熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

第45回納涼能:観世流「養老 水波之伝」

2023年07月22日 | 能・狂言
   第45回納涼能が、21日宝生能楽堂で開催された。
   今回のプログラムは、主催者によると、
   毎年7月に開催される「納涼能」は、夏の風物詩として今回で45回目を迎える。シテ方五流総出演による能・仕舞と狂言・小舞、各流能楽師が一堂に会する記念会の豪華企画で、能楽愛好者はもちろん、初心者にもお勧めの公演。演目は、能 観世流「養老 水波之伝」観世清和、能 宝生流「七人猩々」宝生和英、狂言 大藏流「腰祈」大藏彌右衛門 他、ミニ講座・各流による仕舞、小舞。
   第42回までは毎年鑑賞に出かけていたが、コロナのために東京行きを避けていたので、久しぶりの観能である。

   観世流の「養老」。
   雄略天皇の御代。美濃国 養老滝で、不思議な泉が湧いたとの報告を受けて、勅使(ワキ・宝生常三、ワキツレ)が確認のため養老に行く。そこに、この地に住む樵翁(前シテ・観世清和)とその息子夫夫(ツレ・観世三郎太)が現れて、この泉を、息子が薪を採っている最中に発見し、この水を飲めば身も心も癒えて長寿が保たれるのだと明かしてその霊力を讃える。
   奇瑞を目の当たりにした勅使の眼前に、天から光が射し花が降り妙なる音楽が聞こえる。
   さらなる奇跡が起こり、山神(後シテ・観世清和)が出現する。山神は、この霊水の如き清らかな御代を讃えると、祝福の舞を舞う。

   水波之伝の小書が付いているので、間狂言が省略されて、そのかわりに、通常は登場しない楊柳観音(後ツレ・観世淳夫)が舞台上に登場して舞いを舞う。その後、山神(後シテ)が現れる、と言う通常の展開に戻る。
   後場で、まず、楊柳観音が現われて、颯爽と優雅な神舞を舞って、清らかな薬の水を称え、目出度い御代を寿ぐ。実に美しい優雅な舞であり、魅せてくれた。
   後シテの舞う〔神舞〕にも緩急がつくほか、後シテの装束も通常と異なったものになるなど、細部が様々に変化するというのだが、銕仙会によると、
   通常だと、山神 面:邯鄲男 透冠狩衣大口出立(男体の神の扮装)
   どう変ったのか分からないが、シテが、弱々しい老樵の出で立ちから、一気に覇気に満ちた豪壮な山神に変身して、観世宗家が、舞台狭しと豪快に舞い続けて、観客を釘付け。
   呼応する囃子も、全楽器がフルサウンドで咆哮し激しい太鼓連打で、天地も割れんばかりの応報、
   大鼓の亀井宏忠の華麗な絶叫を初めて聞いて、タダの鼓でないことを知って感激した。

   場違いかも知れないが、オペラ鑑賞が長いので、このような高揚した感動的な舞台に接するとどうしてもオペラの舞台と同期してしまって、この日も、ヴェルディのレクイエムやワーグナーの楽劇を重ねて聞いているような雰囲気であった。
   能の世界が分からない分、私にしか出来ない能楽鑑賞法である。
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第63回式能を鑑賞してきた

2023年02月21日 | 能・狂言
   2月19日、国立能楽堂で、「第63回式能」が開催された。
   コロナ騒ぎで2回ほど行けなかったが、これまで、結構続けて行っているので、慣れてはいるが、やはり重量級の観劇である。
   今回のプログラムは次の通り、

   第一部 10:00開演(公演時間4時間20分)
能 金春流「翁」金春憲和
能 金春流「鶴亀」辻井八郎
狂言 和泉流「夷毘沙門」野村萬斎
能 宝生流「巴」金井雄資
狂言 大蔵流「寝音曲」山本

   第二部 15:20開演(公演時間3時間55分)
能 金剛流「雪 雪踏拍子」豊嶋彌左衛門
狂言 和泉流「水汲」野村万蔵
能 喜多流「葵上」長島茂
狂言 大蔵流「長光」善竹十郎
能 観世流「鵜飼 真如之月」観世喜正

   いつものように、第一部第二部通しで鑑賞しているので、朝10時から夜の7時過ぎまで能の公演は続いた。
   私の席は、脇正面の中程の真ん中よりやや目付柱よりで、幸い前の席の人が小柄な婦人であったので、殆ど視界を遮るものがなくて幸いであった。
   開演冒頭の「翁」では入出場がシャットアウトされるので、結局、その後連続して演じられた能「鶴亀」と狂言「戎毘沙門」が終るまで、席を立たずに12時半まで鑑賞を続けていたのだが、別に苦にもならなかった。

   今回公演の能は、「翁」に続く「鶴亀」は、玄宗皇帝の大宮殿での壮大なお祝いの節会が舞台で、鶴と亀が、皇帝の長寿を寿いで舞い、荘厳な舞楽が奏されると皇帝も舞うと言う、特別なストーリーがあるわけではなく、新年を迎えた目出度い宮殿での祝祭劇である。
   また、「雪」も、雪の精がシテで、何故、雪が迷いを感じて成仏を願うのか分からないのだが、全く世俗臭を感じさせない能で、説明では、無常、輪廻など人間本来の素朴な疑問に対して、この雪の精への共感と、加えて世俗臭を覆い尽くす雪への憧れがこの能を清浄無垢の美しい能に仕立てていると言える、と言う。雪の精が、純白の衣を翻して舞う、序の舞の清楚な美しさ、金剛家には秀吉拝領の秘蔵の面「雪ノ小面」があると言うが、今回は、これが使われたのであろうか。
   この2曲の能は、[式能」あっての演目であろうか、愉しませて貰った。
   「巴」は平家物語、「葵上」は源氏物語を題材にしたお馴染みの能で、何度か観ていて、私にとっては、能は良く分からなくても、物語への展開はいくらでも増幅できるので、それなりに愉しんでいる。

   さて、最後の「鵜飼」は、非常に意欲的な舞台で素晴しかった。
   銕仙会によると、
   生き物の命を取ることで生計を立てていた漁師/猟師が、死後その罪によって苦しむ有り様を見せるという能には、他に〈阿漕(あこぎ)〉〈善知鳥(うとう)〉があり、本作とあわせて「三卑賤」と称されています。いずれの作品も、殺生を生業とする中でそこに楽しみを見出してしまうという狂気や、死後罪の報いに苦しむ様子を描く、重いテーマの能となっています。鵜舟に焚かれた篝火がゆらめきながら水面に映り、老人の使う鵜はバサバサと音を立てて魚を追い回す。殺生の面白さに取り憑かれてしまった人間の、業(ごう)のかたち。だと言う。
   後場は、シテ(観世喜正)が、前シテ鵜飼の老翁から、後シテ地獄の鬼にかわる。
   全身を金銀の甲冑で固めた地獄の鬼(後シテ)が、僧たちの眼前に現れて、「鵜飼は地獄の底に沈めることに定まっていたが、僧侶を一晩泊めた功徳によって、浄らかな世界へと送られることになった」と告げる。罪人も女人も草木も、この世のあらゆる存在が、全てを包み込み救いとる法華経の功徳によって救われる。
いかなる罪人であっても、慈悲の心を起こして僧を供養することで、解脱の道が開かれる。これこそが、仏から私たちに差し伸べられた、救いの手なのだ。と高らかに宣言して終る。
   この舞台では、「真如之月」の小書がついているので、シテは、中入りせずに後見座前で物着して閻魔大王として登場したが、早装束の見事さ鮮やかさ。
   この能は、ワキが、安房の清澄の僧だと言っていて、法華経の功徳について語っているので、この清澄寺で立宗宣言した日蓮大聖人を意図しているようで興味深いと感じた。
   ところで、厳つい小癋見出立で舞台狭しと勇壮に舞う地獄の鬼が、何故、法華経の使いなのかと言うことだが、同じく 銕仙会では、
   この後場の鬼は、世阿弥の父・観阿弥が得意としていた「融の大臣の能」に登場する鬼の演技を取り入れたものであることが、世阿弥の芸談集『申楽談義』には記されていて、この鬼の演技は、世阿弥たちの出身母胎である大和猿楽が得意としていた芸で、こちらも、能が上流階級向けの優美な芸能として洗練されてゆく以前の、古い形をのこす演出となっていて、古態の能が宿す躍動感と、その中で描き出される残忍なまでの人間の内面性を、お楽しみ下さいと言うことのようである。

   さて、能の間に演じられた狂言、「夷毘沙門」、「寝音曲」、「水汲」、「長光」
   一度は観た舞台だが、毒にも薬にもならないストーリィで、くすりと意表を突きアイロニーでくすぐる、ほろりとさせる余韻が、堪らなく嬉しい。

   何時もの定例能舞台よりも、若人や外人客が少し多かったように思う。
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式能の予習をしたいと思って

2023年02月18日 | 能・狂言
   明日、国立能楽堂で、能楽協会の第63回式能があるので、少し、予備知識を得ておこうと思った。
   コロナ以降、観劇に東京まで出かけることが殆どなくなって、月に何回か通っていた能楽堂へも行かなくなってしまっており、この式能も久しぶりである。
   式能は、最初に「翁」、続いて、神,男,女,狂,鬼 (脇能物,修羅物,鬘物,雑物,尾能物) の順に5番の能を、そして、その間に狂言を演じる方式で、観世・宝生・金春・金剛・喜多の五流による五番立ての催しなので、朝の10時開演で、終演は夜の7時を回るという長丁場である。

   最初の「翁」が始まれば、一切、客の見所への入場はシャットアウトされるので、鎌倉から出かけて行く老人にとっては、少し大変である。
   式能は、毎年行っていたし、「翁」を鑑賞する機会が結構あったのだが、一度、東横線の渋滞で遅れて、入場を閉め出されて、ロビーの貧しいモニター映像で辛抱させられたことがあったが、こうなれば、その日は、全部オジャンである。

   狂言は、予習しなくても、ぶっつけ本番でも、それなりに理解できて楽しめるのだが、能の方は、10年以上通っていて、詞章を勉強して行っても、まず、謡が十分に聞き取れないので、ストーリーの展開の理解さえ覚束なくなることがあり、どうしても、事前に予習しておく必要がある。
   今回の能は、鶴亀、巴、雪、葵上、鵜飼で、このうち、初めて観るのは、鶴亀と雪だが、葵上などは何回か観ており、源氏物語でよく知っているし、巴は木曾義仲の愛妾の女武者でありこれも史実で知っている。

   私が、まず、手がける予習方法は、角川の「能を読む」4冊と岩波講座「能・狂言」、
   角川の方に載っておれば、詞章を含めてかなり詳しく書いてあるので参考になり、なければ、岩波で補う。
   角川には、鶴亀、葵上、鵜飼の記載があり、岩波には巴の記載があったが、「雪」だけは、両方とも載っていなかった。
   その気になれば、他にも能狂言の解説本など結構あるので読むのだが・・・
  
   解説のない演目情報の収集だが、
   次の手は、インターネットを叩いて、かたっぱしから、関連情報に当たることである
   幸い、「雪」については、同じ金剛流の解説と舞台の上演動画があったので、これ幸いと活用させて貰った。
   どうも、金剛流だけの能のようで、舞台の殆どが、雪の精の優雅で美しい舞いで終始している感じで、三番目、通常の鬘物の雰囲気には程遠く異色の舞台のようである。

   いずれにしろ、国立能楽堂の主催公演ではないので、何時も役に立っている字幕ディスプレィもないし、詳細なプログラムもないので、分かっても分からなくても、ぶっつけ本番で鑑賞しなければならないようではある。

   いつまで経っても、能・狂言初歩の頼りないファン、
   それでも、本当の日本文化を知りたくて、古典芸能に興味を持って鑑賞行脚を続けており、
   能楽堂にも足を運んでいる。
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国立能楽堂:観世銕之丞の能「浮舟」

2022年10月22日 | 能・狂言
   昨日の国立能楽堂の定例公演で上演の能「浮舟 彩色」について、シテの観世銕之丞師が次のようにコメントした。と言う。
   「浮舟」は演ずる側にとって難しい能の一つで、風情を醸し出すのが大変です。
 『源氏物語』を基にした曲の中でも繊細なニュアンスを持ち、小品ながら音楽的にすごくお洒落に作られています。
 そういう不思議な魅力を持った本曲を、お楽しみいただけるとありがたいです。

   良く分からないが、源氏物語でも、非常に人気の高い宇治十帖の「浮舟」だが、能の舞台で上演されることは非常に少ないという。
   銕之丞師の著書も父君の著書も読んでいるし、剛直な感じの能が好きで、確か、「安宅」と「道成寺」だったと思うが、コロナでチケットをフイにしてしまっていたので、久しぶりの舞台であって、私にとっては一寸イメージの違う優雅で心理的な能(?)であったので、非常に楽しみであった。
   私には、一寸ふっくらとした可愛い感じの浮舟で、朗々として心にずっしりと響く素晴しい謡が最後まで魅了して感動的であった。

   「浮舟」の観劇記については、2019年05月11日に「国立能楽堂・・・能「浮舟」」に書いているので、それ以上は蛇足なので、今回の舞台を観て感じたことだけを記す。

   この舞台で、最も源氏物語らしくて、絵になるのは、匂宮が浮舟を連れ去り小舟で宇治川を渡って対岸の隠れ家で愛を交わすシーン、
   ・・・其夜にさても山住の めづらかなりし 有様の心にしみて有明の 月澄み昇る程なるに
   シテ「水の面もくもりなく
   地「舟さしとめし行方とて 汀の氷踏み分けて 道は迷はずとありしも浅からぬ 御契なり  

   尤も、宇治川は、平等院の前方の水の流れを見れば分かるように、まさに、平家物語の「宇治川の先陣争い」のように激しい急流で、小舟が優雅に流れる風情など及びも付かないが、そこは「浮舟」の舞台、
   私には、王朝絵巻のような美しい舞台が彷彿とする。
   薫中将は、光源氏の子であるが、実は正妻女三宮と柏木(頭中将の子)との密通による子であり、非常に淡泊で、浮舟を囲うが面倒見が悪い、
   一方、匂宮は、冷泉院の皇子であるから光源氏の孫であり、源氏の血を受けているだけに、色好みで、芸も細かく、浮舟も、しだいに、匂宮に靡く気配。
   二人の貴公子の板挟みになって苦悶して宇治川に入水した浮舟であるから、格好の夢幻能の題材になったのだが、折角の王朝絵巻が暗くなる。

   ところで、京都から宇治だが、私は宇治分校に通っていたときに、宇治で下宿していたので、東一条の京大へ自転車で何度か往復していて、歩くと大変だが、そう遠くはないので、二人の貴公子も、足繁く通ったのであろう。京から山間を抜けると一気に明るい宇治にでる。

   平家物語と違って、源氏物語の位置づけだが、藤原俊成が「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」と評して以来、歌人必須の古典となったとのことだが、本居宣長が源氏物語を研究して、「源氏物語玉の小櫛 」を書くなど、江戸時代に置いても、知識人たちの教養書として定着していたという。

   さて、この能「浮舟」が、もののあわれを色濃く体現しているのかどうかは分からないが、この能の舞台では、後場で、後シテが、思い乱れるさまを見せるカケリに、少し動きがあるくらいで、殆ど、シテには舞いらしい舞いはなく、常座や正中など定位置での謡いの連続で終始している。
   いつもの通り、空想をめぐらせて鑑賞しなければならなかったのだが、元々、知識も鑑賞眼もないので、100回以上も能楽堂に通っていても、今回、小書「彩色」で、「カケリ」が、心うつろな「イロエ」に替えられて、全体に静謐な趣を増します、と言われても何のことか分からない。
   能鑑賞者には、今でも、和装を装った婦人客が多いのだが、やはり、能狂言は、奥深くて敷居が高い。コロナ騒ぎで、3年ぶりの国立能楽堂であった。

   中庭には、いつものように、萩とススキが秋の風情を醸し出していた。
   資料室での企画展示は「秋の風 能楽と日本美術」で、萩、菊、ススキ、モミジなど秋の花鳥風月をデザインした能舞台関連の美術品が展示されていた。
   
   
   


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鎌倉芸術館:能「七騎落」狂言「文蔵」

2022年01月05日 | 能・狂言
   1月5日、鎌倉芸術館で、能楽協会・鎌倉能舞台主催「日本全国 能楽キャラバン!in神奈川」が開催された。
   演目は、講演「父子の愛-石橋山のドラマ」葛西聖司
       狂言「文蔵(ぶんぞう)」野村萬斎
       能「七騎落(しちきおち)」観世喜正
   NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の先触れのような公演である。
   コロナ前には、毎月通っていた国立能楽堂へは、ほぼ2年、ご無沙汰しているのだが、まず、地元鎌倉で、格好の能狂言が演じられるので、出かけた。
   一般的な小劇場に、能舞台を設えているので、柱がなくて橋掛かりが短く、見所はすべて正面席で、やや舞台を高みから見下ろす形になるなど、能楽堂とは、雰囲気が随分違うが、かなり、能狂言の鑑賞には良くできていた。

   狂言「文蔵」は、3年前に、京都茂山家の大蔵流の舞台を見ている。
   主(茂山千三郎)の許しも得ずに、都見物に出かけた太郎冠者(茂山あきら)が、主の叔父の家で頂いた御馳走の名前を思い出せなくて、主のいつも読む草紙に出てくる名前だと言って、主に、源平盛衰記の石橋山合戦を語らせて、文蔵と言う名を聞いて、温糟粥(うんぞうがゆ)の名を思い出すと言う話である。
   この狂言の重要なポイントは、「語り」が大変重要な芸で、主は、葛桶に腰を掛けて、石橋山合戦の様子や情景を派手な身振りを交えて、息の流れを生かして緩急を付けながら、迫力満点に語り続ける。
   主萬斎の素晴らしい語りと惚けた調子の石田幸雄の太郎冠者の相性が良く、楽しい舞台であった。
   石橋山合戦とは、何の関係もないのを、一くさり仕方話で語らせて、狂言師の巧みな芸を披露させるという名曲だが、
   「それはうんぞう、これは文蔵、よしない物を食らうて主に骨を折らせた。しさりおれ」と𠮟り飛ばして幕。

   能「七騎落」は、石橋山の敗戦の後日譚で、
   源頼朝(中森建之介)が石橋山の合戦で敗れ、安房上総へ落ち延びるにあたり、船中には8騎が居て8は縁起が悪いから1人船から降ろせと命じる。諍いののち、土肥実平(観世善正)が、泣く泣く我が子遠平(富阪耀)を船より降ろす。遠平は討死の筈だったが、頼朝側に寝返った和田義盛(舘田善博)に助けられ、送り届けられて、親子涙の対面を果たす。
   上演が少なくて、それほどポピュラーでもないのか、岩波講座や角川の「能を読む」など私の持っている参考文献には記述がないので、インターネットの断片情報で繋ぐ以外に情報源はない。
   ただ、難しい謡は少なくて詞章は口語口調の対話方式が主体であり、中森貫太師が考案した字幕スクリーンが役に立って、非常に分かりやすくて十分に楽しむことができた。世阿弥の能のように無限能ではなく、いわば、時代劇のワンシーンを切り取ったような芝居なので、全員、直面である。
   この能の見どころは、親子の対面がなって感動したシテ実平が舞うラストシーンの男舞である。 男舞は「安宅」などでも楽しめる、亡霊ではない現実の男の舞う舞で、笛・小鼓・大鼓によって勇壮に囃されるテンポの速い舞で、善正の端正で格調高い舞いが感動的であった。
   萬斎の長男野村裕基が、アイ船頭で、清新な芸を披露していた。
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国立能楽堂・・・第60回式能

2020年02月16日 | 能・狂言
   第60回式能は、16日、国立能楽堂で開催された。
   「五流宗家・正式五番能」と銘打ち、古式に則り、「神・男・女・鬼の五番立」を標榜する本格的な舞台を、朝の10時から夕刻の19時20分までのロングランである。
   わたしは、2012年から通っているから、今回で9回目である。
   プログラムは次の通り、
第1部
能 喜多流「翁(おきな)」友枝昭世/三番叟(さんばそう):野村万蔵
「竹生島(ちくぶしま)」香川靖嗣
狂言 和泉流「鍋八撥(なべやつばち)」野村 萬
能 観世流「盛久 夢中之出(もりひさ むちゅうので)」大槻文藏
狂言 大蔵流「寝音曲(ねおんぎょく)」茂山忠三郎
第2部
能 金春流「羽衣 替ノ型(はごろも かえのかた)」金春安明
狂言 和泉流「昆布売(こぶうり)」石田幸雄
能 宝生流「藤戸(ふじと)」佐野由於
狂言 大蔵流「腰祈(こしいのり)」大藏彌右衛門
能 金剛流「乱(みだれ)」廣田幸稔

   能の舞台の場合、「翁」の開演中は一切見所への入場は禁止されるので、翁が上演されるときには、遅刻は致命傷なのだが、遅刻常習犯の私は、これまで、2回も貴重なチャンスをミスっている。
   歌舞伎や文楽の場合には、「寿式三番叟」という形で演じられるからであろうか、私は、途中でも入れてもらったので、能ほど、格式には拘らないのであろう。
   翁は、「とうとうたらりたらりら、・・・」と荘重な謡から始まるのだが、誰にも意味が分からないらしい。しかし、安田登氏が、この「あらたらたらりたらりら」の詞章は、チベットの「ケサル王伝説の最初に謡う神降ろしの歌」だと言っていて面白い。
   学生時代に、安田徳太郎の『万葉集の謎』を読んで、日本語の起源はレプチャ語であると言う理論に興味をもったのだが、レプチャ語は、インドと中国に挟まれたシッキムで話されている言葉だと言うから、隣のチベット文化の影響を受けていてもおかしくないという言うことかもしれない。

   「翁」は、人間国宝友枝昭世の実に荘重な舞台で、観世流のように千歳をシテ方が演じるのとは違って、面箱持・千歳は野村又三郎、三番叟は野村万蔵で両方とも狂言方で、非常にエネルギッシュで格調高い舞台であった。
   この「翁」が始まってから能「竹生島」狂言「鍋撥」まで、途切れる事なき連続上演で3時間、流石に「翁」中はないが、途中で 席を立つ人が多い。
   緊張感の頂点は、「翁」までで、因みに、式能の最後「乱」までには、相当の客が見所から消えてゆく。
   江戸時代の式能情報はよく分からないので,何とも言えないが、一般庶民相手の歌舞伎や文楽などは,通し狂言が多かったようで、朝から晩まで連続上演で出入り自由で、飲食も自由であったというし、今でも、大阪の国立文楽劇場では、観劇中に弁当を食べている人を見かけることがある。

   さて、能5番なのだが、私は、他のは何度も見ているのだが、「盛久」と、「乱」は、初めてであった。
   「猩々」は観たことがあるので、「乱」の妖精猩々の巧みな足裁きが興味深かった。

   「羽衣」は、何回観ても美しい。
   能は、削ぎに削ぎきったシンプリファイの頂点を極めた究極の古典芸能だと言うことだが、装束と面に関する限り、妥協の余地がないほど華美を極めて、時には、装飾過多と思えるほど美を追究して創り上げられた日本美の象徴だと思われる。
   この素晴らしい天女の衣装を身につけて美の結晶とも言うべき面のシテ天人の姿は、実に美しくて、緩急自在の囃子と謡いに載せて、舞台狭しと、舞い続けるのであるから、凄いの一言に尽きる。

   狂言は、これまでにすべて観ている。
   面白かったのは、「昆布売」。シテ昆布売 石田幸雄、アド何某 野村萬斎
   供を伴わずに外出した何某が、旅の途中、昆布売を脅しあげて太刀持ちにするのだが、従者扱いに腹を立てた昆布売が、太刀を抜いて逆に脅して、昆布売りをさせて、太刀と刀を取り上げて逃げてゆくという話である。
   昆布売が、「若狭の小浜の召しの昆布」と謡っていたので、昆布は北海道のはずだと思っていたのだが、調べてみると、北前船で、蝦夷地から船で運ばれてきた商品を若狭湾で陸揚げされて陸路で京都に移送されており、昆布もその一つで、小浜で加工されていたという。「召し」は、高貴な人が召し上がると言う意味で、足利義政に献上されてから、「若さの召しの昆布」と呼ばれるようになったと言う。
   浄瑠璃節や踊り節などで、昆布を売る謡いと舞い踊りが面白い。

   とにかく、充実した貴重な式能公演で、人間国宝野村萬や大槻文藏が、至芸を披露した。
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国立能楽堂・・・狂言「鶯」・能「草薙」

2020年02月08日 | 能・狂言
   今月の国立能楽堂の月間特集は、「近代絵画と能」。
   この日は、定例公演は、「草薙の剣」、倭建命が橘姫の手を取って草薙の剣を構えている絵である。
   西洋絵画には、壮大な歴史画が、欧米の美術館で圧倒的な迫力で迫ってくるのだが、その影響を受けて、明治期の日本画壇でも、歴史画が脚光を浴び、日本の誇るべき古典芸術能が、格好の画題を提供したのであろう。

   まず、その前に、狂言「鶯」。シテ/梅若殿の家来 野村萬斎、アド/鶯の飼い主 野村万作 の素晴らしい至芸の舞台である。

   鶯を飼っている男が、鶯のさえずりを聞きたくて、籠に鶯を入れて野辺にやってきて、籠を置いて遠くに離れて楽しんでいると、主人が無類の鶯好きなので献上しようと、鶯を買う金がないので野辺の鶯を射そうと鳥黐のついた竿を持った家来がやってくる。これ幸いと鶯を持ち去ろうとすると主が現れて、止められ、交渉の結果、家来が鳥かごの鶯を刺せれば持ち帰ってもよく、失敗すれば、太刀と刀を取られることと言うことになるのだが、家来は二回とも失敗する。
   飼い主が去ったあと、一人残った家来は、16歳で夭折した稚児の悲しい昔話を語り、鶯になって寺の梅の木に飛んできて、その時読んだ「初春の、朝ごとに来れども、遭わでぞ帰る元の住家に」をもじって、「初春の、太刀も刀も鶯も、ささでぞ帰る元の住家に」と詠んで、「南無三宝、しないたり」と竿を捨てて退場する。

   冒頭、万作師が、鳥籠を持って登場し、鶯のさえずりを聞こうと言って鳥籠を置き、笛柱に端座するまでのシーンに詩情を感じて、まだ、少し早い鎌倉山から下りてくる鶯を思い出した。
   能楽の際、蓮如上人が、この狂言「鶯」を愛でて、鶯を捕まえるのに脇目もふらないその姿を指し、佛法聴聞の心構えを説いたという逸話が残っていて興味深い。

   能「草薙」は、日本武尊と橘姫の夫婦の神が祭られている熱田宮が舞台で、参篭して最勝王経を講じている恵心僧都の前に、橘姫の霊魂と日本武尊の神霊が現れて、駿河の国での草薙の剣の威力を示して、国家が穏やかに治まったと、最勝王経の徳を称える。と言ったストーリーである。
   宝生流にしかない能とかで、シテ日本武尊は、藤井雅之、ツレ橘姫は、高橋憲正、
   記紀を読んでいないので、日本武尊については、うろ覚えであるし、猿之助の「ヤマトタケル」の舞台で見た印象だけが残っていて、何とも言えないのだが、
   草薙の剣は、三種の神器の一つ(八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣)で、貴重な存在ながら、スサノオが出雲国で八岐大蛇を退治した時に、大蛇の体内から見つかった神剣だと言った神話時代の故事来歴はともかく、形代の草薙剣は、壇ノ浦の戦いで安徳天皇入水によって関門海峡に沈んで失われており、その後、朝廷が、伊勢神宮より献上された剣を「草薙剣」として、現在、その神剣(形代)が宮中に祭られているとのことである。

   能は、シテが、草薙の剣を振るって舞う時くらいしか動きがなく、恬淡とストーリーが展開する60分ほどの短い舞台で、古代の神話の世界に誘う。
   恵心僧都が、熱田宮で、最勝王経を講ずるという神仏混交の世相が興味深い。

   蛇足ながら、いつも気になっている八百万神と「草木国土悉皆成仏」について、一寸書いてみたい。

   八百万の神は、森羅万象に神の発現を認める古代日本の神観念を表すのだと言うのだが、
   梅原猛は、
   仏教が日本に入ってきて、平安時代の末に天台本覚思想と言うのが生まれて、それが鎌倉仏教の思想の前提になり、その思想は、「草木国土悉皆成仏」と言う言葉に端的に表現される。「草木国土悉皆成仏」と言う思想は、狩猟採取文化が長く続いた日本に残ったが、かっての人類共通の思想的原理ではなかったかと思う。そのような原初的・根源的思想に帰らない限り、人類の未来の生存や末永い発展は考えられない。やっと、「草木国土悉皆成仏」と言う新しい哲学の基本概念を得たにせよ、西洋哲学のしっかりした批判によって、新しい「人類の哲学」と言うものを作り出せるかどうかは疑わしい。 しかし、この哲学を作らない限り、死ぬに死ねないのである、と言いながら逝ってしまった。
   五木寛之も、
    いい意味で、自然界のあらゆる物には、固有の霊魂や精霊が宿ると言うアニミズムと、様々な思想や宗教を融合するシンクレティズム、すなわち、「草木国土悉皆成仏」の思想は、日本の財産である。経済成長も限界があり、日本は、資源がないと言われるけれど、21世紀には、これまで近代の中で日本人のアキレス腱と思われていたようなアニミズムとシンクレティズムと言うものを、一つの思想として体系化して、それを大きな資源として、世界の中で、何か貢献できるような気がする。

   一方、ユヴァル・ノア・ハラリが、「ホモ・デウス」で、自由主義に触発されて科学技術で知識武装した人間が、キリスト教のドクトリンの多くが真実には程遠い神話であることを知って、神聖に近づきつつあるとしながら、AIとロボティックスの軍門に下らざるを得ないと言う人間の将来を案じているのだが、「草木国土悉皆成仏」、すなわち、人間自身が森羅万象悉くを体現した宇宙船地球号と一体となって、同化しない限り、生きる道がないと悟るべきかどうか、
   これが最後の人類のあがきなら、成功を祈らざるを得ないと言うことであろう。
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国立能楽堂・・・狂言の会「法師ヶ母」「彦市ばなし」ほか

2020年01月26日 | 能・狂言
   24日の国立能楽堂の狂言の会は、非常に充実していて面白かった。
   プログラムは、
   狂言 三本の柱 (さんぼんのはしら)  善竹 忠重(大蔵流)
   狂言 法師ヶ母 (ほうしがはは)  野村 万作(和泉流)
   新作狂言 彦市ばなし (ひこいちばなし)  茂山 千五郎

   「三本柱」は、慶事事で演じられる脇狂言。
   三人の冠者で三本の柱を二本ずつ持って、謡い舞う面白い狂言。
   シテ/果報者 善竹忠重、アド/冠者 善竹富太郎、忠亮、茂山忠三郎
   笛 栗林祐輔、小鼓 鳥山直也、大鼓 佃良太郎、太鼓 林雄一郎
   

   万作と萬斎が演じる法師ヶ母は、絶品の舞台。 
   一期一会、いつも、最高峰の舞台の鑑賞だと心して観ている。

   シテ/夫 野村万作 、アド/妻 野村萬斎、 地謡:中村修一、石田幸雄、高野和憲、内藤連
   酔っ払って帰宅した夫は、出迎えの態度が悪いと言って、酒の勢いで、妻を家から追い出す。妻は、暇の印の小袖を貰って、子を残して、泣く泣く家を出ていく。酔いが覚めて後悔した夫は、法師ヶ母(子の母=妻)を探して、笹を手にした狂乱の体でさまよい歩く。夫は実家に向かう途中の妻に偶然出会って、懸命に謝り、苦衷をかき口説いて許しを得て、一緒に家に帰ってゆく。
   前半は、普通の夫婦喧嘩のイメージだが、後半は、物狂能の雰囲気にかわって、掛素襖の右肩を脱ぎ笹をもって憔悴しきった体で千鳥足で登場したシテが、妻への恋しさと感謝の心情を切々と謡って涙に暮れて妻を求めて、カケリ(狂乱の舞)を舞う。
   能「丹後物狂」のシテの部分を一部用いて、パロディになっていると言うのだが、シテの万作の謡も舞も本格的な能舞台で、格調の高い狂言である。

   法師が母はただひとり・・・と涙に咽んで謡いながら親元に帰る妻の声を聴いて、夫が「聞かまほしの御声や」と近づくのだが、妻の第一声が面白い。みめの悪いのは生まれつき、一度離縁した以上何故帰られようかと断ると、夫が酔狂だったと謝って、みめは麗しいと応えて、「いとおしの人やの、こちらへわたしめ」と誘うと、妻は、「心得ました」と、連れ立って帰ってゆくハッピーエンド。
   30分の短い舞台だが、多くのストーリーがぎっしりと詰まった狂言である。
   
   彦市ばなしは、肥後の国に伝わる民話で、吉四六や一休と並ぶとんち話で知られているとかで、色々な彦一にまつわる「彦一ばなし」の中から、木下順二が、「天狗の隠れ蓑」と「河童釣り」とを繋ぎ合わせて脚色して作った新作狂言で、とにかく、愉快で面白い。

   天狗の隠れ蓑が欲しい彦市が、釣竿を遠眼鏡と称して天狗の子を騙して取り上げて散々悪さを重ねるが、妻にがらくたと間違われて燃やされてしまい、泣く泣く、試しに残った灰を体に付けてみたところ姿を消すことが出来、また悪さを続けるが、川に落ちて灰が全部流れてオジャン。
   彦市が魚釣りをしていると、通りがかった殿様が何をしているのか尋ねたので、河童を釣っていると口から出まかせを言うと、物好きな殿様は儂にも釣らせろと言う。困った彦一が、河童は鯨の肉しか食わぬと言ったので、殿様は沢山鯨肉を持ってきたが、彦市は餌にせずにくすねて、まだかと殿様が様子を尋ねると殿様が大声を挙げたので惜しいところで逃げられと答え、河童は非常に狡賢いと説明する。痺れを切らした殿様が、餌だけ取って姿を見せない、卑怯な河童じゃと叫ぶと、聞き捨てならぬと本物の河童が這い上がってきたので、彦市は、それを捕らえて、これぞ河童釣りと自慢げに答えたので、ご機嫌の殿様は彦市を誉めて沢山の褒美を与えた。

   ところが、木下狂言は、この後半部分を、変えてしまって、簑を取り返しに来た天狗と彦市の争いを、河童を捕まえていると勘違いしたお殿様は、彦市に声援を送って、彦市と天狗の子の後を追って、幕に消えて終わる。
   面白い創作は、殿様が、蔵から出てきた天狗の面をつけて出てきたので、彦市は、親天狗と間違えて平伏したり、これを騙して貰い受けたのだが、隠れ蓑を取り返しに来た子天狗に、面と鯨肉を盗まれて、持ち帰った面が祖父に似ており鯨肉が好物だと親天狗に喜ばれて許されたと言う話は、天狗の面で子天狗を脅し上げ、親天狗に鯨肉を差し出して許しを請おうと考えた彦市の悪知恵を超えてのどんでん返し。殿様を騙しての打ち首の心配は、どうするか後で考えようと言う瞬時に悪知恵が働く能天気ぶりが彦市らしい。

   悪知恵が体全体に満ち溢れるエネルギッシュで楽天的な食わせ物の彦市の千五郎、
   可愛くて剽軽な天狗の子の千之丞
   悠揚迫らぬ品の備わった大らかさと惚けた調子の殿様の逸平、
   この逸平については、NHKのドラマなどでよく見るのだが、品のよい茫洋とした大らかさと、どことなく世間離れした剽軽な公家の雰囲気を醸し出していて、歌舞伎の一条大蔵卿のイメージに一番近く、近松門左衛門の心中物のがしんたれで頼りない大坂男をやらせたら、どんなに面白い舞台になるかと思ってみている。

   新作狂言だが、私が観たのは、最初は、シェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房たち」の「法螺侍」
   続いて、「鮎」と「楢山節考」
   すべて、万作・萬斎の舞台だが、ある程度思想性があって物語も豊かで芸術性も十分に加味して創作された舞台で、狂言と言うよりも、芝居を観ているような雰囲気で観ていて楽しい。
   特に、異業種と言った感じの芸域の違った芸術間の変換昇華などには、特に興味を持っているので、猶更、興趣をそそられている。
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国立能楽堂・・・復曲再演の会:狂言「蜂」・能「吉野琴」

2019年12月27日 | 能・狂言
   国立能楽堂の企画公演◎復曲再演の会のプログラムは、
   復曲狂言 蜂 (はち) 野村又三郎 
   復曲能  吉野琴(よしのごと) 片山九郎右衛門  

   狂言「蜂」は、一人狂言。
   現行曲では、ないが、番外曲では、2~3あるようで、以前に野村萬が、一人で演じた狂言「見物左衛門」を観たことがある。
   見物左衛門が、地主 の桜や西山の桜を見て回る様子を,小謡,小歌,小舞などを交えて演じる曲で、萬の至芸を楽しませてもらった。
   この狂言「蜂」も、シテの喜楽斎が、清水の桜見物に出かけて、満開の桜に浮かれて舞い遊ぶ人々を観ようと木に上って落ちたり、出会う人々に酒をふるまって自分も酔いつぶれて、寝ていると蜂に襲われて逃げ回る話である。
   後見の蜂の羽音の「ブーン」という擬音が秀逸で、シテ又三郎のとぼけた調子のほのぼのとした芸が楽しい。
  
   関東に移り住んで久しいが、やはり、桜は、関西で、この清水の桜もよく見に行った。
   大学から近かったので、銀閣寺から北に上がれば詩仙堂、南に下れば哲学の道から永観堂や丸山公園を皮切りに、大原三千院から寂光院、貴船から鞍馬山、嵐山から嵯峨野を経て仁和寺や竜安寺、醍醐から宇治、高尾の神護寺や三尾、鄙びた古寺や隠れ里・・・暇に任せて、桜やモミジの名所と言われるところを歩き続けていたので、能や狂言で、桜の舞台が出てくるとイメージが湧いてくる。

   奈良の桜やモミジの美しさ素晴らしさも脳裏に焼き付いているのだが、京都や奈良のように内陸部の盆地で、寒暖の激しい自然の厳しいところの風景は味があって実に美しいと思う。
   しかし、能「吉野琴」の舞台である吉野へは、随分昔、一度行ったきりで、それも、入口程度であるから、全山、櫻花に覆われた深山幽谷のような雰囲気は味わった経験がない。

   能「吉野琴」は、世阿弥の息子元雅の、天女をシテとした実に美しい曲なのだが、途絶えていて復曲の再演だというから興味深い。
   天女を舞った片山九郎右衛門師の説明をそのまま引用すると、
   ”遠い昔に、妙なる音楽に惹かれて降り立った吉野山で、天女は、琴を弾じる天武天皇の姿を目にしたのです。その瞬間、桜が咲き匂う柔らかな春の夜は、美しい記憶となって天女の目と耳と心に刻まれたに違いありません。忘れがたい一瞬と永遠はメビウスの輪の表と裏のようにつながり、その解き放たれた時間の中で天女が舞う―――”
   後場では、・・・み吉野の、花の遊楽夜も更けて、春の景色も曇りなき、月も吉野の山高み、・・・
   全山、萌えるように咲き乱れて輝く櫻花に、美しい月光が明るく照らし出して風景を荘厳する中を、きれいな衣を身に着けた美しい天女が舞い降りてきて、優雅に舞い始める。
   「天女之舞」の舞など、この口絵写真のビラの天女のように美しい姿で、舞い続けて、私など、カメラのシャッターをきる形で観ているので、一つ一つのシーンが、歌舞伎でいう見得の連続で、絵になっていて感動的であった。
   ・・・明くるや名残なるらん・・・紀貫之に優雅な舞を見せて、月の夜が明けてゆく中を、天女は、橋掛かりを揚幕に向かって歩み始めて、三の松の手前で止まって、前方にすっくと伸ばした左手を静かに胸の前に移して、袖を優雅に頭上に翻して、揚幕に消えて行く。
   舞の優雅さに加えて、ワキが紀貫之(宝生欣哉)で、勿論詞章も美しく、余韻さえ感動的な、素晴らしい舞台であった。
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国立能楽堂・・・狂言「鐘の音」・能「橋弁慶」

2019年12月24日 | 能・狂言
   今月は、先月に続いて◎演出の様々な形の2回目、
   演目は、同じ狂言「鐘の音」能「橋弁慶」で、次の通り、
   先月よりは、凝縮されたシンプルな曲で、狂言25分、能50分弱の短い舞台であった。

   狂言 鐘の音 (かねのね) 野村 万蔵(和泉流)
   能 橋弁慶(はしべんけい)替装束・扇之型(かえしょうぞく・おうぎのかた)金剛 永謹(金剛流)

   先月の大蔵流の「鐘の音」は、金を鐘と間違えた太郎冠者に、仲裁人が入ると言う少し物語性が加わった舞台であったが、今回の和泉流の舞台は、太郎冠者が自分で鐘を突き、響き渡る鐘の音の表現や、間違って鐘の音を聴いてきて主人から怒られたので、その様子を仕方話にして、小舞を見せて主人の機嫌を直そうとする太郎冠者の芸が魅せ処であろう。
   箸にも棒にもかからない惚けた調子の万蔵の太郎冠者に、呆れ果てて渋い顔をして対する主の萬の表情が秀逸なのだが、
   小舞で、夫々の寺の鐘の音に、「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」と言う涅槃経の偈をあてた謡が謡われていると言うことで、かなりの教養がないと、太郎冠者の良さが分からないと言うところが面白い。

   能「橋弁慶」も、前回のように、「笛之巻」の小書のある常盤御前が登場して、牛若丸に説教するシーンがないのだが、詞章に、「・・・母の仰せの重ければ、明けなば寺に上るべし、今宵ばかりの名残ぞと、・・・」とあって、この曲でも、千人切りは牛若丸であって、弁慶は、挑戦者であることが分かる。

   金剛流のこの舞台は、「替装束」「扇之型」がついていて、先月の演出のように、弁慶は直面で、袈裟頭巾の姿ではなく、「長霊癋見癋見」の面に長範頭巾を被った姿となり、こうなれば、歌舞伎の勧進帳で見慣れている弁慶のイメージとは全く違ってくるのだが、永謹宗家の偉丈夫で堂々とした貫禄のある姿を観ていると、この方が、本当の弁慶のように思えてきて不思議であった。
   「扇之型」は、弁慶との対決途中に、牛若が、弁慶に扇を投げつけるのだが、半ば開いた奇麗な扇なので、絵になって面白い。

   同じテーマの曲でも、流派によって、小書や演出、それに、詞章などの変化によって、演出の形が、様々に変化して、ハッとするようなシーンが展開されるなど、興味深い。
   名能楽師の著作などを読んでいると、結構、他流派の演出に触発されたり、影響を受けることがあるようだし、歌舞伎や文楽など、異業種の古典芸能との関りなど、純粋培養の世界にも、外界の影響があるようで面白いのだが、
   イノベーションと同じように、新規の発明などはなく、
   茂木健一郎氏が、言っているように、
   クリエイティビティにとっては、脳に記憶された経験と知識の豊かさが大切で、その記憶の豊かな組み合わせの多様性が創造性を生む。経験や知識は、必ずしも新しいものではないのだが、脳に知識として内包された経験と知識がお互いに触発し合って生み出す無限の組み合わせが、新しい発想や発明・発見を生み出し、無限に新しいものが創造される。
   しからば、芸の世界であっても、伝統を固守しすぎて、純粋培養であるよりも、脇目を振るのも、芸の肥やしになるではないかと思うのだが、どうであろうか。
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宝生能楽堂・・・第8回能楽祭

2019年12月18日 | 能・狂言
   12月17日、宝生能楽堂で催された第8回能楽祭のプログラムは、
舞囃子 喜多流「清経」 シテ香川靖嗣
独吟 観世流「大原御幸」 シテ観世銕之丞
一調一管 金剛流「龍田」 種田道一 笛 松田弘之 太鼓 桜井均
仕舞 金春流「昭君」 シテ櫻間金記
狂言 和泉流「棒縛」 シテ野村萬斎
能 宝生流「竹雪」 シテ今井泰行

   狂言の「棒縛」は、非常にポピュラーで、歌舞伎でも見る機会が多くて、結構、楽しい舞台で、主が、留守中に、倉の酒を飲まれては困るので、太郎冠者は、左右に伸ばした両手を棒に縛り付け、次郎冠者は後ろ手に縛り付けて外出するのだが、二人で、上手く工夫して酒をたらふく飲み、機嫌が良くなって騒いでいるところに、主が帰って来て叱ると言う話。
   歌舞伎では、主が大名になって、音曲入りの派手な松羽目物の舞台になっていて、たのしませてくれる。
   この狂言、太郎冠者が、酒を杯ですくって次郎冠者に飲ませ、逆に、次郎冠者の後ろ手に杯を持たせて、太郎冠者が酒を飲む仕草や、陽気に謡いながら、不自由な体でぎこちなく舞う様子など、非常にコミカルで面白い。
   萬斎の棒振りは、他で観た能楽師より、非常にエネルギッシュで素早くパワーフルな演技で、それに、表情の豊かさが、観客の笑いを誘う。
   萬の孫でありながら、萬斎の下で修業を続けている太一郎が、主を演じてよい味を見せている。
   次郎冠者のベテラン深田博治は、萬斎との相性がよく好演。

   能「竹雪」は、宝生と喜多にしかない稀曲とかで、上演機会も少なく、文化デジタルを調べても、最近では、2011年の国立能楽堂の喜多流の舞台しか出てこず、能楽講座や能を読むにも載っていないのだが、偶々、インターネットに、この関連記事と詞章が、掲載されていたので、これを読んでイメージを掴んで、能楽堂に出かけた。
   
   「宝生の能」によると、次のようなストーリーである。
   越後国の住人直井左衛門は、妻と離別し、二人の子の姉を母に、弟の月若を自分の方に置き、新たに妻を迎えた。宿願のため参籠する間、月若を後妻に頼んで出掛けたが、その留守中、継母に虐げられた月若は家を出ようと思い、暇乞いに実母を訪ねた。そこへ継母から迎えが来て仕方なく月若は家に帰り、継母は実母へ告げ口に行ったと腹を立て、月若のこそでを剥取り、薄着の月若に降り積もった竹の雪を払わる。月若は厳しい寒さの中、家にも入れて貰えず、遂に凍死する。その知らせを受けた実母と姉が、涙ながらに雪の中から月若を捜し出し、悲しみにくれていると、直井が帰宅して事の次第を知り、後妻の無情を共に嘆く。すると「竹故消ゆるみどり子を、又二度返すなり」と竹林の七賢の声がして、不思議にも月若は生き返る。親子は喜びあい、この家を改めて仏法流布の寺にする。

   シテ/月若の母 今井奉行    ツレ/月若の姉 大友順  子方/月若 水上嘉
   ワキ/直井左衛門 宝生欣也   アイ/継母 大藏彌太郎  同/従者 大藏教義
   笛 一噌隆之 小鼓 大倉源次郎 大鼓 國川純 
   地謡 朝倉俊樹ほか
   
    舞台には、竹垣に竹雪をあしらった作り物が、正先に置かれて、その後ろで、月若が倒れて雪に埋もれる。倒れた月若に大きな白布が被せられる。
   詞章には、間狂言のシーンは書かれていないので、よく分からなかったが、舞台は非常にビビッドで、前半の舞台では、継母のわわしい女の、憎々しさが出色で、「腹立ちや、腹立ちや」と月若を苛め抜くシーンの連続は、劇そのものであったが、
   後場では、アイの月若悲劇の通報を受けて、母と姉が、現地へ赴いて梅若を探し出すまでが、一気に、舞台がフリーズしてしまった感じで、動きの殆どない長い二人の掛合いと地謡との謡の連続で、「唐土の孟宗は、親のため雪中に入り筍をまうく、と言った故事まで引いての能の世界、
   月若の亡骸を前にして悲嘆に暮れている二人の前に、直井が帰って来て、竹林の七賢のご利益で梅若が蘇生する幕切れは、簡潔でシンプル、

   詞章にはなかった、囃子が舞台を去ったあと、地謡だけが残って、よく分からなかったが、越天楽であろうか、めでたい謡を謡って終わった、
   
   詞章を数回読んだくらいでは、謡の声が良く聴き取れない上に、国立能楽堂のように字幕ディスプレィがないので、理解に苦しんだ。
   しかし、シテ、ツレ、ワキのみならず、子方や二人のアイなども、舞台で、夫々、存在感ある役割を果たしていて、群像劇の面白さを楽しめた。

   さて、この子供虐め、継子いじめの能が、どれ程あるのかは分からないが、今どきの児童虐待の世相の悲惨さを思うと、悲しいけれど、それ程珍しいテーマでもないのであろう。
   思い出すのは、シンデレラの物語。
   真っ先に得たイメージは、ディズニーのアニメ「シンデレラ」で、孫たちは、DVDで楽しんでいる。
   私など、オペラで見る機会があって、ロッシーニの「チェネレントラ」を何回か観ており、
   このブログのロンドン・ミラノ旅で、ミラノ・スカラ座での、ロッシーニ「シンデレラ」の観劇記を書いている。
   昔、サンパウロに居た時に、サンパウロ・オペラに長女を連れて行ったのだが、チェネレントラは居丈夫な巨漢の歌手だったので、「何時まで経っても、奇麗にならないねえ」と言っていたのが印象に残っている。

   能「竹雪」とシンデレラとは、何の関係もないのだが、何となく、ダブらせて、この能を鑑賞したのも、パーフォーマンス・アーツの豊かさゆえであろうか。
   おとぎ話と、日本の精神史を体現した能の世界との落差の激しさが面白い。
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国立能楽堂・・・組踊「二童敵討」:能「放下僧」

2019年12月10日 | 能・狂言
   組踊上演300周年記念実行委員会共催事業◎組踊上演300周年記念 能と組踊 の2日目は、
   組踊 二童敵討 (にどうてきうち) 眞境名 正憲
   能  放下僧(ほうかぞう)  観世 清和(観世流)

   この「二童敵討」は、今年3月に、国立劇場で、天皇陛下御在位30年記念の「琉球芸能公演「組踊と琉球舞踊」」公演で、鑑賞済みである。
   平成天皇皇后両陛下がご来臨になった天覧公演であった。

   組踊「二童敵討」は、
   天下取りの野望に燃える勝連城主の按司[城主]阿麻和利(あまおへ)は、首里王府に偽りを言って、邪魔な中城城主・護佐丸を攻め滅ぼし、同時に、その子ども達も皆殺しして根絶やししたと豪語して、天下取りのため近く首里王府へも攻め入ろうと考えて、野に出て酒宴を広げ遊び惚けて、勝ち戦のための願等家来に準備を命ずる。
ところが、殺したはずの護佐丸の遺児鶴松と亀千代の兄弟は、落城の際に敵の目を逃れて生きていて、母のもとで成長し、敵を討つ機会を狙っていた。仇討を決心した2人は、阿麻和利が野遊びをすると聞きつけて、酒盛りをしているところに、踊り子に変装して近づく。美少年の踊りを見て感激した阿麻和利が、踊りを所望し、杯を注がせ、2人の踊りに良い気持ちになって酒をあおって酔いつぶれて、気が大きくなって、褒美に、自らの大団扇と太刀を与え、さらに、自ら着ている羽織なども、次々に与える。2人の兄弟は、丸腰になって醜態を晒した阿麻和利のすきを見逃さずに追い込んで、首尾よく父の敵を討つ。

   能「放下僧」は、
   下野国の牧野小次郎(ツレ/坂井音雅)は父の仇利根信俊(ワキ/森常好)を討とうと、兄(シテ/清和宗家)の加勢を頼んだところ、出家の身故に断られるのだが、中国の故事を引用し説得して、2人は仇討ちを決心する。敵に近づくために、放下になって故郷を後にする。利根信俊は夢見が悪いので、従者(アイ/東次郎)を伴って、瀬戸の三島神社に参詣する途中で 浮雲・流水と名乗る2人の放下に出逢い、2人は団扇の謂れや弓矢のことを面白く語り、禅問答を交わしたりして取り入る。2人は曲舞や鞨鼓、小歌などさまざまな芸を見せて相手を油断させ、その隙をついて敵討ちを果たす。

   両作品とも、父の仇討のために、兄弟が、踊り子や放下になって、芸で仇に近づいて、喜ばせて、その油断の隙に仇を打つと言う筋書きは同じである。
   組踊「二童敵討」の方は、踊り子なので、琉球舞踊を楽しめるのと違って、能「放下僧」の方は、放下なので、禅問答を交わすなど、多少知的な味がする。
   興味深いのは、ラストの仇討のシーンで、組踊の場合には、阿麻和利のトドメを刺すシーンは、舞台上では表現せずに、橋掛かりを揚幕に追い込んで、その後、再び、兄弟が登場して成功を述べ「踊って戻ろう」と舞台を後にして終わる。
   一方、能「放下僧」の方は、利根信俊が、ワキ座に、傘を置いて退場して、その後、小次郎兄弟は、傘を仇に見立てて成敗し、本懐を遂げる。
   いずれにしろ、仇討の決定的シーンは、リアルに表現せずに、象徴的に演じるのだが、その差が面白い。

   組踊の楽器は、三線、琴、胡弓、笛、太鼓で、リズムを刻むのは太鼓だけで、他の楽器はメロディを奏するので、音楽性が非常に高くなって、三線の演者が歌を歌う「歌・三線」であるので、日本の古典芸能と比べて、はるかに、オペラに近いような感じがしている。
   それに、随所に踊りが組み込まれている感じなので、たとえ仇討ものであっても、非常に華やかなのである。
   それに、面白いのは、衣装が非常にカラフルで、動きが派手な分、歌舞伎のように、見得を切って、見せ場を現出する。
   この「二童敵討」でも、阿麻和利が登場し、名乗りを唱えた後の「七目付」の豪快に見得を切ることにより、威厳を示していて、絵になっている。

   一方、能「放下僧」は、見せると言うよりも、精神性が高い舞台で、清和宗家は、この舞台では、声音を非常に低音に保って重々しく重厚に謡い、禅問答や曲舞や鞨鼓なども、剛直で骨太の舞で魅了した。

   能狂言が、文楽や歌舞伎になり、浄瑠璃が、文楽や歌舞伎になり、圓朝の落語が、歌舞伎や芝居になる、
   能に、沖縄の歴史や文化、沖縄気質のエッセンスを組み込んで、組踊となって、素晴らしい芸能として飛翔すると言うのは、楽しいことである。
   組踊は、優雅で美しくて、感動的なパーフォーマンス・アーツなのだが、どこか、もの悲しく哀調を帯びたサウンドと独特な抑揚の口調に、琉球と言うか沖縄のイメージが濃厚に体現されていて、無性に懐かしささえ感じて、鑑賞している。
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国立能楽堂・・・組踊「銘苅子」: 能「羽衣」

2019年12月03日 | 能・狂言
   11月の国立能楽堂企画公演は、本年玉城朝薫が創始上演してから300周年を迎える組踊に注目して、朝薫が作った組踊とその基となった能を同時に、二日間、上演することになった。
   第1日目のタイトルは、
組踊上演300周年記念実行委員会共催事業
◎組踊上演300周年記念 能と組踊
演目: 組踊 銘苅子 (めかるしー) 宮城 能鳳
    能  羽衣(はごろも) 和合之舞(わごうのまい)  坂井 音重(観世流)

   この組み合わせで、私が最初に鑑賞したのは、2016年1月に、横浜能楽堂で、組踊も初めて観たのだが、優雅でおおらかな雰囲気が気に入って、ファンになった舞台である。
  組踊の天女は、今回と同じく、人間国宝の宮城能鳳であったが、能は、同じ観世流で、シテ(天人)は、浅見真州であった。

   さて、能「羽衣」は、
   春の日に、漁師・白龍(ワキ)は、三保浦で一枚の美しい衣を拾うのだが、天女(シテ)が自分の大切な衣だから返してくれと言うので、天人の羽衣と知った白龍は渋る。衣が無くては天界へ帰れないと嘆き、月の都を懐かしんで涙する天女の姿に同情した白龍は、名高き“天人の舞楽”を舞うことを条件に衣を返す。天女は、羽衣を身にまとい、富士山を背に、緑美しい三保浦で天人の舞を舞い戯れ、天の舞楽を人間界へと伝えて、数々の宝を地上に降らせて、天に帰って行く。
   実に、美しい舞台である。

   しかし、羽衣伝説は、他の動物譚と同じように、バリエーションがあって、
   組踊「銘苅子」では、天女は、衣を返してもらえず、仕方なく 銘苅子の妻となって二人の子供を儲けるも、羽衣を見つけて、子供たちを残して天に帰って行くと言うストーリーになっている。

   文化デジタルライブラリを要約すると、ストーリーは、
   農夫の銘苅子は、泉の周辺全体が明るくなってよい匂いがするので、様子を見ていると、美しい天女が現れ、髪を洗い出したすきに、羽衣を取ってしまう。天女は羽衣を取られ、天に帰ることもできないので、仕方なく銘苅子の妻となる。
   2人は女の子と男の子に恵まれたのだが、ある日、天女[母]は、子どもが歌う子守歌から、羽衣が米蔵の中に隠されていることを知り、羽衣が見つかったからには天界へ戻らなければならないと決心する。天女は、子ども達を寝かしつけ、羽衣を身にまとって天に昇り、子ども達は目が覚めて母がいなくなったことを知って、泣き叫び、飛天する母を追う。姉弟は毎日母を捜し歩くのだが、銘苅子は「母はこの世の人ではないから諦めるように」と諭す。
   そこへ首里王府の使者がやって来て、使者は「銘苅子の妻である天女が2人の子ども達を残して天に昇ってしまったという噂が首里城まで届いた。それを聞いた王は、姉は城内で養育し、弟は成長したら取り立て、銘苅子には士族の位を与えることにした」と伝達する。それを聞いた銘苅子親子は喜ぶ。

   ストーリーとしては、この方が面白いのだが、私は、どうしても、芦屋道満大内鑑の葛の葉の子別れの舞台を思い出して、切ない。
   大府からの有難いお達しだけれど、しかし、これが、ハッピーエンドと言えるのかどうか、やや、俗っぽい結末に、世相を感じるのである。

   口絵写真は、母が二人の子供を寝かせつけているシーンで、次の写真は、天に上る母を子供たちが見上げるシーンだが、能楽堂では、立体的な舞台が取れず、天女の飛翔は、橋掛かりが利用されている。
   

   組踊は、せりふ、音楽、踊りの3つの要素で構成される歌舞劇で、日本の古典芸能と違った、むしろ、オペラに近い独特なパーフォーマンス・アーツである。
  
   組踊の立方の唱えるせりふは、沖縄の古語や日本の古い言葉も使われていて殆ど分からないのだが、能楽堂の字幕ディスプレィでは、現代語訳なので助かる。
   せりふは、8音・6音で構成された沖縄独自のリズムがある詞章で表現され、緊迫した場面では、7音・5音で構成された詞章を使って、心情の変化を表現すると言うのだが、歌うように抑揚をつけて語るサウンドは、やはり、沖縄のオペラである。

   楽器は、能狂言や歌舞伎と違って、沖縄独特で、三線、箏、胡弓、笛、太鼓で、三人で奏する三線の演奏者は、地謡に似た役割も兼ねて、歌も担当するので「歌・三線」。

   随所に登場する立方の踊りは、琉球舞踊の型が基本と言うことだが、この琉球舞踊だけの舞台を観ても、日本舞踊とは違った趣があって大いに楽しめる。

   この「銘苅子」で胸を打つのは、飛天する母を追う子供たちの「やあ、母上よ、母上よ」悲痛な叫びに、天女が、顔を曇らせて、「これ迄よと思ば 飛びも飛ばれらぬ、産い子振別れの 百の苦れしや。」と抑えきれないやるせなさを吐露するシーン。
   人間国宝宮城能鳳の迫真の演技、余人をもって代えがたい舞台なのであろう。

   能「羽衣」も、白龍は、天女の舞との交換条件で、簡単に、羽衣を返すが、この「銘苅子」の方も、天女は、「羽衣を取られて、もはや、自由にならない。御意のままになりましょう。」と応え、銘苅子も、「ああ、天の引き合わせ、神の引き合わせよ、今日から一緒に契る嬉しさ。」と、いとも簡単に夫婦になる。
   浮世では、切った張ったどろどろした世界の筈だが、美しい物語は、シンプルであるべきなのであろうか。

   組踊の舞台展開で面白いのは、とんとんと、ストーリーが変わるごとに、演者が舞台から退場して、また、新しく登場することである。
   舞台展開が多いシェイクスピア戯曲では、RSCなど、同じ舞台上で、スポットライトを移しながら舞台を変えていたのと比べると、組踊は、能狂言のように、小劇場向きかも知れない。
   シェイクスピア戯曲でも、こじんまりとした木造の古い芝居小屋のようなクラシックな雰囲気の、ストラトフォード・アポン・エイボンの「スワン・シアター」で聴くと、格別な感興を覚えるのである。
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国立能楽堂・・・狂言「鐘の音」・能「橋弁慶」

2019年11月28日 | 能・狂言
   この日22日の国立能楽堂の公演は、
   令和元年度(第74回)文化庁芸術祭協賛 ◎演出の様々な形
   狂言 鐘の音  茂山 千三郎(大蔵流)
   能  橋弁慶 笛之巻  観世 喜正(観世流)
   来月も同じ演目で、他流派の違った演出を演じようとする「演出の様々な形」の公演。

   狂言「鐘の音」は、アド主に、千作がキャスティングされていたが、惜しくも逝去されたので、千五郎に代わった。
   息子の成人祝に、黄金の熨斗付けの太刀を作るために、鎌倉へ行って、金の値を聞いて来いと言われた太郎冠者が、鐘の音と勘違いして、鎌倉の名刹の鐘の音を聴いて帰ってきて、頓珍漢な報告を仕方話で演じると言う愉快な狂言。
   とにかく、太郎冠者の千三郎の芸が細かくて、実に上手い。
   鎌倉の鐘だが、この大蔵流では、五大堂、寿福寺、極楽寺、建長寺だが、和泉流では、寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺。
   それに、この曲では、仲裁人が登場して、中に入るのが面白い。

   今回の能「橋弁慶」で、興味深かったのは、観世流にしかない小書き「笛の巻」と言う演出である。
   別な記事で引用させて頂いたので、再録するが、粟谷の会によると、
   ”通常の前場と様相がガラリと変わり、前シテが常磐御前、ワキが羽田秋長となり、ワキが牛若の千人斬りを常磐御前に伝えます。常磐御前は牛若を呼び、涙を流して悲しみ、弘法大師伝来の笛を渡して牛若を諭します。牛若は母の仰せに従い、明日にも寺へ登って学問に励むと約束して、今宵ばかりは名残の月を眺めて来ると出かけます。しかし実際には五条で月を見ると言いながらも、謡では「通る人をぞ待ちにける」と、最後の相手を待ち望んでもいる・・・”と言うことになって、
   このストーリー展開だと、通常の能の舞台に、すんなりと話が繋がるので、小書き「笛の巻」のかたちの方が、本曲の原型ではないかと言われている。
   また、「笛の巻」が、観世流のレパートリーに入ったのは明治期で、小書の扱いになったのは昭和で、それ以前は、「笛の巻」の形は、本曲とは別の作品と言う扱いであったと、「能を読む」では述べている。

   この舞台では、前シテ常盤御前は、三の松近くに鎮座して牛若に対峙して、牛若への説教は、橋掛かりで演じられていた。
   五条の橋の上で、千人切りをしていたのは、弁慶だとか、牛若丸だとか言われているのだが、この舞台では、牛若丸が、常盤御前に説教されているのだから、人切りは、当然、牛若丸であろう。
   まして、切り納めだと言って、説教の後、五条へ行って弁慶と対決するのだから、鞍馬では勉強もせずに武術修行ばかりに明け暮れていたのであろう。

   私は、「笛の巻」の演出は初めて観たので、非常に興味深かった。
   「橋弁慶」の上演が比較的少ないのだが「笛の巻」の上演は、国立能楽堂では、2000年8月、2010年12月の2回なので、私が能楽堂へ通い始める以前のことであったのである。
   
   後シテ武蔵坊弁慶の観世喜正の格調高い舞いに、子方牛若丸の長女観世和歌の初々しく爽やかな舞の流れるような調和が、感動的であった。
   能の義経は、殆ど子方で登場するのだが、西国下向へ大物浦から船出した「船弁慶」などと違って、この「橋弁慶」は、少年期の牛若丸なので、子方にとっては、格好の舞台なのであろう。
   
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国立能楽堂・・・狂言「棒縛」:能「葵上」

2019年11月01日 | 能・狂言
   この日の能舞台は、「外国人のための能楽鑑賞教室 Discover NOH & KYOUGEN」
   冒頭に、観世流能楽師の英語での解説があるのだが、プログラムは、比較的短い、分かり易い曲が選ばれている。
   興味深いのは、字幕ディスプレィには、英語、中国語、韓国語などの表示があることだが、解説は、英語でも気にならず、プログラムによっては、この公演に行くこともあり、見所の半分くらいは、日本人の客のようであった。
   能などは、日本語では詞章通りなので、分かり難くいのだが、英語だと、ストーリー展開なので、この方が分かり易いので助かる。
   会場ロビーでは、衣装の着付けや大鼓と小鼓の演奏教室が設えられていて、客が楽しんでいた。
   来年のオリ・パラ期間には、このような外国人向けの公演が増えると良いと思う。
   
   
   

   狂言「棒縛」は、歌舞伎でもポピュラーな芝居になっている人気舞台だが、主人が留守中に、太郎冠者と次郎冠者が、酒蔵に入って酒を盗み飲むので、案じた主人が、外出前に、二人を縛って外出するが、手を左右に伸ばして棒に縛られた太郎冠者と、後ろ手に縛られた次郎冠者が、器用に助け合って酒を飲み、酒盛りをして謡い興ずるという話。
   悪知恵は、如何なる時でも、働くと言うことであろう。
   万作家の深田博治、竹山悠樹、高野和憲が、軽妙で楽しい芸を披露する。

   能「葵上」は、源氏物語の「葵」の巻を主題にした曲。
   葵上は登場せず、代わりに舞台に折り畳んだ小袖を置いて、病に臥せる葵上を表わし、主人公シテは、六条御息所(関根和孝)。
   賀茂祭の御禊の日、見物の場所取りの車争いで、権勢を誇る葵の上の一行の乱暴狼藉で、大臣の娘で元東宮妃であった六条御息所は、牛車を破損され、観客が犇めく一条大路で大恥をかかされ耐え難い屈辱を味わい、葵上に恨みを持つ。
   源氏物語では、
   左大臣邸に戻った源氏は、この事件の一部始終を聞いてびっくり仰天して、御息所の屋敷へ謝罪に行くが門前払い。六条御息所はおさまらない。
   六条御息所の生霊の仕業で、葵上は、病床に伏し、苦しむ葵上の看病中に付き添っていた源氏も、御息所の生霊を目撃して愕然とする。
   葵上は、難産に苦しみながら、男子(夕霧)を出産し、容体が急変して逝く。
   一方、六条御息所は、自身の体に染み付いた魔除けの芥子の香りが消えず苦しんでいる時、葵の上の訃報を聞かされて青くなる。

   能では、このあたりを脚色して作曲しているのだが、恨み辛みがつのって生霊になった六条御息所をシテにして、車争いの苦渋と加持祈祷調伏に話を絞って、六条御息所の成仏で終わっている。
   女心の微妙さは分からないが、「夕顔」で、六条御息所は、私と言う素晴らしい女性を袖にして、こんな詰らない女に現を抜かすなんて許せないと嫉妬に燃えて、夕顔を死に追い詰めているので、正妻とは言え、子供をなす葵上への、夜枯れの嫉妬恨みもあったのではないかと思う。
   悪ガキの少年であった光源氏を、実質的に最初の女として一人前に育てた姉様貴人であった六条御息所が、源氏にのめり込んだというのも哀しい現実だが、紫式部の冷徹な目が冴えていて興味深い。

   ツレ/照日の巫女 高梨万里、ワキ/横川の小聖 御厨誠吾、ワキツレ/臣下 野口能弘、アイ/左大臣家の者 岡聡史

   解説はあったが、非常に微妙な心理劇的な舞台なので、外国人の客に分かったであろうかどうか。
   私など、いまだに分からないので、能は難しいと思っている。
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