ジャレド・ダイアモンドの新しい本だが、これは、共著編集本で、歴史学の新しい試み、すなわち、歴史の自然実験(原題:Natural Experiments of History )の本なのである。
ダイアモンドについては、ナショナル・ジオグラフィックの記事などで、早くから注目しており、「銃・病原菌・鉄」「文明崩壊――滅亡と存続の命運を分けるもの」「昨日までの世界――文明の源流と人類の未来」などの主要著書を買い込み、TV放映の講座などを録画しているのだが、残念ながら、まだ、積読、積録で、本格的なダイアモンドへの挑戦はミスっている。
ダイアモンド自身、B.A.Harvard、Ph.D., University of Cambridgeで、UCLAの地理学部の教授であり、専門は、歴史学と言うよりは、Geography and Human Society; Biogeography であり、文理両道の学際に秀でたもっと奥が深い学者なので、文化文明論が面白いと思う。
さて、本来、歴史学は、自然科学の実験室のように実験を行なえない。しかし、近年、歴史学分野においても、計量・統計分析が洗練されてきて、ラボ実験やフィールド実験と言った自然実験に似た研究が行われるようになってきたと言う。
この本は、歴史学者のみならず、考古学、経済学、経済史、地理学、政治学など幅広い専門家たちが、夫々のテーマで、比較史や自然実験方式などで分析した論文を集めたもので、先進国から発展途上国、太平洋の島々に至るまで、また、時代は過去から現在まで幅広く、色々な文化文明の歴史を比較検討していて、非常に面白い。
本書の内容は雑多でバリエーションに飛んでおり、殆ど脈絡がないので、今回は、ダイアモンドの「ひとつの島はなぜ豊かな国と貧しい国にわかれたか―――島の中と島と島との間の比較」と言う論文が、非常に興味深いので、これについて考えてみたい。
まず、最初の分析は、ハイチとドミニカ共和国の際立った比較で、カリブ海に浮かぶ、同じイスパニョーラ島を、東西に政治的に分断されているのだが、上空から見ると、直線で二等分された西側のハイチの部分はむき出しの茶色い荒地が広がっていて、浸食作用が著しく進み、99%以上の森林が伐採されている。一方、東側のドミニカ共和国は、未だに国土の三分の一近くは森林に覆われている。
両国は、政治と経済の違いも際立っていて、人口密度の高いハイチは、世界有数の最貧国で、力の弱い政府は基本的なサービスを殆どの国民に提供できない。一方、ドミニカ共和国は、発展途上国ではあるが、一人当たりの平均国民所得はハイチの6倍に達し、多くの輸出産業を抱え、最近では民主的に選ばれた政府の誕生が続いている。
このハイチとドミニカ共和国につて、位置関係などを、google earthの航空写真を借用して掲載すると、国境の緑地の差が朧気ながらも理解できる。
さて、この発展の違いはどうして起こったのであろうか。
ドミニカ共和国に比べて、ハイチは山勝ちで乾燥が激しく土地は痩せていて養分が少ないと言った当初の環境条件の違いに由来している分もあるが、最も大きいのは、植民地としての歴史の違いだろうと言う。
西側のハイチはフランスの、東側のドミニカ共和国はスペインの夫々の植民地であったのだが、その宗主国の奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などに関して大きな違いを生み出し、これらの違いが、独立戦争への取り組みの違いを生み出し、次に海外投資や移民への受容性の違いを、そして、欧米各国による認識の違いを生み出した。さらに現代、独裁者の在任期間の違いを生み出し、最終的に両国の条件は今日全く異なってしまったのだと言うのである。
ところで、この国境の景観の違いについては、ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソンが、「国家はなぜ衰退するのか」で、ダイアモンドと同じように、アメリカとメキシコの国境を跨いで併存するレガノス市の景観が、アメリカ側とメキシコ側とでは如何に違うかを比較して、文化文明論を展開しているのだが、この見解とダイアモンドの主張とを比べてみると、非常に興味深い。
アセモグルたちは、 国家が成長し、あるいは、衰退するためには、色々な要因が考えられるが、包括的な政治・経済制度が繁栄とのつながりがあると考えている。
所有権を強化し、平等な機会を創出し、新たなテクノロジーとスキルへの投資を促す包括的経済制度は、収奪的制度よりも経済成長に繋がり易い。収奪的制度は多数の持つ資源を少数者が搾り取る構造で、所有権を保護しないし、経済活動へのインセンティブも与えない。
包括的経済制度は、包括的政治制度に支えられ、かつ、これを支える。
包括的政治制度とは、政治権力を幅広く多元的に配分し、ある程度の政治的中央集権化を達成でき、その結果、法と秩序、確実な所有権の基礎、包括的市場経済が確立されるような制度である。
一方、収奪的政治制度は、権力を少数の手に集中させるために、その少数がみずからの利益のために収奪的経済制度を維持発展させることに意欲を燃やし、手に入れた資源を利用して自分の政治権力をより強固にする。収奪的経済制度は、収奪的政治制度と結びついて相乗効果を発揮して、益々、国家を窮地に追い込んで悲惨な状態を顕現する。と言うのである。
前者をアメリカ、後者をロシアだと考えれば、よく分かるのだが、したがって、同じ後者の中国については、当然、その経済成長は持続しないと言っているのが面白い。
いずれにしろ、ダイアモンドは、前近代的な文明について論じているので、アセモグル論とは次元が違うので、同列には論じられないであろうが、成長発展および衰退論については、私の関心事なので、これまでにも、このブログで、シュンペーターをはじめ多くの経済学者や、ニーアル・ファーガソンやグレン・ハバード、ティム・ケインなどの見解など、色々書いてきている。
さて、ダイアモンドの後半の分析は、太平洋に点在する多くの島の中で、何故、イースター島だけが、完全に森林が破壊されてしまったのかである。
太平洋の島々を、森林破壊に関する九つの環境変数について、詳細なデータセットが統計的に大きな効果を発揮して、その要因を突きとめ得たと言う。
イースター島は、太平洋で最も壊れやすい環境に人が住み付き、厳しい環境の中で、木の再生産は何処よりも低いレベルにとどまっていたからだ。と言うのである。
ダイアモンドについては、ナショナル・ジオグラフィックの記事などで、早くから注目しており、「銃・病原菌・鉄」「文明崩壊――滅亡と存続の命運を分けるもの」「昨日までの世界――文明の源流と人類の未来」などの主要著書を買い込み、TV放映の講座などを録画しているのだが、残念ながら、まだ、積読、積録で、本格的なダイアモンドへの挑戦はミスっている。
ダイアモンド自身、B.A.Harvard、Ph.D., University of Cambridgeで、UCLAの地理学部の教授であり、専門は、歴史学と言うよりは、Geography and Human Society; Biogeography であり、文理両道の学際に秀でたもっと奥が深い学者なので、文化文明論が面白いと思う。
さて、本来、歴史学は、自然科学の実験室のように実験を行なえない。しかし、近年、歴史学分野においても、計量・統計分析が洗練されてきて、ラボ実験やフィールド実験と言った自然実験に似た研究が行われるようになってきたと言う。
この本は、歴史学者のみならず、考古学、経済学、経済史、地理学、政治学など幅広い専門家たちが、夫々のテーマで、比較史や自然実験方式などで分析した論文を集めたもので、先進国から発展途上国、太平洋の島々に至るまで、また、時代は過去から現在まで幅広く、色々な文化文明の歴史を比較検討していて、非常に面白い。
本書の内容は雑多でバリエーションに飛んでおり、殆ど脈絡がないので、今回は、ダイアモンドの「ひとつの島はなぜ豊かな国と貧しい国にわかれたか―――島の中と島と島との間の比較」と言う論文が、非常に興味深いので、これについて考えてみたい。
まず、最初の分析は、ハイチとドミニカ共和国の際立った比較で、カリブ海に浮かぶ、同じイスパニョーラ島を、東西に政治的に分断されているのだが、上空から見ると、直線で二等分された西側のハイチの部分はむき出しの茶色い荒地が広がっていて、浸食作用が著しく進み、99%以上の森林が伐採されている。一方、東側のドミニカ共和国は、未だに国土の三分の一近くは森林に覆われている。
両国は、政治と経済の違いも際立っていて、人口密度の高いハイチは、世界有数の最貧国で、力の弱い政府は基本的なサービスを殆どの国民に提供できない。一方、ドミニカ共和国は、発展途上国ではあるが、一人当たりの平均国民所得はハイチの6倍に達し、多くの輸出産業を抱え、最近では民主的に選ばれた政府の誕生が続いている。
このハイチとドミニカ共和国につて、位置関係などを、google earthの航空写真を借用して掲載すると、国境の緑地の差が朧気ながらも理解できる。
さて、この発展の違いはどうして起こったのであろうか。
ドミニカ共和国に比べて、ハイチは山勝ちで乾燥が激しく土地は痩せていて養分が少ないと言った当初の環境条件の違いに由来している分もあるが、最も大きいのは、植民地としての歴史の違いだろうと言う。
西側のハイチはフランスの、東側のドミニカ共和国はスペインの夫々の植民地であったのだが、その宗主国の奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などに関して大きな違いを生み出し、これらの違いが、独立戦争への取り組みの違いを生み出し、次に海外投資や移民への受容性の違いを、そして、欧米各国による認識の違いを生み出した。さらに現代、独裁者の在任期間の違いを生み出し、最終的に両国の条件は今日全く異なってしまったのだと言うのである。
ところで、この国境の景観の違いについては、ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソンが、「国家はなぜ衰退するのか」で、ダイアモンドと同じように、アメリカとメキシコの国境を跨いで併存するレガノス市の景観が、アメリカ側とメキシコ側とでは如何に違うかを比較して、文化文明論を展開しているのだが、この見解とダイアモンドの主張とを比べてみると、非常に興味深い。
アセモグルたちは、 国家が成長し、あるいは、衰退するためには、色々な要因が考えられるが、包括的な政治・経済制度が繁栄とのつながりがあると考えている。
所有権を強化し、平等な機会を創出し、新たなテクノロジーとスキルへの投資を促す包括的経済制度は、収奪的制度よりも経済成長に繋がり易い。収奪的制度は多数の持つ資源を少数者が搾り取る構造で、所有権を保護しないし、経済活動へのインセンティブも与えない。
包括的経済制度は、包括的政治制度に支えられ、かつ、これを支える。
包括的政治制度とは、政治権力を幅広く多元的に配分し、ある程度の政治的中央集権化を達成でき、その結果、法と秩序、確実な所有権の基礎、包括的市場経済が確立されるような制度である。
一方、収奪的政治制度は、権力を少数の手に集中させるために、その少数がみずからの利益のために収奪的経済制度を維持発展させることに意欲を燃やし、手に入れた資源を利用して自分の政治権力をより強固にする。収奪的経済制度は、収奪的政治制度と結びついて相乗効果を発揮して、益々、国家を窮地に追い込んで悲惨な状態を顕現する。と言うのである。
前者をアメリカ、後者をロシアだと考えれば、よく分かるのだが、したがって、同じ後者の中国については、当然、その経済成長は持続しないと言っているのが面白い。
いずれにしろ、ダイアモンドは、前近代的な文明について論じているので、アセモグル論とは次元が違うので、同列には論じられないであろうが、成長発展および衰退論については、私の関心事なので、これまでにも、このブログで、シュンペーターをはじめ多くの経済学者や、ニーアル・ファーガソンやグレン・ハバード、ティム・ケインなどの見解など、色々書いてきている。
さて、ダイアモンドの後半の分析は、太平洋に点在する多くの島の中で、何故、イースター島だけが、完全に森林が破壊されてしまったのかである。
太平洋の島々を、森林破壊に関する九つの環境変数について、詳細なデータセットが統計的に大きな効果を発揮して、その要因を突きとめ得たと言う。
イースター島は、太平洋で最も壊れやすい環境に人が住み付き、厳しい環境の中で、木の再生産は何処よりも低いレベルにとどまっていたからだ。と言うのである。