私の机の引き出しの上段に、大切なカードなどを入れてあるのだが、その奥に何故か、小型のミノックスのカメラがある。
デジカメ時代になって久しいのだが、懐かしいので、ドイツのカメラの思い出を反芻してみたいと思う。
さて、このカメラは、ドイツ製のスパイカメラと言われていたミノックスの後継機で、長さ12センチくらいで、箸箱の半分くらいの大きさである。
1970年代後半、ニューヨークへの出張時に、小さなカメラをと思って、好奇心で、このカメラを買って、ブロードウェイのミュージカルで、試し撮りをした記憶がある。
電池もフィルムも特別仕様なので、あまり使ったことはないが、コンパクトなので便利であった。
尤も、フィルムが小さいので、精密カメラだと言っても、画質がもう一つで、相当習熟しないと、スパイカメラになるのかは疑問だが、当時としては珍しくかなりの接写が可能で、近接距離を測るスケール・チェーンが付属しているのが面白い。
ASAは400,シャッター速度はオート付属で1000まで、いずれにしても、半世紀以上前の銀塩カメラである。
次に買った外国製カメラは、ライカの一眼レフR3サファリである。
ライカは、高級レンジファインダーカメラ「Mシリーズ」で有名だが、一眼レフカメラ「Rシリーズ」のR3が、ミノルタとの提携で、1976年に発売された。
その後、丁度、サンパウロでの赴任が終わって、東京への帰途、ドイツに立ち寄た時に、フランクフルトで、毛色の変わったサファリ塗装のサファリバージョンが、カメラ店に、ディスプレィされていたので買った。
レンズは、ズミクロンR F1.4で、単焦点なのだが、日頃は、日本製のズームレンズ付きの一眼レフを使っていたので、別に不自由はなかった。
シャッターを押したときの何とも言えない重厚な感触が秀逸で、日本のカメラで慣れたシャッター音とは違ったずしりとくる感じが魅力的であった。
いずれにしろ、日本製のカメラで十二分であり、ヨーロッパでも、ライカのカメラもレンズも桁違いに高価であったし、それ以上、手を広げる気にはなれなかった。
このサファリは、2,500台しか製造されなかったようなので、貴重品なのかもしれないが、これも、半世紀前のフイルムカメラなので、お蔵入りになって久しい。
1985年にヨーロッパに赴任して、日本から持って行ったコンパクトカメラが、ダメになったので、その代わりに買ったのが、ライカ版のフィルムが使える小型のミノックス35GTである。
何も、高い日本製カメラを、ロンドンやパリで買うこともないので、コンパクトなドイツ製のカメラを探して、たまたま、先のスパイカメラのミノックスの簡便なカメラに出会ったのである。
日本のカメラのように高級感は全くなくて、裏蓋を引き下ろして、フィルムを装填するだけと言ったシンプルなもので、絞り優先で、距離は合わせなければならないが、他は自動で撮影ができる。
レンズは、ミノタールF2.8。
35ミリの普通のフィルムを使えるたので、まずまずの画質であり、スナップを撮るのに役立ってくれた。
このミノックスと、コンパクトなデジカメ:ソニーのDSC-RX100と殆ど同じくらいの大きさで、ヨーロッパでは携帯カメラとしては、重宝した。
なくしてしまったが、サファリ版も持っていたので、ヨーロッパ在住中は、日本製の一眼レフがメインであったが、旅行中は重いので、このミノックスをサブで通した。
アムステルダムとロンドンに8年いたので、珍しい欧州製のカメラを手に入れる機会があったのだが、骨董趣味がなかったので、機会を逸した。
日本のカメラが最高だと思っているので、脇目を振る必要もなかったので、この3台のドイツ製のカメラが、30台を優に超える我がカメラ遍歴の一里塚として残っている。
日本製だが、帰ってきてから、コンタックス CONTAX TVSを買ってしばらく使っていたが、質は兎も角、何となく日本離れしたしっとり来るエキゾチックな感触が、不思議に魅力なのである。