熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

NHK平清盛:何故、視聴率が悪かったのであろうか

2012年12月29日 | 生活随想・趣味
   今年のNHK大河ドラマは、「平清盛」で、タイトル・ロールを松山ケンイチが熱演していたと思うのだが、視聴率は最低で、松山が、「ひとつ言えることは、最低記録を更新できたことはすごく光栄だと思う」「本気でやってそれを出せるのはめったにないことで、高視聴率を出すのと同じくらい難しい」と総括したのを、大分、批判されていると聞く。
   視聴率だけを狙った民放の俗悪番組とは違って、NHKのメイン番組とも言うべき大河ドラマであるから、低視聴率を威張る言われも理由なども毫もない筈なので、批判されて当然だが、やはり、視聴率が悪かったのには、それだけの理由なり原因があったのだろうと思う。

   まず、視聴率が悪かった原因の一つに、神戸市長が批判したように画像なり映像に美的感覚が著しく欠如していて、それに、冒頭から暗いシーンの連続で、視聴者に、楽しいと言うワクワク感なり、話の面白さ興味深さを感じさせて、次が楽しみになると言った気持ちなり期待感を起こさせなかったと言うことであろうと思う。
   私は、この時、大島渚の映画作品を思い出していたのだが、やはり、大河ドラマは、いくら、高級志向を意図しても、もっともっと、寅さんの世界に近づけないと、視聴者は、裏番組に多少魅力的なものがあれば、ソッポを向いてしまうと言うことである。

   もう一つ気になったのは、このドラマが、歴史とフィクションを綯い交ぜにして描かれていたことで、平家物語なり歴史教科書で得た清盛の世界と違っているなど、どこまでが歴史で、どこまでがフィクションか途惑ったと言うこともあろうかと思う。
   たとえば、このドラマでは、清盛が、白河法皇の落胤であるとか、白河法皇と璋子(後の待賢門院)は不倫関係にあって、朱徳天皇は、法皇の実子であるとか、西行が待賢門院に恋をしてなさず故に出家したとか、と言った、必ずしも定説とはなっていない仮説を前面に押し出して、話にメリハリをつけ過ぎていたりしていた。
   逆に、定説となっていてファンが期待していたシーンなどを、ないがしろにしたり、さらりと流してしまったり、能や歌舞伎などでは、重要なテーマとなっている平家物語の世界などの、多くの逸話や登場人物の扱い方が、あまりにも多くのサブテーマやマイナー・テーマを詰め込み過ぎたために、杜撰な扱いになっていたキライがある。

   ところで、平安時代の末期で、末法思想が強かった貴族社会から武家社会への転換期の物語であり、実際には、ドラマで展開されていたようなドロドロした、決して美しくもなく、あのような暗い側面を持った時代であったと思っており、時代考証などのNHKの扱いなり、ドラマづくりについては、私は、殆ど、疑問には思っていない。
   このドラマの視聴率の低さの原因として、「平安時代のハンデ」として、信長や秀吉とくらべて、日本史の授業でも影が薄い時代で、「平清盛」も「壇ノ浦」も単なる"試験に出る歴史キーワード"だと言った批評があったのだが、これなどは、マッカーサーが、戦後の日本人に、日本歴史教育を禁止した後遺症かも知れないのだが、もし、平安時代、それも、源平盛衰時代の清盛や頼朝・義経が、影の薄い時代であり、単なる受験のキーワードだと言った認識を、日本人の多くが持っているのなら、大変な悲劇であろうと思う。
   日本歴史上、この時代は、正に日本歴史を画する極めてエポック・メイキングな重要な時代であって、日本人として、政治経済社会、そして、日本精神史においても、肝に銘じて認識しておくべき時代なのであり、平清盛は、正に、日本歴史上最も重要な役割を果たした傑出した日本人の一人なのである。

  
   それに、この批評には、「和歌と草書で意味が分からない」として、「崇徳天皇や待賢門院堀河の有名な歌とか、もはや「百人一首も知らない無教養なやつは見なくて結構」みたいな演出意図にへこむ。受信料払ってあんまりな仕打ちに、チャンネルを合わせるガッツがへし折られる。」と書いてあったが、このあたりに、今回の大河ドラマ「平清盛」の問題がありそうな気がしている。
   あくまで、私見だが、私なりに、今回の「平清盛」は、非常に面白くて楽しみながら鑑賞させて貰った。
   しかし、正直なところ、平家物語を古文で読破して、平家物語ファンとして、京都や神戸、厳島、下関などゆかりの土地も訪れて、能や歌舞伎にも出かけて、かなり、平家や源氏、そして、平清盛を勉強して知っているつもりの私でも、今回のドラマには、良く理解できない部分があったり、疑問に感じることが結構あったことは事実で、これは、出演者の問題と言うよりも、台本や演出に問題があったのではないかと思っている。
   下記の視聴率調査を見れば分かるように、とにかく、全国の視聴者が楽しみにしている大河ドラマであり、何を期待しているのか、NHKの担当者が、そのあたりを十分に認識して、どのような姿勢で臨むのかが、ポイントであろうと思っている。
   

   2000年以降、
   視聴率20%を超えた大河ドラマは、
   2009年 『天地人』 平均視聴率:21.10% 妻夫木 聡、北村一輝、常盤貴子、阿部 寛、松方弘樹...
   2006年 『功名が辻』 平均視聴率:20.9% 仲間由紀恵、上川隆也、武田鉄矢、柄本 明、西田敏行、舘 ひろし...
   2002年 『利家とまつ 加賀百万石物語』 平均視聴率:22.1% 唐沢寿明、松嶋菜々子、反町隆史、竹野内 豊、加賀まりこ、菅原文太...

   視聴率18%を切ったのは、
   2012年 『江~姫たちの戦国~』 平均視聴率:17.67% 上野樹里、宮沢りえ、水川あさみ、向井 理、豊川悦司、北大路欣也...
   2004年 『新選組!』 平均視聴率:17.4% 香取慎吾、藤原竜也、山本耕史、優香、江口洋介、佐藤浩市、石坂浩二...
   2003年 『武蔵 MUSASHI』 平均視聴率:16.6% 市川新之助、堤 真一、米倉涼子、松岡昌宏、中井貴一...
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三越師走寄席・・・三遊亭圓歌一門会

2012年12月28日 | 落語・講談等演芸
   愈々、師走も押し迫ってきたが、昔は、ベートーヴェンの第九演奏会に必ず行っていたのだが、殆ど、最近は、クラシックコンサートに対する興味も薄れて、あの「ベートーヴェンは凄い!」も、何となく、俗化に嫌気がさして、最近は行かなくなった。
   結局、今年の年忘れ鑑賞に選んだのは落語で、三越で、圓歌一門会をやると言うので、文句なく、笑いで年を越そうと、年末で賑わう三越に向かった。

   今回の寄席で、2回目は、三味線漫談の小円歌と圓歌で、「佐野山」の歌奴、「粗忽の釘」の歌橘、「母のアンカ」の歌之助は、初めてだったが、中入り前のこの3人の落語は、非常に面白かった。
   粗忽の釘は、何度か聞いている話で、こんな時には、噺家によって、どのように同じネタ話を料理するのか、そんなところに注意して聞くのだが、しかし、最近では、本題の話よりも、その導入部である、カレント・トピックスなどを交えたまくら話の方が面白かったりして、結構楽しめるのである。
   歌奴など、はやりの東京スカイツリーから話し始めた。

   それに、最近は、スタンダード・ナンバーとも言うべき古典落語に加えて、新作落語が登場することが多くなって、歌之助の「母のアンカ」は、高野山の宿坊で、寝具に入れられていたこたつの温かさに感激して、36年ぶりに、幼少年時代に、大坂のカネボウに出稼ぎに行っていた母から送られてきた懐かしいアンカを思い出した人情噺で、少し、ほろっとさせる温かい良い話であった。
   おちのある話とは大分次元の違った話だが、これも、落語の異文化交流の一環でもあると言うことであろう。

   どの噺家も、大体、まくらのネタに師匠の逸話などを盛り込むのだが、歌之助は、師匠圓歌が、老いて益々元気な秘訣を筑波大教授に聞いたら、笑いに原因があり、笑えばDNAが繋がって活性化するということで「遊び心を持ちましょう」と、次から次へ高射砲のように面白い話を連発していた。
   小円歌は、中々魅力的なアラフィフ(こんな言葉があるのか知らないが)の女流漫談家で、圓歌の助平はいつまでたっても治らない、都合のいい時だけボケるのだ、と言っていたが、この日は、噺家たちの出囃子を紹介しながら、芸者の寄席踊りを披露していた。
   歌奴は、とにかく、語り口にパンチがあって面白く、歌橘は、一寸、見かけは色白で女性的な雰囲気がする風貌ながら、話は実にうまく、ぐいぐい引き込まれて行く感じで、聞きなれた粗忽の釘も、違って聞こえてくるのだから面白い。

   さて、一門の当主圓歌師匠だが、「圓歌の道標」とのタイトルで、天覧御前高座の貴重な面白い思い出話をを語って秀逸だった。
   歌奴時代に、常陸宮に似ているとかで真似をしていたら、ご覧になった常陸宮が、是非、話を聞きたいと言う希望があって、一人で聞くものではないと言うことで、昭和天皇皇后両陛下、今上天皇皇后両陛下など、皇室の方々が揃ってお聞きになる天覧公演になったと言うことである。
   4月1日に皇居から依頼の電話があったのだが、エイプリルフールなので、弟子が電話を受けて頓珍漢な受け答えをして、繋がらないので、後援会長の佐藤総理から直接電話が架かってきた。
   それからが面白いのだが、噺家は高座で落語を語るからであろうか、下から聞くとおっしゃったようで、それに、皇居では、鳴り物入りはダメとかで、出囃子禁止なので、出だしから調子が出ず、45分間必死の思いで語ったようだが、寄席のような哄笑や拍手喝采などは当然なくて、静かに終わったとか。
   二度と行きたくないと言うことで、その後、小さんなども呼ばれて行ったが、やはり、同じことを言っていたと言う。

   エリザベス女王などは、アスコット競馬などの時に、手を振り上げて激しい形相で応援されている姿を写真で見たことがあるのだが、日本の皇室の方々は、にっこりとは微笑まれても、人前で、喜怒哀楽を表現されることは、殆どあり得ないので、落語を聞いても、にっこりされることはあっても、寄席のような雰囲気になる筈がない。
   元々、噺家の方でも、恐れ多いと言う気持ちが先行していて緊張の極にあり、笑わせるために語っているのに、笑って貰えないと言うことになると、最も厳しい状態になるので、二度と行きたくないと言う気持ちになるのであろう。
   それに、この1年間くらい、かなり、頻繁に落語を聞きに行っている私でも、やはり、相当慣れないと、落語も十分には、分からないし楽しめないと言うことが分かって来たので、橋下市長が、一度文楽を観て、二度と行くつもりはないと言って補助金を切ろうとしたのも分からないわけでもない。

   歌舞伎や宝塚などでも天覧公演はあるようだし、多くの芸術家が皇居を訪れて御前演奏を行っているようである。
   私も、三宅坂の国立劇場の小劇場での文楽の公演で、美智子皇后や、皇太子妃両殿下が、ご覧になっているお姿を見ているし、ロンドンでも、バーンスティン指揮ロンドン交響楽団の「キャンディード」で、皇太子殿下が御臨席になっているのに接しており、天覧とは言わないにしても、皇室の方々のお姿を、劇場などで拝見することがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場:十二月文楽・・・「刈萱桑門筑紫いえづと」「傾城恋飛脚」

2012年12月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   十二月文楽の東京公演は、謂わば、飛車角落としと言うと誤解を招くが、人間国宝などの長老級の三業が欠席するのだが、次代を背負う今絶頂期にあるトップ・クラスが中心となり、非常に迫力とパンチの利いた舞台が展開されるので面白い。
   
   最初の演目は、「かるかやどうしんつくしのいえづと」と読む。(このいえづとと言う漢字だが、車偏に榮なのだが、正しく打ち出しても文字化けしてダメで、国立劇場のホームページさえ、ひらかな表示なので、これに従う。)
   私も初めて見る文楽で、筑紫の大名加藤繁氏が、女性の哀執の凄まじさを目にして発心遁世したことで混迷した加藤家の物語を軸に、刈萱道心と名を変えて高野山に籠っているのを、実子石童丸が訪ねて行くと言う話のようで、今回は、お家の重宝を守るための駆け引きが展開される「宮守酒の段」と、石童丸と刈萱道心が再会する「高野山の段」が演じられた。

   宮守酒とは、番のイモリを浸した媚薬、すなわち、惚れ薬で、これを飲まされた清純な処女であるゆうしで(勘十郎)が、こともあろうに、ドンファンでどうしようもない優男の女之助(勘彌)に一目惚れして、強引に閨に誘って契りを結んでしまって、男の肌に触れたことがない故に選ばれて父親多々良新左衛門(玉女)の代役に立った折角の役目を反故にして自害すると言う話。
   やはり、勘十郎のゆうしでは、実に優雅で初々しく、それが、惚れ薬を飲まされると、一気に艶めかしい色香の匂い立つような女に変身して、ドンファンの女之助でさえ、タジタジとなるアタック振りで、実に面白い。
   
   私は、惚れ薬と言えば、オペラの「トリスタンとイゾルデ」や「愛の妙薬」、そして、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」などを思い出すのだが、本当に、イモリなど怪しげな小動物を煎じて媚薬と言わないまでも、惚れ薬ができるなどと言うのは、やはり、多くの人々が、恋に泣き、恋に悩んでいることを証明しているのであろう。
   恋愛成就のための惚れ薬なら、まずまずとしても、最近は、バイヤグラなど、その方面の強壮剤を売り込もうとする外国からの迷惑メールが多くて困っている。

   ところで、この段で登場する玉女の多々良新左衛門は、強欲な豊前の領主大内之助義弘の命令で、加藤家の重宝夜明珠を取り上げるために登場するのだが、家宝を守るために、執権監物太郎(玉志)と妻橋立(簑二郎)が、処女の使者でないとだめだと言うので、娘ゆうしでを代理に立てて、騙された娘が自害すると言う悲劇に直面する。
   監物夫妻は、偽物の夜明珠を差し出して、ゆうしでが、処女で無くなったので光らずに黒くなったと抗弁しようとしたのだが、結局は、ばれてしまうものの、多々良は偽物を切って捨てて、本物を牧の方と石童丸(簑紫郎)に託して高野山に向かわせる。
   玉女の多々良は、豪快ないでたちで登場して、何やかやと逃げ口上で抗弁する橋立との対話も面白いが、愛娘の自害に直面して号泣する様子など、起承転結の激しい舞台で立ち役の貫録十分であり、存在感を感じさせて、流石である。
   玉男と文吾が亡くなった今、玉女に、立ち役としての文楽界の期待が一身に集中していると言っても言い過ぎではないであろうが、玉女が登場するだけで、舞台が緊張感を高める。
   勘十郎や和生との共演が、更に、異彩を放つ。

   その和生は、「高野山の段」で、刈萱道心として登場し、石童丸に、父と名乗れない苦衷をじっと噛みしめながら、滋味深い修行僧を遣っていて、しみじみとした感動を呼ぶ。
   千歳大夫の代役を務めて、更に、この段で、刈萱道心を語った呂瀬大夫の名調子が冴えている。

   「傾城恋飛脚」は、近松門左衛門の「冥途の飛脚」の別バージョンで、今回は、「新口村の段」で、大坂を落ち延びた二人が、亀屋忠兵衛(文司)の生まれ故郷である奈良の新口村に帰ってきて、父親孫右衛門(玉也)と再会して別れる悲しい舞台である。
   三人三様の実に情感豊かな人形だが、清十郎の悲しくも儚い情に厚い梅川の、忍び泣きと慟哭を綯い交ぜにした哀歓を、細くてか細い背中と微妙な顔の表情や仕草に凝縮して、しみじみと生きる悲しさを感じさせて感動的である。
   牢送りになった養い親妙閑を見捨てて子供を逃がすなど、義理が立たないと拒絶する孫右衛門に、目隠しをして忠兵衛に会わせて、抱き合った瞬間に目隠しを取ると言う梅川の心情など、実に現代的で、この舞台を観る限り、最初から最後まで、現代劇を観ているような感じで、私には、非常に共感する浄瑠璃であった。
   住大夫の薫陶を受けている文字久大夫と錦糸の名調子が冴えて、更に感動的な幕切れであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インフレターゲットは機能するのか

2012年12月26日 | 政治・経済・社会
   安倍内閣が成立して、インフレターゲット論者が勢いづいていおり、日銀をごり押しして金融緩和策を推し進めようとする政府の経済政策を好感して、大きく円安に振れ、株価も一気に1万円を突破した。
   素人考えだが、金融を緩和して(既に十分に緩和し続けている)インフレターゲットを設定しさえすれば、デフレが終息するのなら、もうとっくの昔にやっていたであろうし、そんなに簡単なら、金融政策など無きに等しいと思っている。

   
   デフレの原因は、日本経済に膨大なデフレギャップが存在していて、そのギャップを埋めるために、積極的な公共投資など財政出動を行い、金融緩和を行って景気を刺激して需要拡大を図ろうと言うことだろうが、丁度、馬を水際まで連れて来ても水を飲ませられないのと同じように、老成化して成長余力を失ってしまった日本経済には、戦後、Japan as No.1で快進撃をした成長期の日本とは違って、もう、殆ど劇薬は聞かなくなってしまったと言う気がしている。

   President Onlineに、『インフレ目標あざ笑う小売り・外食“価格崩壊”』と言う記事が掲載されていて、小売り・外食各社は「価格破壊」を飛び越え、「価格崩壊」に一直線に突き進んでいる。と言う。
   国内家具最大手のニトリは11月末、867品目の価格を10~40%の幅で引き下げた。小売業の値下げは、ニトリに限らない。鈍い個人消費を刺激しようと、イオン、ダイエー、西友などの大手スーパーは、すでに値下げ競争の真っ只中だ。大手スーパーで“孤高”の値下げ慎重派・イトーヨーカ堂も売り上げ低迷で背に腹は代えられず、12月1日に食料品、日用品約1000品目の価格を10~40%引き下げ、値下げ合戦に参戦した。牛丼の吉野家も、ユニクロも、値下げ競争に参戦し、実需につなげ、消費を上向かせる保証もない金融政策に頼ったインフレターゲットに、小売りの現場からは「脱デフレはほど遠い」「安倍晋三・自民党総裁の一人芝居」と冷ややかな声も漏れ聞こえてくる。と言うのである。
   売り上げ低迷の中での値下げ合戦は、お互いの体力を消耗させる。しかし、冬のボーナスは前年を割り込み、企業の大量人員削減計画が相次ぎ、来春闘で賃金改善要求を見送る労組も出るなど、悪化する一方の所得環境に、小売りの現場は低価格を訴えるよりない。と、悲痛な現状を訴えている。

   需要の縮小は、この記事の指摘のように、給与所得の減少による購買力の低下で、更に、格差の拡大と、世界第二位と言う貧困率の拡大、中産階級の疲弊、実質的な人口減などが拍車をかけて、GDPの60%を占める個人消費の頭を抑え込んでおり、この分野においては、インフレターゲットが機能する余地などない。

   もっと重要な要件は、既に、インフレやデフレは、成熟経済においては、最早、貨幣的な要素ばかりではなくなってきており、政治経済社会構造によって、大きく影響されていると言うことである。
   グローバリゼーションの進展により、国民経済は、ユニクロ型デフレが証明しているように、エマージング・マーケットの人モノ金をグローバル・ベースで活用することによって、あるいは、更に、生産性の急速な向上やコストの低い新興国の登場などによって、どんどん、物価が下がって行き、デフレ進行が止まる気配さえない。
   そして、要素価格平準化定理の作用によって、同質で、同程度の知識技能を備えた労働に対しては、グローバル・ベースで、同賃金が適用されることになるので、先進国の賃金所得の下降傾向が止まらない。
   膨大な商品が並ぶ100円ショップを見れば分かるように、あの程度の製品を作っているような日本企業は、早晩駆逐される運命にあり、まだまだ、日本の労働賃金は、新興国と同質の低技能低能力の労働賃金と比べて高いので、いくら最低賃金を引き上げようとしても失業が増えるだけで、賃金は下がって行く筈である。

   以前にも何回も書いたが、ロボットや機械、あるいは、パソコンやインターネットなどで処理できるような仕事はどんどん駆逐されて行き、日本経済の浮揚のために、国民の所得を引き上げて購買力を拡大するためには、国民の労働の質を高めて、日本の経済構造を高度化すると同時に、無競争のブルーオーシャン市場を目指した未来型の産業を起こすなど、積極的な政治経済社会の改革以外に前途はあり得ない筈である。
   現に、最近、大手のスーパーマーケットでは、バーコードをなぞるキャッシャーが、どんどんなくなって、セルフ・キャッシャー機のコーナーが増えており、あっちこっちで、低労働が、駆逐されて行く。
   アメリカでは、既に、新興国のソフトカラーの能力向上やインターネット・ソフトの高度化などで、IT技術者、会計士や弁護士と言った高級知識労働者の仕事さえ、危うくなりつつあると言う。
   これこそが、グローバリゼーションのグローバリゼーションたる所以であり、一歩も二歩も、グローバル市場の先を歩み続ける以外に、生きる道、打ち勝って行ける道はないのである。

   多言は避けるが、私は、日銀が2%のインフレターゲットを実行しなければ日銀法を改正すると恫喝してみても、あるいは、国土強靭化のために、赤字国債を増発してでも公共投資を拡大してデフレギャップを埋めて経済成長を図ると息巻いてみても、短期的には、多少、日本経済が浮揚するかもしれないが、グローバル競争に打ち勝つだけの国際競争力をつけて経済を根本的に活性化しない限り、まかり間違えば、益々、国家債務を拡大させて、第2のギリシャになりかねないと心配している。
   尤も、日本の経済界のみならず、世界の投資家なども、積極的な経済成長戦略を推進しようとしている安倍政権に期待して、動き始めているようだが、これが、幻想に終わらないことを祈りたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョウビタキとツグミの訪れ

2012年12月25日 | わが庭の歳時記
   年末の庭仕事を始めていたら、ジョウビタキが飛んできた。
   カタ、カタと言う感じか、カッ、カッと言う感じか、うまく表現できないが、澄み切った木を打つような感じの鳴き声で、火打石を打つのに似ているので、火炊き、ここから、ジョウビタキとなったと言う。
   この鳥は、頭頂部が白くて目の周りが黒い雄ではなく、全体が淡い褐色なので、雌である。

   ジョウビタキは、チベット、中国東北部、バイカル湖あたりから来て越冬する冬鳥で、毎年、同じ場所に帰って来ると言う。
   私の庭には、毎冬、飛んで来てくれているのだが、何回か代が変わっているような感じで、雌が多い。
   しかし、ジョウビタキは、繁殖期以外は、単独で行動し、縄張りが厳しいようなので、私の庭を訪れて来るのは、何時も、この鳥一羽のようである。
   良く、ジョウビタキは、モズに追われて飛び込んで来るのだが、大体は、うまく逃げおおせている。

   もう一つ、冬鳥で、私の庭に飛んで来るのは、ツグミである。
   この鳥も、はるかシベリアから飛来してきて、春の初めまで、日本にとどまる。
   

   咲き始めたツバキの蜜を吸うために、頻繁に来ていたヒヨドリが、最近見なくなったと思ったら、代わりに、メジロが飛んで来て、侘助ツバキの花をつつき始めた。
   鳥が花弁をつついて傷をつけるので、きれいなツバキの花の写真が撮れなくて困っている。
   メジロは、必ず、番いで飛んでくるのだが、非常に敏捷で落ち着かずに、すぐに飛び去って行く。
   庭に出て静かにしていると、すぐそばの立木の枝を敏捷に梯子をして飛び去ることがあるので、写真に撮れることがあるが、今日は失敗してしまった。

   さて、枯草が多くなった私の庭だが、暑い夏には十分に手入れが出来なかったので、かなり、荒れていて、大変である。
   本当は、千葉でありながら、要観察地域に入っていて、福島原発の影響で、放射能が比較的高いので、除染のつもりで、草や植木の切り枝などは袋に詰めてゴミ収集に出した方が良いのだが、枯草の幾分かは、何時ものように、庭の土を少し深い目に掘って、埋め込むことにした。
   綺麗に片付くのは、何時も、2~3日は掛かっている。

   合間を見て、バラの剪定を行った。
   庭植えのバラは、半分ほど、枯れてしまって、残ったツルバラは枝を誘引し、他のバラは、短く切り詰めた。
   10号鉢植えのバラは、殆どイングリッシュ・ローズとフレンチ・ローズなので、あまり短くは切り詰められないので、多少思い切って剪定したつもりだが、樹形を整えた程度に終わった。
   根土を解して、寒肥を与えたので、水遣りに注意して、春先に施肥すれば、春には、きれいな花が咲きそうである。
   秋に植えたベルサイユの薔薇も、順調に芽が出ている。

   私の庭に今咲いているのは、相模侘助や寒椿など何本かのツバキだけで、花気は全くない。
   一寸寂しいが、ツバキの季節を待とうと思っている。

   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十二月大歌舞伎・・・御摂勧進帳

2012年12月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先日、能「安宅」と歌舞伎「勧進帳」との違いなどについて書いてみたのだが、今回、新橋演舞場で、もう一つの「勧進帳」と称されている「御摂勧進帳」を鑑賞した。
   荒唐無稽と言うか、完全に娯楽化した観客を喜ばすために創作したとしか思えない、あの精神性の高い(?)「安宅」と比べたら、ある意味では、見てはおられないような低俗趣味に徹したゴテゴテの極彩色の舞台である。
   

   
   まず、このチラシの三津五郎演じる弁慶の、芝居小屋の看板のような派手ないでたちを見れば分かるが、この歌舞伎の冒頭の松緑演じる「暫」の熊井太郎と全く同列の、正に、團十郎家の荒事の世界なのである。
   胸に『弁』と大書した衣装で登場しながら、弁慶ではないと言い張る奇天烈さ!!
   それに、この「御摂勧進帳」の舞台が、「勧進帳」のパロディかカリカチュア版かと思ったら、さにあらず、4世團十郎が、能趣味を戴して最初に編み出したのが、この「御摂勧進帳」で、現在の「勧進帳」が生まれたのは、その50年以上も後だと言うから驚く。
   初演の時には大盛況で、入場を断るほどだったと言うから面白いのだが、いくら、見せて魅せる歌舞伎でも、名曲「安宅」と比べて、あまりにもヒドイと言うことで、新作「勧進帳」に取って代わられたのではないかと、勝手に推測している。

   今の歌舞伎ファンなら、「勧進帳」の筋書は、十分に知っているので、義経一行の安宅の関越えについてはイメージが定着しているのだが、初演当時は、江戸の一般庶民が、上流階級の独占であった能・狂言を見る機会などなかった筈で、庶民感覚での鑑賞こそに意味があって、話の中身には拘らなかったのであろう。
   この「御摂勧進帳」の方は、一応、能「安宅」がベースになっているので、その筋書を追ってはいるのだが、弁慶の偽勧進帳読み上げの時には、富樫郎党との立ち回りがあるなど、「もっと真面目にやれ」と声を懸けたくなるようなパロディ趣味の演出で、観客を乗せながら話が展開する。

   勧進帳との大きな違いは、富樫(菊五郎)の同席として斉藤次祐家(團蔵)が登場して、詮議に何かとイチャモンをつけて富樫に逆らう役の登場と、
   最後に、弁慶だけが疑われて縄をかけらて止め置かれて、一行が程良い距離まで逃げ延びたのを見計らって、「弁慶」だと名乗って縄を切って大暴れをして、片っ端から郎党の首を打ち落として大きな水桶に投げ込んで、かき回す「芋洗い勧進帳」を演じて幕となることである。
   沢山の縫い包みの生首が、舞台に飛び交うと言う、これが絵になる舞台であるから、話の筋などどうでもよいと言った大らかで楽しい勧進帳の別バージョンなのである。

  《暫》《松風》《道成寺》などを配した6幕ものの歌舞伎顔見世狂言だと言うことだが、今回は、暫、二幕目の色手綱恋の関札、三幕目の芋洗い忠臣蔵の三幕の通し狂言であった。
   暫と芋洗い勧進帳は、これまでに見ていたので、浄瑠璃舞踊の「色手綱恋の関所」の舞台が新鮮で、義経の菊之助、忍の前の梅枝、鷲尾三郎の亀寿など、水も滴る美しい舞台で、楽しませてくれた。
   馬上の義経が、寒いので下ろしてくれと、何やかや理屈をつけて、男の馬士ではなく、女の馬士に抱き下ろして欲しいと言うあたりの大らかさが面白い。

   先月の仁左衛門に代って熊谷直実を演じた松緑が、今回も、暫の熊井太郎で、迫力十分の豪快な演技を披露して、進境著しい舞台を務めていた。
   一寸癖のある独特なせりふ回しが気になるのだが、どんどん、スターダムをアップして行くのを期待したい。
   富樫を演じた菊五郎の颯爽とした美しい舞台は流石だが、やはり、勧進帳の弁慶と丁々発止と対峙し、従容と武士の情けを示す富樫の方が、はるかに良い。
   器用で、どんな役でもはるかに水準以上に熟す三津五郎の弁慶は、中々スケールが大きくて、成田屋とは一味違った荒事の雄姿を見せていて楽しませてくれた。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥越碧著「建礼門院 徳子」

2012年12月23日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   平家物語の最後の句が、平家断絶だが、そのひとつ前の句が、大原御幸で、後白河法皇が、大原の寂光院で侘び住まいする建礼門院を訪れる。
   源氏に院宣を発して平家追討を命じて平家を滅ぼし、自分の孫である安徳天皇を壇ノ浦で崩御させた憎んでも憎み切れない法皇が、国母であった清盛の娘である建礼門院徳子を訪ねるとは、何事か、
   私には、ずっと疑問であったのだが、鳥越碧は、この小説で、一つの回答を示してくれた。

   法皇の突然の訪問が衝撃を与えたのか、微熱が続き、徳子は病床に就きうなされる。
   ”深更の静寂の中で、徳子はようやく頷く思いがした。壇ノ浦の戦いの後、どうして生きながらえて来たのか。わが子を一族を滅ぼされても。
   「あなたに抱かれるまで、死ねなかったのです。」と呟いてみる。
   そのためにのみ、生きてきたような気がする。徳子はそっと微笑を洩らす。これこそが本心だったのだと。”

   尤も、大原御幸では、徳子は、出家した侘び住まいを恥じて泣く泣く法皇と対面して、清盛の娘として生まれて、安徳帝を生み国母として栄誉栄華を極めながら、木曽義仲に都を追われて、海上を流浪して飢えと渇きの餓鬼道に苦しみ、壇ノ浦で安徳帝の入水と平家の滅亡を眼前にして地獄を見たことなど自分自身の生涯を語りながら、生きながらに六道の苦しみを見たと涙に咽びながら淡々と語り、法皇は去って行く。

   ところが、この小説では、法皇は、あたかも視姦するように、狩人の眼で徳子を見て、「政とそなたは別じゃ、余は、ずっと信じておった。そなたと余の間に流れるたゆたう陽炎に二人の真実があると」と詰め寄り、
   徳子は、今にも、憎しみも恨みもなにもかも投げ打って、墨染めの衣のままに、僧体の法皇の胸に縋り付きたい思いになる。徳子は怯える。燃え盛る法皇への愛が、すべて飲み込んでしまうのかと。狂う。このままでは耐えきれない。もう、限界かと思った時、・・・・・・
   逆巻く怒涛の音を聞きながら、法皇は、かって、一度も聞いたことのない、地を這うような声で、「さらばじゃ」

   私は、この本を読んでいて、歌右衛門の「建礼門院」を思い出した。
   以下は、その時の私の感想で、ブログから引用する。
   ”私は、中村歌右衛門の最晩年の舞台・北条秀司の歌舞伎「建礼門院」を歌舞伎座で見た。
   平家物語の「大原御幸」の場面で、後白河法皇を新国劇の島田正吾が演じていた。
   後白河法皇は、門院を参内させるように命じたが清盛が拒否して高倉天皇の妃になった経緯があり、法皇の門院への執心故か、何故、草深い大原まで訪れたのか問題になることがある。
   しかし、北条はそんな無粋な話は無視して、この場面を、法皇の懺悔と門院のさとりの崇高な人間ドラマに仕立てている。
   門院が、壇ノ浦の阿鼻叫喚の断末魔の凄まじさを掻き口説き、自身の孫安徳天皇を殺したのは祖父の貴方なのだと告発する、晩年に近い歌右衛門の凄い入魂の舞台である。歌右衛門はもう台詞の記憶もさだかではなく、プロンプターの声が耳に障る程、しかし、芸は衰えていない。
   後白河法皇は、懺悔し土下座して門院に謝る。
    六道輪廻、地獄を見た門院が法皇を許し、悟りを開く。
   寂しそうに花道を去ってゆく正吾・法皇を見送りながら、「お父様・・・」とつぶやく。二人の熱演が、観客を釘付けにする。”

   私は、平家物語と源氏物語のファンでもあったので、大学が京都であったことが幸いして、物語の故地やゆかりの舞台を歩き続けていた。
   建礼門院が、この大原の前には、わが大学の正門前の吉田神社に住んでいて、巷の噂が煩わしいので涙を飲んで草深い大原の寂光院に移り住み、安徳帝と平家一門の菩提を弔うのだが、私は、この草深い大原が好きで、紅葉の美しい秋にも、桜の咲く春にも、そして、暑い夏にも、厳寒の冬にも、何度も訪れて行き、寂光院と三千院の間の山道を歩いていた。
   古い本堂が、消失してしまって残念なのだが、あの頃は、訪れ来る人も殆ど居なくて、長い間、寂光院の境内に佇んで静寂を楽しみながら、遠い歴史物語に思いを馳せていた。

   この本の書評を書くつもりだったが、つい横道にそれてしまった。
   先に、渡辺淳一著「天上紅蓮」について書評を書いた。これは、少し前の白河法皇62歳、璋子14歳という途轍もない年齢差を超越した男女の愛の物語で、今回の「建礼門院 徳子」の場合も、後白河法皇と徳子には、28歳の年齢差があり、徳子が法皇に対して激しい恋心を燃やした時には、法皇は50歳代であった。
   天上紅蓮の方は、夫の天皇を無視して法皇との愛に溺れて法皇の子を産むと言う話だが、建礼門院の方は、両方とも激しい恋心に焼き尽くされる思いでありながら、到頭、閨の交わりなく終わっている。

   我々の年代には、実らなかった恋の思い出は切なくて、いつまでも甘酸っぱい思い出として生き続けるようで、好意を示して貰っておりながら、自分の不甲斐なさ故に応えられなかった、その程度なのだが、当人にとっては、小説の激しい恋物語よりも、もっと深刻だろうと思うのだが、どうであろうか。
   私は、軍記物としての平家物語も好きだが、横笛と滝口入道、高倉帝と小督、静と義経、そして、祇王妓女仏たちの白拍子の話などなど、はかなく息づいていた男女の物語にも引かれており、これらのゆかりの嵯峨や嵐山、吉野なども随分歩いたのを思い出す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日経シンポジウム:秋入学と人材育成

2012年12月21日 | 政治・経済・社会
   日経主催で、「秋入学と人材育成」シンポジウムが開かれたので聴講した。
   秋入学を提唱した濱田純一東大総長から皮きりの基調講演があり、その後、パネルディスカッションで、秋入学の是非等について議論され、更に、時代にマッチしたグローバル人材の育成など日本の教育問題について活発な論議が展開された。

   秋入学については、パネリスト全員が、熱心な推奨者であり、かなり、問題点などについても議論されたのだが、秋入学に転換すれば、国際競争力のあるグローバル人材がすぐにでも育成できるようなブレイクスルーが期待できるわけではない。
   要するに、日本の教育制度が、会計年度に合わせて、4月スタートの春入学制度を取っていて、欧米の9月スタートの秋入学と言うグローバル・スタンダードから逸脱しているので、色々と不都合が起こっていると言うことが問題なのであって、この制度と習慣を、ディファクト・スタンダードに合わせない限り、問題は解決しないのである。

   従って、出来れば、日本の社会や政治経済制度を、可能な限り、欧米流のスタート時期に合わせてリセットすることがベターであって、少なくとも、学校など教育制度については、小中学校から高校なども含めてすべての組織を、秋入学に切り替えない限り、多くの不都合ばかりが生じて、教育制度がマヒしてしまうことになろう。
   東大の秋入学発表にうかれて(?)いる感じなのだが、たとえ、多くの大学がこれに追随したとしても、日本の大学自体が、春入学と秋入学の併用状態になれば、教育システムのみならず、日本の社会そのものに、大きな混乱を生じることは必定であろうと思われる。

   因みに、欧米流の秋入学を採用することになると、恐らく、セメスター(二学期)制度を取ることになるであろうから、入学は9月で、卒業は5月となって、終期は、2か月遅れとなるが、良し悪しは別として、一回夏休みを無駄にすること(?)がなくなることになるであろう。
   しかし、グローバル時代における有為な人材育成のための高等教育は、当然、大学はリベラルアーツを主体として基礎的な教養教育の場となって、大学院教育が主流になるであろうから、適切な移行措置かも知れないと思っている。

   
   私自身は、東大が、秋入学への移行を提唱して以降、日本の学校制度それ自体を、すべて、グローバルスタンダードとも言うべき秋入学に、変更しようと言う意見なり世論が、全く起こって来ないこと自体を不思議に思っている。
   日本社会が、本格的に社会構造をリセットしたのは、恐らく、日本が歴史的な危機状態に陥った明治維新と終戦後の再建時代だと思うのだが、今日のグローバル社会の到来が、これまで有効に機能してきた政治経済社会構造を、陳腐化し制度疲労させてしまって、世界の潮流に合わなくなってしまって、日本を危機的な状態に追い込んでしまっているのなら、維新を起こしてリセットする以外にない。
   東大の秋入学を推進すると言った安普請をしていては、日本の屋台骨さえも崩壊させかねない筈である。

   
   この大学の秋入学に移行すれば、3月に高校を卒業した18歳の若者が、9月の入学までに5か月間のギャップ・タームが生まれるので、この期間をどうするのか、海外留学やボランティア活動など東大では検討したと言う。
   今回のシンポジウムで、日本の18歳が欧米の同年齢と比べて大人度(?)や自主的な社会的成熟度などが劣っているので、若者自身の自主的な活動期間として生かそうと言うような議論がなされていたのだが、幼少年時代から型に嵌め込まれて自主的な生き方をして来なかった日本の若者に多くを期待できる筈がないし、そのようなギャップ・タームと言う無駄な期間を発生させること自体が、ナンセンスだと思っている。

   人材の育成については、マクドナルドの原田泳幸CEOから、日本のビジネスマンは、非常に優秀だが、コミュニケーション力やコンストラクティブ・ディベート、クリエイティビティ、リーダーシップ、独創性独自性などに劣っていて、国際競争に伍して行けないと言う指摘がなされて、建設的な説得力のあるディベート能力などを如何に涵養するのかなどが議論された。
   沈黙は金だと教えられて、出る釘は徹底的に叩かれるようなメンタリティの社会に生き、かつ、競争は共倒れになると協調と談合ばかりに意を用いる横並び主義の日本人に、弱肉強食の熾烈な競争社会に生きる個人主義の欧米人と、同じ土俵の上で、戦って、独創性やリーダーシップを発揮せよと言ってみても、所詮つけ刃にしか過ぎなず、根本的な意識革命から始めなければならない。

   私が気になったのは、日本の大学教育は、正解を追い求めて、正しい知識、真実を追求して行くと言うことに重点を置いていて、このやり方がそれなりに機能しているので、ディベート力を涵養するためには、移行ギャップを生み出す必要があるとした濱田学長の発言で、真実の追求とディベート力の涵養は、トレードオフの関係ではなく、同時実現が可能であると言う厳粛なる事実を分かっていないと言うことである。

   教育問題については、このブログで何度も論じており、各所で引用されたりもしているので蛇足は避けることとして、ここで、日本の教育の姿勢について、1点だけ問題点を指摘して、濱田学長の誤りを指摘しておきたいと思う。
   それは、予習を重視する欧米教育と、知識吸収と復習を重視する日本の教育との違いである。

   私が、アメリカでのMBA留学で、最も感銘を受けたシステムは、授業のスタート時点で、最終講義までの詳細なスケジュールと膨大なリーディング・アサインメントを明記した書類が配布されて、それに従って授業が完遂されると言うことであった。
   ハーバード・ビジネス・スクールはケース・スタディに比重がかかっていて、私の通ったウォートン・スクールは、講義形式に比重を置いたビジネス・スクールではあったが、それにも拘わらず、授業の前には、その授業を受けるために、専門書や参考書、法令資料などの膨大なリーディング・アサインメント(100ページを有に超えることもある)を読破して、十分に予備知識を習得した上で、授業に臨んで、議論や質問に参加することが求められているのである。

   ビジネス・スクールは、文学や理系、医学などの大学で異分野を専攻した学生が多いので、マクロやミクロ経済の講義などは、一からのスタートで、サミュエルソンのエコノミックス(現在なら、マンキューやステイグリッツのテキストであろうか)から始めるのだが、これなど、最初の4回くらいの授業で終わってしまい、授業最終には、最新の経済論文や経済学書を読めるところまで、レベルを上げて行くのである。
   短期間で教育の実を上げるためには、攻撃は最大の防御なりであって、学生に事前学習を義務付けて徹底的に勉強させて、教授以上に知識情報を事前に装備させて、授業に臨ませることが何より肝要である。
   

   私は、最近、大学で、単発ながら、ブラジル学とBRIC'sビジネスについて、講義を持っており、そのための資料の一部として、このブログで、BRIC'sの大国:ブラジルと言う記事を書いており、他の参考書などとともに、リーディング・アサインメントとして事前に読んでくれるよう指示したのだが、当然、日本人大学生には、そのような姿勢がないので、空振りに終わっている。

   マイケル・サンデルが、「これからの「正義」の話をしよう」で火をつけた対話形式のハーバード講義が、日本でも脚光を浴びたのだが、そのような教育システムが、日本でも根付くためには、まず、前述したように、その授業や講義の前に、学生自身が、十分に事前に勉強をして理論武装して臨むことが必須であり、そのような姿勢を学生たちに植えつけない限り無理であろう。
   何も、濱田学長の言うように、真実の追求への時間を割かなくても、学生たちに周到な準備を義務付けて定着させて議論に参加させ、教授が講義技術を高めてうまく誘導できれば、コンストラクティブ・ディベート能力なり姿勢が、涵養される筈である。

   
   もう一つ、蛇足ついでに付記しておきたいのは、日本人ノーベル賞受賞者の大半が、アメリカで教育を受けたり研究に従事した経験者であることを考えれば分かるように、日本の大学なり研究機関など高級教育機関の質に問題があることと、大学教授など教育者の質なりレベルが、相対的に低いと言うことで、このあたりを、国際水準に引き上げることが必須である。
   さらに、日本人の欧米先進国への留学が激減して内向き志向が進んでいることを考えれば、明治維新の頃のような、積極的に外国人教授や学者を招聘して、異文化異文明の交錯する文化・文明の十字路を作り上げてメディチ・エフェフトを醸成することが、何よりも、肝要だと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い

2012年12月19日 | 能・狂言
   ユネスコによる「無形文化遺産 能楽」第五回公演の最後は、喜多流の「安宅」であった。
   私は、これまで、何度も歌舞伎で「勧進帳」を観ているので、そのオリジナルとも言うべき能「安宅」を是非観たいと思っていたので、願ってもない機会を得たことになる。

   話の筋は、大体、歌舞伎も、能とはそれほど変わってはいないのだが、やはり、舞台芸術としては、大分、異なっているので、私には、その違いなり差が非常に興味深かった。
   まず、能の場合には、シテ一人主義を通して主役は弁慶(粟谷能夫)一人で、歌舞伎では主役の義経が、能では子方が演じており、豪快でパワフルな弁慶が、ワキ富樫何某(宝生閑)と、男と男との死を賭した息詰まるような対決を演じることによって、一本大きな筋が通っている。
   もう一つの大きな違いは、歌舞伎では、富樫が、義経だと分かっておりながら、男の情けで、安宅の関を通させるのだが、能では、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破すると言うことになっている。

   能の「安宅」では、狭い舞台の空間に、歌舞伎とは違って、この日の舞台では、弁慶と9人の郎党(8人の立衆とアイ山本東次郎)が、登場して、舞台一杯になって勤行をしたり富樫たちと対決したりするので、大きな舞台で4人の郎党を押し止めようとする歌舞伎とは違って、大変な迫力で、圧倒される。
   これについて、金剛流の「風姿」では、歌舞伎で郎党の数が少ないのは、富樫方とのバランスもあるが、七代目團十郎初演の折、腕の立つ役者が能ほどに揃わなかったので、その時の演出の型がそのまま今も踏襲されているのだと書かれていて興味深い。

   八世観世銕之丞(人間国宝)が、「ようこそ能の世界へ」で、歌舞伎座で、能「安宅」と歌舞伎「勧進帳」では、演技の方法がどれだけ違うのか、團十郎と演じて観比べてみたと書いている。
   義経の郎党の数の違いのほかに、歌舞伎の方は、舞踊劇的なリアリティーを三味線音楽にのせて演じているのに対して、能の方は集団の力を表現する。あくまで力と力との対立という方向で演じられるという違いがあるように私は思います。と言っている。

   また、歌舞伎の弁慶は、最初から装束も化粧も弁慶そのものになっていて、顏の表情いっぱいに、凄んだり、泣いたりするし、大きく見得をきったりして、動作も派手だし、最後は豪快な飛六方で花道に入る。能にくらべて表現の仕方は派手だし、面白くなりすぎていて、能とはかなり違う。
   ところが、能の「安宅」では、弁慶は面をかけない「直面」で、関を越すために富樫と丁々発止と渡り合い、何も書いてない巻物を勧進帳と偽って読み、山伏を制し、義経を打ち、関を逃れるのを観ていると、表情を変えない役者の素顔がだんだん弁慶に見えてくる。内側に技量のある人、演技をする上でのほんとうの距離感とかリアリティー出せる人は、面をとっても、その顔が自然なところにゆく。表情先にありきではなく、表情は後からくる。のだと言っている。

   もう一つ面白いのは、歌舞伎のように、武士の情けで義経を逃がした富樫はどうなるのか、と富十郎と語ったと言う。
   弁慶は関を通って逃げてしまえば良いので無責任だが、富樫は頼朝に見つかれば切腹しなければならないのに通してしまう。弁慶を呼び止めて酒宴をはるなどと言う場合ではないのだが、とにかく弁慶に惚れこんでしまったわけだから、弁慶だって富樫の立場を思ったら飲まざるを得ない。弁慶に酒を注ぐ富樫と、その富樫の心情を察して舞う弁慶の間に通う男同士のロマンを感じると、「勧進帳」も良いなあと思う。と言っているのだが、このあたりが、アウフヘーベンした歌舞伎の値打ちかも知れない。
   この富樫が、弁慶に心酔したと言うことは、宝生閑も、「幻視の座」で語っている。そうでなければ、再び出て来て酒を振舞い、弁慶に延年の舞を舞わせると言うシチュエーションが生まれる筈がなかったと言うことであろう。

   ところで、この「安宅」について、九世銕之丞が、「能のちから」で、先代が、喝采を浴びた「勧進帳」に影響を受け、歌舞伎から逆輸入して「安宅」の演技を再構築した部分もあるのではないか、と言う言い方をしていた。と語っている。
   能も演技の一部であり、演技と芝居は同義語だと考えていたので、能として生々し過ぎたり、妙に媚を売るような演技は言語道断で、それなりの抑制された演技のやり方で芝居をやることはあっても良いと考えていたようで、自分もその伝承を受けているのだが、(その振幅の)判断が難しい。とも言っている。

   また、「能のちから」で、”最大のピンチだからこそ露呈する人間の本質”と言うサブタイトルからも分かるように、「安宅」は、命がけの危機に立った時、絶体絶命のピンチの時にこそ、その人間性や本質があらわになると言う人間描写がテーマになっている。と述べている。
   窮地に立たされれば立たされるほど、腹をくくって冷静に冷めて行く弁慶の危機管理を、そのプロセスを追いながら作って行くと、弁慶の目的や大切なものは何なのかが分かってくる。長い時間をかけて自分自身を作ってきた、その人そのものが、その危機の時に現れ、その現れが、日本人の心を打つのだと言うのである。

   感情が顔に出やすいタイプの役者である自分にとっては、情の芝居や演技を、「直面」で舞う難しさなどを語りながら、観世寿夫が、「直面」ものが、あまり好きではなかったし舞わなかったと語っている。
   寿夫は、「安宅」を一度もやらなかったようで、このあたりの話は、宝生閑の「幻視の座」でも語られていて興味深い。

   さて、富樫が、義経だと分かっていたかと言うことについて、観世清和宗家は、「一期初心」の”「安宅」の心理劇の項で、山伏の一行が到着した時から、それが義経主従であることを見破っていて、弁慶の読み上げる勧進帳がおかしいことも分かっていたと書いている。
   一方、弁慶も見破られていることに気付いていて、お互いに相手の心を読み、もうこの先は、刀を抜いて斬り合うしかないと言うギリギリのところでぶつかり合っている。表舞台で進む派手なやり取りの後ろで、もう一つのドラマが進んでいる。この二重構造が「安宅」の特徴であり、演者にとっての醍醐味だと言っていて、。
   「安宅」が大曲と言われるのは、展開する舞台の華々しさによるのではなく、背後で同時に進んでいる緊迫した心理劇をどう表現するか、そこに演じるものの力が問われているからだと言うのである。

   私には、まだ、「安宅」の奥深い良さは、十分には分からないけれど、非常に高度な日本古典芸能の片鱗を垣間見た思いで、感激のひと時であった。

(追記)口絵写真は、国立能楽堂2013年カレンダー「安宅」より転写。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状を出す楽しみ

2012年12月18日 | 生活随想・趣味
   虚礼廃止だとか言った感覚は持ち合わせていないので、毎年年賀状を出している。
   歳を重ねるにつれて、喪中欠礼葉書が舞い込むことが多くなって、どんどん、差し出す枚数が減って行くのが寂しい。
   私の場合には、鈍らの所為もあって、正直なところ、年賀状を準備するのが億劫なので、ぎりぎりまで出せないので、元旦の朝には着いていないかも知れないと心配している。
   悠々自適の生活に入ってからでもそうなので、性分と諦めるしかない。

   以前には、業者へ印刷に出していたのだが、ワープロやパソコンで、自作の年賀状が作れるようになってからは、ずっと、市販のソフトを使って、自分で作成して、インクジェット用の年賀はがきに印刷している。
   殆ど、出来具合は、プロと変わらないくらいに良く出来る上に、自分の思い通りの年賀状が作れるので便利であるし、それに、住所録を準備しておけば、短時間に年賀状が仕上がる。

   ところが、今年は、パソコンのディスクが故障して取り替えたので、住所録が全部消えてしまったので、一から準備しなければならなかったので、結構大変であった。
   尤も、手間を最小限に省こうとして、昨年来た年賀状を参考にして住所録を作ったので、失礼する友人知人があるかも知れないのだが、あくせくする歳でもないので、諦めることにしている。

   年賀状の裏面のデザインだが、ソフトのモデルから適当なものを選んで、絵や字を書き換えたり、写真を入れ替えたりするのだが、挿入する写真を何にするのかが関心事と言えば関心事で、これが、結構楽しい。
   若い頃は、娘たちの写真を使ったのだが、その後は、ツバキなどその年に撮った花鳥風月や、ヨーロッパなどの海外風景写真を使ってきた。

   今年は、この口絵写真を使うことにした。
   別に、特別な写真でもないし特に意味があるわけでもないのだが、イギリスの写真を整理していて、色彩感覚が面白かったので、良く歩いたところだし、懐かしくなって目に留まったのである。
   ロンドンのウエストエンドの劇場街の場末のカフェ・レストランだったと思うが、イギリスでは、ハンギングのフラワー・バスケットと店頭の看板などのコントラストが結構絵になるのである。
   田舎の一寸したレストランやパブで、花の咲き乱れている風情など、古い街並みと調和して、おとぎ話の世界のように美しいことがあり、感激する。
   写真を整理していて、つまらない写真が多くて愕然としているのだが、折角、被写体に恵まれた環境に長い間どっぷりと浸かっておきながら、良い写真を写そうと努力しなかったことを、今になって後悔している。

   さて、頂く年賀状には色々な種類があって興味深いのだが、やはり、いろいろと近況など書いてくれているのが、一番良くて、一言でも、何か自筆で書いてくれているだけでも、嬉しい。
   そうでありながら、先に書いたように、なまくらな私は、自分で作ったとは言え、プリントした無味乾燥な年賀状を、宛先もパソコンで打って、そのまま、何年も、送ると言う全くの失礼を続けている。
   字が下手だと言う負い目のある所為もあるのだが、今年は、少し、近況を書いてみようと思って、新しい文章を付け加えた。
   
   今年は、どうにか、20日くらいには、年賀状をポストに投函出来そうである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の総選挙 another hard-to-fathom swing in Japan’s weathervane-like politics

2012年12月17日 | 政治・経済・社会
   表題の英語は、The Economistの”Shinzo Abe's sumo-sized win ”記事の文中の文句なのだが、日本の総選挙の特色を言い得て妙なので、借用した。
   どう日本語に訳せば良いのか分からないが、”日本の風見鶏風政治における想像し難い振り子現象の再現”と言ったニュアンスであろうか。
   郵政民営化で争われた小泉選挙の時には、一気に自民党の大勝利を齎し、3年前の選挙では経済情勢の悪化などで小沢戦略が功を奏して、逆に、野党民主党が想像を超えた大勝利で政権に着いたと思ったら、その失政で、今回は、振り子が一気に逆に振れて、自民党の”相撲サイズの大勝利”に終わった。
   総選挙の度毎に、振り子のように大きく逆方向に振れる国民の審判が、あたかも風見鶏のような日本の政治を象徴していると言うことであろうか。

   ワシント・ンポストの一句だが、”a fierce rebuke of a party that guided the country into another recession and into a bitter territorial dispute with China”故に、野田民主党が、大敗を喫した。
   益々悪化し続けた経済情勢、それに、鳩山・小沢の日米関係軽視の外交や普天間の不手際に端を発した深刻な領土問題に嫌気を差した国民が、これ以上、民主党に政権を任せれば大変なことになると言う危機意識を感じて、この点で、多少期待が持てる自民党の方がベターだと言う判断が働いたと言うことであろう。
   私自身は、安倍政権が進めようとしている公共投資増大、日銀をコントロールして推し進めようとしている金融緩和やインフレターゲットなど、既に、財政金融政策が慢性的に暗礁に乗り上げてしまった日本経済に、どれほど効果があるのか疑問に思っており、むしろ、本当に死に物狂いで取り組むのなら、民主党の説く経済政策(尤もこれでも不十分過ぎるのだが)の方に分があるのでは無いかとさえ思っている。

   
   さて、本題に戻るのだが、このように振り子のように選挙結果が大揺れに触れるのは、衆議院議員の3分の2近くが、小選挙区で選出される小選挙区制度のシステムの特質を如実に示している結果である。
   実際の自民党の得票数は、3割台だろうと思うのだが、一選挙区に一人の当選者と言う現行の小選挙区制度では、必然的に、一番人気の高い第一党に当選者が集中する可能性が高くなる。
   今回も、小選挙区の8割くらいが、自民党当選者で占められていると言う一人勝ち現象が起きているのは、この現れである。

   これに比べて、比例代表区の当選者の比率なり割り振りは、世論調査に似た比較的国民の意思に近い結果となり、少数政党が、生き残るためには、かっての中選挙区制度を維持するか、この比例代表制を温存するなどの配慮が必要となる。
   今回の少数政党のうち、共産党は、当選者すべてが比例区であり、大地も当選者1人は比例区、未来も、当選者9人のうち、小沢一郎、亀井静香以外7人は比例区であり、みんなの党も、当選者18人のうち14人は比例区で、公明党でさえ、31人当選者のうち22人は比例区である。
   しっかりと正論を主張していた新党日本と新党改革が、一議席も取れ無かったと言うのは、残念なことだったと思っている。
   イギリスのように、民主主義と市民社会が成熟した社会であれば、小選挙区制度でも、比較的、2大政党政治が有効に機能するのだが、いまだにノック青島現象のようなポピュリズムが生きており、国民の意思が振り子のように大きく振れる日本のような国では、小選挙区制度による2大政党政治などは、無理なのかも知れない。

   さて、今回の日本の総選挙の結果については、欧米のメディアは、殆ど無視軽視に近かったようで、電子版のニューヨークタイムズもワシントンポストも、探さないとタイトルが出て来ない状態で、今朝のNHK BS1のワールドWawe7時でも、中韓はともかく、ドイツ放送とアルジャジーラの引用くらいで、シリアやエジプトなど中東のニュースの方が重要だと言うことらしい。
   これほど、地盤沈下した日本をどうするのか、安倍政権に期待する以外にないと思うのだが、今回の自民党の大勝利は、国民の3分の1のバックアップにしか過ぎず、選挙制度故の結果による相撲サイズの政権委託であって、フリーハンドを与えられたようなつもりになってアロガントにならないように祈りたい。

   蛇足ながら、今回の選挙では、結果を十分には出せずに悲劇の宰相で終わりそうだが、野田総理の努力を多として、そして、カウンターベイリング・パワーとしての民主党の今後に期待して、私は、民主党に投票した。

(追記)口絵写真は、エコノミスト誌の記事から借用。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立能楽堂からサントリーホール

2012年12月15日 | 今日の日記
   昨夜鎌倉に来たので、朝、娘宅で、玄関脇の庭花壇の手入れを手伝った。
   シクラメンとパンジーの植え付けなのだが、ガーデニングが苦手で、折角の花壇や植え付けも手抜きをしていて、春の準備も十分ではなかった。
   土つくりから初めて、空いた空間に、増えて大株になっていた都忘れを株分けして植えつけた。

   昼前に、鎌倉駅から、湘南新宿ラインに乗って、新宿を目指した。乗り換えて千駄ヶ谷に向かうのだが、新宿まで、乗り換えなしの一本線なので、非常に便利である。
   国立能楽堂には、1時前に着いたので、開演までには十分時間があった。

   この日は、ユネスコによる「無形文化遺産 能楽」第五回公演と言うことで、中々のプログラムであった。
   金春安明と殿田謙吉の金春流能「恋重荷」、野村万作と三宅右近の和泉流狂言「隠狸」、それに、粟谷能夫と宝生閑の喜多流能「安宅」である。
   「恋重荷」は、先日、観世流の舞台を鑑賞した後だったので、その違いなどが分かって、非常に興味深かった。
   「隠狸」も、数か月前に、同じく万作の舞台を観ていて、この時は、シテ/太郎冠者が野村万作、アド/主が野村萬斎で、今回、万作がアド/主を演じていて、人間国宝の両方の舞台を鑑賞できた訳であるから、幸いであった。

   「安宅」は、歌舞伎の「勧進帳」のオリジナルとも言うべき曲で、非常に興味を持って鑑賞させて貰った。
   能狂言に通い始めた動機の一つが、歌舞伎や文楽の元になっている能や狂言を観て、どのように脚色されていったのか、それを知りたいと言うことであったので、今回の「安宅」は、非常に面白かった。
   まず、歌舞伎には、義経の郎党は4人だが、能では倍以上郎党が登場しており、歌舞伎のように、富樫が、義経と知りながら、武士の情けで関を通すのではなく、能では、命がけの対決をするので、大変な迫力である。
   一寸、意外だったのは、アイの役割で、人間国宝山本東次郎が、義経の郎党、山本則俊が、富樫の家来で登場して、舞台にしっかりと溶け込んでいたことで興味深かった。
   能には、山伏問答がないとか、延年の舞の違いだとか、色々舞台に差があって、その違いが非常に興味深いのだが、稿を改めて、感想を書くことにしたい。
   充実した舞台で、終演は、5時10分で、外は暗くなっていた。

   この日、2月の「式能」のチケットを求めた。昨日から発売だったのだが、会場だと言っても自主公演ではないので、能楽堂チケット・ブースには殆ど残っておらず、ぴあの方が良かったのかも知れない。いずれにしろ、5流派揃っての本格的な能の公演は少ないので、貴重な舞台である。

   7時から、サントリーホールで、都響定期公演があるので、直接劇場に行くことにした。
   北参道からメトロに乗って、永田町で南北線に乗り換えて、溜池山王に向かった。
   ホール前のカラヤン広場には、クリスマスのイルミネーションが点灯していた。

   私の定期公演チケットは、東京文化会館なのだが、11月には、丁度、大阪に行って文楽「仮名手本忠臣蔵」を観たので、行けなくて、振替で、サントリーに来たのである。
   今回の公演は、チェコの若き指揮者ヤクブ・フルシャ指揮で、ピアノ独奏ゲルハルト・オピッツのバルトーク「ピアノ協奏曲第2番」、休憩後、コダーイの「ガランタ舞曲」とバルトーク「中国の不思議な役人」組曲。
   オピッツの舞台は久しぶりで、弱音の美しさは格別で、ダイナミックな演奏の迫力には全く衰えがなく、大変な熱演であった。
   
   「ガランタ組曲」は、ロマの音楽、すなわち、ジプシーの音楽を素材にしたとかで、非常にエキゾチックで、どこか東洋の香りがする美しい音楽であった。
   ブダペストには、ベルリンの壁崩壊前後に何回か行っており、レストランやクラブで、ジプシー・バイオリンなどジプシー音楽を聞いており、非常に懐かしく感じた。
   一度、ブダペストで、ジプシーたちがあっちこっちから集合して祝っていた大掛かりなお祭りを観たことがあるのだが、遠くインドから、ハンガリー、そして、あのカルメンのスペインまで、ジプシーの世界は広がっている。
   ロマの音楽には、東洋の香りは勿論、いろいろな国や民族の音色が含まれているのも当然なのであろう。  

   最後の「中国の不思議な役人」は、3人のならず者が女に客を取らせて金品を奪おうとする娼家を舞台にした不埒なテーマの音楽で、とにかく、エロチックなクラリネットの美しさからして興味深いのだが、私には良く分からないながら、大変な迫力の音楽で、客席は大いに沸いていた。
   全部で、正味1時間20分くらいの演奏会だったが、非常に興味深い公演であった。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国シェア2%台の衝撃  ソニーのテレビが「消える日」

2012年12月13日 | 経営・ビジネス
   表題は、週刊ダイヤモンド電子版の記事である。
   この秋、赤字覚悟の価格競争を続ける体力がなくなったソニーは実売台数ベースでシェアが2%台に急減。一時は1%台となった。トップシェアの韓国サムスン電子の、実に10分の1以下の台数しか売れていないというのである。
   フィラデルフィアでの留学時代に、私は、ソニーのハンディサイズの「マイクロテレビ」を愛用していたのだが、アメリカの友人は羨望の眼で見ていた。正に、今昔の感である。

   デジタル化でモジュール製品となって、コモディティ商品の最たるものとなってしまったテレビなど、技術深追いの持続的イノベーションばかりに入れ込んで、破壊的イノベーションの歌を忘れたソニーには無理で、早く撤退しろと、このブログで、ずっと前から何回も書いてきたのだが、到頭、その時期が来たようである。
   誰でも、モジュール用の部品を集めて組み立てれば、先端を行くそれなりのテレビが安く作れると言った時代に、トリニトロン時代の昔の夢を追って、殆ど差別化の出来ないような高くてコスト割れのテレビを売っていては、売れなくなり、経営が悪化するのも当然であろう。
   私が、最初にソニーに失望したのは、ソニーショックで経営が悪化した時に、次世代産業の核とも言うべきAIBOなどのロボット事業から撤退して、落日のコンシューマー・エレクトニクスをコア・ビジネスとして経営をシフト後退させた時である。

     私は、このブログで何度か触れ、経営危機にあるソニーの経営に欠けているのは、ソニーのソニーたる所以であった破壊的イノベーションとは何かを真正面から直視したメンタルモデルのドラスティックな変革だと言ってきたのだが、旧態依然たる経営姿勢と経営戦略は一向に変わる気配がなかった。

    今年度初頭にソニーが発表したのは、
    経営方針として、”ソニーを変革し、エレクトロニクス事業の再生、成長と新たな価値創造をめざす~“One Sony”でソニーを変える~”を掲げて、
   変革のためのエレクトロニクス重点施策 として、
1. コア事業の強化(デジタルイメージング・ゲーム・モバイル)
2. テレビ事業の再建 
   をトップに挙げており、これに対して、極論かも知れないが、ソニーが、コア・ビジネスとして、変化と浮沈の激しいデジタルイメージング・ゲーム・モバイルに固守して、更に、テレビ事業に入れ込んで再建を図ろうとするのは、適切かどうか疑問を感じた。
   そして、私が一番気になったのはソニーのホームページの、「R&Dが生み出した商品の歩み」には、2007年12月世界初有機ELテレビ「XEL-1」発売以来、全く、破壊的イノベーションを生み出せなくなってしまっていることで、
   このような事業をコアとして固守している限り再生は無理で、このコア・ビジネスから撤退して、もっと高度な付加価値の高いブルーオーシャン市場をターゲットとした製造業を目指すか、或いは、継続するにしてもファブレスを目指して、IBMのように、ハードから距離を置いてソフトなどソリューション・ビジネス等付加価値の高い高度なサービス産業に脱皮すべきだと思っている。とも書いた。
   ソニーには、ルイス・ガースナーのような確固たる戦略と知力のある強力なリーダーシップを持った救世主を頂かない限り、再生はあり得ないのではなかろうかと思っている。

   ソニーが、初期に快進撃を遂げ得たのは、トランジスター技術を駆使して、破壊的イノベーションを追求して、成功ゆえに持続的イノベーションを謳歌して胡坐をかいていた真空管技術のGEや日立東芝などの既存の支配的な大手を、一気に追い抜き凌駕した、正に、クリステンセンのイノベーターのジレンマを逆手の梃として活用した経営戦略の勝利であったのだが、今や、逆に、ソニーは、このジレンマの渦中の真っただ中に陥って苦悶している。
   あまりにも革新的な技術と製品で大成功を収めて巨大化し過ぎてしまった結果、
   今や、企業体制や組織が陳腐化して制度疲労の極に達したのみならず、膨大な既存設備や資産の重圧に耐えかねて、進退窮まったと言えば言い過ぎかも知れないが、メンタルモデルのリセットさえできなくなってしまっていると感じたのである。

   スライウォツキーが、「ザ・ディマンド」で、
   ソニーは、AV機器業界でも、コンピュータ業界でも、通信業界でも、メディア業界でも、確固たる地位を築いていたのだが、いずれの分野もサイロ状態で、顧客のためにすべてを統合することもなく、顧客経験の向上に役立つはずの横の繋がりが一切なかった。
   折角持てる高度なテクノロジーを統合する社内体制なり経営戦略が完全に欠如していた。
   それに、機器のデザインのみならず、企業と顧客の経験とを結びつける経験デザイン、グローバル・ベースで通用するビジネス・デザインの3つの次元の有効なデザインを構築して、画期的な新製品の開発に匹敵する創造力が求められる特注品を生み出さなければならないのだが、ソニーはそれができなかったために、技術でははるかに劣っていたアップルに負けたのだと説いている。

   世界最高の先端技術と世界屈指の優秀な技術者集団を誇る日本の代表的な企業ソニーが、何故苦しむのか。
   全く素人の外野の私見だが、結局は、殆ど有効に機能していない経営が、あまりにもお粗末過ぎる所為だと言う気がしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場:歌舞伎・・・鬼一法眼三略巻

2012年12月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場は、吉右衛門の当たり役である一條大蔵卿長成の素晴らしい舞台を鑑賞できるばかりではなく、「菊畑」では、初役だと言う重厚な吉岡鬼一に挑戦すると言う歌舞伎ファンにとっては、堪らないほど魅力的な舞台である。
   一條大蔵卿については、これまで、吉右衛門の舞台も鑑賞しており、菊五郎や勘三郎の舞台も観ていて、非常に楽しみな演目であったのだが、今回は、特に吉右衛門の鬼一法眼の方に注目して観ていた。

   この「菊畑」は、鬼一屋敷の奥庭の素晴らしい菊花壇が舞台なのだが、鬼一の所持する兵法の奥義を記した六韜三略の虎の巻を手に入れようと、牛若丸(梅玉)が寅蔵に、吉岡鬼三太(又五郎)が奴知恵内に名を変えて奉公人として侵入していると言う設定で、話が展開する。
   ところが、この歌舞伎の舞台では省略されているのだが、浄瑠璃では、この菊畑の後半で、牛若丸に鞍馬山で拳法を教えた「大天狗僧正坊」が、実は、鬼一であったことが明かされるので、芝居の冒頭から、鬼一は、二人の素性は知っていたのである。
   歌舞伎では、一応、このことと、鬼一と鬼三太が兄弟であることをお互いに知らずに、腹の探り合いで会話が展開されているように思われているのだが、知らぬのは、牛若丸と鬼三太の方である。
   ただ、鬼一は、娘皆鶴姫(芝雀)のお供を途中で投げ出して帰ってきたと言うつまらないことで、寅蔵を、知恵内に打擲するよう命じるのだが、これは、例の勧進帳の弁慶のケースと同じで、確認するためであった。

   この口絵写真のように、白髪で素晴らしい衣装を身に纏った鬼一が、奥庭の素晴らしい大菊の咲き乱れる菊花壇を、多くの奥女中にかしづかれて、正に泰然自若、悠然と歩を進めて、菊を愛でる情景は、一幅の絵画を見ているようであり、風格のある吉右衛門の芸が光る。
   塵一つなく完璧に掃除された菊花壇に比べて、雑木林には一履きの箒も入っていないのを咎めた鬼一に、楓白樛木などは、落葉を鑑賞するのも一興と知恵内が答えたのに対して、”小分別もある奴を、なぜ智恵内(知恵無い)とは名付けたよな”と言うところが面白いが、その後、
   鬼一は、熊野の同郷であることに触れて、血を絶やすことは先祖へ申し訳ないので、父が、長男・鬼一法眼は、戦勝者「平家」へ、次男鬼次郎・三男鬼三太は、恩ある「源氏」の為に生きよと、運命を分けたことを語るのだが、口まで出かけた兄弟の名乗りに知恵内は口を噤む。

   この菊畑の場では、奴の知恵内が主役とも言うべきで、身分が低いにも拘らず、大きな顔をしていて、鬼一と渡り合い、ぞっこんの皆鶴姫と、寅蔵の中を取り持とうとする知恵内のコミカルな演技が秀逸で、又五郎の持ち味十分の大車輪の活躍が見ものである。
   芝雀の癖のないたおやかな娘姿も中々のもので、死を覚悟で寅蔵に体当たりする決死の思い入れの強さも示して好演している。
   梅玉の寅蔵は、本人が、”虎蔵は若衆の代表的な役で、若さや色気が必要です。もちろん平家打倒の気持ちは持っていますが、古典らしく、舞台に出たときにいかにも牛若丸らしい雰囲気を出せればと思います。”と言っているように、非常に若々しくて艶やかな演技と毅然たる演技とを、鬼一の面前と、鬼三太の面前とでの主客転倒で、メリハリをつけていて面白く、魅せてくれる。
   悪役の笠原湛海を演じた歌昇は、父親譲りの中々パンチの利いた迫力のある演技で面白い。

   ところで、この菊畑の浄瑠璃での結末だが、巻物を奪うべく鬼一との対決を決意した寅蔵の前に、大天狗僧正坊姿で現れた鬼一が、真相を語り、皆鶴姫に、好いた婿殿に託せと虎の巻を手渡して、割腹して、三人を見送る。
   次の段は、「五条橋の段」で、あの有名な牛若丸と弁慶の五条大橋での華麗な戦いの場が展開されるのである。

   さて、次男の鬼次郎(梅玉)が登場するのが、今回の歌舞伎の終幕「檜垣・奥殿」、すなわち、「一條大蔵卿」である。
   この舞台の冒頭は、鬼三太と女狂言師に化けた妻お京(東蔵)が、大蔵卿に嫁いだ常盤御前(魁春)が平家追討の意思を持っているのかどうか、その真意を探るために、勘解由(由次郎)の妻鳴瀬(高麗蔵)の手引きで、大蔵卿邸に入り込もうとするのだが、
   舞台中央の門から、ひょろひょろ躍り出る阿呆すがたの吉右衛門の一條大蔵卿の何とも言えない大らかで天衣無縫な表情が、一気に観客の心を掴む。
   徹頭徹尾、ハムレットを装う作り阿呆の大蔵卿なのだが、吉右衛門の表情は、演技とも思えない程真に迫った阿呆姿で、藤山寛美ばりの熱演である。

   ところで、吉右衛門は、自著「歌舞伎ワールド」で、”大蔵卿が作り阿呆であざむこうとした本当の相手は、世間ではなく、大蔵卿自身だと思います。”と書いている。
   平家打倒に自分も参加したいのだが、下手に動いたら危ない、自分の武芸の才を封印せざるを得ない無念さに耐えねばならない二重構造に苦悶する心は、抑えようもなく、どうしても舞台に出て来ると言うのである。
   裏切り者の勘解由を、御簾の裏から「不忠の家来め!」と槍で突き刺し、衣装を変えて異議を正して颯爽と登場する姿が、本来の大蔵卿なのであろうが、
   阿呆にかえって、勘解由の首をボール遊びのように投げあげて、思いっきり破顔一笑する幕切れの、その表情に、どこか陰のある泣き笑いに似た影が漂うのは、それが現れているのであろうか。

   一條大蔵卿については、この舞台のような阿呆ぶりの記録はなく、妻の常盤が義経の実母であったが故に、そして、奥州平泉の藤原秀衡の庇護を受けられたのも、縁戚にあった大蔵卿の口添えがあったからとも言われているなどで、このように興味深く脚色されたのかも知れないが、非常に面白い話である。
   とにかく、この舞台は、正に、吉右衛門の独壇場の舞台で、愛嬌のある底抜けの阿呆ぶりと言い、颯爽とした風格のある重厚な大蔵卿と言い、素晴らしい舞台であった。
   魁春が、中々気品のある毅然とした素晴らしい常盤を演じていて、日頃とは違って、今回は非常に美しいと思って見とれていた。
   鬼次郎の梅玉は、うってつけの当たり役だと思うのだが、妻お京の東蔵も、こう言う役を演じると実にうまく貴重な存在であり、勘解由を演じた由次郎の性格俳優ぶり、鳴瀬の高麗蔵の手堅くツボを押さえた冴えた演技など、わき役陣の活躍が、舞台の魅力を増している。

   
   ところで、最近は、能楽堂に通うことが多くて、開演時間を、1時と間違って、残念ながら、冒頭の「六波羅清盛館」をミスってしまった。
   日を間違って劇場に行ったり、忘れてしまったり、最近は、電車の遅れも多くて、劇場通いも大変である。

(追記)中村勘三郎追悼!
勘三郎の歌舞伎を初めて観たのは、もう、20年も前のロンドンで、可愛かった勘九郎と七之助と一緒の「春興鏡獅子」と、玉三郎との「鳴神」。それ以降、随分楽しませて頂いており、感謝に耐えない。
もう、20年以上は頑張って貰えたはずで、日本の古典芸能のみならず、日本文化の発展のためには、大変な損失であり、残念で仕方がない。
ご冥福を、心から、お祈り申し上げます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総選挙が近づいて来たが

2012年12月09日 | 政治・経済・社会
   総選挙の投票日が近づいて来たのだが、今回は、どの党が良いのか決めかねている。
   世論では、自民公明が優勢で、過半数を制する勢いだと言うのだが、本当であろうかと思う。
   もしそうなら、国民は、あれほど期待した民主党政権の3年間が、かくも期待外れで悪すぎたし、第三極と称される政党も方向性が見えず信頼性に欠けるし、他の既成弱小政党も同じことの鸚鵡返しだし、結局、多少はましになったと思うので慣れている自民公明にしておけば、良くも悪くもこのままの程度にはいくであろうから、仕方がなかろう。と言う気持ちではないかと言う感じがしている。

   民主党の3年間の施政が、批判の矢面に立っているのだが、確かに、民主党を迷走させた鳩山、管、小沢の責任は重いと思うし、前政権のように上手くかじ取りが出来なかった素人政権の稚拙さには目に余るものがある。
   しかし、日本国を今のような危機的な状態に追い込んできたのは、殆ど総て、55年体制以降自民党政権が築き上げてきた政治経済社会、すなわち、日本の今日だと思っており、現在の自民公明両党の政策に責任があるのであって、不幸にも、民主党政権下において、未曽有の東日本大震災が勃発して、日本の悲劇に追い打ちをかけたと言うことであろう。
   石原代表が説く如く、自民党政権に戻ることは絶対避けるべきで、維新をやろうと言うのは、その辺の事情であろうと思う。

   今、日本で最も深刻な問題は、日本経済が20年以上もデフレ不況に呻吟し続けて、経済構造が弱体化して、貧富の格差の拡大により、貧困率が危機的な状態にまで至っていると言うことであると思っている。
   2009年8月の総選挙の時の私のブログのこの記述箇所を引用すると、
   ”マクロ的な不況が、ミクロ経済に深刻な打撃を与えて来た結果、企業業績の悪化はもとより、国民生活自体が、危機的な状態にまで悪化してしまっている。
   中谷教授の「資本主義はなぜ自壊したのか」で克明に説かれているが、OECDレポートによると、日本は、この20年間に貧困層が異常な拡大を示して、2005年の再分配後の貧困率は、アメリカに次いで、世界ワースト2と言う体たらくで、さらに、ジニ係数の悪化も深刻で、貧富による社会格差は拡大の一途を辿っていると言う。
   シングル・マザー世帯などの生活困窮層の格差は世界最悪となっており、早い話、年収200万円以下の労働者が1000万人もいると言う日本経済の現実を、どう直視するのか。世界一の経済大国であったはずの日本の国家経済が、一挙に壊滅的な状態に陥ってしまったとしか思えない惨状である。”
   ”いずれにしろ、ワースト2の貧困大国と言われるまで悪化した経済格差の拡大は極めて深刻で、このまま放置しておくと、日本の健全な国民生活を根底から蝕み公序良俗が廃れるのみならず社会の崩壊に繋がって行く危険さえある。”
   この3年間で、良くなるどころか、親が貧窮して学校にも行けないプアー・チルドレンの著しい増加など現状は更に悪化しており、餓死者など社会問題が起こらないのが不思議なくらい危機的な状態に至っていると言う。

   これに対して、社民党や共産党など、最低賃金のアップを主張しているが、これについては、100円ショップを見れば分かるように、フラット化した現下のグローバル経済においては、要素価格平準化定理の作用によって、上げれば上げるほど国際競争力が悪化して淘汰されてしまい、失業が増えるだけである。 
   賃金を上げるためには、知識や技能など労働の質を、新興国や貧困国の労働者よりも、上げる以外に方法はなく、むしろ、現状の日本の賃金は、国際水準よりはるかに高いので、必死になって高度化しなければ、益々、労働条件は悪化して行く筈である。

   企業に、その代替補填を強制すると、企業の競争力を削ぐことになる。
   共産党は、企業の余剰資金を活用して雇用者への分配率を上げろと主張しているのだが、日本の誇るソニーやパナソニックさえ窮地に立っているほど、国際競争力が低下し続けている日本企業にとって、望ましい解決策であろうか。
   分配率の操作は、縮小したパイの分け方を変えるだけであって、一時的な解決になっても、結局は、国民生活を向上させるためには、積極的な経済成長政策をとって、経済を浮揚させてパイを大きくする以外に、選択肢はないのである。

   
   ところが、2008年の民主党のマニフェストは、子供手当てや高速道路無料化などによる可処分所得増大政策が主で、地球温暖化対策によって新産業を育成する政策以外に成長戦略が全くなかったので、疑問を呈したのだが、その後、現実的にも、積極的な経済成長戦略を取っておらず、経済は、復興需要さえ十分に活用できず低迷続きであった。
   ”新しい競争力は、人と地域”と言うのが、今度の2012マニフェストの経済政策。
   「新産業の育成と雇用の創造。それが民主党の経済政策の柱です。太陽光、風力などの再生可能エネルギー、医療・介護、農林水産業など、地域の仕事に結びつきやすい分野で新産業の発展を強力に後押しします。」と言うのだが、
    現状の日本経済をどうするのか、緻密な準備と計画、そして、経済界と官僚の強力なバックアップなければ、一足飛びに、夢のような政策など実現不可能であろう。

   成長戦略の推進について積極的なのは、自民党やみんなの党などであろうが、既に、財政政策も金融政策も、殆ど有効に働かなくなってしまった日本に、果たして、効果的で適切な成長戦略があるのかどうか、勇み足の実に軽い危うい成長政策を聞いていると先が思いやられて仕方がない。
   しかし、経済成長なくして日本の将来はないと思っているので、良く考えて、最も真面な成長戦略を取っている党を選ばざるを得ないと思っている。

   ところで、論点になっている、TPP、原発、消費税増税に関する意見だが、
   TPPについては、グローバル経済の荒波に抗して生きて行く以外に日本の活路はないので、TPP交渉には積極的に参加すべし。
   原発については、ドイツ同様反対だが、日本の現状を考えれば、段階的にphase out。
   消費税については、財政均衡を目指して国家債務を縮小努力しないと日本経済が破綻に向かう心配があるので、現実には殆ど万策尽きている以上、増税せざるを得ない。しかし、消費税については、イギリスのように、食料品や子供衣料など子供用品を無税にするなど知恵を絞る必要はあろう。
   と思っている。

   TPP反対、原発即時停止、増税反対。言うは易しで、下り坂を転がり落ちている日本には、そんな妙手などなく、これを貫けば、少なくとも、日本の経済再建は夢と消える。
   攻撃は最大の防御なりで、戦後の日本のように、我慢に我慢を重ねて、雄々しく立ち上がって、必死になって難局を突破すべく戦い抜く以外に、明日はない。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする