熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ボッカッチョのデカメロンを読もうと思う

2024年03月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ボッカッチョのデカメロンを読もうと思って、平川 祐弘 訳の「デカメロン」を買った。
   2012年刊で古書しかないので、「日本の古本屋」でネットショッピングした。幸いにも新本で、少し安く手に入った。
   定価6600円、800ページ近くの大著で、
   いま、清新なルネサンスの息吹が甦る!
ペストが猖獗を極めた十四世紀イタリア。恐怖が蔓延するフィレンツェから郊外に逃れた若い男女十人が、おもしろおかしい話で迫りくる死の影を追い払おうと、十日のあいだ交互に語りあう百の物語。人生の諸相、男女の悲喜劇を大らかに描く物語文学の最高傑作が、典雅かつ軽やかな名訳で、いまふたたび躍動する。挿画訳60点収録。と言う本である。
   
   「デカメロン」については、好色本と言ったあまり評価の高い本ではないという認識しかなくて避けていたのだが、
   平川裕弘のダンテの「神曲」や「神曲講義」などを読んでいると、ボッカッチョはダンテの権威であり崇拝していて、「神曲」と甲乙つけがたい貴重な本だということなので、より当時の時代背景なども知りたくて、読むことにしたのである。
   「デカメロン」は、「三つの指輪」や「鷹の話」など断片的には知っている程度で、直接には全く読んだことがないので、100話をどう読むか、
   毎日読書を続けている専門書の合間に、2~3話ずつ拾い読みしていくのがよさそうである。

   まず、予備知識として、平川教授の「解説」を読んでみた。
   70ページに及ぶ詳細で丁寧な解説で、ダンテ「神曲」でも重宝したのだが、今回も周辺知識の補強に役に立つ。

   まず感じたのは、宗教に対する両者の違い、
   宗教の退廃について、ダンテは強く糾弾しているのだが、それよりも危険なのは、ダンテ本人を含むキリスト教至上主義者の態度そのものにあるとして、ボッカッチオは、堕落腐敗よりも更に大事な問題点である原理主義的徹底性の危険性を自覚していたのではないか、と述べている。
   ダンテはキリスト教西洋最高の詩人であり、一方ボッカッチオはヨーロッパ最大の物語作家で、ダンテに傾倒しながら、それでいて畏敬の念の奴隷にならなかった。この両作品を一望の下におさめるに当たって偏狭な信仰の目隠しを脱して広角の文化史的パノラマの中に初期ルネサンスの詩と散文を享受し得る。と言うのである。

   ボッカッチオは、国際政治についても、地中海貿易の実務に携わっており、キリスト教世界内部の「正論」を声高に唱えたりはせず、キリスト教徒とユダヤ教徒とイスラム教徒の平和共存を主張していた。 死後の生命よりも生きている間の方が大切であり、寛容を穏やかな声でわらいをまじえながら語った人だったのである。
   寛容はキリスト教の教義からではなく、地中海世界での実際の平和共存と言う生活様式の問題として主張されるようになり、良識派の人々が主張しかねていたのを、ボッカッチオが、巧みな物堅い形式を借りて「デカメロン」で書いた。
   人間の良さも悪さも知り尽くして、その上で滑稽な話、哀れ深い話、またふしだらな艶笑談も書いて、自分で笑い、人をも笑わせる人間性の豊かな人であったので、ダンテのように当世の堕落を告発する義憤癖にはついて行けなかった。 他人の退廃を糾弾する自己正義的な態度の潜む倨傲をいちはやく察していた。理想を掲げる人は得てして相手を侮蔑するひつようにせまられるがその種の正義感を片腹痛いものに思っていたに相違ない。と述べている。

   蛇足ながら、私は、欧米などのめぼしい博物館や美術館を回って沢山の絵を見てきたが、ダンテの「神曲」やギリシャ神話や聖書などをテーマにした絵画作品を結構観てきたものの、「デカメロン」を扱った作品を観たことがない。やはり、艶笑話などの所為なのであろうか。
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椿:花富貴、マーガレット・デイビス

2024年03月29日 | わが庭の歳時記
   濃いピンクの優雅な椿花富貴が咲き出した。
   園芸店で買ってすぐに庭植えしたので、大きくなるまでに時間がかかってやっと咲いたと言う雰囲気である。
   千葉の庭ではリビング正面の主木だったので、咲き乱れると一気に庭が明るくなって楽しませてくれた。
   
   
   
   

   オーストラリア産のマーガレット・ディビスも咲き出した。
   白地に紅覆輪の派手な椿だが、花心は牡丹咲きであろうか、わが庭には3株植わっているが、それぞれ、咲く時期も違えば花弁の様子も違っていて面白い。
   
   
   

   面白いのは、バレンタインデーが、枝によって花弁の様子が変ってきたことである。
   至宝が開花し始めてきた。今年は、完璧な形に咲いた花をみたいと思っている。
   
   
   
   

   下草は、シャガ、ハナニラ、
   牡丹が芽吹き始めてきた。
   庭師に根元から切り取られていた株に新芽がでている。何年かで復活するかも知れない。
   
   
   
   
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フランシス・フクヤマ 著「リベラリズムへの不満」

2024年03月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   本書の帶に大書された『歴史の終わり』から30年。自由と民主主義への最終回答。と言うこの本。
   日本語版のタイトルが誤解を招くのだが、原題は「Liberalism and Its Discontents」で、「リベラリズムとそれに対する不満」である。
   著者は、序文冒頭で、「この本は、古典的リベラリズムの擁護を目的としている。」と述べている。
   ここでは、マクロスキーの「人道的自由主義」を指しており、法律や究極的には憲法によって政府の権力を制限し、政府の管轄下にある個人の権利を守る制度を作ることを主張している。と言う。
   近年、リベラリズムが右派のポピュリストや左派の進歩派から激しい攻撃を受け、深刻な脅威にさらされているが、それは、その原理に根本的な弱点があるからではなく、この数十年の間のリベラリズムの発展の仕方に弱点があるからで、たとえ欠点があったとしても、平等な個人の権利、法、自由が基本的に重要であるリベラリズムは、非リベラルな代替案よりも優れていることを示したい。として、
   リベラルな体制を支える基本原則に焦点を絞り、欠点を明らかに、それに基づいて、どう対処すべきか提案する。と論陣を張る。

   興味深いのは、リベラリズムは「民主主義」に包含されているが、
   「民主主義」は、国民による統治を意味し、普通選挙権を付与した上での定期的な自由で公正な複数政党制の選挙として制度化されている。
   リベラルとは、法の支配を意味し、行政府の権力を制限する公式なルールによる制度である。として、世界大戦後普及した制度は、「リベラルな民主主義」と言うのが適切だという。

   この本は、私にとっては、リベラル史を縦軸にした政治経済体制史と言った感じであったのだが、興味があったのは、経済的側面で、
   歴史的に見れば、リベラルな社会は、経済成長の原動力であり、新技術を創りだし、活気に満ちた芸術と文化を生み出した。まさにリベラルであったからこそ起ったことである。と言う指摘。
   その例はアテネに始まって、イタリアルネサンス、そして、リベラリズムのオランダは17世紀に黄金時代を迎え、リベラリズムの英国は産業革命を起し、リベラリズムのウィーンは絢爛豪華な芸術の華を咲かせ、リベラリズムのアメリカは、数十年にわたって閉鎖的な国々から難民を受け入れながら、ジャズやハリウッド映画からヒップホップ、シリコンバレーやインターネットに至るまで、グローバル文化を生み出す地となった。

   面白いのは、経済思想におけるリベラリズムが極端な形で行き過ぎた「ネオリベラリズム(新自由主義)」への変容で、
   ミルトン・フリードマンなどのシカゴ学派・オーストリア学派が、経済における政府の役割を鋭く否定して、成長を促進して資源を効率的に配分するものとして自由市場の重要性を強調した。
   更に進んで、国家による経済規制を敵視し、社会的な問題についても国家の介入にも反対し、福祉国家にも強く反対する「リバタリアニズム(自由市場主義)」の猛威。
   市場経済の効率性については妥当だとしても、それが宗教のようになって国家の介入に原理主義的に反対するようになった結果は、世界的金融危機を引き起こし、経済格差の異常な拡大など資本主義経済を危機的な状態に追い込んだ。

   興味深い指摘は、新自由主義イデオロギーがピークに達した時に崩壊した旧ソ連は、その最悪の影響を受けたこと。中央政府が崩壊すれば、市場経済が自然に形成されると多くの経済学者は考えた。透明性、契約、所有権などに関するルールを強制できる法制度を持った国に厳格に規制されてこそ市場は機能することを理解していなかった。その結果、ずる賢いオリガルヒに食い荒らされ、悪影響は現在も、ロシア、ウクライナなどの旧ソ連圏の国々で続いている。と言う。「歴史の終わり」の裏面史で面白い。

   フクシマの本は始めて読んだのだが、私の専門の経済や経営の分野ではないので、思想家や哲学者たちの学説や専門用語などが出てきて、多少戸惑いを感じた。
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庭に出て花木の咲き具合を見る

2024年03月25日 | 生活随想・趣味
   今日も元気で過ごせそうだと寝起きが良いと幸せを実感する。
   もう傘寿を越えると朝起きて始めるのは、何時ものルーティンで、まず、カリタでコーヒーを煎れてスコーンの朝食を取る。
   日経を、まず、パラパラと捲って目を通し、パソコンを立ち上げて、メールやニュースをチェックする。

   そして、天気の良し悪しに拘わらず、庭に出る。
   一夜でそれ程変化があるわけではないが、それでも、春になって陽が長くなり暖かさが増してくると、思わぬほど花木や草花が変化を見せて、開花が速くなる。

   この口絵写真は、椿至宝の挿し木苗の一輪だが、ほんの2~3日で咲ききった。
   まだ、30㎝ほどの小苗だが、多少歪ながらも、親木と変らない花を咲かせている。
   育種店から買った親木や大きくなった挿し木苗の蕾は、まだ少し固いのだが、至宝が赤紫の優雅な姿で、桜が満開になった頃には咲き乱れる。
   

   冬に寒肥を施肥したので、問題はないのだが、新芽が出始めて、ぼつぼつ、花木も動き出してきたので、液肥を施している。
   天気が良くなったら、薬剤散布を行おうと思っている。ガーデニング作業の始まりである。
   今朝、鶯が我が家の庭に来て囀っていた。
   来月になれば、もっと椿も咲き出すので、賑やかになる。
   
   
   
   
   
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企業の持続的な生産性上昇こそ大切

2024年03月22日 | 政治・経済・社会
   今日の日経の経済教室に、祝迫得夫・一橋大学教授の
   「個人消費、低迷脱却の条件 企業の生産性上昇こそ本筋」と言う論文が掲載された。
   ポイントは、
   ○恒常的な所得増加でないと消費は増えず
   ○企業より個人・家計に対する安全網強化
   ○持続的な賃上げの鍵は企業の生産性上昇
   これに加えて、ゾンビ企業を駆逐する企業の新陳代謝の促進

   色々な日本経済についての理論が展開されているが、この論旨が一番自分の考え方に近いので、持論を加えながら考えてみたい。

   さて、株価が急上昇し、インフレの進行と同時に大幅の賃上げが発表されるなど、鳴かず飛ばずであった日本経済がデフレ脱却模様で、好循環が始動し始めたと、世論も色めきだしてきた。
   ”しかし景気回復がすべての経済主体に恩恵だけをもたらすわけではない。「失われた20年」の間にあったゼロインフレ下での緩やかな景気回復と異なり、現在の景気回復は明確なインフレと賃上げを伴っていて、経済全体の価格・賃金水準が上昇する中で、相対価格や相対賃金も大きく変化するだろう。企業ごとの競争力の差が値上げや賃上げの余力の違いという形で明確化する結果、競争力のない企業は市場からの退出を余儀なくされつつある。このままインフレと景気回復が継続し、金利がゼロを持続的に上回るような状況に至れば、金融面からも企業の選別が始まるはずだ。”という。
   コロナ禍の下、政府による救済策で生き延びていたゾンビ企業が救済策の終了とともに倒産している現状を踏まえれば、競争により振り落とされる企業をすべて救済しようとしていた民間企業全体にセーフティーネット(安全網)を用意することが経済政策として非効率なのは明らかである。と言うのである。

   重要なのはこの一点、私は、これまでに何度も繰り返して論じてきたが、
   日本の経済政策の問題は、競争を喚起して積極的な企業の参入・退出を図らずに、特に、競争力をなくしたゾンビ企業を温存させる愚をおかしたこと、
   企業の新陳代謝を促してイノベイティブな新規参入を促進できなかったことが、日本の生産性上昇率の低迷や国際競争力の低下の最大の原因になっていた。
   民間企業への過度なセーフティーネットやサポートを取り外せば、ゾンビを駆逐できる。
   
   ”企業に対するセーフティーネットを今までより限定的なものにして、その代わりに個人・家計に対するセーフティーネットを強化すべきだ。”という。
   新しい技能の獲得(リスキリング=学び直し)による労働者個人の人的資本への投資と生産性の上昇を通じた就業支援に重点を置くべきであり、
   健康寿命が延び退職年齢が次第に上昇して労働者が人的資本をアップデートすることが必要となり、また、生成AI(人工知能)や自動運転に代表される現在進行中の技術革新により、企業内での技術の向上・改善よりは、もっと汎用性の高い技術の獲得・導入の方が、労働者にとっても企業にとっても重要になっている。労働者にスキルの取得と人的資本への投資を促すような、社会的な制度設計が重要になり、個人を対象とした社会的セーフティーネットを充実させる方が理にかなっている。と言う、至極尤もである。

   ところで、この論文のタイトル「企業の生産性上昇こそ本筋」と言うことだが、
   個人消費を向上させ経済を活性化させるためには、個人・家計が持続的だと思えるような所得、すなわち恒常所得の上昇が必要である。
   政府の実施する一時的な所得減税や給付金による景気浮揚政策や少額を経済全体に均等にばらまくような財政支出等は、極めて限定的で効果は薄い。
   企業が恒常的所得の上昇を維持するためには、持続的に賃上げを実施することであり、そのためには、その前提となる企業の生産性の上昇を持続させる必要がある。
   したがって、政策面からは、一時的な財政出動による需要刺激策ではなく、労働者個人の人的資本への投資を促すなど企業部門全体の生産性上昇を促すような施策が求められる。と説く。

   この生産性の上昇であるが、
   日本の労働生産性は、先進国で最下位であり目も当てられない位低い。
   経済成長要因は、「全要素生産性の上昇、労働の増加、資本の増加」の3要素なので、日本の場合、人口増は少子高齢化でマイナス要因であり、投資も低迷しているので、経済成長のためには、全要素生産性の上昇アップ、すなわち、技術革新・規模の経済性・経営革新・労働能力の伸長・生産効率改善など幅広い分野の技術進歩が必須である。
   特に、少子高齢化で、移民を活用しない限り、労働人口減が急速に進み経済成長の足を引っ張るので、全要素生産性上昇率と資本装備率の上昇で労働生産性を上げて国際競争力を涵養して経済の質を向上させることが重要である。
   問題は、日本の潜在的経済成長力がどの位あるのかにもよるが、人口減をカバーするのがやっとだとすれば、今まで眠っていたゾンビ企業主体の日本企業が、起死回生して創造的破壊に邁進してイノベーションを起して、前述のような全要素生産性上昇を策するとは考えにくい。
   そうなれば、持続的に生産性が上がらないので、恒常的な所得のアップなどは期待出来なくなり、今年の春闘景気は一時的な現象に終って、岸田内閣の言う成長と所得の好循環など実現不可能となろう。
   人口減という十字架を背負った日本経済、
   持続的な企業の生産性アップによって分配原資を確保し続ける以外に生きる道はない。

   歴史は韻を踏むとか、ネオリベラリズムへの回帰とは言わないまでも、ケインズ政策を少し脇に置いて、サプライサイド経済学に目を向けても良い時期ではないかと思っている。
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椿白羽衣、久寿玉、朱月咲く

2024年03月21日 | わが庭の歳時記
   白羽衣が咲き出した。
   千葉の庭で、門扉脇の主木の1本として、豪華に咲き乱れていた白羽衣を再現したくて植えたのだが、まだ、小木なのでその雰囲気はない。
   白い花は、わが庭には殆どないのだ、この花だけは、親木のピンクの羽衣よりも気に入っている。
   花の7~8割は、白と黄色の花だと言うのだが、白い花を純白に咲かせるのは結構難しいような気がしている。
   
   

   久寿玉も派手に咲き出したが、鵯に狙われて写真になる綺麗な花は殆どない。
   この椿は、同じ木に、色々な花が咲いて面白い。
   枝変わりで咲く花の形態が違ってくるのだが、次のように全く違った花が咲く。
   
   

   肥後椿の朱月も咲き出した。
   蘂が大きく広がった派手な椿だが、半坪庭に植えていて、異彩を放っている。
   
   

   咲き続けている椿は、式部、エレガンス・シュプリーム、仙人卜半、
   ピンク加茂本阿弥の実生苗に、赤い花が咲いた。先祖返りした赤加茂本阿弥であろうか。
   
   
   
   
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映画:ナイル殺人事件 (2022年 ケネス・ブラナー版)

2024年03月19日 | 映画
   アガサ・クリスティの1937年の小説『ナイルに死す』を原作とするケネス・ブラナーの監督主演の映画で、脚本はマイケル・グリーン。本作は2017年公開の『オリエント急行殺人事件』に続くブラナーのアガサ・クリスティ作品の2作目で、名探偵ポアロで絶妙な演技を披露している。
   エジプトのナイルの豪華な川下りツアー中に、新婚旅行中の夫妻の富豪の妻が何者かに殺害されて、ポアロがその謎を解いて行く。

   新婚旅行でツアーを主催したリネット(ガル・ガドット)は、莫大な財産を相続しており、ジャクリーン(エマ・マッキー)から婚約者のサイモン(アーミー・ハマー)を奪い、結婚したが、それを恨んだジャクリーンはツアーに付きまとい、どこまでも追って来てリネットを悩ませる。
   ツアーには、ポアロの知人ブークの金持ちの母や有名歌手、リネットの以前の婚約者や、管財人としてリネットの財産を着服している従兄弟など、リネットに関わりのある金持ちのメンバーばかりが同行していた。
   事件は、アブ・シンベル神殿の石壁落下から始まるのだが、ある日、ナイルクルーズの客船にジャクリーンが現れ、夜遅くにラウンジでサイモンと争ってピストルで撃つ。ジャクリーンを部屋に閉じ込め、足を撃たれて立てないサイモンを医務室に運ぶ。翌朝、客室のベッドでリネットの射殺体が発見される。
   これから、ポアロの名推理が冴えて興味深い謎解きが始まるのだが、とにかく、オリエント急行の場合もそうだが、閉鎖された乗り物、すなわち、籠の鳥の中の訳ありの乗客を虱潰しに取り調べるのであるから、逃げ場がなくて非常に面白い。
   事件は、元々相思相愛のジャクリーンとサイモンの共犯によるもので、二人はリネットの財産を狙っていて、リネットがサイモンを奪って結婚するよう仕向けて結婚させたのである。ジャクリーンがサイモンを撃った弾は空砲で、人がいなくなるとサイモンは客室に走ってリネットを殺し、改めて自分の膝を撃つ。ポアロに、全てを見抜かれたサイモンとジャクリーンは、その場で抱擁しながら体を撃ち抜いて果てる。

   私はエジプトには行ったことがないので分からないが、この舞台セットは、アブ・シンベル神殿のほか、船も再現されて、イギリスで撮影されたと言うことだが、アブ・シンベル神殿など写真や動画で見る情景と同じ臨場感タップリで、ナイル風景なども詩情豊かで興味深く愉しませて貰った。
   アガサ・クリスティは、夫が考古学者であり中東にも行っているので、この辺りの古代遺跡は熟知していたのであろうから、原作を読めば面白いかも知れない。娘二人は、大のアガサ・クリスティ・ファンだったが、私は推理小説が苦手で、クリスティもコナンドイルも読んだことがない。

   この映画も、ポアロに興味があったと言うよりも、ケネス・ブラナーの映画であるから、WOWOW録画で見たのである。
   ケネス・ブラナーは、ロンドンのバービカン劇場で、「ハムレット」の舞台を一度観て、著書「私のはじまり」を読んで、シェイクスピア経由でファンになったのだが、とにかく、シェイクスピアではトップアーチストであり、その後、映画を注視して観ているが、凄い芸術家だと思っている。
   とにかく、立て板に水、畳みかけるような明晰かつ爽やかなブラナーのポアロの推理と謎解きが心地よく、楽しい映画である。
   
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ヘイミシュ・マクレイ :2050年の日本は?

2024年03月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、ヘイミシュ・マクレイの「2050年の世界 見えない未来の考え方」について、「日本は2050年にも第4位の経済大国」という見解について書いた。
   日本経済についてだけの見解であったので、今回は、全般的な著者の未来展望について考えてみたい。
   かなり、独善と偏見があるので、多少は割り引いて考えるべきだと思うが、ほぼ正鵠を射ているので参考にはなろう。

   まず、日本は、地球上で最も高齢な社会となっていて、高齢化する先進世界の先頭を走っている。高齢化は更に進み、2050年には人口が1億人前後まで減り、労働力は総人口以上に速いペースで減少するため、高齢者がより高齢な人の面倒を見る国になる。
   大規模な移住があれば人口の減少は抑えられるが、他の国が混乱すればするほど国境を閉ざし、国民同士の自助強力の国民性が根付いており、そうはならず、外を見ずに内向きになり、日本は日本であり続ける。
   経済規模は相対的に小さくなっていくが、世界第4位の経済大国を維持し、西側連合の一員としてアメリカとの同盟関係は揺るがず、製造大国であり続けて、世界中に物理的資産や金融資産を保持し続ける。
   日本の文化は他の国々に強い影響を与え続け、高齢化に直面する他の社会の手本として、高齢化社会のパイオニアとして貢献する。

   問題は、日本は真のテクノロジーの座を維持出来るのかであるが、今の高い技術力は、1世代前に培われたスキルの上に成り立っている。日本はソフトウエアよりハードウエアに強く、輸出可能なサービスよりも輸出可能な財の生産を得意としているが、家電でリーダーだった時代は終り、世界をリードする自動車セクターの重要性も相対的に低下傾向にあり、日本の大学はレベル自体は高いものの、そこに学びに行く外国人は少ない。
   国民は文化生活を送っているが、経済のほとんどの分野で世界の最先端から遠ざかっている。
   イノベーションの歌を忘れたカナリア、国際競争力を喪失した日本企業の惨状が悲しい。

   第二の懸念は、国の財政状況、過剰債務の問題である。
   日本は、すでに公的債務の対GDP比が世界の主要国の中でも最も高く、これからも上昇し続ける。この状況は持続不可能で、どの様な形態のデフォルトになるかは分からないが、次の30年のどこかで、債務を再構築しなければならない。
   労働力が急速に縮小する中で、対GDP比で世界最大の公的債務残高は維持出来ないし、日本社会は強靱だが、混乱と痛みを伴わずに公的債務問題を解消できるとは思えない。と言う。

   これまで、何度か論じてきたので蛇足は避けるが、成熟経済に達した日本は、生産性のアップによる経済成長を望み得なくなっている以上、経済成長による債務返済は殆ど絶望的なのだが、
   MMT/現代貨幣理論に従えば、
   「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない」ということであるから、ケインズ政策の実行などやむを得ず過剰債務になっても、心配はないと言うことであろうか。
   財政金融問題についての知識も乏しいし、まだ、MMT/現代貨幣理論については、半信半疑なので、何とも言えないのだが、
   債務の返済を考えれば不可能であろう、しかし、日本の異常な公的な過剰債務にも拘わらず、日本経済はビクともしていない。金利は払うとしても、このまま、塩漬けして債務償却を考慮しなければ、問題がないような気もしている。
   余談ながら、片山さつき議員と岸田首相が、今日の国会で、名目GDP1000兆円論議を展開していたが、30年間も500兆円台でアップダウンし続けて600兆円越えさえ難しいのに、馬鹿も休み休みに言え、と言っておこう。

   第三の懸念は、地政学の問題である。
   日本は内向きになりすぎて、力を増す中国に対抗する勢力にはなれない。自分の領土は防衛するが、中国の領土拡大を止める盾には加わらない。
   中国は、自国の固有の領土であるとする地域を占領すれば、そこで踏みとどまる、いずれにしても、中国の領土拡大の野望はやがて潰えると言うのが本書の大きなテーマの一つなのだが、東南アジアの近隣諸国の間の緊張を日本が傍観するとしたら、不安を感じずにはいられない。と言う。

   結論として、日本は2050年も結束力のある安定した社会であり続けるが、世界にあまり関心を持たない。国を閉じようとはしないが、相対的には犯罪の少ない環境や清潔さ、秩序を大事にする。と言う。
   島国には、世界に目を向けて、支配するとまでは行かなくても、少なくとも影響力を行使しようとする道を選べるし、世界への扉を可能な範囲で閉ざそうとすることも出来る。1950年から90年代までの40年ほどは、日本は前者の道を選んだが、今世紀に入ってから、日本は後者の道を選んでいる。日本は2050年までその道をひた走って行くだろう。と言うのである。

   日本は内向きで閉鎖的で世界に向かって国を閉ざしていると言うのは、極論過ぎるとは思うが、昔、ドラッカーが、日本はグローバリゼーションに対応できていないと言っていたのを思い出した。中印など新興国や東欧などが破竹の勢いで世界市場に雪崩れ込んで成長街道を驀進していた時期に、日本はグローバリゼーションの大潮流に乗れずに、鳴かず飛ばずで失われた経済に呻吟し続けた。
   私は、文革後の悲惨な中国や、後進状態で貧しくて発展の片鱗さえ見出し得なかった東南アジアの国々を、当時訪問していてよく知っているので、その後の目を見張るような近代化や成長ぶりや今日の偉容と、停滞し続けている日本の現状を見比べて感に堪えない。

   もう一つ内向き日本で思うのは、国際情勢に対する日本人の無関心さであろうか。
   ウクライナ戦争やガザ・イスラエル戦争等に対して、世界の各地で人々の激しい抗議デモなどが巻き起こっているが、日本では、関係者以外は我関せずで、安保騒動やヴェトナム反戦運動以外は、国民運動が盛り上がったことが殆どない。
   しかし、マクレイは、他の国が混乱すればするほど、日本人は国境を閉じるのは正しい選択だったという確信を強くする。とまで述べているのだが、これは看過出来ない。
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椿:式部、ハイ・フレグランス

2024年03月16日 | わが庭の歳時記
   椿式部が咲き出した。
   花弁は、紅色一重の唐子咲きで、花芯の唐子弁は白覆輪に加えて霜降り、
   複雑な花で、私の式部は、花弁化しなかった黄色い蘂がのこることがあって面白い。
   
   
   
   

   匂い椿ハイ・フレグランスも咲き出した。
   淡いピンクで華奢な花なので、開花してもすぐに傷んで、写真にならないのが惜しい。
   青い珊瑚礁も咲き続けている。
   
   
   
   

   仏前に供する樒の花が咲いている。
   
   
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最貧国ハイチの悲劇:フランス植民地のネガティブ遺産

2024年03月13日 | 政治・経済・社会
   ウクライナ戦争とガザーイスラエル戦争で影が薄いのだが、アメリカ大陸で最貧国のハイチで暴動が勃発して、治安が悪化している。
   ハイチの首都ポルトープランスの主要刑務所が2日夜、武装ギャングに襲撃され、4000人近い収監者の大多数が脱走した。
   アリエル・アンリ首相の退任をもくろむギャングのリーダー「バーベキュー」が率いるギャング団が、首都ポルトープランスの8割を掌握しており、多国籍治安部隊に対して団結して戦うと示唆し、アンリ首相が退陣せず、国際社会がアンリ氏を支持し続ければ、ハイチは内戦状態に陥り、最終的に大量虐殺が起きると警告していた。
   米政府もかねてより、アンリ氏に「政治的移行」を要請しており、アンリ首相は11日、辞任する意向を示した。

   さて、ハイチは、中米では珍しくフランスの植民地であった。フランスは、アフリカ大陸から無理矢理連れてきた奴隷を、サトウキビの大農園で働かせて生産した砂糖によってばく大な富を享受した。ハイチ国民は圧政をはねのけて、1804年に独立を勝ち取ったが、軍事独裁やクーデターなど政情不安が続き、更に過酷なフランスの搾取を受けて、政治経済社会など国家体制の基盤が整備されないまま、「西半球で経済的に最も貧しい国」となった。
   21世紀に入ってからも、国連の介入を招いたクーデターや、2010年の25万人以上の死者を出した大地震などに見舞われており、国力および国民生活は極度に疲弊した状態で今日に至っている。

   ところで、ハイチの貧しさについて、一度、このブログで書いたことがあったので、調べてみると、2018年8月のジャレド・ダイアモンド著「歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史」のブックレビューであった。
   ハイチとドミニカ共和国の際立った比較で、カリブ海に浮かぶ、同じイスパニョーラ島を、東西に政治的に分断されているのだが、上空から見ると、直線で二等分された西側のハイチの部分はむき出しの茶色い荒地が広がっていて、浸食作用が著しく進み、99%以上の森林が伐採されている。一方、東側のドミニカ共和国は、未だに国土の三分の一近くは森林に覆われている。
   両国は、政治と経済の違いも際立っていて、人口密度の高いハイチは、世界有数の最貧国で、力の弱い政府は基本的なサービスを殆どの国民に提供できない。一方、ドミニカ共和国は、発展途上国ではあるが、一人当たりの平均国民所得はハイチの6倍に達し、多くの輸出産業を抱え、最近では民主的に選ばれた政府の誕生が続いている。と書いている。
   

   さて、この発展の違いはどうして起こったのであろうか。
   ドミニカ共和国に比べて、ハイチは山勝ちで乾燥が激しく土地は痩せていて養分が少ないと言った当初の環境条件の違いに由来している分もあるが、最も大きいのは、植民地としての歴史の違いだろうと言う。
   西側のハイチはフランスの、東側のドミニカ共和国はスペインの夫々の植民地であったのだが、その宗主国の奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などに関して大きな違いを生み出し、これらの違いが、独立戦争への取り組みの違いを生み出し、次に海外投資や移民への受容性の違いを、そして、欧米各国による認識の違いを生み出した。さらに現代、独裁者の在任期間の違いを生み出し、最終的に両国の条件は今日全く異なってしまったのだと言うのである。

   ここで思い出したのは、最近、フランスの植民地であったアフリカ中・西部の国で、政変に歯止めがかからないこと。
   2020年にマリでクーデターが発生。その後も21年にギニア、22年にブルキナファソ、23年7月にニジェールで時の政権が武力によって転覆し、その多くでフランスに敵対的な軍政が発足し、マクロン仏大統領が「クーデターの伝染だ」と危機感を表明した直後に、ガボンで軍が反乱を起こしてボンゴ大統領を軟禁。
   何故、フランスだけが火を噴くのか。

   フランスの植民地政策や統治形態などについて確たる知識も知見もないので、何とも言えないのだが、ダイヤモンド教授が説く如く、フランスの宗主国としてのハイチの植民地統治が、
   奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などに関してドミニカと大きな違いを生み出し、これらの違いが、独立戦争への取り組みの違いを生み出し、次に海外投資や移民への受容性の違いを、そして、欧米各国による認識の違いを生み出した。さらに現代、独裁者の在任期間の違いを生み出し、最終的に両国の条件は今日全く異なってしまった。原因だとするなら、
   フランスの植民地統治の熾烈さ残酷さ、その植民地政策のネガティブ遺産が、ハイチの命運をかくまで窮地に追い込んだとは言えないであろうか。

   何故、こう思うのかは、このブログで、”BRIC’sの大国:ブラジル(23篇)”を著して、ラリー・ローターの「BRAZIL ON THE RISE」を底本にして、ブラジルを徹底的に分析して、
   世界一大自然や膨大な資源に恵まれた一等国ブラジルが、政治経済社会の機能不全で、いまだに、鳴かず飛ばずでいつまでも未来の国であって、政治的にも腐敗塗れで後進状態のまま、
   この原因の大半は、ポルトガルの植民地統治によって刷込まれたポルトガルの後進的なネガティブな遺産の為せる業にあることを説明した。
   
   植民地支配が、如何に、世界の文化文明史をスポイルして、多くの人々をいまだに苦しませ続けているか、弱者に優しい世界統治を目指すことが如何に重要か、
   戦争も必死になって忌避すべきではあるが、発展途上国へのサポートを今ほど必要とするときはない。
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椿:青い珊瑚礁が咲き始める

2024年03月12日 | わが庭の歳時記
   椿の青い珊瑚礁は、椿の栽培をはじめて最初に憧れた椿であったが、中々、手に入らなかった。
   今では、インターネットを叩けば、いくらでも探せるが、以前はそうではなかった。
   ネーミングもそうだが、深紅に近い赤紫の花弁に、ほんのりと青い色を帯びて青紫に染まる風情に憧れたのである。
   しかし、発色が不安定で、青い色を浮かせるのは至難の業であって、気象条件によって大きく変ってくる。
   まだ咲き始めたところで、最初に咲いた花は鵯に食いちぎられたが、未開の蕾が残っているので、どん花を咲かせるか楽しみにしている。
   
   
   

   咲き続けている椿は、ピンク加茂本阿弥。
   この株の実生苗が、赤花と白花の蕾を付けてスタンドバイ、
   先祖返りしてどんな花を咲かせるのか興味津々である。
   
   
   
   八重のクリスマスローズも咲き出している。
   庭師が入って、大分風通しが良くなって明るくなった庭、
   思いがけないところから芽を出して咲き出す草花を見るのも、初春の楽しみである。
   
   
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NHK 驚異の庭園 ~美を追い求める 庭師たちの四季~

2024年03月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   先月、素晴しい日本庭園に関する番組「NHKスペシャル 驚異の庭園 ~美を追い求める 庭師たちの四季~」が放送されていたので、録画して見た。
   NHKのHPより番組の紹介をそのまま転記すると次の通り。
   ”世界が賞賛する日本庭園が、島根・足立美術館と京都・桂離宮にある。過酷な自然と格闘しながら、それぞれの美を追求する庭師たちに密着。徹底した美学と、驚きの技とは。海外の日本庭園雑誌のランキングで21年連続1位の島根・足立美術館の庭。日本画の巨匠、横山大観の風景画を現実世界に再現した、白砂に生える松林や人工の滝は圧巻で、5人の庭師が約2000本にものぼる膨大な樹木を葉の一枚まで徹底管理する。2位は日本庭園の傑作と評される京都・桂離宮の庭。400年受け継ぐ技“御所透かし”で、伝統を見事守る。異なる個性の2つの庭園で、美を形にする庭師たちの四季折々の奮闘を追う。”
   
   

   問題のランキングは、アメリカの雑誌Sukiya Livingが毎年12月に発表する「日本庭園ランキング」で、世界各国の読者から選ばれた20人の専門家の推薦によると言うことである。
   当然のこととして、日本人ではない外国人の目から見た、審美眼が、日本の歴史や文化文明、それに、思想哲学など美意識からは乖離した視点からの庭園評価であるから、違和感があるかも知れない。
   日本のユリがカサブランカのようになり、日本の野ばらが豪華絢爛たる派手な花になったように、西洋風に品種改良されていることを考えただけでも、その美意識の差は歴然としている。
   この番組では、足立庭園の苔庭や枯山水を紹介していたが、普通では見えないし、極論すれば、西芳寺の苔庭や龍安寺の石庭など、日本では超弩級の庭として有名だが、普通の西洋人には理解困難であろう。

   ところで、アメリア人が、アメリカでは枯らさないように木を切るが、日本ではより美しく見せるために剪定すると驚いていた。
   私は、日本の庭が美しいのは、この庭木の剪定が、最も重要な役割を果たしていると思っている。

   足立庭園と桂離宮の庭園との庭師の大きな作業の差を、剪定で説明している。
   まず、桂離宮の庭は、400年受け継ぐ技“御所透かし”で剪定して、現状を変えずに伝統を守り続けている。建物と調和させるためだという。
   
   ところが、足立庭園は、自然の石との調和を意図して、綺麗な円形の玉形になるように玉造りに剪定されている。

   前世紀のことになるが、足立美術館には、大観を見たくて一度だけ行ったことがあり、この口絵写真のように広い窓越しに庭園を見た。
   桂離宮も、アメリカ人とイギリス人の客を案内して、2度訪れていて、記憶を辿りながら、懐かしく番組を見た。
   それに、千葉でもこの鎌倉でも、小さいながらもわが庭を持っていて、ここ何十年も庭仕事の真似事をしていて、剪定もしているので、この素晴しい庭師たちの努力奮闘は痛いほど分かり、感動しながら見ていた。
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映画「敦煌」

2024年03月09日 | 映画
   井上靖の歴史小説「敦煌」の映画版で、1988年の公開であるから、NHK BS録画で見ても久しぶりである。
   小説は浪人時代に読んでいて、シルクロードに憧れて中国学の権威の集う京都に行ったのだが、お陰で、宮崎市定教授の授業を受けたり、中国関係の貴重な話を聴講することが出来た。
   後年、パリのギメ東洋美術館で、この映画にも関係する敦煌の重要文化財を見て感激したのを覚えている。

  さてこの映画は、井上靖の原作と同じなのかどうかは分からないが、ほぼ踏襲しているのであろう、映画の梗概は次の通り。
  監督 佐藤純彌   脚本 吉田剛 佐藤純彌
  北宋時代、趙行徳(佐藤浩市)は科挙の試験に失敗し、意気消沈して市場を歩いていて、売られようとしていた西夏出身の女(三田佳子)を助けて西夏語の通行手形を貰って西夏に興味を持ち、西域へ旅立つ。途中で、同行の隊商が襲われ、西夏の傭兵漢人部隊の兵士狩りに捕獲されてその兵に編入される。しかし、隊長の朱王礼(西田敏行)は文字の読める行徳に目を掛け書記に抜擢する。西夏軍がウイグルを攻略した時、行徳はウイグルの王女・ツルピア(中川安奈)を助けて匿い、恋に落ちる。やがてその才能を認められた行徳は、西夏の首都への留学を命じられるが、困って二人は脱走を試みるが失敗する。ツルピアの庇護を朱王礼に託して出発する。しかし留学期間が延び、二年後、行徳が戻ると、ツルピアは西夏の皇太子・李元昊(渡瀬恒彦)と、ウイグル支配の手段として、政略結婚させられようとしていた。婚礼の席上、ツルピアは李元昊を殺害しようとするが失敗し、城壁から身を投げる。李元昊に反感をつのらせた朱王礼は、李元昊が敦煌を制圧して入城しようとする機をとらえて、先回りして、敦煌府太守・曹(田村高廣)を味方につけて李に謀反を起こす。敦煌城内で漢人部隊と西夏軍本部隊が死闘を繰りひろげる。朱王礼は、李元昊を逃してしまい、壮絶な戦闘の後に戦死する。戦乱の中で火に包まれ大混乱に陥る敦煌で、必死になって文化財を運び出そうとする民衆を見て、行徳は敦煌の文化遺産を戦乱から守ることを決意し、城内から貴重な教典や書物、美術品など文化遺産を敦煌郊外の石窟寺院莫高窟に運び出し、後世に敦煌文化財として遺す。  
   その後、900年が経ち、莫高窟からこれら貴重な文化遺産が発掘され、敦煌は再び世界の注目を集めることとなった。

   文革が終って、やっと、国を開き始めた頃で、中国ロケの了承を取りつける難しさなどがあり、のべ10万人のエキストラ、4万頭の馬によるロケーションを敢行するなど、中国の荒野を舞台に展開される戦闘シーンのスケールの大きさ凄まじさは特筆もので、完成には25年が費されたと言うから、並の日本映画と違って桁が違う入れ込み方である。

   北宋(960年 - 1127年)は、907年に唐が滅亡し、その後の五代十国時代の戦乱の時代の後で、遼(契丹)・西夏(タングート)という外敵を抱え、対外的には治安問題を抱えていた。この西夏や遼も、後のモンゴルと同様に、夷狄の野蛮国家ではなく、結構文化文明程度が高く、中国本土の文明国家と対峙していたようで、西夏文字の卓越さなど西夏の威光を活写するなど興味深い。
   中国との合作のようであるから、時代考証にも問題がないのであろう、とにかく、軍隊組織の様子や戦略戦術などが見えてきて興味深かった。

   もう、40年以上も前の映画であるから、映画俳優も随分若くて、現在のように老成して燻し銀のように風格が出てきた雰囲気と違って、若々しくてパワフルな演技が素晴しい。
   特に、西田の隊長ぶりは板についていて、この映画の軸として重厚さと格調の高さを支えていて、実に千両役者の風格である。
   佐藤のインテリ漢人の、若い理知的な瑞々しい役作りは好感が持て、とにかく、中川安奈の品のある美しさは格別で、この二人の若い素晴しい演技が、この映画の花であろう。
   脇を支えている渡瀬恒彦 田村高廣 柄本明 新藤栄作 原田大二郎 三田佳子などの演技も、人を得て魅せてくれる。

   Japan as No.1の日本経済の黄金期に作られたスケールの大きな映画で、
   CGもデジタル技術もなく、実写でこれだけの映画を創ったのであるから、凄いことである。

   
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PS:ヌリエル・ルービニ「トランプと世界経済リスク像 Trump and the Global Economic Risk Picture」

2024年03月08日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクトシンジケートのルービニ教授の「Trump and the Global Economic Risk Picture」
   世界は戦争、大国間の緊張の高まり、その他の地政学的リスクに悩まされているが、これらの要因のほとんどは短期的には経済や市場の見通しに根本的な影響を与えていない。 しかし、11月の米大統領選挙でドナルド・トランプが勝利し、米国が攻撃的な「米国第一主義」の姿勢に戻れば状況は変わる可能性がある。トランプが提案する経済政策の課題は、今や世界中の経済と市場に対する最大の脅威となっている。と言うのである。

   国際情勢や地政学的リスクなどについて詳述しているのだが、要約すると、
   ロシアとウクライナの戦争は相変わらず残忍であるが、その世界的な影響はより穏やかになる可能性が高い。 現在、NATO の直接関与やロシアによる戦術核兵器の使用のリスクは、戦争初期に比べて低下している。
   イスラエル・ハマス戦争もこれまでのところ、地域的および世界的な経済的影響は限定的であるにすぎない。
   米国と中国の間の冷戦、つまり戦略的競争は時間の経過とともに悪化し続ける可能性が高いが、今年は関係がそれほど悪化しない可能性がある。
   台湾問題は今年後半に沸騰する可能性があるが、それが今年や来年に起こる可能性は低い。 中国の経済的弱さと脆弱さにより、米国や西側諸国との対立が薄れる可能性がある。
   同時に、西側諸国のリスク回避、リショアリング、友好国ショアリング、商品、サービス、資本、技術の貿易制限は、短期的にはあまり強化されないであろう。 戦略的競争が管理され続ける限り、世界経済への影響は控えめなものとなろう。
   成長と市場に対する最大の地政学リスクは米国選挙である。 しかしここで、トランプとバイデンが外交政策の優先事項のいくつかを共有していることを認識することが重要である。 民主党も共和党も同様に中国に対してタカ派であり、今後もそうである。
   
   トランプとバイデンの最大の違いは、NATO、欧州、ロシア・ウクライナ紛争への問題である。 トランプがウクライナを放棄し、ロシアを戦争に勝たせるのではないかと心配する向きもあるが、中国に対してタカ派姿勢を維持する公算が大きいため、中国が(台湾に関して)ロシアにウクライナを占領させるシグナルを送ることを懸念する。 さらに、トランプが本当に望んでいるのは、欧州のNATO加盟国が防衛にもっと支出することで、 そうすれば、中国を抑止するためにアジアに軸足を置く同盟の価値を認識するかもしれない。
   第2次トランプ政権が市場に与える最大の影響は経済政策を通じてである。 米国の保護主義政策がさらに厳しくなるのは間違いない。 トランプはすでに、米国へのすべての輸入品に10%の関税を課し(平均関税率は現在約2%)、おそらく中国からの輸入品にはさらに高い関税を課すと述べている。 これは、中国のような戦略的ライバルだけでなく、ヨーロッパやアジアにおける米国の同盟国(日本や韓国など)とも新たな貿易戦争を引き起こすであろう。
   世界的な貿易戦争は成長を抑制し、インフレを上昇させる可能性があり、市場が今後数カ月間に考慮すべき最大の地政学リスクとなる。 このシナリオでは、脱グローバル化、デカップリング、断片化、保護主義、グローバルサプライチェーンの分断化、脱ドル化が、経済成長と金融市場にとってさらに大きなリスクとなるであろう。
   トランプに関連するさらなるスタグフレーションリスクには、気候変動に対する否定的な姿勢や、パウエル米連邦準備制度理事会議長をよりハト派的で柔軟な人物に置き換えようとする可能性が含まれる。
   トランプの財政政策は、すでに高すぎる財政赤字をさらに拡大させるであろう。
    期限切れが迫っている減税は延長されるほか、防衛費や権利への支出も増加するであろう。 債券自警団が最終的にははるかに高い利回りで債券市場に衝撃を与えるリスクが高まる。 民間および公的債務が高水準で増加しており、そうなれば金融危機の恐れが生じるであろう。
   言われているように、「問題は経済だ、バカ」。 トランプが提案する経済政策の課題は、今や世界中の経済と市場に対する最大の脅威となっている。

   以上が、ルービニ教授の見解だが、トランプの経済政策が世界経済に打撃を与えれば、当然、雁字搦めに連結したグローバル経済であるから、ブーメラン効果で、MAGAのアメリカも返り血を浴びてダメッジを受ける。トランプ流の保護主義政策の拡大が、グローバル経済、ひいてはアメリカ経済を益々縮小させて行くのであるから、タダでさえ、疲弊弱体傾向にあるアメリカの国力の進行には益しないのは当然である。

    私が最も心配をしているのは、確たる思想も哲学もなく、嘘八百、欺瞞塗れで、バイデンが論じているように、虎の子の自由と民主主義を叩き潰そうとしているトランプの叛逆的な政治思想の台頭で、先進的な欧米社会が営々として築き上げてきた貴重な民主主義と国際秩序を毀損してしまう可能性があることである。
   尤も、バイデンの勝利で民主党政権が継続しても、現状維持が精々で国際情勢やグローバル経済が特に改善されるとは思えないし、
   過去4年のトランプ治政でもそれ程激震があったわけでもなかったので、揺り戻し程度で治ると思うのだが、
   国際情勢や地政学秩序が、独裁的専制体制に傾くのだけは回避して欲しいと願っている。
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ヘイミシュ・マクレイ :日本は2050年にも第4位の経済大国

2024年03月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   最も最新の未来論であるヘイミシュ・マクレイ の「2050年の世界 見えない未来の考え方」によると、「日本語版への序文」で、
   日本は、”世界第3位の経済大国であり、2050年にも大差の4位を維持する可能性がとても高い。民主主義の下ですべての国民が快適に生活を送っている非常に重要な成功例でもある。”
   この根拠となっているのは、2020年のIMFの推計値を元に、ロバート・バロー教授が開発したHSBCモデルで推計した「2050年の経済規模上位20か国予測」に基づいている。
   インドが第3位に躍り出るのは当然としても、中国がアメリカを抜いて第1位となり、ドイツやイギリスやフランスが日本に続いて上位を占めるのは少し疑問なしとはしない。
   ロシアを除いたBRICSやグローバル・サウスの人口大国である新興国が、成長の3要素を活用して経済成長を遂げて、成熟経済の先進国を凌駕するのは時間の問題であろうからでもある。
   いずれにしろ、多少、データが古いので、参考程度としておくことであろう。

   2月16日に「日本GDPドイツに抜かれて第4位に」を書いて、持論を述べた。
   22年の購買力平価によるGDPは、日本が6,144.60、ドイツが5,370.29(単位: 10億USドル)、実質的には、まだドイツとは大きな差があるので、円安による為替レート換算の結果だと思っている。
   しかし、ドイツとの比較は勿論、日本の労働生産性の低さが先進国でも最下位で突出しており、このままでは第4位どころか、益々、世界各国との経済成長格差が悪化して下落して行く。
   経済成長要因は、「全要素生産性の上昇(技術革新・規模の経済性・経営革新・労働能力の伸長・生産効率改善など幅広い分野の技術進歩)、労働の増加、資本の増加」の3要素なので、日本の場合、人口と資本の増加についてはあまり期待出来ないので、経済成長のためには、全要素生産性の上昇アップすることが必須である。
   特に、少子高齢化で、移民を活用しない限り、労働人口減が急速に進み経済成長の足を引っ張るので、全要素生産性上昇率と資本装備率の上昇で労働生産性を上げて国際競争力を涵養して経済の質を向上させることが重要である。
   分かってはいても、全く、このような気配はなく、鳴かず飛ばずの日本の経済が30年も続いて、いまだに先は見えず。

   ロバート・ソロー教授によると、経済成長の二つの形態は、
   フロンティアの開拓・最先端技術の開発による成長。
   キャッチアップ型、コピー・アンド・ペースト型の成長。
   前者は、未踏の新経済の開発、ブルーオーシャン市場の開発であるから正にイノベーションの世界。
   後者は、遅れた国が、ほかの国で発明されたテクノロジーを利用する方式で、新興経済国の最大の原動力で、その典型が中国。
   前者で成功を続けているのはアメリカだけで、日本も、悲しいかな、後者に成下がって、アメリカの後追い、
   良く考えてみれば、Japan as No.1の時代の成長もキャッチアップ型経済で、今までに、アメリカを凌駕して、「フロンティアの開拓・最先端技術の開発による成長」を遂げたことは、一度もなかった。

   岸田内閣の「新しい資本主義」はともかく、
   PBRを1以上指令で株価が高騰し始めたが、
   全要素生産性の上昇の担い手は、日本の民間企業であるから、特に経済団体で重要な位置を占めている企業に、創造的破壊を迫って、ゾンビ企業を排出して新陳代謝を図ることが必須であろう。
   どんな経営指標が適当かは分からないが、目標値をクリア出来ない企業に退出を迫るような多少社会主義的な経済政策をとっても良いのではないかと思っている。
   とにかく、日本企業に「創造的破壊」のエンジンを起動させない限り、日本の経済の再生はあり得ない。
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