ペンデレツキが、今回の東京都交響楽団の定期演奏会で、自作「弦楽のための小交響曲」「ホルン協奏曲」とメンデルゾーンの「スコットランド」を振った。
現代作曲家で、多くの作品を残している素晴らしい作曲家だが、昔、ウィーンで、シェーンベルクの音楽を聴いてから、現代音楽が嫌いになってしまって、十把一絡げに現代音楽と呼ぶのには問題があるが、その後、何となく現代の作曲家による現代音楽を敬遠してしまったので、ペンデレツキの作品も初めて聴いた。
尤も、現代音楽と言っても、これも昔だが、私が持っていたコンセルトヘボーのシーズン・メンバーチケット3種類の内一つが、完全に現代音楽シリーズだったので、これで聴いていたかも知れないし、多くのコンサートで現代曲がプログラムに組み込まれていたので、その中で聴いたかも知れないが記憶にない。
大体、クラシック音楽の場合には、作曲家自身が初演などで指揮しているケースが多く、いくら指揮が下手でも、これは、これなりに意味があり、貴重なことだと思っている。
有名なところで聴いたのは、ロンドン交響楽団の定期公演で、バーンスティンが振った「キャンディード」。この時は、残念ながら、期待したジューン・アンダーソンがキュンセルしたが、クリスタ・ルードヴィッヒがまだ元気であったし、偶々、オックスフォードへ留学中の皇太子殿下が二階最前列中央の席で鑑賞されていた。
他にも、ピエール・ブーレーズ指揮などがあるが、映画で、ベートーヴェンやモーツアルトなどが指揮するシーンが出てくるが何時も楽しみながら見ている。
ところで、この日のペンデレツキの曲だが、70年代以降は、それまで前衛的であったのが「ネオ・ロマン主義」と呼ばれる聴き易いスタイルに変化したと松本學さんが解説していたように、特に違和感なく聴くことが出来た。
顎鬚を蓄えた精悍ないでたちのペンデレツキの指揮ぶりも奇を衒うことなくオーソドックスで、特に、強烈な印象はなかったが、どれも、20分足らずの短い曲だったので、あっという間に終わってしまったと言う感じであった。
ホルン奏者のラドヴァン・ヴラトコヴィッチの演奏も非常に温かい雰囲気で、アンコールで演奏したメシアンの「恒星の呼び声」で、実に表情豊かで多彩で雄弁なホルンのサウンドを楽しませてくれた。
メンデルゾーンの「スコットランド」は、冒頭から美しい哀調を帯びた流麗なメロディで、私には、実際にこの足で何度も歩いて実感したスコットランドの思い出が沢山あるので、都響を詩情豊かに歌わせていたペンデレツキのサウンドにどっぷりつかって感激しながら聴いていた。
エジンバラ城址に対面した丘の上に、メンデルスゾーンがこのスコットランドの冒頭の部分を着想したと言うホーリーロード宮殿がある。
悲劇の女王メアリーの思い出深い宮殿に佇んで、若きメンデルスゾーンがどのような感慨を持ったのか、その思いが、この交響曲第3番スコットランドに投影されているのであろう。
イギリスは小さな国だが、スコットランドは、今でも、独立したポンド札を流通させているし、法律も英米法ではなく大陸法で、自治権は非常に強い。
イングランドから車で入ると境界線に国境と言う立て札が立ってくらい独立意識が強い。
心なしか、スコットランドに入ると一挙に風景が変わったような気がして、国花のアザミの花がいやに目に付く。
スコットランド人に、イングリッシュと言うと即座にスコッツと言う反応が返って来る。イギリス人だと思っていないので、他にも北アイルランドやウエールズなど民族意識の強い人々の混合の連合王国なので、私は、イギリスでは、イングリッシュと言うのではなくブリティッシュと言う言葉を意識して使っていた。
日本の小学唱歌には、スコットランド民謡が多いが、私もスコットランド人の友人と親しかったし、素晴らしい国だと思っている。
メンデルスゾーンには、他に第4番のイタリア交響曲があるが、あの「夏の夜の夢」は当然としても、物語と言うか情景が髣髴としてくるような音楽で、聴いていて楽しい。
同じ北国でも大分雰囲気が違うのであろうか、ペンデレツキが、現代的な自作とは違った、オーソドックスなメンデルスゾーンと真っ向から対峙していて素晴らしい「スコットランド」を聴くことができた。
当然のこととして、都響は上手い。
ところで、定期公演は、新日本フィルも続けているが、やはり、都響とコンサート会場の雰囲気から客の反応まで大分違っていて面白い。
新日本フィルの4月も6月も、馴染みのない曲が多かったので、コメントを端折ったが、10年以上も続けていると、多少、マンネリになったような感じがしている。
ウィーン・フィルやベルリン・フィルなど外国の有名オーケストラが、結構来日しているが、これまで、若い時には必ず出かけていたし、それに、欧米で随分聴き込んで来たので、とにかく、外国では考えられないような法外に高いチケットを買う気にはなれず、最近では敬遠している。
この頃、東京の楽団の水準は桁違いに向上しているし、下手な邦人音楽家のコンサート・チケット(学芸会程度のコンサートでも3~4千円する)の代金に一寸足したくらいで、定期公演のシーズン・チケットが手に入るので、これで、クラシック鑑賞は一応楽しめると思っている。
現代作曲家で、多くの作品を残している素晴らしい作曲家だが、昔、ウィーンで、シェーンベルクの音楽を聴いてから、現代音楽が嫌いになってしまって、十把一絡げに現代音楽と呼ぶのには問題があるが、その後、何となく現代の作曲家による現代音楽を敬遠してしまったので、ペンデレツキの作品も初めて聴いた。
尤も、現代音楽と言っても、これも昔だが、私が持っていたコンセルトヘボーのシーズン・メンバーチケット3種類の内一つが、完全に現代音楽シリーズだったので、これで聴いていたかも知れないし、多くのコンサートで現代曲がプログラムに組み込まれていたので、その中で聴いたかも知れないが記憶にない。
大体、クラシック音楽の場合には、作曲家自身が初演などで指揮しているケースが多く、いくら指揮が下手でも、これは、これなりに意味があり、貴重なことだと思っている。
有名なところで聴いたのは、ロンドン交響楽団の定期公演で、バーンスティンが振った「キャンディード」。この時は、残念ながら、期待したジューン・アンダーソンがキュンセルしたが、クリスタ・ルードヴィッヒがまだ元気であったし、偶々、オックスフォードへ留学中の皇太子殿下が二階最前列中央の席で鑑賞されていた。
他にも、ピエール・ブーレーズ指揮などがあるが、映画で、ベートーヴェンやモーツアルトなどが指揮するシーンが出てくるが何時も楽しみながら見ている。
ところで、この日のペンデレツキの曲だが、70年代以降は、それまで前衛的であったのが「ネオ・ロマン主義」と呼ばれる聴き易いスタイルに変化したと松本學さんが解説していたように、特に違和感なく聴くことが出来た。
顎鬚を蓄えた精悍ないでたちのペンデレツキの指揮ぶりも奇を衒うことなくオーソドックスで、特に、強烈な印象はなかったが、どれも、20分足らずの短い曲だったので、あっという間に終わってしまったと言う感じであった。
ホルン奏者のラドヴァン・ヴラトコヴィッチの演奏も非常に温かい雰囲気で、アンコールで演奏したメシアンの「恒星の呼び声」で、実に表情豊かで多彩で雄弁なホルンのサウンドを楽しませてくれた。
メンデルゾーンの「スコットランド」は、冒頭から美しい哀調を帯びた流麗なメロディで、私には、実際にこの足で何度も歩いて実感したスコットランドの思い出が沢山あるので、都響を詩情豊かに歌わせていたペンデレツキのサウンドにどっぷりつかって感激しながら聴いていた。
エジンバラ城址に対面した丘の上に、メンデルスゾーンがこのスコットランドの冒頭の部分を着想したと言うホーリーロード宮殿がある。
悲劇の女王メアリーの思い出深い宮殿に佇んで、若きメンデルスゾーンがどのような感慨を持ったのか、その思いが、この交響曲第3番スコットランドに投影されているのであろう。
イギリスは小さな国だが、スコットランドは、今でも、独立したポンド札を流通させているし、法律も英米法ではなく大陸法で、自治権は非常に強い。
イングランドから車で入ると境界線に国境と言う立て札が立ってくらい独立意識が強い。
心なしか、スコットランドに入ると一挙に風景が変わったような気がして、国花のアザミの花がいやに目に付く。
スコットランド人に、イングリッシュと言うと即座にスコッツと言う反応が返って来る。イギリス人だと思っていないので、他にも北アイルランドやウエールズなど民族意識の強い人々の混合の連合王国なので、私は、イギリスでは、イングリッシュと言うのではなくブリティッシュと言う言葉を意識して使っていた。
日本の小学唱歌には、スコットランド民謡が多いが、私もスコットランド人の友人と親しかったし、素晴らしい国だと思っている。
メンデルスゾーンには、他に第4番のイタリア交響曲があるが、あの「夏の夜の夢」は当然としても、物語と言うか情景が髣髴としてくるような音楽で、聴いていて楽しい。
同じ北国でも大分雰囲気が違うのであろうか、ペンデレツキが、現代的な自作とは違った、オーソドックスなメンデルスゾーンと真っ向から対峙していて素晴らしい「スコットランド」を聴くことができた。
当然のこととして、都響は上手い。
ところで、定期公演は、新日本フィルも続けているが、やはり、都響とコンサート会場の雰囲気から客の反応まで大分違っていて面白い。
新日本フィルの4月も6月も、馴染みのない曲が多かったので、コメントを端折ったが、10年以上も続けていると、多少、マンネリになったような感じがしている。
ウィーン・フィルやベルリン・フィルなど外国の有名オーケストラが、結構来日しているが、これまで、若い時には必ず出かけていたし、それに、欧米で随分聴き込んで来たので、とにかく、外国では考えられないような法外に高いチケットを買う気にはなれず、最近では敬遠している。
この頃、東京の楽団の水準は桁違いに向上しているし、下手な邦人音楽家のコンサート・チケット(学芸会程度のコンサートでも3~4千円する)の代金に一寸足したくらいで、定期公演のシーズン・チケットが手に入るので、これで、クラシック鑑賞は一応楽しめると思っている。