熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

世界への旅立ち・・・ブラジル、ラテンの世界

2005年08月31日 | 海外生活と旅
   アメリカの留学の帰りには、ロスとシスコ、ホノルルの事務所に立ち寄って海外事業の教示を受けた。
   船便が着いたと思ったら、サンパウロに事務所を開設するので赴任せよとの命令を受けた。日本に居たのは、たった、3ヶ月で、ポルトガル語も分からないのに、新天地に向かった。
   ブラジル・ブームの頃で、日本企業は、大挙して太平洋を渡って行った。

   アメリカやヨーロッパの先進国を経験した日本人は、何故かあまり良い印象を持っていなかったが、初めてブラジルに赴任した人々には、別天地の様に生活をエンジョイしていた。
   物価は安いし、豊かな生活が出来るし、日本の移民の人々が沢山居て不便は無かったので、仕事の苦労以外は、生活は楽しかったのかも知れない。
   私は、ラテン的なアミーゴ社会に多少違和感があったが、少しづつ慣れていった。ビジネス・スクールで、異文化の中での事業活動が如何に難しいかを教えられていたので、全く頭を切り替えて仕事にあたった。

   アミーゴ社会のラテン気質は、華僑やユダヤの様な閉鎖された社会に近く、極端に言えば、法律や契約は朝令暮改、一切気にしない社会で、アミーゴ、即ち、自分達の仲間だけにしか信義則は通用しないのである。
   実際、法律はしょっちゅう変えられるし、大型機械や設備の契約書の納期を守られた事などなかった。政府の規則が変わったとか、鉄が納入されなかったとか、とにかく、すった転んだと言われて門外漢は相手にされないのである。

   驚異的なのは、インフレ。
   ブラジルでも、インフレが激しいときには、スーパーの値札が何度も上に貼られて厚くなっていたことがあるし、1万クルゼイロ札に新10クルゼイロのハンコを押したデノミ札が流通していた。
   アルゼンチンでは、100万ペソ札が使われていたし、1万や千ペソ札などは、色が完全に付いていない半刷り札が流通していた。
   タクシーに、何万ペソも払い、一寸したバーでも数百万ペソも散財(?)することになる。

   ところで、興味はなかったが、一回だけサッカーを見学に競技場に行った事がある。
   試合に熱中すると、客席で焚き火はするは、コーラのビンは投げるは、危なくて次から行かなくなった。
   一度、万年最下位だったサンパウロのチーム・コリンチャンズが、昔の阪神のように奇跡的に優勝した。サンパウロは、その日は、昼も夜も熱狂した群集で街中は革命騒ぎのように沸きに沸いた。
   
   ワールド・カップがアルゼンチンで行われ、ブエノスアイレスで、ブラジルとアルゼンチンが優勝を争った。
   バス会社の社長が、男気を出して、只だったか極めて安かったのか忘れたが、大散財してバスを仕立ててファンをブエノスアイレスに大挙して送り込んだ。
   試合当日は、官公庁も開店休業、交通機関はストップ、街の商店は殆どシャッターを下ろし事務所は閉鎖、街路には、犬猫しか歩いていない。
   喧騒を極める巨大な大都市サンパウロが、廃墟の様に不気味なほどシーンと静まりかえった。
   1点入った瞬間、何千本もある高層アパートから、大変な紙ふぶきと天を突くような歓声が巻き起こった。
   私は仕方なく家に帰って(尤も、事務所から歩いて5分)テレビを見ていたが、残念ながらブラジルは負けてしまった。
   
   ブラジル人は、良く遊び生活を最大限にエンジョイするが、若者は良く勉強するし、それに良く働く。
   何が悪くて先進国の仲間入りが出来ないのか、やはり、政治に求心力がなく、国民のパワーを国つくりの為に結集できない為かもしれない、と思っている。

   写真は、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイの国境にある巨大なイグアスの滝であるが、ナイアガラのように2箇所だけで巨大な滝が落ちているのではなくて、何キロにも亘る壮大な特異な滝である。
   尤も、中心の「悪魔の喉笛」は、大変な水量で凄い迫力があるが、周りのジャングルには、美しい極彩色の蝶や鳥が飛んでいて、高木にはランの花が咲いている。
   私は、隣のパラグアイの首都アスンションには、このイグアス経由で良く出かけたので、この滝を何度も訪れている。
   パイロットは、このイグアスの滝の上空で、サービスの為に、ジエット機を滝に近づいて右左旋回しながら客に見せてくれていた。軽飛行機ではない、巨大なボーイング727を、である。
   一度、この巨大なイグアスの滝が干上がりかけて、悪魔の喉笛にも殆ど水がなくなったことがあった。地獄の喉笛に変わってしまっていたのである。
   このイグアスの近くに、キリスト王国を作ろうとした映画「ミッション」の舞台の教会跡がある。
   そして、ナチスの残党が捕まったドイツ移民の村がある。

   ブラジルは、日本の23倍の大きさ。アマゾンをはじめ、色々な所を見て来たが、結局、4年間、サンパウロで生活した。
   その間、南アメリカ全域担当であったので、ウルグアイを除いて総ての国を回った。出張の旅、個人の私的な旅、色々な事に遭遇した異文化との出会いであったが、懐かしい思い出である。
   書けば切りの無いほど、豊かな、そして、地球の素晴らしさを実感した4年間であった。
   
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世界への旅立ち・・・アメリカでの新天地

2005年08月30日 | 海外生活と旅
   何回か東京と大阪を飛んだくらいで飛行機など殆ど縁のなかった私が、30年ほど前の夏に、フィラデルフィアで学ぶ為に、初めて、JAL便でサンフランシスコに向かった。
   まだ、JAL機の中は日本だったが、先輩のいるシカゴまでは、全く日本人のいないユナイテッド便であった。
   シカゴについて初めて異国での夜を迎えたが、夏時間を採用していて夜の10時になっても明るかったし、周りの雰囲気も全く違っていて、やっと異国に来てしまったんだと言う気になった。
   フィラデルフィア空港では、アメリカ人のホストファミリー夫妻が出迎えてくれた。
   西も東も分からないし、生活感覚の無さは勿論だし、英語も怪しい、私の長い海外生活の始まりである。

   大学に入ったときに、覚えた歌の中に、次のような歌があった。

   「向こう通るは女学生、
   三人揃ったその中で、
   一番ビューティが気に入った。
   マイネフラウにするならば、俺もこれから勉強して、
   ロンドン、パリを股にかけ、
   フィラデルフィアの大学を優等で卒業した時にゃ、
   彼女は他人の妻だった。・・・」

   なんてアホナ歌を歌うのかと思って歌っていたが、後年、優等ではなかったが、実際に、フィラデルフィアの大学院を卒業して、ロンドンとパリを股にかけて仕事をすることになったのである。

   2年弱のアメリカ生活であったが、ワシントンからボストンくらいの間の旅は別として、3回大きな旅をした。
   最初は、大学の同好会が主催したフロリダへのバス旅行で、雪の舞うフィラデルフィアを離れて、南部諸州を通り抜けて、常夏のフロリダのマイアミで新年を迎えたのである。
   途中、ワニの蠢くジャングルの国立公園やオルランドのディズニーワールドで遊んだりしたが、マイアミで、延々と続く映画のセットのような豪華な別荘を船の中から眺めながら、アメリカの途轍もない富に圧倒されてしまった。

   次の旅は、翌年の夏休みに、大学院の友人と二人で、中西部のセントルイスまで飛行機で飛び、そこからロッキーを越えてグランドキャニオン経てラスヴェガスにレンターカーで向かった。
   私は運転が出来なかったのでナビゲーターであった。都会ではホテルに泊まったが、道中の田舎ではモーテルに泊まった。
   この友人・運転手は、今、東京のトップクラスのホテルの社長をしている。
   先住民インディオの居住跡が残っているメサ・ヴェルデ国立公園や西部劇で良く出てくるハット型の岩のあるモニュメント・バレーにも立ちよった。
   アメリカ・インディアンの子孫が、貧しい荒野に裸馬に乗って移動しているのを見て、映画と少しも変わっていないのにショックを受けた。
   アメリカのフロンティア・スピリトに疑問を感じたのはこの時であった。
   壮大なグランドキャニオンの刻々と走馬灯のように色が変わってゆく夕暮れの美しさに感動しながら長い間見入っていた、そして、灼熱地獄に蜃気楼の不夜城のように輝くラスベガスの壮大さに、度肝を抜かれる思いであった。
   友は、友人の待つロスに向かったが、私は1人でイエローストーン国立公園に行って、そこで雄大な自然の中で数日を過ごした。

   最後の旅は、2年目の夏に合流した家族を連れてのヨーロッパ旅であった。
   ヨーロッパからの留学生が多いので、彼らが里帰りの為にパリ往復のパンナム機をチャーターしたので、それに便乗したのである。
   貧しい学生生活であったが、冬のボーナスを叩けば、旅が出来た。
   ヨーロッパ内は、3週間のユーレイルパスを買って列車で移動した。
   パリからアルプスを越えてイタリアに入った。ナポリまで行ってユーターンしてウイーンに入り、スイスのジュネーブを経てパリに帰った長い旅であった。
   フィラデルフィアについて、大学の家族寮に帰った時に、本当に家に帰ってホッとした気持ちになった。フィラデルフィアが故郷になっていたのである。

   その後、何度も仕事でアメリカを訪問することになるが、この学生としての2年間は私にとって極めて重要な経験であった。
   私は、良く批判もするが、正直な所、私を世界に目覚めさせてくれたアメリカには、特別な感慨を持っており、一宿一飯の恩義以上のものを感じている。
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人生そのものが旅・・・寅さんの世界のように

2005年08月29日 | 海外生活と旅
   寅さんは、雲のように自由に空を飛んで行きたいと言った。風の吹くままに旅をする、寒くなって来たので、南の方へ行こうか、と言う。
   
   本土から遠く離れた孤島の神社の小さな境内で、バイをしている。
   白雪を頂いた山々を遠望しながら奥深い田舎道を歩く寅、道祖神の微笑が草の陰から覗く。
   寒風吹きすさむ連絡線の中、襟を立てて人影のない艀を見送る寅。
   
   懐かしい日本の情景が、走馬灯の様に展開される寅さんの舞台は、庶民の世界。全員中流と言われて浮かれていた風潮に棹差して、執拗に柴又の世界を描き続けた。
   豪華なホテルでの会食等の庶民離れした場面も、寅がぶっ壊して笑い飛ばすカリカチュアの世界。

   私は、寅さんを見ると、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を思い出す。絵が変わるごとに音楽が変わって行く。
   まさに、旅は新しい別な世界へ連れて行ってくれて、別な世界を見せてくれる。必ずしも見たいものばかりではないが、新しいものに遭遇させてくれる。
   時よ永遠にこのまま止まってくれ、と叫びたくなる幸せな瞬間に巡り合うこともある。
   尤も、動かなくても自分を取り巻く小宇宙は、絶えず変転する。人生そのものが旅である。

   私達が学生の頃は、安く旅が出来た。
   国鉄の周遊券が学割で安く、それに、若者達の為の安宿・ユースホステルが花盛りで、ここでは全国の若者達と会うことが出来て、夜のキャンプファイアやパーティが楽しみであった。
   学生達は、みんな等しく貧しかったが、休みに入るとせっせとアルバイトに励んでお金を貯めて旅に出た。

   私の始めての旅は、友人と二人の北海道旅行。
   大阪駅に長い間並んで、夜行の急行「日本海」に乗って、北陸、奥羽を経て青函連絡船に乗り換えて北海道に渡った。
   あれから、もう何十年、世界のあっちこっちで汽車や電車に乗ったが、あんなに長い間同じ乗り物に乗っていたのは、ブラジル往復の飛行機だけであった。
   旅の素晴らしさに味をしめて、その後、九州周遊を皮切りに少しずつ日本のあっちこっちを歩き始めた。
   私の青春の相当部分は、京都や奈良の歴史散歩の思い出だが、日本を故郷、自分のアイデンティティの元であることを強く意識したのは、この時代であった。
長い海外生活では、この日本への思いが私の心の支えでもあった。
   まだ、あの懐かしい初期の寅さんの世界が日本全国に残っていた頃である。

   大学卒業と同時に会社生活に入った。大阪と東京勤務が続いたので、旅から遠ざかったが、8年してからアメリカへの留学でフィラデルフィアに出てから、今度は世界旅が始まった。

   日本各地への旅は、長い海外生活を終えて日本に帰ってから、幸いなことにまた始まった。
   仕事で、定期的に、全国に散らばっている事務所を回ることになった。
   稚内から樺太を遠望したり、知床でちらりと蝦夷しかを見たり、沖縄の米軍基地の爆撃機を覗き見たり、出張の合間の休日や余り時間の寸暇を惜しんで日本を歩いた。

   私の見たのは、荒廃してゆく地方の現状と、逆に残っている地方の民度と文化の高さと豊かさであった。
   駅前のシャッターどおりの酷さは目を覆うばかりで、人口が毎年一万人単位で減っていく町があると言う。

   私は、意識して古寺や神社、そして歴史遺産を回り、落着いた地方の料理店で地方の料理を頂くことにしていたので、その雰囲気と水準は非常に高くて、東京などから消えているかもしれない文化が色濃く継承されている。
   廊下の片隅に置かれた茶花の風情、豊かな地方の街は、小京都とは言うが小東京とは言わない、地方には寂れた地方銀座が残っているだけである。
   ヨーロッパ生活で覚えたワインと地方料理のマッチングを応用して、地方に行くと、地方料理を地酒で味わうことにしている。
   何百年もその地方で培われた食文化は、その地酒で益々豊かにされていることに気付いたからである。
   400年の幕藩体制のお陰で豊かな地方文化が日本全国に存在している。

   ところで、日本の貴重な地方発の文化遺伝子が消え去ろうとしている。
   地方叩き潰しの政策で、地方が瀕死の状態に直面している。
   無駄な公共投資と言って地方への財政サポートが目の敵にされているが、豊かになってしまった日本では、最早、自由な市場原理では地方の文化と生活は守れなくなっているのである。
   東京集中に回帰しつつある日本の現状が寂しい。

   海外の旅については、項をあらためたい。

   
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男はつらいよ・寅さんの世界・・・旅は楽しいのであろうか

2005年08月28日 | 生活随想・趣味
   私が、寅さんの世界に引き込まれたのは、もう随分昔、20年近く以前、アムステルダムに住んでいた頃である。
   最初にこの映画を見たのは、日本行き帰りのJALの機内か、アムステルダムのホテル・オークラの試写会か、記憶は定かではないが、確か、38作目の「知床旅情」、竹下景子がマドンナで、三船敏郎と淡路恵子の恋を描いた、あの壮大な知床の大地に展開されるドラマであった。

   その後、娘が友人から「男はつらいよ」のビデオを3本借りてきたので、8ミリにダビングして何回も見ていた。
   15年以上も前の、松村達雄がおいちゃんをやっていた頃の映画で、吉永小百合の「柴又旅情」、八千草薫の「寅次郎夢枕」、浅丘ルリ子の「寅次郎忘れな草」であったような気がする。
   記憶が定かでないのは、全48作を何度も見ているので記憶が錯綜してしまって忘れてしまっているからである。

   それからは、日本に出張などで帰る度毎に、何本かづつビデオを借りて「寅さん」をダビングして持って帰って来た。
   レンタル・ビデオにガードがかかってダビングできなくなってからは、続けて出ていた新作は勿論、レーザーディスクを買って持ち帰った。
   最後の2作は日本で見たが、ロンドンに居た5年間で、「男はつらいよ」を殆ど全巻見た事になる。ベータ版だったので、テープは処分してしまって今はないが、最後まで、見るだけになってしまったSONYのベータビデオ機はロンドンで動き続けてくれた。

   多忙で出張が多かった私より、この「男はつらいよ」は、家族にとっての生活の一部だったように思う。
   ストレスの多い極めて厳しいビジネスを抱えていた私には、充分に家族の面倒を見る余裕がなかったし、それに出張で家を空けることが多かったので、ロンドン生活も家族には大変な緊張の毎日であった筈である。
   「男はつらいよ」の醸し出す世界は、まさに日本そのもの、喜びも悲しみも、この映画を見ている時には、日本にどっぷりつかって、懐かしい日本を思い出させてくれる。
   日本の空気を、そして、音を、匂いを、そして日本の大地の息吹を感じることが出来るのである。

   一寸した懐かしい映像に心を揺さぶられることもある。昨夜、BSで放映された「寅次郎恋歌」の岡山・高梁での一こま、買い物籠を持って歩く大学教授の志村喬の後を追う腹巻姿の寅の横を蒸気機関車が通り過ぎる。
  
   昨夜の寅さんは、リンドウの花が準主役だった。
   家を殆ど省みずに学究生活を送って来た大学教授・志村喬の語る話。安曇野を歩いていて見た農家の話で、リンドウの咲きこぼれる庭の向こうの赤々と灯が灯った茶の間では家族の幸せそうな会話と笑いが聞こえてくる、これが本当の生活と言うものではないかと思ったと訥々と寅に話す。
   寅が、柴又のとらやでしんみりと同じ話をするが、「家にもリンドウ咲いてるよ、何処でも、夜になれば、電気をつけてみんなでご飯を食べるよ」と言った詩情を解さない語らいでは全くパロディの世界。
   リンドウの鉢植えを持ってマドンナ池内淳子を訪ねる。「旅をしているとお辛い事もあるでしょうねえ」と聞かれて、同じ農家のリンドウの話をする。中秋の名月が美しく輝いている。
   辛い生活からパッと開放されて何もかも忘れて旅をしたいと言うマドンナと、辛くてしがない旅家業を続ける旅烏の寅の旅への思いのズレ、寂しく顔を曇らせる寅は、架かって来た電話中のマドンナをおいて立ち去る。庭の木戸が風に揺れている。
   この映画、寅が振られずに自分でマドンナから離れていく稀有な作品だが、旅とは人生にとって一体何なのかと問いかけている作品でもある。

   渥美清の至芸と素晴らしいマドンナ達とのナンとも言えない人情味豊かな人生の一こま、寅を取り巻く身近な懐かしい人々との絡みなど実に味わい深い映画だと思うが、私の好きなのは、寅と燻し銀のような素晴らしい役者達との至芸。
   志村喬もそうだが、東野英治郎、柳家小さん、宮口精二、ミヤコ蝶々、宇野重吉、岡田嘉子、嵐寛十郎、三木のり平、片岡仁左衛門、辰巳柳太郎、島田正吾、田中絹江、小沢昭一、芦屋鴈之助、室田日出男、書き切れないが、今は殆どなくなられているが、名優の素晴らしい芸が渥美清の芸と呼応して素晴らしい世界を作り出している。
   山田洋次監督は、これ等の名優を、そのバックにある世界を映しながら演じさせている。
   兵庫竜野を舞台にした宇野と岡田の対話には、ソ連に逃亡して彼の地で地獄を見た岡田嘉子にさらりと人生の選択を語らせているところなど胸を打つ。
   実に含蓄の深い人生の数々の名場面が珠玉のように鏤められている。

   私は、非凡な天才山田洋次と渥美清あっての「寅さんの世界」だと思うが、この映画シリーズは、20数年間の世紀末の日本を凝縮して描いた貴重な文化遺産だと思っている。

   書物に踏み潰されるほど読書を愛し勉強し続けて逝った渥美清、句会に通い続けて詩を歌い続けた詩人渥美清、交わらず孤高を続けた渥美清。
   寅さんシリーズをBSで2年間放映し完結すると言う。

   旅の話を書こうと思ったが、話がそれてしまった。
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リオの地球環境サミットに欠席した日本・・・郵政民営化にウツツを抜かす日本

2005年08月27日 | 地球温暖化・環境問題
   ノンフィクション作家山根一眞氏が「環業革命」と言う本を書いた。人類最大の危機「地球温暖化」等宇宙船地球号が直面する極めてシアリアスな試練について報告した貴重なレポートである。
   環境をテーマにした「愛・地球博」に呼応して出版されたのであろうが、売れなかったのであろう、神田神保町の古書店で山積みされ叩き売られていたので買って読んだ。  
   巷では、アスベスト、アスベストとマスコミに煽られて騒いでいるが、根本的な環境問題については無関心、みんなの環境問題意識はこの程度なのである。

   話は飛ぶが、山根氏が公演でも、この本でも触れているのは、1992年6月リオ・デ・ジャネイロで開催された「地球サミット」に、日本だけ、代表者が出席しなかったことである。
   当時のブッシュ(父)大統領、メイジャー、ミッテラン、中国・李鵬、ムバラク、マハティール、それに、カストロまで参加しており、183カ国の代表やNGOやNPO等7、946団体、18、900人が参加した。
   この「地球温暖化、酸性雨など顕在化する地球環境問題を人類共通の議題と位置付け、『持続可能な開発』という理念の下に環境と開発の両立を目指して開催された国際環境開発会議に、宮沢首相は、今は泡沫政党になってしまった某野党に国会会期中逃げるのかと言われて東京を発てなかった、そして、ビデオ出演を申し入れて世界の失笑を買ったと言う。

   私が問題にしたいのは、為政者が考えなければならないのは、その時点で、何が最も人類にとって国民にとってプライオリティが高いか、緊急重要かと言う判断、価値観で行動しなければならないと言うことである。
   以前にこのブログでも触れたが先のローマ法王逝去の時も、日本からは適切な参列者を送れなかった、いや、送らなかった。
   とにかく、環境問題は、もう既に地球のオゾン層に穴が開き、地球のエコシステムが破壊し始めて危機的な状態まで来ている。

   ところで、衆議院議員選挙が近づいているが、原因は、小泉首相の郵政民営化法案の帰趨が発端。
   基本的には、官僚主導の社会主義的な日本の経済社会には、民間主導への舵取りは必須であり郵政の民営化には賛成である。
   郵政の問題点の大半は、日本の官僚制度に起因して発生したことで、官僚主導の日本の経済社会政治体制そのものを改造する為の一環である。
   しかし、日本独特の膨大な資産と影響力を持った事業体を、妥協に妥協を重ねた今の政府案で改正することが果たして良いことなのかどうか、私自身はもう少し別な道があると思っている。
   何れにしろ基本的には、小泉首相の主導する構造改革を含めた日本の社会主義的な経済社会の大変革への道の追求には賛成している。
   
   郵政の民営化には、国民の大半が賛成だと思うが、それぞれ段階的に意見の相違が有り、今の自民党の案に賛成か反対かは別の次元の話。
これを十羽一絡げに自民党案を持って「郵政民営化賛成か反対か」を問い、その賛否を争点として黒白をつけようとしている小泉自民党は、まさに、民主主義の本道を踏み外している。
   悪く言えば、自民党案の郵政の民営化に国民の注意を集中して、他の重要案件に対して白紙委任状をとろうとしていると言う共産党の言い分もあながち間違いではない。
   折角、悲惨な歴史を経て獲得した民主主義の精神を大切にしなければならないと思う。

   従って、今回の選挙が郵政民営化一色に染まって戦われていることが問題で、今の日本で緊急重要なことは、本当に郵政民営化だけであろうか。
   近年の革命的な変化は、憲法の改正が極めてオープンに議論されるようになったことであり、風雲急を告げていた北朝鮮問題が愈々大詰めに近づいていることや中国との政経に亘る協調など国家の安全や国際問題、国連安保理入りを模索している国際外交、国民の厚生福利問題、京都議定書などクリアー出来そうにもない環境問題、少子高齢化問題、税制の問題、殆ど進んでいない構造改革等々問題は山積している。
   個人的には、憲法改正が表舞台に立った今、国際舞台で名誉ある地位を占めたいとして常任理事国入りを模索しており、日本の国のありかた・国のかたちを真剣に考えられるのは、まさにこの時期をおいて他にないと思っている。
   私自身は、もっと緊急な問題は、人類の傍若無人な自然環境の破壊、地球のエコシステムの崩壊によって、今世紀中に、人類の運命が岐路に立たされると思っているのだが。

   毎日のようにTVに出る程度の低い小泉首相の記者会見(これはお粗末なマスコミの質問にも問題がある)、殆どポピュリズム志向に近い政治家の姿勢と一般の対応、あまりにも太平天国で幸せな日本人には、イラクやイラン、北朝鮮の人々のような逼迫感はない。
   たった一杯のビールで口角泡を飛ばして安保を論じ、街頭で警官と衝突してジグザグデモに明け暮れたのはそんな昔の話ではないのだが、どうせ投票しても大勢に影響はないし、どの党に投票しても世の中が大きく変わる訳でもない、そんな思いが頭をかすめる昨今が恨めしい。
   
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成長するアメリカ企業・・・長期的な視点に立った米国経営学書

2005年08月26日 | 経営・ビジネス
   アメリカの経営は、短期的視点にたって経営される、これは、MBA教育の弊害だと良く非難される。
   しかし、現実には、アメリカのビジネス・スクールのカリキュラムは、日進月歩、絶えず革新的な新しい教育に目を向けていなければ、教授も解雇され、ビジネス・スクールの評価も落ちる。
   例えば、株主主権論が華々しかったのは、もう随分前の話、最近では、経営者の役割に視点が移っていると聞く。

   随分前になるが、私がビジネス・スクールの学生の時は、国際経営論で、後進国に進出した子会社から利益を吸い上げる時には、出資よりは貸し金にして金利で回収しろ、使えなくなった安い機械設備を高い価格で移転しろ、等と教えられていた。
   今でも問題になっているが、アメリカ企業の海外進出は、あくまで、利益極大化の戦略の一環であって、その過程だったのである。
   
   企業の社会的責任の意識などなく、ラルフ・ネイダーが、虚偽広告など企業の不誠実を糾弾する消費者運動が主流であったが、逆に、コトラー等が、兎に角売り込むためのマーケティングの知恵を企業に授けていた。
   今日では、企業のレピュテーションをアップして企業価値を高める為には、企業の社会的責任を果たす良き市民・良き企業でなければならないと言う。
   マーケティング一つをとっても異常な変革を遂げている。

   ところで、アメリカのコンサルタント発の経営学書だが、一寸今までのアメリカ経営学と違った長期視点に重点を置いた本が出てきた。
   カーニー社が、過去10年間の膨大な数の優良グローバル企業の事例研究を分析して、「企業の永続的な成長を如何に実現するか」を「ストレッチ成長モデル」
として構築し、『ストレッチ・カンパニー~超優良企業の成長戦略に学べ』を出版した。

   経済情勢が思わしくなくなり、不況局面が長引き、企業業績が悪化し始めると、企業は、真っ先に将来の成長の為の投資を凍結したり削減したりして、当面の利益や株価の維持を図ろうとするが、これが、大きな代償として企業にとって一番重要な長期の成長を犠牲にすることになる。

   このように短期の結果を優先して長期的成長を犠牲にする戦術・方針は、大概CEO主導で実施されるが、これは経営悪化の時期に成長に投資すると益々数字が悪くなり、短期的な利益改善を要求され、かつ、それに連動しているCEOの現行の報酬体系に問題があるのだ、と指摘している。

   この本の原書のタイトルは、『STRETCH! How Great Companies Grow in Good Times and Bad』。
   環境の良い時は勿論だが、逆風が吹き事業環境が極めて悪い時でも、成長し続けている優良企業がある。
そんな企業になる為には、どのような戦略・戦術を打って経営すれば良いのか。
その解を求めた結果、長期視点に立って、良い時も悪い時も、長期戦でイノベーションと投資を続けて成長路線を追求してきた会社が、長期成長を持続する優良企業となっていると言う結論に達した。

   企業の成長を、売上高成長率を縦軸に、時価総額(企業価値)成長率を横軸に、マトリックスで分析し、4コマの右上の両方とも高い成長率を維持している企業をバリューグロワー(価値創造成長企業)として捉えて、その価値創造成長企業への道を事例を交えながら詳細に論じている。
   
   「ストレッチ成長モデル」を、オペレーション(ボトルネックと障害の発見と除去)、オーガナイゼーション(ハイ・パーフォーマンス企業の創造)、ストラテジー(戦略的レバーの活用)、ストレッチ(大いなる成長の実現)の4段階に分けて、説明している。
   
   成長戦略を如何に実行するのか、誰もが知っている優良企業の浮沈を事例に説明しているので、大変分かり良いが、成長への道は極めて厳しい。
   この目まぐるしく変転する現在社会において、気の遠くなるような時間を要し、地道かつ着実な、しかし、毅然たる革新的な成長戦略の追求を示唆する本書は、大変貴重な存在である。

   根本的にコーポレート・カルチュアを変えなければやって行けないかも知れない。
   成長戦略に裏打ちされた内部成長エンジンを搭載した企業改革とM&A主導型の成長戦略を追及し、投資し続ける企業がバリューグロワーだと言う。

   トヨタの成長戦略を高く評価している。
   トヨタが取っていないのは、果敢なM&A戦略。間違いなくトヨタの時代であるならば、次のトヨタの打つ手は、日本電産の永守社長が言うように「時間を買う」M&A戦略かも知れない。
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ブック・レビュー・・・読書遍歴の記録

2005年08月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   最近は、インターネットのお陰で、世界の情報に自由にアクセス出来る。
   以前から、インターネットで、英米の新聞やTV系メディア、経済雑誌のホームページから、世界のホットニュースやカレント・トピックスを読んでいるが、これが、実に重宝で、資料収集などに関しては、図書館や書店を回った昔と今昔の感である。

   ファイナンシャル・タイムズは、購読者専用記事が多くてブロックがかかっており、ニューヨークタイムズも過去の記事はダメだが、大概のメディアは、殆ど開放していて、貴重な情報に関しては無限にアクセス可能である。
   あのブリタニカさえ、IT革命の波に流されて、インターネット版に変わってしまったし、兎に角、世の中の動きが激しくなると、たとえ事典でも情報がアップ・ツー・デイトでなければならず、紙の媒体は、淘汰されて来る。
   新聞でも、いまでも、号外版が出て楽しませてくれるが、新聞の電子版の方が早くて、欧米の様にダイジェスト版ではなくマトモナな記事が電子版に掲載される様になると、紙の新聞はやって行けなくなるであろう。

   ところで、本の電子ブック版が始まっているが、あまり普及しない。本には、別な思い入れと拘りがあって、中々その気にはなれない。
   早い話が、パソコンで、小説や経営学書を読む気にはなれないし、データ・ベースとして残す気にもなれない。
   これが本と、鮮度と検索性を旨とする電子版メディアとの違いであろうか。

   ところで、数年前から、アマゾンのブック・レビューへの投稿を始めている。もう、140篇ほどになっており、アマゾンのページに収容されているので、結構、貴重な私の歴史遍歴記録になっている。
   毎年可なりの本を読むが、どちらかと言えば濫読傾向で、後を振り返らないので、すぐ忘れてしまって記憶から消えてしまう。
   経済や経営学の原書を買う時に、アマゾンのアメリカ版にアクセスして資料を得ていたのだが、専門家や読者のレビューが結構役に立った。
   日本のアマゾンでも同じシステムなので、自分にも出来ると思って、書き出し投稿を始めたのがブックレビューの切っ掛けである。

   その後は、役に立ったり印象に残る本についてレビューを書くことにしたので、経済や経営書、政治関連本など多少込み入った本については、意識的に丁寧に読むようになり、重要なところなどポストイットでマークしたりし始めた。
   学生時代の様に黄色のマーカーで本を塗りつぶすほどではないが、その後、そのポストイットの付箋が、検索の役に立っている。

   ブックレビューで、守っていることがある。それは、兎に角本をジックリ読んで著者の意図や思いを充分に理解してから、主として良いと思った本だけにレビューを書くこと、そして、著者に敬意を表して実名でレビューを書くこと、この2点である。
   制限字数が800字なので、可なりのことが書けるが、私の場合は、書くことが多くて、後で短くするので、漢字が増えて文章が硬くなってしまう。

   ところで、書いて投稿すれば掲載されるかと言うと、必ずしもそうとは限らない。
   最近では、私も意識して書いているので、比較的スムーズに掲載される様になったが、検閲紛いのチェックがあるのか、文章を訂正されたこともあった。
   実際には当たり障りのないガイドラインがあって、これ以外制限事項はないのであるが、記事によっては、中々載せてもらえずに、長い間ペンディングになった事も可なりあった。
   照会すると、アリキタリの回答が返って来るだけで、ある有名弁護士の法化社会についての本をレビューした時には、送信した記事が届いていないとの指示なので再提出しても、また、ペンディング。
   何回か照会の後、掲載されるには掲載されたが、いつの間にか、そのレビューを含めたその前後のドラッカーや高杉良の本等のレビュー10篇ほどが、記録から消されてしまっている。
   
   もう一つ面白いのは、不良債権処理に強烈なアドバイスを政府にしていた敏腕コンサルタントの経営学書にレビューした時、長い間、私の記事も含めて可なりのレビューがブロックされていて読めなかったことがあった。
   これと呼応して面白いのは読者の反応で、レビューが参考になったかどうか、YESとNOで投票できるのだが、例えば、竹中大臣の本を多少でも評価しようものなら徹底的に叩かれる等、本の著者の反対者や逆にシンパの対応が実に興味深い。
   大前研一氏が、自分の本のアマゾンでのレビューでその人気度を多としていたが、実際にそうであろうか。

   私の場合は、比較的地味な本のレビューが多いのだが、賛成して頂ける読者の反応が実に有難く嬉しい。

   私は、アマゾンの記事に対するチェック体制は、それほど気にはしていないが、レビューの中身、その質について、アマゾンはどう考えているのかと言うことである。
   明らかに本の中身さえ理解していない読者が書いたほんの1~2行のレビュー等も含めて、無害であれば、箸にも棒にもかからないレビューでも公表している。
   レビュアーを評価してランク付けしており、「ベスト500レビュアー」とかのタイトルを付している。
   レビューランクは読者が決めるのだとしているが、上位ランク者には、例えば、教え子や同僚等関係者を糾合して「役に立ったと思う読者」を増やしたり、粗製濫造型でレビューを沢山量産しているとしか思えない人も結構多い。
   ベストなのかどうか、ベスト100レビュアー以上の上位ランク者のレビューをチェック頂ければ、そのレビューの質が如何なるものか分かる筈であるが、如何であろうか。
   その点、アメリカの場合は、丁々発止で、質はかなり高く、専門家もレビューに参加していて実に面白い。
   
   私としては、アマゾンに対してブックレビューの機会を与えて頂いているのを感謝している。
   何となく批判めいたことを書いてしまったが、一つの感想である。
   

   

   
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読書の楽しみ、本に関する思いあれこれ

2005年08月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   子供の頃から本を読むことが好きで、ずっと、読書癖が続いている。本は、自分で書店に行って買う習慣が付いているので、人から借りたり、推薦されて読むことは殆どない。
   図書館を利用することも、まずない。関心のある方面の本なら、私の蔵書の方が充実していると思っている。
   今でも、暇が在れば、神田神保町や都心の書店を歩いている。

   海外に長かったので、帰国の度毎に、沢山の本を買い込んで持ち帰ったが、英語の本は、必要なモノは別として、留学時代以外は、あまり読まなかった。
   経済や経営関係は、今でも、原書を直接読む方が分かり良いし間違いがないと思っているが、時間的に多少苦痛なので、疑問や問題にぶち当たった時に、参照することにしている。
   以前は、洋書を買う時には、バーンズ・ノーブルから、ネットで買っていたが、アマゾンが直接日本法人から売り出したので、この方が、郵送の手間が格段に減って、その上、安くなり、重宝している。

   最近、欧米の書店に出かけたが、変わっていない。
   ロンドンの王室御用達ハッチャードも10年前と変わったのはコンピューター管理が進んだことと、最新刊本のサイン本が多くなった事位で、書棚も何も殆ど変わっていない。
   ボストンのバーンズ・ノーブルも、検索用のコンピューターが多数設置されていたが、書棚は同じで、探したくても、本が限定されていて面白くなかった。
   
   ハーバード大学や我が母校ペンシルヴァニア大学の書店も、テキスト類は豊かだが、街の書店と似たり寄ったりであった。
   日本の大学内の書店も最近では生協直営ではなく、書店にアウトソーシングしているので、全く代わり映えがしない。東大の書店も、面白くはないが、探したい専門書が可なり豊かなので、これはこれで良い。
   学生の頃は、米国でも日本ででも、何時も大学書店に通い続けていると、それなりに、利用方法があって、生活に馴染むのであろうが、現在では、専門書等は、直接注文するか、ネット・ブック・ショップを利用する他ないのかも知れない。

   外国では、最新刊の本が、CDでもそうだが、2~3割のディスカウントで販売促進されているが、売れなければ、大幅値下げで叩き売られている。
   日本の場合は、再販売制度で、本の値引きは禁止されているようだが、良書の出版を保護・確保する為だとか言われている。
   しかし、それだけの値打ちがない本が、高い定価で売られているので、過半数の新刊書が倉庫に帰って裁断機にかかって償却されてしまっている、勿体無い話である。
   欧米の制度がダメで、悪書が多いかと言うと、遥かに高度な良書が多く出版されていて、むしろ欧米の方が本の質が高い。
   私は、良書の出版を保障できる制度が確立できれば、それに越したことはないが、出版に関しては、完全に自由化してみるのも道ではないかと思っている。
   良書の出版を確保するのは、出版関係者ではなく、国の責務であり国の仕事であると思っている。
   要するに、本を買うか買わないかは、その本が常時とは言わなくても手元に置いておく必要がある本なのかどうか、自分の手元に置いて愛蔵したい本なのかどうか、コレクターの需要に応えた本なのかどうか、魅力的なフルホン市場があるのかどうか、等々限られていて、これを満足させてくれるような対応をしない限り本は売れない。

   本の文化を守るためには、読者の質を上げる以外にないと思っている。
   都心で電車に乗ると、若い女性が熱心に読んでいるのは、殆ど日経新聞である。同じ電車で、大またを開いてシルバーシートでコミック雑誌を読んでいるのは、必ず、若い男性である。
   神田神保町の古書店には、びっくるするような数多くの風俗系の雑誌や写真本が売られているのをご存知であろうか。
   一方、本に目を擦り付けるようにして、専門書を読んでいる老人が居る。
   兎に角、巾が広いが、こんなにTV等映像メディアの影響が強くなると、本文化が廃れて行く。
   ところで、私の場合、素晴らしい本に出会うのは、決まって神田神保町の古書店である。良書が、表舞台で探せない、表舞台には出られない、悲しいがそれが現実である。

   ところで、私の場合もそうだが、本の愛好家で一番困るのは、蔵書が増えた時の本の扱い方。足の踏み場もないほど本があるのに、そして、自分の人生の残り時間を考えても到底読めない位の本があるのに、それでも、イソイソト書店に出かけて買い込んでくる。一種の病気である。
   
   
   ブックオフに持ち込めば、どんな本でも最も最良な状態でも定価の10%だとか。何か馬鹿にされた様な気がしたので、市立の図書館に電話して「寄付したいのですが、活用してくれませんか。」と言ったら、使い古しの本を定期的に処分するので、それと一緒に並べて市民に自由に持ち帰ってもらいましょう、と言う。
   当然、当方は図書館の備え付けの本より立派な本を寄付しようと思っていたので、担当者の無神経さに嫌気がさして止めてしまった。
   ペンシルバニア大学には素晴らしい大図書館があったが、日本の蔵書も可なりあった。船便で送ろうかと思っている。
   
   余談だが、今レンタル倉庫が流行っている様だが、レンタル書庫の商売も流行るのではないであろうか。それに、庭に置ける簡易書庫、出来れば、一坪か二坪程度で良いから読書イスが置けるもの、誰か開発してくれないかと思っている。
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日本電産永守社長のIR・・・個人投資家向けIR説明会

2005年08月23日 | 経営・ビジネス
   個人投資家向けのIR説明会が、花盛りである。
   数年前から行われているようであるが、私が最初に出かけたのは、2年ほど前で、IPOに強い東京IPOやインベストメントブリッジ等の主宰で、専門家の株式談義や株式市場の解説等のセミナーを皮切りに、数社の新規上場の会社の社長が自分の会社を語るIR説明会であった
   
   その後、証券系の大和、いちよしが戦列に加わり、その後、日経も日経ホールで定期的に開催を始めた。
   他でもやっているようであるが、各社なりに特色があって面白いが、私がこれ等に出かける目的は、投資の勉強と言うよりは、色々な異質な会社が、どのようにして事業を起こし今日を築いたのか、そのビジネスモデルを勉強したかったからである。
   
   特に、構造不況産業に長く居た私にとっては、新規事業の立ち上げとその成長、そして、その果敢な事業への挑戦は、正に青天の霹靂であったり、新鮮な驚きでもあった。
   それに、それまでの書物での勉強とは違った生きた経済を通じて直に接する企業活動の多彩さは、経済・経営学の理解に巾を持たせてくれた。

   ところで、昨日は、大和證券主催で、帝国ホテルで開かれた『経営トップ 自社を語る』を聴講した。
   1000人以上の聴衆だとか、しかし、過半数は、預貯金を持っていると言われている5~60歳代以降のシニアであった。
   ところで、他のIR説明会だが、確かに、シニアが多いが、若い20歳代の男女や年配の女性が、結構多いのにもビックリしている。
   個人投資家の裾野が結構広がって居るのかもしれない。

   昨日登場した会社は、シメックス、ハニーズ、ホクト、コメリと言ったその道では優れた業績のエクセレント・カンパニーで、大変勉強になったが、私は、最後の日本電産の永守社長の話に注目していた。

   M&Aについて、
   持続的「成長」に軸足を置いた経営実現の為に、M&Aを活用しているとして、(1)競争会社を買収して競争を減 (2)エンジニア等戦力の確保 (3)コア関連事業、部品メーカーを買収して業域を拡大 が目的だと言う。
   しかし、買いたい会社はあるが、敵対的買収は避けたいので、どうしても潰れかけた会社のM&Aばかりだと嘆く。
   エクセレントなグローバル企業のM&A戦略は、(1)買収の方が、迅速かつ低コストで戦略的成長目標は達成できる場合(2)業界が急速な統合過程にあって、業界で支配的地位を維持乃至確保する為 (3)買収価格が格安の場合 だと言われているが、永守社長の場合は、兎に角、拡大拡大にM&Aが必須なのであろう。
   技術者の育成は10年かかる、時間を買うのだと言うが、しかし、前述のグローバル企業のM&A戦略の総てに当て嵌まっている。

   技術革新イノベーションに対する意気込みは凄い。その一つ、
   『ブラシレスDCモーター』
   整流方式が、機械的ではなく電気的な、「環境に易しい新しいモーター」で、デジタル製品中心に需要と生産の拡大が急で、生産をシフト中だと言う。ノイズ、エネルギー効率、寿命、精度・制御性、小型・薄型、兎に角、性能抜群で、生産効率向上により、価格は10%程高い程度まで来たとも言う。
   小型化、薄型化、省エネがモーターの3大潮流であるが、これに合致しており、日本電産の設立目的が、このブラシレス・モーターの生産だったとも言う。

   完成品生産に向かう気はないかと聞かれて、
   部品メイカーが完成品生産に手を染めるのは頭打ちになった時。モーターの需要が無限にあるのでその意志はない。
トヨタもそうだが、どの業界も、部品メーカーの方が儲かっている。
(intel inside),モーターのインテルになりたい。
部品生産の技術が立派な国が世界を征する、と言う。

   2030年に売り上げ10兆円を目指す、その時は85歳だが大法螺を吹くのだ。これまで、大法螺を小法螺に、小法螺を夢に、そして、夢を実現して来た、これが社長の責務だと笑い飛ばす。

   モーターの消費電力は、国内電力消費の5割で、モーターのエネルギー効率を1%上げれば、3000箇所ある火力発電所が、100箇所いらなくなる。クールビズで西陣のネクタイ屋が怒っているが、モーターのイノベーションに励めば省エネ出来るので、日本電産では、皆ネクタイをしていると言う。 

   モーターに託す永守社長の夢は、技術大国日本の象徴。会社を語りながら、日本を語り世界を語る。
   質問には、インサイダー情報以外は何でも話すという、自分の頭と足で歩いている実業家は凄いと思う。
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企業の社会的責任・・・CSRは必須か? (その3)

2005年08月22日 | 経営・ビジネス
   日経ビジネスの記事の中に、CSR現場最前線の声「今のブームはここがおかしい」と言うページがあって、企業のCSR担当者のナマの声を伝えている。
   かってのTQCやデミング賞に狂奔した頃のブームと同じ様相を呈していて、全くの素人が担当者に祭り上げられて、コンサルタントや専門家の先生(?)の指導を受けながら、どちらかと言えば、使命感とインセンティブの欠如した業務として対応しているのがよく分かる。
   転ばぬ先の杖を持て、と煽る日経記事のタイトル自体が、「CSRで会社を守れ」であるから、どうしても後ろ向き。やりたくないのだが、世の中の流行だし、それに、先生方からは、企業価値の向上に資する為に極めて重要で、会社にとってもお得ですよと勧められる。

   チャールズ・J・フォンブランの「コーポレート・レピュテーション」では、CSRを推進し社会に貢献している優良企業は、評価が高く、会社のレピュテーションの向上に資しているとして、企業価値の向上の1要因として評価されている。
   しかし、CSR投資が、どれだけレピュテーションをアップさせて、それが、株価アップに繋がって企業価値の向上に貢献しているかの計量は難しい。

   ここで、岩本教授の「CSRバブル」に関する面白い指摘を披露したい。
   会社が社会的責任を果たすことは長期的には会社の利益につながる、CSRはお得ですよ、と言うブームに煽られて、CSRがバブル状態になれば、それが、株や土地のバブルと違って、ファンダメンタルになると言うのである。
   一般的に言って、今の企業のCSRに対する取り組みやCSR投資に関して言えば、どちらかと言うと、コスト要因となって企業競争の足を引っ張るが、みんながやり始めれば、CSRに投資する個別の会社の競争上の不利が消えて、それが社会のファンダメンタル(基本)となって、社会が進歩すると言うのである。

   そう言われてみれば、例えば、競争原理で熾烈な経済環境で進展してきた資本主義も、厚生経済学が生まれて、弱者に対する思いやりや平等の経済原則、そして人々の福利厚生が追加されるなど、人々の幸せをビルトインするようになって来た。
   CSR投資が増えれば、環境破壊も抑制され、メセナで文化の向上も図れると言うことであろうか。

   前回の議論に戻るが、まず、目的とすべきなのは、英国のGOOD CORPORATIONの様な、社会や環境も含めた総てのステイクホールダーに対して配慮した「良い会社」を目指すことであろう。
   企業の社会的責任の原点は正にここにある筈である。
   コーポレート・ガバナンスと遵法システムを確立したグッドシティズンになることが先である。その上に、CSR活動を置かない限り、付焼刃になって、その実行と効果は疑わしい。
   CSRが、会社の自主的かつ自発的なアクションだとするならば、ある意味では、ノブレスオブリージェ、企業に余裕がなければ充分に対応できない部分もある様な気がする。

   株価至上主義、利益至上主義のアメリカ型の企業行動と経営哲学が、CSR重視の経営が脚光を浴びることによって、企業環境が大きく変わって、日本やヨーロッパのステイクホールダー重視の経営に移行して行く兆候なのであろうか。
   それとも、CSRは、あくまで、利益向上の為の手段なのであろうか。

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企業の社会的責任・・・CSRは必須か? (その2)

2005年08月21日 | 経営・ビジネス
   日経ビジネスの記事で私が問題にしたのは、コーポレート・ガバナンスやコンプライアンスへの対応が不十分な企業の引き起こした不祥事ばかりに焦点を当ててCSRをレポートしていることである。
   CSRは、UK政府の考えが正しいかどうかは別にして、最低限度の法的な要求を満足させ、或いは、法の要求を更に超えてモラルの領域まで踏み込んで、より良い経済社会の構築の為に、経済的、社会的、環境的に、会社が行うボランタリーな、即ち自主的に自由裁量によって取るアクションのことを言っているのであって、企業にとって必須の会社統治システムの確立や遵法は当たり前のことだと言うことである。

   日経ビジネスの記事で、雪印について触れている部分で、「食中毒の原因は、停電で脱脂乳が加温放置されたことによる毒素の発生で、厳密な意味で法令違反はない。」「コンプライアンス意識の欠如した典型的な会社だと看做されているが、事実は違う。」と書いている。
   加温放置すれば結果はどうなるか、プロの食品会社にとっては自明の理であり、これを回避するのが雪印の会社統治システムでありコンプライアンスなのであって、これを法令違反と捉えなくて何を法令違反と言うのであろうか。

   英国のCSRページの中で、GOOD CORPORATIONのSTANDARD評価基準が提示されていて、専門機関が、良い会社かどうかを評価する為の基準が示されている。
   従業員、顧客、サプライアーと下請け、コミュニティと環境、株主と他の金融サプライアー、マネジメント・コミットメントの、以上6項目に亘る62の質問項目によって調査されて、その結果を評価して最高のcommendationから、failの5段階にランク付けされる。
   夫々の会社が、夫々のステイクホールダーに対して、如何に社会的責任を果たす為に、会社のシステムを確立して対処しているのかを、評価しているのである。
   最後の「MANEGEMENT COMMITMENT 経営公約」の項では、「STANDARD」及びその精神の完遂はトップマネジメントに全責任がかかっており、全社一丸となって対処すること、そして、総てのステイクホールダーに対して真摯に対応することを、コミットすることを求めているのである。

   なぜ、この評価基準を示したか、と言うのは、日経ビジネスのCSRランキング評価を一応の指標として認めたいが、しかし、根本的にこの評価そのものに疑問があることを示したかったからである。
   日経の評価基準は、CSRへの取り組み度、CSRリポートの充実度、コーポレートガバナンス、税金と雇用の貢献度、業績及び財務、と5項目で点数評価している。

   沢山あるが、一つだけ疑問を呈すれば、コーポレートガバナンスの項目。
   アメリカ型の委員会制の統治制度を採っているほど良しとしているが、本当に、アメリカ型のコーポレートガバナンスが、CSRにとって、良いことなのであろうか。
   ガルブレイス先生を引きあいに出すまでもなく、このシステムは、経営者にとって都合の良い仲良しクラブの馴れ合いクローニー取締役会制度を醸成していて、時代遅れで機能していないとアメリカの多くの識者が認めている。
   米国で問題提起が出始めた頃になって、日本では、アメリカ型に大きく傾斜した商法に改正したのであるが、何時まで持つであろうか。
   いみじくも、8月16日の日経が、この3年間で、委員会等設置会社に変わった会社が、夫々「時価総額が2.8%減、収益伸び率が平均下回る」、と在来型の会社と比べてその業績が悪いことを報じているが、これは偶然であろうか。
   
   もう一つ言えば、CSRレポートのこと。
   上位にランクされている企業は、実に素晴らしいレポートを発行している。実に美しくて立派な冊子だが、正直な所、中身は読んでも良く分かれない。
監査法人が評価したと言うが、監査法人に評価させることが適切なのかどうか、また、当該監査法人に、会社の社会的責任を評価するだけのそれだけの高い識見を持った見識と能力があるのかどうか。
   綴り方教室になっていないことを祈るのみ。

   日経レポートに時間を取られて、CSRについて触れられなくなったが、次に続けたい。

   
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企業の社会的責任・・・CSRは必須か?(その1)

2005年08月20日 | 経営・ビジネス
   日経ビジネス最新号の表紙は、「何故絶てぬ 企業不祥事 CSRで会社を守れ」と言うタイトル。
   このタイトルでセミナーをやれば、盛況間違いなしとか、兎に角流行である。

   ところで、日経のタイトルで気になるのは、まず、日本の場合の企業不祥事は、コンプライアンス(遵法)とコーポレート・ガヴァナンスの問題であって、件のCSRと言うよりは、それ以前の問題であると言うことである。

   英国政府のCSR.gov.ukのホームページを開くと、
   「CSRとは、経済社会の持続可能な発展目的に対する会社の貢献である。必然的に、どのように、会社が、ベネフィットを最大化し、マイナス面(downsides)を最小化するために、その事業の過程において、経済的、社会的、環境的なインパクトを考慮するかと言うことに関わる。
   CSRとは、会社自身の競争優位に対する利益ともっと広い社会の利益を社会に発信する為に、最低限度の法的要求を遵守する事に関して或いはそれを越えて、ビジネスが実施する自発的なアクションだと考えている。」、と書いてある。

   先に紹介した東大の岩井教授の本にも面白い記述があるので、少し触れながらCSRについて考えてみた。

   アメリカで話題になった、ジョエル・ベイカンの「ザ・コーポレーション」でのインタヴューで、マネタリストの総帥ミルトン・フリードマンが興味深いことを言っている。
   「会社は株主の財産である。株主の為に出来るだけ多額の金を儲けるのが経営者の使命であって、社会や環境上の目標を利益に優先する経営者…道徳的に振舞おうとする経営者は、実は非道徳的である。
   偽善が収益に寄与するのであればそれも良いが、道徳的偽善も収益につながらなければ非道徳的である。」
   会社の社会的責任は利益の極大化である、個人の利益追求の道具である会社の経営者が、独自の判断で慈善事業や文化活動を行うことは、個人の選択の自由の巾を狭めてしまう反社会的な行為であって許せない、と言い切っているのである。

   一方、岩井教授は、ジョージ・ソロスにも触れ、法律に触れない限りにおいて、利益はとことんまで追求すべきで、投機活動の社会的責任など、全く顧慮する必要はないとの投機哲学を披瀝している。
   会社や投機ファンドは、あくまでも個人の利益の為の道具であり、利益の極大化に邁進する、しかし、それで得た利益はどう使おうと個人の選択は自由であるとして、ジョージ・ソロスの世界一の慈善事業家としての側面を語っている。
   ソロスは、英国の経済状況の悪化に目をつけて、固定相場を維持しようと必死の英国政府を敵に回して、ポンドを徹底的に売り浴びせて、ポンドを暴落させて巨利を得た。この時の悲痛な英国政府の狼狽ぶりをロンドンで見ていたので、ロンドンで高等教育を受けて一人前になり一宿一飯の恩義のある英国に対する情け容赦のないソロスの非情さと無慈悲な資本主義経済の厳しさに打ちのめされたのを覚えている。
   同じビジネス哲学を持つフリードマンとソロスが、先の大統領選挙で敵対した。宗旨替えし、仏心を起こして慈善家に転身したソロスが、市場至上主義のブッシュを追い落とす為に、ケリーに、運動資金を提供したのである。

   ところで、ミルトン・フリードマンの経済政策をそのまま思想的バックボーンとしているのがブッシュ政権であるとか。
   京都議定書など無視、石油を確保する為には、嘘を本当にしてイラクを支配する。地球に穴が開こうが、人類が滅ぼうが、自分達が生きている間は大丈夫、兎に角、儲けて儲けて天下を押さえておこう、と言えば言い過ぎであろうか。

   そのブッシュ政権と蜜月のどこかの首相と経済相のコンビも、民間で出来ることは民間にと言って、競争原理を復活させて市場を活性化することが大切だと言う。
   この国にとっては、談合まみれの凭れ合い経済社会からの脱皮の為には、厳しい市場原理の洗礼が必用なのかも知れない。

   次は、別な側面からCSRを考えてみたい。
   
(追記) 写真は、前世紀初期のベンツのスポーツ・カー。先月、ロンドンRACロビーに展示されていた。
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会社は誰のものか

2005年08月19日 | 経営・ビジネス
   「会社はこれからどうなるのか」を3年前に出版して、会社と言うものを、掘り下げて、易しく解説した東大の岩井克人教授が、ホリエモン事件に触発されて、「会社とは誰のものか」を出版した。

   法人である会社を、本来ヒトでないモノを、ヒトとして扱う所に目をつけて、会社を、モノの側面と、ヒトの側面の2階構造と捉える。
   株主主権論を重視するアメリカ型の会社は、株主がモノとして所有するモノ部分を強調した会社論で、ヒトの面を強調したのが日本型会社の有り方である。
   従って、会社は株主のモノでしかないと言う株主主権論は、2階建ての会社のモノ部分のみしか見ていない、法理論上の誤りだ、と言う。

   岩井教授の論点の根幹は、所有と経営の分離していない個人企業も、公開会社も総て同じ企業と捉えることの誤りで、「コーポレート・ガバナンス」を企業統治と訳していることで、これは「会社統治」であるべきだと言う。
   面白いのは、会社は文楽人形と同じだと考えていることで、人形遣いが本来木偶に過ぎない人形に命を吹き込まなければ芝居にならないように、会社は、法人としてヒトとして扱われているが、経営者が会社を経営によって息を吹き込まなければ、実社会で活躍できる本当の会社にならないのである。

   この場合重要なことは、会社の経営者は「倫理的」に行動することを要請されていることで、会社法では、経営者の「忠実義務」と「善管注意義務」の2大義務が規定されている。
   会社と経営者の関係は、「委任関係・信頼関係」、すなわち、法人である会社は、自らの総ての行動を、「信頼」によって経営者に任せており、「信頼」を受けた経営者は、会社に対して倫理的に行動することを義務付けられているのである。

   岩井教授は、信頼関係であるべき関係を契約関係のように看做して、株主主権論を隠れ蓑にし、会社を私物化して、自己の利益のみを追求しうる仕組みを作り上げたのがエンロンの経営者だとしてアメリカ型会社統治を糾弾する。
   しかし、同じ経営者の不祥事は、日本でも、カネボウや三菱自動車などで起こっており、これは、会社に対する日米制度の違いではなく、正に、会社経営者の信頼・信任関係の対する倫理性の欠如の問題ではなかろうか。
   そして、法は、会社は経営者に経営を委託するのであるから、会社の経営者はプロの経営者であることを期待し要求している。
   アメリカの経営者に対しては倫理性が最大の問題だと思うが、日本の経営者の場合は、経営者の経営者たる所以であるプロとしての経営能力の欠如が最大の問題で、次に倫理性の希薄さだと思う。
   総てのステイクホールダーが大切だと言う経営者に限って、会社を「わが社」と言うが、本当に「我が会社」なのであろうか。

   自己利益の追求を原則としている資本主義が、その中核である会社に対して倫理性を要求すると言う逆説。資本主義とは、人間が倫理的であることを必要とし、それがなければ永続して行けない社会なのである。

   衆議院議員選挙も近い。政治の世界も同じ、信任と信頼関係。
   忠実義務も注意義務も形は違うが同じこと、会社のところで触れなかったが、情報公開と説明責任を充分に果たす倫理性の高いプロの政治家が1人でも多く出てくれば、日本も安泰であろう。
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現代のエンターティンメントの集積・・・ディズニーシー

2005年08月18日 | 生活随想・趣味
   昨日、初めてディズニーシーに出かけた。
   最初に、ディズニーランドに行ったのは、30年以上も前、ロスアンジェルスであった。今回は、その時連れて行った娘の子供、すなわち、私達の孫の代になってしまって、娘一家と共に楽しんできた。
   
   私は、視察で、随分前に、フロリダ・オルランドのディズニーワールドに行ったことがあるが、今度行ってみて、あの浦安のディズニーリゾートは、規模は桁外れに小さいが、このディズニーワールドに近づいて来た様な気がした。
   寅さんの映画をBSで見て、東京の下町のような雰囲気であった古い浦安が、今や、総合的なエンターテインメントのメッカになってしまって、大変な集客で、多くの古い観光地や遊園地を駆逐してしまっている。

   このディズニーの世界は、良くも悪くも徹底的に、アメリカそのものであると思う。
   全く、にせものの架空の世界ではあるが、徹底的に、人工に徹した夢の世界を作り出している。

   パリのユーロディズニーには、2回ほど娘達と行ったが、何時も空いていて、存分に楽しむことが出来たが、フランス人はそっぽを向いている。
   ヨーロッパを気にして、日本のディズニーの様に張りぼてのヨーロッパの街並みではなく、石や煉瓦を積み、本当のヨーロッパを現出しようとしたが、悲しいかな所詮はニセモノ、フランス人が認めるはずがない。
   何故か、ユーロディズニーには、イギリス人の観光客が多かったような気がする。
   フランス人が、アメリカを嫌っているのではなく、文化そのもの、価値観そのものが、違うのである。

   日本は、自由主義国の中では、一番アメリカナイズされた国だと思う。従って、ディズニーに対しては、極めて親和性が高く、老いも若きも熱中する。
   娯楽のなかった戦後に生まれた中途半端でまやかしの遊園地は、コトゴトクそっぽを向かれて消えていっている。
   私が子供の頃に、楽しんでいた宝塚動物園も消えて公園になってしまっている。
   中途半端な外国を模したテーマ・パークも、消えつつあり、本当に、ニセモノなら、徹底した、限りなく夢を膨らませてくれるようなディズニーやユニバーサルの様な世界でなければ生きて行けない。

   私は、どちらかと言えばヨーロッパ派だが、とにかく、ディズニーの世界は、楽しい。群を抜いて、エンターテインメントに徹底して対処しており、遊びの世界を徹底して追及しようとしている。
   新しい文化かもしれないが、これは、あのハリウッドと同様に世界を制覇し、世界標準となりつつある。
   オリンピックが楽しくなったのも、アメリカ文化とビジネス志向のお陰、徹底した差別化をすれば、連日、お客で溢れる、そんなことを、ディズニーが教えてくれている。
   何事も、イノヴェーション、新しい革新がなければ進歩はない、何時までも止まらずに走り続けるアメリカが羨ましい。
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命の不思議、月下美人が2日咲いた

2005年08月17日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今年は、春になって早くから庭に出して太陽浴を続けた所為であろうか、月下美人の花が、7月から3回に亘って咲いてくれている。
   今回は、14日の午後に急に花が膨らみ、深夜近くに開ききった。7つ蕾が出来、2つは蕾のまま落ちてその日咲いたのは4つ。お盆休みに来ていて、月下美人の花を見たことのない長女家族が楽しみにしていたが、阪神ー巨人戦を見る為に東京で一泊したので、タイミングが合わずに見られなかった。

   ところが、翌日、一つだけ残っていた月下美人が急に膨らみ始めて、東京から夜遅く帰ってきた娘達を待っていたかのように、綺麗な花を開いた。
   今まで、月下美人は、同じ時期に蕾をつけた花は、全く同じ日同じ時刻に、蕾が開いて咲き始めて深夜に満開になっていた。私たちは、その神秘性に驚き、何時もその素晴らしい自然の摂理に感動していた。

   少しだけ、何かの原因で遅れをとった最後の花は、やはり、美しく咲きたいと必死の思いで、満を持して待っていたのであろうか、摂理に逆らってでも、タイミングを待って咲いてくれたのである。
   私たちは、凛と咲く一輪の豪華な月下美人の輝きに感謝しながら愛でていた。

   1月の終わりに、我が家の愛犬シーズーのリオが亡くなった。赤ちゃんの時に譲り受け、10年と少し私たちと生活を共にしたが、肝臓疾患で急に体調が悪化して亡くなってしまったのである。
   亡くなる当日、帰宅が遅れて、ほんの数分の違いで臨終に立ち会えなかったが、私が抱きしめた時には、体温が残っていて暖かかった。走馬灯のように、色々な思い出が蘇ってきて、堪らなかった。
   私は、亡くなる前の、リオの不思議な行動を思い出した。
   もう、何も食べなくなって衰弱して殆ど寝たきりなのに、亡くなるほんの2~3日前に、夜私が帰ってくると、急に起き出して玄関口で尻尾を千切れるように振って迎えてくれた、最後の力を振り絞ってお別れを言ってくれたのである。
   翌日、今まで行った事のないような場所に行って座っている、休み休みしながら何時間もかけて、一つ一つ草木にお別れの挨拶するために庭中を回っていたような気がしている。室内犬だったが、天気の良い日には、ここはリオの庭であった。
   夕方には、冬の穏やかな太陽に向かって目を閉じてジッと座って長い間夕日を浴びていた。どこか崇高で毅然とした姿に感動しながら、私は何度もシャッターを切った。
   私は、一緒に散歩し過ごした林や川辺の四季の変化を思い出しながら、色々な感動と生きる喜びを教えてくれたリオに感謝している。

   私は、何時も動植物の不思議さに感動しながら、生きているような気がする。 
   人間が支配する地球船宇宙号だが、これは、我々人間だけのものであろうか。人間だけが我が物顔に振舞って、人間だけが自分達だけの勝手な価値観だけで支配して良いのであろうか。
   生きとし生けるもの総ての地球なのではないであろうか。
   地球温暖化で、地球のエコシステムが変調を来たし自然が凶暴化し始めて、地球規模での異常季候や天変地異が頻繁に引き起こされており、何時か、押さえが利かなくなると言われている。

   人間の体を形成している原子は、総て輪廻しており、私の体内の炭素や窒素は、かっての恐竜のそれかもしれないし、サハラ砂漠の砂だったかも知れない。
   世界のあっちこっちを歩きながら、初めて行った所でも、何時も、何故か懐かしさのようなものを感じていたのは、その所為かも知れないと思っている。
   
   この宇宙船地球号の動植物すべての住人は総て同じ運命を共にしている運命共同体である。神様か何か分からないが、超自然によってそう創られている。
   なにかの拍子に、動植物の不思議、自然の摂理の不思議を思うと、何故か、色々なことを考えてしまう、やはり、幸せな為であろうか。
   
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