民の政党であることを放棄してしまった以上、これらの民主化蜂起を抑えこそすれサポートするようには思えない。

   グローバリゼーションの進行と中国の国力の強化に伴って、共産党自身、中国自体の政治経済社会などの国内問題の解決のみならず、環境や資源問題、人権や貧困問題など人類及び地球全体の深刻な問題にも対処しなければならなくなり、徐々にではあろうが政治の民主化を進めざるを得なくなる。
   これまで言われてきたような中国崩壊論は影を潜めたとは思うが、台湾も含めて、チベット、新疆ウイグル、モンゴルなど辺境地方の独立離脱はあるような気はしている。
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文楽・豊松清十郎襲名披露公演「口上」「本朝廿四孝」

2008年09月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   半蔵門の小劇場が、久しぶりに、吉田清之助の豊松清十郎襲名披露公演で華やいでいる。
   人形遣いでは、桐竹勘十郎の襲名披露公演から、そして、三味線の鶴澤燕三襲名披露公演からも久しぶりだが、口上などでも歌舞伎ほど大げさではなくひっそりとした所が良い。
   緊張した文字久大夫の司会で始められたのだが、住大夫の口上の爽やかさは語り専門だから当然としても、三味線の寛治、人形の勘十郎の立て板に水の口上なども夫々上手いのだが、重病から再起した言葉の不自由な師匠簔助の歌舞伎調の短いが万感の思いを込めた口上が、激しく感動を呼ぶ。
   途中で絶句したり、脱線や駄洒落や暴露話で客席を喜ばせたり、柔らかい話が出たりで面白い歌舞伎の口上とは大分趣が違って、文楽の襲名披露は、真ん中に正座した披露される清十郎も一言も発しないし、至って真面目なのである。
   簔助師匠の所から、勘十郎と清十郎の二人が巣立った感じだが、清十郎も50才だから、まだまだ先、20年以上の舞台勤めでどのような素晴らしい至芸を展開してくれるのか楽しみである。

   ところで、今回の襲名披露公演の昼の部だが、前半の「近頃河原の達引」は、おしゅんを簔助が遣い、「堀川猿廻しの段」では、住大夫と綱大夫の二人の人間国宝が語る豪華版であるから当然としても、やはり、今回は、文雀が濡衣で華を添え、清十郎が八重垣姫を、簔助が武田勝頼を演じる簔助一座の「本朝廿四孝」を鑑賞する為に詰め掛けたのであろう、文楽ファンで満員御礼の盛況であった。
   
   「十種香の段」では、謙信の娘八重垣姫が亡くなった許婚の勝頼の為に十種香を焚いて絵姿に向かって回向をしている後姿の優雅さが、文楽でも歌舞伎でも女形の晴れ姿として有名だが、清十郎の八重垣姫も簔助仕込みの気品があって美しい。
   簔作として謙信家に入り込んで仕官した勝頼が、始めて凛々しい侍姿に身を変えて登場するのでお互いの素性が分って、八重垣姫がモーションをかけ、しっぽりした二人の出会いが展開されるのだが、このあたりの初々しくて優しい八重垣姫のしぐさや動作は、同じ弟子でも、勘十郎より女の弱さ儚さいじらしさを色濃く匂わせる芸風の清十郎の方が向いているような気がして観ていた。

   幸せの絶頂にある八重垣姫の喜びも一瞬で、勝頼と知っている謙信(勘十郎)が、簔作に文箱を渡して塩尻に届けさせるべく送り出すが、その後に、討つために、家来を追っ手として差し向ける。
   勝頼の身を案じる八重垣姫は、何とかしてこの危機を勝頼に伝えたい。
   諏訪明神から武田家へ授けられた兜に祈りを込めると、泉水に明神の使者の狐が浮かび上がり、霊力の移った八重垣姫が、狐に助けられて氷の張り詰めた湖を飛んで行く。

   この「奥庭狐火の段」は、正に、人形による文楽の独壇場の舞台で、父を裏切ってでも、恋しい許婚勝頼を助けたい一念の八重垣姫が、狐火を染め抜いた白狐の衣装に身を変えて、周りを飛び交う多くの白狐に守られながら、縦横無尽に飛翔する姿のダイナミックさなどは、歌舞伎が足元にも及べない人形ならの舞台である。
   清十郎の主遣いに、兄弟子の勘十郎が左を、弟弟子の簔紫郎が足を遣い、人形遣いの芸の極致を見せる。
   この緊張した華麗な舞台は、以前に簔助の主遣いで、左と足も同じトリオで観たのだが、あの時も非常に感激したのを良く覚えている。
   人形遣いは、自分の年齢に関係なく、遣う人形によって、老いも若きもどんな役でも自由自在にこなせるのが素晴らしいのだが、さらに、このように、肉体的に人間の役者では決して演じられないような仕草や動きを演じることが出来るので、舞台でのパーフォーマンスが豊かになって表現の世界が広がる。

   文雀の濡衣も勘十郎の謙信も素晴らしく、清十郎披露公演としては最高のキャスティングであり記念碑として残ろう。
   十種香の段の噛んで含めるようなとつとつとした実に情味豊かな嶋大夫の語りと宗助の三味線、それに、奥庭狐火の段での津駒大夫の語りと寛治の三味線の冴えは格別で、三業の素晴らしい協業が、如何に豊かで感動的な舞台を作り出してくれるのかを目の当たりに見せてくれた。
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絹谷幸二展・・・日本橋高島屋

2008年09月12日 | 展覧会・展示会
   日本橋高島屋で絹谷幸二藝大教授の絵画展が開かれている。
   サブタイトルどおりの「情熱の色・歓喜のまなざし」をキャンバスにぶっつけたもの凄いエネルギーを感じさせる絵画で充満しており、圧倒される。
   色彩は元気のバロメーター、色彩の溢れる所は平和と喜びに満ち溢れていると言うのが持論だと言うことだが、今回展示されている一連の日本各地の祭風景や群像の絵を見ていると、その喜びが芸術として昇華されるとどう表現されるのかが分って面白い。

   情熱の色と言うくらいだから、強烈な赤がまず目に飛び込むのだが、日の丸ではないが、あっちこっちの絵に描かれている大きな日輪など真っ赤な円盤で、とにかく、人物の顔の影まで赤く染め抜くと言う徹底振りである。
   この口絵写真は、チラシの絵を複写した「蒼穹夢譚」だが、このように青色などの寒色を使った絵は空を描いた絵など非常に少ないと言うか、青い下地の絵でも強烈な赤い顔料に圧倒されると言うことであろうか。
   とにかく、一寸イメージが違うが色彩の美しいルドンの絵や、極彩色の歌舞伎の世界を瞬間的に思い出した。

   絹谷画伯は、藝大卒業後すぐにイタリアに行きフレスコ画を学んだとかで、その技法を使って描いており、麻布のキャンバスを裏返して漆喰様の下地を塗って、その上に自分が編み出した特別な顔料で描くと言うことのようであり、洋画と言っても、私には、表面の雰囲気は日本画に近いように感じた。

   ところで、奈良出身で、仏像に接するなど宗教的な雰囲気の中で育ったと言うことで、「祈り」と言うコーナーで、何点かの仏画が展示されていた。
   この口絵写真の風神・雷神を描いた絵もその一点で、有名な俵屋宗達やそれを模した尾形光琳の風神雷神図よろしく、風神と雷神を左右入れ替えて中空に舞わせた絵だが、面白いのは、砂漠の上に倒れ伏した男を描き、その横に、火山の噴火口、潜水艦、負傷者をタンカで運ぶ軍人達を表現したディスプレーをスーラタッチで描いている。
   2000年の作品であるからブッシュのイラク戦争の告発でもなさそうだが、面白いのは、その絵の前に、同じ様な格好で砂の上に倒れているメガネをかけた男の彫刻「緑にしみる悲しみ 1997年」が展示されていて、ここには、イカロスをイメージしたのか、千切れた天使の羽が散らばっているのだが、いずれにしろ、このモチーフが展開されて風神雷神図となり、別な表現方法から平和を願った絵なのかも知れないと思った。

   真ん中に阿弥陀如来、左に牛に乗った大威徳明王、右に二人の童子を従えた不動明王を描いた巨大な「菩提心」、中空に観音が舞う「天空の華」、それに、宇治平等院・鳳凰堂の木像雲中供養菩薩を何体か描いた「天空の調」などが展示されていたが、克明に仏像として描くのではなく線描画のような雰囲気で画面に溶け込ませているのが面白い。
   ところで、別なコーナーに大きな自画像が3点展示されていて、色即是空と言った文字が書き込まれていたのだが、祈りの心で宇宙や森羅万象を描き続けてきたと言うことであろうか。

   私が見慣れていた絵は、やはり、長野冬季オリンピックのポスター、特に、オリーブを口にくわえた女性を描いた「銀嶺の女神」だが、何点か、非常に簡潔で素晴らしい原画が展示されていた。
   興味深いのは、いくら崇高なテーマが描かれていても、絹谷画伯の絵には、マンガのように、ガッーンとか、ウオーとか、がんばれとか、擬音や台詞が書き込まれていることが多いのである。
   オリンピックの絵では玉とスティックとのぶつかる音や、祭では群集の掛声などは勿論で、随所に劇画の手法が使われているのである。

   そのほかにも、浮世絵や日本画などの日本の伝統芸術の手法を取り入れた、ワビサビではないが、本来の朱と緑に彩られた寺社仏閣、金色に輝いていた仏像、歌舞伎の世界等々極彩色で輝いていた日本の美意識である芸術を、ヨーロッパの手法を用いながら展開している。
   メキシコでも学んだと言うから、あのメキシコ市のあっちこっちで見られるシケイロスの強烈な人民パワーを叩きつけて描かれたスケールの大きな壁画の影響も受けているのであろうか、日本の典型的なモチーフであっても、計算し尽し非常に緻密で精緻に描きながらも、絹谷画伯の絵には、イメージをはるかに超えた迫力と創造力が感じられる。

   ところが、絵には多くのメッセージと画伯の希いが込められているのであろうが、劇画やポスタータッチで、派手な造形とデフォルメが強烈な、極彩色の色の洪水のような絵画であるから、幻惑されてしまって、思想性が感じられない嫌いがある。
   例えば、人気があって良く売れるようだが、とんがった富士山と日輪を描いた派手な絵にしても、画伯の絵に込めたイメージは非常に豊かなのであろうが、横山大観の墨絵タッチの非常にシンプルな絵と比べると、どうしても装飾画と言う感じになってしまって精神性に欠けてしまう。

   この印象は、例えば、自宅のリビングなどに飾って毎日見るとどう感じるかと考えると分るのだが、やはり、絹谷幸二画伯の絵は、パブリックの場やハレの時の絵で、それでこそ、「情熱の色・歓喜のまなざし」が生きてくるのである。  

   
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大学進学率がOECD水準以下の日本の貧困

2008年09月10日 | 学問・文化・芸術
   エコノミストの電子版を開いていたら、口絵の写真が掲載されていて、OECDが、先進諸国での大学生の急増に対処するために各国政府が有効な対策を打つべく迫られていると言うレポートを出したことを知った。
   まず最初にこのグラフを見てショックを受けたのは、高卒の大学進学率についてで、日本は45%程度で、OECD平均の57%よりはるかに低いことであった。
   オーストラリア、フィンランド、アイスランド、ポーランド、スウェーデンなどは、高卒の4人に3人は大学に進学しており、日本の水準は、アメリカには勿論、60%近い韓国の足元にも及ばない。
   日本より低い国で、一寸意外だったのは、IT立国のアイルランドで、スペインとドイツでは、2000年以降教育支出が落ち込んでいると言う。

   このブログで、欧米の大学やプロフェッショナル・スクール(大学院)等を含めて多くの教育問題について論じて来た。
   世界中が知識情報化社会に突入して以来、ITC革命とグローバリゼーションによるフラット化によって引き起こされた知の爆発と集積により、高等教育の重要性が益々増してきた今日、教育が最も重要な国家安全保障のひとつであることを強調せざるを得ない。
   先日も、ワーキングプアの問題を論じた時にも、教育訓練の不足とゆとり教育などによる教育の劣化について、そして、
   日本人の海外留学生激減による国際水準の学問・技術等へのアクセス減少と将来の国際的リーダーとのコネクションの消失、
   日本のリベラル・アーツ軽視の大学教育が世界的に通用しない国際戦士を育て続けてきたことの悲劇等々色々な日本の教育問題の深刻さについて論じてきたが、この大学進学率の低さは更にそのシアリアスさを倍加する。

   日本のノーベル賞学者など偉大な学者や研究者の大半が、欧米での教育や研究経験のあること、日本の今のトップ経営者の多くが、欧米でのビジネス経験や教育を受けて触発されて来ていることを考えれば、異文化との遭遇は勿論のこと、知の集積と爆発への接触によるスパークが如何に重要かと言うことが分る。
   このOECD報告でも触れているように、自国外の大学に入学する学生数は290万人を越えており、オーストラリアやニュージーランドなどでは25%以上が外国人だと言うことだが、世界中が俊英・秀才を求めて知の争奪戦を繰り広げているのである。
   
   ところで、教育の重要性については、とにかく、ひとつでも二つでもものを覚えて知を集積することが重要だとは思っているが、知識教育だけが重要だとは思っていない。
   私自身は、このブログの標題にも使っているように、文化と言うか、人の感性や命の叫びによって生み出された芸術や匠の技などには限りない憧憬を抱いている。
   それが、形のある絵画や彫刻、焼物や人形・玩具、一寸した素朴な地方玩具、或いは、生まれては瞬間に消えて行く音楽や演劇などのパーフォーマンス・アート、
   ガーデニング、素晴らしい新種の野菜や果物の創出等々数え切れないほどの人間の想像を絶するような素晴らしい創造物があり、それを生み出す素晴らしい人間の限りなき創造力と匠の技に畏敬の念を禁じ得ない。

   私自身が問題にしたいのは、日本の教育が、このような偉大な日本人の潜在的能力を最大限に発揮し活用して、創造力と崇高な人間力をスパークさせる力と機能を著しく欠いているではないかと言う懸念である。
   
コメント (4)
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