熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

P・クルーグマン・・・財政フィーバーは終わった

2013年12月31日 | 政治・経済・社会
   ニューヨーク・タイムズ紙電子版、12月29日号に、”Fiscal Fever Breaks By PAUL KRUGMAN”が掲載された。
   9月29日に書いたブックレビュー”ポール・クルーグマン著「そして日本経済が世界の希望になる」”に近い、ケインズ政策の推進に終始した見解なのであるが、2日に亘って、ニューズウィークの見た2013年のアメリカについて、感想を述べたので、アメリカ経済について、私なりの理解の範囲で、クルーグマン教授のコラムを引用しておきたい。

   オバマ大統領が再選された時にもフィーバーが起こったが、同様に、凄い財政フィーバーも吹き荒れていたが、幸いなことに、この財政フィーバーがブレイクしたと言うのである。
   その財政フィーバーとは、全政界やメディアの権威筋が、例え、連邦政府が、異常に安い金利で調達できていたにも拘わらず、財政赤字は、我々にとって最も重大かつ緊急の経済問題だと主張し続けていたことである。
   大量失業や拡大する経済格差の問題を議論せずに、ワシントンの殆どは、例外なしに、(雇用危機を益々悪化させるにも拘わらず)財政支出の削減と、(格差の拡大を益々悪化させるにも拘わらず)ソーシャル・セイフティ・ネットを叩き切ることばかりに集中していたのである。
   これは、正に、終息したと言われている激しく吹き荒れていたティーパーティー旋風に煽られて、強引に、オバマ大統領の経済政策に、悉く楯突いた共和党の強烈なフィーバーでもあったであろうが、クルーグマンにとっては、全米そのものがブラインドであって、愚の骨頂であったと言うことであろうか。
   激しく燃えて一気に終息してしまったティ―パーティー運動を見ていて、昔の激烈な赤狩り反共のマッカーシ―旋風を思い出したのだが、これが、成熟した民主主義国の姿かと思うと複雑な思いに駆られる。
   

   このフィーバーがブレイクした理由として、クルーグマンは、共和党の変質など4つの理由をあげているが、私に興味深かったのは、このフィーバーを促進した要因として、先の日本版の書籍でも述べているように、
   「国家は破綻する」で展開されていたカーメン・M・ラインハート&ケネス・S・ロゴフの理論、政府債務がGDPの90%を超えると成長に深刻なマイナス効果をなす(government debt has severe negative effects on growth when it exceeds 90 percent of G.D.P.)を、こっぴどく糾弾していることである。
   この説は、当初から多くの経済学者が懐疑論を呈していたが、すぐに、経済成長のスローダウンは、高度な債務の原因にはなったが、その反対ではないと言うことが、イタリアや日本で明らかになった。しかし、政治の世界では、正に、この90%理論が、福音だったのだ。と言うのである。
   
   マサチュセッツ大の大学院生トーマス・ハーンドンが、このデータの誤りを正して90%崖っぷち論は消えてしまい、今や、財政叱責問題は、統計数字の問題として決着が着いた。
   昔から言われているように、人々は、ラインハート―ロゴフを、酔っ払いが、街灯柱を灯りではなく支えとして使ったように、照明としてではなく、サポートとしたのである。彼らは、突然、そのサポートを失って、経済政策必要性から唱えていた自分たちの思想的アジェンダのよりどころを失ってしまった。のだとまで、酷評している。  

   前にも記したが、このラインハートとロゴフの「国家は破綻する」は、欧米のみならず日本でも人気を博して、確か、日本の著名経済学者たちが最も注目に値する良書としてトップランクしたのは、ほんの数年前で、影響力が大きかった。
   私自身は、先日記したように、「いくら、債務を積み上げても、アメリカ政府がデフォールト(債務不履行)には陥らない」とするティーパーティー並のクルーグマン説には、大いに疑問を感じているので、90%クリフ論はともかくも、ラインハート―ロゴフ説には、それなりの評価を感じている。

   さて、最後に、クルーグマンは、財政叱責論は、影を顰めたが、長期失業者に対するベネフィットをカットするなど深刻な状態にあり、財政危機よりも、もっと緊急な経済格差の解消など根本的な問題に立ち向かわなければならないと指摘している。
   冒頭でのべたように、大量失業と格差拡大は、今や、アメリカ経済の最大のアキレス腱で、ジニ係数は、大恐慌以来最悪だと言う。
   アメリカ経済に、やや、燭光が見え始めたが、完全雇用には近づきつつあるにしても、まだ、財政支出カットは時期尚早であると言っており、クルーグマンのケインズ政策論は、その手綱を緩める気配はない。
   しかし、経済は生き物で、クルーグマンが何と言おうとも、時期が来れば好転して行く。
   リベラルのクルーグマンとしては、今後のターゲットは、完全雇用の実現と経済格差拡大の阻止であろうから、セイフティネットの拡充など厚生経済学的な方向へ、論陣を張って行くような気がしている。

(追記)クルーグマン教授の写真は、ニューヨーク・タイムズより借用。

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ニューズウィークの見た2013年のアメリカ(2)

2013年12月29日 | 政治・経済・社会
   「踏んだり蹴ったりの2013年 オバマのバッドニュース15」は、外交の迷走から愛犬の暴走まで散々だったオバマの1年を振り返ると、は、正に、2013年のアメリカの縮図であった。

   まず、第1番目には、「支持率の低空飛行」で、複数の世論調査機関が発表した最新の支持率は、40~43%で、ブッシュの時より悪いと言う。
   あれ程、鳴り物入りで希望の星として登場したオバマも、共和党の強力な反抗と外交面での失策が続けば、当然かもしれないが、やはり、根源には、これまでアメリカを牽引してきた常識派の著しい後退があるのであろうと思う。

   2番目は、「シリア問題で右往左往」。
   シリアが化学兵器を使えば、レッドラインを越えたと見做すと言っていたのに、実際に化学兵器が遣われていたにも拘わらず、軍事介入を断念したので、メンツ丸潰れ。
   中東で最も親米で有力なサウジアラビアが、腹を立て、国連安保の非常任理事国の椅子を蹴って抗議したことからも、事態の深刻さは分かろうと言うもので、アメリカの世界の警察である使命を期待していた向きの失望を買ったのだが、アメリカ国民の過半数が厭戦ムードで反対していた事情などを考えれば、複雑な選択でもあった。

   次に問題視されたのは、「盗聴の発覚」。
   元CIAのエドワード・スノーデンの暴露によって、国家安全保障局(NSA)が、国内外で、大々的な盗聴を行っていたことが発覚して、多くの怒りを買い、外交関係を悪化させ、いまだに、スノーデンの身柄を確保できないと言う体たらくである。
   それ以前には、中国の政府自らが関与したアメリカなどの国家機密やハイテク技術の漏洩・盗難事件が、大々的に報道されていたので、一気に形勢逆転だが、最早、中国を攻める訳には行かづ、中国からの情報盗難は、傍若無人で、大手を振ってまかり通っていると言う報道さえなされている。
   スパイ合戦は、太古の昔から、気の利いた国家なり、組織なり、人々なりの常套手段であって、インテリジェンス競争こそ、国家間の蔭の戦いであり、目くじらを立てる方がおかしいと言う説もある。どうであろうか。

   さて、オバマ大統領の内政だが、オバマケアは成立には漕ぎ着けたものの、新制度のウェブサイトに不具合が出て出鼻を挫かれ、また、与野党の予算合意が出来ずに、16日間も連邦政府機関を一時閉鎖したり、それに、オバマの目玉政策である、移民政策改革、最低賃金の引き上げ、雇用の創出、銃規制などが、足踏み状態で進展していない。
   バーナンキの後任選びで、サマーズに辞退されイエレンに決まったのを、人事のつまずきとして挙げているが、良くある話だし、それに、議会がねじれ状態であって、まして、ティーパーティーにハイジャックされた共和党の理屈にならないような反発抵抗を受ければ、当然、内政問題のスムーズな展開は無理であろう。

   私が、このニューズウィークの15の指摘の内で、最も注目したのは、「格差が拡大」である。
   アメリカのジニ係数(所得分配の不平等係数)は、オバマが大統領に就任して以降、年々悪化して来ており、その数字は大恐慌以来最悪の水準に達していると言うのである。
   もう、とっくの昔に影を顰めてしまった努力すれば明るい未来が実現して幸せになれるとする「アメリカン・ドリーム」が、まだ、多くのアメリカ人の間に生き続けているので、この格差拡大に対する抵抗力があるのだろうが、ぼつぼつ、チッピングポイントを越えてもおかしくないところまで来ている筈である。

   他に人道的な問題で指摘されていたのは、キューバのグアンタナモ基地が閉鎖させていないこと、無人機攻撃のドル沼化。
   司法省が、APの記者や編集者の通話記録を秘密裏に集めていたこと、税務署が、非営利団体の免許申請で、ティーパーティーなど保守系団体に故意に厳しくしていたこと。
   このあたりの指摘であると、オバマ大統領の失政と言うよりも行政の問題であろう。

   一寸面白いには、マンデラの追悼式で、デンマークの女性首相ら3人とスマホで自分撮りをして間抜けな画像が拡散したこと、異母弟が、自伝を書いて、本の宣伝ツアーで家庭内のゴシップを次々と暴露したこと、愛犬サニーが、2歳の女の子を転ばせたと言う話。
   やることなすことが裏目に出た2013年のオバマを象徴するニュースだと言うのだが、どうであろうか。
   私は、案外、比較的深刻な大事件もなく、オバマ大統領にとっては、平平凡凡な1年であったように思っている。
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ニューズウィークの見た2013年のアメリカ(1)

2013年12月26日 | 政治・経済・社会
   ニューズウィークの新年合併号は、ISSUES 2014 2014年を読み解くと言うタイトルだが、むしろ、2013年の総括と言った感じで、色々な論点からの議論展開が面白い。
   今号では、比較的本国であるアメリカの記事が少ないのだが、
   ”アメリカなき世界に迫る混沌の時代 A WORLD WITHOUT THE UNITED AMERICA”や、”踏んだり蹴ったりの2013年 オバマのバッドニュース15”など、面白いので、これらを参考にして、アメリカの現状を考えて見たいと思う。

   さて、前者は、ストレート誌のウィリアム・ドブソンの記事だが、これは、イアン・ブレマーが説くGゼロの世界、すなわち、世界は、唯一の覇権国家であったアメリカの凋落によって、有効で確固たるリーダーシップを持った国家不在のGゼロ時代に突入した移行期にあるとする考え方に近い理論展開なのであるが、
   しかし、冒頭、アメリカの実力が極端に凋落したのではなく、アメリカ国民の意識が、イラクやアフガン戦争などによって、厭戦気分が強くなって、アメリカが分断されて、戦争に二の足を踏むようになり、今では、他国と距離を起きたがっていると言う。
   軍事力では他の追随を許さないし、景気は回復基調にあり、エネルギーの外国依存度も急速に低下するなど実力は維持されたとしても、アメリカ人は、「世界の警察」の役割を誰かに変わって欲しいのだと言うのである。

   アメリカ人は、何故、太平洋や大西洋の海上交通路の警備をしたり、独裁者が自国民を苦しめていると言うだけで米軍を派遣しなければならないのか、「アメリカは自国の問題に専念し、諸外国の問題は当事者の裁量にゆだねるべきだ」と思っているのだが、現存するのは、対立が絶えない恐ろしい世界で、無秩序と混乱が広がる世界である。
   アメリカに代わって、国際秩序を守り、歯止めとなる国はなく、どの大国も政治的意思や軍事力、経済的影響力の面でアメリカの抜けた穴を埋められないので、複数の国が覇権を争い混乱状態に陥る。

   アメリカなき世界で最も危険な事態に陥るのはアジアで、中でも深刻なのは、尖閣諸島の領有権を争う日本と中国の対立である。
   アジア主要国間の不和が休眠状態にあるのは、アメリカの安全保障の傘のお蔭であって、アメリカが居なければ、アジアはとうの昔に破滅的な軍拡競争に突入していた筈で、今回の中国の挑発行為は、国内問題で手一杯のアメリカを試す意思があると言うのである。

   アメリカは、東および南シナ海における中国の好戦的な拡大姿勢に憂慮しているが、少なくとも、現状維持状態で事態が悪化しないことを望んでおり、友好的な状態に戻ることを望んでいるので、今回の安倍総理の靖国神社参拝については、Japanese Premier Visits Contentious War Shrineとして、The United States is disappointed that Japan’s leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan’s neighbors.と言うのは、当然であろう。
   総理の靖国参拝に対するコメントは控えるが、いくら、日本にとっては常識であっても、国際社会においては、非常識であろうと言うことを述べておきたい。
   そして、前述のアメリカ世論なりアメリカ政府の対外姿勢の変化が、今後の日米安保条約や日米外交の帰趨に対して、重要な影を落とすであろうことを付記しておきたい。

   アメリカ経済を瀬戸際にまで追い詰めた債務上限の引き上げ問題については、「一時休戦」が宣言されて、2014年度と15年度の予算が成立したので、この問題は、誰もが筋書を知っている歌舞伎のようだと評している。

   
   もう一つ興味深いのは、THE STUPID PARTY と言う「呆れた政党と呼ばれない共和党になる?」と言う記事で、極端な論陣を張るティーパーティーにハイジャックされた哀れな共和党の変身姿勢について言及している記事である。
   オバマケアを叩き潰すために40以上の無意味な法案を提出するなど言語道断だが、「地球温暖化は作り話だ。学校では進化論ではなく神が生物を創造したと教えるべきだ、アメリカ政府は債務不履行に陥っても問題ない・・・」そんなティーパーティーが唱えるバカげた話を、多くの共和党議員が信じていると言うのだから恐ろしい話だが、このままでは、中間選挙での敗北必置なので、良識派に戻ろうとしている。
   しかし、FOXテレビ愛好の比較的教育水準の低い保守派の白人が多数を占める地域から圧倒的多数の共和党議員が選出されており、また、共和党の穏健派議員も、予備選で、共和党の右寄りの候補に蹴落とされるのを心配する所為もあって、これが結果的に右旋回を助長して、下院共和党の幹部が、愚かな発言や行動を抑え込もうとしても、完全には抑えきれないのだと言う。

   アメリカ政治におけるロビー活動の激しさ酷さが、アメリカの民主主義を大きくスキューしていることに加えて、議員たちのこのような体たらくなどをも考えると、アメリカの議会民主主義も、案外、脆いのかも知れないのである。
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国立劇場十二月歌舞伎・・・「弥作の鎌腹」

2013年12月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場では、やはり、忠臣蔵に関わる演目だが、謂わば、外伝と舞踊と言ったところで、斜めからのアプローチである。
   「主税と右衛門七―討入前夜―」「弥作の鎌腹」「忠臣蔵形容画合―忠臣蔵七段返し―」の3演目だが、見応えがあったのは、やはり、吉右衛門が主役を演じた「弥作の鎌腹」であった。 

   1791年に初演された「いろは仮名四十七訓」の1場面とかと言うことで、奈河七五三助=作 松貫四=監修 で、面白い芝居になっている。
   全くの百姓である弥作の弟・千崎弥五郎(又五郎)は、塩冶判官高定の家中であり、討ち入り前に、弥作を訪ねて来る。ところが、禄を離れた弥五郎に、近隣の代官の跡取りへの縁談話が進んでおり、仲介した代官柴田七太夫(橘三郎)へ縁談を断るために、弥作に秘密を打ち明ける。断わりに行った弥作は、仕方なく、口外厳禁と言われていたのに、七太夫に打ち明けてしまい、怒った七太夫は、訴えると騒ぎ出して駆け出して行くので、弥作は、七太夫を撃ち殺す。板挟みになった弥作は、芝居のために切腹作法を弥五郎に聞いていたので、鎌で腹を切り、心配して帰って来た弥五郎の介錯で死んで行く。
   そんな話である。

   女房おかよ(芝雀)と平平凡凡な穏やかな暮らしをしていた弥作に降って湧いたような悲劇が訪れるのだが、弟の為に、必死になって忠義を貫こうとする朴訥ながら一本筋の通った百姓弥作の吉右衛門の泣き笑いの奮闘ぶりが、実に、味があって魅せてくれる。
   風呂敷、まな板、大根などを使って、勢いをつけて鎌に向かって切腹しようと試みる吉右衛門の不器用な百姓の切腹姿は、弟への愛情と忠義一途の思いのみで、突っ走って行く心の軌跡を濃厚に醸し出していて、ほろりとさせて、感動的である。

   心優しくて思いやりのある素朴な百姓女を芝雀が熱演していて、凛々しくて凛とした弥五郎の又五郎の折り目正しい武士の姿と上手くマッチしていて面白く、吉右衛門との相性が非常に良いので、悲劇性よりも、しみじみとした人情噺のような雰囲気の芝居になっていて、楽しませて貰った。

   忠臣蔵は、忠臣蔵として、それなりに面白い芝居だが、弥作のように、全く関係なかったような人物まで巻き込んだ悲喜劇が、あっちこっちで起こっていた筈で、罪作りな事件であったのかも知れない。
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クリスマス・シーズン雑感

2013年12月24日 | 生活随想・趣味
   引っ越して来た鎌倉の住宅街の一角に、かなり、有名らしい菓子店があって、昨日から今日にかけて、あっちこっちから、大変な客で賑わっていた。
   勿論、客のお目当ては、クリスマス・ケーキで、大半の人がキリスト教徒でない筈なのだが、祝うのか祝わないのか、あるいは、便乗祝日かどうかは分からないが、とにかく、仏教徒の多い筈の日本で、クリスマス・ケーキに人気がある。

   先日、お客の接待のために、家族に、フルーツ・ケーキを買いにやらせたが、クリスマス・ケーキ一色で、いくら、大きな洋菓子店でも、普通に店頭に並んでいる種類のケーキは一切なく、仕方なく、ごてごてした飾りがついたケーキを買って帰って来た。

   尤も、日本人は、お宮参りは神社、初詣は神社かお寺、結婚式は教会か神社か、葬式は仏式、と言った調子で、宗教には、かなり、無頓着な生活をしているので、いずれでもよく、生活のリズムに従っていると言うところだから、クリスマス・ケーキで祝杯を挙げて、クリスマス・ディナーで、恋心を確かめ合うと言う習慣も捨てたものではない。

   
   そう言うと、数軒先の有名なイタリア・レストランも、一杯で、二人ずれだけではなく、家族だけのお客も交じっていたようである。
   私は、一度、友人夫妻を誘って、家内と一緒に、オランダのミシュラン星のレストランで、クリスマス・ディナーを食したことがあるが、あの時は、特別のセット・メニューであったと思うのだが、途中に、室内コンサートが催されて小休憩を取るなど、深夜まで続いたと記憶している。
   特に、キリスト教的な趣向が凝らされている訳ではなく、一寸、形式ばった豪華なディナーが提供されただけだったが、アムステルダムやハーグから離れていたので、日本人客は、我々だけだで、殆どの客がタキシードやイブニング・ドレスで着飾って来ていた。

   もう一つクリスマス・シーズンで興味深いのは、各家庭の庭先などでのイルミネーション。
   私が最初に感激したのは、アメリカで、留学時代の初めての冬に、フィラデルフィアの住宅街で、夫々の家々が、趣向を凝らして、庭やゲートなど外構一面にクリスマス飾りのイルミネーションを競っている美しい夜の風景であった。
   キリスト生誕のベスレヘムの光景を再現した立派な飾りつけで、庭にミニチュア劇場を再現した家もあれば、王宮のように光り輝く豪華な光景もあるなど、随分寒かったが、楽しみながら夜道を歩いたこともあった。
   ところが、国によって国民性があるのか、ヨーロッパへ移ってからは、オランダやイギリスでは、そんな光景は、あまり見かけなかったように思う。
   しかし、ロンドンなどの中心街や有名店などの飾りつけやイルミネーションは覇を競っていて、毎年、見るのを楽しみにしていた。
   日本でも、最近では、あっちこっちで、このクリスマス・イルミネーションを見かけるのだが、ほっとさせてくれる雰囲気があって良い。

   ところで、私たちが若かった頃には、町中にジングル・ベルのメロディーが鳴り響いて、あっちこっちの店で、派手なクリスマス飾りを店頭にディスプレイして、いやがうえにも、クリスマス景気を煽っていた。
   しかし、この頃は、かなり、クリスマス飾りも大人しくなり、クリスマスを思わせるようなメロディーも聞こえなくなって、随分、季節感が希薄になってきたように思う。
   
   しかし、私には解せないのだが、ホームセンターやスーパーによっては、12月初めから、お鏡や正月飾りの数々を、店舗一杯に飾り立ててディスプレーしている。
   勿論、クリスマス関係のものは、11月から店頭に並んでいたのだが、景気づけかは知らないが、誰が、一か月前から、そんなものを買うのであろうか。

   余談になるが、欧米のクリスマス・カードやグリーティング・カードは、かなり期間の幅を持って、交換されている。
   クリスマス直前と言う訳ではなく、かなり、早い時期から順繰りに届く。
   私などは、欧米にいた頃には、クリスマス直前に出す方が良いと思って、12月中旬くらいに、出していたのだか、その前に、既に沢山のカードが届いていた。

   さて、今年の年賀状だが、引っ越しのために、パソコンが移転に伴ってリセットしなければならないのかも知れないと思って、データのバックアップを取ったが、やはり、昨年のようにパソコンのディスクが破損して名前や住所などデータがすべて消えてしまったのを恐れて、その前に、作成してしまった。
   ところが、郵便局へ持ち込んだら、年賀状投函は15日からで、その前に出すと普通郵便扱いで、すぐに届くと言われた。
   それ以降にも、結構、喪中挨拶状が届いたので、早く出すのは問題だったのであろうが、知らないと言うことは恐ろしいことだと思った。

   私の場合には、ズボラを決め込んで、パソコンで自前の年賀状を作成するのだが、最小限度の近況は書くが、特に、ペンを入れずに、そのまま出している。
   原案さえ出来上がれば、パソコンの筆ぐるめを使ってプリントアウトすれば、小一時間で出来上がる。

   私の大学時代の友人に年賀状オタクがいて、年賀状が発売されると真っ先に買って書き始めて600枚出していたと言う。
   ところが、その友人が目が悪くなって、活字を長時間読むことが出来なくなって、一切、年賀状を出さなくなってしまった。
   私は彼に年賀状を出していて、彼から年初に電話が架かって来るのだが、年賀状も人夫々である。

   いずれにしろ、一線を離れて、悠々自適の生活に入ると、かなり、世間の動向から離れて、季節感も希薄になる。
   欧米にいた頃には、大概、クリスマス頃から、年始を挟んで、家族で旅行をしていて、日本に居た時には、とにかく、ゆっくりと休みたかったと言う記憶しかないのだが、今では、盆も正月も、平生と殆ど変わらないと言う感覚である。
   
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国立能楽堂:ユネスコ能から国立名人会の落語へ

2013年12月22日 | 今日の日記
   今日は、鎌倉から千駄ヶ谷の国立能楽堂に向かった。
   移転の忙しさにかまけて、折角持っていたチケットを無駄にしていたのだが、やっと、その合間を縫って、今年の観劇見納めと言う思いも込めて、思い切って東京に向かったのである。

   国立能楽堂は、ユネスコによる「無形文化遺産 能楽」第六回公演で、宝生流能「杜若」大蔵流狂言「焼栗」金春流能「道成寺」であり、いずれも、再度見なので、非常に楽しむことが出来て幸せであった。
   その後、直行したのだが、開演には間に合わなかったが、半蔵門の国立演芸場で桂歌丸がトリの「国立名人会」を楽しんだ。

   ユネスコ能は、能楽協会が力を入れている公演なので、ロビーに、野村萬会長以下お歴々が威儀を正して整列し、客を出迎えていた。

 「杜若」は、伊勢物語の業平をテーマに取り入れた作品だが、「鬘物」に定評のあるシテ方宝生流の大坪喜美雄がシテを舞い、森常好がワキで、素晴らしい舞台を現出。
   旅の僧が三河の国八橋で、杜若の群生に見とれていると、里女が現われて「伊勢物語」の在原業平の歌「唐衣 きつつ馴れにし つましあれば…」を引き、僧を自宅に案内する。女は杜若の精(シテ)で、舞台上で物着して、業平の形見の初冠、二条后(高子)の長絹を着けて現れて、昔の恋の出来事をしのびつつ、静かに太鼓入り序ノ舞を舞う。業平は実は歌舞の菩薩の化身した姿で、業平の多くの情勢遍歴や二条の后への思慕も衆生済度のわざであり、女人や草木までをも歌の力で成仏させるのだと語る。
   一場物の夢幻能で、杜若の優雅な舞が感動的である。

   「焼栗」は、京都の茂山千五郎家の舞台で、千五郎がけがで休演し、七五三がシテ、千三郎がワキを務めた。
   主人が到来物の素晴らしい栗焼きを、太郎冠者に頼むのだが、あまりにも美味しいので、太郎冠者が栗を全部食べてしまって、言い訳に、竈の神親子に進上して家の安泰を願ったのだと口から出まかせを言って逃げようとする狂言である。
   その言い訳も面白いのだが、見ものは、栗を焼く仕草や栗を理屈をつけて一つ一つと食べて行くアクションである。
   この「焼栗」は、以前に二回野村萬のシテで見ているので、和泉流との違いが分かって面白いのだが、栗の焼き方については、野村萬の方が、はるかに詳細で芸が細かく、七五三の場合には、むしろ、屁理屈をつけながら栗を食べる方に滑稽さがあった。
   接客に使おうと栗焼を太郎冠者に任すのだが、所詮、猫に鰹節で、無理な話であるのだが、シテ七五三の独壇場の舞台であった。

   さて、「道成寺」だが、先に観たのは金剛流だったが、今回は、金春流で、シテ本田光洋、ワキ宝生閑、アイ山本東次郎・則俊。
   大槻能楽場のHPには、次のような説明がなされている。
   「安珍清姫」の道成寺縁起を題材にした激しい女の恋の執心を描いた作品。死んでもなお残る女の執念の恐ろしさが表現されている。現行曲の中でも最も大掛かりな大曲。舞台中央に数十キロの釣鐘を釣り上げる。<乱拍子>での小鼓の息を詰めた長い間と鋭い掛け声、シテの緊迫した動きと足使いが見所。<乱拍子>の静寂を破り<急之舞>で激しく舞、クライマックスでシテが鐘に飛び入る<鐘入り>は最大の見所。

   
   「道成寺」は、流派によって演出が違うようだが、今回は、アイの東次郎・則俊が、鐘を担ぎ込んで、鐘を吊りあげるのも、シテが鐘入りするのも、殆ど前回の金剛流の舞台と変わらなかった。
   しかし、気のせいか、金剛流の舞台も、正に、感激であったが、私には、随分違った印象が残っている。
   物着の後、橋掛かり中央に戻ったシテが、大鼓の激しい咆哮(急調のアシライ)に、一気に舞台中央に駆け込み、目付柱を前にして制止すると、変わって、挑発するように、激しい調子の裂帛の掛け声で打ち鳴らす小堤や笛の音にも、動じずに僅かに独特の足遣いの足拍子を踏みながら体を動かすが、殆ど棒立ち状態で動じない。
   10分、20分、間欠的に咆哮する小鼓にも、殆ど反応せずに、僅かに、脇柱方向に向きを変え、そして、鐘のある方向に向かい、時々、一気に両手を広げて激しいアクションを取るが、動じない。
   ところが、時至って、急之舞に転じると、鐘をキッと睨みつけて扇で烏帽子を払い落として、激しく、鐘に向かってアクションを取り、鐘の縁を扇で叩き上げて、鐘に飛び込み、飛びあがると、鐘が頭上から落下する。
   この30分近く(? 私には分からないが、そんな気がする)にも及ぼうとするこの、乱拍子から急之舞、そして、鐘入りに至る緊張感は、大変なもので、激しい女の執念を抉り出した舞台としては、秀逸であろう。
   シテ本田光洋の鬼気迫る激しい緊張感に満ちた舞台は、能楽初歩の私には、正に脅威であった。
   ワキの宝生閑、アイの東次郎の両人間国宝が矍鑠とした素晴らしい舞台を見せて感動的である。

   国立名人会は、三遊亭遊雀の「十徳」、桂竹丸の「光秀の三日天下」、春風亭小柳枝の「掛取り」、三笑亭夢太朗の「巌流島」、桧山うめ吉の俗曲、そして、最後は、桂歌丸の「小間物屋政談」で、3時間の舞台。
   夫々、名人たちの落語であり、面白かったし、うめ吉の俗曲や踊りも素晴らしかったが、私は、歌丸の語るしみじみとした人情噺が好きで、今回も、感動しながら聞いていた。

   京橋五郎兵衛町の長屋に住む、背負い(行商)小間物屋の相生屋小四郎が主人公で、箱根の山中で、追剥にあって縛られていた芝露月町の小間物屋・若狭屋の主人で甚兵衛を助けたのだが、一両と貸し与えた藍弁慶縞の着物を着たまま亡くなってしまい、江戸に帰ったら妻に返してくれと名前と所書を残していたので、検視に来た大家に小四郎が死んだと間違えられる。京都での行商を終えて帰ったところ、大家の計らいで、女房お時は、既に、同業の三五郎と結婚していて、覆水盆に返らず。腹を立てた小四郎は、奉行所へ訴え、名奉行大岡越前守のお裁きを受けて、若狭屋甚兵衛の後家でお時とは比較にならないいい女のおよしと夫婦となり、若狭屋の入り婿として資産三万両を引き継ぐ。オチは、「このご恩はわたくし、生涯背負いきれません」「これこれ。その方は今日から若狭屋甚兵衛。もう背負うには及ばん」
   
   

   能狂言の舞台鑑賞が多かったが、歌舞伎や文楽、それに、ミラノスカラ座のオペラ、都響のコンサートなど、随分楽しませて貰った1年であった。
   ただ、残念なのは、最近、RSCなど最高峰のシェイクスピア劇団の来日がなくなってしまって、良質なシェイクスピア戯曲を楽しめなくなってしまったことである。
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国立劇場十二月文楽・・・「大塔宮曦鎧」「恋娘昔八丈」

2013年12月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の文楽は、「大塔宮曦鎧」のうち「六波羅館の段」と「身替り音頭の段」、そして、「恋娘昔八丈」の「城木屋の段」と「鈴ヶ森の段」で、国宝級の重鎮の出演はないが、今を時めくトップ演者の競演で、素晴らしい舞台を見せてくれた。
   非常に意欲的な舞台は、「大塔宮曦鎧」で、竹田出雲と松田和吉の合作を近松門左衛門が添削した作品だが、野澤錦糸により復曲されて121年ぶりに上演されたのだと言う。
   
   後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王の鎌倉幕府討伐闘争と斎藤太郎左衛門(勘十郎)一族の悲劇を描いたものだが、今回は、その内、「六波羅館の段」と「身替り音頭の段」で、斎藤太郎左衛門が主役で、忠義のために、若宮の身替りに、わが孫を殺すと言う悲劇が描かれている。
   しかし、忠義のためと言って、わが子を犠牲にすると言う話は、菅原伝授手習鑑の松王丸や熊谷陣屋の熊谷直実にもあるのだが、この芝居では、若宮のために、わが子を身替りに差し出そうとする人物は、この斎藤太郎左衛門ではなくて、永井右馬頭(玉女)であるのだが、若宮殺害を命じられた斎藤が、永井の意図に反して首を討つのは、町人の子となっているわが孫なのである。
   言うならば、「身替りの身替り」。
   私など、一切の予備知識なしに、ブッツケ本番で舞台を観たので、当然、身替りに立てた鶴千代の首が討たれるものと思っていたので、新鮮な驚きを感じて興味深かった。

   この「身替り音頭の段」は、永井右馬頭の妻・花園(和生)が、太郎左衛門に、せめて子供たちが音頭を踊る中で切って欲しいと懇願して、わが子を身替りに出すのだが、やや、哀調を帯びたリズミカルな大夫の浄瑠璃と三味線の音に乗って子供たちが輪になって踊り続ける。
   その中に、ぎらぎらと血走った目を見開きた太郎左衛門や、夫々の思いを秘めてジッと凝視する右馬頭夫妻、そして、若宮の運命をかたずを飲んで見守る三位の局(勘彌)などが、混じる緊張感。
   中は、睦大夫と宗助、そして、奥の文字久大夫と錦糸の名調子が、クライマックスへぐいぐいと引き込んで行く。
   特に、この復活狂言を生み出した錦糸と文字久大夫の思い入れと熱演は、特筆ものであった。

   この日は、私は、久しぶりに、最前列で見ていたので、人形の詳細かつ微妙な動きや、人形遣いたちの激しい息遣いまでが、非常にビビッドに鑑賞出来て、幸いであった。
   女形を遣わせれば素晴らしい舞台を見せる勘十郎が、非常に骨太で豪快な太郎左衛門の武士の武士たる本領を鮮やかに語り続けて、感動的であった。
   和生の妻・花園も、実に、奥床しさと気丈夫な気品を見せて素晴らしく、当然、立役で第一人者の玉女の、やや、控えめながらも、右馬頭の毅然とした風格も忘れがたい。
   六波羅館の段で、駿河守範貞を遣った玉也、三位の局の勘彌など、脇を固めて素晴らしく、復活狂言とは思えないような素晴らしい狂言を作り出していて、楽しませてくれた。

  さて、後半のもう一つの狂言である「恋娘昔八丈」だが、本来、大坂発の浄瑠璃にあって、珍しくも、江戸日本橋の材木屋の娘が、入り婿の殺害を企てて死罪となった事件を題材にした江戸浄瑠璃。
   この舞台では、娘お駒(清十郎)は、夫殺しで、首に数珠を下げて、鈴ヶ森の刑場に引かれて行くのだが、恋人の才三郎(文司)の努力で、罪に追いやった悪人たちの悪事がばれて、ハッピーエンドに終わっている。
   この口絵写真は、黄八丈を着て縄をかけられたお駒の姿であるが、今や、女形を遣わせては、トップクラスの清十郎であるから、実に、貞節な気品のあるお駒を演じていて、しっとりとした情感を残した舞台が印象的であった。
   
   隣の吉右衛門主演の歌舞伎の方には、相当、空席が目立ったが、この文楽の方は、満員御礼の盛況であった。       

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引っ越し荷物の処理の拙さ

2013年12月19日 | 生活随想・趣味
   今回の引っ越しで最も困ったことは、移転先で、必要な物をどこに収納したのか、どこの箱に入れたのか、忘れてしまったり、その箱の集積場所にうず高く積まれてしまって、必要な時に、その必要なものを探し出して使えなかって、大変困ったことである。
   日頃何の気なしに、日常生活を送っていると、所謂、勘と経験と言うか、生活必需品の在処などは、意識しなくても、体が覚えているので、何の不自由もないのだが、生活環境が一気に変わってしまうと、対応そのものさえ鈍ってしまって、普段の機能さえ働かなくなってしまう。
   特に、大切で、これがなければ、たちまち生活に困ってしまう、と言った必需品に限って、大切だからと思って、日頃とは違った配慮をし過ぎて扱うことになるので、益々、その在処や、収納場所を忘れてしまって、大変なことになってしまった。

   例えば、卑近な例だが、パソコンやオーディオについては、引っ越し業者から、回線や接続線を取り外して置けと言われていたので、取り外して他で収容し、解説書や説明書を別なところに詰め込んで置いたり、とにかく、必要な時に、ワンセット、揃わないのである。
   パソコンの場合、迂闊にも、マウスとキーボード、それに、回線、本体、解説書などを、全く、別々に収容してしまって、それを、どの箱に詰めたのかさえ忘れてしまったのであるから、大変である。
   箱に丁寧に内容物を明記すれば良いと言うことであろうが、100何10個もの箱を数日でパッキングしなければならないのであるから、そんな余裕さえなかった。
   たとえ、丁寧に書いていても、そして、箱に番号を打っていても、作業員が短時間に無差別に一か所にうず高く積みあげた箱を、一つずつ確認するなど至難の業であった。

   引っ越し当日に、フレッツ光の工事契約をしていたのが、工事認可の取得が遅れて、5日ほど伸びたのが幸いして、必死になって何十もの箱を開けて、やっと、テレビやオーディオ・セットや電話やパソコン関係の品々をワンセット、どうにか揃えて、乗り越えることが出来た。
   千葉の旧居なら、近くに、複数の家電量販店やガーデニング・センターなどがあるので、いざと言う時には、いくらでも、代替品の調達が可能だが、映画館さえない鎌倉の地であるから、住宅街の近くに、そのような気の利いた店がないので、何をするにも、不便極まりない。

   今でも、重要な書類や必需品のいくらかが出て来なくて困っているのだが、要するに、私自身の整理学の知識の無さと拙さ、それに、異常事態に対する対応能力の欠如、とにかく、引っ越しのイロハさえ、良く分からずに、突っ走ってしまったと言うことで、後悔先に立たずである。
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フレッツ光が、やっと、通じた日

2013年12月18日 | 生活随想・趣味
   鎌倉市民となって、数日後、やっと、フレッツ光が通じた。
   千葉を離れた翌日、鎌倉の新居に、そのままの形で、フレッツ光が移動される筈であったが、急遽、住民の工事許可が取れなくて、遅れてしまったのである。
   聞くところによると、電波障害に反対と言うことではなく、要するに、工事そのものに反対する住民が居て、その許可を取らないと工事が始められないと言うことなのである。

   私など、フレッツ光は、正に、文明の利器だと思っているので、敷設に反対する人は、時代遅れのラッダイトだと思っているので、理解に苦しむが、工事が嫌いだ嫌だと言うのは分からないではない。
   しかし、そんなことを言っておれば、暇で気難しい老人が増える一方であるから、このような理由のはっきりしたい抵抗運動は、どんどん増えてくる筈である。
   公共目的のために、個人の意思なり見解をどこまで容認するかと言う問題だが、私自身は、欧米生活を何年か経験していて、その面から考えると、日本の場合には、かなり、無理なごり押しに近い形の少数意見を押し切れない弱さが顕著で、そのことが、公序良俗の健全な発展を妨げて来ているように感じている。

   さて、フレッツ光だが、漸く、通じて、やっと、電話とインターネットとテレビが繋がるようになった。
   ずっと停電していて、やっと、電気が点いたと言う感覚である。
   引っ越しの荷解きで、寸暇を惜しむ多忙な毎日だったので、世の中の動きにも殆ど無頓着な数日だったが、テレビとインターネットがないと、完全に文明社会から孤立したような感じになる。
   しかし、逆に、今まで、余りにも、テレビやインターネットに没頭し過ぎて、何をしていたのかと言う、変な感覚が頭を過るのも面白い。
   言うならば、インターネットとテレビと電話がなければ、一切文明社会から遮断されてしまったようなものなのだが、それにかまけて、本当の生活をしていなかったのではないかと言う思いである。

   また、明日から、同じような元の生活に戻るのだろうと思うが、すこしは、もう少し人間らしい生活をしたいと思ってはいる。
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移転と言う大仕事の大変さ

2013年12月11日 | 生活随想・趣味
   もう、ここに移転して来てから30年、この千葉の田舎を終の棲家と決めて、時間空間の自由さを満喫して、晴耕雨読で悠々自適の生活を楽しんでいた。
   ところが、青天の霹靂と言うべきか、娘たち家族の近くに住めると言うことで、諸般の事情をも考えもせずに、鎌倉移転を決断してしまった。
   移転日も決めて、引っ越し準備を始めたのだが、これが、大変な事業だと言うことが分かって、奮闘の毎日である。

   海外だけでも10回以上移転しており、これまで、何回引っ越しをしたか分からないが、大半は、会社都合だったので、私自身、移転作業など全くできない程多忙を極めており、手間暇・費用も大半は、会社と家族持ちであり、いつの間にか移転していると言う感じであった。
   しかし、今回は、自分自身で移転するなどと言うのは、もう、30年前のこの千葉への移転以降全くなかったことなので、一から、やらなければならなくなった。
   尤も、私の書籍と、食器やオーナメントなどのパッキングだけは自分たちでやるが、後は、引っ越し業者任せと言うことだが、これ以外に、やらなければならない仕事は山住なのである。
   例えば、あらゆる引き出しやキャビネットなどを引きあけて、何十年も見向きもしなかったものも含めて多くの重要なドキュメントや申請登録書類などの整理や、保管や通知・登録などだけでも、大変な神経作業である。
   まだ、ITディバイドからは遠かったのと、ボケが始まっていなかったのが効を奏して、頭が、まだ、それなりに冴えていたので、大体、上手くやれそうなので、ほっとしているが、もう少し遅れていると、歯目足の衰えも加速して、無理だっただろうと思っている。
   

   まず、移転届なのだが、他市などへ移転してしまえば、その住居の国民健康保険や印鑑証明など、その市で届けている申請が、すべて、パーになり、新しく移転先に転入届をしないと、有効にならない。
   例えば、健康保険だが、移転届を出した時点で切られて、保険証がなくなるので、空白ができる。
   一応、転居日気付で転出届を出して、転入日に転入届を出すのが原則なので、空白期間の健康保険はどうなるのだと聞いたら、後で遡及するので、病院では、医療費全額を払っておけと言う。
   滞納している訳ではないし、国民と名のつく保険であるから、住所が変わろうと、空白期間があっても、齟齬なきように処置するのが役所仕事だろうと言ったら、そうなっておりませんので申し訳ありませんと言う。
   要するに、自衛策としては、新しい転入先の市役所に行ける日を、見極めて、サバを読んで、転出届を出すしか方法がないのだが、バカバカしい話である。


   もう一つ、転出届を出したら転出証明書を貰って、それを持って新しい居住地に行って転出手続きをするようにと、転居マニュアルには書いてあるのだが、住基カードを持っておれば、自動的に通知が行っているので、転入手続には証明書など必要がないというのである。
   eガバメントが進んでいるのかどうかは分からないが、便利ながら、アナログ人間には、何となく証明書を貰う方が、セレモニーが終わったような気がして良いのかも知れない。

   ところで、転居仕事で最大の難儀は、出て来るは、出て来るはの雑多なゴミ処理と粗大ゴミの処分である。
   私の場合には、本の処理が大変で、引っ越し直前になっても、まだ、終わらない。
   今日も、古紙回収業者に来てもらって、5~600冊の本や雑誌を持ち帰って貰った。
   本もそうだが、引き出しや倉庫に詰め込んだ段ボール箱などを開ければ、随分古い資料や写真などが出て来て、いずれも思い出深い品々で、中々、ばさりばさりと切って捨てるわけには行かず、時間が経つばかりで、苦しみ抜いている。
   恐らく、今、懐かしさで一杯であっても、二度と見ないものばかりだと思うのだが、思い出とは、そう言うものかもしれない。
   いずれにしろ、整理が進めば進むほど、気が大きくなって、捨てるものが多くなる。
      

   どちらにしても、引っ越しの日が決まっていて、それまでに、一切見切りをつけて移転しなければならないので、成るようになるのだが、一番困っているのは、引っ越しの直前になって、NTTから、フレッツ光の回線が、約束の日には、繋がらないと言って来ていることである。
   NTTのホームページに、移転住所を打ち込んで検索して、フレッツ光開通地域であることを確認して、今の千葉の契約を移して、NTTの了承のもとに工事予定日も決めて契約し、その移転通知もNTTから来ているにも拘わらず、工事が出来なくて予定日さえ決められないと言うのである。
   問題が、可能地域ではあるが、光フレッツ付設の住民の許可が取れていないからだと言うのである。

   嫌な予感がした。
   では、その近くの住民は、どうしてインターネットをしているのかと聞いたら、ADSLだろうと言う。
   市役所から近い鎌倉の長女宅には、ソフトバンクの携帯は通じないのだが、住民の反対で、中継アンテナが敷設できないからだと言うのである。
   文化都市鎌倉とは一体何なのか。
   電波障害が心配だと言うことだろうが、その前に、知能障害を心配すべきであろう。
   産業革命時代のラッダイト運動を思い出した。

   千葉の田舎でも、もう、何年も前から、フレッツ光で、ICT革命の時代を楽しんでいるのに、鎌倉の住民は、天然記念物なのであろうか。
   いずれにしろ、私にとっては、インターネットも電話もテレビも、すべて、フレッツ光で、十二分に満足しているのだが、新居で使えないとするとパニック状態に陥る。
   当分、このブログも、休まざるを得ないが、それよりも、ADSLに逆戻りだとすると、憂鬱になって来る。

   若ければ別だが、兎角、引っ越しは、難事業なのである。
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中国:隠れた経済制裁として、日本株3兆円超を投げ売り

2013年12月08日 | 政治・経済・社会
   China recordが、米国の中国語ニュースサイト・多維新聞の記事「中国は日本株を投げ売り、日本に“騒ぐな”と警告か」を引用して、”中国が「隠れた経済制裁」を発動、日本株3兆円超を投げ売りか”と言う記事を電子版に掲載した。
   ちばぎん証券がOD05オムニバスなど中国政府系とみられるファンドが大株主となっている上場企業を集計したところ、3月末時点の株価保有額は時価で4兆42247億円。それが9月末には6074億円にまで減少した。と言うのである。

   東シナ海防空識別圏問題などで騒ぎ立てる日本への警告だとして、レアアースの禁輸など公開の経済制裁はWTOルールに違反し、米国など第三国に批判の口実を与えることになるので、隠れた経済制裁の手段の一つとして株式売却が使われたと言うことであり、今後、対立が深まれば中国の制裁はさらに強化され、アベノミクスでやや持ち直したかに見える日本経済は一気に不振に陥るだろう。と予測している。

   私は、これまでに、日本政府の異常な債務超過問題で、膨大な日本国債が、狼狽売りなど何らかなの形で、売り浴びせられた時に、国債が暴落して、日本経済が窮地に陥るのではないかと心配して、何度か、その危険について書いて来た。
   今回の中国の意図的な日本株売りが、実際に起こっていたのだとすると、日本への警告なり制裁として、日本国債の投げ売りもあり得ると言うことを示唆しているのではないかと危惧している。
   中国の保有するアメリカ国債のボリュームは極めて膨大であり、この財務省証券を意図的な対米戦略として活用して投げ売りすれば、ドルの暴落と同時に世界経済が一気に悪化して、中国保有の膨大な債権が暴落するなど、極めて過酷な返り血を浴びることになるので、起こり得ない可能性が非常に高い。
   しかし、日本の国債の投げ売りだと、保有量も少なく、現状の経済関係を見ても影響力が少ないので、対米と違って、対日経済制裁としては、かなり、有効であろうと考えられる。

 
   以前に紹介したが、クルーグマンなどは、国内通貨円で国債を発行しているので、日本のデフォールトは有り得ないと言っており、多くの経済学者たちも、国債の大半、90%以上が日本人の保有であるから、心配はないとか、あるいは、増税余地が日本には十分にあるので回収可能であるとか、色々、言われており、日本円が、今でも、最も信頼できる国際通貨である事には間違いないのだが、何らかの異常事態が発生して、大量に国債が売り浴びせられると、一気に国債が暴落して、日本経済が一時的であろうとも、大変なピンチに遭遇して、一気に、日本経済が悪化するのではないかと思われる。

   中国のソブリン・ウエルス・ファンド(Sovereign Wealth Fund)あたりが、政府の意向を戴して保有する外国の国債や株式の売り買いを操作するのは、当然考えられることであり、日本国債への意図的な攻撃は、中国としての最高のターゲットではないであろうか。

   同じくRecord chinaによると、”中国の日本国債保有額、2012年は20.5兆円=3年連続で世界最大”と言うことで、中国は、10年に保有額で米国と英国を抜き、日本にとって最大の海外の債権者となった。と報じている。
   何兆円売れば、国債の価格に影響するのかは分からないが、少なくとも、20兆円と言うのは、かなりのボリュームではある。

   ソ連の崩壊後、フラット化したグローバル経済が、一気に資本主義経済に統合されたかの様相を呈したのだが、イアン・ブレマーは、”自由市場の終焉(The End of the Free market)”で、国家資本主義(State Capitalism)の台頭を論じ、その危険性を喚起している。
   中国、ロシア、サウジアラビアやアラブ首長国連邦などのアラブ君主国等が、国営企業、政府系ファンド(SWF)を活用して、国益と支配層の利益増進のために、政治経済面の影響力拡大を狙って市場を支配しようとしていると言うのである。
   資源ナショナリズムなどは、その最たるものであろうが、現実には、投資による経済的な利益よりも、国家戦略として支配体制を維持すべく、市場メカニズムを無視して行動を起こすので、これこそ、資本主義、民主主義の本源的なメカニズムである自由市場システムを、終焉に導く危険性を秘めていると言う指摘であろう。

   私は、中国は、中所得国の罠に陥るか、あるいは、特に、政治経済社会的なシステムの破綻によって、一本調子の経済大国への道が挫折して、覇権国への前途は、非常に危ういとは思っているが、危機回避のためには、手段を選ばないようキライがありそうなので、中国の日本国債の投げ売りには注意すべきだと思っている。

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シーズンズ・グリーティング・カードさえない百貨店

2013年12月07日 | 生活随想・趣味
   先日、イギリスの友人にシーズンズ・グリーティング・カードを探そうと思って、銀座の百貨店に行ったのだが、シーズンズ・グリーティング・カードなど、一枚もなく、けばけばしい派手な、クリスマス・ツリーや、サンタクロースや、トナカイの橇などをあしらった定番のクリスマス・カードばかりが並べられていた。
   尤も、三越も松屋も、ギフト・コーナーの一角に、申し訳程度に、クリスマス・カードや他の結婚や出産などのお祝いカードの売り場があるだけで、全く、仕方なく売り場が付設されていると言う感じである。

   年末売出しの所為か、こんなに客が行きそうにないコーナーにも案内の店員が立って応対しているのだが、シーズンズ・グリーティング・カードのことを聞いても、全く知らなくて、意味不明の返答が帰って来る。
   外人は、すべて、クリスチャンで、メリー・クリスマスと言ってクリスマス・カードを交換するものだと錯覚しているのであろう。
   ユダヤ人の友人に、この派手で品のないクリスマス・カードを出すのか、と聞いたら、皆さん、お喜びになって買って行かれます、と、頓珍漢な答えが返ってきた。

   欧米では、殆ど同じような白人の表情をしていても、色々な民族や宗教の人がいて、普段では、中々、その友人の宗教がキリスト教なのかどうかなどは確認できないので、クリスマス・カードではなくて、Season's Greetings Cardを出すのが、一番無難なのである。
   普通の文面は、Season's Greetings and best wishes for a Happy New Year.と言ったところだろうと思う。
   私は、このようなカードを、友人に送っているのだが、イギリスやオランダの友人からも、やはり、クリスマス・カードではなくて、シーズンズ・グリーティングが送られて来ている。

   本当は、カード専門店などへ行けば、真面なグリーティング・カードが売っているのであろうが、私は知らないので、今年も、能楽堂や歌舞伎座などで売っている、何にも書いてなくて、どんなお祝い事でも普段の通信にも使えるカードを買って、出すことにした。
   この方が、日本の古典芸能の世界を垣間見せていて、喜ばれるであろうし、はるかに、品があって気が利いていると思っている。

   案外、百貨店は、何でも揃っていて何でも売っているところである筈だが、多品種少量販売なので、欲しいものは、何にも買えない可能性があり、
   商品に対する専門知識なり教養度が、それ程、高くない、と言うことであり、
   このままでは、ネットショッピングどころか、実店舗展開においても、どんどん、劣化して行き、駆逐されて行くのではないかと言う感じがしている。
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十二月大歌舞伎・・・仮名手本忠臣蔵5,6,7段目

2013年12月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月の顔見世興行と同じ演目通し狂言「仮名手本忠臣蔵」を、役者を代えて公演すると言う興味深い趣向で、今月の歌舞伎座も、中々面白い。
   大星由良之助の幸四郎や、おかるの玉三郎など、一部の超ベテラン大物役者を除けば、勘平の染五郎以下、若手の人気花形役者が、非常にエネルギッシュな意欲的な舞台を見せているのが、新鮮で非常に良い。

   今回見たのは、後半の山崎街道鉄砲渡しの場から、勘平切腹、祇園一力茶屋、そして、最後の討ち入りだが、同じ演目で殆ど同じ演出ながらも、先月の公演とは、雰囲気なり印象が大分違って感じられたのが興味深かった。
   特に、染五郎の勘平だが、先月の菊五郎同様に、三代目菊五郎が編み出した東京式を踏襲しているけれど、細部においては、菊五郎とは、かなり演出が違っている。

   財布の露見で、義父余市兵衛を殺して50両を盗んだのは自分ではないかと感じてからの勘平の表情だが、菊五郎の場合には、舞台中央に端坐して、やや、顔を左手下方に傾けて必死に苦痛を噛みしめ続けているいるのだが、染五郎は、シチュエーションに応じて体を左右に振りながら、殆ど、床に突っ伏して苦痛に耐え忍んでいる。
   悔恨と慙愧綯い交ぜの慟哭の表情だが、どちらが、男としての勘平の姿かは、判断の難しいところだが、そんな勘平の表情を訝しがりながらも、母おかやが責めるのは、いくら以前武士だと言っても、舅の死目を見たらびっくりする筈だが動揺さえしないと言う指摘で、これが興味深いところである。

   後半の大詰めで、母は、その挙動と血の付いた財布を見て、勘平が夫を殺したと思い込み、勘平も、夜の闇の中で誰だか分からない死体から奪い取ったのだが、一文字屋お才が与市兵衛に与えたと言う同じ財布なので、義父与市兵衛を殺したものと思い込み気も動転してしまっているので、正気の沙汰ではなく、一気に、舞台は悲劇へと突き進む。
   誤解が誤解を招いた悲劇で、勿論、この血は、勘平の鉄砲で撃ち抜かれた斧定九郎の血だが、この芝居では、与市兵衛の死が、鉄砲傷ではなく、定九郎の刀傷なので、勘平が与市兵衛殺しの犯人ではないと分かるのだが、今なら、DNA鑑定ではっきりとする。

   もう一つ違ったのは、今回、染五郎の勘平は、二人に手助けされて、与市兵衛の死骸ににじり寄って、刀傷を確認しているなど、静的な切り詰めた表現で悲劇と心の慟哭をギリギリまで語り続けた菊五郎と違って、かなり、基本的な手順を踏みながら丁寧に芝居をしていたような感じがしている。
   

   さて、先月のレビューで、私自身、この財布に拘って、浄瑠璃本でのこの財布の扱いを、歌舞伎では非常に疎かにしていると書いた。
   浄瑠璃本では、母おかやが、この財布と二っつつみの金子を二人に差し出して、勘平の魂の入ったこの財布を婿殿じゃと思うて敵討ちのお供に連れて行ってくれと頼むと、郷右衛門もなるほど尤もだと言って受け取って帰る。
   そして、この財布について、由良之助が、泉岳寺での墓前の焼香の時に、”片時忘れず肌身離さず、今宵夜討ちも財布と同道”と語って、財布を香炉の上に着せ、「二番の焼香 早野勘平重氏」と、高らかに呼ばわり、声も涙にふるはせれば、列座の人も残念の、胸も、張り裂くばかりなり、となった重要な財布なのである。
   ところが、今回の千崎弥五郎の高麗蔵も、前回の又五郎同様に、50両の包みだけ懐にしまいこんで、この財布を突っ返している。

   この5段目と6段目の一連の山崎を舞台にした勘平とおかるを主人公にした場であるが、母おかやの吉弥、お才の萬次郎、不破数右衛門の彌十郎や千崎の高麗蔵などのベテランの脇役陣が、達者な演技を披露して舞台を支えていて素晴らしいのだが、染五郎の勘平と七之助のおかるが、実に新鮮で、若さゆえの、何とも言えない雰囲気のある味と艶を醸し出していて、私にとっては、非常に感動的であった。

   一力茶屋の場は、由良之助は、幸四郎の独壇場とも言うべき舞台で、何度も観ているのだが、その都度、新鮮な驚きを感じながら舞台を観ている。
   今回、この場を観たかったのは、やはり、おかるの玉三郎で、これで二度目だと思うのだが、桁外れの立女形だと言うことが、痛い程良く分かる、実に雰囲気のある女そのものを演じていて素晴らしい。
   幸四郎の由良之助に対する姿勢と、海老蔵の寺岡平右衛門に対する対応など、微妙に差があって面白いのだが、あの水も滴ると言うか実に可愛くて愛らしい、そして、元侍女の奥床しさと遊女としての色気を醸し出した女の魅力満載の女の雰囲気はどこから出て来るのか、簑助の遣うおかるの人形振りとも相通じる素晴らしいおかる像を楽しませて貰った。

   
   本来、何となく雰囲気の違った、多少、舞台の展開から浮いたような感じのする主役でもある足軽の平右衛門だが、玉三郎のリード宜しきを得て、海老蔵が、自由奔放と言わないまでも、実に大らかに舞台で応えていて、全く異質感違和感なく、芝居が展開していて、そのスムーズさが、私には、新鮮な驚きであった。
   高野聖と天守物語で、玉三郎と海老蔵との共演の舞台を観ているのだが、二人の相性が非常に良いのであろう、夫々、素晴らしい舞台であった。
   玉三郎と、仁左衛門や勘三郎などとの舞台にも、独特の素晴らしさがあるのだが、海老蔵との共演の方が、舞台や芸域の広がりなり深化が進むような気がして興味深かった。

   ところで、前回、最後の11段目の大詰めで、薬師寺次郎と鷺坂伴内が出て来て、由良之助などに切り込んで殺されると言う蛇足とも言うべきストーリーが、浄瑠璃原本にあって面白いと書いたが、
   この茶屋場でも、浄瑠璃本の大詰めでは、舞台冒頭に、由良之助の醜態を意見しに一力へやって来ていた家来の矢間、千崎、竹森の3人が、寺岡おかる兄妹の顛末を聞きつけて出て来て、由良之助に謝ると言うシーンが出て来るのだが、流石に白々しい蛇足なので、歌舞伎では外されて、万々歳とも言うべき見得で終わっているのだが、人形劇なら、面白いのであろうと思って見ていた。
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捨てられなかったブリタニカ

2013年12月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   倉庫にしまってしまった本は、何かの機会がなければ、殆ど、見ることも読むこともない。
   古書回収業者を呼んでいたので、午前中は、最後の蔵書のチェックをして、残す本と残さない本との整理に忙殺されていた。
   一冊一冊丁寧に中身を確認する時間もなかったので、一瞬の表紙チェックで、その本の命が決まるのだが、いずれにしても、千冊はるかに越す本を、新居に持って行くわけだから、たとえ、段ボールに詰めて持って行ったとしても、殆ど、触れることはないであろう。

   倉庫にあった古い三つの段ボール箱から、ブリタニカの日本版が出て来た。
   この口絵写真は、その一つの箱なのだが、本のページには、ところどころ付箋がついている。
   持っていたことは、当然分かっているのだが、随分長い間、その存在さえ殆ど忘れてしまっていて、余りにも、粗末に扱っていたことを、激しく悔いた。
   ウィキペディアが、便利になったとは言っても、各項目における記述の詳細さは、ブリタニカの方があるかに上で、問題は、化石のように、出版された時点の知識情報にフリーズされてしまっていることである。

   この日本語版ブリタニカも、40年前の出版なので、何の気なしに、廃却するつもりでいたのだが、何となく開いてページを繰り始めたのだが、この膨大な知識情報量に感じ入って、これこそ、人間の偉大さの確固たる証であって、こんなものを処分しようなどと考える愚かさに気づいて愕然とした。
   何千人、あるいは、何万人の人々が関わって創り上げた、最高峰の学者たちの知の結晶とも言うべき貴重な人類の記録であり、例え、その時点で昇華した知の集積であったとしても、かけがえのない人類の遺産であって、良くも、あの時点で、日本人が、日本語に翻訳して日本版ブリタニカを創り上げたものだと感嘆せざるを得ない。

   本編だけでも、20巻。三段組みで、1巻900ページ以上と言う膨大な情報量で、項目によっては、優に、単行本を上回る記述である。
   先に記したように、時の流れや時代とともに移り変わって行く学問や分野では、陳腐化しているかも知れないが、私が残した本の大半の分野では、今尚、貴重な価値を持っている筈で、その当時、どのように考えられていたのかと知るだけでも、ワクワクする。
   新居に移ってから、威儀を正して、紐解こうと決心している。
   
   
   
   ところで、英語版と言うか、原典のブリタニカとアメリカーナは、リビングの本棚に常備してあったので、時折、必要やパースタイムに応じて参照していた。
   日本語版は、日本に置いたままにしていたが、原典のブリタニカとアメリカーナは、赴任の時に、ヨーロッパへ持って行ったので、娘たちの勉強のためには、結構、役に立ったし、私も、資料作成など仕事の上で、重宝したこともあった。
   今なら、インターネットの時代であるから、グーグルの検索を叩けば、無尽蔵に、知識情報が溢れ出て来るが、当時は、紙媒体の活字文化の時代であって、まず、手っ取り早いのは、ブリタニカなどで、基本的な基礎知識で理論武装しておくのも、一考だったのである。
   
   


   最近では、ITC革命によって、、どんどん、新しい知識情報を取り入れて、内容を即座にアップツーデートし、収録項目も増加の一途を辿るなど、ウイキペディアなどのネット事典の方が脚光を浴びて、紙媒体の事典や辞書が、駆逐されつつある。

   さて、実際のブリタニカだが、日本版の出版や、書籍版廃刊の事情などについて、次のように記している。
   ”1972年、最初の外国語版の刊行が日本で始まったことは、Encyclopædia Britannica の一つの転機となりました。日本版の刊行にあたって日米両国の編集関係者でもたれた話し合いは、従来のアングロ・サクソンの視点に基づいた編集を、日本版だけでなく、Encyclopædia Britannica においても是正することとなりました。今日、ブリタニカの出版物はグローバルな視野のもとで編集が行なわれ、さまざまな言語で提供されています。
   1990年代になって Encyclopædia Britannica もデジタル化され、CD-ROM 版の発売と前後して1994年、インターネット版百科事典 Britannica Online のサービスが始まりました。
   ※ブリタニカ・オンライン・ジャパンでは、標準仕様で Britannica Online の Academic Edition を提供しています。
   ※書籍版のEncyclopædia Britannica の 刊行は、2010年版をもって終了いたしました。”

   
   ブリタニカ百科事典( Encyclopædia Britannica)は、大英帝国のエディンバラで、1768年 - 1771年の初版本が発行されたが、1901年以降はアメリカ合衆国で発行されており、2010年版に至るまで、242年の間に15版発行され、書籍版の発行は2012年に停止されているから、私の持っているこの大判60巻弱のブリタニカは、貴重な人類の一里塚なのである。
   このブリタニカには、ロールスロイスと同様に、スコットランドの誇りであるから、国花のアザミのマークが燦然と輝いている。
   友人であったサー・フィリップ・ダウソンが、自分の出たオックスフォードとケンブリッジを差し置いて、英国では、エジンバラ大学が最高峰だと言っていたが、スコットランドは凄い国だから、UKから独立しようと試み続けているのかも知れない。
   
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蔵書を処理しようと思って

2013年12月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日来、移転に伴うビデオやDVD,本の処理について書いているが、その後、倉庫から、また、イギリス時代や90年代のビデオが500本程出て来て、燃えるごみ出し(プラスチックかなあ、と思うのだが、市の指示に従っている)日に、出している。
   イギリス時代には、テレビの映像システムが違うので、ビデオデッキ付きのテレビを持ち帰ったのだが、それを廃却した時に、殆どのビデオを捨てたのだが、まだ、その時イギリスで求めた沢山のビデオが残っていたり、帰って来てから90年代末以降のオペラやクラシックの録画が残っていたのである。

   さて、今は、本の山を取り崩しているのだが、中々、埒が明かない。
   先日、知人に書棚ごと500冊ほど引き取って貰い、娘婿にも100冊ばかり持ち帰ってもらい、移転先に持って行くために、箱詰めにして30箱ほど1200冊くらいは梱包したのだが、後、同じほど残っている本をどうするか、選択に困っている。

   とりあえず、明日、古紙回収業者に来て貰うことにしているので、残す本を撥ねればどのくらい出せるか、4~50束はあると思うのだが、思い切って処理しようと思っている。
   文化財である筈の本を、それも、その都度その都度吟味を重ねて買い求めた本を、廃却処分にするのは忍びないが、ベストセラーなど売れそうな本以外は、どんなに貴重な本でも1冊10円で買い取り、書き込みや傷があるかどうかだけをチェックして、相当数の本を撥ね退けられる屈辱を味わいたくないので、本の文化を何と思っているのかを正す意味でも、ブックオフには持ち込まないつもりでいる。

   ところで、まだ、後期高齢者には間があるとしても、人生黄昏に近づき、シンプル・ライフに徹しなければならないと思うと、案外、あんなに大切であった蔵書にも、かなり、執着がなくなり、思い切って処分できるものなのである。
   現役の娘婿などは、最新の経営学や経済学の本なども持ち帰ってくれたが、知人は、一切、その関係の本はいらないと言っていたし、とにかく、専門書など、この方面の本は、必要な時点にしか需要がない。
   先日も書いたが、今を時めく日本の経済学者や経営学者や評論家などの書いた本の大半は、2年も経てば、役に立たなくなるので(少なくとも、私にはそうである)、大前研一の一部の本以外は、すべて廃却処分にしている。

   学者ではないので、分からないが、結局、残す本は、私のライフワークのテーマである経営戦略論やイノベーション関係の本など特定の分野は別として、ケインズの一般理論やシュンペーターの本、ドラッカーやポーター、クリステンセンなど経営学のグレートネームなど限られており、その後、アップツーデートに新刊本を買うと言うことになる。
   必要に駆られて、必死になって、経済や経営書に挑戦し続けてきたが、人類にとって、あるいは、人間にとって、何が本質であって、何が本源的かと言った根本的な問題を、この方面の視点から考えて見たいと思い始めている。

   今、私の鑑賞対象である音楽・演劇・古典芸能関係は、取りあえず、殆ど持って行くことにしている。
   アメリカやイギリスで買ったオペラやクラシック、シェイクスピアや戯曲関係の本も持って行こうと思う。
   ボリュームとしては最大なのだが、洋書の美術や外国の観光・風景などの写真集など雑多な豪華本は、嵩が高いので、思い出深いところのものを除いて、廃却するつもりでいる。

   一冊一冊表紙を眺めながら、思い出を反芻しつつ、私が残そうと思った本は、結局、専門書や実用書や教材などではなくて、歴史や文化文明論、哲学思想、文学関係など、人生の本質に関わる本が大半になってしまった。
   晴耕雨読の生活に入ると、たとえ、読書にしても、専門書などは一切関係のない、もう少し、生きるとは何か、人生の深淵に対峙した本と向き合いたいと言うことであろうか。
   塩野七生も随分読んだが、むしろ、今は、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』やトゥキディデスを、もう一度、一から読み直そうと言う気持ちなのである。
   トインビーの「歴史の研究」を座右において、ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊――滅亡と存続の命運を分けるもの』や『文明の源流と人類の未来』と、じっくりと、対峙したいと言うことである。

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