第45回納涼能が、21日宝生能楽堂で開催された。
今回のプログラムは、主催者によると、
毎年7月に開催される「納涼能」は、夏の風物詩として今回で45回目を迎える。シテ方五流総出演による能・仕舞と狂言・小舞、各流能楽師が一堂に会する記念会の豪華企画で、能楽愛好者はもちろん、初心者にもお勧めの公演。演目は、能 観世流「養老 水波之伝」観世清和、能 宝生流「七人猩々」宝生和英、狂言 大藏流「腰祈」大藏彌右衛門 他、ミニ講座・各流による仕舞、小舞。
第42回までは毎年鑑賞に出かけていたが、コロナのために東京行きを避けていたので、久しぶりの観能である。
観世流の「養老」。
雄略天皇の御代。美濃国 養老滝で、不思議な泉が湧いたとの報告を受けて、勅使(ワキ・宝生常三、ワキツレ)が確認のため養老に行く。そこに、この地に住む樵翁(前シテ・観世清和)とその息子夫夫(ツレ・観世三郎太)が現れて、この泉を、息子が薪を採っている最中に発見し、この水を飲めば身も心も癒えて長寿が保たれるのだと明かしてその霊力を讃える。
奇瑞を目の当たりにした勅使の眼前に、天から光が射し花が降り妙なる音楽が聞こえる。
さらなる奇跡が起こり、山神(後シテ・観世清和)が出現する。山神は、この霊水の如き清らかな御代を讃えると、祝福の舞を舞う。
水波之伝の小書が付いているので、間狂言が省略されて、そのかわりに、通常は登場しない楊柳観音(後ツレ・観世淳夫)が舞台上に登場して舞いを舞う。その後、山神(後シテ)が現れる、と言う通常の展開に戻る。
後場で、まず、楊柳観音が現われて、颯爽と優雅な神舞を舞って、清らかな薬の水を称え、目出度い御代を寿ぐ。実に美しい優雅な舞であり、魅せてくれた。
後シテの舞う〔神舞〕にも緩急がつくほか、後シテの装束も通常と異なったものになるなど、細部が様々に変化するというのだが、銕仙会によると、
通常だと、山神 面:邯鄲男 透冠狩衣大口出立(男体の神の扮装)
どう変ったのか分からないが、シテが、弱々しい老樵の出で立ちから、一気に覇気に満ちた豪壮な山神に変身して、観世宗家が、舞台狭しと豪快に舞い続けて、観客を釘付け。
呼応する囃子も、全楽器がフルサウンドで咆哮し激しい太鼓連打で、天地も割れんばかりの応報、
大鼓の亀井宏忠の華麗な絶叫を初めて聞いて、タダの鼓でないことを知って感激した。
場違いかも知れないが、オペラ鑑賞が長いので、このような高揚した感動的な舞台に接するとどうしてもオペラの舞台と同期してしまって、この日も、ヴェルディのレクイエムやワーグナーの楽劇を重ねて聞いているような雰囲気であった。
能の世界が分からない分、私にしか出来ない能楽鑑賞法である。
今回のプログラムは、主催者によると、
毎年7月に開催される「納涼能」は、夏の風物詩として今回で45回目を迎える。シテ方五流総出演による能・仕舞と狂言・小舞、各流能楽師が一堂に会する記念会の豪華企画で、能楽愛好者はもちろん、初心者にもお勧めの公演。演目は、能 観世流「養老 水波之伝」観世清和、能 宝生流「七人猩々」宝生和英、狂言 大藏流「腰祈」大藏彌右衛門 他、ミニ講座・各流による仕舞、小舞。
第42回までは毎年鑑賞に出かけていたが、コロナのために東京行きを避けていたので、久しぶりの観能である。
観世流の「養老」。
雄略天皇の御代。美濃国 養老滝で、不思議な泉が湧いたとの報告を受けて、勅使(ワキ・宝生常三、ワキツレ)が確認のため養老に行く。そこに、この地に住む樵翁(前シテ・観世清和)とその息子夫夫(ツレ・観世三郎太)が現れて、この泉を、息子が薪を採っている最中に発見し、この水を飲めば身も心も癒えて長寿が保たれるのだと明かしてその霊力を讃える。
奇瑞を目の当たりにした勅使の眼前に、天から光が射し花が降り妙なる音楽が聞こえる。
さらなる奇跡が起こり、山神(後シテ・観世清和)が出現する。山神は、この霊水の如き清らかな御代を讃えると、祝福の舞を舞う。
水波之伝の小書が付いているので、間狂言が省略されて、そのかわりに、通常は登場しない楊柳観音(後ツレ・観世淳夫)が舞台上に登場して舞いを舞う。その後、山神(後シテ)が現れる、と言う通常の展開に戻る。
後場で、まず、楊柳観音が現われて、颯爽と優雅な神舞を舞って、清らかな薬の水を称え、目出度い御代を寿ぐ。実に美しい優雅な舞であり、魅せてくれた。
後シテの舞う〔神舞〕にも緩急がつくほか、後シテの装束も通常と異なったものになるなど、細部が様々に変化するというのだが、銕仙会によると、
通常だと、山神 面:邯鄲男 透冠狩衣大口出立(男体の神の扮装)
どう変ったのか分からないが、シテが、弱々しい老樵の出で立ちから、一気に覇気に満ちた豪壮な山神に変身して、観世宗家が、舞台狭しと豪快に舞い続けて、観客を釘付け。
呼応する囃子も、全楽器がフルサウンドで咆哮し激しい太鼓連打で、天地も割れんばかりの応報、
大鼓の亀井宏忠の華麗な絶叫を初めて聞いて、タダの鼓でないことを知って感激した。
場違いかも知れないが、オペラ鑑賞が長いので、このような高揚した感動的な舞台に接するとどうしてもオペラの舞台と同期してしまって、この日も、ヴェルディのレクイエムやワーグナーの楽劇を重ねて聞いているような雰囲気であった。
能の世界が分からない分、私にしか出来ない能楽鑑賞法である。