熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

鎌倉の桜・・・段葛、妙本寺、安国論寺、長勝寺

2016年03月31日 | 鎌倉・湘南日記
   鎌倉の桜は如何ばかりか。
   とにかく、鎌倉駅まで出て、そこで、どこへ行くか考えることにして、バスに乗った。
   まず、工事中であった段葛が、奇麗になったと聞いていたので、バスが若宮大路を北上して、鎌倉駅に近づくと、鶴岡八幡宮の赤い鳥居の後方に、桜が見えてきた。
   人波で一ぱいだが、工事前と同じように、段葛が復活して、奇麗な桜並木が蘇っている。
   
   
   
   

   新しく移植した筈なのだが、しっかりと根付いていて、ほぼ、満開に花が咲いている。
   しかし、奇麗に植えられた桜は、同じ大きさのまっすぐ上に伸びあがった若木で、揃っていて見栄えは良いのだが、どこかの街の通りの街路樹のような感じで、古木の味がないので、何となく、落ち着かない感じがする。
   年古れば、味が出てくるのであろうが、しばらくは、余所行きの段葛と言うことであろうか。
   
   

   八幡宮の方は、人波で溢れているので、段葛の入り口で引き返して若宮大路を南に下りて、この日は、初めて大巧寺に立ち寄った。   
   椿の奇麗な花が見えたからである。
   この椿の話や、今日の鎌倉散策の詳しい話は、後で書くこととして、今回は、桜模様に限定したいと思っている。

   次に行ったのは、本覚寺を通り抜けて、妙本寺に向かった。
   本覚寺の大きな枝垂れ桜は、殆ど花期は終わっており、ソメイヨシノはまだ、開花前であった。
   妙本寺のソメイヨシノは、ほぼ満開であった。
   このお寺には、祖師堂の前に、ハナカイドウ(花海棠)の素晴らしい大木2本植わっていて、満開になると、このピンクの花と、桜の白のコントラストが、実に美しいのである。
   今日は、花海棠の方が、まだ、咲き切っていなかったので、一寸、押され気味ではあったが、花海棠の鑑賞のためには、開きかけた花が大半で、何割か咲いていて、残りが蕾の状態の時が一番良いのである。
   
   
   
   
   

   安国論寺も、花海棠が有名であったが、今は、代替わりして、それ程大きな木ではない。
   桜の木の方は、素晴らしい枝垂れ桜のほかにも大木があって、真っ白に境内を荘厳しており、それに、まだ咲いてはいなかったが、妙法桜も植わっていて、バリエーションが良い。
   
   
   
   

   踏切を越えたところに、長勝寺がある。
   ここの桜が、丁度、満開の直前と言ったところで、一番美しいと思った。
   このあたりに来ると、殆ど観光客は来ず、私一人で、素晴らしい桜を楽しませてもらっていた。
   地蔵さんの前に、ピンクの枝垂れ桜が咲いていて、風情があった。
   
   
   
   
   
   
   
   (追記)インターネットを叩いていたら、毎日新聞の”「段葛」完工式 通り初めに中村吉右衛門さん 来月30日 /神奈川”の記事が目に付いた。
   新たな段葛は、桜の若木177本を5メートル間隔で左右互い違いに配し、つつじをアクセントに置いたすっきりした外観。史跡保護のため、新たに盛り土をしたため、従前より最大70センチ高くなった。また、多くの人が通ることで桜の根が傷まないよう、内部に樹脂製の基盤を設置し保護している。 と言うことのようである。
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鎌倉便り・・・フラワーセンター大船植物園:春たけなわ(その2)

2016年03月30日 | 鎌倉・湘南日記
   フラワーセンターを入って、左奥の展示場の手前に、つばき園がある。
   つばきは、秋の初めから、殆ど梅雨前の初夏にまで咲き続ける花木なのだが、やはり、字のごとく、春の木なので、三月から四月にかけて、殆どの椿が咲き誇る。
   神社などの鎮守の森に行くと、背丈が10メートルもあろうかと思うほど巨大な藪椿があって、地面一杯に、真っ赤な落ち椿が広がっていて、見上げてびっくりすることがある。
   京都の庭では、繊細な美しい苔の上に、美しいままの椿の花弁を見ると、落ち椿も風情があって良いなあと思うことがある。

   このフラワーセンターのつばきは、小ぶりで、大きくても、2~3メートルくらいで、沢山の種類の椿が、びっしりと植えられているので、ところによっては、迷路のような中を歩いて鑑賞することになる。
   
   
   

   関東には、乙女椿が多いように思うのだが、このフラワーセンターでも、珍しく何本か植わっていて、存在感を示していたが、花弁が繊細なために、傷のない完全な形の美しいピンクの花は、探せなかった。
   HPには、「紅唐子」の写真が掲載されていたのだが、木が貧弱で、この日は、一輪しか花が咲いていなかった。
   日本の椿は、結構、種類が多くてひっそりとした侘助から派手な大輪の明石潟、それに、一重八重千重、斑入りもあれば絞りもあり白から深紅まで色彩も多種多様、とにかく、このフラワーセンターには、夫々、名札がついているのだが、同じ種類でも、木の個体が違えば、花も違い、同じ木でも、咲き方にも随分差があるのである。
   
   
   
   
   
   
   
   

   ところで、このフラワーセンターにも、アメリカやオセアニア、ヨーロッパで品種改良された里帰りの洋椿が、かなりの数植えられており、面白い。
   バラ好きの欧米人の品種改良であるから、いきおい、バラのような派手な大輪の椿が多いような気がする。
   茶花が好きで、古社寺などを訪れた時には、必ず、部屋の片隅や廊下などにひっそりと活けられた花を鑑賞して楽しむのだが、つばきに関しては、何故か、侘助椿には、あまり興味がなくて、込み入った色彩豊かな洋椿の方に関心が行ってしまう。
   
   
   
   
   
   
      
   今、このフラワーセンターには、春の草花が咲き乱れていて、花壇は非常に豪華である。
   しかし、この前、園芸員が、非常に少人数で庭園を維持管理しているので、十分に世話が行き届かないと語っていたのだが、やはり、雑草の中から、チューリップやスイセンや菜の花などが顔を出している。
   しかし、これもこれで、風情があって面白い。
   昔、オランダにいた時に、良く、キューケンホフ公園に行ったが、完ぺきに管理運営されて一寸の隙もない花公園も、美しいが、味がないのである。
   土筆が、顔を覗かせていて、子供頃の宝塚の田舎を思い出して懐かしくなった。
   
   
   
   
     
    

   このフラワーセンターで、楽しいのは、鑑賞温室に行くことで、南国の花々が咲き乱れている。
   私が見て興味を持ったのは、ピンクの豪華なトーチジンジャーと言う花で、それに、入れ代わり立ち代わり咲く小さな睡蓮が美しい。
   
   
   
   
   
   
   
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鎌倉便り・・・フラワーセンター大船植物園:春たけなわ(その1)

2016年03月29日 | 鎌倉・湘南日記
   桜には、まだ、少し早いのだが、巨大なモクレンやシャクナゲなどの花が咲き乱れていて、フラワーセンター大船は、非常に美しい。
   桜は、まだ早いと言うのは、ソメイヨシノや八重などの桜の蕾がかたいと言うことで、この植物園の名物の玉縄桜は、既に葉桜となっていて、大寒桜も盛りを過ぎていて、今殆ど桜は咲いていないと言うことである。
   
   次の写真は、大寒桜とその枝越しに見た葉桜の玉縄桜、そして、葉が出始めた梅林の対面の桜庭園の様子とほころびかけている桜の蕾である。
   
   
   
   
   
   
   
   

   今、花木で咲き乱れているのは、モクレン、シャクナゲ、椿、桃、雪柳、ボケ、と言ったところであろうか。
   やはり、一番華やかに咲いているのは、赤いシャクナゲであろう。
   その鮮やかさに負けじと研を競っているのはモクレンである。
   真っ白で弧を描く雪柳や黄色いレンギョウ、地面を這うムスカリとの対比が面白いのだが、色々な花が重なり合いながら眼前に広がる色模様、そのコントラストが観ていて飽きないのである。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   ボケや何種類かある花桃も咲いているけれど、株数がそれ程でもないので、目立たないのだが、ひっそりと咲いているところが良い。
   ハナズオウ、そして、リキュウバイと言う白い花が咲いていた。
   ミツマタは、微妙な色模様が面白い。
   
   
   
   
   
   
   
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帝国の崩壊は突発的に起こってきた

2016年03月28日 | 政治・経済・社会
   ジョン・キャスティの「Xイベント」を読んでいて、再び、日本財政の異常な債務超過が気になってきた。
   「新世界無秩序 グローバリゼーションの崩壊」と言う項で、進化生物学者S・J・グールドとN・エルドリッチの「断続平衡説」を、社会プロセスの領域に拡大したニーアル・ファーガソンのアメリカ経済の崩壊について論じている。
   進化のプロセスはゆっくりと漸進的に起こるのではなく、突発的に起こると言う説で、ローマ帝国が、徐々に没落したのではなく、二世代で崩壊したように、どの帝国も、殆どほぼ一夜にして崖っぷちから転げ落ちたと、歴史上の事例を挙げて、実証しているのである。

   キャスティは、ファーガソンの指摘を引用して、
   帝国の崩壊は事実上一夜にして起こるので、衰退の段階について論じ、今日のアメリカはその変化のどの段階にいるかと考えるのは、いわば時間の無駄。そのうえ、殆どの大国は、最終的には財政運営の失敗とそれに付随する危機によって崩壊する。つまり、収入と支出のギャップが急激に拡大し、帝国は最後にこの債務(もう一つの複雑性ギャップ)を埋める資金を調達できなくなる。として、
   場合によっては、銀行の倒産や小国の国債の格下げのような無害に見えるような金融の蝶が羽ばたいただけでも、パニックに陥った投資家や一般市民が出口に向かって走り始めて、バタフライ効果で、トランプの家は一気に崩れ落ちる恐れがある、と言うのである。

   システムは、「その構成要素がシステムの存続能力に対する信頼を失ったら、大きな混乱に陥るので、「帝国は、いつまでか予測不可能ながら、ある程度の期間は、見かけ上安定した状態で機能するが、しかし、いきなり崩壊する。崩壊が訪れるとしたら、それは瞬く間に起こり、その時には手遅れになっている。と言うことである。

   さて、このファーガソンのオリジナル記事であるフォーリン・アフェアーズの
   ”Complexity and Collapse Empires on the Edge of Chaos By Niall Ferguson”を読んでみた。
   ローマ帝国のみならず、中国の明王朝やフランスのブルボン王朝や大英帝国の突然の凋落についても論じており、最も典型的なのはソ連の崩壊で、
   1985年、ゴルバチョフが共産党第一書記になった当時、ソ連の経済規模はアメリカの60%程度、それも、過大評価で、であったにも拘らず、核兵器保有量はアメリカを凌駕しており、ヴェトナムからニカラグアなどの第三世界への影響力強化に入れ込み過ぎて、結局、彼が政権について5年以内に、東欧共産圏、続いて、ソ連が、崩壊してしまった。レーニンの帝国は、徐々に衰退したのではなくて、他の帝国がそうであったように、崖から崩れ落ちて崩壊したのである。と論じている。
   ソ連の崩壊については、色々言われているが、結局、膨大な軍事支出と第三世界支援による覇権維持のための国家支出が、身の程知らずに肥大化して、国家経済を破綻させてしまったと言うことであろう。

   その記述の直後に、アメリカの国家債務の赤字に言及して、アメリカの崩壊がどの段階にあるのかと言った議論は時間の浪費だとして、 そして、大抵の帝国の崩壊は、財政危機に由来している(Second, most imperial falls are associated with fiscal crises.)と、 どんどん深刻さを増している財政危機に警鐘を鳴らしている。

   このアメリカ経済が、国家債務の増大によって、何時破綻の危機に瀕するのか、突然襲ってくるので(?)、議論するのは、時間の無駄だと言うのなら、GDPの2倍も越えて、もっともっと深刻な状態にある日本は、どうなるのであろうか。

   アベノミクスについては批判もあろうが、金融政策と財政政策と成長戦略がよろしきを得れば経済が前に進んで行くので、多少の明るさは見えてきたことは事実であろうが、如何せん、デフレ経済の脱却には、まだ、道半ばである。
   それに、財政健全化と直間比率のバランスなどの税制改正を意図した数%の消費税増税が、経済の腰折れを招くなど、日本経済の成熟化が、かっての活力と成長を奪ってしまって、先の見通しを暗くしている。
   日本の政治経済社会の、複雑系のバランスの乖離が、どんどん、広がって行き、国家財政の再建が、不可能だとするならば、ファーガソンの説く如く、財政破綻が、突然の国家崩壊を引き起こすのは、時間の問題だと言うことであろうか。

   日本の経済、ことに、国家債務赤字の深刻さは、異常な高さであり、何時、経済危機の予兆となる蝶が羽ばたくかも知れない。
   茹でガエルではなくて、突然死の恐怖が、足音を忍ばせて近づきつつある予感。
   政局のみに汲々として、消費税増税論議に、うつつをぬかしている時ではないと言うことである。

   
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国立能楽堂・・・復曲能「名取ノ老女」

2016年03月27日 | 能・狂言
   今回の能「名取ノ老女」は、世阿弥の甥の音阿弥が寛正5年(1464年)に上演した記録のある古い能であるが、明治時代に廃曲されて上演されなくなり、忘れ去られていたと言う。
   それを、東北地方に息衝く熊野信仰を背景に、熊野権現の神詠譚と名取の地に熊野三山を勧請したとされる名取老女の説話を基にして、ひたすら神に祈る老女の姿、その祈りが通じる奇跡、慈愛を湛えた老巫女の舞と神の出現などを念頭にして、震災からの「文化による復興」を祈念して、新しい趣向を凝らして作り上げられた復曲能である。

   私のような能初心者にとっては、有名な古曲であっても、復曲であっても、新作であっても、同じようにしか鑑賞できないのだが、前回の「世阿弥」の時と同じように、2回とも連続して出かけた。
   今回は、初日は、名取ノ老女を梅若玄祥、護法善神を宝生和英で、二日目は、大槻文藏と金剛龍謹が舞い、異流公演でもあり、違いもあろうと思って、興味深く鑑賞させてもらった。

   初日は、玄祥師の体調が思わしくないと言うことで、冒頭部分の一部詞章の省略などもあって、すぐに、孫娘(松山絢美)の肩に手を添えて舞台に登場されたが、文藏師の方は、この省略部分も含めて、橋掛かりで、孫娘と対面しながらの演技で、舞台へは大分経過してからであった。
   演出:大槻文藏と言うことであろうから、この二日目の舞台が、本来の意図した演出であろうか。

   護法善神については、龍謹師が、プログラムで述べているように、面、装束、型も全く違って、それぞれの流儀の特徴を楽しめば幸いだということで、例えば、面は、宝生は鷹、金剛は大飛出で、衣装も違っているので、大分雰囲気にも差があり、舞姿もかなり差があって興味深かった。
   例えば、揚幕からの登場からも違いが明瞭であり、ラストの「護法は上がらせ給ひけれ」で揚幕に消えて行くシーンでも、和英師は、御幣(?)を投げ捨て退場したが、龍謹師は、御幣を投げた後で、橋掛かりで軽く飛んで一回りして少し休止して退場した。


   さて、この復曲能だが、
   能楽タイムズに極めて簡潔明瞭に、「名取ノ老女」のあらすじが書かれているので借用すると、
   ”熊野三山の山伏が陸奥行脚の暇乞のために本宮に通夜したところ、名取の里に住む老巫女に信託を届けよとの霊夢を見る。この老女はかつて熊野に年詣をしていたが、今は年老いて詣でることができず、名取の地に熊野三山を勧請して祈りを捧げている者で、山伏は名取の里で老女に対面し、霊夢で授けられた虫食いのある梛の葉を渡す。そこには熊野の神詠「道遠し年もやうやう老いにけり思ひおこせよ我も忘れじ」とあり、あまりの有り難さに老女は涙する。老女は勧進した熊野三山に山伏を案内し、「熊野の本地」を物語る。そして法楽の舞をはじめると、熊野権現の使役神・護法善神が颯爽と現れて、老女を祝福し、国土安穏を約束して去っていく。”

   名取の熊野三社については、この能のように、熊野信仰の厚い名取老女が勧請したと一般に信じられているようで、名取老女の墓も現存する。
   熊野神社が700社も東北地方に存在し、その東北の熊野信仰の中心的存在にあったのが名取熊野三社であり、仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に模し、本宮・新宮・那智の三社が存在し、紀伊熊野の三社それぞれを地理的・方角的に同様にセット状態で勧請しているのは非常に珍しいと言う。
   私は、管理を担当していたゴルフ場が名取にあって、何度も名取を訪れて仕事をしていたのだが、仕事一途で、ついに、この立派な熊野三社の存在も知らなかったので、訪れることもなく、今に思えば、残念であったと思っている。

   さて、能鑑賞よりも、雑事が気になるのが、凡人の悲しさで、その熊野三社を勧請した名取ノ老女がどのような人であったのか、その背景が知りたくなる。
   説明によると、47回熊野に詣でて、48回目に老衰で足が立たず輿に乗って参詣し、それ以降、熊野の霊夢を受けて名取の熊野三社を勧請したと言うのであるから、相当の権力者か財の蓄積に秀でた人物でなければならない筈であるが、史実には、その片鱗さえも残されていない。

   これについては、パンフレットで、中沢新一が、明快に論じており、私もそうではないかと思う。
   名取ノ老女は、熊野詣でにしょっちゅう行っており、遊女ではないかと思う、東北から熊野まで相当の距離があり、室町時代の軽さで結構自由に船で移動していたと言うのである。   「名取ノ遊女」は、毎年熊野に行って、途中の港にいる顧客相手に商売し、財産家でお金を持っており、ポケットマネーを持って熊野に行く。
   そう言う熊野詣でをしていた遊女は沢山いて、音阿弥も、そういう背景でこの曲を書いていると思うと言うのである。
   知識教養もあり、魅力的な女性であったのであろう、名取ノ老女を、遊女だったのではなどと言うと、宗教に対する冒涜のような感じがするが、聖人であるマグダラのマリアの例もある。

   何の不自由もなく恵まれて平々凡々と暮らして居れば、宗教など何の関係もないように感じるのだが、人生には、どうしようもなくなって、生きるか死ねか窮地に立てば、祈る以外に道がなく、必死になって祈り続ける。
   正に、東日本を急襲して瞬時に阿鼻叫喚の地獄を現出した3.11は、その瞬間であり、これほど、祈りの尊さと凄さを教えてくれたことはないと思っている。
   死の世界ばかりを描いている能の世界が、最近、少し分かってきたような気がするのは、歳の所為ばかりではないと感じている。

   音阿弥の意図はともかく、熊野三社を勧請するためには、相当、財力が必要であった筈で、この老女の努力があったにしろ、東西交易で全国を船で駆け回っていた海民たちが、海の航海の安寧を願って、神社を建てたのであろうと私は思っている。
   平家物語で、喜界が島に流された3人のうち、熊野三社を勧請して祈りを捧げた藤原成経と平康頼だけが返されて、俊寛だけが残されたと言う話を引いて、熊野三社の霊験あらたかさが語られているが、信仰と言うのは人知を超えていて、私などの考えの及ぶところではないと感じている。

   そんなことを、色々考えさせてくれる、私にとっては貴重な舞台であった。
   
   
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映画「神々の山嶺」から能「名取ノ老女」

2016年03月25日 | 今日の日記
   久しぶりの「今日の日記」であるが、この日は、温かったのが急に冬に逆戻りしたような寒くて陰鬱な気候で、夜に千駄ヶ谷の国立能楽堂に行くことになっていた。
   いつものように、庭に出て、何となく庭の手入れをして過ごしたのだが、昼前に、思い立って、辻堂の湘南シネマ109に行って、「エヴェレスト 神々の山峰」を見ることにした。
   大船撮影所があった鎌倉には、映画館がなくて、隣町のシネコンに行かないと、映画は見られないのである。
   美しい日本を維持するために、古都保存と言う文化都市の宿命であろう。

   丁度、春休み時期と重なって、映画館は、大変な賑わいであるが、子供のいない、この映画のシアターも、結構、一杯であった。
   
   この映画は、夢枕獏の作で、実際にエヴェレストに出かけて、5000メートル以上の山の中で、1ヵ月に渡る命懸けの過酷なネパールロケを敢行して作り上げた映画だと言う。
   私は、スイスのモンブランとマッタ―ホーンの麓やユングフラウヨッホ、マッキンレーの麓くらいには行って、雪山を見てはいるが、エヴェレストは、憧れの世界である。
   今でも、鮮明に覚えているが、昔、ボリビアのラパスからサンパウロに向かう飛行機が急降下して、6402メートルの白雪を頂いた高峰イリマニ山を最接近して横切ったり、サンチャゴからブエノスアイレスへの飛行で、遠く南米の最高峰7000メートル弱のアコンカグアを仰ぎ見た思い出が、蘇ってくる。

   さて、この映画は、登頂に成功したのかどうかエベレスト登山史上最大の謎となっているジョージ・マロリーの遺品であるカメラ「ヴェストポケット・オートグラフィック・コダック・スペシャル」を、クライマー兼カメラマン深町 誠(岡田准一)が故買商で見つけて、
   それを発見したビカール・サン(日本国内で数々の登攀記録を打ち立てながら、ヒマラヤ遠征で消えた羽生丈二 (阿部寛)を追って、エヴェレスト登頂を目指す凄い作品である。
   羽生を慕う岸凉子 の 尾野真千子が、良い味を出していて、そのほかのベテラン俳優も健闘していて、素晴らしい映像とエヴェレストの威容が、感動的な映画を紡ぎ出している。
   ラストに流れるベートーヴェンの第九の歓喜の歌はネパール語で歌われているのであろうか、コンサートホールでとは違った感慨である。

   その後、JRで横浜に出て、書店で小時間を過ごして、東横線で北参道に向かった。
   私の場合には、余裕をもって劇場に出かけることは少なくて、遅れたりすることも結構多い。
   この日は、復興と文化と言う企画公演で、復曲能である「名取ノ老女」で、解説書などは、今回発行された特別なプログラムしかなく、残念ながら、遅く着いたので、事前に十分読む時間が取れなかった。

   最初に、毛越寺の延年「老女」が演じられたので、舞台正面には幕が張られていて、老女が、上手の幕間から登場する趣向であった。
   その後、複曲に関わった小田幸子さんや小林健二さんのトーク解説があり、この日は、名取ノ老女を梅若玄祥、護法善神を宝生和英が舞った。
   明日は、夫々、大槻文藏、金剛龍謹が舞う。
   関西の能役者の舞台なので、明日も行くことにしており、印象記などは、その後にしたいと思っている。
   名取からであろう、宮城からバスが来ていて、かなりのお客さんが脇正面席を占めていた。
   
   
   
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政府は来年の消費税増税を延期するのであろう

2016年03月24日 | 政治・経済・社会
   安倍晋三首相は、5月下旬の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の準備会合である国際金融経済分析会合で、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツやクルーグマンを招き、意見を聴取した。
   勿論、経済全般についての提言であった筈だと思うのだが、日経などのメディア情報は、来年に予定されている消費税10%への増税に焦点を当てた報道が主体であり、ジョルゲンソンなどを除けば、殆ど、来年の消費増税には消極的で延期論であった。

   私自身は、このブログでも何回か言及しているのだが、スティグリッツにしろクルーグマンにしろ、以前から、はっきりと、安倍政権の消費税増税について、反対しており、TPPやアベノミクスなどについても、明確に見解を述べていて、夫々の考えについては、客観的に判断できると思われるのに、何故、有識者として招待したのかと言うことが、気になっている。

   先の8%への消費税増税が、消費を抑えて日本経済の成長を腰折れさせて、アベノミクスにさえも、暗雲が垂れ込め始めていることを考えれば、スティグリッツやクルーグマンの見解を求めるまでもなく、来年の消費税の増税は、日本経済に打撃となり得ることは、ほぼ、予測がつく。
   それに、この夏には、参議院議員選挙もあり、中国経済を筆頭に国際経済が悪化して回復の余地が殆ど望めないであろうし、増税に拒否反応なり抵抗のある国民感情を考えれば、来春の増税など、実施できる環境ではないであろう。

   私自身は、スティグリッツやクルーグマンと言った日本の消費税増税にはっきりと反対を表明している経済学者を呼んで、わざわざ、見解を述べさせたのは、明らかに、安倍政権は、来春の消費税増税を延期して夏の選挙に臨もうとしている布石に間違いはなかろうと思っている。

   日本は、まだまだ、デフレ経済から十分には脱却しておらず、もっと、更なる財政出動など需要拡大に努めるべきと言うのは、ケインジアンである両ノーベル賞受賞経済学者の当然の見解であろう。
   しかし、日本政府の異常とも言うべき国家債務の増大と、その解消課題は、悪夢のように、日本の政治経済を過酷に締め付けている。
   悪化の一途を辿っている財政赤字の累増は、財政の破綻のみならず、中長期的に経済成長の阻害要因となり、こうした事態を未然に防ぐために、財政構造を改革し、財政の健全化を図らなければならないと言う国是とも言うべき呪縛である。

   経済が回復して成長軌道に乗るまでは、需要を拡大し続けるべきであり、需要を抑制する増税などはもってのほかとするケインジアンの見解に対しては、「公共選択の理論」のブキャナンやタロックなどは、強硬に反対して、財政膨張を防ぐために公債を発行しない均衡予算ルールを「憲法」に設けるべきだとしていて、政治的意思決定にも、かなり、影響を与えている。
   クルーグマンは、コテンパンに叩いているが、ラインハートとロゴフの「国家は破綻する――金融危機の800年」のご宣託をどう受け止めるであるが、どこの国も歴史上においても経験したことのなかった未曾有の国家債務の重圧を背負って歩む日本が、果たして、川端康成の「雪国」のように、長いトンネルを通り抜けて行けるのかどうか、私は疑問だと思っている。

   安倍内閣は、「3本の矢」として、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「投資を喚起する成長戦略」の3つを核にしてアベノミクスを始動させたが、今回、新たな3本の矢として、(1)希望を生み出す強い経済(2)夢を紡ぐ子育て支援(3)安心につながる社会保障――の3項目を打ち出し、首相は「長年手つかずだった日本社会の構造的課題である少子高齢化の問題に真正面から挑戦したい」と述べた。
   スティグリッツは、アベノミクスは失敗だと苦言を呈したと報道されているが、私は、問題の3本目の矢である「成長戦略」が殆ど機能していないことに問題があると思っている。
   新しい3本の矢は、美辞麗句を並べた意味不明の文章の羅列のような感じがして、空回りしそうである。

   言っても無意味だと思うのだが、新3本の矢を実現したいのなら、まず、今話題となっている「保育園落ちた日本死ね!!!」問題を、即刻、抜本的に解決することである。
   既得利権にしがみついた岩盤規制の一端を吹き飛ばして、補助金まみれの財政を修正して支出を捻出すれば、その程度の予算は一気に捻出できるのではないかと思う。
   女性の地位と雇用の拡大、出生率アップ、子育て支援などと題目を唱えるのなら、待機児童をなくして、すべて希望する幼児を保育園に収容して、母親に、後顧の憂いなく働いてもらうことである。
   資金を捻出する能力がなければ、まだまだ、元気に働いて社会貢献できる膨大な団塊の世代前後の熟年に、誇り高きボランティアとして力を借りて、あっちこっちにあるシャッター通りや空き家を改装するなり、法規制を整備するなりして、保育園を増設すれば良い。
   足を引っ張る輩が多い日本なので、大変かも知れないが、やる気があるかないかの問題で、官僚の書いた文章の羅列にうつつをぬかすのが、政治ではなかろうと思っている。
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パリ、ブリュッセルのテロの恐怖に思う

2016年03月23日 | 政治・経済・社会
   先のパリに続いて、22日にブリュッセルの国際空港と地下鉄で、連続テロが発生し、ISが犯行声明を出した。
   世界中に国際紛争地域が広がっていて、地球上のどこで、凶悪犯罪が起こっても不思議ではないほど、危機的な状態が続いている。
   しかし、今回のヨーロッパでのテロの元凶は、これまでのテロ組織によるものではなく、すべて、雨後のタケノコのように短期間に台頭してきたISが関係しているところに、問題の本質と深刻さがある。

   私が、ヨーロッパにいた時には、ロンドンなどイギリス国内で頻発していたテロは、殆ど、アイルランド独立闘争を行ってきた武装組織であるアイルランド共和軍(Óglaigh na hÉireann、Irish Republican Army、略称:IRA)によるものであった。

   私が、ロンドンで遭遇した大きなIRAのテロの一つは、ロンドンのシティの金融の中心街を爆破した1993年3月のテロ事件で、熊谷組のビルが爆破を受け、三和銀行のロンドン支店など日系企業のオフィスが吹っ飛ぶなど、結構、激しかった。
   Saturday, April 24, 1993
(Reuters) - An IRA bomb ripped through the heart of London's financial district on Saturday, wounding more than 30 people and causing extensive damage to prestige office buildings. The bomb was packed into a construction lorry parked near two bank buildings, the Hong Kong and Shanghai Bank and the landmark NatWest Tower.

   しかし、その後、私は、イギリスを離れて、久しぶりに、イタリア経由でロンドンに入った当日、すなわち、2005年7月7日、現地時間午前8時50分頃、ロンドンの地下鉄の3か所がほぼ同時に、その約1時間後にバスが爆破され、56人が死亡したロンドン同時爆破事件と言う凶悪なテロ事件に、遭遇したのである。
   テロを起こしたのは、「欧州の聖戦アルカーイダ組織」で、最早、IRAではなかった。

   ところが、当日、ミラノ空港でのアリタリアのスト騒ぎで代替航空便手配などで疲労困憊して、やっとのことでヒースローに着き、特急とタクシーを乗り継いて、定宿のジェントルマン・クラブRACに投宿して、そのまま寝こんでしまったので、ロンドン同時多発テロの恐怖は、迂闊にも、翌日、目を覚まして、妻に電話するまで、気付かなかったのである。
   その時の模様などは、このブログの「欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)」に詳しく書いてある。

   ここで、私が言いたいのは、テロ事件当日であっても、ロンドンは極めて平穏であり、翌日から、殆ど平常と変わらずに動いていたと言うことである。
   当日、ヒースロー空港も、エクスプレスも何の異常もなかったし、パディントン駅からバッキンガム宮殿のすぐそばのRCAまでのタクシーも、途中、カラフルな色のパトカーが停まって一箇所車道をを閉鎖していたが、夜の9時前には無事RACにチェックインした。
   それに、翌日は平常に戻り、その日の午後、サウスバンクのグローブ座でシェイクスピアの「ペリクリーズ」、そして、その夜、ロンドン塔でドニゼッティのオペラ「アンナ・ボレーナ」を楽しむことが出来た。

   確かに、バスや地下鉄の運航は、乱れてはいたが、その夜、オペラが跳ねた後、私は、ロンドン塔からメトロでRACまで帰った。
   その後、予定通りに、再度、グローブ座に行き、ロイヤル・オペラに通い、ウエストエンドでブルック・シールズの「シカゴ」を観るなど、そして、大英博物館やナショナルギャラ―を訪れるなど文化三昧のロンドン旅を満喫した。
   そのあたりの話は、ブログに書いてあるのだが、要するに、大規模なテロ事件が勃発すると、一気に、その都市、ロンドンなり、パリなりが、常軌を逸したような状態に陥り、観光には、全く危険となって、旅行を取りやめるべきだと言う気持ちには、ならないだろうと言うことである。
   同じような事件が、連続して再発する可能性は殆どないと思っているし、私の場合には、ヨーロッパ8年を含めて、アメリカ、ブラジルなど海外で14年も生活していて、凶悪なテロ事件は勿論、危険とは隣り合わせに住み続けていたようなものであるから、異国で危険なのは、当然だと思っていたのかも知れない。
   スイスの街を歩いていたら、目の前をポリスがダッシュして、アパートを取り巻いて急襲する場に遭遇したり、スキポール空港で飛行機から降りようとしたら、兵隊が並んで自動小銃を構えて出迎えたり、どうにかこうにか、異国で、無我夢中で生きてきたと言う思いがある。

   さて、しかし、今なら、私は、このように悠長な気持ちで、ヨーロッパに住めるかどうかは、疑問だと思っている。
   今や、疑似国家とも言うべき、巨大で複雑な組織と膨大な資金を持って、エスタブリッシュを破壊して天下を取ろうとするイスラム国家が、全世界を敵に回して戦おうとしている。
   世界各地に刺客やテロ集団を派遣して、テロ行為を起こして攪乱戦争を仕掛けようとしているのであるから、最早、IRAやアルカイダなどの比ではなくなっている。
   まして、独善的なジハード(「神の道のために奮闘することに務めよ」)で、死ねば天国に行けると信じている戦士たちの集団なのである。

   アラブ諸国が宗派争いにイスラムを忘れ、ヨーロッパが難民問題で汲々とし、米ソがお粗末な駆け引きをしている間に、危機は足音をたてて、そこまで近づいてきている。

   ジョン・キャスティのXイベントを読んでいると、その恐ろしさが見えてくるのだが、今や、テロ集団に核兵器が行き渡るのは時間の問題であろうし、単純な話、電子パルスEMP
で電子機器が止められてしまったら、現代社会が機能停止してしまうなど、何が起こるか分からない。
   
   グローバル世界を取り巻くテクノロジーや科学技術は、日進月歩の急速な進歩を遂げて発展し続けているにも拘わらず、国際政治や外交の世界は、前世紀と殆ど変わらず、複雑系の乖離が益々進行し、破壊寸前の様相を呈しつつある。
   欧米日などで代表される先進国とISの戦いは、文化文明の衝突であり、格差の衝突、新しい南北問題の勃発であり、須らく、異分子間の熾烈な戦いであり、科学技術と政治経済社会システムの複雑系の乖離が爆発すればどうなるのか、
   パリやブリュッセルの連続多発テロを、これまでのテロと同じような形で抑え込もうとしている欧米の試みが、成功するのかどうかは、大いに疑問である。
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辻井伸行 in BBCプロムス2013

2016年03月21日 | クラシック音楽・オペラ
   19日にWOWOWで放映された「辻井伸行 in BBCプロムス2013」を録画してあったので、聴いたのだが、大変な熱演で感激した。
   辻井の生演奏は、題名のない音楽会で佐渡裕の指揮で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第1楽章の演奏と、辻井自身の作曲によるオーケストレーションされた二曲の自作自演を聴いただけで、残念ながら、まだ、コンサートには足を運べていない。

   今回のロイヤル・アルバート・ホールでの、ファンホ・メナの指揮でBBCフィルハーモニーをバックにしたこのコンサートのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とアンコールで弾いたリストのラ・カンパネラは、正に圧巻であった。
   私も、在英時代に、このBBCプロムスには、4年間通い続けて随分楽しませてもらったのだが、これほど、観衆が熱狂して熱烈な温かい拍手で応え、凄いカーテンコールで迎えた光景は、見たことがなかったので、その素晴らしさが伝わってきた。
   私がロンドンで聴いた日本人演奏家は、小澤征爾とサイトウキネン、内田光子、そして、マリア・ジョアン・ピレスの代役としてロンドン響でロンドン・デビューした仲道郁代と、極めて限られているのだが、嬉しかったし、辻井の演奏に接しておれば、感激の絶頂であったであろうと思う。
   その放映の感動的なシーンを数コマ転写する。
   
   
   
   

   三大ピアノ協奏曲としての、ベートーヴェンの皇帝やチャイコフスキーの1番やグリークのピアノ協奏曲、それに、勿論、モーツアルトやショパンやリストやシューマンやブラームスなどと言った、素晴らしいピアノ協奏曲はいくらでもあるけれど、このラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ほど、あまりにも甘美で哀調を帯びた華麗で流れるような美しい協奏曲はないと思っており、この曲を、海外で聴くことが多かったので、望郷の思いと重なって、私には、色々な思いが充満した懐かしい音楽なのである。

   辻井は、あのカーネギーホールでも、このラフマニノフの2番を演奏して、熱烈な歓迎を受けたと報道されていたと思うのだが、今回のリストのラ・カンパネラとともに、辻井伸行の類稀なるピアニストとしての真骨頂なのであろう。
   久しぶりにBBCの放映番組を見たのだが、珍しくも、この辻井の演奏の前に、辻井の生い立ちや演奏シーン、演奏前のインタビューなどを放映していて興味を引かれた。

   このBBCプロムスは、ラストナイト・コンサートが有名で、チケットを取るのが非常に難しく、私の場合には、プロムスのコンサートを一定以上に沢山購入して資格を得て2枚取得したのだが、残念ながら、出張と重なって、家内と小学生であった次女が楽しんできた。
   このプロムスで、ウィーン・フィルやベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘヴォー、それに、グラインドボーンのツアー・オペラなどをはじめ、随分多彩なプログラムを楽しませてもらったが、コンサートホールやグランドボーンで聴く本番のクラシックコンサートとは、違った雰囲気と感興があって、一寸したフェスティバルムードである。
   プロムスで興味深いのは、平土間が立見席となっていて、確か、全公演のチケットを前後に2分割して安く売っていて、熱狂的な音楽ファンや音楽学生など、毎日のように通っていたと言う。
   ラストナイトの時には、立見席の前方の客の仮装や趣向がムードを盛り上げてお祭り騒ぎとなって面白い。

   なにしろ、この劇場は、広い平土間を囲んで1階の客席があり、その上にサークル状の客席が重なっているサーカス劇場を巨大にしたような円形の劇場で、それも、ドームではなく巨大な屋根を頂いた建築物なのである。
   正面に巨大なパイプオルガンが備え付けられているので、当然、劇場であると同時に演奏会場としても意図されているのだが、とにかく、キャパシティ8000人以上と言う巨大な多目的ホールと言うべきで、重要な国家的なイベントなども行われており、私は、ほかにも、国際的なテニス競技や、日本から来訪した大相撲のロンドン場所を見たことがある。
   
   

   1871年開場と言うので、栄光の大英帝国の歴史に息衝いて来た素晴らしい記念的な劇場なのであろうが、サークル状の廊下などパブリックスペースは貧弱なのだが、売店などもあったりして結構面白く作られている。
   私は、車で通っていたので、劇場で観劇する時には、劇場まわりの広場や空地、道路などに、スペースを見つけて駐車するのだが、遅く行くと駐車場所が遠くなる。
   ロンドンの北の郊外のケンウッドの夏のロイヤル・オペラのコンサート形式の野外オペラに通った時にも、巨大な駐車場も、すぐに、満杯になるので、住宅街の道路に駐車するのだが、全く、問題やトラブルガなかったのは、流石に、イギリスだと思っている。

   久しぶりに、プロムス風景を見て、ロンドンが懐かしくなった。
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三月大歌舞伎…中村雀右衛門襲名披露

2016年03月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座公演は、中村雀右衛門の襲名披露公演で、 五代目は、歌舞伎において、時代物の姫役のうち至難とされている三姫と言われている「本朝廿四孝」の八重垣姫、「鎌倉三代記」の時姫、「祇園祭礼信仰記」の雪姫のうち、時姫と雪姫を演じると言う大舞台で、正に、檜舞台の素晴らしい公演である。
   今回は、襲名披露口上もあり、縁戚の高麗屋の総帥である幸四郎や、菊五郎、吉右衛門、仁左衛門が重要な舞台を務め、それに、藤十郎が、先代が最晩年に演じた慶寿院尼で登場すると言う豪華公演でもあり、少し、重いので、二日に分けて歌舞伎座に通った。
   
   

   先代の雀右衛門については、自著の「私事―死んだつもりで生きている」や「女形無限」、それに、渡辺保の「名女形・雀右衛門」などを読んでいるので、雀右衛門の芸論や芸道、私的な履歴なども含めて、かなり、知っているつもりである。
   披露口上で、梅玉が、雀右衛門は、80になるまで、颯爽とした井出達で、バイクに乗っていたとダンディぶりを紹介し、新雀右衛門はそうでなさそうだと語って観客を喜ばせていたが、この本には、その話の写真も載っており、若い時に、映画俳優としても活躍していたことなど、面白い逸話などが垣間見えて興味深いのである。
   女形が美しいのは、この世にない女を演じるからだと語っていたのを思い出すのだが、確かに、簑助の遣う人形の後ろぶりの美しさ素晴らしさは、人形だから出来る芸であることを想えば、分かるような気がする。
   私の歌舞伎座通いも20数年になるので、四代目雀右衛門の至芸を楽しむことの出来たのも、やはり、20年近くなると言うことである。

   さて、これまでに襲名披露は立役ばかり見ており、福助の歌右衛門襲名披露が遠のいたので、雀右衛門で、女形の襲名披露は久しぶりだと言うことであろうが、私は、まだ、女形のは見たことがない。
   大原雄の”「襲名披露」ということ”によると、
   ”四代目雀右衛門は、2012年2月逝去だが、次男の芝雀(力はあるのだが、地味で存在感が今ひとつだった)の表情、演技などが時々、「親父さん。そっくり」と大向うから、褒め言葉の声がかかるようになったから、父親の没後4年で、五代目を襲名しても良いだろうし、改名後大きく飛躍するような予感がする、という状況ではある。”

   五代目雀右衛門については、秀山祭や国立劇場などで、殆ど何時もと言って良いくらいに、吉右衛門の相手役として素晴らしい舞台を見せているので、何時も感動しながら鑑賞させてもらっている。
   通し狂言「伊賀越道中双六」の「岡崎」での、吉右衛門の唐木政右衛門に対して芝雀のお谷、北條秀司作の「井伊大老」での、吉右衛門の直弼に対して芝雀のお靜の方などは、出色の舞台で、非常に感動的であった。

   今回の「鎌倉三代記」の時姫は、初役だと言うことだが、菊五郎と吉右衛門と言う人間国宝の両雄を相手にして、艶やかで格調の高い赤姫を演じていた。
   「祇園祭礼信仰記」の「金閣寺」も、幸四郎の松永大膳、仁左衛門の此下東吉とも互角に組んでの熱演であり、悲嘆にくれる雪姫に降りしきる花吹雪は、これまで見たどの雪姫よりも激しくて豪華で、目を見張るような美しい舞台であった。
   雀右衛門の舞台や見取りのほかの舞台の感想は、稿を改めたい。
   

   この日、歌舞伎座一階の売店には、雀右衛門の襲名記念グッズコーナーが、設けてあって、私には、何となく女性趣味品のような感じがしたので素通りしたけれど、結構客が集まっていた。
   先月もそうだったが、今回は、「金閣寺」の舞台のシーンがディスプレイされていた。
   舞台の定式幕の下の雀右衛門への記念幕がお祭り気分を醸し出していた。
   
   
   
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トランプ旋風の意味するもの

2016年03月16日 | 政治・経済・社会
   共和党の大統領候補の予備選ミニ・スーパー・チューズデーにおいても、イリノイを落としたものの、フロリダで、地元候補のルビオ上院議員を抑えて代議員の総取りを果たすなど大進撃を続けている。
   大分前に、ニューヨークの五番街のトランプタワーに行った時に、アメリカ文化に横やりを入れたような金ぴかの異様な高層ビルの光景を見て、違和感を感じたように、多くの欧米トップメディアや識者、それに、共和党の正統的な主流派さえも反発を感じているのに、何故、アメリカ国民の多くがトランプ旋風に巻き込まれて熱狂するのか。

   ジョン・キャスティの「Xイベント」を読んでいて、複雑性の罠が限界に達して、革命を起こすと言うチェニジアなどのアラブの春の勃発のケースが気になった。
   Xイベントとは、フランス革命や3.11のような人類の命運を左右する極端な事象、極端な出来事を意味するのだが、アラブの春は、制御システム(独裁政権の政府)の複雑性と、制御されるシステム(自由を求める国民)の増大する一方の複雑性とのギャップが、もう埋められないところまで来て起こった革命だと言うのである。
   Xイベントは、二つもしくはそれ以上のシステムの複雑性のギャップを埋める人間本来の方法で、ギャップが大き過ぎるとトラブルとなり、政治の世界では、革命となる。

   さて、現状のアメリカだが、政治体制は、民主共和両党とも、強力な特別利益集団に支配され、二大政党は激しく二極化し、思想的な痛みを伴う意義のある歩み寄りなど殆ど不可能な状態となっており、大統領と議会とのねじれ現象もあって、オバマ政権の政治もままならず、暗礁に乗り上げたような様相を呈している。
   経済格差の拡大が益々進行し、かつ、良識の砦であった中産階級の没落によるなど、民主主義のみならず、資本主義体制さえ危うくなり始めている。
   共和党支持者層においては、あだ花のように台頭したティパーティ運動がやや沈静化したかと思ったら、今回は、現状のアメリカの政治や経済社会に不満を持った恵まれない白人たちのフラストレーションが高じて、一気に、トランプ旋風に巻き込まれてしまったと言うのである。
   
   T・L・フリードマンとM・マンデルバウムが、「かっての超大国アメリカ」のなかで、
   アメリカの現在の難題に取り組むためには、右派と左派の政治的範囲で、現状の民主党主流と共和党主流の立場の間にある広い領域のどこかに位置する中道派与党の政策で、正に、この「急進中道」の政治を必要としており、この実現のために、種々のイデオロギーと構造面での障害を迂回する唯一の方法は、第三党もしくは独立派の大統領候補を擁立することだと述べている。
   尤も、これまでに、第三の候補が当選したことは一度もないのだが、その候補が打ち出した政策が、長期的には、アメリカの歴史の方向性に、大統領に当選した人物よりもずっと大きな影響を及ぼすだろうと言うのである。
   この傾向は、クリントンが大統領に選出された暁には、民主党の対立候補のサンダースの提唱する経済格差縮小政策を積極的に踏襲するであろうと言うことを暗示させる。

   ところで、キャスティの複雑性の理論だが、チュニジアとは行かなくても、制御システムのアメリカの政治体制と、良き生活を求める制御されるシステムのアメリカ国民との間には、大きなギャップが存在していることは確かであり、爆発寸前に至っているとは思えないものの、そのギャップの一端が、トランプ現象を生んでいるのではないかと思っている。
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ブログを始めて既に11年が経った

2016年03月15日 | 生活随想・趣味
   この3月で、私のこのブログも、12年目を迎える。
   既に、書いた記事は、3000を超えていると思うのだが、殆ど、エッセー風の文章で、結構、そのテーマは多岐にわたっている。
   本当は、題材を絞って書くべきだったと思うのだが、特に書きたいテーマがあったわけでもなく、長続きするためには、その都度、自分がその時に感じた関心のあるものを書き続ければ良いと思ったのである。

   このgooの私のブログは、左欄のカレンダーの下のバックナンバーをクリックすれば、当初の2005年3月から、すべての記事が収録されていて、読めるのだが、幸いと言うべきか、書き方もテーマも、多少、考え方なり感じ方が変わってきている部分はあるものの、殆ど変わっておらず、何故か、内心ほっとしている。

   やはり、一番多い記事は、私自身が専攻してきた経営学と経済学関連分野で、読書・ブックレビューの大半も、この分野の本が主体であり、普通のビジネスマンでありながら、フィラデルフィアでのMBA留学以来、欧米でのビジネス生活を通じて、そして、それ以降も、趣味と実益を兼ねて勉強し続けてきた結果でもある。
   読書量はかなり減ってはきたが、今でも、ハーバード・ビジネス・レビューくらいは、読めるようにしたいと思っている。
   最近では、読書も勉強での関心も、ビジネス関係から、文化文明論や歴史など、広がってきており、趣味の観劇関係の本を読むことも多くなったが、相変わらず、四六時中本にまみれて本から離れられない生活が続いている。

   次に多いのは、観劇関係の感想記事で、当初は、若いころからの関心と長い欧米生活での影響もあって、クラシック音楽やオペラなどの音楽関係、そして、ロンドン時代に通い続けたシェイクスピア戯曲関係が多かったのだが、帰国してからは、どうしても、その方面の機会が少なくなって、歌舞伎と文楽に切り替えて、最近では、能と狂言に通い続けているので、日本の古典芸術鑑賞の記事が主体になってきている。
   私自身、イギリスに5年間もいながら、ゴルフには縁がなく、アスコットやクリケットには良く行ったが、スポーツには関心がなかったので、その見返りではないが、音楽鑑賞や観劇、美術館博物館まわり、そして、古都や歴史遺産などを訪ねての欧米各地への旅、ミシュラン星付きレストラン行脚など、積極的に時間を割いて、文化・文明・歴史の凄さ素晴らしさを感じ味わいながら、生きてきたような気がしている。
   私にとっては、これらの欧米での文化鑑賞の生活は、わが人生にとっては、またとない千載一隅のチャンスであったので、キリギリス生活とも言うべきか、老後の資金を残せなかったことを、少しだけだが、後悔している。

   今思えば、ビジネスにおいても、波乱万丈とはいかないまでも、普通では経験できないような貴重な経験をしてきたのだが、それにもまして、欧米やブラジルにいた14年間の旅や異文化異文明との遭遇やそのカルチャーショックに似た思い出や感激を書けておれば、どれだけ良かったかと思うことがある。
   尤も、激務に振り回されていたので、そんな時間的余裕などなかったのだが、その文化行脚の一端は、その後の海外旅行の、このブログの左欄のカテゴリーの「欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)」「ニューヨーク紀行」と「晩秋のロシア紀行」の記事で、示し得たと思っている。

   オペラは、欧米で見続けていたので、来日したMETやスカラ座やロイヤル・オペラやウィーン歌劇場などトップクラスのオペラ公演は、行くことにしているが、残念ながら、オーケストラには行く余裕がなく、日本の古典芸能鑑賞の方に予算を回している。
   本好きなので、音楽は勿論、歌舞伎・文楽、能・狂言など随分関連本や解説などを読むし、良く観たり聴きに行ってはいるのだが、正直なところ、分かっているのかと言われれば、何時まで経っても、良く分からない。
   それでも、好きなので劇場に通っていて、分からないままに、観劇記を書いているのは、おこがましい限りなのだが、私には備忘録だと言う思いがあってのことではある。

   日本の旅紀行やガーデニングや庭の歳時記などは、私の趣味の写真とのコラボレーションと言う感じで、季節の移り変わりなどを記録に残せればと思って書いている。
   このブログのレイアウトなどは、一度変えただけで、そのままで、同じ状態で続けているのだが、少しずつ機能も良くなっており、最近では、写真をいくらでも掲載できるようになって助かっている。

   ブログを書くことは、私自身にとって大切な生活のリズムでもあり、人生の収穫期に至って、このような貴重な楽しみを提供してくれているgooには、大変感謝している。
   今、振り返ってみれば、この11年間、このブログを通して、色々な思い出があって懐かしさ一杯だが、さて、これから、どれくらい続けて行けるのであろうか。

   
   
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わが庭・・・椿の庭をもう一度

2016年03月14日 | わが庭の歳時記
   やはり、椿の季節になると、椿の花が気になってくる。
   ヨーロッパにいた時には、結構、キューガーデンなど庭園に椿が植えられていて、日本の花だと懐かしく見ていたり、ロンドン郊外のわが庭にも赤い八重咲きの薩摩紅によく似た大きな椿の木があって、春には、生け花にして楽しんでいた。

   しかし、本格的に椿に興味を持って育て始めたのは、ヨーロッパから帰って、長い間留守にしていた千葉の家の庭の乙女椿が、大きくなって、奇麗なピンクの花を咲かせたのを見て、その可憐さ美しさに、感激してからである。
   確か、最初に買った椿は、底白の優雅なピンクの天賜と赤い八重咲きの薩摩紅で、その後、庭植えにして、どんどん、椿が増えて行った。

   正味庭部分は、45坪くらいしかなかったが、千葉を離れる時には、庭には、30種類以上の椿が植わっていて、3月から4月には咲き乱れて、増田兄に頂いた大きな花瓶に、たっぷりと豪華に活けて楽しんでいた。
   鎌倉に移転してしまったので、その椿の庭がどうなったのか分からないが、今の庭には、2メートルくらいの白侘助と小さな藪椿だけしか植わっていなかったので、その後、何本か千葉から持ち込んで植えた小さな椿が、咲きだしている。

   その一本のジョリーパーが、今、咲いているのだが、花が大きくて目立つ所為か、ヒヨドリにやられて、咲き切る前に、花弁が食い千切られて可哀そうである。
   今年は、鎌倉に移植して2年経つので、根付いたためか、タマグリッターズが沢山の蕾を付けたので、まだ、咲き続けている。
   
   
   

   先日、大船フラワーセンターの売店で、椿の苗木を売っていたので買った。
   やはり、懐かしくなって、植えていた王冠と桃太郎である。
   王冠は、蕊が大きく広がった肥後椿で、玉之浦とは逆に、白色に紅覆輪の一重花で、大きくて丸い品のある蕾の頃から、非常に目立つ椿である。
   桃太郎は、淡いピンクの匂うような美しさで、蕊の根元が底白の天賜を彷彿とさせる椿である。
   
   

   椿の庭を、もう一度と言う気持ちで、少しずつ、椿の木を増やして行きたいと思っている。
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ディズニー・ピクサー映画「アーロと少年」

2016年03月13日 | 映画
   4歳の孫を連れて、ディズニー映画の「アーロと少年」を見に行った。
   この映画は、「トイ・ストーリー」や「モンスターズ・インク」を制作したスティーブ・ジョブズのピクサー映画で、実写のような凄いCG映画で、実に、美しくて楽しい。
   鎌倉には映画館がないので、いつも行くのは、辻堂の109シネマズ湘南なのだが、ドラえもんと重なっていて、子供たちで、満員の盛況であった。

   この映画の舞台は、太古の地球で、言葉を持つ恐竜と、いまだ言葉を持たない人間、すなわち、プロントザウルスに似た恐竜の子供アーロと、まだ四足歩行が得意な人間の子供スポットの友情物語で、何となく、ETを思い出す感動的な映画である。
   この映画の面白いところは、人間だけが言葉を持たないキャラクターにして、ほかの動物に言葉を持たせて、喋らせて話を進めていることで、安田 成美など、アーロの家族の方に声優が登場して、人間の方は、雄たけびをするだけである。

   弱虫で甘えん坊のアーロは父と大嵐にあって、激しい濁流に飲まれて最愛の父親は亡くなり、アーロは川に流されて見知らぬ土地で目覚めて孤児になる。アーロを救ってくれたのは、貯蔵庫の食料を盗んで食べていた人間の少年スポットで、アーロを小さい体で一生懸命に守ってくれる。最初は、敵だと思って反発しながらも、アーロは、少しずつスポットに心を開いて親しくなって行き、ふたりは、アーロの家を目指して冒険の旅を始める。ふたりの前には想像を絶するような大自然の脅威や敵が待ち受けていたが、力を合わせて困難を乗り越えていく内に、アーロとスポットは、切っても切れない兄弟のような深い友情に結ばれて行く。しかし、ふたりは怪鳥に襲われて、スポットが誘拐されてしまったので、アーロは、決死の覚悟で救出に向かう。窮地を脱して旅を続けて行くうちに、スポットが、父母や姉弟に出合って、別れを惜しむのを制して、アーロは、旅を続けて、やがて、家に辿りつく。

   激しい動物たちの殺戮の戦いや大洪水や大嵐など想像を絶するような自然災害に翻弄されるなどダイナミックな描写に加えて、素晴らしく美しい山々や広大かつ雄大な大自然が織りなす目の覚めるように華麗な光景など、画像の魅力的な凄さは、特筆ものである。
   このファンタジック・アドベンチャーの描き出す壮大な世界、目の覚めるような美しさと、実に滋味深い感動的なストーリー展開は、正に、ディズニー映画の独壇場であろう。

   先に、山田洋次監督の「家族はつらいよ」のレビューで、山田監督の話も加えて、家族の話に触れたが、この映画も、主題は、家族で、アーロと少年が、初めて、心を通わせて、語るシーンは、まず、アーロが、地面に、家族の数だけの木の小枝を立てて並べて、廻りにサークルを描いて家族だと示して、スポットも、同じく、3本の小枝を並べて、大きな小枝を2本倒して土を被せる。
   両親が亡くなったのかいないと言う意味であろうか、それを見て、アーロも一番大きな小枝を倒して土を被せて父の死を示すのだが、この後、心を通わせたアーロとスポットは、アーロの家を目指して旅立つ。
   故郷に向かって旅立つ、家族への再会を目指しての旅をテーマにして、言葉の通じない恐竜と少年のほのぼのとした友情を歌い上げたのがこの映画なのである。

   友情であったり、家族愛であったり、そして、美しくも素晴らしい男女の愛であったり、必ずと言って良いほど、愛をテーマにした映画を描いているディズニー映画は、いくつになっても、感動しながら鑑賞させてもらっている。
   私のディズニー映画の出会いは、小中学生の時に、宝塚の宝塚大劇場で見続けていた団体鑑賞でのシンデレラや地球は生きているなどの多くのディズニー映画であった。
   
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映画:家族はつらいよ・・・山田洋次監督映画を語る

2016年03月11日 | 映画
   鎌倉芸術館で、山田洋次監督 「家族を語るトーク」と、新作「家族はつらいよ」と「東京家族」の上映会が開かれた。
   この劇場は、山田監督が、寅さん映画全作を撮り上げた思い出の大船撮影所の正にその跡地に立っているので、映画上映の合間に行われた「家族を語るトーク」は、弾みに弾んで、実に含蓄深い素晴らしい1時間であった。

   山田監督は、当時のイタリア映画のネオ・リアリズムの影響や黒澤明映画に感化されて、小津安二郎の映画を何だと思っていたのだが、その良さが分かり始めて、家族映画に傾注し始めた経緯から、近所に住んでいた黒澤明監督を訪れた時に、上がれと言われて入ったら、小津安二郎の「東京物語」を食い入るように見ていたと言う話など、小津映画に蘊蓄を傾けて、家族映画の魅力を語り続けた。
   小津映画を生み出したのは小津一家を形成していた小津組あってのことだと、大船撮影所が全社員であった当時の家族のように映画製作に勤しむことのできた良き環境を語りながら、今や、そのような良き映画を作り出す土壌が消えて、日本映画製作の危機が憂慮されているにも拘わらず、何故、日本政府は、国防費など他に膨大な国家予算を使いながら、わずかな予算で済む補助金を出して、韓国のように、日本の映画産業の支援サポートをしないのか、熱っぽく警鐘を鳴らしていた。

   この映画「家族はつらいよ」は、小津監督の「東京物語」のオマージュ現代版である山田監督の「東京家族」に出演した橋爪功、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優と言う4組の男女が繰りなす喜劇版と言うべき位置づけ。
   これに、小林稔侍、風吹ジュン、笹野高史、笑福亭鶴瓶と言った芸達者なベテランが登場するのであるから、面白くない筈がない。

   山田洋次監督の決定版とも言うべき国民的映画「男はつらいよ」シリーズ終了から約20年ぶりに手がけた喜劇「家族はつらいよ」であるから、とにかく、面白くて楽しく、泣き笑いの家族映画で、ほのぼのとした観劇後の余韻が、清々しい。
   先日、レビューして、かなり読んで頂いている落語の桂文枝「別れ話は突然に」とよく似た、今、かなり話題になっている熟年離婚をテーマにした映画である。
   山田監督の家族もの映画、特に、喜劇は、正に、見ている観客の生きざまそのものの生き写しのような実にリアルなシーンを描いているので、この映画の槁爪功演じる周造に自分を投影して重ね合わせながら、苦笑している人も多いであろうし、にこにこしながら溜飲を下げている奥方たちも、結構いたのではないかと思う。
   8人で気の合った映画を作ろう、今回は喜劇だよ、と言った山田監督に、蒼井優が、友人の父母が誕生日に離婚届離婚したと言う話をしたので、これに乗ったと言う話である。

   東京郊外の三世代同居の平田家が舞台で、長男の幸之助(西村雅彦)一家と次男の庄太(妻夫木聡)と、平田家の主で妻・富子(吉行和子)と周造(橋爪功)が同居している。
   悠々自適の生活を仲間とゴルフの後、周造が、いつものように、美人女将のかよ(風吹ジュン)の飲み屋で女房の悪口で盛り上がり、上機嫌で帰宅すると、この日は、妻の誕生日であったことを知らされる。
   プレゼントに何か欲しいものがあるかと尋ねると、450円で良いのと言われて、差し出されたのが離婚届で、既に記名押印済み。
   冗談だろう?と、降って湧いたような驚天動地の熟年離婚騒動が、平田家を襲って、右往左往する4組の男女の人生模様のハチャメチャが益々、話を複雑に入り込ませて面白い。

   家族会議が開かれて、周造に妻に養われているのを揶揄されたので、怒った次女金井成子(中嶋朋子)の夫泰蔵(林家正蔵)が、私立探偵(小林稔侍)が撮った周造がかよの手を握っている写真を証拠にし、浮気を詰問したので、取っ組み合いの喧嘩となり、周造は意識不明となり救急車で病院へ運び込まれる。
   「東京家族」と同じで、生活力の弱い次男庄太の恋人看護師間宮憲子(蒼井優)が助け舟となって、危機を回避するのだが、「お父さんと一緒にいるのが私のストレスなの」と言って三下り半を突き付けた妻も、周造が、観念して離婚届に記名捺印して、一緒に生活できて幸せだったと言う一言に感激して、離婚届を破り捨てる。

   離婚を決心して、周造が静かに見ていたビデオは、「東京物語」。
   この映画のラストの字幕が、「東京物語」のラストの「終」であったのが、印象的であった。


   映画産業が好景気を謳歌していた頃、小津監督だったか、撮影所がいつから八百屋になったのだと、大根(?)が外車で乗り込むのを見て揶揄したとか、
   やはり、興味深かったのは、映画俳優たちとの思い出話であった。

   話題に花が咲いたのは、小津映画の常連で、寅さん映画の御前様笠智衆である。
   手拭いを腰にぶら下げた格好で、大船駅を顔パスで通り抜けて、撮影所に通ったと言う歩く人格者。
   登場するだけで芝居になったと言う流智衆の話を、食事中にしたら、森繁久彌が、箸をおいて、私の前で笠さんの話をしないでください食べられなくなりますと言った話、
   宇野重吉が、一緒に映画に出たくないのは、犬と子供と笠智衆で、絶対に適わないと言った話、etc.

   面識のなかった原節子について、笠智衆に聞いたら、原節子は、自分は、顔も体も大きくて醜いし、演技も下手なので、映画俳優には向かないと言っていたと言う。
   この笠智衆は、近くに小津邸のあった浄智寺が好きで、インタビューの時には、必ず、このお寺を指定するのだと何かの本に読んだのだが、私も良く訪れるところなので、何となく分かるような気がしている。
コメント (1)
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