都民芸術フェスティバルのNHK交響楽団のコンサートに出かけたが、ポピュラーな選曲でもあったが、非常に素晴らしい演奏で、楽しい一夜を過ごせて満足であった。
千葉に住んでいるので、どうしてもアクセスの便利な都響や新日本フィルの定期会員ではあるが、N響を聴く機会が少なくなり、安い所為もあって、このシリーズだけは足を運んでいる。
在京8楽団(多すぎると思うのだけれど)の管弦楽団のコンサートがあるのだが、N響のカードだけは、すぐにチケットがソールドアウトするので、いつも、あまり良い席は取れない。
この日も、A券が取れずにB券で、3階正面の前方だったが、とにかく、劇場が大きいので、楽団から遠く離れていて、小編成のモーツアルトの「フィガロの結婚序曲」などは、出だしでもあり、全く、迫力に欠けてレコードを聴いているような感じであった。
去年の秋、都響の定期で、遅れてホールに着いたので、中村紘子さんの「皇帝」を、残念ながら、5階の天井桟敷で聴かされたのだが、奈落の底とは言え、まだ、この劇場の方が臨場感があった。
コンサートホールだが、私が定期会員で聞いていたフィラデルフィア管弦楽団のアカデミー・オブ・ミュージックやアムステルダムのコンセルトヘボーなどは、非常にこじんまりしていて良かったし、ロンドン交響楽団の時のバービカン・ホールでも、かなり、オーケストラと観客席との距離が狭くて臨場感があり、奏者の息づかいを感じることが出来た。
コンセルトヘボーは、20年ほど前に大掛かりな改装が行われたが、パブリック部分を大きく変えただけで、コンサート・ホールは殆ど手をつけなかった。世界最高の音響効果を誇るウィーンの楽友協会ホールと良く似ていて、平べったい長方形の平土間に、廊下状の狭い2階席があるだけの非常にシンプルなホールであったが、やはり、世界屈指のホールで、あの当時、どの席も総て同じ料金で、S席やE席などと言った区別は全くなかった。
何時もは、一階席だったが、一度だけ、内田光子さん指揮&ピアノでモーツアルトのピアノ協奏曲を、あの急峻な階段のある正面雛壇席で聴いたことがあるが、内田さんの指揮と演奏振りは良く見えたが、やはり、一寸、異質感があった。
余談だが、サイトーキネンからのメールによると、このロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボーが世界一のオーケストラにランクされたらしいが、今や、世界一のコンセルトヘボー・ホールで聴く世界最高のクラシック音楽の素晴らしさはいかばかりかとと思うと懐かしい。
余談が長くなってしまったが、今回のN響で期待していたのは、当然、リムスキー・コルサコフの「シェラザード」であったが、クラシック音楽に興味を持ち始めた頃に一番好きだったモーツアルトの「クラリネット協奏曲」を、久しぶりに聴けるのも、大変な魅力であった。
たしか、アルフレート・プリンツのクラリネットで、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルのレコードだったと思うが、何度も繰り返して聴き続けて、フルート協奏曲、フルートとハープのための協奏曲、ピアノ、ヴァイオリン・・・と進んで行き、どちらかと言えば、モーツアルトについては、交響曲より協奏曲を聴くことの方が多かったような気がするし、欧米でも、プログラムに載れば、意識して聴きに出かけた。
あの天国からの音楽のようなモーツアルト・サウンドに酔いしれながら、クラシック音楽の旅を楽しんできたと言っても過言ではないような気がする。
この日のクラリネットは、若手トップ奏者と言われるポール・メイエで、最初の出だしが何となく硬い感じがして、もう少しふくよかなサウンドのイメージを持っていた私には一寸違和感があったが、聞き込むに連れて、ぐいぐいと引き込まれて行き、どっぷりとモーツアルトの音楽に埋没して、若かりし頃の思い出を走馬灯のように感じながら聴いていた。
この曲は、モーツアルトの最晩年の作品で、あのアマデウスの映画では、精神錯乱に近い混乱状態であった筈なのに、何故、これほどまでに美しい音楽を創造する事が出来たのか、小澤征爾が言うように、神がモーツアルトの手を取って作曲したとしか思えない。
「シェラザード」の何と華麗で美しいこと。
愛妃の不貞に怒って、女を信じられなくなり、初夜が終わると妃の首を刎ね続けるシャリアール王に対して、才色兼備の大臣の娘シェラザードが自ら進んで妃になり、面白い話を語るので、その話を聞きたくて、王は、夜の来るのが楽しみに、1001夜聴き続けたと言うアラビアンナイトの物語。
その美しくて賢いお妃さまをテーマに主題を選び、コルサコフは、4楽章の実に色彩豊かでエキゾチックな素晴らしく美しい音楽を創り上げた。
何と言ってもこの交響組曲「シェラザード」の最大の魅力は、独奏ヴァイオリンの奏する流麗で美しいシェラザードの主題で、コンサートマスターの篠崎史紀の限りなく美しい夢見るようなサウンドが、聴衆の胸を虜にする。
金管、木管の管楽器の華麗に咆哮し、大編成の打楽器が大変な迫力で呼応する一糸乱れぬサウンドの美しさなど絶品で、それまで、地味に指揮っていたカルロス・シュピーラーが、夢心地でスイングしながら、最初から最後まで、N響を、華麗に歌わせ続ける。
席が高見にあったのが幸いして、弦楽器は勿論のこと、管楽器や打楽器の奏者の一挙手一投足が良く観察でき、特に、この曲は、各パートのソロが随所で活躍するので、非常に興味深くて楽しかった。
流石にN響、そんな素晴らしいコンサートであった。
千葉に住んでいるので、どうしてもアクセスの便利な都響や新日本フィルの定期会員ではあるが、N響を聴く機会が少なくなり、安い所為もあって、このシリーズだけは足を運んでいる。
在京8楽団(多すぎると思うのだけれど)の管弦楽団のコンサートがあるのだが、N響のカードだけは、すぐにチケットがソールドアウトするので、いつも、あまり良い席は取れない。
この日も、A券が取れずにB券で、3階正面の前方だったが、とにかく、劇場が大きいので、楽団から遠く離れていて、小編成のモーツアルトの「フィガロの結婚序曲」などは、出だしでもあり、全く、迫力に欠けてレコードを聴いているような感じであった。
去年の秋、都響の定期で、遅れてホールに着いたので、中村紘子さんの「皇帝」を、残念ながら、5階の天井桟敷で聴かされたのだが、奈落の底とは言え、まだ、この劇場の方が臨場感があった。
コンサートホールだが、私が定期会員で聞いていたフィラデルフィア管弦楽団のアカデミー・オブ・ミュージックやアムステルダムのコンセルトヘボーなどは、非常にこじんまりしていて良かったし、ロンドン交響楽団の時のバービカン・ホールでも、かなり、オーケストラと観客席との距離が狭くて臨場感があり、奏者の息づかいを感じることが出来た。
コンセルトヘボーは、20年ほど前に大掛かりな改装が行われたが、パブリック部分を大きく変えただけで、コンサート・ホールは殆ど手をつけなかった。世界最高の音響効果を誇るウィーンの楽友協会ホールと良く似ていて、平べったい長方形の平土間に、廊下状の狭い2階席があるだけの非常にシンプルなホールであったが、やはり、世界屈指のホールで、あの当時、どの席も総て同じ料金で、S席やE席などと言った区別は全くなかった。
何時もは、一階席だったが、一度だけ、内田光子さん指揮&ピアノでモーツアルトのピアノ協奏曲を、あの急峻な階段のある正面雛壇席で聴いたことがあるが、内田さんの指揮と演奏振りは良く見えたが、やはり、一寸、異質感があった。
余談だが、サイトーキネンからのメールによると、このロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボーが世界一のオーケストラにランクされたらしいが、今や、世界一のコンセルトヘボー・ホールで聴く世界最高のクラシック音楽の素晴らしさはいかばかりかとと思うと懐かしい。
余談が長くなってしまったが、今回のN響で期待していたのは、当然、リムスキー・コルサコフの「シェラザード」であったが、クラシック音楽に興味を持ち始めた頃に一番好きだったモーツアルトの「クラリネット協奏曲」を、久しぶりに聴けるのも、大変な魅力であった。
たしか、アルフレート・プリンツのクラリネットで、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルのレコードだったと思うが、何度も繰り返して聴き続けて、フルート協奏曲、フルートとハープのための協奏曲、ピアノ、ヴァイオリン・・・と進んで行き、どちらかと言えば、モーツアルトについては、交響曲より協奏曲を聴くことの方が多かったような気がするし、欧米でも、プログラムに載れば、意識して聴きに出かけた。
あの天国からの音楽のようなモーツアルト・サウンドに酔いしれながら、クラシック音楽の旅を楽しんできたと言っても過言ではないような気がする。
この日のクラリネットは、若手トップ奏者と言われるポール・メイエで、最初の出だしが何となく硬い感じがして、もう少しふくよかなサウンドのイメージを持っていた私には一寸違和感があったが、聞き込むに連れて、ぐいぐいと引き込まれて行き、どっぷりとモーツアルトの音楽に埋没して、若かりし頃の思い出を走馬灯のように感じながら聴いていた。
この曲は、モーツアルトの最晩年の作品で、あのアマデウスの映画では、精神錯乱に近い混乱状態であった筈なのに、何故、これほどまでに美しい音楽を創造する事が出来たのか、小澤征爾が言うように、神がモーツアルトの手を取って作曲したとしか思えない。
「シェラザード」の何と華麗で美しいこと。
愛妃の不貞に怒って、女を信じられなくなり、初夜が終わると妃の首を刎ね続けるシャリアール王に対して、才色兼備の大臣の娘シェラザードが自ら進んで妃になり、面白い話を語るので、その話を聞きたくて、王は、夜の来るのが楽しみに、1001夜聴き続けたと言うアラビアンナイトの物語。
その美しくて賢いお妃さまをテーマに主題を選び、コルサコフは、4楽章の実に色彩豊かでエキゾチックな素晴らしく美しい音楽を創り上げた。
何と言ってもこの交響組曲「シェラザード」の最大の魅力は、独奏ヴァイオリンの奏する流麗で美しいシェラザードの主題で、コンサートマスターの篠崎史紀の限りなく美しい夢見るようなサウンドが、聴衆の胸を虜にする。
金管、木管の管楽器の華麗に咆哮し、大編成の打楽器が大変な迫力で呼応する一糸乱れぬサウンドの美しさなど絶品で、それまで、地味に指揮っていたカルロス・シュピーラーが、夢心地でスイングしながら、最初から最後まで、N響を、華麗に歌わせ続ける。
席が高見にあったのが幸いして、弦楽器は勿論のこと、管楽器や打楽器の奏者の一挙手一投足が良く観察でき、特に、この曲は、各パートのソロが随所で活躍するので、非常に興味深くて楽しかった。
流石にN響、そんな素晴らしいコンサートであった。