熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

シェイクスピア観劇の思い出

2024年09月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   ぼつぼつ、倉庫のガラクタを整理しようと思って、段ボール3箱の封を開いたら、ぎっしりと詰まった劇場関係のパンフレットなどが出てきた。
   一箱目は、ロイヤルオペラ関係のパンフレット類で、何度か開けているのだが、ほかの2箱は、1993年にロンドンで箱詰めして日本に持ち帰ったままなので、30年ぶりである。
   まず、出てきたのは、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の公演パンフレットなどヨーロッパでの観劇関係の資料である。

   まず、何冊かRSCのパンフレットを書斎に持ち込んで読み始めたら、懐かしくなって前に進まず、まだ、2箱目の半分をチェックしただけで、後は手つかずで玄関に広げたままである。

   シェイクスピアについては、ロイヤル・ナショナル・シアターなどほかの劇場にも出かけたが、大半はRSCで、ほぼ5年間、ロンドンのバービカン・シェイクスピア劇場とストラトフォード・アポン・エイボンの大劇場とスワン座に通ったので、相当の回数である。
   ロメオとジュリエット、リア王、冬物語、アントニーとクレオパトラ、テンペスト、お気に召すままに、ハムレット・・・等々、シェイクスピア戯曲の半分以上は鑑賞したであろうか。
   イギリス人ではないので、パンフレットを読んだくらいでは良く分からないし、それに、古語で独特のシェイクスピアの長セリフの理解にも難渋して、最初は楽しめなかった。
   しかし、小田島雄志先生の翻訳本を友にして何十回も劇場に通っていると、不思議にも、シェイクスピアに魅せられ始めてきたのである。

   この口絵写真は、ハムレットのパンフレットの一部で、ケネス・ブラナーである。
   迂闊にも、チケットを買うまでは、ケネス・ブラナーが東西超一流のシェイクスピア役者であることを知らずに、何時でもチケットが買えるので、しばらくほっておいて買おうとしたら、ソールドアウトもあって、ようよう手に入れたのを覚えている。
   それ以降、ファンになって、著書を読んだり映画を見たりしているが、劇場では、この時(93年1月27日夜)の1回きりであった。

   シェイクスピア戯曲では、ロンドンで蜷川幸雄の「マクベス」と「テンペスト」を観ている。
   「恋に落ちたシェイクスピア」の劇場によく似たグローブ座は、帰国してから完成したので、この劇場でのシェイクスピア観劇は、その後のロンドンへの旅行の度ごとである。シアター舞台のRSCと、シェイクスピア時代の青天井の舞台のグローブ座とでは、相当雰囲気が違っていて、興味深い。

   もう一つ思い出深いのは、1991年のJAPAN FESTIVAL 。 
   

   このロンドンで、日本の古典芸能に感激して、帰国してからは、鑑賞三昧に明け暮れていたオペラやクラシックへの機会が減るので、乗り換えようと思ったことである。
   歌舞伎は、この口絵写真の”染五郎(現幸四郎)と澤村田之助のハムレット(葉武列土倭錦絵)”と、”玉三郎と勘三郎(当時、勘九郎)の鳴神、鏡獅子、鷺娘、ロイヤル・ナショナル・シアターでの公演”
   文楽は、竹本住大夫、吉田玉男、吉田文雀の「曽根崎心中」
   狂言は、野村万作萬斎父子の「ファルスタッフ 法螺侍」
 
   結局、東京行きが苦痛になり始めた最近まで、20年近く、これも、劇場に通い続けたことになる。 
   ゴルフやスポーツには縁が遠かった分、観劇と旅行で文化鑑賞に勤しんできたと言うことであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立小劇場:2月文楽「心中天網島」

2023年02月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの文楽鑑賞で、今回は「心中天網島」、近松門左衛門の大作である。
   天満の紙屋の主人治兵衛と曽根崎新地の紀伊国屋の抱え遊女の小春が、網島の大長寺で心中する物語だが、これに、貞女の鑑とも言うべき女房おさんが絡む大坂女の義理人情の哀れさ悲しさを歌い上げた心に響くストーリー展開が、悲劇の奥深さを醸し出していて感動的である。
   

今回の舞台の主な配役は、次の通り。
   人形
   紙屋治兵衛  玉男
   粉屋孫右衛門 玉也
   江戸屋太兵衛 玉助
   紀の国屋小春 清十郎
   舅五左衛門  玉輝
   女房おさん  和生

   義太夫・三味線
   北新地河庄の段  睦太夫 勝平、千歳太夫 富千歳太夫 富助、助、
   天満紙屋内の段  希太夫 友之助、藤太夫 團七、
   大和屋の段    織太夫 燕三、(咲太夫病気休演)
   道行名残の橋づくし 芳穂太夫ほか、錦糸ほか

   舞台の前半は、「北新地河庄の段」
   紙屋治兵衛と小春は深い仲だったが治兵衛には財力がなく、商売仲間の太兵衛に小春が身請けされることになり、切羽詰まった2人は心中を約束。真相を知るために武士に変装して河庄にやって来た治兵衛の兄粉屋孫右衛門が小春に尋ねると、本当は死にたくないと言う。この心変わりは、治兵衛の妻・おさんからの手紙を読んでのことだと分かる。これを中途半端に外で立ち聞きしていた治兵衛が、裏切られたと思って逆上して小春を踏んだり蹴ったり、孫右衛門に諭されて小春と別れて帰る。

   後半は、「天満紙屋内の段」から終幕まで
   仕事が手につかず寝てばかりいる治兵衛の所へ、小春の身請話を聞いた孫右衛門とおさんの母がやってきたので、自分ではないと起請文を書いて安心させる。小春を思って泣き続ける治兵衛から、小春が自害すると聞いたおさんは、自分の夫の命乞いの手紙が原因だと悟り、死なせては義理が立たないと、治兵衛に、太兵衛に先んじて身請けさせようと、商売用の銀四百匁と子供や自分のありったけの着物を質入れ用に与えて、小春の支度金を準備させようとする。運悪く、そこへおさんの父五左衛門が店にやって来て、真実を知り、無理やり嫌がるおさんを離縁させて連れ帰る。
   万策尽きて望みを失った治兵衛は虚ろな心のままに新地へ小春に会いに行き、事情を話して再び心中を決心した二人は、夜陰に紛れて店を抜け出して、冥土の旅へと大長寺へ向かう。

    この「心中天網島」や改作の「天網島時雨炬燵」の文楽の舞台や、「河庄」などの歌舞伎の舞台について、何度もレビューしているので、今回は、シェイクスピアの「オセロ」のハンカチではないが、この芝居で、義理人情の要という重要な役割を果たしている「手紙」について、書いてみたい。
    この手紙については、歌舞伎では、舞台の冒頭で、治兵衛の妻おさんが、丁稚に、心中を諦めて夫の命を助けてくれと言う内容の手紙を持たせて小春に手渡すところから始まるのだが、文楽では、次の「天満紙屋内の段」で、切羽詰って、おさんが、この手紙のことを治兵衛に打ち明けて分かる。
   治兵衛が、小春の心変わりを責めた時に、おさんが、言うまいと心に誓っていたのだが、「女は相身互ひごと、切られぬところを思ひ切り、夫の命を頼む」と書いて出したら、「身にも命にも換へぬ大事の殿なれど引かれぬ義理合ひ思ひ切る」との返事を貰ったことを語る。先の「北新地河庄の段」で、小春が、起請文の束からポロリと落として、孫右衛門が事情を察するという伏線が明らかになったのである。

   もう一つ、大長寺での心中の今際の際に、小春は、
   「死に場はいづくも同じこととは言ひながら、私が道々思ふにも二人が死顔並べて、小春と紙屋治兵衛の心中と沙汰あらば、おさん様より頼みにて殺してくれるな殺すまい、挨拶切ると取り交はせし、その文を反故にし大事の男を唆しての心中は、さすが一座流れの勤めの者、義理知らず偽り者と世の人千人万人よりも、おさん様一人の蔑み、恨み妬見もさぞと思ひやり、未来の迷ひはこれ一つ」と口説き泣く。
   二人はせめてものおさんへの義理立てとして、出家と尼の姿になってこの世から縁を切り、死に場所も別々に、治兵衛は、小春に止めを刺し、もだえ苦しむ姿を後にして、切り離した小春の帯を鳥居にかけて首を吊る。しっかりと抱き合って冥土へ旅立った「曽根崎心中」のお初と徳兵衛とは違うのである。
   この当時の大長寺は、今の大阪市長公館のあるところあたりだと言うから、JR大阪城北詰で下りて、造幣局の桜の通り抜けへの途中にそばを通っている。

   ここからは、前のブログ記事から引用するが、
   この心中天網島では、最も重要なキャラクターのおさんだが、
   商家の内儀として店の切り盛りから一切を健気に勤め上げ、夫に対しては献身的な愛を捧げ、夫の愛人である小春に対しても優しい思いやりを示すなど人間として見上げた人物でありながら、運命の悪戯か、結局は、小春への思いやりと義理立てで自分の生きる場を失おうとする。
   小春を身請けしたらお前はどうなるのだと治兵衛に聞かれて、何も後先を考えていなかった自分に気づいて、「アツアさうぢや、ハテ何とせう子供の乳母か、飯炊きか、隠居なりともしませう」とわっと突っ伏して号泣するのである。
   それに、治兵衛が、炬燵で泣いているのを見て、苦衷に泣く切ない胸の内をかき口説く、「一昨年の十月中の亥の子に炬燵明けた祝儀とて、マアこれここで枕並べてこの方、女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか。二年といふもの巣守にしてやうやう母様伯父様のお蔭で、睦まじい女夫らしい寝物語もせうものと楽しむ間もなく、ほんに酷いつれない。さほど心残りならば泣かしゃんせ泣かしゃんせ」と、しっかり者のおさんながらも、切羽詰って慟哭しながら女の奥深い心根を吐露ぜざるを得ない悲しさ哀れさ。
   女形遣いの最高峰の人間国宝和生が、愛情深い貞女の鑑おさんを、実に感動的に演じる。先の口説きのシーンなど、立ち居振る舞いに色香さえ感じさせて秀逸。

    一方、小春も、この浄瑠璃では、「心中よし、いきかたよし、床よしの小春殿」と言うことで、遊女としても理想的な姿で描かれているのだが、おさんの、女として同等に扱ってくれ信頼してくれている心に真心から応えて、同じように治兵衛を愛する心情に共感する思いを必死に生き抜こうとして心中を諦める。
   そうだからこそ、冥途への旅立ちで、小春のただ一つの心の迷いは、おさんと交わした約束を破ること。
   もう一人の女形人形遣いのエースである清十郎の遣う小春も、舞台で、美しくそして悲しく息づいていて胸に迫る。

   近松は、おさんと小春の生きざまを通して、悲しくも儚い、しかし、実に大きくて深い女心の深淵を描こうとしたのではないかと思っている。
   このあたりは、ある意味では、シェイクスピアを越えた戯曲作家としての近松門左衛門の真骨頂だと言う気がしている。
   
   さて、あかんやっちゃなあ、がしんたれで、救いようもどないしょうもない大坂男治兵衛を遣っているのが玉男、
   襲名披露公演では、改作の「天網島時雨炬燵」の治兵衛を遣っていて、私は、大阪と東京で二回観ており、玉女時代の舞台も観ているので、今回は、何度目かの治兵衛だが、玉男には骨太の豪快な立役の印象が強いので、優男でなよなよとしたがしんたれ男の人形は非常に新鮮であった。
   先代も好きなキャラクターだったと言っているので、玉男の舞台にも思い入れがあるのであろう。
   小春を失うのが悲しくてメソメソ泣くのをおさんに咎められて、小春への未練ではなくて、金がなくて、小春を身請け出来なかったと太兵衛に言いふらされ、面目潰れて生き恥かき男の意地が立たないのが口惜しいと強がりをほざく治兵衛、
   頭が、源太で、颯爽たる若いイケメンなので、一寸イメージが違うのだが、そんな治兵衛を、さすがに玉男で、実に上手く遣って魅せてくれる。

   詳細は省くが、義太夫・三味線は、千歳太夫 富助、藤太夫 團七、織太夫 燕三、をはじめ、名調子で素晴しいことは言うまでもない。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾上菊五郎、脊柱管狭窄症と言うのだが

2023年01月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   メディアが一斉に、「尾上菊五郎、脊柱管狭窄症で療養 「三月大歌舞伎」を休演」と報じた。
   先日、国立劇場公演「遠山桜天保日記」の東山金四郎の舞台を観て鑑賞記をブログしたところなのだが、そう言われれば、颯爽とした筈の白砂のお裁きの時に示す足捌きに優雅さが掛けていてぎこちなかったのを思い出した。菊五郎もご老体であるから仕方がないのであろうと思っていたが、脊柱管狭窄症だとすると、良くあそこまで耐え得たなあと、芸魂に感服する。
   私も同病なので、治療も何もしていなければ、突然襲う痛みの鋭さなどは耐えられないほどきつい筈で、欺し騙し耐えても舞台に立つのは難しいはずだが、まだ、脊柱管狭窄症だと分かっていなかったので、多少軽度だったのであろうか。

   「三月大歌舞伎」で演じる予定だった第二部「身替座禅」の山蔭右京は、尾上松緑が代役を務めるということだが、この山蔭右京は菊五郎の当たり役で、東西切っての絶品の至芸なので、ファンにとっては残念であろう。
   私は、奥方が、吉右衛門と仁左衛門で、菊五郎の山蔭右京を2度観ているのだが、仁左衛門の山蔭右京の舞台などもレビューしているのでお読み頂ければ有り難い。それに、この歌舞伎の「身替座禅」のオリジナルである狂言の「花子(はなご)」を、二人の人間国宝である野村萬の吉田某、山本東次郎の奥方で、一度だけ観たことがあるのだが、芝居っ気を削いだ透徹した芸術的な舞台で、華やいだ歌舞伎の舞台とは好対照で、古典芸能の芸の奥深さを感じた。

   ここでのトピックスは、菊五郎の芸ではなくて、脊柱管狭窄症のことである。
   前にも書いたが、わが脊柱管狭窄症対策が、今でも有効なので、書いてみたい。
   もう、5~6年前になるのだが、急に足腰に痛みが走ったので、心配になって観て貰ったら脊柱管狭窄症だと診断されて、神経が脊柱管で狭窄状態になっているレントゲン写真を見せられた。
   それまで、足腰が痛くなると、「セレコックス」と言う痛み止めの錠剤を飲んでいてすぐに治ったのだが、この時には、一向に効き目がなくなり、薬を強化しても治らず、コルセットを嵌めるなど医者の指示に従ったが、何回病院に通ってもレントゲンを撮ったり検査するばかりで、治療と言えば痛み止めの処方を継続するだけであり、悪化すれば手術をすれば良いと言う。
   この病院は、鎌倉屈指の総合病院なのだが、手術など以ての外なので、この病院に見切りを付けて他の治療法を探すことにした。

   ずっと若い頃に腰痛で悩んだことがあり、この時は、コルセットと体操で治ったので、人体には自動的な治癒力があることを学んだので、その方法がないかと考えたのである。
   新聞には、脊柱管狭窄症に関する雑誌広告が満載だし、インターネットを叩けば冒頭のページからその治療方法の成功記事が表われるなど、派手な脊柱管狭窄症広告のオンパレードだが、私は、完全無視。
   一度、利きそうかも知れないと思って、ピート・エゴスキューの「脅威のエゴスキュー」を買って、エゴスキュー体操を試みたことがある。
   NHKのテレビ体操とを組み合わせて自分なりのメニューで続けた。突発的な痛みや強烈な痛みから解放されて、欺し騙して日常生活には支障がなくなったのだが、しかし、脊柱管狭窄症からは一向に解放されない。

   友人と話していて、強烈な腰痛が、カイロを腰に当てて、サラシでしっかりと巻きつけて、これを続けて治ったと聞いた。
   温暖化療法の本を探していると、坂井学先生の「脊柱管狭窄症」を自分で治す本 に行き着いた。
   痛みのある場所に「カイロ」を貼ろうと言うインストラクションだが、私の場合には、痛む箇所が、あっちこっち移動していて、それを追跡するのは不可能なので、脊柱管狭窄症の痛みの原因は、腰骨に直近の脊柱管の閉塞であるから、その根元を温めれば良いのではないかと考えた。
   直接肌に近づけて貼ると火傷をするので、試行錯誤して、3重にした毛の腹巻きの上から、腰の脊柱管の左右に1枚ずつ縦長に並べて貼り付けた。貼るカイロは、ホカロンでもホッカイロでもアイリスでも何でも良い。
   毎朝、新しいカイロを張り替えて夜風呂に入るときに外すのが日課になって、数ヶ月すると、少しずつ、激しい痛みが消えていって、朝起きたときも、しばらくは痛くて困ったが、それも、少しずつ良くなっていった。
   今でも、完全に、脊柱管狭窄症の症状が消えたかというと、まだ、問題は残っており、朝起きて立ち上がったときの痛みは続くものの、しかし、しばらくすると足腰の痛みは消えて気づかなくなって、日常生活には全く問題がなくなった。
   
    総合病院の対応が最新の近代医学なのかはどうかは分からないが、この脊柱管狭窄症に関する限り、私の経験では、針灸、漢方薬、接骨院や治療師の世界と言うか、庶民によって昔から培われてきた民間療法の方が、はるかに信用できるような気がしている。
    尤も、問題の脊柱管の神経の狭窄は治っていないので、今後どの様な状況になるかも分からないし、その時は最後の手段として手術しなければならないかも知れないが、体力に耐える力があるのかどうか、
    いずれにしても、幸い小康状態が続いていることに感謝しなければならないと思っている。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場1月歌舞伎:通し狂言 遠山桜天保日記

2023年01月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   人気の高い遠山の金さんを主人公にした「通し狂言 遠山桜天保日記」、
   正に、見せて魅せる華やかな舞台で、新春気分満開。

   全国的な凶作による米価・物価高騰と天保の大飢饉、百姓一揆や都市への避難民流入による打ち壊しが起こるなど幕政を揺るがす事件が頻発した天保年間、
   老中水野忠邦が、綱紀粛正と奢侈禁止を命じ、華美な祭礼や贅沢・奢侈はことごとく禁止した天保の改革。
   遠山の金さんの嘆願によって歌舞伎が再開されたという故事に倣って、最終幕は、「河原崎座初芝居の場」の華やかなフィナーレ。
   冒頭の琵琶の音に乗った天保の改革のナレーションとこのフィナーレにに挟まれて演じられる菊之助の小三郎、松緑の角太夫、彦三郎の天学という悪党3人が繰り広げる悪事を、菊五郎の遠山金四郎が裁くと言うお馴染みの遠山の金さんの物語。
   お正月の祝祭芝居なので、テレビで見るような緊迫感も高揚感もない穏やかなストーリー展開だが、絵になるような舞台の連続が観客の拍手を呼ぶ。
   コロナの所為で、大向こうのかけ声がないのが一寸寂しいのだが、客の入りもパッとしないので、とうとう、国立劇場も、チケットの3割引で売り出し始めた模様である。

   菊之助が、
   最後の河原崎座初芝居の場では、彦三郎さんのご長男の亀三郎さん、(中村)梅枝さんのご長男の(小川)大晴くん、甥の(寺嶋)眞秀、息子の丑之助と、こどもたちも登場します。と語っていたが、有望な後継者が育ってきているようで、頼もしい。
   この舞台でも、尾上丑之助君が、尾花屋丁稚 辰吉を演じて素晴しい芸を披露して観客を喜ばせていた。流石に、人間国宝:菊五郎と吉右衛門二人の血を引いた孫役者である。

   国立劇場の正月歌舞伎は、菊五郎劇団の定番だが、紛れもなく、今の歌舞伎界での最高峰の劇団で、役者に人を得ているのは言うまでもなく、とにかく、舞台を支える端役役者にいたるまで芸が上手くて感激している。
   この下のビラ写真の主役の菊五郎、時蔵、松禄、菊之助の芝居を観る舞台であろうが、3悪人では彦三郎が出色であったし、女形の梅枝や右近の魅力も流石であり、ベテランの権十郎、萬次郎、楽善、左團次、亀蔵の芸の確かさなど、舞台の展開が楽しい。
   とにかく、芝居としては毒にも薬にもならないような見せる舞台かも知れないが、それでも観たい、
   そこが、歌舞伎の魅力であろうか。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日経:一度は見たい歌舞伎演目

2023年01月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日の日経の土曜版「NIKKEIプラス1」で、「一度は見たい歌舞伎演目」が掲載された。
   コロナ以降、観劇機会は減ってしまったが、20年以上歌舞伎座などに通って歌舞伎を見続けてきたので、非常に興味深く読んだ。
   掲載されている10演目はすべて、それも、何度か観ており、それに、文楽でも同じ演目を観ているので、よく知っている舞台である。

   1位 義経千本桜
   2位 仮名手本忠臣蔵
   3位 勧進帳
   3位 夏祭浪花鑑
   5位 青砥稿花紅彩画[弁天娘女男白浪]
   6位 助六由縁江戸桜
   8位 暫
   9位 連獅子
   10位 女殺油地獄

   調査の方法は、歌舞伎に詳しい専門家の協力を得て、代表的な演目を20選出。12人の専門家がそれぞれ1~10位まで順位付けし、結果を編集部で集計した。と言うことで、各演目の魅力については、それぞれの先生方がコメントしていて良く分かる。
   しかし、例えば、三大名作のうち、格調の高い「菅原伝授手習鑑」が、何故抜けているのか、それに、私が好きな近松門左衛門の作品が、末尾の「女殺油地獄」だけであるし、「和事」の舞台など上方歌舞伎が軽視されているなど、多少違和感はあるが、興味深い選択だと思う。

   googleで「一度は見たい歌舞伎演目」で検索したら、上位に出てきた「初心者必見!初めての歌舞伎鑑賞におすすめの演目5選」では、
   「連獅子」「封印切り」「松浦の太鼓」「壇浦兜軍記 阿古屋」「弁天娘女男白浪」
   いずれにしろ、他の記事もそれぞれが、殆ど確たる根拠がなく独善と偏見で、見るべきものとして選定や推薦演目を選んでいる感じで、これは、自分自身が実際に舞台を鑑賞して実感する以外にないと思っている。
   私など、出来るだけ元の浄瑠璃を読んだり、解説書など関係本を読んだりして理論武装して観劇に臨むのだが、良く理解しているとは思えないし、自分の感性と印象だけで納得している感じで、本当の見方かどうかは心許ない。

   ところで、近松門左衛門の作品を取っても、浄瑠璃には、詳細が記されていないので、どんな芝居になるのかは、全て歌舞伎の演出や歌舞伎役者の手腕に掛かっていて、作劇への歌舞伎の貢献は、実に大きい。
   典型的な例は、中村仲蔵が案出した斧定九郞像であろうか、この新演出で一気に舞台が変ったのだが、このような決定版の蓄積で今日の江戸歌舞伎が昇華されて伝統が培われてきた。これとは趣を異にした上方歌舞伎では、同じ舞台だと「工夫が足らんなあ」と揶揄されるので、役者には絶えず試練の連続が続いて芝居が変化する、こんどはどうなるのかと言う楽しみがあり、仁左衛門など封印切りの八右衛門はアドリブだと言うから面白い。

   今回の日経記事は、私の好みとは大分違ってはいたが、専門家の先生達の選定であり解説なので、良い勉強になった。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場11月歌舞伎公演 “歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵”

2022年11月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の11月歌舞伎公演は、 “歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵”
   次のような演目で、面白いと思って久しぶりに国立劇場に出かけた。
   歌舞伎座で、團十郎の襲名披露公演が掛かっている所為もあってか、劇場はガラガラ。

   落語 春風亭小朝の、一、殿中でござる と  二、中村仲蔵
   歌舞伎  仮名手本忠臣蔵
      五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
         同   二つ玉の場
     六段目 与市兵衛内勘平腹切の場

   さて、「コラボ忠臣蔵」と言うことだが、この落語と歌舞伎で共通項のあるのは、中村仲蔵だけであるが、これが興味深い。
   私は、歌舞伎では何回も中村仲蔵案出の斧定九郞を観ており、文楽でも聴いて観て、そして、中村仲蔵は、落語でも聴いており、講談だけは縁がないが、神田伯山のビデオを観てこのブログで感想を書いている。
   それに、先日、NHK BS4Kで、中村勘九郎の「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」を観ており、それぞれに、バリエーションはあるが、話の筋は良く分かっている。
   歌舞伎の名門の血筋ではない役者が、己の才覚のみで出世していく下克上の物語である。
   中村仲蔵は、團十郎の贔屓で名題にまで出世するが、これが面白くなかった座付き作者の金井三笑が、嫌がらせに、仲蔵に、五段目・山崎街道の斧定九郞、ただ一役を振り当てて、台詞もただの一言「五十両」だけ。五段目は「弁当幕」と言って、客は芝居を観ていないし、汚らしい斧定九郞など眼中にはない。
   腐った仲蔵に、女房のお岸が、「客をあっといわせるような、これまでになかった定九郎を演じては」と発破を掛ける。
   着付けが悪いのは分かっても名案が浮かばない。
   柳島の妙見様に日参した帰り道、急に大粒の雨が降り出し、近くの蕎麦屋に駆け込む。そこへ歳の頃なら32、3歳の浪人風の粋な格好の武士が飛び込んできた。色は白い痩せ型の男で、着物は黒羽二重で尻をはしょっていて、朱鞘の大小落とし差しに茶博多の帯で、その帯には福草履を挟んでいる。破れた蛇の目傘を半開きにして入って来て、傘をすぼませてさっと水を切ってポーンと放りだし、伸びた月代を抑えて垂れた滴を拭うと、濡れた着物の袖を絞って、蕎麦を注文。
   この光景を見て感激した仲蔵が、趣向を考えて新しい斧定九郞像を作り上げて、大成功を収めて座頭にまで出世する。

   この中村仲蔵が考案した小野定九郞像が、歌舞伎の定番となって、今日の舞台に踏襲されていて、名優が演じる。
   今回の歌舞伎では、この斧定九郞を、重鎮中村歌六が演じていたが、実に絵になる素晴らしい舞台であった。

   蛇足ながら、歌舞伎の舞台では、
   中村仲蔵の脚色で、黒羽二重の着付け、月代の伸びた頭に顔も手足も白塗りにして破れ傘を持つという拵えの定九郎が、与市兵衛が、稲掛けの前にしゃがみこんだところを、突如二本の手を伸ばして、与市兵衛を引き込んで、与市兵衛を刺し殺して財布を奪う。財布の中身を探って、「50両!」。
   イノシシに向かって勘平が撃った二つ玉に当たって、死んでしまい、勘平に財布を持ち去られる。
   ところが、文楽では、オリジナルの浄瑠璃を踏襲していて、
   老人が夜道を急ぐ後を定九郎が追いかけて来て呼び止めて、「こなたの懐に金なら四五十両のかさ、縞の財布に有るのを、とっくりと見付けて来たのじゃ。貸してくだされ」と老人に迫って、懐から無理やり財布を引き出す。
   老人は、抵抗して抗いながら、これは、自分の娘の婿のために要る大切な金であるから許してくれと、必死になって哀願するが、親の悪家老九太夫でさえ勘当したと言う札付きの悪人定九郎であるから、理屈の通らない御託を並べて、問答無用と、無残にも切り殺す。
   NHKのビデオでは、三笑がこの舞台をバッサリと切ってしまって、勘九郎の仲蔵の出番を、二本の手を伸ばして財布に手を掛けるところからにしてしまう。

   春風亭小朝の落語は、やはり、こじんまりした寄席で聴いてこそで、大きな大劇場では、全く無理。
   「殿中でござる」は、忠臣蔵総論だが、浅野内匠頭を思慮を欠いた殿にして吉良上野介のどこが悪い!と言った雰囲気の話をしていた感じであった。
   別に赤穗贔屓というわけではないが、元兵庫県人としては、あまり面白くない。
   しかし、小朝の話では、最近では、「忠臣蔵」を読めない若者が多くいて、人気がなくなっていると言う。客入りが悪ければ、オペラなら「カルメン」、芝居なら「忠臣蔵」を上演すれば大入り満員と言われていた時代は、遙か昔。
   落語の「中村仲蔵」は、講談の話と筋は殆ど同じなので、メリハリの効いた小朝の名調子が心地よい。
   後で国立演芸場の上方落語で、ナラティブ崩れの新作落語を聴いたが、やはり、このようなストーリーがしっかりとした落語の方が、はるかに好ましいと思っている。

   さて、歌舞伎の方だが、大仰なオーバーアクションの芝翫の勘平には一寸違和感を感じたが、これまで観た勘平像とは違った意欲的な舞台が新鮮であった。
   久しぶりに観た市川笑也の女房おかる、猿之助一座の花形女形の面目躍如で、瑞々しくて色香を感じさせるしっとりとした舞台に脱帽、
   母おかやの中村梅花はじめ、歌六、萬次郎、歌昇、松江など脇を固めた名優達が舞台を盛り上げていて楽しませてくれた。
   翁家社中の太神楽が、一服の清涼剤。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場歌舞伎:南総里見八犬伝

2022年01月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   コロナで行けなかった歌舞伎公演に、久しぶりに、本当に久しぶりに、出かけた。
   この南総里見八犬伝は、2015年の正月に、この国立劇場で観ていて、私としては2回目だが、当時のブログを読み返すと、前回は、冒頭の八犬士の生みの親である伏姫や愛犬八房を登場させるなど、いくらか演出を代えているようである。

   圓朝もどきの長大な物語であるので、ストーリィの切り口次第で、いくらでも面白い芝居になるのであろう。
   この歌舞伎では、冒頭の「武蔵」で、欲に長けた蟇六夫婦(亀蔵、萬次郎)が、信乃(菊之助)と相思相愛の養女浜路(梅枝)を無理に切り離して、浜路を陣代の側妾に差しだして金策を図ろうとするのだが、それを悲観した浜路は縊死を試みようとしたところを、浜路に横恋慕する網乾(松緑)に攫われて、本郷円塚山までて連れて行かれ、網乾が本物の信乃の大切な刀村雨丸をすり替えて所持していると知った浜路はこれを取り返そうとしたので、逆上した網乾に殺されてしまう。そこへ、浜路の兄犬山道節(菊五郎)が現れて仇を討つ。
   この辺りくらいが、ストーリィになっては居るのだが、その後の展開は、悪者の足利成氏(楽膳)や扇谷定正(左團次)を討つ過程での八犬士達の活躍や活劇を見せている感じで、膨大なストーリィを簡略化しすぎたために、物語性の良さが薄れてしまっている。
   
   私など、冒頭の八犬士の誕生が、この物語の不思議性の根幹であるから、もっと真面に取り入れるべきだと思っている。
   前のブログにも書いたが、
   結城の戦いに敗れた里見義実が、安房へ落ち延び、安房国滝田の城主に治まるのだが、隣国の館山城主安西景連の攻撃にあう。
   愛犬八房に、敵将景連の首を取って来れば、娘の伏姫を与えると言ってしまったので、その功績で、伏姫は仕方なく、八房を連れて富山の洞窟に籠る。
   伏姫は、絶対に体を許さなかったが、八房の気を感じて懐妊してしまったので、犬と交わったのではないとの身の純潔を証するため、自害して果てるのだが、この時、役の行者から授かった護身の数珠から八つの玉が飛び散って、この八方へ飛んだ八つの仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉を持った八犬士が生まれ出る。
   実際の物語は、伏姫は、八房を寄せ付けず、洞窟に籠って仏道三昧で、許婚の金碗大輔が、鉄砲で八房を撃ち殺すのだが、前の歌舞伎では、伏姫に挑みかかろうとした八房を、伏姫が、抵抗しながら刺し殺すと言う展開になっている。
   いずれにしても、この話の表現が中途半端になると、なぜ、八犬士なのか、その妖術めいた不可思議さストーリィの奇抜さが十分に実感できないのである。

   そんな野暮なことを言わずに、正月のめでたい歌舞伎公演であるから、スカッとするような派手でスペクタクルな八犬士たちの格闘や戦いのシーンやたての醍醐味を楽しめばよい、そして、千両役者の菊五郎の素晴らしい威風堂々粋で華のある大きな芸を堪能すれば良いではないかということではあろう。
   しかし、少し気になったのは、大御所ベテランたちの芸に、迫力と清新さが少しずつ消えてしまっていたことである。

   さて、少し遅れて最初からは観られなかったが、正月なので獅子舞が始まっていた。
   初日で満員御礼、
   劇場は、新春ムードで華やいでいた。
   
   
   
   

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都南座顔見世:身替座禅

2021年12月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   コロナで劇場へ行くのを避けているので、NHKで、京都南座の顔見世興行の「身替座禅」を観た。
   私が、歌舞伎座で、「身替座禅」を観た最後は、5年前で、やはり、仁左衛門の舞台であった。
   その時のブログを採録すると、
   ”「身替座禅」だが、これまで、歌舞伎では、吉田某(山蔭右京)と奥方が、夫々、菊五郎と吉右衛門、菊五郎と仁左衛門、團十郎と左團次、仁左衛門と段四郎と言った名優の素晴らしい舞台を観ており、仁左衛門の「身替御前」は、二回目で、更に、厳つい奥方の仁左衛門も観ているので、今回は、フルに楽しませてもらった。
   大概、右京の身替りになって衾を被って奥方にとっちめられる太郎冠者を演じるのは、又五郎で、これに関しては余人をもって代えがたいのであろう。
   仁左衛門の右京は、「廓文章・吉田屋」の伊左衛門に相通じる、やや、優男風の軟弱な優しくて気の弱い色男の殿様で、迸り出るような花子への思いとどうにも奥方には歯が立たない恐妻家の雰囲気を上手く出していて秀逸であった。
   左團次の奥方が、また、実にうまい。
   多少、不謹慎な表現かも知れないが、夫婦の関係は関係として重要な絆ではあろうが、夫であろうと妻であろうと、長い人生において、他の異性に思いを寄せるであろう可能性は十分にあり得ることであって、笑ってしんみりとするのが、この歌舞伎で、いつ見ても面白い。"
   

   この歌舞伎「身替座禅」のオリジナルである狂言の「花子(はなご)」を、二人の人間国宝である野村萬の吉田某、山本東次郎の奥方で、一度だけ観たことがあるのだが、芝居っ気を削いだ透徹した芸術的な舞台であったし、小歌で語られているので、少し難しかった。
   逢瀬を楽しんだ翌朝、ほろ酔い機嫌で、素襖の右肩を脱いで、太刀を左手に持って揚げ幕から登場した萬の吉田某の姿だけは、印象に残っている。
   能や狂言から取った松羽目物の歌舞伎では、この「身替座禅」は、比較的元の狂言「花子」に忠実な感じがする。
   幸せだった花子と一夜を明かしてほろ酔い機嫌で帰ってきて、太郎冠者の代わりに座禅を組んでいるのが身替わりの奥方だとも知らずに、花子との痴話げんかや惚気ばなしを聞かせて激怒させる場面が、秀逸だが、面白いのは、少し脚色されていることである。
   最後のシーンで、歌舞伎では、奥方はどのような顔だと花子に聞かれて、山家の猿だと仕方話で語って、奥方を怒らせるのだが、狂言では、芸術的ながら表現は軟らかいがキツい調子で、「思うに分かれ、思わぬに添う」、あの美しい花子に添わいで、山の神に添うというは、ちかごろ口惜しいことじゃなあ。で結んでいる。
   
   

   さて、今回の舞台は、奥方が芝翫で、太郎冠者が隼人。
   この上演中に、芝翫が、三度目の浮気が見つかって、「またも妻・三田寛子を裏切る3度目の「京都不倫密会」」と芸能メディアの話題となっている。
   舞台の逆を行く話題で、藝の面白さに拍車をかけていて、流石に懲りない千両役者である。
   更に、NEWSポストセブンが、「中村芝翫 京都不倫密会中でも無視できない片岡仁左衛門の呼び出し」という記事で、12月21日の夜の公演後、アバンチュールを蹴って、祇園の高級ステーキ店での片岡仁左衛門との会食を報じている。仁左衛門さんは歌舞伎役者にしては珍しく、不倫どころか浮いた噂もまったく報じられない、芸一筋の真面目な人。芝翫さんがこの公演中に女性と密会していると知ったら、どんな“指導”が待っていたことか。と報じているのが面白い。
   結婚前の三田寛子に、ロンドンのロイヤルオペラハウスで、バレエ公演の幕間のロビーで会ったことがあるが、三人の歌舞伎役者として立派に育った息子達後継がいては動きようがないであろう。

   仁左衛門は、成人しきっていないやんちゃ坊主の吉田某と、亭主のことが好きで好きで堪らない可愛い奥方との大人のままごと、
   世間的にはいけない話だが、楽しんでみて貰えれば、と言う、
   雨降って地固まると言った余韻を残して幕切れとなる。
   しからば、何故、奥方に、玉三郎や菊之助を起用せずに、厳つい立方ばかりにやらせるのか、私には、“To be, or not to be, that is the question.”
   真面目一徹の仁左衛門と浮気の修まらない芝翫の生き様をダブらせながら観ていると、何となく、見えてくる世界がホンワカとしてくるのだが、
   仁左衛門は、人物の生き様や表情が面白いが、これは、単なる喜劇ではなく、前半は、狂言仕立て、後半は歌舞伎舞踊として演じていると言って、狂言「花子」の向こうを張っている。

   この舞台で、興味深いのは、芝翫の女らしからぬ女形の奥方で、立役の持ち役なので女らしく演じる必要はないのだが、どうしても、女形の最高峰として一世を風靡した父君:人間国宝の先代の芝翫の舞台を思い出しながら観てしまうことで、似ても似つかない藝の落差が面白かった。
   隼人の太郎冠者は、芸達者で好感が持てたが、又五郎の芸域には、まだまだ道はるか。

   團十郎の記憶は殆どないのだが、仁左衛門の大坂の大店のバカボン風の吉田某と、菊五郎の遊び人お殿様風の吉田某の舞台が双璧で、ここまで来ると、松羽目物の藝の進化も凄い。先代の観世銕之丞が、歌舞伎「勧進帳」から、能「安宅」に藝を取り入れたと言うから、異文化交流も悪くないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場・・・3月歌舞伎:義経千本桜 四段目(道行初音旅・河連法眼館)

2020年04月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   河連法眼館の場で、静御前に付き従っていた忠信が、源九郎狐としての正体を現す華麗な舞台である。
   河連法眼館の場も、法師団の登場以降後半が省略されているので、ストーリーとしては、重要な展開はないのだが、この舞台は、道行初音旅の華麗な舞踊と、源九郎狐の早変わりの面白さなど、見せて魅せる演出を楽しむ視覚芸術の世界である。

   この舞台については、文楽を含めて、結構沢山観ている。
   以前に、書いた私のブログを引用すると、
   「川連法眼館」の場は、やはり、ここでは、主役の忠信・源九郎狐役者の力量が総てと言えるほど、狐忠信の芸が重要である。
   外連味豊かで、正に見せて魅せる舞台を展開してくれた猿之助や、ロンドンやローマでも大成功を納めた海老蔵の素晴らしくアクロバチックでダイナミックな舞台や、勘三郎の人間味豊かな心温まる舞台などを見て来たが、何故か、菊五郎の舞台を見る機会が多かった所為もあろうが、この源九郎狐は、菊五郎の舞台だと言う気が強くしている。
   威厳があって実に風格のある冒頭の佐藤忠信の登場から、菊五郎の芝居は異彩を放っているのだが、一転して、狐忠信として登場すると、もう、全身全霊、親を慕い憧れる子狐に生まれ変わって、ナイフを触れただけで血が迸り散るような命の鼓動を直に感じさせてくれる凄い芝居を見せてくれて、感動の連続である。
   人間国宝の人間国宝たる至芸の成せる業であろうか。

   今回の菊之助は、まさに、その素晴らしい菊五郎のコクのある至芸の継承であり、それに、溌剌とした若さの輝きが加わったというか、とにかく、美しくて感動的な舞台であった。
   菊之助は、〈平知盛〉〈いがみの権太〉〈忠信・源九郎狐〉のキャラクターの全く違う三役を、一挙に、通し狂言で演じたわけだが、知盛は義父吉右衛門の、忠信狐は父菊五郎の指導よろしきを得て、権太は役を工夫しながら地で行ったという幸運はあったとしても、女形で華麗な美しい芸を披露することが多い菊之助としては、主役の立役の連続を無難に熟し得たのであるから、大変な快挙である。
   『NINAGAWA十二夜』の琵琶姫/獅子丸と、『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』の迦楼奈/シヴァ神しか観ていないが、凄い新作歌舞伎にも意欲的に挑戦しており、二人の人間国宝の父と義父の芸の継承で、益々、芸の深化と芸域の広がりに邁進できるのであるから、楽しみである。

   さて、道行初音旅は、次のようなストーリーだが、吉野桜であろうか、春爛漫に咲き乱れる春をバックにして踊り舞う静御前(時蔵)と菊之助の忠信の華麗な舞台が魅せる。
   都に居た静御前は、義経恋しさに、義経が吉野にいるとの噂を聞き、吉野に向うのだが、義経より預かった初音の鼓を打っていると、佐藤忠信があらわれた。 忠信が義経より賜った鎧を出して敬うと、静はその上に義経の顔によそえて鼓を置いた。この鎧を賜ったのは、兄継信の忠勤であると言って、継信が屋島の戦いで能登守教経と戦って討死したことを物語る。静と忠信主従は芦原峠を越え、吉野山へ向かう。
   
   
   
   
   
   
   
   さて、河連法眼館の場の狐の段は、次の通り。
   法眼と飛鳥のやりとりと義経登場の冒頭部分の後、
   佐藤忠信が、河連法眼の館を訪ねてくる。義経は託した静御前の安否を尋ねるが忠信には憶えがない。静と忠信が到着したのだが、忠信は姿を消していない。不思議に思った静は、道中、初音の鼓を打つと必ず忠信が姿を現したことを思い出したので、義経はそれを手掛かりに真相の究明を命じる。静が鼓を打つと忠信が現れ、鼓の音色に聞き入り、鼓の前にひれ伏す。静が、刀を向けて迫ると、忠信は、桓武天皇の治世、雨乞いのために大和の国で千年の命を保ち、神通力を得た牝狐と牡狐の皮を用いて初音の鼓を作ったが、自分は、その鼓の子で、狐であると語った。狐は、鼓が義経の手に渡り静に託されたので、忠信の姿を借りて静警護で親に付き添うことができて幸せだったが、迷惑がかかるので、想いを断ち切り、義経から譲られた「源九郎義経」の名前を、自分の名前「源九郎義経」とすると言い残し、鼓に名残を惜しんで姿を消す。奥でその様子を聞いた義経は、生後間もなくの父親との死別、親同然の兄との不和という自身の肉親との縁の薄さに比べ、狐の愛情の深さに心動かされ、再び姿を現した狐に、静の供をした褒美として鼓を与える。喜んだ狐は横川覚範の夜襲を知らせ、神通力で援護すると約束し、鼓を持って飛ぶように姿をくらませる。
   
   
   
     
   
   
    
   
   
   
   
     
   
   
   
   
   
   

   独特の狐言葉、手足の仕草を微妙に変えて狐を演じる菊之助の細やかな芸の巧みさ、軽やかでアクロバティックな身のこなし、転げ回って小鼓にじゃれつく天真爛漫な子狐、
   凜々しくて風格のある東北侍の忠信の貫禄から、一変した狐忠信と子狐の狐言葉は、柔らかい女方の子供言葉
   これこそ、感激し続けた菊五郎の至芸そのものであると思った。

   静御前 時蔵(道行) 梅枝(河連法眼館)
   義経 鴈治郎
   河連法眼 権十郎
   法眼妻飛鳥 萬次郎
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場・・・3月歌舞伎:義経千本桜 三段目(椎の木・小金吾討死・鮓屋)

2020年04月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「義経千本桜」の三段目は、椎の木・小金吾討死・鮓屋、いがみの権太(菊之助)が主役の歌舞伎である。
   冒頭、「椎の木」では、平重盛の子息三位中将維盛(梅枝)の奥方若葉の内侍(吉弥)と子息六代、家来小金吾(萬太郎)の一行が、平維盛を追って大和国を経由し高野山へと向かう途中、吉野下市村に差し掛かり、親切に椎の実広いを手伝ってくれたはずの権太に強請られ路銀を騙し取られ、「小金吾討死」では、小金吾は、若葉の内侍と六代探索の追手に深手を負わされ、嘆く内侍と六代をその場から逃がして息絶えた。
   一方、維盛は、重盛に恩のある釣瓶鮓屋の弥左衛門(実は権太の父親、團蔵)が、熊野詣の時に維盛と偶然出会い大和下市に連れてきて弥助と名乗らせ匿まわれていて、弥左衛門の娘お里(米吉)がゾッコン。
   そこへ、若葉の内侍と六代が偶然迷い込んできて親子再会を果たすのだが、鎌倉の武士梶原景時(権十郎)が来ると告げられ、維盛たちは驚くが、お里が上市村にある弥左衛門の隠居所に逃げて行くよう勧め、維盛たちはその場を立ち退く。
   ところが、それを、物陰に隠れて聞いていた権太が、維盛たちを捕まえて褒美にしようと、それを止めようとするお里を蹴飛ばし、先に母をだまして隠していた三貫目の入ったはずの鮓桶を持って飛出して行く。
   
   
   
   
    
   
   
   
   

   ここからが、この舞台のハイライトで、歌舞伎の常套手段で最も有名な、いがみの権太の「もどり」。
   欺し強請りを地で行く悪行の限りを尽くして生きてきた権太が、匿われていた平維盛の妻若葉の内侍と若君六代の君を梶原景時ら捕り手に引き渡す。怒った父親に刺されて瀕死の状態の権太が、ここで初めて、維盛一同を救うために、父が持ち帰ってきた小金吾の首(三貫目の桶と間違って持ち出した)を維盛の首と偽って差し出し、妻とわが子を身代りに立てたことを告げて真実を明かす、悪玉が実は善玉と言う、どんでん返しを演じるのである。
   関西弁で、どうしようもない悪ガキを、「あの子、権太やなあ」と言うのだが、いがみの権太は、その程度の悪ガキではなく、徹頭徹尾の悪人であるから、余計に、信じられないような善玉に変ってしまうので、劇的効果が満点なのである。
   権太は、苦しい息の中から、身を隠して立ち聞きしていた、維盛と弥左衛門の身の上を聞いて改心したと言うのである。
   
   ところが、褒美の代わりに、景時は着ていた頼朝から拝領の陣羽織を脱いで権太に与え、これを持って鎌倉に来れば、引き換えに金を渡すと言われたのだが、助けられて現れた維盛が、その陣羽織を裂くと、中から、袈裟衣と数珠が出てきて、頼朝が、清盛の継母池の禅尼に命を助けられたその恩に報いて、今度は、頼朝が維盛の命を助けたことが分かる。
   権太が苦心惨憺編み出したはずの身替りの計略は、すべて見破られていて、逆に、権太が謀られた、
   悪の報いを悔やみながら、権太は、維盛たちを見送り、逝く。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   さて、この第三段目の浄瑠璃の主役は、いがみの権太だが、「義経千本桜」としては、維盛であろう。
   維盛の最期については、色々な伝説があって定かではないが、その伝承話を上手く脚色しながら、この浄瑠璃は創作されていて面白い。
   平家物語には、巻第七・維盛都落で、妻子との悲しい別れが描かれ、巻第十・維盛出家 では、高野山での出家の後、沖に出て入水自殺が語られれている。
   維盛は、一ノ谷の戦い前後、密かに陣中から逃亡して、30艘ばかりを率いて南海に向かい、のちに高野山に入って出家し、熊野三山を参詣して、船で那智の沖の山成島に渡り、松の木に清盛・重盛と自らの名籍を書き付けたのち、沖に漕ぎだして入水自殺したのである。
   最期は、訳文を借用すると、
   ”中将は今が極楽往生の絶好の機会だとお思いになり、たちまちに妄念をひるがえして、声高に念仏を100遍ほど唱えつつ、「南無」と唱える声とともに、海へお入りになった。”
   父重盛が長生きして居れば、平家の運命のみならず、維盛の人生も、輝いていたはずだが、歴史は、武家政治へと急旋回しながらも、それを許さなかった。
   維盛自身、富士川の戦いや倶利伽羅峠の戦いで、総大将でありながら惨憺たる負け戦で、鹿ケ谷の陰謀に加担した藤原成親の娘が妻であったと言う不幸など、悲劇の貴公子であったが、女方の演じる梅枝のような雰囲気であったのであろうか。

   さて、今回のこの歌舞伎は、人を得て、非常に良くできた舞台で、楽しませて貰った。
   これまで観た舞台では、仁左衛門のいがみの権太が、最も印象に残っているのだが、この役は、多少小賢しい、箸にも棒にもかからない、どうしようもないチンピラヤクザでありながら、底が抜けていてどこか憎めない小悪の悪ガキの雰囲気を醸し出した役で、やはり、大阪弁で喋る上方役者にしか出せない味が見え隠れしているような気がしている。
   尤も、團十郎の舞台も凄くて印象に残っているのだが、今回の菊五郎のように、直球勝負で、ストレートにいがみの権太に成り切って、正攻法でイメージを膨らませて行く新境地の良さも実感して興味深かった。

   ところで、この国立劇場の「義経千本桜」も、ぼつになった3月歌舞伎を、無観客で映像化しての配信なのだが、期間限定である所為もあって、テレビなどの録画番組とは違った雰囲気があって良い。
   臨場感はないが、舞台だと、詳細が分からないのだが、細かい描写など雰囲気が手に取るように分かって、丁度、METライブビューイングのような良さがあって楽しませてくれた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月大歌舞伎・・・「梶原平三誉石切」

2020年04月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   義経と対立し頼朝に讒言して陥れた悪人扱いになっている梶原平三だが、唯一とも言うべき風格と威厳のある善人として描かれた舞台「梶原平三誉石切」、
    「鶴ヶ岡八幡社頭の場」で、白鸚の極めつきの梶原平三の舞台である。
   これまでに、白鸚と吉右衛門の「梶原平三誉石切」を何度か、鑑賞させて貰ったが、初代の白鸚らから継承された高麗屋のお家の芸として育まれてきた素晴らしい舞台である。

   尤も、冒頭、鎌倉八幡宮に、源頼朝の挙兵を石橋山で破った平家方の武将・大庭三郎景親と俣野五郎兄弟が参詣に来ているところへ、同僚の梶原平三景時が梅を観にやってきて一献汲み交わすシーンから始まっていて、この歌舞伎では、頼朝の忠実なる家来の梶原平三であるはずが、源氏でありながら、心情では平家に加担する武将という設定になっている。
   そして、そこへ、青貝師の六郎太夫と娘梢がやってきて、家伝来の宝刀を買ってほしいと懇願する.
   この刀を売るのは、頼朝に味方する関東の武士の真田文蔵の許嫁の梢に金を渡して、源頼朝再挙の軍資金調達に資するためであることが最後に分かって、梶原平三は、源氏の味方だと本心を明かす。
   刀の目利きの時に、差裏の八幡の文字に気づいて、父娘が源氏所縁の者と分かっており、最後に、石橋山の戦いで頼朝を助けたのは自分であり、「形は当時平家の武士、魂は左殿の御膝元の守護の武士、命をなげうって、忠勤をつくすべし」と素性をあらわす。
   大庭が、梶原に鑑定を頼み、梶原が希なる名刀だと応えるのだが、俣野が切れ味が劣れば鰹かき同然とイチャモンを付けたので、二つ胴の試し切りをすることとなったが、囚人が1人しか居らず、六郎太夫がその1人に願い出て、梶原が試し切りをして、太夫を助けるために、囚人は切ったが、太夫の縄を切っただけであったので、失敗だとあざ笑って場を去る大庭、俣野を見送った梶原は、刀の売却が出来なくなって失望落胆する二人に、真実を語るのである。
   梶原は、なまくら刀と思って絶望する太夫に、まさしく名刀であるとその証拠を見せるために、そばにあった手水鉢を見事に真っ二つに切ってのけ、名刀を買い受けると約束して去って行く。

   主な配役は、次の通り。
   梶原平三景時 白鸚
   俣野五郎 錦之助
   梢 高麗蔵 
   囚人剣菱呑助 橘三郎
   青貝師六郎太夫 錦吾
   大庭三郎 芝翫

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   白鸚と吉右衛門の舞台では、六郎太夫が歌六で、梢が雀右衛門であったが、今回は、高麗屋の渋いベテランの錦吾と高麗蔵が演じていて、新境地を開いた感じで興味深い。
   最近観たのは、坂東彦三郎家の襲名披露公演で、彦三郎の梶原平三、父楽善の大庭三郎、弟亀蔵の猪俣五郎の親子二代が重要な役を演じ、團蔵の父太兵衛と市川右近の梢が華を添え、正に襲名披露狂言に相応しい素晴らしい舞台で、当然、人間国宝祖父十七世市村羽左衛門の継承した羽左衛門型の舞台を魅せた。

   梶原には、名刀の目利き、二つ胴の試し切り、源氏への素性語り、石切などの名場面があって、白鸚は、磨き抜かれた貴重な高麗屋と播磨屋の芸の伝統を継承した決定版を披露したのであろう。
   大仰な型、見得の連続とも言うべき様式美を鏤めながらの名演で、物語もそうだが、まさに、歌舞伎独特の美学の昇華を楽しむべき舞台なのであろう。
   興味深かったのは、梶原は、舞台正面に端座して、殆ど動きのない場面が結構多いのだが、大庭と俣野兄弟が、勝手なことを言って揶揄すると、ちらっと表情を変えて気色ばむ表情に味があって良い。
   芝翫の大場だが、やはり、平家の武将としての威厳と貫禄を示した立ち居振る舞いが流石で、梶原に引けを取らない重厚さが良い。
   俣野の錦之助は、以前にも観ていてお馴染みだが、いつもの二枚目役者とは趣を異にした嫌みな赤面が、中々、味のある性格俳優ぶりで面白い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月大歌舞伎・・・「伊賀越道中双六 沼津」

2020年04月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   伊賀越道中双六は、1634年12月26日 に渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で仇を討った鍵屋の辻の決闘をテーマにした浄瑠璃だが、今回の「沼津」は、この話の主人公は誰も登場しない脇筋の物語で、しっとりとした義理人情を描いた世話物である。
   学生時代に、芭蕉の故知を訪ねて伊賀上野へよく行っていたので、この鍵屋の辻は知っている。

   「沼津」は、
    沼津の松並木で、雲助平作は、呉服屋十兵衛を客にするのだが、老体で重い荷物がままならず、蹴躓いて足を痛めて代わりに荷物を担いで貰ってわが家に辿り着く。雛にもまれな美貌の娘お米に一目惚れした十兵衛は、その家に泊まる。夜中に、平作の傷を治した薬が欲しくて娘お米が、十兵衛の印籠を盗もうとして見つかり、平作の述懐で、十兵衛が里子に出した息子であり、親兄妹であることが重兵衛にわかる。慌ただしく出立した十兵衛が残した書き置きで、親兄妹であることを知った親娘は動転、しかし、重兵衛がお米に残した印籠が敵股五郎の品と知って、平作は、十兵衛を千本松原まで追いかけ、敵の落ち行く先を教えてくれと懇願する。しかし、十兵衛も義理ある恩人を裏切るわけにも行かず、拒否し続けるのだが、平作は十兵衛の脇差しを抜いて切腹するので、親子の恩愛の情に頽れて、虫の息の平作を抱きしめて親子の名乗りを遂げ、死んで行くこなた様への餞別、今際の耳によう聞かつしゃれやと、立ち聞きしていたお米に聞こえるように、「股五郎の落ち行く先は九州相良、九州相良。道中筋は参州の吉田で逢ふた、と人の噂」と叫ぶ。平作の断末魔、親子兄妹は手を取り合って涙にむせぶ。
   
   
   
   
   
   
   
   

   配役は、
   呉服屋十兵衛 幸四郎
   平作娘お米 孝太郎
   荷持安兵衛 吉之丞
   池添孫八 彌十郎
   雲助平作 白鸚

   この「沼津」は、歌舞伎でも文楽でも、結構、鑑賞する機会がある。
   このブログの鑑賞記で、最も古いのが、2005年2月22日に観た「人間国宝・住太夫、玉男、簑助が皇太子ご夫妻に文楽「伊賀越道中双六」を披露」。
   十兵衛は玉男、お米は簔助、平作は文吾、義太夫は住大夫・錦糸 その後、キャストが変って何度か観ている。
   歌舞伎では、十兵衛は藤十郎、お米は扇雀、平作は鴈治郎
   また、十兵衛は吉右衛門、お米は雀右衛門、平作は歌六、が、それぞれに、決定版とも言うべき素晴らしい舞台で、感激しきりであった。

   今回の高麗屋の「沼津」は、これまた、びっくりするほど、密度の高い凄い舞台であった。
   先の歌舞伎の2舞台は、役者に年齢的な無理があるのだが、この舞台は、その点では、見事にキャスティングに当を得ており、幸四郎と孝太郎の清新さと色香さえ滲ませた若々しさ、老長けた燻し銀のような哀愁を帯びた白鸚の人情味豊かな芸が、詩情豊かな人情の疼きを活写して感動的である。
   この3月歌舞伎の演目に、「梶原平三誉石切」がプログラムされていて、白鸚が梶原平三で、トレードマークとも言うべき、風格のある重厚な芸を、披露しているのだが、その落差を超えた新境地の至芸を披露しているようで魅せてくれる。
   平作の貧しい老いぼれた姿は、その衣装やメイキャップも素晴らしいが、ことに、歩き方で、少し曲げて前に突き出した足で、腰をやや引いて、よろよろ、歩く姿は、来し方その生い立ちを総て物語っていて、まさに、秀逸。
   

   この歌舞伎で興味深いのは、浄瑠璃文楽の影響の尾を引いているのか、鎌倉の十兵衛も、沼津の平作も、大阪弁で喋っていることで、一層、上方風の人情の機微を描いた世話物の雰囲気が濃厚に出ていて良い。
   親子だと分かっていて、20年以上も会わなかった立派になった愛しい我が子を前にして、名乗りさえ出来ない哀れさを噛みしめながら、必死になって、娘お米のために、敵の行くへを聞き出そうと哀願する平作も苦しいが、まぶたの父に巡り合えながら涙を食いしばって、恩ある河合股五郎の危機となる行方を明かしては商人としての信義に反して義理が立たない苦衷を耐え忍ぶ十兵衛も苦しい。
   しかし、今、はじめて親子とわかった父親が腹を切ってまで、娘聟の敵の居所を知ろうとする親の情、そして、妹への思いから、断腸の悲痛に堪えて、十兵衛は、お米が陰で聞いているのを察して、大きな声で股五郎の行き先を教えて、涙を飲んで去って行く。
   この伏線があって、最後の「伊賀上野敵討の段」に繋がって行き、志津馬と股五郎が一対一で対決し、駆けつけた政右衛門の前で、志津馬は見事に股五郎を討ち取るのである。
   
   白鸚の至芸は、特筆物だが、幸四郎の実に人情味豊かで凜々しい十兵衛の上手さ、その匂うような若さ、
   一寸、表現が難しいが、人間国宝秀太郎のような深さと潤いを醸し出してきた孝太郎のお米の感動的な立ち居振る舞いは、幸四郎との相性の良さもあって、魅力満開。
   芸達者でベテランの、荷持安兵衛の吉之丞、池添孫八の彌十郎の存在感ある芸も、高麗屋の「沼津」に華を添えている。

(追記)この松竹チャネルの無料配信は、4月26日で終わる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月大歌舞伎・・・「新薄雪物語」

2020年04月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   3月から、歌舞伎座公演は、休演となっているのだが、松竹チャンネルが、無観客の歌舞伎座で録画した三月大歌舞伎を、Youtubeで、配信している。
   その中でも、最も注目すべきは、通し狂言「新薄雪物語」花見 詮議 広間 合腹で、素晴らしい舞台を見せてくれている。
   主な配役は次の通りで、望み得る最高のキャスティングであろうと思う。
幸崎伊賀守 吉右衛門
葛城民部 梅玉
秋月大膳 歌六
腰元籬 扇雀
奴妻平 芝翫
薄雪姫 孝太郎
園部左衛門 幸四郎
清水寺住職 錦吾
刎川兵蔵 錦之助
団九郎 又五郎
松ヶ枝 雀右衛門
梅の方 魁春
園部兵衛 仁左衛門

   今回の新薄雪物語は、ほぼ、次の通り、
   春爛漫の京都の清水寺に、花見に訪れた幸崎伊賀守の息女薄雪姫と、刀を奉納に来た園部兵衛の子息左衛門が、一目惚れして、薄雪姫の腰元籬と、左衛門の奴妻平の仲立ちで言い交わす仲となる。一方、天下を狙う秋月大膳は正宗の子団九郎に命じて、左衛門が奉納した刀に国家調伏のやすり目を入れさせ、それを見とがめた左衛門に付き従っていた来国行を、通りかかった大膳が小柄を投げて殺す。左衛門が置き忘れた薄雪姫の艶書を拾った大膳は、この書を証拠として、左衛門と薄雪姫に謀反の疑いをかけて幸崎、園部両家を陥れようと謀る。
   
   
   
   

   謀反の罪に問われた左衛門と薄雪姫の詮議のため、葛城民部と大膳が幸崎邸を訪れ、詮議する途中に、来国行の死体が運び込まれ、小柄の傷を見て秋月大膳の陰謀であると察知し、民部は、伊賀守と兵衛の願いを聞き入れて、それぞれ互いの子を預かって詮議するようにと、温情ある捌きをみせて、若い二人に手を握らせる。
   
   
   
   薄雪姫を預かる兵衛は、姫の身を案じて館から落ち延びさせる。伊賀守の使者兵蔵がやって来て、左衛門は自らの罪を認めたので、伊賀守が清水寺に奉納した刀でその首を打った旨を伝え、姫の首も同じ刀で打つようにと告げる。切っ先の血を見た兵衛は、首を討った刀なら有る筈の血糊がないので切腹刀だと察し、まもなく、首桶を携えた伊賀守が来訪したので、出迎えを妻梅の方に任せて引っ込む。姫の首を打ったと応えた兵衛も、首桶を手に伊賀守を迎える。二人が首桶を開けると、そのなかにあったのは、二人を逃がした罪を受けての切腹の嘆願書。肩の荷を下ろした清々しさに、梅の方をも巻き込んで、腹を切って苦痛に耐えながら、三人で笑い飛ばそうとする。
   この三人笑いは、この歌舞伎の最後の感動的なシーンだが、蔭腹を切った親たちの実に悲しい笑うに笑えない笑いで、笑えと言われて、顔をくちゃくちゃにして笑おうとする魁春の表情が切ない。
   
   
   
   
   
   
   

   若い男女が、悪逆非道の大膳の陰謀に巻き込まれたことを知りながら、命を懸けて、子どもたちを守り通そうとする父親の姿が共感を呼ぶ。
   この後の巻で、団九郎は父正宗の秘法を盗もうとして片腕を切落されて、悔悟して大膳の悪事を自白することになっていて、目出度しで終わるようである。

   若い恋人同士を演じているのは、もう、押しも押されもしない歌舞伎界のホープの幸四郎と孝太郎だが、熟練したベテランの芸を内に秘めながら、しっとりとした初々しさと一途の恋心を見せる芸の深さには脱帽である。
   流石に、人間国宝吉右衛門と仁左衛門の重厚で風格のある舞台が見物で、これだけの威厳のある舞台を見せられると文句なしに感動的であるし、それに、二人を支える妻の雀右衛門と魁春の情感豊かな温かみのある芸が光っていて、質の高い芝居の醍醐味を楽しむ喜びを感じる。
   梅玉の執権葛城民部の実に凜々しくて折り目正しい姿は、おそらく、この舞台では、最も人を得た役柄であろう。このような役を務めると梅玉の右に出る者はいないと思える適役である。

   寛保元年(1741)竹本座での浄瑠璃だが、非常にモダンな感じで、上の巻「清水」での、二人の一目惚れや、腰元籬に唆されて薄雪が自害すると結婚を迫るシーンや、腰元籬と奴妻平の恋の取持など、全く違和感がないし、桜咲き誇る極彩色の清水の寺殿をバックにして展開される華麗な舞台は、実に美しく、幸四郎と孝太郎のはつらつとした芸が素晴らしい。
   興味深かったのは、風格と威厳のある善人を演じることの多い歌六が、骨太の大悪大膳を感動的に演じていたことで、弟又五郎のコミカルタッチの団九郞と息の合った演技が秀逸。
   腰元籬の扇雀の恋の手ほどきよろしく、奴の芝翫との掛け合いが面白い。
    それに、この舞台の最後を飾る妻平の立廻りが、結構迫力のある歌舞伎の様式美を見せていて、芝翫がただの脇役でないことを示していて興味深い。
   
   放映された舞台なので、適当に舞台写真を使わせて貰ったが、久しぶりに、質の高い素晴らしい舞台を見せて貰った。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場・・・3月歌舞伎:義経千本桜 二段目(鳥居前・渡海屋・大物浦)

2020年04月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   コロナウイルス騒ぎで、上演はならなかったが、国立劇場が、無観客の小劇場で録画した通し狂言「義経千本桜」を、youtubeで無料配信した。
   まず、Aプロの二段目(鳥居前・渡海屋・大物浦)を観たが、菊之助が、渡海屋銀平と知盛を熱演する舞台で、実に清心で美しい舞台を楽しませて貰った。
   最も最近観た渡海屋・大物浦の舞台は、仁左衛門だったと思うのが、どうしても、白鸚や吉右衛門や幸四郎と言った立ち役のベテラン歌舞伎役者の演じた銀平と知盛のイメージが強いのだが、どちらかというと女形で美しくて華麗な演技を見せてくれていた菊之助の銀平と知盛は、最も平家で居丈夫で豪快な知盛という雰囲気を匂わせながらも、爛熟した平安文化の雅さえ感じさせて、悲劇でありながら、美しくて華麗でさえあるのである。
   義父吉右衛門の薫陶を受けての正統派の芸を継承しての銀平であり知盛であり、それに、音羽屋の美学と華麗さを合い交えての芸域の深化であるから感動を呼ぶのも当然であろう。
   一敗血に塗れて手負い獅子の知盛が、苦悶しながら義太夫の悲痛な語りに応えて舞うように演じる仕草など、オリジナルの浄瑠璃に踊る文楽人形を観ているような異次元の美しさであった。
   このシーンの終わりにかけて、義太夫を離れて、台詞で、清盛の傍若無人な悪行の報いを受けて平家が滅びてゆく悲哀を語るのだが、私は、この台詞など蛇足と言うか言わずもがなだと思っている。  
   元々、平家贔屓なので、平安時代で権力を欲しいままにしていた惰弱な藤原よりも、清盛の残した歴史上の貢献の方が、偉大だと思っている。
   勝てば官軍負ければ賊軍で、歴史は歪んでしまってはいるが、平家物語の壮大な絵巻を展望しても、その桁違いのスケールの大きさが分かろうというものである。

   この浄瑠璃の義経千本桜の中では、このAプロが、この後に演じられたBプロの三段目(椎の木・小金吾討死・鮓屋)や、Cプロの四段目(道行初音旅・河連法眼館)よりも、最も義経に関係がある芝居だと思う。
   しかし、この部分でも、オリジナルの能「船弁慶」そのものが、例えば、平家物語のほんの断片を脚色して創作された曲なので、義経の人生とは殆ど関係はなく、義経のイメージを膨らませた芝居だと思って楽しめれば良いと言うことなのであろうか。
   この「船弁慶」は、平家物語の「判官都落」の段に、京都から九州へ下向の途中の描写で、「門出よし」と悦んで、大物の浦より下りけるが、折節西のかぜはげしきふき、住吉の浦にうちあげられて、吉野のおくにぞこもりける。」の文章と、この段の後半の、「たちまちに、西の風ふきけることも、平家の怨霊のゆへとぞおぼえける。」とある僅かな叙述部分を元にして作曲されたのである。
   興味深いのは、能「船弁慶」では、静が、吉野への同行を拒否したのは弁慶だと疑って義経に確かめるという芸の細かさを示しているが、流石に、この歌舞伎は、義経が静に直接諭していてすんなりしているが、実際には、義経は静を吉野へ帯同したというから面白い。

   この菊之助の渡海屋・大物浦の舞台は、2015年7月のこの国立劇場の大劇場で既に観ていて感激した舞台の再演なので、その後の進境の著しさも加わって、凄い舞台であった。
   このときも、銀平女房お柳実は内侍の局は梅枝が演じていて、しっとりとした味のある演技で、菊之助との相性の良さを見せていた。
   今回、銀平娘お安実は安徳帝は、去年の團菊祭で「絵本牛若丸」で初舞台を踏んだ菊之助の長男丑之助であり、流石に、二人の人間国宝を祖父に持つ梨園のホープであるから、栴檀は双葉より芳しであり、将来が楽しみである。
   
 
   この舞台での重要な役割を演じるのは、義経の鴈治郎で、流石はベテランで、風格があって舞台を締めている。
   静御前の米吉、弁慶の亀蔵の清新ではつらつとした芸が光っているが、やはり、菊之助あっての舞台であって、菊之助を堪能する舞台であることには間違いない。
   これまで、舞台中継や録画で、観客の居る舞台のテレビやビデオなどを観ていたのだが、空席ばかりの劇場をバックにした芝居鑑賞は、やはり、一種独特の寂しさがあって、パーフォーマンス・アーツは、観客の重要さが、際立つ芸術のように思ったのである。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立小劇場・・・文楽「菅原伝授手習鑑」

2020年02月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
    錣太夫襲名披露狂言『傾城反魂香』土佐将監閑居の段の前に、「菅原伝授手習鑑」の車曳きから桜丸切腹の段が上演された。
    「桜丸切腹の段」は、大阪に出かけて、2014年4月の通し狂言で住大夫引退狂言という記念すべき公演を観劇して、私は、次のように書いている。
    住大夫と錦糸の浄瑠璃に乗って、浮世の未練をすべて清め捨て去って、従容と死に赴く桜丸を簑助が、悟りきれなくて号泣し続ける八重を文雀が、生身の役者以上に生き生きと人形を遣って演じ切っており、そのまわりを実直そうな白大夫のかしらをつけた玉也の父・白大夫が、撞木と鐘を打ちながらうろうろ右往左往する・・・正に、哀切極まりないこの世の終わりの光景であり、観客を忍び泣かせて、場内は水をうった様に静寂の極致。
   今回は、浄瑠璃は千歳太夫と富介、同じく簔助が感動的な桜丸を遣い、八重を勘十郎、白大夫を和生と言う非常に充実したキャスティングで素晴らしい舞台を見せて魅せてくれた。

   さて、冒頭の車曳きの段で、三つ子の兄弟である梅王丸、松王丸、桜丸が登場するのだが、三つ子であるから、同じようなものであるはずだが、長幼の序は、この順である。
   菅丞相の肝いりで、梅王丸は菅丞相の、松王丸は時平の、桜丸は斎世親王の、それぞれの牛飼いの舎人となっている。
   桜丸夫妻の取り持ちで斎世親王と菅丞相の娘苅屋姫の密会を実現させたのだが、これが、政敵の藤原時平に陰謀だと姦計を弄されて、菅丞相は、九州・大宰府に流罪になってしまい、この時点で、梅王丸と桜丸は、扶持離れすなわち浪人となっていて、その腹いせもあって、時平の牛車を襲って乱暴狼藉を働こうとしたのである。

   桜丸は、菅丞相の讒言の原因を作ったその責任を感じて、既に切腹を決意していており、その後の佐太村の舞台で、父親白大夫の喜寿の賀に三つ子の兄弟とその妻たちが帰って来て祝うのだが、皆が集う前にやってきた桜丸が、その決意を父に語っている。
   尤も、文楽では、この部分は暗示されているだけで、桜丸は、賀の祝いが終わって皆が退散した後で舞台に登場して切腹する。
   この伏線があって、固い覚悟を知らされた父白太夫も悩み抜き、何か助ける手はないか必死になって考えるのだが、氏神詣の神籤でも凶ばかりが出て、帰ってきたら兄たちの喧嘩で桜の枝が折れてしまって凶と出ており、運命と諦めて、わが子の切腹を認める。
   親としてしてやれることは撞木と鉦を打ちならすことだけだと悟るも、切腹する桜丸の周りを右往左往するばかりで、妻八重は、切腹を止めさせようと、桜丸にしがみ付いて必死に懇願して説得するが、それも叶わず、桜丸は切腹を遂げる。
   この哀切極まりない愁嘆場が、この桜丸切腹の段である。
   簔助の桜丸は、運命を従容と受けて立ち何の迷いもなく腹に刀を当てる、匂い立つような気品と様式美の美しささえ感じさせる迫真の芸で、どうしても桜丸の命を助けたい一心で縋り付いて断腸の悲痛を訴える勘十郎の八重の、寄り添って必死に耐える二人の姿が、儚くも輝いていて、実に美しくも悲しい舞台である。

   この劇は、菅原道真の絶対善と藤原時平の絶対悪の対立抗争が主題であるから、どうしても、松王丸が悪玉のような感じになって、ワリを食っていて、この佐太村の舞台で、白大夫が、松王丸の差し出した勘当願いはあっさりと認めて、主人の時平と敵対する親兄弟を心置きなく討つためではないかと非難さえして、松王丸の菅丞相への恩義を返したいという健気な心の内を理解できずに、早々に追い返す。
   この逆転劇を展開するのは、終幕に近い「寺子屋の段」。
   重要なテーマは、「梅は飛。桜はかるる世の中に。何とて松のつれなかるらん。」
   松王丸が、一子小太郎を管秀才の身替りに差し出して、武部源蔵に討たせた後で、いろは送りの前に、「管丞相には我が性根を見込み給ひ「何とて松のつれなからうぞ」との御歌を「松はつれないつれない」と世上の口に、かかる悔しさ。・・・」苦しい胸の内を吐露しながら、管丞相に恩を返す劇的な結末の述懐であり、
   さらに、管丞相の奥方御台所を救出して管秀才に対面させ、一気に、善玉として脚光を浴びる。
   松王丸は、この段で、小太郎の死を重ね合わせながら、桜丸の死を追悼して涙に暮れている。

   三つ子の父親白大夫は、三つ子の兄弟に対して、「生ぬるこい桜丸が顔つき。理屈めいた梅王丸が人相。見るからどうやら根性の悪そうな松王が面構え」と言っている。
   これを反映してかどうかはともかく、主役の桜丸は、一番若く見えて前髪立ちの童姿で、歌舞伎では女形が演じている。
   序段の「加茂堤の段」で、加茂川の堤に、桜丸が斎世親王の牛車を乗り入れ、妻八重が苅屋姫を連れてきて、二人を車の中に押し込んで愛の交歓をさせるのだが、刺激された桜丸が、”女房たまらぬたまらぬ”と身悶えし、”追っ付けお手水がいろうぞよ”水汲んでこいと言った調子の子供じみた夫婦で、思慮分別のある貴人の逢い引きの仲立ちとも思えないアクションだから、当然、露見しても不思議ではない。

   今回、しみじみと、桜丸を思う機会を得たが、この浄瑠璃、三つ子の兄弟のキャラクター一つとっても良くできた作品であると思う。
   天神さんの浄瑠璃であったが、今、国立劇場の前庭の3本の梅が、きれいに咲いていて舞台を荘厳している。
   
   
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする