この本のタイトルは、「The Invention of Yesterday: A 50,000-Year History of Human Culture, Conflict, and Connection 」
ホモサピエンス誕生からAI時代の今日までの5万年の人類の歴史。450ページの大著ながら、「イスラムから見た世界史」のアフガニスタン生まれの歴史学者の書であるからユニークで面白い。
From language to culture to cultural collision: the story of how humans invented history, from the Stone Age to the Virtual Ageで、英語のアマゾンの読者の評価も高く、独特な世界通史で、ひらめきや発見があって興味深い。
まず、冒頭の第3章 文明は地形から始まる から面白い。
およそ6000年前、人類は、農耕に最適な生産性が高い土地に定住し始めた。毎年洪水を起こし、毎年肥沃な土壌の新たな層が出来る川の流域で、最初の都市文明が生まれた4つの大河地帯、すなわち、ナイル川、ティグリス川とユーフラテス川、インダス黄河黄河が突出しており、それぞれ、エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明を生んだ。
すべて、これらの文明は川の流域に生まれたのであるが、自然環境が同じでも、これらの川には地理上の大きな違いがあり、これらの大きな川の流域に暮らしていくために、人類は、それぞれの習慣、伝統、考え方を持つ文化権を形成した―――つまり、別の世界を作ったのである。
まず、ナイル川だが、上流の3000マイルは渓谷や滝や急流ばかりだが、下流の600マイルのエジプト側では、文明の揺りかごとなった。この地域は、地形がもたらした天然の防御に恵まれて、文明を育むのに好都合であった。盗賊は、滝を越えなければ南から侵入出来ないし、東側は岩だらけの荒野で無住の地であり、西にはサハラ砂漠が広がっていて、北側は地中海であり、エジプト人は、靴紐のように長細い土地のデルタを守るだけで良かった。それ以外の地域では、彼らは作物を蓄えることに専念できたのである。
ナイル川が氾濫すると、水が両側の丘陵地まで一面に広がるので、川の治水管理などの大がかりな土木事業を協力して行うことが必要となり、この種のプロジェクトを適切に行うための指揮系統が必要となる。社会の頂点には最終決断を下す神に似た存在が一人君臨し、そのしたには管理を担う多くの官僚組織があって、最下部には多くの庶民の建設労働者が存在した。
灌漑システムを建設し、維持管理するためには、1年の一時期大量の労働者を必要とするが、それ以外の時期には彼らには用がなく、遊ばせておくと、纏まった無職の労働者は退屈して何をしでかすか分からない。仕事を与えなければ社会不安の勃発・・・解決策はピラミッドであった。
一人のファラオの死後の快適な生活を保障するために、膨大な人力が結集されて、巨大な神殿と丘のような巨大な彫像、ピラミッドが建設された。
灌漑事業、ファラオ、官僚制、ピラミッド―――エジプト文明のこれらの特徴は、その文明の源、ナイル川から生まれた。と言うのである。
トルコの山岳地帯に源を発して並行してイラクを流れるティグリスとユーフラテス流域のメソポタミア文明は、流域沿いに発祥した単一の文明ではなく、多くの個別の村のネットワークとして生まれ、村ごとに異なる神殿と神権を崇めていた。川の傍の農耕は豊かな実りをもたらし、自然環境は放牧にも適しており恵まれてはいたが、周りは平地で地理的には防御に恵まれていなかったので、あらゆる方角から襲ってくる略奪者に備えるための防御こそ最大の緊急事であった。
そのために天然の要塞の代わりに城壁を作り、これが、やがて、小規模ながら強力な都市国家に変って行く。
防衛を強化するために、各都市は、軍隊を整えて多くの兵士を抱え込むのだが、一旦軍隊を持ったら常に誰かと戦い続けなければ、兵士達は領内で問題を起こす。メソポタミアの支配者達は、略奪者と戦っていないときには、軍隊を上流へ下流へと進めて近隣を征服して行く。
都市国家ネットワークの掌握に成功した征服者は、更に広大な地域の資源を手に入れ、更に多くの軍隊が必要となり、多くの戦争を起こして、本格的な帝国を築き上げて行った。
著者の指摘で面白いのは、内向的なナイル文明とは違って、メソポタミア人は、活気に満ち花火のように威勢が良く、創造性豊かだったと言っていることである。
エジプト人が、巨大な彫像や墓を作っている間に、メソポタミアのシュメール人は、とにかく、忙しく、ものを作り、物を発明し、交流し、契約を纏め、売買し、法律を作り、詩歌を作り、愛を交わし、物を盗み、噂話をし、喧嘩をするのにも忙しかった。とも言う。
メソポタミアの多くの小さな都市国家は起業家的な個人主義と、のちのイスラムとヨーロッパの文明の両方を特徴付ける競争を好む多元的な社会を生み出した。この双子の川という地理がそうさせたのである。
エジプトは、灌漑治水の工事のために集めた労働者を遊ばせておけないので、ピラミッドや巨大な神殿を作らせ、メソポタミアは、防御のために整えた軍隊を戦いのないときには隣国征服のために駆り出して徐々に肥大化して帝国を築き上げた、これも、すべて川の位置する条件次第であった。と言うこと。
言われてみれば、至極ごもっともなのだが、こんなに明確な意識はなかった。
最後のシュメール人気質については、メソポタミア・オリジンのイスラム文化文明の輝きを考えると納得できて面白いと思った。
さて、インダス文明と黄河の中国文明はどうか。長くなるので端折らざるを得ない。
ホモサピエンス誕生からAI時代の今日までの5万年の人類の歴史。450ページの大著ながら、「イスラムから見た世界史」のアフガニスタン生まれの歴史学者の書であるからユニークで面白い。
From language to culture to cultural collision: the story of how humans invented history, from the Stone Age to the Virtual Ageで、英語のアマゾンの読者の評価も高く、独特な世界通史で、ひらめきや発見があって興味深い。
まず、冒頭の第3章 文明は地形から始まる から面白い。
およそ6000年前、人類は、農耕に最適な生産性が高い土地に定住し始めた。毎年洪水を起こし、毎年肥沃な土壌の新たな層が出来る川の流域で、最初の都市文明が生まれた4つの大河地帯、すなわち、ナイル川、ティグリス川とユーフラテス川、インダス黄河黄河が突出しており、それぞれ、エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明を生んだ。
すべて、これらの文明は川の流域に生まれたのであるが、自然環境が同じでも、これらの川には地理上の大きな違いがあり、これらの大きな川の流域に暮らしていくために、人類は、それぞれの習慣、伝統、考え方を持つ文化権を形成した―――つまり、別の世界を作ったのである。
まず、ナイル川だが、上流の3000マイルは渓谷や滝や急流ばかりだが、下流の600マイルのエジプト側では、文明の揺りかごとなった。この地域は、地形がもたらした天然の防御に恵まれて、文明を育むのに好都合であった。盗賊は、滝を越えなければ南から侵入出来ないし、東側は岩だらけの荒野で無住の地であり、西にはサハラ砂漠が広がっていて、北側は地中海であり、エジプト人は、靴紐のように長細い土地のデルタを守るだけで良かった。それ以外の地域では、彼らは作物を蓄えることに専念できたのである。
ナイル川が氾濫すると、水が両側の丘陵地まで一面に広がるので、川の治水管理などの大がかりな土木事業を協力して行うことが必要となり、この種のプロジェクトを適切に行うための指揮系統が必要となる。社会の頂点には最終決断を下す神に似た存在が一人君臨し、そのしたには管理を担う多くの官僚組織があって、最下部には多くの庶民の建設労働者が存在した。
灌漑システムを建設し、維持管理するためには、1年の一時期大量の労働者を必要とするが、それ以外の時期には彼らには用がなく、遊ばせておくと、纏まった無職の労働者は退屈して何をしでかすか分からない。仕事を与えなければ社会不安の勃発・・・解決策はピラミッドであった。
一人のファラオの死後の快適な生活を保障するために、膨大な人力が結集されて、巨大な神殿と丘のような巨大な彫像、ピラミッドが建設された。
灌漑事業、ファラオ、官僚制、ピラミッド―――エジプト文明のこれらの特徴は、その文明の源、ナイル川から生まれた。と言うのである。
トルコの山岳地帯に源を発して並行してイラクを流れるティグリスとユーフラテス流域のメソポタミア文明は、流域沿いに発祥した単一の文明ではなく、多くの個別の村のネットワークとして生まれ、村ごとに異なる神殿と神権を崇めていた。川の傍の農耕は豊かな実りをもたらし、自然環境は放牧にも適しており恵まれてはいたが、周りは平地で地理的には防御に恵まれていなかったので、あらゆる方角から襲ってくる略奪者に備えるための防御こそ最大の緊急事であった。
そのために天然の要塞の代わりに城壁を作り、これが、やがて、小規模ながら強力な都市国家に変って行く。
防衛を強化するために、各都市は、軍隊を整えて多くの兵士を抱え込むのだが、一旦軍隊を持ったら常に誰かと戦い続けなければ、兵士達は領内で問題を起こす。メソポタミアの支配者達は、略奪者と戦っていないときには、軍隊を上流へ下流へと進めて近隣を征服して行く。
都市国家ネットワークの掌握に成功した征服者は、更に広大な地域の資源を手に入れ、更に多くの軍隊が必要となり、多くの戦争を起こして、本格的な帝国を築き上げて行った。
著者の指摘で面白いのは、内向的なナイル文明とは違って、メソポタミア人は、活気に満ち花火のように威勢が良く、創造性豊かだったと言っていることである。
エジプト人が、巨大な彫像や墓を作っている間に、メソポタミアのシュメール人は、とにかく、忙しく、ものを作り、物を発明し、交流し、契約を纏め、売買し、法律を作り、詩歌を作り、愛を交わし、物を盗み、噂話をし、喧嘩をするのにも忙しかった。とも言う。
メソポタミアの多くの小さな都市国家は起業家的な個人主義と、のちのイスラムとヨーロッパの文明の両方を特徴付ける競争を好む多元的な社会を生み出した。この双子の川という地理がそうさせたのである。
エジプトは、灌漑治水の工事のために集めた労働者を遊ばせておけないので、ピラミッドや巨大な神殿を作らせ、メソポタミアは、防御のために整えた軍隊を戦いのないときには隣国征服のために駆り出して徐々に肥大化して帝国を築き上げた、これも、すべて川の位置する条件次第であった。と言うこと。
言われてみれば、至極ごもっともなのだが、こんなに明確な意識はなかった。
最後のシュメール人気質については、メソポタミア・オリジンのイスラム文化文明の輝きを考えると納得できて面白いと思った。
さて、インダス文明と黄河の中国文明はどうか。長くなるので端折らざるを得ない。