熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

奈良の親友逝く、実に悲しい

2023年06月29日 | 生活随想・趣味
   先日、悲しい訃報が入った。
   奈良の親友T君の奥方から、夜半に電話が入ったので、すぐに、悲しい便りであることを直感して手が震えた。
   21日に亡くなって、今日お葬式を済ませました。お葬式が済むまでは誰にも連絡するなと言う主人の遺言だったので、今夜になって申しわけありませんでした。と言うことであった。

   私は経済原論のゼミだったが、彼は、、金融論のゼミで、損保会社に就職した。
   若くて現役パリパリの時には、お互いに多忙を極めていたこともあって接触する機会は少なかったが、熟年に達する頃から、私は海外が長く東京に転勤したので、大阪勤務のT君とは頻繁に会って、旧交を温め情報交換に勤しんでいた。
   お互いに現役を退いてからは、機会を見ては会っていたが、私が、結構定期的に、大阪国立文楽劇場に、文楽鑑賞に通っていたので、彼に都合がつくときには、1日時間を取って奈良に出かけていった。
   古社寺巡礼が主体ではあったが、食事処や喫茶店は勿論、季節の展示など、余所者には分からないような穴場や通の奈良の味わい方などを教えてくれた。
   この口絵写真の東大寺遠望は、彼が教えてくれた奈良県庁舎屋上からの眺望である。
   最初は車で、奈良中を駆け回ったが、彼の眼が悪くなってからは、近場が多くなった。

   現役を退いてからは、彼は、家族と一緒に頻繁に海外旅行に出かけていた。
   1年に、4~5箇所は出かけていたであろうか。電話を掛けても掛からなかったのはそのためで、最初は、定番の旅行会社の有名ツアーへの参加旅行だったが、地中海クルーズとかアジアの僻地やアフリカなど、ドンドン広がって行き、パリなど何回訪れたであろうか。
   非常に凝り性で、パリ市内の地図など裏通りの路地は勿論、地図上の通りの名前を全部覚えたと言うから、その熱心さも尋常ではない。

   何故かフランスに興味を持ており、フランス語を独習して、奈良公園や東大寺に出かけて、フランス人を見つけて会話を楽しむのが無上の喜びだと語っていた。
   法蓮町から転害門を抜けて東大寺に入ったり、近鉄奈良駅を経て興福寺から奈良公園にぬけるなど、彼にとっては格好の散歩道であった。
   大学時代からESSで英語も堪能であったので、暇を見ては、趣味と実益を兼ねて、奈良で、私設観光大使を務めていたのである。
   私など逡巡するのだが、彼は何の抵抗もなく見知らぬ外人に近づいて、話しかけていた。

   私に真似の出来ないのは、終活についての潔い身の丈に合った生活態度である。
   60代の後半に入った頃、膨大な本など身の回りのものを殆ど処分して、大々的な断捨離を行って身軽にした。
   その後、しばらく経ってから、法蓮町の旧宅を処分してマンションに移ったと言ってきた。
   馬留もあるような立派な歴史的な邸宅で、先祖からの貴重な思い出も残っていた住み慣れた家だったはずだが、アッサリと見切りを付けて、近くのマンションに移ってしまった。

   目が不自由になって、本を読めなくなり、パソコンもままならず、TVも見づらくなって来て、情報源が、聞く本など限られるようになって来た。
   家で転倒して骨折など病気を併発して歩行困難になるなど、不自由な生活が続いた。
   しかし、今回の逝去は、誤嚥性肺炎だという。

   1ヶ月半毎くらいに、奈良に電話して近況を聞いていたが、本人との直接会話は少なくなり、奥さんとの話が主体になって来た。
   最後に話したのは、本人から掛かってきた1年ほど前の電話、
   最後にあったのは、同じく親友と3年前に奈良を訪れて奈良町で、
   実に悲しくて辛い。
   心から、冥福をお祈りする。

   私も酷暑の遠出は無理なので、秋口になったら、お墓参りに奈良を訪れて、彼との懐かしい思い出を反芻したいと思っている。
   
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オリエンタルリリー:シルクロード、コンカドール

2023年06月27日 | わが庭の歳時記
   梅雨時にわが庭で咲くのは、アジサイとゆり。
   カサブランカ系統のシルクロードとコンカドールが咲き始めた。
   なぜ、シルクロードというのか知らないが、荒涼とした中央アジアの高原のキャラバンサライの庭にこの大輪のユリが似合いそうである。
   尤も、私は結構世界中を行脚してきたが、残念ながら、学生時代に一番憧れていたはずのシルクロードには足を踏み入れたことがない。
   
   
   

   コンカドールは、黄色いカサブランカ。
   地が赤で白覆輪のシルクロードのように、黄色の地に白覆輪のツートンカラーの花弁模様が普通のようだが、わが庭のコンカドールは、混じりっけなしの黄金の黄色一色で、非常に優雅である。
   最初、30球くらいのカサブランカの仲間を植えたのだが、いつの間にかドンドン消えてしまって、年にもよるが、咲いてくれるのは4~5株くらいで、ヘタをすると咲く寸前に、カミキリムシか何かに、根元からやれれてしまう。
   草花は、陽当たりの良い独立した花壇に植えて育むべきで、私のように、鬱蒼とした庭木の根元に空間を見つけて、球根をねじ込んでいるような、なまくらガーディナーは失格だが、木々の合間から、綺麗な花を見せてくれると無性に嬉しくなる。
   
   

   もう一つ、初夏の爽やかな花は、アガパンサス。
   やはり、夏は、青系との花が涼しそうで良い。
   
   
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都響C定期「ブルックナー生誕200年に向けて」

2023年06月25日 | クラシック音楽・オペラ
出 演 指揮/マルク・ミンコフスキ
曲 目 ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調 WAB105(ノヴァーク版)

   今日のブルックナーは、第5番。
   重層的に構築された気宇壮大なスケールの中で、神と大自然を畏敬の心を持って照覧すると言った特色を持った交響曲だと解説されているが、理屈抜きで、地響きがする壮大なサウンドが肺腑を直撃する。
   休憩なしの70有余分の長大な大曲で、第4楽章の壮大なフィナーレは圧倒的で、感動した観客の拍手が鳴り止まない。
   演台から下りたミンコフスキは、譜面台の分厚い楽譜を取り上げて、閉じてから胸にいだいて、また、静かに元に戻す。
   
   ところで、今でこそ、ブルックナーの交響曲が大曲としてコンサートで良く演奏されるが、もう半世紀も前のことになるが、マーラーさえ稀で、プログラムにも載らなかった。72年から74年までフィラデルフィア管弦楽団のシーズンメンバーチケットを取得して通っていたが、ニューヨークでも、ブルックナーを聴いた記憶がなかった。
   気になって、このブログのレビューで2005年以降ブルックナーの演奏会の記録を探したら、
   エリアフ・インバル指揮都響、交響曲第2番
   小泉和裕指揮都響、交響曲第3番「ワーグナー」
   アラン・ギルバート指揮都響、交響曲第4番 「ロマンティック」
   リッカルド・ムーティ指揮ニューヨーク・フィル、交響曲第6番
   ヴォルフ=ディター・ハウシルト指揮新日本フィル、交響曲第7番、交響曲第8番
   ヨーロッパに居た頃には、ブルックナーのコンサートに接する機会が多くなって、1980年代から90年代にかけて、コンセルトヘボーやロンドン響などコンサートに通いつめていたので、おそらく、オイゲン・ヨッフムやザバリッシュなどでブルックナーの交響曲を聴いているはずで、全曲を聴いているであろうと思う。
   聴いたと言っても、その瞬間の経験だけで忘れてしまうので、何の記憶も残っていない。

   マルク・ミンコフスキは、都響の「作曲家の肖像」シリーズで、ビゼーの交響曲「ローマ」と「アルルの女組曲第1番&第2番」を聴いている。フランス人でありながら、バロック音楽を中心に、古典派やロマン派の音楽も積極的に取り組むなどレパートリーは広く、仏独両刀遣いであり、先日レビューしたベルリン国立歌劇場:歌劇「ポントの王ミトリダーテ」の指揮者でもある。
   フランス人指揮者のシャルル・ミュンシュやピエール・ブーレーズのドイツ音楽への凄い傾倒に鑑みれば、ミンコフスキのブルックナーの素晴らしさも分かるような気がする。

   アムステルダムにいた頃、夏の休暇でオーストリアに出かけたとき、ウィーンからドイツ国境を越えるのに、ドナウ川沿いにリンツに車で走った。
   ブルックナーの故郷を尋ねてみようと思ったのである。
   寅さん映画に出てきた教会を過ぎて鄙びた河畔を数時間走ると、リンツの郊外の片田舎に、セント・フロリアン大修道院がある。ここがブルックナーが生まれたアンスフェルゼンに近く、ブルックナーが、教会音楽を学びオルガニストとして成長した教会なのである。
   修道院や美術館などは見学出来たが、残念ながら教会は閉まっていて入れず、ブルックナーが演奏していたオルガンは、入口の鉄扉の隙間から薄暗がりを通して少し見える程度であった。

   ブルックナーの故郷への思い覚めやらず、ウィーン音楽院の教授まで勤めながら故郷に帰る事を望んだので、このオルガンの下に埋葬されていると言う。
   何の変哲もない静かな田舎で観光客なども全くいない。恐らくブルックナーが住んでいた一世紀半前と少しも変わっていないような気がした。
   リンツがどのような街であったかにもよるが、田園地帯の鄙びた田舎でのセント・フロリアン大修道院の存在は圧倒的で、ブルックナーの素朴で敬虔なカトリック信仰に基づく生来の村人気質の原点なのであろう。
   穏やかで平和な佇まいを心地よく味わいながら小休止して、田舎道を抜けてドイツとの国境を越えた。ベルリンの壁が崩壊してしばらく後の頃だが、今でもブルックナーを聴くと懐かしく思い出す。
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国立名人会:談春「らくだ」

2023年06月23日 | 落語・講談等演芸
   久しぶりに、国立演芸場へ「国立名人会」を聴きに出かけた。
   談春と吉坊の落語を聴きたいと思ったのである。

   第468回国立名人会 演目は次の通り

   落語「権助提灯」 立川こはる 改メ 立川小春志
   上方落語「冬の遊び」 桂吉坊
   落語「お血脈」 柳家小せん
   長講一席「らくだ」 立川談春

   さて、「らくだ」だが、何回か聞いているのだが、非常に芸の細かい凄い作品である。
   乱暴で嫌われ者の大男のらくだが、フグにあたって死んだ。兄貴分の半次が葬式を出してやりたいが金がない。丁度来合わせた屑屋を脅して、長屋から香典を集めたり、酒肴、棺桶用の漬物桶などを調達するのが面白い。特に、大家の所に通夜に出す酒と料理を届けさせるよう使いに出され、大家が断ったら「死骸のやり場に困っており、ここへ背負ってくるから、面倒を見てやってくれ。ついでに「かんかんのう」を踊らせてみせる」と言えと言われて出かけるが、大家はやって見ろと相手にしない。半次は屑屋にらくだの死骸を担がせ、大家の所へ乗り込み、かんかんのうの歌にあわせて死骸を踊らせたので、大家は縮み上がって、酒と肴を用意する。今度は八百屋に行って棺桶代わりの漬物樽を借りてこいと命令され八百屋へ行き、らくだの死骸で大家を脅したことを伝えると、八百屋も怖れおののいて樽を差し出す。
   用意が整ったところで、半次に酒を勧めて飲み始め、屑屋は執拗に断り続けるが、有無を言わせず飲ませ続けるので、とうとう、屑屋も酔っ払って酒乱状態になり、主客逆転して絡み始めて、半次に魚屋へ行ってまぐろを取ってこい、ダメだと言えばかんかんのうで脅せと命令する。徐々に酔っ払いのテンションが高揚して、元大店の道具屋だったが落ちぶれて屑屋になったことや左甚五郎のかえるだと言われて生きた蛙を買った話など屑屋の挿話が面白い。
   談春の噺は、ここで終ったが、談志のyoutubeを見ると、さらに、亡骸を樽に詰めて、焼き場への道行きとオチが続く。
   万雷の拍手を受けて終演後、談春は改装の国立演芸場との思い出などを語り、三本締めで幕。

   談春の噺は、まだ、3回くらいしか聴いていないが、小説の「赤めだか」に感激して、何時も話の冴えは抜群で実に面白いので、一番聴きたい落語家である。
   4年ぶりの舞台なので、随分貫禄がついて大家然としてきた感じであったが、今回のような舞台になると相好を崩しての百面相紛いの熱演で、あれだけ、表情豊かに芸に没頭してキャラクターを表現が出来るのか、驚異でさえある。

   吉坊は、「冬の遊び」。
   江戸の吉原、京の島原と並ぶ三大廓の一つ、大阪の新町の格式も高い太夫道中の諍いの話。
   手続きの不都合で、新町の最大の贔屓筋であり依って立つ堂島のコメ問屋へ伝達をしくじったのだが、その当日、堂島の米問屋の旦那たちが新町に来て、挨拶がないと苦情を言って、道中中の栴檀太夫を座敷に呼べと無理を言う。仲居が、今、道中の最中なので無理だと言っても、知らんがな、呼ばれへんいうのやったら、ほな帰る。と席を立とうとする。最大の贔屓をしくじっては一大事。仲居の機転で、休憩だと役人たちを丸め込んで太夫を座敷に連れ戻す。道中の仮装である厚着の格好のまま太夫が登場したので、感服した旦那衆が、「こんな恰好で汗一つかかんのやさかい流石に太夫。どや、今日は太夫の心中だてで、冬の恰好しよか。」「それがええ。」と言うことになって、冬の衣装に炬燵、鍋を炊いて、障子を締め切る騒ぎになる。
   嘘か本当か、大阪の夏は非常に蒸暑くて生きた心地がしないほどで、これに、冬の厚着で部屋を閉め切って鍋を囲むなど正気の沙汰ではない。
   オチは聞きそびれたが、解説では、居たたまれなくなった幇間が我慢できずに服を脱いで褌一で井戸水を浴びたので、怒った旦那が「何で服脱ぐねん。」「寒行の真似ごとで」

   吉坊は、幅広い芸域をカバーした芸の厚みや、パンチの利いた軽快な語り口が好きで、ファンになった。
   上方落語に興味を持つのは元関西人としては当然なのだが、この落語の仲居の会話など懐かしい浪花千栄子の大阪弁を彷彿とさせるし、堂島の旦那衆の横車も良く分かるし、この新町のお茶屋を、歌舞伎「廓文章」の舞台となった「吉田屋」と重ねると、大坂の雰囲気が色濃く滲み出てくる。

   今回、興味深かったのは、先物取引を先行した堂島の米市場の隠然たる勢力を活写していることで、文化芸術が栄えるためには、メディチのフィレンツェ同様に富と財力とあってこそだと言うことである。
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クルーグマン説で岸田内閣の「新しい資本主義」を考えると(その2)

2023年06月22日 | 政治・経済・社会
   まず、この論文で、クルーグマンは、岸田政権の経済政策について、次のように述べている。
   現在の岸田政権では、安倍政権の頃に掲げられたアベノミクスの「3本の矢」のように、聞こえの良さそうな言葉を並べた「新しい資本主義」を経済政策として打ち出しています。しかし、内容が本当に伴っているのかと言うと、否でしょう。どこか空虚に聞こえます。

   日本のインフレ率は30年ぶりに3%を超えたが、日本人はデフレマインドなので、欧米と比べてこのように低いインフレ率でも消費を抑制する。
   日本企業の内部留保を賃金の引き上げのために用いることが、日本経済の景気を好転させ、国民にとってどれだけプラスになるかを企業家たちに説くことが、岸田首相の大きな役目であると言えるでしょう。と言う。

   さて、クルーグマンは、何度も、日本の企業は、内部留保を増やすだけで、従業員の賃金の引き上げを頑なに拒んできているが、賃上げが出来れば需要が増大して「良いインフレ」を生じさて、生産性を上げる健全な投資を産み出せ、更なるイノベーションに向けた適切な投資が行われて、好循環に転じて経済成長を策せる。と強調している。
   日本企業の経営効率の悪さは、その低い資本効率が株価に反映されていて、株価純資産倍率(PBR)が、メガバンクは勿論、日本を代表する優良企業でさえも1倍割れが多いのだが、これは、市場が「株主資本が毀損されており、上場しているより解散した方がましだ」すなわち、叩き売った方が良いと判断していることで、上場の意味がない。 内部留保や政策保有株が多いことのほか、収益力の低さ、株主還元の少なさなど、さまざまな要因が考えられ、対策として、短期的には余剰資金による自社株買いや増配が有効だが、これらは株価対策であって、強者富者を益するだけである、

   有効需要拡大のためには、クルーグマンが説く如く、賃金の引き上げが一番有効であることは間違いなく、所得分配の公平性にも資する。
   クルーグマンは、それも、僅かな額ではダメで、抜本的に上げなければならない。少なくとも最低賃金を1.5倍に上げないと意味がない。それくらいに給料が上がらないと、消費に回らないからだと、追い打ちをかけている。
   また、非正規雇用についても、社会保障的にも安定していないのであるから、同じ仕事をしているのなら、正規社員より高い賃金を払うことが望ましいと真っ当なことを言う。

   ところで、低すぎると言う日本の労働生産性についてだが、
   G7では最低だと言うから、Japan as No.1の時代にグローバル戦争に明け暮れていた我々企業戦士には信じられないような体たらくであり、僅かに得た利益を、新規投資に投入して攻撃に立つのではなく、内部留保に汲々として内向きの経営に堕しているのであるから、成長から見做され、従業員の給与所得に資金を配分する才覚に欠けてしまう。これが、日本の企業の現状であろうか。
   日本企業の生産性が何故低いのか。東洋経済によると、
   日本の生産性が低い原因には、イノベーション不足、人材や設備への投資減少、低価格化競争、企業の新規開業や統廃合の少なさ、労働人口の多いサービス産業の生産性の低さなどが挙げられる。また、無駄な作業や業務が多いこと、会社の価値観や仕事のやり方が以前と変わっていないことも原因として挙げられる。日本の組織での仕事の進め方が、成果主義になっていないことやITに対応していないことも原因の一つである。残業時間の増加や休日出勤によるストレスや、労働生産性の高い従業員のモチベーション低下も問題である。と言う。完全に落第生の極致である。

   ところで、ジョブ型雇用だが、職務に必要な責任、資格、必要なスキルの明確かつ簡潔な概要であるジョブ・ディスクリプション(職務記述書)が重要な役割を果たす。現状では、ジョブ型雇用はエンジニアや管理職など、特殊なスキルや高度な能力を要する一部の職種や階層に限定した導入が主流のようだが、この日進月歩で大変革を遂げている企業を取り巻く経営環境に、キャッチアップし続けられるのかどうか。
   例えば、前世紀ではアメリカ型の株主至上主義が企業経営の要諦であったが、今やESG重視の日本型のステイクホールダー経営が常識となるなど、驚天動地の変化さえ起こる、
   激変する経営環境下で制度疲労しつつあるジョブ型雇用人事システムがサステイナブルかどうか。である。

   いずれにしろ、岸田内閣の「新しい資本主義」と、その実行計画の改定案なり、時宜に沿った文言を鏤めた秀才の作文と言った感じで、注目には値するとは思うが、クルーグマンの言うように、聞こえの良さそうな言葉を並べた、内容が本当に伴っているのかと言うと、否で、どこか空虚に聞こえて、こんなことで、日本の経済が再び回復して、MAKE JAPAN GREAT AGAIN出来るのかどうか、疑問に思っている。
   クルーグマンの日本の経済分析は適切であって、日本企業の生産性アップをどうするののか、企業の過剰な内部留保をイノベーション投資と賃上げに振り向けるためにはどうするのか、無意味なお題目は厳禁で、有無を言わせずに強制的に企業に迫って実行させる確実な政策を企画立案して推進する、それ以外にないであろう。
    
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クルーグマン説で岸田内閣の「新しい資本主義」を考えると(その1)

2023年06月21日 | 政治・経済・社会
   大野和基の「常識」が通じない世界で日本人はどう生きるか の、ポール・クルーグマンの日本経済論が面白いので、これで、岸田内閣の最近の雇用制度改革案など「新しい資本主義」について考えてみたい。

   まず、クルーグマン説
   FRBの量的引き締めと利上げ策は、日本経済にも影響を与え、日本は、物価高騰と円安の二重の打撃を受けている。
   現在のインフレは、コストプッシュのインフレで、日本の労働者の賃金は上がらないので「悪いインフレ」である。企業側が賃上げをして需要を拡大することが最も重要かつ有効なのだが、日本の企業は内部留保を増やすだけで、インフレ率にマッチした賃金の引き上げを頑なに実施しない。ここで、賃上げが出来れば、「良いインフレ」を生じさて、生産性を上げる健全な投資を産み出せ、更なるイノベーションに向けた適切な投資が行われて、好循環に転じるはずである。
   日本人の最大の問題は、貯蓄を好むと言うことである。たとえ賃金が上がっても貯蓄するだけで使おうとしなければ、市場の好循環は生まれないし、経済を刺激することもない。
   日銀の政策効果を最大限に発揮させるためには、企業側の努力として賃金を上げること、消費者側の努力として貯蓄に回しすぎずによりお金を使うことである。人体の血液と同じで、お金の流れをもっと良くして、循環させねば意味がない。
   日本のインフレは、アメリカの好景気を伴う需要拡大のディマンド・プルではなく、コスト上昇によるインフレに過ぎないので、雇用の促進や賃金上昇が起きていない以上、景気は回復するどころか後退して行く。これが、より深刻化すると、不況とインフレが共存するスタグフレーションに突入する。
   スタグフレーションを回避し、不況を改善するためには、政府の施策だけでは無理なので、」やはり、企業が内部留保ばかりを増やしていないで、もっと利益を従業員の賃金に回すべきである。
   日本経済の衰退の要員の一つには労働生産性の低さがある。日本の労働生産性は、OECD38カ国中23位と非常に低い。
   日本の労働生産性の低さは、定年制度から来ている。熟練したスキルを持った従業員が、一定の年齢を迎えると一律に仕事からひき剥がされてしまうのは大きな損失で、働く意欲も体力もある労働者を年齢を理由に追い出してしまえば、国民一人あたりの生産性が下がるのは当然である。

   さて、岸田内閣の「新しい資本主義」だが、   
   岸田首相は昨年10月、ニューヨーク証券取引所で、日本企業にジョブ型の職務給中心の給与体系への移行を促す指針を2023年春までに官民で策定することを明らかにし、「年功序列的な職能給をジョブ型の職務給中心に見直す」と述べた。専門的なスキルを給与に反映しやすくして労働移動を円滑にし、日本全体の生産性向上や賃上げにつなげる狙いがある。「一律ではなく仕事の内容に応じたジョブ型の職務給を取り入れた雇用システムへ移行させる」と語った。

   また、政府は2023年6月6日、「新しい資本主義」実行計画の改定案を発表した。 時代の流れに即応した「分厚い中間層」育成を目論む 改定案だが、退職金「優遇制度」見直しなど老年労働者の多くの人には「不利」な内容が盛り込まれた「在来の日本型雇用制度潰し?」と思しき改革案でもある。
   その改革案だが、
   政府は勤続20年を超えた人を優遇している退職金への所得税の軽減措置が、転職など労働移動の円滑化を阻害しているという指摘を踏まえ見直しを検討する。労働力の成長分野への移動を促すためで、自己都合で離職した人への失業給付制度も再検証し、年功序列や終身雇用を前提とした日本型雇用慣行の改革に取り組む。
   退職金への課税制度については、今年度の与党税制改正大綱も「適正かつ公平な税負担を確保できる包括的な見直し」が必要と明記。
   失業給付制度の見直しも明記した。「労働移動の円滑化」、自発的に転職しやすい環境を整備するため、自己都合で離職した場合の失業給付のあり方を検討し、自己都合で離職すると求職申し込みから2-3カ月を経ないと受給できない現行制度の要件緩和を検討する。
   実現会議は、リスキリングなどを含めた労働市場改革の全体像を6月までに指針として示す。

   ところで、クルーグマンの論点と岸田内閣の政策とで重なるのは、定年制度だけだが、クルーグマンは日本の熟練労働者の長期雇用の価値を認めており、岸田内閣は雇用の流動性を勧めたいので長期雇用に価値を認めない。私は、日米の経済構造や企業経営には大きな差があるので、是々非々主義で対応すれば良いと思っている。

   私が、まず、問題としたいのは、岸田内閣の雇用制度改革案が、一本調子で早急なアメリカ型の雇用制度への傾斜である。
   私がフィラデルフィアのビジネス・スクールで学んでいたほぼ半世紀前のアメリカの雇用制度と殆ど同じ制度を目指していると言う、この危うさである。

   日米根本的に違うのは、まず、労働者の教育システムである。
   プロフェッショナルを例にひくと、アメリカでは、大学は教養課程の位置づけで、エンジニアも医師も弁護士も経営者の卵も、大学院のプロフェッショナル・スクールで、育成される、例えば、トップビジネススクールの人事管理を専攻したMBAが、即刻、企業の人事部長としてヘッドハントされる。ケーススタディなどで多岐にわたる厳しい教育訓練を受けて最新最高の知見を得て、それだけの資格があると認められると言うことである。日本では、OJTなどを経て企業の長い経験を重ねなければ人事部長には成れない。それに、日本企業は、個々の企業が独特のコーポレート・カルチュアを持っていて、外部者は殆どすぐには馴染めない。
   フランスでも、ポリテクの卒業生は、卒業間もない若い頃にお礼奉公として中堅企業などのトップに天下っていた。欧米では、学歴や資格などによって、ジョブ階層や位置づけが決まるので、上位のジョブに就くには資格要件を上げる以外にない。
   そのようなシステムを受け入れる経済社会構造が醸成されているからこそ出来るのであって、長期雇用定年制度が根付いている日本にごり押しすれば、長年培ってきた公序良俗が廃れて道理が引っ込む。

   日本の企業のトップは、精々大卒なので学歴が低く、リベラル・アーツの知識不足以外にも、欧米の博士や大学院のプロフェッショナルスクールを出た若くから百戦錬磨の経験を積んだカウンターパーツに、名実ともに見劣りする。
   このような経営トップやプロフェッショナルが、卒業後20年経っても、まだ45歳、
   クルーグマンが説く如く、これ以降の人材が日本経済を支えている。知ってか知らずか、岸田内閣は、この20年をやり玉に挙げようとしている。

   クルーグマン説での、岸田内閣の「新しい資本主義」については、次に回したい。
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都響プロムナードコンサートNo.386

2023年06月17日 | クラシック音楽・オペラ
   2月のC定期に行けなかったので、振り替えのプロムナードコンサート、
   随分クラシックコンサートに通ってきたが、歳の所為で、この頃では、夜を避けて殆ど昼の公演に限っている。

   プログラムは次の通り、
   出演
指揮/小泉和裕
ヴァイオリン/クララ=ジュミ・カン
   曲目
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26
ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14

   欧米を含めて、半世紀以上も、クラシックコンサートやオペラに通い続けてきたので、ブルッフもベルリオーズも何度も聴いているのだが、忘れてしまうので、その都度新しい感覚で、それぞれに感激して楽しんでいる。
   ブルッフのヴァイオリン協奏曲は、レコードもCDも持っていないにも拘らず、曲想を覚えているので、コンサートで何度か聴いているということであろう。韓国系だという綺麗でスマートなクララ=ジュミ・カンは、朱色の鮮やかな羽衣状のロングドレスを踊らせながら、幻想的で叙情的な美しいサウンドを奏でて、聴衆の感興を呼ぶ。
   小泉の指揮する幻想は、事前に曲のイメージを叩き込んで聴いたので、理屈抜きでドップリと演奏にのめり込んで、気づいたらフィナーレと言った感じで、珍しくサウンドに飲まれてしまっていた。
   指揮後の小泉の上気した感激極まった表情、そして、熱狂的な聴衆のカーテンコールが、その成功を物語っている。

   私が、記憶に残っている幻想交響曲の素晴しい演奏は、1970年、大阪万博で来日したニューヨーク・フィルのコンサートで、レナード・バーンスタイン指揮の「幻想交響曲」。
   第2楽章「舞踏会」の華やかな美しいワルツの演奏で、指揮台のバーンスタインは、男性ダンサーのスタイルで踊り出すような仕草で華麗な指揮をしたのを強烈に覚えている。
   バーンスタインがタクトを下ろすと熱狂的な万雷の拍手、突然、「ブラボー」と叫ぶ大声、
   振り向いて見ると、貴賓席あたりで起ち上がって熱狂しているのは青年のような若かりし頃の小澤征爾、
   小澤征爾が我を忘れるほど、称讃したのだからバーンスタイン会心の演奏であったことは間違いなかろう。
   最晩年、自作の「キャンディード」をロンドン交響楽団で振った時には、痛々しかったが、あの当時のバーンスタインは、カラヤンにも負けないほどスマートな美男子で、指揮界きってのインテリであった。
   ニューヨークなどでニューヨーク・フィルを聴く機会があったが、忘れられないのは、コンセルトヘボーで聴いたシューベルトの「未完成」、
   最高級のビロードのような滑らかさ、最高級の赤ワインの芳醇さ、言葉では表現できないが聴いたことのないような美しい天国からのサウンドであった。
   名指揮者や巨匠を殆ど聴いてきたが、バーンスタインは忘れられない。
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梅雨にはアジサイが似合う

2023年06月15日 | わが庭の歳時記
   ばらがまだ咲き続けている。
   あおいが、入れ替わり咲いて楽しませてくれている。
   
   

   バビロンアメジストも咲いている。
   今年はダメかと思っていたイングリッシュ・ローズのベンジャミン・ブリティンが咲き出してきた。
   
   
   

   さて、鎌倉では、明月院や長谷寺が、アジサイ寺として有名で、以前には、随分訪れて、このブログでも書いてきたが、歳の所為か、全く興味がなくなってしまって、近所の通りや路傍のアジサイで満足している。
   手入れが行き届いていないので極めて野性的だが、不思議なもので、咲き競うとそれなりに風格が出て面白いのである。
   住宅でも、特にアジサイを好んで植えているアジサイ屋敷があって、徹底して垣根や門前にビッシリとカラフルに植え込んだ庭の風情などは、格別である。

   さて、わが庭だが、真っ白な地に、少しずつ紅が浮き始めて、まだら模様が濃くなって赤く色付いて行く手まり咲きで、ぼんぼりのように庭に広がっているアジサイが、何株か庭を占めているのだが、花びらがか細くて、すぐに傷んでしまうので、写真にならない。
   
   
   
   

   ガクアジサイが、独特の雰囲気を醸し出していて面白い。
   ホンアジサイと呼ばれる手まり咲きのアジサイは、この額縁状のガクアジサイ(額紫陽花)から作出されたものなのである。
   中心部の小花にバリエーションがあって魅力的である。
   
   
   

   ビヨウヤナギも咲き出した。
   
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ポール・ジョンソン 著「ナポレオン」(1)

2023年06月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ペンギン評伝双書のポール・ジョンソン の「ナポレオン」
   これまで、ナポレオンと言えば、トルストイの戦争と平和の映画や、ルーブルでの絵画の大作のナポレオンの雄姿からえたイメージや、世界史やヨーロッパ史などから学んだ知識が主体で、正面切ってナポレオンの伝記を読んだことがなかった。
   幸い、最近、手軽に充実した偉人の伝記を俯瞰できるペンギンの評伝双書に興味を持ち始めていたので、遅ればせながら、そのナポレオン伝を読んでみた。

   まず、ナポレオンは、特定のイデオロギーを唱えた人物ではなく、機に乗じるのに長け、フランス革命の不幸な出来事をうまく利用して、最高権力に上り詰めていった。不幸というのは、英国など他のヨーロッパでは、平和的な方法で可能であったが、フランス革命は、恐ろしい経過を辿り、必然的であるかのように専制政治に向かい、ナポレオンにとって有利に働いた。一旦権力の座につくと、より強い権力を求め続け、支配力をほぼヨーロッパ全域へ広げようとした。軍事的勝利を市民社会の発展に変換し、武力による支配を法による支配に改めたアメリカのワシントンに学ぼうとせずに、彼が常に信頼したのは、銃剣と大砲であって、理解した唯一の言語は武力であり、ヨーロッパがこれまでに経験したことのない破壊的な戦いを大陸中で繰り広げた。
   しかし、ナポレオンの所業によるフランスの損害は、取り返しのつかないほど甚大で、急激な人口増の他のヨーロッパ諸国に比して、フランスの人口は伸び悩み、停滞し、やがてヨーロッパの主導的地位から滑り落ち、二流にならざるを得なかった。これが、ナポレオンが、自分で選んだフランスに対して残した本当の遺産である。と言うのである。

   引き続き起こった政治的混乱の中で、彼の統治方法をモデルにした新たなイデオロギー上の独裁者が、まず、ロシアに、次にイタリアに、そして遂に、ドイツに現われ多くの小国が追随した。20世紀の全体主義国家は、現実のナポレオンとその神話の究極の申し子であった。それ故に、20世紀の悲劇的な過ちを繰り返さないように、何を恐れ、何を避けるべきか、ナポレオンの華々しい生涯を冷静に厳しく、じっくりと検証し学ぶ必要がある。と著者は説いている。

   些細なことだが、興味深った逸話は、若い頃、チャーチルと同じように、精読によって独学を試みた。と言う話。
   まだイタリア語で手紙を書いていたが、フランス語も酷い綴りながらも上達していた。読んでいたのは、プラトンの「国家篇」、ビュフォンの「博物誌」、ルソーとヴォルテール、初期ロマン派のバイブルであったマクファーソンのオシャン作品集、様々な歴史書や伝記などである。英国について英語で書かれた本を一冊、英国がこれから発展するであろうからその秘密を研究すべきだと思って、特に熱心に読んだ。

   ナポレオンをフランスの職業軍人に育てた正規教育は、最後の士官学校を含めた王立陸軍学校であったが、自分の得意な計算能力を利用するのが如何に有効かを知った。この能力によって士官学校を卒業して、戦争に於ける計算の役割に常に注意するようになった。進むべき距離、進軍する速さとルート、必要物資と動物の量、それらの輸送手段、様々な戦闘で使用すべき弾薬の割合、兵士や動物の交代率、病気や戦闘や脱走による目減り――これらはみな兵站学の要素だったが、ナポレオンは、常に頭の中でこうした計算を行っていたので、すぐに命令を出すことが出来た。
    また、地図を読むのも得意で、平面的な、時には誤った地図から、天才的な能力で地勢を思い浮かべることが出来、地図を調べて、正確な進軍や移動日数の計算による戦争術が、ナポレオンを、ただの戦術家以上の、地政学的な戦略家の要素を持っていた。と言うのである。
   貴族の端くれではあったが、金も後ろ盾もないナポレオンにとっては、軍人として恵まれた資質であったと言えよう。

   興味深いのは、ナポレオンの大出世劇に特徴的なのは、日和見主義だという。
   出世した者で、彼ほどイデオロギーに悩まなかった者は殆どなく、祖国を持たない彼は、愛国心も持たなかったし、フランスは職を得、権力を手に入れる場所に過ぎなかった。
   正当な貴族ではあったが、土地も金も称号もなく、階級意識も持たず、目の前にある特権構造は不当で、しかも異様な非効率の原因であると見ていた。しかし、王族や貴族に憎しみを抱いたわけではなく、民主主義や選挙による政治を信じていたわけでもなかった。

   そして、ナポレオンは、革命ではなく変化、正確には、進化を信じていたと言う。
   彼は、ものごとがより良く、より正しく、より速く動くようになることを望んでいた。
   1780年代のヨーロッパは、米国の憲法制定と、国内での独裁的改革に拍車をかけられて、まさに変化の時を迎えていた。実際誰もがそれを望んでいたし、反対する者は殆どいなかった。
   しかし、自らを「偉大な国」と称し、強国という戦車に繋がれていたので、フランスは、18世紀後半には、ヨーロッパを支配すると言う歴史的立場を維持するために、高い代償を払って、殆ど義務のように徐々に不利になる戦争を続けた。1780年代には破産との戦いになりフランス革命に突入して、変化は制御不能となった。

   舞台設定が揃ったそこに、天下の英雄ナポレオンが登場。
   イデオロギーも主義信条も無縁であった征服欲の権化が、如何に戦ったのか、次に考えてみたい。
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読書趣味老人のささやかなつぶやき

2023年06月13日 | 生活随想・趣味
   私は、季節が良くて、晴れたり曇っていても明るい日には、庭に出て、小一時間本を読むのを日課にしている。
   5月も、暖かくなってくると、蚊や虫が出てくるので、除虫スプレーを使うのだが、最近のように梅雨入りで、雨が降り始めると、もう、庭には出られないし、晴れた日でも暑すぎてダメである。
   季節から言うと、春の息吹を感じ始める晩冬から椿の終る季節くらいまでで、秋は、晩秋から初冬の明るい日が良く、多少寒いくらいの方が良い。

   私は、軟硬取り混ぜて、何冊か並行読みしているので、庭に持ち出す本は、その日の気分によって選んでおり、真面な読書は、特に専門書などは、書斎でじっくりと対峙しており、この方は、何時間も続くことがある。

   以前は、鉛筆で棒線を引いたりしていたが、最近では、カラフルな付箋を貼るだけに留めている。
   日本の本を読んでいて、一番困るのは、索引のある本が非常に少ない、と言うよりも、ないと言うことである。
   欧米では、索引のない専門書などあり得ないし、なければ専門書の体を成さないのだが、日本では逆で、索引のない専門書が大半で、日経を筆頭にして、大手出版社でも、私の読む経営学や経営学の本には索引のある本があれば天然記念物である。
   高度な翻訳物の専門書など、原著者が許しているのか疑問だが、私など、ブログでレビューするのに使うだけだが、専門家なら、索引次第で頻繁に読み返したり、学術書としての引用と言うことで、索引は必須なのである。
   翻訳本では、索引がないにも拘わらず、膨大なページを割いて、参考文献や原注が掲載されている。尤も、本文を読むのにエネルギーを取られて、必要程度しか読めないのだが、これはこれとして、索引の方がよりMUSTなのである。

   私の付箋張りは、重要なポイントや印象深いところとか新鮮な知識とか、色々感じたときに色を変えて、付箋を貼っているのだが、索引の代用ということもある。大切な用語の重要な記述の箇所に同じ色の付箋を貼り続けるという手法である。

   最近、世界史や国際関係の本を読むことが多いので、気になるのは、出てきた話題の都市など遺跡が、地図のどこになるのかと言うことだが、まず、冒頭に関連地図や写真が掲載されている本があれば非常に助かる。
   最近では、地図帳を脇に置いて開くことにしているのだが、
   余談ながら、テレビ放送でも、知らない地名が出てくると、その場所が何処なのか、間髪を入れずに画面の角にでも、地図を表示してくれると有り難いと思うことがある。

   もう一つ困っているのは、前に読んだ本をすぐに取り出せないことである。
   千葉に居た時には、娘たちが独立して家内と二人暮らしであったので、書斎の壁全面を書棚にして、それも足りずに、二階の廊下から階段に小型の本箱を並べて、所狭しと本を並べて、それでもドンドン本が増えて行くので、机の周りや足下に、足の踏み場もないほど本を積み上げていた。
   それでも、多くの本は書棚に並んでいたので、大体、すぐに欲しい本が引き出せていた。

   しかし、鎌倉に移ってからは、私の書斎は6畳一間で、書棚も限られているので、手元で自由に引き出せる本は少なくて、最近の本は、机の左右や下など、部屋中所狭しと積み上げてあって、一冊本を探すのに、何十冊もひっくり返さなければならない。押し入れの中も満杯であり、和室にも移しつつあるが、家族の顰蹙を買っている。
   鎌倉への移転で、蔵書の殆どは処分したのだが、それでも、捨てきれずに残った本が、1000冊以上あったので、殆どは大きな倉庫を買って収用したが、数百冊書斎に持ち込んだ本が、いつの間にか、足の踏み場もないくらいに広がってしまった。
   倉庫の本も、当初は、書庫を壁面に並べて、書斎代わりにしていたが、年々、本以外にも色々な物を入れ込んだので、本にさえ近づけなくなった。
   偶々、引き出した本を見て、こんなに大切な本をお蔵にしていたのかと後悔しきりである。
   
   別に本に執着しているわけではないのだが、もう少し置いておこうと思って、すぐには処分出来ないので、積もり積もるのだが、もう、数年もすれば、文句なく、家族が瞬時に処分するのは、分かっている。
   私の書籍偏愛に辟易している読書家の娘二人も、読んだ本はすぐに処分していて、殆ど蔵書は持っていない。

   さて、私はどうするか、今、真剣に考えている。
   
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スティーヴン ワインバーグ 著「科学の発見」(科学後進の中世ヨーロッパ)

2023年06月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ギリシャ時代に燦然と輝いた科学だが、ローマ時代に一気に沈滞し、中世を迎えたヨーロッパで、やっと、中世後期に動き始めた。
   しかし、この本の、「第十章 暗黒の西洋に差し込み始めた光」には、冒頭に次の叙述、
   ローマ帝国が崩壊するにつれて、ビザンチン帝国以外のヨーロッパは貧しい漁村と化した。その住人は大半が読み書きができなかった。いくらか識字能力が残っている場所は教会だけになり、そこで使われるのはラテン語だけで、中世初期のヨーロッパには、ギリシャ語を読める人間は事実上いなかった。
   復興し始めた西洋。アラビアから翻訳でアリストテレスの知識がよみがえる。だがそれらの命題が教会の怒りに触れ、異端宣告される事件が起きた。のちに宣告は撤回されたが、この軋轢は、科学史上重要な意味を持った。

   この異端宣告と撤回という13世紀の出来事ごとは、異端宣告はアリストテレス絶対主義から科学を救い、その撤回はキリスト教絶対主義から科学を救ったと言うことができると結論付けている。
   ところで、前書きとは違って、著者は、中世期のヨーロッパの科学の遅れを記述しているのではなく、静止している地球を中心として天球が回転しているとする天動説のプトレマイオス派とアリストテレス派との論争や、異端宣告に伴う宗教界との軋轢、大学や学者たちの学説等々胎動する科学史を展開している。
   しかし、ローマ帝国滅亡から科学革命までの千年間は知性の暗黒時代であったわけではなく、古代ギリシャの科学の業績は、イスラム圏の学術機関やヨーロッパの大学で維持され、時には改良されることがあった。として中世を近世への橋渡しととらえている。
   文化不毛の時代だったら、ダンテの「神曲」など生まれないし、
   いわば、ルネサンスや大航海時代の幕開けへの胎動であろう。

   注目すべきは、同時代に、隆盛を極めてユーラシアに君臨していた文化文明の中心は、ギリシャの科学や学問芸術を継承したアラブのイスラム世界であって、台頭し始めたヨーロッパの大聖堂付属学校や新興大学は、古代科学者や学者の著作の原典をアラビア語の翻訳から、知識情報を得ていたのである。
   翻訳で、最も直接的影響を与えたのはアリストテレスの著作だが、当時イスラム領であったスペインのトレドでアラビア語から翻訳された。
   スペインは、グラナダが陥落するまでイスラム世界の西欧に食い込んだ最高峰の文化的拠点であり、トレドやコルドバやグラナダなどが、ギリシャ科学や芸術文化の伝播最前線であったのである。
   これらの古都を訪れるとイスラム文化と西洋文化の融合が良く分かり、格調高いエキゾチックな風物が楽しませてくれる。
   私はヨーロッパ最古の大学の一つサラマンカ大学を訪れて、コロンブスが居た部屋に入って感激したことがあるのだが、丁度、暗黒の中世(?)からテイクオフし始めて、科学芸術など学問が脚光を浴び始めた時期だったのであろうか。

   この本を読んでいて、気付いたのは、科学史においては、16世紀から17世紀にかけて訪れた科学革命に至るまでは、ギリシャ、ギリシャであって、科学の世界では、ローマ時代など殆ど何も生んでいないし、イスラム世界や中世ヨーロッパでも、ギリシャに匹敵する科学の勃興はなかったといったことで、
   一般的な世界史の常識と、非常に違うことであった。
   政治経済や文化史など文系の世界史に馴染んでいる私には、アリストテレスの天文学や生物学の変遷などといった話題は新鮮だが、プトレマイオスとどう違うのか、とにかく、戸惑いながら読んだ。
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スティーヴン ワインバーグ 著「科学の発見」(医学の遅れ)

2023年06月10日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   不遜な歴史書だと称するノーベル賞物理学者スティーヴン ワインバーグ の科学史。
   冒頭から面白いのだが、まず、科学と哲学や宗教など、科学とは異なったジャンルとの関係をのべた件で、興味をひいた箇所があった。
   ギリシャでは、実用面への科学の応用が、科学理論を産み出す原動力とはなったが、一つ大きな例外があって、それは、「医学」であるというのである。

   先月、ピーター・ゲイ 著「モーツアルト」のブックレビューで、
   彼を殺した犯人は、ウィーンの医学会の有名な医者たちであると言うことで、彼らは、スタートしたばかりの瀉血反対運動に目を向けることなく、繰り返し血を抜くことで、モーツアルトの体の抵抗力を減退させ、おそらくは消毒していない器具によって血液中に毒を送っていたのである。と紹介した。
   この本で、ワインバーグは、「瀉血」のことについて書いていて、殆ど前言を実証してるのである。
   12世紀頃から、ヨーロッパの理髪店では、赤と青と白のサインポールが立てられていたが、これは、理髪店が瀉血をする外科医を兼ねていた看板だったということで、当時の瀉血の実態が分かるような気がする。

   ワインバーグの本からその部分を引用すると、
   つい最近まで、非常に高名な医師たちでさえ瀉血(血液を抜いて有害物質を排出させようとする治療)のような、実験によって立証されたことのない、実際には有害無益な処置に固執してきた。19世紀に、消毒療法という本当に有益な、科学的根拠のある手法が導入された当初、大半の医師がこれに積極的に反対した。医薬品承認の際に、臨床試験が必要になったのは、漸く20世紀に入ってからである。医師たちは昔からさまざまな診断法を学んでいたし、鎮痛剤や麻酔剤や下剤や催眠薬や毒物の調合の仕方を知っていた。しかし、しばしば言われていることだが、20世紀初頭あたりまでは、平均的な病人は医師の治療を避けた方が得策だった。と言う。

   尤も、根拠となる何らの理論もなしに医学が実戦されていたわけではなく、四体液説という立派な理論が存在していた。しかし、その効果を実験によって検証しようという試みは一度も行われなかった。
   医師たちは、四体液説に加えて占星術の知識が求められ、大学で占星術を学ぶ内科医が、骨折の治療といった本当に有益な技術を知っている外科医より数段上の存在と見做されていて、外科医の医術は、近代まで一般的に大学で学ぶものではなかった。
   医学の理論と実践が、実証的科学によって訂正されることなく、これほどまで長い間続いたのは何故であろうか。
   それは、生物学の進歩の方が天文学の進歩より困難だったからである。それに、患者にとっては病気の回復が何より大事であって、これが、医師たちに権威を与えて、この権威を押しつけるためにはこの権威を守るほかなかった。権威を持った人間が、自分の権威を損なうかも知れない研究に反対するのは医学界に限ったことではない。と言うのである。

   ほんの100年前までは、すなわち、「20世紀初頭あたりまでは、平均的な病人は医師の治療を避けた方が得策だった。」と言う医学の後進性が興味深いのだが、
   次元が違うかも知れないが、和田秀樹先生の「80歳の壁」を越えれば、医者も薬も無用だと言う説を思い出した。
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ジョージ・ソロス:ウクライナ戦争を楽観視

2023年06月08日 | 政治・経済・社会時事評論
   ジョージ・ソロスが、PSの論文「民主主義はポリクライシスを生き延びることができるのか? Can Democracy Survive the Polycrisis?」で、ウクライナ戦争について、ウクライナにとって楽観的な見解を示しており、興味深いので取り上げる。

   この論文は、今、我々は、 あまりにも多くのことがあまりにも急速に起こっている混乱した困難な時代に生きており、コロンビア大学の経済史家アダム・トゥーズが、これを「ポリクライシス」と称し、これを論じている。この増大する不安の主な原因は、人工知能の台頭、気候変動、ロシアのウクライナ戦争であり、それぞれの政策立案者や政治指導者による緊急の対応が求められているとして、この3点について語っているのだが、今回は、ウクライナ戦争についてのソロスの見解について考えてみたい。

    ロシアのウクライナ侵攻は世界に悪影響を及ぼし、食糧供給を混乱させ、大きな地政学的再編を引き起こした。 しかし、実際の結果は予想よりもはるかに良い。 ウクライナ軍は英雄的な抵抗を示し、米国と欧州からの強力な支援を受けて事態を好転させた。 ロシア軍は張子の虎であり、指導が悪く、徹底的に腐敗していることが判明した。 私設傭兵部隊であるワグナー・グループは一時期侵攻を支援したが、最終的にはウクライナを倒すのには失敗した。
   その結果、ウクライナは現在、西側諸国が約束したすべての装備が納品され次第、反撃を開始する準備ができている。 バイデン氏はウクライナにF-16戦闘機を供与すべきだとさえ同意した。
   反撃は成功すると信じている。 標的はロシア海軍の本拠地クリミア半島となる。 クリミアには水がないため、すでに損傷したロシアとの陸橋を破壊することで、ウクライナは戦略的資産を戦略的負債に変える可能性がある。 陸橋が破壊されたことで、クリミアは水をウクライナに依存することになる。
   ロシア連邦の多くの地域は、すでにプーチンの専制政権に不満を抱いており、この展開により、彼らが、これらを完全に拒否する可能性がある。 プーチンの夢であるロシア帝国の復活は崩壊し、ヨーロッパと世界にもはや脅威を及ぼす可能性はなくなる。
   ウクライナ戦争の終結は、世界にポジティブな衝撃をもたらすであろう。 これはバイデンにとって、米国と中国の間の緊張を和らげる機会となる可能性があるが、同時に、現在中国自体も経済低迷の真っただ中にあり、習近平が米国との融和をさらに受け入れるようになる可能性がある。 バイデンは中国の政権交代を求めていない。 彼が望むのは台湾の現状を回復することだけである。
   ロシアがウクライナで敗北し、米中緊張が緩和すれば、世界の指導者が文明を破壊する恐れがある気候変動との闘いに注力する余地が生まれるかもしれない。 しかし、この結果に至るには狭く曲がりくねった道しかない。 民主主義が、多大な危機「ポリクライシス」を乗り越えられるかどうかを問うには、?を打つのが適当であろう。

   ウクライナ戦争に対する、ソロスのウクライナや西側にとっての楽観論だが、一寸、楽観すぎると思えるほどで、プーチン政権の末路とロシア帝国再興の崩壊まで指摘している。
   ソロスが言及しているように、私も、ロシアが張り子の虎であり、あまりにも弱すぎると言うことは何度も書いてきたが、これは、ベルリンの壁崩壊後、ソ連崩壊後以降のことを言っているのであって、元々、ロシアは偉大な国だと思っている。

   ソ連崩壊直後、ロシア経済が崩壊寸前に至り、政治経済社会が極端に悪化して国家体制の最大の危機に直面したが、雪崩を打って進出していた西側の経済支援や開発が少しずつ功を奏しはじめて、徐々に、経済情勢が好転していった。特に、世紀末から、準備段階を終えて産出体制に入った石油ガスの生産輸出が活況を呈し初めて、グローバリゼーションの大波に乗って、ロシアを、一気に、経済大国に押し上げ、ロシア国民を経済的苦境から救った。
   この回復次期とプーチンの政治的台頭が一致して、濡れ手に粟の石油利権を活用して、オリガルヒや取り巻き連中で固めた支配階級によって、揺るぎないプーチン政権を築き上げた。国民も苦境を脱して、生活環境が急速に向上したので、プーチンのお陰だと疑いもなく信じて支持した。
   しかし、ロシアの外貨収入の大半は、石油ガスなどの天然資源であって、このアブク銭の恩恵に酔いしれて、経済政策の根冠である製造業の近代化高度化には目を向けずに、一次産業中心のモノカルチュア経済に終始して、産業構造の合理化近代化を怠り、今日の弱体経済に至っている。
   外資に必要以上に依存していたので、ウクライナ戦争によって経済制裁を受けて、外資の製造企業などが撤退すると、ハイテク部品の欠如で殆ど高度な工業製品は自前で生産できないほど体たらくなのである。
   これが、弱すぎるロシアの一つの原因でもある。

   私は、今回のウクライナ戦争でロシアが失った最大の損失は、何十万人とも、100万人を越えるとも言われている若くて有能な高学歴のロシア人の、ロシアを見限っての国外脱出、虎の子の頭脳流出だと思っている。
   日本なら、東大などのトップクラスの10年分以上の若い卒業生を失ったと思えば、その損失程度が分かろう。
   ロシアにとっては損失だが、受け入れ国にとっては、恩恵というか、頭脳の拡散なので良しとすべきか。
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ジョセフ・ナイ:中国と台湾について

2023年06月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ジョセフ・S・ナイ教授が、PSの”さらに言うと…Says More…”で、PSの質問に答えてソフトパワーについて語っている。
   その中で、台湾問題について語っているので、中国台湾を考えてみたい。

   台湾をめぐる戦争の可能性の深い原因は、中国の国共内戦 (1927 ~ 1949 年) にある。 共産軍は本土で国民党政府を破ったが、反逆者の省とみなしている台湾を占領することはできなかった。 ニクソン大統領と毛沢東主席は、紛争解決を延期するために「一つの中国」方式で合意した。 この現状を維持するために、米国は中国の武力行使を阻止するだけではなく、正式な独立宣言を出すことで台湾が中国を挑発するのを阻止しようとしている。
   中間的な原因は、この地域における中国の軍事力の増大と、台湾国民の間での国家意識の高まりである。 直接の原因、つまり台湾の火口に点火する火花は、中国船が沈没する封鎖など、中国の行動を促すような予期せぬ出来事である可能性がある。 ロシアのウクライナ侵攻がこの計算を大きく変えたとは思わない。
   中国の経済、人口、政治的課題の増大を考慮すると、アメリカとその長年の同盟国は有利な扱いを受けてきたと言えるだろう。しかし、米国の「党派政治」が米国の「勝利戦略」の実行を妨げる「ヒステリー」を引き起こしている。 超党派で合意が得られている数少ない分野の一つである米国の対中政策は、国内政治によって歪められてきた。
    米国内政における熾烈な競争により、中国の悪者扱いや新冷戦の話が絶え間なくエスカレートしている。 米中対立を無視することはできないが、悪者扱いは戦略の指針としては不十分である。
   米国と中国は、冷戦時代の米国とソ連よりもはるかに相互依存度が高く、両国の関係は、経済、気候、健康に及んでいる。 明確な戦略を立てるには、それを考慮する必要がある。 たとえば、中国企業の機密通信を禁止するのは理にかなっているかもしれないが、中国の太陽光パネルを禁止すべきということにはならない。
   ナイ教授には、デリスキングはあっても、タカ派的なデカップリングの考えはないのである。

   胡錦濤時代に、ナイ教授は、ソフトパワーについて助言を与えたようだが、
   ソフトパワーとは、強制や支払いではなく、魅力を通じて欲しいものを手に入れる能力で、 中国は、伝統文化、目覚ましい経済実績、援助プログラムからソフトパワーを得ている。 しかし、ソフトパワーを生み出す能力を損なう少なくとも2つの弱みを抱えている。
   第一に、中国共産党が、人々の生活と自主的な結社の機会を厳格に管理することに固執しているため、中国には魅力の重要な源泉である開かれた市民社会が欠けている。 第二に、中国はしばしば領土問題をめぐって近隣諸国との緊張と紛争を維持し、さらにそれを助長している。 係争中のヒマラヤ国境で中国軍がインド兵を殺害している場合、ニューデリーの孔子学院は中国の魅力を高めるために何もできない。

   スマートパワーについて、 
   スマート パワーとは、ハード パワーとソフト パワーを効果的な戦略で組み合わせ、相互に強化する能力である。 昨年、ロシアがウクライナに本格的に侵攻する前、私はヨーロッパの友人たちに、彼らのソフトパワーには感心するが、それをもっとハードパワーと組み合わせる必要があると話していた。 プーチン大統領は、意図せずしてその問題を解決したようだ。と語っているのが面白い。

   米国については、1945 年に世界的に傑出した大国になって以来、米国は衰退していると考えられていた時期が何度かあった。 米国に対する認識は循環的だ。 イラク侵攻後、米国の魅力は低下したが、オバマ大統領の時代に再び上昇した。 世論調査では、トランプ時代にも同様の下落が見られ、2020年のジョー・バイデンの勝利で再び上昇した。 このようなサイクルは今後も続くと思うと言う。

   バイデン大統領のパフォーマンスについて聞かれて、
   唯一の正直な成績は「不完全」。 マイナス面としては、アフガニスタンからの撤退の対応が不手際であり、同氏はアジア向けに説得力のある通商政策を明確に打ち出せていないことだ。 良い面としては、彼は同盟関係への信頼を回復し、国際機関に復帰し、気候変動を真剣に受け止め、ウクライナ情勢にうまく対処した。 これまでのところプラスはマイナスをはるかに上回っているが、彼の最終成績はまだ出ていない。

   質疑応答による回答なので、まとまりのない話になっているが、平生の持論を展開しているので分かりやすい。
   私にとって気になるのは、ここで、ウクライナ戦争によって、欧米がスマートパワーを活用してロシアに対峙していると言うような表現をしているのだが、平時の抑止力としてスマートパワーが活用されるのは良いが、現実に、ウクライナ戦争を、実質的な第三次世界大戦、新冷戦だと観るならば、ソフトパワーなど後退してしまって、単なるハードパワーによる武力戦争である。
   戦争の抑止力として、ナイ教授の説くスマートパワーが機能する限り意義があるが、一旦、プーチンの脅しのように、ノリを越えて核戦争にでもなれば、スマートパワーであろうと何パワーであろうと無意味で、人類社会の滅亡に導く。
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梅酒、そして、梅ジャムを作った

2023年06月06日 | わが庭の歳時記
   今年は、春の到来が早かったので、梅も完熟が早まったようである。  
   先日の台風崩れの大荒れの天気で、強風に煽られて、梅の実が落ちて地面に散乱した。
   梅の実を叩き落としたのと同じなので、奇麗な梅を広い分けて、追加に枝から梅の実を落として集めて、梅酒と梅ジャムを作ることにした。
   大きくなった南高梅の木だが、庭木として植えてあるので、木の根元や周りには沢山の木が植わっているので、梅の実を拾い集めるのも大変である。
   しかし、今年も、湿度が高かったのか、病虫害にやられて梅の実には斑点が多くて、多くは使い物にならない。
   何も、傷んだ梅を使わなくても、スーパーで奇麗な梅を買ってくれば良いのだが、そこは、自宅の梅で自分っで作ると言うことに拘っている。

   梅ジャムの方は、それ程、梅の品質に拘る必要はない。
   何回目かの挑戦なので、慣れていて、レシペは、色々なレシペの混合で、自己流でやっている。
   奇麗に洗った1㎏の梅の実を一晩冷凍庫で冷凍しおいて、鍋に同量の水を入れて沸騰させる。冷凍梅なので実のほぐれは早い。アクは丹念に取る。
   水を切って冷まして、ほどよく冷たくなったら、実を握りつぶして種を取る。
   その残った果肉を鍋に移して、2回ほどに分けて600~700㌘くらいの砂糖を加えて馴染ませて、良くかき混ぜながらとろ火で煮る。
   元々、水気が少ないので、鍋が焦げ付かないように、早くタイミング良く火を落として出来上がり。
   先月、完熟した夏みかんのマーマレードを作ったが、これと比べれば、梅ジャム作りなどは、非常に単純で簡単である。

   梅酒も、インターネットを叩けば、随分多くのレシペが出てくるのだが、神経質になることはない。
   奇麗な梅1㎏をアク抜きに数時間水に漬けて良く水洗いして、丹念に竹串でヘタを取って、水気を拭き取る。
   4㍑瓶に、梅、氷砂糖、梅、氷砂糖と順番に入れて行き、最後に、ホワイトリカー1.8ℓを注ぎ込む。
   氷砂糖は、1㎏というレシペもあるが、甘すぎるので、700~800gが適当だと思っている。
   この瓶を暗所に保存する。
   私の場合、10月にはほぼ梅酒として出来上がっているので、年末にかけて、シワシワになった梅の実を引き上げて、適当に飲んでいる。

   ところで、梅の質だが、私の梅は、前述したように傷がついたり黒い斑点が出ているなど多少問題がある。
   しかし、昨年は、これよりも梅の質が悪かったが、たった1瓶だが、見切り発車でやってみたが、別に問題なく美味しく出来上がった。
   スーパーで売っている梅は、ホンノリ赤く色付いた梅なので、完熟梅が良いと思ってこれまで色付いた梅ばかりを気にしていたが、TRIALによると、 
   梅酒用の梅はどう選ぶ? 梅酒の場合、お酒に漬けているあいだにゆっくりと梅のエキスを出すことが理想です。やわらかい梅だとエキスが出るスピードが早いので、なるべく青々とした固い物を選ぶようにしましょう。と言うことである。
   今年は、2瓶にして、両方試みることにした。
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