杉山正明教授の「なぜ今ユーラシアか」を読んでいて、丁度、ロシアのことを勉強し始めていて、非常に、面白い論点に出合った思いで、感激している。
ハルフォード・マッキンダーの「ハートランド論」の、ユーラシアを基点とした国際関係の地政学を援用しながらの理論展開だが、まず、バグダードから話し始めて、モンゴルを語り、ロシアをモンゴル帝国の後継者だとして、このロシアと台頭著しい中国、共にモンゴル帝国の遺産の中に生きた国だが、が組んだ時、正に、マッキンダー流のユーラシアの「ハートランド」の悪夢が蘇る。と述べているのに興味を感じたのである。
大英帝国が世界に君臨していた頃、1904年に、イギリスの地理学者マッキンダーは、ユーラシア大陸(これを「世界島と」呼ぶ)中央部の大草原地帯こそ、長らく世界を動かしてきた「旧世界」の歴史の回転軸(pivot)をなすとして、これをユーラシアの「ハートランド」と名付けたのである。
マッキンダーが、最も恐れたのは、強力な産業力を具えていた屈指の陸軍国ドイツ帝国が、ユーラシアの北半球(ハートランド)を押さえていたロシアと組むことだったと言う。
既に、ドイツとロシアの台頭と激動、そして、破局を予期していたのかも知れない。
しかし、いずれにしろ、多くのドイツ人が、以前からロシアに移住して重要な役割を果たしており、勇名を馳せたエカテリーナ女帝が生粋のドイツ人であったことを考えれば、必ずしも可能性がなかったわけではないのである。
しかし、ヒットラーの東漸政策によって東欧やロシアに大移動した多くのドイツ人たちが、第二次世界大変後、大変な迫害にあって死地を彷徨うなど大変な苦難に遭遇したと言うから、国威発揚の民族移動は非常に危険なのである。
もう一つ、マッキンダー説で興味を持ったのは、
西欧諸国が海上に勢力を拡大したチューダー王朝の世紀は、同時にまたロシアがモスクワを起点としてシベリアに発展を遂げた時期でもあり、すなわち、喜望峰を経由する航海の発見と、それから東方のアジアを目指す騎馬冒険と言う、この二つの事件は、夫々別個のものではなく、両者が持つ政治的な意味の重大さについては、優劣付け難い程重要である。と言う考え方である。
ルネサンス時代でさえ、西洋よりイスラム文化や中華文化の方が秀でていたとさえ言われており、産業革命時代でも、中国とインドの合計GDPは、西洋を凌駕して世界の過半を維持していたにも拘らず、その後の歴史観なり、文化文明観は、総て、西洋人の目を通したものが主体であったために、東洋蔑視の風潮が強く、客観的な史観なり文化文明観からスキューし過ぎていたキライがある。
まして、遊牧民族であるモンゴル帝国の世界制覇などは勿論のこと、後進国と見做されていたロシアの東漸などは、殆ど無視されていたので、ユーラシア中央部が世界を動かすと言うマッキンダーの説は、極めて新鮮であると言えよう。
マッキンダーのユーラシア・ハートランド説は、ともかく、杉山教授が指摘する如く、
ロシア・中国・中東・中央アジアに限らず、世界の課題の多くは、なお古き大陸ユーラシアに集中している。
東欧から東はまだ歴史の決着が着いていない。中東も中央アジアもそうである。
そうした現在、マッキンダーが展開した地政学が今ここに再びよみがえる。と言うのもうなずける。
ドイツの気象学者アルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説では、アフリカ大陸がピボットであったように、地政学では、ユーラシアのハートランドがピボットであり続けるかどうかは分からないが、ユーラシア、特に、ロシアやバグダードやアフガニスタンをメインにして、地政学的にこれからの世界情勢を考えてみるのも、大切なことかも知れないと思っている。
ハルフォード・マッキンダーの「ハートランド論」の、ユーラシアを基点とした国際関係の地政学を援用しながらの理論展開だが、まず、バグダードから話し始めて、モンゴルを語り、ロシアをモンゴル帝国の後継者だとして、このロシアと台頭著しい中国、共にモンゴル帝国の遺産の中に生きた国だが、が組んだ時、正に、マッキンダー流のユーラシアの「ハートランド」の悪夢が蘇る。と述べているのに興味を感じたのである。
大英帝国が世界に君臨していた頃、1904年に、イギリスの地理学者マッキンダーは、ユーラシア大陸(これを「世界島と」呼ぶ)中央部の大草原地帯こそ、長らく世界を動かしてきた「旧世界」の歴史の回転軸(pivot)をなすとして、これをユーラシアの「ハートランド」と名付けたのである。
マッキンダーが、最も恐れたのは、強力な産業力を具えていた屈指の陸軍国ドイツ帝国が、ユーラシアの北半球(ハートランド)を押さえていたロシアと組むことだったと言う。
既に、ドイツとロシアの台頭と激動、そして、破局を予期していたのかも知れない。
しかし、いずれにしろ、多くのドイツ人が、以前からロシアに移住して重要な役割を果たしており、勇名を馳せたエカテリーナ女帝が生粋のドイツ人であったことを考えれば、必ずしも可能性がなかったわけではないのである。
しかし、ヒットラーの東漸政策によって東欧やロシアに大移動した多くのドイツ人たちが、第二次世界大変後、大変な迫害にあって死地を彷徨うなど大変な苦難に遭遇したと言うから、国威発揚の民族移動は非常に危険なのである。
もう一つ、マッキンダー説で興味を持ったのは、
西欧諸国が海上に勢力を拡大したチューダー王朝の世紀は、同時にまたロシアがモスクワを起点としてシベリアに発展を遂げた時期でもあり、すなわち、喜望峰を経由する航海の発見と、それから東方のアジアを目指す騎馬冒険と言う、この二つの事件は、夫々別個のものではなく、両者が持つ政治的な意味の重大さについては、優劣付け難い程重要である。と言う考え方である。
ルネサンス時代でさえ、西洋よりイスラム文化や中華文化の方が秀でていたとさえ言われており、産業革命時代でも、中国とインドの合計GDPは、西洋を凌駕して世界の過半を維持していたにも拘らず、その後の歴史観なり、文化文明観は、総て、西洋人の目を通したものが主体であったために、東洋蔑視の風潮が強く、客観的な史観なり文化文明観からスキューし過ぎていたキライがある。
まして、遊牧民族であるモンゴル帝国の世界制覇などは勿論のこと、後進国と見做されていたロシアの東漸などは、殆ど無視されていたので、ユーラシア中央部が世界を動かすと言うマッキンダーの説は、極めて新鮮であると言えよう。
マッキンダーのユーラシア・ハートランド説は、ともかく、杉山教授が指摘する如く、
ロシア・中国・中東・中央アジアに限らず、世界の課題の多くは、なお古き大陸ユーラシアに集中している。
東欧から東はまだ歴史の決着が着いていない。中東も中央アジアもそうである。
そうした現在、マッキンダーが展開した地政学が今ここに再びよみがえる。と言うのもうなずける。
ドイツの気象学者アルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説では、アフリカ大陸がピボットであったように、地政学では、ユーラシアのハートランドがピボットであり続けるかどうかは分からないが、ユーラシア、特に、ロシアやバグダードやアフガニスタンをメインにして、地政学的にこれからの世界情勢を考えてみるのも、大切なことかも知れないと思っている。